説明

ガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤ及び溶接方法

【課題】高価な元素を用いず、かつ伸線性と高酸素性、高窒素性、及び低スラグ性に優れたフラックス入りワイヤを用いることにより、低コストで溶接金属のMs点を低下させて疲労強度を向上すると共に、優れた高速溶接性、低スパッタ性、低スラグ性、及びアーク安定性を実現するガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤ及び溶接方法を提供する。
【解決手段】C:0.16〜1.50%、Si:0.30〜1.50%、Mn:0.50〜5.00%、O:0.020%以上、及びN:0.0020〜0.0400%を含有し、P:0.030%以下、S:0.030%質量以下、Ti:0.15%以下、Al:0.20%以下、F及びCa:各元素あたり0.100%以下、K、Na、及びLi:総量で0.200%以下、Mg:1.00%以下、REM(希少金属元素):0.50%以下、Ni、Cr、Nb、V、Mo及びCu:各元素あたり2.00%未満、B:0.0100質量以下%に規制し、残部はFe及び不可避不純物からなり、かつフラックス率が7〜30%である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は自動車等の炭素鋼薄板のすみ肉溶接等に際して、高い継手疲労強度を高い継手疲労強度を確実に得ることができ、高能率で、優れた溶接作業性を得ることができるガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤ及び溶接方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近時、燃費向上を目的とした自動車の車重軽減のため、高張力鋼板が多く用いられている。高張力鋼板も軟鋼と同様にアーク溶接がなされるが、溶接継手の疲労強度は軟鋼と同程度にしか確保できず、高張力鋼板本来の性能を発揮できない問題がある。溶接部の疲労強度が母材より低下する原因として、止端部の応力集中、及び熱の膨張、収縮によって生じる引張残留応力が主因と考えられ、これらの問題を改善すべく種々の方法が提案されている。
【0003】
特許文献1、特許文献2、特許文献3、及び特許文献4は鋼板の成分を限定、表面張力を下げる特殊成分添加ワイヤ、及び電圧等の溶接条件の限定によって溶接止端部の応力集中を緩和し、接触角の減少、及び止端半径の増大といったビード形状を滑らかにする方法が提案されている。
特許文献5、特許文献6は残留応力を低下させるために溶接金属を塑性変形させやすくする方法が提案されている。
【0004】
特許文献7は、ショットピーニング、ハンマーピーニング、及び超音波ピーニングといわれる溶接後に圧縮応力を加える方法が提案されている。
【0005】
従来から最もよく知られている残留応力の消滅方法として焼鈍炉で高温保持する応力除去焼鈍(PWHT)がある。
【0006】
特許文献8、特許文献9、特許文献10、特許文献11、特許文献12、特許文献13、特許文献14、特許文献15、及び特許文献16は、溶接金属のマルテンサイト変態温度(Ms点)を低下させて室温時に膨張変態の圧縮残留応力を付与する、あるいは引張残留応力を低減させる方法が提案されている。
【0007】
特許文献17は、フラックス入りワイヤを用いた方法を提案している。
【0008】
非特許文献1は、ソリッドワイヤのコストを下げる方法として、伸縮性を向上すべく異なる成分の2重構造としたソリッドワイヤを提案している。
【0009】
【特許文献2】特開平6−340947
【特許文献3】特開平8−25080
【特許文献4】特開2002−361480
【特許文献5】特開2002−361481
【特許文献6】特開平7−171679
【特許文献7】特開平9−227987
【特許文献8】特開2004−136312
【特許文献9】特開昭54−130451
【特許文献10】特開2000−288728
【特許文献11】特開2001−246495
【特許文献12】特開2002−273599
【特許文献13】特開2004−98108
【特許文献14】特開2004−98109
【特許文献15】特開2004−98113
【特許文献16】特開2004−98114
【特許文献17】特開2005−238305
【特許文献18】特開2002−307189
【非特許文献1】超鉄鋼ワークショップ vol.9th 58−59P、2005/7/20
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
しかしながら、上述の従来の技術には以下に示すような問題点がある。
【0011】
止端形状は鋼板及びワイヤの成分、鋼板の表面性状、溶接姿勢、溶接電圧、及び溶接速度等の多くの要因に影響を受け、応力集中の緩和の適用に際して、制限が多く汎用性に乏しい。また、止端形状の劇的改善は困難で、大幅な疲労強度向上が達成できていない。
【0012】
特許文献5は具体的な溶接手段等については提案されていない。また、特許文献6は溶接ワイヤの脱酸成分を過剰に減らして強度低下させることから、脱酸不足で気孔欠陥が生じやすく、高強度鋼板に適用すると静的継手引張強度が不足してしまうなどの問題がある。
【0013】
応力除去焼鈍は、自動車等の薄板用として設備を有しているメーカーはほとんどなく、設備導入しても生産効率が著しく低下し、高コスト化を招くことになる。
【0014】
ショットピーニング、ハンマーピーニング及び超音波ピーニングは設備導入が必要で、且つ生産効率が著しく低下し、高コスト化を招くことになる。
【0015】
溶接金属のMs点を低下させる方法において、これらはいずれも高価な元素を多量に添加し、かつソリッドワイヤの場合伸線性が悪いことも加わり、高コストな溶接材料となる。また、溶接金属の粘性が高いため、薄板溶接で必要とされる高速性や、溶滴移行しにくいことによるスパッタ発生量増大といった実際の溶接ラインでの適用性を考慮しておらず、問題がある。溶接継手(金属)のみの規定で具体的な溶接ワイヤや方法が提示されないものもあり、この場合、実現方法は不明である。
【0016】
一般的には所定の溶接金属を実現する最も簡便な方法は、溶込が非常に浅くて母材希釈を考慮する必要がなく、かつ酸化消耗が生じないTIG溶接法を使うのが実用的であり、実施工で所望される高能率なMAGあるいはMIGといった消耗電極式のガスシールドアーク溶接方法が提案されているとは言えない。
【0017】
溶接材料の提案例として、フラックス入りワイヤを用いる手段が特許文献17に提示されている。しかし、やはり高Cr+高Ni系で材料コストは依然高く、且つスラグを多量に発生させるため、薄板用としては電着塗装性の劣化、高速性の不足といった問題点がある。
【0018】
ソリッドワイヤのコストを下げる方法として、伸線性を向上すべく異なる成分の2重構造にしたソリッドワイヤが非特許文献1に提示されている。しかし、高Cr+高Ni系で材料コストは依然高く、ワイヤ製造方法が特殊な為、依然高コストである。また当ワイヤはMIGアーク溶接でのアーク安定性を向上し、溶接性を向上することを提示しているものの、MIGアーク溶接では陰極点・陽極点を安定する為には酸素量の向上や電子放出を容易にする為の特殊元素の添加などの手段が必要とされ、当ソリッドワイヤではこれらの考慮がなされていない為、未だ不足である。
【0019】
本発明はかかる問題点に鑑みてなされたものであって、高価な元素を用いず、かつ伸線性と高酸素性、高窒素性、及び低スラグ性に優れたフラックス入りワイヤを用いることにより、低コストで溶接金属のMs点を低下させて疲労強度を向上すると共に、優れた高速溶接性、低スパッタ性、低スラグ性、及びアーク安定性を実現するガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤ及び溶接方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0020】
本発明に係るガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤは、鋼製外皮にフラックスを充填してなるアーク溶接用フラックス入りワイヤにおいて、ワイヤ全体の成分組成が、ワイヤ全質量に対して、C:0.16乃至1.50質量%、Si:0.30乃至1.50質量%、Mn:0.50乃至5.00質量%、O:0.020質量%以上、及びN:0.0020乃至0.0400質量%を含有し、P:0.030質量%以下、S:0.030%質量以下、Ti:0.15質量%以下、Al:0.20質量%以下、F及びCa:各元素あたり0.100質量%以下、K、Na、及びLi:総量で0.200質量%以下、Mg:1.00質量%以下、REM(希少金属元素):0.50質量%以下、Ni、Cr、Nb、V、Mo及びCu:各元素あたり2.00質量%未満、B:0.0100質量以下%に規制し、残部はFe及び不可避不純物からなり、かつフラックス率が7乃至30質量%であることを特徴とする。
【0021】
前記ガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤにおいて、ワイヤ全体の成分組成が、更に、ワイヤ全質量に対して、F及びCaからなる群から選択された少なくとも1種:各元素あたり0.005乃至0.100質量%、K、Na、及びLiからなる群から選択された少なくとも1種:総量で0.001乃至0.200質量%、Mg:0.05%乃至1.00質量%、REM(希少金属元素):0.01乃至0.50質量%、Ni、Cr、Nb、V、Mo及びCuからなる群から選択された少なくとも1種:各元素あたり0.05質量%以上2.00質量%未満、又はB:0.0010乃至0.0100質量%を含有することが好ましい。
【0022】
本発明に係るMIG(Metal Inert Gas)アーク溶接方法は、前記ガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤを使用し、Arが96体積%以上、残部はCO又はOの混合ガスをシールドガスとして使いMIGアーク溶接することを特徴とする。
【0023】
本発明に係る他のMIGアーク溶接方法は、実質的に純Arガスをシールドガスとして使用することが好ましい。
【0024】
前記MIGアーク溶接方法において、板厚が1乃至5mmであり、母材強度が490MPa以上の鋼板に適用することができる。
【発明の効果】
【0025】
本発明によれば、諸成分を適正範囲に規定したフラックス入りワイヤと、合わせてシールドガス組成や溶接機を適切に選択する溶接法によって、薄板の高速溶接における継手疲労強度の向上、良好なビード形状、スパッタ、ヒューム量抑制、及び耐電着塗装性といった諸目的を大きな設備投資を必要とせず、低いランニングコストで実現することが可能である。得られる効果は絶大であり、自動車産業等の鋼板軽量化を図るための手段になる技術であり、環境対応をはかることにもつながる社会的意義の大きいものである。
【発明を実施するための最良の形態】
【0026】
以下、本発明のガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤ、及び溶接方法の限定理由について説明する。なお、成分については外皮の鋼製フープとフラックスを合わせて計算された添加量である。
【0027】
「C:0.16乃至1.50質量%」
Cは、その添加により、Ms点を低下させるために本発明で最も重要な成分である。Cの含有量が0.16質量%未満であると、溶接金属になった時に炭素量が不足してMs点が上昇してしまう。一方、Cの添加量が1.50質量%を超えると、高温割れ、低温割れが発生しやすくなる。従って、Cの添加量を0.16乃至1.50質量%とするが、望ましくは0.21%以上、さらに望ましくは0.30%以上である。さらに、Cを過剰に添加すると炭化物を析出して疲労破壊の起点になり逆に疲労強度が低下し、ヒューム発生量も多くなる。望ましくは1.00%以下、さらに望ましくは0.80%以下である。なお、後述するが、Cのみの添加ではMs点が不安定であり、Nを添加することで効果的にMs点は安定低下し、膨張変態を起こす。
【0028】
「Si:0.30乃至1.50質量%」
Siは、その添加により、ビード形状を改善する効果がある。Siの含有量が0.30質量%未満であると、ビード形状を改善する機能が不足し、ビード形状のなじみ性が悪くなり、止端形状が劣化して応力集中しやすくなる。その結果、疲労強度が低下する。一方、Siの含有量が1.50質量%を超えると、溶融池の粘性が過剰となり、高速溶接時にハンピングしやすくなる。また、スラグを多量に発生させるので電着塗装性も劣化する。従って、Siの添加量を0.30乃至1.50質量%とするが、望ましくは0.60%以上である。
【0029】
「Mn:0.50乃至5.00質量%」
Mnは、その添加により、ビード形状を改善し、多量添加で焼入れ性を高めてMs点を下げる効果がある。Mnの含有量が0.50質量%未満であると、ビード形状のなじみ性が悪くなって止端形状が劣化して応力集中しやすくなる。その結果、疲労強度が低下する。一方、Mnの含有量が5.00%を超えると、溶融池の粘性が過剰となり、高速溶接時にハンピングしやすくなると共に、ヒューム発生量が過剰となる。スラグを多量に発生させるので電着塗装性も劣化する。従って、Mnの添加量を0.50乃至5.00質量%とするが、望ましくは1.00乃至3.00質量%である。
【0030】
「O:0.020質量%以上」
酸素は、その添加により、MIGアーク溶接時に陰極点、陽極点を安定させ、良好なアーク安定性を得る為に必須である。また、溶滴の酸素量を上昇させて表面張力を低下させ、溶滴の離脱性を改善して低スパッタ化が可能となる。特にパルス溶接時にはその効果は大きい。ソリッドワイヤでは安定して酸素の含有量を0.020質量%以上添加することは難しいが、例えば、フラックス入りワイヤに鉄粉を用いることにより単位体積あたりの表面酸素が増加し、容易に酸素の多量添加が可能である。従って、酸素の添加量を0.020質量%以上とするが、望ましくは0.040%以上である。なお、多量であることで弊害はなく、フラックス率との兼ね合いで上限は実質上決まるので本発明において上限は設けない。
【0031】
「N:0.0020乃至0.0400質量%」
一般的に、炭素鋼の溶接において、窒素は、その添加により、靭性を低下させ、ブローホールを発生させるだけで特段の長所はないので極力低減されている。しかし、Cの多量添加のみでMs点を安定して下げる事は困難な事が判明し、残留オーステナイトにさせずに効果的にマルテンサイト変態を起こさせるには、CとNの両添加が必須である事が分かった。本発明において、窒素は、その添加により、オーステナイト安定化元素であり、適正量の添加で溶接金属のMs点を低下させる。Nの含有量が0.0020質量%未満であると、本発明による効果が得られない。一方、Nの含有量が0.0400質量%を超えると、アークの安定性が悪くなり、ブローホールを発生させる事になる。従って、Nの添加量を0.0020乃至0.0400質量%とするが、望ましくは0.0035乃至0.0200質量%である。なお、炭素鋼系のソリッドワイヤでNを添加すると溶製時に気孔欠陥が発生しやすい為、溶製が困難であるが、フラックス入りワイヤとすることでフラックスからNを積極的に添加させることができるのもフラックス入りワイヤを選択する長所である。
【0032】
「P:0.030質量%以下、S:0.030%質量以下」
P、Sは、その添加により、耐高温割れ性を低下させる元素であるが、本発明の目的において特段の添加の意味はない。従って、従来ワイヤと同等に工業的生産性とコストを考慮し、P、及びSの各添加量を0.030質量%以下に規制する。
【0033】
「Ti:0.15質量%以下、Al:0.20質量%以下」
Ti及びAlは、アーク安定剤及び脱酸元素として多くのフラックス入りワイヤに添加されている。しかし、本発明は薄板用であり、使用環境としてスラグ剥離工程が設けられておらず、電着塗装される場合が非常に多い。そのためスラグを生成するTiやAlの添加は塗装性を阻害するので望ましくない。また、TiやAlが多いと薄板で用いられる低電流溶接時のアーク安定性が劣化し大粒のスパッタを発生する。従って、工業的生産性とコストを考慮し、Tiの添加量を0.15質量%以下、及びAlの添加量を0.20質量%%以下に規制するが、望ましくはTi、及びAl共に0.10質量%以下である。
【0034】
「フラックス率:7乃至30質量%」
フラックス率(充填率)が7質量%未満であると、所定の窒素や酸素量を含ませる事が不可能となり、かつフラックス成分の偏析が生じると共に、外皮が肉厚となって溶滴が大きくなってスパッタが増加する。一方、フラックス率が30質量%を超えると外皮が薄くなり伸線加工中に断線が発生しやすくなり、製造が困難である。従って、フラックス率を7乃至30質量%とする。
【0035】
「Ni、Cr、Nb、V、Mo及びCuからなる群から選択された少なくとも1種:各元素あたり2.00質量%未満又は0.05質量%以上2.00質量%未満」
Ni、Cr、Nb、V、Mo及びCuは、無添加でも本発明の効果を達成できる。しかし、Ni、Cr、Nb、V、Mo又はCuの添加により、Ms点を低下させ、適度な強度を確保する効果がある。この効果を得るには、Ni、Cr、Nb、V、Mo及びCuからなる群から選択された少なくとも1種を、各元素あたり0.05質量%以上添加することが必要である。即ち、これらの元素を添加する場合は、各元素あたり0.05質量%以上添加する。一方、これらの元素の含有量が各元素あたり2.00質量%以上になると、ワイヤの製造コストが増大する。また、溶融池の粘性が上昇して高速溶接時にハンピングしたり、スパッタ発生量が増加する。特に、Cuの場合、高温割れが発生するなどの短所が生じる。従って、Ni、Cr、Nb、V、Mo及びCuからなる群から選択された少なくとも1種の元素は、これらを添加する場合も添加しない場合も、2.00質量%未満に規制する。なお、Cuはワイヤ表面へめっきした場合、アーク溶接フラックス入りワイヤの成分として含むこととする。
【0036】
「B:0.0100質量%以下、又は0.0010乃至0.0100質量%」
Bは、無添加でも本発明の効果を達成できるが、少量添加でMs点を低下させ、かつ溶接金属の靭性を向上できる。この効果を得るためには、Bの含有量が0.0010質量%以上であることが必要である。一方、Bの含有量が0.0100質量%を超えると、高温割れを発生させる。従って、Bを添加する場合は、0.0100質量%以上とし、Bを添加する場合も添加しない場合も、Bの含有量は0.0100質量%以下に規制する。
【0037】
「REM(希土類元素):0.50質量%以下、又は0.01乃至0.50質量%」
REM(Rare Earth Metal:希土類元素)としては一般的にLa、Ce等がある。REMは、無添加でも本発明の効果を達成できるが、REMの含有量が0.01質量%以上であると、MIG溶接時にアーク安定性が向上し、かつ溶接金属の酸素量をより低下させてMs点を低下できる。一方、REMの含有量が0.05質量%以上を超えると、アーク安定化効果が飽和し、逆に溶滴が大粒化してスパッタが増加すると共に、コストも高価となる。従って、REMを添加する場合は、その添加量を0.01質量%以上とし、REMを添加する場合も添加しない場合も、REMの含有量は0.50質量%以下に規制する。
【0038】
「Mg:1.00質量%以下、0.05%乃至1.00質量%」
Mgは、無添加でも本発明の効果を達成できるが、Mgは強力な脱酸成分であり、その添加により、溶接金属の焼入れ性を高め、Ms点を低下させるという作用効果がある。その効果を得るためには、Mgの含有量が0.05質量%以上であることが必要である。一方、Mgの含有量が1.00質量%を超えると、溶融池の粘性が上昇して高速溶接時にハンピングが生じると共に、スパッタ発生量及びヒューム量が増加する。従って、Mgを添加する場合は、その添加量を0.05質量%以上とし、Mgを添加する場合も添加しない場合も、Mgの含有量は1.00質量%以下に規制する。
【0039】
「F及びCaからなる群から選択された少なくとも1種:各元素あたり0.005乃至0.100質量%」
F及びCaは、無添加でも本発明の効果を達成できるが、Fe及びCaは強力な脱酸成分であり、その添加により、溶接金属の焼入れ性を高め、Ms点を低下させる。その効果を得るためには、F及びCaは各元素あたり0.005質量%以上添加することが必要である。一方、F及びCaは、各元素あたり0.10質量%を超えると、溶融池の粘性が上昇して高速溶接時にハンピングが生じ、スパッタ発生量及びヒューム量が増加する。従って、F及びCaを添加する場合も添加しない場合も、夫々その添加量を0.100質量%以下に規制する。
【0040】
「K、Na及びLiからなる群から選択された少なくとも1種:総量で0.001乃至0.200質量%」
K、Na及びLiは無添加でも発明の効果を達成できるが、その添加により、電子放出を容易にし、アーク安定化と溶滴移行を円滑にしてスパッタ発生量を低下させるという作用効果が得られる。特に、MIGアーク溶接ではその効果が大きい。このような効果は、K、Na、及びLiからなる群から選択された少なくとも1種の含有量が総量で0.001質量%以上であることが必要である。一方、K、Na、及びLiからなる群から選択された少なくとも1種の含有量が総量で0.200質量%を超えると、効果が飽和してしまうと共に、アーク力が弱まって溶込み深さが浅くなると共に、溶融池が不安定となってハンピングするなどの問題が生じる。従って、K、Na、及びLiからなる群から選択された少なくとも1種を添加する場合も添加しない場合も、その添加量は総量で0.200質量%以下に規制する。なお、K、Na及びLiはKO、NaO及びLiOを主成分とする長石、ソーダガラス及びカリガラス等を原料としてフラックスに添加されるのが一般的である。
【0041】
「Arが96体積%以上、残部はCO又はOで構成される混合ガス、又は純Arガス」
シールドガスは溶接金属の酸素量を低下させMs点を下げるため、更にヒューム発生量を抑制するためにできるだけ非酸化性が望ましい。最低でもAr80体積%以上、CO20体積%以下の高Ar比でなければ、残留応力低減及びヒューム量抑制が困難であり、Ar96体積%以上のAr比が推奨される。また、実質的に純Arガスをシールドガスに使用すると、劇的にこれらの特性を高めることが可能である。一般のワイヤでは純Arガスシールドガスでのアーク安定性確保は不可能であるが、本発明のワイヤは、純Arガスでも安定なアーク安定性を維持できる。従って、シールドガスの成分をArが96体積%以上であり、残部がCO又はOで構成される混合ガスとするか、望ましくは実質的に純Arガスとすることが必要である。なお、実質的に純Arガスとは、Arに不可避的不純物が含有されたガスも許容されることを示すものである。
【0042】
「パルス溶接機」
溶接機は一般的な消耗電極式アーク溶接用として用いられる定電圧特性電源でも残留応力低減には問題ない。しかし、薄板溶接における高速溶接性、アーク安定性、及び低ヒューム化を図るため、前記ガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤとパルスアーク溶接機の組合せが推奨される。特に、シールドガスとして純Arを用いる場合は、アーク安定性確保の為にはパルス溶接機が有効である。パルスの設定については特に限定しないが、ピーク電流が350乃至600A、ベース電流が30乃至100A、1ピーク(立上り開始〜ピーク定常期〜立下り終了)の期間で0.8乃至5ミリ秒が一般的に使われ、問題ない範囲である。また、パルスアーク溶接機では定電圧特性波形の溶接に比べて同一溶着量の場合電流値が1乃至2割ほど低下し、入熱も減少することから、溶接部の冷却速度が増大する。その結果、焼入れ性が高まり、Ms点の低下につながって残留応力の低減に対しても好ましい。
【0043】
「鋼板の母材強度:490MPa以上」
本発明は、以下の強度の鋼板と板厚に適用することがより効果的である。即ち、溶接金属の変態膨張で鋼材熱影響部に発生する残留応力を低減できる理由は、溶接金属が膨張する時に鋼材側に発生する応力も溶接金属への反力により圧縮応力になることによる。このため、より高い反力が期待できる高強度鋼板ほど疲労特性の改善も大きいと期待できる。鋼材強度が低い場合は、反力も低くならざるを得ず、変態終了後の熱収縮で再び引張応力状態に戻ってしまう危険があるためである。引張応力が残留してしまえば疲労強度改善は望めない。そのため、本発明では特に疲労強度向上が期待できる下限として、鋼板の母材強度が490MPa以上とした。なお、上限については特に限定する必要はない。現在一般に実用化されている薄鋼板の強度は1500MPa程度が最大であり、この程度までの鋼板であれば、本発明ワイヤで疲労強度の改善がはかれ、かつ継手引張強度の面でも溶接金属のオーバーマッチングが達成できる。
【0044】
「板厚:1乃至5mm」
板厚が1mm未満であると、溶接時の入熱によって表・裏がほぼ均一に熱せられ、さらには溶融金属が裏側に達して裏波と呼ばれる状態になる。このような状態になると溶接金属がマルテンサイト変態時にほとんど自由に熱膨張してしまう。そのため、鋼材熱影響部側に反力が発生せず、疲労強度の改善効果は限定的になってしまう。一方、板厚が5mm超えると、拘束力が過剰になり、高強度な溶接金属となる性質をもつ本発明ワイヤでは低温割れが発生する可能性がある。また、すみ肉脚長が大きくなることによって必然的にのど厚も大きくなり、高温割れも発生しやすくなる。従って、板厚を1乃至5mmとする。
【実施例1】
【0045】
本発明の効果を実証するため、実施例、及び比較例について説明する。
【0046】
表1に示す2種類の高張力鋼板を用いて、次の溶接要領にて図1に示すように重ねすみ肉溶接を行った。溶接速度:1200mm/分、ワイヤ径:1.2mm、シールドガス流量:15litter/分、トーチ前進後退角:無し(溶接線方向に直角)、溶接電流:板厚3.2mmの場合270A、板厚2.0mmの場合210A。試験項目と判定は次のとおりである。
【0047】
(1)疲労試験
溶接ワークから図2に示す疲労試験片を採取し、両振平面曲げ疲労試験を行った。(周波数25Hz,正弦波応力) 200万回の時間強度を疲労強度として測定した。780MPa級鋼板のSP1の場合、200MPa以上を◎、170MPa以上200MPa未満を○、170MPa未満を×、490MPa級鋼板のSP2の場合、170MPa以上を◎、140MPa以上170MPa未満を○、140MPa未満を×とし、それぞれ×を疲労改善効果無しとして不合格とした。なお、ハンピングビードを発生した場合も、試験片は安定個所を探し、その場所から試験片を採取した。
【0048】
(2)アークの安定性
溶接時のアーク安定性を○△×の3段階で官能評価した。良好な場合を○、多少スパッタが発生する場合を△、アークがふらついたり、大粒のスパッタが発生した場合を×とした。○、△を合格とし、×を実用に耐えないとして不合格とした。
【0049】
(3)ヒューム発生量をJIS・Z3930に基づき同じ溶接条件にて実測した値を◎○△×の4段階評価した。発生量300mg/分以下を◎、300mg/分を超え500mg/分以下を○、500mg/分を超え700mg/分以下を△、700mg/分を超えるものを×とした。◎○△を合格、×を実用に耐えないとして不合格とした。
【0050】
(4)ビード形状
すみ肉ビード形状を官能にて○△×の3段階で官能評価した。良好を○、若干なじみ性が劣る場合を△、オーバーラップ状の止端形状になるもの、溶接線方向のビード幅が不均一な場合を×とした。○、△を合格とし、×を実用に耐えないとして不合格とした。
【0051】
(5)塗装性
溶接後の電着塗装工程でスラグの剥離によって塗装も剥離してしまう危険性を評価する為に、ビード上に生じたスラグの面積を○△×の3段階で官能評価した。ビード表面積に対しスラグ面積が10%未満を○、10%以上20%未満を△、20%以上を×とし、×を実用に耐えないとして不合格とした。
【0052】
(6)欠陥の有無
溶接部に割れの発生、ブローホール、ピットといった気孔欠陥、ビードが切れてしまうハンピング現象が発生した場合は全て不合格とした。
【0053】
(7)価格
材料費や製造コストを織り込んだワイヤの価格として、最も一般的に薄板用に適用されている汎用ワイヤJIS・Z3312・YGW12に対するコスト比較で2倍以下を○、2倍超え3倍以下を△、3倍超えを×とし、×を実用に耐えないとして不合格とした。
【0054】
(8)他工業製品としてワイヤの安定製造が困難な場合を記し、不合格とした。
【0055】
【表1】

【0056】
下記表2乃至4は実施例のワイヤの組成及びフラックス率、表5乃至表9は比較例のワイヤの組成及びフラックス率であり(一部ソリッドワイヤ有)、下記表10及び表11は夫々実施例及び比較例のシールドガス組成、溶接電源の種類及び適用鋼板を示す。この条件での各試験の評価結果を下記表12及び表13に示す。なお、これらの表において、実施例(1)は本願請求項1の実施例、比較例(1)は請求項1の比較例であり、実施例(2)は本願請求項2の実施例、比較例(2)は請求項2の比較例である。
【0057】
実施例1乃至25は本願請求項1又は2の範囲を満たすものであり、良好な継手疲労強度を示すと共に、高速溶接での安定性、スパッタ、ヒューム、及びスラグの発生量といった溶接作業性面やコスト面も十分実用的となっている。
【0058】
一方、請求項1の比較例26乃至53は本発明の範囲から外れる。比較例26及び27はCが少ないため、Ms点が下がらず疲労強度が低かった。比較例28はCが過剰なため、ヒューム発生量が過剰となり、さらに割れが発生して、それが起点となって疲労強度も低かった。比較例29はSiが少ないため、ビード形状が悪化し、応力集中により疲労強度が低下した。比較例30はSiが過剰のため、溶融池の粘性が過剰となり高速に耐えられずハンピングが発生した。またスラグが多く発生し、電着塗装性が劣化した。比較例31はMnが少ないため、ビード形状が悪化し、応力集中により疲労強度が悪かった。比較例32はMnが過剰のため、溶融池の粘性が過剰となり高速に耐えられずハンピングが発生した。またスラグが多く発生し、電着塗装性が劣化した。比較例33及び34はそれぞれP、Sが過剰のため、高温割れが発生し、割れが起点となって疲労強度も低かった。比較例35は酸素が低いため、陽極点、陰極点が不安定でアークがふらついた。ビード形状も溶接線方向に蛇行した。比較例36及び37は窒素が低いため、Ms点が下がらず、疲労強度が悪かった。比較例38は窒素が過剰であり、ブローホールが発生し、それが起点となって疲労強度も低かった。比較例39及び40はそれぞれTi、Alが過剰であり、溶滴が大きくなってアーク安定性が劣化し、さらにスラグ量も多く電着塗装性も悪かった。比較例41は低Ms点を実現する手段として従来多く提案されている高Cr−高Ni−低C−低N系で、非常に高コストであると共に、高速溶接ではハンピングが発生した。溶滴が大きくなり、スパッタも多く発生した。薄板の高母材希釈率の溶接に対しては、Ms点低下も不足であり、疲労強度も悪かった。比較例50はフラックス率が低すぎて、O及びNを必要量入れることが出来なかったため、Ms点が下がらず疲労強度が悪く、かつアーク安定性も悪かった。比較例51はフラックス率が高すぎて、伸線工程中に断線、及びフラックスのこぼれが多発し、ワイヤとして製造困難であった。No.52はJIS・Z3313・YFW−C50DMに適合する極めて一般的なフラックス入りワイヤである。Ms点を下げるための手法がなされておらず、かつ薄板の高速溶接を対象に設計されていないので、疲労強度が悪い、スラグ量が多く電着塗装性が悪い、MIGアーク溶接でのアーク安定性が悪い、高速溶接でハンピングするといった数々の短所が露呈した。比較例53は本発明の規定成分をソリッドワイヤで実現したものである。しかしソリッドワイヤではO及びNを高めることが困難であり、アーク安定性が悪く、Ms点も下がらず疲労強度も悪かった。ビード形状もフラックス入りワイヤに比べてアークが広がらないので止端形状のなじみ性がやや劣った。これも疲労強度が上がらない原因の一つとか考えられる。さらに、ソリッドワイヤで低Ms点を実現する焼入れ性の高い成分系を製造すると、伸線性を確保するために、幾度も伸線途中で焼鈍を施しワイヤ強度を下げる必要がある。このため、極めて生産性が悪く、コストが非常に高くなった。
【0059】
請求項2の比較例42乃至46は夫々Cr、Ni、Nb、V、Moが過剰であり、やはり非常に高コストであると共に、高速溶接ではハンピングが発生した。溶滴が大きくなりスパッタも多く発生した。比較例47はCuが過剰であり、高温割れが発生し、それが起点となって疲労強度が悪かった。また、溶滴が大きくなりスパッタも多く発生した。比較例48はBが過剰であり、高温割れが発生し、それが起点となって疲労強度が悪かった。比較例49はREMが過剰であり、非常に高コストであると共に、大粒のスパッタも多く発生した。比較例54及び55はそれぞれMg及びFが過剰であり、アーク安定性が悪く、スパッタとヒュームの発生量が多かった。溶融池の粘性も過剰でハンピングを生じた。比較例56はK、Na、及びLiが過剰であり、アーク力が小さくなりすぎて溶融池が不安定となってハンピングが発生した。比較例57はCaが過剰であり、アーク安定性が悪く、スパッタ、及びヒュームの発生量が多かった。溶融池の粘性も過剰でハンピングが生じた。
【0060】
【表2】

【0061】
【表3】

【0062】
【表4】

【0063】
【表5】

【0064】
【表6】

【0065】
【表7】

【0066】
【表8】

【0067】
【表9】

【0068】
【表10】

【0069】
【表11】

【0070】
【表12】

【0071】
【表13】

【産業上の利用可能性】
【0072】
本発明は自動車等の薄板の炭素鋼のすみ肉溶接に際して、高い継手疲労強度を低コスト、高能率、優れた溶接作業性を実現する溶接材料と溶接方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0073】
【図1】溶接試験の開先条件である。
【図2】疲労試験片の形状である。
【符号の説明】
【0074】
1:鋼板
2:ワイヤ
3:溶接部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼製外皮にフラックスを充填してなるアーク溶接用フラックス入りワイヤにおいて、ワイヤ全体の成分組成が、ワイヤ全質量に対して、C:0.16乃至1.50質量%、Si:0.30乃至1.50質量%、Mn:0.50乃至5.00質量%、O:0.020質量%以上、及びN:0.0020乃至0.0400質量%を含有し、P:0.030質量%以下、S:0.030%質量以下、Ti:0.15質量%以下、Al:0.20質量%以下、F及びCa:各元素あたり0.100質量%以下、K、Na、及びLi:総量で0.200質量%以下、Mg:1.00質量%以下、REM(希少金属元素):0.50質量%以下、Ni、Cr、Nb、V、Mo及びCu:各元素あたり2.00質量%未満、B:0.0100質量以下%に規制し、残部はFe及び不可避不純物からなり、かつフラックス率が7乃至30質量%であることを特徴とするガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤ。
【請求項2】
ワイヤ全体の成分組成が、更に、ワイヤ全質量に対して、F及びCaからなる群から選択された少なくとも1種:各元素あたり0.005乃至0.100質量%、K、Na、及びLiからなる群から選択された少なくとも1種:総量で0.001乃至0.200質量%、Mg:0.05%乃至1.00質量%、REM(希少金属元素):0.01乃至0.50質量%、Ni、Cr、Nb、V、Mo、及びCuからなる群から選択された少なくとも1種:各元素あたり0.05質量%以上2.00質量%未満、又はB:0.0010乃至0.0100質量%を含有することを特徴とする請求項1に記載のガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤ。
【請求項3】
請求項1又は2に記載のワイヤを使用し、Arが96体積%以上、残部はCO又はOの混合ガスをシールドガスとして使用してMIGアーク溶接することを特徴とするMIGアーク溶接方法。
【請求項4】
請求項1又は2に記載のワイヤを使用し、実質的に純Arガスをシールドガスとして使用してMIGアーク溶接することを特徴とするMIGアーク溶接方法。
【請求項5】
パルスアーク溶接機を使用することを特徴とする請求項3又は請求項4に記載のMIGアーク溶接方法。


【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2007−289965(P2007−289965A)
【公開日】平成19年11月8日(2007.11.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−117022(P2006−117022)
【出願日】平成18年4月20日(2006.4.20)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】