説明

ばねおよびその製造方法

【課題】材料コストの低減や製造工程の簡略化を図るとともに、耐疲労性に優れたばねおよびその製造方法を提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜2.0%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、残部が鉄及び不可避不純物からなる成分を有し、任意の横断面において、面積比率でベイナイトを65%以上、残留オーステナイトを4〜13%含む組織を有し、前記残留オーステナイト中の平均炭素濃度が0.65〜1.7%であり、横断面の円相当直径をD(mm)としたときに、圧縮残留応力層が表面から0.35mm〜D/4の範囲まで形成され、その最大圧縮残留応力が800〜2000MPaであり、中心の硬さが550〜650HVであり、表面から深さ0.05〜0.3mmの範囲に、前記中心の硬さより50〜500HV大きい高硬度層が形成されている。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、耐疲労性に優れたばねおよびその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
たとえば、自動車のエンジン用弁ばねの材料は、JIS規格で炭素鋼オイルテンパー線(SWO−V)、Cr−V鋼オイルテンパー線(SWOCV−V)、Si−Cr鋼オイルテンパー線(SWOSC−V)などがあり、従来、耐疲労性や耐へたり性の観点からSi−Cr鋼オイルテンパー線が広く使用されている。近年、自動車の燃費向上のため弁ばねは軽量化が強く要求されており、素線の引張強さはばねの設計応力の増加を図るため上昇する傾向にある。しかしながら、JIS規格のオイルテンパー線のように、金属組織が焼戻しマルテンサイトの場合、素線の高強度化に伴い疵あるいは介在物等の欠陥に対する切欠き感受性が著しく増加するため、冷間ばね成形(コイリング)時の折損や、使用中に脆性的な破壊形態を示す傾向が強くなることが問題となっていた。
【0003】
また、コイルばねにおいては、コイリング時に圧縮外力を受けた方向にはコイリング後に引張残留応力が発生し、コイリング時に引張外力を受けた方向にはコイリング後に圧縮残留応力が発生するため、素線の引張強さが高いほどこれら残留応力値が大きくなる傾向があった。さらに、コイルばねを圧縮変形させた場合、コイル内側は表面において最も高い引張応力が負荷されることが知られている。したがって、冷間成形したコイルばねを圧縮変形させる場合、コイル内側はコイリング後の引張残留応力に加え、ばね圧縮時の高い引張応力が作用し、疲労破壊の起点となる場合が多い。
【0004】
そのため、高い作用応力に対してコイルばねの耐疲労性を維持する必要があり、これに対する対応策としては素線表層に高い圧縮残留応力を深い範囲に亘って形成することが挙げられる。たとえば、ショットピーニングにより素線表層に圧縮残留応力を形成することで、ばねの耐疲労性を向上させることが広く行われてきた。
【0005】
しかしながら、近年、素線は高硬度化に伴い降伏強度が増加しているため、ショットピーニングにより与えられる表層の塑性ひずみ量は減少し、圧縮残留応力層(表面から圧縮残留応力がゼロとなる位置までの距離、以下、同様)を深く形成することが困難となりつつある。
【0006】
また、ショットピーニングにより最表層の圧縮残留応力を高めることにより、表面を起点とした早期折損は抑制されるものの、作用応力と残留応力の合成応力(素材内部が受ける正味応力)分布が素線の径方向で最大となる深さは、近年の設計応力の増加により、素線径や作用応力等によるが表面から200〜600μm程度の領域である。そして、その範囲の中に20μm程度の介在物が存在すると、介在物に、素材の疲労強度を上回り折損起点となる程度の応力集中が生じる。そこで、これらの課題を解決すべく以下の方法が提案されている。
【0007】
特許文献1には、JIS規格鋼の化学成分にV等の元素を添加したオイルテンパー線材を用いて製造した耐疲労性に優れたばねが開示されている。しかしながら、このような添加元素は結晶粒の微細化等により鋼材の靭性を高め耐疲労性の向上に寄与するが、材料コストが高くなる問題があった。
【0008】
特許文献2には、Ba、Al、Si、MgまたはCaの添加量を調整した鋼材を用いて成形した疲労特性に優れたSiキルド鋼線ばねが開示されている。しかしながら、これら添加元素をバランスよく含有させるためには鋼精錬工程上の管理が著しく困難となり、結果的に高コストになってしまうことが推察される。
【0009】
特許文献3には、鋼の化学成分を調整し、疲労起点となる介在物の大きさを小さくするとともに結晶粒径を小さくすること等により疲労強度に優れたばねが開示されている。そのようなばねでは、疲労強度の増加はみられるが、その疲労強度レベル(最大せん断応力τmax=約1200MPa)は、近年の軽量高強度弁ばねに要求される実用強度(τmax=約1300〜1400MPa)と比較して低い。
【0010】
また、特許文献3には、さらに高い疲労強度を得るために窒化処理を追加することが記載されている。しかしながら、窒化によって表面硬度の増加による耐疲労性の向上が見込めるものの、窒化処理後に疲労強度を低下させる原因となり得る表層の鉄窒素化物を完全に除去しなくてはならず、製造工程が複雑になり、かつ窒化処理費用も高いため結果的に高コストになる。
【0011】
特許文献4には、硬引線((フェライト+パーライト)組織またはパーライト組織の伸線加工線材)を用いて、コイルばね成形後におけるコイル内側とコイル外側の残留応力の差(残留応力差)を500MPa以下に制御することによって成される疲労強度に優れた硬引きばねが開示されている。特許文献4に開示された技術では、従来より広く使用されているオイルテンパー線を製造するために必要な焼入れ、焼戻し処理のコストを削減できるメリットはあるが、残留応力差を500MPa以下にするためには鋼の化学成分を調整する他に、ばね成形後400℃以上で焼鈍する必要があり、素材の強度が低下し、結果的に近年の要求に応えられる高強度のばねを得ることは困難であった。
【0012】
特許文献5には、JIS規格のばね鋼の化学成分にMoやV等を加え、オーステンパー処理をした冷間成形性に優れた高疲労強度ばね用鋼線が開示されている。この技術は、降伏比(引張強度に対する降伏強度の割合)を0.85以下とすることで、冷間成形後に残留するコイル内側の引張残留応力を小さくすることを目的としたものである。しかしながら、降伏比が0.85以下の線材を用いてコイリングし、かつ、冷間成形後に焼鈍を行っても、冷間成形後に発生した引張残留応力を内部に亘って十分低下させることは難しく、その後ショットピーニングを行っても深い圧縮残留応力を形成することは困難であり、耐疲労性の向上にも限界があった。また、特許文献5は、ばね用鋼線の組織の構成や比率について記載していない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0013】
【特許文献1】特開昭64−83644
【特許文献2】特開2008−163423
【特許文献3】特開2005−120479
【特許文献4】特許第4330306号
【特許文献5】特開平2−57637
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
本発明は、上記従来技術の有する課題を解決するためになされたもので、材料コストの低減や製造工程の簡略化を図るとともに、耐疲労性に優れたばねおよびその製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本発明者等は、高強度弁ばねの疲労強度について鋭意研究した。その結果、コイリング後に発生する残留応力は、ばねの成分やコイリング後の焼鈍条件の調整によりある程度低減することは可能であるが、鋼の高強度を維持しつつ疲労に対して残留応力を無害化することは困難であることから、コイリング後にばねをオーステナイト化温度まで加熱し、コイリングで発生した残留応力を実質的にゼロとすることが有効であるとの考えに至った。また、オーステナイト化温度まで加熱したばねに対して、引き続きオーステンパー処理を特定の条件で行い、強度と延性及び靭性のバランスに優れた組織とすることで、母材自体の耐疲労性が向上することを見出した。さらに、ショットピーニングを行うことにより、素線表層の残留オーステナイトが加工誘起変態によりマルテンサイトに変態し、この変態が体積膨張を伴うため表層に高い圧縮残留応力が深く形成され、疲労き裂の進展を抑制し耐疲労性の向上に寄与することが判った。
【0016】
そして、本発明者等は、表層に高い圧縮残留応力が深く形成されたコイルばねは、素材としてJIS規格のオイルテンパー線やこれと同組成の硬引線等の低廉材を用いることができる他、適切な熱履歴条件を選定して所定の組織を構成するとともに合金元素の濃度の条件を満たせば、特に複雑な熱処理工程を用いず、後の工程で通常のショットピーニングを用いることにより製造できることを見出した。また、従来行われていた窒化処理を省略しても市場要求に応じた高耐疲労性を有することを見出し、処理コストの低減や工程の簡略化が図れることを見出した。
【0017】
本発明のばねは、上記知見に基づいてなされたもので、質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜2.0%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、残部が鉄及び不可避不純物からなる成分を有し、任意の横断面において、面積比率でベイナイトを65%以上、残留オーステナイトを4〜13%含む組織を有し、前記残留オーステナイト中の平均炭素濃度が0.65〜1.7%であり、任意の横断面において、該横断面の円相当直径をD(mm)としたときに、圧縮残留応力層が表面から0.35mm〜D/4の範囲まで形成され、その最大圧縮残留応力が800〜2000MPaであり、任意の横断面において、中心の硬さが550〜650HVであり、表面から深さ0.05〜0.3mmの範囲に、前記中心の硬さより50〜500HV大きい高硬度層が形成されていることを特徴とする。
【0018】
また、本発明のばねの製造方法は、質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜2.0%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、残部が鉄及び不可避不純物からなる成分を有する線材をばねの形状に成形する成形工程と、Ac3点〜(Ac3点+250℃)の温度でオーステナイト化した後、20℃/秒以上の速度で冷却し、Ms点〜(Ms点+60℃)の温度で400秒以上保持し、次いで20℃/秒以上の冷却速度で室温まで冷却する熱処理工程と、 熱処理後のばねにショットを投射するショットピーニング工程と備えたことを特徴とする。
【0019】
ここで、Ac3点とは材料が加熱中にフェライト+オーステナイトの2相域からオーステナイト単相域に移行する境界温度であり、Ms点とは冷却中にマルテンサイトが生成を開始する温度である。また、本発明における「中心」とは、横断面が円形であれば円の中心であるが、例えば矩形や楕円形など円形でない場合には重心を意味する。
【発明の効果】
【0020】
本発明によれば、高価な合金元素を含有せず、入手が容易なJIS規格のばね鋼組成の素線を用い、複雑な熱処理や表面硬化処理を必要とせず、素線表層に高硬度層と厚い高圧縮残留応力層を有する耐疲労性に優れたばねを得ることができる。また、本発明のばねは、合金元素量が少なくリサイクル性にも優れ、かつ製造工程の簡略化や、処理時間の短縮化による生産性の向上や省エネルギー化が可能である。
【図面の簡単な説明】
【0021】
【図1】本発明の実施例において素線横断面の同一エリアにおける反射電子像による観察結果(a)、C元素マップによる測定結果(b)、結晶構造(相)マップによる測定結果(c)を示す組織図である。
【図2】図1(b)のI〜ll線上のC濃度分析結果を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0022】
まず、本発明に用いる鋼の化学成分の限定理由について説明する。なお、以下の説明において「%」は「質量%」を意味する。
【0023】
C:0.5〜0.7%
Cは、1800MPa以上の高強度を確保するためと、室温で所望の残留オーステナイト比率を得るために重要な元素であり、そのような効果を得るために0.5%以上含有させることが必要である。しかしながら、Cの濃度が過剰になると、軟質相である残留オーステナイト比率が増え過ぎて所望の強度を得ることが困難になるため、0.7%以下に抑える。
【0024】
Si:1.0〜2.0%
Siは、ベイナイトの構成要素であるベイニティックフェライトからオーステナイトへCが排出される際にオーステナイト地からの炭化物の生成を抑制する作用を持ち、本発明の要件にあるCが高濃度で固溶した残留オーステナイトを得るためには不可欠の元素である。また固溶強化に寄与する元素であり、高強度を得るために有効な元素である。そのような効果を得るために、Siの濃度は1.0%以上必要である。しかしながら、Siの濃度が過剰であると、軟質な残留オーステナイト比率が高くなり、逆に強度の低下を招くため2.0%以下に抑える。
【0025】
Mn:0.1〜1.0%
Mnは、精錬中の脱酸元素として添加されるが、オーステナイトを安定化させる元素でもあるため、本発明で規定する残留オーステナイトを得るためには、Mnは0.1%以上含有させることが望ましい。一方、Mnの濃度が過剰であると偏析が生じ加工性が低下しやすくなるため、1.0%以下に抑える。
【0026】
Cr:0.1〜1.0%
Crは、鋼材の焼入れ性を高めて高強度化を促進する元素である。また、Crは、パーライト変態を遅延させる作用もあり、オーステナイト化加熱後の冷却時に安定してベイナイト組織を得る(パーライト組織を抑制する)ことができるため、Crは0.1%以上含有させることが望ましい。ただし、1.0%を超えて含有すると鉄炭化物を生じ易くなり、残留オーステナイトが生じ難くなるため、1.0%以下に抑える。
【0027】
P,S:0.035%以下
PおよびSは、粒界偏析による粒界破壊を助長する元素であるため、低い方が望ましく、上限を0.35%とする。P,Sの濃度は、好ましくは、0.01%以下である。
【0028】
次に、任意の横断面における組織の面積比率の限定理由について説明する。なお、「横断面」とは、ばねの素線の長手方向と直交する断面をいう。
【0029】
ベイナイト:65%以上
ベイナイトとは、オーステナイト化された鋼材を550℃程度以下でマルテンサイト変態開始温度を超える温度域にて等温変態させることによって得られる金属組織であり、ベイニティックフェライトと鉄炭化物で構成される。素地のベイニティックフェライトは転位密度が高く、また鉄炭化物は析出強化効果があるため、ベイナイト組織をもって強度を高めることができる。さらに、本発明の製造方法では、Si濃度の高い鋼を用い、かつ、Ms点〜(Ms点+60℃)に保持することにより、鉄炭化物の粗大化が抑制されるため、ベイナイト組織は鉄炭化物がベイニティックフェライト地に微細析出した構造となり、粒界強度の低下が少なく高強度であっても延靭性の低下が小さい。このように、ベイナイトは高強度と高延性を得るために不可欠な組織であり、その面積比率は高いほど望ましく、本発明に規定する高強度高延性を得るためには65%以上が必要である。一方、等温保持中の未変態オーステナイトは、その後室温まで冷却されることによりマルテンサイトや残留オーステナイトとなる。ベイナイト面積比率が65%未満となる条件は、等温保持時間が短いことを意味し、その段階での未変態オーステナイト中のCの濃縮度は小さいため、その後の冷却によりマルテンサイト比率が高くなる。したがって、ベイナイト面積比率が65%未満となる場合は、マルテンサイト比率が高くなるため高強度は得られるが、切欠き感受性が著しく高くなるため、優れた耐疲労性を得ることはできない。
【0030】
残留オーステナイト:4%〜13%
残留オーステナイトは、TRIP(Transformation-induced plasticity;変態誘起塑性)現象による延性及び靭性の増加に起因した切欠き感受性の低減に有効である。また、残留オーステナイトは、き裂先端の応力集中部で加工(または歪み)誘起マルテンサイト変態(Deformation (Strain) Induced Martensitic Transformation)により体積膨張し、その周囲の拘束力によって圧縮応力が働き、応力集中度を軽減することでき裂の進展速度を低下させる作用があると考えられる。さらに、残留オーステナイトは、ショットピーニング工程で加工誘起変態によりマルテンサイトに変態する。このとき体積膨張を伴うため、表層に高い圧縮残留応力を深く形成することができる。残留オーステナイト比率は、ショットピ−ニングによる表面加工層では内部よりも低くなっているが、上記したき裂の進展の抑制効果を発揮するには任意の横断面において4%以上必要であり、過剰であると材料強度の低下が著しいため、13%以下に抑える。
【0031】
残留オーステナイト中の平均C濃度:0.65%〜1.7%
残留オーステナイトは、そのC濃度が高いほど加工誘起マルテンサイト変態を開始する引張ひずみが高いため、結果的に高い延性及び靭性に起因した切欠き感受性の低下に寄与する。また、残留オーステナイトの加工誘起マルテンサイト変態における体積膨張率は、残留オーステナイトのC濃度が高いほど大きく、き裂先端における応力集中の緩和や高く深い圧縮残留応力の生成を促進するため、耐疲労性の向上により有効であると考えられる。残留オーステナイト中の平均C濃度は、後述する圧縮残留応力分布(800MPa以上の最大圧縮残留応力)を得るため0.65%以上必要である。一方、残留オーステナイト中のC濃度が高くなり過ぎると残留オーステナイトは著しく安定化し、これにより加工誘起変態しないまま単なる軟質相としてのみ作用するため1.7%を上限とする。
【0032】
次に、ばねの横断面における諸特性の限定理由について説明する。
表層の圧縮残留応力分布
表層の圧縮残留応力は主にショットピーニングにより与えられる。ただし、本発明では通常のショットピーニングで得られる圧縮残留応力に加え、素材に存在する残留オーステナイトの加工誘起マルテンサイト変態によりさらに高い圧縮残留応力が深く形成される。表層の圧縮残留応力層の深さは、横断面の円相当直径をD(mm)としたときに、表面から0.35mm〜D/4とする。これは、表面から深さ200μm〜D/4程度の範囲は、例えば、ばね素線径が1.5〜15mmの範囲において、外部負荷による作用応力と残留応力との合成応力を考慮すると、疲労破壊の起点となりやすい箇所であるため、本厚さが0.35mm未満では内部起点の疲労破壊を抑制するには不十分である。また、本圧縮残留応力層の厚さが厚過ぎると、鋼材全体の応力バランスを維持するために、圧縮残留応力がゼロとなる深さ(クロッシングポンイント)よりさらに内側に存在する引張残留応力が著しく高くなり、この引張残留応力が外部負荷によりばね素線に発生する引張応力に加わってき裂の発生を促進するため、D/4を上限とする。
【0033】
上記圧縮残留応力層の最大圧縮残留応力は800〜2000MPaとする。表層の最大圧縮残留応力は疲労き裂の発生および進展を抑制するために高いことが望ましく、高設計応力で使用することを考慮すると、最大値は800MPa以上必要である。一方、表層の最大圧縮残留応力が著しく高い場合、前述したようにクロッシングポイントより深い内部での応力バランスに起因した引張残留応力により内部破壊が発生する恐れが強まるため、2000MPaを上限とする。
【0034】
硬度分布
ばねの中心(重心)の硬さはばねに必要な荷重に耐え得る強度を確保するために550HV以上必要である。一方、硬さが過剰に高い場合は、一般に伸びが小さくなるとともに鋼材自体の切欠き(き裂)感受性が増加し、疲労強度が低下する恐れがあるため、650HV以下に抑える。一方、ばねの表層の高硬度層はき裂の発生を抑制するために効果的であり、中心(重心)の硬さより50HV以上大きいことが必要である。しかし、高硬度層の硬さが高過ぎると脆くなるため、増加幅の上限は500HV以下である。さらに上記高硬度層の厚さは、き裂の発生を抑制するため0.05mm以上必要であるが、厚過ぎると鋼材自体の靭性低下を招くため0.3mm以下に抑制する。
【0035】
なお、本発明では、必須ではないがマルテンサイトを含むことができ、所望の引張強さを確保する場合に面積比率で5〜30%存在させることができる。マルテンサイトの面積比率が30%を超えると高強度は得られるが、切欠き感受性が高くなるため、優れた耐疲労性を得ることはできない。
【0036】
次に本発明のばねを製造する方法について説明する。本発明においては、上記化学成分の鋼材に対し、コイリング工程の後、ばねの両端面を研削する座研磨工程後、Ac3点〜(Ac3点+250℃)の温度でオーステナイト化後、20℃/秒以上の速度で冷却し、Ms点〜(Ms点+60℃)の温度で400秒以上保持し、次いで20℃/秒以上の冷却速度で室温まで冷却する熱処理工程の後、ショットピーニング工程を行うことによって製造される。Ac3点以上に加熱する前の鋼の組織については特に制限されない。例えば、熱間鍛造や線引き加工した条鋼材を素材として使用できる。以下、各工程について説明し、必要に応じて限定理由を述べる。
【0037】
コイリング工程
コイリング工程は、所望のコイル形状に冷間成形する工程である。成形方法はばね形成機(コイリングマシン)を用いる方法や、芯金を用いる方法等を利用すればよい。
【0038】
座面研磨工程
本工程は、ばねの両端面をばねの軸芯に対して直角な平面になるように研削するものであり、必要に応じて行う。
【0039】
熱処理工程
コイリング後のばねをオーステナイト化後、冷却して等温保持し、その後冷却する処理である。等温保持は例えばソルトバスにばねを浸漬することで行うことができるが、それに限定されるものではなく鉛浴を用いるなど任意の方法を適用することができる。オーステナイト化を行う前の鋼の組織については特に制限されない。たとえば、熱間鍛造や線引き加工した条鋼材を素材として使用できる。オーステナイト化の温度は、Ac3点〜(Ac3点+250℃)である。Ac3点未満ではオーステナイト化せず、所望の組織を得ることができない。また、(Ac3点+250℃)を超える温度では、旧オーステナイト粒径が粗大化しやすくなり、延性の低下を招く恐れがある。
【0040】
オーステナイト化後に等温保持する温度までの冷却速度は速いほど良く、20℃/秒以上の冷却速度で行う必要があり、好ましくは50℃/秒以上である。この冷却速度が20℃/秒未満では、冷却途中でパ−ライトが生成し、本発明で規定する組織構成を得ることができない。等温保持する温度はMs点〜(Ms点+60℃)である必要があり、これは本発明のばねの製造方法として非常に重要な制御因子である。Ms点未満では変態初期に生成するマルテンサイトが延性の向上を阻害するほか、本発明で規定するベイナイト比率を得ることができない。一方、等温保持する温度が(Ms点+60℃)を超える場合は、残留オーステナイト比率が高過ぎ、引張強さが低下し、ばねとして荷重に耐える強度を得ることができない。等温保持する時間は、400秒以上である必要があり、これも本発明の製造方法として非常に重要な制御因子である。400秒未満ではベイナイト変態がほとんど進行しないため、マルテンサイト率が高くなりベイナイト比率が小さく、本発明に規定する組織を得ることはできない。なお、等温保持する時間が長過ぎても生成されるベイナイト量は飽和し、生産コストの増大を招くので、3時間以内とするのが望ましい。
【0041】
等温保持後の冷却速度は、均一な組織を得るため速いほど良く、20℃/秒以上の冷却速度が必要であり、好ましくは50℃/秒以上である。具体的には油冷や水冷が良い。一方、冷却速度が20℃/秒未満では、鋼材表面と内部で組織が不均一になりやすく、本発明に規定する組織を得ることができない場合がある。
【0042】
ショットピーニング工程
ショットピーニングは、ばねに金属や砂などからなるショットを衝突させ、ばねの表面に圧縮残留応力を付与するもので、これによりばねの耐疲労性が向上する。本発明では通常のショットピーニングで得られる圧縮残留応力に加え、残留オーステナイトの加工誘起マルテンサイト変態によりさらに高い圧縮残留応力が深く形成される。ショットピーニングで使用するショットは、カットワイヤやスチールボール、FeCrB系などの高硬度粒子等を用いることができる。また、圧縮残留応力は、ショットの球相当直径や投射速度、投射時間、および多段階の投射方式で調整することができる。
【0043】
セッチング工程
セッチングは、ばねに塑性ひずみを与えることにより、弾性限が向上することと、使用時のへたり量(永久変形量)を低減するために任意的に行う。また、セッチングにより残留オーステナイトが加工誘起マルテンサイトに変態する。200〜300℃でセッチングを行うこと(温間セッチング)により、耐へたり性を一層向上させることができる。
【実施例】
【0044】
表1に示す成分からなるオーステンパー線材を用いて、コイリングマシンにより所定形状に冷間コイリング後、表3に示す条件で熱処理を行った。熱処理は、ばねを加熱炉でAc3点〜(Ac3点+250℃)に加熱してオーステナイト化し、表3に示す温度T℃に保持したソルトバスに時間t(秒)保持し、その後冷却した。次いで、ショットピーニングは第一段目として球相当直径0.8mmのラウンドカットワイヤーを、第二段目として球相当直径0.45mmのラウンドカットワイヤーを、第三段目として球相当直径0.1mmの砂粒をそれぞれ使用した。さらに、ばねを230℃に加熱後、最大せん断応力τ=1473MPa相当のセッチングを行った。こうして製造したばねの諸元を表2に示す。このようにして得られたばねに対し、以下の通り諸性質を調査し、その結果を表3に示す。
【0045】
【表1】

【0046】
【表2】

【0047】
【表3】

【0048】
[組織の相の区別および残留オーステナイト中のC濃度]
組織の相の区別は、断面を研磨した試料を3%ナイタ−ル液に数秒間浸漬し、その後の組織を用いて次のように行った。まず、ベイナイトはナイタ−ルにより容易に腐食されるため、光学顕微鏡写真では黒色または灰色に見え、一方マルテンサイトと残留オーステナイトはナイタールに対する耐食性が高いため光学顕微鏡では白色に見える。この特性を利用し、光学顕微鏡写真を画像処理することでベイナイト(黒色及び灰色部)比率と、マルテンサイトおよび/または残留オーステナイト(白色部)の合計比率を求めた。残留オーステナイト比率は、バフ研磨仕上げの試料に対し、X線回折法を用いて求めた。マルテンサイト比率は、上記光学顕微鏡写真から求めたマルテンサイトと残留オーステナイトの合計比率から、X線回折で求めた残留オーステナイト比率を差し引くことにより求めた。残留オ−ステナイト中の平均C濃度は、X線回折でオーステナイトの(111)、 (200)、 (220)及び(311)の各回折ピーク角度から求めた格子定数a(nm)を用い、以下に示す関係式により算出した。これらの結果を表3に併記する。
[数1]
a(nm) = 0.3573 + 0.0033× (mass%C)
【0049】
また、この妥当性を他の手段により評価した。図1に、本発明の実施例No.3について、素線横断面の外周表面から中心に向かって1.025mmにある同一エリアにおける反射電子像(SEM(Scanning Electron Microscopy)による観察結果(a)、C元素マップ(FE−EPMA(Field Emission Electron Probe Micro Analyze)による測定結果(b)、結晶構造(相)マップ(EBSD(Electron Backscatter Diffraction)による測定結果(c)を示す。また、図2に、図1(b)中I〜ll線上のC濃度分析結果を示す。残留オーステナイトは個々でC濃度が異なり、図1(b)中AおよびBの各エリアの残留オーステナイト中C濃度はそれぞれ約1.2%〜1.5%、約1.3%〜1.7%の範囲であり、X線回折から求めた平均C濃度1.22%とほぼ同等であることから、X線回折による残留オーステナイト中C濃度の測定方法が妥当であると判断できる。
【0050】
[中心の硬さ]
横断面において、ばねの横断面の中心の周囲でビッカース硬さを5点測定し、その平均値を求めて中心の硬さとした。
【0051】
[高硬度層の厚さ]
横断面において、鋼材の外周表面から中心に向かってビッカース硬さを測定し、前記中心の硬さより50〜500HV大きい高硬度層に対し、表面からの厚さを測定した。
【0052】
[残留応力分布]
鋼材の外周表面に対しX線回折法を用いて残留応力を測定した。また、鋼材を全面化学研磨後上記測定を行い、これを繰返すことで深さ方向の残留応力分布を求めた。
【0053】
[耐疲労性]
平均応力τmが735MPa、応力振幅τaが637MPaで疲労試験を行い、1×107回を越える耐久回数を示す条件を耐疲労性に優れる(表3で○)とし、それ以前に折損した条件を耐疲労性に劣る(表3で×)とした。表3に諸性質の調査結果を示す。
【0054】
本発明で規定する条件を満たすNo.3および4は、優れた耐疲労性を示す。これに対し、本発明の規定を満足しないNo.1〜2および5は、以下の条件を満たしていないため、耐疲労性が不十分となった。すなわち、No.1は熱処理工程における等温保持温度がMs点より低いため、変態初期に生成するマルテンサイトが中心硬さの過剰な増加をもたらし、延性の向上を阻害する。
【0055】
No.2は熱処理工程における等温保持時間が短いため、マルテンサイト比率が高く、その結果、ベイナイト比率が小さく、中心硬さの過剰な増加をもたらした。No.5は熱処理工程における等温保持温度が高過ぎるため、残留オーステナイト比率が高過ぎることにより、中心の硬さが低過ぎる。さらに、残留オ−ステナイトが加工誘起マルテンサイトに変態しても、硬さが低いことにより周囲の拘束力が小さく、圧縮残留応力が低くかつ浅い。
【産業上の利用可能性】
【0056】
本発明は、自動車のエンジン用弁ばね等のように耐疲労性が要求されるばねに適用することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜2.0%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、残部が鉄及び不可避不純物からなる成分を有し、
任意の横断面において、面積比率でベイナイトを65%以上、残留オーステナイトを4〜13%含む組織を有し、前記残留オーステナイト中の平均炭素濃度が0.65〜1.7%であり、
任意の横断面において、該横断面の円相当直径をD(mm)としたときに、圧縮残留応力層が表面から0.35mm〜D/4の範囲まで形成され、その最大圧縮残留応力が800〜2000MPaであり、
任意の横断面において、中心の硬さが550〜650HVであり、表面から深さ0.05〜0.3mmの範囲に、前記中心の硬さより50〜500HV大きい高硬度層が形成されていることを特徴とするばね。
【請求項2】
任意の横断面において面積比率でマルテンサイトを5〜30%含むことを特徴とする請求項1に記載のばね。
【請求項3】
直径が1.5〜15mmの線材で形成されていることを特徴とする請求項1または2に記載のばね。
【請求項4】
質量%で、C:0.5〜0.7%、Si:1.0〜2.0%、Mn:0.1〜1.0%、Cr:0.1〜1.0%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、残部が鉄及び不可避不純物からなる成分を有する線材をばねの形状に成形する成形工程と、
Ac3点〜(Ac3点+250℃)の温度でオーステナイト化した後、20℃/秒以上の速度で冷却し、Ms点〜(Ms点+60℃)の温度で400秒以上保持し、次いで20℃/秒以上の冷却速度で室温まで冷却する熱処理工程と、
熱処理後のばねにショットを投射するショットピーニング工程と備えたことを特徴とするばねの製造方法。
【請求項5】
前記ショットピーニング工程の後に、ばねに永久歪みを与えるセッチング工程を行うことを特徴とする請求項4に記載のばねの製造方法。




【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2012−36429(P2012−36429A)
【公開日】平成24年2月23日(2012.2.23)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−175593(P2010−175593)
【出願日】平成22年8月4日(2010.8.4)
【出願人】(000004640)日本発條株式会社 (1,048)
【Fターム(参考)】