説明

表面被覆切削工具

【課題】耐摩耗性と耐欠損性との両者に優れた表面被覆切削工具を提供する。
【解決手段】本発明の表面被覆切削工具は、基材と被覆層とを含み、該被覆層は1層または複数の層により構成され、特定の平面で切断した断面において、該被覆層のうち、刃先稜線部において最も薄くなる部分の厚みをT1、刃先稜線からすくい面方向に1mm離れた地点における厚みをT2とする場合、T1<T2を満たし、かつ、該被覆層表面において、刃先稜線からすくい面方向に距離Da離れた地点をaとし、逃げ面方向に距離Db離れた地点をbとする場合、該Daおよび該Dbは特定の数値範囲を満たすものであって、地点aから地点bまでの該被覆層における、表面から厚み0.1T1〜0.9T1を占める領域Eの10%以上の領域において、該被覆層を構成する結晶粒の結晶方位のずれが5度以上10度未満となることを特徴とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、基材と該基材表面に形成された被覆層とを含む表面被覆切削工具に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、一般の鋼や鋳物の切削加工には、WC−Co合金もしくはWC−Co合金にTiおよび/またはTa、Nb等の炭窒化物を添加した合金からなる超硬合金製の切削工具が用いられてきた。しかし、その切削加工の際に、切削工具の刃先は800℃以上の高温となるので、これらの超硬合金よりなる切削工具は、その切削加工時の熱により塑性変形しやすかった。そして、その結果、逃げ面摩耗の進行が増大しやすくなっていた。
【0003】
そこで、高温での切削工具の切削特性を改善するために、上記超硬合金を母材(基材)とし、その表面に、周期律表のIVa族金属の炭化物、窒化物、または炭窒化物(TiC、TiN、またはTiCNなど)、あるいはAl23等といった硬質セラミックスの単一層、またはこれらの硬質セラミックスの複合層からなる被覆層を形成した表面被覆切削工具が使用されている。これらの被覆層の形成には、CVD(Chemical Vapor Deposition)法などの化学的蒸着法、またはイオンプレーティング法やイオンスパッタリング法などの物理的蒸着法が用いられる。
【0004】
これらの方法で形成された被覆層のうち、特に化学的蒸着法により形成した被覆層は、超硬合金の母材との密着強度が非常に高く、耐摩耗性が非常に優れている。近年、切削の高速化および高能率化の要望から被覆層はますます厚くなる傾向にあるため、超硬合金母材と被覆層との密着強度は重要である。
【0005】
しかし一方で、化学的蒸着法で被覆層を形成する際には、被覆層の温度が約1000℃近くの高温となるため、被覆層形成後に室温まで冷却すると、超硬合金母材と被覆層との熱膨張係数の差により被覆層に引張応力が残留する。その結果、切削加工時に被覆層の表面を起点として亀裂が発生すると、引張応力によりその亀裂が伝播し、被覆層の脱落やチッピングが発生する。具体的には、超硬合金母材の熱膨張係数は約5.1×10-6-1程度であるのに対し、被覆層の熱膨張係数は、たとえばTiNの場合約9.2×10-6-1であり、TiCの場合約7.6×10-6-1であり、Al23の場合約8.5×10-6-1である。
【0006】
現在一般に使用されている表面被覆切削工具の被覆層の厚みは、約数μmから約十数μmの範囲であるのは、被覆層の厚みを厚くするほど耐摩耗性が向上するものの、上記の理由から厚い被覆層ほど工具が異常損傷を引き起こす可能性が高まり、耐欠損性が低下することに起因する。
【0007】
そこで、このような被覆層の特性を改善するための様々な技術が提案されている。たとえば特開平07−216549号公報(特許文献1)には、アルミナ層成膜後の冷却時に発生するクラックを無くすことで、切削工具の切削寿命を向上させる技術が記載されている。
【0008】
また、特開平05−057507号公報(特許文献2)には、硬質材料からなる工具母材の表面に、化学気相成長法によって最外層としてTiN、TiCNのいずれかの膜を、最外層に隣接する内層としてAl23膜を形成した後、工具刃先部のみを研磨処理し、Al23膜を露出することで切屑の耐溶着性と切削加工時の耐衝撃性を向上することができるとされ、工具の長寿命化を図る技術として提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特開平07−216549号公報
【特許文献2】特開平05−057507号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
しかしながら、特許文献1に開示された工具であっても、被覆層中には依然として引張応力が残留しているため、高速加工および高能率加工で断続的に切削を行なう場合には、依然として耐欠損性に劣るという問題があった。また、切削工具の刃先稜線部における被覆層は、薄膜化や応力付与が施されておらず、切削時の断続負荷が刃先に作用した際に亀裂が被覆層同士の界面または被覆層と基材との界面に発生し欠損するという問題があった。
【0011】
また、特許文献2に開示された工具は刃先部の表面粗さに主眼をおいており、被覆層同士の界面および被覆層と基材との界面において切削時の断続負荷が集中する場合には亀裂が当該界面に発生するという問題があった。
【0012】
上記のような問題に起因して、被覆層の脱落やチッピングによって摩耗が不均一に進行し、耐摩耗性が低下するという問題があった。これらの問題は、表面被覆切削工具全般にわたる問題であるが、とりわけフライス加工や溝付き材の旋削加工などの切削加工に用いられる表面被覆切削工具において特に顕著となる問題であった。上記の用途に用いられる表面被覆切削工具では、断続的な荷重が負荷されることによって刃先の欠損が極めて起こりやすかった。したがって、本発明は、耐摩耗性と耐欠損性との両者に優れた表面被覆切削工具を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本発明の表面被覆切削工具は、基材と、該基材表面に形成された被覆層とを含み、該被覆層は、1層または複数の層により構成され、すくい面の中心における被覆層表面の法線と2つの逃げ面が交差する稜とを含む平面で表面被覆切削工具を切断した断面において、該被覆層のうち、刃先稜線部において最も薄くなる部分の厚みをT1、刃先稜線からすくい面方向に1mm離れた地点における厚みをT2とする場合、T1<T2を満たし、かつ、該被覆層表面において、刃先稜線からすくい面方向に距離Da離れた地点をaとし、逃げ面方向に距離Db離れた地点をbとする場合、該Daは0.05mm≦Da≦0.5mmを満たし、該Dbは0.01mm≦Db≦0.2mmを満たすものであって、地点aから地点bまでの該被覆層における、表面から厚み0.1T1〜0.9T1を占める領域Eの10%以上の領域において、該被覆層を構成する結晶粒の結晶方位のずれが5度以上10度未満となることを特徴とする。
【0014】
ここで、上記Daは、0.05mm≦Da≦0.25mmを満たすことが好ましく、上記領域Eの厚みは、0.5T1〜0.9T1であることが好ましい。
【0015】
また、上記被覆層は、複数の層により構成され、上記刃先稜線部における被覆層の構成と上記刃先稜線部以外の領域における被覆層の構成とが異なることが好ましい。また、上記被覆層は、周期律表のIVa族元素(Ti、Zr、Hf等)、Va族元素(V、Nb、Ta等)、VIa族元素(Cr、Mo、W等)、アルミニウム、およびシリコンからなる群より選ばれる少なくとも一種の元素と、炭素、窒素、酸素、および硼素からなる群より選ばれる少なくとも一種の元素とからなる化合物により構成されることが好ましい。また、上記T2は、3μm以上30μm以下であることが好ましい。
【発明の効果】
【0016】
本発明の表面被覆切削工具は、上記の通りの構成を有することにより、優れた耐摩耗性と優れた耐欠損性とを有している。
【図面の簡単な説明】
【0017】
【図1】すくい面の中心における被覆層表面の法線と2つの逃げ面が交差する稜とを含む平面で切断した場合の本発明の表面被覆切削工具の刃先稜線部周辺の模式的断面図である。
【図2】本発明の表面被覆切削工具の刃先稜線部周辺の顕微鏡写真である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
以下、本発明についてさらに詳細に説明する。
<表面被覆切削工具>
本発明の表面被覆切削工具は、基材と、該基材表面に形成された被覆層とを含む。このような構成を有する本発明の表面被覆切削工具は、たとえばドリル加工用、エンドミル加工用、フライス加工用、旋削加工用、クランクシャフトのピンミーリング加工用等の刃先交換型切削チップとして有用に用いることができるが、これらの用途および形状に限定されるものではない。本発明の表面被覆切削工具は、フライス加工や溝付き材の旋削加工など、断続的な荷重が負荷される切削加工用途において特に適している。
【0019】
<基材>
本発明の表面被覆切削工具の基材としては、このような切削工具の基材として知られる従来公知のものを特に限定なく使用することができる。たとえば、超硬合金(たとえばWC基超硬合金、WCの他、Coを含み、あるいはさらにTi、Ta、Nb等の炭窒化物等を添加したものも含む)、サーメット(TiC、TiN、TiCN等を主成分とするもの)、高速度鋼、セラミックス(炭化チタン、炭化硅素、窒化硅素、窒化アルミニウム、酸化アルミニウム、およびこれらの混合体など)、立方晶型窒化硼素焼結体、ダイヤモンド焼結体等をこのような基材の例として挙げることができる。
【0020】
そして本発明においては、上記のような基材の中でも、特に硬質化合物よりなる複数の硬質相(通常マトリックスとなる)と、該硬質相同士を結合する結合相とを含む構造を有したものが好ましく、特に硬質化合物である金属炭化物の粉末等を焼結して製造される超硬合金が好ましい。ここで、このような硬質化合物としては、たとえば周期律表のIVa族元素、Va族元素、およびVIa族元素のいずれかに属する少なくとも一種の元素の炭化物、窒化物、および炭窒化物からなる群より選ばれる少なくとも一種の化合物と、炭化タングステンと、からなることが好ましい。またあるいは、上記硬質化合物は、炭化タングステンのみであることが好ましい。なお、周期律表のIVa族元素、Va族元素、およびVIa族元素のいずれかに属する少なくとも一種の元素の炭化物、窒化物、および炭窒化物からなる群より選ばれる少なくとも一種の化合物の具体例としては、TiC、TiN、TaC、NbC、ZrCN、Cr32、ZrC、ZrN、TiCN等を挙げることができる。当該化合物と炭化タングステンとの配合比率、および当該化合物を複数配合する場合の各配合比率は特に限定されず、従来公知の配合比率を採用することができる。またなお、上記硬質相は上記の硬質化合物の代わりに、サーメット等により構成されるものであってもよい。
【0021】
上記のような硬質化合物で構成される硬質相は、硬質であり、耐摩耗性に優れている。また、高温時の硬度低下も小さい。このため、本発明の表面被覆切削工具の基材の素材として適している。
【0022】
一方、上記結合相は、上記硬質相同士を結合する作用を有するものであり、たとえば鉄系金属、すなわち鉄、コバルト、およびニッケルからなる群より選ばれる少なくとも一種の元素により構成されることが好ましい。このような元素による結合相は、上記の硬質相、特に金属炭化物よりなる硬質相同士の結合を強化する性質を有しているので好適である。なお、硬質相がサーメットよりなっている場合、結合相はコバルト、ニッケル、またはコバルトとニッケルとの合金であることが特に好ましい。
【0023】
本発明において、基材として超硬合金を使用する場合、そのような超硬合金は、組織中に遊離炭素やη相と呼ばれる異常相を含んでいても本発明の効果は示される。なお、本発明で用いる基材は、その表面が改質されたものであっても差し支えない。たとえば、超硬合金の場合はその表面に脱β層が形成されていたり、サーメットの場合には表面硬化層が形成されていても良く、このように表面が改質されていても本発明の効果は示される。
【0024】
<被覆層>
本発明の被覆層は、1層または複数の層により構成される。すなわち、該被覆層は、単一層であってもよいし、複数の層からなる複合層であってもよい。このような被覆層を基材表面に形成することにより、耐摩耗性が向上する。
【0025】
本発明の被覆層は、基材上の全面を被覆する態様を含むとともに、部分的に被覆層が形成されていない態様をも含み、さらにまた表面被覆切削工具の特定の部分において被覆層の一部の積層態様が異なっているような態様をも含む。特に、このような被覆層は、複数の層により構成される場合、後述の刃先稜線部における被覆層の構成と刃先稜線部以外の領域における被覆層の構成とが異なることが好ましい。これにより、膜(被覆層)界面の数を減少させ、耐チッピング性が向上するという効果が得られる。
【0026】
本発明の被覆層としては、従来公知の組成の被覆層を特に限定なく採用することができ、たとえば硬質セラミックス、特に周期律表のIVa族元素、Va族元素、VIa族元素、アルミニウム、およびシリコンからなる群より選ばれる少なくとも一種の元素と、炭素、窒素、酸素、および硼素からなる群より選ばれる少なくとも一種の元素とからなる化合物により構成されることが好ましい。これにより、耐摩耗性をより一層向上させることができる。
【0027】
このような化合物としては、より具体的には、周期律表のIVa族元素、Va族元素、VIa族元素、アルミニウム、およびシリコンからなる群より選ばれる少なくとも一種の元素の炭化物、窒化物、炭窒化物、酸化物、炭酸化物、炭酸窒化物、硼窒化物、および硼炭窒化物よりなる群から選ばれる少なくとも一種の化合物が挙げられ、さらに具体的には、TiC、TiCN、TiN、TiSiN、TiSiCN、TiCNO、TiHfN、TiNbN、TiTaN、TiAlN、TiAlCrN、TiAlSiN、TiAlSiCrN、TiBN、TiAlBN、TiSiBN、TiBCN、TiAlBCN、TiSiBCN、CrN、AlN、AlCrN、Al23、ZrN、ZrCN、ZrO2、VN、TiO2等を挙げることができる。
【0028】
なお、このような被覆層は、後述のT2で表わされる厚みが3μm以上30μm以下であること(被覆層が複数の層で構成される場合は全体の厚みを示す)が好ましく、より好ましくは7μm以上23μm以下である。上記厚みを3μm以上とすることにより、被覆層の耐摩耗性向上の効果を得ることができ、被覆層の厚みが厚くなるほど耐摩耗性は向上する。一方、被覆層の厚みを30μm以下とすることにより、被覆層の耐欠損性を確保することができる。なお、T2はすくい面側の厚みであるが、刃先稜線部を除く逃げ面側の厚みもこれと同じ程度の厚みとすることが好ましい。
【0029】
<刃先稜線部における特徴>
本発明は、すくい面の中心における被覆層表面の法線と2つの逃げ面が交差する稜とを含む平面で本発明の表面被覆切削工具を切断した断面において、該被覆層のうち、刃先稜線部において最も薄くなる部分の厚みをT1、刃先稜線からすくい面方向に1mm離れた地点における厚みをT2とする場合、T1<T2を満たし、かつ、該被覆層表面において、刃先稜線からすくい面方向に距離Da離れた地点をaとし、逃げ面方向に距離Db離れた地点をbとする場合、該Daは0.05mm≦Da≦0.5mmを満たし、該Dbは0.01mm≦Db≦0.2mmを満たすものであって、地点aから地点bまでの該被覆層における、表面から厚み0.1T1〜0.9T1を占める領域Eの10%以上の領域において、該被覆層を構成する結晶粒の結晶方位のずれが5度以上10度未満となることを特徴とする(図1参照)。これにより、本発明の表面被覆切削工具は、チッピングの起点となる刃先稜線部の膜厚が薄膜化され、かつ被覆層の上部が歪みを生じているため、刃先強度を増強させることができる。その結果、被覆層によって耐摩耗性を向上しつつ、被覆層の脱落やチッピングを防ぐことができ、優れた耐摩耗性と優れた耐欠損性とを得ることができる。
【0030】
ここで、本発明における「刃先稜線」と「刃先稜線部」とは異なった概念を示す。「刃先稜線」は、本発明の表面被覆切削工具10(基材1表面に被覆層2が形成されている)の上記断面において、すくい面3と逃げ面4とが交差する稜を示すものであるが、このような稜はホーニング処理により加工されているため現実には存在せず、したがって本発明においては、図1に示したようにかかる断面においてすくい面3と逃げ面4とをそれぞれ直線で近似し、その直線を延長した場合に両延長線が交差する交点を刃先稜線5とする。これに対し、「刃先稜線部」とは、切削加工時において被削材の切削に最も関与する部位のひとつであり、上記刃先稜線5の周辺部を示すものであるが、本発明においては、上記断面においてすくい面3と逃げ面4とをそれぞれ直線で近似した場合に、ホーニング処理により当該直線が屈曲する点を結んだ領域(すなわち被覆層2表面におけるすくい面3の屈曲点から逃げ面4の屈曲点までの領域)を刃先稜線部(本発明では単に「刃先」と呼ぶこともある)とする。なお、上記地点aおよび地点bを、それぞれすくい面3の屈曲点および逃げ面4の屈曲点と一致させることが好ましいが、これらが一致しない場合であっても本発明の範囲を逸脱するものではない。
【0031】
一方、上記で規定される平面に関し、「すくい面の中心」とはすくい面の幾何学的な意味での中心を意味し、すくい面の中央部に当該表面被覆切削工具を取り付けるための貫通孔が開けられている場合は、その貫通孔が開けられていないと仮定した場合のすくい面の幾何学的な意味での中心を意味する。また、「2つの逃げ面が交差する稜」とは、2つの逃げ面が交差する稜を意味するが、この稜が明瞭な稜を形成しない場合は、両逃げ面をそれぞれ幾何学的に拡大した場合に両者が交差する仮定的な稜を意味するものとする。なお、このように規定される平面が、1個の表面被覆切削工具に2以上存在する場合は、いずれか1の平面を選択するものとする。
【0032】
そして、本発明においては、上記断面において、該被覆層のうち、刃先稜線部において最も薄くなる部分の厚みをT1、刃先稜線からすくい面方向に1mm離れた地点における厚みをT2とする場合、T1<T2を満たすことにより、刃先稜線部における被覆層が薄膜化されるため、刃先強度が飛躍的に向上する。この場合、T1/T2は0.05≦T1/T2≦0.95とすることが好ましく、0.3≦T1/T2≦0.7とすることがより好ましい。T1/T2=0の場合、刃先稜線部に被覆層が形成されないため、耐摩耗性が著しく低下し、T1/T2>0.95の場合は、刃先稜線部における薄膜化が十分ではなく耐欠損性が劣る場合がある。
【0033】
さらに、本発明においては、図1に示したように、上記断面における被覆層2の表面において、刃先稜線5からすくい面3方向に距離Da離れた地点をaとし、逃げ面4方向に距離Db離れた地点をbとする場合、該Daは0.05mm≦Da≦0.5mmを満たし、該Dbは0.01mm≦Db≦0.2mmを満たすものであって、地点aから地点bまでの該被覆層2における、表面から厚み0.1T1〜0.9T1を占める領域Eの10%以上の領域において、該被覆層を構成する結晶粒の結晶方位のずれが5度以上10度未満となることを特徴とする。これにより被覆層の上部に歪みを生じ、上記薄膜化と相俟って刃先強度を一層増強させることができる。その結果、被覆層によって耐摩耗性を向上しつつ、被覆層の脱落やチッピングを防ぐことができ、優れた耐摩耗性と優れた耐欠損性とを得ることができるのである。
【0034】
ここで、結晶方位のずれは、表面被覆切削工具を研磨することにより研磨面として露出した上記断面の被覆層に対して、電界放出型走査電子顕微鏡を用いて電子線を照射し、50nm間隔で上記領域Eの被覆層を構成する結晶粒の結晶を観察することにより判断する。具体的には、まず後方散乱光回折分析装置を用いて10000個の結晶粒を観察し、各方位毎の結晶方位の平均値を求める。次いで、50nm間隔の各観察点において、上記各方位毎の平均値からのずれが5度以上10度未満となる観察点を画像解析ソフト(後方散乱光回折分析装置に付帯している分析ソフトを使用することができる)を用いてマッピングし、当該マッピングされた観察点で囲まれた領域の面積が上記領域Eの10%以上となる場合に、本発明の規定が満たされるものとする。当該面積が10%未満となる場合は、刃先の強度が十分に確保されず、耐欠損性が低下する。また、当該面積は大きくなればなるほど好ましい効果が得られるため、上限は特に限定されないが、大きくなるほど被覆層中の歪みが増大し、被覆層の密着力低下が懸念されるとの理由から、その上限を90%とすることが好ましい。当該面積は、より好ましくは、上記領域Eの20%以上80%以下である。
【0035】
上記領域Eの厚みが0.1T1未満の場合は、刃先の強度が十分に確保されず、耐欠損性が低下する。また、該厚みが0.9T1を超えると被覆層と基材との密着性が低下する。このため、上記領域Eの厚みは、0.5T1〜0.9T1とすることがより好ましい。
【0036】
また、上記DaおよびDbが、Da<0.05mmまたはDb<0.01mmとなる場合、刃先の強度が十分に確保されず、耐欠損性が低下する。また、上記DaおよびDbが、0.5mm<Daまたは0.2mm<Dbとなる場合、被覆層と基材との密着性が低下する。このため、上記DaおよびDbは、0.05mm≦Da≦0.25mm、0.02mm≦Db≦0.1mmとすることがより好ましい。
【0037】
また、結晶方位のずれが5度未満の場合は、被覆層中に十分な歪みが生じないため刃先強度が向上せず、10度以上になると別方位の結晶となってしまう。
【0038】
<製造方法>
本発明の表面被覆切削工具は、たとえば次のようにして製造することができる。まず、硬質化合物よりなる複数の硬質相と、硬質相同士を結合する結合相とを含む基材を準備する。続いて、この基材に対して、ブラシまたはプラスティックメディアを用いて、上記の刃先稜線部に相当する部位をホーニング処理する。なお、ホーニング処理は、ショットピーニングを用いてアルミナ等の微粒子を基材に衝突させる方法を用いてもよい。
【0039】
次いで、基材の表面に被覆層を形成する。被覆層は、たとえばチャンバ内に基材を配置し、CVD法などの気相合成法を用いて、800℃以上1100℃以下の温度(MT(moderate temperature)法の場合は800℃以上1050℃以下の温度)で基材上に成膜される。特にCVD法により形成した被覆層は、基材との密着強度が非常に強い。その結果、被覆層を厚くすることができ、耐摩耗性を向上することができる。また、CVD法の代わりに、イオンプレーティング法やイオンスパッタリング法などの物理的蒸着法を用いてもよい。
【0040】
次に、上記のようにして成膜された被覆層に対して、上記領域Eを形成するためにすくい面側は刃先稜線からたとえば0.5mmの部分を、逃げ面側は刃先稜線からたとえば0.2mmの部分を、それぞれ覆わないようにして残りの部分をたとえば厚さ0.2mm〜3.2mmの金属製(たとえばステンレス製)プレートによりマスキングする。続いて、ショットピーニング、あるいはブラシまたはプラスティックメディアを用いて、マスキング部分とマスキングされていない部分の両方の被覆層(ただし刃先稜線部およびその周辺部分)に対してホーニング処理を行なう。この場合、マスキングを行なうことにより、ホーニング処理時にメディアがマスキング部分に回り込むことを抑制できるため、マスキングされていない部分のみに歪み(結晶方位のずれ)を形成させることが可能となる。このマスキングされていない部分が、図1における地点aから地点bまでの領域となる。したがって、上記のマスキングする部分の位置を調節することにより、上記Da、Dbで表わされる距離を0.05mm≦Da≦0.5mm、0.01mm≦Db≦0.2mmの範囲に任意に調整することができる。なお、マスキングを行なわずにホーニング処理を行なう場合は、図1における地点aから地点bまでの領域に歪み(結晶方位のずれ)を形成させることができず、耐欠損性を向上させることができない。
【0041】
ここで、上記ホーニング処理の条件として、2種類以上の複数のメディアを混載させ、かつマスキング用の金属製プレートの厚みを0.2mm〜3.2mmの各範囲で選択することにより、結晶方位のずれおよびその領域の占める割合を調整することができる。
【0042】
この場合、複数のメディアの選択は、ホーニング処理を精密に制御できるように、研削および応力付与という異なる2種の機能を分化させるという観点から、研削力に優れ、硬度が高いという特性を備える素材と、研削性が高くなく、被研削物に対して衝撃を加えることで応力を付与できるという特性を備える素材とを組み合わせることが好ましい。たとえば前者の素材としては、SiC、TiC、ダイヤモンド等を挙げることができ、後者の素材としては、Al23、ZrO2等を挙げることができる。
【実施例】
【0043】
以下、実施例を挙げて本発明をより詳細に説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0044】
<実施例1>
JIS(Japanese Industrial Standard)に規定されるJIS B 4120(1998) CNMG120408の切削工具形状を有する超硬合金母材を基材として準備した。なお、この基材は、後述の各試料(A1〜A6)毎に3個ずつ計18個準備した。また、この基材の組成は、87.0wt%のWCと、7.0wt%のCoと、3.0wt%のTiCと、3.0wt%のNbCとにより構成されている。
【0045】
そして、この基材の刃先稜線部に対してSiCブラシ等を用いてホーニング処理を施した。次いで、このようにホーニング処理された基材の表面上に被覆層を形成した。この被覆層は、CVD法により形成し、まず基材表面と接するように1.0μmの厚みを有するTiNを形成し、その上に順次、10.0μmの厚みを有するMT(moderate temperature)−TiCN、1.0μmの厚みを有するTiN、4.0μmの厚みを有するAl23、および1.5μmの厚みを有するTiNをこの順に成膜した。なお、以上の厚みは上記T2における厚みとした。
【0046】
続いて、上記のようにして成膜された被覆層に対して、すくい面側は刃先稜線から0.5mmの部分を、逃げ面側は刃先稜線から0.2mmの部分を、それぞれ覆わないようにして残りの部分を以下のような厚みの金属製(SUS304製)プレートによりマスキングした。すなわち、試料A2は0.1mm、試料A3は0.5mm、試料A4は1.0mm、試料A5は2.0mm、試料A6は5.0mmとした。これに対し、試料A1についてはマスキングを行なわなかった。そして、試料A2〜A6についてはマスキング部分およびマスキングを行なっていない部分(ただし刃先稜線部およびその周辺部分)、および試料A1については試料A2〜A6と同様の部分に対して、SiCブラシが75面積%およびアルミナブラシが25面積%含まれた混載ブラシを用いて同条件のホーニング処理(条件:回転数1500rpm、送り5000mm/分、切り込み3.0mm)を行なった。
【0047】
このようにして得られた各試料(表面被覆切削工具)のうち、各試料毎に1個ずつ、すくい面の中心における被覆層表面の法線と2つの逃げ面が交差する稜とを含む平面に沿って試料を切断し、その断面を機械研磨した。そして、研磨面として露出した断面の被覆層に対して、電界放出型走査電子顕微鏡を用いて電子線を照射し、50nm間隔で上記領域Eの被覆層を構成する結晶粒の結晶方位を観察することにより、結晶方位のずれを測定した。かかる測定の具体的方法は、上記に記載した方法に倣った。なお、上記測定と同時に、刃先稜線部における被覆層の最も薄くなる部分の厚みT1およびDa、Dbを測定した。これらの結果を表1に示す。T1、T2の単位はμmであり、Da、Dbの単位はmmである。
【0048】
一方、上記で切断しなかった試料のうち、各試料毎に1個ずつを用いて以下の条件により耐摩耗性を評価した。さらに、また残りの試料について、各試料毎に1個ずつを用いて以下の条件により耐欠損性(耐チッピング性)を評価した。これらの結果を同じく以下の表1に示す。なお、試料A3の上記断面を撮影した顕微鏡写真(撮影条件:走査型電子顕微鏡を用いて500倍で撮影)を図2に示す。
【0049】
<耐摩耗性の評価>
被削材 :SCM435(JIS)
切削速度:300m/min.
送 り:0.3mm/rev.
切込み :1.5mm
切削油 :湿式
切削時間:20min.
評 価:逃げ面摩耗量を測定(該数値が小さい方が耐摩耗性に優れる)。
【0050】
<耐欠損性の評価>
被削材 :SCM435(JIS)溝入材
切削速度:330m/min.
送 り:0.25mm/rev.
切込み :1.5mm
切削油 :湿式
評 価:チッピングまたは欠損するまでの時間(長い方が耐欠損性に優れる)。
【0051】
【表1】

【0052】
表1中、「領域Eの厚み」の項は、領域Eの厚みを示し、「領域Eに占める割合」の項は、結晶粒の結晶方位のずれが5度以上10度未満となる領域の、領域Eに占める割合を示す。
【0053】
表1中、試料A3〜A5が実施例であり、試料A1、A2およびA6が比較例である。表1より明らかなように、本発明の実施例である試料A3〜A5は、試料A1およびA2と同等の逃げ面摩耗量の結果が得られている一方で、試料A1およびA2よりもチッピングまたは欠損するまでの時間(表1の「衝撃時間」)が飛躍的に長くなっている。一方、試料A6は、試料A3〜A5に比し、逃げ面摩耗量が増加し、衝撃時間は短くなっていた。したがって、以上の結果より、本発明の表面被覆切削工具は、耐摩耗性と耐欠損性との両者において優れていることが確認できた。
【0054】
<実施例2>
JIS(Japanese Industrial Standard)に規定されるJIS B 4120(1998) CNMG120408の切削工具形状を有する超硬合金母材を基材として準備した。なお、このような基材は、後述の各試料(B1〜B5)毎に3個ずつ計15個準備した。また、この基材の組成は、88.0wt%のWCと、5.0wt%のCoと、3.0wt%のTiCと、2.0wt%のTaCと、2.0wt%のNbCとにより構成されている。
【0055】
そして、この基材の刃先稜線部に対してSiCブラシ等を用いてホーニング処理を施した。次いで、このようにホーニング処理された基材の表面上に被覆層を形成した。この被覆層は、CVD法により形成し、まず基材表面と接するように0.5μmの厚みを有するTiNを形成し、その上に順次、10.0μmの厚みを有するMT(moderate temperature)−TiCN、1.0μmの厚みを有するTiBN、6.0μmの厚みを有するAl23、および1.5μmの厚みを有するTiNをこの順に成膜した。なお、以上の厚みは上記T2における厚みとした。
【0056】
続いて、上記のようにして成膜された被覆層に対して、すくい面側は刃先稜線から0.5mmの部分を、逃げ面側は刃先稜線から0.2mmの部分を、それぞれ覆わないようにして残りの部分を1mmの厚みの金属製(SUS304製)プレートによりマスキングした。そして、マスキング部分およびマスキングを行なっていない部分(ただし刃先稜線部およびその周辺部分)に対して、ショット時の圧力を0.2MPaとし、SiC砥粒が15質量%およびアルミナ砥粒が85質量%含まれた混載メディアを用いて処理時間を以下のように変更することにより、ショットピーニングによりホーニング処理を行なった。すなわち、試料B1は1秒、試料B2は5秒、試料B3は10秒、試料B4は15秒、試料B5は20秒とした。
【0057】
このようにして得られた各試料(表面被覆切削工具)のうち、各試料毎に1個ずつ、すくい面の中心における被覆層表面の法線と2つの逃げ面が交差する稜とを含む平面に沿って試料を切断し、その断面を機械研磨した。そして、研磨面として露出した断面の被覆層に対して、電界放出型走査電子顕微鏡を用いて電子線を照射し、50nm間隔で上記領域Eの被覆層を構成する結晶粒の結晶を観察することにより、結晶方位のずれを測定した。かかる測定の具体的方法は、上記に記載した方法に倣った。なお、上記測定と同時に、刃先稜線部における被覆層の最も薄くなる部分の厚みT1およびDa、Dbを測定した。これらの結果を表2に示す。T1、T2の単位はμmであり、Da、Dbの単位はmmである。
【0058】
一方、上記で切断しなかった試料のうち、各試料毎に1個ずつを用いて実施例1と同じ条件により耐摩耗性を評価した。さらに、また残りの試料について、各試料毎に1個ずつを用いて実施例1と同じ条件により耐欠損性(耐チッピング性)を評価した。これらの結果を同じく以下の表2に示す。
【0059】
【表2】

【0060】
表2中、「領域Eの厚み」の項は、領域Eの厚みを示し、「領域Eに占める割合」の項は、結晶粒の結晶方位のずれが5度以上10度未満となる領域の、領域Eに占める割合を示す。
【0061】
表2中、試料B2〜B4が実施例であり、試料B1およびB5が比較例である。表2より明らかなように、本発明の実施例である試料B2〜B4は、試料B1と同等の逃げ面摩耗量の結果が得られている一方で、試料B1よりもチッピングまたは欠損するまでの時間(表2の「衝撃時間」)が飛躍的に長くなっている。一方、試料B5は、試料B2〜B4に比し、逃げ面摩耗量が増加し、衝撃時間は短くなっていた。したがって、以上の結果より、本発明の表面被覆切削工具は、耐摩耗性と耐欠損性との両者において優れていることが確認できた。
【0062】
以上のように本発明の実施の形態および実施例について説明を行なったが、上述の各実施の形態および実施例の構成を適宜組み合わせることも当初から予定している。
【0063】
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなくて特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。
【符号の説明】
【0064】
1 基材、2 被覆層、3 すくい面、4 逃げ面、5 刃先稜線、10 表面被覆切削工具。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材と、該基材表面に形成された被覆層とを含む表面被覆切削工具であって、
前記被覆層は、1層または複数の層により構成され、
すくい面の中心における前記被覆層表面の法線と2つの逃げ面が交差する稜とを含む平面で前記表面被覆切削工具を切断した断面において、前記被覆層のうち、刃先稜線部において最も薄くなる部分の厚みをT1、刃先稜線からすくい面方向に1mm離れた地点における厚みをT2とする場合、T1<T2を満たし、かつ、
前記被覆層表面において、刃先稜線からすくい面方向に距離Da離れた地点をaとし、逃げ面方向に距離Db離れた地点をbとする場合、前記Daは0.05mm≦Da≦0.5mmを満たし、前記Dbは0.01mm≦Db≦0.2mmを満たすものであって、地点aから地点bまでの前記被覆層における、表面から厚み0.1T1〜0.9T1を占める領域Eの10%以上の領域において、前記被覆層を構成する結晶粒の結晶方位のずれが5度以上10度未満となる、表面被覆切削工具。
【請求項2】
前記Daは、0.05mm≦Da≦0.25mmを満たす、請求項1記載の表面被覆切削工具。
【請求項3】
前記領域Eの厚みは、0.5T1〜0.9T1である、請求項1または2に記載の表面被覆切削工具。
【請求項4】
前記被覆層は、複数の層により構成され、
前記刃先稜線部における前記被覆層の構成と前記刃先稜線部以外の領域における前記被覆層の構成とが異なる、請求項1〜3のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項5】
前記T2は、3μm以上30μm以下である、請求項1〜4のいずれかに記載の表面被覆切削工具。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2012−20391(P2012−20391A)
【公開日】平成24年2月2日(2012.2.2)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−161905(P2010−161905)
【出願日】平成22年7月16日(2010.7.16)
【出願人】(503212652)住友電工ハードメタル株式会社 (390)
【Fターム(参考)】