説明

高強度ばね用鋼

【課題】ばね用鋼をコイリングしてコイルばねに加工する際に、コイリング後に行う焼入れ後の焼戻し処理を省略しても高強度と良好な腐食疲労特性を両立し、さらに低温靭性にも優れるコイルばねを提供できるばね用鋼を提供する。
【解決手段】C:0.15〜0.40%、Si:1〜3.5%、Mn:0.20〜2.0%を含有するとともに、Ti:0.005〜0.10%、Nb:0.005〜0.05%、およびV:0.25%以下よりなる群から選択される少なくとも1種、Cr:0.05〜1.20%、P:0.030%以下、S:0.02%以下を含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、下記式(1)で示される炭素当量Ceq1が0.55以下であるばね用鋼。
Ceq1=[C]+0.108×[Si]−0.067×[Mn]+0.024×[Cr]−0.05×[Ni]+0.074[V] ・・・(1)

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、コイルばねの素材として有用なばね用鋼(ばね鋼)に関するものであり、詳細には、コイルばねを製造する際に用いるばね用鋼であって、焼入れままの状態で引張強度が1900MPa級となるばね用鋼に関するものである。
【背景技術】
【0002】
自動車等に用いられるばね(懸架ばねなど)には、排ガス低減や燃費向上のため軽量化が求められ、その一環として高強度化が指向されている。高強度化されたばねは、欠陥感受性が増し、例えば、融雪剤の付着により発生した腐食ピットからの破壊が生じやすくなり、腐食疲労による早期折損が問題となる。そこで高強度で、しかも腐食疲労特性に優れたばねが求められている。例えば、出願人がばね用鋼として先に開発した「UHS1900」は、ばね形状にコイリングした後、焼入れ焼戻しすることで、引張強度が1900MPa級と高強度でありながら、良好な腐食疲労特性を達成することができる。従ってこのばね用鋼から得られるコイルばねは、高強度と良好な腐食疲労特性を両立したものとなる。
【0003】
こうしたコイルばねは、一般的に、ばね用鋼(線材)を引抜き、摩棒した後、加熱し、熱間でコイリングした後、焼入れ、焼戻しを行い、セッチングして作製される。熱間コイリング後の焼入れ、焼戻し処理は、ばねの強度を調整するために行われる。焼入れ焼戻し処理のような熱処理時には、多くのCO2が排出されている。ところが、近年では、地球環境に対する負荷を低減することを目的とし、地球温暖化防止策の1つとしてCO2削減が強く求められている。そのため、コイルばねの製造工程においてもCO2の排出量を低減することが求められている。
【0004】
なお、特許文献1には、熱間成形後直ちに水焼入れし、焼戻しを行わない水焼入れままで、常温靱性と低温靱性を改善したスタビライザ用鋼が提案されている。このスタビライザ用鋼は、成分組成を低C−高Mn−Cr系、または低C−高Mn−B−Cr系にTi、V、Nbの一種または二種以上を添加したものに調整しているところに特徴がある。この特許文献1で対象としているスタビライザは、コイリングばねと技術分野が異なっており、例えば、強度レベルは腐食疲労特性が問題とならない800MPa級であり、腐食疲労特性との両立が求められる高強度域(例えば、1900MPa級)のばねとは関連がない。
【0005】
また、一般に鉄鋼材料の強度は、硬度の上昇と共に増加し、また硬度が上昇すると靭性が低下する。つまり、鉄鋼材料の強度が増加すると靭性が低下するが、ばね用材料としては、ばねの過酷な使用環境に耐えうる破壊特性が要求され、高強度化された懸架ばね等のばねにおいても、靭性、特に寒冷地における使用で重要となる低温靭性を確保することが必要となる。
【0006】
例えば、特許文献2は各種成分を調節することによって、高強度ばね鋼において延性と靭性が改善されたことを開示しており、また特許文献3は各種成分を調節することによって、硬度と靭性を兼ね備えたばね鋼が得られたことを開示している。しかし、特許文献2および3はいずれも常温での靭性に着目するのみで、低温靭性については考慮されていない。低温での靭性は、通常、常温での靭性よりも劣るものであり、特許文献2および3に開示された常温靭性から考慮すると、特許文献2および3の技術における低温靭性は不十分である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特許第4406341号公報
【特許文献2】特許第3577411号公報
【特許文献3】特許第3246733号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は上記の様な事情に着目してなされたものであって、その目的は、コイルばねに加工する際に、焼入れ後の焼戻し処理を省略しても高強度と良好な腐食疲労特性を両立し、さらに低温靭性にも優れるコイルばねを製造できるばね用鋼を提供することにある。また、本発明の他の目的は、このばね用鋼から得られるばねを提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記課題を解決することのできる本発明に係る高強度ばね用鋼は、C:0.15〜0.40%(質量%の意味。以下、同じ。)、Si:1〜3.5%、Mn:0.20〜2.0%を含有するとともに、Ti:0.005〜0.10%、Nb:0.005〜0.05%、およびV:0.25%以下よりなる群から選択される少なくとも1種、Cr:0.05〜1.20%、P:0.030%以下、S:0.02%以下を含有し、残部が鉄および不可避的不純物であり、下記式(1)で示される炭素等量Ceq1が0.55以下であることを特徴とする。
Ceq1=[C]+0.108×[Si]−0.067×[Mn]+0.024×[Cr]−0.05×[Ni]+0.074[V] ・・・(1)
(上記式(1)中、[ ]は各元素の含有量(質量%)を表す。)
【0010】
本発明のばね用鋼は、必要に応じて(a)Ni:0.05〜2%およびCu:0.05〜0.50%、(b)Ni:0.15〜2%およびCu:0.05〜0.50%、(c)B:0.005%以下および/またはMo:0.60%以下を含有していてもよい。
【0011】
また、本発明のばね用鋼は、Ti:0.035〜0.10%、Nb:0.005〜0.05%、およびV:0.05〜0.25%よりなる群から選択される少なくとも1種を含有し、焼入れ後の結晶粒度が7.5番以上であることも好ましい。
【0012】
上記ばね用鋼を用い、このばね用鋼を熱間でコイリングし、焼入れした後、焼戻しを省略したままセッチングすれば、上記特性を両立できるばねを製造できる。
【発明の効果】
【0013】
本発明のばね用鋼は、特定の合金元素の元素量と配合バランスを適切に制御しているため、このばね用鋼を用いてコイルばねを製造する際には、焼入れ後の焼戻し処理を省略することができ、焼入れままの状態で高強度と良好な腐食疲労特性を両立し、さらに良好な低温靭性を有するばねを製造できる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】図1は、実施例1で得られた試験片の炭素当量(Ceq1)と、水素脆化割れ寿命との関係を示すグラフである。
【図2】図2は、実施例2で得られた試験片の引張強度と低温靭性(vE-50)との関係を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0015】
本発明者らは、ばね用鋼をコイリングしてばねを製造するにあたり、コイリング後に行う焼入れ後の焼戻し処理を省略して高強度と良好な腐食疲労特性を両立し、さらに低温靭性にも優れるばねを製造できるばね用鋼を提供するために鋭意検討を重ねてきた。その結果、ばね用鋼に含有させる基本合金元素の種類をC、Si、Mn、Crと、Ti、NbおよびVの少なくとも1種に絞るか、これらの元素群にさらに(i)Ni、およびCuを加えたものか、また(ii)Bおよび/またはMoを加えたものに絞り、且つ、これらの元素のうち、C、Ti、Nb、V、Cr、Ni、およびCuの量はできるだけ低減する一方で、SiとMnを積極的に含有させれば、このばね用鋼をコイリングしてばねを製造する際に、焼入れ後の焼戻し処理を省略でき、焼入れままの状態で1900MPa級の引張強度と良好な腐食疲労特性を両立し、さらにTi、NbおよびVの含有量をより厳密に調整することによって低温靭性にも優れたばねを提供できることを見出し、本発明を完成した。
【0016】
本発明のばね用鋼では、特に、C量を、通常のばね用鋼に用いられるC量よりも低減しているところに特徴がある。C量を低減することで、鋼中に析出する炭化物量を低減できるため、通常のばね製造過程で行われている焼入れ後の焼戻しを省略できる。即ち、ばねは、上述したように、通常、ばね用鋼(線材)を引抜き、摩棒した後、加熱し、熱間でコイリングした後、焼入れ、焼戻しを行い、セッチングして作製される。セッチング後は、必要に応じて、ショットピーニングされた後、塗装が施される。しかし本発明のばね用鋼はC量を低減しているため、焼入れ後の焼戻しを省略してそのままセッチングしてもばねの強度を確保できる。
【0017】
一方、本発明のばね用鋼では、SiとMnを積極的に添加している。SiとMnは、入手し易い元素であり、SiとMnを増量しても安定供給性を維持できる。また、SiとMnは、靱性を低下させることなく強度を高める作用を有するため、SiとMnを積極的に添加することによって高強度と良好な腐食疲労特性を両立できる。
【0018】
以上の知見に基づきつつ、高強度と良好な腐食疲労特性を確実に両立するには、各元素の量を厳密に規定し、かつそれらの関係も規定する必要がある。即ち、本発明では、ばね用鋼の成分組成を次のように設計し、下記式(1)で示される炭素当量Ceq1を0.55以下とした。下記式(1)中、[ ]は鋼中の各元素の含有量(質量%)を表す。
【0019】
<ばね用鋼の成分組成>
C:0.15〜0.40%、Si:1〜3.5%、Mn:0.20〜2.0%を含有するとともに、Ti:0.005〜0.10%、Nb:0.005〜0.05%、およびV:0.25%以下よりなる群から選択される少なくとも1種、Cr:0.05〜1.20%
Ceq1=[C]+0.108×[Si]−0.067×[Mn]+0.024×[Cr]−0.05×[Ni]+0.074[V] ・・・(1)
各元素の添加量設定理由と、炭素当量Ceq1の規定理由は以下の通りである。
【0020】
Cを0.15%以上としたのは、焼入れ性を高め、強度を確保するためである。また、Cを0.40%以下としたのは、靱性と腐食疲労特性の劣化を防止するためである。C量の下限は、好ましくは0.2%以上、より好ましくは0.25%以上であり、C量の上限は好ましくは0.35%以下、より好ましくは0.34%以下、特に好ましくは0.33%以下である。
【0021】
Siを1%以上としたのは、Siを固溶強化元素として作用させ、強度を確保するためである。Siが1%未満では、マトリックス強度が不足する。一方、Si量が過剰になると、焼入れ加熱時に炭化物の溶け込みが不十分となり、均一にオーステナイト化させるためにより高温の加熱が必要となって表面の脱炭が進み、ばねの疲労特性が悪くなる。そこで、Siを3.5%以下とすることによって、前記した脱炭の抑制や粒界酸化などの発生を抑制でき、異常組織が生成して強度が低下するのを防止できる。Siは、好ましくは1.5%以上、3.0%以下、より好ましくは1.80%以上、2.5%以下である。
【0022】
Mnは、0.20%以上とすることで焼入れ性を高め、強度を確保できる。さらに硫化物系介在物が生成することでSによる粒界脆化を抑制し、靭性と腐食疲労特性を向上させることができる。また、Mnは、2.0%以下とすることで過冷組織が発生し、靱性と腐食疲労特性が劣化するのを防止できる。また、過剰な硫化物系介在物の生成や粗大化を抑制し、靭性と腐食疲労特性が劣化するのを防止できる。Mn量の下限は、好ましくは0.5%以上、より好ましくは0.80%以上であり、Mn量の上限は好ましくは1.8%以下、特に好ましくは1.5%以下である。
【0023】
Tiを0.005%以上としたのは、焼入れ後の旧オーステナイト結晶粒を微細化し、強度や耐力比を向上させ、靱性と腐食疲労特性を向上させるためである。靭性を向上させることによって耐へたり性を向上させることができる。また、Tiを0.10%以下としたのは、粗大な介在物(例えば、Ti窒化物)が析出するのを防止し、腐食疲労特性の劣化を抑制するためである。Ti量の下限は、好ましくは0.01%以上(特に好ましくは0.05%以上)であり、Ti量の上限は、好ましくは0.080%以下、より好ましくは0.07%以下である。
【0024】
Vは、焼入れ性を一段と高めて強度を高めるのに有効に作用する元素である。また靭性を高めて耐へたり性の向上に寄与する他、結晶粒を微細化して強度や耐力比を向上させる元素である。こうした作用を発揮させるには、Vは0.05%以上含有させることが好ましく、より好ましくは0.08%以上、更に好ましくは0.1%以上である。しかしVが過剰になると粗大な炭窒化物を形成し、靱性と腐食疲労特性が劣化する。従ってVは0.25%以下、好ましくは0.22%以下、より好ましくは0.2%以下である。
【0025】
Nbは、靭性を高めて耐へたり性の向上に寄与する元素であり、また結晶粒を微細化して強度や耐力比を向上させる元素である。こうした作用を発揮させるために、Nb量は0.005%以上とする。Nb量は好ましくは0.008%以上であり、より好ましくは0.01%以上である。一方、Nb量が過剰になると靭性に悪影響を及ぼす。従ってNb量は0.05%以下とする。Nb量は好ましくは0.04%以下であり、より好ましくは0.03%以下である。
【0026】
Ti、VおよびNbは単独で添加しても良いし、二種以上を組み合わせて添加しても良い。Ti、VおよびNbの含有量はそれぞれ、Ti:0.035〜0.10%、Nb:0.005〜0.05%、V:0.05〜0.25%として、これらの少なくとも1種を含有させることが好ましい。また、この様な範囲でTi、VおよびNbを含有させることによって、結晶粒微細化効果を有効に発揮することができ、焼入れ後の結晶粒度を7.5番以上とすることができる結果、良好な低温靭性を発揮することができる。焼入れ後の結晶粒度は、より好ましくは8.0番以上であり、さらに好ましくは9.0番以上である。本発明のばね用鋼の低温靭性は、例えば−50℃でのシャルピー吸収エネルギーが50J/cm2以上であり、好ましくは70J/cm2以上、より好ましくは80J/cm2以上である。
【0027】
Crは、0.05%以上とすることで固溶強化により鋼マトリックスを強化させると共に、焼入れ性を向上させて強度を確保できる。また、腐食条件下で表層部に生成する錆を非晶質で緻密なものとし、耐食性の向上に寄与する元素である。一方Crは、1.20%以下とすることでMs点が低下して過冷組織が生成するのを防止し、靱性と腐食疲労特性を確保できまた、焼入れ時のCr炭化物の溶け込み不足による強度や硬さの減少を防止することができる。Crは、好ましくは0.1%以上、1.10%以下、より好ましくは0.5%以上、1.05%以下である。
【0028】
本発明のばね用鋼の残部は、実質的に鉄である。但し、鉄原料(スクラップを含む)や副原料などの資材、製造設備等の状況によって持ち込まれる不可避不純物が鋼中に含まれることは、当然に許容される。不可避不純物のうち、特にPは0.030%以下(0%を含まない)、Sは0.02%以下(0%を含まない)と定めた。このような範囲を定めた理由は以下の通りである。
【0029】
Pを0.030%以下としたのは、旧オーステナイト粒界に偏析して粒界を脆化させるのを抑制し、靱性と腐食疲労特性を劣化させるのを防止するためである。Pは、好ましくは0.02%以下、より好ましくは0.01%以下である。Pは少なければ少ない程好ましいが、通常0.001%程度含まれる。
【0030】
Sを0.02%以下としたのは、鋼中に硫化物系介在物を形成し、これが粗大化して腐食疲労特性が低下するのを防止するためである。Sは、好ましくは0.015%以下、特に0.01%以下である。SもPと同様に少なければ少ない程好ましいが、通常0.001%程度含まれる。
【0031】
PとSの合計量は0.015%以下とすることが好ましく、より好ましくは0.010%以下である。
【0032】
上記炭素当量Ceq1を0.55以下としたのは、ばね用鋼をコイリングしてコイルばねを製造する際に、焼入れ後の焼戻し処理を省略してもばねの強度と腐食疲労特性を両立するためである。即ち、上記炭素当量Ceq1は、焼入れ後の硬さに影響を及ぼす合金元素の寄与度を示しており、この数値を小さくしたうえで焼入れ後の焼戻し処理を省略することで、ばねの芯部硬さを確保でき、高強度化を達成できる。また、上記炭素当量Ceq1を0.55以下に抑えることで、合金元素の依存度を下げることができ、安定供給性を高めることができる。上記炭素当量Ceq1は、好ましくは0.53以下、より好ましくは0.50以下である。なお、上記炭素当量Ceq1は、できるだけ小さくなるように成分設計する方がコスト削減できるが、高強度と腐食疲労特性を両立するには合金元素をある程度添加する必要がある。従って炭素当量Ceq1の下限値は0.30である。なお、下記式(1)を計算するにあたり、含有されない元素がある場合は、その元素の含有量は0質量%として計算するものとする。
【0033】
本発明のばね用鋼は、上記化学成分組成と、上記炭素当量Ceq1を満足するものであるが、更なる特性の改善を狙って、NiおよびCuを含有したり、Bおよび/またはMoを含有しても良い。
【0034】
NiおよびCuを含有(すなわち、NiとCuの併用)する場合は、Ni量を0.05〜2%、Cu量を0.05〜0.50%とする。Niを0.05%以上としたのは、靱性を高め、欠陥感受性を低減して腐食疲労特性を向上させるためである。また、Niは生成する錆を非晶質で緻密なものとして耐食性を高める作用があり、さらにばね特性として重要なへたり特性を改善する作用も有している。一方、Niを2%以下とすることでMs点が低下して過冷組織が生成するのを防止し、靱性と腐食疲労特性を確保できる。Niは、好ましくは0.15%以上、2%以下であり、より好ましくは0.18%以上、1.5%以下、さらに好ましくは0.20%以上、1%以下、特に0.5%以下である。
【0035】
Cuは電気化学的に鉄より貴な元素であるため錆を緻密化して耐食性を向上させる作用を有する元素である。そこでCuを含有する場合は、Cu量を0.05%以上とする。しかし過剰に添加してもその効果は飽和し、むしろ熱間圧延による素材の脆化を引き起こす恐れがある。そこでCu量の上限は0.50%以下とした。Cuは、好ましくは0.1%以上、0.4%以下、より好ましくは0.15%以上(特に0.18%以上)、0.3%以下である。
【0036】
Bは、焼入れ性を一段と高めて粒界強度を高め、靭性を高めて耐へたり性を向上させ、さらに表面に生成する錆を緻密化して耐食性を向上させる元素である。こうした作用を発揮させるには、Bは0.0005%以上含有させることが好ましく、より好ましくは0.001%以上、更に好ましくは0.0015%以上である。しかしBが過剰になると上記効果が飽和する他、粗大な炭窒化物を形成し、靱性と腐食疲労特性が劣化する。従ってBは0.005%以下、好ましくは0.004%以下、より好ましくは0.003%以下である。
【0037】
Moは、靭性を高めて耐へたり性の向上に寄与する元素であり、また焼入性を確保して、鋼の強度と靭性を高める元素である。こうした作用を有効に発揮させるためMo量は0.05%以上とすることが好ましく、より好ましくは0.08%以上であり、さらに好ましくは0.10%以上である。一方、Mo量が過剰になっても上記効果は飽和する。そこでMo量は0.60%以下とすることが好ましく、より好ましくは0.50%以下、さらに好ましくは0.35%以下である。BおよびMoは、単独で含有しても良いし、併用しても良い。
【0038】
以上説明したように、本発明のばね用鋼は、各合金元素量を厳密に規定すると共に、それらの関係を規定しているところに特徴があり、このばね用鋼を用いれば、コイリング後に行う焼入れ後の焼戻し処理を省略でき、焼入れままでも引張強度が1900MPa以上の高強度と良好な腐食疲労特性を両立したばねを製造できる。また、結晶粒微細化作用のある元素(Ti、NbおよびV)の含有量をより厳密に制御することによって、低温靭性を向上させることができる。以下、上記ばね用鋼からばねを製造するときの方法について説明する。
【0039】
本発明のばね用鋼からばねを製造するにあたっては、焼入れ後の焼戻しを省略する必要がある。即ち、上記化学成分組成を満足するばね用鋼(線材)を、引抜き、摩棒した後、加熱し、熱間でコイリングしてばね形状に成形し、焼入れするまでは従来と同じであるが、焼入れ後、焼戻しを省略したままセッチングする必要がある。本発明のばね用鋼は、C量を従来のばね用鋼よりも低減しているため、焼入れ後に焼戻しすると、軟化し過ぎて靱性と腐食疲労特性が劣化する。従って焼入れ後の焼戻しは省略する必要がある。
【0040】
ここで、「焼戻しの省略」とは、焼入れ後に、350℃を超える温度に加熱されないことを意味している。
【0041】
上記セッチングは、冷間で行ってもよいし、温間で行ってもよい。冷間セッチングするときの温度は、常温とすればよく、温間セッチングするときの温度は、200〜250℃程度とすればよい。
【0042】
セッチング後は、必要に応じて、ショットピーニングした後、塗装してもよい。ショットピーニングと塗装の条件は特に限定されず、常法の条件を採用できる。
【0043】
こうして得られるばねは、高強度と良好な腐食疲労特性を両立でき、さらに低温靭性にも優れている。
【0044】
本発明に係るばね用鋼の製造条件は特に限定されないが、本発明の好ましい態様である結晶粒度を7.5番以上とするためには、例えば焼入れ時の加熱温度を925℃以下とし、加熱時間を15分以下とすることが推奨される。前記焼入れ時の加熱温度および加熱時間の下限は特に限定されないが、通常、加熱温度の下限は850℃程度、加熱時間の下限は10分程度である。
【実施例】
【0045】
以下、実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、本発明はもとより下記実施例によって制限を受けるものではなく、前・後記の趣旨に適合し得る範囲で適当に変更を加えて実施することも勿論可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に包含される。
【0046】
実施例1
下記表1に示す化学成分組成の鋼(残部は、鉄および不可避不純物)を150kgの真空溶解炉にて溶製してから1200℃で保持した後、熱間鍛造して155mm角のビレットにし、このビレットを熱間圧延して直径13.5mmのばね用鋼(ばね用線材)を作製した。このばね用線材に、直径が12.5mmとなるように摩棒加工を施した後、長さ70mmに切断してから焼入れを行った。焼入れは、温度925℃で10分間加熱した後、温度50℃の油浴に入れて行った。焼入れ後、機械加工して幅10mm×厚さ1.5mm×長さ65mmの試験片を切り出した。
【0047】
表1に示したNo.29とNo.30は、神戸製鋼所製のばね用線材「UHS1900」を模擬したデータであり、これらのうちNo.30は、焼入れ後、400℃で1時間保持して焼戻しを行ってから上記と同じ条件で機械加工して試験片を作製した。表2に、焼戻しの有無を示す。
【0048】
また、鋼中の化学成分量と、上記式(1)から算出される炭素当量(Ceq1)を算出した結果を下記表1に示す。
【0049】
得られた試験片の強度と腐食疲労特性を以下のようにして調べた。
【0050】
試験片の強度と腐食疲労特性は、セッチングを冷間または温間で行うことを模擬して測定した。即ち、冷間セッチングを模擬する場合は、上記試験片をそのまま各試験に用い、温間セッチングを模擬する場合は、上記試験片を200℃で60分間加熱したものを各試験に用いた。冷間セッチングと温間セッチングのどちらを模擬したかを下記表2に示す。
【0051】
<強度>
試験片の強度は、試験片の硬さをロックウェル硬さ試験機で、Cスケールで測定して評価した。C硬さの測定結果を下記表2に示す。本発明では、HRCが51以上を合格とする。
【0052】
<腐食疲労特性>
腐食疲労特性は、水素脆化割れ試験を行って評価した。水素脆化割れ試験は、上記試験片に対して4点曲げによって1400MPaの応力を作用させながら、この試験片を硫酸(0.5mol/L)とチオシアン酸カリウム(KSCN;0.01mol/L)の混合水溶液に浸漬し、ポテンショスタットを用いてSCE電極よりも卑である−700mVの電圧をかけ、割れが発生するまでの時間(以下、水素脆化割れ寿命と呼ぶ。)を測定した。水素脆化割れ試験の測定結果を下記表2に示す。本発明では、割れ発生までの時間が600秒以上の場合を合格とする。
【0053】
なお、HRCが51以上、割れ発生までの時間が600秒以上という基準は、焼入れ後に焼戻しを行って得られた従来の懸架ばね(下記表2のNo.30)と同等以上の特性を有していることを意味している。
【0054】
図1に、炭素当量(Ceq1)と水素脆化割れ寿命(秒)との関係を示す。図1では、No.1〜15、31、33の結果を□で、No.16〜29、32の結果を●で、No.30(焼戻し有り)の結果を○で示した。
【0055】
図1から明らかなように、炭素当量(Ceq1)を小さくした方が、水素脆化割れ寿命を長くすることができ、腐食疲労特性を改善できる傾向が読み取れる。
【0056】
表2から次のように考察できる。
【0057】
No.30は、焼入れ後に焼戻しを行った例である。この例では、芯部硬さを確保できており、強度が高く、また水素脆化割れ寿命も良好で、腐食疲労特性を改善できている。しかし焼入れ後に焼戻し処理しているため、CO2排出量を削減できない。
【0058】
No.29の成分組成は上記No.30に類似しているが、焼入れ後の焼戻しを省略した例である。この例では、焼戻し処理を省略しているためCO2排出量を削減できるが、炭素当量が0.55を超えており、合金元素量が多いにもかかわらず焼戻しを省略しているため、芯部硬さが硬くなり過ぎて靱性が低下し、水素脆化割れ寿命が短くなって腐食疲労特性が劣化している。
【0059】
No.16〜28、32は、本発明で規定する要件を満足しない例であり、高強度と良好な腐食疲労特性を両立できていない。即ち、ばね用鋼の炭素当量(Ceq1)が本発明で規定する範囲を超えており、しかも焼入れ後の焼戻しを省略しているためCO2排出量を削減できるが、芯部硬さが硬くなり過ぎて靱性が低下し、水素脆化割れ寿命が短くなって腐食疲労特性が劣化している。
【0060】
No.1〜15、33は、本発明で規定する要件を満足する例であり、高強度と良好な腐食疲労特性を両立できている。即ち、炭素当量(Ceq1)を0.55以下に抑えたうえで、焼入れ後の焼戻しを省略しているためCO2排出量を削減でき、しかも芯部硬さを適度に確保できており、高強度を達成できている。また、水素脆化割れ寿命も長く、腐食疲労特性も改善できている。しかもばね用鋼の炭素当量(Ceq1)を0.55以下に抑えているため、合金元素の依存度を下げることができており、安定供給を実現できる。従って、本発明のばね用鋼を用いれば、上記「UHS1900」を模擬した上記No.30と同程度か、それ以上の特性を発揮するばねを提供できることが分かる。
【0061】
【表1】

【0062】
【表2】

【0063】
実施例2
表3に示す化学成分組成の鋼材(残部は、鉄および不可避不純物)を150kgの真空溶解炉にて溶製した後、造塊法または連続鋳造法によって鋳造し、その後分塊圧延によって155mm角のビレットを作成し、さらに熱間圧延して直径13.5mmの線材に加工して供試材とした。これら供試材を、温度925℃で10分間加熱した後、50℃の油浴に入れて焼入れを行った。No.2−24のみ、前記焼入れ後に400℃で1時間の焼戻し処理を行った。
【0064】
【表3】

【0065】
<低温靭性>
上記焼入れ後の供試材から、2mmUノッチ付衝撃試験片を採取し、JIS Z2242に従って、−50℃でのシャルピー吸収エネルギー(vE-50)を求めた。試験は各鋼種につき2本ずつ行い、平均値を各鋼種のシャルピー吸収エネルギーとした。
【0066】
<結晶粒度番号>
上記焼入れ後の供試材の、D/4位置(Dは線材の直径)において、任意の15mm2の領域を光学顕微鏡で観察し(倍率:400倍)、JIS G0551に従って結晶粒度番号を測定した。測定は2視野について行い、これらの平均値をオーステナイト結晶粒度とした。
【0067】
結果を表4に示す。
【0068】
【表4】

【0069】
表4のNo.2−1〜No.2−14は、本発明の要件を満たし、特にTi、NbおよびV量が適切に調整されているため、高強度で、かつ低温靭性に優れる鋼が実現できた。
【0070】
一方、No.2−15〜No.2−24は、本発明の要件の少なくともいずれかを満たしていないため、靭性が不十分であった。
【0071】
No.2−15〜No.2−19は、C量が過剰であった例であり、強度が上昇しすぎることによって低温靭性が低下した。
【0072】
No.2−20〜No.2−22は、Ti、NbおよびVのいずれも含有しないため、結晶粒微細化効果が発揮されず、低温靭性が低下した。
【0073】
No.2−23およびNo.2−24はいずれも規格鋼の9254に相当する鋼種であり、No.2−24は焼入れ後に焼戻し処理を行ったものである。No.2−23はC量が多く強度が上昇しすぎたことと、Ti、NbおよびVのいずれも含有しないため、低温靭性が低下した。また、No.2−24は、焼戻し処理をしたため強度はNo.2−23に比べて低下しているが、Ti、NbおよびVのいずれも含有しないため、低温靭性が低下した。
【0074】
図2は、No.2−1〜2−24について、強度と低温靭性(−50℃でのシャルピー吸収エネルギー)の関係を示したグラフである。図2ではNo.2−1〜2−14、2−25の結果を□で、No.2−15〜No.2−23、2−26の結果を●で、No.2−24の結果を○で示した。図2によれば本発明の要件を満たす鋼(図2中、□で示す)は、いずれもシャルピー吸収エネルギーが50J/cm2以上であるとともに、本発明の要件のいずれかを満たさない鋼(図2中、●および○で示す)に比べて同じ強度で比較した場合に高靭性を達成していることが分かる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
C:0.15〜0.40%(質量%の意味。以下、同じ。)、
Si:1〜3.5%、
Mn:0.20〜2.0%を含有するとともに、
Ti:0.005〜0.10%、Nb:0.005〜0.05%、およびV:0.25%以下よりなる群から選択される少なくとも1種、
Cr:0.05〜1.20%、
P:0.030%以下、
S:0.02%以下を含有し、残部が鉄および不可避的不純物であり、
下記式(1)で示される炭素等量Ceq1が0.55以下であることを特徴とする焼戻しを省略した高強度ばね用鋼。
Ceq1=[C]+0.108×[Si]−0.067×[Mn]+0.024×[Cr]−0.05×[Ni]+0.074[V] ・・・(1)
(上記式(1)中、[ ]は各元素の含有量(質量%)を表す。)
【請求項2】
更に、
Ni:0.05〜2%およびCu:0.05〜0.50%を含有する請求項1に記載の高強度ばね用鋼。
【請求項3】
Ni:0.15〜2%を含有する請求項2に記載の高強度ばね用鋼。
【請求項4】
Ti:0.035〜0.10%、Nb:0.005〜0.05%、およびV:0.05〜0.25%よりなる群から選択される少なくとも1種を含有し、
焼入れ後の結晶粒度が7.5番以上である請求項1〜3のいずれかに記載の高強度ばね用鋼。
【請求項5】
更に、
B:0.005%以下および/またはMo:0.60%以下を含有する請求項1〜4のいずれかに記載の高強度ばね用鋼。
【請求項6】
請求項1〜5に記載のばね用鋼を熱間でコイリングし、焼入れした後、焼戻しを省略したままセッチングすることを特徴とする腐食疲労特性に優れた高強度ばねの製造方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate


【公開番号】特開2011−149089(P2011−149089A)
【公開日】平成23年8月4日(2011.8.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−240097(P2010−240097)
【出願日】平成22年10月26日(2010.10.26)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】