説明

ガスケット用ステンレス鋼板とその製造方法

【課題】高性能化する自動車やオートバイのエンジンに用いるガスケットとして最適である高強度を有するとともに、加工性、疲労特性に優れる高性能ステンレス鋼板とその製造方法を提供する。
【解決手段】少なくとも板表面から板厚方向3μm以内の領域において、10nm以上200nm以下の窒素化合物が100μm2 当たり200個以上存在させる。または板表面から板厚方向3μm以内の領域における10nm以上200nm以下の窒素化合物の個数が、板厚中心部の前記大きさの窒素化合物の個数に比較して、2倍以上とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高強度を維持しつつ、加工性、疲労特性に優れるステンレス鋼板に関する。本発明にかかる鋼板は、自動車やオートバイのエンジン用ガスケットに最適である。
【背景技術】
【0002】
自動車やオートバイのエンジン用ガスケットは、シリンダーヘッドとシリンダーブロックとの間に挿入され、その間(隙間)からの燃焼ガス、エンジン冷却水やオイルの漏れを防止する重要なシール部品である。今日使われているガスケットの大部分はステンレス鋼薄板を複数枚重ねた構造からなり、図1に示すガスケットを模擬した試験片から分かるように、エンジンの燃焼室に相当するボア(穴)の周囲に円環状にビードと呼ばれる凸部が成形される。そして、このビードの密着(反発)力により、燃焼により繰返される上記隙間の増減に対して高圧の燃焼ガスその他を密閉している。なお、シリンダーヘッドとシリンダーブロックとの間はボルト締めし、固定されている。
【0003】
従来、ガスケットには、JIS-G4305に示す準安定オーステナイト(γ)系ステンレス鋼に属するSUS301、304、301L等の材料が広く用いられてきた。これらの鋼は一般に強度調整を目的に冷間圧延(調質圧延)を行った後に使用され、加工誘起マルテンサイト(α’)変態を伴う大きな硬化により比較的容易に高強度を得られる。また、そのような大きな硬化により、変形部に対して(強度×断面積)の値が小さくなる未変形部での変形が促進され、そのため材料の局所的変形が抑制されて全体が変形する、いわゆるTRIP効果によりステンレス鋼のなかでも加工性に優れる材料である。更に、冷却水との接触に際し、必要な耐食性を発揮する。
【0004】
ところで、最近のエンジンには、環境問題等から燃費改善に必要となる(i)燃料混合ガスの高圧縮比化と(ii)軽量(小型、高密度)化の両立が求められている。また、出力向上というユーザの要望からも、それらの特性の両立が求められている。これらの実現のために、ガスケット材へは更なる高強度と複雑な形状への優れた加工性が同時に要求される。
【0005】
しかし、前述のようなステンレス鋼においても他の金属材料と同様に高強度化に伴う加工性の劣化は避けられず、高強度化と加工性との両立を充分に満足できていないのが現状である。
【0006】
更に、ガスケット加工中、ビード成形においてシワ、亀裂(板表面の微少な割れ)等の欠陥が発生し、疲労特性が大幅に低下してしまうという問題があった。これはエンジンからみた場合、燃焼により繰返されるシリンダーヘッドとシリンダーブロックとの間の隙間の増減に際して、上記欠陥を起点としてガスケットのビード部が早期に疲労破壊し、シール性が不十分となり、燃費・出力が共に低下し、大気汚染等の問題の一因ともなる。また、更に悪化した場合、エンジンの故障、破損の原因ともなる。
【0007】
特許文献1、2、3、4には、ガスケット材の結晶粒径を微細化し、従来と同等の高強度を維持しつつビード成形時に主に結晶粒界で生じると考えられる欠陥の発生を大幅に抑制し、疲労特性を改善した材料およびその製造方法が提案されている。かかる従来材は、最終焼鈍により結晶粒を微細化し、それによる高強化を図るとともに、引き続いて実施される調質圧延での加工硬化との相乗作用により必要な強度を実現させている。すなわち、従来材は、上述のような結晶粒微細化を目的とする最終焼鈍後、更に調質圧延を施した後、製品板とされ、そして、この製品板を用いてガスケットへ加工される。
【0008】
しかし、結晶粒微細化を目的とする焼鈍は、比較的低温かつ狭い温度域で実施しなければならず、従来の軟化を主目的とする高温での焼鈍に比較して安定した組織を得難く、制御が難しいという問題がある。
【特許文献1】特開平4−214841号公報
【特許文献2】特開平5−279802号公報
【特許文献3】特開平5−117813号公報
【特許文献4】WO00/14292
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は、高強度を有するとともに、加工性、疲労特性に優れる高性能ステンレス鋼板とその製造方法を提供するものである。 本発明にかかる鋼板は、最近の高性能化する自動車やオートバイのエンジンに用いるガスケットとして最適であり、本発明は、その工業的な安定供給を目指したものである。更に言えば、環境問題等に対応した低燃費で信頼性の高いエンジン用の、高性能ガスケットの安定供給を目指したものである。
【0010】
また、一般の金属材料においては高強度化に伴う加工性の劣化が避けられず、強度と加工性とは両立しないと考えられているが、本発明は、そのような高強度と優れた加工性を兼ね備え、かつ疲労特性にも優れたガスケット用材料とその製造方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者らは、鋼板マトリックスの結晶粒径微細化による高強度化を図り、そしてそのときの粒界密度上昇による粒界での変形の分散によりビード成形時の欠陥の発生を大幅に抑制することができれば、ガスケット材としての必要な高強度を維持しつつ優れた加工性と疲労特性を同時に実現できることに着想した。すなわち、基本原理としては、従来と同様に結晶粒微細化組織を活用したものであり、その組織の最適化とその安定した実現とを鋭意検討した際に、次のような点に着目した。
【0012】
(a)変形量が最大となる板表面近傍部の鋼板マトリックスの結晶粒が微細化されていれば、内部がある程度粗粒であっても、材料は優れた性能を示すと考えられる。
(b)表面近傍での結晶粒子微細化は、一連(2回)の熱処理による鋼板表面からの窒素吸収(固溶・拡散)→窒素化合物(窒化物)析出が有効である。すなわち、熱処理時の微細な析出物の均一分散により粒成長が抑制され、板表面近傍部の結晶粒微細化が効果的に実現できると考えられる。
【0013】
更に言えば、(a)に関連して析出物が微細であると共に、その濃度(数)も板厚方向に連続的に減少させれば不連続境界を生成することもなく、ビード成形時あるいはガスケット使用時の疲労環境において新たな欠陥の発生を招くこともないと期待される。
【0014】
すなわち、本発明は上記の着想に基づき、課題解決のためさらに鋭意研究を重ねた結果、以下の点を確認して本発明を完成した。
(i)高強度と優れた加工性の両立、そしてそれによる高疲労特性を実現すべく、ビード成形時に発生するき裂、シワ等の欠陥の発生抑制に板表面近傍部の鋼板マトリックスの結晶粒微細化が有効である。
【0015】
(ii)低露点の高純度窒素ガスおよび窒素を混合した還元性ガス雰囲気中の熱処理において、窒素の吸収が起こり、次いで熱処理を低温で実施することにより、窒化物の析出が起こる。
【0016】
(iii)上記熱処理の組合せにより、板表面近傍部は微細な窒化物が均一分散し、鋼板マトリックスの粒成長が効果的に抑制され、内部に比較して結晶粒の微細化した組織が得られ,上記組織を実現することで、高強度と優れた加工性とが両立できる。
【0017】
(iv)上記組織を備えた鋼板を使用すれば、ガスケット加工後の疲労特性が向上する。
ここに、本発明は、次の通りである。
(1) 少なくとも板表面から板厚方向3μm以内の領域において、10nm以上200nm以下の窒素化合物が100μm2当たり200個以上存在することを特徴とするガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【0018】
(2) 板表面から板厚方向3μm以内の領域における10nm以上200nm以下の窒素化合物の100μm2 当たりの個数が、板厚中心部の前記大きさの窒素化合物の個数に比較して、2倍以上であることを特徴とする(1) に記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【0019】
(3) 板表面から板厚方向3μm以内の領域における鋼板マトリックスの粒度番号が、板厚中心部における粒度番号に比較して、1以上大きいことを特徴とする、(1)または(2)に記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【0020】
(4) 板表面から板厚方向3μm以内の領域における鋼板マトリックスの粒度番号が11以上であることを特徴とする(3)に記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
(5) 前記鋼板を構成する組織が加工組織からなることを特徴とする、(1)ないし(4)のいずれかに記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【0021】
(6) 前記鋼板の鋼組成が、SUS301、SUS304、SUS301LまたはSUS304L鋼相当の組成からなることを特徴とする(1)〜(5)のいずれかに記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【0022】
(7) 更に、Ti、Nb、V の1種以上を合計で、0.02〜0.5質量%含有することを特徴とする、(6)に記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
(8) 冷間圧延鋼板に焼鈍を施す工程を含むガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板の製造方法において、焼鈍を施す前記工程が下記の工程を含むことを特徴とする、ガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板の製造方法。
【0023】
(i)5体積%以上の窒素を含み、露点が−40℃以下である雰囲気中で、1000〜1200℃の温度範囲で、20秒以上の焼鈍を行う工程、次いで
(ii)前記熱処理を行った後に、前記熱処理温度より50℃以上低い温度で焼鈍する工程。
【0024】
(9) (1)〜(7)のいずれかに記載のステンレス鋼板からなるガスケット。
【発明の効果】
【0025】
本発明にあっては、窒素の吸収→析出を主工程とする一連の熱処理を行うことで、変形量が最大となる板表面近傍部の結晶粒を微細化するのである。
本発明にあっては、また、ガスケット加工時、エンジンに装着したときの疲労環境において新たな欠陥を発生する可能性のある粗大な析出物、不連続境界起点を形成しない組織を得ることができる。すなわち、これは析出物によるピン留効果を最大限に活用し、結晶粒微細化を目的として微細な窒化物を板表面近傍部に均一かつ高濃度で分散させ、その濃度を板厚方向で連続して減少させるのである。
【0026】
かくして、本発明によれば、自動車やオートバイのエンジン用ガスケットに最適な、高強度を維持した上で加工性、疲労特性に優れるステンレス鋼を安価かつ工業的に安定して提供できる。また、これにより最近の環境問題、ユーザニーズ(高出力化)等に対応した低燃費で信頼性の高い、高性能ガスケットを安定供給できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0027】
次に、本発明において、その構成を上述のように限定した理由についてさらに具体的に説明する。
本発明において用いる鋼板は、従来から使用されるJIS-G-4305のSUS301、SUS304、SUS301LおよびSUS304L相当の組成からなるステンレス鋼でよく、特に制限されない。しかし好ましくは、粒成長に抑制に特に有効と考えられる窒化物を析出させるため、微量のTi、Nb、V を少なくとも1種以上含有することが望ましい。なお、ここで言う微量とは1種以上を合計で0.5質量%以下とする。好ましくは、0.02質量%以上である。更に好ましくは、0.03質量%以上、0.4質量%以下である。
【0028】
本発明によれば、そのような鋼板の表層部には、窒素化合物が存在する。このときの窒素化合物は、主要部分が外部から、特に雰囲気から鋼板に侵入する窒素に由来するものであり、溶製時の固溶窒素に由来する窒化物と比較して鋼板表面に濃化して存在する。このような表層部における窒素化合物の生成は、次のようにして行われる。
【0029】
まず、窒化物が分散し、結晶粒が微細化する領域は一連の熱処理で吸収される窒素の侵入深さに対応すると考えられる。工業的ライン生産(コイルの連続焼鈍)相当として実施した下限条件近傍(1000℃×30sec.保持)での試験による窒素侵入深さの実績は20μm程度であった。ただし、窒化物が分散し、結晶粒が微細化した領域は現実には最終熱処理後に確認される。
【0030】
また、製品板は一般に後述の表2に示すように前熱処理後に、中間圧延→最終熱処理→調質圧延が施される。各工程後での同領域の深さは圧延率に対応して減少すると考えられる。すなわち、前熱処理時深さが20μmの場合、本試験相当の実機工程では中間圧延(圧下率58.3%、板厚1.2mm→板厚0.5mm)、最終熱処理後には8.3μm、調質圧延(圧下率60%、板厚0.2mmにまで圧延)後には3.3μmとなる。これらより、本発明においては、窒素化合物の存在する表面層の下限を設定し、3μm以上とした。更に好ましくは、4μm以上である。すなわち、「少なくとも板表面から板厚方向3μm以内」、好ましくは「板表面から板厚方向4μm以内」の領域における窒素化合物の形態を規定するのである。
【0031】
なお、工業的生産ラインで熱処理する場合を考えると、そのときの上限での熱処理条件(1200℃×600sec.保持)の下で、窒素の拡散による侵入深さ(Nt)は以下のように算出される。
【0032】
Nt=(2Dt)1/2≒(2×2×10-6×600)1/2=489.9μm
D:γ鋼中での窒素の拡散常数(1200℃の場合≒2×10-6cm2/sec.)
t:保持時間(sec.)
したがって、侵入深さは500μm前後が限界(最大)と推定される。しかし、現実に同条件相当での前熱処理後に確認された窒素吸収層の厚さは200μm 程度に留まった。
【0033】
図2は、後述するが、本発明にかかる熱処理により周囲雰囲気から吸収された窒素の板表面から板厚方向への濃度分布を示すグラフである。このように実際の窒素吸収が200μm 厚さにとどまるのは、酸化被膜、表面汚染等が拡散の障害となったことが原因と推定される。
【0034】
このように、熱処理時深さが200μmの場合、上記と同様の加工後の深さは33μmとなる。これらより、上限は板厚0.2mmに対して両表面から33μm程度である。窒化物析出領域の割合が極端に大きい場合、材料の脆化も懸念されるが、本実績より特に問題はないと考えられるため上限は規定しない。
【0035】
次に、窒化物は主に前熱処理により吸収した窒素を最終焼鈍時に析出するものであり、微細であることが望ましい。窒化物の直径の上限値を200nm以下としたのは、同値を超えた場合に欠陥発生の可能性が高まるためである。更に好ましくは、150nm以下である。また、一連の熱処理により、溶製時の固溶窒素が析出した窒化物を区別するため、対象となる窒化物の直径の下限値を10nm以上とした。好ましくは15nm以上、更に好ましくは20nm以上である。
【0036】
窒化物の分散は板表面近傍が高密度、かつ連続して濃度が低下することが望ましい。このため、結晶粒微細化効果の得られた実績値より、100μm2当たり200個以上とした。更に、好ましくは、300個以上である。また、板表面近傍部の密度を板厚中心部に比べて2倍以上としたのは、効果(結晶粒微細化)と共に、目視で濃度差が確認されたためである。更に好ましくは、3倍以上である。
【0037】
板表面近傍部の結晶粒は微細であることが必要であり、材料の加工性、それにともなう疲労特性改善の主因である。より微細であることが望ましい。窒化物が分散した板表面近傍部の結晶粒径が板厚中心部に比べてJIS-G-0551の粒度番号で1以上(結晶粒径で1/√2倍)としたのは、目視での差の確認が可能であり、効果(加工性改善、疲労特性向上)も得られたためである。更に好ましくは、粒度番号で2以上(粒径で1/2倍)である。
【0038】
更に、板内部の板厚中心部での結晶粒度番号を11以上(≒粒径8.8μm以下)としたのは、実験結果によるものであり、疲労特性の更なる向上が確認されたためである。更に、好ましくは、結晶粒度で14以上(≒粒径3.1μm以下)である。
【0039】
本発明において最も重要な点は(1) 新たな着想でも述べたとおり最終焼鈍後の微細な窒化物の均一分散により板表面近傍部のマトリックスの結晶粒を微細化する点にある。
参考データとして、後述する表3の前熱処理後の本発明材(11)のEPMA(Electron Probe Micro Analyzer)での窒素のライン分析(板厚方向での濃度分布)を図2に、更に冷間圧延、最終焼鈍を施した後の同材の板表面近傍と板厚中心部での透過型電子顕微鏡(TEM:Transmission Electron Microscope)での組織を図3にそれぞれ示す。
【0040】
図2より実機相当前熱処理条件において、板表面から200μm程度までの窒素濃度がその内部に比べて高いことがわかる。
また、図3より前熱処理に対して最終熱処理を十分に低温で実施することで、板表面近傍には微細な窒化物が高密度で分布し、マトリックスの結晶粒径も粒度番号で 1以上微細化することが確認される。なお、本観察ではニオブ窒化物とクロム窒化物も確認されたが、大部分が微細なクロム窒化物であった。
【0041】
このように表層部に微細窒素化合物を集積させる製造方法は、冷延鋼板に2段階の焼鈍を行うことからなり、最初の焼鈍工程では、5Vol%以上の窒素を含む還元性雰囲気で、さらに露点が−40℃以下である雰囲気中で、1000〜1200℃の温度範囲で、20秒以上の熱処理を行う。これを「前熱処理」という。これに続く第2の焼鈍工程では、第1焼鈍工程のときの熱処理の加熱温度より50℃以上低い温度で焼鈍を行う。これを「最終熱処理」と言う。このときの雰囲気は、ステンレス鋼として必要とされる表面光沢を確保するという面から非酸化性雰囲気であれば良く、それ以外は特に制限されない。
【0042】
前熱処理の露点はガス中の水分に対応し、高い場合には厚い酸化皮膜を形成して窒素吸収が抑制されると考えられる。このため実験結果より 、前熱処理の露点を−40℃以下とした。更に好ましくしくは、−45℃以下である。
【0043】
雰囲気ガスは窒素吸収を目的とするため、窒素成分の含有が不可避である。他に還元性ガス(水素等)を加えるのは露点を −40℃以下にするのと同様、材料表面の酸化被膜形成を抑制し、窒素吸収を促進させるためである。好ましくは、還元性雰囲ガスとの混合使用である。還元性雰囲気の具体的例示は、H2含有N2 雰囲気である。
【0044】
最終熱処理を前熱処理に比べて 50℃以上低い温度で実施するのは、高温での窒素の固溶度の差を利用して窒化物を析出させるためである。実験結果より、少なくとも50℃ 以上の温度差があれば必要な窒化物が析出し、板表面近傍の結晶粒径はその内部に比べて微細化する。更に好ましくは、100℃ 以上低い温度での最終焼鈍の実施である。
【0045】
なお、他の詳細な熱処理条件は以下のとおりである。
前熱処理の雰囲気ガスとして窒素含有ガスを使用する場合、窒素濃度は5Vol%以上であり、更に好ましくは、10Vol%以上である。
【0046】
前熱処理の温度は1000℃以上、1200℃以下であり、更に、好ましくは、1050℃以上である。最終焼鈍の温度はそれらよりも50℃以上低ければ良く、更に好ましくは前熱処理温度よりも低温の850℃以上、1000℃以下である。
【0047】
上記温度での保持時間は、前熱処理の場合が20sec.以上、好ましくは10min.以下であり、更に好ましくは、30sec.以上である。これは必要な窒素を雰囲気ガスからの拡散により吸収するためである。最終熱処理の場合は、1sec.以上、更に好ましくは、10sec.以上である。
【0048】
前熱処理後の冷却は、可能な範囲で急速であることが望ましい。これは冷却時の窒素物析出を避け、過飽和固溶状態を維持し、最終熱処理の窒化物の均一微細析出を促進するためである。具体的には、実績値より1℃/sec.以上である。更に好ましくは、2℃/sec.以上である。
【0049】
更に、好ましくは、前熱処理と最終熱処理の間に冷間加工を行うことが望ましい。これは窒化物の析出サイトとなる内部欠陥を導入し、最終熱処理時の窒化物の均一微細析出を促進するためである。
【0050】
その他の熱処理の条件自体は、工業的に実施される条件をそのまま採用すればよく、問題はない。例えば、前熱処理の実施に際しては、それ以前に脱脂工程および板表面の洗浄、酸化皮膜除去等を目的とした酸洗工程を行ってもよい。
【実施例】
【0051】
本例では、表1に示す成分組成の冷延鋼板を供試材として、表2に示す仕様の冷延鋼板、前熱処理、冷間圧延、最終熱処理、そして調質圧延を行い、最終的にガスケットへの成形加工を行った。すなわち、供試材はSUS301、304、301Lおよび304Lの4種の工業的に実際の生産ラインで溶製・鋳造・熱間および冷間圧延・焼鈍を行った量産品であり、板厚1.2mmの冷間圧延鋼板から供試材を採取し、実験室レベルの設備を用いて窒素吸収をともなう焼鈍を目的とする前熱処理、板厚0.5mm前後への冷間圧延、窒化物析出をともなう焼鈍を目的とする最終熱処理、そして板厚0.2mm前後への調質圧延を施した。前熱処理は1050〜1200℃、保持時間を180〜600sec.とし、冷却を全て2℃/sec.にて実施した。また、最終熱処理は850〜1100℃、保持時間を30〜45sec.とした.冷却速度の影響は小さいと考えられるが、本試験では1℃/sec.前後にて実施した。更に、本例では、両熱処理の間において冷間圧延を行っている。これは製品板厚への加工と共に、窒化物の析出サイトとなる内部欠陥を導入し、最終熱処理時の窒化物の均一微細析出を促進するためである。
【0052】
その後、調質圧延を施した材料を図1に示すガスケット形状に成形した。
ここに、図1は、すでに述べたように、ボアの周囲に設けたビード断面形状とその寸法を示す試験片の模式的説明図である。
【0053】
試験片は最終熱処理後に採取し、板表面近傍部に均一微細に析出した窒化物の有無、板表面近傍部および板厚中心部のマトリックスの結晶粒度を調査した。また、ガスケット加工後に採取し、ビード部表面での割れの有無、疲労特性を調査した。なお、調質圧延後の硬度はJIS-G-4313に示す各材料のH(ハード)仕様の中央値、具体的にはSUS301、301Lの場合ではHv460前後、SUS304、304Lの場合ではHv400前後に調整した。
【0054】
結果は、表3にまとめて示す。表3において、その符号の説明は次の通りである。
1* 雰囲気AX :75%H2 + 25%N2
雰囲気AX’ :50%H2 + 50%N2
2* 窒化物の有無:
◎:板表面近傍に直径10nm以上の窒化物が100μm2当たり200個以上、かつ中厚部の2倍以上の高い濃度で分布
○:板表面近傍に直径20nm以上の窒化物が100μm2当たり200個以上、かつ中厚部の2倍以上の高い濃度で分布
×:板全体に微細、一定かつ低い濃度で窒化物が分布
××:なし
疲労試験の結果:
○: 良好
×: 貫通割れ発生
―: 未実施
本発明材1 〜13は、板表面近傍部が、高濃度の微細窒化物分散により、板厚中心部に比べて結晶粒度で1以上大きく(結晶粒径が微細であり)、比較材14〜19に対して同様の硬度(強度)を維持した上で、ガスケット加工後に優れたビード加工性を示し、振幅10μmにおいても疲労破壊しないことが確認される。
【0055】
具体的に説明すると、発明材3の結果より、最終熱処理の温度を前熱処理に比べて50℃低下させることで、板表面近傍部は板厚中心部に比べて高濃度の窒化物が分散し、粒度で1以上大きく(粒径が微細化)なる。また、発明材全体を通じて、基本的には最終熱処理温度の低下に対応して板表面近傍部と板厚中心部の結晶粒度の差が増加すると考えられる。
【0056】
すなわち、前熱処理は加熱温度1000〜1200℃、保持時間20秒以上、かつ窒素成分を含有する雰囲気ガスの露点を−40℃以下とすることで必要な窒素の吸収がなされる。更に、発明材4、7、11に示す結果より、板内部の粒度が充分に微細化した場合、疲労特性は更に向上し、振幅15μm においても貫通割れを発生しない。
【0057】
これに対し、同一温度で熱処理した比較材14、17〜19では板表面近傍の結晶粒微細化は確認されない。また、前熱処理時の雰囲気ガスに窒素成分を含有しない比較材15では窒素吸収がなされないと考えられ、最終熱処理温度を低下しても板表面近傍部での結晶粒微細化が起こらない。更に、前熱処理時の雰囲気ガスの露点が−30℃の比較材16では酸化皮膜の形成等により窒素吸収が不十分であり、板表面近傍部での結晶粒微細化も不十分なものになったと推定される。
【0058】
上記の試験方法について補足説明すると次の通りである。
窒化物有無:
最終焼鈍後の試験片について、SEM(Scanning Electron Microscope)を用いて、板表面部と板厚中心部での析出物の有無を観察した。また、付属の分析機を用いて、窒素の有無を確認した。その後、有りと判定した試験片について、TEM(Transmission Electron Microscope)を用いて、板表面部と板厚中心部より採取した母相を腐食除去後の抽出(析出)物によるレプリカを観察し、平均的部位の写真を撮影した。なお、抽出物の同定は電子線回折での構造解析により実施した。
【0059】
結晶粒径:
最終焼鈍後の試験片について、光学顕微鏡、SEM(Scanning Electron Microscope)を用いて、板表面部と板厚中心部での組織を観察した。また、一部試験片についてはTEMを用いて、板表層部と板厚中心部より作成した薄膜の組織を観察した。そして、各々の平均的な組織の写真を撮影した。その後、各々の写真より結晶粒径、結晶粒度を測定した。
【0060】
ビード゛部割れ:
図1に示すガスケットを模擬した試験片について、SEMを用いて、ビード部表面を観察し、シワ、き劣(微少な割れ)の有無を確認した。
【0061】
疲労試験:
図1に示すガスケットを模擬した試験片について、繰返し圧縮試験機を用いて、一定振幅での107回繰返し後の貫通割れ有無を○×で評価した。
【0062】
図2は、表3に示す前熱処理後の本発明材11のEPMA(Electron Probe Micro Analyzer)での窒素のライン分析(板厚方向での濃度分布)を示すグラフである。
図3(a)、(b)は、更に冷間圧延、最終焼鈍を施した後の同材のそれぞれ板表面近傍と板厚中心部での組織を示す透過型電子顕微鏡(TEM:Transmission Electron Microscope)写真である。
【0063】
図2に示す結果より実際の生産ラインにおいて実現可能な前熱処理条件において、板表面から200μm程度までの窒素濃度がその内部に比べて高いことがわかる。また、図3(a) より前熱処理に対して最終熱処理を十分に低温で実施することで、図3(b) の板厚中心部の場合と比較して、板表面近傍には微細な窒化物が高密度で分布し、結晶粒径も粒度番号で 1以上微細化することが確認される。なお、本観察ではニオブ窒化物とクロム窒化物が確認され、大部分が微細なクロム窒化物であった。
【0064】
【表1】

【0065】
【表2】

【0066】
【表3】

【図面の簡単な説明】
【0067】
【図1】ガスケットを模擬した試験片を示す模式図である。
【図2】前熱処理後の表3の本発明材11のEPMAでの窒素のライン分析結果を示すグラフである。
【図3】図3(a) 、(b) は、最終熱処理後の表3の本発明材11の板表面近傍部と板厚中心部でのそれぞれのTEM 組織写真である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
少なくとも板表面から板厚方向3μm以内の領域において、10nm以上200nm以下の窒素化合物が100μm2当たり200個以上存在することを特徴とするガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【請求項2】
板表面から板厚方向3μm以内の領域における10nm以上200nm以下の窒素化合物の100μm2 当たりの個数が、板厚中心部の前記大きさの窒素化合物の個数に比較して、2倍以上であることを特徴とする請求項1に記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【請求項3】
板表面から板厚方向3μm以内の領域における鋼板マトリックスの粒度番号が、板厚中心部における粒度番号に比較して、1以上大きいことを特徴とする、請求項1または2に記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【請求項4】
板表面から板厚方向3μm以内の領域における鋼板マトリックスの粒度番号が11以上であることを特徴とする請求項3に記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【請求項5】
前記鋼板を構成する組織が加工組織からなることを特徴とする、請求項1ないし4のいずれかに記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【請求項6】
前記鋼板の鋼組成が、SUS301、SUS304、SUS301LまたはSUS304L鋼相当の組成からなることを特徴とする請求項1〜5のいずれかに記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【請求項7】
更に、Ti、Nb、V の1種以上を合計で、0.02〜0.5質量%含有することを特徴とする、請求項6に記載のガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板。
【請求項8】
冷間圧延鋼板に焼鈍を施す工程を含むガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板の製造方法において、焼鈍を施す前記工程が下記の工程を含むことを特徴とする、ガスケット用オーステナイト系ステンレス鋼板の製造方法。
(1)5体積%以上の窒素を含み、露点が−40℃以下である雰囲気中で、1000〜1200℃の温度範囲で、20秒以上の焼鈍を行う工程、次いで
(2)前記熱処理を行った後に、前記熱処理温度より50℃以上低い温度で焼鈍する工程。
【請求項9】
請求項1〜7のいずれかに記載のステンレス鋼板からなるガスケット。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2006−97049(P2006−97049A)
【公開日】平成18年4月13日(2006.4.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−281709(P2004−281709)
【出願日】平成16年9月28日(2004.9.28)
【出願人】(000002118)住友金属工業株式会社 (2,544)
【出願人】(000005326)本田技研工業株式会社 (23,863)
【Fターム(参考)】