摺動部材
【課題】潤滑油を用いた湿式条件下で低摩擦かつ高耐摩耗性を示す摺動部材を提供する。
【解決手段】本発明の摺動部材は、潤滑油の存在下で摺動される摺動面をもつ基材と、該摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜と、を備え、
前記皮膜は、炭素(C)、チタン(Ti)およびホウ素(B)を含み、非晶質炭素を主成分として含む第一層と、CおよびTiを主成分として含む第二層と、を繰り返し交互に積層してなり、硬さが18GPa以上である。
【解決手段】本発明の摺動部材は、潤滑油の存在下で摺動される摺動面をもつ基材と、該摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜と、を備え、
前記皮膜は、炭素(C)、チタン(Ti)およびホウ素(B)を含み、非晶質炭素を主成分として含む第一層と、CおよびTiを主成分として含む第二層と、を繰り返し交互に積層してなり、硬さが18GPa以上である。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、潤滑油を用いた湿式条件下で主として使用される摺動部材に関するものである。
【背景技術】
【0002】
資源保護および環境問題などの観点から、エンジンを構成するピストン、動弁系部品などの摺動部材では、摩擦によるエネルギー損失をできるだけ低減することが要求される。このため、従来から、摺動部材の摩擦係数の低減、耐摩耗性の向上などを図るべく、その摺動面に種々の表面処理が施されてきた。なかでも、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)膜と呼ばれる非晶質硬質炭素膜は、摺動面の摺動性を高める皮膜として広く利用されている。
【0003】
DLC膜が元来有する特性を高める、さらには別の特性を付与することを目的として、たとえば、DLC膜への金属元素の添加、異なる性質の皮膜との積層化、などが行われている。DLC膜の積層化に関する文献として、特許文献1〜5が挙げられる。特許文献1〜5は、いずれも、低摩擦であるとともに耐摩耗性に優れた被覆膜を開示している。いずれの被覆膜も積層構造を有しており、たとえば、異なる性質のDLC膜を積層する、異なる元素を添加したDLC膜を積層する、DLC膜と他の化合物膜とを積層する、などにより積層構造を形成している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開平10−237627号公報
【特許文献2】特開2001−261318号公報
【特許文献3】特開2002−322555号公報
【特許文献4】特開2008− 81630号公報
【特許文献5】特開2002− 38255号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
たとえば、特許文献1には、少なくとも1種類以上の金属元素が添加された硬質炭素膜と、少なくとも1種類以上の金属、金属炭化物、金属窒化物または金属炭窒化物と、を繰り返し交互に積層した被覆層が、開示されている。具体的には、ホウ素添加の硬質炭素膜とケイ素添加の硬質炭素膜との交互積層膜、炭窒化チタンと硬質炭素膜との交互積層膜、タングステン添加の硬質炭素膜とホウ素添加の硬質炭素膜との交互積層膜、である。特許文献1では、潤滑油を使用しない無潤滑環境下での摺動を想定しているため、これらの積層膜を備える試料に対する摩耗試験に潤滑油は使用されていないと考えられる。積層膜に含まれる成分と潤滑油に含まれる成分との相互作用は、摩擦摩耗特性に大きく影響するが、引用文献1ではそのような相互作用が一切考慮されていないと言える。
【0006】
ちなみに、特許文献2、3および5にも積層膜が開示されているものの、これらの文献においても、潤滑油中での評価は行われていない。一方、特許文献4では、ジアルキルジチオカルバミン酸モリブデン(Mo−DTC)を含む潤滑剤を使用した摺動試験が実施されている。しかし、特許文献4に開示されている摺動部材が備える皮膜は、炭素および水素からなり他の元素を本質的に含まないDLCの多層膜である。そのため、皮膜への添加元素と潤滑油に含まれる成分との相互作用は考慮されていない。
【0007】
また、金属元素を含むDLC膜を備える従来の摺動部材の摩擦係数を低減させるには、Mo−DTCなどが添加されたモリブデンを含む潤滑油中での使用が前提となることが多い。しかしながら、モリブデンを含む潤滑油中での摺動は、DLC膜が酸化摩耗するため、モリブデンを含まない潤滑油中での摺動や無潤滑での摺動よりも、摩耗が促進される。さらに、重金属であるモリブデンを含む潤滑油の使用は、環境問題を引き起こす虞がある。そのため、モリブデンを含まない潤滑油中でも低摩擦係数を示す摺動部材が求められている。
【0008】
本発明は、潤滑油中において低摩擦かつ高耐摩耗性を示す新規の摺動部材を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者等は、チタンを添加したDLC膜(Ti−DLC膜)を備える摺動部材について研究を進めた結果、モリブデンを含む潤滑油中で摺動させることで、摩擦係数は低減されるが、摩耗が大きくなることに注目した。そこで、Ti−DLC膜の成膜において、硬質な化合物である炭化チタン(TiC)を積極的に形成させることで皮膜の硬さを向上させ、耐摩耗性の改善を試みた。その一方で、TiCが存在することに起因する種々の問題点を解決することで、以降に述べる発明を完成させるに至った。
【0010】
すなわち、本発明の摺動部材は、潤滑油の存在下で摺動される摺動面をもつ基材と、該摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜と、を備え、
前記皮膜は、炭素(C)、チタン(Ti)およびホウ素(B)を含み、非晶質炭素を主成分として含む第一層と、CおよびTiを主成分として含む第二層と、を繰り返し交互に積層してなり、硬さが18GPa以上であることを特徴とする。
【0011】
なお、皮膜の硬さは、株式会社東陽テクニカ製MTS、株式会社ハイジトロン製トライボスコープ等を用いたナノインデンター試験による測定値を採用する。
【0012】
本発明の摺動部材は、非晶質炭素を主成分として含む第一層と、CおよびTiを主成分として含む第二層と、を交互積層した皮膜を備える。第二層の主成分であるCおよびTiは、硬質な炭化物(TiC)を形成するため、皮膜の硬さが向上する。この第二層を、非晶質炭素を主成分として含む第一層と積層させることで、第二層だけでは不十分である摩擦低減効果が補われる。さらに、皮膜にBが含まれることで、第一層と第二層との密着性が高まり、皮膜の靱性が向上し、ひいては耐摩耗性の向上に繋がる。
【発明の効果】
【0013】
本発明の摺動部材は、潤滑油を用いた湿式条件下で低摩擦かつ高耐摩耗性を示す。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】本発明の摺動部材を模式的に示す断面図である。
【図2】本発明の摺動部材が備える皮膜を形成する成膜装置の一例を示す概略図である。
【図3】リング・オン・ブロック型摩擦試験機の概略図である。
【図4】摩擦試験の結果を示すグラフであって、種々の摺動部材の摩擦係数と摩耗深さを示す。
【図5】異なる種類の潤滑油を用いて行った摩擦試験の結果を示すグラフであって、種々の摺動部材の摩擦係数と摩耗深さを示す。
【図6】本発明の摺動部材が備える皮膜の断面観察結果を示す。
【図7】従来の摺動部材が備える皮膜の断面観察結果を示す。
【図8】本発明の摺動部材が備える皮膜のHAADF−STEM法によるHAADF像およびTEM−EDX分析による濃度プロファイルを示す。
【図9】本発明の摺動部材が備える皮膜のTEM−EELSによる線分析結果を示す。
【図10】本発明の摺動部材が備える皮膜の断面観察結果を示す。
【図11】本発明の比較例に相当する摺動部材が備える皮膜の断面観察結果を示す。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下に、本発明の摺動部材を実施するための最良の形態を説明する。なお、特に断らない限り、本明細書に記載された数値範囲「x〜y」は、下限xおよび上限yをその範囲に含む。そして、これらの上限値および下限値、ならびに実施例中に列記した数値も含めてそれらを任意に組み合わせることで数値範囲を構成し得る。
【0016】
本発明の摺動部材は、潤滑油の存在下で摺動される摺動面をもつ基材と、該摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜と、を備える。以下に、基材、皮膜および潤滑油について説明する。
【0017】
<基材>
基材の材質は、摺動部材として使用できれば特に限定されるものではない。金属、セラミックス、樹脂から選ばれる材料を用いればよい。たとえば、炭素鋼、合金鋼、鋳鉄、アルミニウム合金、チタン合金などの金属製基材、超鋼、アルミナ、窒化珪素などのセラミックス製基材、ポリイミド、ポリアミドなどの樹脂製基材、等が挙げられる。
【0018】
基材の表面粗さは、少なくとも皮膜が形成される表面において、JIS B 0031(1994)に規定の算術平均粗さ(Ra)で0.1μm以下さらには0.04μm以下、0.01μm以下とすることが好ましい。また、基材と皮膜との密着性の観点から、基材は、皮膜が固定される表面に窒化処理、微細凹凸形成、中間層形成、などの処理を基材の材質に応じて施してもよい。中間層の種類に特に限定はないが、たとえば、クロム層、チタン層、タングステン層、クロム化合物層、チタン化合物層、タングステン化合物層、クロム、チタンおよびタングステンのうちの二種以上を含む複合化合物層、などが挙げられる。中間層の構造は、単層構造であっても積層構造であってもよい。中間層が化合物からなる単層構造の場合には、厚さ方向のいずれの位置でも組成が一定である単一組成層、厚さ方向に組成が順次変化する傾斜組成層、であってもよい。中間層が積層構造である場合には、積層する各層の厚さおよび/または組成が互いに異なっていてもよいし、各層の厚さおよび/または組成を変化させて厚さ方向に組成を変化させてもよい。
【0019】
なお、皮膜が摺接する相手材は、炭素鋼、合金鋼、鋳鉄、アルミニウム合金、チタン合金などの金属、超硬合金、アルミナ、窒化珪素などのセラミックス、ポリイミド、ポリアミドなどの樹脂、等が好適である。また、相手材の表面にも、従来のDLC膜または以下に詳説する皮膜を形成すると、より摩擦係数が低減され好適である。
【0020】
<皮膜の構造>
皮膜は、第一層と第二層とを繰り返し交互に積層した構造を有する。皮膜の構造を、図1を用いて説明する。図1は、本発明の摺動部材を模式的に示す断面図である。摺動部材10は、前述の通り、摺動面をもつ基材2と、摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜1と、必要に応じて皮膜1と基材2との間に位置する中間層3と、を備える。皮膜は、炭素(C)、チタン(Ti)およびホウ素(B)を含む。
【0021】
皮膜10は、第一層11と第二層12とを繰り返し交互に積層した構造を有する。第一層11は非晶質炭素を主成分として含み、第二層12はCおよびTiを主成分として含む。そのためCは、皮膜10の全体に含まれるが、TiおよびBは、皮膜10の全体に含まれなくてもよい。Tiは、少なくとも第二層12に含まれ、第二層において炭化チタン(TiC)として存在するとよい。TiCは、ナノオーダーの微結晶であるのが好ましく、第二層12に均一に存在するとよい。この際、第二層12のマトリックスは、非晶質炭素からなるのが好ましい。Bは、互いに積層する第一層と第二層との密着性を向上させる元素である。そのため、Bは、少なくとも第一層と第二層との界面近傍に存在するとよい。具体的には、第二層は、C、TiおよびBを含むのが好ましく、第二層の少なくとも一方の表層(つまり、第二層のうち、第一層と第二層との界面部の少なくとも一方)に、B含有量が他の部分よりも高いTi−B−C層を有するとよい。
【0022】
第一層および第二層の厚さに特に限定はないが、第二層の厚さT2に対する第一層の厚さT1の比(T=T1/T2)が、0.3以上2以下であるのが好ましい。さらに好ましいTの値は、0.4以上さらには0.5以上、1.5以下さらには1以下である。Tが0.3以上であれば、第一層による摩擦低減効果が良好に得られるため好ましい。Tが2以下であれば、第二層による耐摩耗性の向上効果が良好に得られるため好ましい。また、一組の第一層および第二層からなる積層部の厚さは、10〜60nm、15〜45nmさらには20〜30nmであるとよい。T2のうち、Ti−B−C層の厚さは、1〜10nmさらには4〜6nmであるのが好ましい。Ti−B−C層の厚さが1nm以上であれば、皮膜の靱性向上効果が良好に得られるため好ましい。一方、10nmを越えるTi−B−C層を形成しても、第一層と第二層との密着性の大きな向上は望めず、そのような厚いTi−B−C層を形成することは技術的にも困難である。なお、Ti−B−C層の厚さ測定方法は、実施例の欄で述べる。
【0023】
皮膜は、第一層および第二層が合計で10〜1000層積層されてなるのが好ましい。また、耐久性の観点から、皮膜は厚い方が望ましいが、0.5〜7μmさらには1〜5μmとするとよい。
【0024】
なお、「第一層」および「第二層」との名称は、単に二つの層を区別するためだけに用いた名称である。そのため、基材に積層される順番に特に限定はなく、第二層から先に成膜しても構わない。しかし、中間層との密着性の観点から、基材または中間層の表面には、図1に示すように第一層を先に形成するのが望ましい。また、成膜の終了は、第一層であっても第二層であってもよい。しかし、摩擦摩耗特性の観点から、図1に示すように第二層が最表面に形成された状態とするのが望ましい。
【0025】
皮膜の表面粗さは、JIS B 0031(1994)に規定の算術平均粗さ(Ra)で0.1μm以下さらには0.07μm以下、0.04μm以下が好ましい。Raが1μmを超えると潤滑油による潤滑割合の増加は期待できず、摩擦係数を低減することが困難となる。
【0026】
皮膜の硬さは、18GPa以上である。好ましくは19GPa以上さらには20GPa以上である。しかし、皮膜が硬すぎても膜の割れおよび剥離の原因となるため、皮膜の硬さの上限を規定するのであれば、50GPa以下が好ましく、40GPa以下さらには35GPa以下であるとよい。
【0027】
<皮膜の組成>
皮膜は、皮膜全体を100原子%としたときに、Tiを6原子%以上40原子%以下、Bを2原子%以上30原子%以下含むとよい。
【0028】
Tiは、CとともにTiCを形成し、皮膜の硬さの向上に寄与する。また、添加剤成分としてモリブデンを含有する潤滑油中では、添加剤成分がTiCに吸着して、皮膜表面に層状化合物からなる硫化モリブデン(MoS2)膜が形成されることで低摩擦を発現する。Ti含有量が6原子%以上であれば、TiCが十分に形成されるため、摩擦摩耗特性の面から好ましい。皮膜の硬さの観点からは、Tiが多く含まれているのが好ましく、Ti含有量は、15原子%以上、18原子%以上さらには20原子%以上であるのが好ましい。Ti含有量が50原子%になると、理論的に皮膜がTiC膜となる。しかしTiCは、過剰に存在することで、潤滑油中のモリブデン系添加剤以外の他の添加剤成分をも吸着し、均一なMoS2膜の形成を阻害するため、摩擦低減の観点から好ましくない。そのためTi含有量は、40%を越えないようにするとよい。さらに好ましいTi含有量の上限は、35原子%以下、30原子%以下さらには25原子%以下である。
【0029】
Bは、積層構造の皮膜において問題となる層間の密着性を高める。また、モリブデンを含まない潤滑油中での摺動では、Bの存在によりモリブデン系添加剤以外の添加剤の吸着が積極的に行われると考えられ、モリブデンを含まない潤滑油においても低摩擦を発現することができる。B含有量が2原子%以上であれば、密着性の向上効果は見込めるが、さらに好ましくは2.5原子%以上さらには2.8原子%以上である。しかし、Bを過剰に含むとかえって層間の密着性が低下する。また、Bは、スパッタリングされにくい元素であるため、皮膜への多量の添加は困難である。そのため、B含有量は30原子%以下、20原子%以下、10原子%以下さらには5原子%以下であるのが好ましい。
【0030】
なお、皮膜は、耐食性、耐熱性などのさらなる特性を付与することを目的として、他の半導体および金属元素を含んでもよい。具体的には、Al、Mn、Mo、Si、Cr、W、V、Ni等である。ただし、これらの添加元素は、TiおよびBがもたらす摩擦摩耗特性に悪影響を与えない程度の添加量、具体的には20原子%未満さらには10原子%未満に規制する必要がある。
【0031】
また、皮膜全体を100原子%としたときに、2〜30原子%さらには5〜24原子%の水素(H)を含んでもよい。H含有量が少ないほど皮膜は硬くなるが、H含有量が2原子%未満の場合には、皮膜と基材との密着力および皮膜の靱性が低下する。そのため、H含有量を5原子%以上さらには7原子%以上とすると好適である。H含有量が30原子%を超えると、皮膜の硬さが軟質となり、耐摩耗性が低下する。そのため、H含有量を24原子%以下さらには20原子%以下とすると好適である。
【0032】
また、皮膜は、上記の改質元素以外に、不可避不純物として酸素(O)を含む場合がある。O含有量は、皮膜全体を100原子%としたときに、3原子%未満さらには1原子%未満に規制されるのが望ましい。酸素を多く添加すると皮膜のネットワーク構造が崩れるおそれがあり、その結果、皮膜の硬さが低くなり耐摩耗性を低下させる。
【0033】
<潤滑油>
本発明の摺動部材は、潤滑油を用いた湿式条件で使用される。潤滑油は、モリブデン(Mo)、硫黄(S)、リン(P)、亜鉛(Zn)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、ナトリウム(Na)、バリウム(Ba)および銅(Cu)等を含む。これらの元素は、ベース油に添加される添加剤に含まれる。主な添加剤としては、アルカリ土類金属系添加剤であるCa−スルホネート、Mg−スルホネート、Ba−スルホネート、Na−スルホネートなど、極圧添加剤であるりん酸エステル、亜りん酸エステル、ジアルキルジチオカルバミン酸モリブデン(Mo−DTC)、亜鉛ジアルキルジチオフォスフェート(Zn−DTP)など、が挙げられる。また、無灰分散剤であるコハク酸イミド、コハク酸エステルなど、上記の元素を含まない添加剤を含んでもよい。潤滑油は、本発明の摺動部材の摺動の際に、少なくともその摺動面に供給されればよい。
【0034】
具体的に規定するのであれば、潤滑油は、全体を100質量%としたときに、S、P、Zn、Ca、Mg、Na、BaおよびCuのうちの少なくとも一種を合計で300ppm(0.03質量%)以上含む一般的な潤滑剤であるとよい。
【0035】
なお、これらの元素は化合物の形態でベース油に添加されるが、本明細書に記載の含有量は、潤滑油全体を100質量%としたときに、それぞれの元素に換算した量とする。ベース油は、通常用いられる植物油、鉱油または合成油であればよい。また、本明細書において、モリブデンを含むMo系潤滑油とは、潤滑油全体を100質量%としたときに、Moを100ppm以上含む。しかし、本発明の摺動部材は、潤滑油全体を100質量%としたときに、Mo含有量が100ppm未満である潤滑油中でも、低摩擦かつ高耐摩耗性を示す。モリブデンを含まない非Mo系潤滑油には、潤滑油にMoが全く含まれない(0ppm)のが望ましいが、潤滑油全体を100質量%としたときに、10ppm以下であれば不可避不純物として許容される。
【0036】
なお、潤滑油に含まれる上記元素の含有量の上限に特に限定はなく、通常の潤滑油と同等であればよい。あえて規定するのであれば、Mo、S、P、Zn、Ca、Mg、Na、BaおよびCuのうちの少なくとも一種を合計で30,000ppm(3質量%)以下である。
【0037】
具体的には、潤滑油として、ATF(オートマチック・トランスミッションオイル)、CVTF(無段変速機オイル)、ギヤ油などの駆動系油、ガソリン、軽油などの燃料油、エンジン油などが挙げられる。これらの潤滑油を、本発明の摺動部材の用途に応じて使用すればよい。
【0038】
なお、本発明の摺動部材は、潤滑油中で既に説明した相手材と摺接させることを特徴とする摺動方法として捉えることも可能である。
【0039】
<摺動部材の製造方法>
先に説明した皮膜の成膜方法に特に限定はなく、各種成膜手法により成膜することが可能である。たとえば、物理蒸着法(PVD法)および化学蒸着法(CVD法)が挙げられ、具体的には、真空蒸着法、スパッタリング法、アンバランスドマグネトロンスパッタリング(UBMS)法、アークイオンプレーティング(AIP)法、分子線エピタキシー(MBE)法、熱CVD法、プラズマCVD法、あるいはこれらの成膜方法を二つ以上組み合わせて複合させた方法などが挙げられる。
【0040】
たとえば、UBMS法は、ターゲットに印加する磁場のバランスを意図的に崩して被処理体(基材)へのイオン入射を強めることができる。そのため、ターゲット蒸発面近傍から、基材の近傍に伸びる磁力線にトラップされた電子により、原料ガスのイオン化が促進されるとともに反応が進みやすくなる。加えて、基材に対して多くのイオンが入射するため、緻密な皮膜を効率よく成膜することができる。
【0041】
本発明の摺動部材をUBMS法により製造する際には、少なくともTi含有ターゲットおよびB含有ターゲットを用いる。C含有ターゲット、中間層の原料を含むターゲットなどを必要に応じて用いてもよい。なお、Ti含有ターゲット、B含有ターゲットおよびC含有ターゲットは、一つのターゲットで他のターゲットを兼ねてもよい。具体例には、純Ti、純B、TiC、TiB、B4C、TiBC等からなる各種ターゲットが挙げられる。これらのターゲットは、同じ反応容器内に配置されるとよい。さらに、処理ガスとして、スパッタガスとしての希ガスおよび反応ガスとしてのC含有ガスを、反応容器中に導入する。
【0042】
スパッタガスとしては、希ガスから選ばれる一種以上を用いればよく、たとえば、アルゴン(Ar)ガス、キセノン(Xe)ガス、ヘリウム(He)ガス、窒素(N2)ガスなどである。C含有ガスとしては、炭化水素ガスなどを用いることができ、たとえば、メタン(CH4)、アセチレン(C2H2)、ベンゼン(C6H6)などのうちの一種以上を用いるとよい。処理ガス圧やスパッタガスとC含有ガスとのガス流量比を適宜調整することで、皮膜に含まれるC、TiおよびBの割合を適宜調整することができる。
【0043】
本発明の摺動部材が備える皮膜は、前述の通り、TiCを含むのが好ましい。TiCの形成は、成膜温度に影響を受ける。通常、スパッタリングのエネルギーにより基材の表面温度は上昇するが、成膜温度を150℃以上さらには250〜350℃とすることで、TiCを含む硬い皮膜が得られやすい。なお、成膜温度は、成膜中の基材の表面温度であって、熱電対または放熱温度計により測定可能である。
【0044】
各ターゲットの駆動方式に特に限定はなく、直流、交流、高周波、パルス波、などのいずれであってもよい。ターゲットに印加する電力は、皮膜に含まれるTiおよびBの含有量に応じて適宜調節するのが望ましいが、具体的には、0kWを越え5.0kW以下の範囲内で用いるとよい。ターゲットに印加する電圧を変化させることで、所望の組成を有する第一層および第二層さらにはTi−B−C層の形成が可能となる。また、ターゲット表面の最大磁場強度は、0.1mT以上、さらには0.2mT〜2.0mTであるとよい。
【0045】
また、成膜される皮膜の硬さは、基材へのイオンの入射エネルギーを決める基材のバイアス電圧に影響を受ける。基材にバイアス電圧が印加されることで、硬質なTiCが形成されやすくなる。それに加えて、基材表面に堆積する非晶質炭素も緻密となり、皮膜の硬さが向上(たとえば18GPa以上)する。5V以上500V未満の負のバイアス電圧を基材に印加して成膜を行った場合には、UBMSによるイオン打ち込みの効果が発揮される。一方、500V以上1200V以下の負のバイアス電圧を基材に印加して成膜を行った場合には、基材表面でC含有ガスが分解反応を起こし、プラズマCVD法による非晶質炭素膜の形成が可能となる。したがって、基材に皮膜を形成する際には、第一層の形成には500V以上1200V以下、第二層の形成には5V以上500V未満、の範囲で基材に負のバイアス電圧を印加するのが最適である。
【0046】
ここまで、UBMS法による本発明の摺動部材の製造方法を説明したが、本発明の摺動部材として好ましい前述の構造の皮膜が形成可能な方法であれば、成膜方法に特に限定はない。
【0047】
以上、本発明の摺動部材の実施形態を説明したが、本発明は、上記実施形態に限定されるものではない。本発明の要旨を逸脱しない範囲において、当業者が行い得る変更、改良等を施した種々の形態にて実施することができる。
【実施例】
【0048】
以下に、本発明の摺動部材の実施例を挙げて、本発明を具体的に説明する。
【0049】
上記実施形態に基づいて、基材の表面に種々の皮膜を形成し、実施例および比較例の摺動部材を作製した。そして、それぞれの摺動部材について、皮膜の構造観察、皮膜の組成分析、および摩擦摩耗特性の評価を行った。摺動部材の製造方法について説明する。
【0050】
<基材>
鋼材(マルテンサイト系ステンレス鋼:SUS440C)製の基材を準備した。基材は、寸法:6.3mm×15.7mm×10.1mm、表面硬さ:Hv650、表面粗さ:Raで0.011μm(JISに規定の十点平均粗さ(Rz)で0.1μm)であった。
【0051】
<摺動部材の作製>
基材の表面に、アンバランスドマグネトロンスパッタリング装置(株式会社神戸製鋼所製UBMS504)を用い、種々の皮膜を成膜した。装置の模式図を図2に示した。装置20は、容器21、容器21の中央部において複数の基材Sを回転可能に保持する基台22および基台22の周囲に配設されターゲットを載置可能な4つのマグネトロン23を備える。
【0052】
容器21は、円筒形で、上部に2つのガス導入管21aおよび下部にガス導出管21bを備える。2つのガス導入管21aは、バルブ(図略)を介して各種ガスボンベ(図略)にそれぞれ接続される。ガス導出管21bは、バルブ(図略)を介してターボ分子ポンプ(図略)およびロータリーポンプ(図略)に接続される。また、4つのマグネトロン23は、容器21の内壁に周方向に等間隔に配設されている。
【0053】
基台22は、直流パルス電源に接続されており、必要に応じてバイアス電圧が基材Sに印加される。基台22は、容器21の中央で自転するとともに、基材Sを保持するそれぞれの治具も自転する。そのため、基台22に保持された全ての基材Sの表面に対して、均一に成膜することができる。
【0054】
装置20に付属の4つのマグネトロン23のうちの3つに、純チタン(Ti)ターゲット、その正面にB供給源としての炭化ホウ素(B4C)ターゲット、および中間層の形成に用いる純クロム(Cr)ターゲットを、それぞれ一つずつ載置した。ターゲットには、それぞれ独立して電力を印加することができる。
【0055】
試料作製の際には、上記の複数の基材Sを基台22に保持させた。成膜中には、基台22が回転することで、各ターゲットの表面と基材Sの成膜面とが向かい合う。このとき、基材の表面からターゲットの表面までの距離は最短で150mmであった。
【0056】
《中間層の形成》はじめに、容器21を3×10−3Paまで排気した。次に、ガス導入管21aからアルゴン(Ar)ガスを導入して、容器内のガス圧を0.4Paとした。装置20に付属の電源装置により、Crターゲットに3.0kW印加してCrターゲットをArガスでスパッタし、Crターゲットをプラズマ放電させ、基材Sの表面にCr膜を形成した。さらに、ガス導入管21aからアセチレン(C2H2)ガスを導入し、Cr膜の表面にCr−C系膜を形成した。この際、アセチレンガスの流量を0から15sccmに漸次増加させることで、Cr−C系膜の膜表面側のC濃度が最も高くなるように厚さ方向にC濃度を傾斜させた。こうして、合計の厚さが厚さ0.6μm程度の中間層を形成した。
【0057】
《皮膜の形成》中間層の形成を終了した後、ArガスおよびC2H2ガスを導入して、容器内のガス圧を0.5Paとした。次に、装置に付属の電源装置により、TiターゲットおよびB4Cターゲットに所定の電力を印加して、各ターゲットをプラズマ放電させた。その間、基材Sには、基台22に接続された直流パルス電源により負のバイアス電圧を印加した。本実施例では、はじめに1000Vのバイアス電圧を所定の時間印加し、第一層を形成した。次に、基材Sに印加するバイアス電圧を1000Vから100Vに切り替えることで、第二層を形成した。所定の時間の後、再び、基材Sに印加するバイアス電圧を1000Vに切り替えて、第二層の表面に別の第一層を形成した。このような間欠的なバイアス電圧の切り替えを複数回行うことで、中間層の表面に第一層と第二層とが繰り返し交互に積層した1.5〜3μmの厚さの積層膜を形成した。
【0058】
具体的には、表1に示す成膜時間の通りにバイアス電圧の切り替えを交互に行い、七種類の試料(摺動部材)を得た。皮膜に含まれるTiおよびBの量、ならびにTi−B−C層の厚さは、バイアス電圧の切り替えと同時にターゲットに印加する電力を0〜5.0kWの範囲で調整することで変化させた。成膜中の基材Sの表面温度は、いずれの場合も300℃であった。
【0059】
なお、比較例1は、積層構造をもたない単層の非晶質炭素膜(DLC単層膜)を有する試料である。DLC単層膜は、Arガスとメタンガスとを同時に導入した容器21内でマグネトロン23に載置された純Cターゲットをプラズマ放電させ、バイアス電圧を100Vのままで成膜した。
【0060】
<皮膜の組成分析および皮膜の硬さ測定>
上記手順で得られた試料について、皮膜全体の膜組成を分析、および皮膜の硬さ測定を行った。結果を表1に示した。膜組成は、電子プローブ微小部分析法(EPMA:加速電圧10kV、分析面領域100μm、にて分析)、X線光電子分光法(XPS)、オージェ電子分光法(AES)、ラザフォード後方散乱法(RBS)により定量した。皮膜の硬さは、ナノインデンター試験機(株式会社東陽テクニカ製MTS)により試料の表面硬さを測定した測定値から算出した。なお、残部はCを主成分とし、H(1〜30原子%程度)および不可避不純物としてのO(3原子%未満)などを含む。
【0061】
【表1】
【0062】
<摩擦摩耗特性の評価>
上記の手順で得られた試料をブロック試験片として用い、リング・オン・ブロック試験を行った。図3に、リング・オン・ブロック型摩擦試験機(FALEX社製LFW−1)の概略図を示す。図3に示すように、リング・オン・ブロック型摩擦試験機30は、ブロック試験片31と、相手材となるリング試験片32とから構成される。ブロック試験片31とリング試験片32とは、ブロック試験片31に形成された皮膜31fとリング試験片32とが当接する状態で設置される。リング試験片32はオイルバス33中に回転可能に設置される。本試験では、リング試験片32として、本摩擦試験機30の標準試験片であるS−10リング試験片(材質:SAE4620スチール浸炭処理材、形状:φ35mm、幅8.8mm、表面粗さ:Rzで1.3μm、FALEX社製)を用いた。また、オイルバス33には、80℃に加熱保持したモリブデン系添加剤含有エンジン油(Mo系エンジン油、粘度グレード:0W−20)を用いた。このMo系エンジン油中には、添加剤としてMo−DTP、Mo−DTCなどを含み、油中金属成分の分析結果および潤滑油メーカーの配合データから、エンジン油を100質量%としたとき、元素に換算して、Moを0.01質量%(100ppm)以上、Mo以外の元素(具体的にはCa、Zn、S、P)を合計で0.05質量%(500ppm)以上含むことを確認した。
【0063】
摩擦試験は、まず、無負荷の状態で、リング試験片32を回転させた。次いで、ブロック試験片31の上から300Nの荷重(ヘルツ面圧310MPa)をかけ、ブロック試験片31に対してリング試験片32を摺動速度0.3m/sで摺動させた。ここで、ヘルツ面圧とは、ブロック試験片20とリング試験片21との接触部の弾性変形を考慮した実面圧の最大値である。30分間摺動させた後、摩擦摩耗特性を測定した。測定した摩擦摩耗特性は、それぞれのブロック試験片31とリング試験片32との間の摩擦係数、それぞれのブロック試験片31の最大摩耗深さ、である。測定結果を表2に示した。
【0064】
なお、実施例3および比較例1で作製した試料については、上記のMo系エンジン油のかわりに、Mo系エンジン油よりもモリブデン系添加剤の含有量が少ない非Mo系エンジン油IまたはMoをほとんど含まない非Mo系エンジン油II(いずれも粘度グレード:0W−20)を用いて、上記と同様のリング・オン・ブロック試験を行った。結果を表3および図5に示した。表3に示した「基材のみ」の結果は、中間層も皮膜も形成していない基材そのもの(SUS440C)について同様のリング・オン・ブロック試験を行った結果である。
【0065】
【表2】
【0066】
【表3】
【0067】
<皮膜の断面観察>
各実施例において形成された皮膜が積層構造であることを確認するために、透過電子顕微鏡(TEM)を用いて皮膜の断面を観察した。実施例1および比較例2の試料から断面観察用の薄片状試料を作製し、TEMで観察した結果を図6および図7に示した。なお、皮膜の表面に見られる組織(図6および図7の写真上側)は、薄片状試料作製のために形成されたアルミニウム保護膜である。
【0068】
実施例1の試料の観察結果(図6)では、明暗がはっきりと区別できる二種類の層が積層してなる積層構造が皮膜に確認された。制限視野回折像(図示せず)によれば、明るく見える層からの回折図形は非晶質炭素のハローであった。また、暗く見える層からの回折図形は5nm程度のTiCの微結晶の存在を示した。つまり、実施例1の試料は、非晶質炭素を含む第一層とTiCを含む第二層との異なる二種類の層が周期的に繰り返し交互に積層した積層構造をもつ異種積層膜を備えることがわかった。なお、実施例1〜3ではターゲットに印加する電圧を変更した他は同様の手順で皮膜を成膜しているため、実施例2および3の皮膜も第一層と第二層との異種積層膜であることは明らかである。
【0069】
一方、比較例2の試料の観察結果(図7)では、皮膜に縞模様が観察されたものの暗く見える層の存在は確認できなかった。そして、制限視野回折像(図示せず)によれば、皮膜のいずれの位置においても非晶質炭素のハローを示す回折図形しか得られなかった。したがって、比較例2の試料は、積層構造ではあっても同種の層が複数積層された、膜全体が非晶質炭素からなる皮膜を備えることがわかった。
【0070】
また、実施例1については、エネルギー分散型X線分光法(EDX)を用いて、皮膜の組成分析を行った。図8に、高角度散乱環状暗視野走査透過顕微鏡法(HAADF−STEM法)によるHAADF像およびTEM−EDX分析による濃度プロファイルを示した。濃度プロファイルには、HAADF像での分析方向および位置1〜4を示した。なお、HAADF像は、明視野像(たとえば図6、7、10および図11)のコントラストとは逆になる。
【0071】
位置1は、HAADF像において最も暗く見える層(つまり非晶質炭素を含む第一層)に位置し、この付近では主としてCを含み、微量のTiと、さらに微量のBと、を含むことがEDX分析からわかった。位置3は、HAADF像において最も明るく見える層(つまりTiを多く含む第二層)に位置し、この付近では同程度の量のCおよびTiと、微量のBと、を含むことがEDX分析からわかった。位置2および位置4は、どちらも第一層と第二層との境界付近に位置し、いずれにおいても、CおよびTiと、微量のBと、を含むことがEDX分析からわかった。しかし、位置2の付近では、位置4の付近よりも、多くのBが検出された。つまり、Bは、第二層の厚さ方向において、基材側よりも膜表面側が高濃度となるような濃度傾斜を有することがわかった。特に、第二層のうち膜表面側に位置する部位には、Bが濃化して存在するTi−B−C層の形成が確認された。
【0072】
次に、実施例1について、第一層および第二層の膜厚を測定した。また、第二層については、第二層においてBが濃化して存在するTi−B−C層の膜厚も測定した。膜厚の測定は、EDX分析結果に基づき、TEM写真上にて複数箇所を実測して行った。たとえば、図10は、実施例1の薄片状試料をTEMにより高倍率で断面観察した結果である。第一層と第二層との一方の境界は、明るく見える層と暗く見える層との境界が図10より明確に判別できる。第一層と第二層との他方の境界は、Ti−B−C層の存在によりTEM像だけでは不明確であるため、EDX分析の濃度プロファイル(図8)およびTEMに組み合わせた電子エネルギー損失分光法(EELS、図9)から規定した。すなわち、EDX分析の濃度プロファイルにおいても、TEM−EELSによる線分析においても、Bのスペクトルが明確に検出された範囲をTi−B−C層として測定した。図9に記載の1〜4の番号は、それぞれ図8に記載の位置1〜4に相当する。たとえば、図9のEELS線分析より、位置3ではBが検出されたが、位置2ではBは検出されなかった。つまり、本実施例では、EDX分析の濃度プロファイルにおいてBのカウント数(縦軸)が30×104以上である領域(図8に示したB検出領域)が、Ti−B−C層であるとした。膜厚の測定結果を表4および表5に示した。なお、表4において、「T1」は第一層の厚さ、「T2」は第二層の厚さ、(ともに単位はnm)であって、T2に対するT1の比「T1/T2」を積層膜厚比とした。
【0073】
同様な測定を、比較例4の試料についても行った。比較例4の薄片状試料をTEMにより高倍率で断面観察した結果を図11に、膜厚の測定結果を表4に、それぞれ示した。また、比較例3の試料の製造方法において、B4Cターゲットに所定の電力を印加して成膜を行うことで微量のBを皮膜中に添加した比較例3’を作製し、上記と同様にしてTi−B−C層の厚さを測定した。結果を表5に示した。
【0074】
【表4】
【0075】
【表5】
【0076】
比較例1の試料は、単層のDLC膜を備える。比較例2の試料は、積層構造のDLC膜であって、成膜時に基材に印加するバイアス電圧が異なる二種類のDLC層が複数積層した構造の皮膜を備える。つまり、比較例2の試料は、高いバイアス電圧を印加して形成された高密度のDLC層を含むDLC膜を備えるため、比較例1の試料よりも表面硬さが高かった。しかし、両者の摩擦係数に大きな差はなかった。摩耗深さについては、比較例2において積層構造としたことで皮膜に複数の界面が存在する結果、界面の影響で皮膜の靱性が低下して耐摩耗性にも影響したと考えられる。
【0077】
Tiを含みBを含まない第二層を有する皮膜を備える比較例3の試料は、比較例1および2の試料よりも低摩擦であり表面硬さも向上したが、耐摩耗性が低かった。比較例3における硬さの向上は、基材への低バイアス電圧印加時のTiCの形成によると考えられるが、TiCによる硬さの向上のみでは耐摩耗性の向上は見込めないことがわかった。
【0078】
比較例4および実施例1〜3の試料は、Cを主成分とし、TiおよびBを含む皮膜を備える。実施例1〜3の試料は、摩擦係数についてはDLC単層膜を備える比較例1の試料よりも低摩擦を示し、摩耗深さについてはいずれの比較例よりも耐摩耗性が大きく向上した。
【0079】
実施例1〜3の試料の表面硬さの向上は、高硬度の化合物であるTiCを含む第二層を有する皮膜を備えることに起因する。皮膜にTiが含まれることでTiCが形成され表面硬さが向上すると考えられるが、比較例4において皮膜の硬さが極端に低いのは、非晶質炭素を含む第一層の厚さ(T1)が、TiCを含む第二層の厚さ(T2)の2倍を越えるためである。つまり、硬い皮膜を得るためには、第二層を十分に形成してT1/T2の比を2以下、特に望ましくは1以下とすると効果的であり、耐摩耗性も大幅に向上すると考えられる。
【0080】
また、比較例4および実施例1〜3の試料では、TiとともにBを含むことで、耐摩耗性が向上した。これは、Bの存在により、第一層と第二層との界面の接着性が高まり、皮膜の靱性が向上したものと考えられる。なお、比較例3の試料において、摩擦摩耗試験後の皮膜表面に欠けが発生し、その欠けは界面から剥離して生じたことを確認した。特に、B含有量が3原子%以上では、第二層にTi−B−C層が十分な厚さで形成されて、耐摩耗性が大きく改善されることがわかった。
【0081】
摩擦係数の低減については、比較例3の摩擦摩耗試験結果からもわかるように、皮膜にTiが含まれることによる影響が大きい。Mo系エンジン油の存在下における摩擦低減メカニズムは、Mo系添加剤由来の成分が皮膜表面に吸着し、摺接面に層状化合物からなるMoS2膜が境界膜として形成されることで低摩擦が発現される。Mo系添加剤由来の成分は、炭化物に吸着しやすいため、TiCを含む第二層を有する皮膜を備える各実施例の試料は、Mo系エンジン油中で大変優れた摩擦摩耗特性を示した。
【0082】
なお、皮膜としてTiC膜(単層)を備える摺動部材においても、Mo系エンジン油の存在下で摺動させることにより、Mo系添加剤由来の成分がTiC膜の表面に吸着する。しかし、Mo系エンジン油に含まれる他の添加剤由来の成分もTiC膜の表面に吸着することがわかっている。その結果、摺接面に形成される境界膜が均一なMoS2膜ではなくなり、Ca、Zn、Pなどを含む膜が形成されることで低摩擦特性が発現しにくいと考えられる。各実施例では、皮膜を非晶質炭素を含む第一層とTiCを含む第二層との積層構造としたことで、摺動面に適度にTiCが存在することで低摩擦がもたらされると推測される。
【0083】
以上より、摺動部材の摩擦摩耗特性の向上には、Cを主成分としてTiおよびBをともに含むこと、さらに、非晶質炭素を含む第一層とTiCを含む第二層との積層構造をもつことが重要であることがわかった。
【0084】
さらに、実施例3の摺動部材は、エンジン油の種類に関わらず、低摩擦かつ高耐摩耗性を示すことがわかった。図5は、実施例3の摺動部材、比較例1の摺動部材および基材(SUS404C)の摩擦摩耗試験結果を示すグラフであるが、Mo系エンジン油に加え、異なる二種類の非Mo系エンジン油中でそれぞれ試験を行った結果である。基材および比較例1の摺動部材では、Mo系エンジン油中での耐摩耗性は低かった。一方、非Mo系エンジン油中では、耐摩耗性が向上する場合もあったが、摩擦係数が大きくなることがわかった。実施例3の摺動部材は、前述の通り、Mo系エンジン油中において低摩擦かつ高耐摩耗性を示す。そして、非Mo系エンジン油中でも、実施例3の摺動部材は、摩擦摩耗特性が大きく悪化することがないことがわかった。これは、皮膜の積層構造による耐摩耗性の向上に加え、皮膜がTiおよびBをともに含むことでTiおよびBとエンジン油中の各種添加剤との相互作用により低摩擦を促進する境界膜が形成されたためであると推測される。すなわち、本発明の摺動部材は、Moを含む潤滑剤ではもちろん、Mo含有量を低減させた潤滑剤を使用しても、低摩擦かつ高耐摩耗性を十分に示すことがわかった。
【技術分野】
【0001】
本発明は、潤滑油を用いた湿式条件下で主として使用される摺動部材に関するものである。
【背景技術】
【0002】
資源保護および環境問題などの観点から、エンジンを構成するピストン、動弁系部品などの摺動部材では、摩擦によるエネルギー損失をできるだけ低減することが要求される。このため、従来から、摺動部材の摩擦係数の低減、耐摩耗性の向上などを図るべく、その摺動面に種々の表面処理が施されてきた。なかでも、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)膜と呼ばれる非晶質硬質炭素膜は、摺動面の摺動性を高める皮膜として広く利用されている。
【0003】
DLC膜が元来有する特性を高める、さらには別の特性を付与することを目的として、たとえば、DLC膜への金属元素の添加、異なる性質の皮膜との積層化、などが行われている。DLC膜の積層化に関する文献として、特許文献1〜5が挙げられる。特許文献1〜5は、いずれも、低摩擦であるとともに耐摩耗性に優れた被覆膜を開示している。いずれの被覆膜も積層構造を有しており、たとえば、異なる性質のDLC膜を積層する、異なる元素を添加したDLC膜を積層する、DLC膜と他の化合物膜とを積層する、などにより積層構造を形成している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開平10−237627号公報
【特許文献2】特開2001−261318号公報
【特許文献3】特開2002−322555号公報
【特許文献4】特開2008− 81630号公報
【特許文献5】特開2002− 38255号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
たとえば、特許文献1には、少なくとも1種類以上の金属元素が添加された硬質炭素膜と、少なくとも1種類以上の金属、金属炭化物、金属窒化物または金属炭窒化物と、を繰り返し交互に積層した被覆層が、開示されている。具体的には、ホウ素添加の硬質炭素膜とケイ素添加の硬質炭素膜との交互積層膜、炭窒化チタンと硬質炭素膜との交互積層膜、タングステン添加の硬質炭素膜とホウ素添加の硬質炭素膜との交互積層膜、である。特許文献1では、潤滑油を使用しない無潤滑環境下での摺動を想定しているため、これらの積層膜を備える試料に対する摩耗試験に潤滑油は使用されていないと考えられる。積層膜に含まれる成分と潤滑油に含まれる成分との相互作用は、摩擦摩耗特性に大きく影響するが、引用文献1ではそのような相互作用が一切考慮されていないと言える。
【0006】
ちなみに、特許文献2、3および5にも積層膜が開示されているものの、これらの文献においても、潤滑油中での評価は行われていない。一方、特許文献4では、ジアルキルジチオカルバミン酸モリブデン(Mo−DTC)を含む潤滑剤を使用した摺動試験が実施されている。しかし、特許文献4に開示されている摺動部材が備える皮膜は、炭素および水素からなり他の元素を本質的に含まないDLCの多層膜である。そのため、皮膜への添加元素と潤滑油に含まれる成分との相互作用は考慮されていない。
【0007】
また、金属元素を含むDLC膜を備える従来の摺動部材の摩擦係数を低減させるには、Mo−DTCなどが添加されたモリブデンを含む潤滑油中での使用が前提となることが多い。しかしながら、モリブデンを含む潤滑油中での摺動は、DLC膜が酸化摩耗するため、モリブデンを含まない潤滑油中での摺動や無潤滑での摺動よりも、摩耗が促進される。さらに、重金属であるモリブデンを含む潤滑油の使用は、環境問題を引き起こす虞がある。そのため、モリブデンを含まない潤滑油中でも低摩擦係数を示す摺動部材が求められている。
【0008】
本発明は、潤滑油中において低摩擦かつ高耐摩耗性を示す新規の摺動部材を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者等は、チタンを添加したDLC膜(Ti−DLC膜)を備える摺動部材について研究を進めた結果、モリブデンを含む潤滑油中で摺動させることで、摩擦係数は低減されるが、摩耗が大きくなることに注目した。そこで、Ti−DLC膜の成膜において、硬質な化合物である炭化チタン(TiC)を積極的に形成させることで皮膜の硬さを向上させ、耐摩耗性の改善を試みた。その一方で、TiCが存在することに起因する種々の問題点を解決することで、以降に述べる発明を完成させるに至った。
【0010】
すなわち、本発明の摺動部材は、潤滑油の存在下で摺動される摺動面をもつ基材と、該摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜と、を備え、
前記皮膜は、炭素(C)、チタン(Ti)およびホウ素(B)を含み、非晶質炭素を主成分として含む第一層と、CおよびTiを主成分として含む第二層と、を繰り返し交互に積層してなり、硬さが18GPa以上であることを特徴とする。
【0011】
なお、皮膜の硬さは、株式会社東陽テクニカ製MTS、株式会社ハイジトロン製トライボスコープ等を用いたナノインデンター試験による測定値を採用する。
【0012】
本発明の摺動部材は、非晶質炭素を主成分として含む第一層と、CおよびTiを主成分として含む第二層と、を交互積層した皮膜を備える。第二層の主成分であるCおよびTiは、硬質な炭化物(TiC)を形成するため、皮膜の硬さが向上する。この第二層を、非晶質炭素を主成分として含む第一層と積層させることで、第二層だけでは不十分である摩擦低減効果が補われる。さらに、皮膜にBが含まれることで、第一層と第二層との密着性が高まり、皮膜の靱性が向上し、ひいては耐摩耗性の向上に繋がる。
【発明の効果】
【0013】
本発明の摺動部材は、潤滑油を用いた湿式条件下で低摩擦かつ高耐摩耗性を示す。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】本発明の摺動部材を模式的に示す断面図である。
【図2】本発明の摺動部材が備える皮膜を形成する成膜装置の一例を示す概略図である。
【図3】リング・オン・ブロック型摩擦試験機の概略図である。
【図4】摩擦試験の結果を示すグラフであって、種々の摺動部材の摩擦係数と摩耗深さを示す。
【図5】異なる種類の潤滑油を用いて行った摩擦試験の結果を示すグラフであって、種々の摺動部材の摩擦係数と摩耗深さを示す。
【図6】本発明の摺動部材が備える皮膜の断面観察結果を示す。
【図7】従来の摺動部材が備える皮膜の断面観察結果を示す。
【図8】本発明の摺動部材が備える皮膜のHAADF−STEM法によるHAADF像およびTEM−EDX分析による濃度プロファイルを示す。
【図9】本発明の摺動部材が備える皮膜のTEM−EELSによる線分析結果を示す。
【図10】本発明の摺動部材が備える皮膜の断面観察結果を示す。
【図11】本発明の比較例に相当する摺動部材が備える皮膜の断面観察結果を示す。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下に、本発明の摺動部材を実施するための最良の形態を説明する。なお、特に断らない限り、本明細書に記載された数値範囲「x〜y」は、下限xおよび上限yをその範囲に含む。そして、これらの上限値および下限値、ならびに実施例中に列記した数値も含めてそれらを任意に組み合わせることで数値範囲を構成し得る。
【0016】
本発明の摺動部材は、潤滑油の存在下で摺動される摺動面をもつ基材と、該摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜と、を備える。以下に、基材、皮膜および潤滑油について説明する。
【0017】
<基材>
基材の材質は、摺動部材として使用できれば特に限定されるものではない。金属、セラミックス、樹脂から選ばれる材料を用いればよい。たとえば、炭素鋼、合金鋼、鋳鉄、アルミニウム合金、チタン合金などの金属製基材、超鋼、アルミナ、窒化珪素などのセラミックス製基材、ポリイミド、ポリアミドなどの樹脂製基材、等が挙げられる。
【0018】
基材の表面粗さは、少なくとも皮膜が形成される表面において、JIS B 0031(1994)に規定の算術平均粗さ(Ra)で0.1μm以下さらには0.04μm以下、0.01μm以下とすることが好ましい。また、基材と皮膜との密着性の観点から、基材は、皮膜が固定される表面に窒化処理、微細凹凸形成、中間層形成、などの処理を基材の材質に応じて施してもよい。中間層の種類に特に限定はないが、たとえば、クロム層、チタン層、タングステン層、クロム化合物層、チタン化合物層、タングステン化合物層、クロム、チタンおよびタングステンのうちの二種以上を含む複合化合物層、などが挙げられる。中間層の構造は、単層構造であっても積層構造であってもよい。中間層が化合物からなる単層構造の場合には、厚さ方向のいずれの位置でも組成が一定である単一組成層、厚さ方向に組成が順次変化する傾斜組成層、であってもよい。中間層が積層構造である場合には、積層する各層の厚さおよび/または組成が互いに異なっていてもよいし、各層の厚さおよび/または組成を変化させて厚さ方向に組成を変化させてもよい。
【0019】
なお、皮膜が摺接する相手材は、炭素鋼、合金鋼、鋳鉄、アルミニウム合金、チタン合金などの金属、超硬合金、アルミナ、窒化珪素などのセラミックス、ポリイミド、ポリアミドなどの樹脂、等が好適である。また、相手材の表面にも、従来のDLC膜または以下に詳説する皮膜を形成すると、より摩擦係数が低減され好適である。
【0020】
<皮膜の構造>
皮膜は、第一層と第二層とを繰り返し交互に積層した構造を有する。皮膜の構造を、図1を用いて説明する。図1は、本発明の摺動部材を模式的に示す断面図である。摺動部材10は、前述の通り、摺動面をもつ基材2と、摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜1と、必要に応じて皮膜1と基材2との間に位置する中間層3と、を備える。皮膜は、炭素(C)、チタン(Ti)およびホウ素(B)を含む。
【0021】
皮膜10は、第一層11と第二層12とを繰り返し交互に積層した構造を有する。第一層11は非晶質炭素を主成分として含み、第二層12はCおよびTiを主成分として含む。そのためCは、皮膜10の全体に含まれるが、TiおよびBは、皮膜10の全体に含まれなくてもよい。Tiは、少なくとも第二層12に含まれ、第二層において炭化チタン(TiC)として存在するとよい。TiCは、ナノオーダーの微結晶であるのが好ましく、第二層12に均一に存在するとよい。この際、第二層12のマトリックスは、非晶質炭素からなるのが好ましい。Bは、互いに積層する第一層と第二層との密着性を向上させる元素である。そのため、Bは、少なくとも第一層と第二層との界面近傍に存在するとよい。具体的には、第二層は、C、TiおよびBを含むのが好ましく、第二層の少なくとも一方の表層(つまり、第二層のうち、第一層と第二層との界面部の少なくとも一方)に、B含有量が他の部分よりも高いTi−B−C層を有するとよい。
【0022】
第一層および第二層の厚さに特に限定はないが、第二層の厚さT2に対する第一層の厚さT1の比(T=T1/T2)が、0.3以上2以下であるのが好ましい。さらに好ましいTの値は、0.4以上さらには0.5以上、1.5以下さらには1以下である。Tが0.3以上であれば、第一層による摩擦低減効果が良好に得られるため好ましい。Tが2以下であれば、第二層による耐摩耗性の向上効果が良好に得られるため好ましい。また、一組の第一層および第二層からなる積層部の厚さは、10〜60nm、15〜45nmさらには20〜30nmであるとよい。T2のうち、Ti−B−C層の厚さは、1〜10nmさらには4〜6nmであるのが好ましい。Ti−B−C層の厚さが1nm以上であれば、皮膜の靱性向上効果が良好に得られるため好ましい。一方、10nmを越えるTi−B−C層を形成しても、第一層と第二層との密着性の大きな向上は望めず、そのような厚いTi−B−C層を形成することは技術的にも困難である。なお、Ti−B−C層の厚さ測定方法は、実施例の欄で述べる。
【0023】
皮膜は、第一層および第二層が合計で10〜1000層積層されてなるのが好ましい。また、耐久性の観点から、皮膜は厚い方が望ましいが、0.5〜7μmさらには1〜5μmとするとよい。
【0024】
なお、「第一層」および「第二層」との名称は、単に二つの層を区別するためだけに用いた名称である。そのため、基材に積層される順番に特に限定はなく、第二層から先に成膜しても構わない。しかし、中間層との密着性の観点から、基材または中間層の表面には、図1に示すように第一層を先に形成するのが望ましい。また、成膜の終了は、第一層であっても第二層であってもよい。しかし、摩擦摩耗特性の観点から、図1に示すように第二層が最表面に形成された状態とするのが望ましい。
【0025】
皮膜の表面粗さは、JIS B 0031(1994)に規定の算術平均粗さ(Ra)で0.1μm以下さらには0.07μm以下、0.04μm以下が好ましい。Raが1μmを超えると潤滑油による潤滑割合の増加は期待できず、摩擦係数を低減することが困難となる。
【0026】
皮膜の硬さは、18GPa以上である。好ましくは19GPa以上さらには20GPa以上である。しかし、皮膜が硬すぎても膜の割れおよび剥離の原因となるため、皮膜の硬さの上限を規定するのであれば、50GPa以下が好ましく、40GPa以下さらには35GPa以下であるとよい。
【0027】
<皮膜の組成>
皮膜は、皮膜全体を100原子%としたときに、Tiを6原子%以上40原子%以下、Bを2原子%以上30原子%以下含むとよい。
【0028】
Tiは、CとともにTiCを形成し、皮膜の硬さの向上に寄与する。また、添加剤成分としてモリブデンを含有する潤滑油中では、添加剤成分がTiCに吸着して、皮膜表面に層状化合物からなる硫化モリブデン(MoS2)膜が形成されることで低摩擦を発現する。Ti含有量が6原子%以上であれば、TiCが十分に形成されるため、摩擦摩耗特性の面から好ましい。皮膜の硬さの観点からは、Tiが多く含まれているのが好ましく、Ti含有量は、15原子%以上、18原子%以上さらには20原子%以上であるのが好ましい。Ti含有量が50原子%になると、理論的に皮膜がTiC膜となる。しかしTiCは、過剰に存在することで、潤滑油中のモリブデン系添加剤以外の他の添加剤成分をも吸着し、均一なMoS2膜の形成を阻害するため、摩擦低減の観点から好ましくない。そのためTi含有量は、40%を越えないようにするとよい。さらに好ましいTi含有量の上限は、35原子%以下、30原子%以下さらには25原子%以下である。
【0029】
Bは、積層構造の皮膜において問題となる層間の密着性を高める。また、モリブデンを含まない潤滑油中での摺動では、Bの存在によりモリブデン系添加剤以外の添加剤の吸着が積極的に行われると考えられ、モリブデンを含まない潤滑油においても低摩擦を発現することができる。B含有量が2原子%以上であれば、密着性の向上効果は見込めるが、さらに好ましくは2.5原子%以上さらには2.8原子%以上である。しかし、Bを過剰に含むとかえって層間の密着性が低下する。また、Bは、スパッタリングされにくい元素であるため、皮膜への多量の添加は困難である。そのため、B含有量は30原子%以下、20原子%以下、10原子%以下さらには5原子%以下であるのが好ましい。
【0030】
なお、皮膜は、耐食性、耐熱性などのさらなる特性を付与することを目的として、他の半導体および金属元素を含んでもよい。具体的には、Al、Mn、Mo、Si、Cr、W、V、Ni等である。ただし、これらの添加元素は、TiおよびBがもたらす摩擦摩耗特性に悪影響を与えない程度の添加量、具体的には20原子%未満さらには10原子%未満に規制する必要がある。
【0031】
また、皮膜全体を100原子%としたときに、2〜30原子%さらには5〜24原子%の水素(H)を含んでもよい。H含有量が少ないほど皮膜は硬くなるが、H含有量が2原子%未満の場合には、皮膜と基材との密着力および皮膜の靱性が低下する。そのため、H含有量を5原子%以上さらには7原子%以上とすると好適である。H含有量が30原子%を超えると、皮膜の硬さが軟質となり、耐摩耗性が低下する。そのため、H含有量を24原子%以下さらには20原子%以下とすると好適である。
【0032】
また、皮膜は、上記の改質元素以外に、不可避不純物として酸素(O)を含む場合がある。O含有量は、皮膜全体を100原子%としたときに、3原子%未満さらには1原子%未満に規制されるのが望ましい。酸素を多く添加すると皮膜のネットワーク構造が崩れるおそれがあり、その結果、皮膜の硬さが低くなり耐摩耗性を低下させる。
【0033】
<潤滑油>
本発明の摺動部材は、潤滑油を用いた湿式条件で使用される。潤滑油は、モリブデン(Mo)、硫黄(S)、リン(P)、亜鉛(Zn)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、ナトリウム(Na)、バリウム(Ba)および銅(Cu)等を含む。これらの元素は、ベース油に添加される添加剤に含まれる。主な添加剤としては、アルカリ土類金属系添加剤であるCa−スルホネート、Mg−スルホネート、Ba−スルホネート、Na−スルホネートなど、極圧添加剤であるりん酸エステル、亜りん酸エステル、ジアルキルジチオカルバミン酸モリブデン(Mo−DTC)、亜鉛ジアルキルジチオフォスフェート(Zn−DTP)など、が挙げられる。また、無灰分散剤であるコハク酸イミド、コハク酸エステルなど、上記の元素を含まない添加剤を含んでもよい。潤滑油は、本発明の摺動部材の摺動の際に、少なくともその摺動面に供給されればよい。
【0034】
具体的に規定するのであれば、潤滑油は、全体を100質量%としたときに、S、P、Zn、Ca、Mg、Na、BaおよびCuのうちの少なくとも一種を合計で300ppm(0.03質量%)以上含む一般的な潤滑剤であるとよい。
【0035】
なお、これらの元素は化合物の形態でベース油に添加されるが、本明細書に記載の含有量は、潤滑油全体を100質量%としたときに、それぞれの元素に換算した量とする。ベース油は、通常用いられる植物油、鉱油または合成油であればよい。また、本明細書において、モリブデンを含むMo系潤滑油とは、潤滑油全体を100質量%としたときに、Moを100ppm以上含む。しかし、本発明の摺動部材は、潤滑油全体を100質量%としたときに、Mo含有量が100ppm未満である潤滑油中でも、低摩擦かつ高耐摩耗性を示す。モリブデンを含まない非Mo系潤滑油には、潤滑油にMoが全く含まれない(0ppm)のが望ましいが、潤滑油全体を100質量%としたときに、10ppm以下であれば不可避不純物として許容される。
【0036】
なお、潤滑油に含まれる上記元素の含有量の上限に特に限定はなく、通常の潤滑油と同等であればよい。あえて規定するのであれば、Mo、S、P、Zn、Ca、Mg、Na、BaおよびCuのうちの少なくとも一種を合計で30,000ppm(3質量%)以下である。
【0037】
具体的には、潤滑油として、ATF(オートマチック・トランスミッションオイル)、CVTF(無段変速機オイル)、ギヤ油などの駆動系油、ガソリン、軽油などの燃料油、エンジン油などが挙げられる。これらの潤滑油を、本発明の摺動部材の用途に応じて使用すればよい。
【0038】
なお、本発明の摺動部材は、潤滑油中で既に説明した相手材と摺接させることを特徴とする摺動方法として捉えることも可能である。
【0039】
<摺動部材の製造方法>
先に説明した皮膜の成膜方法に特に限定はなく、各種成膜手法により成膜することが可能である。たとえば、物理蒸着法(PVD法)および化学蒸着法(CVD法)が挙げられ、具体的には、真空蒸着法、スパッタリング法、アンバランスドマグネトロンスパッタリング(UBMS)法、アークイオンプレーティング(AIP)法、分子線エピタキシー(MBE)法、熱CVD法、プラズマCVD法、あるいはこれらの成膜方法を二つ以上組み合わせて複合させた方法などが挙げられる。
【0040】
たとえば、UBMS法は、ターゲットに印加する磁場のバランスを意図的に崩して被処理体(基材)へのイオン入射を強めることができる。そのため、ターゲット蒸発面近傍から、基材の近傍に伸びる磁力線にトラップされた電子により、原料ガスのイオン化が促進されるとともに反応が進みやすくなる。加えて、基材に対して多くのイオンが入射するため、緻密な皮膜を効率よく成膜することができる。
【0041】
本発明の摺動部材をUBMS法により製造する際には、少なくともTi含有ターゲットおよびB含有ターゲットを用いる。C含有ターゲット、中間層の原料を含むターゲットなどを必要に応じて用いてもよい。なお、Ti含有ターゲット、B含有ターゲットおよびC含有ターゲットは、一つのターゲットで他のターゲットを兼ねてもよい。具体例には、純Ti、純B、TiC、TiB、B4C、TiBC等からなる各種ターゲットが挙げられる。これらのターゲットは、同じ反応容器内に配置されるとよい。さらに、処理ガスとして、スパッタガスとしての希ガスおよび反応ガスとしてのC含有ガスを、反応容器中に導入する。
【0042】
スパッタガスとしては、希ガスから選ばれる一種以上を用いればよく、たとえば、アルゴン(Ar)ガス、キセノン(Xe)ガス、ヘリウム(He)ガス、窒素(N2)ガスなどである。C含有ガスとしては、炭化水素ガスなどを用いることができ、たとえば、メタン(CH4)、アセチレン(C2H2)、ベンゼン(C6H6)などのうちの一種以上を用いるとよい。処理ガス圧やスパッタガスとC含有ガスとのガス流量比を適宜調整することで、皮膜に含まれるC、TiおよびBの割合を適宜調整することができる。
【0043】
本発明の摺動部材が備える皮膜は、前述の通り、TiCを含むのが好ましい。TiCの形成は、成膜温度に影響を受ける。通常、スパッタリングのエネルギーにより基材の表面温度は上昇するが、成膜温度を150℃以上さらには250〜350℃とすることで、TiCを含む硬い皮膜が得られやすい。なお、成膜温度は、成膜中の基材の表面温度であって、熱電対または放熱温度計により測定可能である。
【0044】
各ターゲットの駆動方式に特に限定はなく、直流、交流、高周波、パルス波、などのいずれであってもよい。ターゲットに印加する電力は、皮膜に含まれるTiおよびBの含有量に応じて適宜調節するのが望ましいが、具体的には、0kWを越え5.0kW以下の範囲内で用いるとよい。ターゲットに印加する電圧を変化させることで、所望の組成を有する第一層および第二層さらにはTi−B−C層の形成が可能となる。また、ターゲット表面の最大磁場強度は、0.1mT以上、さらには0.2mT〜2.0mTであるとよい。
【0045】
また、成膜される皮膜の硬さは、基材へのイオンの入射エネルギーを決める基材のバイアス電圧に影響を受ける。基材にバイアス電圧が印加されることで、硬質なTiCが形成されやすくなる。それに加えて、基材表面に堆積する非晶質炭素も緻密となり、皮膜の硬さが向上(たとえば18GPa以上)する。5V以上500V未満の負のバイアス電圧を基材に印加して成膜を行った場合には、UBMSによるイオン打ち込みの効果が発揮される。一方、500V以上1200V以下の負のバイアス電圧を基材に印加して成膜を行った場合には、基材表面でC含有ガスが分解反応を起こし、プラズマCVD法による非晶質炭素膜の形成が可能となる。したがって、基材に皮膜を形成する際には、第一層の形成には500V以上1200V以下、第二層の形成には5V以上500V未満、の範囲で基材に負のバイアス電圧を印加するのが最適である。
【0046】
ここまで、UBMS法による本発明の摺動部材の製造方法を説明したが、本発明の摺動部材として好ましい前述の構造の皮膜が形成可能な方法であれば、成膜方法に特に限定はない。
【0047】
以上、本発明の摺動部材の実施形態を説明したが、本発明は、上記実施形態に限定されるものではない。本発明の要旨を逸脱しない範囲において、当業者が行い得る変更、改良等を施した種々の形態にて実施することができる。
【実施例】
【0048】
以下に、本発明の摺動部材の実施例を挙げて、本発明を具体的に説明する。
【0049】
上記実施形態に基づいて、基材の表面に種々の皮膜を形成し、実施例および比較例の摺動部材を作製した。そして、それぞれの摺動部材について、皮膜の構造観察、皮膜の組成分析、および摩擦摩耗特性の評価を行った。摺動部材の製造方法について説明する。
【0050】
<基材>
鋼材(マルテンサイト系ステンレス鋼:SUS440C)製の基材を準備した。基材は、寸法:6.3mm×15.7mm×10.1mm、表面硬さ:Hv650、表面粗さ:Raで0.011μm(JISに規定の十点平均粗さ(Rz)で0.1μm)であった。
【0051】
<摺動部材の作製>
基材の表面に、アンバランスドマグネトロンスパッタリング装置(株式会社神戸製鋼所製UBMS504)を用い、種々の皮膜を成膜した。装置の模式図を図2に示した。装置20は、容器21、容器21の中央部において複数の基材Sを回転可能に保持する基台22および基台22の周囲に配設されターゲットを載置可能な4つのマグネトロン23を備える。
【0052】
容器21は、円筒形で、上部に2つのガス導入管21aおよび下部にガス導出管21bを備える。2つのガス導入管21aは、バルブ(図略)を介して各種ガスボンベ(図略)にそれぞれ接続される。ガス導出管21bは、バルブ(図略)を介してターボ分子ポンプ(図略)およびロータリーポンプ(図略)に接続される。また、4つのマグネトロン23は、容器21の内壁に周方向に等間隔に配設されている。
【0053】
基台22は、直流パルス電源に接続されており、必要に応じてバイアス電圧が基材Sに印加される。基台22は、容器21の中央で自転するとともに、基材Sを保持するそれぞれの治具も自転する。そのため、基台22に保持された全ての基材Sの表面に対して、均一に成膜することができる。
【0054】
装置20に付属の4つのマグネトロン23のうちの3つに、純チタン(Ti)ターゲット、その正面にB供給源としての炭化ホウ素(B4C)ターゲット、および中間層の形成に用いる純クロム(Cr)ターゲットを、それぞれ一つずつ載置した。ターゲットには、それぞれ独立して電力を印加することができる。
【0055】
試料作製の際には、上記の複数の基材Sを基台22に保持させた。成膜中には、基台22が回転することで、各ターゲットの表面と基材Sの成膜面とが向かい合う。このとき、基材の表面からターゲットの表面までの距離は最短で150mmであった。
【0056】
《中間層の形成》はじめに、容器21を3×10−3Paまで排気した。次に、ガス導入管21aからアルゴン(Ar)ガスを導入して、容器内のガス圧を0.4Paとした。装置20に付属の電源装置により、Crターゲットに3.0kW印加してCrターゲットをArガスでスパッタし、Crターゲットをプラズマ放電させ、基材Sの表面にCr膜を形成した。さらに、ガス導入管21aからアセチレン(C2H2)ガスを導入し、Cr膜の表面にCr−C系膜を形成した。この際、アセチレンガスの流量を0から15sccmに漸次増加させることで、Cr−C系膜の膜表面側のC濃度が最も高くなるように厚さ方向にC濃度を傾斜させた。こうして、合計の厚さが厚さ0.6μm程度の中間層を形成した。
【0057】
《皮膜の形成》中間層の形成を終了した後、ArガスおよびC2H2ガスを導入して、容器内のガス圧を0.5Paとした。次に、装置に付属の電源装置により、TiターゲットおよびB4Cターゲットに所定の電力を印加して、各ターゲットをプラズマ放電させた。その間、基材Sには、基台22に接続された直流パルス電源により負のバイアス電圧を印加した。本実施例では、はじめに1000Vのバイアス電圧を所定の時間印加し、第一層を形成した。次に、基材Sに印加するバイアス電圧を1000Vから100Vに切り替えることで、第二層を形成した。所定の時間の後、再び、基材Sに印加するバイアス電圧を1000Vに切り替えて、第二層の表面に別の第一層を形成した。このような間欠的なバイアス電圧の切り替えを複数回行うことで、中間層の表面に第一層と第二層とが繰り返し交互に積層した1.5〜3μmの厚さの積層膜を形成した。
【0058】
具体的には、表1に示す成膜時間の通りにバイアス電圧の切り替えを交互に行い、七種類の試料(摺動部材)を得た。皮膜に含まれるTiおよびBの量、ならびにTi−B−C層の厚さは、バイアス電圧の切り替えと同時にターゲットに印加する電力を0〜5.0kWの範囲で調整することで変化させた。成膜中の基材Sの表面温度は、いずれの場合も300℃であった。
【0059】
なお、比較例1は、積層構造をもたない単層の非晶質炭素膜(DLC単層膜)を有する試料である。DLC単層膜は、Arガスとメタンガスとを同時に導入した容器21内でマグネトロン23に載置された純Cターゲットをプラズマ放電させ、バイアス電圧を100Vのままで成膜した。
【0060】
<皮膜の組成分析および皮膜の硬さ測定>
上記手順で得られた試料について、皮膜全体の膜組成を分析、および皮膜の硬さ測定を行った。結果を表1に示した。膜組成は、電子プローブ微小部分析法(EPMA:加速電圧10kV、分析面領域100μm、にて分析)、X線光電子分光法(XPS)、オージェ電子分光法(AES)、ラザフォード後方散乱法(RBS)により定量した。皮膜の硬さは、ナノインデンター試験機(株式会社東陽テクニカ製MTS)により試料の表面硬さを測定した測定値から算出した。なお、残部はCを主成分とし、H(1〜30原子%程度)および不可避不純物としてのO(3原子%未満)などを含む。
【0061】
【表1】
【0062】
<摩擦摩耗特性の評価>
上記の手順で得られた試料をブロック試験片として用い、リング・オン・ブロック試験を行った。図3に、リング・オン・ブロック型摩擦試験機(FALEX社製LFW−1)の概略図を示す。図3に示すように、リング・オン・ブロック型摩擦試験機30は、ブロック試験片31と、相手材となるリング試験片32とから構成される。ブロック試験片31とリング試験片32とは、ブロック試験片31に形成された皮膜31fとリング試験片32とが当接する状態で設置される。リング試験片32はオイルバス33中に回転可能に設置される。本試験では、リング試験片32として、本摩擦試験機30の標準試験片であるS−10リング試験片(材質:SAE4620スチール浸炭処理材、形状:φ35mm、幅8.8mm、表面粗さ:Rzで1.3μm、FALEX社製)を用いた。また、オイルバス33には、80℃に加熱保持したモリブデン系添加剤含有エンジン油(Mo系エンジン油、粘度グレード:0W−20)を用いた。このMo系エンジン油中には、添加剤としてMo−DTP、Mo−DTCなどを含み、油中金属成分の分析結果および潤滑油メーカーの配合データから、エンジン油を100質量%としたとき、元素に換算して、Moを0.01質量%(100ppm)以上、Mo以外の元素(具体的にはCa、Zn、S、P)を合計で0.05質量%(500ppm)以上含むことを確認した。
【0063】
摩擦試験は、まず、無負荷の状態で、リング試験片32を回転させた。次いで、ブロック試験片31の上から300Nの荷重(ヘルツ面圧310MPa)をかけ、ブロック試験片31に対してリング試験片32を摺動速度0.3m/sで摺動させた。ここで、ヘルツ面圧とは、ブロック試験片20とリング試験片21との接触部の弾性変形を考慮した実面圧の最大値である。30分間摺動させた後、摩擦摩耗特性を測定した。測定した摩擦摩耗特性は、それぞれのブロック試験片31とリング試験片32との間の摩擦係数、それぞれのブロック試験片31の最大摩耗深さ、である。測定結果を表2に示した。
【0064】
なお、実施例3および比較例1で作製した試料については、上記のMo系エンジン油のかわりに、Mo系エンジン油よりもモリブデン系添加剤の含有量が少ない非Mo系エンジン油IまたはMoをほとんど含まない非Mo系エンジン油II(いずれも粘度グレード:0W−20)を用いて、上記と同様のリング・オン・ブロック試験を行った。結果を表3および図5に示した。表3に示した「基材のみ」の結果は、中間層も皮膜も形成していない基材そのもの(SUS440C)について同様のリング・オン・ブロック試験を行った結果である。
【0065】
【表2】
【0066】
【表3】
【0067】
<皮膜の断面観察>
各実施例において形成された皮膜が積層構造であることを確認するために、透過電子顕微鏡(TEM)を用いて皮膜の断面を観察した。実施例1および比較例2の試料から断面観察用の薄片状試料を作製し、TEMで観察した結果を図6および図7に示した。なお、皮膜の表面に見られる組織(図6および図7の写真上側)は、薄片状試料作製のために形成されたアルミニウム保護膜である。
【0068】
実施例1の試料の観察結果(図6)では、明暗がはっきりと区別できる二種類の層が積層してなる積層構造が皮膜に確認された。制限視野回折像(図示せず)によれば、明るく見える層からの回折図形は非晶質炭素のハローであった。また、暗く見える層からの回折図形は5nm程度のTiCの微結晶の存在を示した。つまり、実施例1の試料は、非晶質炭素を含む第一層とTiCを含む第二層との異なる二種類の層が周期的に繰り返し交互に積層した積層構造をもつ異種積層膜を備えることがわかった。なお、実施例1〜3ではターゲットに印加する電圧を変更した他は同様の手順で皮膜を成膜しているため、実施例2および3の皮膜も第一層と第二層との異種積層膜であることは明らかである。
【0069】
一方、比較例2の試料の観察結果(図7)では、皮膜に縞模様が観察されたものの暗く見える層の存在は確認できなかった。そして、制限視野回折像(図示せず)によれば、皮膜のいずれの位置においても非晶質炭素のハローを示す回折図形しか得られなかった。したがって、比較例2の試料は、積層構造ではあっても同種の層が複数積層された、膜全体が非晶質炭素からなる皮膜を備えることがわかった。
【0070】
また、実施例1については、エネルギー分散型X線分光法(EDX)を用いて、皮膜の組成分析を行った。図8に、高角度散乱環状暗視野走査透過顕微鏡法(HAADF−STEM法)によるHAADF像およびTEM−EDX分析による濃度プロファイルを示した。濃度プロファイルには、HAADF像での分析方向および位置1〜4を示した。なお、HAADF像は、明視野像(たとえば図6、7、10および図11)のコントラストとは逆になる。
【0071】
位置1は、HAADF像において最も暗く見える層(つまり非晶質炭素を含む第一層)に位置し、この付近では主としてCを含み、微量のTiと、さらに微量のBと、を含むことがEDX分析からわかった。位置3は、HAADF像において最も明るく見える層(つまりTiを多く含む第二層)に位置し、この付近では同程度の量のCおよびTiと、微量のBと、を含むことがEDX分析からわかった。位置2および位置4は、どちらも第一層と第二層との境界付近に位置し、いずれにおいても、CおよびTiと、微量のBと、を含むことがEDX分析からわかった。しかし、位置2の付近では、位置4の付近よりも、多くのBが検出された。つまり、Bは、第二層の厚さ方向において、基材側よりも膜表面側が高濃度となるような濃度傾斜を有することがわかった。特に、第二層のうち膜表面側に位置する部位には、Bが濃化して存在するTi−B−C層の形成が確認された。
【0072】
次に、実施例1について、第一層および第二層の膜厚を測定した。また、第二層については、第二層においてBが濃化して存在するTi−B−C層の膜厚も測定した。膜厚の測定は、EDX分析結果に基づき、TEM写真上にて複数箇所を実測して行った。たとえば、図10は、実施例1の薄片状試料をTEMにより高倍率で断面観察した結果である。第一層と第二層との一方の境界は、明るく見える層と暗く見える層との境界が図10より明確に判別できる。第一層と第二層との他方の境界は、Ti−B−C層の存在によりTEM像だけでは不明確であるため、EDX分析の濃度プロファイル(図8)およびTEMに組み合わせた電子エネルギー損失分光法(EELS、図9)から規定した。すなわち、EDX分析の濃度プロファイルにおいても、TEM−EELSによる線分析においても、Bのスペクトルが明確に検出された範囲をTi−B−C層として測定した。図9に記載の1〜4の番号は、それぞれ図8に記載の位置1〜4に相当する。たとえば、図9のEELS線分析より、位置3ではBが検出されたが、位置2ではBは検出されなかった。つまり、本実施例では、EDX分析の濃度プロファイルにおいてBのカウント数(縦軸)が30×104以上である領域(図8に示したB検出領域)が、Ti−B−C層であるとした。膜厚の測定結果を表4および表5に示した。なお、表4において、「T1」は第一層の厚さ、「T2」は第二層の厚さ、(ともに単位はnm)であって、T2に対するT1の比「T1/T2」を積層膜厚比とした。
【0073】
同様な測定を、比較例4の試料についても行った。比較例4の薄片状試料をTEMにより高倍率で断面観察した結果を図11に、膜厚の測定結果を表4に、それぞれ示した。また、比較例3の試料の製造方法において、B4Cターゲットに所定の電力を印加して成膜を行うことで微量のBを皮膜中に添加した比較例3’を作製し、上記と同様にしてTi−B−C層の厚さを測定した。結果を表5に示した。
【0074】
【表4】
【0075】
【表5】
【0076】
比較例1の試料は、単層のDLC膜を備える。比較例2の試料は、積層構造のDLC膜であって、成膜時に基材に印加するバイアス電圧が異なる二種類のDLC層が複数積層した構造の皮膜を備える。つまり、比較例2の試料は、高いバイアス電圧を印加して形成された高密度のDLC層を含むDLC膜を備えるため、比較例1の試料よりも表面硬さが高かった。しかし、両者の摩擦係数に大きな差はなかった。摩耗深さについては、比較例2において積層構造としたことで皮膜に複数の界面が存在する結果、界面の影響で皮膜の靱性が低下して耐摩耗性にも影響したと考えられる。
【0077】
Tiを含みBを含まない第二層を有する皮膜を備える比較例3の試料は、比較例1および2の試料よりも低摩擦であり表面硬さも向上したが、耐摩耗性が低かった。比較例3における硬さの向上は、基材への低バイアス電圧印加時のTiCの形成によると考えられるが、TiCによる硬さの向上のみでは耐摩耗性の向上は見込めないことがわかった。
【0078】
比較例4および実施例1〜3の試料は、Cを主成分とし、TiおよびBを含む皮膜を備える。実施例1〜3の試料は、摩擦係数についてはDLC単層膜を備える比較例1の試料よりも低摩擦を示し、摩耗深さについてはいずれの比較例よりも耐摩耗性が大きく向上した。
【0079】
実施例1〜3の試料の表面硬さの向上は、高硬度の化合物であるTiCを含む第二層を有する皮膜を備えることに起因する。皮膜にTiが含まれることでTiCが形成され表面硬さが向上すると考えられるが、比較例4において皮膜の硬さが極端に低いのは、非晶質炭素を含む第一層の厚さ(T1)が、TiCを含む第二層の厚さ(T2)の2倍を越えるためである。つまり、硬い皮膜を得るためには、第二層を十分に形成してT1/T2の比を2以下、特に望ましくは1以下とすると効果的であり、耐摩耗性も大幅に向上すると考えられる。
【0080】
また、比較例4および実施例1〜3の試料では、TiとともにBを含むことで、耐摩耗性が向上した。これは、Bの存在により、第一層と第二層との界面の接着性が高まり、皮膜の靱性が向上したものと考えられる。なお、比較例3の試料において、摩擦摩耗試験後の皮膜表面に欠けが発生し、その欠けは界面から剥離して生じたことを確認した。特に、B含有量が3原子%以上では、第二層にTi−B−C層が十分な厚さで形成されて、耐摩耗性が大きく改善されることがわかった。
【0081】
摩擦係数の低減については、比較例3の摩擦摩耗試験結果からもわかるように、皮膜にTiが含まれることによる影響が大きい。Mo系エンジン油の存在下における摩擦低減メカニズムは、Mo系添加剤由来の成分が皮膜表面に吸着し、摺接面に層状化合物からなるMoS2膜が境界膜として形成されることで低摩擦が発現される。Mo系添加剤由来の成分は、炭化物に吸着しやすいため、TiCを含む第二層を有する皮膜を備える各実施例の試料は、Mo系エンジン油中で大変優れた摩擦摩耗特性を示した。
【0082】
なお、皮膜としてTiC膜(単層)を備える摺動部材においても、Mo系エンジン油の存在下で摺動させることにより、Mo系添加剤由来の成分がTiC膜の表面に吸着する。しかし、Mo系エンジン油に含まれる他の添加剤由来の成分もTiC膜の表面に吸着することがわかっている。その結果、摺接面に形成される境界膜が均一なMoS2膜ではなくなり、Ca、Zn、Pなどを含む膜が形成されることで低摩擦特性が発現しにくいと考えられる。各実施例では、皮膜を非晶質炭素を含む第一層とTiCを含む第二層との積層構造としたことで、摺動面に適度にTiCが存在することで低摩擦がもたらされると推測される。
【0083】
以上より、摺動部材の摩擦摩耗特性の向上には、Cを主成分としてTiおよびBをともに含むこと、さらに、非晶質炭素を含む第一層とTiCを含む第二層との積層構造をもつことが重要であることがわかった。
【0084】
さらに、実施例3の摺動部材は、エンジン油の種類に関わらず、低摩擦かつ高耐摩耗性を示すことがわかった。図5は、実施例3の摺動部材、比較例1の摺動部材および基材(SUS404C)の摩擦摩耗試験結果を示すグラフであるが、Mo系エンジン油に加え、異なる二種類の非Mo系エンジン油中でそれぞれ試験を行った結果である。基材および比較例1の摺動部材では、Mo系エンジン油中での耐摩耗性は低かった。一方、非Mo系エンジン油中では、耐摩耗性が向上する場合もあったが、摩擦係数が大きくなることがわかった。実施例3の摺動部材は、前述の通り、Mo系エンジン油中において低摩擦かつ高耐摩耗性を示す。そして、非Mo系エンジン油中でも、実施例3の摺動部材は、摩擦摩耗特性が大きく悪化することがないことがわかった。これは、皮膜の積層構造による耐摩耗性の向上に加え、皮膜がTiおよびBをともに含むことでTiおよびBとエンジン油中の各種添加剤との相互作用により低摩擦を促進する境界膜が形成されたためであると推測される。すなわち、本発明の摺動部材は、Moを含む潤滑剤ではもちろん、Mo含有量を低減させた潤滑剤を使用しても、低摩擦かつ高耐摩耗性を十分に示すことがわかった。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
潤滑油の存在下で摺動される摺動面をもつ基材と、該摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜と、を備え、
前記皮膜は、炭素(C)、チタン(Ti)およびホウ素(B)を含み、非晶質炭素を主成分として含む第一層と、CおよびTiを主成分として含む第二層と、を繰り返し交互に積層してなり、硬さが18GPa以上であることを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
前記第二層は、炭化チタン(TiC)を含む請求項1記載の摺動部材。
【請求項3】
前記第二層は、C、TiおよびBを含み、該第二層と前記第一層との界面部の少なくとも一方にB含有量が他の部分よりも高いTi−B−C層を有する請求項1記載の摺動部材。
【請求項4】
前記Ti−B−C層の厚さは、1〜10nmである請求項3記載の摺動部材。
【請求項5】
前記第二層の厚さT2に対する前記第一層の厚さT1の比(T=T1/T2)が、0.3以上2以下である請求項1〜4のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項6】
前記皮膜は、一組の前記第一層および前記第二層からなる積層部の厚さが10〜60nmであって、該第一層および該第二層が合計で10〜1000層積層されてなる請求項1〜5のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項7】
前記基材は、前記皮膜を固定される表面にクロム(Cr)を含む中間層を有する請求項1〜6のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項8】
前記皮膜は、該皮膜全体を100原子%としたときに、Tiを6原子%以上40原子%以下、Bを2原子%以上30原子%以下含む請求項1〜7のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項9】
前記潤滑油は、エンジン油である請求項1〜8のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項10】
前記潤滑油は、全体を100質量%としたときに、硫黄(S)、リン(P)、亜鉛(Zn)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、ナトリウム(Na)、バリウム(Ba)および銅(Cu)のうちの少なくとも一種を合計で300ppm以上含む請求項1〜9のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項11】
前記潤滑油は、全体を100質量%としたときに、モリブデン(Mo)を100ppm以上含む請求項1〜10のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項12】
前記潤滑油は、全体を100質量%としたときに、モリブデン(Mo)含有量が10ppm以下である請求項1〜10のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項1】
潤滑油の存在下で摺動される摺動面をもつ基材と、該摺動面の少なくとも一部に固定した皮膜と、を備え、
前記皮膜は、炭素(C)、チタン(Ti)およびホウ素(B)を含み、非晶質炭素を主成分として含む第一層と、CおよびTiを主成分として含む第二層と、を繰り返し交互に積層してなり、硬さが18GPa以上であることを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
前記第二層は、炭化チタン(TiC)を含む請求項1記載の摺動部材。
【請求項3】
前記第二層は、C、TiおよびBを含み、該第二層と前記第一層との界面部の少なくとも一方にB含有量が他の部分よりも高いTi−B−C層を有する請求項1記載の摺動部材。
【請求項4】
前記Ti−B−C層の厚さは、1〜10nmである請求項3記載の摺動部材。
【請求項5】
前記第二層の厚さT2に対する前記第一層の厚さT1の比(T=T1/T2)が、0.3以上2以下である請求項1〜4のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項6】
前記皮膜は、一組の前記第一層および前記第二層からなる積層部の厚さが10〜60nmであって、該第一層および該第二層が合計で10〜1000層積層されてなる請求項1〜5のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項7】
前記基材は、前記皮膜を固定される表面にクロム(Cr)を含む中間層を有する請求項1〜6のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項8】
前記皮膜は、該皮膜全体を100原子%としたときに、Tiを6原子%以上40原子%以下、Bを2原子%以上30原子%以下含む請求項1〜7のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項9】
前記潤滑油は、エンジン油である請求項1〜8のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項10】
前記潤滑油は、全体を100質量%としたときに、硫黄(S)、リン(P)、亜鉛(Zn)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、ナトリウム(Na)、バリウム(Ba)および銅(Cu)のうちの少なくとも一種を合計で300ppm以上含む請求項1〜9のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項11】
前記潤滑油は、全体を100質量%としたときに、モリブデン(Mo)を100ppm以上含む請求項1〜10のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項12】
前記潤滑油は、全体を100質量%としたときに、モリブデン(Mo)含有量が10ppm以下である請求項1〜10のいずれかに記載の摺動部材。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【公開番号】特開2012−224888(P2012−224888A)
【公開日】平成24年11月15日(2012.11.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−91450(P2011−91450)
【出願日】平成23年4月15日(2011.4.15)
【出願人】(000003609)株式会社豊田中央研究所 (4,200)
【出願人】(000003207)トヨタ自動車株式会社 (59,920)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成24年11月15日(2012.11.15)
【国際特許分類】
【出願日】平成23年4月15日(2011.4.15)
【出願人】(000003609)株式会社豊田中央研究所 (4,200)
【出願人】(000003207)トヨタ自動車株式会社 (59,920)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】
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