説明

硬質炭素被膜摺動部材

【課題】エンジン油やトランスミッショシ油等の潤滑油中においても低い摩擦係数が得られ、簡便なプロセスで製造でき、かつ潤滑油の種類の制約が少ない硬質炭素被膜摺動部材を提供する。
【解決手段】少なくとも相手材との摺動部位に硬質炭素被膜を備えた摺動部材の上記硬質炭素被膜中にマグネシウムを含有させ、その含有量を2原子%以上41原子%以下の範囲とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、低摩擦特性に優れた硬質炭素被膜を備えた摺動部材に係わり、特にエンジンオイル、トラスミッションオイル等の潤滑油中で使用するのに適した低摩擦な硬質炭素被膜摺動部材に関するものである。
【背景技術】
【0002】
硬質炭素被膜は、アモルファス状の炭素あるいは水素化炭素から成る膜であって、a−C:H(アモルファスカーボンまたは水素化アモルファスカーボン)、i−C(アイカーボン)、DLC(ダイヤモンドライクカーボンまたはディーエルシー)などとも呼ばれている。
【0003】
このような硬質炭素被膜を形成するには、炭化水素ガスをプラズマ分解して成膜するプラズマCVD法、あるいは炭素や炭化水素イオンを用いるイオンビーム蒸着法などの気相合成法が用いられる。この硬質炭素被膜は高硬度で表面が平滑であり耐摩耗性に優れ、さらにはその固体潤滑性から摩擦係数が低く、優れた摺動特性を有している。
例えば、通常の平滑な鋼材表面の無潤滑下での摩擦係数が0.5〜1.0であるのに対して、硬質炭素被膜においては、無潤滑下での摩擦係数が0.1程度である。
【0004】
硬質炭素被膜は、上記のような優れた特性を活かし、ドリルの刃を始めとする切削工具や研削工具等の加工工具や、塑性加工用金型、バルブコックやキャプスタンローラのような無潤滑下での摺動部品等に応用されている。
【0005】
一方、潤滑油中で摺動する内燃機関などの機械部品においても、エネルギー消費や環境問題の面から、できるだけ機械的損失を低減したいという要望があり、摩擦損失の大きい摺動条件の厳しい部位への硬質炭素被膜の適用が検討されており、摺動部材に硬質炭素被膜を設けると共に、その組成や表面状態を制御し、無潤滑状態だけでなく潤滑油が十分に存在する条件下でも摩擦係数を下げる試みがいくつかなされている。
【0006】
例えば、このような硬質炭素被膜にIVa、Va、VIa族元素及びSiのうちの1種以上を添加する方法が示されており、この方法によりこれら元素を加えない場合に比べ摩擦係数が低減している(特許文献1参照)。
また、このような硬質炭素被膜にAgのクラスターを設ける方法も示されている(特許文献2参照)。
この他、このような硬質炭素被膜に適宜の金属元素を加えた上、さらに膜中の酸素の含有量を制御することで低い摩擦係数を得ている(特許文献3参照)。
【特許文献1】特開2003−247060号公報
【特許文献2】特開2004−099963号公報
【特許文献3】特開2004−115826号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、上記特許文献1に記載の方法では、測定方法の違いの影響はあるにせよ、モータリング試験での摩擦係数である0.06からは、もう一段の摩擦係数低減が望まれている。また、特許文献2に記載の方法においても、摩擦係数を往復動試験によって測定しているので、直接の比較はできないが、摩擦係数は最小で0.04であり、同様にもう一段の摩擦係数低減が望まれる。また、当該硬質炭素被膜の上に、大きさや数を制御してAgクラスターを設ける必要があることから、プロセス制御の点で煩雑な面がある。
さらに、上記特許文献3では、金属元素の含有量と、酸素の含有量の双方を制御する必要があることから、より簡便なプロセスが望まれている。また、この場合、潤滑油中にモリブデンジチオカーバメイト(MoDTC)のような極圧添加剤が必要なため、効果を発揮できる潤滑油の種類が限られるという問題があった。
【0008】
本発明は、上記の課題に鑑み、摩擦係数をさらに下げると共に、簡便なプロセスで製造することができ、効果の発揮される潤滑油の種類が限定されない硬質炭素被膜摺動部材を提供することを目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、上記目的を達成すべく、硬質炭素被膜の種類や成膜方法、さらには硬質炭素被膜に添加成分として金属元素などのドーピングを施す方法などについて鋭意検討を重ねた結果、マグネシウムのドーピングが有効であることを見出すと共に、摩擦低減の効果を最大限に発揮させるために、その最適な添加量や、母材となる炭素被膜の組成について種々の知見を得て、本発明を完成するに到った。
【0010】
すなわち、本発明は上記知見に基づくものであって、本発明の硬質炭素被膜摺動部材は、少なくとも相手材との摺動部位に硬質炭素被膜を備えた摺動部材の上記硬質炭素被膜中に、2原子%以上41原子%以下のマグネシウムを含有していることを特徴としており、特に自動車用のエンジンオイルやトラスミッションオイル等の潤滑油中において好適に用いることができる。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、少なくとも相手材との摺動部位に硬質炭素被膜を備えた硬質炭素被膜摺動部材において、硬質炭素被膜中にマグネシウムを添加し、当該マグネシウム含有量の範囲を最適化したことから、摩擦係数を大幅に低減することができ、特に自動車用のエンジン油やトランスミッション油等の潤滑油中で用いた場合にその効果を顕著に発揮することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
以下、本発明の硬質炭素被膜摺動部材について、さらに詳細に説明する。
本発明の硬質炭素被膜摺動部材は、上記のように2原子%以上41原子%以下のマグネシウムを含有する硬質炭素被膜を備えたものであって、これによって摩擦係数を大幅に低減することができるものであるが、当該硬質炭素被膜が低い摩擦係数を示す理由については、現時点で必ずしも明確でないものの、以下のように推測することができる。
すなわち、被膜中にマグネシウムを添加したことにより、硬質炭素被膜の表面が潤滑剤中の基剤(基油)成分や、潤滑剤に含まれる添加剤成分を吸着する能力が向上し、表面にこれら基油や添加剤から成る薄い膜が形成される。これにより面圧が高い、あるいは摺動速度が遅いような条件、いわゆる境界潤滑条件においても、形成された膜が相手材との直接接蝕を防ぐという機構によって低い摩擦係数が発現するものと考えられる。
【0013】
このとき、硬質炭素被漠の表面から深部までの全てにマグネシウムを含有させることは必ずしも必要ではなく、摺動する表面及び、少なくとも摩耗による減りしろに相当する部分まで含有させれば十分である。
【0014】
マグネシウム添加量については、2原子%未満では上記の吸着効果が十分に発揮されない。一方、41原子%を超えると、推測ではあるが炭素原子のネットワーク構造がマグネシウム原子が存在することで乱されるために、硬質炭素被膜が本来有する低摩擦性能が損なわれることになる。
【0015】
本発明の硬質炭素被膜摺動部材は、潤滑剤を用いない条件(いわゆるドライ条件)でも用いることができるが、上記したように、潤滑剤の基剤(基油)や添加剤との吸着が摩擦係数低下の本質であることから、潤滑剤中で用いることでその効果がより一層発揮されることになる。
したがって、潤滑剤中で用いることが好ましい。また、このような潤滑剤の例としては、自動車用エンジン油やトランスミッション油を挙げることができる。
【0016】
また、このような潤滑油中で低い摩擦係数を得るためには、被膜中の水素原子の量を減らすことが好ましい。その具体的範囲としては6原子%以下、さらには1原子%以下とすることが望ましい。
なお、このような水素含有量の低い硬質炭素被膜は、例えばスパッタリング法やイオンプレーティング法など、水素や水素含有化合物を実質的に使用しないPVD法(物理気相堆積法)によって成膜することによって得ることができる。
【実施例】
【0017】
以下、本発明の実施例を比較例と併せ説明する。なお、本発明の請求項を満たす形であれば必ずしも以下の実施形態によらなくてよいことは言うまでもない。
【0018】
(実施例1)
基材として浸炭鋼(日本工業規格 SCM415)から成る直径30mm、厚さ3mmの円板を準備し、その表面をRa0.020μmに超仕上げ加工したのち、マグネトロンスパッタリング法により、この基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
スパッタリングのターゲットには、グラファイトからなる半径80mmの円板を用い、当該炭素ターゲット上に、金属マグネシウムの板を置くことによって炭素のスパッタリングと同時に、硬質炭素被膜中に一定量のマグネシウムが含まれるようにした。このとき、マグネシウムの板を半径80mm、頂角7.5°の扇形形状のものとし、マグネシウム板がターゲット全体の1/48を占めるようにした。また、スパッタリングの雰囲気ガスにはアルゴンを用いた。
【0019】
プロセス時間については、あらかじめマグネシウム板を用いることなく成膜レートを求め、これをマグネシウム板ありの場合に当てはめて成膜レートを推定することによって、1.0±0.3μmの膜厚になるように設定した。
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.016μmであった。
【0020】
次いで、得られた硬質炭素被膜について膜中の元素の分析を行った。
マグネシウムについては、X線光電子分光法(XPS)を用い、最表面の不純物吸着を勘案して、試料表面から3nmの位置におけるマグネシウム含有量をもって代表値とした。測定の結果、マグネシウム含有量は24原子%であった。
一方、水素原子量については、2次イオン質量分析(SIMS)を用い、試料表面から5nmの位置まで掘り取りながら測定し、深さ3nmの位置における水素含有量をもって代表値とした。その結果、水素量は0.1原子%以下であった。
【0021】
次に、当該試料について、ボールオンディスク法による摩擦特性の評価を行った。試験に際して、潤滑剤として自動車用エンジン油5W−30SLを用いた。
試料をこのエンジン油中で回転させ、軸受鋼(日本工業規格 SUJ2)から成る直径6mmのボールを押し当て、このボールを保持しているアームにかかるトルクを測定することにより摩擦係数を計算した。摺動痕の直径は8mm、油温は80℃とした。また、上記ボールにかけた垂直荷重は10Nである。なお、ボールは固定しており、摺動によって転がることのないようにした。摺動速度は毎秒2.6cmとした。
【0022】
摩擦係数の算出については、摺動開始直後のなじみ効果を考慮して、試験開始から5分経過した時点の測定値をもって、その材料の摩擦係数とみなした。本例の硬質炭素被膜の摩擦係数は、0.022であった。これらの結果を成膜条件と併せて、表1にまとめて示す。
【0023】
(実施例2)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角3.75°の扇形状の酸化マグネシウムの板を置き、酸化マグネシウムがターゲット全体の1/96を占めるようにし、同様に1.0±0.3μmの膜厚になるようにプロセス時間を設定した。
【0024】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.018μmであった。
次いで、上記実施例1と同様に、マグネシウム量、水素量の定量を行った結果、それぞれ13原子%、0.1原子%以下であった。また、摩擦係数を同様に測定した結果、0.019であった。これらの結果は、表1に併せて示す。
【0025】
(実施例3)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角15°の扇形状の金属マグネシウムの板を置き、マグネシウムがターゲット全体の1/24を占めるようにし、同様に1.0±0.3μmの膜厚になるようにプロセス時間を設定した。
【0026】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定した結果、Ra0.020μmであった。
次いで、実施例1と同様に、マグネシウム量、水素量の定量を行うと共に、摩擦係数を同様に測定した結果、マグネシウム量は40原子%、水素量は0.1原子%以下、摩擦係数は0.023であった。これらの結果も同様に表1に併せて示す。
【0027】
(実施例4)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
ターゲットとしては、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角1.875°の扇形状の金属マグネシウムの板を置き、マグネシウムがターゲット全体の1/192を占めるようにし、同様に1.0±0.3μmの膜厚になるようにプロセス時間を設定した。
【0028】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.020μmであった。
そして、上記実施例1と同様に、マグネシウム量、水素量の定量を行うと共に、摩擦係数を同様に測定した結果、マグネシウム量は2.3原子%、水素量は0.1原子%以下、摩擦係数は0.021であった。これらの結果も同様に表1に併せて示す。
【0029】
(実施例5)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングによって、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
ターゲットとしては、実施例1と同様に、金属マグネシウム板がターゲット全体の1/48を占めるようにし、同様に1.0±0.3μmの膜厚になるようにプロセス時間を設定した。なお、スパッタリングの雰囲気ガスには純アルゴンに替えて、アルゴンにメタンガスを90:10の割合で混合したものを用いた。
【0030】
プロセスの完了後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.015μmであった。
次いで、上記実施例1と同様に、マグネシウム量、水素量の定量を行うと共に、摩擦係数を同様に測定した結果、マグネシウム量は17原子%、水素量は7原子%以下、摩擦係数は0.034であった。これらの結果も同様に表1に併せて示す。
【0031】
(実施例6)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングによって、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
ターゲットとしては、実施例1と同様に、金属マグネシウム板がターゲット全体の1/48を占めるようにしたものを用い、同様に1.0±0.3μmの膜厚になるようにプロセス時間を設定した。なお、スパッタリングの雰囲気ガスには純アルゴンに替えて、アルゴンにメタンガスを98:2の割合で混合したものを用いた。
【0032】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定したところ、Ra0.023μmであった。
次いで、上記実施例1と同様に、マグネシウム量、水素量の定量を行うと共に、摩擦係数を同様に測定した結果、マグネシウム量は19原子%、水素量は1.4原子%以下、摩擦係数は0.032であった。これらの結果も同様に表1に併せて示す。
【0033】
(比較例1)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。但し、当該比較例においては、炭素ターゲットの上に金属マグネシウムや酸化マグネシウムを置くことなく、1.0±0.3μmの膜厚になるようにプロセス時間を設定した。
【0034】
成膜後の試料の表面粗さは、Ra0.019μmであった。また、同様にマグネシウム量、水素量の定量を行った結果、両者いずれも0.1原子%以下であった。
さらに、摩擦係数を同様に測定した結果、0.047であった。これらの結果は、表1に併せて示す。
【0035】
(比較例2)
上記実施例1と同様に、炭素をターゲットとしたマグネトロンスパッタリングにより、同様の基材表面に硬質炭素被膜をコーティングした。
スパッタリングのターゲットには、半径80mmの円板状炭素ターゲットの上に、半径80mm、頂角30°の扇形状の酸化マグネシウムの板を置き、マグネシウムがターゲット全体の1/12を占めるようにし、同様に1.0±0.3μmの膜厚になるようにプロセス時間を設定した。
【0036】
プロセスが完了した後、試料の表面粗さを測定した結果、Ra0.024μmであった。
次いで、実施例1と同様に、マグネシウム量、水素量の定量を行うと共に、摩擦係数を同様に測定した結果、マグネシウム量は46原子%、水素量は0.1原子%以下、摩擦係数は0.039であった。これらの結果も同様に表1に併せて示す。
【0037】
【表1】

【0038】
表1の結果から明らかなように、マグネシウムを実質的に含まない、あるいは41原子%を超えて含有する比較例の硬質炭素被膜摺動部材においては、潤滑油中での摩擦係数が高いのに対し、特定範囲のマグネシウムを被膜中に含む本発明の硬質炭素被膜摺動部材においては、低い摩擦係数を示し、特に水素含有量を0.1原子%以下に低減させることによって、極めて優れた低摩擦特性を示すことが確認された。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
少なくとも相手材との摺動部位に硬質炭素被膜を備えた摺動部材であって、上記被膜中に2原子%以上41原子%以下のマグネシウムを含んでいることを特徴とする硬質炭素被膜摺動部材。
【請求項2】
上記被膜中の水素量が6原子%以下であることを特徴とする請求項1に記載の硬質炭素被膜摺動部材。
【請求項3】
上記被膜中の水素量が1原子%以下であることを特徴とする請求項1に記載の硬質炭素被膜摺動部材。
【請求項4】
潤滑剤中で使用されることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1つの項に記載の硬質炭素被膜摺動部材。
【請求項5】
上記潤滑剤が自動車用エンジン油であることを特徴とする請求項4に記載の硬質炭素被膜摺動部材。
【請求項6】
上記潤滑剤が自動車用トランスミッション油であることを特徴とする請求項4に記載の硬質炭素被膜摺動部材。

【公開番号】特開2006−124806(P2006−124806A)
【公開日】平成18年5月18日(2006.5.18)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−317498(P2004−317498)
【出願日】平成16年11月1日(2004.11.1)
【出願人】(000003997)日産自動車株式会社 (16,386)
【出願人】(593178650)
【Fターム(参考)】