説明

導電性を有するステンレス鋼材とその製造方法

【課題】導電性部品用材料として好適な低い接触抵抗を持つ導電性ステンレス鋼材を提供する。
【解決手段】ステンレス鋼材表面の不動態皮膜を除去した後に、表面近傍のFe、Crをイオン化傾向の違いを利用して、Niに置換析出させることで、電気めっき等の工程付加を必要とせず、且つ安定した導電性を確保した、ステンレス鋼材が得られる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、低い接触抵抗、高い生産性(優れた加工性)、および高い経済性が要求される電気部品、電子部品などの導電性部品、具体的には配線端子、コネクタなどの材料として好適なステンレス鋼材に関する。
【背景技術】
【0002】
SUS430およびSUS304に代表されるステンレス鋼は、表面に形成されている不動態皮膜により優れた耐食性を呈する。その反面、この不動態皮膜は、Crを主体とし、その他にSi、Mn等を含む酸化物や水酸化物の皮膜であるため、電気抵抗が高く導電性に劣る。
【0003】
そのため、例えば配線端子、コネクタ、電池の缶体、電池等を固定するためのバネ材、電磁リレー等の電気回路接点部材などの導電性が必要な用途、すなわち導電性部品としての用途には、不動態皮膜が接触抵抗を高めてしまうステンレス鋼材は通常使用されず、その表面に不動態皮膜が形成されないCu合金からなる材料が一般的に使用されている。
【0004】
しかしながら、Cu合金は耐食性が十分でなく、発錆によって導電性が劣化する問題もある。そこで、ステンレス鋼本来の優れた耐食性を活かしつつ導電性部品としての用途にステンレス鋼材を適用すべく、ステンレス鋼材上に例えばNiめっきを施して不動態皮膜に由来する欠点(高い接触抵抗)を解消する方法が採用されている(例えば特許文献1)。
【0005】
また、特許文献1以外にも上記の問題を解決する方法が種々提案されており、例えば、特許文献2、3には、1.0質量%以上のCuを含有する化学組成を有するステンレス鋼材を用いて、その基材にCuリッチ相を析出させ、析出したこのCuリッチ相の一部をステンレス鋼材の表面に露出させることによって、導電性を確保する方法が開示されている。また、特許文献4には表面不動態皮膜中にLiやFを含有させることが提案されている。
【特許文献1】特開昭63−145793号公報
【特許文献2】特開2001−89865号公報
【特許文献3】特開2004−10993号公報
【特許文献4】特開2008−277146号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、特許文献1に開示されるような電解でNiめっきをステンレス鋼材表面に形成する方法では、Ni電気めっき中にステンレス鋼材が酸化され、接触抵抗が増加すると同時に密着性も低下する。
【0007】
また、めっきを行う工程が別ラインで行われるのが通例で、前処理として洗浄、酸洗が再度行われるために、部品の生産に要する工程数が増加してしまう。また、電気めっきを行うための専用設備が必要であり、しかもランニングコストが高い。さらに、不可避的に廃液が発生するため、この処理費用も必要とされる。このため、部品当たりの生産コストが著しく上昇してしまう。
【0008】
特許文献2、3に開示されるステンレス鋼材では、基材内に析出したCuリッチ相がプレス成形などの加工性を著しく低下させてしまう。このことはCuリッチ相の析出量を高めることに対する制限事項となり、結果的にこのステンレス鋼材の接触抵抗の低下が制限されてしまう。また、Cuリッチ相を形成するためには高温で長時間(例えば800℃で24時間)の熱処理が必要であり、この処理は工程全体のランニングコスト低減を困難にする。しかも、この熱処理はバッチ処理で行わざるを得ないため工程全体をライン化して連続処理を行うことは不可能である。このため、ステンレス鋼材の生産性を向上させることも困難となっている。一方、Cuリッチ相をステンレス鋼材内部に析出させず導電性物質を不動態皮膜中に含有させる場合には、不動態皮膜中にCu等の導電性物質を均一に含有させることは困難である。このため、得られた導電性を有する不動態皮膜は、導電性が不十分な上に導電率のばらつきが大きくなる。しかも、このステンレス鋼材からなる導電性部品は、使用中に不動態皮膜が成長することに伴い不動態皮膜の導電性が低下してしまう。このため、導電性部品の導電性が経時的に高くなるという問題もある。
【0009】
特許文献4に開示されるステンレス鋼材は、FイオンやLiイオンを含有する溶液や非水溶媒に浸漬する必要がある。また場合によってはアノード電解が必要である。非水溶媒は引火性のものがあり取扱いが困難である、また概して高価である。電解は専用の設備が必要であり、しかもランニングコストが高い問題がある。このため部品当たりの生産コストが上昇してしまう問題点がある。
【0010】
本発明は、このような問題を解消すべく案出されたものであり、電気めっき等の高コストな工程を必要とすることなく、安定した導電性を有するステンレス鋼材を製造する手段を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明は、上記の知見に基づき完成されたもので、次のとおりである。
(1)ステンレス鋼材の表面に形成された不動態皮膜を除去して金属部分を露出させる酸洗工程と、当該酸洗工程を経たステンレス鋼材をNiイオン含有水性液状体に浸漬することにより該ステンレス鋼材の金属部分の表面上にニッケルを析出させるニッケル浸漬工程とを備える、表面抵抗率が1×10−3Ω/□以下のステンレス鋼材の製造方法であって、前記Niイオン含有水性液状体のNiイオン濃度は、前記ニッケル浸漬工程の処理温度における該Niイオン含有水性液状体のNiイオン飽和濃度の50%以上であること
を特徴とするステンレス鋼板の製造方法。
【0012】
(2)前記Niイオン含有水性液状体は、塩酸、硫酸、硝酸およびフッ酸からなる群から選ばれる一種または二種以上の酸を合計で10質量%以下含有する酸性の液状体である上記(1)記載のステンレス鋼板の製造方法。
【0013】
(3)前記ニッケル浸漬工程を経たステンレス鋼材の表面に、Niを含むめっき層を10μm以下の厚さで電気めっきにより形成するめっき工程を備える上記(1)または(2)記載のステンレス鋼材の製造方法。
【発明の効果】
【0014】
本発明によれば、優れた導電特性(低い接触抵抗)を有する導電性ステンレス鋼材を、Ni電気めっき等の高価な表面処理を必要とすることなく、よって経済性に優れた方法で製造する手段が提供される。かかる製造方法により得られた導電性ステンレス鋼材を用いてなる導電性部品は、安価でありながら接点抵抗が低い。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】市中で入手されたSUS304鋼板の表面近傍を、ESCAを用いて分析した結果を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明に係る製造方法では、ステンレス鋼材の表面においてNiを置換析出させる。このため、得られたステンレス鋼材は、その表面に存在するNiがステンレス鋼材の金属部分に直接析出している。したがって、ステンレス鋼材の表面のNiとその金属部分との間に安定的な電気的導通が確保される。一方、ステンレス鋼材の表面におけるNiが析出していない領域には不動態皮膜が形成されているため、耐食性に優れている。以下、本発明を詳しく説明する。
【0017】
1.ステンレス鋼
本発明に係るステンレス鋼材の組成は特に限定されない。オーステナイト系、フェライト系、マルテンサイト系、オーステナイト・フェライトの2相、または析出硬化系ステンレスのいずれでもよい。
【0018】
基材をなすステンレス鋼の化学組成の一例を挙げれば、例えばSUS304Lであり、具体的な組成を例示すれば、C:0.03質量%以下、Si:1.00質量%以下、Mn:2.0質量%以下、P:0.045質量%以下、S:0.030質量%以下、N:0.03質量%以下、Cr:18〜20質量%、Ni:9〜13質量%以下、ならびに残部Feおよび不純物である。ここに掲げたSUS304Lに限らずCrを10.5質量%以上含有するステンレス鋼であればよい。
【0019】
また、機械的特性や耐食性等の改善や不純物低減の目的で、Ti,Nb,W,Zr,B,Caおよび/またはRem(希土類金属)を含有させても良く、この場合は合計でも3質量%以下が望ましい。また、Niの代替としてMnを用いる場合は、10質量%以下含有しても良い。
【0020】
2.製造方法
本発明に係るステンレス鋼材の製造方法を以下に説明する。
(1)酸洗工程前
市販されるステンレス鋼材を入手してもよいし、電気炉などを使用して所定の組成を有するステンレス鋼を溶製し、これを冷却して得られるインゴットに対して鍛造、圧延などを行って所定の形状に加工してもよい。
【0021】
(2)酸洗工程
ステンレス鋼材の表面には不動態皮膜が存在する。この不動態皮膜はステンレス鋼からなる部材の耐食性をもたらす一方、導電性を低下させる。
【0022】
このため、導電性を有するステンレス鋼材を製造するにあたって、まず、この不動態皮膜を除去する。そのための典型的な工程は酸洗処理を行う工程である。
この酸洗処理に使用される物質は、典型的には硫酸、硝酸、フッ酸などの酸であるが、不動態皮膜を除去する目的を達成できる限り、塩酸、塩化第二鉄などの酸や塩などを含有していてもよい。
【0023】
酸洗工程の処理条件は、酸洗に用いる処理液の組成に応じ、適宜決定される。
酸洗工程に使用される処理液を具体的に例示すれば硝フッ酸溶液、硫酸溶液等が挙げられる。硝フッ酸の場合の具体的組成は、フッ酸1〜5%、硝酸5〜15%が例示され、この処理液を用いた場合の処理温度は、典型的には40〜60℃程度である。
なお、酸洗に先立ち、脱スケールの効率を向上させる目的で、溶融塩浸漬や、中性塩中での電解を行ってもよい。
【0024】
(3)ニッケル浸漬工程
本発明に係る製造方法は、酸洗工程後のステンレス鋼材をNiイオン含有水性液状体に浸漬するニッケル浸漬工程を備える。
【0025】
ここで、「Niイオン含有水性液状体」とは、Niイオンを含有し、水を主溶媒とする液状体をいう。溶媒は水以外に水に可溶な有機溶媒(アルコール、ケトン、エーテルなど)を含有してもよい。液状体は溶液であってもよいし懸濁液であってもよい。液状体に含有されるNiイオンのカウンターアニオンは限定されない。カウンターアニオンとして、塩化物イオン、硝酸イオン、硫酸イオン、スルファミン酸イオン、酢酸イオンが例示される。溶解度の観点からはスルファミン酸イオンが好ましい。また、コストの観点からは塩化物イオン、硫酸イオンが好ましい。更に、液状体の組成を安定させる観点から、ホウ酸イオン、アンモニウムイオンなどを含有してもよい。
【0026】
ニッケル浸漬工程では、酸洗工程により不動態皮膜が除去され金属面が露出したステンレス鋼材と、Niイオン含有水性液状体とが接触することにより、ステンレス鋼材の金属部分が露出した表面(以下、「金属面」と略記する。)から金属イオン(具体的にはFeイオンおよびCrイオンなど)が溶出するとともに、液状体に含有されるNiイオンがその金属面上に析出する(置換めっき)。このため、この金属面上にNiが析出した領域が形成される。そして、ステンレス鋼材の表面におけるNiが析出した領域以外の金属面上にはニッケル浸漬工程終了後に不動態皮膜が形成されるため、ステンレス鋼材の腐食が抑制される。
【0027】
Niイオン含有水性液状体のNiイオン濃度(以下、単に「Ni濃度」という。)は、ニッケル浸漬工程の処理温度におけるこの水性液状体のNiイオン飽和濃度(以下、単に「Ni飽和濃度」という。)の50%以上とする。Niイオン飽和濃度はNiイオン含有水性液状体の温度のほか、pH、カウンターアニオンの種類などにより変動する。
【0028】
本発明では、イオン化傾向の差異を利用して、ステンレス鋼材の表面近傍のFe、Crを溶解してNiに置換させるため、Niイオン含有水性液状体中のNi濃度が高いほうが置換の速度が速くなり、生産性を高める観点から好ましい。Ni濃度がNi飽和濃度の50%未満の場合には、Niイオン含有水性液状体中のNiイオンが析出しにくくなり、電気接点となるNiが析出した領域が形成されにくくなる。特に、ステンレス鋼はその成分としてNiを含有する場合が多いため、液状体中のNiイオンを安定的に析出させるためには、Ni濃度が高いことが好ましい。工業的に量産することを想定すると、Ni飽和濃度の60%以上であることが好ましい。
【0029】
Ni濃度の上限は特に限定されないが、過度に高濃度となるとニッケルイオン含有水性液状体の粘性が上昇し、置換速度を低下させてしまうことが懸念される。そのような場合には、Ni濃度はNi飽和濃度の90%以下とすることが好ましい。一方、Ni濃度上昇に伴う液状体の粘性上昇が懸念されない場合には、Ni濃度をNi飽和濃度としてもよい。Niイオン含有水性液状体においてNi源となる水溶性物質(以下、「水溶性ニッケル化合物」という。)をその溶解度を超えて過剰に含有させ、Niイオン含有水性液状体を未溶解の水溶性ニッケル化合物が沈殿した水溶液または分散する懸濁液とすれば、Ni濃度をNi飽和濃度に維持することが容易となる。
【0030】
Niイオン含有水性液状体の調整方法は特に限定されない。典型的には水溶性ニッケル化合物を水などの溶媒に溶解させればよい。その際、水溶性ニッケル化合物の種類は特に限定されない。フッ化ニッケル、スルファミン酸ニッケル、塩化ニッケルおよび硫酸ニッケルが例示される。
【0031】
Niイオン含有水性液状体は、塩酸、硫酸、硝酸およびフッ酸からなる群から選ばれる一種または二種以上の酸を合計で10質量%以下含有する酸性の液状体であることが好ましい。
【0032】
酸性であることにより、ステンレス鋼材の金属面から金属がエッチングされやすくなる。このため、金属面のエッチングされていない領域の上に液状体中のNiイオンが析出しやすくなる。なお、上記の酸のうち硝酸は酸化性酸であるため、これを高濃度で用いる場合には、酸洗工程により露出したステンレス鋼の金属面上にNiが析出するよりも不動態皮膜が形成されやすくなる。このため、そのような場合にはフッ酸なども併用し、不動態皮膜の形成よりもその除去が優先される環境としてNiを析出させることが好ましい。
【0033】
ニッケル浸漬工程は、酸洗工程を経たステンレス鋼材をNiイオン含有水性液状体と接触させることにより行われる。接触方法は特に限定されない。Niイオン含有水性液状体が入った浴に酸洗工程を経たステンレス鋼材を浸漬させてもよい。酸洗工程を経たステンレス鋼材にNiイオン含有水性液状体をスプレー噴霧してもよい。ニッケルイオン含有水性液状体を含浸したロールと酸洗工程を経たステンレス鋼材とを接触させてもよい。
【0034】
なお、ニッケル浸漬工程に供されるステンレス鋼材は、酸洗工程を経ていったん不動態皮膜が部分的にでも除去され、金属部分が露出されていればよい。したがって、酸洗工程終了後は、そのまま連続的にニッケル浸漬工程に供することが好ましい。酸洗工程とニッケル浸漬工程との間に水洗工程、さらに乾燥工程(自然乾燥を含む。)を経てもよいが、その場合には、新たに不動態皮膜が形成されてしまうので、Niイオン含有水性液状体に硫酸などの非酸化性酸を含有させてこの不動態皮膜を除去して金属面を露出させ、液状体に含有されるNiイオンをこの金属面上に析出させればよい。
【0035】
ニッケル浸漬工程の処理条件(温度、時間など)はNiが析出した領域が所望の程度(面積率など)で形成されるように、液状体の組成を考慮しつつ適宜設定される。一般的には、処理温度を50℃以上とすれば、ステンレス鋼材の表面近傍のFe、CrをNiに置換する速度が、工業的に必要な生産性が得られる程度まで高まるため、好ましい。処理条件が過度に緩やかな場合(処理温度が低いおよび/または処理時間が短い)には、生産性が著しく低下する。一方、処理条件を過度に厳しい場合(処理温度が高いおよび/または処理時間が長い)には、析出が飽和するため生産性が低下する、あるいは処理面の表面性状が低下する(粗面化するなど)といった問題が生じる。
【0036】
上記のニッケル浸漬工程を行った直後は、ステンレス鋼材の表面は、Niが析出した領域と露出するステンレス鋼の金属部分からCrやFeなどが溶解した領域とにより構成される。その後、水洗や乾燥(自然乾燥を含む。)が行われている間に、ステンレス鋼の金属部分が露出した領域には不動態皮膜が形成され、ステンレス鋼材の表面は、Niが析出した領域と不動態皮膜の領域とから構成されることになる。ここで、不動態皮膜の領域は、ニッケル浸漬工程においては金属がイオンとして溶出している。このため、Niが析出した領域と不動態皮膜の領域とは、前者が凸部、後者が凹部となっている。そして、Niが析出した領域がステンレスの金属部分と電気的に接続された領域(通電領域)であるから、本発明に係る製造方法により製造されたステンレス鋼材は、微視的にはこの通電領域が突出した構造を有している。したがって、かかるステンレス鋼材は相手材と接触したときに、その接触抵抗が高まりにくい。
【0037】
(4)めっき工程
ニッケル浸漬工程を経たステンレス鋼材に対して、めっき工程を行い、導電性物質を析出させてもよい。ニッケル浸漬工程によりステンレス鋼材の表面にはNiが析出した領域が存在するため、少なくともこの領域が通電領域となってNiが析出する。
【0038】
めっきは電気めっきでも無電解めっきでもよいが、経済性の観点から電気めっきが好ましい。析出させる導電性物質は特に限定されない。ニッケル浸漬工程によりNiを析出させているため、このめっき工程においてもNiを析出させることが好ましい。
【0039】
Niを電気めっきにより析出させる場合には、その厚さは10μm以下とする。10μmを超えるとめっき内の応力によりめっきが剥離しやすくなる。10μm以下の厚さでめっきを行い、Niめっき層が電気接点として使用される領域全体を覆うことが好ましい。
【0040】
Ni電気めっきを行う浴の組成は限定されない。Niイオン濃度、カウンターアニオンの種類および濃度、他に含有させる物質およびそれらの濃度、pHなどは適宜設定すればよい。
【0041】
3.ステンレス鋼材の表面状態
市中で入手が可能な、BA仕様(バッチアニール)のSUS304製ばね用ステンレス鋼帯を入手し、ESCAのワイドスキャンスペクトルから表面の定量分析を行なった。主要な元素の定量値(単位:原子%)は以下のとおりであった。
【0042】
【表1】

【0043】
なお、分析に用いた分析機器および分析条件は次のとおりである。
ESCA:アルバック・ファイ社製 Quantum 2000
X線源:mono-AlKα線
分析領域:直径約100μm
中和銃:1.0V,20μA
スパッタ条件:Ar,加速電圧:1kV,ラスター:3×3mm□
スパッタ速度:0.8nm/min(SiO換算)
表1に示されるように、市中で入手したばね用ステンレス鋼帯の表面には、Niが観察されず、CrおよびFeのみが観察された。深さ方向の分布を調査したところ、図1に示されるように、表面の5nmにはNiが存在しないことが確認された。
【0044】
一般的には、ステンレス表面はCrを主体とした不動態皮膜に覆われていると言われている。このため、最表面にはNiは存在せず、CrおよびFeはこの不動態皮膜に起因して検出されたものと考えられる。そして、ステンレス鋼製導電性部品の表面抵抗が高い原因は、不動態皮膜が優れた導電性を有していないことに起因しているものと考えられる。
【0045】
本発明では、ステンレス鋼材表面の不動態皮膜を酸洗工程により除去した後に、ニッケル浸漬工程において、イオン化傾向の違いを利用して、ステンレス鋼材の表面近傍のFe、Crを溶解しNiに置換析出させることで、最表面にNiを存在させている。このため、電気めっき等の工程付加を必要とせず、且つ安定した導電性を確保した、ステンレス鋼材を提供することが実現されている。
【0046】
良好な導電性を確保する観点から、ニッケル浸漬処理後のステンレス鋼材の表面のNiの分布として、ESCAを用いて上記の条件で分析したときに、Cr原子数に対するNi原子数の比率(本発明において「Ni/Cr原子比」という。)が0.5以上であることが好ましい。Crはステンレス鋼材の表面で不動態皮膜を形成し電気伝導の阻害要因となるため、良好な導電性を得るためには鋼材表面のNi/Cr原子比が0.5以上、つまり表面においてNiがCrよりも多く存在する状態とすることが好ましい。さらに好ましいステンレス鋼材表面のNi/Cr原子比は1.0以上である。
【0047】
ここで、一般的に、ステンレス鋼材表面のCr酸化物を主体とする不動態皮膜の厚さは数nm〜10nmと言われている。したがって、ステンレス鋼材の表面から20nmの深さまでNi/Cr原子比が0.5以上であることが、ステンレス鋼材の表面に析出するNiとステンレス鋼材の金属部分との電気的接続を安定的に実現する観点から好ましい。
【0048】
なお、本発明では、ナノメートルオーダで最表面から深さ方向の状態を定義しているが、この深さは、前述のESCA装置でArスパッタを行なう際に一般的に用いられるSiOでのスパッタ時間−深さの関係を適用したものである。
【0049】
一例として、濃度が5%のフッ化水素酸水溶液を用いて、液温60℃で酸洗工程を行うことによりステンレス鋼材表面の不動態皮膜を除去(水素発生するまで処理)し、その後、水溶性ニッケル化合物として塩化ニッケルを含有し、Ni濃度がNi飽和濃度のNiイオン含有水性液状体を用いて、液温60℃でニッケル浸漬工程を行うことにより得られたステンレス鋼材の表面の分析結果を表2に示す。
【0050】
【表2】

【0051】
このようにして得られた本発明のステンレス鋼材は、表面にNiが析出して濃化している状態で、かつ析出したNiがステンレス鋼材の金属部分と電気的に接続された状態であるため、良好な導電性を確保することができる。
【0052】
また、このようにして得られたステンレス鋼材は、表面にNiが濃化し、Feが減少している。ここで、電気自動車、ハイブリッド電気自動車に用いられる大型Liイオン電池は、プレス成型ステンレス外装缶が使用されるが、Feイオンが電池性能・安全性に悪影響を与えるため、Niめっきしたステンレス鋼板が用いられる場合が多い。本発明のステンレス鋼材は、このような用途に対しても適用可能であり、高価なNiめっきステンレス鋼板を用いることなく大型Li電池外装缶を提供することを可能にする。
【実施例】
【0053】
本発明による導電性の改善(表面抵抗の低下)の程度について、実施例を用いてさらに説明する。
実施例1
以下、本発明の優位性を示すための実施例1を示す。
【0054】
1.ステンレス鋼板の準備
(1)鋼板
市中で入手可能な冷間圧延ステンレス鋼板二種類を実施例に用いる素材として入手した。仕上げはBA(バッチ式無酸化焼鈍)である。入手した材料の板厚は約0.15mmである。表3に組成(単位:質量%、残部Feおよび不純物)を示す。
【0055】
【表3】

【0056】
(2)表面硬度の調整
上記の鋼板は、導電性部品で硬度が要求されることから調質圧延を施し、調質記号Hクラスの硬度を得た材料である。得られた硬度を以下に示す。
【0057】
【表4】

【0058】
2.表面処理
(1)不動態皮膜除去のための表面処理
不動態皮膜除去のための表面処理(酸洗工程)において、以下に示す溶液を用いた。
【0059】
(A)塩酸洗
塩酸:35%(12mol/L、キシダ化学(株)製)を純水で希釈して、所定の濃度の塩酸洗溶液を作製した。
【0060】
(B)フッ化水素酸洗
フッ化水素酸(46%、キシダ化学(株)製)を純水で希釈して、所定の濃度のフッ化水素酸溶液(フッ酸溶液)を作製した。
【0061】
(2)表面にNiを濃化させるためのNi化合物(水溶性Ni化合物)
不動態皮膜除去処理を施したあと、ステンレス鋼材の表面近傍に存在するFe、CrなどをNiに置換するために、下記の水溶性Ni化合物を用いた。
【0062】
塩化ニッケル:キシダ化学(株)製 一級塩化ニッケル 六水和物 純度96%
硫酸ニッケル:キシダ化学(株)製 一級硫酸ニッケル 六水和物 純度98.5%
フッ化ニッケル:キシダ化学(株)製 フッ化ニッケル 四水和物 純度98%
これらの化合物を純水で溶解させた水溶液を、ニッケル浸漬処理において使用するNiイオン含有水性液状体とした。この液状体におけるNi濃度(Niイオンの濃度)は、処理温度の水溶性Ni化合物の飽和溶解度またはその50%の濃度とした。
【0063】
3.表面抵抗の測定
本発明に係る材料の表面抵抗を下記の装置および方法で測定し、従来技術(特許文献1から4)に係る方法により得られた材料の表面抵抗との比較を行った。
測定装置:三菱化学(株)製 抵抗率計(低抵抗率計) ロレスターGP
測定プローブ:ASプローブ(4探針 探針間5mm 加圧力210g/本)
測定法:JIS K6911に準拠
【0064】
4.はんだ濡れ性の評価
本発明で得られる材料のはんだ濡れ性評価は以下の試験装置と評価条件で行った。
【0065】
評価装置:(株)レスカ製 SAT−5100
はんだ:千住金属工業(株)製 M705 Sn−3Ag−0.5Cu
フラックス:タムラ化研(株)製 Y−20 活性フラックス
試験方法:ウェットバランス法 JEITA ET−7404,JIS C0099に準拠
温度:300℃
浸析深さ:5mm
時間:10秒
速度:20mm/sec
濡れ性は、ウェットバランス法による試験において試片が受ける浮力とはんだの濡れ表面張力が一致するまでの時間(ゼロクロスタイム、T0)および濡れ表面張力が最大値の2/3に達する時間T1により評価を行った。
【0066】
(実施例1)本発明と従来技術の比較
従来技術との比較のため、以下の方法で従来材料の試作を行った。
(1)従来発明1(特許文献1の方法)
前述したSUS304材を母材として、脱脂後、フッ硝酸で酸洗を行い、Ni電気めっきを施した。
【0067】
<下地ストライクNiめっき>
浴組成:塩化ニッケル 240g/l
塩酸 100ml/l
めっき条件:電流密度 3−5A/dm
時間 10秒
<無光沢ワット浴Niめっき>
浴組成:塩化ニッケル 40g/l
硫酸ニッケル 240g/l
ホウ酸 40g/l
めっき条件:温度 55℃
電流密度 約5A/dm
めっき処理後、めっき厚みを測定したところ片面0.26μmであった。
【0068】
(2)従来発明2(特許文献2、3の方法)
素材は、(株)住友金属直江津製のNAR304LAを用いた。この素材の組成(単位:質量%、残部Feおよび不純物)を表5に示す。
【0069】
【表5】

【0070】
上表の組成を有する板材を800℃で24時間保持して、Cuリッチ相を析出させた。その後大気焼鈍を施し、6%硝酸+2%フッ酸の混酸を用いた酸洗を行った。
得られた材料の表面についてグロー発光分析を行い、全分析元素量に対するCu、SiおよびMnの濃度を求め、不動態皮膜または最表面層のCu/(Si+Mn)の割合を計算した結果を表5に示す。なお、このCuリッチ相が形成された材料を従来発明材料2とする。
この材料の硬度と伸びを測定したところHV310であって、伸びが13%であった。
【0071】
(3)従来発明4(特許文献4の方法)
表3に示したSUS304を200℃で10分間の大気加熱処理を施した後、5質量%のHF水溶液(フッ酸溶液)に10秒間浸漬した。その後1mol/lのLiOH溶液中において1A/dmで1分間のカソード電解処理を行い、その後前述のHF水溶液に10秒間の浸漬処理を施した。
こうして得られた材料を従来発明材料4とする。
【0072】
(4)本発明材料の試作方法
表3に示したSUS301またはSUS304を母材料として、表6に示す表面処理を施して、実施例に用いる素材を得た。なお、表8のNi化合物浸漬条件における濃度の欄に示される「飽和」とは、「Ni化合物種」として示される水溶性ニッケル化合物を含有するNiイオン含有水性液状体のNi濃度がその液状体のNi飽和濃度であることを、「飽和の50%」とは、Ni濃度がその液状体のNi飽和濃度の50%の濃度であることを意味している。
【0073】
【表6】

【0074】
従来発明と本発明例の材料の表面抵抗およびはんだ濡れ性を測定し、比較した結果を7に示す。
【0075】
【表7】

【0076】
母材(SUS301またはSUS304)は、表面にNiが存在しない。表面抵抗は4×10−3Ω/□以上と高い抵抗値である。
従来発明1は、1×10−3Ω/□未満の低い表面抵抗率が得られるが、表面にNi電気めっきするために、電解プロセスが必須であり、製造コストが高くなる。
従来発明2は、高価な電解プロセスは不要であるが、1×10−3Ω/□超の高い表面抵抗率である。
本発明1から6は、Ni電気めっきのための高価な電解プロセスは不要で、従来発明と同等の0.5×10−3Ω/□以下の低い表面抵抗率を実現することができる。
はんだ濡れ性については、従来発明2および4と比較して塗れ上がり時間が短く、本発明は濡れ性に優れる。
【0077】
(実施例2)
本発明の好適な範囲を明確にするための実施例を以下に示す。表8に示されるように、種々の処理条件により、表面から20nmのNi/Cr原子比が異なる材料を試作し、表面抵抗率により優劣を比較した。
【0078】
【表8】

【0079】
20nm深さでのNi/Cr原子比が0.5以下の場合、表面抵抗率は、1×10−3Ω/□超と高い値を示す(比較例1−3)。
20nm深さでのNi/Cr原子比が0.5以上にNiが濃化すると、表面抵抗率が1×10−3Ω/□未満の低い値となる。従来発明2より低い値が得られることがわかる。
【0080】
20nm深さでのNi/Cr原子比が1.0以上にNiが濃化すると、表面抵抗が従来発明1より低くなり、0.4×10−3Ω/□以下となる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ステンレス鋼材の表面に形成された不動態皮膜を除去して金属部分を露出させる酸洗工程と、当該酸洗工程を経たステンレス鋼材をNiイオン含有水性液状体に浸漬することにより該ステンレス鋼材の金属部分の表面上にニッケルを析出させるニッケル浸漬工程とを備える、表面抵抗率が1×10−3Ω/□以下のステンレス鋼材の製造方法であって、
前記Niイオン含有水性液状体のNiイオン濃度は、前記ニッケル浸漬工程の処理温度における該Niイオン含有水性液状体のNiイオン飽和濃度の50%以上であること
を特徴とするステンレス鋼板の製造方法。
【請求項2】
前記Niイオン含有水性液状体は、塩酸、硫酸、硝酸およびフッ酸からなる群から選ばれる一種または二種以上の酸を合計で10質量%以下含有する酸性の液状体である請求項1記載のステンレス鋼板の製造方法。
【請求項3】
前記ニッケル浸漬工程を経たステンレス鋼材の表面に、Niを含むめっき層を10μm以下の厚さで電気めっきにより形成するめっき工程を備える請求項1または2記載のステンレス鋼材の製造方法。

【図1】
image rotate


【公開番号】特開2011−102411(P2011−102411A)
【公開日】平成23年5月26日(2011.5.26)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−257176(P2009−257176)
【出願日】平成21年11月10日(2009.11.10)
【出願人】(000002118)住友金属工業株式会社 (2,544)
【Fターム(参考)】