説明

硬質皮膜被覆金型及びその製造方法

【課題】物理蒸着法による酸化物の上層と窒酸化物の下層との密着性及び上層の耐焼き付き性及び耐かじり性に優れた硬質被膜被覆金型を提供することである。
【解決手段】金型基体直上に、金属元素としてAlとCrを必須構成元素とする窒酸化物の下層と、金属元素としてAlとCrを必須構成元素とする酸化物の上層とを、物理蒸着法により被覆した硬質被膜被覆金型において、該酸化物の上層はα型結晶構造を有し、X線回折強度比TC(110)が1.3以上であることを特徴とする硬質被膜被覆金型。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、金型基体上に、物理蒸着法により、硬質皮膜のAlCr酸窒化物の下層とAlCr酸化物の上層とを被覆して構成され、前記上層が平滑であり、前記の下層と上層との密着性、耐熱性及び摺動特性に優れた新規で高性能な硬質皮膜被覆金型に関する。
また本発明は新規で高性能な前記硬質皮膜金型を製造する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
摺動部材や金型へはCrNやTiNなどのコーティングが用いられていたが、近年になってダイヤモンドライクカーボン(DLC)が普及してきている。平滑な表面が得易く、摩擦特性も優れることから摺動部材などへのコーティングとして有用だからである。しかし、炭素系皮膜では鉄系材料との摺動特性の向上を得難く、適用分野に制限があることから、かかるCrNやTiNなどに代わる摺動特性に優れたコーティング皮膜の研究開発が従来から行われている。
【0003】
特許文献1は、クロム含有量が5原子%より多い実質的に(Al,Cr)結晶体よりなる硬質層を形成した工作物などを開示している。この文献では、アルミニウムにクロムを加えるという非常に簡単な対策によって、従来高温のCVD法でしか得られない前記組成の結晶質硬質層を1000℃未満の成膜温度で得た。
【0004】
特許文献2は、AlCrON硬質皮膜上にコランダム型構造の(Al0.5Cr0.5皮膜を被覆した多層構造の皮膜システムを開示している(表6のNo.93、95を参照)。
【0005】
特許文献3にはAlCr酸窒化物の硬質皮膜を被覆した被覆金型に関する技術が開示されている。
【0006】
特許文献4にはAlCr酸化物を被覆したダイカスト用被覆金型に関する技術が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特許第3323534号公報
【特許文献2】特表2010−506049号公報
【特許文献3】特許第4471580号公報
【特許文献4】特開2010−58135号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明者の検討によると、物理蒸着法による特許文献1のAlCr酸化物皮膜は等価X線回折強度比TC(110)は1.3未満であることから、膜の密着性に劣り、容易に膜の剥離を生ずることがわかった。即ち、特許文献1のAlCr酸化物皮膜を構成するAlCr酸化物結晶粒は脱落を生じやすく、金型用途では焼付きやかじりが発生し易いという問題がある。
【0009】
特許文献2の段落61には、「AlCr(50/50)ターゲットをターンオンした後5分で、酸素の導入が開始される。当該酸素は10分以内に50sccmから1000sccmになるように設定されている。同時にTiAl(50/50)ターゲットはターンオフされ、窒素(N)は約100sccmに戻される。」と記載されている。更に、表7には具体的な成膜時の酸素(O)ガス流量及び窒素(N)ガス流量が開示されている。
しかし、本発明者によるトレース実験(後述の比較例9)によると、本発明に係るAlCr酸窒化物層(硬質層)の成膜は困難であった。
【0010】
金型の使用状況としても、環境負荷を考慮した使用法も進められており、離型材の使用を削減することや、使用自体を無くす試みもある。そのため、焼き付き、かじりなどによる皮膜の損傷・剥離の発生も課題となっている。そのため、金型に用いられる皮膜には、耐摩耗性以外にも優れた密着性・耐焼付き性・かじり性が要求されるようになってきている。
【0011】
特許文献3に開示されているのはAlとCrを必須構成元素とするAlCr酸窒化膜のみであって、更にその上にTC(110)が1.3以上のAlCr酸化膜をいわゆるエピタキシャル成長により被覆したものではない。
【0012】
特許文献4が開示しているのは、Cr酸化物とAlCr酸化物の積層構造にすることで、コランダム構造の酸化物を容易に形成せしめ、耐摩耗性と耐焼付き性を向上させることにとどまる。即ち、AlCr酸窒化物下層上にAlCr酸化物上層をいわゆるエピタキシャル成長により被覆したものではない。
【0013】
本発明は上記従来の問題を解決することを目的とし、上層表面が平滑であり、耐摩耗性に優れ、摩擦係数が低く摺動特性に優れ、密着性に優れた新規で高性能な硬質皮膜被覆金型を提供するものである。
また本発明の目的は、前記硬質皮膜金型の製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明の硬質皮膜被覆金型は、基体上に硬質の下層及び上層を物理蒸着法により形成したもので、
前記下層は、金属元素としてAlとCrを必須とする酸窒化物からなり、酸素濃度が前記下層側から前記上層側にかけて増加するとともに窒素濃度が前記下層側から前記上層側にかけて減少する傾斜組成を有し、その平均組成が一般式:(AlCr(N(ただし、s及びtはAlとCrの原子比率を表す数字であり、v及びwはNとOの原子比率を表す数字であり、a及びbはAlCrとNOの原子比率を表わす数字であり、下記条件:
s=0.1〜0.6、
s+t=1、
v=0.1〜0.8、
v+w=1、
a=0.35〜0.6、及び
a+b=1を満たす。)により表され、
前記上層は、一般式:(AlCr(ただし、x及びyはAl及びCrの原子比率を表わす数字であり、c及びdはAlCrとOの原子比率を表わす数字であり、x=0.1〜0.6、x+y=1、c=1.86〜2.14、及びd=2.79〜3.21の条件を満たす。)により表される組成、及びα型結晶構造を有し、等価X線回折強度比TC(110)が1.3以上の酸化物からなり、
前記下層の結晶格子縞と前記上層の結晶格子縞とが両者の界面において少なくとも部分的に連続していることを特徴とする。
かかる特徴を有する本発明の硬質皮膜被覆金型は従来のものに比べて高性能である。
【0015】
前記下層及び上層はいずれも物理蒸着法により形成され、残留圧縮応力を有するのが好ましい。
【0016】
前記上層は等価X線回折強度比TC(110)が等価X線回折強度比TC(104)より大きく、表面粗さRaが0.2μm以下であり、ドロップレットの表面占有面積率が20%以下であるのが好ましい。
【0017】
前記上層の厚さ(Tl)は0.1〜4μmで、前記上層の厚さ(Tu)は0.2〜8μmで、Tl≦Tuの関係を満たすのが好ましい。
【0018】
前記下層の前記傾斜組成において、酸素濃度の前記基体側から前記上層側にかけての平均勾配は10〜600原子%/μmであるのが好ましい。
【0019】
前記下層の前記傾斜組成において、窒素濃度の前記基体側から前記上層側にかけての平均勾配は−650〜−10原子%/μmであるのが好ましい。
【0020】
上記硬質皮膜被覆金型を製造する本発明の方法は、(1)前記下層の成膜開始から終了までの間、反応ガスとして供給する酸素ガスの流量を600sccm以下まで増大させるとともに、窒素ガスの流量を減少させ、その際、成膜開始時点における窒素ガス流量を400sccm以上とし、窒素ガス流量が酸素ガス流量より50sccm以上多い時間を1分以上とし、かつ成膜雰囲気の圧力を0.3〜7Paとし、(2)前記上層の成膜温度を590〜700℃にするとともに、前記上層の成膜中の酸素ガスの流量を100〜600sccmにして成膜雰囲気中の酸素分圧を0.5〜5Paに制御し、かつ前記上層の成膜時に前記基体に印加するバイアス電圧を−35V〜−10Vにすることを特徴とする。
【0021】
上記方法において、ドロップレットの生成を防止するために、上層成膜中の酸素ガスの流量を200〜500sccmに制御するのが好ましい。
【0022】
上記方法において、前記下層の成膜終了時に前記上層用の酸素ガス流量に達しているのが好ましい。
【発明の効果】
【0023】
物理蒸着法によるAlCr酸窒化物の下層上に物理蒸着法によるAlCr酸化物上層をエピタキシャル成長させるとともに、上層のAlCr酸化物結晶粒の結晶配向:TC(110)を1.3以上になるように制御したことにより、従来の物理蒸着法によるAlCr酸化物皮膜被覆金型に比べて格段に高性能な硬質皮膜被覆金型及びその製造方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【図1】 本発明に使用し得るAIP装置の一例を示す概略図である。
【図2】 実施例1における下層及び上層の成膜工程において、酸素ガス、窒素ガス及びArガスの流量変化を示すグラフである。
【図3】 実施例1の上層のX線回折パターンを示すグラフである。
【図4】 実施例1の下層における酸素濃度分布及び窒素濃度分布を示すグラフである。
【図5】 実施例1の硬質皮膜被覆金型における上層と上層の界面領域を示す模式図である。
【図6】 実施例1の上層表面を示す走査型電子顕微鏡写真である。
【図7】 比較例6の上層表面を示す走査型電子顕微鏡写真である。
【図8】 実施例6における下層及び上層の成膜工程において、酸素ガス、窒素ガス及びArガスの流量変化を示すグラフである。
【図9】 実施例12における下層び上層の成膜工程において、酸素ガス、窒素ガス及びArガスの流量変化を示すグラフである。
【図10】 実施例12の下層における酸素濃度分布及び窒素濃度分布を示すグラフである。
【図11】 比較例7における下層、下層及び上層の成膜工程において、酸素ガス及び窒素ガスの流量変化を示すグラフである。
【図12】 比較例7の下層における酸素濃度分布及び窒素濃度分布を示すグラフである。
【図13】 比較例9における下層及び上層の成膜工程において、酸素ガス及び窒素ガスの流量変化を示すグラフである。
【図14】 実施例及び比較例の硬質皮膜被覆金型のTC(110)と金型寿命との関係を示すグラフである。
【図15】 金型寿命の測定に使用した、本発明の硬質皮膜被覆金型の一実施例を示す模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0025】
[1]硬質皮膜被覆金型
(A)基体
本発明の硬質皮膜被覆金型の基体用材料として、超硬合金、立方晶窒化ホウ素(CBN)、高速度鋼、金型鋼、サーメット又はセラミックス等が好適であり,特に超硬合金が好適である。
【0026】
(B)下層
(1)平均組成
物理蒸着法により基体上に形成する下層は、金属元素としてAl及びCrを必須とする酸窒化物の硬質皮膜である。下層の平均組成は、一般式:(AlCr(N(ただし、s及びtはAlとCrの原子比率を表わす数字であり、v及びwはNとOの原子比率を表わす数字であり、a及びbはAlCrとNOの原子比率を表わす数字であり、それぞれ、
s=0.1〜0.6、
s+t=1、
v=0.1〜0.8、
v+w=1、
a=0.35〜0.6、
及びa+b=1の条件を満たす。)により表わされる。
平均組成として、下層の厚さ方向中央における組成を用いることができる。この組成により下層は(111)面に配向したfcc構造を有し、上層との密着性が高い。
【0027】
Alの原子比率sとCrの原子比率tの合計(s+t)は1である。sは0.1〜0.6であり、好ましくは0.15〜0.58であり、最も好ましくは0.2〜0.5である。tは0.9〜0.4であり、好ましくは0.85〜0.42であり、最も好ましくは0.8〜0.5である。sが0.1未満では下層におけるCrの含有量が過多であり、下層の硬度及び機械的強度が低く、基体及び上層との密着性が低い。またsが0.6超では下層におけるAlの含有量が過多であり、六方晶系結晶構造を有するため、やはり下層の硬度及び機械的強度が低く、基体及び上層との密着性が低い。
【0028】
窒素(N)の原子比率vと酸素(O)の原子比率wの合計(v+w)は1である。vは0.1〜0.8であり、好ましくは0.2〜0.7であり、最も好ましくは0.3〜0.6である。wは0.9〜0.2であり、好ましくは0.8〜0.3であり、最も好ましくは0.7〜0.4である。vが0.1〜0.8であると、下層を構成するfcc構造のAlCr酸窒化物は(111)面が表面に現れるように配向し、その結晶格子縞が上層のAlCr酸化物の結晶格子縞と少なくとも部分的に連続する(エピタキシャル成長する)ので、下層と上層の密着性が高い。vが0.1未満であると、下層は酸素過剰のため脆いだけでなく、上層との密着性に劣る。一方、vが0.8超であると、下層の格子定数が過大であり、上層のAlCr酸化物との整合性が悪く、上層との密着性に劣る。
【0029】
AlCrの原子比率aは(s+t)/[(s+t)+(v+w)]に相当し、NOの原子比率bは(v+w)/[(s+t)+(v+w)]に相当する。a+bは1である。aは0.35〜0.6であり、好ましくは0.38〜0.57であり、最も好ましくは0.4〜0.55である。bは0.65〜0.4であり、好ましくは0.62〜0.43であり、最も好ましくは0.6〜0.45である。aが0.35未満であると下層における金属成分(Al,Cr)が少な過ぎ、硬さが不十分である。aが0.6超であると金属成分が多過ぎ、金属成分と非金属成分のバランスが均一な下層が得られず、機械的強度が劣る。
【0030】
(2)傾斜組成
下層と上層とは残留応力が異なり、また基体と下層との間で大きな応力差があると層間剥離が生じるおそれがある。これに対し、下層が、酸素濃度が基体側から上層側にかけて増加するとともに窒素濃度が基体側から上層側にかけて減少する傾斜組成を有することにより、残留応力の急激な変化を抑制し、層間剥離を抑制できることが分った。
【0031】
図4に示すように、下層における酸素濃度及び窒素濃度は実質的に直線的に変化するのが好ましい。この場合、下層の格子定数が直線的に変化するので、残留応力の急激な変化及び層間剥離がいっそう抑制される。勿論、下層における酸素濃度及び窒素濃度が下層側から上層側にかけて直線的に変化しなくても(例えば断続的に変化する領域があっても)、基体側から上層側にかけて酸素濃度が増加するとともに窒素濃度が減少していれば、残留応力の急激な変化が抑制され、層間剥離が抑制される。
【0032】
下層の傾斜組成において、酸素濃度の平均勾配は膜厚に依存するが、一般に10〜600原子%/μmであり、20〜300原子%/μmが好ましく、30〜200原子%/μmがより好ましく、特に60〜150原子%/μmが最も好ましい。下層が厚くなるに従って酸素濃度の平均勾配が小さくなるので、酸素濃度の平均勾配が10原子%/μm未満では下層が厚すぎることになり、かえって硬質皮膜の耐チッピング性等が低下する。また酸素濃度の平均勾配が600原子%/μm超であると、酸素濃度変化が急激であり、傾斜組成の下層を設けた意味が失われる。
【0033】
窒素濃度の平均勾配は−650〜−10原子%/μmが好ましく、−330〜−22原子%/μmがより好ましく、−220〜−33原子%/μmが最も好ましく、−160〜−70原子%/μmが特に好ましい。窒素濃度の平均勾配における−の記号は、窒素濃度が基体側から上層側にかけて減少することを意味する。窒素濃度の平均勾配の絶対値が10原子%/μm未満では下層が厚すぎることになり、かえって硬質皮膜の耐チッピング性等が低下する。また窒素濃度の平均勾配の絶対値が650原子%/μm超であると、窒素濃度変化が急激であり、傾斜組成の下層を設けた意味が失われる。酸素濃度及び窒素濃度は、透過型電子顕微鏡(TEM)を用いた局所領域の電子エネルギー損失分光法(EELS)により測定できる。
【0034】
(3)厚さ
基体及び上層との高い密着性とともに高い耐衝撃性を有するために、下層の膜厚(Tl)は0.1〜4μmが好ましく、0.2〜3.5μmがより好ましく、0.3〜3μmが最も好ましく、0.4〜2.5μmが特に好ましい。
【0035】
(C)上層
(1)組成
物理蒸着法により下層上に形成する上層は、金属元素としてAl及びCrを必須とする酸化物の硬質皮膜である。上層の組成は、一般式:(AlCr(ただし、x及びyはAl及びCrの原子比率を表わす数字であり、c及びdはAlCrとOの原子比率を表わす数字であり、x=0.1〜0.6、x+y=1、c=1.86〜2.14、及びd=2.79〜3.21の条件を満たす。)により表される。Alの原子比率xとCrの原子比率yの合計(x+y)は1である。xは0.1〜0.6であり、好ましくは0.15〜0.6であり、より好ましくは0.2〜0.6である。yは0.9〜0.4であり、好ましくは0.85〜0.4であり、より好ましくは0.8〜0.4である。0.1〜0.6のxにより上層はα型結晶構造を有する。xが0.1未満であるとCrが過多になり、上層の硬さ及び機械的強度が低く下層との密着性に劣るだけでなく、Crが過多になるため耐熱性も劣る。xが0.6を超えると低融点のAlが過多になり、成膜時に正常にイオン化されない原子数が増すので、未反応の金属や異常に反応した生成物がドロップレットとして上層中又は表面に存在し、層密度が低下し、密着性及び耐チッピング性が悪化する。
【0036】
上層は化学量論値である(AlCr)を基本組成とするが、物理蒸着法で形成される組成は必ずしも化学量論値にはならない。従って、c及びdは2及び3を中心とする範囲内の値であり、具体的にはcは1.86〜2.14であり、好ましくは1.9〜2.1であり、より好ましくは1.93〜2.06であり、最も好ましくは1.94〜2.06である。またdは2.79〜3.21であり、好ましくは2.85〜3.15であり、より好ましくは2.90〜3.10であり、最も好ましくは2.91〜3.09である。
【0037】
(2)結晶構造
硬質皮膜被覆金型の刃先は800℃以上の切削熱に曝されるので、酸化物上層は優れた耐熱性を有する必要がある。ところが、酸化物上層がγ型、κ型又はδ型等のα型以外の結晶形態の場合、高温でα型に変態するとともに実用に耐えない収縮が発生する。また物理蒸着法により形成された硬質皮膜中には圧縮応力が残留するので、結晶形態の変態による収縮の影響が大きい。そのため、酸化物上層は下層から剥離したり、チッピングしたりする。これに対して、本発明の硬質皮膜被覆金型は、α型結晶構造を有する平滑表面の上層を有し、優れた耐溶着性及び耐欠損性を有するとともに下層との密着性に優れている。
【0038】
物理蒸着法により形成したAlCr酸化物は化学蒸着法により形成したAlCr酸化物より密度が低いので、密着力に劣るものであった。この問題を解決するため、本発明では、(a)AlCr酸化物上層の結晶構造を、立方晶(fcc)構造を有するAlCrNO下層中の結晶粒の(111)面と整合性が良い(110)面に配向した六方晶とするとともに、(b)(111)面に配向したAlCr酸窒化物下層上に、(110)面に配向したAlCr酸化物上層を形成することにより、AlCr酸化物上層をAlCr酸窒化物下層上にエピタキシャル成長させた。上層中に下層からエピタキシャル成長した部分が多いために、上層は下層に対して高い密着力を有し、金型寿命が長くなる。
【0039】
AlCr酸化物上層の(110)面の配向度は、α型AlCr酸化物結晶粒の等価X線回折強度比TC(110)により評価する。同様にAlCr酸化物上層の(104)面及び(110)面の配向度は、α型AlCr酸化物結晶粒の等価X線回折強度比TC(104)及びTC(110)により評価する。上層中のα型AlCr酸化物結晶粒の主たる結晶面は(012)面、(104)面、(110)面、(110)面、(113)面、(202)面、(024)面及び(116)面であるので、全ての結晶面に対する(110)面、(104)面及び(110)面の割合を表す等価X線回折強度比TC(110)、TC(104)及びTC(110)は下記式により表される。
TC(110)=[I(110)/I(110)]/Σ[I(hkl)/8I(hkl)]
TC(104)=[I(104)/I(104)]/Σ[I(hkl)/8I(hkl)]
TC(110)=[I(110)/I(110)]/Σ[I(hkl)/8I(hkl)]
(ただし(hkl)は(012)、(104)、(110)、(110)、(113)、(202)、(024)及び(116)である。)
【0040】
I(hkl)は上層の(hkl)面からの実測X線回折強度であり、I(hkl)はASTMファイル番号381479に記載されているα型酸化クロムの標準X線回折強度である。I(hkl)は、等方的に配向したα型酸化クロム粉末粒子の(hkl)面からのX線回折強度を表す。TC(110)は実測X線回折ピークの相対強度を示し、TC(110)が大きいほど(110)面からのX線回折ピーク強度が強い。これは、(110)面が膜厚方向に対して平行に配向していることを示す。
【0041】
TC(110)は1.3以上であり、1.4〜3.6が好ましく、1.5〜3.6がより好ましく、1.8〜3.6が更に好ましい。TC(110)が大きいことは、AlCr酸化物結晶粒が(110)面(基体表面に対して平行)に強く配向していること、即ち、AlCr酸化物結晶粒が[110]方向に優先的に成長し、縦長の微細結晶粒になったことを示す。このように成長したAlCr酸化物結晶粒からなる上層は密度が高く、AlCr酸化物結晶粒の耐溶着性、耐欠損性及び下層との密着性に優れている。かかる上層表面は成長したAlCr酸化物結晶粒の凹凸が従来より小さく抑制されるので、上層の平均表面粗さRaは0.2μm以下となる。TC(110)が1.8以上である場合、微細な結晶粒がより縦長に成長したので、密着性及びAlCr酸化物結晶粒の脱落抑制効果が非常に高い。しかしTC(110)が3.6を超えると、金型寿命はかえって短くなる傾向がある。
【0042】
本発明の製造方法によれば、上層はさらにTC(110)>TC(104)の関係を満たす。高性能化のために、TC(110)>TC(104)>TC(110)の関係を満たすのが好ましく、TC(110)=0がより好ましい。TC(110)=0とするには、上層成膜時の酸素ガス流量を200sccm以上、好ましくは250sccm以上とする。またTC(110)>TC(104)であることにより、上層の結晶粒の脱落抑制効果がより顕著になる。
【0043】
上層結晶粒の平滑化のメカニズムは以下の通りであると考えられる。一般に物理蒸着法により形成されたAlCr酸化物硬質皮膜では、AlCr酸化物結晶粒の表面は凹凸が大きいが、本発明ではAlCr酸化物結晶粒が基体に対して垂直(c軸方向)に成長するのではなく、平行に成長するから、AlCr酸化物結晶粒表面の凹凸が顕著に低減される。本発明はこの原理を利用したものである。即ち、本発明の硬質皮膜被覆金型では、α型のAlCr酸化物結晶粒の(110)面は基体(c面)に対して平行な[110]方向に成長しているので、AlCr酸化物結晶粒の表面は非常に平滑であり、またこの平滑化効果によりAlCr酸化物結晶粒の脱落が抑制される。なお、(104)面及び(116)面はc軸に対してそれぞれ38.3°及び42.3°傾いており、(110)面より平滑化効果が小さい。
【0044】
上記のメカニズムからわかるように、上層にα型構造の(110)面のX線回折ピークが観察されないこと、即ちTC(110)=0であると、結晶粒の脱落抑制効果は最も顕著になる。TC(110)=0でないとc軸方向に成長したAlCr酸化物結晶粒が多く存在するので、AlCr酸化物結晶粒の脱落は多くなる。これに対してTC(110)=0であると、c軸方向に成長したAlCr酸化物結晶粒は非常に少なく、上層の結晶粒の脱落が抑制される。
【0045】
(3)厚さ
上層の特性を効果的に発揮するために、上層の膜厚(Tu)は0.2〜8μmが好ましく、0.2〜5μmがより好ましく、0.3〜3μmが最も好ましく、0.3〜2μmが特に好ましい。高性能化のために、上層と下層との膜厚比(Tu/Tm)は1以上が好ましく、1〜100がより好ましく、2〜50が最も好ましく、3〜10が特に好ましい。膜厚比(Tu/Tm)が1未満又は100超であると、下層と上層との密着力は低い。
【0046】
(4)表面粗さ(Ra)
上層の表面粗さ(Ra)は、曲率半径5μmのダイヤモンド製触針を使用し、表面粗さ測定器(商品名:サーフコーダSE−30D、小坂研究所株式会社製)により、上層表面の任意の5本の線分(長さ5mm)に沿って表面粗さ(Ra)を測定し、平均することにより求める。
【0047】
(5)ドロップレットの表面占有面積率(%)
上層表面におけるドロップレットの占有面積率は、加速電圧15kV及び倍率3,000倍の条件で撮った上層表面の走査型電子顕微鏡(SEM)写真において、50μm×50μmの大きさの任意の5つの視野を画像処理し、ドロップレット(SEM写真上では輝度の高い粒状物)の表面占有面積率を求め、平均することにより求める。
【0048】
(D)下層と上層との界面でのエピタキシャル成長の分析
下層と上層との界面を含む領域を透過型電子顕微鏡(TEM)により倍率200万倍もしくは400万倍で100nm×100nmの大きさの任意の10視野を観察し、得られた代表的な界面の模式図を図5に示す。図5から明らかなように、本発明の金型における下層と上層との界面領域の少なくとも一部で、下層の結晶格子縞と上層の結晶格子縞とが連続しており、エピタキシャル成長が認められた。
本発明者らの検討によれば、図5の界面のうちの10%以上、好ましくは30%以上、特に好ましくは50%以上がエピタキシャル成長した部分である場合に、本発明の有利な効果を奏することが分った。
【0049】
[2]成膜装置
物理蒸着法の成膜装置として、アークイオンプレーティング(AIP)装置、フィルター方式アークイオンプレーティング装置又はスパッタリング装置等が好適である。図1は本発明に使用し得るAIP装置1の一例を示す。このAIP装置1は、反応ガス供給パイプ16を具備する減圧容器30内に、回転自在の基体ホルダー11と、下層形成用のソース(ターゲット)12,13及びそのシャッター22,23と、上層形成用のソース(ターゲット)14,15及びそれらのシャッター24,25とを具備し、かつ減圧容器30外に基体にバイアス電圧を印加するためのバイアス電源17を具備する。なお上層の金属成分が下層と同じ場合にはソース14,15及びそれらのシャッター24,25を省略しても良い。
【0050】
[3]製造方法
(A)下層の形成
基体のクリーニング後、ソース12,13のシャッター22,23を開く。下層の成膜温度は550〜700℃が好ましく、570〜680℃がより好ましく、585〜650℃が最も好ましい。成膜温度が550℃未満では下層の残留応力が高くなり密着性が低下する。また成膜温度が700℃を超えると残留応力が大きく低下し、皮膜の硬度及び機械的強度が低下する。特に後述する実施例1に示す通り、下層の成膜温度と上層の成膜温度とが同じ場合には下層の成膜工程から上層への成膜工程を温度調整を要することなく連続して行えるので、実用性に富む。
【0051】
(1)成膜雰囲気
下層の成膜雰囲気に窒素ガス及び酸素ガスの混合ガス(反応ガス)を用いる。混合ガスはArガスを含有しても良い。この場合、Arガスの割合は混合ガスの70体積%以下が好ましく、50体積%以下がより好ましい。成膜雰囲気の圧力は0.3〜7Paであり、0.3〜4Paが好ましく、0.3〜3Paがより好ましく、0.5〜2Paが最も好ましい。成膜雰囲気圧力が上記範囲外であると、下層の形成が困難になる。
【0052】
(2)反応ガスの流量変化
下層に、酸素濃度が下層側から上層側にかけて増加するとともに窒素濃度が下層側から上層側にかけて減少する傾斜組成を与えるために、下層の成膜時に供給する酸素ガスの流量を徐々に増大させるとともに、窒素ガスの流量を徐々に減少させる。図2は下層成膜用の酸素ガス及び窒素ガスの流量変化の一例を示す。点Tは下層の成膜開始時点を示し、点Tは下層の成膜終了時点を示す。
【0053】
図2において、窒素ガスの流量変化のパターンは点B,C,Dで表され、酸素ガスの流量変化のパターンは点E,F,G,Hで表される。下層の成膜工程前半での酸化を抑制するために、成膜開始時点Eにおける酸素ガス流量は100sccm以下が好ましく、50sccm以下がより好ましく、10sccm以下が最も好ましい。下層から上層へのエピタキシャル成長を得るためには、成膜終了時点Fでの酸素ガス流量が600sccm以下である必要があることが分った。酸素ガス流量が600sccm超であるとドロップレットの生成が多く、密着性及び平滑性に優れた硬質皮膜が得られない上、上層の形成が早過ぎ、下層から上層へのエピタキシャル成長が得られない。成膜終了時点Fでの酸素ガス流量は600sccm以下が好ましく、200〜500sccmがより好ましい。下層の成膜終了後に上層の成膜を開始してもよいが、実用上下層の成膜終了と同時に上層の成膜を開始するのが好ましい。下層の成膜終了時の酸素ガス流量は上層成膜用の酸素ガス流量に達しているのが好ましいが、両者は完全に一致していなくても良い。下層成膜終了時の酸素ガス流量と上層成膜用の酸素ガス流量との差は300sccm以内が好ましく、50sccm以内がより好ましく、10sccm以内が最も好ましい。
【0054】
また(a)窒化を促進するために、下層の成膜開始時点Tにおける窒素ガス流量を400sccm以上にするとともに、成膜工程前半での窒素ガス流量が酸素ガス流量より50sccm以上多い時間を1分間以上とし、かつ(b)下層の成膜開始から終了までの間に供給する酸素ガスの流量を600sccm以下まで増大させるとともに、窒素ガスの流量を減少させる必要があることが分った。下層の成膜開始時点Tにおける窒素ガス流量が400sccm未満であるか、前半の成膜工程における窒素ガス流量が酸素ガス流量より50sccm以上多くないと、窒化が不十分となり、所望の下層が得られない。また下層の成膜開始から終了までの間に供給する酸素ガスの流量が600sccm超では、ドロップレットの生成が顕著になる。また成膜工程前半での窒素ガス流量が酸素ガス流量より50sccm以上多い時間が1分間未満では窒化が不十分になる。この時間は2〜120分間にするのが好ましく、5〜100分間にするのがより好ましい。120分間を超えると工業生産性が大きく低下する。また下層の成膜開始から終了までの間に供給する窒素ガスの流量を減少させないと、下層に窒素濃度の傾斜を付与することができない。
【0055】
下層における酸素濃度分布は正の勾配を有する(下層側から上層側にかけて増加する)ので、点Eから点Fの間で酸素ガスの流量変化は正の傾斜を有する。点Eから点Fまでの期間(T〜T)における酸素ガス流量の平均勾配は1〜200sccm/分が好ましく、3〜100sccm/分がより好ましく、4〜50sccm/分がさらに好ましく、4〜40sccm/分が最も好ましく、4〜30sccm/分が特に好ましい。酸素ガス流量は直線的に増加させるのが理想的であるが、段階的に増加させても良い。酸素ガス流量の平均勾配が1sccm/分未満では酸化が不十分であり、200sccm/分超ではエピタキシャル成長が得られない。
【0056】
下層の成膜開始時点Bにおける窒素ガス流量は400sccm以上であり、好ましくは500〜1500sccmであり、更に好ましくは600〜1200sccmである。上層の成膜開始時点Dでは窒素ガス流量は0sccmであるが、下層の成膜終了時点Cでの窒素ガス流量を完全に0sccmとする必要はなく、400sccm以下が好ましく、100sccm以下がより好ましく、50sccm以下が最も好ましい。下層における窒素濃度分布は負の勾配を有する(下層側から上層側にかけて減少する)ので、点Bから点Cまでの期間(T〜T)で窒素ガスの流量変化は負の傾斜を有する。期間(T〜T)での窒素ガス流量の平均勾配は−200sccm/分〜−1sccm/分が好ましく、−100sccm/分〜−3sccm/分がより好ましく、−50sccm/分〜−5sccm/分が更に好ましく、−40sccm/分〜−5sccm/分が最も好ましく、−30sccm/分〜−5sccm/分が特に好ましい。窒素ガス流量は直線的に減少するのが理想的であるが、段階的に減少しても良い。窒素ガス流量の平均勾配が−200sccm/分未満では下層における窒素濃度勾配が急激すぎ、また−1sccm/分超では十分な傾斜組成が得られない。
【0057】
図2では下層の成膜時間(T〜T)は30分間であるが、限定的でない。AlCr酸窒化物下層の形成を十分に行うために、及び工業生産性の観点から成膜時間(T〜T)は5〜180分間が好ましく、10〜60分間がより好ましい。
【0058】
(3)バイアス電圧
下層の成膜時に基体に印加するバイアス電圧は−150V〜−10Vが好ましい。−150V未満では残留応力が大きすぎ、−10V超では下層に下層が付かない。基体に入射するイオンのエネルギーを、例えば−50V〜−20Vとし、基体に入射するイオンエネルギーを低くすると、平滑な下層が得られる。パルスバイアス電圧を使用する場合、下層の密着性を大きくするため周波数は10〜80kHzが好ましい。パルスバイアス電圧は、バイアス電圧が正負に振幅するバイポーラパルスが好ましい。正バイアス値は5〜10Vの間で十分である。
【0059】
(4)アーク電流
下層は低融点のAlを含むので、急激な蒸発や異常なイオン化によりドロップレットが生成されやすい。これを抑制するために、放電電流である成膜アーク電流(アーク蒸発源に印加する電流)を100〜150Aと低い範囲に保つのが好ましく、100〜140Aとするのがより好ましい。アーク電流が100A未満では安定した放電が維持されず、150A超では急激なAlの蒸発のために平滑な下層が得られない。
【0060】
(B)上層の形成
下層の形成後に上層形成用ソース15,16のシャッター25,26を開き、上層を形成する。上層の金属成分が下層のものと同じ場合には、下層用ソース14をそのまま用いても良い
【0061】
(1)成膜温度
上層の成膜温度は590〜700℃が好ましく、590〜680℃がより好ましく、595〜650℃が更に好ましい。成膜温度が590℃未満又は700℃超ではTC(110)を1.3以上にするのが困難である
【0062】
(2)成膜雰囲気
上層成膜用の反応ガスとして酸素ガスを用いる。ドロップレットが基体に到達するのを防ぐために、成膜雰囲気中の酸素分圧は0.5〜5Paである必要があり、1〜3Paが好ましい。酸素分圧が0.5Pa未満又は5Pa超であると、1.3以上のTC(110)が得られない。成膜雰囲気がArガスを含有する場合、Arガスの含有量は成膜雰囲気の50体積%以下が好ましく、30体積%以下がより好ましい。後述する表18に示すように、成膜雰囲気の10〜40体積%をArガスで置換すると、ドロップレットの抑制効果が十分に得られる。
【0063】
(3)酸素ガス流量
上層成膜時の酸素ガス流量は一般に100〜600sccmである必要がある。酸素ガス流量が100sccm未満では上層を十分に形成できず、また600sccmを超えると上層が緻密化せず、また下層からのエピタキシャル成長も得られない。上層成膜時の酸素ガス流量は好ましくは200〜500sccmであり、より好ましくは150〜450sccmであり、最も好ましくは200〜400sccmである。図2において上層の成膜開始時点Gと上層の成膜終了時点Hとの時間は80分間であるが、限定的でない。酸化を十分に行うために、及び工業生産性の観点から上層の成膜時間は20〜150分間が好ましく、40〜100分間がより好ましい。
【0064】
(4)バイアス電圧
上層成膜時に基体に印加するバイアス電圧は−35V〜−10Vが好ましく、−30V〜−10Vがより好ましい。この範囲のバイアス電圧により上層の生成が促進され、α型酸化物層の結晶配向は(110)優位となり、TC(110)が高くなる。またパルスバイアス電圧を使用する場合、バイアス電圧を正負に振幅させたバイポーラパルスが好ましい。正バイアスは5〜10Vの間とするのが好ましい。パルスバイアスの周波数は10〜80kHzが好ましい。
【0065】
(5)アーク電流
上層は低融点のAlを含むので、Alの急激な蒸発や異常なイオン化によりドロップレットが生成されやすい。これを抑制するために、放電電流である成膜アーク電流(アーク蒸発源に印加する電流)を100〜150Aと低い範囲に保つのが好ましく、100〜140Aとするのがより好ましい。アーク電流が100A未満では成膜が不可能となる。また150A超では急激なAlの蒸発が促進されるため、平滑な上層を成膜できない。アーク電流値を前記特定範囲に設定することにより、平滑でドロップレットの少ない、優先的に(110)面に配向した[TC(110)が1.3以上]のAlCr酸化物結晶粒による耐溶着性及び耐欠損性に優れた上層が得られる。
【0066】
上記成膜条件により、α型Cr酸化物の生成よりα型Al酸化物の生成が促進されるので、上層を構成するα型結晶構造のAlCr酸化物は、α型Al酸化物にCrが固溶した固溶体である。α型結晶構造のAlCr酸化物結晶粒が(110)面に優先的に配向し、等価X線回折強度比TC(110)が顕著に高くなる。
【0067】
[4]刃先処理
上層の結晶粒の脱落を減少させ、密着性を更に高めるために、上層をブラシ、バフ又はブラスト等により平滑にしても良い。また上層の上に、周期律表IVa、Va、VIa族、Al及びSiからなる群から選ばれた少なくとも一種の金属元素と、C、N、B及びOから選択される少なくとも一種の非金属元素とを必須とする硬質保護膜を形成しても良い。
【実施例】
【0068】
本発明を以下の実施例によりさらに詳細に説明するが、本発明はそれらに限定されるものではない。各実施例及び比較例において、各層の厚さは、走査型電子顕微鏡(SEM)の2万倍の断面写真における任意の5箇所の膜厚を測定し、平均することにより求めた。また下層の膜厚方向中心における組成を下層の平均組成とした。
【0069】
実施例1
(1)下層の形成
6質量%のCo及び94質量%のWC及び不可避的不純物からなる切削金型用超硬合金製基体(CNMG120408)及び物性測定用の超硬合金製基体(SNGA120408及びSNMN120408)を図1に示す基本構造を有する大型AIP装置1内のホルダー12にセットした。真空排気と同時にヒーターで基体を加熱し、AlCrターゲット(Al:50原子%、Cr:50原子%)を使用し、成膜温度:600℃、バイアス電圧:−20V、パルスバイアス周波数:20kHz及びAlCrターゲットに印加する電流:120Aの条件で、図2に示すように窒素ガスの流量を30分間で700sccmから200sccmまで徐々に(実質的に直線的に)下げ、また酸素ガスの流量を30分間で0sccmから500sccmまで徐々に(実質的に直線的に)上げ、(Al0.48Cr0.520.45(N0.440.560.55(原子比率)の平均組成を有する厚さ0.5μmの硬質酸窒化物下層を形成した。下層の成膜開始時点Tから成膜終了時点Tまでの雰囲気圧力は3Paに制御した。
【0070】
(2)上層の形成
下層の形成から連続して上層用のAlCrターゲット(Al:25原子%、Cr:75原子%)を使用し、成膜温度:600℃、バイアス電圧:−20V、パルス周波数:20kHz及び前記AlCrターゲットに印加する電流:120A、酸素ガスの流量:300sccm、Arガスの流量:100sccmの条件に80分間保持することにより、(Al0.26Cr0.74(原子比率)の基本組成を有する厚さ1.5μmの硬質酸化物上層を形成した。上層成膜時の酸素ガスの分圧は2.0Paであった。
【0071】
(3)上層の結晶構造の分析
得られた硬質皮膜被覆金型の上層の結晶構造を同定するため、理学電気(株)製のX線回折装置(RU−200BH)を用いて下記の条件でX線回折測定を行った。
X線源:CuKα1線(波長λ:0.15405nm)
管電圧:120kV
管電流:40mA
X線入射角:5°
X線入射スリット:0.4mm
2θ:20〜60°。
【0072】
図3は上層表面のX線回折パターンを示す。図3より、α型の回折ピークが認められた。図3に示す上層のX線回折パターンには、α型の(012)面、(104)面、(110)面、(113)面、(024)面及び(116)面のピークが観察されたが、(202)面、(110)面は現れなかった。またα型酸化アルミニウム及びα型酸化クロムは、(124)面及び(030)面の標準X線回折強度Ioが大きいが、超硬合金製基体中のWCの(110)面及び(002)面と面間距離が近く、α型の酸化アルミニウムクロム(AlCr)の(124)面及び(030)面のピークと重なることから、(116)面までを使用し、配向を定量的に評価した。
【0073】
α型酸化アルミニウムのASTMファイル番号100173に記載されている面間距離d、標準X線回折強度Io、及び2θを表1に示し、α型酸化クロムのASTMファイル番号381479に記載されている面間距離d、標準X線回折強度Io及び2θを表2に示す。表3に、実施例1のX線回折パターンから得られた面間距離d、X線回折強度1及び2θを示す。実施例1(図3)のX線回折パターンから得られた面間距離dはα型酸化アルミニウムよりα型酸化クロムに近いことが分る。従って、等価X線回折強度比を求めるのにα型酸化クロムの標準X線回折強度Ioを用いた。
【0074】
【表1】

【0075】
【表2】

【0076】
【表3】

【0077】
下記の等価X線回折強度比TC(110)、TC(104)及びTC(110)を用いて、上層の(110)面、(104)面及び(110)面の配向度を定量した。その結果、実施例1の上層のTC(110)は1.58であった。
TC(110)=[I(110)/I(110)/Σ[I(hkl)/8I(hkl)]
TC(104)=[I(104)/I(104)]/Σ[I(hkl)/8I(hkl)]
TC(110)=[I(110)/I(110)]/Σ[I(hkl)/8I(hkl)]
(ただし、(hkl)は(012)、(104)、(110)、(110)、(113)、(202)、(024)及び(116)であり、I(hkl)はα型酸化クロムの標準X線回折強度である。)
【0078】
(4)組成分析
電子プローブマイクロ分析装置(EPMA、日本電子株式会社製JXA−8500F)を用いて、加速電圧10kV、照射電流1.0uA及びプローブ径0.01μmの条件で、下層の厚さ方向中央部の組成を測定し、平均組成とした。下層の厚さが1μm以上の場合はプローブ径を0.5×2μmとした。下層の平均組成は、21.9原子%のAl、23.4原子%のCr、23.8原子%のN、及び30.9原子%のOであった。また上層の組成は、10.2原子%のAl、29.6原子%のCr及び60.2原子%のOであった。X線回折の結果、上層はα型の結晶構造を有することが分った。
【0079】
(5)下層内の酸素濃度勾配及び窒素濃度勾配の測定
電子ビーム径が0.1nmの電子エネルギー損失分光器(EELS、Gatan社製のENFINA1000)を用いて、下層と下層との界面及び下層と上層との界面を含む厚さ方向領域における酸素及び窒素の濃度分布を測定した。測定結果を図4に示す。図4において、縦軸のスケールは、酸素濃度と窒素濃度との合計を100原子%としている。横軸は基体と下層の界面(0μm)からの厚さを表す。図中、▲は窒素濃度を示し、○は酸素濃度を示す。酸素濃度は下層側から上層側まで実質的に直線的に増加しており、窒素濃度は下層側から上層側まで実質的に直線的に減少していた。酸素濃度及び窒素濃度の平均濃度は、測定値のプロットから最小二乗法により求めた平均勾配を四捨五入して表す。
【0080】
(6)エピタキシャル成長の分析
下層と上層との界面を含む領域を透過型電子顕微鏡(TEM)により倍率400万倍で観察した結果、下層と上層との界面領域の少なくとも一部(100nm×100nmの大きさの任意の10視野における界面領域のうちの30%)について下層の結晶格子縞と上層の結晶格子縞とが連続しており、エピタキシャル成長が認められた。
【0081】
(7)表面粗さRaの測定
曲率半径5μmのダイヤモンド製触針を使用し、表面粗さ測定器(商品名:サーフコーダSE−30D、小坂研究所株式会社製)により、上層表面の任意の5本の線分(長さ5mm)に沿って表面粗さ(Ra)を測定し、平均した。
【0082】
(8)ドロップレットの表面占有面積率(%)の測定
図6は加速電圧15kVで撮った上層表面の走査型電子顕微鏡(SEM)写真である。このSEM写真の50μm×50μmの任意の領域を画像処理し、ドロップレット(SEM写真上では輝度の高い粒状物)の表面占有面積率を求めた。この計算を5枚のSEM写真(視野)について行い、得られた表面占有面積率を平均して、実施例1の硬質皮膜被覆金型の上層におけるドロップレットの表面占有面積率(%)とした。
図7は、図6と同様にして撮影した後述する比較例6のSEM写真である。
【0083】
(9)金型寿命の測定
図15に、金型寿命の測定に用いた、本発明の硬質皮膜被覆金型の概略図を示す。図15において、打ち抜き加工用パンチ8は、上記超硬合金製の基体上に実施例1等の皮膜を被覆したものである。2はパンチ8を搭載した打ち抜き加工部材である。3は打ち抜き加工部材2を上下V方向に所定速度で高精度に移動可能にするために設けた一対のガイド3,3である。5は上型であり、中央に中空部5a(穴径0.15mm)を有し、この中空部5aをパンチ8の先端部8aが挿通可能に構成されている。6は下型であり、中央に中空部6a(穴径0.15mm)を有し、この中空部6aをパンチ8の先端部8aが挿通可能に構成されている。上型5と下型6との間に打ち抜き抜き加工に供するステンレス鋼製薄板2(SUS304製、板厚0.2mm)を挟み込んで固定した状態で、パンチ8により打ち抜き加工を行う。打ち抜き加工の1ショット毎に薄板2は図15の紙面垂直方向に所定長さが移動し、再び固定された状態で打ち抜き加工が行われる。このようにして打ち抜き加工が連続して行われ、パンチ8が折損又は変形して打ち抜き加工ができなくなったショット数までをカウントし、「打ち抜きパンチ寿命」とした。なお、薄板2の打ち抜き加工位置は、打ち抜いた部分の加工ひずみが、次に打ち抜き加工する部分に影響しないように離れた位置を選択するため、薄板2は図15の紙面垂直方向に連続して形成されたものを使用した。
【0084】
実施例2
上層におけるAl及びCrの含有量の影響を調べるために、上層の成膜にAlCrターゲット(Al:40原子%、Cr:60原子%)を使用した以外実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。
【0085】
実施例3
上層におけるAl及びCrの含有量の影響を調べるために、上層の成膜にAlCrターゲット(Al:60原子%、Cr:40原子%)を使用した以外実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。
【0086】
実施例4
実施例1と同様にして下層まで形成した後、実施例1と同じAlCrターゲットを使用し、成膜温度:600℃、バイアス電圧:−20V、パルスバイアスの周波数:20kHz、及びAlCrターゲットに印加する電流:120Aの条件で、酸素ガスを225sccm及びArガスを75sccm流し、酸素ガスの分圧1.5Paとして、(Al0.25Cr0.75(原子比率)の基本組成を有する上層を1.5μmの厚さに形成した
【0087】
実施例5
実施例1と同様にして下層まで形成した後、実施例1と同じAlCrターゲットを使用し、成膜温度:600℃、バイアス電圧:−20V、パルスバイアスの周波数:20kHz、及びAlCrターゲットに印加する電流:120Aの条件で、酸素ガスを120sccm及びArガスを40sccm流し、酸素ガスの分圧1.0Paとして、(Al0.240.76(原子比率)の基本組成を有する上層を15μmの厚さに形成した。
【0088】
実施例6
下層におけるN及びOの含有量の影響を調べるために、図8に示すように窒素ガス及び酸素ガスの流量を変化させた以外は実施例1と同様にして硬質皮膜被覆金型を作製した。図8から明らかなように、6.7sccm/分の酸素ガス流量勾配を得るために、酸素ガス流量を下層成膜開始時点Eで0sccmとし、下層成膜終了時点Fで200sccmとし、また−6.7sccm/分の窒素ガス流量勾配を得るために、窒素ガス流量を下層成膜開始時点Bで700sccmとし、下層成膜終了時点Cで500sccmとした。下層成膜の雰囲気圧力は3Paであった。
【0089】
実施例7
下層におけるN及びOの含有量の影響を調べるために、酸素ガス流量を下層成膜開始時点Eで0sccmとし、下層成膜終了時点Fで650sccmとし、また窒素ガス流量を下層成膜開始時点Bで700sccmとし、下層成膜終了時点Cで10sccmとした以外は、実施例6と同様にして硬質皮膜被覆金型を作製した。下層成膜の雰囲気圧力は3Paであった。
【0090】
実施例6及び7における下層成膜時のガス流量を表4に示す。
【0091】
【表4】

【0092】
実施例8、9
下層におけるAl及びCrの含有量の影響を調べるために、下層の成膜に用いるAlCrターゲットの組成を実施例8ではAl10Cr90(原子比率)に、実施例9ではAl60Cr40(原子比率)に変えた以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製し、実施例1と同じ測定を行った。
【0093】
実施例10
実施例1と同様にして基体上に形成した下層に、実施例1と同じAlCrターゲットを使用し、成膜温度:600℃、バイアス電圧:−20V、パルスバイアスの周波数:20kHz、及びAlCrターゲットに印加する電流:120Aの条件で、30分間Arガスを一定量(800sccm)流すとともに、窒素ガスの流量を下層成膜開始時の700sccmから30分間で200sccmまで徐々に下げ、酸素ガスの流量を下層成膜開始時の0sccmから30分間で500sccmまで徐々に上げ、7Paの雰囲気圧力で(Al0.53Cr0.470.35(N0.430.570.65(原子比率)で表される組成を有する下層を0.5μmの厚さに形成した。その後、実施例1と同様にして(Al0.25Cr0.75(原子比率)の基本組成を有する上層を1.5μmの厚さに形成した。
【0094】
実施例11
実施例1と同様にして基体上に形成した下層に、実施例1と同じAlCrターゲットを使用し、成膜温度:600℃、バイアス電圧:−20V、パルスバイアスの周波数:20kHz、及びAlCrターゲットに印加する電流:120Aの条件で、窒素ガスの流量を下層成膜開始時の400sccmから30分間で100sccmまで徐々に下げ、酸素ガスの流量を下層成膜開始時の0sccmから30分間で200sccmまで徐々に上げ、2.0Paの雰囲気圧力で(Al0.50Cr0.500.60(N0.470.530.40(原子比率)で表される組成を有する下層を0.5μmの厚さに形成した。その後、実施例1と同様にして(Al0.25Cr0.75(原子比率)の基本組成を有する上層を1.5μmの厚さに形成した。
【0095】
実施例12
酸素ガス流量及び窒素ガス流量の供給パターンを図9に示すように変更した以外は実施例1と同様にして、下層を形成した。窒素ガス流量は、成膜開始時点Bでは1000sccm、点Cでは500sccmであり、点B及び点C間の窒素ガス流量の平均勾配は−8.3sccm/分であった。点Cから点Cの間では窒素ガス流量を一定(500sccm)にした。酸素ガス流量は、成膜開始時点Eでは0sccm、成膜終了時点Fでは500sccmであり、平均勾配は4.2sccm/分であった。さらに点Fで酸素ガス流量を500sccmから300sccmに低下させた。下層成膜の雰囲気圧力は4Paであった。図10は、実施例1と同様にEELSにより測定した酸素及び窒素の濃度分布を示す。図9の時点T(点C及び点Fに対応する)以前では酸素ガス流量は窒素ガス流量より少ないにも拘わらず、図10に示すように下層のほぼ中間より上の領域で酸素濃度が窒素濃度より高いことが分る。得られた下層の上に、実施例1と同様にして(Al0.25Cr0.75(原子比率)の基本組成を有する上層を1.8μmの厚さに形成した。
【0096】
比較例1
AlCrターゲット(Al:4原子%、Cr:96原子%)を使用して、一般式:(AlCr(Nにおいてs=0.04及びt=0.96である下層を形成した以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。
【0097】
比較例2
AlCrターゲット(Al:70原子%、Cr:30原子%)を使用して、一般式:(AlCr(Nにおいてs=0.70及びt=0.30である下層を形成した以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。
【0098】
比較例3
下層の成膜工程においてArガス流量を一定(1000sccm)にするとともに、雰囲気圧力を8Paとした以外は実施例10と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。
【0099】
比較例4
窒素ガスの流量を下層成膜開始時の200sccmから30分間で50sccmまで徐々に下げ、酸素ガスの流量を下層成膜開始時の0sccmから30分間で100sccmまで徐々に上げ、下層成膜の雰囲気圧力を1.0Paにした以外は実施例11と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。
【0100】
比較例5
下層の成膜工程において窒素ガスの流量を一定(0sccm)とし、酸素ガスの流量を成膜開始時点の0sccmから30分間で700sccmまで徐々に(実質的に直線的に)増加させた以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。
【0101】
比較例6
下層の成膜工程において酸素ガスの流量を一定(0sccm)とし、窒素ガスの流量を成膜開始時点の900sccmから30分間で700sccmまで徐々に(実質的に直線的に)減少させた以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。
【0102】
比較例7
図1に示す基本構造を有する小型AIP装置1を用いて、図11に示すように下層の成膜工程において酸素ガス及び窒素ガスの流量をそれぞれ一定(500sccm)にし、圧力を4Paにした以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製し、実施例1と同じ測定を行った。EELS法により下層と下層との界面及び下層と上層との界面を含む領域の厚さ方向の酸素及び窒素の濃度分布を測定した。結果を図12に示す。図12から明らかなように、下層における酸素濃度は下層側から上層側まで実質的に同じであった。これから、比較例7の下層の成膜条件では、酸素濃度及び窒素濃度の傾斜は形成されないことが分る。
【0103】
比較例8
特表2010−506049号のトレース実験として、下層の成膜工程において酸素ガス及び窒素ガスの流量をそれぞれ一定(1000sccm)にし、圧力を8Paにした以外は比較例7と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。この金型に対して実施例1と同じ測定を行った結果、下層における酸素濃度及び窒素濃度の傾斜は観察されなかった。
【0104】
比較例9
図1に示す基本構造を有する小型AIP装置1を用いて、特表2010−506049号の段落61に記載された下層成膜条件(窒素ガス及び酸素ガスの供給パターン)のトレース実験として、図13に示すように窒素ガス流量を一定(100sccm)にし、酸素ガス流量を成膜開始時点の50sccmから1000sccmまでほぼ直線的に増加させ、成膜雰囲気圧力を10分間で4Paまで増加させた以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製した。この金型に対して実施例1と同じ測定を行った結果、窒素ガス流量が過小のために窒化がほとんど起こらず、下層における酸素濃度及び窒素濃度の傾斜は観察されなかった。
【0105】
比較例10
実施例1と同じ基体上に、化学蒸着法によりTi(CN)下層、Ti(NO)下層及びα型Al層を形成することにより、硬質皮膜被覆金型を作製し、実施例1と同じ測定を行った。
下層と上層との界面を含む領域を透過型電子顕微鏡(TEM)により倍率200万倍もしくは400万倍で観察した結果を図5の模式図に示す。図5から明らかなように、下層と上層との界面領域の少なくとも一部で、下層の結晶格子縞と上層の結晶格子縞とが連続しており、エピタキシャル成長が認められた。このTEM観察の代表的な5視野における前記界面に沿う所定長さのうちの少なくとも20%に相当する領域で、下層の結晶格子縞と上層の結晶格子縞とが連続しているのが観察された。
各実施例及び各比較例の下層及び上層の成膜方法、種類及び厚さ、並びにO及びNの連続的変化(Oの連続的増加及びNの連続的減少)の有無を表5に示し、下層の組成を表6に示し、下層の成膜条件及び傾斜組成を表7に示し、上層の成膜条件及び組成を表8に示し、上層の厚さ、結晶構造、等価X線回折強度比TC(110)、TC(104)、TC(006)、表面粗さRa及びドロップレットの表面占有面積率、並びに金型寿命を表9に示す。
【0106】
【表5】

【0107】
【表6】

【0108】
【表7】

【0109】
【表7】

【0110】
【表8】

【0111】
【表8】

【0112】
【表9】

【0113】
実施例13〜16、比較例11
上層の成膜温度を表10に示すように変更した以外は実施例1と同様にして硬質皮膜被覆金型を作製し、上層の結晶構造及びTC(110)、並びに金型寿命を測定した。測定結果を成膜温度とともに表10に示す.
【0114】
【表10】

【0115】
実施例17〜19、比較例12及び13
上層成膜時のバイアス電圧を表11に示すように変更した以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製し、上層の結晶構造及びTC(110)、並びに金型寿命を測定した。測定結果をバイアス電圧とともに表11に示す。
【0116】
【表11】

【0117】
実施例20及び21、比較例14及び15
上層成膜時の酸素ガスの分圧を表12に示すように変更した以外は実施例1と同様にして硬質皮膜被覆金型を作製し、上層の結晶構造及びTC(110)、並びに金型寿命を測定した。測定結果を雰囲気圧力とともに表12に示す。
【0118】
【表12】

【0119】
実施例22〜23
上層成膜用の酸素ガスの流量を表13に示すように変更した以外は実施例1と同様にして硬質皮膜被覆金型を作製し、上層の結晶構造及びTC(110)、並びに金型寿命を測定した。測定結果を酸素ガスの流量とともに表13に示す。表13から明らかなように、酸素ガスの流量が100〜500sccmの範囲で1.3以上のTC(110)及び長い金型寿命が得られた。特に酸素ガスの流量が200〜400sccmの範囲で金型寿命が長かったので、その原因を調べるために実施例1と同様にして上層の表面粗さを測定した。その結果、酸素ガスの流量が200sccm、300sccm及び400sccmの実施例1、23及び24では、上層の平均表面粗さRaは0.079μm及び0.082μmであり、酸素ガスの流量が500sccmの実施例25では、上層の平均表面粗さRaは0.145μmであった。上層の表面粗さの主な原因はドロップレットであるので、酸素ガスの流量が150〜450sccmの範囲、特に200〜400sccmの範囲でドロップレットの生成が少ないことが分った。
【0120】
【表13】

【0121】
実施例26〜29
下層又は上層の成膜時間を変化させることにより下層の厚さ及び上層の厚さを変更した以外は実施例1と同様にして硬質皮膜被覆金型を作製し、上層の結晶構造及びTC(110)、並びに金型寿命を測定した。結果を表14に示す。
【0122】
【表14】

【0123】
下層の厚さ(Tl)が0.2〜3.0μmで、上層の厚さ(Tu)が0.3〜6μmの実施例26〜29の硬質皮膜被覆金型はいずれも寿命が長かった。これから、Tlは0.1〜4μmが好ましく、またTuは0.2〜8μmが好ましいことが分かる。なお、実施例28及び29のTC(110)が2.55と3.58であり顕著に高い。このメカニズムは必ずしも明らかではないが、上層の厚みが4〜6μmの範囲において、TC(110)が上層膜厚の増加に伴って顕著に増大する傾向が認められた。
【0124】
実施例30及び31、比較例16及び17
上層成膜時のアーク電流を表15に示すように変更した以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製し、上層の結晶構造及びTC(110)、並びに金型寿命を測定した。測定結果をアーク電流とともに表15に示す。表15より、上層成膜時のアーク電流が100〜150Aの場合に高性能であることが分る。
【0125】
【表15】

【0126】
実施例32〜34
表16に示すように、上層の成膜雰囲気を酸素ガスとArガスで構成した場合(実施例33及び34)、及び上層の成膜雰囲気を酸素ガスのみで構成した場合(実施例32)について、それぞれ、酸素ガスに対するArガスの置換比率以外は実施例1と同様にして、硬質皮膜被覆金型を作製し、上層の結晶構造及びTC(110)、並びに金型寿命を測定した。測定結果をArガスの置換比率とともに表16に示す。
表16より、上層成膜雰囲気中の酸素ガスのうちの10〜40体積%をArガスで置換した実施例33及び34の場合はドロップレットの生成が顕著に抑制されることが分る。また、上層成膜雰囲気を酸素ガスのみ(ただし、不可避的不純物は許容される。)で構成した実施例32の場合も比較例に比べてドロップレットの生成が少ないことが分る。
【0127】
【表16】

【0128】
実施例1〜34及び比較例10,12,13,15及び17の硬質皮膜被覆金型のTC(110)と寿命との関係を図14に示す。図14中、●は実施例であり、▲は比較例である。実施例1〜34の硬質皮膜被覆金型の寿命はいずれも5000回を超えており、特にTC(110)が1.5以上の実施例1,2,6〜9,11,14,17,18,20,23,24,28,29,30,33,34は18000回以上の金型寿命を有していた。なお、実施例26では下層が0.2μmと薄いので、TC(110)が1.5以上であっても金型寿命は17000回未満であった。
【0129】
これに対して、比較例の金型寿命は短かった。本発明の金型がかかる長寿命を有するのは、(110)面に強く配向した上層が微細なAlCr酸化物結晶粒により形成されており、結晶粒の脱落が少なく、高い密着性を有し、耐チッピング性に優れているためであると考えられる。TC(110)が1.5〜3.58では、非常に長い金型寿命が得られた。
【0130】
上記実施例では、基体直上に下層及び上層を被覆した場合を記載したが、本発明はこれに限定されない。
実用性は上記実施例よりもやや低いと考えられるが、本発明には、基体と下層との間に、物理蒸着法により形成した別の硬質層を介在させることも好ましい。この別の硬質層を介在させることにより、本発明の硬質皮膜被覆金型を更に長寿命にすることができる。この別の介在層は、例えば周期律表のIVa、Va及びVIa族の元素、Al及びSiからなる群から選ばれた少なくとも一種の金属元素と、N、C及びBからなる群から選ばれた少なくとも一種の非金属元素とからなる硬質皮膜である。非金属元素としては、Nが必須であるのが好ましい。下層組成の具体例としては、TiAlN、TiAlNbN、TiSiN、TiAlCrN、TiAlWN、AlCrSiN、CrSiBN、TiAlCN、TiSiCN又はAlCrSiCN等が挙げられる。下層との密着性を良好にするために、Al又はCrを含有するのが好ましい。これらの下層はfcc構造を有し、(111)面に配向している。下層の膜厚は0.5〜10μmが好ましく、0.5〜6μmがより好ましく、1〜5μmが最も好ましい。
【0131】
図15の本発明の硬質皮膜被覆金型10ではパンチ1の表面のみに本発明に係る下層及び上層を被覆した場合を記載したが、特に限定されない。例えば、図15の上型5及び下型6のキャビティ5a、6aの表面に本発明に係る下層及び上層を被覆したものでも良い。更に、図10の上型5及び下型6のキャビティ5a、6aの表面にのみ本発明に係る下層及び上層を被覆したものでも良い。
【産業上の利用分野】
【0132】
本発明の硬質皮膜被覆金型が適用できる産業分野を例示すれば、鍛造金型などに代表される金属加工用金型、粉末冶金用成形金型、鋳造用金型又はプラスチック成形用金型などがあり、広く広義の金型に適用することができる。本発明の硬質皮膜被覆金型は従来よりも顕著に金型寿命が改善されたものであり、産業上極めて有用である。
【符号の説明】
【0133】
8 打ち抜きパンチ
2 打ち抜き加工用部材
3 ガイドピン
5 上型
5a 上型の中空部
6 下型
6a 下型の中空部
10 金型

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基体上に硬質の下層、下層及び上層を物理蒸着法により形成した硬質皮膜被覆金型であって、
前記下層は、周期律表のIVa、Va及びVIa族の元素、Al及びSiからなる群から選ばれた少なくとも一種の金属元素と、N、C及びBからなる群から選ばれた少なくとも一種の非金属元素とを含有し、
前記上層は、一般式:(AlCr(ただし、x及びyはAl及びCrの原子比率を表わす数字であり、c及びdはAlCとOの原子比率を表わす数字であり、x=0.1〜0.6、x+y=1、c=1.86〜2.14、及びd=2.79〜3.21の条件を満たす。)により表される組成、及びα型結晶構造を有し、等価X線回折強度比TC(110)が1.3以上の酸化物からなり、
前記下層は、金属元素としてAlとCrを必須とする酸窒化物からなり、酸素濃度が前記下層側から前記上層側にかけて増加するとともに窒素濃度が前記下層側から前記上層側にかけて減少する傾斜組成を有し、その平均組成が一般式:(AlCr(N(ただし、s及びtはAlとCrの原子比率を表わす数字であり、v及びwはNとOの原子比率を表わす数字であり、a及びbはAlCとNOの原子比率を表わす数字であり、下記条件:
s=0.1〜0.6、
s+t=1、
v=0.1〜0.8、
v+w=1、
a=0.35〜0.6、
及びa+b=1を満たす。)により表され、
前記下層の結晶格子縞と前記上層の結晶格子縞とが両者の界面において少なくとも部分的に連続していることを特徴とする硬質皮膜被覆金型
【請求項2】
請求項1に記載の硬質皮膜被覆金型において、前記上層は等価X線回折強度比TC(110)が等価X線回折強度比TC(104)より大きいとともに、表面粗さRaが0.2μm以下であり、ドロップレットの表面占有面積率が20%以下であることを特徴とする硬質皮膜被覆金型。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の硬質皮膜被覆金型において、前記下層の厚さ(Tl)が0.1〜4μmであり、前記上層の厚さ(Tu)が0.2〜8μmであり、Tl≦Tuの関係を満たすことを特徴とする硬質皮膜被覆金型。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載の硬質皮膜被覆金型において、前記下層の前記傾斜組成における酸素濃度の前記下層側から前記上層側にかけての平均勾配が10〜600原子%/μmであることを特徴とする硬質皮膜被覆金型。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれかに記載の硬質皮膜被覆金型において、前記下層の前記傾斜組成における窒素濃度の前記下層側から前記上層側にかけての平均勾配が−650〜−10原子%/μmであることを特徴とする硬質皮膜被覆金型。
【請求項6】
基体上に物理蒸着法により形成した硬質の上層、下層及び上層を有する硬質皮膜被覆金型の製造方法であって、
前記下層は、周期律表のIVa、Va及びVIa族の元素、Al及びSiからなる群から選ばれた少なくとも一種の金属元素と、N、C及びBからなる群から選ばれた少なくとも一種の非金属元素とを含有し、
前記上層は、一般式:(AlCr(ただし、x及びyはAl及びCrの原子比率を表わす数字であり、c及びdはAlCとOの原子比率を表わす数字であり、x=0.1〜0.6、x+y=1、c=1.86〜2.14、及びd=2.79〜3.21の条件を満たす。)により表される組成、及びα型結晶構造を有し、等価X線回折強度比TC(110)が1.3以上の酸化物からなり、
前記下層は、金属元素としてAlとCrを必須とする酸窒化物からなり、酸素濃度が前記下層側から前記上層側にかけて増加するとともに窒素濃度が前記下層側から前記上層側にかけて減少する傾斜組成を有し、その平均組成が一般式:(AlCr(N(ただし、s及びtはAlとCrの原子比率を表わす数字であり、v及びwはNとOの原子比率を表わす数字であり、a及びbはAlCとNOの原子比率を表わす数字であり、s=0.1〜0.6、s+t=1、v=0.1〜0.8、v+w=1、a=0.35〜0.6、及びa+b=1の条件を満たす。)により表される硬質皮膜被覆金型を製造する方法であって、
(1)前記下層の成膜開始から終了までの間、反応ガスとして供給する酸素ガスの流量を600sccm以下まで増大させるとともに、窒素ガスの流量を減少させ、その際、成膜開始時点における窒素ガス流量を400sccm以上とし、窒素ガス流量が酸素ガス流量より50sccm以上多い時間を1分以上とし、かつ成膜雰囲気の圧力を0.3〜7Paとし、
(2)前記上層の成膜温度を590〜700℃にするとともに、前記上層の成膜中の酸素ガスの流量を100〜600sccmにして成膜雰囲気中の酸素分圧を0.5〜5Paに制御し、及び前記上層の基体に印加するバイアス電圧を−35V〜−10Vにすることを特徴とする方法。
【請求項7】
請求項6に記載の硬質皮膜被覆金型の製造方法において、前記上層成膜中の酸素ガスの流量を200〜500sccmに制御することを特徴とする方法。
【請求項8】
請求項6又は7に記載の硬質皮膜被覆金型の製造方法において、前記下層の成膜終了時に前記上層用の酸素ガス流量に達していることを特徴とする方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図15】
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【公開番号】特開2012−149332(P2012−149332A)
【公開日】平成24年8月9日(2012.8.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−22129(P2011−22129)
【出願日】平成23年1月19日(2011.1.19)
【出願人】(000233066)日立ツール株式会社 (299)
【Fターム(参考)】