説明

質量分析方法及び質量分析装置

【課題】シアル酸等、脱離し易い修飾物が結合した糖鎖、ペプチドをMS分析する際に、得られるマス(MS)スペクトルの感度を高めることで構造解析の精度を向上させる。
【解決手段】分析対象の化合物Aから生成された各種イオンをイオントラップ内に捕捉した後に、質量選別を行うことなく(シアル酸が脱離したイオンを捕捉したまま)[M+H]に対するCIDを実行する。これにより、1個のシアル酸が脱離した[M−Sia+2H]が増加するから、次に質量選別を行うことなく[M−Sia+2H]に対するCIDを実行する。このようにして全てのシアル酸が脱離した[M−3Sia+4H]を増量した後に、該イオンに対する質量選別及びCIDを実行し、該イオンに由来する各種プロダクトイオンを生成させてそれを質量分析・イオン検出する。従来手法では分析に使用されていないイオンがマススペクトルに反映されるため高感度となる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、イオントラップ質量分析装置等、MS分析(n≧2の整数)が可能な質量分析装置を用いた質量分析方法、及び該方法を実施するための質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
糖鎖やペプチドなどの高分子化合物の構造解析を行う際には、3次元四重極型イオントラップを搭載した質量分析装置によるMS分析が有用である(非特許文献1など参照)。こうしたイオントラップ質量分析装置を用いた高分子化合物に対する従来の一般的な分析手法は次の通りである。
【0003】
即ち、分析目的である化合物をイオン化してイオントラップ内に捕捉したあと、まず、特定の質量電荷比(m/z)を有するイオンをプリカーサイオンとして選択的にイオントラップ内に残し、他の不要なイオンをイオントラップ外部に排出するようなイオン選択操作を行う。その後、イオントラップ内に衝突誘起解離(Collision-Induced Dissosiation:CID)ガスを導入し、選択的に残したプリカーサイオンを励振させてCIDガスに衝突させることで解離を促す。場合によっては、1回のCID操作では目的とする構造体が十分に解離しないため、プリカーサイオンの選択とCID操作とを複数回繰り返すこともある。そうして分析対象の化合物由来のイオンに対し1回以上のCID操作を行うことで細かく断片化させたプロダクトイオンについて、質量走査を伴うイオンの検出を実行してマススペクトル(MSスペクトル)を取得し、このマススペクトルを解析して化合物の構造を推定する。
【0004】
このようなMS分析において、目的化合物に脱離し易い修飾物や官能基が含まれていると、分析の過程でそれらが優先的に脱離してしまい、他の結合部位が切れることによるプロダクトイオンの生成効率が低下する。そのため、目的化合物の構造が十分に反映されたマススペクトルが得られず、正確な構造解析に支障をきたすという問題がある。こうした現象は特に、1価イオンが生成し易いMALDIイオン源を用いた質量分析において低エネルギーCID(イオンに運動エネルギーを付与するための加速電圧が数V〜数十V程度であるようなCID)を利用した場合に顕著である。
【0005】
例えばMALDIイオン源を用いたイオントラップ質量分析装置において、酸性糖の一種であるシアル酸が結合している糖鎖やシアル酸結合糖鎖が付加した糖ペプチドを低エネルギーCIDで解離させると、シアル酸が優先的に脱離することが知られている。しかしながら、こうしたシアル酸の脱離はCIDの過程のみならず、インソース分解やクーリングガスとの衝突によっても容易に生じるため、CID操作を伴わない通常の質量分析でも、シアル酸の一部や全てが脱離したイオンのピークが観測される(非特許文献2など参照)。
【0006】
そこで、このような化合物に対して、一般的には次のような手順でMS分析を利用した構造解析が行われる。図5はこの手順を説明する模式図である。
いま、分析対象である化合物分子Aは脱離し易い修飾物aを3個有しているものとする(図5(a)参照)。ここでは、この修飾物aとしてシアル酸を想定しているが、修飾物aはこれに限らないことは後述の説明で明らかである。
【0007】
化合物分子AをMALDIイオン源でイオン化した場合、特段にCID操作を行わなくてもシアル酸が容易に離脱してしまう。このため、生成されたイオンを捕捉するイオントラップの内部には、シアル酸が脱離していないイオン[M+H]、1個のシアル酸が脱離したイオン[M−Sia+2H]、2個のシアル酸が脱離したイオン[M−2Sia+3H]+、 3個の(全ての)シアル酸が脱離したイオン[M−3Sia+4H]、という化合物分子A由来の4種のイオンが主として捕捉される(図5(b)参照)。なお、図5(b)では、説明を簡単にするために4種のイオンを1個ずつ記載しているが、これらイオンが同比率で生成されることを意味するものではなく、その生成比率は化合物の構造や分析条件などに依存する。
【0008】
シアル酸を含む化合物の構造を解析するには、本来、シアル酸も含めた構造情報を得る必要がある。しかしながら、上述したようにシアル酸付加化合物分子をCIDにより開裂させるとシアル酸脱離イオンが優位に生成するため、他の部位の開裂に由来するプロダクトイオンは得にくくなる。そこで、最終的にはMS分析でシアル酸が全て脱離したイオンをCIDにより開裂させる必要がある。そのため、シアル酸が全て脱離したイオンが検出されている場合には、そのイオンを直接CIDにより開裂させることが一般的に行われている。
【0009】
そこで、通常、上述したようにイオントラップ内に捕捉されている化合物分子A由来の4種のイオンのうち、全てのシアル酸が脱離したイオン[M−3Sia+4H]をプリカーサイオンとして選別し、他のイオンをイオントラップ内から排除するようにイオン選択操作を行う。そのあとにイオントラップ内にCIDガスを導入し、残しておいたイオン[M−3Sia+4H]をCIDにより解離させる(図5(c)参照)。これにより、イオン[M−3Sia+4H]が分裂した各種のプロダクトイオンが生成されるから、このプロダクトイオンに対し質量走査を行いつつイオンを検出することによりマススペクトルを取得する(図5(d)参照)。このマススペクトルには各種プロダクトイオンのピークが現れるから、これに基づいて、糖鎖結合部位、アミノ酸配列など、シアル酸を除く糖鎖組成を推定する。
このように全てのシアル酸が脱離したイオン[M−3Sia+4H]をプリカーサイオンとしたMS分析を行うことにより、化合物分子Aの構造解析に有用な情報を得ることができる。
【0010】
しかしながら、上述した従来の手法では、イオン化後にイオントラップ内に捕捉されているイオンの中で、シアル酸が含まれているイオンはイオン選択操作の際に廃棄されてしまい、これらイオンは実質的に分析に利用されないことになる。そのため、全てのシアル酸が脱離したイオン[M−3Sia+4H]の生成割合が非常に高く、それ以外のイオンの生成割合が無視できる程度であれば何ら問題はないが、そうでないと無駄に試料由来のイオンを捨ててしまうことになり、構造情報を得るための各種プロダクトイオンの検出感度を下げる大きな要因となる。
【0011】
1つの実例として、シアル酸結合糖鎖が付加した糖ペプチドの一種であるウシフェツイン(Bovine fetuin)由来糖ペプチド(Fet−GP3)を試料としてMALDIデジタルイオントラップ質量分析装置で測定した結果を示す(なお、デジタルイオントラップ質量分析装置については特許文献1、2など参照)。MALDI用のマトリックスは、10mM ammonium phosphateを含む3-aminoquinoline/a-Cyano-4-hydroxycinnamic acidである。
【0012】
図6はFet−GP3の概略構造を示す図である。Fet−GP3は3個のシアル酸を含み、図5(a)に示した化合物分子Aに相当する。図7は、Fet−GP3に対しCID操作を伴わない通常の質量分析で得られるマススペクトルである。この図をみると、全てのシアル酸が脱離したイオン[M−3Sia+4H]以外の3種のイオンが、かなり高い強度で存在していることが分かる。上記のような分析手法では、試料由来のこうしたイオンが分析に利用されないために、構造情報を含むプロダクトイオンの検出感度が上がりにくいことが容易に想像できる。そうしたマススペクトルの感度の低さにより、構造解析が困難になって効率が下がるとともに解析の精度も低下するおそれがある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0013】
【特許文献1】特表2005−512276号公報
【特許文献2】特表2003−512702号公報
【非特許文献】
【0014】
【非特許文献1】山田、福山、「MALDI−QIT−TOFMSによるタンパク質糖鎖修飾解析」、島津評論、島津評論編集部、第63巻、第1・2号、2006年9月29日発行、p.67−71
【非特許文献2】関谷、飯田、「質量分析による糖鎖解析」、トレンズ・イン・グリコサイエンス・アンド・グリコテクノロジー(Trends in Glycoscience and Glycotechnology)、第20巻、第111号、2008年1月、p.55−65
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0015】
本発明は上記課題に鑑みて成されたものであり、その目的とするところは、脱離し易い修飾物や官能基などが存在する高分子化合物の構造解析を行うに際し、構造解析に有用な情報を含むマススペクトルを高い検出感度で得ることができる質量分析方法及び質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0016】
上記課題を解決するために成された第1発明は、イオンを捕捉しつつ解離させることが可能なイオン保持手段を具備する質量分析装置を用いた質量分析方法であって、前記イオン保持手段に捕捉されている解離操作対象である第1のイオン種が、同時に該イオン保持手段に捕捉されている第2のイオン種の解離で生成されるプロダクトイオンと同一種であるとき、
a)第2のイオン種に対し質量電荷比に応じたイオン選別操作を行うことなく解離操作を行うことにより、その解離操作の前から前記イオン保持手段に存在する第1のイオン種を該イオン保持手段に捕捉し続けつつ、第2のイオン種由来のプロダクトイオンである第1のイオン種を新たに生成させる予備的解離ステップと、
b)前記予備的解離ステップにより新たに生成された第1のイオン種を、該予備的解離ステップにおいて捕捉し続けていた第1のイオン種に加えて捕捉し、それら第1のイオン種をプリカーサイオンとして質量電荷比に応じて選別した上で解離させる主解離ステップと、
を実行することを特徴としている。
【0017】
上記第1発明に係る質量分析方法では、イオン保持手段に捕捉されている解離操作対象である第1のイオン種が、同時に該イオン保持手段に捕捉されている第2のイオン種の複数段階の解離で生成されるプロダクトイオンと同一種であるときには、上記予備的解離ステップにおいて、第2のイオン種に対し質量電荷比に応じたイオン選別操作を行うことなく解離操作を行うことにより、その解離操作の前から前記イオン保持手段に存在する第1のイオン種を該イオン保持手段に捕捉し続けつつ、第2のイオン種由来のプロダクトイオンを新たに生成させ、次に、該プロダクトイオンに対し質量電荷比に応じたイオン選別操作を行うことなく解離操作を行うことにより、その解離操作の前から前記イオン保持手段に存在する第1のイオン種を該イオン保持手段に捕捉し続けつつ、第2のイオン種由来のさらに小さな質量電荷比を有するプロダクトイオンを新たに生成させる、という操作を複数回繰り返すことにより、第2のイオン種由来の第1のイオン種を新たに生成させることを特徴としている。
【0018】
第1発明に係る質量分析方法における分析対象の化合物は、典型的には、イオン化の過程やイオン源からイオン保持手段までイオンが輸送される過程で容易に脱離する修飾物や官能基が基幹的構造部に対し1乃至複数結合している化合物である。具体的には、こうした修飾物・官能基としてシアル酸、硫酸基、リン酸基などを挙げることができる。例えば、こうした脱離し易い修飾物・官能基が全て脱離した状態の目的化合物由来のイオンが上記第1のイオン種であり、修飾物・官能基が全く脱離していない状態又は少なくとも1つは脱離せずに残っている状態の目的化合物由来のイオンが上記第2のイオン種である。
【0019】
第1発明に係る質量分析方法において、予備的解離ステップは、脱離し易い修飾物・官能基を除いた基幹的構造部のイオンを増量するための解離操作を行うものである。即ち、従来であれば、特定の質量電荷比を有するイオンのみをイオン保持手段に残すようなイオン選別操作を実行したあとに解離操作を実行するのに対し、本発明における予備的解離ステップでは、イオン選別操作を実行せずに第2のイオン種に対する解離操作を実行する。このとき、第1のイオン種はそのままイオン保持手段に残るため、第2のイオン種が解離することで新たに生成された第1のイオン種の分だけ、第1のイオン種の量が増えることになる。これにより、主解離ステップでイオン選別操作及び解離操作の対象となるプリカーサイオンの量が増えるため、その解離によって生成される各種プロダクトイオンの量も増える。
【0020】
したがって、例えば主解離ステップにより生成されたプロダクトイオンに対して質量分析・イオン検出を行う場合に、各プロダクトイオンの信号強度が高くなり、高い感度のマススペクトルを取得することができる。つまり、マススペクトル上で各ピークの強度が従来よりも上がるとともに、従来では検出できなかった(例えばノイズに埋もれていた)微量のプロダクトイオンも検出できるようになりピークに反映される。その結果、構造解析が行い易くなり効率化が図れるとともに、解析精度も向上する。
【0021】
もちろん、主解離ステップにより生成されたプロダクトイオンの1つを再びプリカーサイオンとして設定して解離操作を行う或いはそれを複数回繰り返し、より一層小さな質量電荷比のプロダクトイオンを生成して、該プロダクトイオンについて質量分析・イオン検出を行うようにしてもよい。このような分析により得られるマススペクトル(MSスペクトル)についても従来より高感度となるから、構造解析に有利であることは上記と同様である。
【0022】
第1発明に係る質量分析方法を適用可能な質量分析装置としては様々な態様を採り得る。質量分析装置に含まれる上記イオン保持手段は、イオンを捕捉する機能とイオンを解離させる機能とを有する。イオンを捕捉するためには電場又は磁場を利用することができ、電場を利用したものとしてイオントラップ(3次元四重極型又はリニア型)が挙げられ、磁場を利用したものとしてサイクロトロン共鳴型試料セルが挙げられる。また、イオンを解離させる手法としては、予備的解離ステップで第2のイオン種を解離する際に基幹的構造部まで分裂させることがないような比較的ソフトな解離手法が好ましい。こうしたことから、CID(低エネルギーCID)や赤外多光子吸収解離(Infrared Multi-Photon Dissosiation:IRMPD)が有用である。
【0023】
典型的には、上記イオン保持手段は、3次元四重極型イオントラップ、その内部にCIDガスを供給するガス供給部、イオントラップの各電極(リング電極、エンドキャップ電極)を駆動する駆動回路部、などを含むものとすることができる。この場合、主としてリング電極に印加される電圧(周波数及び/又は振幅)に応じてイオントラップ内に捕捉されるイオンの質量電荷比又はその範囲が決まり、エンドキャップ電極に印加される電圧(周波数及び/又は振幅)に応じて共鳴励振される(つまりCIDのための運動エネルギーを付与される)イオンの質量電荷比又はその範囲が決まる。したがって、イオントラップ内にCIDガスを導入した上で各電極に印加する電圧を適宜に決めることにより、予備的解離ステップにおけるイオン選別操作なしの解離操作を実施することができる。また、イオントラップ内にCIDガスを導入せずに各電極に印加する電圧を適宜に決めることにより主解離ステップにおけるイオン選別操作を実施し、引き続いてイオントラップ内にCIDガスを導入して各電極に印加する電圧を適宜に変更することにより、主解離ステップにおけるイオン選別操作後の解離操作を実施することができる。
【0024】
即ち、第1発明に係る質量分析方法を実施するための第2発明に係る質量分析装置は、目的とする化合物をイオン化し、そのイオンに対する1乃至複数段階の解離により生成されたプロダクトイオンを質量分析する質量分析装置において、
a)電場又は磁場の作用によりイオンを捕捉するイオン捕捉手段と、該イオン捕捉手段に捕捉されているイオンを解離させるイオン解離手段と、を含むイオン保持手段と、
b)前記イオン捕捉手段に捕捉されている解離操作対象である第1のイオン種が、同時に該イオン捕捉手段に捕捉されている第2のイオン種の解離で生成されるプロダクトイオンと同一種であるとの条件の下で、第1のイオン種を前記イオン捕捉手段に捕捉し続けつつ、第2のイオン種由来のプロダクトイオンである第1のイオン種を新たに生成させるべく、第2のイオン種に対し質量電荷比に応じたイオン選別操作なしに該イオンを解離させるように前記イオン捕捉手段及び前記イオン解離手段の動作を制御するとともに、新たに生成された第1のイオン種を、その生成以前から捕捉し続けていた第1のイオン種に加えて捕捉し、それら第1のイオン種をプリカーサイオンとして質量電荷比に応じて選別した上で解離させるように前記イオン捕捉手段及び前記イオン解離手段の動作を制御する制御手段と、
を備えることを特徴としている。
【0025】
第2発明に係る質量分析装置の好ましい一態様として、前記イオン捕捉手段は3次元四重極型のイオントラップ及びそのイオントラップを構成する各電極にイオン捕捉用の電圧を印加する駆動回路を含み、イオン解離手段はイオントラップ内にCIDガスを導入するガス供給部及びCID対象のイオンにエネルギーを付与するべくイオントラップを構成する各電極に励振用の電圧を印加する駆動回路を含むものとすることができる。当然のことながら、イオン捕捉手段とイオン解離手段の駆動回路は共通であって、その制御の切替えによって発生する電圧を変化させるものとすることができる。
【0026】
また第2発明に係る質量分析装置の別の態様として、3次元四重極型イオントラップに代えてリニア型イオントラップを用いるようにしてもよい。また、電場によりイオンを捕捉するイオントラップに代えて、磁場によりイオンを捕捉するサイクロトロン共鳴型試料セルを用いてもよい。またイオン解離手段は、IRMPDを行うためにイオン捕捉空間に赤外光を照射する光源を含むものとしてもよい。それ以外にも、上記のように第1発明に係る質量分析方法で採り得る様々な手法に対応した手段を採用できることは明らかである。
【0027】
なお、第1発明に係る質量分析方法及び第2発明に係る質量分析装置において、プロダクトイオンに対する質量分析・イオン検出は、イオントラップ等、イオン捕捉手段自体の質量選択機能を利用して行うようにしてもよいが、イオン捕捉手段の外部に飛行時間型質量分析器などの質量分析器を別途設け、イオン捕捉手段に捕捉していたイオンに運動エネルギーを与えることより一斉に吐き出して外部の質量分析器に導入し、そこで質量分析・イオン検出を行うようにしてもよい。
【発明の効果】
【0028】
本発明に係る質量分析方法及び質量分析装置によれば、脱離し易い修飾物や官能基が基幹的構造部に対し1乃至複数結合している化合物を質量分析(MS分析)する際に、従来よりも高い感度のマススペクトルを取得することができる。これにより、マススペクトルを利用した構造解析が行い易くなりその解析作業の効率化が図れるとともに、解析精度も向上する。
【図面の簡単な説明】
【0029】
【図1】本発明の一実施例であるイオントラップ質量分析装置の全体構成図。
【図2】本実施例の質量分析装置における特徴的な分析動作の処理手順を示すフローチャート。
【図3】本実施例の質量分析装置における特徴的な分析手法を説明するための模式図。
【図4】Fet−GP3に対してイオン選択を伴わないCIDを順次実行したときに得られるマススペクトルの実測例を示す図。
【図5】従来の分析手法を説明するための模式図。
【図6】実測で用いたFet−GP3の概略構造を示す図。
【図7】Fet−GP3のマススペクトルの実測例を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0030】
本発明に係る質量分析方法の分析手順を、既に説明した図5に対応する図3の模式図を参照しつつ説明する。ここでは、図5と同様に、脱離し易い修飾物aとしてシアル酸を有する化合物分子Aを分析対象として考える(図3(a)参照)。
【0031】
この化合物分子Aを例えばMALDIイオン源でイオン化すると、上述したようにシアル酸は離脱し易いため、イオントラップ内には、シアル酸が脱離していないイオン[M+H]、1個のシアル酸が脱離したイオン[M−Sia+2H]、2個のシアル酸が脱離したイオン[M−2Sia+3H] 3個の(全ての)シアル酸が脱離したイオン[M−3Sia+4H] 、という化合物分子A由来の4種のイオンが捕捉される(図3(b)参照)。これは従来と同じである。
【0032】
次に、質量電荷比に応じたイオン選択操作を行うことなく、シアル酸が脱離していないイオン[M+H]に対するCID(低エネルギーCID)操作を実行する。即ち、CID対象であるイオン[M+H]以外の3種のイオン[M−Sia+2H]、[M−2Sia+3H]、[M−3Sia+4H]をイオントラップから排出することなく捕捉し続けたまま、イオン[M+H]のみを励振させてCIDガスに衝突させ、解離を促す。このCIDによりイオン[M+H]からシアル酸が脱離する。一部のイオンからは2個以上のシアル酸が脱離するが、ここでは1個のシアル酸の脱離のみを考えることとする。すると、イオントラップ内において、シアル酸が脱離していないイオン[M+H]は消滅し、その代わりに1個のシアル酸が脱離したイオン[M−Sia+2H]の数が増加する(図3(c)参照)。
【0033】
次に、質量電荷比に応じたイオン選択操作を行うことなく、1個のシアル酸が脱離したイオン[M−Sia+2H]に対するCID(低エネルギーCID)操作を実行する。即ち、CID対象であるイオン[M−Sia+2H]以外の2種のイオン[M−2Sia+3H]、[M−3Sia+4H]をイオントラップから排出することなく捕捉し続けたまま、イオン[M−Sia+2H]のみを励振させてCIDガスに衝突させ、解離を促す。このCID操作によりイオン[M−Sia+2H]からシアル酸が脱離する。2個のシアル酸が脱離することもあるが1個のシアル酸の脱離のみを考えると、イオントラップ内において、1個のイオン[M−Sia+2H] は消滅し、その代わりに2個のシアル酸が脱離したイオン[M−2Sia+3H]の数が増加する(図3(d)参照)。
【0034】
さらに、質量電荷比に応じたイオン選択操作を行うことなく、2個のシアル酸が脱離したイオン[M−2Sia+3H]に対するCID(低エネルギーCID)操作を実行する。即ち、CID対象であるイオン[M−2Sia+3H]以外のイオン[M−3Sia+4H]をイオントラップから排出することなく捕捉し続けたまま、イオン[M−2Sia+3H]のみを励振させてCIDガスに衝突させ、解離を促す。このCID操作によりイオン[M−2Sia+3H]からシアル酸が脱離する。その結果、イオントラップ内において、イオン[M−2Sia+3H]は消滅し、その代わりに全てのシアル酸が脱離したイオン[M−3Sia+4H]の数が増加する(図3(e)参照)。
【0035】
理想的には、図3(b)に示した、初期的にイオントラップ内に捕捉されている化合物分子A由来の4種のイオン全てが1種のイオン[M−3Sia+4H]に変化し、その4種のイオンの総量が集約される1種のイオン[M−3Sia+4H]の量と等しくなる。ただし、現実的には、低エネルギーCIDが実行される際にイオン[M−3Sia+4H]の一部が解離されてより小さな質量電荷比のイオンに分裂するため、元の4種のイオン全てがイオン[M−3Sia+4H]となるわけではない。それでも、図3(b)の状態のときに存在していたイオン[M−3Sia+4H]の量に比べると、図3(e)では遙かに同イオンの量が増えることになる。
【0036】
以上のように、分析対象の化合物分子A由来であって、シアル酸が全て脱離したイオン[M−3Sia+4H]をイオントラップ内で十分に増量した後に、このイオン[M−3Sia+4H]をプリカーサイオンとして選択的にイオントラップ内に残すようにイオン選択操作を実行し、その後にそのプリカーサイオンを対象とするCID操作を実行する。これにより、シアル酸を除いた化合物分子Aの主要な構造部分が分裂し、重要な構造情報を含む様々なプロダクトイオンが生成される(図3(f)参照)。この各種プロダクトイオンについて質量走査を実行して質量電荷比の順にイオンを検出し、その検出信号に基づいてマススペクトルを作成する(図3(g)参照)。
【0037】
上述したようにプリカーサイオン[M−3Sia+4H]の量が従来よりも多いことによって、生成される各種プロダクトイオンの量も多くなる。その結果、マススペクトルに現れる各ピークの信号強度が高くなるとともに、従来であれば検出できなかったような微量のプロダクトイオンも検出されるようになる。各ピークの位置つまり質量電荷比や、信号強度つまり量は構造解析に有用な情報であるから、これにより、従来よりも構造解析が容易になり構造解析の精度も向上する。
【0038】
なお、[M−3Sia+4H]をプリカーサイオンとする1回のCID操作を行うのではなく、2回以上のCID操作、つまりはnが3以上のMS分析を実行するようにしてもよい。
【0039】
上記説明は化合物分子Aに修飾物aが3個存在する場合の例であるが、その存在個数に応じてイオン選択操作なしの低エネルギーCID操作を実行する回数が相違することは容易に理解できる。
【0040】
図6に概略構造を示したFet−GP3について、図3(b)、(c)、(d)、(e)の状態で質量分析を実行して取得したマススペクトルの実測例を図4に示す。このときの低エネルギーCIDはアルゴンガスをCIDガスとしたものであり、この低エネルギーCIDにより、シアル酸とガラクトースとの間のグリコシド結合の切断が優先的に生じる。そのため、シアル酸の脱離が顕著に観測される。
【0041】
図4(a)は図3(b)の状態の、つまり低エネルギーCIDを行わない状態で質量分析を実行して得られるマススペクトルである。このときのイオン[M−3Sia+4H]のピーク強度は24.0[nA]である。上述したように低エネルギーCIDを段階的に行うと高い質量電荷比のイオンが順に消滅し、最終的に図4(d)に示すように、全てのシアル酸がFet−GP3から脱離してイオン[M−3Sia+4H]に集約される。このとき、上述したイオン増量の効果により、イオン[M−3Sia+4H]のピーク強度は65.54[nA]まで増加している。即ち、この例では、イオン[M−3Sia+4H]の強度は2.7倍程度増加しており、これをプリカーサイオンとしてCID操作を行って生成したプロダクトイオンに対するマススペクトルにおいても、各イオンピークの強度が同程度増加することになる。
【0042】
次に、本発明に係る質量分析方法を実施する質量分析装置の一実施例について図1、図2により説明する。図1は本実施例の質量分析装置の全体構成図、図2は本実施例の質量分析装置において上記方法に基づく分析を実行する際の測定シーケンスのフローチャートである。
【0043】
この質量分析装置は、目的試料をイオン化するイオン化部1と、イオンを保持するとともに質量電荷比に応じて分離する3次元四重極型のイオントラップ2と、イオンを検出する検出部3と、を備える。この例ではイオントラップ2が本発明におけるイオン保持手段に相当する。
【0044】
MALDIを用いたイオン化部1は、パルス状のレーザ光を出射するレーザ照射部11、目的化合物分子を含むサンプルSが付着されたサンプルプレート12、レーザ光の照射によってサンプルSから放出されたイオンを引き出すとともにその引き出し方向を限定するアパーチャ13、引き出されたイオンを案内するイオンレンズ14、などを含む。もちろん、MALDI以外の他のレーザイオン化法やレーザ光を用いないイオン化法を用いても構わない。
【0045】
イオントラップ2は、円環状の1個のリング電極21と、これを挟むように対向して配置された、入口側エンドキャップ電極22及び出口側エンドキャップ電極24と、からなり、これら3個の電極21、22、24で囲まれた空間が捕捉領域となる。入口側エンドキャップ電極22の略中央にはイオン入射口23が穿設され、イオン化部1から出射したイオンはイオン入射口23を経てイオントラップ2内に導入される。一方、出口側エンドキャップ電極24の略中央にはイオン出射口25が穿設され、イオン出射口25を経てイオントラップ2内から排出されたイオンは検出部3に到達して検出される。さらに、イオントラップ2にはクーリングガス供給部26及びCIDガス供給部27が付設されており、制御部5の指示に基づいてクーリングガスやCIDガスをイオントラップ2に供給する。一例として、クーリングガスとしてはヘリウム(He)ガス、CIDガスとしてはアルゴン(Ar)ガスを用いることができるが、ガスの種類はこれに限らない。
【0046】
検出部3は、イオンを電子に変換するコンバージョンダイノード31と、コンバージョンダイノード31から到来する電子を増倍して検出する二次電子増倍管32とからなり、入射したイオンの量に応じた検出信号をデータ処理部4に送る。データ処理部4は、イオントラップ2において質量分離されつつ順次排出されるイオンに対して検出部3で得られる検出信号に基づいて、マススペクトル(MSnスペクトル)を作成する機能などを有する。
【0047】
主電源部6は制御部5による制御の下に、リング電極21にイオン捕捉用の矩形波電圧を印加するものである。イオン捕捉用矩形波電圧は例えば振幅が±百V〜1kV程度の範囲であり、また周波数fは通常数十kHz〜数MHz程度の範囲である。また補助電源部7は、イオントラップ2に捕捉されているイオンを低エネルギーCIDする際に該当イオンを共鳴励振させたり、或いは、イオントラップ2からイオンを排出したりするために、エンドキャップ電極22、24にそれぞれ相違する矩形波低電圧を印加するものである。
【0048】
CPUやメモリ、各種ハードウエア回路などを含んで構成される制御部5には、ユーザが分析のための各種パラメータなどを入力するための入力部8と、データ処理部4で得られるマススペクトル等の分析結果などが表示される表示部9とが接続されている。制御部5は分析を実行するために測定の手順、つまり測定シーケンスを制御プログラムとして有しているが、この実施例の質量分析装置では、上記方法を実施するための特徴的な測定シーケンスを格納した特定化合物測定シーケンス記憶部51を備えている。
【0049】
本実施例の質量分析装置を用いて脱離し易い修飾物や官能基を含む高分子化合物を分析したい場合、オペレータが入力部8で所定の操作を行うことで、以下のような特徴的な分析が実行される。脱離し易い修飾物や官能基としては例えば、シアル酸のほか、硫酸基、リン酸基などがあり、分析対象とし得る化合物としては、シアル酸結合糖鎖、シアル酸結合糖鎖が付加した糖ペプチド、硫酸化糖鎖、硫酸化ペプチド、リン酸化糖鎖、リン酸化ペプチドなどが代表的なものである。こうした化合物は解離操作を伴わない通常の質量分析を実行したときに、マススペクトルに図4(a)及び図7に示すような顕著なパターンが出現する。即ち、既知である上記修飾物(又は官能基)の質量電荷比を差に持つ複数のピークが現れる。したがって、仮に未知の化合物であっても、予備的な実験によりマススペクトルを取得してそのスペクトルパターンを確認することにより、分析対象とし得る化合物であるか否かがかなり高い確度で推定可能である。
【0050】
予備的な実験により図4(a)に示したようなマススペクトルを取得した上で、それと同一サンプルSに対する分析を指示すると、制御部5はマススペクトルデータから、元の化合物に由来するシアル酸(又は他の修飾物や官能基)が脱離していないイオン及び1又は複数個のシアル酸が脱離したイオンの質量電荷比をそれぞれパラメータとして抽出することができる。また、オペレータ自身が各イオンの質量電荷比を入力部8から入力するようにしてもよい。
【0051】
分析が開始されると、イオン化部1において、制御部5の制御の下にレーザ照射部11は短時間レーザ光を出射する。レーザ光はサンプルSに照射され、サンプルS中のマトリックスは急速に加熱されて目的化合物を伴い気化する。この際に目的化合物がイオン化される(ステップS1)。また、これとほぼ同時に又は先行して、クーリングガス供給部26からイオントラップ2内にクーリングガスを供給する(ステップS2)。レーザ照射により発生したイオンはイオンレンズ14により形成される静電場によって収束され、イオン入射口23を経てイオントラップ2内に導入され、主電源部6から印加されるイオン捕捉用矩形波電圧に応じて形成される高周波電場により捕捉される(ステップS3)。例えば目的化合物がFet−GP3である場合、イオントラップ2内には主として、[M+H]、[M−Sia+2H]、[M−2Sia+3H]、[M−3Sia+4H]の4種のイオンが捕捉される。
【0052】
制御部5はCIDガス供給部27からCIDガスをイオントラップ2内に導入する(ステップS4)。そして、全てのイオンをイオントラップ2内に捕捉するようにリング電極21に印加する矩形波電圧を保ちつつ、イオン[M+H]を共鳴励起させるような矩形波低電圧をエンドキャップ電極22、24に印加する。これにより、エネルギーを付与したイオン[M+H]をCIDガスに衝突させて解離を促進する(ステップS5)。その結果、イオン[M+H]からシアル酸が脱離したプロダクトイオン(主として[M−Sia+2H])が生成され、これが先のイオンとともにイオントラップ2内に捕捉される。それから、クーリングガス供給部26からクーリングガスをイオントラップ2内に導入し、生成されたプロダクトイオンのクーリングを行う(ステップS6)。
【0053】
適宜の時間クーリングを行った後、制御部5はCIDガス供給部27からCIDガスをイオントラップ2内に導入する(ステップS7)。そして、全てのイオンをイオントラップ2内に捕捉するようにリング電極21に印加する矩形波電圧を保ちつつ、イオン[M−Sia+2H]を共鳴励起させるような矩形波低電圧をエンドキャップ電極22、24に印加する。これにより、エネルギーを付与したイオン[M−Sia+2H]をCIDガスに衝突させて解離を促進する(ステップS8)。その結果、イオン[M−Sia+2H]からシアル酸が脱離したプロダクトイオン(主として[M−2Sia+3H])が生成され、これが先のイオンとともにイオントラップ2内に捕捉される。それから、クーリングガス供給部26からクーリングガスをイオントラップ2内に導入し、生成されたプロダクトイオンのクーリングを行う(ステップS9)。
【0054】
適宜の時間クーリングを行った後、制御部5はCIDガス供給部27からCIDガスをイオントラップ2内に導入する(ステップS10)。そして、全てのイオンをイオントラップ2内に捕捉するようにリング電極21に印加する矩形波電圧を保ちつつ、イオン[M−2Sia+3H]を共鳴励起させるような矩形波低電圧をエンドキャップ電極22、24に印加する。これにより、エネルギーを付与したイオン[M−2Sia+3H]をCIDガスに衝突させて解離を促進する(ステップS11)。その結果、イオン[M−2Sia+3H]からシアル酸が脱離したプロダクトイオン(主として[M−3Sia+4H])が生成され、これが先のイオンとともにイオントラップ2内に捕捉される。それから、クーリングガス供給部26からクーリングガスをイオントラップ2内に導入し、生成されたプロダクトイオンのクーリングを行う(ステップS12)。
【0055】
ステップS12までのCID操作の繰り返しにより、イオントラップ2内に捕捉されているイオン[M−3Sia+4H]は最初の状態から大幅に増量される。そして、適宜の時間クーリングを行った後、制御部5は、イオン[M−3Sia+4H]のみをプリカーサイオンとして残し、他のイオンを共鳴励起排出するように、リング電極21及びエンドキャップ電極22、24に印加している電圧の周波数を走査するべく主電源部6を制御する(ステップS13)。プリカーサイオン選択は例えば非特許文献1などに開示されている手法を用いることができる。簡単に説明すると、まずリング電極21に印加している矩形波電圧のデューティ比を0.5から変化させることにより、プリカーサイオンから質量電荷比が離れた不要なイオンを発散させて除去する。その後に、プリカーサイオンの質量電荷比に対応した周波数を除き、矩形波電圧の周波数を走査して不要なイオンを共鳴励起排出させることにより、高い分解能で目的とするプリカーサイオンのみをイオントラップ2内に残す。
【0056】
ステップS13のイオン選択が終わると、CIDガス供給部27からCIDガスをイオントラップ2内に導入し(ステップS14)、プリカーサイオンを共鳴励起させるように矩形波電圧の周波数を設定することにより、エネルギーを付与したプリカーサイオンをCIDガスに衝突させて開裂を促進する(ステップS15)。これにより、プリカーサイオン[M−3Sia+4H]が開裂して各種プロダクトイオンが生成され、これがイオントラップ2内に捕捉される。それから、クーリングガス供給部26からクーリングガスをイオントラップ2内に導入し、生成されたプロダクトイオンのクーリングを行う(ステップS16)。
【0057】
クーリングにより捕捉領域に各種プロダクトイオンを安定的に捕捉した後に、リング電極21、エンドキャップ電極22、24に印加する矩形波電圧の周波数を走査することで、捕捉していたイオンを質量電荷比に応じて順次共鳴励起させ、イオン出射口25から排出させる。排出されたイオンは検出部3に導入されて検出される。これによりイオンの質量分離及び検出が行われる(ステップS17)。データ処理部4は、上記の周波数走査に伴って検出部3から順次得られる検出信号を処理することにより、プロダクトイオンのマススペクトルを作成する。
以上のようにして、高い感度で各プロダクトイオンが検出されたマススペクトルを得ることができる。
【0058】
ステップS5、S8、S11におけるCID操作実行時にそれぞれ共鳴励振させるイオンの質量電荷比は、上述したような予備的に得られるマススペクトルから、或いは入力部8から入力された情報に基づいて特定される。また、ステップS13におけるイオン選択操作実行時に選択的に残すべきイオンの質量電荷比(ステップS15におけるCID操作実行時に共鳴励振させるイオンの質量電荷比も同じ)も、上述したような予備的に得られるマススペクトルから、或いは入力部8から入力された情報に基づいて特定される。したがって、上記ステップS1〜S17までの処理は、特定化合物測定シーケンス記憶部51に格納されている制御プログラムに従って制御部5が自動的に実行可能である。また、目的化合物に含まれる修飾物(又は官能基)の数に応じて、またその質量電荷比に応じて、測定シーケンスは適宜に修正され、常に全ての修飾物(又は官能基)が脱離した状態のプリカーサイオンが用意され、このプリカーサイオンを解離させることで生成されたプロダクトイオンのマススペクトルを取得することができる。
【0059】
また、さらに全ての修飾物(又は官能基)が脱離した状態のプリカーサイオンが解離されることで生成されたプロダクトイオンの中の1つを、プリカーサイオンとして選択し解離させる、という操作を複数回繰り返すようにしてもよい。このように全ての修飾物(又は官能基)が脱離した状態のイオンに対するnが3以上のMS分析を実行する場合でも、そのイオンが増量されることにより最終的に得られるマス(MS)スペクトルの感度が向上する。
【0060】
なお、上記実施例では、矩形波電圧により駆動されるデジタルイオントラップを利用しているが、正弦波電圧により駆動される一般的なイオントラップを利用してもよい。
【0061】
また上記実施例では、イオンを解離させるために低エネルギーCIDを利用していたが、比較的低エネルギーでイオンを解離させる他の解離手法を利用することもできる。例えば、赤外レーザ光をイオンに照射し、多光子吸収によってイオンの内部エネルギーを上昇させて解離を促す赤外多光子吸収解離(IRMPD)などを利用してもよい。
【0062】
また、上記実施例では、イオン保持手段として3次元四重極型のイオントラップを利用していたが、イオンを捕捉しつつ特定のイオンを解離させることが可能であれば、他の構成のイオン保持手段を利用するも可能である。例えば、電場ではなく静磁場を利用してイオンを捕捉するフーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴型の質量分析装置(FFT−ICRMS)に本発明を適用することも可能である。
【0063】
また、上記実施例は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜変形、修正、追加等を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【符号の説明】
【0064】
1…イオン化部
11…レーザ照射部
12…サンプルプレート
13…アパーチャ
14…イオンレンズ
2…イオントラップ
21…リング電極
22…入口側エンドキャップ電極
23…イオン入射口
24…出口側エンドキャップ電極
25…イオン出射口
26…クーリングガス供給部
27…CIDガス供給部
3…検出部
31…コンバージョンダイノード
32…二次電子増倍管
4…データ処理部
5…制御部
51…特定化合物測定シーケンス記憶部
6…主電源部
7…補助電源部
8…入力部
9…表示部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオンを捕捉しつつ解離させることが可能なイオン保持手段を具備する質量分析装置を用いた質量分析方法であって、前記イオン保持手段に捕捉されている解離操作対象である第1のイオン種が、同時に該イオン保持手段に捕捉されている第2のイオン種の解離で生成されるプロダクトイオンと同一種であるとき、
a)第2のイオン種に対し質量電荷比に応じたイオン選別操作を行うことなく解離操作を行うことにより、その解離操作の前から前記イオン保持手段に存在する第1のイオン種を該イオン保持手段に捕捉し続けつつ、第2のイオン種由来のプロダクトイオンである第1のイオン種を新たに生成させる予備的解離ステップと、
b)前記予備的解離ステップにより新たに生成された第1のイオン種を、該予備的解離ステップにおいて捕捉し続けていた第1のイオン種に加えて捕捉し、それら第1のイオン種をプリカーサイオンとして質量電荷比に応じて選別した上で解離させる主解離ステップと、
を実行することを特徴とする質量分析方法。
【請求項2】
請求項1に記載の質量分析方法であって、
前記イオン保持手段に捕捉されている解離操作対象である第1のイオン種が、同時に該イオン保持手段に捕捉されている第2のイオン種の複数段階の解離で生成されるプロダクトイオンと同一種であるときには、
前記予備的解離ステップにおいて、第2のイオン種に対し質量電荷比に応じたイオン選別操作を行うことなく解離操作を行うことにより、その解離操作の前から前記イオン保持手段に存在する第1のイオン種を該イオン保持手段に捕捉し続けつつ、第2のイオン種由来のプロダクトイオンを新たに生成させ、次に、該プロダクトイオンに対し質量電荷比に応じたイオン選別操作を行うことなく解離操作を行うことにより、その解離操作の前から前記イオン保持手段に存在する第1のイオン種を該イオン保持手段に捕捉し続けつつ、第2のイオン種由来のさらに小さな質量電荷比を有するプロダクトイオンを新たに生成させる、という操作を複数回繰り返すことにより、第2のイオン種由来の第1のイオン種を新たに生成させることを特徴とする質量分析方法。
【請求項3】
目的とする化合物をイオン化し、そのイオンに対する1乃至複数段階の解離により生成されたプロダクトイオンを質量分析する質量分析装置において、
a)電場又は磁場の作用によりイオンを捕捉するイオン捕捉手段と、該イオン捕捉手段に捕捉されているイオンを解離させるイオン解離手段と、を含むイオン保持手段と、
b)前記イオン捕捉手段に捕捉されている解離操作対象である第1のイオン種が、同時に該イオン捕捉手段に捕捉されている第2のイオン種の解離で生成されるプロダクトイオンと同一種であるとの条件の下で、第1のイオン種を前記イオン捕捉手段に捕捉し続けつつ、第2のイオン種由来のプロダクトイオンである第1のイオン種を新たに生成させるべく、第2のイオン種に対し質量電荷比に応じたイオン選別操作なしに該イオンを解離させるように前記イオン捕捉手段及び前記イオン解離手段の動作を制御するとともに、新たに生成された第1のイオン種を、その生成以前から捕捉し続けていた第1のイオン種に加えて捕捉し、それら第1のイオン種をプリカーサイオンとして質量電荷比に応じて選別した上で解離させるように前記イオン捕捉手段及び前記イオン解離手段の動作を制御する制御手段と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2011−145089(P2011−145089A)
【公開日】平成23年7月28日(2011.7.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−3962(P2010−3962)
【出願日】平成22年1月12日(2010.1.12)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】