説明

実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜および摺動部品

【課題】高速摺動下においても高負荷に耐え得る実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC(ダイヤモンド状炭素)膜および実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜を成膜した摺動部品を提供する。
【解決手段】DLC膜中のCr含有量をX(at%)、DLC膜の表面硬さをビッカース硬さでY(Hv)とした場合、式0.5≦X≦0.7、300≦Y<500およびY<−869X+1043の各式を満足する領域の範囲内にある実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜とする。また、DLC膜と母材との間に、Crのみから成る第1の層およびCrとCとから成る第2の層を成膜した摺動部品とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、実質的に水素を含有せず少量のクロムを含有するDLC(ダイヤモンド状炭素)膜および該DLC膜を成膜した摺動部品に関する。
【背景技術】
【0002】
地球環境保護の流れの中で、自動車や電車などの輸送機器、あるいは家電や産業機械の省エネルギー化が重要になってきている。そのため、エネルギー機関の効率を上げる開発とともに、エンジンや駆動システムなどの中にある摺動部での摩擦損失を下げる開発も重要な課題として取り組まれている。摩擦損失を低減する方策としては摺動面の低摩擦化と耐久性改善が行われており、例えばダイヤモンド状炭素(以下、DLCとする)膜の成膜が検討されており、自動車部品などの一部の産業分野では既に使用されている。
【0003】
DLC膜の具体的用途としては、例えば特許文献1ではCr(クロム)を100ppm〜1%含有させたDLC膜は高硬度で耐摩耗性に優れるため、磁気ディスクの記録媒体上に発生するキズ等から保護するための保護膜として適用できる旨が開示されている。
【0004】
また、特許文献2では、母材上に表面硬さがビッカース硬さで500〜2000Hvの水素を含まない軟質炭素膜と、表面硬さが2000〜4000Hvの水素を含まない硬質炭素膜とを交互に4層以上成膜した上に、最上層として表面硬さが500〜2000Hvの水素を含むDLC膜を成膜することにより低摩擦で割れの発生を防止できるので、産業機械などの摺動部品や金型などの耐摩耗用工具としてDLC膜が適用できる旨が開示されている。
【0005】
【特許文献1】特公平4−9870号公報
【特許文献2】特開2008−1951号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、特許文献1に開示されているDLC膜は、高硬度であるがゆえに割れやすく、高負荷環境下での使用については問題があった。
【0007】
また、特許文献2に開示されているDLC膜は、高負荷環境下においても割れの発生を防止できる旨が記載されているが、例えば自動車エンジン中の高速回転部品のような高速摺動下での高負荷にも耐え得るか否かについては何ら示唆も開示もされていない。ここで、「高速摺動」とは90m/min(1500mm/s)以上の速度で摺動する状態をいい、「高負荷」とは8.0kN(816kgf)以上の力を負荷する状態をいうものとする。
【0008】
そこで、本発明の課題は前述した問題点に鑑みて、高速摺動下でも高負荷に耐え得るDLC膜および該DLC膜を成膜した摺動部品を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
前述した課題を解決するため、本出願人はDLC膜中のCr含有量を0〜2.0at%の範囲内で種々の成膜条件にてDLC膜を成膜して、DLC膜中のCr含有量の変化による表面硬さおよび焼付き性との関係を調査した。
【0010】
その結果、後述する図3に示すようにDLC膜中のCr含有量が増加するほどその表面硬さが低下する、特にDLC膜中のCr含有量が原子%で0.5〜0.7at%の範囲(後述の式(1))では、その表面硬さが500Hvを境界としてDLC膜の焼付き性が大きく変化することを知得した。
【0011】
具体的には、DLC膜の表面硬さが300Hv以上500Hv未満の範囲(後述の式(2))にあるDLC膜の焼付き性は、表面硬さが300Hv未満のDLC膜や500Hv以上のDLC膜に比べて優れていることがわかった。
【0012】
また、本発明に係るDLC膜のCr含有量と表面硬さの範囲を厳密に規定するため、後述するファレックス試験結果に基いて、焼付き開始荷重が8.5kN(867kgf)未満であった試験結果の領域を除外することで後述する式(3)を導いた。
【0013】
そこで、本発明は、DLC膜中のCr含有量をX(at%)、その表面硬さをビッカース硬さでY(Hv)とした場合、式
0.5≦X≦0.7・・・・・(1)
300≦Y<500・・・・・(2)
Y<−869X+1043・・・(3)
の各式を満足する領域の範囲内にあり、実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜とすることで、上述の問題を解決した。
【0014】
すなわち、本発明に係る低クロム含有DLC膜は、表面硬さを低減して、摺動時の凝着性を抑制しながら、高速摺動下においても高負荷に耐え得る靭性を確保できるDLC膜となった。ここで、凝着性とは摺動する相手材の表面原子との結合力によって固体同士が接着する性質をいう。そのため、摺動時の凝着性が強くなると、摺動する相手材にDLC膜が強く接着するため、結果としてDLC膜の剥離を引き起こす原因となる。
【0015】
DLC膜中のCr含有量については上述の式(1)の範囲、すなわちその含有量を0.5〜0.7at%の範囲に限定することで、DLC膜の表面硬さを低減し、摺動時の凝着性を低減する。DLC膜中のCr含有量を限定した理由は、図3に示すように後述するファレックス試験結果によるものであるが、0.5at%未満のCr量では、DLC膜の高硬度化や内部応力の増加に起因したDLC膜の靭性低下により、高負荷環境下でDLC膜の破壊が発生し、使用に耐え難くなると考えられる。また、0.7at%を超えるCr量では、DLC膜特有の非晶質(アモルファス)構造の破壊を招く恐れがあり、摺動時の凝着性が強くなると考えられる。
【0016】
また、DLC膜の表面硬さについては上述の式(2)の範囲、すなわちその硬さをビッカース硬さで300Hv以上500Hv未満の範囲に限定することで、DLC膜に靭性を持たせることができる。DLC膜の表面硬さを限定した理由も、図3に示すように後述するファレックス試験結果によるものであるが、300Hv未満の場合、低硬度による耐摩耗性が不足すると考えられる。また、500Hv以上の場合には、DLC膜が脆性破壊する危険性が高くなると考えられる。
【0017】
請求項2に係る発明においては、鉄基合金製の母材上にCrのみから成る第1の層、CrとCとから成る第2の層および請求項1の発明に係る実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜の順に成膜する摺動部品とした。そのことにより、母材と第1および第2の層と実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜の間の密着性が向上する。
【0018】
なお、本発明に係る低クロム含有DLC膜は、「実質的に水素を含有しない」DLC膜とした。「実質的に水素を含有しない」とは、積極的に外部から導入されたガス中の水素含有量を除外するという意味であり、ターゲットや成膜する母材等に付着しており成膜雰囲気下において当初より存在していた3at%以下の水素は「実質的に水素を含有しない」ものとする。「実質的に水素を含有しない」DLC膜は、炭化水素系等のガスを用いて成膜を行う「実質的に水素を含有する」DLC膜に比べて、その詳細なメカニズムは不明であるが、優れた耐熱性を有すると言われている。
【0019】
また、本発明に係る「鉄基合金」とは、鉄を主成分とする合金をいう。具体的には、炭素鋼(JIS G4052)や、マンガン鋼、マンガンクロム鋼、クロム鋼、ニッケルクロム鋼、ニッケルクロムモリブデン鋼、クロムモリブデン鋼などの合金鋼(JIS G4053)をいう。また、炭素工具鋼(JIS G4401)や高速度工具鋼(JIS G4403)などの工具鋼や、ステンレス鋼、および鋳鉄や鋳鋼などの鋳造材も本発明に係る「鉄基合金」に含まれる。
【発明の効果】
【0020】
以上のべたように、本発明においては、DLC膜中のCr含有量をX(at%)、DLC膜の表面硬さをビッカース硬さでY(Hv)とした場合、式
0.5≦X≦0.7・・・・・(1)
300≦Y<500・・・・・(2)
Y<−869X+1043・・・(3)
の各式を満足する領域の範囲内にある実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜とすることにより、該DLC膜の表面硬さを低下し、摺動時の凝着性を抑制しながら、高速摺動下でも高負荷に耐え得る靭性を確保できる。それによってDLC膜の耐焼付き性が向上し、長期使用に耐え得る摺動部品のコーティング(薄膜)として適用できる。
【0021】
また、鉄基合金製の母材上にCrのみから成る第1の層、CrとCとから成る第2の層の順に成膜した後、実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜を最表層として成膜した摺動部品とすることにより、母材と第1および第2の層と該DLC膜間の密着性が向上する。それによって優れた耐剥離性を有する摺動部品も提供できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0022】
本発明の実施の形態の一例を、図面に基づいて説明する。図1は、本発明に係る第1の層、第2の層およびDLC膜を成膜するために用いるマグネトロンスパッタリング装置の縦断面図を示す。このマグネトロンスパッタリング装置は、図示しない真空排気ポンプにつながる排気口3を介して真空に排気される真空容器1と、この真空容器1内の中央部に設けられた、被処理物(以下、ワークとする)を保持する装着冶具9と、装着冶具9の下方に取り付けられた回転治具8と、を有している。また、真空容器1内の側面部には、装着冶具9に保持されたワークの一端に向かってスパッタ粒子7を発生させるターゲット6、6´が設けられている。さらに、真空容器1の外部にはターゲット6、6´に接続されたスパッタリング電源11と、装着冶具9に保持されたワークに負のバイアス電圧を印加するワークバイアス電源10と、が設けられている。その他として、2は反応ガス導入口、4はマグネット、5はブースターコイルである。
【0023】
第1の層、第2の層およびDLC膜の生成過程は、イオンボンバード工程と成膜工程に分けられる。まず、イオンボンバード工程について説明する。図1に示した反応ガス導入口2から真空容器1内に充填された不活性ガスであるアルゴンは、スパッタリング電源11に負電圧を印加することによって生じたグロー放電により生成されたプラズマ中で正の電荷に帯電したアルゴンイオンとなる。それらのアルゴンイオンは、負電圧に印加されたワークに電気的に引き寄せられて、その表面に衝突してエッチング作用により表面層が物理的に除去される。その結果、以下に説明する成膜工程において、ワークと第1の層との密着性を向上させる。
【0024】
次に成膜工程について説明する。真空容器1内にスパッタリング用のガスとして反応ガス導入口2よりアルゴンを導入した後、複数のターゲット6、6´に個々に取り付けられたスパッタリング電源11によって、各ターゲット6、6´を負電荷に印加することにより、プラズマが生成されアルゴンがイオン化される。その結果、プラズマ中にはアルゴンイオンが存在し、スパッタリング現象を利用して、そのアルゴンイオンを負の電位に印加された各ターゲット6、6´に衝突させることにより、各ターゲット6、6´材料を飛散させる。その飛散したターゲット構成粒子をマグネット4およびブースターコイル5によって、プラズマ中でさらに活性化させる。最終的には、ワークにワークバイアス電源10を用いて負のバイアス電圧を印加し、プラズマ中のイオン化した構成粒子を積極的に取り込むことでワーク表面に成膜を行う。
【0025】
本発明では、ワーク表面を前述したイオンボンバード工程によりクリーニングした後、Crから成るターゲット6を使用して、Cr層を0.1μmの膜厚で第1の層として成膜する。次に、Cから成るターゲット6´も同時に動作させ、Cr量を連続的に減少させると共にC量を連続的に増加させて、0.20μmの膜厚として第2の層を成膜する。第2の層の表面層におけるCr含有量は、後述するDLC膜のCr含有量と同一量とする。
【0026】
最後に、Cから成るターゲット6´の電源出力を7.0kWで固定しながら、Crから成るターゲット6の電源出力を0.2〜0.3kW の範囲で変化させることでDLC膜中のCr含有量を0.5〜0.7at%(原子%)の一定範囲に制御する。また、ワークへのバイアス電圧および電流で構成されるワークバイアス電力を1500W、プラズマ状態に寄与する磁界を制御するブースターコイル電流を50〜100Aの範囲に設定する。その状態でDLC膜の表面硬さをビッカース硬さで300Hv以上500Hv未満の一定範囲に制御する。
【0027】
成膜したDLC膜のCr含有量は、例えばEPMA(電子線マイクロアナリシス)やオージェ電子分光分析装置などの測定装置を用いて測定できる。また、表面硬さはマイクロビッカース硬度計などを用いて測定できる。
【実施例】
【0028】
図1の装置を用いて棒状試験片(ワーク)の表面に前述した条件にて第1の層および第2の層を成膜した後、以下の条件にてDLC膜を成膜した。
・ワークバイアス電力:1500W
・ブースターコイル電流:20〜160A
・Cから成るターゲット6´の電源出力:7.0kW
・Crから成るターゲット6の電源出力:0〜1.0kW
【0029】
上述の条件にて成膜後、DLC膜の表面硬さが200Hv未満である棒状試験片については、低硬度による耐摩耗性不足のため実用上問題があるので、後述するファレックス試験による焼付き性評価を行わないこととした。すなわち、本実施例では表面硬さが200Hv以上のDLC膜のみを対象として、その焼付き性を評価するために以下の条件にてファレックス試験を行ったので、その結果について図2および3を用いて説明する。
・試験雰囲気:油中
・使用油種:自動車用オートマフルード油(新日本石油社製:ENEOS AT フルード )
・試験片回転速度:1750rpm(98.91m/min)
・試験片材質(母材):SCr420H材(浸炭窒化処理品)
・押圧治具材質:SNCM220材
・押圧治具表面処理:浸炭窒化処理
・試験時間(押圧時間):1分間
【0030】
図2は、ファレックス試験装置の回転部分を示す拡大図である。ここでファレックス試験とは、図2に示すように回転する棒状試験片に対してV字型の押圧治具を両側から押し付けることにより、棒状試験片の焼付きが開始する荷重(焼付き開始荷重)を測定することで膜の耐焼付き性の評価を行う試験である。
【0031】
図3は、前述の棒状試験片におけるDLC膜中のCr含有量(at%)と表面硬さ(HV)の関係を、焼付き開始荷重が(1)8.5kN(867kgf)未満、(2)8.5kN(867kgf)以上10.0kN(1020kgf)未満、(3)10.0kN(1020kgf)以上の3つの場合に分けて、そのバラツキを表した図である。
【0032】
図3に示すように、棒状試験片の焼付き開始荷重に関わらずDLC膜中のCr含有量が増加するほどその表面硬さが低下した。また、DLC膜中のCr含有量とその表面硬さの間には相関があった。
【0033】
その中でも、Cr含有量が0.5〜0.7at%の範囲においては、表面硬さが500Hvを境界としてファレックス試験の焼付き開始荷重の結果が大きく分かれた。すなわち、表面硬さが300Hv以上500Hv未満の範囲では焼付き開始荷重が(2)8.5kN以上10.0kN未満、および(3)10.0kN以上の結果が集中し、500Hv以上の範囲では焼付き開始荷重が(1)8.5kN未満の結果のみであった。
【0034】
以上より、本発明では、DLC膜中のCr含有量をX(at%)、DLC膜の表面硬さをビッカース硬さでY(Hv)とした場合、式
0.5≦X≦0.7・・・・・(1)
300≦Y<500・・・・・(2)
Y<−869X+1043・・・(3)
の各式を満足する領域の範囲内にある実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜とすることにより、高速摺動下においても高負荷に耐え得るDLC膜を提供することができた。
【0035】
なお、本実施例では8.0kN、8.5kNおよび10.0kNで負荷をかけた場合、棒状試験片にかかる面圧(圧縮応力)は、ヘルツの最大接触応力式を用いると、それぞれ1731MPa、1785MPaおよび1936MPaとなる。
【図面の簡単な説明】
【0036】
【図1】本発明に係る第1の層、第2の層およびDLC膜を成膜するために用いるマグネトロンスパッタリング装置の縦断面図である。
【図2】本発明に係る実施例で用いた棒状試験片の焼付き開始荷重を測定するためのファレックス試験装置の回転部分を示す拡大図である。
【図3】本発明に係る実施例で用いた棒状試験片におけるDLC膜中のCr含有量(at%)と表面硬さ(Hv)の関係を、焼付き開始荷重が(1)8.5kN(867kgf)未満、(2)8.5kN(867kgf)以上10.0kN(1020kgf)未満、(3)10.0kN(1020kgf)以上の3つの場合に分けて、そのバラツキを表した図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
DLC(ダイヤモンド状炭素)膜中のCr(クロム)含有量をX(at%)、DLC膜の表面硬さをビッカース硬さでY(Hv)とした場合、下記の式(1)ないし(3)の各式を満足する領域の範囲内にあることを特徴とする実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜。
0.5≦X≦0.7・・・・・(1)
300≦Y<500・・・・・(2)
Y<−869X+1043・・・(3)
【請求項2】
鉄基合金製の母材上にCrのみから成る第1の層、CrとCとから成る第2の層の順に成膜させた後、請求項1に記載の実質的に水素を含有しない低クロム含有DLC膜を最表層として成膜させたことを特徴とする摺動部品。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2010−100878(P2010−100878A)
【公開日】平成22年5月6日(2010.5.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−271677(P2008−271677)
【出願日】平成20年10月22日(2008.10.22)
【出願人】(000005197)株式会社不二越 (625)
【Fターム(参考)】