説明

固体高分子型燃料電池のセパレータ用ステンレス鋼板およびそれを用いた固体高分子型燃料電池

【課題】ステンレスセパレータの有する耐食性を損なうことなく、長時間運転時に性能劣化が少ない優れた電池特性を有する固体高分子型燃料電池のセパレータ用ステンレス鋼材を提供する。
【解決手段】ステンレス鋼母材と、いずれもこのステンレス鋼母材の表面上に設けられた不動態皮膜および導電性析出物とを備え、導電性析出物が不動態皮膜を貫通しており、ステンレス鋼母材を起源とする物質を含むステンレス鋼材。非金属導電性物質からなる導電層が不動態皮膜の表面に設けられ、この導電層は導電性析出物を介してステンレス鋼母材と電気的に接続されることが好ましい。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、固体高分子形燃料電池およびその構成要素であるセパレータ用のステンレス鋼材に関する。
【背景技術】
【0002】
燃料電池は、水素と酸素の結合反応の際に発生するエネルギーを利用するため、省エネルギーと環境対策の両面から、その導入および普及が期待されている次世代の発電システムである。燃料電池には複数のタイプがあり、固体電解質型、溶融炭酸塩型、リン酸型および固体高分子形などが例示される。
【0003】
これらの中でも固体高分子形燃料電池は、出力密度が高く小型化が可能であり、また他のタイプの燃料電池より低温で作動し、起動停止が容易である。このため、固体高分子形燃料電池は電気自動車や家庭用の小型コジェネレーションへの利用が期待されており、近年、特に注目を集めている。
【0004】
図1は、固体高分子形燃料電池(以下、単に「燃料電池」ともいう。)の構造を示す図で、図1(a)は、燃料電池を構成する単セルの分解図、図1(b)は多数の単セルを組み合わせて作られた燃料電池全体の斜視図である。
【0005】
図1に示すように、燃料電池1は単セルの集合体(スタック)である。単セルは、図1(a)に示すように固体高分子電解質膜2の一面に電池の陰極として作用するガス拡散電極層(燃料電極膜とも呼ばれ、以下、「アノード」とも記す。)3が、他面には電池の陽極として作用するガス拡散電極層(酸化剤電極膜とも呼ばれ、以下、「カソード」とも記す。)4がそれぞれ積層されており、その両面にセパレータ(バイポーラプレート)5a、5bが重ねられた構造になっている。
【0006】
なお、上記の単セルと単セルの間、または数個の単セルごとに冷却水の流通路を持つ水セパレータを配した水冷型の燃料電池もある。本発明はそのような水冷型燃料電池をも対象とする。
【0007】
固体高分子電解質膜(以下、単に「電解質膜」という。)2としては、水素イオン(プロトン)交換基を有するフッ素系プロトン伝導膜が使われている。アノード3およびカソード4には、粒子状の白金触媒および黒鉛粉が設けられ、さらに必要に応じて水素イオン(プロトン)交換基を有するフッ素樹脂からなる触媒層が設けられている場合もある。この場合には、燃料ガスまたは酸化性ガスとこの触媒層とが接触して反応が促進される。
【0008】
セパレータ5aに設けられている流路6aからは燃料ガス(水素または水素含有ガス)Aが流されて燃料電極膜3に水素が供給される。また、セパレータ5bに設けられている流路6bからは空気のような酸化性ガスB が流され、酸素が供給される。これらガスの供給により電気化学反応が生じて直流電力が発生する。
【0009】
固体高分子形燃料電池のセパレータに求められる主な機能は次のようなものである。
(1)燃料ガス、酸化性ガスを電池面内に均一に供給する“流路”としての機能、
(2)カソード側で生成した水を、反応後の空気、酸素といったキャリアガスとともに燃料電池から効率的に系外に排出する“流路”としての機能、
(3)電極膜(アノード3、カソード4)と接触して電気の通り道となり、さらに単セル間の電気的“コネクタ”となる機能、
(4)隣り合うセル間で、一方のセルのアノード室と隣接するセルのカソード室との“隔壁”としての機能、および
(5)水冷型燃料電池では、冷却水流路と隣接するセルとの“隔壁”としての機能。
【0010】
このような機能を果たすことが求められる固体高分子形燃料電池に用いられるセパレータ(以下、単に「セパレータ」という。)の基材の材料としては、大きく分けて金属系材料とカーボン系材料とがある。
【0011】
ステンレス鋼、Ti、炭素鋼などの金属系材料によるセパレータは、プレス加工等の方法により製造される。一方、カーボン系材料によるセパレータの製造方法には複数の方法がある。その方法として、黒鉛基板にフェノール系、フラン系などの熱硬化性樹脂を含浸硬化して焼成する方法、炭素粉末をフェノール樹脂、フラン樹脂またはタールピッチなどと混練して、板状にプレス成形または射出成形し、得られた部材を焼成し、ガラス状カーボンにする方法が例示される。
【0012】
ステンレス鋼をはじめとする金属系材料は、金属特有の加工性に優れ、セパレータの厚みを薄くすることができ、セパレータの軽量化が図れるなどの利点を有する。しかしながら、腐食による金属イオンの溶出や金属表面の酸化により電気伝導性が低下することが懸念される。このため、金属系材料によるセパレータ(以下「金属セパレータ」という。)はガス拡散電極層との接触抵抗(以下、「接触抵抗」と略称する。)が上昇する可能性があることが問題となっている。
【0013】
一方、カーボン系材料は軽量なセパレータが得られる利点がある。しかしながら、ガス透過性を有するといった問題や、機械的強度が低いといった問題があった。
金属セパレータに関する上記の問題を解決する方法の一つとして、特許文献1に示されるように、金属セパレータの基材の電極と接する表面に、金めっきを施すことが提案されている。しかしながら、自動車等の移動体用燃料電池および定置用燃料電池に金を多量に使用することは、経済性および資源量制約の観点から問題があった。
【0014】
このため、金を用いることなく上記の問題を解決するための試みの一つとして、金属セパレータ表面を、カーボンで被覆する提案がなされている。
以下に、これまでに金属セパレータ表面をカーボンで被覆する方法として提案されている技術を列挙する。
【0015】
(A)特許文献2に開示される固体高分子形燃料電池用塗装金属セパレータ材料は、表面を酸洗したオーステナイト系ステンレス鋼材とその表面に3〜20μm形成された導電性塗膜とを備え、この塗膜中の導電剤がグラファイト粉末とカーボンブラックとの混合粉末である。この特許文献には、金属セパレータの基材の表面を酸洗し、酸洗後の基材の表面にカーボンを含む導電性塗料を塗布する工程が開示されている。
【0016】
(B)特許文献3に開示される燃料電池セパレータ用塗料は、導電材として黒鉛を使用し、燃料電池用の金属製またはカーボン製セパレータ基材の表面に塗布されて導電性塗膜を形成するものであって、この塗料の結着材としてフッ化ビニリデン(VDF)と六フッ化プロピレン(HFP)との共重合体(VDF−HFP共重合体)を10重量%以上含有し、媒体として上記結着材と相溶性のある有機溶剤を用い、上記導電材と結着材との配合比率が重量比で15:85〜90:10であり、上記有機溶剤の配合割合が50〜95重量%である。
【0017】
特許文献3に開示される技術に類似するものとして、特許文献8に開示される導電性セパレータは、金属基材上に、撥水性または塩基性の基を有する樹脂と導電性粒子状物質とからなる導電性樹脂層を備える。
【0018】
(C)特許文献4に開示される燃料電池用セパレータは、単電池の平板状電極と協働してガス流路を形成する燃料電池用セパレータであって、低電気抵抗性金属板と、その金属板を被覆してガス流路形成面を構成する非晶質炭素膜とからなり、その非晶質炭素膜の水素含有量CH が1原子%≦CH≦20原子%である。当該文献では、上記の導電性塗膜の代わりに薄膜形成技術(P−CVD法、イオンビーム蒸着法等)を用いて炭素質膜を蒸着する方法が提案されている。
【0019】
(D)特許文献5に開示されるステンレス鋼板は、多数の微細なピットが全域にわたって形成された表面を有し、ピットの周縁に多数の微細突起が林立している。このステンレス鋼板は、塩化第二鉄水溶液にステンレス鋼板を浸漬して交番電解エッチングすることにより形成される。
【0020】
特許文献5に開示される技術に類似するものとして、特許文献7に開示されるセパレータ板は、耐酸化性被膜で被覆された表面を有し、その表面は粗面化された凹凸面であり、その凸部頂面の被膜欠損部が導電部位となっている。
【0021】
(E)特許文献6に開示される手段は、カーボン系粒子がその表面に圧着されたステンレス鋼材を加熱処理する手段であり、カーボン系粒子とステンレス鋼材との間に拡散電極層が生成するため密着性が高まるとともに、カーボン系粒子とステンレス鋼材との間の電気的導通が確実になる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0022】
【特許文献1】特開平10−228914号公報
【特許文献2】特開平11−345618号公報
【特許文献3】国際公開2003/044888パンフレット
【特許文献4】特開2000−67881号公報
【特許文献5】国際公開2002/23654パンフレット
【特許文献6】国際公開1999/19927パンフレット
【特許文献7】国際公開2000/01025パンフレット
【特許文献8】国際公開2001/18895パンフレット
【特許文献9】特許第3365385号
【特許文献10】特開平11−121018号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0023】
ステンレス鋼をはじめとする金属からなるセパレータに関する上記の問題を金めっき以外の手段で解決するために上記(A)〜(E)が提案されている。しかしながら、現時点で実用化された技術はなく、それぞれが解決すべき技術的問題点があるものと推定される。本発明者らが追試等により確認したそれぞれの技術に関する問題点を以下に記載する。
【0024】
上記(A)の方法は、ステンレス鋼材の表面酸化膜を酸洗により除去し、カーボンを含有する導電性塗料をその表面に塗布する方法である。この酸洗後に導電性塗料が塗布された材料は、酸洗まま(導電性材料が塗布されない)の材料と比較して接触抵抗が上昇する。導電性塗料が塗布された材料から得られる接触抵抗値は、金めっきと比較して1桁高い値である。このため金めっきの代替技術とはなり得ない。
【0025】
上記(B)の方法は、形成された導電性塗膜の基材に対する密着性が不十分で、燃料電池の組み立て時における塗膜剥離、および電池の運転・休止に伴うMEA(Membrane-Electrode Assembly)の膨潤/収縮に起因する塗膜剥離などの問題点がある。
【0026】
上記(C)の方法は、薄膜形成技術は、処理コストが高く、処理に長時間が必要である。このため、量産には適さない方法である。
上記(D)の方法は、微細突起の全面に不動態皮膜が形成されるため、ガス拡散電極層(カーボン電極)との接触抵抗を低減することはできない。
【0027】
上記(E)の方法は、カーボン拡散電極層が不動態皮膜を貫通するためガス拡散電極層との接触抵抗の低減は可能ではある。しかしながら、燃料電池の運転中に、カーボン拡散電極層と母材との界面で局部電池が形成される。このため、腐食が進行し、接触抵抗が上昇すると言う問題がある。したがって、実用には適さない方法である。
【0028】
ステンレス鋼製のセパレータ(以下、「ステンレスセパレータ」という。)は材料コストおよび加工コストの上から極めて実用性に富む。ステンレスセパレータの高耐食性は、その表面の不動態皮膜の存在によるところが大きい。しかしながら、不動態皮膜の存在は、接触抵抗を高くするため、発生した電気をステンレスセパレータで集電する際に抵抗損失が大きくなる問題があった。
【0029】
この様な問題点を解決するために、セパレータの表面に金めっきしたりカーボンで被覆したりする方法が提案されてきたが、ステンレスセパレータの普及に繋がる解決手段に至っていない。
【0030】
なお、特許文献9に開示される方法は、不動態皮膜が形成されているステンレスセパレータの表面の不動態皮膜を貫通するように、導電性の硼化物系析出物および/または炭化物系析出物をステンレス鋼材の内部から表面に露出させる。このため、これらの析出物とガス拡散電極層とが接触し、ステンレスセパレータとガス拡散電極層との間の導電性が確保される。この方法は接触抵抗の低減に大きな効果を有するが、固体高分子形燃料電池の運転環境においては、運転に伴い析出物の表面に形成された酸化物が徐々に成長する。このため、長期間の運転では接触抵抗が高くなり、電池の出力電圧が次第に低下していく問題があり、改善が求められている。この接触抵抗上昇を経済的に優れた方法により抑制することができれば問題点を解決することかできる。
【0031】
本発明の目的は、ステンレスセパレータの有する耐食性を損なうことなく、上記の接触抵抗上昇という問題を解決し、長時間運転時に性能劣化が少ない優れた電池特性を有する固体高分子形燃料電池のセパレータ用ステンレス鋼材、およびそれを用いた固体高分子形燃料電池を生産性高く、すなわち安価に提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0032】
本発明者らは、上記課題を解決すべく種々の検討を進めた。
従来の技術の確認検証を行ったところ、初期の接触抵抗が低く、かつ燃料電池運転後の接触抵抗の上昇が軽微な技術は、金めっきであった。
【0033】
ところが金は鉱山建値が3068円/g(日本経済新聞2008年6月17日 朝刊参照)と高価であり、近年価格が高騰する傾向がある。しかも、そもそも稀少資源であることから、工業的な用途で大量に使うことは現実的ではない。
【0034】
金めっきを実施しないで金属セパレータ(ステンレスセパレータ)を使用する方法として、金属セパレータ表面にカーボン被覆を行う各種の方法が提案されている。
これまで提案されているカーボンコート方法を検証したところ、効果は認められるがその改善程度は不十分であって、(1)金めっきと比較して高い接触抵抗値であること、(2)被覆方法によっては電池運転環境で剥離が生じてその効果が持続しないこと、等の問題が認められた。
【0035】
金の抵抗率2.35×10−6Ωcmに対して、カーボンの電気抵抗率は、平均1375×10−6Ωcm(若い技術者のための機械・金属材料 丸善株式会社 325ページ)であり、カーボンを単純に金属セパレータ(ステンレスセパレータ)上に被覆しただけでは、金めっきと同程度の接触抵抗を実現するのが困難なことは明らかである。
【0036】
こうした材料が持つ固有の物性差を考慮に入れた上で、カーボン被覆法により金めっきに近い低接触抵抗を実現し、かつ電池運転環境においても剥離等の問題が生じさせない手段を得るべく、本発明者らは検討を行った。その結果、以下に示す知見を得た。これら組み合わせることで従来技術では達成できなかった課題を解決することが可能となる。
【0037】
(A)ステンレス鋼材におけるステンレス鋼母材の表面上にある不動態皮膜を非酸化性酸等で除去することは可能である。
「非酸化性酸」とは、硝酸など酸化力を有する酸以外の酸であって、例えば塩酸、硫酸、ふっ酸が例示される。
【0038】
この除去処理を行っても、酸洗中や酸洗の直後にステンレス鋼母材上に不動態皮膜が再び形成される。このステンレス鋼材から得られるセパレータは、除去処理を受けていないステンレス鋼材からなるセパレータに比べると不動態皮膜が薄いため、初期の接触抵抗は低減される。しかしながら、燃料電池運転中に厳しい環境にさらされるとセパレータを構成するステンレス鋼母材の表面上の不動態皮膜が成長する。このため、除去処理を経たステンレス鋼材から得られたセパレータは、使用中に接触抵抗が上昇する問題を有する。
【0039】
(B)表面に炭素被覆が施されたステンレス鋼材から得られるセパレータは、初期の接触抵抗低減および燃料電池運転環境下における接触抵抗上昇を抑制することができる。しかしながら、上記のような問題点がある。
【0040】
(C)本発明者らは、ステンレス鋼母材を起源とする物質を含み電気伝導性を有する導電物質がステンレス鋼母材の表面上に析出したステンレス鋼材から燃料電池セパレータを製造した。このセパレータは、金めっきと同様に初期の接触抵抗が低減され、燃料電池運転環境下における不動態皮膜成長に起因する接触抵抗上昇が抑制されることを、本発明者らは見いだした。
【0041】
(D)典型的には、硫酸イオンを含む酸性溶液(以下「硫酸溶液」という。)、好ましくは希硫酸中へのステンレス鋼材の浸漬、あるいは硫酸溶液中でのステンレス鋼材のアノード電解によって上記の導電物質を得ることができる。こうして得られた導電性物質は、O、S、Fe、Cr、Cを構成元素として含む非結晶体(アモルファス)または微結晶からなる多結晶体の電気伝導性を有する物質である。
【0042】
本発明は、上記の知見に基づき完成されたもので、次のとおりである。
本発明は、一態様として、固体高分子形燃料電池のセパレータ用ステンレス鋼材であって、ステンレス鋼母材と、いずれもこのステンレス鋼母材の表面上に設けられた不動態皮膜および導電性析出物とを備え、導電性析出物は、不動態皮膜を貫通しており、ステンレス鋼母材を起源とする物質を含む、ステンレス鋼材を提供する。
【0043】
「ステンレス鋼母材」とは、セパレータ用のステンレス鋼材において、不動態皮膜を含まない部分を意味する。
「不動態皮膜」とは、ステンレス鋼母材が大気中の酸素などと反応することにより母材表面に形成される絶縁性の酸化物からなる皮膜である。
【0044】
導電性析出物は不動態皮膜を貫通しているため、上記のステンレス鋼材の表面は、不動態皮膜の表面および導電性析出物の表面から構成される。
上記の導電性析出物が、O、S、Fe、CrおよびCを構成元素として含み、多結晶体であってもよい。
【0045】
非金属導電性物質からなる導電層が上記の酸化物の表面に設けられ、この導電層は導電性析出物を介してステンレス鋼母材と電気的に接続されていてもよい。
ここで、「非金属導電性物質」とは、導電性を主として担う物質が金属結合を有していない導電性物質であり、その典型的な材料は黒鉛質炭素が挙げられる。非金属導電性物質を表面に備える材料からなるセパレータを用いてなる燃料電池の運転に伴い、非金属導電性物質において腐食が発生しても、金属イオンが流出することがほとんどない。このため、腐食生成物によってセパレータとガス拡散電極層との間の接触抵抗の上昇が起こりにくい。しかも、固体高分子電解質膜内に金属イオンが拡散して電解質膜を劣化させることも起こりにくい。
【0046】
上記の非金属導電性物質が黒鉛質炭素を含んでいてもよい。
黒鉛質炭素を含む場合は、酸化物の表面に設けられた黒鉛質炭素の面間隔がd002≦3.390Åであることがさらに好ましい。
【0047】
ステンレス鋼母材の表面上の不動態皮膜の表面に設けられた黒鉛質炭素の結晶について広角X線回折測定することにより得られる原子面の回折線のピーク強度を比較したときに、(110)原子面の回折線のピーク強度の(004)原子面の回折線のピーク強度に対する比率が0.1未満であることは特に好ましい。
【0048】
上記の導電層が、不動態皮膜の表面と導電性析出物の表面とからなる表面に対して黒鉛質炭素を含む部材を摺動させることにより形成されたものであってもよい。
不動態皮膜の表面と導電性析出物の表面とからなる表面の平均表面粗さがRaとして0.10μm以上であることが好ましい。
【0049】
導電性析出物および導電層が、ステンレス鋼母材と不動態皮膜とからなるステンレス鋼基材を、硫酸イオンを含む酸性溶液中で電解処理すると同時に、この電解処理において対極として機能する黒鉛質炭素を含む部材を対象部材上で摺動させることにより形成されたものであってもよい。
【0050】
ステンレス鋼基材の表面の平均表面粗さがRaとして0.10μm以上であることが好ましい。
本発明は、他の一態様として、上記のステンレス鋼材から得られたセパレータを備える固体高分子型燃料電池を提供する。
【発明の効果】
【0051】
本発明に係るステンレス鋼材からなるセパレータを用いることで、金めっき等の高価な表面処理が不要で、発電性能に優れ、電池性能劣化の少ない経済性に優れた固体高分子型燃料電池を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0052】
【図1】固体高分子型燃料電池の構造を概念的に示す図である。
【図2】SUS316表面に形成された導電性スマットのSEM像(1)、STEM像(2)および電子線回折像(3)である。
【図3】本発明の製造工程の一例を概念的に示す図である。
【図4】実施例に係る接触抵抗の測定原理を示す図である。
【図5】実施例に係る硫酸電解処理の原理を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0053】
1.導電性析出物
本発明に係るステンレス鋼材は、ステンレス鋼母材と、いずれもこのステンレス鋼母材の表面上に設けられた不動態皮膜および導電性析出物とを備え、導電性析出物は、不動態皮膜を貫通しており、ステンレス鋼母材を起源とする物質を含む。係る構成において、ステンレス鋼材の表面は、絶縁性の不動態皮膜の表面と離散的に存在する導電性析出物の表面とからなり、この導電性析出物はステンレス鋼母材への電気的な接続部位となっている。
【0054】
ここで、本発明において「ステンレス鋼母材」とはステンレス鋼材のうちステンレス鋼(金属)からなる部分をいい、ステンレス鋼材の表面に形成されている不動態皮膜は含まないことを意味する。
【0055】
このステンレス鋼母材の組成は、表面に不動態皮膜を形成できるステンレス鋼であれば特に限定されず、JIS G4305に示されている成分範囲であればオーステナイト系でもフェライト系でもよい。
【0056】
典型的な鋼組成を以下に例示する。
オーステナイト系ステンレス鋼として、質量%で、C:0.2%以下、Si:2%以下、Mn:10%以下、Al:0.001%以上6%以下、P:0.06%以下、S:0.03%以下、N:0.4%以下、Cr:15%以上30%以下、Ni:6%以上50%以下、B:0%以上3.5%以下、残部Feおよび不純物を含有するステンレス鋼が例示される。強度、加工性、耐食性の観点から、更にFeの一部に代えて、質量%で、Cu:2%以下、W:5%以下、Mo:7%以下、V:0.5%以下、Ti:0.5%以下、Nb:0.5%以下が含有されていてもよい。
【0057】
フェライト系ステンレス鋼として、質量%で、C:0.2%以下、Si:2%以下、Mn:3%以下、Al:0.001%以上6%以下、P:0.06%以下、S:0.03%以下、N:0.25%以下、Cr:15%以上36%以下、Ni:7%以下、B:0%以上3.5%以下、残部Feおよび不純物を含有するステンレス鋼が例示される。強度、加工性、耐食性の観点から、更にFeに一部に代えて、質量%で、Cu:2%以下、W:5%以下、Mo:7%以下、V:0.5%以下、Ti:0.5%以下、Nb:0.5%以下が含有されていてもよい。
【0058】
2相系ステンレス鋼として、質量%で、C:0.2%以下、Si:2%以下、Mn:10%以下、Al:0.001%以上6%以下、P:0.06%以下、S:0.03%以下、N:0.4%以下、Cr:20%以上30%以下、Ni:1%以上10%以下、B:0%以上3.5%以下、残部Feおよび不純物を含有するステンレス鋼が例示される。強度、加工性、耐食性の観点から、更にFeに一部に変えて、質量%で、Cu:2%以下、W:5%以下、Mo:7%以下、V:0.5%以下、Ti:0.5%以下、Nb:0.5%以下が含有されていてもよい。
【0059】
それぞれの成分の限定理由は、以下のとおりである。なお、元素の含有量における%は質量%を意味する。
Cは、鋼の強度を確保するために必要な元素であるが、過剰に含有させると、加工性が劣化するので上限を0.2%とする。好ましくは、0.15%以下である。
【0060】
Siは、脱酸剤として添加される成分である。しかし、過剰な添加は延性の低下を招き、特に2相系ではσ相の析出を助長する。したがって、Siの含有量は2%以下とする。
Mnは、脱酸や鋼中のSをMn系の硫化物として固定する作用があるために、添加される。一方で、オーステナイト相安定化元素であるために、オーステナイト系では相の安定化に寄与する。また、2相系ではフェライト相の比率を調整する目的で調整される。しかし、過剰に含有させると耐食性が低下する弊害もあるが、Niの代替として含有させる場合には10%以下含有させてもよく、フェライト系ではNi代替としての必要性がないため上限を3%とする。
【0061】
P、Sは、不純物として混入する元素であり、耐食性や熱間加工性を低下させるために、それぞれ0.06%以下、0.03%以下とする。
Alは、脱酸元素として溶鋼段階で添加する。本発明鋼ではBを含有させMB型硼化物を形成させるが、Bは溶鋼中酸素との結合力が強い元素であるので、Al脱酸により酸素濃度を下げておくのがよい。そのため、0.001〜6%の範囲で含有させるのがよい。
【0062】
Nは、フェライト系におけるNは不純物である。Nは常温靭性を劣化させるので上限を0.25%とするのがよい。低いほうがより好ましく、0.1%以下とする方が良い。一方、オーステナイト系および2相系においては、Nはオ−ステナイト形成元素として、オーステナイト相バランスの調整や、耐食性の向上に有効な元素である。しかし、過剰な含有は加工性を劣化させるために、上限を0.4%とするのがよい。
【0063】
Crは、ステンレス鋼の耐食性を確保するのに必要な元素であり、オーステナイト系およびフェライト系では15%以上、2相系では20%の含有が必要である。フェライト系においてはCr量が36%を超えると量産規模での生産が難しくなる。オーステナイト系では30%を超えるとオーステナイト相がその他合金成分の調整によっても不安定になる。また、2相系では、30%を超えるとフェライト相が増加し、2相組織を維持し難くなる。
【0064】
Niは、オーステナイト相安定化元素で、オーステナイト系では耐食性を向上させることが可能となる。6%未満では、オーステナイト相が不安定となり、また50%を超えると製造が困難となる。フェライト系においても、耐食性、靭性を改善する効果があるが、7%を超えて含有させると、フェライト相が不安定となるため、7%を上限とする。一方、2相系においても、耐食性、靭性を改善する効果があり、1%以上含有させる。しかし、10%を超えて含有すると過度のオーステナイト相の増加とフェライト相の減少を招く。
【0065】
Bは任意添加元素で、熱間加工性を向上させる作用がある。この効果を得るためには0.0001%以上含有させる。一方、BはMB型硼化物、具体的にはCr、Feを主体とし、Ni、Moを微量含有する(Cr,Fe)B、(Cr,Fe,Ni)BといったMB型硼化物としてステンレス鋼母材中に析出し、硫酸等での酸洗中に析出する導電性析出物が、酸洗中にステンレス鋼母材表面に露出した前記硼化物表面にも析出するために、ステンレス鋼母材表面の接触抵抗を低下させる補助的な作用を発揮する。この効果を発揮させるためには、0.1%以上含有させるが、3.5%を超えるBを含有させることは、通常の溶解法での製造では困難である。
【0066】
Cu、W、Mo、V、TiおよびNbは任意添加元素であり、強度、耐食性等を改善する元素で、それぞれ、2%、5%、7%、0.5%、0.5%、0.5%を上限とする。これを越えた含有は、上記の改善効果が飽和するうえに、加工性を劣化させる場合もある。
【0067】
希土類元素(La,Ce,Nd,Pr,Y等)は、任意添加元素であり、耐食性等を改善する元素で、希土類元素の総和で0.1%を上限とする。0.1%を超える含有は改善効果が飽和する上に、ステンレスの鋳造性を悪化(具体的には、連続鋳造時のノズルつまりの発生等)させる場合もある。
【0068】
「ステンレス鋼母材を起源とする物質を含む」とは、溶解または脱落したステンレス鋼母材の一部を含有することにより、Fe,Cr,Ni,C,Si,Mn,Cu,Mo,Wなどのステンレス鋼母材を構成していた元素の一種または二種以上を含む導電性析出物を意味する。しかしながら、導電性析出物の組成はステンレス鋼の組成とは通常に同一ではなく、導電性析出物の化学的および物理的な特性もステンレス鋼母材の特性とは異なる。
【0069】
「導電性析出物」における「析出物」とは、ステンレス鋼母材の表面上に析出することによりステンレス鋼母材の表面上に存在する物質、およびステンレス鋼母材の表面上以外で析出した物質がステンレス鋼母材の表面上に付着することによりステンレス鋼母材の表面上に存在する物質をいう。
【0070】
導電性析出物の具体例として、ステンレス鋼では主として金属結合をなしているFeやCrが、例えば鋼に含まれる炭素と結合して形成された導電性の炭化物、炭素単体、およびステンレス鋼から溶出したCu,Mo,W,Niなどの金属イオンが再度金属として析出したものが挙げられる。
【0071】
このような導電性析出物のうち、非酸化性酸イオンを含む酸性溶液(以下、「非酸化性酸溶液」という。)にステンレス鋼材を接触させることによって得られる導電性スマットを例として、導電性析出物について以下に詳しく説明する。
【0072】
ここで、「非酸化性酸溶液」とは、硝酸など酸化力を有する酸(酸化性酸)以外の酸のイオンを含む酸性溶液であって、ステンレス鋼材の不動態皮膜を除去し、そのステンレス鋼母材を露出させることが可能なものをいう。非酸化性酸を例示すれば、塩酸、ふっ酸などのハロゲン化水素酸および硫酸が挙げられる。この非酸化性酸溶液に含まれる非酸化性酸は一種であっても複数種類であってもよく、非酸化性酸以外に不動態皮膜を除去することに有効な成分を含有していてもよい。また、後述するように酸化性酸のイオンを含んでもよい。
【0073】
前述したように、非酸化性酸溶液にステンレス鋼材を浸漬することにより、その表面の不動態皮膜を薄くすることができる。この浸漬後のステンレス鋼材から形成されるセパレータは、初期の接触抵抗は低いものの、実際の燃料電池運転環境下の厳しい環境ではもちろんのこと、大気中に長時間保存すると不動態皮膜が再成長し、接触抵抗が上昇していく問題を有する。
【0074】
本発明者らの接触抵抗を低減させる検討により、非酸化性酸溶液にステンレス鋼材を接触させたときに発生するスマットの中には電気導電性を有するものがあることが見いだされた。
【0075】
ここで「スマット」とは、非酸化性酸溶液にステンレス鋼材を接触させたときに発生するものである。具体的には、金属や不動態の状態に有るステンレス鋼を構成する物質が非酸化性酸によって溶解および/または放出(以下、「溶解」と総称する。)され、その物質に基づきステンレス鋼(金属)や不動態とは異なる組成を有する物質が形成され、これがステンレス鋼母材の表面上に析出および/または付着(以下、「析出」と総称する。)したものである。
【0076】
接触させる溶液に含まれる非酸化性酸の種類が適切でないと、このスマットはステンレス鋼材の表面を変色させて表面の美麗さを損なうこともある。このため、スマットを除去するための処理が行われたり、酸の種類を適切に選択して少なくとも着色が発生しないようにしたりすることが通例であった。
【0077】
本発明者は、このように通常は忌避されるスマットのうち、電気伝導性を有するスマット(以下「導電性スマット」という。)をステンレス鋼母材の表面上に析出させることができれば、接触抵抗の低減あるいは、燃料電池運転時の接触抵抗の上昇抑制に活用できる可能性があるとの着想を得た。この着想に基づいてさらに検討を行い、導電性スマットが、(1)ステンレス鋼母材に対する電気伝導性、(2)ステンレス鋼母材への密着性、(3)耐薬品性の3点に優れることを見いだした。
【0078】
導電性スマットがこのように優れた特性を有するのは、次の理由による。
すなわち、非酸化性酸溶液にステンレス鋼材を浸漬させると、ステンレス鋼母材の表面上に形成されている不動態皮膜が非酸化性酸により溶解され、さらに露出したステンレス鋼母材もその酸によって一部溶解される。この溶解したステンレス鋼起源の物質を含む物質がステンレス鋼母材の表面上に析出したものがスマットであるから、そのスマットはステンレス鋼母材の表面上に存在していることになる。したがって、スマットが導電性を有している場合には、そのステンレス鋼母材の表面上に析出した導電性スマットの頂部は、ステンレス鋼母材と電気的に接続されている。
【0079】
このようなステンレス鋼母材が露出される状態は、非酸化性酸溶液に浸漬しているときのみ安定に存在しうる。その溶液から取り出して大気中に放置したり、水洗などによって酸性でない溶液中に浸漬させたりすれば、ステンレス鋼母材の露出部分には不動態皮膜が速やかに形成される。この不動態皮膜は前述のように電気伝導性は乏しいものの耐食性には優れる。不動態皮膜が形成されたことにより、導電性スマットは、不動態皮膜を貫通しつつステンレス鋼母材に接触するように、ステンレス鋼材において存在する。したがって、得られたステンレス鋼材は、不動態皮膜に基づく耐食性を有しつつ、導電性スマットに基づいて接触抵抗が低いという特性を有することとなる。
【0080】
また、スマットはひとたび溶解したステンレス鋼を構成する成分を有し、腐食性を有する非酸化性酸中でステンレス鋼母材の表面上に析出した物質であるから、この導電性スマットは、ステンレス鋼母材に対する電位差が小さい。このため、導電性スマットはステンレス鋼母材との間で局部電池を形成しにくい。それゆえ、導電性スマットが腐食したり、導電性スマットの周囲のステンレス鋼母材が腐食して導電性スマットが脱落したりすることが起こりにくい。これに対し、ステンレス鋼材に対してその不動態皮膜を突き破ってステンレス鋼母材に達するように外部から導電性の物質を供給することによりステンレス鋼材の表面に導電性の物質を存在させると、その導電性の物質とステンレス鋼母材との間における局部電池腐食がほぼ不可避的に発生する。このため、その導電性の物質は短期間で腐食してしまったりステンレス鋼母材に対する密着性が低下してしまったりする場合が多い。
【0081】
しかも、いったん露出したステンレス鋼母材の表面を覆うように形成される不動態皮膜は、ステンレス鋼母材の表面上の導電性スマットを部分的に覆うように成長する。このため、ステンレス鋼母材に接触する導電性スマットは不動態皮膜により取り囲まれる。したがって、導電性スマットがステンレス鋼母材から脱落することが不動態皮膜によっても抑制される。
【0082】
本発明に係る導電性スマットの組成は、電気伝導性を有する限り特に限定されない。ステンレス鋼母材の組成、非酸化性酸溶液に含まれる非酸化性酸の種類、非酸化性酸溶液における非酸化性酸のイオン以外の物質の種類、非酸化性酸溶液にステンレス鋼材を接触させる条件(濃度、温度、時間、電解条件など)などによってその組成は大きく変動する。
【0083】
また、その大きさについては、不動態皮膜の厚さよりも大きいことが必要とされるが、不動態皮膜の厚さもステンレス鋼母材の組成などによって変動する。このため、その下限は不動態皮膜の厚さに応じて適宜設定すればよい。一方、上限については、不動態皮膜の厚さよりも過度に大きい場合にはセパレータへの二次加工中やセパレータとしての使用中にステンレス鋼母材から脱落することが懸念される。このため、この脱落防止の観点から、不動態皮膜の厚さとの関係で上限値を決定すればよい。
【0084】
さらに、その結晶構造も電気伝導性を実現できるのであれば特に限定されない。
上記の特性を有する本発明に係る導電性スマットの一例を、製造方法の例とともに次に詳しく説明する。
【0085】
本発明に係る導電性スマットを形成するための方法の典型例は、硫酸溶液、すなわち硫酸イオンを含む酸性溶液にステンレス鋼材を接触、具体的には浸漬させる処理(以下、「硫酸処理」ともいう。)である。ステンレス鋼母材とその表面に形成された不動態皮膜とからなるステンレス鋼基材を希硫酸に浸漬すると、その表面に形成された不動態皮膜が除去されるとともに導電性スマットが生成される。この導電性スマットは、処理条件を適宜変更することにより、ステンレス鋼母材の表面上にまばらに存在するように析出させることや、ステンレス鋼母材の表面を実質的に覆うように析出させることが可能である。
【0086】
こうして得られる導電性スマットには、その大きさ、組成、析出状態などについてさまざまな形態のものがある。そこで、硫酸から取り出して水によって洗浄、好ましくはブラッシングや超音波洗浄することにより、ステンレス鋼材に対して保持されないスマット、具体的には過剰に生成した粉末状のスマットなどを除去することができる。こうして、密着力に優れる導電性析出物としての導電性スマットのみをステンレス鋼材の表面に存在させることが実現される。
【0087】
また、上記の水による洗浄に先立って、硫酸に浸漬させて導電性スマットを生成させたら、そのままその導電性スマットを有するステンレス鋼材をアノード電解してもよい。このアノード電解によって耐食性に劣る導電性スマットは溶解除去されるため、耐食性に優れる導電性スマットのみを導電性析出物としてステンレス鋼母材の表面上に析出させることが実現される。
【0088】
あるいは、硫酸処理に代えて、硫酸溶液中での電解処理(以下「硫酸電解処理」ともいう。)を行ってもよい。この硫酸電解処理は、直流で行ってもよいし、交流で行ってもよい。また、ステンレス鋼基材を電極として直接通電してもよいし、ステンレス鋼基材には電源からの端子を直接的には接触させない間接通電を行ってもよい。このように硫酸電解処理を行うと、耐食性に劣るスマットはステンレス鋼母材の表面上で電解中に溶解してしまうため、耐食性に優れるもののみがステンレス鋼母材の表面上に形成される。
【0089】
なお、硫酸電解処理の場合も、硫酸処理の場合と同様に、水洗、好ましくはブラッシングや超音波洗浄することによって、耐食性および密着性に優れた導電性スマットをステンレス鋼母材の表面上に存在させることが実現される。
【0090】
こうして硫酸電解処理により形成された導電性スマットについて、ブランクレプリカ法により抽出したサンプルについてのSTEM−EDXおよびESCAを用いて成分分析および表面分析を行った。その結果、導電性スマットは、図2(1)および(2)に示されるように、1μm以下の不定形の析出物であった。
【0091】
導電性スマットのナロースキャンスペクトルに基づく最表面の定量分析結果を表1に示す。表1に示されるように、導電性スマットはO、S、Fe、CrおよびCを主要な構成元素として含む。
【0092】
【表1】

【0093】
なお、この分析に使用した装置および測定の条件は以下のとおりである。
使用装置 : アルバック・ファイ株式会社製 Quantera SXM
X線源 : mono-AlKα(hν=1486.6eV)
検出深さ : 数nm(光電子取出角45°)
X線ビーム径 : 直径100μm(ポイント分析)
帯電中和銃 : 1.0V,20μA
また、表1に示されるNおよびMoの「*」は、これらの元素のピークが他の元素のピークと重なるため定量分析ができなかったことを意味する。
【0094】
この分析対象の導電性スマットがその表面に析出するステンレス鋼母材の化学組成は次のとおりである。C:0.02質量%、Si:0.21質量%、Mn:1.8質量%、P:0.018質量%、S:0.002質量%、N:0.015質量%、Cr:17.5質量%、Ni:12.2質量%、Mo:2.20質量%ならびに残部Feおよび不純物。
【0095】
導電性スマットの主要な構成元素のうち、Fe、CrおよびCはステンレス鋼母材に由来するものであり、OおよびSは主として硫酸に由来するものである。また、導電性スマットの結晶状態は、図2(3)に示されるように、ブランクレプリカ法により抽出したサンプルについての電子線回折によれば微結晶であり、導電性スマットは微結晶からなる多結晶体である。
【0096】
以上導電性スマットを例として説明したが、ステンレス鋼母材の表面上に本発明に係る導電性析出物を生成させる方法は、上記に限定されるものではない。非酸化性酸液等により不動態皮膜を除去し、露出したステンレス鋼母材を起源とする(由来する)物質を含んでなる導電性析出物を析出させる方法であればいかなる方法でもかまわない。
【0097】
また、本発明を基礎付ける技術的思想は、ステンレス鋼母材を起源とする物質を含む導電性の物質を、ステンレス鋼母材に電気的に接触するように析出させることにより、その導電性の物質とステンレス鋼母材との間で電気的導通を確保するとともに、その導電性の物質とステンレス鋼母材との間での局部電池腐食を抑制して、その電気的導通の経時変化を抑制することである。したがって、析出する元素はO、S、Fe、CrおよびCには限定されない。例えば、水素よりもイオン化傾向の小さな元素、具体例を挙げれば銅などを含むステンレス鋼基材を酸と接触させて銅をステンレス鋼母材の表面上に析出させてもよいし、カソード電解を含むステンレス鋼基材の電解によって、水素よりイオン化系傾向の大きな元素、例えばMo、W等をステンレス鋼母材の表面上に析出させてもよい。
【0098】
さらに、非酸化性酸溶液にステンレス鋼基材を接触させることにより導電性スマットを析出させる場合において、非酸化性酸溶液が硝酸などの酸化性酸を含んでもよい場合もある。
【0099】
一般論からすれば、酸化性酸(例えば硝酸)のイオンを主として含む酸性溶液(以下、「酸化性酸溶液」という。)にステンレス鋼基材を接触させると、ステンレス鋼基材の表面は酸化性酸イオンによって酸化され、酸洗中にステンレス鋼母材の表面上に不動態皮膜が形成される。このため、酸化性酸溶液との接触によって導電性物質の基となる元素が一旦溶液に溶解または放出されても、それらはステンレス鋼母材の表面上ではなく不導態皮膜上に析出してしまう。したがって、酸化性酸溶液の場合にはステンレス鋼材の接触抵抗が低下しにくくなってしまう。また、酸化性酸溶液の場合にはスマットがステンレス鋼母材の表面に付着しにくい傾向があり、この点でも接触抵抗を低下させにくい。
【0100】
しかし、ステンレス鋼基材と接触する溶液に酸化性酸が含まれている場合であっても、これ以外に不動態皮膜の形成を抑制するまたは不動態皮膜を除去する成分が含まれており、これらの成分の影響が主体的である場合には、不導態皮膜がステンレス鋼母材の表面上に形成されず、良好な導電性スマットがステンレス鋼母材の表面上に形成されることがある。例えば5%ふっ酸+10%塩酸+10%硝酸等のように溶解速度が速い混酸の場合は、酸洗中に不導態皮膜が形成されにくく、ステンレス鋼母材の表面上に直接導電性物質が析出する。
【0101】
このように、不動態皮膜を形成するとの理由により導電性スマットをステンレス鋼母材の表面上に析出させるための溶液の成分として使用すべきでないと一般的には認識される酸化性酸であっても、溶液全体の組成によっては、導電性スマットをステンレス鋼母材の表面上に析出させるための溶液の成分として含有させてもよい場合がある。
【0102】
2.導電層
ステンレス鋼母材の表面上に析出した、好ましくは被覆するように析出した上記の本発明に係る導電性析出物を保護したり、接触抵抗をさらに低減させたりする目的等で、ステンレス鋼材上に非金属導電性物質を含んでなる導電性の被覆層(以下、「導電層」という。)を形成してもよい。
【0103】
非金属導電性物質には、カーボンブラックや導電性塗料、さらにはITO(酸化インジウムスズ)、WCなどの化合物系の導電物質などが含まれるが、黒鉛質炭素を用いることが上記目的を高度に達成することができ、好ましい。そこで、導電層のうち、黒鉛質炭素を含んでなる被覆層(以下、「黒鉛層」という。)について以下に詳しく説明する。
【0104】
黒鉛層に含まれる黒鉛質炭素は種類を問わず、鱗片状黒鉛、鱗状黒鉛、膨張黒鉛、天然黒鉛、人造黒鉛等いずれを使用してもよい。後述するように、黒鉛質炭素の異方導電性を最大限に生かす観点からは鱗片状黒鉛や鱗状黒鉛のようなアスペクト比(直径/高さ)が大きな形状を有するものを用いることが好ましい。
【0105】
ここで、被覆する黒鉛質炭素には、(1)導電性が高いこと、(2)硫酸・フッ素イオン等が存在する雰囲気においても十分な耐食性を有することが求められる。さらに、後述する好ましい製造方法(ステンレス鋼材と黒鉛質炭素を含む部材とを摺動させ、ステンレス鋼材表面の凹凸の凸部や導電性析出物のやすり効果により黒鉛質炭素を削り取り、黒鉛質炭素をステンレス鋼母材の表面上の不動態皮膜の表面にa軸方向が優先的に不動態皮膜の表面と平行となるように付着させる方法)の観点から(3)摺動による被覆が容易である軟質材料であることが好ましい。
【0106】
こうした要求を同時に満たす観点からは、次のように、結晶性が高い黒鉛質炭素を用いることが好ましく、黒鉛質炭素のC面間隔をd002≦3.390Åとすれば特に好ましい。
【0107】
(1)導電性
結晶性の高い黒鉛質炭素の電気抵抗値には、異方性がある(黒鉛の特性と技術展開 日立粉末冶金テクニカルレポート No.3(2004) 表1 )。a軸方向の体積抵抗率は4〜7×10−5Ωcmと低く、c軸方向は1〜5×10−1Ωcmと高い。このa軸方向の電気伝導は、sp2結合におけるπ結合が共役することによってもたらされているので、結晶性が高いほど体積抵抗率も低くなる。このため、d002≦3.390Åの結晶性が高い黒鉛質炭素を用いることで、a軸方向の体積抵抗率が特に低くなり、黒鉛質炭素全体の体積抵抗率が低くなり、接触抵抗の低下がもたらされる。一般的なカーボンの抵抗が平均1375×10−6Ωcm(若い技術者のための機械・金属材料 丸善株式会社 325ページ)であることを考慮にいれると、黒鉛質炭素のa軸方向の低い体積抵抗率(4〜7×10-5Ωcm)を積極的に活用することが好ましい。
【0108】
ここで、後述するように結晶性の高い黒鉛質炭素を含む部材を、導電性析出物を備えるステンレス鋼材の表面である不動態皮膜および導電性析出物からなる表面(以下、「被処理表面」という。)に対して摺動させると、黒鉛質炭素はちぎれて鱗片状の粉体となって、その被処理表面上に付着し、不動態皮膜の表面、好ましくは被処理表面に黒鉛層が設けられたステンレス鋼材が得られる。このとき、被処理表面に付着した黒鉛質炭素は、アスペクト比が高い鱗片状粉末であるため、摺動によるせん断力の影響が最小限となるようにa軸方向が被処理表面に平行となるように配向して存在するものが多くなる。
【0109】
この場合には、黒鉛層は、不動態皮膜の表面と平行な方向での電荷の移動が特に容易になっている。このため、この黒鉛層を備えるステンレス鋼材から製造されたセパレータにガス拡散電極層が接触すれば、その接触部分にステンレス鋼母材と直接的に導通している導電性析出物が存在せず、黒鉛層の黒鉛質炭素と接触していた場合であっても、この体積抵抗率が特に低い黒鉛層を通じて電荷が導電性析出物近傍に速やかに移動し、ステンレス鋼母材へと移動すること(集電現象)が実現される。すなわち、この本発明に係るセパレータ表面に存在する結晶性が高い黒鉛質炭素とガス拡散電極層とが接触する限り、この黒鉛層による導電性析出物への集電作用によってセパレータとガス拡散電極層との電気的接触が達成される。
【0110】
このため、黒鉛層を有するステンレス鋼材から得られたセパレータを用いた燃料電池では、黒鉛層を有さない場合に比べて、ガス拡散電極層とセパレータとの電気的な接触面積が飛躍的に増大し、ガス拡散電極層とセパレータとが点接触から面接触に近い状態に変化している。特に、上記のようにa軸方向の体積抵抗率が特に低いd002≦3.390Åの黒鉛質炭素を用いるとこの集電現象が顕著になり、接触抵抗がきわめて低くなる。このような黒鉛層を有するステンレス鋼材から得られたセパレータは、その表面部分において金めっきと同等の抵抗値を示し、金めっきセパレータと同等な電池特性を有する。
【0111】
ここで、上記の集電現象を効果的に実現するためには、導電層の表面方向の電気抵抗がガス拡散電極層の電気抵抗よりも低いことが好ましい。この点に関し、ガス拡散電極層の電気抵抗は体積抵抗率として面内方向0.08Ωcm程度(財団法人 日本自動車研究所 平成16年度「燃料電池自動車に関する調査報告書」第4章 技術動向−1 214ページ 表4−1−15)である。したがって、黒鉛質炭素のC面間隔をd002≦3.390Åであって黒鉛質炭素のa軸方向が表面に平行に配向した構造を有する黒鉛層は、表面に平行な方向の体積抵抗率がガス拡散電極層の体積抵抗率よりも十分に低くなりうる。よって、黒鉛層を備えるステンレス鋼材からなるセパレータを用いると、この集電現象が効果的に発生すると推測される。
【0112】
なお、本発明に係る黒鉛層における黒鉛質炭素の配向性は、黒鉛層中の黒鉛質炭素の結晶について広角X線回折測定することにより得られる原子面の回折線のピーク強度を比較したときに、(110)原子面の回折線のピーク強度の(004)原子面の回折線のピーク強度に対する比率であるI(110)/I(004)により知ることができる。この指標I(110)/I(004)が0.1未満であれば、黒鉛層における黒鉛質炭素は、a軸方向がほぼ不動態皮膜の表面と平行となるように配向されており、黒鉛質炭素のa軸方向の低い体積抵抗率(4〜7×10−5Ωcm)を積極的に活かす、すなわち集電現象を効果的に実現することが可能となる。指標I(110)/I(004)が0.05未満の場合には、特に優れた電気特性を有するセパレータを製造することが可能なステンレス鋼材が得られる。
【0113】
以上説明したように黒鉛層は集電現象によりセパレータとしての高い導電性を実現しているものと想定されるが、黒鉛質炭素の熱伝導率が高いこともセパレータとしての導電性を高めることに寄与していると考えられる。
【0114】
黒鉛層は酸化物である不動態皮膜に比べると熱伝導率が高く、特に黒鉛層における黒鉛質炭素の結晶性が高く、黒鉛質炭素のa軸方向がほぼステンレス鋼の表面と平行するように配向されている場合には、黒鉛層の表面と平行な方向について100W/mK以上の熱伝導率が達成されているものと想定される。
【0115】
黒鉛層を備えるステンレス鋼材から得られたセパレータを組み込んだ燃料電池を使用すると、集電現象によって導電性析出物に流れる電流は相対的に高くなると考えられる。このとき、導電性析出物にはジュール熱が発生するが、この熱は速やかに黒鉛層に拡散していることが期待される。したがって、導電性析出物の体積抵抗率がジュール熱によって上昇したり、導電性析出物が熱変性することによってその体積抵抗率が上昇したりすることが抑制され、セパレータとしての導電率の低下が抑制される。
【0116】
(2)耐食性
黒鉛質炭素の腐食は結晶性が乱れた部分において発生しやすい。このため、結晶性が高いほど黒鉛質炭素は腐食しにくい。したがって、黒鉛層に含まれる黒鉛質炭素の結晶性が高いほど酸・アルカリのいずれの環境下においても優れた耐食性を有し、イオン溶出等でMEA膜を汚染し性能劣化を誘引する可能性が低い。特に、d002≦3.390Åの黒鉛質炭素を含む黒鉛層はステンレス鋼材に対する腐食防止層として効果的に機能をする。また、ステンレス鋼母材の表面上の不動態皮膜が成長することを抑制するという機能が長期にわたって維持されるため、接触抵抗の経時変化も生じにくい。
【0117】
(3)可塑性
黒鉛質炭素の可塑性は、C面間隔が小さくなり理想的な結晶状態である3.354Åに近づくほど良好になる。したがって、C面間隔がd002≦3.390Åの黒鉛質炭素は可塑性が良好であるため、この黒鉛質炭素を含む部材を被処理表面と摺動させると、被処理表面に対する被覆が容易になる。
【0118】
上記のような黒鉛層を形成する方法は特に制限されない。黒鉛質炭素を適切な分散媒に分散させた分散液をステンレス鋼の表面に塗布し、分散媒を揮発などの手法により除去してもよいし、スパッタ、プラズマCVDなどの手法により製膜してもよい。そのような固着方法のうちでも、生産性の観点および形成された黒鉛質炭素の特性の観点から、摺動付着処理または電解摺動付着処理により黒鉛層を形成することが好ましい。以下にこれらの方法について詳しく説明する。
【0119】
(1)摺動付着処理
摺動付着処理では、黒鉛質炭素を含む部材を被処理表面に対して摺動させ、不動態皮膜表面の凹凸の凸部や導電性析出物のやすり効果により黒鉛質炭素を削り取り、黒鉛質炭素を、不動態皮膜の表面、好ましくは導電性析出物の表面にa軸方向が優先的に皮膜表面と平行となるように付着させる。
【0120】
導電性析出物は不動態皮膜に対して突出している場合が多く、それゆえ、導電性析出物は黒鉛質炭素を削り取りやすいと考えられる。このため、導電性析出物の周囲には黒鉛質炭素が堆積しやすい。したがって、摺動付着処理によれば、黒鉛層と導電性析出物との電気的な接続が安定的に生じやすいと期待される。
【0121】
黒鉛質炭素を含む部材の具体的構造は摺動付着処理の具体的な方法に応じて適宜決定される。摺動付着処理は、典型的には、塊状もしくは棒状の黒鉛質炭素からなる部材、または黒鉛質炭素を樹脂などの結着剤で固めた塊状もしくは棒状の部材を用い、ステンレス鋼材の摺動面に対してこれを直接押し付けて往復動などの相対運動をさせることにより行われる。この方法の具体例として、ロール材質を黒鉛とした圧延機でバックテンションをかけながら圧延を行うことや、フライス盤の工具部分を黒鉛丸棒に交換して一定の荷重をかけながら黒鉛を回転させて圧着することが挙げられる。変形例として、黒鉛粉末を付着させたブラシで表面を擦ってもよいし、黒鉛粉末を付着させた布(フェルト等)で擦ってもよい。この場合には、黒鉛粉末が黒鉛質炭素を含む部材となる。
【0122】
黒鉛質炭素を含む部材に含有される黒鉛質炭素はC面間隔が小さく理想状態に近いものが好ましいことは上記のとおりである。また、黒鉛層の組成が黒鉛質炭素のみとなり集電現象がより効率的に生じやすいため、黒鉛質炭素を含む部材は黒鉛質炭素のみからなることが好ましい。
【0123】
接触面圧、相対速度、接触面比率など摺動条件は特に限定されない。黒鉛質炭素を含む部材の過度の摩耗を防止しつつ所望の黒鉛層を形成できるように適宜設定すればよい。
所望の黒鉛層とは、黒鉛質炭素がステンレス鋼母材の表面上にある不動態皮膜上にa軸方向が優先的に皮膜表面と平行となるように付着された層状体を意味する。また、黒鉛層における黒鉛質炭素における指標I(110)/I(004)が0.1未満であれば好ましく、0.05未満であればさらに好ましいことは前述のとおりである。
【0124】
摺動条件を設定するにあたって考慮すべき因子として、ステンレス鋼材の表面粗さ、ステンレス鋼材表面の導電性析出物の析出状態、黒鉛質炭素の硬度、黒鉛層の厚みおよびその特性などが挙げられる。
【0125】
これらのうち、ステンレス鋼材の黒鉛層の密着性を高めるために、導電性析出物を備えるステンレス鋼材の表面粗さは、平均表面粗さRaとして0.10μm以上とすることが好ましい。ステンレス鋼材の表面粗さの上限はこの密着性の観点からは特に制限されない。ただし、プレス成形等によりセパレータ形状へ加工した際に割れが発生する可能性を低減する観点から平均表面粗さRaを板厚の1/10以下とすることが好ましい。通常酸洗で表面粗さを付与させる場合には、平均表面粗さRaは2〜3μmが上限となる。ダルロールによる粗さ付与では数十μm程度の粗さは十分付与できるが、効果が飽和することや、プレス成型時の割れの問題もあり、実用上0.1〜3μm程度で十分である。
【0126】
この表面粗さは、ステンレス鋼材から得られるセパレータを燃料電池に組み込んだ場合に、ガス拡散電極層と接触する表面に相当する鋼材表面のみが有すればよい好適態様である。
【0127】
ステンレス鋼材を上記の表面粗度に調整する方法は特に限定されない。いくつか例を挙げると、次のようになる。
(1)表面処理;例えば塩化鉄などステンレス鋼材をエッチングするための公知のエッチャントを用い、エッチング量に応じてエッチャント濃度、エッチング液温度、エッチング時間などを設定してエッチングを行う。
【0128】
(2)ベルトグラインドによる研磨;表面にダイヤモンド、炭化珪素、アルミナなどの研磨砥粒が埋め込まれたベルトグラインダーを用いて表面研磨を行い、所定の表面粗度まで調整する。
【0129】
(3)圧延ロールの表面粗さを調整することによる表面粗さ制御;圧延ロール研削仕上げの粗さを調整し、被圧延材の表面粗さを調整する。
これらの粗面化のための処理は、導電性析出物を析出させる前のステンレス鋼基材に対して行うことが好ましい。
【0130】
以上説明した摺動付着処理を採用した黒鉛層を備えるステンレス鋼材の製造過程を、図3に模式的に示す。図3の上段のSEM画像は、ステンレス鋼基材に対して粗面化およびこれに引き続く導電性スマットの析出処理を行って得られたステンレス鋼材の表面を観察した結果である。図3の中段のSEM画像は、導電性スマットがその表面に存在するステンレス鋼材に対し摺動付着処理を行って得られた黒鉛層を備えるステンレス鋼材の表面を観察した結果である。図3の下段の概念図は、黒鉛層を備えるステンレス鋼材の表面部の部分断面図である。
【0131】
ここで、摺動付着処理の変形例について説明する。
摺動付着処理以外の黒鉛層の一般的な形成方法の一つが、黒鉛質炭素を含有する導電性塗料を作製し、この塗料を被処理表面に塗布する方法である。しかしながら、この塗料は具体的には黒鉛質炭素粉末と樹脂性結着剤との混合物であり、結着剤となる樹脂は導電性を持たないため、黒鉛質炭素単独で被覆する場合に比べ、得られた黒鉛層の抵抗率が高くなる傾向がある。
【0132】
したがって、黒鉛層を用いて金めっきに近い接触抵抗を実現するためには、黒鉛層を形成するときに樹脂性結着剤を用いないことが望ましい。ところが、樹脂性結着剤を用いると黒鉛層がステンレス鋼材から脱落しにくくなる。このため、高い生産性を達成する観点からは樹脂性結着剤を使用したほうが好ましい。
【0133】
導電性塗料を用いることなく、樹脂性結着剤を用いてステンレス鋼材から脱落しにくい黒鉛層を形成する方法の一つが次に説明する方法である。
導電性析出物がその表面に存在するステンレス鋼材の表面、すなわち被処理表面に樹脂性結着剤を単独で塗布して樹脂性結着剤からなる層(以下「樹脂層」という。)を形成する。その後、上記の摺動付着処理によって黒鉛層を形成する。
【0134】
このとき、樹脂層が形成された被処理表面に対して黒鉛質炭素を含む部材が摺動される。このため、摺動に起因するせん断応力によって樹脂層が部分的に剥離する。この剥離した樹脂層は、黒鉛質炭素を含む部材から脱落した材料(黒鉛質炭素など)と混合されながら樹脂層を備える被処理表面上に堆積して黒鉛層が形成されると考えられる。
【0135】
したがって、得られた黒鉛層は、被処理表面との界面に近いほど樹脂性結着剤の含有量が高く最表面に近いほど黒鉛質炭素の含有量が高くなる、傾斜組成構造を有すると考えられる。樹脂性結着剤が多いほど他の部材との接合力が高くなり、黒鉛質炭素が多いほど導電性は向上するため、それゆえ、得られた黒鉛層は、被処理表面との密着力が高いにもかかわらず接触抵抗が高くなることが抑制されていると期待される。
【0136】
このような樹脂性結着剤を予め塗布する方法を採用する場合であっても、黒鉛質炭素およびその2質量%以下の樹脂性結着剤を含む塗料組成物を被処理表面に塗布することが好ましい。塗料組成物における樹脂性結着剤の含有量が黒鉛質炭素の含有量の2質量%を超えると、導電層の抵抗が大きくなり、燃料電池用の抵抗発熱損失が大きくなって、電力としての出力が小さくなる可能性が高まる。
【0137】
なお、用いる樹脂性結着剤は、耐水性、耐酸化性そして耐薬品に優れるものであれば、種類を問わない。燃料電池の触媒層形成に用いられるPTFE(ポリテトラフルオロエチレン)、PVDF(ポリフッ化ビニリデン)などフッ素樹脂系の結着剤が好ましく、これらの中でもPTFEが特に好ましい。
【0138】
(2)電解摺動付着処理
電解摺動付着処理は、電解処理と摺動付着処理とを同時に行う方法である。その具体的な構成、電解条件(電解液組成、電圧印加条件、液温など)、摺動付着条件(接触面圧、相対速度、接触面積比率など)、黒鉛質炭素を含む部材の具体的な形状や組成などは適宜設定される。ここでは、電解摺動付着処理の具体的な一例を図5に基づいて説明する。
【0139】
図5に示される例では、硫酸溶液中に、二つの黒鉛質炭素を含む部材(本例では黒鉛ブロック)およびステンレス鋼基材(本例においては板材)を浸漬させ、黒鉛ブロックにより板材が挟持されるようにこれらを配置する。それぞれの黒鉛ブロックに電源からの出力端子を接続する。なお、電源は本例においては直流電源となっているが、交流電源であってもよい。電源から所定の電圧を印加しつつ、一方の黒鉛ブロックを他方の黒鉛ブロックに対して押し付け、さらに、その間にある板材が黒鉛ブロックに対して摺動するように板材を往復運動させる。
【0140】
電圧印加により板材表面の不動態皮膜が除去されてステンレス鋼母材が露出し、この母材表面に導電性スマットが析出するとともに、黒鉛ブロックと板材との摺動により黒鉛層が形成される。こうして得られた黒鉛層を備えるステンレス鋼材から得られるセパレータのガス拡散電極層に対する接触抵抗は、初期値が特に低くなる。その理由は定かでない。電解処理と摺動付着処理とが同時に行われることにより、ステンレス鋼材との電位差が大きな導電性スマットは析出しても除去されやすいこと、析出した導電性スマット上またはその周囲に速やかに黒鉛層が形成されるため導電性スマットが成長しにくいこと、黒鉛ブロックからの炭素もスマットの成分になりうること、酸性溶液中ではステンレス鋼母材の表面上に直接黒鉛層が形成されていることなどが影響している可能性がある。
【0141】
なお、電解摺動付着処理における処理対象であるステンレス鋼基材の表面粗さは、摺動付着処理における処理対象であるステンレス鋼材の表面粗さと同様に、平均表面粗さRaとして0.10μm以上とすることが好ましい。
【実施例】
【0142】
以下、本発明の優位性を示すための実施例を示す。
1.ステンレス鋼板の準備
(1)鋼板
市中で入手可能な汎用ステンレス鋼板4種を実施例に用いる素材として用いた。表2にこれらの鋼板の組成を示す。使用したステンレス鋼板の厚さは約4mmまたは0.15mmであった。
【0143】
【表2】

【0144】
(2)表面粗度の調整
これらのステンレス鋼板の表面粗度の調整は次の手段(A)、(B)および(C)のいずれかにより行った。
【0145】
(A)表面処理
原料;塩化第二鉄無水物(和光純薬工業株式会社製)、純水
表面処理液;45ボーメ度の塩化第二鉄水溶液
表面処理条件;60℃の処理液に、ステンレス鋼板を40秒浸漬
処理後の水洗・乾燥条件;表面処理後の素材は十分に流水洗浄し、その後70℃のオーブンで十分に乾燥させた。
【0146】
(B)ベルトグラインドによる研磨
表面に研磨砥粒が埋め込まれたベルトグラインダーを用いて、所定の表面粗度になるまでステンレス鋼板の表面研磨を行った。
【0147】
(C)圧延ロール表面粗さ調整による表面粗度制御
圧延ロールの研削仕上げの程度が異なるため表面粗さが異なる圧延ロールを用意した。これらの圧延ロールを用いてステンレス鋼板を圧延することにより、ステンレス鋼板の表面粗度を調整した。
【0148】
2.接触抵抗の測定方法
論文等(例えば チタン Vol.54 No.4 P259)で報告されている方法に準じ、図4に模式的に示す装置を用いて、接触抵抗の測定を実施した。面積が1cmであってガス拡散電極層に使用されるカーボンペーパー(東レ(株)製 TGP−H−90)でセパレータ用シート材を狭持し、これを金めっきした電極で挟んだ。次に、この金めっき電極の両端に荷重(5kgf/cmまたは20kgf/cm)を加え、続いて電極間に一定の電流を流した。このとき生じるカーボンペーパーとセパレータ用シート材と間の電圧降下を測定し、この結果に基づいて接触抵抗を測定した。なお、得られた抵抗値は狭持した両面の接触抵抗を合算した値となるため、これを2で除してガス拡散電極層片面あたりの接触抵抗値を求め、この値で評価した。
電流値および電圧降下は、デジタルマルチメータ((株)東陽テクニカ製 KEITHLEY 2001)を用いて測定した。
【0149】
3.電池模擬環境における耐食性調査
セパレータ用シート材を90℃、pH2のHSOに96時間浸漬し、十分に水洗し乾燥させた後に、前述の接触抵抗測定を行った。耐食性が良好でない場合には、セパレータ用シート材の表面には不動態皮膜が成長するため、浸漬前と比較し接触抵抗が上昇する。
【0150】
4.被覆黒鉛の面間隔測定
被覆させる黒鉛の面間隔測定は2θ/θスキャン法で測定し、X線回折測定装置((株)リガク製 RINT 2000)を用いて学振法117(炭素材料の格子定数および結晶子の大きさ測定法(改正案)04/07/08)に従い、標準Siを20質量%添加して、ベースライン補正、プロファイル補正等を施し、正確な002面間隔(d002)、すなわちC面間隔を算出した。なお、計算には、(株)リアライズ理工センター製 Carbon−X Ver1.4.2 炭素材料X線回折データ解析プログラムを活用した。
【0151】
ここで、摺動で黒鉛を被覆する場合には、使用する黒鉛ブロックそのものをX線回折測定した。また、塗着の場合には、使用する黒鉛粉末をX線回折測定した。黒鉛質炭素を真空蒸着により被覆させた場合には、そのままでは面間隔測定が困難であった。このため、d002ピークが明瞭に現れるまで厚く蒸着を行ってXRD測定専用のサンプルを試作して、このサンプルについてX線回折測定を行った。
【0152】
5.燃料電池セル評価
評価に用いた固体高分子形燃料単セル電池は、米国Electrochem社製市販電池セルEFC50を改造して用いた。
【0153】
セルに用いたステンレスセパレータ板の詳細は、以下のとおりである。
表面処理前のセパレータ用シート材に対して、図1に示す形状で両面(アノード側、カソード側)にプレス加工を行って溝幅2mm、溝深さ1mmのガス流路を形成して、セパレータとした。その後、実施例に示す表面処理法を行った後、このセパレータを用いて固体高分子形単セル電池を組み立てた。実施例においては単セルで評価を行った。多セル積層した状態では、積層の技術の善し悪しが評価結果に反映されるためである。
【0154】
アノード側燃料用ガスとしては99.9999%水素ガスを用い、カソード側ガスとしては空気を用いた。電池本体は全体を70±2℃に保温すると共に、電池内部の湿度制御は、供給時のカソード側ガスの露点を70℃とすることで調整した。電池内部の圧力は、1気圧である。
水素ガス、空気の電池への導入ガス圧は0.04〜0.20barで調整した。セル性能評価は、単セル電圧で0.5A/cmにおいて0.62±0.04Vが確認できた状態を評価の開始時点とし、その後継時的に測定を行った。
【0155】
上記の単セル電池を用いて次の評価を行った。
(1)初期電池電圧
特性評価は、電池内に燃料ガスを流してから0.5A/cmの出力が得られたときから単セル電池の電圧を測定し、測定開始後48時間の最も高い電池電圧を初期電池電圧と定義した。
【0156】
(2)電池の劣化度
初期電池電圧を記録した500時間後の電池電圧(0.5A/cmの出力時)を用いて、下記の定義(一時間毎の電池電圧低下割合)で燃料電池の劣化度を定義した。
劣化度={500時間後の電池電圧(V)−初期電池電圧(V)}/500時間
【0157】
6.被覆黒鉛の密着度測定
セパレータ用シート材の表面に形成された導電層の密着度測定は、JIS D0202−1988に準拠して碁盤目テープ剥離試験を行った。セロハンテープ(ニチバン(株)製 CT24)を用い、指の腹でフィルムに密着させた後剥離した。判定は100マス(10×10)の内、剥離しないマス目の数で表し、導電層が剥離しない場合を100/100、完全に剥離する場合を0/100として表した。
【0158】
(実施例1)
従来の発明を確認するための試験番号1〜9の評価試料を準備した手順を以下に示す。
試験番号1(市中入手SUS)
表2に示したSUS316Lステンレス鋼板(厚さ:4mm)を用いた。切削および放電加工により所定のセパレータ形状に仕上げ、試験用のセパレータを得た。
【0159】
試験番号2(金めっき)
表2に示したSUS316Lステンレス鋼板(厚さ:4mm)を切削および放電加工によりセパレータ形状とした。得られたセパレータ形状を有するステンレス鋼板を、脱脂、洗浄、表面活性化、および洗浄をこの順番で行い、さらに市販のシアン金カリウム溶液を用いて単位電池の電極接触面(ガス拡散電極層との接触部)に相当する面に金めっきを施して試験用のセパレータを得た。金めっきの厚みは0.05μmであった。
【0160】
試験番号3〜5(比較従来技術1(特許文献10の追試))
表2に示した4種類のステンレス鋼板のうち316L、304および430(何れも厚さは0.15mm)を用いて、特許文献10に開示された方法を実施した。平均粒径約0.05μmのカーボンブラックをまぶしたフェルトでステンレス鋼板の表面を摺擦した。その後圧下率3%の圧延を行うことにより、ステンレス鋼板の表面にカーボンコートを行った。電池評価に用いるセパレータは、プレス成形加工により所定の形状へ加工することにより得た。
【0161】
試験番号6(比較従来技術2(特許文献2の追試))
表2に示したステンレス鋼板のうち430ステンレス鋼板(厚さ0.15mmt)を用いて確認試験を実施した。ステンレス鋼板をプレス加工により所定のセパレータ形状とした。その後セパレータ形状を有するステンレス鋼板を、塩酸10質量%を含有する温度60℃溶液を用いて10秒間酸洗した。グラファィト粉末(大阪ガス製MCMB 平均粒径6μm)100重量部に対して、水分散性カーボンブラックを添加したポリオレフィン樹脂の水分散性塗料を35重量部の割合で混合させた塗料を用意した。酸洗後のステンレス鋼板の表裏面にこの塗料を30μm厚で塗布し、120℃×1分間の焼き付け処理を行って、試験用のセパレータを得た。
【0162】
試験番号7(比較従来技術3(特許文献3の追試))
表2に示したステンレス鋼板のうち304ステンレス鋼板(0.15mmt)をプレス加工により、所定のセパレータ形状にした。結着材の材料の一つとして、スチレン−ブタジエン共重合体(スチレン−ブタジエンのランダム共重合体のエマルション(固形分40重量%))樹脂を用意した。グラファイト粉末(大阪ガス製MCMB 平均粒径6μm)80質量部に対してカーボンブラックを20質量部の割合で混合させた粉末を調製した。このカーボンと黒鉛とからなる粉末60質量部に対して上記のスチレン−ブタジエン共重合体のエマルションを40質量部の割合で混合し、この混合物を混練して塗料とした。セパレータ形状を有するステンレス鋼板に、得られた塗料をドクターブレードにて塗布した。塗料層を有するステンレス鋼板を150℃で15分乾燥して、試験用のセパレータを得た。
【0163】
試験番号8(比較従来技術4(特許文献4の追試))
表2に示したステンレス鋼板のうち316Lステンレス鋼板(厚さ:0.15mm)をプレス加工により、セパレータ形状に成形した。グラファイトをターゲット材とするイオンビーム蒸着法によって、セパレータ形状を有するステンレス鋼板に非晶質炭素を蒸着し、試験用のセパレータを得た。
【0164】
試験番号9(比較従来技術(特許文献5の追試))
Fe3+を20g/l含む液温50℃の塩化第二鉄水溶液を準備した。アノード電流密度5.0kA/m、カソード電流密度0.2kA/m、交番電解サイクル2.5kHz、処理時間を60秒間の条件で、316Lステンレス鋼板に対して交番電解処理を行った。処理後のステンレス鋼板をプレス加工により所定のセパレータ形状に加工して、試験用のセパレータを得た。
【0165】
本発明の効果確認のために、次の手順で試験番号10〜14に係る評価試料を準備した。
まず、表2に示す4種類のステンレス鋼板を切削・放電加工により、図1に示す5a、5bの形状のセパレータ形状に加工した。
【0166】
次に、加工したセパレータ形状を有するステンレス鋼板におおえるガス拡散電極層との接触部分に相当する部分に対して、#600研磨紙による研磨を実施した。その結果、その部分の表面粗さはRaとして約0.25μmであった。
【0167】
続いて、表面粗さが調整されたステンレス鋼板の表面に、以下に示す方法により導電性析出物である導電性スマットを生成させた。
(A)硫酸処理
表3に示す硫酸溶液および酸洗条件で調整を行った。
【0168】
【表3】

【0169】
(B)硫酸電解処理
に黒鉛電極をカソード極、ステンレス鋼板をアノード極として、硫酸電解を実施した。硫酸電解処理条件を表4に示す。ステンレス鋼板を溶液に60秒浸漬した後、電解処理を開始した。
【0170】
【表4】

【0171】
こうして導電性析出物が形成されたステンレス鋼板のうち、一部(試験番号14)については、ブロック状黒鉛(新日本テクノカーボン製 直径100mm d002=3.365Å)を用いて摺動付着処理を行い、黒鉛層をその表面に形成した。
【0172】
得られた試験部材に対して上記の評価を行った結果を表5に示す。
【0173】
【表5】

【0174】
試験番号9において使用したカーボン分散塗料は、10重量%に希釈したアクリル系水性樹脂に対して10重量%の割合でカーボンブラックを添加して十分に分散させたものである。
【0175】
上記の結果に基づき、本発明の有効性について以下に説明する。
本発明例1〜5(試験番号10〜14)のステンレス鋼板は、5kgf/cmの荷重を負荷させた場合の初期接触抵抗および耐食性試験後の接触抵抗がいずれも20mΩ・cm未満であった。比較従来技術に係る試験No.1および3〜9のステンレス鋼板と比べて、初期、抵および耐食性試験後のいずれについても接触抵抗が小さく、本発明に係るステンレス鋼材のほうが耐食性に優れる。試験番号2のステンレス鋼板は接触抵抗が低いものの、金めっきが高価であるため、経済性および稀少資源を大量に消費する点で問題がある。
【0176】
本発明例1〜5(試験番号10〜14)のステンレス鋼板は、初期電池電圧=0.7Vであり、従来法に係る試験番号1および3〜9と比較して初期電池電圧が高かった。また、電池劣化度も−2.0μV/時間よりも高い値(0μV/時間に近い値)となって良好であった。金めっきによる試験番号2のステンレス鋼板も劣化度が良好ではあるものの、経済性および稀少資源を大量に消費する点で問題がある。
【0177】
特に、黒鉛層を形成した場合(本発明5)には、従来の技術と比較すると、耐食性試験後の接触抵抗値および電池劣化度が大きく改善されている。
(実施例2)
本発明の好適な範囲として、黒鉛層に含まれる黒鉛質炭素の好適な面間隔範囲を確認するために次の実験を行った。
【0178】
石油ピッチの熱処理により生ずるメソフェーズ小球体、およびこの小球体のマトリックスであるバルクメソフェーズを加熱して炭化した炭素材を調製した。得られた炭素材に対する黒鉛化熱処理の加熱温度および時間を変化させることで、種々の面間隔をもつ黒鉛質炭素を得た。
【0179】
加熱温度および時間ならびに得られた黒鉛質炭素の面間隔を表6に示す。炭素1〜3は本発明範囲外、炭素4〜9は本発明範囲である。
【0180】
【表6】

【0181】
実施例1の試験番号14(本発明5)と同じ処理を施して導電性スマットが析出し、セパレータ形状を有するステンレス鋼板を得た。このステンレス鋼材のガス拡散電極層に接する部分に対応する部分に、表6に示される9種類の黒鉛質炭素からなるブロック材を摺動させて、表面に黒鉛層が形成された試験用のセパレータを得た。これらの試験用のセパレータを評価した結果を表7に示す。
【0182】
【表7】

【0183】
面間隔が3.390Åを超える黒鉛質炭素で被覆された316Lステンレス鋼板からなるセパレータは、耐食性試験後の接触抵抗(接触面圧:20kgf/cm)が15mΩ・cm超と相対的に大きく、電池劣化度も−2.0μV/時間より低く(負の値として大きく)なった。これらの結果から、黒鉛質炭素の面間隔d002が小さいほど良好な性能が得られることが示された。
【0184】
以上の結果に基づいて、電池劣化度が−2.0μV/時間よりも高くなるd002≦3.390Åの黒鉛質炭素を含む黒鉛層が導電性析出物を備えるステンレス鋼板上に形成されたものを本発明の好適な範囲とした(本発明5および7−13)。
【0185】
(実施例3)
ステンレス鋼板の表面粗さにおける望ましい範囲を確認すべく次の実験を行った。種々の表面粗さを有する素材は、ベルトグラインダーの砥粒粗さ、塩化第二鉄エッチング時間を調整することにより得た。
【0186】
表面粗さを変えた場合の接触抵抗・燃料電池特性の変化を表8に示す。
【0187】
【表8】

【0188】
平均表面粗さRaが0.10μmより小さい場合(本発明例15)には電池劣化度が若干低くなる(負の値として大きくなる)。これは、導電性析出物および/またはその上部に圧着する黒鉛が剥離し易いためと推測される。
【0189】
平均表面粗さRaが1.0μm以上(本発明16)であると、電池性能には問題ないが、プレス成型加工の際に部分的に割れが発生する恐れがある。
これに対し、Raが0.10〜1.0μm範囲であれば、プレス加工時の割れを心配することなく特に良好な電池特性を得ることができる。
【0190】
(実施例4)
導電性析出物が形成される前のステンレス鋼板に対して硫酸電解処理を施す際に、対極に黒鉛質炭素を用いステンレス鋼板と摺動させることにより、導電性スマットの形成と黒鉛層の形成とを同時に行った場合の効果を検証するための実施例を示す。
【0191】
図5に硫酸電解処理と摺動付着処理とを同時に行う手段を概念的に示した。
ベルトグラインダーで粗面化処理を行ったステンレス鋼板を処理対象の部材とし、0.4Vの電圧を印加して導電性スマットおよび黒鉛層を形成した。得られたステンレス鋼板に対して上記の評価を行った結果を表9に示す。
【0192】
【表9】

【0193】
表9に示されるように、本実施例で得られた試験番号31および32のステンレス鋼材は、接触抵抗が低く、特に初期の電池電圧が高いという特徴を確認することができた。
(実施例5)
本発明の中でも好適な範囲を確認するため、表7に示されるように黒鉛層の形成方法が異なる評価試料を作製し、被覆された黒鉛質炭素の配向の影響を調査した。
【0194】
用いた素材は表2に示すSUS316Lステンレス鋼板である。表3に示す硫酸処理を適用して、その後、表10に示す種々の方法で黒鉛質炭素(d002=3.360Å)を付着させた。
【0195】
表10における「摺動」と表記された試験番号35〜37および41のステンレス鋼板では、試験番号14(本発明5)のステンレス鋼板と同様の方法で黒鉛層を形成した。
表10における「プレス」と表記された試験番号33および38のステンレス鋼板では、表面に導電性スマットが析出したステンレス鋼板(SUS316L)におけるガス拡散電極層との接触部に対応する部分に、黒鉛粉末(中越黒鉛工業製 鱗状黒鉛 平均粒度10μm 面間隔 d=3.36Å)を配置し、150kgf/cmの荷重でプレスすることにより、黒鉛層を形成した。
【0196】
表10における「圧延」と表記された試験番号34のステンレス鋼板では、次のようにして黒鉛層を形成した。黒鉛質炭素粉末を付着させたフェルト状の布または布を巻きつけたロールをステンレス鋼板(SUS316L)に擦り付けて黒鉛質炭素粉末を付着させた。続いて、黒鉛質炭素が付着したステンレス鋼板を通常のロール対を用いて圧下率2%で圧延した。
【0197】
表10における「塗布」と表記された試験番号39および40のステンレス鋼板では、次のようにして黒鉛層を形成した。結着剤としてPTFEディスパージョン溶液(ダイキン工業(株)製 PTFE(ポリフロン PTFE ディスパージョン D 1))を純水で1/15に希釈したものを用意した。表面に導電性スマットが析出したステンレス鋼板(SUS316L)におけるガス拡散電極層との接触部に対応する部分に、この結着剤を塗布し、乾燥させた。乾燥後、塗膜層が形成された表面に対してブロック状黒鉛(東洋炭素(株)製 100mm角 d002=3.36Å)を接触させて摺動させた。
【0198】
ステンレスセパレータにおける黒鉛層が形成された面について広角X線回折測定を行い、その結果得られた原子面の回折線のピーク強度を比較した。具体的には、(110)原子面の回折線のピーク強度の(004)原子面の回折線のピーク強度に対する比率であるI(110)/I(004)を、黒鉛層における黒鉛質炭素結晶の配向を定量的にあらわす指標として用いた。
【0199】
表10に配向性と接触抵抗および電池特性との関係を示す。
【0200】
【表10】

【0201】
本発明のうち、I(110)/I(004)が0.1未満では、接触抵抗が低く初期の電池電圧が0.7V以上と高くなり、電池劣化も小さい。また、I(110)/I(004)が0.05未満とすると特に優れた特性が得られることも確認された。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
固体高分子形燃料電池のセパレータ用ステンレス鋼材であって、
ステンレス鋼母材と、
いずれも当該ステンレス鋼母材の表面上に設けられた不動態皮膜および導電性析出物とを備え、
前記導電性析出物は、前記不動態皮膜を貫通しており、前記ステンレス鋼母材を起源とする物質を含む、ステンレス鋼材。
【請求項2】
前記導電性析出物が、O、S、Fe、CrおよびCを構成元素として含み、多結晶体である請求項1に記載のステンレス鋼材。
【請求項3】
非金属導電性物質からなる導電層が前記不動態皮膜の表面に設けられ、当該導電層は前記導電性析出物を介して前記ステンレス鋼母材と電気的に接続される、請求項1または2に記載のステンレス鋼材。
【請求項4】
前記非金属導電性物質が黒鉛質炭素を含む請求項3に記載のステンレス鋼材。
【請求項5】
前記不動態皮膜表面に設けられた黒鉛質炭素の面間隔がd002≦3.390Åである請求項4に記載のステンレス鋼材。
【請求項6】
前記不動態皮膜の表面に設けられた黒鉛質炭素の結晶について広角X線回折測定することにより得られる原子面の回折線のピーク強度を比較したときに、(110)原子面の回折線のピーク強度の(004)原子面の回折線のピーク強度に対する比率が0.1未満である、請求項5に記載のステンレス鋼材。
【請求項7】
前記導電層が、前記不動態皮膜の表面と前記導電性析出物の表面とからなる表面に対して黒鉛質炭素を含む部材を摺動させることにより形成されたものである請求項4から6のいずれかに記載のステンレス鋼材。
【請求項8】
前記不動態皮膜の表面と導電性析出物の表面とからなる表面の平均表面粗さがRaとして0.10μm以上である請求項7に記載のステンレス鋼材。
【請求項9】
前記導電性析出物および前記導電層が、前記ステンレス鋼母材と前記不動態皮膜とからなるステンレス鋼基材を、硫酸イオンを含む酸性溶液中で電解処理すると同時に、この電解処理において対極として機能する黒鉛質炭素を含む部材を前記対象部材上で摺動させることにより形成されたものである、請求項4から6のいずれかに記載のステンレス鋼材。
【請求項10】
前記ステンレス鋼基材の表面の平均表面粗さがRaとして0.10μm以上である請求項9に記載のステンレス鋼材。
【請求項11】
請求項1から9のいずれかに記載されるステンレス鋼材から得られたセパレータを備える固体高分子型燃料電池。

【図1】
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【図4】
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【図5】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2010−138487(P2010−138487A)
【公開日】平成22年6月24日(2010.6.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−233511(P2009−233511)
【出願日】平成21年10月7日(2009.10.7)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)国等の委託研究の成果に係る特許出願(平成17年度 独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構 固体高分子形燃料電池実用化戦略的技術開発 実用化技術開発 固体高分子形燃料電池ステンレス箔セパレータ量産化技術開発委託事業、 産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願)
【出願人】(000002118)住友金属工業株式会社 (2,544)
【Fターム(参考)】