説明

硬質皮膜被覆部材及び硬質皮膜被覆部材の製造方法

【課題】本願発明の課題は、残留圧縮応力を適切に制御して高い密着性を維持しながら、高硬度、耐摩耗性に優れた厚膜の硬質皮膜被覆部材を提供することである。
【解決手段】本願発明の硬質皮膜被覆部材において、硬質皮膜は、(Me1−aXa)α(N1−x−yCxOy)、で表され、但し、Meは周期律表4a、5a、6a族元素から選択される1種以上の元素、Xは、Al、Si、B、Sから選択される1種以上の元素、10≦a≦65、0≦x≦10、0≦y≦10、0.85≦α≦1.25であり、硬質皮膜は面心立方構造を有し、硬質皮膜のX線回折における、0.2≦(200)/(111)≦1.2、0.2≦(220)/(200)≦1.0、であり、(111)面の半価幅をW(度)としたときに、W≦0.7であり、硬質皮膜の膜厚T(μm)としたとき、5≦T≦30、であることを特徴とする硬質皮膜被覆部材である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、耐摩耗性、耐欠損性が要求される硬質皮膜被覆部材及び硬質皮膜被覆部材の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
物理的蒸着(以下、PVDと記す。)による皮膜の耐摩耗性を改善し、残留応力低減させるために、結晶配向に着目した技術が特許文献1から3に開示されている。
【特許文献1】特開平9−300106号公報
【特許文献2】特開2003−71611号公報
【特許文献3】特開2003−136303号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
本願発明の課題は、残留圧縮応力を適切に制御して高い密着性を維持しながら、高硬度、耐摩耗性に優れた厚膜の硬質皮膜被覆部材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0004】
本願発明は、物理的蒸着による硬質皮膜が被覆された部材において、該硬質皮膜は、(Me1−aXa)α(N1−x−yCxOy)、で表され、但し、Meは周期律表4a、5a、6a族元素から選択される1種以上の元素、Xは、Al、Si、B、Sから選択される1種以上の元素、a、x、yは原子%で含有量を表し、10≦a≦65、0≦x≦10、0≦y≦10、αは(Me1−aXa)と(N1−x−yCxOy)との比を表し、0.85≦α≦1.25であり、該硬質皮膜は面心立方構造を有し、該硬質皮膜のX線回折における(111)面の回折強度をIr、(200)面の回折強度をIs、(220)面の回折強度をItとしたときに、0.2≦Is/Ir≦1.2、0.2≦It/Is≦1.0、であり、(111)面の半価幅をW(度)としたときに、W≦0.7であり、該硬質皮膜の膜厚T(μm)としたとき、5≦T≦30、であることを特徴とする硬質皮膜被覆部材である。上記の構成を採用することによって、残留圧縮応力を適切に制御して高い密着性を維持しながら、高硬度、耐摩耗性に優れた厚膜の硬質皮膜被覆部材を提供することができる。
【0005】
本願発明の硬質皮膜被覆部材は、硬質皮膜が柱状結晶構造を有し、該柱状結晶は組成変調を有することが好ましい。また、硬質皮膜被覆部材の製造方法は、基体温度を550℃から800℃、反応圧力を3.5Paから11Pa、で成膜することが好ましく、更に、バイアス電圧を20Vから100V、パルス周期を5kHzから35kHz、で成膜することが好ましい。
【発明の効果】
【0006】
本願発明は、残留圧縮応力を適切に制御して高い密着性を維持しながら、高硬度、耐摩耗性に優れた厚膜の硬質皮膜被覆部材を提供することができた。特に、本願発明の硬質皮膜被覆部材は、耐摩耗性が優れるため転削加工分野、旋削加工分野の工具や摺動部材等に好適である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0007】
本願発明の硬質皮膜は、高硬度、耐熱性を有し耐摩耗性に優れ、残留圧縮応力が最適に制御された被覆部材である。更に硬質皮膜の残留圧縮応力を制御し、高い密着性を維持している。優れた耐摩耗性、耐欠損性を有する硬質皮膜を得るために、イオン半径が0.041〜0.1nmの4a、5a、6a族、イオン半径が0.002〜0.04nmと小さいAl、Si、B、Sを含有した窒化物、炭窒化物、酸炭窒化物等を被覆した。C量のx値、O量のy値を夫々、0≦x≦0.1、0≦y≦0.1の範囲にすることにより、高い密着性を維持しながら、高硬度、高耐熱性の他に潤滑特性を有する硬質皮膜が得られる。x値、y値が0.1を超えると結晶組織が微細化して粒界欠陥が増大し、耐欠損性などの機械的特性が劣化する。皮膜が面心立方構造であることにより、高硬度を有する硬質皮膜が得られる。例えば硬質皮膜は、(TiAl)N系、(CrAl)N系をベースに、Cr、Zr、W、Nb、Si、B、Sなどを含有させた系が好ましい。また、(TiSi)Nなどの高硬度、高耐熱特性を有する硬質皮膜をベースとした系でもよい。
【0008】
本願発明の硬質皮膜の高硬度化には、面心立方晶の原子最充填面である(111)面に強く配向させた硬質皮膜であることが必要である。しかし、単に(111)面に強く配向させると、密着性が劣化してしまう。そこで、硬度と密着性のバランスのとれた硬質皮膜を実現するために(111)、(200)、(220)面の回折強度の大小が大きく影響すると考えられる。本願発明の硬質皮膜のX線回折における最強面は(111)面である。(111)面に最も強く配向させることが好ましい理由は、(200)面に強く配向した硬質皮膜よりも、結晶格子内に充填される原子密度が最も高く、より高硬度化させることが実現できるからである。その結果、耐摩耗性が格段に優れるからである。(200)面への配向が強くなると、残留圧縮応力が必要以上に低下し、耐欠損性、ならびに、特に耐摩耗性が低下してしまう。従って、0.2≦Is/Ir≦1.2、0.2≦It/Is≦1に規定することにより、厚膜化されたときの硬質皮膜の残留圧縮応力を最適な範囲に制御して高密着性を維持しつつ、高硬度な硬質皮膜を得ることができる。Is/Irが0.2未満、It/Isが0.2未満になると、硬質皮膜の断面組織が微細化し、残留応力が増大する。そのため、耐摩耗性は優れるが欠損性が要求される用途においては、容易に硬質皮膜の剥離が発生する。Is/Irが1.2を超えて大きく、It/Isが1を超えて大きくなると、残留応力は低減されるが硬質皮膜の硬度が低下し、断面組織の粒界接合強度が低下し、耐摩耗性が劣化する。
また、Is/Ir値、It/Is値をより詳細に管理設定する場合には、T値に配慮することが好ましい。例えば、T値が5≦T≦15の範囲の場合と15<T≦30の範囲の場合とでは、皮膜硬度と残留圧縮応力とのバランスを変えることが好ましい。T値が15<T≦30の範囲の場合、皮膜の高硬度化に優先させて厚膜化による残留圧縮応力の低減化により配慮するのである。即ち、本願発明の規定範囲内であっても、Is/Ir値、It/Is値をより大きな値にシフトすることが好ましい。例えば、0.6≦Is/Ir≦1.2、0.6≦It/Is≦1にすることがより好ましい。一方、5≦T≦15の範囲の場合は、皮膜の高硬度化を優先させることができる。そこでIs/Ir値、It/Is値はより小さな値にシフトすることが好ましい。例えば、0.2≦Is/Ir<0.6、0.2≦It/Is<0.6にすることがより好ましい。また別に、It/Ir値に着目すると、0.6≦It/Ir≦1の範囲に制御することが好ましい。例えば、本願発明の硬質皮膜を比較的面粗度の粗い焼結肌を有する表面状態の切削工具等へ被覆する場合、硬質皮膜のIt/Ir<0.6になると残留応力が大きくなり高い密着性が得られなくなる。また、1を超えて大きくなると、耐欠損性が低下するためである。
W値はW≦0.7とすることにより、厚膜化された硬質皮膜の結晶性がより高まり、硬度や耐欠損性に影響のある機械的強度を高めることができる。また残留圧縮応力を最適な範囲に制御し、高い密着性を得ることができる。W値が0.7を超えて大きいと、皮膜組織の微細化によって高硬度化し、耐摩耗性は優れるものの、厚膜化による残留圧縮応力が増大し、密着性が低下する。T値は5μm以上とすることにより、優れた耐摩耗性を実現できる。硬質皮膜は更に厚くすると圧縮応力が高くなりすぎるので、30μm以下とする。
【0009】
本願発明の皮膜は、α値を0.85≦α≦1.25とすることにより、硬質皮膜の残留圧縮応力を最適な範囲に制御し、高密着性を得ることができる。α値が、0.85未満では、結晶格子中において、Me成分、X成分元素同士が結合する確率が増える。このとき、結晶格子歪が著しく大きくなり、結晶の格子縞の連続性が失われる現象が起こる。また皮膜断面組織が微細化し粒界欠陥が増大する。その結果、残留圧縮応力が増大し、密着性を著しく劣化させる。例えば、切削工具用皮膜では、この欠陥が皮膜密度の低下、被加工物の構成元素の皮膜内部への内向拡散を招き、硬度低下や耐欠損性を劣化させる。皮膜の結晶格子欠陥を低減するために、α値は0.85以上に大きくなるよう制御する。また、α値は、1.25以下でなければならない。α値が1.25を超えると結晶組織形態は柱状組織を有するが、粒界部に不純物が取り込まれやすくなる。その結果、結晶粒間の接合強度が劣化し、衝撃力によって容易に破壊される欠点が現れる。α値が適正に制御された皮膜の残留圧縮応力は、1.5〜5GPaである。産業的には、α値を求めて管理することが可能である。本願発明において0.85≦α≦1.25の範囲に制御された皮膜の残留圧縮応力は、1.5〜5GPaの範囲になる。厚膜でも高硬度を有する硬質皮膜は、硬質皮膜全体の残留圧縮応力値を最適な範囲に制御し、皮膜に含有する欠陥状態を制御することによって実現できる。
【0010】
本願発明の硬質皮膜は柱状結晶組織を有し、柱状結晶構造の結晶粒は組成変調を有するのが好ましい。柱状結晶組織とすることにより硬質皮膜の機械的強度、特に耐摩耗性と耐欠損性が高まる。また結晶粒が組成変調を有することにより硬質皮膜の残留応力を緩和し、5μm以上の厚膜化が実現できる。ここで組成変調とは、皮膜構成元素の組成が、膜厚方向に変化することを意味する。例えば、(TiAl)Nの場合、原子量約48のTiよりも軽い元素で原子量約27のAlや原子量約14のNが、硬質皮膜の膜厚方向に均一に分布するのではなく、周期的に増減変化して含有するのが好ましい。更に、柱状結晶構造が組成変調を有する結晶粒は、格子縞が連続して成長するため、機械的強度に優れる。組成変調は、硬質皮膜を構成するガス元素を除く中で、AlやSi、Bといったイオン半径の小さい元素が相対的に多く含まれる層と、少ない層の間に発生する組成差Z値が、原子%で、2≦Z≦10の範囲が好ましい。組成差が2原子%未満では、残留圧縮応力の制御が困難となり、高密着性が得られない。10%を超える場合、組成差が大きく皮膜に歪が多く発生して残留圧縮応力が増大してしまう。量産における品質安定を得るために、直流バイアス電圧印加により成膜後、成膜過程の途中でパルス化されたバイアス電圧を印加させても好適である。本願発明の硬質皮膜の結晶組織が柱状結晶構造であり組成変調を有する多層構造であることは、日本電子社製、JEM−2010F型の電界放出型透過電子顕微鏡(以下、TEMと記す。)を用い加速電圧20kVの条件で観察できる。
【0011】
硬質皮膜被覆部材を製造する本願発明の方法は、PVD法であり、アークイオンプレーティング(以下、AIPと記す。)法が好ましい。550〜800℃の基体温度及び3.5〜11Paの反応圧力で成膜することが好ましい。また20〜100Vのバイアス電圧、パルス周期5〜35kHzで成膜するのが好ましい。これらの条件により、厚膜化された硬質皮膜の残留圧縮応力を最適な範囲に制御して高密着性を維持しながら、高硬度、耐摩耗性に優れた硬質皮膜をえることができる。
厚膜化に伴う残留圧縮応力増大は、成膜温度制御と、バイアス電圧制御により実現できる。まず、成膜温度を550℃以上に制御することで厚膜化は実現できる。成膜温度を高くする目的は、硬質皮膜内部の欠陥を低減させ、その結果皮膜の結晶性を高め、高硬度で残留圧縮応力を低減化が可能となった。550℃を下回ると、硬質皮膜の組織は微細化し残留圧縮応力が増大し密着性が著しく劣化する。更にW値は0.7を超える。
窒化物を得る場合は、Nガスの反応圧力を3Pa〜11Paの間に制御することで、基体に到達する際のイオンの入射エネルギーが低くなり、成膜速度が低下する。成膜速度は2(μm/時間)以下の速度にして結晶成長させることが重要である。成膜速度が低くなると、結晶中に含まれる格子欠陥が減少し、粒界の少ない柱状晶が形成される。この粒界には歪が存在する。例えば、結晶構造が面心立方構造の硬質皮膜場合、粒界を減らし歪を低減させると、(111)面や(200)面へ強く配向して、結晶成長過程の歪による結晶分断を減少できる。結晶粒界の低減によって残留圧縮応力は低下し、硬質皮膜の機械的強度は高まる。つまり、高密着性を維持し、耐摩耗性、耐欠損性を高め、優れた柱状結晶を得られる。厚膜化のために結晶成長過程において結晶粒界の発生を抑制することは重要である。本願発明のα値を0.85以上、1.25以下の範囲に制御するために、反応圧力を制御することは重要である。一方、格子欠陥が増大すると、粒界発生に伴って歪が存在し、残留圧縮応力を増大させる。歪の集中により粒界間の接合強度は低く、硬質皮膜の断面組織は微細化し、粒界部分から破壊し易くなる。反応圧力が3Pa未満では基体に入射するイオン運動エネルギーが抑制できず、歪が現れ、残留圧縮応力が抑制できない。このときα値は0.85未満となり、皮膜の自己破壊が発生する。11Paを超えて高いと、プラズマ密度が低下する。このときα値は1.25を超え、イオン運動エネルギーが低下し、粒界に不純物を取り込み易く、機械的特性は劣化する。C、O含有ガスを導入して成膜を行う場合は、Nガスを合わせた全圧を3〜11Paの間に制御する。別にC、Oを含有させる方法には、ターゲットを使用することもできる。
【0012】
硬質皮膜の結晶構造の制御には、バイアス電圧の制御が有効である。バイアス電圧が60Vを以上の場合、イオン運動エネルギーが高い状態にあり、比較的軽い金属元素が基体に衝突した際に弾き飛ばされる所謂、逆スパッタリング現象が発生する。そのため、結晶格子内に歪が発生し組織が微細化して高硬度化する傾向にある。このときの結晶配向は、(111)面の回折強度が強くなる。一方、60V未満では逆スパッタリング現象は少ないことから結晶格子内の歪も比較的少ない。密着性は高まるが、硬度が低下するため、耐摩耗性、耐欠損性が低下する。このとき、(200)面の回折強度が強くなり、Is/Ir値は大きくなってしまう。0.2≦Is/Ir≦1.2、に制御するためには、バイアス電圧を60V以上、150V以下に制御する。また、It/Is値の制御には、パルス化したバイアス電圧の印加方法が有効である。
結晶粒内に帯構造を含有させるためには、パルス化させたバイアス電圧を印加させることが好ましい。直流バイアス電圧を60〜150Vに設定し、パルス幅を5〜35kHzに制御すると、硬質皮膜の組成に影響されること無く、組成変調を得ることが出来る。より好ましくは、直流バイアス電圧を60〜100V、パルス幅を10〜35kHzに制御することが好ましい。これらの製造条件で、5μm以上の厚膜化された耐欠損性、耐摩耗性に優れ、低い応力と密着性の優れた硬質皮膜が得られる。パルス化されたバイアス電圧を用いることにより、基体に入射するイオンエネルギーに高低差が発生する。例えば、0〜100Vで印加され低イオン入射エネルギー時に軟質層が、100Vで印加され高イオン入射エネルギー時に硬質層が形成され、交互積層により硬質皮膜は多層構造を有する。(TiAl)Nを例に挙げると、低イオン入射エネルギー時にイオン半径の小さいAlが相対的に多く含まれる軟質層が、高イオン入射エネルギー時Alが相対的に少ない硬質層が形成され、組成変調が実現できる。パルス化されたバイアス電圧の印によって、硬質皮膜に軟質層が含まれ圧縮応力が低下し厚膜化が実現できる。バイアス電圧値が大きいほど、また膜厚が厚いほどに残留圧縮応力は増大する。そこで、最適な残留圧縮応力値範囲は、2.0〜6.0GPaであり、好ましくは1.5〜5.0GPaである。応力値が1.5より下回ると耐摩耗性が得られず、6.0GPaより大きいと密着性が劣る。成膜方法は、パルス化したバイアス電圧が印加可能で、残留圧縮応力が付与される成膜方式が好ましい。
本願発明の硬質皮膜は、(200)面への結晶成長を抑制することが重要である。そこで、バイアス電圧をパルス化させて印加させると、(111)、(200)、(220)の各面の回折強度が変化する。例えば、直流バイアス電圧を100V印加した場合、0.05≦It/Is≦0.1であったが、直流バイアス電圧をパルス化し、パルス幅が、5〜35kHzのときに、0.2≦It/Is≦1.0となり、(200)面に出現する回折強度を低下できた。このときの残留応力値は、2〜6GPaの範囲にあった。パルス幅が5kHzより低くなると、It/Is値は1を超え、柱状結晶粒界間の密着強度が低く耐欠損性、耐摩耗性が得られない。35kHzを超えると、It/Is値は0.2未満になる。これは、イオン運動エネルギーが低減と、内部欠陥を低減できないためである。その結果、0.2≦Is/Ir≦1.2であっても、Is値が大きくなる。このときの残留圧縮応力は5GPa程度となり、柱状結晶粒界間の密着強度が低く耐摩耗性が低下する。以上の理由より、0.2≦It/Is≦1.0の範囲に規定した。
より好ましくは、被覆時にまず直流バイアス電圧を印加させて初層を形成し、次に連続してパルス化バイアス電圧を印加させるとである。成膜初期からパルス化バイアス電圧を印加すると、低い運動エネルギーを有するイオンが基体表面に到達し、硬質皮膜と基体界面に欠陥が発生しやすくなる。直流バイアス電圧による被覆初期の皮膜は、全膜厚の70%以内であるここが好ましい。70%を超えると残留圧縮応力が増大し、密着性を劣化させる。本願発明の硬質皮膜において、全膜厚の70%以内で直流バイアス電圧印加したあとパルス化バイアス電圧を60V〜150Vの範囲で印加させて成膜を行った場合でも、0.2≦Is/Ir≦1.2、0.2≦It/Is≦1.0、W≦0.7に制御される。このとき直流バイアス印加部とパルス化バイアス印加部との界面は格子縞が連続し、界面の密着強度は優れる。この界面は、硬質皮膜断面を光学顕微鏡や、TEMにより観察倍率100k倍でも識別できる。パルス幅は、パルス1周期内の正負幅の比を1にすることが好ましい。
【0013】
本願発明の硬質皮膜のα値は、日本電子製、JXA8500F型の電子プローブマイクロアナライザ(以下、EPMAと記す。)分析装置を用いて解析した。解析は、皮膜の垂直断面又は傾斜断面を準備し、基体の影響を受けない領域を対象にした。条件は、加速電圧10kV、照射電流1μA、プローブ径10μm程度に設定した。皮膜表面からの測定の場合は、プローブ径を50μm程度に設定すれば可能である。膜厚は日立製作所製、S−4200型の電解放射走査型電子顕微鏡(以下、SEMと記す。)で測定した。皮膜組成は、膜断面を17度の傾斜研磨し、EPMAを用いて、加速電圧10kV、試料電流1.0μAで分析した。硬質皮膜の(111)、(200)、(220)面のX線回折測定は、理学電気(株)製、RU−200BH型X線回折装置を用いて測定した。条件は、2θ−θ走査法により2θは10〜145度の範囲とし、X線源はλ=0.15405nmのCuKα1線を用い、バックグランドノイズは装置に内蔵されたソフトにより除去した。本発明例1、17〜55、比較例100〜112、従来例114〜117は、2θのピーク位置が、JCPDSファイル番号38−1420のTiNのX線回折パターンと略一致したので、(111)、(200)、(220)の回折強度を測定した。
【0014】
本願発明の硬質皮膜における残留圧縮応力の測定法は、曲率測定法を採用した。曲率測定法を説明する。ヤング率とポアッソン比が既知の基体を所定の形状に加工した試験片を用いた。表面に被覆すると皮膜の残留圧縮応力により試験片が変形する。その変形量を求め、化1を用いて圧縮応力σ(GPa)を算出した。
【0015】
【化1】

【0016】
ここで、Esは基体のヤング率(GPa)、Dは基体の厚み(mm)、δは被覆前後の基体変形量(μm)、lは被覆によって変形した基体の長さ方向端面から、最大変形部までの長さ(mm)、νsは基体のポアッソン比、dは皮膜の膜厚(μm)である。基体は0.6μm粒径のWCに13%Coと微量のTaCを添加した超硬合金を使用し、形状は、8mm×25mmの短冊型、厚さは0.5〜1.5mmを使用した。また、被覆面は鏡面研磨を施し平行度±0.1mmにした後、600〜1000℃の真空中で熱処理を行い、歪を除去した。δ値、l値、d値を求め、化1より残留圧縮応力の値を算出した。上記の曲率測定法は、組成の影響を受けずに多層膜の残留圧縮応力を直接測定することができる。本願発明の硬質皮膜は面心立方構造と面心立方構造以外の構造を有する結晶を含有してもよい。例えば、六方晶が混在することにより、優れた潤滑特性や耐摩耗性を付与できる。また本願発明の硬質皮膜は六方晶構造からなる最外層を有すことにより潤滑特性が得られる。本願発明を以下の実施例によりさらに詳細に説明するが、本願発明はこれらに限定されるものではない。
【実施例】
【0017】
(実施例1)
AIP装置を用いて、旋削用の超硬合金製インサート基体の表面及び、圧縮応力用試験片の表面に硬質皮膜を被覆した。インサートの形状は、CNMG120408、チップブレーカ付き、すくい角5度の形状を使用した。皮膜材料である蒸発源は、各種合金製ターゲットを選択して用いた。反応ガスは、N、O、アセチレンなどの炭化水素系のガスを単独又は混合して導入した。本発明例1は、(TiAl)N膜を10μm成膜した。その時の成膜条件は、成膜温度を600℃、反応圧力を5Pa、バイアス電圧を直流100Vで1μm成膜した後、バイアス電圧をパルス化した。パルス幅は10kHzに設定した。本発明例1を標準として、本発明例2から55を被覆処理した。そのときの成膜条件を表1、2に、皮膜の膜厚、組成、X線回折強度比、残留応力の測定結果を表3、4に示す。
【0018】
【表1】

【0019】
【表2】

【0020】
【表3】

【0021】
【表4】

【0022】
次に、被覆した旋削用インサートを用い、次の旋削加工条件で耐摩耗性、耐欠損性、密着性の優劣を確認した。評価方法は、加工時間が5分経過時に、被覆インサートの切刃逃げ面、すくい面に発生する摩耗を、光学顕微鏡で観察した。観察は50倍に拡大して観察した。その後更に切削を継続し、10μm以上の微小チッピングを含む欠損が発生した時点を工具寿命とし、その時点までの切削時間を評価した。評価結果を表3、4に併記した。
(切削条件)
切削方法 :長手方向連続切削
被削材形状:直径160mm×長さ600mmの丸棒
被削材 :S53C、HB260、調質材
切込み量 :2.0mm
切削速度 :220m/分
送り量 :0.4mm/回転
切削油 :なし
【0023】
表3、4の加工評価結果について、T値の影響を検討した。本発明例1〜16、比較例68〜75を比較すると、T値が厚くなる程残留圧縮応力は増大した。本発明例2はT値が5.6μm、残留圧縮応力値は2.8GPa、工具寿命は19.2分であった。切削時間5分時の刃先の摩耗状態を確認した結果、0.092mmと小さかった。一方、比較例68,70、72、74はT値が5μm未満の場合であり、低い残留圧縮応力を有していても、工具寿命は短く劣った。これは、本発明例に対し、アブレッシブ摩耗が劣ったためである。本発明例1〜16のT値を有する硬質皮膜は、耐摩耗性に優れた。比較例69、71、73、75はT値が40μmであり、高い残留圧縮応力であった。しかも、全ての試料において、本発明例1に対して、工具寿命が劣った。これらの試料は、切削前から、刃先エッジ部で、膜の破壊が確認された。また、切削途中の刃先の損傷状態を確認した所、インサートエッジ部で膜破壊が10μm以上の幅で発生し、この破壊部分から欠損に至った。この理由は、厚膜化により残留圧縮応力が増大したためである。更に、本発明の成膜条件を適用した本発明例1〜16は、従来例89〜93よりも、工具寿命は格段に優れた。
次に、硬質皮膜の組成の影響を検討した。これによって皮膜硬度、耐熱性の影響を考察することができる。本発明例1、17〜29は、4a、5a、6a族元素であるMe成分、Al、Si、B、SのX成分から選択された元素の窒化物の硬質皮膜であることから、耐熱性、硬度を高めた硬質皮膜を有する。本発明例1、17〜29の工具寿命には、比較例65〜67、従来例89〜93に比較して1.7倍以上優れていた。更に本発明の成膜条件の適用によって残留圧縮応力の低減、機械的特性、特に高硬度化でき、工具寿命が優れた。本発明例18の皮膜組織を評価した結果、面心立方構造と六方最密構造の結晶が混在していた。本発明例18のビッカース硬度は26GPa程度であり比較的軟質であったが、切削途中の刃先の損傷状態を確認した所、被加工物の溶着が少なかった。これは、六方最密構造の結晶が混在したことにより潤滑特性が高まり、工具寿命が優れた。本発明例21は、切削途中の刃先の状態を確認した所、刃先エッジ部のチッピングは確認されず、逃げ面摩耗が、0.064mmと少なかった。被加工物の溶着も殆ど無く、正常摩耗によって工具寿命に至った。溶着が発生しなかった理由は、硬質皮膜がSを含有し、潤滑特性が優れたためである。同様な傾向は、Bを含有した本発明例24でも確認された。本発明例30〜38は、硬質皮膜にOやCを含有し、潤滑特性が向上した。CやOを含有する場合は、含有量を10%以下にすることで、優れた耐溶着性と摺動性を実現できる。本発明例30〜38の皮膜断面組織を観察した結果、柱状晶組織を有していた。このため、機械的強度に優れ、工具寿命が優れていた。切削評価途中の刃先の観察では、逃げ面摩耗、すくい面摩耗が少なかった。本発明例1のすくい面摩耗幅が0.123mm、本発明例30、34、36は夫々、0.084、0.094、0.090mmであり、本発明例1より優れていた。すくい面摩耗は、切削温度上昇に伴う化学反応によって発生するが、皮膜にOやCを含有することによって摩擦係数が低減し、その結果、すくい面を切屑が擦過する際の切削温度が抑制され、摩耗が低減した。OやCを含有した本発明例36を用いてボールオンディスク方式の摩擦係数測定を行った。その結果、本発明例1の摩擦係数は0.85、本発明例36は0.4程度であった。この時の評価条件は、測定温度650℃、大気中、無潤滑において、コーティングした超硬合金製ディスクにSUS304のφ6mmボールを摺動させた。
【0024】
本発明例44〜55のX線回折における回折強度比It/Isの値は、0.2〜1.0となった、(200)面への配向強度が高くなると残留圧縮応力は低くなる傾向にあった。本発明例44〜55は、成膜時に印加させるバイアス電圧をパルス化させて成膜を行った。その結果It/Is値は0.2〜1.0の範囲となり、残留圧縮応力は、2.5〜5.6GPaとなった。工具寿命が優れた本発明例53の残留圧縮応力は5.9GPaであり、切削途中の刃先の損傷状態を確認した所、切刃近傍の皮膜脱落、剥離、チッピング等は観察されず、正常摩耗であった。パルス化されたバイアス電圧印加して成膜を行った、本発明例は、従来例よる工具寿命が2倍以上と優れた。バイアス電圧のパルス幅を変化させると、Is/Ir値も変化した。パルス幅と残留圧縮応力の関係は相関性があり、パルス幅が大きくなると、残留圧縮応力は大きくなる傾向にあった。一方、従来例91のT値は11.8μmであるが、It/Is値は0.8、残留圧縮応力は6.8GPa、工具寿命は9.6分となった。残留圧縮応力が高いため、切削途中で硬質皮膜の剥離や破壊が主体的に進行していた。刃先確認を行った所、アブレッシブ摩耗が進行していた。これは(200)へ配向強度が高まり皮膜硬度が低下したためである。
X線回折における(111)面の半価幅W値は、0.7度を超えて大きくなると、工具寿命が劣った。比較例84はW値が0.7を超えて残留圧縮応力が増大した。これが硬質皮膜の密着性に大きく影響を及ぼし、劣化させた。
【0025】
成膜条件のNガスの反応圧力を変化させたときのα値、残留圧縮応力への影響を検討した。低い反応圧力ほどα値は低く、残留圧縮応力が増大する傾向にあった。反応圧力が3.4〜11Paの本発明例1、39〜43は、何れも18分以上の工具寿命であり優れた。特に本発明例42はα値が1.18であり、皮膜のチッピングなどの不安定要素は発生しなかった。最も低圧力の1.6Paで成膜を行った比較例82はα値が1.04、残留圧縮応力が9.5GPa、工具寿命は5.2分であった。この原因は、高い残留圧縮応力による。比較例82の切削途中の刃先損傷状態観察において、エッジ部の皮膜破壊が確認され、また再現性確認の結果、工具寿命は4.1〜5.2分とばらつき、安定しなかった。
高反応圧力の12Paで成膜を行った比較例83は残留圧縮応力が1.7GPaと比較的低い数値を示したが、工具寿命は9.6分であった。この途中刃先の損傷状態を観察した結果、刃先エッジ部における基体と硬質皮膜界面からの膜剥離と逃げ面の大きな摩耗、すくい面摩耗が大きく発生し皮膜硬度も低下していた。
次に、パルス化したバイアス電圧を60〜120V印加、パルス幅を10〜35kHzに変化させて検討を行った。本発明の成膜条件を適用した結果、本発明例56〜61は工具寿命が優れた。また、切削途中の刃先損傷状態を観察した結果、刃先エッジ部において、皮膜破壊は観察されず、正常摩耗が進行した。工具寿命が優れた本発明例59の膜断面を観察した所、柱状結晶構造を有していた。その結晶粒は図1のように白色と黒色との多帯構造を有しており、その周期は1〜10nmであった。この白色に見えるのは、Al含有量の少ない、比較的硬質で、一方黒色はAlの多い、比較的軟質である。
各層間における組成を、日本電子製JEM−2010F型の電界放出型透過電子顕微鏡(以下、TEMと記す。)に付設されたエネルギー分散型X線分光装置(以下、EDSと記す。)を用いて分析した。測定条件は加速電圧20kVに設定した。その結果、イオン半径の小さいAlの含有量が変調していることが確認された。これが、硬質皮膜の低残留圧縮応力化をもたらした。また多層構造における層間の格子縞は連続していた。そのため、耐摩耗性と耐欠損性に優れた。
バイアス電圧のパルス幅を10〜35kHzに変化させ、X線回折における(111)、(200)、(220)面の回折強度比へ及ぼす影響を検討した。10〜35kHz範囲にパルス幅を設定した本発明例44〜55の工具寿命が優れた。本発明例44〜47、比較例80、81は、パルス幅を10kHzに一定とし、バイアス電圧値のみを変化させた。本発明例48〜55は、バイアス電圧100V一定とし、パルス幅のみを変化させた。従来例89〜93は、バイアス電圧を直流のみで印加した。バイアス電圧のみ変化させた場合、Is/Ir値が変化し、それに伴い残留圧縮応力が変化した。残留圧縮応力が大きくなると、工具寿命が劣る結果となった。また、パルス幅を変化させた場合でも、残留圧縮応力に変化が確認された。切削試験の結果、バイアス電圧の高低だけでなく、パルス幅も残留圧縮応力を変化させ工具寿命に大きく影響を及ぼした。比較例80は残留圧縮応力が1.4GPaと低くても(200)面に強く配向し、皮膜硬度が低く、摩耗の進行が早かった。従来例92は、100Vの直流バイアス電圧で成膜を行ったが、膜厚が3μmと薄く、切削初期から摩耗が大きくなった。従来例93は、従来例92と同じ成膜条件を用いて硬質皮膜の膜厚だけを変化させた。膜厚は、被覆時間を調整するのみで行った。残留圧縮応力が、本発明例44〜55に比較して高く、(111)面の回折強度が高くなる成膜条件を選定しても、切削初期から剥離やチッピングを併発し、工具寿命が劣った。
【0026】
更に、異なる組成系の硬質皮膜を多層構造にさせたときの残留圧縮応力と工具寿命への影響を調査した。その結果を表11に示す。本発明例62〜64は、夫々工具寿命が、25分、25.4分、25.2分となり、本発明例1に比較して優れていた。本願発明の成膜条件範囲を適用することにより、100〜120Vのバイアス電圧を印加させて成膜を行っても、硬質皮膜の欠陥が少なく、残留圧縮応力が6GPaより下回った。切削途中の刃先の状態を確認した結果、皮膜剥離やチッピング等の破壊がなかった。本発明例62〜64に示す多層構造を有する硬質皮膜全体の残留圧縮応力が測定可能となるため、高い密着性、耐摩耗性、耐欠損性を有する硬質皮膜を実現できた。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】図1は、本発明例59の硬質皮膜断面における結晶粒を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
物理的蒸着による硬質皮膜が被覆された部材において、該硬質皮膜は、(Me1−aXa)α(N1−x−yCxOy)、で表され、但し、Meは周期律表4a、5a、6a族元素から選択される1種以上の元素、Xは、Al、Si、B、Sから選択される1種以上の元素、a、x、yは原子%で含有量を表し、10≦a≦65、0≦x≦10、0≦y≦10、αは(Me1−aXa)と(N1−x−yCxOy)との比を表し、0.85≦α≦1.25であり、該硬質皮膜は面心立方構造を有し、該硬質皮膜のX線回折における(111)面の回折強度をIr、(200)面の回折強度をIs、(220)面の回折強度をItとしたときに、0.2≦Is/Ir≦1.2、0.2≦It/Is≦1.0、であり、(111)面の半価幅をW(度)としたときに、W≦0.7であり、該硬質皮膜の膜厚T(μm)としたとき、5≦T≦30、であることを特徴とする硬質皮膜被覆部材。
【請求項2】
請求項1記載の硬質皮膜被覆部材において、該硬質皮膜が柱状結晶構造を有し、該柱状結晶は組成変調を有することを特徴とする硬質皮膜被覆部材。
【請求項3】
請求項1記載の硬質皮膜被覆部材において、該硬質皮膜被覆部材の製造方法は、基体温度を550℃から800℃、反応圧力を3.5Paから11Pa、で成膜することを特徴とする硬質皮膜被覆部材の製造方法。
【請求項4】
請求項3記載の硬質皮膜被覆部材の製造方法において、バイアス電圧を20Vから100V、パルス周期を5kHzから35kHz、で成膜することを特徴とする硬質皮膜被覆部材の製造方法。

【図1】
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【公開番号】特開2009−167498(P2009−167498A)
【公開日】平成21年7月30日(2009.7.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−9577(P2008−9577)
【出願日】平成20年1月18日(2008.1.18)
【出願人】(000233066)日立ツール株式会社 (299)
【Fターム(参考)】