説明

不精臭低生産性麹菌

【課題】不精臭の少ない、風味に優れた高品質の飲食品を提供する。
【解決手段】遺伝子破壊等の遺伝子操作等に作製される、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない麹菌、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子欠損麹菌の表現型に基く、又は、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼの酵素活性を測定することによる、当該麹菌のスクリーニング方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない麹菌、及びこれらの麹菌を使用することを特徴とする、不精臭が低減した食品の製造法等に関する。
【背景技術】
【0002】
発酵食品の品質低下の要因として考えられているものの一つに不精臭がある。不精臭(不快臭、ムレ臭)とは、イソ吉草酸やイソ酪酸などの短鎖分岐脂肪酸がその原因として知られているが、その発生防止対策として、納豆においてイソ吉草酸生成酵素を不活性化する技術(特許文献1)や清酒においてイソバレルアルデヒド生成酵素活性を低減する技術(特許文献2)が開発されている。
【0003】
醤油においても、製麹の段階でイソ吉草酸が生成し、それが高濃度に蓄積した場合は製品にまで残存することになり、醤油の品質の低下を招くことが知られているが、その低減対策は講じられていなかった。
【特許文献1】特開2000-354493号公報
【特許文献2】特開平9-70287号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
醤油醸造においては、製麹の段階で麹菌がロイシン代謝物であるα-ケトイソカプロン酸、イソバレリル-CoAからイソ吉草酸を生産し、麹中に分泌していると考えられる(図1)。そこで、イソ吉草酸合成酵素である分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ、もしくは分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ活性を低下させることができれば、麹中のイソ吉草酸濃度を減少させることができ、その結果、イソ吉草酸の少ない麹からは不精臭の少ない、風味に優れた高品質な醤油が得られると期待される。また同様の手法は類似の調味料や食品にも応用できる。
【0005】
従って、本発明の主な目的は、不精臭の主な成分であるイソ吉草酸又はイソ酪酸の生産能の低い麹菌を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0006】
そこで本発明者等は上記課題を解決するため鋭意研究を重ねた結果、麹菌ゲノムデータベースから分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ候補遺伝子2つ、分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ候補遺伝子1つを選定し、麹菌アスペルギルス・ソーヤを宿主としこれらの遺伝子破壊することによって、上記目的が達せられることを見出し、本発明を完成した。
【0007】
即ち、本発明は、以下の各態様に係るものである。
1.分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない麹菌。
2.遺伝子操作によって得られた、態様1記載の麹菌。
3.分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が破壊された態様2の麹菌。
4.Aspergillus sojae 15423-1株(FERM P-20757)、Aspergillus sojae 2826-1株(FERM P-20755)、又はAspergillus sojae 14868-16株(FERM P-20756)である、態様1〜3のいずれか一項に記載の麹菌。
5.菌の表現型に基く、態様1〜3のいずれか一項に記載の麹菌のスクリーニング方法。
6.不精臭成分であるイソ吉草酸又はイソ酪酸の生成能に基く、態様1〜3のいずれか一項に記載の麹菌のスクリーニング方法。
7.態様5又は6記載のスクリーニング方法を利用して得られた、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ活性又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ活性が野生型に比べて有意に低下している麹菌変異株。
8.態様1〜4の何れか一項記載の麹菌、又は態様6記載の麹菌変異株を使用することを特徴とする不精臭が低減した食品の製造法。

【発明の効果】
【0008】
分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子破壊株又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子破壊株に代表される、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない本発明の麹菌は、イソ吉草酸等の不精臭成分の生成能が野生型と比べて低下している為に、そのような麹菌を使用して醤油等の飲食品を製造することによって、イソ吉草酸等に由来する不精臭の少ない、風味に優れた製品の製造が可能になる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0009】
本明細書において、「麹菌」とは、醤油、清酒、焼酎、みそ、みりん等の醸造において麹の製造に使用されている、不完全菌亜門、不完全糸状菌網の一属であるカビ類を意味する。アスペリギルス・ソーエー(しょうゆ製造用)、アスペリギルス・オリゼ(清酒製造用)、アスペリギルス・アワモリ(泡盛製造用)、及びアスペリギルス・シロウサミ(焼酎製造用)等のアスペリギルス属に属する菌がその代表例である。
【0010】
分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ(EC:2.6.1.42)は真核生物においてはサイトゾルとミトコンドリアに局在し、それぞれ発現時期が異なっているという報告がなされている(J.Biol.Chem.Vol.271No.34:20242-20245(1996))。この酵素はL−ロイシン、L−バリン、L−イソロイシンといった分岐鎖アミノ酸を、夫々、α−ケトイソカプロン酸、α−ケトイソバレリン酸、及びα−ケト−β−メチルバレリン酸といったα−ケト酸に変換する酵素である。
【0011】
又、分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ(EC:1.2.4.4)は真核生物においてはミトコンドリアに局在し、α−ケトイソカプロン酸、α−ケトイソバレリン酸、及びα−ケト−β−メチルバレリン酸を、夫々、イソバレリル−CoA、イソブチリル−CoA、2−メチルブタノイル−CoAに変換する酵素である。
【0012】
本明細書において、「分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない麹菌」とは、当該遺伝子が破壊されているか、若しくは、菌体又は分生子内で当該遺伝子の発現、転写、翻訳等における何らかの障害等の理由で当該遺伝子産物である夫々の酵素が正常に又は実質的に機能していないか、又は、その活性が野生型菌に比べて有意に低下しているような麹菌を意味する。そのような障害を生じさせる手段・原因について特に制限はない。
【0013】
従って、上記の麹菌は、例えば、相同組換えを利用して当該遺伝子を遺伝子挿入破壊や遺伝子置換破壊等によって破壊する方法、RNAi等のRNAサイレンシング又はアンチセンスmRNAを利用して該遺伝子のmRNAを分解する方法等の各種の遺伝子操作を施すことにより、又は、タンパク質への翻訳を阻害する方法等によって作製することが出来る。これらの方法はいずれも、下記の実施例に示すように、当該遺伝子を含むDNA又はそれらがコードするタンパク質の一部塩基配列又はアミノ酸配列情報に基き、当業者に公知の遺伝子工学的方法を用いて容易に実施することができる。又、公知の様々な突然変異誘発の手法により本発明の麹菌を取得することも可能である。
【0014】
なお、本発明における遺伝子工学的方法は、例えば、「Molecular Cloning: A Laboratory Manual 2nd edition」(1989)、Cold Spring Harbor Laboratory Press, ISBN 0-8769-309-6、「Current Protocols in Molecular Biology」(1989)、John Wiely &Sons, Inc. ISBN 0-471-50338-X等の記載に準じて実施可能である。遺伝子破壊は、例えば、Takahashi等の方法(Mol Gen Genomics(2004) 272: 344-352)と畑本等の方法(特開2001−46053)に従い作成した遺伝子破壊カセットベクター、又は、以下の実施例に記載のYuらdouble joint PCR法(Fungal Genet. Biol. 41, 973 (2004))に従い作成した遺伝子破壊用カセットを用いて行うことができる。
【0015】
上記遺伝子又はその一部を含むDNAは、麹菌の染色体DNAの天然型遺伝子をクローニングすることにより得られる。
【0016】
即ち、麹菌ゲノムデータベース上においては、他の生物種の分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼと相同性が高い遺伝子をBLASTソフトウェアにより抽出できる。得られた遺伝子(又はその一部)の塩基配列情報に基づき、麹菌の染色体DNA又はcDNAを鋳型にPCRで増幅することにより目的とする遺伝子又はその一部を含むDNAを容易に取得することができる。
【0017】
このようにして得られた遺伝子が不精臭合成系に関与しているかどうかは、本発明のスクリーニングと同様の原理で確認することが出来る。例えば、該遺伝子断片を組み込まれた適当な破壊用ベクターを用いる相同組み換えにより宿主を形質転換することで得られた、当該遺伝子が機能しない形質転換体の分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼの酵素活性が有意に低下しているか否かを、本明細書中の実施例に記載されている方法でその形質転換体を培養したときの不精臭成分の生成能で評価することができる。
【0018】
アスペルギルス・オリゼのゲノムデータベースから選定された分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子及び分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子を含むDNAの具体的な例として、本明細書の実施例に記載されたゲノムクローンを挙げることができる。
【0019】
上記のDNAに含まれる各遺伝子の塩基配列の全長と85%以上、好ましくは90%以上、更に好ましくは95%以上の配列相同性を示すような塩基配列から成るDNAであって、上記の各酵素と実質的に同等の活性を有する蛋白質をコードするDNAも同様に、本発明の分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子に含まれる。
【0020】
2つのアミノ酸配列又は塩基配列における配列相同性を決定するために、配列は比較に最適な状態に前処理される。例えば、一方の配列にギャップを入れることにより、他方の配列とのアラインメントの最適化を行なう。その後、各部位におけるアミノ酸残基又は塩基が比較される。第一の配列におけるある部位に、第二の配列の相当する部位と同じアミノ酸残基又は塩基が存在する場合、それらの配列は、その部位において同一である。2つの配列における配列相同性は、配列間での同一である部位数の全部位(全アミノ酸又は全塩基)数に対する百分率で示される。
【0021】
上記の原理に従い、2つのアミノ酸配列又は塩基配列における配列相同性は、Karlin及び Altschul のアルゴリズム(Proc. Natl. Acad. Sci. USA 87:2264-2268, 1990及びProc. Natl. Acad. Sci. USA 90:5873-5877, 1993)により決定される。このようなアルゴリズムを用いたBLASTプログラムやFASTAプログラムは、主に与えられた配列に対し、高い配列相同性を示す配列をデータベース中から検索するために用いられる。これらは、例えば米国National Center for Biotechnology Informationのインターネット上のウェブサイトにおいて利用可能である。
【0022】
更に、上記の遺伝子は、上記の各ゲノムクローンに含まれる遺伝子の塩基配列からなるDNAと相補的な塩基配列からなるDNAとストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、かつ夫々上記の各酵素と実質的に同等の活性を有する蛋白質をコードするDNAを含むものである。
【0023】
ここで、ハイブリダイゼーションは、Molecular cloning third.ed.(Cold Spring Harbor Lab.Press,2001)に記載の方法等、当業界で公知の方法あるいはそれに準じる方法に従って行なうことができる。また、市販のライブラリーを使用する場合、添付の使用説明書に記載の方法に従って行なうことができる。
【0024】
ハイブリダイゼーションは、例えば、カレント・プロトコールズ・イン・モレキュラー・バイオロジー(Current protocols in molecular biology(edited by Frederick M. Ausubel et al., 1987))に記載の方法等、当業界で公知の方法あるいはそれに準じる方法に従って行なうことができる。また、市販のライブラリーを使用する場合、添付の使用説明書に記載の方法に従って行なうことができる。
【0025】
本明細書において、「ストリンジェントな条件下」とは、例えば、温度60℃〜68℃において、ナトリウム濃度150〜900mM、好ましくは600〜900mM、pH 6〜8であるような条件を挙げることが出来る。
【0026】
本発明の分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない麹菌を相同組換えを利用した遺伝子破壊によって作製する場合には、相同組換え頻度が向上した菌株を使用することにより、非常に高い確率で遺伝子破壊株を獲得することが出来る。
【0027】
このような菌株は、非相同組換え機構に関与するKu遺伝子を破壊する等の方法で該遺伝子の機能を抑制することにより得ることができる(Takahashi , Mol Genet Genomics 10 Feb 2006: p. 1.及び Takahashi, Biosci.Biotechnol.Biochem., 70(1), 135-143, 2006)。
【0028】
その一例として、例えば、非相同組換え修復機構に関与するKu遺伝子の一種であるKu70遺伝子が破壊されて相同組換え頻度が向上した形質転換菌である、ATCC46250から作成したpyrG deletion株であるAspergillus sojae I-6株(wh,ΔpyrG)由来のΔKu70株(ASKUPTR8)を挙げることが出来る。尚、この菌株は、独立行政法人産業技術総合研究所 特許生物寄託センターに平成16年12月2日付で寄託され、受領番号FERM P-20311が付されている。その後、平成17年11月17日付で特許手続上の微生物の寄託等の国際的承認に関するブタペスト条約に基く国際寄託に移管され、受託番号FERM BP-10453が付与されている。
【0029】
本発明の相同組換えに用いられる遺伝子破壊カセットは、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子断片又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子断片とマーカー遺伝子を連結することにより得ることができる。マーカー遺伝子としては、例えばpyrG、URA3、niaDのような宿主の栄養要求性を相補する遺伝子、又は、アンピシリン、カナマイシン若しくはオリゴマイシン等の薬剤に対する耐性遺伝子などが挙げられる。
【0030】
形質転換は、宿主に応じた適当な公知方法で行うことができる。例えば、プロトプラスト化した後ポリエチレングリコール及び塩化カルシウムを用いる方法[Mol. Gen. Genet., 218, 99-104(1989)]を用いることができる。
【0031】
本発明の分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない麹菌には、適当な宿主麹菌を各種変異原処理することによっても得られる麹菌変異株も含まれる。変異原処理は紫外線照射、X線照射、γ線照射、重イオンビーム照射などの物理的方法、ニトロソグアニジン、エチルメタンスルホン酸などの化学的方法などの当業者に公知の方法で行うことができる。
【0032】
このようにして得られる本発明の麹菌変異株は、何らかの理由で、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ活性又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ活性が野生型に比べて有意に低下しているものと考えられる。
【0033】
本発明の麹菌において、「酵素活性が野生型に比べて有意に低下している」とは、当業者に公知の任意の測定方法によって菌体内での該酵素活性の実質的な低下が認められること、又は、実施例に示されるように、本発明の菌株による代謝の結果、培養培地中に蓄積されるイソ吉草酸又はイソ酪酸のような不精臭成分の生成能が減少することを意味する。即ち、培地中のこれら不精臭成分の減少の程度は、菌株の種類、培養条件等によって変化するが、野生型菌と比べて、これらの不精臭成分の生成量が約4割以上、好ましくは6割以上減少している。
【0034】
従って、本明細書中の実施例に記載されているように、不精臭成分であるイソ吉草酸又はイソ酪酸の生成能に基き、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ活性又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ活性が野生型に比べて有意に低下している本発明の麹菌をスクリーニングすることが出来る。
【0035】
更に、本明細書中の実施例に記載されているように、本発明の麹菌は、分岐鎖アミノ酸に対する資化性が低下しているので、ロイシン、バリン、又はイソロイシンという分岐鎖アミノ酸を唯一の炭素源及び窒素源として含む培地で培養した場合には、野生型と比べて生育が遅れ、胞子形成能も低い。従って、これらに代表されるような本発明の麹菌に特有に見られる表現型に基き、本発明の麹菌をスクリーニングすることも可能である。
【0036】
尚、以上のスクリーニング方法は、特に、遺伝子操作以外の各種変異原処理することによって得られた本発明の麹菌変異株をスクリーニングする為に有利に使用することができる。
【0037】
本発明の製造法により飲食品中の不精臭が減少することは、例えば、以下の実施例に記載の方法に準じて、該飲食品を密封し、ヘッドスペースに揮散したイソ吉草酸量をガス検知管で定量したり、該飲食品に適当な有機溶媒を加えて得られる抽出液中のイソ吉草酸量をガスクロマトグラフィーによって定量することでも確認することができる。
【実施例】
【0038】
以下に本発明の実施例を示す。しかしながら本発明は何らこれらに限定されるものではない。
1.麹菌ゲノムデータベースを利用した候補遺伝子の選定
麹菌アスペルギルス・オリゼRIB40株のゲノムデータベース(ver7(ACE30)CDS)を用いて、他の生物種 (Saccharomyces cerevisiae, Neurospora crassa)の分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼと相同性が高い遺伝子を検索したところ、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼに関しては、1275塩基からなるゲノムクローンAO070340000309と1200塩基からなるゲノムクローンAO070275000007を得た。また、分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼに関しては1158塩基からなるゲノムクローンAO070306000062を得た。該クローンを分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子の断片であると推定した。
【0039】
2.アスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)からの染色体DNA抽出
まず、アスペルギルス・ソーヤATCC42251(Aspergillus sojae Sakaguchi et Yamada)の分生子をマルチビーズショッカー(安井器械社製)を用いて0.5mmのガラスビーズで1500rpm、480秒間破砕を行い、Wizard Genomic DNA Purification Kit(promega社製)を用いて染色体DNAを抽出した。全ての操作はキットに添付のプロトコールに従った。
【0040】
3.分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子破壊株の作製
【0041】
遺伝子破壊用カセットの構築には、Yuらが報告したdouble joint PCR法(Fungal Genet. Biol. 41, 973 (2004))を用いた。構築法の概要を図2に示す。まず、抽出したアスペルギルス・ソーヤの染色体DNAを鋳型とし、プライマーP1とP2を用いて破壊対象遺伝子のすぐ上流領域(2〜4 kb)を増幅し、これとは別にプライマーP3とP4を用いて破壊対象遺伝子のすぐ下流領域(1.5〜4 kb)を増幅した。この際、プライマーP2とP3の5’末端にはマーカー遺伝子であるpyrG遺伝子の末端配列の相補配列を設けておいた。また、これとは別にプライマーP7(Forward)とP8(Reverse) を用いたPCRでpyrG遺伝子(1.8 kb)を増幅した。得られた3つのPCR産物をそれぞれ精製した後、混合して2段階目のPCRを行った。この際にはプライマーは加えなかった。最後に、得られた反応液を鋳型にして、プライマーP5とP6を用いて3段階目のPCR(Nested PCR)を行った。なお、プライマー設計の際には、アスペルギルス・オリゼRIB40の配列情報を用いた。但し、pyrG遺伝子に関しては、実際にシーケンスして得たアスペルギルス・ソーヤの配列情報を用いた。PCRの装置としてGeneAmp5700 DNA detection system(Perkin Elmer社製)を使用した。各PCRの条件は以下のとおりである。
【0042】
分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ(15423-1株)
(1)上流相同領域増幅用(1stPCR , P1&P2)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、59℃で30 sec、68℃で3.5 min)×30サイクル、反応液をQIAquick PCR purification kitで精製してから2nd PCRに使用。
(2)下流相同領域増幅用(1stPCR , P3&P4)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、62℃で30 sec、68℃で3.5 min)×30サイクル、 反応液をQIAquick PCR purification kitで精製してから2nd PCRに使用。
(3)2nd PCR
94℃で2 min、(94℃で15 sec、56℃で5 min、68℃で8 min)×15サイクル
(4)Nested(P5&P6)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、62℃で30 sec 、68℃で8 min)×30サイクル
分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ(2826-1株)
(1)上流相同領域増幅用(1stPCR , P1&P2)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、62℃で30 sec、68℃で3.5 min)×30サイクル、 反応液をQIAquick PCR purification kitで精製してから2nd PCRに使用。
(2)下流相同領域増幅用(1stPCR , P3&P4)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、59℃で30 sec、68℃で3.5 min)×30サイクル、反応液をQIAquick PCR purification kitで精製してから2nd PCRに使用。
(3)2nd PCR
94℃で2 min、(94℃で15 sec、56℃で5 min、68℃で8 min)×15サイクル
(4)Nested(P5&P6)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、62℃で30 sec 、68℃で8 min)×30サイクル
分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ(14868-16株)
(1)上流相同領域増幅用(1stPCR , P1&P2)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、62℃で30 sec、68℃で3.5 min)×30サイクル、反応液をQIAquick PCR purification kitで精製してから2nd PCRに使用。
(2)下流相同領域増幅用(1stPCR , P3&P4)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、62℃で30 sec、68℃で3.5 min)×30サイクル、反応液をQIAquick PCR purification kitで精製してから2nd PCRに使用。
(3)2nd PCR
94℃で2 min、(94℃で15 sec、56℃で5 min、68℃で8 min)×15サイクル
(4)Nested(P5&P6)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、62℃で30 sec 、68℃で8 min)×30サイクル
pyrGマーカー増幅(A. sojae)
94℃で2 min、(94℃で15 sec、62℃で30 sec、68℃で2 min)×30サイクル
反応液をQIAquick PCR purification kit(QIAGEN)で精製してから2nd PCRに使用。
【0043】
3段階目のPCRで増幅した断片をアスペルギルス・ソーヤASKUPTR8株へプロトプラスト法により導入した。遺伝子破壊の確認はサザンブロット法とPCRにより行い、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子破壊株である15423-1株(AO070340000309破壊株)と2826-1株(AO070275000007破壊株)、分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子破壊株である14868-16株を得た。また、コントロール株として、ASKUPTR8株にpyrGを相補しただけのN76株も作製した。pyrG-を含む上記断片が相同組換えにより挿入された各破壊株は10mM Uridine含有Czapek Dox (CZ) 最小培地で培養することによって、ポジティブセレクションした。
【0044】
尚、Aspergillus sojae 15423-1株、Aspergillus sojae 2826-1株、及びAspergillus sojae 14868-16株は、独立行政法人産業技術総合研究所 特許生物寄託センターに平成18年1月6日付で寄託され、夫々、受託番号FERM P-20757、FERM P-20755、及び、FERM P-20756が付されている。
【0045】
4.分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子破壊株の不精臭生産能測定
上記で得られた遺伝子破壊株の分生子約10,000,000個を150 ml容の三角フラスコに入った醤油麹培地(脱脂大豆2.46 g、小麦2.7 g、水3.6 ml)に接種し、30℃で30時間静置培養し培養物を得た。これに飽和食塩水20 mlを加え振とうし、室温で24 h放置後濾紙濾過した。この濾液5 mlをスクリューキャップ付試験管に移し、食塩2 g、酢酸メチル2 ml、内部標準液(n-amyl alcohol 1000 ppm /酢酸メチル) 50 mlの順に入れた。10 min振とう後、3000 rpm, 5 ℃, 10 min遠心し、上澄み液をバイアルへ入れ、ガスクロマトグラフィー(アジレント・テクノロジーズ社製6890N)による分析を行った。標準物質を用いた検量線法により、不精臭成分含量を決定した。
【0046】
表1に各遺伝子破壊株の不精臭成分含有量を示す。表中の数値は上記培養条件での不精臭成分含有量を表す。コントロール株であるN76株に比べ、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ破壊株の15423-1株では7割、2826-1株では4割イソ吉草酸濃度が減少していた。また、分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子破壊株の14868-16株では、N76株に比べ6割イソ吉草酸濃度が減少していた。
【0047】
【表1】

【0048】
次いで、得られた15423-1株、14868-16株及び宿主株を用いて醤油の小仕込試験を行った。具体的には、脱脂大豆600 gに熱水900 mlを加え、小麦600 gと種麹1 gを混合し、25℃、湿度95%で3日間製麹を行った後、飽和食塩水2 Lを加え、25℃で仕込んだ。なお、これらの試験は全てP1レベル閉鎖系で行った。6ヵ月後、諸味を圧搾し火入れを行った後、得られた醤油5 mlを用いて前述の方法で不精臭成分濃度を測定した。15423-1株又は14868-16株を用いて作製した醤油は宿主株N76株を用いて作製したものと比較してイソ吉草酸含有量が3割程度減少した。
【0049】
5.分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子破壊株又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子破壊株の表現型確認
上記の実施例で作製した遺伝子破壊株の表現型を調べた。親株N76株と分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子破壊株15423-1株及び2826-1株、分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ破壊株14868-16株の分生子を、ロイシンを単一の炭素源かつ窒素源とした寒天最小培地(0.2% L-ロイシン、0.1% リン酸二水素カリウム、0.05% 塩化カリウム、0.05% 硫酸マグネシウム7水和物、0.001% 硫酸第二鉄7水和物、1.5% 寒天、pH6.0)上で30℃、5日間培養した。N76株に比べ、15423-1株、2826-1株と14868-16株は生育に遅れが見られ、胞子形成能が悪かった。また、同様に炭素源と窒素源をバリン、イソロイシンといった他の分岐鎖アミノ酸にしても生育の遅れが見られた。
【産業上の利用可能性】
【0050】
本発明の分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない麹菌、又は、それらの酵素活性が低下した麹菌変異株を使用することによって、不精臭が低減した食品の製造が可能になる。本発明の製造法によって不精臭が低減できる食品としては、例えば、醤油、味噌、魚醤、納豆、清酒、焼酎、チーズ、漬物、とうふよう、などが挙げられる。ただし、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0051】
例えば、本明細書の実施例に記載されているようなアスペルギルス・ソーヤを宿主とした形質転換体を麹として使用することによって、イソ吉草酸量の少ない麹を得ることができ、不精臭の少ない、風味に優れた高品質の醤油が得られる不精臭が低減した醤油を製造することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0052】
【図1】ロイシンからイソ吉草酸の生成経路を示す。
【図2】遺伝子破壊様カセット構築法の概要を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が機能しない麹菌。
【請求項2】
遺伝子操作によって得られた、請求項1記載の麹菌。
【請求項3】
分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が破壊された請求項2の麹菌。
【請求項4】
Aspergillus sojae 15423-1株(FERM P-20757)、Aspergillus sojae 2826-1株(FERM P-20755)、又はAspergillus sojae 14868-16株(FERM P-20756)である、請求項1〜3のいずれか一項に記載の麹菌。
【請求項5】
菌の表現型に基く、請求項1〜3のいずれか一項に記載の麹菌のスクリーニング方法。
【請求項6】
不精臭成分であるイソ吉草酸又はイソ酪酸の生成能に基く、請求項1〜3のいずれか一項に記載の麹菌のスクリーニング方法。
【請求項7】
請求項5又は6記載のスクリーニング方法を利用して得られた、分岐鎖アミノ酸アミノトランスフェラーゼ活性又は分岐鎖α-ケト酸デヒドロゲナーゼ活性が野生型に比べて有意に低下している麹菌変異株。
【請求項8】
請求項1〜4の何れか一項記載の麹菌、又は請求項7記載の麹菌変異株を使用することを特徴とする不精臭が低減した食品の製造法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2007−228819(P2007−228819A)
【公開日】平成19年9月13日(2007.9.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−51520(P2006−51520)
【出願日】平成18年2月28日(2006.2.28)
【出願人】(000004477)キッコーマン株式会社 (212)
【Fターム(参考)】