説明

高強度ばね用鋼、高強度ばねの製造方法及び高強度ばね

【課題】耐食性および耐孔食性に優れ、合金元素の添加量が少ない低コストの高強度ばね用鋼、高強度ばねの製造方法及び高強度ばねを提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.38-0.44%、Si:2.00-2.30%、Mn:0.85-1.15%、Cr:0.10-0.43%、Ni:0.15-0.35%、Cu:0.15-0.35%、Ti:0.05-0.13%、P:0.02%以下、S:0.02%以下、Al:0.003-0.10%、N:0.002-0.012%、O:0.0002%以下を含有し、残部が鉄および不可避不純物からなることを特徴とする高強度ばね用鋼。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、車両用ばね部品などに用いられる高強度ばね用鋼、高強度ばねの製造方法およびその方法により製造された高強度ばねに関する。
【背景技術】
【0002】
地球規模の温暖化防止を目的とする環境アセスメントを受けて自動車業界では二酸化炭素ガス排出量を規制するために、車体の軽量化が要望されている。車体の軽量化という要望を実現するための1つのアプローチとして車体支持用コイルばねの高強度化がある。また、一方では車体支持用コイルばねは過酷な腐食環境下におかれるために、その耐久性が要求される。
【0003】
コイルばねの腐食環境下での耐久性を確保するために、耐食性に効果のあるNi,Cr,Mo,Vなどの合金元素を添加して材料の耐食性を向上させるための研究開発が行われ、種々の提案がなされている。このような耐食性および耐遅れ破壊性を向上させる手段として例えば特許文献1に記載されているNi,Cr,Mo,Vなどの高価な合金元素を添加したコイルばね用高強度鋼(以下、既存高Cr鋼と記す)では、合金元素の添加量が使用環境が厳しくなるにしたがって多くなるため、原料コストが上昇する。また、Crの多量添加は、高コスト化ばかりでなく、原料供給体制の不安定化を招き、また、物理的にも腐食ピットの形状を鋭角にするというマイナス面もある。すなわち、Crは、全面腐食に対してはプラスに作用するが、腐食ピット(孔食)に対してはマイナスに作用するというトレードオフの関係にあり、添加量としてどこにCr量の最適値があるのか分からなかった。
【0004】
また、Niは、耐食性を高める作用および錆のアモルファス組成を増大させて腐食ピットのアスペクト比を低減させる作用を有するが、コストの増大を招くばかりでなく、Niを産出する国や地域は偏在しており、原料供給体制が不安定である。
【0005】
このような背景から、上述の不安定要素を解消するための研究がさらに進められ、種々の提案がなされている。例えば特許文献2には、低Cr含有量、低Ni含有量で所望の高強度を得るようにしたコイルばね用高強度鋼が記載されている。この特許文献2では、低合金量の高強度ばね用鋼を実現するために、3つのパラメータ値Ceq 1, Ceq 2, Ceq 3を用いて構成元素の組成比を規定することが提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開平7−173577号公報
【特許文献2】特開2009−046764号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、上述の特許文献2に記載されたばね用鋼(以下、従来鋼と記す)の性能について本発明者らが追試験を行って調べた結果、従来鋼のなかには腐食寿命がコイルばねとしての実用領域に達していない鋼種が含まれていることが判明した。すなわち、特許文献2の3つのパラメータ値Ceq 1, Ceq 2, Ceq 3による解析は、強度に関しては十分であるが、腐食寿命(腐食耐久性)に関しては不十分であることが分かった。よって、従来鋼を総合的にみた場合に、コイルばね用鋼として必要かつ十分な性能を備えているとは必ずしも言えない面があった。
【0008】
本発明は上記課題を解決するためになされたものであり、高強度化を実現し、さらにNi,Cr,Mo,Vの合金元素の添加量が少ない低コストの高強度ばね用鋼であって、しかも定義された組成比において耐食性および耐孔食性に優れる実用的な腐食寿命を有する高強度ばね用鋼、高強度ばねの製造方法及び高強度ばねを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明に係る高強度ばね用鋼(以下、本発明鋼という)は、質量%で、C:0.38〜0.44%、Si:2.00〜2.30%、Mn:0.85〜1.15%、Cr:0.10〜0.43%、Ni:0.15〜0.35%、Cu:0.15〜0.35%、Ti:0.05〜0.13%、P:0.02%以下、S:0.02%以下、Al:0.003〜0.10%、N:0.002〜0.012%、O:0.0002%以下を含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、下式(1)で求めた脱炭性能の指標となるAc3変態点が859℃以上885℃以下の範囲にあり、かつ下式(2)で求めた焼入れ性能の指標となる最大焼入れ直径DIが70mm以上238mm以下の範囲にあり、かつ下式(3)で求めたばね性能の指標となる焼戻し硬さHRCが50以上55以下の範囲にあることを特徴とする高強度ばね用鋼。
【0010】
Ac3=910−203×√C −15.2Ni+44.7Si+104V+31.5Mo+13.1W …(1)
DI=DO×fSi×fMn×fP×fS×fCu×fNi×fCr …(2)
HRC=38.99 + 17.48 C + 2.55 Si - 2.28 Ni + 2.37 Cr + 8.04 Ti …(3)
但し、結晶粒度番号7、D0=8.65×√C 、fSi=1 + 0.64 × %Si、fMn=1 + 4.10 × %Mn、fP=1 + 2.83 × %P、fS=1 - 0.62 × %S、fCu=1 + 0.27 × %Cu、fNi=1 + 0.52 × %Ni、fCr=1 + 2.33 × %Crである。
【0011】
本発明に係る高強度ばねの製造方法は、質量%で、C:0.38〜0.44%、Si:2.00〜2.30%、Mn:0.85〜1.15%、Cr:0.10〜0.43%、Ni:0.15〜0.35%、Cu:0.15〜0.35%、Ti:0.05〜0.13%、P:0.02%以下、S:0.02%以下、Al:0.003〜0.10%、N:0.002〜0.012%、O:0.0002%以下を含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、下式(1)で求めた脱炭性能の指標となるAc3変態点が859℃以上885℃以下の範囲にあり、かつ下式(2)で求めた焼入れ性能の指標となる最大焼入れ直径DIが70mm以上238mm以下の範囲にあり、かつ下式(3)で求めたばね性能の指標となる焼戻し硬さHRCが50以上55以下の範囲にある鋼を、
熱間または冷間で線材に加工し、所望のコイルばね形状に巻き込み成形し、焼入れ焼き戻しの熱処理を施し、ホットセッチングし、温間ショットピーニングし、プリセッチングすることを特徴とする。
【0012】
Ac3=910−203×√C −15.2Ni+44.7Si+104V+31.5Mo+13.1W …(1)
DI=DO×fSi×fMn×fP×fS×fCu×fNi×fCr …(2)
HRC=38.99 + 17.48 C + 2.55 Si - 2.28 Ni + 2.37 Cr + 8.04 Ti …(3)
但し、結晶粒度番号7、D0=8.65×√C 、fSi=1 + 0.64 × %Si、fMn=1 + 4.10 × %Mn、fP=1 + 2.83 × %P、fS=1 - 0.62 × %S、fCu=1 + 0.27 × %Cu、fNi=1 + 0.52 × %Ni、fCr=1 + 2.33 × %Crである。
【0013】
本明細書中に記載した用語を以下のように定義する。
【0014】
焼入れ係数DO は、結晶粒度と炭素含有量とで規定される係数であり、最大焼入れ直径DIを算出する際に用いられるものである。
【発明の効果】
【0015】
本発明の基本的な利点を以下に列挙する。
【0016】
(i) 3つのパラメータ値Ac3 , DI , HRC によって定義された組成比において腐食寿命が長く、かつ高強度である。
【0017】
(ii)材料コストが安い。
【0018】
(iii)レアメタル市場の価格変動の影響を受けにくくなり材料供給体制が安定化する。
【0019】
(iv)省資源である。
【0020】
本発明によれば、従来鋼と同等であるか又はそれ以下のNi,Cr,Mo,Vなどの高価な合金元素の添加量であるにもかかわらず、従来鋼と比べてみても遜色ない同等程度のばね性能が得られ、しかも腐食寿命の劣る組成の鋼を含まない。
【0021】
本発明鋼を用いてばねの評価を行なった結果、3つのパラメータ値Ac3 , DI , HRC によって定義された組成比において大気耐久性、耐へたり性、耐腐食耐久性は、従来鋼と同等か又はそれ以上の試験結果が得られた。
【0022】
本発明の性能面での利点を以下に列挙する。
【0023】
(a) Ni,Cr,Mo,Vなどの合金元素の添加量が少ないにもかかわらず腐食環境下での腐食減量が従来鋼とほぼ同じ程度か又はそれ以下である。
【0024】
(b)腐食環境下で発生する腐食ピットの形状が平らであり、局部応力集中が発生し難い。
【0025】
(c)腐食環境下で発生する腐食ピットの深さが浅いので、疲労亀裂が発生しにくく腐食寿命が向上する。
【0026】
(d)本発明は、熱間ばねと冷間ばねのいずれにも適用することができる。
【0027】
以上のように本発明鋼は、従来鋼と比べてV無添加で、かつ低Ni、低Crであるにもかかわらず、腐食減量が従来鋼とほぼ同じ程度か又はそれ以下であり、組成比の変化に伴って腐食減量が大きくなるということがない。また、本発明鋼では腐食ピット形状が平らであり、腐食ピット深さが浅くなる。
【図面の簡単な説明】
【0028】
【図1】(a)〜(d)は腐食ピットの発生から亀裂の進展に至るまでの様子をそれぞれ模式的に示した断面模式図。
【図2】実施例と比較例を対比して繰返しサイクル数と腐食減量との相関を示す特性線図。
【図3】実施例と比較例を対比して繰返しサイクル数とピットのアスペクト比との相関を示す特性線図。
【図4】実施例試料に発生した腐食ピットの深さと発生頻度との相関を示す特性線図。
【図5】比較例試料に発生した腐食ピットの深さと発生頻度との相関を示す特性線図。
【図6】各種のコイルばねが折損するまでの回数と応力振幅との相関を示す特性図。
【図7】各種のコイルばねの締付応力と残留せん断ひずみとの相関を示す特性図。
【発明を実施するための形態】
【0029】
以下、本発明を実施するための好ましい形態について説明する。
【0030】
本発明鋼は大別すると以下の3つの特徴を有する。
【0031】
第一に、脱炭は、ばねの性能を左右する重要な要素であり、成分を決定する上で考慮しなければならない重要な検討項目のひとつである。脱炭を検討するひとつの手段として二相域とオーステナイト域との境界を規定するAc3変態点がある。このAc3変態点が小さければ加熱温度は低くて済み、また仮に同じ加熱温度の場合でも焼入れまでの許容温度を低く採れるため脱炭に対して有利であると考えられる。既存高Cr鋼の最適成分でのAc3点が867℃であったので、本発明鋼では少なくとも既存高Cr鋼と同等のAc3点になるように、ばね性能(大気耐久性、へたり性、腐食耐久性)、焼入れ性、焼戻し硬さを確保しながら成分設計の検討を行った。ここで最適成分は、必ずしも上限値と下限値の中央の値(加算平均値)が該当するとは限らない。最適成分は、ばね性能、焼入れ性、焼戻し硬さを総合的に評価することにより決定されるべきものであり、むしろ上限値と下限値の加算平均値よりも少し低めの値である場合が多い。その結果、本発明鋼の最適成分でのAc3点は867℃となり、既存高Cr鋼とほぼ同等の脱炭性能をV無添加、低Niの成分で得ることができた。
【0032】
第二に、ばねの硬さは、ばねの性能を左右する重要な要素であり、ばねの線径や大きさによらず均一な硬さにすることは非常に重要なことである。そのためには焼入れ性を考慮した検討が必要である。本発明では焼入れ性を検討するために上記(2)式で表わされるH.Hollomon&L.D.Jaffeの式を用いた。
【0033】
第三に、焼戻し硬さは、コイルばねの最終硬さを規定し、ばね性能に大きな影響を及ぼし、既存高Cr鋼と同じ焼戻し温度で同じ硬さを得ることができれば、焼戻し温度を変更することなく生産可能になるので、ばねの生産性を考慮する上で重要な要素のひとつである。焼戻し硬さの算出には上記(3)式を用いた。既存高Cr鋼の焼戻し温度T℃での焼戻し硬さは最適成分で52.5HRCである。これに対して本発明鋼では同じ焼戻し温度T℃での焼戻し硬さは52.6HRCである。以上のように、最適成分で同じ焼戻し硬さが得られるようにC、Si、Ni、Cr、Tiの量を調整した。
【0034】
これら3つの特徴を備える本発明の高強度ばね用鋼、高強度ばねの製造方法及び高強度ばねを以下に列記する。
【0035】
(1)本発明の高強度ばね用鋼は、質量%で、C:0.38〜0.44%、Si:2.00〜2.30%、Mn:0.85〜1.15%、Cr:0.10〜0.43%、Ni:0.15〜0.35%、Cu:0.15〜0.35%、Ti:0.05〜0.13%、P:0.02%以下、S:0.02%以下、Al:0.003〜0.10%、N:0.002〜0.012%、O:0.0002%以下を含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、下式(1)で求めた脱炭性能の指標となるAc3変態点が859℃以上885℃以下の範囲にあり、かつ下式(2)で求めた焼入れ性能の指標となる最大焼入れ直径DIが70mm以上238mm以下の範囲にあり、かつ下式(3)で求めたばね性能の指標となる焼戻し硬さHRCが50以上55以下の範囲にあることを特徴とする。
【0036】
Ac3=910−203×√C −15.2Ni+44.7Si+104V+31.5Mo+13.1W …(1)
DI=DO×fSi×fMn×fP×fS×fCu×fNi×fCr …(2)
HRC=38.99 + 17.48 C + 2.55 Si - 2.28 Ni + 2.37 Cr + 8.04 Ti …(3)
但し、結晶粒度番号7、D0=8.65×√C 、fSi=1 + 0.64 × %Si、fMn=1 + 4.10 × %Mn、fP=1 + 2.83 × %P、fS=1 - 0.62 × %S、fCu=1 + 0.27 × %Cu、fNi=1 + 0.52 × %Ni、fCr=1 + 2.33 × %Crである。
【0037】
本発明によれば、合金元素の添加量が少ないにもかかわらず腐食環境下での腐食減量が既存高Cr鋼とほぼ同じ程度になるか、あるいはそれ以下になる(図2)。
【0038】
また、本発明によれば、腐食環境下で発生する腐食ピットの形状が平らになり、局部応力集中が発生し難くなる(図3)。
【0039】
さらに、本発明によれば、腐食環境下で発生する腐食ピットの深さが浅いので、疲労亀裂が発生しにくく腐食寿命が向上する(図4、図5、図6)。
【0040】
(2)本発明の高強度ばねの製造方法は、質量%で、C:0.38〜0.44%、Si:2.00〜2.30%、Mn:0.85〜1.15%、Cr:0.10〜0.43%、Ni:0.15〜0.35%、Cu:0.15〜0.35%、Ti:0.05〜0.13%、P:0.02%以下、S:0.02%以下、Al:0.003〜0.10%、N:0.002〜0.012%、O:0.0002%以下を含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、下式(1)で求めた脱炭性能の指標となるAc3変態点が859℃以上885℃以下の範囲にあり、かつ下式(2)で求めた焼入れ性能の指標となる最大焼入れ直径DIが70mm以上238mm以下の範囲にあり、かつ下式(3)で求めたばね性能の指標となる焼戻し硬さHRCが50以上55以下の範囲にある鋼を、
熱間または冷間で線材に加工し、所望のコイルばね形状に巻き込み成形し、焼入れ焼き戻しの熱処理を施し、ホットセッチングし、温間ショットピーニングし、プリセッチングすることを特徴とする。
【0041】
Ac3=910−203×√C −15.2Ni+44.7Si+104V+31.5Mo+13.1W …(1)
DI=DO×fSi×fMn×fP×fS×fCu×fNi×fCr …(2)
HRC=38.99 + 17.48 C + 2.55 Si - 2.28 Ni + 2.37 Cr + 8.04 Ti …(3)
但し、D0=8.65×√C 、fSi=1 + 0.64 × %Si、fMn=1 + 4.10 × %Mn、fP=1 + 2.83 × %P、fS=1 - 0.62 × %S、fCu=1 + 0.27 × %Cu、fNi=1 + 0.52 × %Ni、fCr=1 + 2.33 × %Crである。
【0042】
熱間ばねは、線材加熱→巻き込み(コイルばね形状に成形)→焼入れ→焼戻し→ホットセッチング→ホットピーニング→プリセッチング→化成処理→塗装→特性試験の一連の工程を経て製造される。一方、冷間ばねは、焼入れ焼戻し線材→巻き込み→ひずみ取り焼鈍→ホットセッチング→ホットピーニング→プリセッチング→化成処理→塗装→特性試験の一連の工程を経て製造される。
【0043】
本発明によれば、Ni,Cr,Mo,Vなどの高価な合金元素を低減させた材料であるにもかかわらず、従来鋼と比べて本発明の範囲内の鋼種において組成比の違いによる腐食寿命(腐食耐久性)の低下を抑えることができる。
【0044】
(3)上記(2)において、硬さがHRC50以上に調質された鋼を熱間成形または冷間成形によりコイルばね形状とし、温間ショットピーニングを施すことによって、最大せん断応力を1176MPa以上とする。
【0045】
本発明によれば、温間ショットピーニングを施すことによって、表層部に残留する残留圧縮応力が高まり、最大せん断応力を1176MPa以上のレベルに向上させることができる。なお、コイルばね鋼の最大せん断応力を無制限に大きくすることはできないが、製造上の種々の制約からその上限値は1400MPa程度である。
【0046】
(4)上記(2)または(3)のいずれかにおいて、温間ショットピーニングを200℃以上300℃以下の範囲で行なうことが好ましい。
【0047】
200℃未満の温度では温間ショットピーニングの効果が得られないか又はその効果が不十分になる。一方、300℃を超える温度では、再加熱が必要になるか又は温度コントロールが難しくなる。
【0048】
(5)本発明の高強度ばねは、上記(2)乃至(4)のいずれかの方法を用いて製造されたものであることを特徴とする。本発明の高強度ばねは、熱間成形されたコイルばね及び冷間成形されたコイルばねのいずれにも適用することができる。
【0049】
以下、各種成分元素の好ましい範囲とその理由について述べる。
【0050】
(1)C:0.38〜0.44%
炭素(C)は、鋼中に必然的に含まれ、焼入れ・焼戻し後の強度と硬さの向上に寄与する。必要な強度を確保する観点から0.38%以上のC量の添加が必要であるが、より好ましくは0.39%以上のC量を添加する。一方、C量が多すぎると、腐食ピットのアスペクト比が増大して腐食ピット形状が鋭くなり、腐食ピットへの応力集中が増大し、また鋼中素地の靭性が劣化することで耐水素脆性も劣化する。その結果、C量が過剰であると腐食耐久性が劣化することから上限値を0.44%とするが、より好ましくは0.43%とする。
【0051】
(2)Si:2.00〜2.30%
Siは、固溶強化元素として強度向上に寄与し、耐力も向上させる。そのため、Si量が少なすぎると素地強度が不足する。さらにSiは、焼戻し時の炭化物析出温度を高温側にシフトさせて、焼戻し脆性域を高温側にシフトさせることによって耐水素脆性を向上させる作用も有する。これらの効果を得るためには2.00%以上の添加が必要である。しかし、Si量が過剰であると、脱炭を助長して加工性を悪化させることから上限を2.30%とする。好ましくは2.20%とする。
【0052】
(3)Mn:0.85〜1.15%
Mnは、平衡状態図におけるオーステナイト領域を広げる元素であり、安定してフェライト脱炭を抑制するのに有効である。また、介在物生成の原因となるSを無害化する効果がある。これらの効果を得るためには0.85%以上の添加が必要である。しかし、Mn量が過剰であると鋼素地の靭性が劣化することにより耐水素脆性が劣化し、その結果、腐食耐久性が劣化するため、上限値を1.15%とする。より好ましくはMn量の上限値を1.00%とする。
【0053】
(4)Cr:0.1〜0.43%
Crは、固溶強化により鋼の素地を強化し、また焼入れ性を向上させる作用を有する。これらの効果を得るためには0.10%以上の添加が必要である。しかし、Crは腐食ピット底部のPH値を下げて腐食ピットのアスペクト比を増大させる(ピット形状が鋭くなる)ことで腐食耐久性が劣化することから上限値を0.43%とする。より好ましくはCr量の上限値を0.30%以下とする。
【0054】
(5)Ni:0.15〜0.35%
Niは、Cuと同様に耐食性を高める作用および錆のアモルファス組成を増大させて腐食ピットのアスペクト比を低減させる作用を有する。これらの効果を得るためには0.15%以上の添加が必要である。しかし、Ni量が過剰であると、コストの増大を招くため上限値を0.35%とする。より好ましくはNi量の上限値を0.25%以下とする。
【0055】
(6)Cu:0.15〜0.35%
Cuは、電気化学的に鉄よりもイオン化傾向の高い金属元素であり、鋼の耐食性を高める作用を有する。さらにCuは、腐食中に生じる錆のアモルファス組成を増大させて、腐食原因のひとつである塩素(Cl)が腐食ピット底部にて凝縮することを抑制する作用を有する。この作用によって腐食ピットのアスペクト比が制御され、応力集中が緩和され、腐食耐久性が向上する。これらの効果を得るためには0.15%以上の添加が必要である。しかし、Cu量が過剰であると熱間圧延割れを生ずることがあるため上限値を0.35%とする。より好ましくはCu量の上限値を0.25%とする。
【0056】
(7)Ti:0.05〜0.13%
Tiは、焼入れ・焼戻し後の旧オーステナイト結晶粒を微細化し、大気耐久性および耐水素脆性の向上に有効である。これらの効果を得るためには0.05%以上の添加が(好ましくは0.07%以上)必要である。しかし、Ti量が過剰であると、粗大なTi窒化物が析出して疲労特性が劣化するため上限値を0.13%とする。より好ましくはTi量の上限値を0.11%とする。
【0057】
(8)その他の不可避不純物元素
Al、P、S、O、Nは、製鋼工程において鋼中に不可避的に入ってくる不可避不純物元素であり、これらの不可避不純物元素の好ましい許容含有量をばね性能と製造設備能力の観点から以下のようにそれぞれ規定した。
【0058】
(8-1) Al:0.003〜0.10%
Alは、溶綱処理時の脱酸剤として作用する元素である。また、Alは微細なアルミニウム窒化物を形成し、そのピニング効果によって結晶粒を微細化する効果がある。これらの効果を得るためには少なくとも0.003%以上のAl量の添加が必要である。さらに好ましくは0.005%以上のAl量を添加する。
【0059】
しかし、Al量が過剰であると粗大なアルミニウム窒化物(AlN)を形成し、疲労特性に悪影響を及ぼすため上限値を0.10%とする。さらに好ましくはAl量の上限値を0.03%とする。
【0060】
(8-2) P:0.02%以下( 0 %を含まない)
Pは旧オーステナイト粒界に偏析して粒界を脆化させ、疲労特性を低下させる元素である。このためP量は可能な限り低くすることが望ましいが、通常レベルの疲労特性を得るためには0.02%以下に抑えることが好ましく、さらに高レベルの疲労特性を得るためには0.01%以下に抑えることが好ましい。
【0061】
(8-3) S:0.02%以下( 0 %を含まない)
SはP同様に旧オーステナイト粒界に偏析して粒界を脆化させ、疲労特性を低下させる元素である。このためS量は可能な限り低くすることが望ましいが、通常レベルの疲労特性を得るためには0.02%以下に抑えることが好ましく、さらに高レベルの疲労特性を得るためには0.01%以下に抑えることが好ましい。
【0062】
(8-4) O:0.002%以下( 0 %を含まない)
酸素(O)は酸化物系介在物を生成させ、疲労特性を低下させる元素である。O量が過剰になるとアルミナ(Al2O3)などの粗大な酸化物系介在物が生成され、疲労特性を著しく低下させる。このためO量は可能な限り低くすることが望ましいが、通常レベルの疲労特性を得るためには0.002%以下に抑えることが好ましい。
【0063】
(8-5) N:0.002〜0.012%
窒素(N)はAlと共に窒化物を形成して結晶粒の微細化に寄与する。このためには0.002%以上の添加が必要である。しかし、N量が過剰であるとTiやAlと共に粗大な窒化物を形成し、結晶粒粗大化防止の効果が得られず、TiN系介在物を生成させ、疲労特性の低下を招くためN量の上限値を0.012%とする。さらにN量の上限値を0.010%とすることがより好ましい。
【0064】
(9)Ac3変態点
Ac3変態点が低いところにあれば加熱温度は低くて済み、脱炭に対して有利である。逆に、加熱温度が同じであると仮定すると、焼入れまでの許容温度を低くとることができるので脱炭に対して有利であると考えられる。
【0065】
表1を参照してAc3変態点に関する本発明鋼の成分設計の一例を説明する。
【0066】
本発明鋼は、既存高Cr鋼の組成をベースとして成分の基本設計を行い、さらにAc3点の最適値が既存高Cr鋼と同等程度のAc3点の最適値となるように狙いをつけて成分の詳細設計を行った。すなわち、既存高Cr鋼の最適成分(C:0.41%, Si:1.75%, Ni:0.5%, V:0.16%)でのAc3点が867.3℃であるので、少なくとも既存高Cr鋼と同等程度のAc3点になるように、ばね性能(大気耐久性、へたり性、腐食耐久性)、焼入れ性、焼戻し硬さを確保しながら(高強度ばね用鋼としての性能レベルの維持の確認を行いながら)本発明鋼の成分設計の検討を行った。その結果、本発明鋼の最適成分(C:0.415%, Si:2.05%, Ni:0.2%, V無添加)でのAc3点は867.8℃となり、既存高Cr鋼と実質的に同等の脱炭性能を本発明鋼ではV無添加、低Ni量で得ることができた。ここで「最適値」とは、最小値から最大値までの間において最良のばね特性が得られる理想的な成分組成をいう。この最適値は、必ずしも最小値と最大値の中央の値(加算平均値)が該当するとは限らない。最適値は、むしろ最小値と最大値の加算平均値よりも少し低めの値である場合が多い。
【0067】
このようにAc3点は、鋼の脱炭性能の指標となる重要な要素である。Ac3点は、下式(1)で与えられる。但し、式中の記号は鋼中元素の含有量(質量%)である。
【0068】
Ac3=910−203×√C −15.2Ni+44.7Si+104V+31.5Mo+13.1W …(1)
Ac3点が859℃となる場合の本発明鋼の成分設計の一例はC:0.44%, Si:2.0%, Ni:0.35%, V無添加である。また、Ac3点が885℃となる場合の本発明鋼の成分設計の一例はC:0.38%, Si:2.3%, Ni:0.15%, V無添加である。
【0069】
Ac3点が867℃となる場合の本発明鋼の最適成分設計の一例はC:0.415%, Si:2.05%, Ni:0.20%, V無添加である。
【0070】
一方、既存高Cr鋼においては、Ac3点が861℃となる場合の既存高Cr鋼の成分設計の一例はC:0.42%, Si:1.70%, Ni:0.6%, V:0.15%である。また、Ac3点が886℃となる場合の既存高Cr鋼の成分設計の一例はC:0.38%, Si:1.90%, Ni:0.3%, V:0.20%である。さらに、Ac3点が867.3℃となる場合の既存高Cr鋼の最適成分設計の一例はC:0.41%, Si:1.75%, Ni:0.5%, V:0.16%である。
【表1】

【0071】
(10)焼入れ性
ばねの硬さは、ばねの性能を左右する重要な要素であり、ばねの線径や大きさによらず均一な硬さにすることは重要である。そのためには焼入れ性を考慮した検討が必要である。焼入れ性を評価するために、丸棒を水焼入れしたときに中心部分の50%以上がマルテンサイト変態し得るときの最大直径DIを用いた。
【0072】
表2を参照して焼入れ性に関する本発明鋼の成分設計の一例を説明する。
【0073】
本発明鋼は、既存高Cr鋼の組成をベースとして成分の基本設計を行い、さらに最大直径DIの最適値が既存高Cr鋼と同等程度の最大直径DI の最適値となるように狙いをつけて成分の詳細設計を行った。すなわち、下式(2)で与えられるH.Hollomon&L.D.Jaffeの式を用いて最大直径DIを求めた。
【0074】
DI=DO×fSi×fMn×fP×fS×fCu×fNi×fCr …(2)
但し、G.S.No.7,DO=8.65×√C , f Si=1+0.64×% Si, f Mn=1+4.10×% Mn, f P=1+2.83×% P, f S=1−0.62×% S, f Cu=1+0.27×% Cu, f Ni=1+0.52×% Ni, f Cr=1+2.33×% Crである。
【0075】
本発明において、上式(2)で規定される最大直径DIが70〜238mmの範囲となるように成分設計することが好ましい。DI値が70mmを下回ると、コイルばねに要求される所望の焼入れができなくなる。一方、DI値が238mmを超えると、焼入れ時に割れが発生するおそれがある。
【0076】
最大直径DIが70mmとなる場合の本発明鋼の成分設計の一例はC:0.38%, Si:2.0%, Mn:0.79%, P:0%, S:0%, Cr:0.1%, Ni:0.15%, Cu:0.15%, V無添加である。また、最大直径DIが238mmとなる場合の本発明鋼の成分設計の一例はC:0.44%, Si:2.3%, Mn:1.25%, P:0.02%, S:0.02%, Cr:0.43%, Ni:0.35%, Cu:0.35%, V無添加である。
【0077】
さらに最大直径DIの最適値である115mmを狙いとして、115±10mm(105-125mm)の範囲とすることが最も好ましい。最大直径DIが115mmとなる場合の本発明鋼の成分設計の一例はC:0.415%, Si:2.05%, Mn:1.00%, P:0.009%, S:0.006%, Cr:0.2%, Ni:0.2%, Cu:0.2%, V無添加である。
【0078】
一方、既存高Cr鋼においては、最大直径DIが63mmとなる場合の既存高Cr鋼の成分設計の一例はC:0.38%, Si:1.7%, Mn:0.1%, P:0%, S:0%, Cr:1.0%, Ni:0.3%, Cu:0.2%である。また、最大直径DIが189mmとなる場合の既存高Cr鋼の成分設計の一例はC:0.42%, Si:1.9%, Mn:0.45%, P:0.02%, S:0.02%, Cr:1.1%, Ni:0.6%, Cu:0.3%である。さらに、最大直径DIが95mmとなる場合の既存高Cr鋼の最適成分設計の一例はC:0.41%, Si:1.75%, Mn:0.18%, P:0.009%, S:0.006%, Cr:1.04%, Ni:0.5%, Cu:0.22%である。
【表2】

【0079】
(11)焼戻し硬さ
焼戻し硬さは、ばねの最終硬さとなり、ばね性能に大きな影響を及ぼす。既存高Cr鋼と同じ焼戻し温度で同じ硬さを得ることができれば、焼戻し温度を変更することなく生産可能になるため、ばねの生産性を考えた場合には重要な要素である。
【0080】
鋼の焼戻し硬さは、ロックウェルCスケール(HRC)で評価した。焼戻し硬さHRCは下式(3)で与えられる。
【0081】
HRC=38.99 + 17.48 C + 2.55 Si - 2.28 Ni + 2.37 Cr + 8.04 Ti …(3)
表3を参照して焼入れ性に関する本発明鋼の成分設計の一例を説明する。
【0082】
本発明鋼は、既存高Cr鋼の組成をベースとして成分の基本設計を行い、さらに焼戻し硬さHRCの最適値が既存高Cr鋼と同等程度の焼戻し硬さHRC の最適値となるように狙いをつけて成分の詳細設計を行った。
【0083】
既存高Cr鋼のある焼戻し温度T℃での焼戻し硬さが最適成分で52.5 HRCである。これに対して本発明鋼の最適成分では同じ焼戻し温度T℃での焼戻し硬さが52.6 HRCである。以上のように、最適成分で同じ焼戻し硬さが得られるようにC、Si、Ni、Cr、Tiの量をそれぞれ調整した。
【0084】
本発明において、焼戻し硬さは、48〜58 HRCの範囲が好ましく、特に50〜56 HRCの範囲が最も好ましい。焼戻し硬さが48 HRCを下回ると、コイルばねに要求される所望の機械的特性が得られず、ばねにへたりを生じやすくなる。一方、焼戻し硬さが58 HRCを超えると、ばねの表面に傷がついた場合に悪影響を受けやすくなり、耐久性が低下する。
【0085】
焼戻し硬さがHRC 54.3となる場合の本発明鋼の成分設計の一例はC:0.44%, Si:2.3%, Ni:0.35%, Cr:0.43%, Ti:0.13%である。また、焼戻し硬さがHRC 50.6となる場合の本発明鋼の成分設計の一例はC:0.38%, Si:2.0%, Ni:0.15%, Cr:0.10%, Ti:0.05%である。
【0086】
さらに焼戻し硬さの最適値であるHRC 52.6を狙いとして、本発明鋼の成分設計の一例はC:0.415%, Si:2.05%, Ni:0.20%, Cr:0.38%, Ti:0.09%である。
【0087】
一方、既存高Cr鋼においては、焼戻し硬さがHRC 51.4となる場合の既存高Cr鋼の成分設計の一例はC:0.38%, Si:1.7%, Ni:0.60%, Cr:1.00%, Ti:0.05%である。また、焼戻し硬さがHRC 53.8となる場合の既存高Cr鋼の成分設計の一例はC:0.42%, Si:1.9%, Ni:0.30%, Cr:1.10%, Ti:0.09%である。さらに焼戻し硬さの最適値であるHRC 52.5を狙いとして、既存高Cr鋼の成分設計の一例はC:0.41%, Si:1.75%, Ni:0.50%, Cr:1.05%, Ti:0.07%である。
【表3】

【0088】
(12)腐食減量
腐食減量は、材料の全面腐食に対する耐久性を評価するための1つの判断基準である。通常、金属材料において、全面腐食(腐食減量)が大きい場合は腐食ピット(孔食)の発生頻度が小さく、全面腐食(腐食減量)が小さい場合は腐食ピット(孔食)の発生頻度が大きくなるというトレードオフの関係にある。例えば、Crの添加は、全面腐食に対してはプラスに作用するが、腐食ピット(孔食)に対してはマイナスに作用する。
【0089】
(13)腐食ピットの発生頻度と深さ
腐食ピットの発生頻度等は、基準化変数yを用いて評価した。本発明鋼と既存高Cr鋼とについて腐食ピットの発生頻度と深さとの関係を調べた結果を後述する図4と図5にそれぞれ示した。ここで、基準化変数yとは、金属材料の介在物評価に用いられる極値統計(累積分布関数や二重指数分布関数を用いる統計方法)のうち二重指数分布関数を用いる方法において算出される変数のことをいう。算出した基準化変数yを極値統計グラフ中に順次記入していくことにより、極値統計グラフにおけるプロット点群の傾きが決まる。この傾きから発生頻度(本実施形態では介在物の代わりに腐食ピットの発生頻度)を把握することができる。なお、二重指数分布の基準化変数yを用いる極値統計の手法については、「金属疲労 微小欠陥と介在物の影響;村上敬宜著;養賢堂発行;付録Ap233-p239」に詳しく記載されている。
【0090】
図1を参照して腐食ピットの発生から亀裂進展までに至るメカニズムを説明する。
【0091】
ばねを構成する鋼の表面に腐食性の強い溶質イオンが濃縮するなどの原因により局部的な電気化学反応を生じると、図1の(a)に示すように小さな凹状の腐食ピットを生じる。この初期の腐食ピットが図1の(b)に示すように成長して深くなると、ピットの底部に局部応力集中を生じて図1の(c)に示すように小さな亀裂を生じる。そして、さらに繰り返し応力によって、図1の(d)に示すように亀裂が進展して最終的にばねが破断するに至る。
【0092】
腐食によって発生するピットの発生と成長を遅らせること、あるいはその形状を制御することは、ピット底からの亀裂の発生を遅らせることにつながり、その結果として腐食疲労寿命が長くなる。
【0093】
腐食ピットの幅は、金属顕微鏡の観察視野内で測定することができる。
【0094】
また、腐食ピットの深さも、金属顕微鏡の観察視野内で測定することができる。
【0095】
測定した腐食ピットの深さと幅を用いてピット形状を求めることができる。
【0096】
(14)大気耐久性
ばね材料を大気中に暴露したときの大気耐久性も重要な評価項目の1つである。大気耐久性試験は、ばねが破断(折損)するまで圧縮する方向に繰り返し荷重を大気中で負荷するものである。ばねが折損するまでの繰り返し回数が多いほど大気耐久性に優れた材料であると評価される。
【0097】
(15)へたり性能
へたり性能は、ばね材料の重要な評価項目である。コイルばねのへたり性能は、ばねに圧縮荷重を印加する締付試験により測定する。締付試験において、ばねを所定条件(圧縮荷重、時間、温度)下におき、荷重を解除したときに元の形状にどの程度まで回復するかを測定し、評価する。
【0098】
(16)腐食耐久試験
腐食耐久試験は、塩水噴霧試験→疲労試験→恒温恒湿槽保持を1日当たり1サイクルとして、このサイクルを塗装無しのコイルばねが折損(破断)するまで繰り返す試験である。塩水噴霧試験は、塗装無しのコイルばねに5% NaCl水溶液を30分間噴霧する試験である(JIS Z2371準拠)。疲労試験は、塗装無しのコイルばねに3000回加振する(繰り返し交番荷重)試験である。恒温恒湿槽は、疲労試験後のばねを室温(23〜25℃)下で相対湿度50〜60%の状態に23時間保持する容器である。恒温恒湿槽保持した後に、コイルばねは再び塩水噴霧試験に供される。
【0099】
(17)ばねの製造方法
本発明は、熱間コイルばねと冷間コイルばねの両方に適用可能である。
【0100】
熱間コイルばねは、下記の工程を経て製造される。
【0101】
線材加熱(高周波加熱)→巻き込み(コイルばね形状に成形)→焼入れ(油焼入れ)→焼戻し→ホットセッチング→温間ショットピーニング→水冷→プリセッチング→化成処理→塗装→特性試験
冷間コイルばねは、下記の工程を経て製造される。
【0102】
焼入れ焼戻し線材→巻き込み(コイルばね形状に成形)→ひずみ取り焼鈍→ホットセッチング→温間ショットピーニング→プリセッチング→化成処理→塗装→特性試験
【実施例】
【0103】
以下、添付の図面と表を参照して実施例を挙げて本発明を比較例および参照例と対比しながら具体的に説明する。但し、本発明は以下の実施例のみに限定されるものではなく、本発明の課題や目的に適合し得る範囲において種々変更を加えて実施することが可能である。
【0104】
表4と表5に示す組成の比較例1〜4(鋼種A〜D)、実施例1〜7(鋼種E〜K)および参考例1,2(鋼種L,M)の各鋼種を用いて表6に示す熱間コイルばねおよび冷間コイルばねをそれぞれ作製した。ここで、比較例の鋼種A〜Dは特許文献2に記載された組成比の従来鋼を再現したものである。また、参考例の鋼種L,Mは特許文献1に記載された組成比の既存高Cr鋼を再現したものである。
【0105】
熱間コイルばねは、線材加熱(980℃以上に高周波加熱又は炉内加熱)→巻き込み(コイルばね形状に成形)→焼入れ(油焼入れ)→焼戻し(約390℃)→ホットセッチング→温間ショットピーニング→水冷→プリセッチング→化成処理→塗装→特性試験の工程を有する熱間加工プロセスにより製造した。
【0106】
冷間コイルばねは、焼入れ焼戻し線材→巻き込み(コイルばね形状に成形)→ひずみ取り焼鈍(約380℃)→ホットセッチング→温間ショットピーニング→プリセッチング→化成処理→塗装→特性試験の工程を有する冷間加工プロセスにより製造した。
【0107】
表5中の3つのパラメータ値Ceq 1, Ceq 2, Ceq 3は、下式(4),(5),(6)を用いてそれぞれ得られる特許文献2に記載された従来鋼を規定するパラメータである。
【0108】
Ceq1=[C]+0.11[Si]−0.07[Mn]−0.05[Ni]+0.02[Cr] …(4)
Ceq2=[C]+0.30[Cr]−0.15[Ni]−0.70[Cu] …(5)
Ceq3=[C]−0.04[Si]+0.24[Mn]+0.10[Ni]+0.20[Cr]−0.89[Ti]−1.92[Nb]…(6)
【表4】

【0109】
【表5】

【0110】
【表6】

【0111】
これらのコイルばねを以下の各種試験を用いてそれぞれ評価した。
【0112】
[腐食減量試験]
複合サイクル試験モード
塩水噴霧(35℃、5%NaCl)8hr→恒温恒湿(35℃、60R.H.)16hrを1サイクルとして、14サイクルまで実施した。
【0113】
試験片形状:φ10mm、長さ100mm
試験片硬さ:53.5HRC
7,14サイクル後に重量および腐食ピット形状を顕微鏡にて測定し、整理した結果である。
【0114】
試験結果:
実施例ばねと比較例ばねにつきサイクル数と腐食減量との関係をそれぞれ調べた結果を図2に示した。図中の特性線E1は実施例の結果を、特性線C1は比較例の結果を示した。
【0115】
これらの結果から明らかなように、実施例は合金元素の添加量の多い比較例と比べてみても遜色のない耐食性を備えていることを確認することができた。
【0116】
[腐食ピット形状の評価試験]
腐食ピットの形状は、以下の腐食試験を実施することによって求まるアスペクト比によって特定することができる。
【0117】
丸棒を温度960℃で10分間加熱した後、温度70℃の油で冷却して油焼入れし、次いで温度340℃で60分間加熱して焼戻しを行った後、その後、直径が12.5mmから10mmになるように丸棒を切削した。
【0118】
この試験片に、5質量%のNaCl水溶液を、JIS Z 2371に従い35℃で8時間噴霧し、その後、試験片を湿度60%及び温度35℃の湿潤環境に16時間保持することを1サイクルとして、これを合計14サイクル行う。
【0119】
所定のサビ取り液に常温で試験片を浸し、塩水噴霧で発生した錆びを除去する。次いで試験片表面の腐食ピットをレーザー顕微鏡にて観察し、試験片表面に観察される腐食ピットの中から、深さが大きいものから順に20個以上の腐食ピットを選択し、それらの腐食ピットのアスペクト比を下式(7)により算出する。
【0120】
アスペクト比=(腐食ピットの深さ×2)/(腐食ピットの幅)…(7)
通常、鉄鋼材料において、腐食ピットのアスペクト比は1.0前後である。
【0121】
試験結果:
実施例と比較例につきサイクル数と腐食ピットのアスペクト比との関係をそれぞれ調べた結果を図3に示した。図中の特性線E2は実施例の結果を、特性線C2は比較例の結果を示した。
【0122】
これらの結果から明らかなように、実施例は比較例よりも腐食ピットのアスペクト比が小さく、腐食ピットの形状が比較例のものより平らであることを確認できた。この結果は、実施例において低Crによる孔食抑制効果があらわれたものと考えられる。一般的にCrはFeなどに比べて水酸化物を形成する際に、腐食ピット底(先端)のpHが低下し、孔食を促進させやすい元素であるとされているからである。
【0123】
実施例と比較例につき腐食ピット深さとその発生頻度との関係を調べた結果を図4と図5にそれぞれ示した。腐食ピットの発生頻度は、上述した基準化変数yを用いて評価した。図4中には特性線E3で実施例の結果を示した。図5中には特性線C3で比較例の結果を示した。
【0124】
両図を対比すれば明らかなように、実施例の特性線E3の傾きのほうが比較例の特性線C3の傾きよりも大きくなる。このことから、実施例では浅い腐食ピットの発生頻度が高くなるのに対して、比較例では深い腐食ピットの発生頻度が高くなることが分かる。換言すれば、実施例では深い腐食ピットの発生頻度が低い。
【0125】
[ばね硬さ]
51.5HRC(2.75HBD) :大気耐久試験用、締付試験用
53.5HRC(2.65HBD):腐食耐久試験
同じ硬さに調質して従来鋼と本発明鋼のばね性能の相対比較を行った。
【0126】
[焼入れ性の評価]
鋼の焼入れ性能はDI値を用いて評価した。
【0127】
比較例の最適成分でのDI値が結晶粒度7番で95mmであった。これに対して実施例の最適成分でのDI値は同じ結晶粒度7番で115mmであった。この結果から実施例では低Niであっても所望のばね性能、脱炭性、焼戻し硬さをそれぞれ満たしながら、比較例と同等以上の焼入れ性を確保することができることを確認できた。
【0128】
[大気耐久試験]
平均荷重および変動荷重を変化させた試験を実施し、それを平均せん断応力τmを735MPaに応力換算した結果を図6に示す。図中にて黒ひし形プロットは参考例1、白ひし形プロットは比較例、三角プロットは実施例の結果をそれぞれ示した。
【0129】
これらの結果から明らかなように、実施例の大気寿命は、比較例と比べて冷間ばね、熱間ばねともに同等以上であることを確認できた。
【0130】
[締付試験]
締付試験条件
試験応力(最大せん断応力):1176MPa、1225MPa、1274MPa
締付温度、時間:80℃、96時間
へたり性能(残留せん断ひずみγ):γ=8D/πGd3×(P1-P2)
図7にばねのへたり性能を表した試験結果を示す。図中にてひし形プロットは参考例1、三角プロットは実施例の結果をそれぞれ示した。
【0131】
これらの結果から実施例と参考例1とでへたり性能はほぼ同等であった。冷間ばねは熱間ばねに比べて多少へたりが大きいがこれは実施例も参考例1も同じ結果である。
【0132】
[腐食耐久試験]
腐食耐久試験は、塗装なしのコイルばねを用いて行なうため材料そのものの性能とばねの製造過程による性能を評価することを目的とした試験である。腐食耐久試験は、上述のように塩水噴霧試験→疲労試験→恒温恒湿槽保持を1日当たり1サイクルとしてコイルばねが折損するまでの繰り返し回数を腐食寿命として評価する試験である。腐食寿命は、参考例1を基準値(100%)として基準値との相対比較のために百分率で表示した。
【0133】
表5に実施例、比較例、参考例の各鋼種についての腐食耐久試験結果を示した。これらの試験結果から、実施例の鋼種の腐食耐久性は、参考例の既存高Cr鋼と比べて同等以上であり、比較例の従来鋼のように低腐食寿命の鋼種を含まないことを冷間ばねと熱間ばねとでそれぞれ確認することができた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.38〜0.44%、Si:2.00〜2.30%、Mn:0.85〜1.15%、Cr:0.10〜0.43%、Ni:0.15〜0.35%、Cu:0.15〜0.35%、Ti:0.05〜0.13%、P:0.02%以下、S:0.02%以下、Al:0.003〜0.10%、N:0.002〜0.012%、O:0.0002%以下を含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、
下式(1)で求めた脱炭性能の指標となるAc3変態点が859℃以上885℃以下の範囲にあり、かつ下式(2)で求めた焼入れ性能の指標となる最大焼入れ直径DIが70mm以上238mm以下の範囲にあり、かつ下式(3)で求めたばね性能の指標となる焼戻し硬さHRCが50以上55以下の範囲にあることを特徴とする高強度ばね用鋼。
Ac3=910−203×√C −15.2Ni+44.7Si+104V+31.5Mo+13.1W …(1)
DI=DO×fSi×fMn×fP×fS×fCu×fNi×fCr …(2)
HRC=38.99 + 17.48 C + 2.55 Si - 2.28 Ni + 2.37 Cr + 8.04 Ti …(3)
但し、結晶粒度番号7、D0=8.65×√C 、fSi=1 + 0.64 × %Si、fMn=1 + 4.10 × %Mn、fP=1 + 2.83 × %P、fS=1 - 0.62 × %S、fCu=1 + 0.27 × %Cu、fNi=1 + 0.52 × %Ni、fCr=1 + 2.33 × %Crである。
【請求項2】
質量%で、C:0.38〜0.44%、Si:2.00〜2.30%、Mn:0.85〜1.15%、Cr:0.10〜0.43%、Ni:0.15〜0.35%、Cu:0.15〜0.35%、Ti:0.05〜0.13%、P:0.02%以下、S:0.02%以下、Al:0.003〜0.10%、N:0.002〜0.012%、O:0.0002%以下を含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、
下式(1)で求めた脱炭性能の指標となるAc3変態点が859℃以上885℃以下の範囲にあり、かつ下式(2)で求めた焼入れ性能の指標となる最大焼入れ直径DIが70mm以上238mm以下の範囲にあり、かつ下式(3)で求めたばね性能の指標となる焼戻し硬さHRCが50以上55以下の範囲にある鋼を、
熱間または冷間で線材に加工し、所望のコイルばね形状に巻き込み成形し、焼入れ焼き戻しの熱処理を施し、ホットセッチングし、温間ショットピーニングし、プリセッチングすることを特徴とする高強度ばねの製造方法。
Ac3=910−203×√C −15.2Ni+44.7Si+104V+31.5Mo+13.1W …(1)
DI=DO×fSi×fMn×fP×fS×fCu×fNi×fCr …(2)
HRC=38.99 + 17.48 C + 2.55 Si - 2.28 Ni + 2.37 Cr + 8.04 Ti …(3)
但し、結晶粒度番号7、D0=8.65×√C 、fSi=1 + 0.64 × %Si、fMn=1 + 4.10 × %Mn、fP=1 + 2.83 × %P、fS=1 - 0.62 × %S、fCu=1 + 0.27 × %Cu、fNi=1 + 0.52 × %Ni、fCr=1 + 2.33 × %Crである。
【請求項3】
硬さがHRC50以上に調質された鋼を熱間成形または冷間成形によりコイルばね形状とし、温間ショットピーニングを施すことによって、最大せん断応力を1176MPa以上とすることを特徴とする請求項2記載の方法。
【請求項4】
前記温間ショットピーニングを200℃以上300℃以下の範囲で行なうことを特徴とする請求項2または3のいずれか1項記載の方法。
【請求項5】
請求項2乃至4のいずれか1項記載の方法を用いて製造されたことを特徴とする高強度ばね。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2012−102378(P2012−102378A)
【公開日】平成24年5月31日(2012.5.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−252856(P2010−252856)
【出願日】平成22年11月11日(2010.11.11)
【出願人】(000004640)日本発條株式会社 (1,048)
【Fターム(参考)】