説明

固体高分子型燃料電池セパレータ用ステンレス鋼およびその製造方法並びに固体高分子型燃料電池セパレータ

【課題】電気伝導性に優れた固体高分子型燃料電池セパレータ用ステンレス鋼、その製造方法、および固体高分子型燃料電池セパレータを提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.001〜0.10%、Si:0.001〜1.0%、Mn:0.001〜1.2%、Al:0.001〜0.5%、Cr:15.0〜35.0%、N:0.001〜0.10%を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなり、表面の酸化皮膜の厚さが20〜600nmであることを特徴とするステンレス鋼及びこの鋼板を、冷間圧延後または冷間圧延材焼鈍後に、水素濃度が30容積%以上であり残部が不活性ガス及び不可避的不純物からなり、露点が−40〜0℃である雰囲気下で、温度が800〜1200℃の熱処理を行なうことで製造する方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、工業的に安定して優れた電気伝導性が得られる固体高分子型燃料電池セパレータ用ステンレス鋼およびその製造方法並びに固体高分子型燃料電池セパレータに関する。
【背景技術】
【0002】
近年、地球環境保全の観点から、発電効率に優れ、COを排出しない燃料電池の開発が進められている。燃料電池には使用される電解質の種類により、りん酸型燃料電池、固体電解質型燃料電池などいくつかの種類がある。その中でも、固体高分子型燃料電池は100℃以下の低温で動作可能であり、短時間で起動でき、小型化に適しているため、家庭用の定置型発電機、燃料電池車の搭載用電源などに利用されている。
【0003】
固体高分子型燃料電池では、固体高分子膜をセパレータで挟んだセルを多数直列に重ねることで必要な電力を得ている。積層した時の厚みが小さくなるようにセパレータには厚さが数十〜数百μmの薄い材料が使用される。このセパレータには、良好な電気伝導性と高電位での耐食性が必要であるため、黒鉛が使用されているが、黒鉛は衝撃に弱く、水素などを流す流路の加工に手間がかかるという問題がある。そのため、衝撃に強く、加工も容易なステンレス鋼のセパレータへの適用が検討されている。
【0004】
しかし、ステンレス鋼には表面に不動態皮膜が形成されているため、表面接触抵抗が高く、そのままでは燃料電池のセパレータとして使用することは難しい。そこで、ステンレス鋼の不動態皮膜を酸液へ浸漬する表面改質処理で改質し、表面接触抵抗を低減することが検討されている。
【0005】
特許文献1には、鋼の組成が質量%でC≦0.03%、N≦0.03%、20%≦Cr≦45%、0.1%≦Mo≦5.0%であり、不動態皮膜に含有されるCrとFeの原子数比Cr/Feが1以上であることを特徴とする固体高分子型燃料電池セパレータ用ステンレス鋼が開示されている。この発明では、塩酸と硝酸を含む酸液、あるいは弗酸と硝酸を含む酸液を用いて表面改質処理することで、上記特徴をもつ不動態皮膜を形成している。しかし、同一の酸液で継続的に表面改質処理を行った場合、ステンレス鋼の溶解によって酸液中にFeなどの金属イオンが混入するため不動態皮膜の改質に必要な浸漬時間が増大し、工業的に連続処理を行うことが困難になるという問題があった。
【0006】
燃料電池セパレータに使用されるステンレス鋼は箔状であるが、一般的なステンレス箔では露点が−60〜−50℃の光輝焼鈍を行うことで表面性状を調整して製品としている。特許文献1においても、露点−60℃のアンモニア分解ガス中で焼鈍(850〜1050℃)を施したBA仕上げの冷延ステンレス鋼板が用いられている。
【0007】
また、特許文献2には露点−45℃以下に調整した還元性雰囲気ガス中で常温から800℃の温度範囲における滞留時間を5〜60秒とし、次いで800〜1150℃の温度範囲において露点−40℃以下に調整した還元性雰囲気ガス中での滞留時間を30〜180秒とする光輝焼鈍が開示されている。
また、特許文献3には雰囲気中の水素ガスを70容量%以上とし、残部が実質的に窒素ガスからなり、雰囲気ガスの露点を−40℃以下とした光輝焼鈍が開示されている。
【0008】
しかし、特許文献2および3に開示のいずれの光輝焼鈍の方法においても、上述した酸液中にFeなどの金属イオンが混入した場合に、工業的に連続処理を行うことが困難となり、必要な浸漬時間が増大するという問題は解決できない。
【0009】
このように、従来から開示されている光輝焼鈍を行った後に表面改質処理を行う場合、処理量が増えるにつれて酸液中の主にFeイオン濃度が増加するために必要な電気伝導性を得ることが困難となる、という問題がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【特許文献1】特開2004−149920号公報
【特許文献2】特開2005−213589号公報
【特許文献3】特開2008−1945号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は、電気伝導性に優れた固体高分子型燃料電池セパレータ用として工業的に安定して優れた電気伝導性が得られるステンレス鋼、およびその製造方法、並びに固体高分子型燃料電池セパレータを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは前述の課題を解決し、電気伝導性に優れたステンレス鋼を得るために、冷延板(冷間圧延された鋼板)および冷延焼鈍板の熱処理条件および表面改質処理について検討を行い、特定の熱処理と表面改質処理を組み合わせることで、優れた電気伝導性を有するステンレス鋼の安定生産が可能であることを見出した。
すなわち、本発明は下記の構成を要旨とするものである。
[1]質量%で、C:0.001〜0.10%、Si:0.001〜1.0%、Mn:0.001〜1.2%、Al:0.001〜0.5%、Cr:15.0〜35.0%、N:0.001〜0.10%を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなり、表面の酸化皮膜の厚さが20〜600nmであることを特徴とするステンレス鋼。
[2]さらに、質量%で、Ti:1.0%以下、Nb:1.0%以下、Zr:1.0%以下、Cu:1.0%以下、V:1.0%以下、Ni:12.0%以下、Mo:5.0%以下のうち1種以上を含有することを特徴とする[1]に記載のステンレス鋼。
[3]前記酸化皮膜に含まれるSi、Al、Mn、Feの原子数比が(Si+Al+Mn)/Fe≦1.0を満たすことを特徴とする[1]又は[2]に記載のステンレス鋼。
[4]表面接触抵抗が20mΩ・cm以下である[1]〜[3]のいずれか1つに記載のステンレス鋼。
[5]前記[4]に記載のステンレス鋼からなる固体高分子型燃料電池用セパレータ。
[6]前記[1]〜[4]のいずれか1つに記載のステンレス鋼を製造するに際し、冷間圧延後または冷間圧延材焼鈍後に、水素濃度が30容積%以上であり残部が不活性ガス及び不可避的不純物からなり、露点が−40〜0℃である雰囲気下で、温度が800〜1200℃の熱処理を行なうことを特徴とするステンレス鋼の製造方法。
[7]前記熱処理後に、酸液を用いる表面改質処理を行うことを特徴とする[6]に記載のステンレス鋼の製造方法。
[8]前記酸液が無機酸であることを特徴とする[7]に記載のステンレス鋼の製造方法。
[9]前記無機酸が弗酸または弗硝酸であることを特徴とする[8]に記載のステンレス鋼の製造方法。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、ステンレス鋼の溶解によって酸液中にFeなどの金属イオンが混入しても、工業的に安定して優れた電気伝導性が得られるステンレス鋼、及びその製造方法並びに固体高分子型燃料電池セパレータが得られる。
【0014】
また、本発明のステンレス鋼の製造方法によれば、これによって、安定した連続処理によるステンレス鋼製セパレータの生産が可能となり、工業的な大量生産を行うことができ、さらに、処理設備が大きく維持コストが掛かる電解処理が不要となり、電解処理で生成される6価クロムなどの処理が不要となるため、環境への負荷も軽減される。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】酸化皮膜ごとの表面接触抵抗におよぼす表面改質処理での浸漬時間の影響
【図2】表面接触抵抗を低減するために必要な表面改質処理での浸漬時間におよぼす酸化皮膜の厚さの影響
【図3】測定位置による表面接触抵抗の変化
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下に本発明を詳細に説明する。
【0017】
ステンレス鋼の成分
各成分元素の限定理由を、以下に説明する。ここで、成分の含有量を表す「%」表示は、特に断らない限り「質量%」を意味する。
【0018】
C:0.001〜0.10%
Cはステンレス鋼に不可避的に含まれる元素であり、固溶強化により鋼の強度を上昇させる効果がある。その効果は0.001%未満では得られない。一方で、過剰の含有はCr炭化物の析出を促進してCr炭化物周囲の地鉄のCr含有量を局所的に減少させ、ステンレス鋼の耐食性を低下させる。その効果は0.10%を超えると顕著になる。よってCは0.001〜0.10%とした。より好ましくは0.002〜0.04%である。
【0019】
Si:0.001〜1.0%
Siは脱酸に有用な元素であり、その効果は0.001%以上で得られる。しかし、過剰の含有は酸化皮膜への濃化を促進し、表面改質処理による表面接触抵抗低減を阻害する。その傾向は1.0%以上で顕著となる。よってSiは0.001〜1.0%とした。より好ましくは、0.005〜0.2%である。
【0020】
Mn:0.001〜1.2%
Mnは鋼中に不可避的に混入する元素であり、鋼の強度を高める効果がある。その効果は0.001%以上で得られる。しかし、MnSを析出し腐食の起点となるため、過剰の含有は耐食性を低下させる。また、酸化皮膜に濃化することで表面改質処理による表面接触抵抗低減を阻害する。その傾向は1.2%以上で顕著となる。よって、Mnは0.001〜1.2%とした。より好ましくは、0.005〜0.2%である。
【0021】
Al:0.001〜0.5%
Alは脱酸に有用な元素であり、その効果は0.001%以上で得られる。しかし、過剰な含有は、酸化被膜を形成した場合に表面改質処理による表面接触抵抗低減を阻害する。その傾向は0.5%以上で顕著となる。よって、Alは0.001〜0.5%とした。より好ましくは、0.005〜0.2%である。
【0022】
Cr:15.0〜35.0%
Crはステンレス鋼の耐食性にとって重要な元素であり、含有量が多いほど耐食性を向上させる元素である。燃料電池セパレータの使用環境で十分な耐食性を確保するためには、その含有量は15.0%以上が望ましい。一方でCrの含有が35.0%を超えると不動態皮膜が強固となり、表面接触抵抗が増大しやすくなるため、燃料電池セパレータへの使用は不適当となる。よって、Crの含有量を15.0〜35.0%とした。より好ましくは、18.0〜31.0%である。
【0023】
N:0.001〜0.10%
NはCと同様にステンレス鋼に不可避的に含まれる元素であり、固溶強化により鋼の強度を上昇させる効果がある。さらに、鋼中に固溶することで耐食性を向上する効果もある。それらの効果は0.001%未満では得られない。一方で、Cr窒化物を析出した場合には、ステンレス鋼の耐食性を低下させる。その効果は0.10%を超えると顕著になる。よってCは0.001〜0.10%とした。より好ましくは0.002〜0.04%である。
【0024】
残部は、Feおよび不可避的不純物であるが、以下の理由により、Ti:1.0%以下、Nb: 1.0%以下、Zr:1.0%以下、Cu:1.0%以下、V:1.0%以下、Ni:12.0%以下、Mo:5.0%以下のうち1種以上を含有することが好ましい。
【0025】
Ti:1.0%以下
TiはC、Nと優先的に結合してCr炭窒化物の析出による耐食性の低下を抑制する元素である。一方で、1.0%を超えると加工性が低下するとともに、Ti炭窒化物が粗大化し、表面欠陥を引き起こす。よってTiは1.0%以下とした。
【0026】
Nb:1.0%以下
NbはC、Nと優先的に結合してCr炭窒化物の析出による耐食性の低下を抑制する元素である。一方で、1.0%を超えると熱間強度が増加して熱間圧延の負荷が増大するため、製造が困難となる。よってNbは1.0%以下とした。
【0027】
Zr:1.0%以下
ZrはC、Nと優先的に結合してCr炭窒化物の析出による耐食性の低下を抑制する元素である。一方で、1.0%を超えると加工性が低下する。よってZrは1.0%以下とした。
【0028】
Cu:1.0%以下
Cuはステンレス鋼の耐食性を向上させる元素である。しかし、過剰の含有は、金属イオンの溶出を増加させ、ステンレス鋼の耐食性を低下させる。その傾向は1.0%を超えると顕著となる。よって、Cuは1.0%以下とした。
【0029】
V:1.0%以下
Vはステンレス鋼の耐食性を向上させる元素である。しかし、1.0%を超える含有は加工性を低下させ、セパレータの成型加工を困難にする。よってVは1.0%以下とした。
【0030】
Ni:12.0%以下
Niは活性溶解を抑制し、ステンレス鋼の耐食性を向上させる元素である。しかし、12.0%を超えると過不動態溶解を促進し、過不動態域での耐食性を低下させる。よって、Niは12.0%以下とした。
【0031】
Mo: 5.0%以下
Moは引っ掻き傷などにより損なわれた不動態皮膜の再不動態化を促進する元素であり、ステンレス鋼の耐食性を向上させる。しかし、5.0%を超える添加は強度が増加し圧延負荷が大きくなるため製造が困難となる。よって、Moは5.0%以下とした。
【0032】
また、その他にも、耐食性の改善を目的としてWを1.0%以下で、さらに熱間加工性の向上を目的として、Ca、Mg、REM(Rare Earth Metals)、Bをそれぞれ0.1%以下で含有させることもできる。
【0033】
また、不可避的不純物のうちSnは0.001%未満、Oは0.02%以下とすることが好ましい。
【0034】
酸化皮膜に含まれるSi、Al、Mn、Feの原子数比
Si、Al、Mnは光輝焼鈍などの熱処理によって酸化皮膜中に濃化する元素であるが、これら元素の酸化物はFeの酸化物よりも安定で酸液に侵されにくい。そのため、これら元素の酸化物が酸化皮膜中に多量に存在すると酸化皮膜の溶解を困難にする。一方でFeの酸化物は比較的酸液に溶解しやすい。また、Feの酸化物はその生成速度が速く構造が粗雑なものになりやすいため、イオンや酸液が透過しやすく、ステンレス鋼を酸液から保護する効果が小さい。
【0035】
ステンレス鋼の表面に種々の方法で形成したいくつかの酸化皮膜について、光電子分光(XPS)により分析を行った結果、酸化皮膜に含まれるSi、Al、Mn、Feの原子数比が(Si+Al+Mn)/Fe≦1.0であると、酸液に溶解しやすい傾向があった。よって、酸化皮膜に含まれるSi、Al、Mn、Feの原子数比が(Si+Al+Mn)/Fe≦1.0とした。ここで、Si、Al、Mn、Feの原子数比は、光電子分光(XPS)により分析を行うことにより求められる。
【0036】
酸化皮膜の厚さ
前述のとおり、一般的なステンレス鋼には、その表面に数nm程度の酸化皮膜あるいは不動態皮膜が形成されている。そのため酸液による表面改質処理により表面接触抵抗を低減することが好ましい。
【0037】
発明者らは、工業的に安定して優れた電気伝導性が得られるステンレス鋼を得るための酸化皮膜の厚さと、金属イオンが混入した酸液での表面接触抵抗低減に必要な浸漬時間の関係を調査した。
【0038】
表1の鋼種記号Aに示す組成のステンレス鋼を真空溶製し、1250℃に加熱したのち、熱間圧延、熱延板焼鈍(1000℃)、熱延板の酸洗を行った。さらに、冷間圧延、冷延板焼鈍(950℃)、冷延板の酸洗を行い、露点−60〜10℃のアンモニア分解ガス(水素75容量%−窒素25容量%)中において800〜1200℃で均熱時間30〜180sとして熱処理を行って、板厚0.3mmのステンレス箔とした。
【0039】
作製したステンレス箔の酸化皮膜の厚さをオージェ電子分光(AES)により測定した。Oの濃度が最大値の半分となるスパッタ時間にSiOで測定したスパッタ速度を乗じて酸化皮膜の厚さとした。なお、SiOのスパッタ速度は3nm/minである。作製したステンレス箔の酸化皮膜厚さは5〜720nmであった。
【0040】
これらステンレス箔を5%HNO−20%HFの硝弗酸に1g/LのFeを溶解した酸液で30〜1200s浸漬する表面改質処理を行った後、押し付け圧力1MPaで10mm四方のカーボンペーパを押しつけて表面接触抵抗を測定した。燃料電池セパレータとして使用するためには、表面接触抵抗20mΩ・cm以下が合格である。
【0041】
図1に、表面改質処理前の酸化皮膜厚さ5nm、110nm、380nmのサンプルについて、表面接触抵抗におよぼす浸漬時間の影響を示す。浸漬時間の増加にともなって表面接触抵抗が減少するが、その傾きと合格ラインに到達するために必要な浸漬時間は酸化皮膜の厚さによって異なる結果が得られた。
【0042】
図2に、表面接触抵抗を低減するために必要な浸漬時間におよぼす酸化皮膜の厚さの影響を示す。表面接触抵抗が20mΩ・cm以下となるために必要な最小の浸漬時間を、種々の酸化皮膜厚さのステンレス箔について示した。表面改質処理に必要な浸漬時間は、酸化皮膜の厚さが120nm付近を最小とする下に凸の相関が得られた。工業的に連続処理が可能な浸漬時間は300s程度であり、酸化皮膜厚さが20〜600nmの範囲で必要な浸漬時間が300sを下回った。よって、この範囲の酸化皮膜厚さを有するステンレス鋼であれば、工業的な連続処理が可能と考えられる。
【0043】
薄膜X線回折により、酸化皮膜の構造を解析したところ、酸化皮膜厚さが120nm以下では厚さの減少にともなって、それぞれの結晶構造を示すピークの半値幅が増加する傾向が見られた。酸化皮膜が厚さの減少にともなって、結晶性のものからアモルファス状のものに変質していっているものと推測される。120nm以上では半値幅については有意な差異は認められなかった。
【0044】
酸化皮膜が薄い場合に必要な浸漬時間が増加するのは、酸化皮膜を形成する酸化物が欠陥やクラックの少ない緻密な酸化皮膜を形成することに加え、不動態皮膜と同様なアモルファス状となることで、水素イオンや金属イオンの透過を阻害するため、酸液による溶解や変質が困難となるためと考えられる。この状態から酸化皮膜の厚さが増加すると、形成される酸化皮膜が粗雑な構造をとるようになり、ボイドやクラックなどが増加し、そういった欠陥を通して、水素イオンや金属イオン、あるいは酸液そのものが浸透しやすくなる。
【0045】
そのために、酸化皮膜の厚さが増加することでステンレス鋼の溶解が促進される。さらに酸化皮膜の厚さが増加すると、酸化皮膜の質には大きな変化は起こらないものの、単純に厚さが増加したという理由でイオンや酸液が酸化皮膜を透過するのに時間がかかるようになり、その結果、酸化皮膜の溶解や変質にかかる時間が増加する。上記のような理由で、酸化皮膜の厚さと浸漬時間に下に凸の相関が表れるものと推定される。
【0046】
工業的に連続処理が可能な浸漬時間は300s程度が上限である。表面接触抵抗低減に必要な浸漬時間が300s以下となるのは酸化皮膜の厚さが20〜600nmの範囲であった。よって、酸化皮膜の厚さは20〜600nmとした。より好ましくは、浸漬時間が200s以下となる、50〜500nmである。さらに好ましくは、100nm超〜400nmである。
【0047】
表面接触抵抗
表面接触抵抗の測定は、ステンレス鋼表面に、押し付け圧力1MPaで10mm四方のカーボンペーパを押しつけて表面接触抵抗を測定する。燃料電池セパレータとして使用するためには、燃料電池の発電効率確保のため、表面接触抵抗は20mΩ・cm以下であることが好ましい。より好ましくは、10mΩ・cm以下である。
【0048】
ステンレス鋼の製造方法
上記化学組成のステンレス鋼を1100〜1300℃に加熱後、仕上圧延温度を700〜1000℃、巻取温度を400〜700℃として板厚2.0〜5.0mmに熱間圧延を施す。こうして作製した熱間圧延鋼帯を800〜1200℃の温度で熱延板焼鈍し熱延板の酸洗を行い、次に、冷間圧延、冷間圧延板(冷延板)の焼鈍を複数回繰り返し、板厚0.03〜0.3mmの箔とする。冷延板焼鈍の温度は800〜1100℃とし、冷延板焼鈍後には冷延板の酸洗を行ってもよい。冷延板焼鈍を行なう場合は、水素を含む雰囲気ガス組成で、露点を−40℃以下の条件で行なうのが好ましい。その後、以下に説明する熱処理、および表面改質処理を行う。
【0049】
熱処理の雰囲気の組成
水素を熱処理雰囲気に含むことで、還元作用を得ることができ、熱処理によってステンレス鋼表面に厚い酸化皮膜が形成されることを抑制する効果がある。発明者らは、熱処理により形成される酸化皮膜の厚さを適切に制御することで、酸液が浸透しやすい酸化皮膜となることを見出した。30容量%未満の水素濃度では露点や熱処理温度のわずかなブレによって安定した還元作用を得ることが難しく、酸化皮膜の性状を制御することが困難となる。よって、熱処理雰囲気の水素濃度は30容量%以上とした。より好ましくは水素濃度が50容量%以上である。残部は窒素と不可避的不純物であるが、窒素の代わりにステンレス鋼の酸化に寄与しないその他の不活性ガスを用いることもできる。ここでいう不活性ガスとは、窒素、およびヘリウム、ネオン、アルゴンなどの希ガスのことである。
【0050】
熱処理の雰囲気の露点
露点は低いほど炉内ガスに含まれる水分が少ないことを意味しており、より還元性の雰囲気となっていることを示す。一般的な熱処理である光輝焼鈍では露点は−60〜−50℃であり、厚さ数nmの非常に薄い酸化皮膜が形成される。酸化性の雰囲気のほうが酸化皮膜は形成されやすいため、酸化皮膜の厚さは厚くなる。露点が−40℃未満では酸化皮膜の成長が遅くなり、酸化皮膜の厚さを制御することが困難となる。露点が0℃以上では酸化皮膜の厚さが厚くなるうえ、部分的な異常酸化を起こして表面の均質性が損なわれる。よって露点は−40〜0℃とした。より好ましくは−30〜0℃、さらに好ましくは−20〜0℃である。
【0051】
また、Al、Si、Mn、Feは、この順番に酸化されやすく、ある程度以上還元性が強い雰囲気では、Feの酸化物は還元されるため、酸化皮膜中のFe原子数濃度は減少し、相対的にAl、Si、Mnの原子数濃度が増加する。各元素の原子数濃度と原子数とは比例するので、原子数比(Al+Si+Mn)/Feを1.0以下とするためには、適度な酸化性を有する雰囲気であることが好ましい。よって、雰囲気は、水素濃度が30容量%以上、露点が−40〜0℃とした。
【0052】
熱処理温度
熱処理温度は高いほどステンレス鋼と炉内雰囲気ガスとの間で、酸化反応が促進される。800℃未満では酸化皮膜の十分な成長が望めず、1200℃超では異常酸化が発生する。よって、熱処理の温度は800〜1200℃が好ましい。より好ましい熱処理の温度は、960〜1100℃である。
【0053】
また、この熱処理の温度に保持する時間は、連続焼鈍炉における製造性の観点から、10〜200sが好ましい。
【0054】
表面改質処理の酸液等
表面接触抵抗を酸液中の金属イオン濃度にかかわりなく安定して低減するためには適切な熱処理により鋼板表面の酸化皮膜を制御したステンレス鋼を適切な酸液へ浸漬することが必要である。本願発明の熱処理条件により形成された酸化皮膜は、主にFeとCrの酸化物からなり、不動態皮膜と比較してより粗雑な構造をしているため酸液が浸透して地鉄に到達しやすい。酸化皮膜を形成している酸化物は地鉄と比較して酸液に溶解しにくいため、酸化皮膜の除去は地鉄の溶解によって酸化皮膜が剥離する形で行われる。
【0055】
そのため、表面改質処理に用いる酸液は、金属との反応性に優れる無機酸を含むものが好ましい。無機酸としては塩酸、硫酸、硝酸、弗酸およびそれらの混合物があるが、特に弗酸または弗硝酸が表面接触抵抗をより安定して低減することができるので好ましい。無機酸として弗酸(HF)または弗硝酸(HF+HNO)を用いる場合は、弗酸の濃度は2〜25%、硝酸の濃度は0〜20%が好ましい。ここで、酸液の濃度を表す「%」表示は、特に断らない限り「質量%」を意味する。
【0056】
酸液の温度は反応性と安全性の観点から40〜85℃が好ましい。より好ましくは、40〜70℃である。連続した処理を効率よく実施するには、酸液への浸漬時間は10〜300sが好ましい。より好ましくは、酸液への浸漬時間は20〜200sである。
【実施例1】
【0057】
表1の鋼種記号A〜Iに示す組成の9種類のステンレス鋼を真空溶製し、1250℃に加熱したのち、熱間圧延、熱延板焼鈍(1000℃)、熱延板の酸洗を行った。さらに、冷間圧延、冷延板焼鈍(950℃)、冷延板の酸洗を行い、露点−60〜10℃のアンモニア分解ガス(水素75容量%−窒素25容量%)中において1020℃で均熱時間100sとして熱処理を行って、板厚0.3mmのステンレス箔とした。熱処理の条件を表2に示す。
【0058】
表2の試験記号1〜16のサンプルについて、60℃の5%HNO−20%HFの硝弗酸に1g/LのFeを溶解した酸液で300s浸漬する表面改質処理をして表面接触抵抗を測定した。ステンレス鋼表面に、押し付け圧力1MPaで一片が10mmの正方形のカーボンペーパを押しつけて表面接触抵抗を測定した。結果を表2に示す。AESによって測定した酸化皮膜の厚さが20〜600nmの範囲である試験記号2、3、6、7、9〜13、16で表面改質処理により表面接触抵抗が20mΩ・cm以下となった。
【0059】
表面改質処理前の酸化皮膜に含まれるSi、Al、Mn、Feの原子数濃度を光電子分光(XPS)により得られた各元素のスペクトルを酸化物のピークとそれ以外のピークに分離し、酸化物のピーク面積を相対感度係数で除して求めた。表面改質処理により表面接触抵抗が20mΩ・cm以下となった試験記号2、3、6、7、9〜13で酸化皮膜に含まれる原子数比(Si+Al+Mn)/Feが1.0以下であった。
【実施例2】
【0060】
質量%でC:0.003%、Si:0.08%、Mn:0.11%、Al:0.04%、Cr:29.0%、N:0.009%、Nb:0.18%、Mo:1.99%を含有するステンレス鋼を溶製し、厚さ200mmのステンレススラブとした。得られたステンレススラブを1200℃に加熱後、仕上温度を900℃、巻取温度を650℃として板厚2.0mmまで熱間圧延し、1100℃の温度で熱延板焼鈍し、熱延板の酸洗を行い、次に、冷間圧延と、1050℃の冷延板焼鈍を複数回繰り返し、幅1080mm、長さ1100m、厚さ0.1mmのステンレス鋼帯とした。なお、最終の冷間圧延後に冷延板焼鈍は行わなかった。得られたステンレス鋼帯をさらに幅200mmに分割して5つの鋼帯とし、それぞれ表3に示す熱処理条件において熱処理した。その後、60℃の5%HNO−10%HF酸液中に浸漬時間が180sとなるように鋼帯を通板して表面改質処理を行い、鋼帯先端から50m間隔で表面接触抵抗を測定した。表面接触抵抗の測定圧力は1MPaとした。図3に、測定位置による表面接触抵抗の変化を示す。本発明例である17〜19では、コイル先端から終端まで一様に低い表面接触抵抗が得られた。一方で、比較例である20、21ではコイルの途中から、セパレータとして使用できない値まで表面接触抵抗が増加した。これは酸液槽へのコイルの通板により酸液中に金属イオンが溶出し、酸液の反応性が低下したため、比較例である20、21では酸化皮膜の除去が不十分になったために表面接触抵抗が増加したものと考えられる。
【0061】
【表1】

【0062】
【表2】

【0063】
【表3】

【産業上の利用可能性】
【0064】
本発明のステンレス鋼は、固体高分子型燃料電池セパレータ用ステンレス鋼として好適であり、さらに、各種電気機器の通電部材用ステンレス鋼としても好適である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.001〜0.10%、Si:0.001〜1.0%、Mn:0.001〜1.2%、Al:0.001〜0.5%、Cr:15.0〜35.0%、N:0.001〜0.10%を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなり、表面の酸化皮膜の厚さが20〜600nmであることを特徴とするステンレス鋼。
【請求項2】
さらに、質量%で、Ti:1.0%以下、Nb:1.0%以下、Zr:1.0%以下、Cu:1.0%以下、V:1.0%以下、Ni:12.0%以下、Mo:5.0%以下のうち1種以上を含有することを特徴とする請求項1に記載のステンレス鋼。
【請求項3】
前記酸化皮膜に含まれるSi、Al、Mn、Feの原子数比が(Si+Al+Mn)/Fe≦1.0を満たすことを特徴とする請求項1又は2に記載のステンレス鋼。
【請求項4】
表面接触抵抗が20mΩ・cm以下である請求項1〜3のいずれか1項に記載のステンレス鋼。
【請求項5】
請求項4に記載のステンレス鋼からなる固体高分子型燃料電池用セパレータ。
【請求項6】
請求項1〜4のいずれか1項に記載のステンレス鋼を製造するに際し、冷間圧延後または冷間圧延材焼鈍後に、水素濃度が30容積%以上であり残部が不活性ガス及び不可避的不純物からなり、露点が−40〜0℃である雰囲気下で、温度が800〜1200℃の熱処理を行なうことを特徴とするステンレス鋼の製造方法。
【請求項7】
前記熱処理後に、酸液を用いる表面改質処理を行うことを特徴とする請求項6に記載のステンレス鋼の製造方法。
【請求項8】
前記酸液が無機酸であることを特徴とする請求項7に記載のステンレス鋼の製造方法。
【請求項9】
前記無機酸が弗酸または弗硝酸であることを特徴とする請求項8に記載のステンレス鋼の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2013−14796(P2013−14796A)
【公開日】平成25年1月24日(2013.1.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−147014(P2011−147014)
【出願日】平成23年7月1日(2011.7.1)
【出願人】(000001258)JFEスチール株式会社 (8,589)
【Fターム(参考)】