説明

車両の重心位置推定装置

【課題】 車軸荷重を検出する特別なセンサを要せずに、車両の走行中でも、車両重心の前後方向位置(車両の重心−前後輪の車軸間距離)を推定することのできる車両の重心位置推定装置を提供すること。
【解決手段】 本発明の車両の重心位置推定装置は、車両の制動中に車両の前輪の車輪速度と後輪の車輪速度との差の大きさが所定の大きさとなった時又はEBD制御が実行されたときの前輪の制動力と後輪の制動力と車両の減速度とに基づいて車両の前後方向に於ける重心位置を推定することを特徴とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車等の車両の重心位置を推定する装置に係り、より詳細には、車両の走行中に車両の重心の前後方向位置を推定する装置に係る。
【背景技術】
【0002】
近年の自動車等の車両に於いて、車両の走行中の運動を安定化させるために種々の挙動制御、運動制御又は走行制御が実行されるようになってきている。これらの制御では、車体運動或いはタイヤのモデルを用いて、車両の運動状態(ヨーイング・ローリング等)が安定化されるよう車両の各輪の制駆動力或いは舵角の制御が行われる。例えば、VSC(Vehicle Stability Control)の場合には、車両のヨー方向の運動を安定化させるために、車両の左右輪の制駆動力差或いは舵角が制御され、これにより、車両の重心周りのヨーモーメント制御が達成される。
【0003】
上記の如き車両の挙動、運動又は走行制御の実行に際して、しばしば、かかる制御のためのパラメータとして、車両の重心位置、即ち、車両の重心から前後輪の車軸までの距離が必要となる場合がある。かかる車両の重心位置は、典型的な自家用自動車の場合には、車両の乗員数や積載量の変動が少ないので、近似的に定数として与えられる。しかしながら、トラックやバスといった中型〜大型の車両など、車両の積載物の量及び位置の変動が大きい車両の場合、車両の重心位置は、車両の積載物の量と配置(積載状態)に依存して変動してしまい、そうなると、運動制御装置で設定されている車両の運動モデルの特性と実際の車両の運動特性との差が大きくなってしまう。従って、車両の積載物の量及び位置の変動が大きい車両に於いて、制御をより正確に実行できるようにするためには、車両の重心位置を車両の使用中又は走行中に検出又は推定し、挙動、運動又は走行制御に於いて利用できるようになっていることが好ましい。そこで、従来の技術に於いては、例えば、特許文献1では、車両の前後車軸近傍にそれぞれ軸重計を設け、かかる軸重計の計測値による軸重分布から重心位置を検出し、その検出値を車両の制動制御に利用することが提案されている。また、特許文献2では、前後輪のスリップ比から車両の重心位置を推定し(スリップ率の小さい側に重心が偏っていると推定される。)、推定結果を4WS車両の後輪操舵制御に反映させることなどが提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2007−223365
【0005】
【特許文献2】特開平5−229446号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
上記の特許文献1に記載されている如く、車両の前後輪の車軸に軸重計の如き特別なセンサを取り付け、各車軸に掛かる荷重を直接に検出すれば、車両の積載状態に依存して変動する車両重心の前後方向位置を推定することが可能となる。しかしながら、その場合、車軸の近傍に特別なセンサを取り付けるための設計及び組立が必要となる。従って、もしそのような特別なセンサを要することなく、VSC等の運動制御装置で通常用いられるセンサの検出値から車両重心の前後方向位置を推定することが可能となれば、特別なセンサ取り付けのための労力と費用が必要なくなり有利である。
【0007】
かくして、本発明の一つの課題は、VSC等の運動制御装置又はABSに於いて用いられている既存のセンサの検出値だけから、車両の走行中でも、車両重心の前後方向位置(車両の重心−前後輪の車軸間距離)を推定することのできる車両の重心位置推定装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の発明者の開発研究によれば、車両重心の前後方向位置は、走行中の車両に於いて、制動時に車両に作用する力の関係(特に、力モーメントの釣り合い)に基づいて推定できることが見出された。かくして、一つの態様に於いて、本発明の車両の重心位置を推定する装置は、車両の制動中に車両の前輪の車輪速度と後輪の車輪速度との差の大きさが所定の大きさとなった時に前輪の制動力と後輪の制動力と車両の減速度とに基づいて車両の前後方向に於ける重心位置を推定することを特徴とする。後述の実施形態の欄に於いて、より詳細に説明される如く、車両の制動中に於いて前輪側に荷重移動が生じ、一般的に、路面の摩擦係数が十分高い場合には、後輪の車輪速度が前輪の車輪速度よりも早く低減する。その場合、前輪の車輪速度と後輪の車輪速度との差の大きさが所定の大きさとなった時には、前輪の制動力、後輪の制動力及び車両の減速度、即ち、通常のVSC又はABS等に於いて用いられるセンサから検出可能な値から、車両に作用する力の関係に基づいて車両重心の前後方向位置が推定することが可能である。かかる知見を利用して、本発明によれば、積載状態が大幅に変動する車両に於いて、車軸荷重を直接に検出するための特別なセンサを要することなく、車両重心の前後方向位置を推定することが可能となる。
【0009】
上記の本発明の装置の構成に於いて、より詳細には、前輪の制動力と後輪の制動力と車両の減速度とに基づいて算出される車両の制動中の荷重中心位置と車両の前後方向に於ける重心位置が車両に積載物が積載された状態に於いて想定される重心高とに基づいて推定されるようになっていてよい。一般的に、車両に於いて、積載物又は乗員が載せられる位置の高さは、車両の荷台又は座席の構造から或る程度の範囲内に限定されることが期待される。また、後述の実施形態の欄に於いて説明されるように、前輪の制動力、後輪の制動力及び車両の減速度を用いると、荷重中心位置、即ち、路面上に於ける車両荷重の作用する中心点、を決定することが可能となり、これにより、車両重心の前後方向の存在域が画定されることとなる。かくして、車体に作用する力の関係に於いて、かかる車両の荷台又は座席の構造等から想定される重心高を考慮することにより、現在の積載状態又は乗車状態に於ける車両の重心位置の存在位置が前後方向と鉛直方向とに於いて推定されることとなる。
【0010】
より具体的には、路面の摩擦係数μが十分に大きく、μ〜1.0と近似できる場合には、車両の重心と前輪軸との前後方向距離Lfが、減速度Gx、前輪の制動力Fxf、後輪の制動力Fxr、重心高H、重力加速度G及びホイールベースLを用いて、
Lf=L・{Fxr/(Fxf+Fxr)}(Gx/G)+H(Gx/G) …(1)
により算出されるようになっていてよい。なお、前輪の制動力Fxfと後輪の制動力Fxrとは、各輪の制動装置に与えられる制動力に対応する制御量から算出されるものであってよい。例えば、液圧式又は空圧式の制動装置の場合には、各輪の制動力は、各輪ホイールシリンダへ供給されるブレーキ圧に各輪のブレーキ係数を乗じて得られる値であり、そのようなブレーキ圧等の制御量を変数として用いた式(1)と同様の式が用いられてよく、そのような場合も本発明の範囲に属することは理解されるべきである。
【0011】
また、上記の装置の構成に於いて、路面の摩擦係数μが十分に大きく、μ〜1.0と近似できる場合とは、端的に述べれば、(通常時、前輪の制動力が後輪の制動力よりも高くなるよう設定されている状態で)前輪がスリップ状態に達する前に後輪がスリップ状態となるか、車両に所謂電子制動力配分制御装置(EBD)が搭載されている場合には、後輪の制動力の増大の制限を開始する状態であることが分かっている。従って、上記の本発明の装置に於いては、前輪がスリップ状態に達していないとき(車両にABS装置が搭載されている場合には、前輪に対するABS制御が実行されていないとき)、或いは、電子制動力配分制御装置が前記後輪の制動力の増大の制限を実行したときに、車両の重心位置の推定が実行されるようになっていてよい。
【0012】
ところで、車両に於いて、積載物が車両の荷台の後方に、より多く載せられている場合には、後輪の荷重が増大し、その結果、車両の前輪の車輪速度と後輪の車輪速度との差の大きさが所定の大きさとならずに、即ち、後輪がロック状態に陥ることなく、車両の減速度が相当に大きくなる場合がある。その場合には、車両の重心の存在位置は、相当に車両の後方へ“移動”していると考えられる。そこで、上記の本発明の装置に於いて、車両の制動中に車両の前輪の車輪速度と後輪の車輪速度との差の大きさが所定の大きさに達していないときに車両の減速度が所定値に達したときには、重心位置がその存在が想定される前後方向範囲の最後方の位置にあると推定されるようになっていてよい。重心位置の存在が想定される前後方向範囲は、車両の構造から予め決定されてよい。
【発明の効果】
【0013】
従って、上記の本発明の装置によれば、積載状態が大幅に変動する車両に於いて、その使用中又は走行中に、車軸荷重を検出するためのセンサを要せずに、車両の前後方向の重心位置が推定可能となる。重心位置の推定に用いるパラメータは、各輪の車輪速度、各輪の制動力(又はブレーキ圧)、車両の減速度といった車両の運動制御装置に用いられるパラメータと同様であるので、そういった運動制御装置が搭載された車両に於いては、既存のセンサだけを使って、現在の車両の前後方向の重心位置が推定され、その推定結果を運動制御に反映させることが可能となり、従って、従前に比してより良い運動制御が提供できることが期待される。
【0014】
本発明のその他の目的及び利点は、以下の本発明の好ましい実施形態の説明により明らかになるであろう。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】図1(A)は、本発明の好ましい実施形態である車両重心位置推定装置が搭載される車両の模式図である。図1(B)は、車両の制動系装置の構成を模式的に表した図である。図1(C)は、本発明の好ましい実施形態である車両重心位置推定装置をブロック図の形式で表したものである。
【図2】図2(A)は、本発明の車両重心位置推定の原理を説明する図であり、制動中に車両に作用する力が示されている。図2(B)は、前後輪の制動力配分を示すグラフ図であり、図2(C)は、車両の重心位置の想定範囲(斜線領域)を示す車両の模式図である。図2(B)に於ける一点鎖線(a)、(b)、(c)は、それぞれ、重心が図2(C)に於ける破線にて示された重心位置推定線(a)、(b)、(c)上に在る場合の理想制動力配分線であり、図2(B)に於ける実線は、実際の通常制動時の前後輪の制動力配分線である。実線上の白丸は、それぞれ、重心が重心位置推定線(a)又は(b)上に在るときのEBD制御作動が開始する制動力配分を示している。なお、図2(B)、(C)に於いて、(a)は、車両が空積状態であるときの理想制動力配分線及び重心位置推定線を示している。
【図3】図3は、本発明の車両重心位置推定装置の処理の流れをフローチャートの形式で表したものである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下に添付の図を参照しつつ、本発明を幾つかの好ましい実施形態について詳細に説明する。図中、同一の符号は、同一の部位を示す。
【0017】
装置の構成
図1(A)は、自動車等の車両の前後方向の重心位置を推定する本発明による車両重心位置推定装置の好ましい実施形態が搭載される車両10を概略的に示している。車両10は、公知の任意の形式の車両であってよく、一対の前輪12f及び一対の後輪12rと、任意の積載物Sが載置される荷台14とを有している。なお、図示の例では、簡単のため、車両後方部に上部が開放された荷台を有するトラックとして描かれているが、本発明の車両重心位置推定装置の搭載される車両は、箱型荷台を後方に有するトラック、前方にも荷台を有する車両、バス、その他の任意の積載物が積載可能な車両であってよい。
【0018】
車両10の前輪及び後輪の制動は、図1(B)に模式的に示されている如き通常の態様の制動系装置40により行われる。端的に述べれば、制動系装置40は、所謂電子制御式の空気・油圧式制動装置、空気圧式制動装置又は油圧式制動装置であってよく、運転者によるブレーキペダル44の踏込みに応答して作動されるブレーキバルブ(又はマスタシリンダ)45に連通した流体圧回路(空気圧回路及び/又は油圧回路)46によって、各輪に装備をされたホイールシリンダ42i(i=fl、fr、rl、rr 以下同様。)内のブレーキ圧、即ち、各輪に於ける制動力、が調節される。流体圧回路46には、通常の態様にて、各輪のホイールシリンダを、選択的に、エアコンプレッサ、エアタンク、制動力倍力装置、オイルポンプ、オイルリザーバ等(図示せず)へ連通する種々の弁(モジュレータ、流体圧保持弁、減圧弁等)が設けられており、通常の作動に於いては、ブレーキペダル44の踏込みに応答して、制動倍力装置、エアタンク又はマスタシリンダの圧力がそれぞれのホイールシリンダ42iへ供給される。しかしながら、ABS制御、VSC等の運動制御又はその他の任意の制動力配分制御を実行するべく、各輪の制動力を個別に又は独立に調節する場合には、電子制御装置50の指令に基づいて、前記の種々の弁が作動され、各輪のホイールシリンダ内のブレーキ圧が、対応する圧力センサの検出値に基づいて、それぞれの目標圧に合致するよう制御される。電子制御装置50は、通常の形式の、双方向コモン・バスにより相互に連結されたCPU、ROM、RAM及び入出力ポート装置を有するマイクロコンピュータ及び駆動回路を含んでいてよく、ブレーキペダル44に設けられた踏込量センサ(図示せず)からのブレーキペダル踏込量θb、各輪に設けられた車輪速センサ(図示せず)からの車輪速度Vwi、ホイールシリンダ圧力センサからの各輪のホイールシリンダ内の圧力Pbi、前後Gセンサ62からの加減速度Gx等の検出値が入力される(図示されているものの他、横加速度、ヨーレート等の本実施形態の車両に於いて実行されるべき各種制御に必要な種々のパラメータの値を表す各種検出信号が入力されてよい。)。
【0019】
なお、上記の制動系装置40は、電子制御装置50の制御下、特に、前後輪制動力配分制御(EBD)が実行可能であるよう構成される。この分野に於いてよく知られている如く、車両の制動時には車両の運動の慣性力より、前輪側へ荷重移動が生ずるため、後輪の垂直荷重が低減し、その分、後輪の制動力の限界が低減される。そこで、制動系装置40は、一般的には、通常の作動時(即ち、前後輪のブレーキ圧が等圧の状態)に於いても、前輪側への荷重移動による前後輪の間に於ける動的な荷重配分の変化に対応すべく、前輪の制動力が、所定の割合にて、後輪の制動力よりも大きくなるように調整される。しかしながら、前後輪の制動力の割合が一定であると、後輪の制動力がその限界に達すること(後輪がロックすること)を完全に防止することはできない。そこで、後輪の制動力がその限界に近くなったとき、具体的には、後輪車輪速度が前輪車輪速度よりも下回り、それらの差の大きさが所定値を超えたとき、後輪がロック状態に陥ることを防止するべく、後輪の制動力の増大を制限するよう前後輪制動力配分(EBD)制御が実行される。
【0020】
図1(C)は、電子制御装置50に組み込まれる本発明の車両重心位置推定装置をブロック図の形式にて表したものである。車両重心位置推定装置50aは、ブレーキペダル踏込量θb、加減速度Gx、各輪ブレーキ圧Pbi、車輪速度Vwi若しくはEBD作動情報、各輪のABS作動情報を読み込み、後により詳細に説明されるプログラムに従った処理作動により、重心位置として、前輪軸−重心間の前後方向距離Lf又は後輪軸−重心間距離Lrを推定算出し、その算出結果が、VSC等の運動制御装置50bに於いて利用できるようにする。
【0021】
重心位置推定の原理
図2(A)に模式的に示されている如く、質量Mの車両が減速度Gxにて制動されているとき、車両の前輪及び後輪の路面との接地部位に於いて、それぞれ、制動力Fxf、Fxrが路面に平行に作用し、車軸荷重の抗力Fzf、Fzrが路面に対して垂直上向きに作用する。そして、車両の重心Cに於いては、慣性力M・Gxと重力M・G(Gは、重力加速度)とが図示の如く作用する。従って、前輪の接地部位周りの力のモーメントの釣り合いは、
M・G・Lf=M・Gx・H+Fzr・L …(2)
により表される。ここで、Lfは、前輪軸−重心間の前後方向距離であり、Hは、重心高である。即ち、前輪軸−重心間距離Lfは、
Lf=Fzr・L/(M・G)+H(Gx/G) …(3)
により与えられる。この式(3)に於いて、車両質量Mは、
M=(Fxf+Fxr)/Gx …(4)
により与えられ、後輪の軸荷重の抗力Fzrは、路面の摩擦係数μを用いて、
Fzr=Fxr/μ …(5)
により与えられる。かくして、前輪軸−重心間距離Lfは、
Lf=L・Fxr/{(Fxf+Fxr)μ}(Gx/G)+H(Gx/G) …(6)
により与えられることとなる。この式(6)に於いて、減速度Gxは、前後加減速度センサの検出値から取得され、制動力Fxf、Fxrは、前輪ブレーキ圧Pbf、後輪ブレーキ圧Pbrを用いて、
Fxf=Kf・Pbf;Fxr=Kr・Pbr …(7)
により取得される。従って、式(6)によれば、路面の摩擦係数μと重心高Hとが与えられれば、前後輪の制動力と車両の減速度から前輪軸−重心間距離Lfが算出できる、即ち、重心位置の推定ができることとなる。なお、式(6)の第一項は、図2(A)に於いて、重力と慣性力との合力に沿って路面に向かって降ろした直線と路面との交点C’と前輪の接地部位との距離Lf’に相当し、かかる距離Lf’の地点C’は、制動中の車両から路面に作用する荷重の中心位置(荷重中心位置)である(即ち、Fzf・Lf’=Fzr・(L−Lf’)が成立するLf’を与える位置である。)。また、重心高Hを一つの変数と考えると、図2(A)中、破線にて示されている式(6)により表される直線は、重心位置が存在し得る線状領域を表していることとなる(重心位置推定線)。
【0022】
上記の式(6)の路面の摩擦係数μは、もし車両に路面摩擦係数を推定又は検出する装置が装備されていれば、その推定値又は検出値が用いられてもよい。しかしながら、前輪の制動力が飽和していない状態で、後輪の制動力が飽和したとき又はEBD制御が作動したとき若しくは(前輪車輪速度−後輪車輪速度)の値が所定値より大きくなったときには、近似的に
μ〜1.0 …(8)
と設定することができる。その理由は、端的に述べれば、以下の通りである。
【0023】
既に述べた如く、制動中の車両に於いては、慣性力によって前輪側への荷重移動が生じ、前輪の接地荷重の配分が増大する。かかる前輪側への荷重移動による前後輪間の動的荷重配分の変化に理想的に対応した前後輪の制動力配分(前後輪の接地荷重配分に比例した制動力の配分)は、図2(B)の一点鎖線(a)〜(c)にて例示されている如き「理想制動力配分曲線」で与えられる。かかる理想制動力配分曲線は、重心位置が車両の後方にあるほど後輪側へシフトする、即ち、図2(C)中の重心位置推定線(a)→(b)→(c)の存在位置の変化に対応して、理想制動力配分曲線は、(a)→(b)→(c)の如く変化する。また、理想制動力配分曲線の各々に於いて、図中、曲線より上側は、後輪の制動力が前輪の制動力よりも先に飽和しやすい領域であり、曲線より下側は、前輪の制動力が後輪の制動力よりも先に飽和しやすい領域である。
【0024】
上記の如き前後輪の垂直荷重の動的配分を考慮した理想的な制動力配分を参照して、実際の制動力の配分(図2(B)の実線)は、通常の制動時(ABSや運動制御が実行されていないとき)に於いては、理想制動力配分曲線にできるだけ沿うように且つ通常の乾いた路面、即ち、式(8)の条件が近似的に成立する路面、に於いて後輪の制動力ができるだけ飽和領域に到達しないように、図2(B)に例示の如く、制動力が大きくない領域では、理想制動力配分曲線より下回るように設定されるのが一般的である。その場合、結局、図2(B)の一点鎖線(a)又は(b)と実線との関係に示されている如く、制動力が小さい領域(図中左下方)、つまり、摩擦係数が小さい路面上、では前輪が先にロック状態になりやすく(実線が、理想制動力配分曲線を下回る)、制動力が大きい領域(図中右上方)、つまり、摩擦係数が大きい路面上、では、後輪が先にロック状態になりやすくなる(実線が、理想制動力配分曲線を上回る)。換言すれば、前輪の制動力が飽和していない状態で、後輪の制動力が飽和した場合には、制動力が大きい領域、即ち、路面の摩擦係数が十分に大きく、式(8)の条件が近似的に成立しているとみなせると考えられる。ただし、実際には、前輪の制動力が飽和しそうになると、ABSが作動し、後輪の制動力が(前輪の制動力より先に)飽和する状況になりそうになると(図2(B)中の実線上の白丸にて示された状態)、EBD制御(又はABS)が作動し、後輪のロックは回避されるが、前輪のABSが作動していない状態で、EBDが作動するときには、後輪の制動力は、ほぼ飽和した状態にあり、路面の摩擦係数について式(8)が近似的に成立していると想定される。かくして、上記の如く、EBD制御が作動したとき若しくは(前輪車輪速度−後輪車輪速度)の値が所定値より大きくなったときときには、式(6)の摩擦係数μを直接に検出しなくても、式(8)の条件を用いることが可能となる。
【0025】
上記の式(6)の重心高Hについては、車両の荷台の位置は、予め分かっているので、車両の構造から予め推定可能である。即ち、空積状態から定積状態(最大許容積載状態)に於ける重心は、予め、図2(C)中の斜線にて示された領域に存在することが想定される。従って、その想定される重心の存在想定域の高さを重心高Hとして式(6)に用いることが可能である。
【0026】
かくして、式(6)は、式(8)の条件を利用して、
Lf=L・Fxr/(Fxf+Fxr)・(Gx/G)+H(Gx/G) …(9)
と表すことができる。また、式(7)を用いれば、
Lf=L・Kr・Pbr/(Kf・Pbf+Kr・Pbr)・(Gx/G)+H(Gx/G) …(9a)
と表すことできる。
【0027】
ところで、図2(C)の重心位置推定線(c)にて例示されている如く、車両の重心が車両の相当に後方に位置する場合には、車両の垂直荷重の配分が後輪側へ相当に偏っており、その結果、図2(B)の曲線(c)の如く、前後輪の制動力が相当に大きくなっても、即ち、車両の減速度が相当に大きくなっても、後輪制動力が飽和領域に到達せず、EBD制御が実行されない場合が有り得る。従って、前後輪とも制動力が飽和領域に到達することなく、車両の減速度が相当に大きくなった場合には、重心位置は、その想定範囲の最後方、即ち、重心位置推定線(c)の線上にあると推定することができる。
【0028】
装置の作動
本実施形態の重心位置推定装置は、上記の重心位置の推定原理に基づいて、図3にフローチャートの形式にて示された処理に従って作動されてよい。なお、図示の処理は、車両の走行中、所定のサイクル時間にて反復して実行されてよい。
【0029】
同図を参照して、処理に於いては、まず、車両が制動中であるか否かが判定される(ステップ10)。かかる判定は、ブレーキペダルの踏込量θbが所定値を超えたか否か、ストップランプスイッチ(図示せず)がONであるか否か又は減速度Gxが所定値を超えたか否か、或いは、その他の任意の方法により判定されてよい。車両が制動中であると判定されたときには、次いで、前輪に於いてABSが作動しているか否か、又は、前輪制動力が飽和領域に到達しているか否かが判定される(ステップ20)。ここで、前輪に於いてABSが作動していると判定されるか、前輪制動力が飽和領域に到達していると判定された場合には、EBD制御が実行されているか否かが判定される(ステップ30)。なお、EBD制御は、一般的には、後輪車輪速度が前輪車輪速度よりも所定速度下回ったとき、即ち、(前輪車輪速度−後輪車輪速度)の値の大きさが所定の大きさを超えたときに作動開始される。従って、EBD制御が実行されているか否かの判定に代えて、
(前輪車輪速度−後輪車輪速度)>所定速度値 …(10)
が成立しているか否かが直接に判定されてもよい。
【0030】
ステップ30で、EBD制御が作動しているか、或いは、条件(10)が成立したときには、式(6)、(9)又は(9a)を用いて前輪軸−重心間距離Lfの推定演算が実行され、前輪軸−重心間距離Lfが算出される(ステップ40)。
【0031】
一方、ステップ30で、EBD制御が作動していない、或いは、条件(10)が成立していないと判定されたときには、現在の減速度Gxが所定閾値を越えているか否かが判定される(ステップ60)。ここで、EBD制御が作動していないにもかかわらず、即ち、前輪も後輪も制動力が飽和領域に達していないにもかかわらず、減速度が相当に大きくなっているときには、前記の如く、車両の重心は、想定される存在範囲の最後方にあると推定される。そこで、前輪軸−重心間距離Lfは、前輪軸と重心の想定される存在範囲の最後方との間の距離Lfmaxに設定される(ステップ70)。
【0032】
車両が制動中でないとき、前輪に於いてABSが作動しているとき、或いは、EBD制御が非作動で且つ減速度も所定閾値を超えていないときには、前輪軸−重心間距離Lfの推定演算は実行されず、それまで、装置に於いて予め保持している前輪軸−重心間距離Lfの値又は前回の推定演算の算出値(Lf(前回値))が前輪軸−重心間距離Lfとして用いられる。
【0033】
上記の如く得られ又は設定された前輪軸−重心間距離Lfの値は、任意のメモリ等に格納され、例えばVSC等の運動制御に於いて適宜利用できるようになっていてよい。また、後輪軸−重心間距離Lrは、Lr=L−Lfにより与えられてよい。
【0034】
かくして、上記の構成によれば、車軸荷重を検出するセンサを利用することなく、車両の減速度、各輪の制動力又はブレーキ圧に基づいて、車両の重心位置が推定できることとなる。
【0035】
以上の説明は、本発明の実施の形態に関連してなされているが、当業者にとつて多くの修正及び変更が容易に可能であり、本発明は、上記に例示された実施形態のみに限定されるものではなく、本発明の概念から逸脱することなく種々の装置に適用されることは明らかであろう。
【0036】
例えば、後輪軸−重心間距離Lrが最初に直接算出されるようになっていてもよい。また、車両の制動系装置が電磁式の制動装置の場合には、各輪の制動力の値は、電磁アクチュエータに与えられる電流値又は電力値から算出されるようになっていてもよい。
【0037】
なお、上記の実施形態では、前後輪に於いて、ABS、EBD制御が実行される構成として説明されているが、本発明の原理は、前輪の制動力よりも先に後輪の制動力が飽和領域に達した場合に車両の重心位置が推定算出できるというものであり、前後輪の車輪速度から、前後輪の制動力の飽和の有無が判定できれば、本発明の装置は、達成可能であり、ABS装置又はEBD制御装置は、本発明の装置が搭載される車両に於いて必須の構成ではないことは理解されるべきである。
【符号の説明】
【0038】
10…車両
12f…前輪
12r…後輪
14…荷台
40…制動系装置
44…ブレーキペダル
42fl,fr,rl,rr…ホイールシリンダ
45…ブレーキバルブ
50…電子制御装置(重心位置推定装置を含む)
S…積載物


【特許請求の範囲】
【請求項1】
車両の重心位置を推定する装置であって、前記車両の制動中に前記車両の前輪の車輪速度と後輪の車輪速度との差の大きさが所定の大きさとなった時に前記前輪の制動力と前記後輪の制動力と前記車両の減速度とに基づいて前記車両の前後方向に於ける重心位置を推定することを特徴とする装置。
【請求項2】
請求項1の装置であって、前記車両の前後方向に於ける重心位置が前記前輪の制動力と前記後輪の制動力と前記車両の減速度とに基づいて算出される前記車両の制動中の荷重中心位置と前記車両に積載物が積載された状態に於いて想定される重心高とに基づいて推定されることを特徴とする装置。
【請求項3】
請求項1又は2の装置であって、前記前輪がスリップ状態に達していないときに前記重心位置を推定することを特徴とする装置。
【請求項4】
請求項1乃至3のいずれかの装置であって、前記車両に電子制動力配分制御装置が搭載され、該電子制動力配分制御装置が前記後輪の制動力の増大の制限を実行したときに前記重心位置を推定することを特徴とする装置。
【請求項5】
請求項1乃至4のいずれかの装置であって、前記車両にABS装置が搭載され、前記前輪に対するABS制御が実行されていないときに前記重心位置を推定することを特徴とする装置。
【請求項6】
請求項2又は請求項2を引用する請求項3乃至5のいずれかの装置であって、前記重心と前記前輪の車軸間の前後方向の距離Lfが、前記減速度Gx、前記前輪の制動力Fxf、前記後輪の制動力Fxr、前記重心高H、重力加速度G及びホイールベースLを用いて、
Lf=L・{Fxr/(Fxf+Fxr)}(Gx/G)+H(Gx/G)
により算出されることを特徴とする装置。
【請求項7】
請求項1乃至6のいずれかの装置であって、前記車両の制動中に前記車両の前輪の車輪速度と後輪の車輪速度との差の大きさが所定の大きさに達していないときに前記車両の減速度が所定値に達したときには、前記重心位置がその存在が想定される前後方向範囲の最後方の位置にあると推定されることを特徴とする装置。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2010−188801(P2010−188801A)
【公開日】平成22年9月2日(2010.9.2)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−33764(P2009−33764)
【出願日】平成21年2月17日(2009.2.17)
【出願人】(000003207)トヨタ自動車株式会社 (59,920)
【Fターム(参考)】