説明

硬質炭素被膜

【課題】摩擦係数の一層の低減を図ると共に、簡便なプロセスで製造することができ、効果の発揮される潤滑油の種類の制約も少ない硬質炭素被膜を提供する。
【解決手段】少なくとも相手材との摺動部位に硬質炭素被膜を備えた摺動部材の上記硬質炭素被膜中に、コバルト及びニッケルの一方又は両方を含有させ、その含有量を合計で1.4原子%以上39原子%以下の範囲とし、さらにコバルトおよびニッケルの凝集体のうち、径5nmを超えるものの割合を一定以下に抑制する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、低摩擦特性に優れた硬質炭素被膜に係わり、特にエンジンオイル、トラスミッションオイル等の潤滑剤中で使用するのに適した低摩擦な硬質炭素被膜に関するものである。
【背景技術】
【0002】
硬質炭素被膜は、アモルファス状の炭素あるいは水素化炭素から成る膜であって、a−C:H(アモルファスカーボンまたは水素化アモルファスカーボン)、i−C(アイカーボン)、DLC(ダイヤモンドライクカーボンまたはディーエルシー)などとも呼ばれている。
【0003】
このような硬質炭素被膜を形成するには、炭化水素ガスをプラズマ分解して成膜するプラズマCVD法、あるいは炭素や炭化水素イオンを用いるイオンビーム蒸着法などの気相合成法が用いられる。この硬質炭素被膜は高硬度で表面が平滑であり耐摩耗性に優れ、さらにはその固体潤滑性から摩擦係数が低く、優れた摺動特性を有している。
【0004】
例えば、通常の平滑な鋼材表面の無潤滑下での摩擦係数が0.5〜1.0であるのに対して、硬質炭素被膜においては、無潤滑下での摩擦係数が0.1程度である。
【0005】
硬質炭素被膜は、上記のような優れた特性を活かし、ドリルの刃を始めとする切削工具や研削工具等の加工工具や、塑性加工用金型、バルブコックやキャプスタンローラのような無潤滑下での摺動部品等に応用されている。
【0006】
一方、潤滑油中で摺動する内燃機関などの機械部品においても、エネルギー消費や環境問題の面から、できるだけ機械的損失を低減したいという要望があり、摩擦損失の大きい摺動条件の厳しい部位への硬質炭素被膜の適用が検討されており、摺動部材に硬質炭素被膜を設けると共に、その組成や表面状態を制御し、無潤滑状態だけでなく潤滑油が十分に存在する条件下でも摩擦係数を下げる試みがいくつかなされている。
【0007】
例えば、このような硬質炭素被膜にIVa、Va、VIa族元素及びSiのうちの1種以上を添加する方法が示されており、この方法によりこれら元素を加えない場合に比べ摩擦係数が低減している(特許文献1参照)。
【0008】
また、このような硬質炭素被膜にAgのクラスターを設ける方法も示されている(特許文献2参照)。
【0009】
この他、このような硬質炭素被膜に適宜の金属元素を加えた上、さらに膜中の酸素の含有量を制御することで低い摩擦係数を得ている(特許文献3参照)。
【0010】
さらに、別の面の技術課題として、このような摺動部材を用いる場合に、相手材の摩耗を抑制したいという要求も当然ながら存在し、この要求も対する解決策としては、摺動部材の表面層を相対的に軟らかい含水素炭素膜で構成し、摩擦低減のために当該含水素炭素膜にV、Cr、Zr、Nb、Ta、Mo、W、Pd、Pt、Ti、Al、Pb、Siのいずれかの元素を加える方法がある(例えば、特許文献4参照)。
【特許文献1】特開2003−247060号公報
【特許文献2】特開2004−099963号公報
【特許文献3】特開2004−115826号公報
【特許文献4】特開2003−027214号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
しかしながら、上記特許文献1に記載の方法では、測定方法の違いの影響はあるもののモータリング試験での摩擦係数である0.06から、もう一段の摩擦係数低減が望まれている。また、特許文献2に記載の方法においても、摩擦係数を往復動試験によって測定しているので、直接の比較はできないが、摩擦係数は最小で0.04であり、同様にもう一段の摩擦係数低減が望まれる。また、当該硬質炭素被膜の上に、大きさや数を制御してAgクラスターを設ける必要があることから、プロセス制御の点で煩雑な面がある。
【0012】
さらに、上記特許文献3では、金属元素の含有量と、酸素の含有量の双方を制御する必要があることから、より簡便なプロセスが望まれている。また、この場合、潤滑油中にモリブデンジチオカーバメイト(MoDTC)のような極圧添加剤が必要なため、効果を発揮できる潤滑油の種類が限られるという問題があった。
【0013】
また、相手材の摩耗抑制対策として、上記特許文献4に記載の方法においては、含水素炭素膜の潤滑油中での摩擦係数は、水素を実質的に含まない炭素膜の摩擦係数に比べて全般に高く(例えば、特開2000−297373号公報参照)、含水素炭素膜であることに起因して生じる不利を特定の金属元素を添加することによって抑えたとしても、摩擦係数の低減効果が限定的となる懸念が残る。
【0014】
本発明は、上記の課題に鑑み、摩擦係数の一層の低減を図ると共に、簡便なプロセスで製造することができ、効果の発揮される潤滑油の種類の制約も少ない硬質炭素被膜を提供することを目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本発明者らは、上記目的を達成すべく、硬質炭素被膜の種類や成膜方法、さらには硬質炭素被膜に、添加成分として金属元素などのドーピングを施す方法などについて鋭意検討を重ねた結果、コバルトやニッケルのドーピングが低摩擦特性に有効であることを見出した。併せて、これら特性を最大限に引き出すための被膜の微細構造について特に綿密な検討を行うことにより、本発明を完成するに至った。
【0016】
すなわち、本発明は上記知見に基づくものであって、本発明の硬質炭素被膜は、少なくとも相手材との摺動部位に硬質炭素被膜を備えた摺動部材における上記硬質炭素被膜中に、コバルト(Co)及びニッケル(Ni)の一方又は両方の元素を合計で1.4原子%以上39原子%以下含んでいることを特徴としており、特に自動車用のエンジンオイルやトラスミッションオイル等の潤滑剤中において好適に用いることができる。
【0017】
コバルト及び/又はニッケルの添加量の特に好ましい範囲として、3原子%以上20原子%以下、その中でも特に好ましい範囲として6原子%以上16原子%以下を挙げることができる。コバルト及び/又はニッケルの添加量を上述の範囲に制御することにより、さらに低い摩擦係数が得られる。
さらに発明者らは詳細な検討の結果、膜内の金属凝集体の生成を抑えることが、摩擦係数低減効果をより大きく引き出す上で有用であることを明らかにした。凝集体は大きなものから小さなものまで寸法に分布を有するが、摩擦係数に影響を及ぼす凝集体、すなわち生成を抑制すべき凝集体は、直径で5nmを超える凝集体であることを明らかにし、本発明を完成させるに至った。
【発明の効果】
【0018】
本発明の硬質炭素被膜においては、膜中にコバルト及び/又はニッケルを添加し、その添加量の範囲(両方を添加した場合にはその合計量)をまず最適化した。加えて被膜の構造、より詳しくは添加した金属に起因する凝集体の存在形態を規定したことから、摩擦係数を大幅に低減することができる。
【0019】
本発明に係る硬質炭素被膜は、潤滑剤中で使用した場合にその効果が特に大きく得られる。潤滑剤としては特に、添加剤を含有するものが好ましく、より詳しくは該添加剤が、その分子内に水酸基を有することが好ましい。後述するように分子内の水酸基が、本発明に係る硬質炭素被膜の表面に吸着し、相手材との直接接触を緩和する作用があると推定されるためである。
【発明を実施するための最良の形態】
【0020】
以下、本発明の硬質炭素被膜について、さらに詳細に説明する。
【0021】
本発明の硬質炭素被膜は、上記したように、合計で1.4原子%以上39原子%以下のコバルト及び/又はニッケルを含有するものであるが、当該硬質炭素被膜がコバルトやニッケルを含有することによって、低い摩擦係数を示す理由については、現時点で以下のように推測している。
【0022】
すなわち、被膜中にコバルトやニッケルを添加したことによって、硬質炭素被膜の表面が潤滑剤中の基剤(基油)成分やこれに含まれる添加剤成分を吸着する能力が向上し、表面にこれら基油や添加剤から成る薄い膜が形成される。これによって面圧が高い、あるいは摺動速度が遅い条件、いわゆる境界潤滑条件においても、形成された膜が相手材との直接接蝕を防ぐという機構によって低い摩擦係数が発現するものと考えられる。
【0023】
このとき、コバルトやニッケルは、硬質炭素被漠の表面から深部までの全てに均等に含有させる必要は、必ずしもなく、少なくとも摺動する表面及び摩耗による減りしろに相当する部分まで含有させることで十分である。また初期なじみなどを目的として、コバルトやニッケルを特に含まない犠牲層を設けるような変形も可能である。
【0024】
コバルトやニッケルの添加量については、合計で1.4原子%未満では上記の吸着効果が十分に発揮されない。吸着の効果を十分に得るためにはできれば3原子%以上、より好ましくは6原子%のコバルトおよび/またはニッケルを添加するとよい。
一方、コバルトおよびニッケルの添加量が合計で39原子%を超えた場合には、推測ではあるが炭素原子のネットワーク構造がコバルトやニッケル原子が存在することによって乱されるために、硬質炭素被膜が本来有する低摩擦性能や硬さが損なわれることになる。このため添加量は39原子%以下、好ましくは20原子%以下、より好ましくは16原子%以下に留めるのがよい。
【0025】
この場合の低摩擦化機構であるが、詳細に言えば、添加したコバルトまたはニッケルが直接低摩擦化に寄与しているのでなく、周囲の炭素原子にコバルトやニッケルが量子力学的な作用を及ぼし、これにより炭素原子の添加剤吸着能が向上していると推測される。よって添加したコバルトやニッケル原子と、被膜の主要相である炭素原子とが隣接する機会をなるべく多くすることが望ましい。
【0026】
換言すれば、コバルトやニッケルは極力小さいクラスター、究極的には単一の原子の状態で、母相中に均一に分散していることが好ましい。逆に言えば添加したコバルトやニッケルが凝集体の状態で存在することは、周囲の炭素原子と接触する機会が減るので、添加効果が小さくなるので好ましくない。
【0027】
またコバルトやニッケルが凝集体の状態で存在する場合、その周囲の炭素が本来のアモルファスでなくグラファイトとなっている箇所が多く見られた。低摩擦を目的とした硬質炭素被膜においては、グラファイト成分が多くなることは一般に好ましくないとされており、この観点からも凝集体の生成は抑制することが望ましい。
【0028】
発明者らは種々の実験を繰り返し、摩擦係数に影響を及ぼし始める凝集体のサイズとして、直径5nmという値を見出した。凝集体の存在は上述のようになるべく減らすことが好ましいが、その中でも直径5nm以上の凝集体については特に抑制することが望ましい。この直径5nm以上の凝集体の存在比は、後ほど実施例中で示す方法で定量した際に40面積%以下、好ましくは12面積%以下とする。もちろん少なければ少ないほどよい。
【0029】
またコバルトやニッケルの被膜中への添加量がもともと少ない場合、凝集体の存在量を上記の比率以下に抑制したとしても、母相中に均一に分散すべきコバルト原子やニッケル原子が、より大きな割合で減少し摩擦低減効果が小さくなる。そこで凝集体の存在比は、添加したコバルト及びニッケルの合計量に対しても、一定以下の割合に抑制することが好ましい。これについては凝集体の存在比をX%とし、膜中のコバルト及びニッケルの合計量をY原子%としたときに、X<4Yの関係を満たすように、凝集体の存在量を抑制することが望ましい。
【0030】
凝集体の生成を抑制するには、成長速度を下げたり、成膜時の基板バイアス電圧を下げたり、基材の温度を低く保ったりといった手段がある。もちろんこれらに限らず適宜の方法を使うことができる。また成膜原理として、アークイオンプレーティング法よりはスパッタリング法の方が、凝集体抑制においては有利である。ただしスパッタリング法でも条件によっては凝集体が発生するので、プロセス条件の適切な設定が重要であることは言うまでもない。
【0031】
本発明の硬質炭素被膜は、潤滑剤を用いない条件、すなわち、いわゆるドライ条件でも用いることができるが、上記の説明のように、潤滑剤の基剤(基油)や添加剤との吸着が摩擦係数低下の本質であることから、潤滑剤中で用いることでその効果がより一層発揮される。したがって、潤滑剤中で用いることが好ましい。
【0032】
この場合の潤滑剤には添加剤を有するものを用いることができる。より詳しくは添加剤の分子が分子内に水酸基を有していることが好ましい。添加剤分子の硬質炭素被膜表面への吸着の良否は、分子が有する官能基によって左右されるが、好ましい官能基として水酸基を挙げることができる。添加剤の一分子内に有する官能基の数が多いほど、硬質炭素被膜に強固に吸着することができるため、摩擦係数低減の上で有利になる。ただし水酸基の数が多すぎる場合は基油成分と分離することもあるので、部品の使用状況(主に温度)に応じて適宜の添加剤を選ぶとよい。
【0033】
潤滑剤としては、自動車用のエンジン油を用いることもできる。特に、上述のように添加剤として、分子内に水酸基を有する添加剤を加えた自動車用エンジン油は好ましい潤滑剤の一つとなる。この場合の添加剤の一例として、脂肪酸のモノグリセリドが挙げられる。ただしこれに限定されないことは当然である。
【0034】
また、このような潤滑材中で低い摩擦係数を得るためには、被膜中の水素原子の量を減らすことが好ましく、その具体的範囲としては6原子%以下、さらには1原子%以下とすることが望ましい。水素量が少ないほど添加剤の吸着が容易になるためと考えられる。
【0035】
なお、このような水素含有量の低い硬質炭素被膜は、例えばスパッタリング法やイオンプレーティング法など、水素や水素含有化合物を実質的に使用しないPVD法(物理気相堆積法)によって成膜することによって得ることができる。スパッタリング法においては雰囲気ガスに炭化水素ガスを加えることもできるが、本発明においては炭化水素ガスは加えないことが望ましい。
【0036】
成膜をPVD法により行い、炭素源にもグラファイトなど炭化水素を含まないものを用い、雰囲気に炭化水素系ガスを加えなかった場合は通常、膜内の水素含有量は1原子%以下に抑えられる。
【実施例】
【0037】
以下、本発明の実施例を比較例と併せ説明する。なお、本発明の請求項を満たす形であれば、必ずしも以下の実施形態によらなくてよいことは当然である。
【0038】
(実施例1)
基材として浸炭鋼(日本工業規格 SCM415)から成る直径30mm、厚さ3mmの円板を準備し、その表面をRa0.020μmに超仕上げ加工したのち、マグネトロンスパッタリング(MS)法により、この基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
【0039】
スパッタリングのターゲットには、グラファイトからなる半径80mmの円板を用い、この炭素ターゲット上に、金属コバルトの板を置くことによって炭素のスパッタリングと同時に、硬質炭素被膜中に一定量のコバルトが含まれるようにした。このとき、コバルトの板を半径80mm、頂角7.5°の扇形形状とし、コバルト板がターゲット全体の1/48を占めるようにした。また、スパッタリングの雰囲気ガスにはアルゴンを用いた。成膜時、基板にかけるバイアス電圧は40ボルト、プラズマ励起のための励振電力は200Wに設定した。
【0040】
プロセス時間については、予備実験で求めた成膜レートから計算した。予備実験ではコバルト板なしに、炭素ターゲットのみで上記と同条件で成膜した。予備実験の結果、成膜レートは毎時0.31μmと求められた。このレートを元に、成膜は3時間の間行った。成膜終了後に測定した表面粗さは、Ra 0.022であった。
【0041】
次いで、得られた硬質炭素被膜について膜中の元素の分析を行った。
【0042】
コバルトについては、X線光電子分光法(XPS)を用い、アルゴンガスで表面からエッチングしながら深さプロファイルを測定した。試料表面から5nm、10nm、15nmの3点でコバルト濃度を測定し、それらの平均をもって膜中の平均含有量とした。測定の結果、コバルト含有量は14原子%であった。
【0043】
さらに、当該の試料について凝集体の評価を行った。
【0044】
凝集体の観察は透過型電子顕微鏡によった。凝集体の寸法が十分に大きい場合は走査型電子顕微鏡での観察も可能であるが、5nm程度となると透過型電子顕微鏡を用いることとなる。本分析においては高分解能透過型電子顕微鏡を、加速電圧300kVで用いた。
【0045】
透過型電子顕微鏡像において、添加した金属元素(ここではコバルトまたはニッケル)は密度が大きいため黒く映る。これに対し母相である炭素アモルファスは密度が小さいため白く映る。このため透過型電子顕微鏡像において、両者を識別することは一般に容易である。図2に、透過型電子顕微鏡で観察される画像を模式的に示す。
【0046】
透過型電子顕微鏡はその原理からして、試料内の金属凝集体が透過像として映る。従って透過型電子顕微鏡像で金属凝集体が占めている面積比は一般に、被膜中の金属凝集体の体積比とは一致しない。発明の本質は金属凝集体の体積比を一定以下に抑制することであるが、それを定量することは一般に困難である。そこで本発明においては、透過型電子顕微鏡像上において、金属凝集体が映ることでなる黒色部分の面積比をもって、凝集体の存在量を定量することとする。
【0047】
この場合当然ながら、試料が厚くなればなるほど透過して観察される金属凝集体の量は多くなるから、試料の厚みは一定にして定量しなくてはならない。本発明での分析では図1に示すように、収束イオンビーム法(FIB法)により、基材と垂直に(成長方向と平行に)試料を厚さ100nmで切り出し、常にこの厚さ100nmの試料において金属凝集体の観察を行った。倍率は200万倍に設定した。
【0048】
また観察の視野が小さいと統計的な変動の影響を受けるので、本発明での分析では250nm×250nmの範囲を撮影した上で分析した。
【0049】
金属に限らず凝集体は、その表面エネルギーを最小にしようとする。表面エネルギーが等方的であれば凝集体は球となり、その投影像あるいは透過像は円となる。しかし実際には凝集体は球から外れた形状をしており、透過像は完全な円とはならない。この場合に凝集体の大きさをどう評価するかという問題があるが、本発明での分析ではいわゆる等価円直径の考え方を用いる。
【0050】
等価円直径であるが、単一連結で周囲が閉じた、面積Sの2次元図形に対し、同じ面積Sを有する円の直径として定義される。すなわちSを円周率πで除し、その商の平方根をとり、さらに2を掛ければ等価円直径となる。そして、この等価円直径が5nmを超える凝集体の抑制が重要であることは、既に述べたとおりである。
【0051】
また本発明に係る分析では透過型電子顕微鏡で観察しているので、2以上の凝集体が重なって観察されることがある。ほぼ球形の粒子が2以上、ずれた位置で重なっている場合、透過像は図3のような亜鈴形状となる。この場合は2箇所のくびれの部分を直線で2つの領域に分割し(図中のS1、S2)、それぞれの領域に対し等価円直径を定義する。重なりがある分、等価円直径は実際の凝集体の直径より小さく算出されるが、その影響も織り込んだ上で「等価円直径で5nm」を基準とする。上記の方法で凝集体の存在量を調べた結果、20%であった。
【0052】
次に、摩擦特性の評価法について述べる。当該試料について、ボールオンディスク法による摩擦特性の評価を行った。試験に際して、潤滑剤として自動車用エンジン油5W−30SLを用いた。
【0053】
試料をこのエンジン油中で回転させ、軸受鋼(日本工業規格 SUJ2)から成る直径4mmのボールを押し当て、このボールを保持しているアームにかかるトルクを測定することにより摩擦係数を計算した。摺動痕の直径は10mm、油温は80℃とした。また、上記ボールにかけた垂直荷重は6Nである。なお、ボールは固定しており、摺動によって転がることのないようにした。摺動速度は毎秒3cmとした。
【0054】
摩擦係数の算出については、摺動開始直後のなじみ効果を考慮して、試験開始から5分経過した時点の測定値をもって、その材料の摩擦係数とみなした。本例の硬質炭素被膜の摩擦係数は、0.022であった。
【0055】
(実施例2)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
【0056】
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角5°の扇形状の金属コバルトの板を置いた。成長速度については実施例1で見積もった結果をそのまま用い、全部で3時間の成膜を行った。基板バイアス電圧は40V、プラズマ励振電力は200Wとした。
【0057】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.021μmであった。実施例1と同様の方法で膜の分析を行った結果、コバルト量は8原子%、凝集体量は11面積%であった。摩擦係数は0.016であった。
【0058】
(実施例3)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
【0059】
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角2.5°の扇形状の金属コバルトの板を置いた。成長速度については実施例1で見積もった結果をそのまま用い、全部で3時間の成膜を行った。基板バイアス電圧は40V、プラズマ励振電力は200Wとした。
【0060】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.018μmであった。実施例1と同様の方法で膜の分析を行った結果、コバルト量は3原子%、凝集体量は5面積%であった。摩擦係数は0.017であった。
【0061】
(実施例4)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
【0062】
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角15°の扇形状の金属コバルトの板を置いた。成長速度については実施例1で見積もった結果をそのまま用い、全部で3時間の成膜を行った。基板バイアス電圧は40V、プラズマ励振電力は200Wとした。
【0063】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.014μmであった。実施例1と同様の方法で膜の分析を行った結果、コバルト量は26原子%、凝集体量は38面積%であった。摩擦係数は0.030であった。
【0064】
(実施例5)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
【0065】
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角7.5°の扇形状の金属ニッケルの板を置いた。成長速度については実施例1で見積もった結果をそのまま用い、全部で3時間の成膜を行った。基板バイアス電圧は40V、プラズマ励振電力は200Wとした。
【0066】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.018μmであった。実施例1と同様の方法で膜の分析を行った結果、ニッケル量は11原子%、凝集体量は20面積%であった。摩擦係数は0.027であった。
【0067】
(実施例6)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
【0068】
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角2.5°の扇形状の金属ニッケルの板を置いた。ただし基板に加えるバイアス電圧を100Vに上げた。成長速度については実施例1と同様にニッケル板なしの予備実験から毎時0.38μmと見積もった。成膜は全部で3時間行った。プラズマ励振電力は200Wとした。
【0069】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.017μmであった。実施例1と同様の方法で膜の分析を行った結果、ニッケル量は2原子%、凝集体量は9面積%であった。摩擦係数は0.029であった。
【0070】
(実施例7)
上記実施例1と同バッチで作製した試料を、異なる潤滑剤中で評価した。コバルト含有量、凝集体量、表面粗さといった値は実施例1と同じとみなした(別個の測定は行っていない)。
【0071】
潤滑剤にはポリアルファオレフィン(PAO)に、グリセリンモノオレイト(GMO)を1体積%外掛けで添加し、十分に攪拌した上で用いた。それ以外の摩擦試験の条件は実施例1と同じである。摩擦係数は0.011であった。
【0072】
(実施例8)
実施例7に引き続き、実施例1と同バッチで作製した試料を、異なる潤滑剤中で評価した。コバルト含有量、凝集体量、表面粗さといった値は実施例1と同じとみなした(別個の測定は行っていない)。
【0073】
潤滑剤にはエンジン油5W30SLに、グリセリンモノオレイト(GMO)を1体積%外掛けで添加し、十分に攪拌した上で用いた。それ以外の摩擦試験の条件は実施例1と同じである。摩擦係数は0.014であった。
【0074】
(実施例9)
実施例7および8に引き続き、実施例1と同バッチで作製した試料を、異なる潤滑剤中で評価した。コバルト含有量、凝集体量、表面粗さといった値は実施例1と同じとみなした(別個の測定は行っていない)。
【0075】
潤滑剤にはポリアルファオレフィン(PAO)に、グリセリンジオレイト(GDO)を1体積%外掛けで添加し、十分に攪拌した上で用いた。それ以外の摩擦試験の条件は実施例1と同じである。摩擦係数は0.013であった。
【0076】
(実施例10)
実施例10ではアークイオンプレーティング法(AIP)を用いて成膜を行った。基板は実施例1と同規格の、鋼製円板を用いた。蒸発源は炭素とし、これにコバルト粉末を予め混合しておき、放電により炭素と同時に基材に照射することで、膜への金属添加を行った。基板のバイアス電圧は80Vとした。
【0077】
成長速度は実施例1と同様、予備実験を行って求めた。ただしこの際の蒸発源には本実験と同じ、コバルト入りのターゲットを用いた。求められた成膜速度は毎時0.47μmであった。この結果を受け、本実験では2時間の成膜を行うこととした。
【0078】
成膜後の試料は表面を軽くラッピングし、その上で表面粗さを測定した。結果はRa 0.031であった。このほか実施例1と同じ方法でコバルト含有量、凝集体量の定量を行った。それぞれ9原子%、24面積%であった。マグネトロンスパッタリング法と比べると、コバルト含有量に対し凝集体量がやや多めであった。
【0079】
摩擦特性の評価は実施例1と同様、エンジン油5W30SL中で行った。摩擦係数は0.025であった。
【0080】
(比較例1)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
【0081】
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角7.5°の扇形状の金属コバルトの板を置いた。基板バイアス電圧は100Vとし、プラズマ励振電力は200Wとした。成長速度については実施例6の予備実験の結果をそのまま用いた。成膜時間は3時間とした。
【0082】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.019μmであった。実施例1と同様の方法で膜の分析を行った結果、コバルト量は15原子%、凝集体量は43面積%であった。摩擦係数は0.053であった。
【0083】
(比較例2)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
【0084】
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角7.5°の扇形状の金属コバルトの板を置いた。基板バイアス電圧は40Vとし、プラズマ励振電力は600Wとした。成長速度については実施例1と同様にコバルト板なしでの予備実験を行い、毎時0.67μmと求めた。成長レートが大きかったため成膜時間は1.5時間とした。
【0085】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.034μmであった。実施例1と同様の方法で膜の分析を行った結果、コバルト量は14原子%、凝集体量は55面積%であった。摩擦係数は0.069であった。
【0086】
(比較例3)
実施例10と同様にアークイオンプレーティング法(AIP)を用いて成膜を行った。基板は実施例1と同規格の、鋼製円板を用いた。蒸発源は炭素とし、これにコバルト粉末を予め混合しておく方法で、膜へのドープを行った。ただし基板のバイアス電圧を120Vに上げた。バイアス電圧以外の条件は実施例10と同じである。成膜レートは実施例10と同様の方法で予備実験を行い、毎時0.59μmと求められた。これをもとに成膜時間を1時間40分に設定した。
【0087】
成膜後の試料は表面を軽くラッピングし、その上で表面粗さを測定した。結果はRa 0.035であった。このほか実施例1と同じ方法でコバルト含有量、凝集体量の定量を行った。それぞれ7原子%、42面積%であった。実施例10と比べて凝集体の量が多くなった。
【0088】
摩擦特性の評価は実施例1と同様、エンジン油5W30SL中で行った。摩擦係数は0.047であった。
【0089】
表1〜3に、各実施例および各比較例の結果を示す。
【0090】
【表1】

【0091】
【表2】

【0092】
【表3】

【0093】
表1〜3の結果から明らかなように、コバルトやニッケルを含みながらも、凝集体の発生量が多い比較例1ないし3の硬質炭素被膜においては、摩擦係数が高くなった。
【0094】
これに対しコバルトやニッケルを添加した上で、凝集体の量を一定水準以下に抑制した実施例では、いずれも低い摩擦係数を示した。またその中でも凝集体の量を12面積%以下に抑えたり、凝集体の量を、膜中の金属含有量に対し一定以下に抑えたりした場合には特に低い摩擦係数が得られた。
【0095】
また潤滑剤としては自動車用エンジン油のほか、分子中に水酸基を有する化合物を添加剤として添加した際には低い摩擦係数が得られ、また分子内に有する水酸基の数が多いほどその効果は大きくなった。
【0096】
本発明において特に好ましい実施例として、エンジン油中において摩擦係数の低い実施例2が挙げられる。
【図面の簡単な説明】
【0097】
【図1】凝集体の観察を行うための試料を、FIB法で切り出す状況を示した模式図である。
【図2】透過型電子顕微鏡で観察される典型的構造の模式図である。
【図3】凝集体が亜鈴形状で観察された場合、凝集体の寸法を定量する方法を示した図である。
【符号の説明】
【0098】
1 薄膜
2 観察用試料
3 母相(主にアモルファス炭素からなるが、均質に分布した添加金属をも含む)
4 凝集体
5 分割前の亜鈴形状の輪郭線
6 分割線

【特許請求の範囲】
【請求項1】
非晶質炭素を主成分とする被膜であって、被膜中にコバルトおよび/またはニッケルを合計で1.4原子%以上39原子%以下含有し、
被膜断面を透過型電子顕微鏡で観察した際に、該被膜中に生じるコバルト凝集体およびニッケル凝集体のうち、透過型電子顕微鏡像上で等価円直径が5nmを超える凝集体の占める領域が、面積比で40%以下であることを特徴とする、硬質炭素被膜。
【請求項2】
被膜断面を透過型電子顕微鏡で観察した際に、該被膜中に生じるコバルト凝集体およびニッケル凝集体のうち、透過型電子顕微鏡像上で等価円直径が5nmを超える凝集体の占める領域が、面積比で12%以下であることを特徴とする、請求項1に記載の硬質炭素被膜。
【請求項3】
被膜断面を透過型電子顕微鏡で観察した際に、該被膜中に生じるコバルト凝集体およびニッケル凝集体のうち、透過型電子顕微鏡像上で等価円直径が5nmを超える凝集体の占める領域の面積比をX%とし、コバルトおよび/またはニッケルの合計含有量をY%(原子比)としたとき、X<4Yの関係を満たすことを特徴とする、請求項1または2に記載の硬質炭素被膜。
【請求項4】
潤滑剤中で使用されることを特徴とする、請求項1〜3のいずれか1項に記載の硬質炭素被膜。
【請求項5】
前記潤滑剤が添加剤を含有しており、該添加剤は分子内に水酸基を有することを特徴とする、請求項4に記載の硬質炭素被膜
【請求項6】
前記潤滑剤が自動車用エンジン油であることを特徴とする、請求項4または5に記載の硬質炭素被膜。
【請求項7】
請求項1〜6項のいずれか1項に記載の硬質炭素被膜を備えたことを特徴とする、硬質炭素被膜摺動部材。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2007−291430(P2007−291430A)
【公開日】平成19年11月8日(2007.11.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−119116(P2006−119116)
【出願日】平成18年4月24日(2006.4.24)
【出願人】(000003997)日産自動車株式会社 (16,386)
【Fターム(参考)】