説明

筋萎縮性側策硬化症(ALS)の検出方法

【課題】筋萎縮性側策硬化症(ALS)における運動細胞死に寄与する物質を探索し、ALSの検出及び治療のために利用する。
【解決手段】ヒトの生物学的試料を用いて正常対照と比べてD-セリンが慢性的に増加していることを指標にして筋萎縮性側策硬化症(ALS)をインビトロで検出する方法、ALSモデルマウス又はその脊髄細胞に候補薬剤を投与して、該マウスの脊髄におけるD-セリンの慢性的増加を抑制する薬剤をスクリーニングすることを含む、ALSの治療薬をスクリーニングする方法、並びに、D-セリンのNMDA受容体結合に対する競合阻害剤又はセリンラセマーゼ発現の抑制剤、或いはセリンラセマーゼ阻害剤を有効成分として含むALSの治療又は予防用医薬組成物。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、新規の筋萎縮性側策硬化症(ALS)検出方法に関する。具体的には、D-セリンの慢性的増加を指標にしてALSを検出する方法に関する。
本発明はまた、D-セリンの慢性的増加を抑制する薬剤をスクリーニングする方法に関する。
本発明はさらに、D-セリンの増加を抑制する薬剤を有効成分として含むALSの治療用医薬組成物に関する。
【背景技術】
【0002】
筋萎縮性側索硬化症 (Amyotrophic lateral sclerosis:ALS)は、通常、中高年期に発症し、大脳、脳幹、脊髄の運動神経が選択的に侵される神経変性疾患である(非特許文献1;非特許文献2)。ALSは、外眼筋を除く全身の随意筋に筋萎縮、筋力低下を起こし最終的に呼吸不全に陥り、発症から通常3〜5年で死に至る難病である。
【0003】
ALSにおける運動神経の特異的な脱落にはグルタミン酸毒性が関与することが多くの研究から指示されてきた。しかしながらその詳細なメカニズムは明らかでない。
【0004】
リルゾール(Riluzole)は、これまで米国及び日本においてALSに対して認証された唯一の薬剤である。リルゾールはもともとグルタミン酸の放出を抑制する抗痙攣薬として開発されたが、幾つかの臨床試験ではALS患者の延命にわずかな効果しか示さないと報告されている(非特許文献3; 非特許文献4)。また、繊毛性神経栄養因子(CNTF)及びインスリン様成長因子I(IGF-I)を含む広範囲な因子が臨床試験で試されたが、成功には至っていない(非特許文献5)。従って、ALSに対して有効な治療薬が存在しないのが現状である。
【0005】
NMDA受容体拮抗剤であるメマンチン(memantine)は、ALSモデルマウスにおいて生存を延長することが報告されており、ALSの病態へのNMDA受容体関連グルタミン酸毒性の関与が提案されている(非特許文献6)。一方、NMDA受容体の活性化には、グルタミン酸及び共作用剤(D-セリンなど)の両方がグリシン部位に結合する必要がある(非特許文献7及び8)。D-セリンは、主としてグリア細胞に局在するセリンラセマーゼによってL-セリンから変換される(非特許文献9)。
【0006】
【非特許文献1】Clevel DW及びRothstein JD, Nat Rev Neurosci(2001) 2:806-819
【非特許文献2】Hand CK及びRouleau GA, Muscle Nerve b(2002) 25:135-159
【非特許文献3】Rowland LP及びShneider NA, N Engl J Med (2001) 344, 1688-1700
【非特許文献4】Turner MR及びParton MJ, Semin Neurol (2001)21:167-175
【非特許文献5】Miller RGら, Ann Neurol(1996) 39:256-260
【非特許文献6】Wang R及びZhang D. Eur J Neurosci. (2005) 22(9):2376-80
【非特許文献7】Shleper Mら, J Neurosci (2005)25(41):9413-7
【非特許文献8】Panatier Aら, Cell (2006) 125(4):775-84
【非特許文献9】Wolosker Hら, Proc Natl Acad Sci USA (1999) 96(23):13409-14
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、ALSにおける運動細胞死に寄与する物質を探索し、ALSの検出及び治療のために利用することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明は、以下の特徴を含む。
【0009】
本発明は、第1の態様において、ヒトの生物学的試料を用いて正常対照と比べてD-セリンが慢性的に増加していることを指標にして筋萎縮性側策硬化症(ALS)をインビトロで検出することを含む、ALSの検出方法を提供する。
【0010】
本発明は、第2の態様において、ALSモデル非ヒト動物に候補薬剤を投与するか、或いはALS動物由来の脊髄細胞に候補薬剤を接触させて、該非ヒト動物の脊髄又は該脊髄細胞におけるD-セリンの慢性的増加を抑制する薬剤をスクリーニングすることを含む、ALSの治療薬をスクリーニングする方法を提供する。
【0011】
本発明は、第3の態様において、D-セリンのNMDA受容体結合に対する競合阻害剤又はセリンラセマーゼ発現の抑制剤、或いはセリンラセマーゼの酵素活性阻害剤を有効成分として含むALSの治療又は予防用医薬組成物を提供する。
【発明の効果】
【0012】
本発明により、D-セリンの慢性的増加がALSにおける運動神経細胞死に寄与することが判明したことから、D-セリンの増加の抑制がALSの有効な治療薬に結びつくことが明らかになった。このような知見は、ALSの検出のみならず、有効な薬剤の開発のために役立つものである。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
1.筋萎縮性側策硬化症(ALS)の検出方法
本発明は、ヒトの生物学的試料を用いて正常対照と比べてD-セリンが慢性的に増加していることを指標にしてALSをインビトロで検出することを含む、ALSの検出方法を提供する。
【0014】
ALSモデルマウスの脊髄においてD-セリンが慢性的に増加することが今回見出された(図1)。D-セリンの増加は、ミクロ増生に伴うD-セリン合成酵素であるセリンラセマーゼの増加によるものであった(図2)。初代培養脊髄細胞におけるNMDA毒性とD-セリンの効果について検討したところ、D-セリンの共刺激によって顕著な細胞死が誘導されることが判明した(図3)。
【0015】
このような知見から、反応性グリア細胞に由来するD-セリンの慢性的増加がALSにおける運動神経細胞死に寄与することが判った。
【0016】
中枢神経系における内因性のD-セリンの存在は、Hashimotoら (J Neurochem. (1993) 61(1):348-51)によって報告されている。さらに、Wolosker らは、グリア細胞に存在するセリンラセマーゼ(SRR)によって、生体内セリンの大部分を占めるL-セリンがD-セリンに変換されることを報告している (Wolosker Hら, Proc Natl Acad Sci U S A. (1999) 96(23):13409-14)。これらの従来の知見と、本発明者らが今回見出した知見とを併せて考慮すると、D-セリンの増加は、ミクログリア増生に伴うD-セリン合成酵素(セリンラセマーゼ)の増加に起因するものであると言うことができる。
【0017】
D-セリンの測定は、例えば次のようにして行うことができる。生物学的試料としてALS患者又はALSモデル動物から採取した脊髄を使用する場合、測定は、脊髄を5% トリクロロ酢酸 (TCA)中で均質化し、析出した蛋白質を遠心分離によって取り除き、その上清に、D-アミノ酸オキシダーゼを加えると、D-セリンはα-ケト酸、NH3、過酸化水素に分解し、発生した過酸化水素を、ルミノール反応によって定量することによって行うことができる。
【0018】
本発明において、生物学的試料としては、脊髄細胞又は脊髄組織のみならず、例えば脊髄液や血液を使用することができる。脊髄液や血液には、正常時でさえもμMのオーダーでD-セリンが存在しており、ALS患者やALSモデル動物では、D-セリンのレベルが正常対照よりも増加する可能性がある。このため、脊髄液や血液も生物学的試料として使用できる可能性がある。
【0019】
本発明において、D-セリンに関して「慢性的に増加」するとは、一時的増加と異なり、連続的かつ進行性に体内、好ましくは脊髄でD-セリンレベルが平常レベルよりも高い状態が続くことを意味する。
【0020】
本発明の方法はさらに、ALS発症前の検出が可能であるという利点を有する。
例えばALSモデルマウスでは、生後約100日目に発症し約150日に死亡するが、生後約60日頃からD-セリンの上昇が観察される。この事実は、本発明の方法を使用すれば、ALSについて発症前検出が可能であることを示している。
【0021】
2.ALS治療薬のスクリーニング方法
本発明はまた、ALSモデル非ヒト動物に候補薬剤を投与するか、或いはALS動物由来の脊髄細胞に候補薬剤を接触させて、該非ヒト動物の脊髄又は該脊髄細胞におけるD-セリンの慢性的増加を抑制する薬剤をスクリーニングすることを含む、ALSの治療薬をスクリーニングする方法を提供する。
【0022】
ALSモデル非ヒト動物の例は、げっ歯動物、例えばマウス又はラット、具体的にはG93A-SOD1マウス(Jackson Laboratories, USA)、G37R-SOD1マウス(Wongら、Neuron.(1995)14:1105-1116、G85R-SOD1マウス(Bruijinら、Neuron.(1997)18:327-338)、G86R-SOD1マウス(Rippsら、Proc Natl Acad Sci USA.(1995)92:689-693)である。なおG93A-SOD1マウス以外のモデルは市販されていない。
【0023】
候補薬剤の例は、小有機分子、或いは、ペプチド、ポリペプチド、タンパク質又はそれらの化学修飾誘導体である。ここで、化学修飾誘導体は、糖結合誘導体、リン酸化誘導体、硫酸化誘導体、ペグ化誘導体、アシル化誘導体、アルキル化誘導体などを含む。
【0024】
好ましい候補薬剤は、D-セリンのNMDA(N-methyl-D-aspartate)受容体結合に対する競合阻害剤から選択される。このような阻害剤の例は、5,7-ジクロロキヌレニン酸(DCKA; Han, Yら, J. Physiology (2004) 554:649));7-Chlorokynurenic acid;5,7-Dinitro-1,4-dihydo-2,3-quinoxalinedione(MNQX); L-689/560;L-701/324;GV150526;並びにそれらの誘導体又は塩などである(Parsons, CGら, Neuropharmacology (1999) 38:735-67)。ここで、DCKAなどの誘導体は、エステル誘導体、アミド誘導体などを含む。また、DCKAの塩は、無機塩基との塩(例えば、アルカリ金属、アルカリ土類金属又はアンモニアとの塩)又は有機塩基との塩(例えば有機アミン、アミノ酸との塩)であるが、塩は製薬上許容可能な塩である。NMDA受容体は、ALS、アルツハイマー病、パーキンソン病、ハンチントン病などの広範な神経変性疾患と関連するため、ALSの治療に特に有効な薬剤を選択することが望ましい。
【0025】
別の好ましい候補薬剤は、セリンラセマーゼ発現の抑制剤、又はセリンラセマーゼの酵素活性の阻害剤から選択される。セリンラセマーゼ発現の抑制剤の例は、JNK(c-jun N-terminal kinase)阻害剤、例えばSP600125(BIOMOL社)、CEP-1347 (Kaneko M.ら、J. Med. Chem. (1997) 40:1863-1869)などである。また、セリンラセマーゼの酵素活性の阻害剤は、L-Ser-O-sulphate (Dunlopら, Brain Res Mol Brain Res. (2005) 133:208-14)、ヒトSRRに対する小分子類(Dixonら, J. Med. Chem. (2006) 49:2388-2397)などである。
【0026】
3.医薬組成物
本発明はさらに、D-セリンのNMDA受容体結合に対する競合阻害剤又はセリンラセマーゼ発現の抑制剤を有効成分として含むALSの治療又は予防用医薬組成物を提供する。
【0027】
好ましくは、有効成分は、5,7-ジクロロキヌレニン酸(DCKA)、その誘導体又はその塩;メマンチン;3,5-dimethylaminoadamantaneなどである。
【0028】
別の好ましい有効成分は、JNK阻害剤(例えばSP600125(BIOMOL社)、CEP-1347 (Kaneko M.ら、J. Med. Chem. (1997) 40:1863-1869)、セリンラセマーゼ阻害剤(例えばL-Ser-O-sulphate (Dunlopら, Brain Res Mol Brain Res. (2005) 133:208-14))などである。
【0029】
本発明の医薬組成物を経口投与する場合は、錠剤、カプセル剤、顆粒剤、散剤、丸剤、内用水剤、懸濁剤、溶液剤、乳剤、シロップ剤等に製剤化するか、使用する際に再構成させることができる乾燥形態にしてもよい。また、本発明の医薬組成物を非経口投与する場合は、静脈内注射剤(点滴を含む)、筋肉内注射剤、腹腔内注射剤、皮下注射剤などの注射剤、坐剤などに製剤化し、注射用製剤の場合は単位投与量アンプル又は多投与量容器の状態で提供される。さらに、血液脳関門を通過しうるように製剤化されてもよいし、脊髄や脳室内に投与できるように製剤化されてもよい。
【0030】
これらの各種製剤は、薬学的に許容される賦形剤、増量剤、結合剤、湿潤剤、崩壊剤、滑沢剤、界面活性剤、分散剤、緩衝剤、保存剤、溶解補助剤、防腐剤、矯味矯臭剤、無痛化剤、安定化剤、等張化剤等などを適宜選択し、常法により製造することができる。また、医薬組成物中の本発明の有効成分の含有量は、例えば約0.001〜約10重量%であるが、これに限定されない。或いは、該組成物中の有効成分濃度は、例えば約100fM以上、約1pM以上、約1nM以上、約10nM以上、約100nM以上、約1μM以上であるが、これに限定されない。
【0031】
本発明の医薬組成物は、ALSの予防又は治療剤として用いる場合、ヒトに対して非経口的にまたは経口的に投与することができる。本発明の医薬の投与量や投与回数は、投与対象の年齢、性別、症状、投与経路により適宜変更しうる。例えば、本発明のポリペプチドの有効量と適切な希釈剤及び薬理学的に使用し得る担体との組み合わせとして投与される量は、例えば、1日につき体重1kgあたり約1μg〜約500μgの範囲内であるが、これに限定されない。
【0032】
以下に、本発明の実施例を挙げてさらに説明するが、本発明の範囲はこれらの実施例によって制限されないものとする。
【実施例】
【0033】
材料と方法
材料
SP600125は Calbiochem-Novabiochem (SanDiego, CA)から購入。ウサギ抗リン酸化ERK1/2(western blotting用)、マウス抗リン酸化ERK1/2(組織染色用)、ウサギ抗リン酸化JNK抗体、ウサギ抗リン酸化p38抗体はCell Signaling technology (Danvers, MA)から購入した。 抗セリンラセマーゼ抗体 はBD Biosciences (San Jose, CA)から購入した。D-Ser, NMDA,抗Iba1抗体はそれぞれ和光純薬工業(東京)から購入した。この研究で使用したその他の試薬については全て市販品である。
【0034】
D-セリン 測定
マウスは頸椎脱臼にて安楽死させた。脊髄はマウスから取り除き、5% トリクロロ酢酸 (TCA)を脊髄重量の3倍量加えて均質化した(1mgの脊髄につき3μlの5% TCA)。析出したタンパク質は遠心分離によって取り除き、上清には1mlのジエチルエーテルを加えて5回洗浄することでTCAは取り除いた。得られた試料にD-アミノ酸分解酵素であるD-amino acid oxidase (DAO)(Sigma, St. Louis, ML)を加え、D-セリンはα-ケト酸、NH3、過酸化水素に分解した。発生した過酸化水素はルミノール反応によって定量した。10μlの試料に100μlの反応液(100 mM Tris-HCl, pH 8.8, 10 units/ml peroxidase, 8 μM luminal) 10分間放置後、10 μlの DAO (75 units/ml)) を加え、緩やかに混和した。10分後に化学発光をルミノメーターで測定した。
【0035】
マウス
Gly-93-Ala変異ヒトSOD1(G93A-SOD1)遺伝子改変マウスJackson Laboratories (Bar Harbor, ME)から購入した。マウスはC57BL/6Jマウス(CLEA Japan, Inc.)と交配させることによりヘミ接合体として飼育した。飼育は特定病原体未感染環境の飼育室で行い、温度は23±1℃、湿度は50± 5%に維持し、12時間ごとに明暗反転させた(7:00AM-7:00PM)。この実験では、G93A-SOD1マウスは9,16,21週齢で安楽死させた。この週齢はそれぞれ病気の発症前期、発症期、末期に対応している(Bendotti Cら, J Neurochem. (2001) 79(4):737-46)。同腹の正常マウスは対照群として用いられた。この実験は、慶應義塾大学医学部におけるthe Policies on the Use of Animals and Humans in Neuroscience Research, the Society for Neuroscience and Guideline for the Care and Use of Laboratory Animalsに則って行われた。すべての実験手順は慶應義塾大学動物実験委員会によって承認された。
【0036】
組織学的検討
マウスをジエチルエーテルで麻酔し、経心臓的にリン酸緩衝液(PB (pH 7.4)で還流した。脊髄は氷上で迅速に取り除かれ、4%パラホルムアルデヒド液(PB液希釈)中に移し、4℃で一晩持続的に回転させた。そして、20%スクロース液(PB液希釈)に脊髄を 移し、液中で沈降させた後、Tissue-Tek O.C.T. Compound (Sakura Finetechnical Co., Ltd.)の中で凍結包埋した。切片は第2-4腰髄をクライオスタットで作成し、まず常温で正常動物血清(1:60, Vector Laboratory)を0.3% Triton X-100液(トリス緩衝生理食塩水 (TBS)希釈)中で1時間反応させた。次に、適切な1次抗体を4℃で一晩反応させた。D-セリンの染色に関しては、抗D-セリン抗体(1:300, Chemicon)をそれぞれD-セリン-グルタールアルデヒド(GA)-BSA, L-セリン-GA-BSA,GA-BSA コンジュゲート(100mg/ml)と4℃で 一晩反応させた後に切片と反応させ、吸収試験も行った。次に、切片は適切なビオチン化2次抗体(全て1:200, Vector Laboratory)と30分間反応させ、TSAキット(NEN-Perkin-Elmer, NEL 701A)を使用して可視化した。2重染色は、1次抗体に抗GFAP抗体(1:500, Dako)または抗Iba-1抗体(1:50,和光純薬)を加えて反応させ、2次抗体にはTex-Redラベルされた抗ウサギ抗体(1:500, Jackson Laboratories)を追加した。蛍光ニッスル染色は全ての染色手順の後に、NeuroTrace 530/615 (1:50, Molecular Probes)を常温で20分間反応させることによって行った。処理後の切片はVECTASHIELD (Vector Laboratories)で包埋した。観察は共焦点レーザー顕微鏡 (LSM510, Zeiss)にて行った。
【0037】
初代培養細胞作成と細胞死量測定
分離した胎児マウスの初代培養大脳皮質神経細胞(PCNs)と脊髄前角細胞(PSCs)はpoly-L-lysineをコートした96穴プレート (Sumitomo Bakelite, Akita, Japan)に播種し、血清フリーの状態でN2 supplement (Invitrogen)を加え培養した(Chiba Tら, J Neurosci. (2005) 25(44):10252-61; Urushitani Mら, Nat Neurosci. (2006) 9(1):108-18)。簡潔には、胎生14日のマウス胎児から大脳皮質および脊髄腹側を回収し、papain (Sigma)処理にて細胞を分離した後、Neuron Medium (Sumitomo Bakelite)中で細胞播種した。初代培養ミクログリアはSuzumuraら (J Neuroimmunol.(1987) 15(3):263-78)による方法で、PCNsから得た。用意したPSCsは500μM N-methyl-D-aspartate (NMDA), 100 μM D-serine,また30μMの5,7-dichlorokynurenic acid (DCKA) (Sigma)それぞれの有無で条件分けをして処理を行った。細胞死量測定は、各試薬処理24時間後にLDH 測定キット(和光純薬)を用いて行った。LDH測定反応は1時間行い、560nm波長で吸光度を測定した。
【0038】
免疫ブロット分析
マウスをジエチルエーテルで麻酔し、経心臓的にリン酸緩衝液(PBS (pH 7.4)で還流した。脊髄を氷上で迅速に採取し、溶解液[50 mM Tris-HCl(pH7.4), 150 mM NaCl, 1 mM EDTA, 1% Triton X-100, protease阻害剤カクテル(Complete, Roche), phosphatase inhibitor cocktail 1及び2 (Sigma)]を加えた後、polytron homogenizerを用いて均質化した。試料は2度凍結融解した。上記の溶解液を用いて、PCNsはNMDA (500μM)の有無、D-serine (100μM)の有無によって条件分けし30分間処理し、初代培養ミクログリアは30μMのSP600125の有無で96時間処理した。組織溶解物は各100μg /レーン、細胞溶解物は各30μg/レーンでSDS-PAGEを行い、電気的にpolyvinylidene difluoride膜にブロットした。膜はマウス抗SRR抗体 (1:1000), ウサギ抗actin抗体 (1:5000),ヤギ抗ChAT抗体(1:1000, Chemicon), ウサギ抗GFAP抗体(1:3000),マウス抗hSOD1抗体 (1:1000, Roche),ウサギ抗リン酸化JNK (1:1000),ウサギ抗リン酸化p38(1:1000),ウサギ抗リン酸化ERK1/2 (1:1000)抗体 に浸し、続いてHRP化 抗mouse IgG, 抗rabbit IgG,抗goat IgG 抗体(Bio-Rad, Hercules, CA)を反応させた。抗体を沈着させたバンドはECL (Amersham Biosciences, Uppsala, Sweden)液によって可視化した。SRRのタンパク量の定量化には、各バンドの濃度をNIH Image Version 1.62によって測定し、得られたそれぞれのバンドの濃度をactinのバンドの濃度で除することによって表現した。
【0039】
統計
この実験の図中のすべての値は平均値±SDで表しており、統計分析はone-way ANOVA後に Fisher’s PLSDを行った。有意判定はp<0.05で行った。
【0040】
結果
NMDAの共アゴニスト:D-セリンがALSモデルマウスの脊髄で慢性的に増強
ALSの病態におけるD-セリンの役割について検討するため、蛍光免疫染色を行った。発症前期、発症期、末期のG93A-SOD1マウスと同腹の対照マウスからの脊髄組織切片を抗D-セリン抗体で染色した (図1A)。G93A-SOD1マウスの脊髄では、運動機能の失調を殆ど認めない時期である発症前期から、対照群と比較してより強い蛍光が観察された。D-セリンの免疫反応は、G93A-SOD1マウスでは加齢と伴に徐々に上昇するが、一方で対照群のマウスではこれらの週齢では殆ど変化しなかったことから、D-セリン値は病態進行に相関していることが示唆された。このD-セリンの蛍光免疫反応は、アルブミン結合D-セリンによる抗D-セリン抗体の吸収試験によってほぼ完全に消失するが、対照のアルブミンまたはアルブミン結合L-セリンでは全く変化しないことから、D-セリン値を深く反映していると考えられる(図1B)。またさらに、発症期(16週齢)におけるマウスの脊髄中のD-セリンを化学発光によって定量することによっても、G93A-SOD1マウス脊髄でのD-セリン値の上昇を確認した(図1C)。
【0041】
D-セリン合成酵素;セリンラセマーゼの反応性ミクログリアでの発現上昇
中枢神経系における内因性のD-セリンの存在が報告され(Hashimoto Aら, J Neurochem. (1993) 61(1):348-51)、グリア細胞に存在するセリンラセマーゼ(SRR)によって、生体内セリンの大部分を占めるL-セリンがD体に変換されることがわかった(Wolosker Hら, Proc Natl Acad Sci U S A. (1999) 96(23):13409-14)。そこで本発明者らは、発症前期、発症期、末期のG93A-SOD1マウスと同腹の対照マウスからの脊髄組織切片を抗SRR抗体で蛍光免疫染色した (図2A)。D-セリンにおける免疫反応と一致して、SRR発現レベルは病態進行に伴ってG93A-SOD1マウス脊髄で明らかに上昇していた。このことはD-セリンの上昇がSRRの発現レベルの上昇によって起こっていることが示唆される。SRRは正常状態ではアストログリアに存在することが知られているが、炎症状態下においては反応性ミクログリアに発現が認められるため(Wu SZら, J Neuroinflammation. (2004) 1(1):2)、SRRの分布パターンを確認した。21週齢の末期マウス脊髄切片をSRRとアストログリアマーカーであるGFAPまたは、ミクログリアマーカーIba1で2重蛍光染色した(図2B)。SRR免疫陽性細胞は低蛍光レベルの細胞ではGFAP陽性細胞と一致するものの、大部分はIba1陽性細胞と一致していた。次に、21週齢のG93A-SOD1マウス脊髄における、SRR, ChAT, actin, hSOD1タンパクの免疫ブロットを行った(図2C)。組織学的所見と一致して、変異型マウスではSRRタンパク量上昇、および運動神経マーカーである ChATタンパク量の低下を認めた。
【0042】
野生型および G93A-SOD1マウス由来の初代培養脊髄細胞におけるNMDA/D-セリンの毒性
運動神経細胞におけるNMDAの興奮毒性を評価するため、初代培養腹側脊髄細胞を用意し、500 μMのNMDAで処理した(図3A)。G93A-SOD1マウス由来の細胞では、NMDA存在下でLDHの放出が野生型細胞と比較して有意に上昇していた(図3A)。さらに、D-セリンを加えることによって、変異型細胞では容量依存的にNMDAの興奮毒性を増強した(図3B)。一方で、L-セリンやグリシンは興奮毒性に影響を与えなかった(図3C)。NMDA受容体のグリシン結合部位の競合阻害剤5,7-dichloro-kynurenic acid (DCKA)はD-SerによるNMDAの興奮毒性増強効果を完全に抑制した(図3D)。このことから、NMDAの毒性増強効果は、D-SerがNMDA受容体に結合し刺激を調節していることによるものであることが示された。
【0043】
SRRの上昇に一致したグリア細胞におけるMAPK;JNKの活性化
SRRの発現はJNKがDNAのAP-1領域に結合することによって誘導されることが報告され(Wu S及びBarger SW, Ann N Y Acad Sci. (2004) 1035:133-46)、そしてJNKはALSでは非神経細胞選択的に活性化していることが報告された (Migheli Aら, J Neuropathol Exp Neurol. (1997) 56(12):1314-22)。そこで本発明者らは、ミクログリア細胞におけるSRRの発現上昇はJNKの活性化によるものでないかと考えた。このことを確かめるため、抗リン酸化JNK抗体でG93A-SOD1 マウスの発症前期、末期における脊髄を蛍光染色したところ、野生型マウスと比較して末期脊髄前角においてミクログリア様の細胞で有意にJNKが活性化していることが観察された(図4A)。次にリン酸化JNK陽性の細胞の特徴を検討するため、抗Iba1抗体および抗GFAP抗体で2重染色 を行った(図4B)。リン酸化JNK陽性細胞はIba1陽性細胞と大部分は一致し、また一部のGFAP陽性細胞でも共局在化しており、SRRにおける発現上昇パターンと一致していた。さらに、初代培養ミクログリア細胞にJNK阻害剤であるSP600125を処理することにより、SRRの発現に影響を及ぼすかどうかを免疫ブロットによって検討した (図4C)。SP600125処理によって、ミクログリア細胞では顕著にSRRの発現が抑制されたため、反応性ミクログリアでのSRRの発現上昇はJNK活性化によるものであることが示された。
【0044】
NMDA/D-セリンによるMAPK;ERK1/2, p38の活性化
ALS関連の運動神経細胞死にはMAPK特にp38の活性化が関与していることがいくつかの報告により示唆されている (Raoul Cら, Neuron (2002) 35(6):1067-83)。一方、NMDA受容体を介した神経細胞死はERK1/2を介すること (Jiang, Qら, Brain Res. (2000) 887(2)285-292;Jiang, Qら, Brain Res. (2000) 857(1-2)71-7)や、NMDA受容体からの刺激はERK1/2とp38両方を活性化すると報告されている(Haddad Jら, Prog Neurobiol. (2005) 77(4):252-82)。NMDA/D-セリンによる興奮毒性を評価するために、初代培養神経細胞(PCNs)にNMDAの有無およびD-セリンの有無の条件で処理を行い、JNK, p38, ERKのリン酸化レベルを免疫ブロットで確認した(図5A)。JNKのリン酸化レベルはNMDAおよびD-セリンには影響を受けなかった。p38およびERK1/2のリン酸化レベルは野生型と変異型神経細胞で共にNMDA処理により有意に上昇し、D-セリン存在化ではさらに上昇を認めた。重要なことに、G93A-SOD1 マウス由来の神経細胞ではD-セリン単独処理でもERK1/2のリン酸化を認めた。このことから、G93A-SOD1マウス神経細胞では野生型に比較してよりNMDA/D-セリンによる興奮毒性に過敏に反応することが示唆された。次に、運動神経細胞におけるERK1/2の活性状況を確認するため、発症前期および末期における G93A-SOD1 マウス脊髄前角をリン酸化ERK1/2抗体で免疫染色した(図5B)。野生型マウスではリン酸化ERK1/2陽性細胞を殆ど認めなかったが、G93A-SOD1 マウスでは発症前期から大型の神経様細胞で免疫陽性細胞が認められた。これらの細胞の分布を確認するため、蛍光ニッスル染色を行い、リン酸化ERK1/2抗体と2重染色を行ったところ、運動神経様の大型の神経細胞で病初期から末期に至るまでリン酸化ERK1/2陽性細胞が認められた(図5C)。このことから、D-セリン値が上昇を認める時期と一致して、慢性的にERK1/2が活性化されていることが示された。
【産業上の利用可能性】
【0045】
本発明は、ALSの検出のみならず、それに対する有効な薬剤の開発のために医療上役立つことが期待される。
【図面の簡単な説明】
【0046】
【図1】ALSマウス脊髄におけるD-セリンの慢性的増加。9(発症前期), 16(発症期), 21週齢(末期)の野生型およびG93A-SOD1マウス脊髄前角に対しD-セリン抗体を用いて蛍光免疫染色を行った(A)。内在性D-セリンに対する免疫反応を確認するため、albumin (control), albumin結合 L-セリン(L-Ser absorption), albumin結合D-セリン(D-Ser absorption)により吸収試験を行った(100 mg/ml)(B)。スケールバーは200μmをそれぞれ示している(A, B)。16週齢のG93A-SOD1マウス脊髄組織中D-セリンを化学発光測定にて行った(C)。値はそれぞれの試料の平均値であり、野生型脊髄中D-セリン値と比較してパーセント表示±標準偏差で表した。統計学的分析はone-way ANOVA に続けて、 Fisher’s PLSDで行った(*p <0.05)。
【図2】ALSマウスの反応性ミクログリアでのセリンラセマーゼの発現上昇。9(発症前期), 16(発症期), 21週齢(末期)の野生型およびG93A-SOD1マウス脊髄前角に対しセリンラセマーゼ(SRR)抗体を用いて蛍光免疫染色を行った(A)。9, 21週齢G93A-SOD1マウス脊髄をSRR抗体(緑)と抗GFAP抗体(赤)または抗Iba1抗体(赤)を用いて蛍光2重染色し、SRR陽性細胞の分布を可視化した(B)。スケールバーはそれぞれ50μmを示す(A, B)。矢印は低発現SRR陽性細胞がアストログリアと共局在した細胞を表す。21週齢の野生型およびG93ASOD1マウスの脊髄溶解物をSRR, ChAT, Actin, hSOD1抗体で免疫ブロットを行った(N = 3)(C)。SRR抗体に反応したバンドは濃度を測定し、actin抗体反応バンドとの比で表した(D)。
【図3】初代培養腹側脊髄細胞におけるNMDA/ D-セリンの細胞毒性。野生型およびG93A-SOD1マウス由来の初代培養腹側脊髄細胞(PSCs)に500μMのNMDAの有無で処理後、LDH測定により細胞死測定を行った(N=3)(A)。LDH放出は野生型細胞の対照群の値との比で表した。様々な濃度のD-セリンをNMDA存在、非存在下で細胞に処理し、LDH放出を測定した(N = 3)(B)。その他のアミノ酸によるNMDA毒性への影響をLDH測定にて検討した(C)。NMDA受容体のグリシン結合部位競合阻害剤DCKAをNMDAおよびD-セリン存在下で処理し、効果をLDH測定にて評価した(D)。図中の誤差は標準偏差を示す。統計学的分析はone-way ANOVA に続けて、 Fisher’s PLSDで行った (*p <0.05, **p <0.01, ***p <0.001)。
【図4】SRRの発現上昇におけるMAPK; JNKの関与。9(発症前期), 21週齢(末期)の野生型およびG93A-SOD1マウス脊髄前角に対し抗リン酸化JNK抗体を用いて蛍光免疫染色を行った(A)。21週齢G93A-SOD1マウス脊髄をリン酸化JNK抗体(緑)と抗GFAP抗体(赤)または抗Iba1抗体(赤)を用いて蛍光2重染色し、SRR陽性細胞の分布を可視化した(B)。スケールバーはそれぞれ50μm を示す(A, B)。矢印はミクログリアとの共局在、丸印はアストログリアとの共局在を示す。初代培養ミクログリア細胞にJNK阻害剤を処理することによるSRR発現への影響を免疫ブロットで確認した(C)。
【図5】NMDA/D-セリン興奮毒性におけるMAPK; ERK1/2, p38の関与。野生型およびG93A-SOD1マウス由来の初代培養神経細胞(PCNs)に500μMのNMDAまたは100μMのD-セリンの有無で30分間処理後、免疫ブロットを行い、MAPKのリン酸化状態を検討した(A)。9(発症前期), 21週齢(末期)の野生型およびG93A-SOD1マウス脊髄前角に対し抗リン酸化ERK抗体を用いて蛍光免疫染色を行った(B)。9, 21週齢G93A-SOD1マウス脊髄をリン酸化ERK抗体(緑)と蛍光ニッスル染色(赤)を用いて蛍光2重染色し、ERK陽性細胞の分布を可視化した(C)。スケールバーはそれぞれ50μmを示す(B, C)。矢印は運動神経様細胞との共局在を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ヒトの生物学的試料を用いて正常対照と比べてD-セリンが慢性的に増加していることを指標にして筋萎縮性側策硬化症(ALS)をインビトロで検出することを含む、ALSの検出方法。
【請求項2】
生物学的試料が、脊髄細胞又は組織、脊髄液或いは血液である請求項1に記載の方法。
【請求項3】
D-セリンの増加がミクログリア増生に伴うD-セリン合成酵素(セリンラセマーゼ)の増加に起因する請求項1又は2に記載の方法。
【請求項4】
発症前検出が可能である請求項1〜3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
ALSモデル非ヒト動物に候補薬剤を投与するか、或いはALS動物由来の脊髄細胞に候補薬剤を接触させて、該非ヒト動物の脊髄又は該脊髄細胞におけるD-セリンの慢性的増加を抑制する薬剤をスクリーニングすることを含む、ALSの治療薬をスクリーニングする方法。
【請求項6】
候補薬剤が小有機分子、或いは、ペプチド、ポリペプチド、タンパク質又はそれらの化学修飾誘導体である請求項5に記載の方法。
【請求項7】
候補薬剤がD-セリンのNMDA受容体結合に対する競合阻害剤から選択される請求項5又は6に記載の方法。
【請求項8】
候補薬剤がセリンラセマーゼ発現の抑制剤又はセリンラセマーゼ阻害剤から選択される請求項5又は6に記載の方法。
【請求項9】
セリンラセマーゼ発現の抑制剤がJNK阻害剤である請求項8に記載の方法。
【請求項10】
D-セリンのNMDA受容体結合に対する競合阻害剤、セリンラセマーゼ発現の抑制剤又はセリンラセマーゼ阻害剤を有効成分として含むALSの治療又は予防用医薬組成物。
【請求項11】
有効成分が5,7-ジクロロキヌレニン酸(DCKA)、その誘導体又はその塩である請求項10に記載の医薬組成物。
【請求項12】
有効成分がJNK阻害剤である請求項10に記載の医薬組成物。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2008−96313(P2008−96313A)
【公開日】平成20年4月24日(2008.4.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−279145(P2006−279145)
【出願日】平成18年10月12日(2006.10.12)
【出願人】(506343922)
【出願人】(506334274)
【出願人】(506334285)
【出願人】(506291173)
【出願人】(506290512)
【出願人】(504132331)
【Fターム(参考)】