説明

遅発性神経細胞死を防御または救済するための薬剤および方法

【課題】 神経細胞の虚血・再灌流性による遅発性神経細胞死を防御または救済するために効果的な薬剤または方法を提供すること。
【解決手段】 Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤を含む薬剤を用いる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、血流障害による虚血および虚血後の再灌流によって生じる神経細胞の遅発性細胞死を防御または救済する方法、ならびに当該遅発性細胞死を防御または救済することによって当該細胞死に起因する脳血管疾患を治療するための薬剤に関するものである。さらに本発明は、上記細胞死を評価する方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
脳血管疾患は、日本国内の死因の上位に位置している。多くの脳梗塞および心筋梗塞による脳血流遮断(脳虚血)が神経細胞死を生じることはよく知られている(例えば、非特許文献1および非特許文献2を参照のこと)。脳の虚血性障害および虚血・再灌流傷害(すなわち、虚血後の再灌流によって生じる障害)または低酸素性障害および低酸素・再酸素化障害(すなわち、低酸素化後の再酸素化によって生じる障害)によって引き起こされる神経細胞死は、患者の予後を大きく左右する。しかし、現状では、脳梗塞等を引き起こす虚血・再灌流による神経細胞死を抑制するために適用されている方法のほとんどが、急性期の対処療法(例えば、高気圧酸素療法、ウロキナーゼによる血栓溶解療法、およびエダラボンによるラジカル消去法など)であり、脳虚血時に早急に治療するための治療方法および/または治療薬が必要とされている(例えば、非特許文献3および非特許文献4を参照のこと)。これまで、この虚血・再灌流によって生じる神経細胞死を防御および/または抑制するための薬剤を開発するために多くの努力がなされてきたが、未だ決定的なものを得るには至っていない。
【0003】
脳の虚血・再潅流の後に迅速には生じないが数日後に生じる細胞死、いわゆる遅発性神経細胞死の存在が知られている(非特許文献5および非特許文献6を参照のこと)。本発明者らは、核酸およびプロタミンを主成分とする魚類白子抽出物が、虚血により引き起こされる遅発性の神経細胞死に対して抑制効果があることを見出している(特許文献1を参照のこと)。この遅発性神経細胞死は、その発生が遅いことから救済可能な細胞死であると考えられている。この遅発性細胞死はアポトーシスと関与することが知られている(非特許文献7を参照のこと)。ミトコンドリア仲介性刺激物質(Staurosporin:STS)、デスレセプター仲介性刺激物質(Tumor Necrosis Factor−α:TNFα)、またはFasリガンドによって誘導される、アポトーシス性細胞容積減少(Apoptotic Volume Decrease:AVD)には、ClチャネルおよびKチャネルの働きによるKCl流出が関与することが明らかになっている(非特許文献8を参照のこと)。本発明者らは、容積感受性のClチャネルの機能をブロックする薬剤を投与することによってアポトーシスを防ぐ方法を開発している(例えば、特許文献2を参照のこと)。さらに、ラット心臓の異所性移植時に生じる神経細胞アポトーシス性細胞死においても、Clチャネルブロッカー(心摘出前および移植直後に投与)が抑制的に作用することが報告されている(非特許文献9を参照のこと)。しかし、Clチャネルを標的とした、脳虚血・再灌流性の遅発性神経細胞死を防御または救済する方法の開発は、未だ全く行われていない。
【0004】
容積感受性Clチャネルの機能にタンパク質チロシンキナーゼ(protein tyrosine kinase:PTK)が関与することはよく知られている(例えば、非特許文献10を参照のこと)。PTKを阻害することによって脳循環を改善し、その結果として神経細胞死が抑えられることは知られており(非特許文献11を参照のこと)、脳虚血時にPTKが活性化されることも知られている(非特許文献12を参照のこと)。しかし、PTKを標的とした、虚血・再灌流性の遅発性神経細胞死を防御または救済する方法の開発は、未だ行われていない。
【特許文献1】特開2004−196701公報(平成16年7月15日公開)
【特許文献2】特開2002−3402公報(平成14年1月9日公開)
【非特許文献1】Mizushima H, Zhou CJ, Dohi K, Horai R, Asano M, Iwakura Y, Hirabayashi T, Arata S, Nakajo S, Takaki A, Ohtaki H, Shioda S. (2002) "Reduced postischemic apoptosis in the hippocampus of mice deficient in interleukin-1." J. Comp. Neurol. 448: 203-216.
【非特許文献2】De Keyser J, Sulter G, Luiten PG (1999) "Clinical trials with neuroprotective drugs in acute ischaemic stroke: are we doing the right thing?" Trends Neurosci. 22: 535-540.
【非特許文献3】Schaller B, Graf R. (2004) "Cerebral ischemia and reperfusion: the pathophysiologic concept as a basis for clinical therapy." J. Cereb. Blood Flow Metab. 24: 351-371.
【非特許文献4】Beresford IJ, Parsons AA, Hunter AJ. (2003) "Treatments for stroke." Expert. Opin. Emerg. Drugs. 8: 103-122.
【非特許文献5】Kirino T. (1982) "Delayed neuronal death in the gerbil hippocampus following ischemia." Brain Res. 239: 57-69.
【非特許文献6】Kirino T. (2000) "Delayed neuronal death." Neuropathology. 20 (Suppl) :S95-S97.
【非特許文献7】Zheng Z, Zhao H, Steinberg GK, Yenari MA (2003) "Cellular and molecular events underlying ischemia Induced neuronal apoptosis " Drug News Perspect. 16:497-503.
【非特許文献8】Maeno E, Ishizaki Y, Kanaseki T, Hazama A, Okada Y. (2000) "Normotonic cell shrinkage because of disordered volume regulation is an early prerequisite to apoptosis." Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 97:9487-9492.
【非特許文献9】Mizoguchi K, Maeta H, Yamamoto A, Oe M, Kosaka H. (2002) "Amelioration of myocardial global ischemia/reperfusion injury with volume-regulatory chloride channel inhibitors in vivo." Transplantation. 73: 1185-93.
【非特許文献10】Abdullaev IF, Sabirov RZ, Okada Y. (2003) "Upregulation of swelling-Lctivated Cl- channel sensitivity to cell volume by activation of EGF receptors in murine mammary cells. " J. Physiol. 549:749-758.
【非特許文献11】Paul R, Zhang ZG, Eliceri BP, Jiang Q, Boccia AD, Zhang RL, Chopp M, Cheresh DA. (2001) "Src deficiency or blockade of Src activity in mice provides cerebral protection following stroke." Nat. Med. 7: 222-227.
【非特許文献12】Hon XY, Zhang GY, Yah JZ, Lin Y. (2003) "Increased tyrosine phosphorylation of alpha(1C) subunits of L-type voltage-gated calcium channels and interactions among Src/Fyn, PSD-95 and alpha(1C) in rat hippocampus after transient brain ischemia." Brain Res. 979:43-50.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
上述したように、遅発性細胞死は、虚血・再潅流の数日後に生じる細胞死である。このような遅発性細胞死の防御または救済に効果的な薬剤は、全く開発されていない。本発明は、細胞死シグナルにより活性化されるClチャネルの活性制御に着目し、ClチャネルブロッカーおよびClチャネルを制御し得ると考えられるPTK阻害剤を用いて、虚血・再灌流による神経細胞の遅発性細胞死を防御および/または救済する全く新しい方法を提供すること、ならびに遅発性神経性細胞死抑制剤および当該細胞死抑制剤を含む遅発性細胞死に起因する疾患の治療薬剤を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明に係る薬剤は、虚血後の再灌流条件下における神経細胞死を防御または救済するために、ClチャネルブロッカーまたはPTK阻害剤を含むことを特徴としている。
【0007】
本発明に係る薬剤において、上記神経細胞死は遅発性神経細胞死であることが好ましい。
【0008】
本発明に係る薬剤において、上記神経細胞死は核内DNAの断片化を伴うことが好ましい。
【0009】
本発明に係る薬剤において、上記神経細胞死は、チトクロームcのミトコンドリアからの放出の顕著な低下を伴うことが好ましい。
【0010】
本発明に係る薬剤は、脳虚血時および虚血後の再灌流時に生じる脳血流量低下の改善を伴うことが好ましい。
【0011】
本発明に係る薬剤において、上記Clチャネルブロッカーは、4,4’−diisothiocyanostilbene−2,2’−disulfonic acid(DIDS)であることが好ましい。
【0012】
本発明に係る薬剤において、上記PTK阻害剤は、genisteinであることが好ましい。
【0013】
本発明に係る薬剤において、上記神経細胞死が、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時に生じることが好ましい。
【0014】
本発明に係る神経細胞死を防御または救済するための方法は、ClチャネルブロッカーまたはPTK阻害剤を虚血後の再灌流条件下における神経細胞に投与する工程を包含することを特徴としている。
【0015】
本発明に係る方法において、上記神経細胞死は遅発性神経細胞死であることが好ましい。
【0016】
本発明に係る方法において、上記神経細胞死は核内DNAの断片化を伴うことが好ましい。
【0017】
本発明に係る方法において、上記神経細胞死は、細胞死を引き起こすチトクロームcのミトコンドリアからの放出の活性の顕著な低下を伴うことが好ましい。
【0018】
本発明に係る方法において、上記Clチャネルブロッカーは、4,4’−diisothiocyanostilbene−2,2’−disulfonic acid(DIDS)であることが好ましい。
【0019】
本発明に係る方法において、上記PTK阻害剤は、genisteinであることが好ましい。
【0020】
本発明に係る方法において、上記神経細胞死が、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時に生じることが好ましい。
【0021】
本発明に係る虚血後の再灌流条件下における神経細胞死の評価方法は、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ阻害剤を用いた場合の細胞死を測定する工程;および上記測定によって得た測定値を、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ阻害剤を用いない場合の細胞死を測定して得た基準値と比較する工程を包含することを特徴としている。
【0022】
本発明に係る神経細胞死の評価方法は、上記神経細胞死が遅発性神経細胞死であるが好ましい。
【0023】
本発明に係る神経細胞死の評価方法は、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時における神経細胞の生存率を評価することが好ましい。
【0024】
本発明に係る神経細胞死の評価方法は、上記細胞死を測定する工程が、ミトコンドリア脱水素酵素の活性を指標に行なうことが好ましい。
【0025】
本発明に係る神経細胞死の評価方法は、上記細胞死を測定する工程が、核内DNAの断片化を指標に行なうことが好ましい。
【0026】
本発明に係る神経細胞死の評価方法は、脳血流量の変化を測定する工程をさらに包含することが好ましい。
【0027】
本発明に係る神経細胞死の評価方法は、マウスの両総頚動脈を一過性に遮断した後にその再開通を行なう工程をさらに包含するが好ましい。
【発明の効果】
【0028】
本発明を用いれば、神経細胞死、特に、脳虚血・再灌流によってもたらされる遅発性神経細胞死を抑制することができる。本発明における投与経路が静脈内投与であることによって、臨床的治療への適用が比較的容易となる。また、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時に本発明を適用することによって、生体の生存にとって最も重要な臓器である脳、特に神経細胞の障害の軽減が可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0029】
遅発性の神経細胞死を防御または救済するために効果的な薬剤は、全く開発されていない。本発明者らは、上記課題を解決すべく鋭意検討を行なった。具体的には、本発明者らは、マウス海馬初代培養神経細胞を用いて、
(1)マウス海馬初代培養神経細胞に容積感受性Clチャネルが存在するか;
(2)もし存在するならばマウス海馬初代培養神経細胞の容積感受性Clチャネルは上述のClチャネルブロッカーやPTK阻害剤により抑制されるか
について検討を行なった。さらに、一過性のマウス脳虚血モデルを用いて、
(3)マウス脳虚血・再灌流性遅発性神経細胞死がClチャネルブロッカーを投与することによって抑制することができるかどうか;
(4)マウス脳虚血・再灌流性遅発性神経細胞死PTK阻害剤を投与することによっても抑制することができるかどうか、
(5)マウス脳虚血・再灌流性遅発性神経細胞死の誘導の際に生じるアポトーシスを抑制できるかどうか、
(6)脳虚血・再灌流中の脳循環血流量を改善できるかどうか
について検討を行なった。
【0030】
その結果、本発明者らは、マウスの海馬領域の神経細胞に容積感受性Clチャネルが存在することを初めて明らかにした。さらに本発明者らは、Clチャネルブロッカーを投与するか、またはPTK阻害剤を用いることによって、当該容積感受性Clチャネルを阻害することができることを明らかにした。
【0031】
さらに本発明者らは、これらの知見に基づいて、マウスの両総頚動脈を一過性に遮断した後にその再開通を行なうという脳虚血・再灌流モデルを用い、遅発性神経細胞死を、生存細胞および/または変性神経細胞の形態組織学的観察、細胞質におけるチトクロームcの増加、あるいは局所脳血流量の測定によって評価した。
【0032】
その結果、本発明者らは、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時に生じる遅発性神経細胞死に対する治療薬剤および/または防御薬剤を見出すとともに、当該薬剤の効果を判定する方法を確立した。
【0033】
本発明を用いれば、脳虚血・再灌流によってもたらされる遅発性神経細胞死を、静脈内にClチャネルブロッカーを投与したり、PTK阻害剤を投与したりすることによって抑制することができる。この救済メカニズムは、アポトーシス性細胞容積減少(AVD)をもたらす容積感受性Clチャネルの活性化を抑制することによって達成されるものと考えられる。このように、本発明は、遅発性神経細胞死の初期反応である容積感受性Clチャネル活性化およびその活性化シグナルを標的とした、虚血・再灌流性の神経細胞傷害に対する新規防御方法を提供する。
【0034】
本明細書中で使用される場合、「神経細胞」は、生体内における神経細胞であっても、神経細胞由来の市販の培養細胞であっても、生体から取り出した脳由来の初代培養神経細胞であってもよい。
【0035】
本明細書中で使用される場合、用語「虚血・再灌流実験系」は、培養細胞を用いるインビトロ系またはマウスを用いるインビボ系において、培養細胞またはマウスを虚血(または酸素除去およびグルコース除去)処理した後に再灌流(または再酸素化およびグルコース再投与)処理することを可能にした実験系が意図される。また、本明細書中で使用される場合、用語「虚血・再灌流」は、虚血後に行った再灌流が意図される。
【0036】
(1)神経細胞死を防御または救済するための薬剤および方法
本発明は、神経細胞死を抑制するための薬剤、および当該薬剤を用いて神経細胞死を抑制する方法を提供する。神経細胞死は脳内の各所で起こり、種々の疾患の原因となり、特に、遅発性神経細胞死は、その発生が遅いことから救済可能な細胞死であると考えられているため、このような細胞死を抑制する手段を開発することができれば、当該細胞死が原因で生じる種々の疾患に対する有効な治療薬剤または予防薬剤を得ることができ、非常に有益であるといえる。
【0037】
本発明に係る薬剤は、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤を含むことを特徴とする。一実施形態において、Clチャネルブロッカーは、4,4’−diisothiocyanostilbene−2,2’−disulfonic acid(DIDS)が好ましい。他の実施形態において、PTK阻害剤は、genisteinであることが好ましい。
【0038】
好ましい実施形態において、本発明に係る薬剤は、虚血または虚血後の再灌流によって生じる神経細胞死、特に、遅発性神経細胞死を抑制(すなわち、防御または救済)するために使用され得る。虚血または虚血後の再灌流によって生じる神経細胞死としては、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時に生じる神経細胞死などが挙げられる。
【0039】
上述したように、遅発性神経細胞死の誘導にはアポトーシスが関与することが知られている。本明細書中で使用される場合、用語「アポトーシス」は、「アポトーシスによる細胞死」または「アポトーシス性細胞死」と交換可能に使用される。
【0040】
本実施形態に係る薬剤は、虚血または虚血後の再灌流によって生じる神経細胞のアポトーシスを抑制するために使用されることが好ましい。より好ましくは、本実施形態に係る薬剤は、神経細胞において虚血中に生じる異常によって誘発されるアポトーシスを抑制するために使用され得る。虚血中に生じる異常としては、細胞腫脹、組織浮腫および組織破壊が挙げられるがこれらに限定されない。
【0041】
本明細書中で使用される場合、用語「虚血」は、局所性の乏血が意図される。虚血が生じると、その周辺組織は、虚血の持続時間、虚血に対する組織の感受性、またはその部位での血管吻合の有無に応じて、種々の変化(例えば、アポトーシスまたはネクローシス(壊死))を生じる。本明細書中で使用される場合、用語「虚血傷害」は、虚血に起因して組織において生じる異常が誘発する傷害が意図される。通常、虚血によって組織では種々の異常が生じるが、虚血傷害としては、神経細胞死およびアポトーシス性細胞容積減少(AVD)が挙げられ、虚血後の再灌流によって生じる傷害もまた虚血傷害に含まれる。本発明に係る薬剤の処置標的となる疾患(障害)は、上記虚血障害のうち1種であっても、複数が併発したものであっても、さらに別の疾患と合併したものであってもよい。
【0042】
アポトーシス性の細胞死を評価する場合、核内DNAの断片化またはミトコンドリアからのチトクロームcの放出の顕著な低下を指標にすることができる。このような現象が観察される場合、細胞の死滅率が高いと判断できる。
【0043】
なお、本明細書を読んだ当業者は、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤が、虚血または虚血後の再灌流によって生じる細胞死に対してのみ有効であるのではなく、他の原因によるアポトーシス性の細胞死にも有効であることを、容易に理解する。
【0044】
本発明はさらに、アポトーシスに起因する疾患を予防するための薬剤を提供する。「アポトーシスに起因する疾患」としては、脳梗塞、心筋梗塞、血管性痴呆、アルツハイマー病などの神経変性疾患、慢性関節リウマチなどの自己免疫疾患、老人性脱毛症などが挙げられるがこれらに限定されない。
【0045】
本発明に係る薬剤は、哺乳動物(ヒト、マウス、ラット、ウサギ、イヌ、ネコ、ウシ、ウマ、ブタ、およびサルなど)に対して適用することができる。
【0046】
本発明に係る薬剤は、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤をそのまま用いてもよいが、薬学的に受容可能なキャリアを含んでもよい。本発明に係る薬剤は、医薬組成物の製造法として公知の手段に従って製造することができる。
【0047】
一実施形態において、本発明に係る薬剤は、医薬組成物であり得る。医薬組成物中に使用される薬学的に受容可能なキャリアは、医薬組成物の投与形態および剤型に応じて選択することができる。
【0048】
本明細書中で使用される場合、薬理学的に受容可能なキャリアとしては、製剤素材として使用可能な各種有機または無機のキャリア物質が用いられ、固形製剤における賦形剤、滑沢剤、結合剤、または崩壊剤、あるいは、液状製剤における溶剤、溶解補助剤、懸濁剤、等張化剤、緩衝剤、または無痛化剤などとして配合される。
【0049】
賦形剤としては、例えば、乳糖、白糖、D-マンニトール、キシリトール、ソルビトール、エリスリトール、デンプン、結晶セルロースなどが挙げられ、滑沢剤としては、例えば、ステアリン酸マグネシウム、ステアリン酸カルシウム、タルク、コロイドシリカなどが挙げられる。
【0050】
結合剤としては、例えば、α化デンプン、メチルセルロース、結晶セルロース、白糖、D-マンニトール、トレハロース、デキストリン、ヒドロキシプロピルセルロース、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、ポリビニルピロリドンなどが挙げられる。
【0051】
崩壊剤としては、例えば、デンプン、カルボキシメチルセルロース、低置換度ヒドロキシプロピルセルロース、カルボキシメチルセルロースカルシウム、クロスカルメロースナトリウム、カルボキシメチルスターチナトリウムなどが挙げられる。
【0052】
溶剤としては、例えば、注射用水、アルコール、プロピレングリコール、マクロゴール、ゴマ油、トウモロコシ油、トリカプリリンなどが挙げられる。
【0053】
溶解補助剤としては、例えば、ポリエチレングリコール、プロピレングリコール、D-マンニトール、トレハロース、安息香酸ベンジル、エタノール、トリスアミノメタン、コレステロール、トリエタノールアミン、炭酸ナトリウム、クエン酸ナトリウムなどが挙げられる。
【0054】
懸濁剤としては、例えば、ステアリルトリエタノールアミン、ラウリル硫酸ナトリウム、ラウリルアミノプロピオン酸、レシチン、塩化ベンザルコニウム、塩化ベンゼトニウム、モノステアリン酸グリセリンなどの界面活性剤、あるいは、ポリビニルアルコール、ポリビニルピロリドン、カルボキシメチルセルロースナトリウム、メチルセルロース、ヒドロキシメチルセルロース、ヒドロキシエチルセルロース、ヒドロキシプロピルセルロースなどの親水性高分子が挙げられる。
【0055】
等張化剤としては、例えば、塩化ナトリウム、グリセリン、D-マンニトールなどが挙げられる。
【0056】
緩衝剤としては、例えば、リン酸塩、酢酸塩、炭酸塩、クエン酸塩などの緩衝液などが挙げられる。
【0057】
無痛化剤としては、例えば、ベンジルアルコールなどが挙げられる。
【0058】
防腐剤としては、例えば、パラオキシ安息香酸エステル類、クロロブタノール、ベンジルアルコール、フェネチルアルコール、デヒドロ酢酸、ソルビン酸などが挙げられる。
【0059】
抗酸化剤としては、例えば、亜硫酸塩、アスコルビン酸などが挙げられる。
【0060】
本実施形態に係る医薬組成物は、製剤技術分野において慣用的な方法に従って製造することができる。本実施形態に係る医薬組成物におけるClチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤の含有量は、投与形態、投与方法などを考慮し、当該医薬組成物を用いて後述の投与量範囲でClチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤を投与できるような量であれば特に限定されない。
【0061】
本実施形態に係る医薬組成物の剤形としては、例えば、錠剤、カプセル剤(ソフトカプセル、マイクロカプセルを含む)、散剤、顆粒剤、シロップ剤などの経口剤、あるいは、注射剤、坐剤、ペレット、点滴剤などの非経口剤が挙げられる。用語「非経口」は、本明細書中で使用される場合、静脈内、筋肉内、腹腔内、胸骨内、皮下、および関節内の注射および注入を含む投与の様式をいう。
【0062】
本実施形態に係る医薬組成物の投与量は、投与対象、投与経路、症状などによっても異なるが、当業者は、これら投与対象、投与経路、症状などに応じて、最適な条件を適宜設定することができる。
【0063】
本実施形態に係る医薬組成物は、製剤形態に応じた適当な投与経路で投与できる。投与方法も特に限定はなく、内用、外用および注射によって適用することができる。注射剤は、例えば静脈内、筋肉内、皮下、皮内等に投与することができる。
【0064】
本実施形態に係る医薬組成物の投与量は、その製剤形態、投与方法、使用目的および当該医薬の投与対象である患者の年齢、体重、症状によって適宜設定され一定ではない。一般には、製剤中に含有される有効成分の投与量で、好ましくは成人1日当り5〜400μg/kgである。もちろん投与量は、種々の条件によって変動するので、上記投与量より少ない量で十分な場合もあるし、あるいは範囲を超えて必要な場合もある。投与は、所望の投与量範囲内において、1日内において単回で、または数回に分けて行ってもよい。また、本実施形態に係る医薬組成物はそのまま経口投与するほか、任意の飲食品に添加して日常的に摂取させることもできる。
【0065】
このように、本発明に係る薬剤は、少なくとも、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤を含めばよいといえる。すなわち、複数のClチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤を含有する薬剤もまた、本発明の技術的範囲に含まれる点に留意すべきである。
【0066】
本発明に係る薬剤を投与することによって、アポトーシス性の細胞死を抑制することができる。また、本発明に係る薬剤を投与することによって、心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時における神経細胞を保護することができる。さらに、本発明に係る薬剤を投与することによって、アポトーシスに起因する疾患を処置することができる。
【0067】
(2)虚血および虚血後の再灌流によって生じる細胞死の評価方法
本発明は、虚血後の再灌流条件下における神経細胞死の評価方法を提供する。本発明に係る虚血後の再灌流条件下における神経細胞死の評価方法は、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ阻害剤を用いた場合の細胞死を測定する工程;および上記測定によって得た測定値を、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ阻害剤を用いない場合の細胞死を測定して得た基準値と比較する工程を包含することを特徴としている。一実施形態において、本発明に係る神経細胞死の評価方法は、上記神経細胞死が遅発性神経細胞死であるが好ましい。好ましくは、本実施形態に係る神経細胞死の評価方法は、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時における神経細胞の生存率を評価する。
【0068】
本発明に係る神経細胞死の評価方法は、上記細胞死を測定する工程が、ミトコンドリア脱水素酵素の活性を指標に行なうことが好ましいが、核内DNAの断片化を指標に行ってもよい。本発明に係る神経細胞死の評価方法は、脳血流量の変化を測定する工程をさらに包含することが好ましい。
【0069】
1つの局面において、本発明は、インビトロでの培養細胞を用いる系において虚血および虚血後の再灌流によって生じる細胞死を評価するための方法を提供する。
【0070】
虚血・再灌流傷害(すなわち、虚血後の再灌流によって生じる障害)を誘導するためには、低酸素・再酸素化傷害(すなわち、低酸素化後の再酸素化によって生じる障害)を誘導してもよい。培養細胞を用いて低酸素条件または無酸素条件を提供するには、培養細胞をグルコースを含まない緩衝液(培地)中にて当該細胞を低酸素又は無酸素条件下で培養すればよい。この工程において使用する緩衝液は、グルコースを含まない緩衝液であれば特に限定されない。再酸素条件を適用するためには、グルコースを含む培地中にて有酸素条件下で当該低酸素処理(無酸素処理)に供した細胞を培養すればよい。
【0071】
また、低酸素または無酸素条件下での細胞培養について、本明細書中で使用される場合、用語「無酸素条件下」は、酸素濃度が1%以下の雰囲気下であることが意図され、酸素がほとんど〜全く含まれていないこと(0.01%以下)が好ましい。従って、当業者は、本明細書中に記載される「無酸素条件下」が、炭酸ガス、窒素ガス、アルゴンガス下にて行なう細胞培養であり、例えば、95%アルゴンガス+5%炭酸ガスの条件下もまた無酸素条件下であることを容易に理解する。なお、細胞培養に用いる器具および/または培養方法は、当該分野において公知のものを適宜選択すればよいことも、当業者には明白である。
【0072】
本発明に係る細胞死の評価方法を用いることによって、評価対象となる細胞は虚血後の再灌流を経験する。従って、本発明に係るインビトロでの細胞死の評価方法を用いれば、虚血処理前後、または虚血後に再灌流処理を行なう前後において、細胞の生存率などの細胞死の評価を行ない、これらを比較することによって、再灌流性細胞死の評価を簡便に行なうことができる。
【0073】
本発明に係るインビトロでの細胞死の評価方法において、評価の対象となる細胞としては、特に限定されず、神経細胞、脳神経細胞、脳グリア細胞を好適に用いることができる。神経細胞を用いることによって、脳梗塞または心筋梗塞などが原因となる虚血または虚血後の再灌流によって生じる細胞死を評価することができる。脳神経細胞または脳グリア細胞を用いることによって、脳梗塞などに原因となる虚血または虚血後の再灌流によって生じる細胞死を評価することができるものといえる。また、上記の細胞は、市販の培養細胞が用いられても、初代培養細胞が用いられてもよい。
【0074】
本発明に係る細胞死の評価方法において、細胞死を検出する工程としては、特に限定されないが、例えば、ミトコンドリア脱水素酵素の活性を指標に行なう方法(MTT法またはMTS法)、核内DNAの断片化を指標に行なう方法(DNAラダー試験など)、細胞死を引き起こす細胞内タンパク質分解酵素(カスパーゼ)の活性を指標とする方法、ミトコンドリアから細胞質へのチトクロームcの放出を指標とする方法、および核の形態変化(例えば、核の濃縮または細片化)を指標とする方法などが挙げられる。
【0075】
細胞が死滅するとミトコンドリア脱水素酵素の活性が低下するので、ミトコンドリア脱水素酵素の活性を指標にして当該酵素活性が低下すれば細胞の死滅率が高いと判断することができる。
【0076】
ネクローシスによって細胞が死滅する際には、当該細胞は膜傷害を生じるので、propidium iodide(PI)によって染色される。この際、Hoechst 33342を用いて全ての細胞の核を染色すれば、ネクローシス性の細胞死を生じた細胞の割合を算出することができる。
【0077】
また、アポトーシスによって細胞が死滅する際には、核内DNAが断片化するので、電気泳動などでラダー上の核内DNAの状態を観察すれば簡便にアポトーシス性の細胞死であるか否かを判定することができる。
【0078】
さらに、アポトーシスによって細胞が死滅する際には、カスパーゼが活性化(活性が上昇)することがわかっているので、カスパーゼ活性を指標にして当該酵素活性が上昇すればアポトーシス性の細胞死滅率が高いと判断することができる。
【0079】
また、ミトコンドリア刺激によるアポトーシスによって細胞が死滅する際には、ミトコンドリアから細胞質へのチトクロームcが放出するので、ミトコンドリアから細胞質へのチトクロームcの放出を指標してチトクロームcの放出量を測定すれば簡便にアポトーシス性の細胞死であるか否かを判定することができる。
【0080】
また、アポトーシスによって細胞が死滅する際には、核の濃縮や細片化といった核の形態変化が起こるので、核の形態変化を指標にして電子顕微鏡などで核の形態変化を観察すれば簡便にアポトーシス性の細胞死であるか否かを判定することができる。
【0081】
他の局面において、本発明は、インビボでの動物を用いる系において虚血および虚血後の再灌流によって生じる細胞死を評価するための方法を提供する。
【0082】
マウスを用いる虚血および虚血後の再灌流として、マウスの両総頚動脈を一過性に遮断した後にその再開通を行なうという脳虚血・再灌流モデルを用いることが好ましい。
【0083】
遅発性神経細胞死の評価方法としては、生存細胞および/または変性神経細胞の形態組織学的観察、細胞質におけるチトクロームcの増加、あるいは局所脳血流量の測定を用いることが好ましい。
【0084】
本発明に係る細胞死の評価方法は、上述した本発明に係るマウスの虚血および虚血後の再灌流を首尾よく行なうために、マウスの両総頚動脈を一過性に遮断した後にその再開通を行なうという脳虚血・再灌流モデルを用いればよいといえる。
【0085】
すなわち、本発明に係る虚血後の再灌流条件下における神経細胞死の評価方法は、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ阻害剤を用いた場合の細胞死を測定して、その測定値を基準値と比較すればよいといえる。
【0086】
本発明は、以下の実施例によってさらに詳細に説明されるが、これに限定されるべきではない。
【実施例】
【0087】
〔1:手順〕
海馬神経細胞における容積感受性Clチャネル(α−チャネル)の発現の確認を下記のような方法で行なった。
【0088】
海馬神経細胞を、妊娠16日目のマウスから採取した胎仔より単離した。得られた初代培養海馬神経細胞を、10%ウシ胎仔血清、ストレプトマイシン、ペニシリンを添加したダルベッコ必須培地にて、5%COインキュベ一タ内にて37℃で培養した。培養5〜7日目の海馬神経細胞にホールセルパッチクランプ法を適応して、電流測定を行なった。パッチクランプ実験には、次のような組成の溶液を使用した。細胞外液には、124mM N−メチル−D−グルカミン(NMDG)、124mM HCl、10mM NaCl、4mM MgCl、0.33mM NaHPO、0.5mM EGTA、10mM 2−[4−(2−ヒドロキシエチル)−1−ピペラジニル]エタンスルホン酸(HEPES)、2mM 4−アミノピペリジン(4−AP)、5.5mM グルコースを用い、マンニトール濃度を加減することによって浸透圧を調節した(正常浸透圧溶液:315mOsm、低浸透圧溶液:280mOsm)。細胞内液には、124mM NMDG、24mM HCl、100mM アスパルテート、2mM MgCl、5mM NaATP、0.3mM NaGTP、1mM EGTA、10mM HEPESを用い、浸透圧を300mOsmに調節した。NMDGを用いて、pH(細胞外液および内液ともに)を7.4に調整した。ホールセルパッチクランプモード形成後、チャネル活性化の時間経過を観察するために、保持電位−40mVからテスト電位±60mVを与えて電流応答を記録した。また正常浸透圧時、低浸透圧刺激後、薬剤投与後の電流の性質を検討するために、−100mV〜+100mVまでのステップパルスを随時与えて電流応答を記録した。
【0089】
虚血・再灌流による遅発性神経細胞死におけるClチャネルブロッカーまたはPTK阻害剤の効果を検討するために、マウスの両総頚動脈を脳血管クリップにて閉塞し、クリップを除去することによって再灌流する一過性脳虚血・再灌流モデルを用いた。
【0090】
図1にそのプロトコールを示す。具体的には、C57/BL6Crj(9〜11週齢、雄)に、虚血20分前より頚静脈からDIDS(0.48、12、60mg/kg)、genistein(0.24、6.0、30mg/kg)もしくはdaidzein(30mg/kg)を15分間0.8μL/分/g体重(240〜300μL/匹)の流速で投与した。対照群(ビヒクル)は化合物を含まない溶液(10% DMSOおよび10% polysorvate 80を含むPBS)を与えた。その後、12分間の両総頚動脈の閉塞による脳虚血・再灌流を行った。体温の低下を防ぐために1晩35℃の恒温槽内で飼育した後、室温(24±1℃)で4日間飼育した。1、2、3日目に静脈内投与と同量の化合物を腹腔内に投与した。4日目に屠殺し組織学的検討を行った。
【0091】
これらの脳虚血モデルでは、虚血・再灌流1日目では10%ほどの神経細胞が死亡しているが、4日目では50%近くの神経細胞死が生じ、いわゆる遅発性神経細胞死が観察された。
【0092】
さらに、この遅発性神経細胞死がアポトーシスを含むかどうかを明らかにするために、そして、この機構に対するClチャネルブロッカーまたはPTK阻害剤の効果の有無を検討するために、同様の実験モデル系において、海馬領域における細胞質画分のチトクロームcの増加を、生化学的手法(ウエスタンブロッティング)によって観察した。また、脳循環血流量に対するPTK阻害剤の効果を、レーザードップラー局所血流計により測定した。局所脳血流量は、1.0mmのレーザー径により中大脳動脈領域の大脳皮質を左右6〜9ヶ所計測し、その平均にて示した。化合物投与前を100%として算出した。
【0093】
〔2:マウス海馬神経細胞には容積成受性Clチャネルが存在する〕
これまでに神経細胞で容積感受性Clチャネルの存在が報告されているのは、ラット交感神経細胞(Leaney JL, Marsh SJ, Brown DA. (1997) "A swelling-activated chloride current in rat sympathetic neurons." J. Physiol. 501: 555-564.を参照のこと)、ラット頚動脈小体タイプ1神経分泌細胞(Carpenter E, Peers C. (1997) "Swelling- and camp-activated Cl- currents in isolated rat carotid body type I cells." J. Physiol. 503: 497-511 .を参照のこと)、およびマウス小脳穎粒細胞(Patel AJ, Lauritzen I, Lazdunski M, Honore E. (1998) "Disruption of mitochondrial respiration inhibits volume-regulated anion channels and provokes neuronal cell swelling." J. Neurosci. 18: 3117-3123.を参照のこと)のみである。そこで、海馬神経細胞に容積感受性Clチャネルが存在するかどうかを調べた(図2)。
【0094】
容積感受性Clチャネルは分子実体が明らかにされていないので、免疫組織学的な手法が適応できない。そこで、その発現をパッチクランプ法による電流記録によって確認した。
【0095】
図2Aに示すように、ホールセルパッチクランプ下でマウス海馬初代培養神経細胞に低浸透圧負荷をかけると、徐々に活性化される電流が観察された。この活性化された電流の逆転電位(=−36mV)はClの平衡電位(=−40mV)に近似し、外向き整流性(図2C)で高いプラス電位(>+80mV)において不活性化を示す(図2B)。これらの結果は全て容積感受性Cl電流の特性に一致するこ。よって、マウス海馬初代培養神経細胞に容積感受性Clチャネルが存在することが明らかになった。
【0096】
〔3:マウス海馬初代培養神経細胞の容積感受性Clチャネルは、DIDSとenisteinによって抑制される〕
マウス海馬初代培養神経細胞の容積感受性Clチャネルが、その阻害剤として知られるDIDSやgenisteinによって抑制されるかどうかを確認した(図2)。500μM DIDSの抑制効果はプラス電位にのみ見られ、電位依存性であった(図2D)。また100μM genisteinによる抑制は電位に非依存的で、逆転電位付近を除く全ての電位においてその抑制効果を発揮した(図2E)。このことから、DIDSとgenisteinが確かに海馬神経細胞の容積感受性Clチャネルを抑制することを確認した。
【0097】
〔4:マウス脳虚血性遅発性神経細胞死はClチャネルブロッカーによって救済される〕
ラットの培養神経細胞のスタウロスポリン(STS)によって誘導されたアポトーシスは、ClチャネルのブロッカーであるDIDSによって救済されることが報告されている(Tanabe S, Maeno E, Okada Y (2002) "Prevention of staurosporine-induced apoptotic cell death by DIDS and SITS in rat cardiomyocytes in primary culture." Jpn. J. Physiol. 52 (Suppl):S34 を参照のこと)。そこで、マウスの脳虚血性神経細胞死がClチャネルブロッカーで抑制されるかどうかを検討した。
【0098】
図3に示すように、12分間の虚血によって神経細胞死を誘導した場合、トルイジンブルー染色により形態学的に観察すると、海馬CA1領域の神経細胞は核小体が不明瞭になり錐体細胞の縮小化が認められた(図3、A矢印)。一定面積あたりの残存する形態的に正常な細胞数は、脳虚血前の約60個(結果非表示)から37.1個にまで減少した(図2、第1棒グラフ)。虚血15分前および再灌流後にClチャネルブロッカーであるDIDS(0.48、12、60mg/kg)を投与しておくと、0.48mg/kgまたは60mg/kgでの投与では、その効果はあまり顕著ではなかった(図3、図5)。しかし、12mg/kgの投与群においてその形態変化は少なくなり(図3、D)、残存する形態的に正常な細胞数は52.5個に上昇した(図4、第3棒グラフ)。
【0099】
さらに、図3に示すように、神経変性像(Fluoro−JadeB染色により検出)を示す神経細胞を観察したところ、ビヒクル投与のマウスの海馬CA1領域において、明らかに強く蛍光染色される変性した神経細胞が観察された(図5、A矢印)。単位面積当たりの変性神経細胞数を計測すると28.4個であった(図6、第1棒グラフ)。DIDS12mg/kgを投与すると、染色される細胞が減少し(図5、D)。変性神経細胞数は12.0個に明らかに低下した(図6、第3棒グラフ)。これらの結果は、ClチャネルブロッカーであるDIDSが一過性のマウス脳虚血後の遅発性神経細胞死に対して救済的に作用することを示している。
【0100】
〔4:マウス脳虚血性遅発性神経細胞死はPTK阻宝剤によって救済される〕
図3に示すように、虚血の15分前にビヒクルを投与し12分間の虚血性神経細胞死を誘導した場合、一定面積あたりの残存する形態的に正常な細胞数は37.1であった(図4、第1棒グラフ)。虚血15分前および再灌流後1、2、3日後の計4回、PTK阻害剤であるgenistein(1.2、6、30mg/kg)を投与しておくと、海馬CA1領域の神経細胞の形態変化が抑制され(図3、E、F、G)、単位面積当たりの残存する形態的に正常な細胞数は、それぞれ48.2、50.8、55.7に上昇した(図4、第5、6、7棒グラフ)。変性神経細胞を観察したところ、ビヒクル投与群の海馬CA1領域において、明らかに変性した神経細胞が観察された(図5、A)。Genisteinを投与すると、変性神経細胞の出現は低下した(図5、E、F、G)。単位面積あたりの変性神経細胞数は、濃度依存的に14.0、11.7、5.8と明らかに減少した(図6、第5、6、7棒グラフ)。さらに、genisteinのPTK活性を有さない類似体であるdaidzein(30mg/kg)の投与群では、形態的正常細胞の低下、変性神経細胞の増加を抑制できなかった(図3、H;図4、第8棒グラフ;図5、H;図6、第8棒グラフ)。これらの結果は、PTK阻害剤であるgenisteinが一過性のマウス脳虚血後の遅発性神経細胞死に対して救済的に作用することを示している。
【0101】
〔5:マウス脳虚血性遅発性神経細胞死によるアポトーシスはClチャネルブロッカーまたはPTK阻宝剤によって抑制される〕
アポトーシス性細胞死の過程において、チトクロームcのミトコンドリアから細胞質への放出は、細胞死の出現に最も重要な現象であるということが知られている(非特許文献7を参照のこと)。また、DIDSはラットの培養神経細胞のスタウロスポリン(STS)によって誘導されたアポトーシスを救済することが報告されている(Tanabe S, Maeno E, Okada Y (2002) "Prevention of staurosporine-induced apoptotic cell death by DIDS and SITS in rat cardiomyocytes in primary culture." Jpn. J. Physiol. 52 (Suppl):S34 を参照のこと)。
【0102】
一過性脳虚血誘導後の海馬細胞質において、チトクロームc(cyt−c)の増加がみられた(図7、ビヒクル投与群(1〜4レーン))。一過性脳虚血を誘導する15分前にClチャネルブロッカー(図7、第5〜第8レーン(DIDS(12mg/kg)))またはPTK阻害剤(図7、第9〜第12レーン(genistein(30mg/kg)))を投与したマウスの脳海馬領域において、チトクロームcの増加が抑制された。これらの結果は、ClチャネルブロッカーであるDIDSまたはPTK阻害剤であるgenisteinが一過性のマウス脳虚血後のアポトーシスに対して救済的に作用することを示している。
【0103】
〔6:マウス脳虚血・再灌流中の脳血流の低下はPTK阻宝剤によって抑制される〕
PTKの阻害剤の1つであるPP1は、脳虚血中の血管拡張作用を示すことが報告されている(非特許文献11を参照のこと)。局所脳血流を、レーザードップラー血流計を用いて測定した。図8に示すように、虚血中の大脳皮質の局所血流量は脳虚血前(100%)と比較して25%にまで低下するが、10分間の再灌流で徐々に回復し、虚血前付近に戻る(図中、Genistein投与群(黒丸)、ビヒクル群(白丸)およびコントロール(ビヒクル無投与群))。しかしながら、脳虚血前15分間のgenistein(30mg/kg)投与を行った場合は、虚血中の脳血流の30〜35%と高く、さらに、再灌流後の局所脳血流量は約2分間で回復する。特に、再灌流直後30秒間で50%回復し虚血前の80%にまで回復する。しかし、ビヒクル群では20%程度(虚血前の40%に回復)しか回復しない。この結果は、PTK阻害剤であるgenisteinが一過性のマウス脳虚血・再灌流中に血管拡張などの循環改善を引き起こし、その結果、脳血流の低下を抑制し、その後生じるであろう遅発性神経細胞死に対して救済的に作用することを示している。
【産業上の利用可能性】
【0104】
これまで神経細胞の虚血・再灌流性による遅発性神経細胞死を防御または救済するために効果的な薬剤または方法というものが、全く開発されていなかったので、本発明によって、遅発性神経細胞死を防御および/または救済することが可能となり、神経細胞の遅発性細胞死に起因する様々な脳障害に対する有効な治療および/または予防に関する技術の開発に大いに役立つ。
【図面の簡単な説明】
【0105】
【図1】図1は、一過性のマウス両総頚動脈閉塞前脳虚血モデルによる実験スケジュールを示す概略図である。
【図2】図2は、マウス海馬初代培養神経細胞における容積感受性Cl電流を示すグラフである。
【図3】図3は、脳虚血・再灌流4日目の海馬CA1領域をトルイジンブルー染色によって形態染色して比較した写真である。
【図4】図4は、脳虚血・再灌流4日目の海馬CA1領域における残存正常神経細胞数の比較を示すグラフである。
【図5】図5は、脳虚血・再灌流4日目の海馬CA1領域をFluoro−JadeB(FJB)染色によって染色して変性神経細胞を比較した写真である。
【図6】図6は、脳虚血・再灌流4日目の海馬CA1領域におけるFJB陽性細胞数を比較したグラフである。
【図7】図7は、脳虚血・再灌流後の海馬領域の細胞質画分におけるチトクロームcのイムノブロッティングの結果を示す写真である。
【図8】図8は、脳虚血・再灌流時における中大脳動脈領域の大脳皮質における局所脳血流量の比較したグラフである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)阻害剤を含むことを特徴とする虚血後の神経細胞死を防御または救済するための薬剤。
【請求項2】
上記神経細胞死が遅発性神経細胞死であることを特徴とする請求項1に記載の薬剤。
【請求項3】
上記神経細胞死が核内DNAの断片化を伴うことを特徴とする請求1または2に記載の薬剤。
【請求項4】
上記神経細胞死は、チトクロームcのミトコンドリアからの放出の顕著な低下を伴うことを特徴とする請求項1〜3の何れか1項に記載の薬剤。
【請求項5】
上記Clチャネルブロッカーが、4,4’−diisothiocyanostilbene−2,2’−disulfonic acid(DIDS)であることを特徴とする請求項1〜4の何れか1項に記載の薬剤。
【請求項6】
上記PTK阻害剤が、genisteinであることを特徴とする請求項1〜4の何れか1項に記載の薬剤。
【請求項7】
上記神経細胞死が、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時に生じることを特徴とする請求項1〜6の何れか1項に記載の薬剤。
【請求項8】
ClチャネルブロッカーまたはPTK阻害剤を虚血後の再灌流条件下における神経細胞に投与する工程を包含することを特徴とする神経細胞死を防御または救済するための方法。
【請求項9】
上記神経細胞死が遅発性神経細胞死であることを特徴とする請求項8に記載の方法。
【請求項10】
上記神経細胞死が核内DNAの断片化を伴うことを特徴とする請求項8または9に記載の方法。
【請求項11】
上記神経細胞死が、細胞死を引き起こすチトクロームcのミトコンドリアからの放出の活性の顕著な低下を伴うことを特徴とする請求項8〜10のいずれか1項に記載の方法。
【請求項12】
脳虚血時および虚血後の再灌流時に生じる脳血流量低下の改善を伴うことを特徴とする請求項8〜11のいずれか1項に記載の方法。
【請求項13】
上記Clチャネルブロッカーが、4,4’−diisothiocyanostilbene−2,2’−disulfonic acid(DIDS)であることを特徴とする請求項8〜12の何れか1項に記載の方法。
【請求項14】
上記PTK阻害剤が、genisteinであることを特徴とする請求項8〜12の何れか1項に記載の方法。
【請求項15】
上記神経細胞死が、脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時に生じることを特徴とする請求項9〜14の何れか1項に記載の方法。
【請求項16】
虚血後の再灌流条件下における神経細胞死の評価方法であって、
Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ阻害剤を用いた場合の細胞死を測定する工程;および
上記測定によって得た測定値を、Clチャネルブロッカーまたはタンパク質チロシンキナーゼ阻害剤を用いない場合の細胞死を測定して得た基準値と比較する工程
を包含することを特徴とする方法。
【請求項17】
上記神経細胞死が遅発性神経細胞死であることを特徴とする請求項16に記載の神経細胞死の評価方法。
【請求項18】
脳梗塞もしくは心筋梗塞の際、または心移植術もしくは脳血管吻合術の脳虚血時もしくは脳虚血後の再灌流時における神経細胞の生存率を評価することを特徴とする請求項16または17に記載の神経細胞死の評価方法。
【請求項19】
上記細胞死を測定する工程が、ミトコンドリア脱水素酵素の活性を指標に行なうことを特徴とする請求項16〜18のいずれか1項に記載の神経細胞死の評価方法。
【請求項20】
上記細胞死を測定する工程が、核内DNAの断片化を指標に行なうことを特徴とする請求項16〜18のいずれか1項に記載の神経細胞死の評価方法。
【請求項21】
脳血流量の変化を測定する工程をさらに包含することを特徴とする請求項16〜20のいずれか1項に記載の神経細胞死の評価方法。
【請求項22】
マウスの両総頚動脈を一過性に遮断した後にその再開通を行なう工程をさらに包含することを特徴とする請求項16〜21のいずれか1項に記載の神経細胞死の評価方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2008−56565(P2008−56565A)
【公開日】平成20年3月13日(2008.3.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−360255(P2004−360255)
【出願日】平成16年12月13日(2004.12.13)
【出願人】(503360115)独立行政法人科学技術振興機構 (1,734)
【出願人】(592019213)学校法人昭和大学 (23)
【出願人】(504261077)大学共同利用機関法人自然科学研究機構 (156)
【Fターム(参考)】