説明

摺動部品およびそれを用いた機械装置

【課題】弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品において従来技術よりも高い耐摩耗性(高い耐久性)を備えた摺動部品およびそれを用いた機械装置を提供する。
【解決手段】本発明に係る摺動部品は、弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品であって、前記硬質部材の基材の最表面には窒素を含有する非晶質炭素皮膜が形成されており、前記非晶質炭素皮膜は、炭素と窒素との合計を100原子%とした場合に、窒素の含有率が3〜25原子%であり、前記シール部材は、少なくとも摺接面領域にフッ素を含有し、該フッ素の含有率が前記窒素の含有率以上であることを特徴とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、弾性体からなるシール部材に対して摺動する摺動部品に関し、特にその摺動面に非晶質炭素皮膜が形成された摺動部品およびそれを用いた機械装置に関する。
【背景技術】
【0002】
自動車部品をはじめとして摺動箇所での低摩擦化を主目的として非晶質炭素皮膜を摺動面に形成した摺動部品が精力的に研究開発されている。非晶質炭素材料としては、a-C(アモルファスカーボン)、a-C:H(水素化アモルファスカーボン)、i-C(アイカーボン)、DLC(ダイヤモンドライクカーボン)、硬質炭素などと呼称される薄膜状の材料が通常用いられている。
【0003】
非晶質炭素皮膜は、炭素原子同士の結合としてsp2結合とsp3結合の両方を含み、明確な結晶構造を持たない(粒界を持たない)構造体であり、高硬度と高靭性とを両立しかつ低摩擦特性をも有する特長がある。また、非晶質炭素皮膜は、TiN(窒化チタン)やCrN(窒化クロム)などの結晶性の硬質皮膜と比較して機械的摩耗に対する耐久性が優れているとされている。
【0004】
様々な摺動部品のなかには、シール部材と接しながら摺動する(シール部材と摺接する)摺動部品がある。特に、シール部材が流体をシールするためのものであり、樹脂やゴムのような弾性体からなる場合、一般的に摺動面(摺接面)での摩擦係数が大きいために摩耗が進行しやすいことから、耐久性(耐摩耗性)を向上させる対策が種々検討されている。
【0005】
例えば、特許文献1(特開2003-185029)には、摺動部材と摺接し動摩擦力が生じるシール部材の摺接面領域にDLC皮膜を形成し、DLC皮膜自体の低摩擦特性によりシール部材および摺動部材の摩耗を低減する技術が公開されている。特許文献2(特開2005-48801)には、シール部材の摺接面に、あるいはシール部材と摺動部材の両方の摺接面に硬質炭素皮膜を形成するとともに、特定の摩擦調整剤を含有する潤滑油を介在させることで耐摩耗性と低摩擦抵抗を両立させる技術が公開されている。特許文献3(特開2009-169210)には、サイドシールされた状態で用いられる電子写真装置用弾性ローラにおいて、シール部材と当接される箇所にDLC皮膜を形成して、シール性と耐摩耗性とを両立させる技術が公開されている。特許文献4(特開2006-189025)には、微粒化粉体を含むスラリーを吸引・排出する高圧プランジャポンプにおいて、プランジャ外周面にDLC皮膜を設けることによってプランジャ外周面の摩擦係数低下と表面平滑化を行い、プランジャ外周面への微粒化粉体の付着を防止してプランジャとパッキンの耐摩耗性を向上させる技術が公開されている。また、特許文献5(特開2004-137507)には、ゴムや樹脂からなる自動車用シール材の表面に所定の前処理を施した後、DLC皮膜を形成する製造方法が公開されている。
【0006】
一方、非晶質炭素皮膜として、炭素と水素以外の第三元素が添加された非晶質炭素皮膜も種々提案されている。例えば、特許文献6(特開2000-297373)には、潤滑油中で使用される摺動部材において、少なくとも表面層が硬質炭素皮膜からなり、硬質炭素皮膜表面に窒素および/または酸素を含有させることで、低摩擦性と耐摩耗性とを実現する技術が公開されている。特許文献7(特開2003-336542)には、潤滑油の存在下で摺動される摺動部材の摺動面にケイ素を含むDLC皮膜を被覆することで、高耐摩耗性および高耐焼付き性を実現する技術が公開されている。特許文献8(特開2005-282668)には、締結治具部材の締結摺動面の摩擦抵抗を減少させるために、炭素の一部を硼素及び窒素で置換した炭窒化硼素の硬質被膜を締結摺動面の全面または一部分に被覆した締結治具部材が公開されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2003−185029号公報
【特許文献2】特開2005−48801号公報
【特許文献3】特開2009−169210号公報
【特許文献4】特開2006−189025号公報
【特許文献5】特開2004−137507号公報
【特許文献6】特開2000−297373号公報
【特許文献7】特開2003−336542号公報
【特許文献8】特開2005−282668号公報
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】Koji Kato, et al.: “Friction, Wear and N2-Lubrication of Carbon Nitride Coatings: a Review”, Wear 254 (2003) 1062-1069。
【非特許文献2】宮平裕生、他:「CNx膜の摩擦に及ぼす移着膜と発光現象の影響」、トライボロジー会議予稿集、2010-9 (2010)、pp. 77-78。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
前述したように、樹脂やゴムのような弾性体からなるシール部材と摺接する摺動部品では、摺動面での摩擦係数が大きいために摩耗が進行しやすいことが懸念される。本発明者の調査・検討によると、高圧プランジャポンプを模擬した耐久試験(耐摩耗試験)において、従来の非晶質炭素皮膜を表面に被覆したプランジャは、金属シリンダとの摺動面よりも弾性体シールとの摺動面の方がより大きく摩耗することが確認された(詳細は後述する)。すなわち、従来技術の非晶質炭素皮膜では、シール部材と摺接する摺動部品における耐久性(耐摩耗性)が不十分であり、更なる改良が必要とされた。
【0010】
したがって、本発明の目的は、上記の課題を解決し、弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品において従来技術よりも高い耐摩耗性(高い耐久性)を備えた摺動部品およびそれを用いた機械装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明の1つの態様は、上記目的を達成するため、弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品であって、前記硬質部材の基材の最表面には窒素(N)を含有する非晶質炭素皮膜が形成されており、前記非晶質炭素皮膜は、炭素(C)と窒素との合計を100原子%とした場合に、窒素の含有率が3原子%以上25原子%以下であり、前記シール部材は、少なくとも摺接面領域にフッ素(F)を含有し、該フッ素の含有率が前記窒素の含有率以上であることを特徴とする摺動部品を提供する。
【0012】
また、本発明の他の1つの態様は、上記目的を達成するため、弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品であって、前記硬質部材の基材の最表面には窒素と硼素(B)とを含有する非晶質炭素皮膜が形成されており、前記非晶質炭素皮膜は、炭素と窒素と硼素との合計を100原子%とした場合に、窒素の含有率が3原子%以上45原子%以下であり、窒素の含有率[N]と硼素の含有率[B]との比率が「0.95≦[B]/[N]≦1.05」であり、前記シール部材は、少なくとも摺接面領域にフッ素を含有し、該フッ素の含有率が前記窒素の含有率以上であることを特徴とする摺動部品を提供する。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品において従来技術よりも高い耐摩耗性(高い耐久性)を備えた摺動部品およびそれを用いた機械装置を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】摩擦摩耗試験の概略を示す断面模式図である。
【図2】非晶質炭素皮膜中の窒素濃度と膜硬度との関係を示すグラフである。
【図3】非晶質炭素皮膜中の窒素濃度と摩耗深さとの関係を示すグラフである。
【図4】プランジャポンプおよびその周辺構造の1例を示した断面模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0015】
(本発明に係る摺動部品の基本思想)
摩擦係数は、一般的に真実接触面積ARと単位面積当たりの凝着を切るのに要する剪断応力Sとの積に比例する(アモントン−クーロンの法則)。弾性体からなるシール部材との摺接においては、シール性を確保するためにシール部材を押し付けることで真実接触面積ARが大きくなり易く、摩擦係数が大きくなると考えられる。さらに、摺動による摩擦熱によって摺動面は高温になり易い環境にある。また、非晶質炭素皮膜は、高温環境(例えば、350℃程度以上)において、熱力学的により安定であるが機械的に脆弱なミクロ構造へ変化することが知られている。すなわち、非晶質炭素皮膜の表面は摺動中の摩擦熱によって加熱されて脆弱化することが危惧される。これに対し、非晶質炭素皮膜に窒素を含有させ皮膜を構成する炭素同士の結合(C-C結合)の一部を炭素−窒素の単結合(C-N結合)や炭素−窒素の二重結合(C=N結合)とすることで、皮膜の構造変化を抑制することができ耐熱性を向上させることができる。
【0016】
一方、窒素を含有する非晶質炭素皮膜(非晶質窒化炭素皮膜やCNxなどと呼称される場合もある)は、大気中では通常の非晶質炭素皮膜(窒素を含有しない)よりも高い摩擦特性を示すが、窒素ガス(N2)やアルゴンガス(Ar)雰囲気中では特異的な低摩擦特性を示すことが報告されている(例えば、非特許文献1、非特許文献2参照)。その低摩擦化機構は未だ解明されていないが、非特許文献2によると、窒素ガスやアルゴンガス雰囲気中で非晶質窒化炭素皮膜を摺動させた場合、摺動中のエネルギにより皮膜中の窒素成分と雰囲気中の窒素またはアルゴンとがイオン化状態となり、摺動面内で反発しあう機構が関与しているのではないかと報告されている。なお、大気中の摺動ではイオン化状態を示す発光現象が確認されなかったとのことである。
【0017】
上記非特許文献1,2の実験結果は大変興味深いものであるが、実機の摺動部品の環境を窒素ガスやアルゴンガス雰囲気に制御することは困難であり、該実験結果をそのまま活用することはできない。そこで、本発明者は、窒素やアルゴンが第一イオン化エネルギの大きい元素であることに着目し、次のようなモデルを考察した。
【0018】
イオン化エネルギの大きい元素は、一旦エネルギを得てイオン化すると比較的安定してイオン化状態が継続される元素である。摺動面を挟む2つの固体中にイオン化エネルギの大きい元素をそれぞれ含有させることができれば、摩擦による熱エネルギを吸収してそれら元素がイオン化し、イオン同士の反発力によって摺動面の低摩擦化が実現できる可能性がある。すなわち、窒素を含む非晶質炭素皮膜と摺接する弾性体表面にイオン化エネルギの大きい元素を混入させることを考えた。また、イオン化によって摩擦熱が吸収されるとすると、摺動面での温度上昇が抑制され非晶質炭素皮膜の構造変化が抑制されることも期待できる。
【0019】
元素の第一イオン化エネルギの大きさを比較すると、He(ヘリウム)>Ne(ネオン)>F>Ar>N>Kr(クリプトン)>O(酸素)の順になることが知られている。この中で希ガス元素(He、Ne、Ar、Kr)は閉殻の電子構造を有することから、固体の分子構造中に組み込むことが困難な元素である。よって、添加する元素としてはフッ素、窒素および酸素が候補になる。
【0020】
ここで、添加元素を含有させるシール部材や相手材である非晶質炭素皮膜との相性を考える。シール部材は樹脂やゴムのような弾性体からなることから、酸素の添加は、シール部材の弾性を損なう可能性があり好ましくない。窒素の添加は、摺接する非晶質炭素皮膜に含有される窒素との関係を考慮する必要がある。窒素と窒素の組み合わせの場合、窒素イオン同士が窒素分子(N2)を生成して摺接面から離脱してしまう可能性があるため、イオン同士の反発を維持するためには継続的に多量の窒素原子を供給する必要が考えられる。これは、非特許文献1,2の結果(窒素ガス雰囲気中では低摩擦特性を示すが、大気中で該特性を示さない)からも示唆される。一方、フッ素の添加は、樹脂やゴムとの相性が良い上に、フッ素イオンと窒素イオンとは容易に化合しない組み合わせであることから、それぞれが摺動面で安定に存在できる可能性がある。すなわち、フッ素が添加に最も適した元素であると考えた。本発明は、上記のような発明的考察を基にし、実験的に検証して完成されたものである。
【0021】
以下、本発明に係る実施形態について、図面を参照しながら説明する。ただし、本発明はここで取り上げた実施形態に限定されることはなく、要旨を変更しない範囲で適宜組み合わせや改良が可能である。
【0022】
前述したように、本発明に係る摺動部品は、弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品であって、
前記硬質部材の基材の最表面には窒素を含有する非晶質炭素皮膜が形成されており、前記非晶質炭素皮膜は、炭素と窒素との合計を100原子%とした場合に、窒素の含有率が3原子%以上25原子%以下であり、前記シール部材は、少なくとも摺接面領域にフッ素を含有し、該フッ素の含有率が前記窒素の含有率以上であることを特徴とする。
【0023】
また、本発明に係る他の1つの摺動部品は、弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品であって、
前記硬質部材の基材の最表面には窒素と硼素とを含有する非晶質炭素皮膜が形成されており、前記非晶質炭素皮膜は、炭素と窒素と硼素との合計を100原子%とした場合に、窒素の含有率が3原子%以上45原子%以下であり、窒素の含有率[N]と硼素の含有率[B]との比率が「0.95≦[B]/[N]≦1.05」であり、前記シール部材は、少なくとも摺接面領域にフッ素を含有し、該フッ素の含有率が前記窒素の含有率以上であることを特徴とする。
【0024】
また、本発明は、上記の発明に係る摺動部品において、以下のような改良や変更を加えることができる。
(1)前記非晶質炭素皮膜は、前記窒素の含有率が6原子%以上22原子%以下である。
(2)前記非晶質炭素皮膜は、硼素を含有する場合、前記窒素の含有率が12原子%以上45原子%以下である。
(3)前記硬質部材は、前記非晶質炭素皮膜と前記基材との間に複数の中間層が介在し、前記複数の中間層は、前記基材の直上に形成されケイ素、クロム、チタンおよびタングステンから選ばれる1種以上の元素からなる第1中間層と、前記第1中間層の直上に形成され前記1種以上の元素と前記非晶質炭素皮膜を構成する元素とからなり前記1種以上の元素の含有率が漸減するとともに前記非晶質炭素皮膜を構成する元素の含有率が漸増する第2中間層とを備える。
(4)上記のいずれかの摺動部品を用いた機械装置であって、前記シール部材は、気相および/または液相からなる流体を封止するシール部材である。
(5)上記のいずれかの摺動部品を用いた機械装置であって、前記硬質部材がプランジャであり、前記シール部材が前記プランジャに摺接するリング状シールである高圧プランジャポンプである。
(6)前記硬質部材の製造方法であって、前記非晶質炭素皮膜の形成は、非平衡マグネトロンスパッタ装置を用いた反応性スパッタ法によって前記基材表面に対して行われ、炭素成分供給源としてはグラファイトターゲットが用いられ、硼素成分供給源としては炭化硼素ターゲットまたは窒化硼素ターゲットが用いられ、窒素成分供給源としては窒素ガスおよび/またはアンモニアガスが用いられる。
【0025】
[硬質部材]
(非晶質炭素皮膜の構成)
摺動面での低摩擦化を実現するためには、非晶質炭素皮膜に含有させる窒素濃度は3原子%以上が望ましい。窒素濃度を3原子%以上とすることで低摩擦特性を発現すること可能であるが、より良好な低摩擦特性を得るためには6原子%以上の炭素濃度が望ましい。一方、非晶質炭素皮膜は窒素の添加と共に膜硬度が低下する傾向があるため、非晶質炭素皮膜に窒素を単独で添加する場合(硼素を共添加しない場合、非晶質窒化炭素皮膜)、窒素濃度を25原子%以下とすることが望ましい。それにより、ビッカース硬さHvを1000以上とすることができる。また、ビッカース硬さHvを1500以上とするためには窒素濃度を22原子%以下とすることが望ましい。
【0026】
前述したように、低摩擦化のメカニズムが摺動面におけるイオン同士の反発力に起因するとした場合、非晶質炭素皮膜に含有させる窒素濃度を高めた方がより低摩擦化することが期待される。一方、良好な耐摩耗性を達成するためには膜硬度が高い方が望ましいが、非晶質炭素皮膜は窒素の添加と共に膜硬度が低下する傾向がある。これらの相反する事象を解決する方法として、非晶質炭素皮膜に窒素と硼素とを共添加する方法がある。窒素と硼素とを含有する非晶質炭素皮膜(非晶質窒化硼化炭素皮膜)は、通常の非晶質炭素皮膜と同様に、sp2電子構造とsp3電子構造とを内包したアモルファス(非晶質)構造体の特長を保持し、かつ窒素と硼素とが強固な結合を形成することで高硬度特性を有する。その結果、非晶質窒化硼化炭素皮膜は、皮膜中の窒素濃度を45原子%まで増大させても膜硬度をビッカース硬さHvで2000以上に維持することができる。
【0027】
非晶質窒化硼化炭素皮膜に含有される窒素濃度[N]と硼素濃度[B]は、できるだけ1対1の比率であることが望ましく、少なくとも「0.95≦[B]/[N]≦1.05」である必要がある。より望ましくは「0.97≦[B]/[N]≦1.03」である。窒素濃度[N]と硼素濃度[B]との比率が「0.95≦[B]/[N]≦1.05」から外れると膜硬度が低下する(ビッカース硬さHvが1000を下回る)ことから好ましくない。ビッカース硬さHvを1500以上とするためには「0.97≦[B]/[N]≦1.03」とすることが望ましい。具体的には、窒素濃度としては3原子%以上45原子%以下が望ましく、硼素濃度としては2.8原子%以上47.3原子%以下が望ましい。なお、本発明に係る非晶質窒化硼化炭素皮膜の成分濃度に関しては、炭素と窒素と硼素との合計を100原子%としたものである。
【0028】
本発明に係る非晶質窒化炭素皮膜および非晶質窒化硼化炭素皮膜は、アモルファス体であるため高靭性と高い表面平滑性とを有するとともに、sp2結合とsp3結合を内包したミクロ構造であるため高硬度特性をも有する。これらミクロ構造の分析は、ラマン分光法、電子エネルギ損失分光法(EELS)、X線回折法(XRD)、電子線回折法(LEED/RHEED)、X線光電子分光法(XPS)および核磁気共鳴法(NMR)などで行うことができる。皮膜厚さに特段の限定はないが、例えば1〜10μmの厚さ範囲の非晶質炭素皮膜が好ましく用いられる。
【0029】
本発明に係る非晶質炭素皮膜は、製造上の不可避元素として水素やアルゴンが混入する場合がある。その場合でも、水素は25原子%以下、アルゴンは15原子%以下に制御することが好ましい。該規定の範囲を超えると、皮膜が脆弱化することから好ましくない。また、形成した皮膜を大気中に曝露すると、表面酸化などにより酸素が皮膜中に侵入することがある。その場合でも、最表面の酸素を10原子%以下とすることが好ましい。皮膜最表面での酸素濃度を10原子%以下に抑制すれば、表面から深さ0.1μm程度の位置では2原子%以下に抑えることができる。この範囲であれば、皮膜の特性に悪影響を及ぼさない。なお、濃度の各数値は、前述したように、非晶質窒化炭素皮膜の場合は炭素と窒素との合計を100原子%とした比率であり、非晶質窒化硼化炭素皮膜の場合は炭素と窒素と硼素との合計を100原子%とした比率である。
【0030】
(基材)
本発明において、非晶質炭素皮膜を形成する基材に特段の限定はないが、耐久性などを考慮すると、例えば鉄鋼材、アルミ材、エンジニアリングプラスチック、およびセラミックスを好適に使用できる。また、基材に鉄鋼材を用いる場合、皮膜密着性を高めるために硬質の鉄鋼材を用いることが好ましいが、軟質の鉄鋼材の表面に窒化、浸炭、炭窒化などの表面処理を施して硬化させたものでもよい。なお、基材の表面粗さが形成する皮膜厚さの1/10よりも大きいと低摩擦効果を十分に発揮できないため、基材表面は予め仕上げ加工(例えば、平均表面粗さRaが0.1μm以下)を施しておくことが望ましい。
【0031】
(中間層)
本発明に係る硬質部材は、非晶質炭素皮膜を基材上に直接成膜してもよいが、基材との密着性を向上させるために中間層を設けた構造にすることはより好ましい。中間層としては、ケイ素(Si)、クロム(Cr)、チタン(Ti)およびタングステン(W)から選ばれる1種以上の元素からなる第1中間層を基材の直上に形成し、該第1中間層を構成する元素と非晶質炭素皮膜を構成する元素とからなる第2中間層を第1中間層の直上に形成することが望ましい。このとき、第2中間層は、第1中間層を構成する元素の含有率が漸減するとともに非晶質炭素皮膜を構成する元素の含有率が漸増するように構成される。言い換えると、中間層は上部にいくほど次層に近い組成を有する。このような多層構造を形成することにより、非晶質炭素皮膜の内部応力が緩和されるとともに基材との密着性が向上し、界面剥離を抑止して耐久性をさらに向上させることができる。
【0032】
(非晶質炭素皮膜の製造方法)
本発明の非晶質炭素皮膜の製造方法としては、スパッタ法や、プラズマCVD法、イオンプレーティング法など既存の方法を用いることができるが、反応性スパッタ法を用いることが特に望ましい。反応性スパッタ法は、皮膜表面を平滑に作製でき、かつ添加元素と炭素とが結合した非晶質炭素皮膜を作製しやすい成膜方法である。また、窒素供給源を窒素ガスやアンモニアガスとした反応性スパッタ法を実施することにより、より硬質の皮膜を作製することができる。
【0033】
反応性スパッタ法を実施するにあたり、非平衡マグネトロンスパッタ装置を用いることが好ましい。従来のスパッタ装置を用いた場合、プラズマは主にターゲット付近で励起され、被成膜材である基材付近で高い励起状態を保つことが困難である。これに対し、非平衡マグネトロンスパッタ装置を用いる反応性スパッタ法では、より基材側でのプラズマ密度を高めることが可能である。なお、プラズマ制御には、アルゴンガスが通常用いられる。
【0034】
非晶質窒化炭素皮膜を形成する場合は、炭素供給源としてグラファイトターゲットを用い、窒素供給源として窒素ガスおよび/またはアンモニアガスを用いることが望ましい。炭素供給源として炭化水素を併用してもよい。
【0035】
一方、非晶質窒化硼化炭素皮膜を形成する場合、硼素成分は、ガス原料から供給することも可能であるが、炭化硼素や窒化硼素などの固体ターゲットから供給する方が望ましく、グラファイトターゲットと硼素含有ターゲットとを併用することで炭素と硼素の組成を制御することが望ましい。窒素供給源としては、窒素ガスおよび/またはアンモニアガスを用いることが望ましい。このとき、硼素濃度と窒素濃度とが所定の比率になるように制御する。また、炭素供給源として炭化水素を併用してもよい。
【0036】
[シール部材]
本発明に係る摺動部品において、上記硬質部材と摺接するシール部材は、少なくともその摺接面領域にフッ素を含有しており、フッ素の含有率が非晶質炭素皮膜中の窒素の含有率以上であることが望ましい。前述したように、低摩擦化のメカニズムが摺動面におけるイオン同士の反発力に起因するとした場合、摺動面を挟む2つの固体から略当量のイオンが発生した方がより低摩擦化することが期待される。摺動面において窒素イオンが何価のイオンになるのかは不明であるが、フッ素イオンは通常1価のイオンであることからフッ素イオンが不足しないようにフッ素の含有率が窒素の含有率以上であることが望ましい。
【0037】
弾性体からなるシール部材の表面領域にフッ素を含有させる1つの方法は、弾性体としてフッ素樹脂やフッ素ゴムを活用する方法である。十分にフッ素を含有したフッ素樹脂には、例えば、四フッ化エチレン樹脂、四フッ化エチレン・六フッ化プロピレン共重合樹脂、三フッ化塩化エチレン樹脂、フッ化ビニリデン樹脂、フッ化ビニル樹脂などが挙げられる。フッ素ゴムには、例えば、フッ化アクリレート系重合体、フッ化エステル系重合体、三フッ化系重合体、六フッ化系重合体、フッ化シリコーン系重合体などが挙げられる。
【0038】
シール部材の表面領域にフッ素を含有させる別の方法は、弾性体中にフッ素化合物を複合させる方法である。この場合、フッ素化合物の含有率はシール部材表面の平均フッ素濃度が非晶質炭素皮膜中の窒素濃度以上となるように調整することが望ましい。複合させるフッ素化合物の大きさを小さくして(例えば、100μm径以下)、均等に分散させることが好ましい。複合させるフッ素化合物としては、例えば、フッ化カルシウム、フッ化アルミニウム、フッ化ナトリウム、フッ素系樹脂などが挙げられるが、これらに限定されるものではない。また、母材となる弾性体としては、例えば、ポリエチレン、架橋ポリエチレン、塩素化ポリエチレン、エチレン・酢酸ビニル共重合体、ポリエチレンテレフタレート、ポリプロピレン、ポリイソブチレン、ポリ塩化ビニル、ポリ塩化ビニリデン、ポリ酢酸ビニル、ポリビニルアルコール、ポリビニルアセタール、フッ素樹脂、アクリル樹脂、ポリアクリルニトル、ポリスチレン、アセタール樹脂、ポリアミド、ポリカーボネート、セルロース系プラスチック、スチレン・アクリルニトリル共重合体、アクリルニトリル・ブタジエン・スチレン三共重合体、フェノール樹脂、ユリア樹脂、エポキシ樹脂、不飽和ポリエステル樹脂、アルキド樹脂、メラミン樹脂、珪素樹脂、ポリウレタン、ジアリルフタレート樹脂、天然ゴム、アクリルゴム、ニトリルゴム、イソプレンゴム、ウレタンゴム、エチレンプロピレンゴム、エピクロルヒドリンゴム、クロロプレンゴム、シリコーンゴム、スチレンブタジエンゴム、ブタジエンゴム、フッ素ゴムなどが挙げられる。
【0039】
シール部材の表面領域にフッ素を含有させる更に別の方法は、弾性体の表面領域をフッ化する方法である。この場合、フッ素はシール部材表面から深さ0.1μm以上の領域まで侵入していることが望ましく、シール部材表面のフッ素濃度が非晶質炭素皮膜中の窒素濃度以上となるように調整することが望ましい。弾性体の表面をフッ化する手法には、例えば、フッ素含有ガスを満たしたチャンバー内で熱処理をする手法や、フッ素含有プラズマに曝す手法がある。
【0040】
シール部材の硬度を調整するために、弾性体中にフィラーを複合させてもよい。フィラーの種類に特段の限定はないが、例えば、シリカ、炭素繊維、ガラス繊維、グラファイト、プラスチック、各種金属・合金などが挙げられる。なお、フィラーを複合させた場合においても、シール部材表面の平均フッ素濃度が非晶質炭素皮膜中の窒素濃度以上となるように調整することが望ましい。
【0041】
[摺動部品およびそれを用いた機械装置]
本発明に係る摺動部品は、弾性体からなるシール部材が流体をシールするためのものであり、硬質部材が該シール部材と接しながら摺動する箇所で使用される部品である限り特段の限定はないが、例えば、ポンプの摺動部品、電動モータの回転部品、ブレーキの摺動部品、ワイパーの摺動部品、真空装置の摺動部品などとして好適に利用できる。特に、シール部材を高い面圧で押し付けながら摺動させる摺動部品およびそれを用いた機械装置に有用であり、1例として、内燃機関の燃料ポンプとして利用される高圧プランジャポンプが挙げられる。高圧プランジャポンプは、プランジャのピストン運動によって高圧燃料供給を可能とするポンプであり、ポンプ内部で燃料や潤滑油をシールする部分は円柱のプランジャにリング状シール部材を密着させた構造を有している。プランジャとリング状シール部材との摺接面では、シール部材の面圧が1 MPaを超えかつプランジャの摺動速度が1 m/sを超える摺動条件となる場合があり、シール性能と耐焼付き性能とを長期間に渡って両立させることが強く求められている。本発明を高圧プランジャポンプに適用することによって、摺接面での低摩擦性と耐摩耗性とを確保することができ、高い耐久性を有する高圧プランジャポンプを提供することができる。
【実施例】
【0042】
以下、実施例により本発明の具体例を詳細に説明する。なお、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
【0043】
リングオンプレート形態の摩擦摩耗試験を実施するためのリング試験片の摺動面(リング端面)に各種皮膜を形成して試験試料を作製し、皮膜の性状調査および各種プレート試験片との摩擦摩耗試験を行った。はじめに、摩擦摩耗試験方法について説明する。
【0044】
(摩擦摩耗試験)
摩擦摩耗試験の試験装置には、松原式摩擦摩耗試験機(株式会社オリエンテック製、型式:EFM-III)を用いた。図1は、摩擦摩耗試験の概略を示す断面模式図である。図1に示したように、摩擦摩耗試験装置は、リング試験片1、プレート試験片2、加熱用ヒータ3、熱伝対4、トルク測定用アーム5、ロードセル6、浴槽7、浸漬液8、および保温用オイル9から構成されている。リング試験片1は、基材として表面をガス窒化処理した鉄鋼材(SKD10)を用い、摺動面となるリング端面に各種皮膜を形成したものである。プレート試験片2は、摺動の相手材となるものである。
【0045】
摩擦摩耗試験の手順は次のようである。浸漬液8として無鉛ガソリンを満たした浴槽7内でリング試験片1の皮膜形成面とプレート試験片2とが面接触するようにセットした。次に、リング試験片1を外周の周速度0.5 m/sで回転させながら、プレート試験片2に対する面圧を0から150 MPaまで2分毎に10 MPaずつ増加するように加圧し、150 MPaで10時間保持した。また、リングの中央部に垂らした熱伝対4により試験温度を測定し、試験温度が90℃になるように加熱ヒータ3で調整して試験を実施した。
【実施例1】
【0046】
(試料1の作製)
リング試験片の基材としては、表面をガス窒化処理した鉄鋼材(SKD10)を用いた。摺動面となるリング端面には、平均表面粗さRaが0.02μmとなるように仕上げ加工を施した。その後、次のような手順でリング端面に非晶質窒化炭素皮膜を形成した。
【0047】
非平衡マグネトロンスパッタ装置内に、リング試験片基材、クロムターゲットおよびグラファイトターゲットをセットした。まず、アルゴンガスを流入させながらクロムターゲットに電力を投入してリング試験片基材の表面に第1中間層(厚さ0.1μm)を成膜し、引き続いて、炭化水素ガスと窒素ガスとを追加流入させながらグラファイトターゲットに電力を追加投入して第2中間層(厚さ0.2μm)を成膜した。第2中間層の成膜では、クロム濃度が漸減するとともに炭素濃度と窒素濃度とが漸増するようにターゲット電力とガス流量を調整した。その後、クロムターゲット電力を遮断し、アルゴンガスと炭化水素ガスと窒素ガスとを継続流入させながらグラファイトターゲット電力を継続投入して窒素濃度が3原子%の非晶質窒化炭素皮膜(厚さ1.7μm)を成膜した。形成した非晶質窒化炭素皮膜の平均表面粗さRaを測定したところ、リング試験片基材のそれと同じ0.02μmであった。また、X線光電子分光法を用いて非晶質窒化炭素皮膜の組成分析を行ったところ、原子濃度比は「炭素:窒素 ≒ 97:3」であり所望の組成が得られていることが確認された。
【0048】
(試料2〜5の作製)
試料1と同様の手順により、窒素濃度が6原子%の非晶質窒化炭素皮膜(試料2)、窒素濃度が10原子%の非晶質窒化炭素皮膜(試料3)、窒素濃度が22原子%の非晶質窒化炭素皮膜(試料4)または窒素濃度が30原子%の非晶質窒化炭素皮膜(試料5)を、中間層を介してリング試験片基材上に成膜した。各試料に対して平均表面粗さ測定と組成分析とを行ったところ、それぞれRa=0.02μmであり、所望の組成が得られていた。
【0049】
(試料6〜10の作製)
非平衡マグネトロンスパッタ装置を用い、試料1と同様の手順により、リング試験片基材上に中間層(第1中間層、第2中間層)を成膜した後、組成が異なる非晶質窒化硼化炭素皮膜を成膜した。ターゲットとしては、クロムターゲット、グラファイトターゲットおよび炭化硼素ターゲットの3種のターゲットを用いた。成膜にあたり、非晶質窒化硼化炭素皮膜に含有される窒素濃度[N]と硼素濃度[B]との関係が、「0.95≦[B]/[N]≦1.05」を満たすように制御した。各試料に対して組成分析を行ったところ、窒素濃度が3原子%の非晶質窒化硼化炭素皮膜(試料6)、窒素濃度が12原子%の非晶質窒化硼化炭素皮膜(試料7)、窒素濃度が22原子%の非晶質窒化硼化炭素皮膜(試料8)、窒素濃度が40原子%の非晶質窒化硼化炭素皮膜(試料9)、および窒素濃度が45原子%の非晶質窒化硼化炭素皮膜(試料10)が得られていることが確認された。また、いずれの試料とも平均表面粗さはRa=0.02μmであった。
【0050】
(試料11〜13の作製)
非平衡マグネトロンスパッタ装置を用い、試料1と同様の手順により、リング試験片基材上に中間層(第1中間層、第2中間層)を成膜した後、窒素、硼素を含有しない通常の非晶質炭素皮膜(試料11)を成膜した。また、アークイオンプレーティング装置を用い、リング試験片基材上に厚さ2.0μmのTiN皮膜(試料12)を成膜した。さらに、皮膜を形成しないリング試験片(試料13)を用意した。試料12に対して組成分析を行ったところ、窒素濃度は50原子%であった。平均表面粗さを測定したところ、試料11はRa=0.02μmであったが、試料12はRa=0.06μmであった。
【0051】
(ミクロ構造解析)
成膜した各皮膜に対して、透過型電子顕微鏡の電子線回折図形を用いてミクロ構造を解析したところ、非晶質窒化炭素皮膜(試料1〜5)、非晶質窒化硼化炭素皮膜(試料6〜10)、および非晶質炭素皮膜(試料11)はアモルファスを示すハローパターンを示した。また、X線光電子分光の炭素スペクトルを分析した結果、試料1〜11は、いずれもsp2電子構造およびsp3電子構造を示すピークが現れた。これらの分析結果から、試料1〜11は、皮膜内部にsp2結合およびsp3結合を内包した非晶質炭素皮膜(いわゆるDLC皮膜)であることが確認された。一方、TiN皮膜(試料12)は、透過型電子顕微鏡の電子線回折において明瞭な回折パターンを示し、結晶性の皮膜であることが確認された。
【0052】
(非晶質炭素皮膜中の窒素濃度と膜硬度との関係)
成膜した各皮膜に対して、膜硬度を測定した。膜硬度は、ナノインデンテーション試験機を用いて皮膜のナノインデンタ硬度HITを測定し、換算式「Hv=0.0926×HIT」を用いてビッカース硬度Hvに換算した。図2は、非晶質炭素皮膜中の窒素濃度と膜硬度との関係を示すグラフである。図2に示したように、非晶質窒化炭素皮膜(試料1〜5)の膜硬度は、窒素含有量の増大に伴って比較的大きく低下し、窒素濃度が30原子%の皮膜(試料5)は1000Hvを下回る硬さであった。一方、非晶質窒化硼化炭素皮膜(試料6〜10)の膜硬度は、窒素含有量の増大に伴って緩やかに低下し、窒素濃度が45原子%の皮膜(試料10)でも2200Hvという高い硬さを示した。TiN皮膜(試料12)の膜硬度は1800Hvであった。硬質皮膜としての耐摩耗性を維持するためには、ビッカース硬さHvで少なくとも1000以上が必要とされている(望ましくは1500以上)。この観点から、非晶質窒化炭素皮膜においては、窒素濃度を25原子%以下とすることが望ましく、22原子%以下とすることがより望ましいと言える。一方、非晶質窒化硼化炭素皮膜においては、窒素濃度を45原子%まで添加してもよいと言える。なお、窒素濃度[N]と硼素濃度[B]との比率が「0.95≦[B]/[N]≦1.05」から外れると、膜硬度が1000Hvを下回ることを別途確認した。また、「0.97≦[B]/[N]≦1.03」とすることで、ビッカース硬さHvが1500以上になることも確認した。
【0053】
各試料の性状を表1にまとめる。
【0054】
【表1】

【実施例2】
【0055】
(非晶質炭素皮膜中の窒素濃度と摩擦係数との関係)
摺動部品において、耐久性(耐摩耗性)を向上させるためには、摺動する部材間の摩擦係数を低減することが必須である。そこで、実施例1で作製したリング試験片とプレート試験片とを種々組み合わせて摩擦摩耗試験を行い、組み合わせによる摩擦係数を測定した。プレート試験片としては、フッ素成分を含有する樹脂として四フッ化エチレン樹脂(PTFE)を選択し、フッ素成分を含有しない材料として天然ゴム(NR)、ポリプロピレン(PP)、および鉄鋼材(SKD10)から選択した。測定結果を表2に示す。
【0056】
【表2】

【0057】
表2において、比較例2-11(試料11と鉄鋼材との組み合わせ)における摩擦係数0.10は、DLC皮膜の摩擦係数として一般的に言われている値である。そして、比較例2-8〜比較例2-10に示したように、試料11(通常の非晶質炭素皮膜)は、弾性体との摺動において摩擦係数が増大することが確認された。本発明は弾性体に対して摺動する摺動部品における低摩擦化を目的の1つとすることから、本発明においては、試料11と弾性体との組み合わせで最も摩擦係数の低かった比較例2-8(摩擦係数0.15)を基準とし、摩擦係数0.15未満を「低摩擦化の実現」と判定した。
【0058】
表2に示した結果から、代表的には次のようなことが判った。
(1)本発明に係る非晶質窒化炭素皮膜(試料1〜4)は、フッ素成分を含有しない弾性体や鉄鋼材との摺動においては摩擦係数が増大したが、フッ素成分を含有する弾性体との摺動においては低摩擦化が実現した。また、皮膜中の窒素濃度が高いほど摩擦係数が小さくなる傾向が見られた。比較例2-1〜比較例2-3、実施例2-1〜実施例2-4参照。
(2)本発明に係る非晶質窒化硼化炭素皮膜(試料6〜10)も同様に、フッ素成分を含有しない弾性体や鉄鋼材との摺動においては摩擦係数が増大したが、フッ素成分を含有する弾性体との摺動においては低摩擦化が実現した。また、皮膜中の窒素濃度が高いほど摩擦係数が小さくなる傾向が見られた。比較例2-5〜比較例2-7、実施例2-5〜実施例2-9参照。
(3)TiN皮膜(試料12)や皮膜なしの鉄鋼材(試料13)では、摩擦係数が大きかった。比較例2-12〜比較例2-16参照。
(4)本発明の規定から外れる非晶質窒化炭素皮膜(試料5)では、初期摩擦係数が0.05という小さい値を示したが、試験開始の約3時間後から約4時間後に掛けて摩擦係数が急激に増大する現象が見られ、その後の摩擦係数は0.41で推移した。比較例2-4参照。試験後のリング試験片には摺動面の全領域に渡って摩耗痕が残されており、各処で中間層が露出し、一部は鉄鋼基材が露出するに至っていた。このことから、摩擦係数が増大した理由は、試料5の膜硬度が低いことにより皮膜が摩滅したためと推定された。
【0059】
(非晶質炭素皮膜の摩耗深さ測定)
摩擦摩耗試験による非晶質炭素皮膜の摩耗深さと皮膜中の窒素濃度との関係を調査した。摩耗深さは、摩擦摩耗試験後のリング試験片で摩耗した部分の残存膜厚を測定し、試験前の膜厚との差分から算出した。プレート試験片としてPTFEを使用した場合について説明する。図3は、非晶質炭素皮膜中の窒素濃度と摩耗深さとの関係を示すグラフである。図3に示したように、通常の非晶質炭素皮膜(試料11)の摩耗深さは約1.4μmであった。これに対し、非晶質窒化炭素皮膜は、窒素濃度の増大に伴って低摩擦となり摩耗深さが劇的に低減したが、窒素が過剰に含有すると膜硬度の低下により摩耗深さが増大に転じた。同様に、非晶質窒化硼化炭素皮膜は、窒素濃度の増大に伴って低摩擦となり摩耗深さが劇的に低減し、さらに窒素濃度が高い場合でも良好な耐摩耗性を示した。窒素濃度が約9〜18原子%の非晶質窒化炭素皮膜、および窒素濃度が9〜45原子%の非晶質窒化硼化炭素皮膜は、摩耗深さが約0.14μm以下であり、通常の非晶質炭素皮膜(試料11)の10倍以上の耐摩耗性(すなわち耐久性)を示すことが判った。
【実施例3】
【0060】
(樹脂中の平均フッ素濃度と摩擦係数との関係)
樹脂中の平均フッ素濃度が異なる樹脂からなるプレート試験片を用意し、前述と同様の摩擦摩耗試験を実施して樹脂中の平均フッ素濃度と摩擦係数との関係を調査した。リング試験片としては、試料3(N濃度=10原子%)と試料4(N濃度=22原子%)とを用いた。プレート試験片としては、PTFE(F濃度=67原子%)、PVDF(ポリフッ化ビニリデン、F濃度=33原子%)、PVF(ポリフッ化ビニル、F濃度=17原子%)、およびPE(ポリエチレン、F濃度=0原子%)に加えて、平均フッ素濃度を調整した共重合体を用いた。結果を表3に示す。
【0061】
【表3】

【0062】
表3に示したように、試料3(N濃度=10原子%)の非晶質窒化炭素は、樹脂中の平均フッ素濃度が10原子%よりも低いと高い摩擦係数を示したが(比較例3-1、比較例3-2)、10原子%になると摩擦係数が急激に減少し(実施例3-5)、10原子%以上の平均フッ素濃度で低摩擦化が実現する(実施例3-1〜実施例3-5)ことが確認された。また、試料4(N濃度=22原子%)の非晶質窒化炭素は、樹脂中の平均フッ素濃度が22原子%よりも低いと高い摩擦係数を示したが(比較例3-3〜比較例3-6)、23原子%になると摩擦係数が急激に減少し(実施例3-8)、22原子%以上の平均フッ素濃度で低摩擦化が実現する(実施例3-6〜実施例3-8)ことが確認された。上記の結果から、樹脂中の平均フッ素濃度が非晶質窒化炭素皮膜中の窒素濃度以上の場合において、摺動面の低摩擦化が実現することが判った。
【実施例4】
【0063】
(樹脂表面のフッ素濃度と摩擦係数との関係)
ポリプロピレンの表面にフッ化処理を施したプレート試験片を用意し、前述と同様の摩擦摩耗試験を実施して樹脂表面のフッ素濃度と摩擦係数との関係を調査した。フッ化処理は、フッ化水素で満たしたチャンバー内にポリプロピレンを設置して120℃で熱処理し、処理時間を変化させることで樹脂表面のフッ素濃度が異なるプレート試験片を作製した。表面フッ素濃度の分析は、X線光電子分光法により行った(分析深さは約10 nm)。リング試験片としては、試料3(N濃度=10原子%)と試料11(N濃度=0原子%)とを用いた。結果を表4に示す。
【0064】
【表4】

【0065】
表4に示したように、試料3(N濃度=10原子%)の非晶質窒化炭素は、樹脂表面のフッ素濃度が10原子%よりも低いと高い摩擦係数を示したが(比較例4-1、比較例4-2)、10原子%になると摩擦係数が急激に減少し(実施例4-3)、10原子%以上の平均フッ素濃度で低摩擦化が実現した(実施例3-1〜実施例3-3)。一方、試料11(N濃度=0原子%)の非晶質窒化炭素は、樹脂表面のフッ素濃度が増大するにつれて摩擦係数が低下する傾向が見られるものの、いずれにおいても高い摩擦係数を示した。上記の結果から、樹脂表面のフッ素濃度が非晶質窒化炭素皮膜中の窒素濃度以上の場合において、摺動面の低摩擦化が実現することが確認された。また、プレート試験片(すなわちシール部材)は、フッ素を含まない樹脂成形体の表面をフッ化処理したものでもよいことが確認された。
【実施例5】
【0066】
(フィラーによるフッ素成分の添加と摩擦係数との関係)
実施例1と同様の摩擦摩耗試験機を用い、ポリエチレンにフッ化カルシウム(CaF2)粉末フィラー(平均粒径50μm)を混合したプレート試験片を用意し、前述と同様の摩擦摩耗試験を実施してフィラーによるフッ素成分の添加と摩擦係数との関係を調査した。プレート試験片表面のフッ化カルシウム面積率とフッ素濃度の分析は、それぞれ走査型電子顕微鏡−エネルギ分散型X線分光法(SEM-EDX)による観察・組成分析とX線光電子分光法による詳細な組成分析とにより行った。リング試験片としては、試料3(N濃度=10原子%)を用いた。結果を表5に示す。表4は、フッ化カルシウムの面積率が異なる実施例および比較例の摩擦係数を示した一覧である。
【0067】
【表5】

【0068】
表5に示したように、試料3(N濃度=10原子%)の非晶質窒化炭素は、樹脂表面のフッ素濃度が10原子%よりも低いと高い摩擦係数を示したが(比較例5-1、比較例5-2)、11原子%になると摩擦係数が急激に減少し(実施例5-4)、10原子%以上の平均フッ素濃度で低摩擦化が実現した(実施例5-1〜実施例5-4)。上記の結果から、樹脂表面のフッ素濃度が非晶質窒化炭素皮膜中の窒素濃度以上の場合において、摺動面の低摩擦化が実現することが確認された。また、プレート試験片(すなわちシール部材)は、フッ素を含まない樹脂に対してフィラー混合によってフッ素成分を添加したものでもよいことが確認された。
【実施例6】
【0069】
(プランジャポンプ)
図4は、プランジャポンプおよびその周辺構造の1例を示した断面模式図である。図4に示したように、プランジャポンプとは、カム15の回転運動を受けたプランジャ11が往復運動して流体流路16への出入りを繰り返すことで、水・オイル・燃料などの流体19を吸入弁17から流入させ吐出弁18から押し出す機構を有するポンプである。プランジャ11の底面(またはリフタ14)はカム15と摺動し、プランジャ11の側面はシリンダ13およびシール12と摺動する。シリンダ13はプランジャ11の可動経路を保持するため、シール12は供給する流体19の漏洩や流体19への異物(例えば、カム駆動のための潤滑油など)の混入をシールするために重要である。特に、高圧プランジャポンプでは、供給する流体19の圧力が高いことからシールの面圧を高める必要があり、プランジャ11とシール12との摺接面には大きな摩擦が発生する。
【0070】
プランジャ11とシール12との摺接面圧が実機の約2倍になるように設計した加速試験機を用いて、プランジャ11の摩擦摩耗耐久試験(2000時間)を行った。プランジャ11の側面に通常の非晶質炭素皮膜(試料11に相当)をコーティングし、シール12としてPTFE(10体積%の炭素繊維フィラー入り)を用いた場合の耐久試験では、非晶質炭素皮膜はシリンダ13との摺接面よりもシール12との摺接面で著しく摩耗していた。一方、プランジャ11の側面に本発明に係る非晶質窒化炭素皮膜や非晶質窒化硼化炭素皮膜をコーティングし、シール12として同じくPTFE(10体積%の炭素繊維フィラー入り)を用いて耐久試験を実施したところ、いずれの場合も非晶質炭素皮膜の摩耗量が従来の1/10以下に減少し、優れた耐摩耗性(耐久性)を示すことが確認された。
【0071】
以上では、基材最表面に窒素を含有する非晶質炭素皮膜が被覆された硬質部材と、該硬質部材に対する摺接面にフッ素を含有したシール部材とを組み合わせた摺動部品について説明してきた。しかしながら、本発明はこれに限定されることはなく、低摩擦化のメカニズムが摺動面におけるイオン同士の反発力に起因する限り、他の組み合わせでもよい。例えば、基材最表面にフッ素を含有する非晶質炭素皮膜が被覆された硬質部材と、該硬質部材に対する摺接面に窒素を含有したシール部材とを組み合わせた摺動部品においても、同じ効果が期待できる。
【符号の説明】
【0072】
1…リング試験片、2…プレート試験片、3…加熱用ヒータ、4…熱伝対、
5…トルク測定用アーム、6…ロードセル、7…浴槽、8…浸漬液、9…保温用オイル、
11…プランジャ、12…シール、13…シリンダ、14…リフタ、15…カム、
16…流体流路、17…吸入弁、18…吐出弁、19…流体。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品であって、
前記硬質部材の基材の最表面には窒素を含有する非晶質炭素皮膜が形成されており、
前記非晶質炭素皮膜は、炭素と窒素との合計を100原子%とした場合に、窒素の含有率が3〜25原子%であり、
前記シール部材は、少なくとも摺接面領域にフッ素を含有し、該フッ素の含有率が前記窒素の含有率以上であることを特徴とする摺動部品。
【請求項2】
請求項1に記載の摺動部品において、
前記非晶質炭素皮膜は、前記窒素の含有率が6〜22原子%であることを特徴とする摺動部品。
【請求項3】
弾性体からなるシール部材と硬質部材とが摺接する摺動部品であって、
前記硬質部材の基材の最表面には窒素と硼素とを含有する非晶質炭素皮膜が形成されており、
前記非晶質炭素皮膜は、炭素と窒素と硼素との合計を100原子%とした場合に、窒素の含有率が3〜45原子%であり、窒素の含有率[N]と硼素の含有率[B]との比率が「0.95≦[B]/[N]≦1.05」であり、
前記シール部材は、少なくとも摺接面領域にフッ素を含有し、該フッ素の含有率が前記窒素の含有率以上であることを特徴とする摺動部品。
【請求項4】
請求項3に記載の摺動部品において、
前記非晶質炭素皮膜は、前記窒素の含有率が12〜45原子%であることを特徴とする摺動部品。
【請求項5】
請求項1乃至請求項4のいずれかに記載の摺動部品において、
前記硬質部材は、前記非晶質炭素皮膜と前記基材との間に複数の中間層が介在し、
前記複数の中間層は、前記基材の直上に形成されケイ素、クロム、チタンおよびタングステンから選ばれる1種以上の元素からなる第1中間層と、前記第1中間層の直上に形成され前記1種以上の元素と前記非晶質炭素皮膜を構成する元素とからなり前記1種以上の元素の含有率が漸減するとともに前記非晶質炭素皮膜を構成する元素の含有率が漸増する第2中間層とを備えることを特徴とする摺動部品。
【請求項6】
請求項1乃至請求項5のいずれかに記載の摺動部品を用いた機械装置であって、
前記シール部材は、気相および/または液相からなる流体を封止するシール部材であることを特徴とする機械装置。
【請求項7】
請求項1乃至請求項5のいずれかに記載の摺動部品を用いた機械装置であって、
前記硬質部材がプランジャであり、
前記シール部材が前記プランジャに摺接するリング状シールであることを特徴とする高圧プランジャポンプ。
【請求項8】
請求項1に記載の硬質部材の製造方法であって、
前記非晶質炭素皮膜の形成は、非平衡マグネトロンスパッタ装置を用いた反応性スパッタ法によって前記基材表面に対して行われ、
炭素成分供給源としてグラファイトターゲットを用い、窒素成分供給源として窒素ガスおよび/またはアンモニアガスを用いることを特徴とする硬質部材の製造方法。
【請求項9】
請求項3に記載の硬質部材の製造方法であって、
前記非晶質炭素皮膜の形成は、非平衡マグネトロンスパッタ装置を用いた反応性スパッタ法によって前記基材表面に対して行われ、
炭素成分供給源としてグラファイトターゲットを用い、硼素成分供給源として炭化硼素ターゲットまたは窒化硼素ターゲットを用い、窒素成分供給源として窒素ガスおよび/またはアンモニアガスを用いることを特徴とする硬質部材の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2012−97821(P2012−97821A)
【公開日】平成24年5月24日(2012.5.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−246143(P2010−246143)
【出願日】平成22年11月2日(2010.11.2)
【出願人】(000005108)株式会社日立製作所 (27,607)
【Fターム(参考)】