説明

表面被覆切削工具

【課題】耐摩耗性、耐欠損性、および密着性を兼ね備えた被覆膜を表面に有する表面被覆切削工具を提供する。
【解決手段】本発明の表面被覆切削工具は、基材とその上に形成された被覆膜とを備え、該被覆膜は、AlaTibcdeからなるA層と、AlfCrgMehdeからなるB層とが交互に各2層以上積層された積層体を含み、式中MおよびMeは、それぞれ独立してV、Zr、Nb、Mo、Hf、Ta、W、およびSiからなる群より選ばれる1種以上の元素を示し、被覆膜の表面から被覆膜の厚み方向に被覆膜全体の厚みの10%以上50%以下の領域が、酸素を含有する酸素含有領域となっており、該酸素含有領域において、A層およびB層は、e>0であることを特徴とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、基材とその上に形成された被覆膜とを備える表面被覆切削工具に関する。
【背景技術】
【0002】
最近の切削工具の動向として、地球環境保全の観点から切削油剤を用いないドライ加工が求められていること、被削材が多様化していること、加工能率を一層向上させるため切削速度がより高速になってきていることなどの理由から、工具刃先温度はますます高温になる傾向にあり、工具材料に要求される特性は厳しくなる一方である。特に工具材料の要求特性として、基材上に形成される被覆膜の高温での安定性(耐酸化特性や被覆膜の密着性)はもちろんのこと、切削工具寿命に関係する耐摩耗性の向上や耐欠損性の向上が一段と重要になっている。
【0003】
耐摩耗性および表面保護機能改善のため、WC基超硬合金、サーメット、高速度鋼等の硬質基材からなる切削工具や耐摩耗工具等の表面には、硬質被覆膜としてTiAlの窒化物を単層または複層形成することはよく知られているところである。しかしながら、最近の高速、ドライ加工では、TiAlの窒化物からなる被覆膜では十分な工具寿命が得られないのが現状である。
【0004】
このような状況下、被覆膜の耐熱性を向上し、長い工具寿命を実現する方法として、特許文献1には、TiとAlとの複合窒化物において、さらにSiを添加した被覆膜が提案されている。このようにSiを含む被覆膜は、その表面にSiを含有する緻密な酸化保護膜が形成されることから、TiAlの窒化物からなる被覆膜よりも耐熱性が優れるという利点がある。しかし、その一方で特許文献1に開示される被覆膜は、その硬度および靭性の性能が十分ではないという問題があった。
【0005】
他方、特許文献2〜4では、物理蒸着法を用いて酸化物を形成することによって、被覆膜の耐熱性を向上させる試みがなされている。しかしながら、被覆膜中の酸素含有量が多いことに起因して、硬度が低下することになるため、耐摩耗性が十分ではないという問題があった。
【0006】
このような問題を解決する試みとして、特許文献5および特許文献6には、Tiの窒化物、炭窒化物、窒酸化物、または炭窒酸化物にSiを適量含有した層と、TiおよびAlを主成分とする窒化物、炭窒化物、窒酸化物、または炭窒酸化物からなる層とを交互に積層した被覆膜が開示されている。また、特許文献7には、AlTiSiNからなる層と、TiSiNからなる層とを交互に積層した被覆膜が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開平07−310174号公報
【特許文献2】特開2004−124246号公報
【特許文献3】特表2008−533310号公報
【特許文献4】特表2010−506049号公報
【特許文献5】特開2000−334606号公報
【特許文献6】特開2000−334607号公報
【特許文献7】特開2003−291005号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかしながら、上記特許文献5および特許文献6に開示されるTiSi系の被覆膜は、圧縮残留応力が極端に高いことにより、被覆膜自体が自己破壊しやすいため、基材または下層との密着性が十分ではないという問題があった。また、上記の特許文献7で開示されている被覆膜は、耐熱性、硬度、および靭性に優れる一方、かかる被覆膜で被覆した切削工具を用いて切削加工を行なうと、積層構造中の層間で剥離する傾向があり、十分な工具寿命が得られないという問題があった。
【0009】
本発明は、上記のような現状に鑑みなされたものであって、その目的とするところは、耐摩耗性、耐欠損性、および密着性を兼ね備えた被覆膜を表面に有する表面被覆切削工具を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者らは、上記の課題を解決するために、被覆膜の組成について種々の検討を重ねたところ、被覆膜の表面側に酸素を含有せしめることにより、高速・ドライ加工において良好な工具性能を示すという知見を得た。かかる知見に基づいて、AlTiSiNからなる層、およびTiSiNからなる層の原子比についてさらに鋭意検討を重ねることにより、ついに本発明を完成させたものである。
【0011】
すなわち、本発明の表面被覆切削工具は、基材とその上に形成された被覆膜とを備え、該被覆膜は、AlaTibSicdef(ただし式中、0.35≦a≦0.7、0<c≦0.1、0≦d≦0.3、a+b+c+d=1、0<e≦1、0≦f<1、e+f=1)からなるA層と、TigSihMeief(ただし式中、0<h≦0.1、0≦i≦0.3、g+h+i=1、0<e≦1、0≦f<1、e+f=1)からなるB層とが交互に各2層以上積層された積層体を含み、式中MおよびMeは、それぞれ独立してV、Cr、Zr、Nb、Mo、Hf、Ta、およびWからなる群より選ばれる1種以上の元素を示し、被覆膜の表面から被覆膜の厚み方向に被覆膜全体の厚みの10%以上50%以下の領域が、酸素を含有する酸素含有領域となっており、酸素含有領域において、A層およびB層は、f>0であることを特徴とする。
【0012】
上記の酸素含有領域において、fは、0.002≦f≦0.1であることが好ましく、上記のfは、被覆膜の厚み方向で変化し、1以上の極大値および1以上の極小値を有し、いずれか1の極大値と、いずれか1の極小値との差は、0.005以上であることが好ましい。
【0013】
被覆膜は、1μm以上10μm以下の厚みであることが好ましい。A層およびB層はそれぞれ、2nm以上10nm以下の厚みであることが好ましい。被覆膜は、アークイオンプレーティング法により形成されることが好ましい。
【発明の効果】
【0014】
本発明の表面被覆切削工具は、上記のような構成を有することにより、耐摩耗性、耐欠損性、および密着性を兼ね備えるという優れた効果を示す。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】基材直上にA層およびB層が交互に積層された積層体を有する被覆膜を形成した表面被覆切削工具の模式的な断面図である。
【図2】アークイオンプレーティング装置の概略図である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下、本発明について、詳細に説明する。なお、以下の実施の形態の説明では、図面を用いて説明しているが、本願の図面において同一の参照符号を付したものは、同一部分または相当部分を示している。なおまた、本発明において、各層の厚みは走査型電子顕微鏡(SEM:Scanning Electron Microscope)または透過型電子顕微鏡(TEM:Transmission Electron Microscope)により測定し、被覆膜の組成はエネルギー分散型X線分析装置(EDS:Energy Dispersive x-ray Spectroscopy)により測定するものとする。
【0017】
<表面被覆切削工具>
本発明の表面被覆切削工具は、基材とその上に形成された被覆膜とを備えたものである。このような基本的構成を有する本発明の表面被覆切削工具は、たとえばドリル、エンドミル、フライス加工用または旋削加工用刃先交換型切削チップ、メタルソー、歯切工具、リーマ、タップ、またはクランクシャフトのピンミーリング加工用チップ等として極めて有用に用いることができる。
【0018】
<基材>
本発明の表面被覆切削工具の基材としては、このような切削工具の基材として知られる従来公知のものを特に限定なく使用することができる。たとえば、超硬合金(たとえばWC基超硬合金、WCの他、Coを含み、あるいはさらにTi、Ta、Nb等の炭窒化物等を添加したものも含む)、サーメット(TiC、TiN、TiCN等を主成分とするもの)、高速度鋼、セラミックス(炭化チタン、炭化硅素、窒化硅素、窒化アルミニウム、酸化アルミニウム、およびこれらの混合体など)、立方晶型窒化硼素焼結体、ダイヤモンド焼結体等をこのような基材の例として挙げることができる。このような基材として超硬合金を使用する場合、そのような超硬合金は、組織中に遊離炭素やη相と呼ばれる異常相を含んでいても本発明の効果は示される。
【0019】
なお、これらの基材は、その表面が改質されたものであっても差し支えない。たとえば、超硬合金の場合はその表面に脱β層が形成されていたり、サーメットの場合には表面硬化層が形成されていてもよく、このように表面が改質されていても本発明の効果は示される。
【0020】
<被覆膜>
図1は、基材直上にA層およびB層が交互に積層された積層体を有する被覆膜を形成した表面被覆切削工具の模式的な断面図である。本発明の被覆膜101は、図1に示されるように、AlaTibSicdef(ただし式中、0.35≦a≦0.7、0<c≦0.1、0≦d≦0.3、a+b+c+d=1、0<e≦1、0≦f<1、e+f=1)からなるA層102と、TigSihMeief(ただし式中、0<h≦0.1、0≦i≦0.3、g+h+i=1、0<e≦1、0≦f<1、e+f=1)からなるB層103とが交互に各2層以上積層された積層体を含み、上記式中のMおよびMeは、それぞれ独立してV、Cr、Zr、Nb、Mo、Hf、Ta、およびWからなる群より選ばれる1種以上の元素を示し、被覆膜101の表面から被覆膜の厚み方向に被覆膜全体の厚みの10%以上50%以下の領域が、酸素を含有する酸素含有領域104となっており、該酸素含有領域104において、A層およびB層は、f>0であることを特徴としている。
【0021】
このような本発明の被覆膜は、基材上の全面を被覆する態様を含むとともに、部分的に被覆膜が形成されていない態様をも含み、さらにまた部分的に被覆膜の一部の積層態様が異なっているような態様をも含む。また、本発明の被覆膜は、その全体の厚みが1μm以上10μm以下であることが好ましい。1μm未満であると耐摩耗性に劣る場合があり、10μmを超えると靭性が低下するため好ましくない。このような被覆膜の特に好ましい厚みは2μm以上7μm以下である。なお、上記の被覆膜は、A層、およびB層以外の他の任意の層を含んでいてもよい。
【0022】
以下、このような被覆膜についてさらに詳細に説明する。
<A層>
積層体を構成するA層は、AlaTibSicdef(ただし式中、0.35≦a≦0.7、0<c≦0.1、0≦d≦0.3、a+b+c+d=1、0<e≦1、0≦f<1、e+f=1)からなることを特徴とする。このようなA層は、耐熱性、硬度、および応力バランスに優れるため、高速、ドライ加工時の刃先の耐欠損性に効果的である。上記のSiの原子比cは、0.1以下であることにより、耐熱性を向上しつつ圧縮応力の増加を抑えることができ、密着性の低下を避けることができる。また、上記aは0.5≦a≦0.6であり、上記cは0.03≦c≦0.08であることがより好ましい。この場合耐熱性、硬度、および圧縮残留応力のバランスがさらに良好なものとなる。上記式中、aが0.35未満であるか、またはcが0.1を超えると、耐酸化性および硬度を向上させる効果を十分に得ることができず、aが0.7を超えると、被覆膜の硬度が大きく低下して耐摩耗性が低下するため好ましくない。なお、A層における窒素の原子比eおよび酸素の原子比fの好適な数値範囲に関しては後述する。
【0023】
ここで、A層を構成するMは、V、Cr、Zr、Nb、Mo、Hf、Ta、およびWからなる群より選ばれる1種以上の元素であることを特徴とする。このような元素を30原子%以下の割合でA層に含むことにより、A層中で固溶強化が生じ、A層の硬度を高めることができる。上記の元素の中でも、V、Nb、Mo、W等は、切削時の発熱によって酸化物を形成し、自己潤滑効果が発揮されるため、工具寿命を長寿命化することができるというメリットがある点で好ましい。
【0024】
なお、AlaTibSicdefという表記において、「AlaTibSicd」と、「Nef」との組成比は1:1の場合のみに限られるものではなく、組成比として可能である比を全て含み得るものであり、両者の比は特に限定されない。
【0025】
<B層>
上記のA層とともに積層体を構成するB層は、TigSihMeief(ただし式中、0<h≦0.1、0≦i≦0.3、g+h+i=1、0<e≦1、0≦f<1、e+f=1)からなることを特徴とする。このようなB層は、耐摩耗性と靭性に優れるが、さらなる高速、ドライ加工へ対応するためにはそれ単体では限界があるため、本発明においては上記のA層と交互に積層されるものである。上記のhが0.1以下であることにより、B層の急激な圧縮応力の増加を抑制し、密着性の低下を抑制することができる。ここで、上記gは0.03≦h≦0.08であることがより好ましく、この場合耐摩耗性と靭性のバランスが一層良好なものとなる。上記式中、hが0.1を超えると、圧縮残留応力が大きくなり、層間剥離が生じやすくなるため好ましくない。
【0026】
ここで、B層を構成するMeは、上記のA層を構成するMと同様に、V、Cr、Zr、Nb、Mo、Hf、Ta、およびWからなる群より選ばれる1種以上の元素であることを特徴とする。このような元素を30原子%以下の割合でB層に含むことにより、B層中で固溶強化が生じ、B層の硬度を高めることができる。上記の元素の中でも、V、Nb、Mo、W等は、切削時の発熱によって酸化物を形成し、自己潤滑効果が発揮されるため、工具寿命を長寿命化することができるというメリットがある点で好ましい。
【0027】
なお、TigSihMeiefという表記において、「TigSihMei」と「Nef」との組成比は1:1の場合のみに限られるものではなく、組成比として可能である比を全て含み得るものであり、両者の比は特に限定されない。
【0028】
<酸素含有領域>
本発明において、被覆膜の表面から被覆膜の厚み方向に被覆膜全体の厚みの10%以上50%以下の領域が、酸素を含有する酸素含有領域であることを特徴とする。このように被覆膜の表面側から一定の厚みに酸素を含ませることにより、被覆膜の表面側の結晶粒の粗大化を抑制することができ、被覆膜の表面が高硬度化するとともに、耐摩耗性を著しく向上させることができる。しかも、酸素が含有されることにより、被削材との摩耗係数が低減し、もって耐溶着摩耗性を向上させることもできる。上記の酸素含有領域が、被覆膜全体の厚みの10%未満であると、被覆膜の表面を十分に高硬度化することができず、50%を超えると、圧縮応力が増大することによって、基材との密着性が低下するため好ましくない。上記の酸素含有領域は、被覆膜全体の厚みの15%以上45%以下であることが好ましく、より好ましくは20%以上40%以下である。
【0029】
上記の酸素含有領域において、A層およびB層に含まれる酸素の原子比fは、f>0であることが必須であるが、0.002≦f≦0.1であることが好ましく、より好ましくは0.005≦f≦0.05である。酸素の原子比fが0.002未満であると、被覆膜を構成する結晶粒の粗大化を抑制することができず、0.1を超えると、被覆膜中に酸化物が生成されることによって硬度が低下するため好ましくない。
【0030】
上記の酸素含有領域において、酸素の原子比fは、被覆膜の厚み方向で変化し、1以上の極大値および1以上の極小値を有し、いずれか1つの極大値と、いずれか1の極小値との差は0.005以上であることが好ましい。このように被覆膜の厚み方向に酸素の原子比fを変化させることにより、酸素含有領域の結晶粒の結晶成長を効果的に阻害し、もって被覆膜の表面の結晶構造をさらに緻密にして高硬度化することができる。上記の極大値と極小値との差は、0.01以上であることがより好ましく、さらに好ましくは0.015以上である。
【0031】
<A層およびB層の厚み>
上記のようなA層およびB層はそれぞれ、20nm以下の厚みであることが好ましい。このような厚みのA層およびB層を2層以上交互に積層させることにより、A層およびB層の密着が強固なものとなり、層間の剥離を抑制しつつ、A層およびB層の両層が有するそれぞれの特性を享受することができる。かかるA層およびB層は、層間で剥離しない程度に薄くすることにより密着性を向上できることから、可能な限り薄い厚みであることが好ましいが、製造設備の都合上、2nm以上10nm以下であることがより好ましい。これらの厚みが2nm未満の場合、成膜装置の基材をセットする回転テーブルの回転数が早すぎて、装置のスペック上成膜が困難となり、20nmを超えると厚みが厚すぎるため、A層およびB層の両層が有するそれぞれの特性を享受することができない。
【0032】
<製造方法>
本発明の被覆膜は、物理的蒸着法(PVD法)により形成されることが好ましい。これは、本発明の被覆膜を基材表面に成膜するためには結晶性の高い化合物を形成することができる成膜プロセスであることが不可欠であり、種々の成膜方法を検討した結果、物理的蒸着法を用いることが最適であることが見出されたからである。物理的蒸着法には、たとえばスパッタリング法、イオンプレーティング法などがあるが、特に原料元素のイオン率が高いカソードアークイオンプレーティング法を用いると、被覆膜を形成する前に基材表面に対して金属またはガスイオンボンバードメント処理が可能となるため、被覆膜と基材との密着性が格段に向上するので好ましい。
【0033】
したがって、本発明の被覆膜は、物理的蒸着法の一種であるカソードアークイオンプレーティング法を採用して形成することが好ましい。図2は、アークイオンプレーティング装置の概略図である。対向する蒸発源201、202において、蒸発源201にはA層用のAlTiSiMターゲットをセットし、蒸発源202にはB層用のTiSiMeターゲットをセットする。また、回転テーブル204に基材210(切削工具)をセットする。
【0034】
ここで、蒸発源201にセットされるターゲットの組成(AlとTiとSiとMとの比)によりA層を構成するAlaTibSicdefのa、b、c、およびdを決定することができる。また、蒸発源202にセットされるターゲットの組成(TiとSiとMeとの比)によりB層を構成するTigSihMeiefのg、h、およびiを決定することができる。また、装置内に導入するN2ガスおよびO2ガスの体積比によって、AlaTibSicdefおよびTigSihMeiefのeおよびfを決定することができる。
【0035】
そして、装置内が真空となるように排気した後に、装置内をたとえば500℃に加熱した状態で回転テーブル204を5rpmで回転させながら、Arガスによるスパッタクリーニング(ボンバード)を行なう。その後、基材に−50Vのバイアス電圧を印加し、回転テーブル204を3rpmで回転させながら、常に一定のアーク電流により蒸発源201、202をアーク放電させることにより、各ターゲットをイオン化させる。同時に反応ガスであるN2ガスを3Paとなるようにガス導入口205から導入し、基材210の表面にA層およびB層を交互に成膜する。
【0036】
すなわち、蒸発源201の前を基材210が通過するときにAlaTibSicdNからなるA層が成膜され、蒸発源202の前を基材210が通過するときにTigSihMeiNからなるB層が成膜され、このように回転テーブル204が回転するのに従いA層とB層とを順次交互に積層させることができる。ここでは、酸素を導入しないため、A層およびB層に酸素は含まれない。
【0037】
そして、ある程度成膜が進んだ段階で、反応ガスであるN2ガスの一部をO2ガスに代えることにより、A層およびB層の組成の一部に酸素を導入し、酸素含有領域を成膜することが可能となる。このときA層は、AlaTibSicdefで表される組成となり、B層は、TigSihMeiefで表される組成となる。O2ガスの流量比は、N2ガスの流量およびO2ガスの流量の合計に対し、5体積%以下とすることが好ましい。O2ガスの流量比が5体積%を超えると、A層およびB層に導入される酸素の原子比が大きくなりすぎて、被覆膜の圧縮応力が大きくなるため好ましくない。
【0038】
上記のO2ガスの流量比は、経時的に増減させながら酸素含有領域を形成することが好ましい。これにより酸素含有領域における酸素の原子比を、被覆膜の厚み方向に変化させることができ、被覆膜の表面の結晶構造を微細化することができる。しかも、O2ガスの流量比を変化させて被覆膜を成膜すると、被覆膜の応力分布が変化するためか、その原因は定かではないが、耐欠損性を向上することができる。
【0039】
成膜する間の蒸発源201のアーク電流、およびテーブルの回転数を調整することにより、A層およびB層の厚みを調整することができる。すなわち、上記の蒸発源201、202のアーク電流を低くするほど、A層およびB層の厚みは薄く形成される。ただし、ターゲットの放電を安定させるためにはアーク電流は80A以上とする必要がある。アーク電流を80A未満にすると、アーク放電が不安定になり、A層およびB層の厚みを均一に形成しにくくなる。
【0040】
また、アーク電流を150A程度とした場合、テーブルの回転数を3rpm以上とすることにより、10nm以下の厚みのA層およびB層を形成することができ、5rpm以上とすることが好ましい。テーブルの回転数を3rpm未満にすると、A層およびB層の厚みが20nmを超える場合があり、15rpmを超えることは製造設備の制約上好ましくない。
【0041】
また、酸素含有領域におけるA層およびB層を成膜するときには、酸素導入による被覆膜の残留応力の増大を防ぐために、基材に印加するバイアス電圧を−100V以下とする必要があり、好ましくは−70V以下とする。このように微量の酸素を導入することにより、炉壁や冶具台車の表面に形成される絶縁物が電気伝導性を示すことになるため、それらの表面に完全な絶縁物が形成されなくなる。このため、次回の成膜の前に、炉壁や冶具台車の表面の絶縁物を取り除くメンテナンス作業がほとんど不要となり、生産性として優れたものとなる。
【0042】
各層の厚みは、回転テーブル204の回転数、およびアーク電流値により制御することができる。なお、A層およびB層の各厚みが2nm未満では回転テーブルの回転数が非常に早くなり、装置スペック上成膜が困難となる。なお、アークイオンプレーティング装置200は、複数のヒータ206が備えられている。
【実施例】
【0043】
以下、実施例を挙げて本発明をより詳細に説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0044】
各実施例および各比較例では、図2のようなアークイオンプレーティング装置を用い、各層形成用のターゲットを蒸発源にセットし、基材上に被覆膜を成膜した。
【0045】
基材としては、P20相当超硬合金製フライス用スローアウェイチップ(形状:SDKN42MT)を準備し、それぞれ表1に示した各実施例および各比較例の被覆膜を成膜した。
【0046】
【表1】

【0047】
被覆膜は、表1中の「A層」および「B層」の欄に記載した組成のA層およびB層を積層させることにより構成した。なお、酸素含有領域においては、表1中の「A層」および「B層」の欄に記載した組成のうちの窒素の一部を酸素に置き換えたものを作製しているが、酸素の原子比fは厚み方向に変化しており、一定の値をとっていないものがほとんどであり、かつ窒素の原子比に比して十分小さいため、表1中には酸素の原子比を明記しないことにしている。「A層,B層厚み」の欄には、A層およびB層のそれぞれの厚みを示し、「全体厚み」の欄は、被覆膜の厚みを示した。
【0048】
そして、「酸素含有領域」の欄の「厚み」には、被覆膜の全体厚みに占める酸素含有領域の厚みの割合(%)を示し、「平均f」の欄には、酸素含有領域に含まれる酸素の原子比の平均値を示した。また、「極値」の欄には、fの値が極大値および極小値をとるときの個数を示し、「濃度差」の欄には、fの値の極大値とfの値の極小値との差を記載した。なお、酸素の原子比fの極大値および極小値がそれぞれ2以上ある場合は、最大となる極大値と最小となる極小値とを選択して、それらの差を濃度差として算出した。
【0049】
たとえば、実施例1においては、図2のアークイオンプレーティング装置を用い、蒸発源201のターゲット材料にAl0.55Ti0.4Si0.05をセットし、蒸発源202のターゲット材料にTi0.95Si0.05をそれぞれセットして、被覆膜を形成することにより表面被覆切削工具を作製した。被覆膜を目的の組成とするために、N2ガスを反応ガスとして導入し、さらにArガスおよびO2ガスを適宜導入してチャンバー内の圧力を調整した。
【0050】
まず、図2のアークイオンプレーティング装置のチャンバー内の圧力が真空になるように排気した後に、チャンバー内の温度を600℃まで昇温した。そして、Arガスを導入してチャンバー内の圧力を1.0Paに保持し、DCバイアス電圧を徐々に上げながら−1000Vとし、基材表面のクリーニング(ボンバード)を15分間行なった。その後アルゴンガスを排気した。これにより、Arイオンが基材表面をスパッタクリーニングし強固な汚れや酸化膜が除去された。
【0051】
次に、A層およびB層を成膜した。チャンバー内の圧力が3PaになるようにN2ガスを導入し、回転テーブル204を3rpmの回転数で回転させながら、Al0.55Ti0.4Si0.05ターゲットおよびTi0.95Si0.05ターゲットをアーク電流150Aとしてイオン化し、それぞれN2ガスと反応させることにより、基材上に厚み5nmのAl0.55Ti0.4Si0.05NからなるA層と、厚み5nmのTi0.95Si0.05NからなるB層とをそれぞれ交互に成膜した。そして、成膜開始から2.5時間経過後に、チャンバー内の圧力を3Paに維持したままN2ガスの一部をO2ガスに代えて、さらにA層およびB層を交互に1時間成膜した。
【0052】
上記のO2ガスの導入量は20分ごとに変えてA層およびB層を交互に成膜した。すなわち、最初の20分は、N2ガスおよびO2ガスの合計に対してO2ガスの流量が4体積%になるように酸素を導入し、次の20分は、N2ガスおよびO2ガスの合計に対してO2ガスの流量が1体積%になるようにO2ガスの導入量を減らし、最後の20分は、N2ガスおよびO2ガスの合計に対してO2ガスの流量が2体積%となるようにO2ガスを増やして導入した。以上のようにして、実施例1の表面被覆切削工具を作製した。なお、実施例2〜21および比較例1〜6、9〜10においても、上記の実施例1と同様に、O2ガスの流量および導入時間を調整しながら、酸素含有領域を作製した。一方、比較例7および8においては、O2ガスを導入せずに被覆膜を成膜した。
【0053】
実施例1における被覆膜は、該被覆膜の表面から被覆膜の厚み方向に被覆膜全体の厚みの30%の領域が、酸素を含有する酸素含有領域であった。該酸素含有領域における酸素の原子比fは、被覆膜の厚み方向に変化しており、極大値と極小値とを各1つずつ有し、それらの差は0.03であった。また、酸素含有領域における酸素の原子比fの平均は0.015であった。このようにして形成された被覆膜は、その厚みが4.8μmであり、A層およびB層が交互に各480層積層されたものであった。なお、酸素含有領域における酸素の原子比fの平均値、極大値、および極小値は、EDSによる測定値を採用した。
【0054】
(切削性能評価)
各実施例および各比較例の表面被覆フライス加工用スローアウェイチップについて次に示す切削条件にて評価を行なった。その切削評価の結果を表2に示す。
【0055】
(1)フライス連続評価
上記で作製した表面被覆フライス加工用スローアウェイチップを用いてフライス連続試験を行なった。フライス連続切削の条件は、基材として上記の通りP20相当超硬合金製スローアウェイチップ(形状:SDKN42MT)を用い、被削材としてSCM435(長さ300mm×幅200mmのブロック材)を用い、切削速度=300m/min、送り量=0.25mm/t、切込み量=1.5mm、切削油なしで行なった。切削時間15分時点での逃げ面の摩耗幅を測定した。摩耗幅が少ないほど、耐摩耗性に優れていることを示している。
【0056】
(2)フライス断続評価
上記で作製した表面被覆フライス加工用スローアウェイチップを用いてフライス断続試験を行なった。フライス断続切削の条件は、被削材として、S50C(長さ300mm×幅200mm)を用い、これにφ8のドリルで300穴を開けた断続面に対し、切削速度=100m/min、送り量=0.4mm/t、切込み量=1.5mm、切削油なしで行ない、チップの表面が欠損するまでに切削加工した距離を測定した。切削距離が長いほど、耐チッピング性に優れていることを示している。
【0057】
【表2】

【0058】
表2より、実施例の表面被覆切削工具は、比較例の表面被覆切削工具と比較して工具寿命が著しく向上しており、高速加工およびドライ加工に十分対応できることがわかった。これにより、本発明の表面被覆切削工具が、AlTiSiMNの特性とTiSiMeNの特性とを兼備し、耐摩耗性、耐欠損性、および密着性を兼ね備えたものであることが確認された。
【0059】
以上のように本発明の実施の形態および実施例について説明を行なったが、上述の各実施の形態および実施例の構成を適宜組み合わせることも当初から予定している。
【0060】
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなくて特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。
【符号の説明】
【0061】
100 表面被覆切削工具、101 被覆膜、102 A層、103 B層、104 酸素含有領域、110,210 基材、200 アークイオンプレーティング装置、201,202 蒸発源、204 回転テーブル、205 ガス導入口、206 ヒータ。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材とその上に形成された被覆膜とを備え、
前記被覆膜は、AlaTibSicdef(ただし式中、0.35≦a≦0.7、0<c≦0.1、0≦d≦0.3、a+b+c+d=1、0<e≦1、0≦f<1、e+f=1)からなるA層と、TigSihMeief(ただし式中、0<h≦0.1、0≦i≦0.3、g+h+i=1、0<e≦1、0≦f<1、e+f=1)からなるB層とが交互に各2層以上積層された積層体を含み、
前記式中MおよびMeは、それぞれ独立してV、Cr、Zr、Nb、Mo、Hf、Ta、およびWからなる群より選ばれる1種以上の元素を示し、
前記被覆膜の表面から前記被覆膜の厚み方向に前記被覆膜全体の厚みの10%以上50%以下の領域が、酸素を含有する酸素含有領域となっており、
前記酸素含有領域において、前記A層および前記B層は、f>0である、表面被覆切削工具。
【請求項2】
前記酸素含有領域において、前記fは、0.002≦f≦0.1である、請求項1に記載の表面被覆切削工具。
【請求項3】
前記酸素含有領域において、前記fは、前記被覆膜の厚み方向で変化し、1以上の極大値および1以上の極小値を有し、
いずれか1の前記極大値と、いずれか1の前記極小値との差は、0.005以上である、請求項1または2に記載の表面被覆切削工具。
【請求項4】
前記被覆膜は、1μm以上10μm以下の厚みである、請求項1〜3のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項5】
前記A層および前記B層はそれぞれ、2nm以上10nm以下の厚みである、請求項1〜4のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項6】
前記被覆膜は、アークイオンプレーティング法により形成される、請求項1〜5のいずれかに記載の表面被覆切削工具。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2012−166320(P2012−166320A)
【公開日】平成24年9月6日(2012.9.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−30783(P2011−30783)
【出願日】平成23年2月16日(2011.2.16)
【出願人】(503212652)住友電工ハードメタル株式会社 (390)
【Fターム(参考)】