説明

摺動部用メッキ皮膜及び同皮膜の形成方法

【課題】摺動部用メッキ皮膜の低摩擦化及び潤滑性の向上を図る。
【解決手段】Cr成分を含有するメッキ浴から電解析出させて形成されたCrを含有する摺動部用メッキ皮膜を形成するにあたり、上記メッキ浴に有機スルフォン酸を添加して、上記メッキ皮膜に多数のクラックを形成する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は摺動部用メッキ皮膜及び同皮膜の形成方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
ロータリーピストンエンジンの燃焼室を構成するローターハウジングにおいては、アペックスシールが摺動するトロコイド面に、その耐摩耗性向上のためにHv1000程度の硬さを有するクロムモリブデン(CrMo)合金メッキ皮膜を形成し、さらに、メッキ直後に一次逆電処理を施し、該メッキ表面のホーニング加工後に二次逆電処理を施して、メッキ皮膜に微細なクラックを形成し、保油性を高めることにより潤滑性を改善することがなされている(特許文献1参照)。
【0003】
また、硬質微粒子を含有するクロムメッキ浴中でレシプロエンジンのシリンダライナに正電処理と逆電処理とを周期的に繰り返すことにより、複合クロムメッキ皮膜を形成し、しかる後にホーニング加工を行なうことにより、最大粗さ3μm、気孔率5%以下、クラックの平均深さ0.01mm以下となるように仕上げることも知られている(特許文献2参照)。
【0004】
また、摺動面に複数の硬質Crメッキ層が積層され、各メッキ層表面に微小亀裂が形成され、その微小亀裂が成膜方向に独立した微小空洞を形成する内燃機関用ピストンリング等の摺動部材に関し、メッキ層表面における空孔率を0.5〜4.5%とすること、メッキ層表面の微小亀裂の数を50〜1200本/10mmとするという提案も知られている(特許文献3参照)。
【特許文献1】特開昭62−26324号公報
【特許文献2】特開平10−148155号公報
【特許文献3】国際公開第01/48267号パンフレット
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかし、クロムモリブデン合金メッキや硬質クロムメッキなどクロムメッキにおいては、高い硬度を得るためには低温/低電流密度でメッキ処理をする必要がある。例えば、ロータハウジングで膜厚150μmのメッキ皮膜を得るには正電処理を6.5時間ほど行なう必要があり、そのことが量産性を低下させ部品コストを高める要因となっている。また、上述の如くホーニング加工後に二次逆電を行なう方法では、処理工数が多くなり、上記量産性及びコスト低減の面で不利であるばかりでなく、前工程で生ずる一次逆電によるエッチングの深さの大小のバラツキやホーニング加工仕上げ粗さの大小のバラツキの影響が相乗的に現れて、二次逆電によるエッチング後の凹凸のバラツキが大きくなることで、最終製品の品質が不安定になるという問題がある。
【0006】
また、通常の硬質クロムメッキ(サージェント浴)では、クロム酸や硫酸がメッキ浴でCrを析出させる触媒の役割を担い、析出したメッキ皮膜に二次逆電を施すと表面に微細なクラックを形成することができるが、それらクラックの開口幅は5μm以上もあり、単位長さ当たりのクラック本数も100本/cm以下であった。
【0007】
逆電条件を緩和(電流密度を下げる、或いは時間を短縮する)すれば、除去されるメッキの量が減ることでクラックの開口が抑えられる方向に作用するが、実際には難しい。すなわち、クラック開口幅の大きさはメッキ皮膜の内部応力に起因するところ、従来のサージェント浴では得られるメッキ皮膜の内部応力が大きく、クラックが一旦開口すると、その幅は5μm以上にならざるを得なかった。一方、逆電条件を厳しく(電流密度を上げる、或いは時間を長くする)すれば、除去されるメッキ皮膜の量が増えることでクラックの開口が促進される方向に作用するが、クラックの本数もまたメッキ皮膜が持つ内部応力に応じて形成されるため、100本/cmが限度であった。
【0008】
クラック開口幅が大きくクラック本数が少ないということは、メッキ皮膜表面に潤滑油を供給したときに、その潤滑油がクラックに逃げて油膜切れを生じ易くなり、焼き付きを生じ易くなるとともに、摺動面の抵抗損失が増えることで燃費が悪化する、ということである。
【0009】
一方、特許文献3にはクラック数が多いメッキ皮膜の形成について開示されているが、正電処理と逆電処理を多数回繰り返す必要があり、その際の電流密度の調整も難しいと考えられる。
【0010】
そこで、本発明は、潤滑性の高い低摩擦の摺動部用メッキ皮膜を得ることを課題とし、さらに、そのような摺動部用メッキ皮膜を得るための処理時間を短縮すること、そして、品質安定性を高めることを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明は、このような課題に対して、有機スルフォン酸をメッキ時の触媒として採用するようにした。
【0012】
請求項1に係る発明は、Cr成分を含有するメッキ浴から電解析出させて形成されたCrを含有する摺動部用メッキ皮膜であって、
上記メッキ浴が有機スルフォン酸を含有し、
上記メッキ皮膜表面に多数の微細クラックが形成されているとともに、
上記メッキ皮膜表面は、X線回折において、BCC構造Cr結晶の(211)面からの回折ピークに対する(200)面からの回折ピークの強度比が1よりも大であることを特徴とする。
【0013】
すなわち、Crを含有するメッキ皮膜表面にはBCC構造の(211)面や(200)面など配向が異なるいろいろなCr結晶面が現れる。その場合、有機スルフォン酸は、メッキ浴中のクロム酸が分解してCrがワーク表面に皮膜として析出することを促進する触媒として働き、有機スルフォン酸を添加しない場合とは違って、(211)面からの回折ピークに対する(200)面からの回折ピークの強度比が1よりも大になる。これは、メッキ皮膜表面において(200)面の配向をもつCr結晶の割合が多いことを意味する。これにより、上記メッキ皮膜を有する物体と相手材との間に働く摩擦力が小さくなる。
【0014】
この点を詳述すると、Crを含有するメッキ皮膜は、その表面が酸化することによって生成した酸化クロムの膜で覆われており、この酸化クロム膜が相手材と相接して摺動することになる。そのとき、その酸化クロム膜と相手材とが凝着し、この酸化クロム膜をCr結晶面から剥がすために必要なせん断力が摩擦力として現れる。一方、Crの各結晶面はその面間隔dが相異なる。
【0015】
図1はBCC結晶構造の(110)面、(200)面及び(211)面の面間隔d(110)、d(200)及びd(211)を示す。d(200)=2.08Å、d(211)=1.39Åであり、(200)面の方が(211)面よりもその面間隔dが広い。このことは、(200)面では、メッキ皮膜(Cr結晶面)に対する酸化クロム膜の密着力が(211)面の場合よりも弱いことを意味する。つまり、この密着力はメッキ皮膜のCr原子と酸化クロムの酸素原子との相互作用に基づくが、上記面間隔dが広くなるほど内側の(200)面のCr原子と酸化クロムの酸素原子との距離が遠くなり、この両原子の相互作用が弱くなるからである。
【0016】
そうして、上記(200)面では、酸化クロム膜の密着力が(211)面の場合よりも弱いということは、当該結晶面に凝着した酸化クロム膜が剥がれ易いということであり、従って、(200)配向のCr結晶の割合が多い本発明によれば、相手材との間に働く摩擦力が小さくなる。
【0017】
特に限定するわけではないが、上記ピーク強度比が1.25以上であることが好ましく、その上限は1.8或いは2程度を目安にすればよい。上記ピーク強度比が2を越えて大きくなると、酸化クロムが過度に剥離し易くなることから、メッキ皮膜の摩耗が過大になる、或いはCr結晶面(金属面)が広範囲に露出して相手材との焼き付きを生じ易くなる、という問題が出てくるからである。
【0018】
また、メッキ皮膜表面に微細クラックが多数形成されていることにより、摺動に伴ってメッキ皮膜表面で摩擦熱を生じても、その直ぐ近傍にクラックがあるため、その摩擦熱がクラック内の潤滑油に放散され、局部的な異常昇温が防止される。また、クラック内の潤滑油がメッキ皮膜表面に供給され易くなって油膜切れを生じ難くなり、焼き付き防止、摺動抵抗の低減に有利になる。
【0019】
有機スルフォン酸としては、HSO3Rで表され、Rが、メチル基、エチル基等の炭素数10以下の脂肪族炭化水素基、パラ位置にメチル基を有するトルエン、不飽和炭化水素基を有するスチレンなど1つの芳香環に非環式炭化水素が結合した芳香族炭化水素基であることが好ましい。Rは他の芳香族炭化水素基であってもよいし、スルフォン酸基(HSO3)は複数個あってもよい。この点は以下に述べる他の発明も同様である。
【0020】
請求項2に係る発明は、請求項1において、
上記メッキ浴がさらにMo成分を含有し、上記メッキ皮膜がCrMo合金によって形成されていることを特徴とする。
【0021】
従って、Moの添加によりメッキ皮膜の結晶の微細化、強度の向上、耐熱性の向上が図れ、潤滑性の向上、低摩擦化(摩擦係数の低減)、焼き付き防止に有利になる。Mo共析量は0.3%以上1.0%以下が好ましい。
【0022】
請求項3に係る発明は、請求項1又は請求項2において、
上記メッキ皮膜表面に、幅0.1μm以上3μm以下のクラックが長さ1cmあたり400本以上1300本以下露出していることを特徴とする。
【0023】
上述の如く有機スルフォン酸を触媒として採用すると、有機スルフォン酸を添加しない場合とは違ってワーク表面へのCrの析出速度が高速になり、この高速析出の結果、メッキ皮膜が成長する過程でその皮膜に微細なクラックが多数発生する。換言すれば、Crが高速で析出するために、結晶成長の過程で生ずる内部残留応力が早期に解放され、メッキ皮膜に長さ1cmあたり400本以上1300本以下という幅の狭い多数の微細クラックが形成されることになる。
【0024】
このように微細クラックが多数形成されていることにより、摺動に伴ってメッキ皮膜表面で摩擦熱を生じても、その直ぐ近傍にクラックがあるため、その摩擦熱がクラック内の潤滑油に放散され、局部的な異常昇温が防止される。また、クラック内から潤滑油が表面に供給され易くなって油膜切れを生じ難くなり、焼き付き防止、摺動抵抗の低減に有利になる。
【0025】
また、メッキ皮膜表面の摩耗が進行しても、それに伴ってメッキ皮膜に内在するクラックが皮膜表面に開口してくるから、良好な潤滑特性が維持される。
【0026】
また、油溜りとして働くクラックの幅が広くなると、摺動面(メッキ皮膜表面)の潤滑油がクラックに逃げ易くなる。これに対して、当該発明によれば、クラックは、その幅が0.1μm以上3μm以下と狭くなっているから、摺動面からクラックへの潤滑油の逃げが少なくなり、油膜切れを避けて摩擦係数の低減、焼き付きの防止に有利になる。
【0027】
請求項4に係る発明は、請求項1乃至請求項3のいずれか一において、
上記メッキ皮膜の表面が研削加工されていることを特徴とする。
【0028】
従って、研削加工により、メッキ皮膜の表面粗さを調整して初期の油膜切れを防止することができるとともに、メッキ皮膜表面に開口するクラックの状態を適切なものにして潤滑性の向上を図ることができる。表面粗さRaは例えば2.0μm以下とすることが好ましい。
【0029】
請求項5に係る発明は、請求項4において、
上記メッキ皮膜表面には、さらに、幅0.1μm未満のクラックが長さ1cmあたり1500本以上3000本以下形成されていることを特徴とする。
【0030】
従って、このような多数の極微細クラックの存在により、メッキ皮膜表面における潤滑油の保持性が高くなり、すなわち、油膜切れを生じ難くなり、焼き付き防止、摺動抵抗の低減ないしは摩擦係数の低減に有利になる。
【0031】
請求項6に係る発明は、請求項4又は請求項5において、
上記幅0.1μm以上3μm以下のクラックが上記メッキ皮膜表面に占める面積の割合は3%以上20%以下であることを特徴とする。
【0032】
すなわち、メッキ皮膜表面に占めるクラック面積の割合が少ないと油膜の保持性が失われて焼き付きを生じ易くなることから、その割合は3%以上が好ましい。但し、クラック面積の割合が大きくなり過ぎると、摺動面から潤滑油がクラックに逃げやすくなって油膜切れを生じ易くなることから、当該割合は20%以下が好ましい。
【0033】
請求項7に係る発明は、Cr成分を含有するメッキ浴から電解析出させて形成されたCrを含有する摺動部用メッキ皮膜であって、
上記メッキ浴が有機スルフォン酸を含有し、
上記メッキ皮膜表面に多数の微細クラックが形成されているとともに、
上記メッキ皮膜表面は、X線回折において、BCC構造Cr結晶の(211)面からの回折ピークに対する(200)面からの回折ピークの強度比が1よりも大であり、
さらに、研削加工又は相手材との摺動によって上記メッキ皮膜表面に極微細クラックを発生させるHCP構造の微細なCr結晶粒が上記メッキ皮膜に分散し、X線回折分析において、該Cr結晶粒の(10・0)面及び(10・3)面からの回折ピークが検出されることを特徴とする。
【0034】
従って、X線回折におけるCr結晶の(211)面に対する(200)面のピーク強度比が1よりも大であるから、請求項1に係る発明で説明したように、相手材との間に働く摩擦力が小さくなる。しかも、本発明によれば、メッキ皮膜にHCP構造の微細なCr結晶粒が分散しており、研削加工又は相手材との摺動によって、このHCP構造の微細Cr結晶粒が起点となってメッキ皮膜表面に極微細クラックが発生する。
【0035】
すなわち、上述の如く有機スルフォン酸を触媒として採用すると、ワーク表面へのCrの析出速度が高速になるから、有機スルフォン酸を添加しない場合とは違って、BCC構造のCr結晶の他にHCP構造の微細なCr結晶ができる。一方、有機スルフォン酸を触媒として採用した場合、Cr結晶成長の過程で生ずる内部残留応力が早期に解放され、その結果、メッキ皮膜に微細なクラックが多数発生する。しかし、内部応力が全て解放されるわけではなく、微細なHCP構造結晶粒が存在する箇所は内部応力の集中箇所となっている。そのため、研削加工又は相手材との摺動によって外力が加わると、HCP構造の微細結晶粒はその結晶構造が変化して消失する。つまり、その結晶構造が変化することにより、その変化を生じた箇所を起点として、メッキ皮膜表面に極微細クラックを生じ、そのことによって内部応力が解放される。
【0036】
よって、メッキ皮膜表面が相手材との摺動によって摩耗しても、HCP構造のCr結晶粒がメッキ皮膜表面に現れ、その結晶形態が変わることによって新たなクラックが発生するので、潤滑油の保持性の低下が少なく、長期間にわたって良好な潤滑性能を維持する上で有利になる。
【0037】
請求項8に係る発明は、Cr成分とMo成分とを含有するメッキ浴から電解析出させて形成されたCrMo合金の摺動部用メッキ皮膜であって、
上記メッキ浴が有機スルフォン酸を含有し、
上記メッキ皮膜表面に多数の微細クラックが形成されているとともに、
研削加工又は相手材との摺動によって上記メッキ皮膜表面に極微細クラックを発生させるHCP構造の微細なCr結晶粒が上記メッキ皮膜に分散し、X線回折分析において、該Cr結晶粒の(10・0)面及び(10・3)面からの回折ピークが検出されることを特徴とする。
【0038】
従って、Moの添加によりメッキ皮膜の結晶の微細化、強度の向上、耐熱性の向上が図れ、潤滑性の向上、低摩擦化(摩擦係数の低減)、焼き付き防止に有利になる。Mo共析量は0.3%以上1.0%以下が好ましい。そうして、請求項7に係る発明と同じく、メッキ皮膜にHCP構造の微細なCr結晶粒が分散しており、研削加工又は相手材との摺動によって、当該微細Cr結晶粒が起点となってメッキ皮膜表面に極微細クラックが発生するから、潤滑油の保持に有利であり、特に、メッキ皮膜表面が相手材との摺動によって摩耗しても、HCP構造のCr結晶粒が起点となって新たな極微細クラックを生ずるので、長期間にわたって良好な潤滑性能を維持する上で有利になる。
【0039】
請求項9に係る発明は、請求項1乃至請求項8のいずれか一において、
上記メッキ皮膜は内燃機関の燃焼室に臨む部材に形成され、他の部材と摺接することを特徴とする。
【0040】
内燃機関の燃焼室に臨む部材としては、例えば、ロータリーピストンエンジンのアペックスシールが摺動するロータハウジングのトロコイド面、該トロコイド面を摺動するアペックスシールの当接面、レシプロエンジンのシリンダボア面、該シリンダボア面を摺動するピストンリングの当接面があり、これらに上述のメッキ皮膜を形成することにより、摩擦損失の低減による燃費の向上を図ることができ、また、焼き付け限界の向上によるエンジンの高出力化、耐久性の向上を図ることができる。
【0041】
請求項10に係る発明は、Cr成分とMo成分と有機スルフォン酸とを含有するメッキ浴を用いてワークにCrMoメッキ皮膜を形成する正電工程と、
上記メッキ皮膜をエッチングすることにより長さ1cmあたり400本以上1300本以下のクラックを形成する逆電工程と、
上記クラックが形成されたメッキ皮膜の表面を研削加工する工程とを有することを特徴とする摺動部用メッキ皮膜の形成方法である。
【0042】
これにより、正電工程によるメッキ皮膜の形成を短時間で行なうことができるとともに、二次逆電処理を行なわずとも、摩擦損失が少なく、焼き付け限界の高い摺動面を形成することができ、品質の安定性向上、摺動部材の製造コストの低減にも有利になる。
【0043】
すなわち、上記正電工程において、有機スルフォン酸が触媒として働いてCrMo合金がワーク表面に皮膜として析出する速度が高まり、幅の狭い微細クラックが当該メッキ皮膜の表面だけでなく皮膜内部にも多数形成されることになる。また、このように析出速度が高速になることから、有機スルフォン酸が添加されない場合とはメッキ皮膜が形成されるときの結晶の成長の仕方が変わり、メッキ皮膜に残存する内部応力の分布が従来のメッキ皮膜とは異なるものになる。その結果、次の逆電工程によるエッチングでメッキ皮膜表面が除去されるときの内部応力の解放のされ方が変わり、メッキ皮膜に幅の狭い多数の微細クラックが形成されることになる。この場合のエッチングはメッキ皮膜の成長過程で生じたクラックの開口幅を拡大して顕在化させるものである。よって、研削によるメッキ皮膜表面の仕上げ加工を行なうだけで、所期の油溜りを有する摺動面を得ることができる。
【0044】
しかも、上述の如く、結晶の析出速度が高速になることから、BCC構造の結晶の他に、研削加工又は相手材との摺動によってメッキ皮膜表面に極微細クラックを発生させるHCP構造の微細結晶がメッキ皮膜に分散して形成される。
【0045】
メッキ浴への有機スルフォン酸の添加量は10ml/L以上35ml/L以下とすることが好ましく、これにより、有機スルフォン酸を添加しない場合に比べて、メッキ皮膜の析出速度を2倍以上にすることができる。
【発明の効果】
【0046】
以上のように本発明によれば、Cr成分及び有機スルフォン酸を含有するメッキ浴からメッキ皮膜を電解析出させてメッキ皮膜に微細クラックを多数形成するとともに、メッキ皮膜表面はX線回折におけるBCC構造Cr結晶の(211)面からの回折ピークに対する(200)面からの回折ピークの強度比が1よりも大であるようにしたから、摩擦損失が少なく、焼き付け限界の高い摺動面を簡単に得ることができ、しかも低コスト化に有利になる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0047】
以下、本発明の実施形態を図面に基づいて詳細に説明する。
【0048】
図2は実施形態に係るロータリーピストンエンジンの簡略図であり、ロータハウジング1のトロコイド面2を、出力軸3を回転させるロータ4の各頂部に装着されたアペックスシール5が摺動するようになっている。このエンジンでは、吸気口6からオイルを含む燃料が空気と共に作動室7に吸入され、ロータ4の回転に伴って圧縮されつつ矢印8の方向に移動した燃料が点火プラグ9A,9Bにより着火されて膨張し、燃焼ガスの圧力によって出力軸3に回転を与えた後、排気口10から排気される、という一連の行程が繰り返されることになる。
【0049】
ロータハウジング1は、図3に示すように、トロコイド面2が形成された例えば高張力鋼板製のライナー11の背面に目立てが施され、このライナー11がアルミ合金に鋳ぐるまれるなどして製作され、そのライナー11のトロコイド面2は、アペックスシール5が摺動するため、高い耐熱性、耐摩耗性、低摩擦性が要求される。そのため、トロコイド面2にはCrメッキ皮膜又はCrMo合金メッキ皮膜12が形成されており、このメッキ皮膜には、該メッキ皮膜表面に露出している幅が0.1μm以上3μm以下のクラックが長さ1cmあたり400本以上1300本以下形成されている。メッキ皮膜表面に露出している当該クラックが該皮膜表面に占める面積の割合は3%以上20%以下である。
【0050】
また、上記メッキ皮膜表面には、さらに、幅0.1μm未満のクラックが長さ1cmあたり1500本以上3000本以下形成されている。
【0051】
さらに、上記メッキ皮膜表面はX線回折においてBCC構造Cr結晶の(211)面からの回折ピークに対する(200)面からの回折ピークの強度比が1よりも大である。
【0052】
以下では、幅0.1μm以上3μm以下のクラックを微細クラックと云い、幅0.1μm未満のクラックを極微細クラックと云う。
【0053】
<メッキ皮膜の形成方法>
Cr成分、硫酸及び触媒としての有機スルフォン酸を含み、さらに必要に応じてMo成分を含むメッキ浴にワークを入れて所定温度に予熱し、数分間の逆電処理によってワーク表面を洗浄した後、数分間のストライクメッキ処理(正電処理)、数時間の本メッキ処理(正電処理)、数分間の逆電処理(クラック形成)及び仕上げ研削加工を順に行なうことによって、摺動部用メッキ皮膜を形成する。
【0054】
Cr成分としては、無水クロム酸CrO3が好ましく、必要に応じてCr23を添加する。Mo成分としては、モリブデン酸ナトリウムやモリブデン酸アンモニウムを採用することができる。メッキ浴は、例えば、無水クロム酸を240g/L以上280g/L以下、硫酸イオン量を2.5g/L以上3.3g/L以下、有機スルフォン酸量を10ml/L以上35ml/L以下、モリブデン酸ナトリウム量を50g/L以上65g/L以下とすればよい。メッキ浴温度は例えば50℃以上60℃以下に調整する。
【0055】
洗浄用逆電処理の電流密度は、50A/dm2以上60A/dm2以下、ストライクメッキ処理の電流密度は40A/dm2以上55A/dm2以下、本メッキ処理の電流密度は40A/dm2以上55A/dm2以下、クラック形成のための逆電処理の電流密度は30A/dm2以上45A/dm2以下とすればよい。仕上げ加工はメッキ表面の平坦部(非クラック面)がRa2.0μm以下となるようにすることが好ましい。
【0056】
<触媒量と微細クラック数との関係>
メッキ浴における触媒(有機スルフォン酸)の添加量を変化させて鋼製ワークの表面にCrMoメッキ皮膜を形成した。すなわち、メッキ浴組成は表1の通りであり、触媒添加量を0ml/Lから30ml/Lで変化させた。触媒、すなわち、有機スルフォン酸としては、アトテック社製のHeef25−Cを用いた。メッキ条件は表2に示す通りである。表2において、「ストライク」はメッキ皮膜のワーク表面への密着力を高めるための短時間メッキであり、「A/dm2 」は電流密度、時間は処理時間を表している。メッキ皮膜厚は150μmである。また、表1のメッキ浴組成の場合、CrMo合金におけるMoの共析量は0.55%となる。
【0057】
【表1】

【0058】
【表2】

【0059】
図4〜図7は触媒添加量0ml/L、10ml/L、20ml/L及び30ml/L各々におけるCrMoメッキ皮膜表面の顕微鏡写真である。触媒添加量が多くなるに従ってクラック幅が狭くなり且つクラック数が多くなっている。触媒を添加して得られたCrMoメッキ皮膜の直線長さ1cm当たりのクラック数は図8に示す通りである。触媒添加量10ml/L〜30ml/Lでクラック数が400本/cm〜1200本/cmになることがわかる。
【0060】
このようにメッキ被膜に多数の微細クラックが形成されるのは、有機スルフォン酸がメッキ浴中でCrをワーク表面に析出させる触媒の働きを担うためその析出速度が高速になり、その結果、メッキ皮膜が成長する過程でその皮膜にクラックが発生するためである。すなわち、Crが高速で析出するため、結晶成長の過程で生ずる応力の解放が早期に生じ、クラックが微細になるものである。また、このような高速析出の結果、メッキ皮膜に残存する内部応力の分布が従来のメッキ皮膜とは異なるものになり、正電工程に続くメッキ浴中での逆電工程(一次逆電)によるエッチングでメッキ皮膜表面が除去されるときの内部応力の解放のされ方が変わり、クラックの微細化に有利になるものである。
【0061】
また、本発明に係るメッキ法の場合、触媒添加量やメッキ条件(浴組成、電流密度、浴温度)を変えることにより、微細クラックの発生密度を調整することができる。
【0062】
これに対して、触媒添加量を零としてメッキ皮膜を形成し、仕上げ研削加工後に別途二次逆電処理を施す従来法の場合、その二次逆電によるエッチングによってメッキ皮膜表面にクラックを形成することができるものの、クラック開口幅は5μm以上の大きなものになり、また、そのクラック数は最大100本/cmが限度である。
【0063】
すなわち、この従来法は、二次逆電によるエッチングによってメッキ皮膜の内部応力を解放してメッキ皮膜表面にクラックを形成するというものであるが、メッキ皮膜に残存する内部応力が大きいことから、エッチングによって内部応力を解放したときに、開口幅の大きなクラックになるものである。また、クラック数もメッキ皮膜がもつ内部応力に応じて形成されるため、100本/cmが限度になる。
【0064】
また、本発明に係る方法の場合、図8から明らかなように、触媒添加量が増大するに従って微細クラック数が増えているものの、触媒添加量30ml/L付近になると微細クラック数の増加傾向が鈍っており、触媒添加量の増量によって微細クラック数は最大で1300本/cm程度になることが見込まれる。そうして、35ml/Lを越えてもクラック数の大きな増大を見込むことはできず、かえって、メッキ皮膜表面の荒れを招く。従って、当該添加量は35ml/L以下とすることが好ましい。
【0065】
一方、触媒添加量を減らしてクラック数を400本/cm未満にすることも可能であるが、そうすると、電流効率が低下することになる。そのため、例えば100本/cm以上400本/cm未満の中間的本数のクラックを得ることは難しく、品質の安定性の面で不利になる。よって、当該添加量は10ml/L以上としてクラック数を400本/cm以上とすることが好ましい。
【0066】
<Crメッキの場合>
上述のCrMoメッキ浴組成(表1)において、そのモリブデン酸ナトリウム添加量を零とし、他は同じ条件でCrメッキを行なった。図9〜図12は触媒添加量が異なる各メッキ皮膜表面の顕微鏡写真である。Crメッキの場合も、CrMoメッキの場合と同じく触媒添加量が多くなるに従って微細クラックの幅が狭くなり、その本数が多くなることがわかる。
【0067】
<触媒添加量とXRDピーク強度比との関係>
表1のメッキ浴組成において、触媒(有機スルフォン酸)添加量を零とした従来例と、触媒添加量を30ml/Lとした本発明例とについて、表2に示す条件で鋼製ワークの表面にCrMoメッキ皮膜を形成し、XRD(X線回折)測定を行なった。図13Aは従来例のX線回折チャート、図13Bは本発明例のX線回折チャート、図13Cは本発明例の研削加工後のX線回折チャートである。
【0068】
従来例(図13A)の場合、BCC構造の(211)面からの回折ピークの強度の方が(200)面からの回折ピークの強度よりも大きくなっている。これに対して、本発明例(図13B)では、逆に(200)面からの回折ピークの強度の方が(211)面からの回折ピークの強度よりも大きくなっており、さらに、従来例では見られない、HCP構造に係る(10・0)面、(10・3)面等からの回折ピークが現れている。なお、図13Cについては後に説明する。
【0069】
図14は上記触媒添加量が零、10ml/L、20ml/L及び30ml/Lの各々について、XRD測定により、各Cr結晶面からの回折ピークの強度割合(回折ピーク強度のトータルを100としたときの各回折ピーク強度の割合)を求めた結果を示す。この割合は、どの結晶面がどのような割合でメッキ皮膜表面に配向しているかを表している。なお、同図の(10・0)面の割合の所にはHCP構造の(10・3)面など他の結晶面の分が含まれている。
【0070】
同図によれば、触媒添加量が多くなるほどBCC構造の(211)面の割合が少なくなる一方、(200)面の割合が多くなること、但し、触媒添加量が20ml/L以上ではその増大変化が鈍り飽和することがわかる。触媒添加量零での(211)面からの回折ピークの強度Iaに対する(200)面からの回折ピークの強度Ibの比、すなわち、ピーク強度比Ib/Iaは0.54程度であるが、そのピーク強度比Ib/Iaは触媒添加量が10ml/Lになると、約1.25に、触媒添加量が20ml/L、30ml/Lになると、約1.8になっている。
【0071】
そうして、先に図1に基いて説明したように、(200)面の面間隔dは(211)面の面間隔dよりも広いことから、上記ピーク強度比Ib/Iaが大きい本発明例では、メッキ皮膜表面に形成される酸化クロム膜の密着力が従来例に比べて弱い。そのため、本発明例では、相手材との摺動によって酸化クロム膜が剥がれ易い、すなわち、摩擦力が低くなる。
【0072】
図15は上記触媒添加量零の従来例と触媒添加量30ml/Lの本発明例とについて、摺動テスト後にメッキ皮膜表面のXPS(X線光電子分光)分析を行なった結果を示す。同図によれば、触媒添加量30ml/Lの本発明例ではCrに起因する574.4eVにおいて触媒添加量零の従来例よりも強度が大きくなっており、Crが露出していること、或いは酸化クロム膜が薄くなっていること、すなわち、酸化クロムが剥離し易くなっていることがわかる。この結果は、上記ピーク強度比Ib/Iaが大きいことが原因になっていると考えられる。
【0073】
<HCP構造による極微細クラック>
図13BのX線回折チャートから明らかなように、本発明例(触媒添加量30ml/L)ではメッキ皮膜にHCP構造の結晶が認められる。図16はそのメッキ皮膜のEBSP(電子後方散乱回折像)を示す。同図によれば、大きな結晶粒から小さな結晶粒まで含まれる多結晶体になっていることがわかる。比較的大きな結晶粒はBCC構造の結晶であり、小さな黒い粒状になって現れているものがHCP構造の結晶である。このHCP構造の小さな結晶粒はBCC構造結晶の粒界に多く存在する。一方、図17は触媒添加量零の従来例に係るメッキ皮膜のEBSPであるが、本発明例と同じくBCC構造の結晶粒が認められるものの、HCP構造の結晶粒は僅かしか認められない。
【0074】
図18は触媒(有機スルフォン酸)添加量が異なる各メッキ皮膜について、EBSPの画像解析を行ない、面積22500μm2(図16,図17に示す大きさの画像)に現れている大小結晶粒の分布を求めたものである。図18では面積10μm2以下のものは10μm2の結晶粒として計上している。小さな結晶粒が密集している箇所は1個の10μm2の小結晶粒として計上されているから、10μm2以下の結晶粒の実数は図18に示される値よりも多い。同図から、触媒添加量が多くなるほど小さな結晶粒、すなわち、HCP構造の結晶粒の数が多くなることがわかる。
【0075】
図19は触媒(有機スルフォン酸)添加量が異なる各メッキ皮膜について、X線回折結果から内部応力を導いてグラフ化したものである。同図右欄の60μm〜150μmはメッキ皮膜の厚さを表している。同図から、触媒添加量が多くなるほど内部応力が増大することがわかる。これは、触媒添加量が多くなるほど結晶の析出が速くなって応力が緩和され難くなるためと認められる。また、そのために、応力集中箇所となるBCC構造の結晶粒界にHCP構造の結晶粒が生成すると考えられる。また、膜厚が大きくなるほど内部応力が増大し、80μm以上の膜厚にすると安定した大きさの内部応力が得られることがわかる。
【0076】
図20は触媒添加量30ml/Lの本発明例に係るメッキ皮膜に研削加工を施したものの顕微鏡写真である。同図の大きなクラックは初期(研削加工前)に形成されていた微細クラックであり、細い線状に現れている多数のクラックは研削加工によって形成された極微細クラックである。
【0077】
図13Cは研削加工後の本発明に係るメッキ皮膜のXRDチャートである。図13Bに示す研削加工前のXRDチャートと比較して明らかなように、HCP構造の結晶面による回折ピークは、研削加工によって消失し、或いはブロードな形状に変化している。このことと、図20の顕微鏡写真による観察結果とから、上記極微細クラックはHCP構造の結晶粒が消失して形成された、すなわち、メッキ皮膜が研削加工という外力を受けた結果、HCP構造の結晶粒が内部応力を緩和すべく消失し、該結晶粒が起点となって極微細クラックが形成されたと考えられる。
【0078】
上記極微細クラックの幅は0.1μm未満であり、図21に直線を横切る極微細クラックを○で示すように、長さ1cm当たりの極微細クラック数は1500本(3本/20μm)から3000本(6本/20ミクロンm)程度になっている。
【0079】
このように、本発明によれば、上述のピーク強度比Ib/Iaが大きく酸化クロム膜が剥がれ易いことに加えて、HCP構造の結晶粒に基いて研削加工又は相手材との摩擦によって多数の極微細クラックが形成されることから、優れた低摩擦特性及び潤滑性を得ることに有利になる。
【0080】
<油溜り面積と焼き付き限界との関係>
上述のCrMoメッキ浴組成(表1)において触媒添加量を変えて、幅0.1μm以上3μm以下の微細クラック数を400本/cm、1000本/cm、1200本/cmとした本発明に係るCrMoメッキ皮膜、並びに触媒添加量を零とした従来法による微細クラック数100本/cmのCrMoメッキ皮膜をそれぞれワーク表面に形成した。これら微細クラック数の異なる各例について、メッキ皮膜表面を平滑に研削加工仕上げした後の二次逆電(電流密度50A/dm2 )の処理時間を変え、また、その処理時間を零として、油溜り面積の割合を変えた各供試材を準備した。油溜り面積の割合とは、メッキ皮膜表面に露出している微細クラックが該皮膜表面に占める面積の割合のことである。いずれもメッキ皮膜は、厚さが150μm、硬さがHv1000程度であり、CrMoメッキにおけるMo共析量は0.55%である。
【0081】
なお、従来法では、触媒添加量を零とし、正電(本メッキ)を30.3A/dm2 ×6.5時間とする他は表1及び表2に示す条件でCrMoメッキ皮膜を形成するようにした。
【0082】
そうして、図22に示す試験器を用いて供試材の焼き付き限界を測定した。すなわち、同図において、21は円板状の供試材、22は鋼製摺動片23を固定した円板状の回転支持台である。供試材21の下面に周縁近傍を周回するようにメッキ皮膜24が環状に設けられている。供試材21の中心部には該供試材21を貫通するエア供給孔25が形成され、供試材21の周縁近傍にはメッキ皮膜24の部位で該供試材21を貫通する潤滑油供給孔26が形成されている。回転支持台22には3個の摺動片23が周方向に120度の角度間隔をおいて固定され、各摺動片23の上端が支持台22より上方へ突出している。この3個の摺動片23に供試材21が載せられている。
【0083】
測定にあたっては、エア供給孔25から2.5kg/cm2 の圧力でエアを供給し且つ潤滑油供給孔26から25μL/分の速度で潤滑油を供給しながら、回転支持台22を回転させるとともに、供試材21を摺動片23に押しつける荷重を段階的に高めていくという方法を採用した。
【0084】
但し、回転支持台22の回転に関しては、図23に概略的に示すように、摺動片23の周速を零から予定周速まで10秒で立ち上げ、その速度に20秒間保持した後再び周速を零にするという昇降サイクルを繰り返しながら、当該予定周速を1.25m/sから20m/sまで増加量1.25m/sで段階的に高めていき、周速が20m/sに達したら再び当該予定周速を1.25m/sから20m/sまで同様に高めていくという増加サイクルを繰り返すようにした。上記昇降サイクルを与えたのは、実際のエンジンにおいてシール材がロータハウジング又はシリンダを摺動する態様を模して、周速を間欠的に零にすることにより油膜切れを生じさせるためであり、試験条件としては厳しいものになる。
【0085】
一方、荷重に関しても、図23に概略的に示すように、上記昇降サイクルに合わせて予定荷重まで増減させるというサイクルを繰り返しながら、当該予定荷重を回転支持台22の周速増加サイクル毎に段階的に高めていくようにした。予定荷重の初期値は50Nであり、増加量25Nで200Nまで段階的に高めていくようにした。
【0086】
そして、焼き付き限界は、上記周速と荷重とを段階的に高めながら試験している際に、計測している摺動片23と供試材21のメッキ被膜24との間に生ずる摩擦トルクが急激に上昇し、上昇前の状態までには低下回復しないと判定した時点での周速に荷重を乗じた数値で表した。
【0087】
試験結果は図24に示されている。同図のCrMo−100は従来例、CrMo−400、CrMo−1000、CrMo−1200は本発明例であり、その数値は1cm当たりの微細クラック数を表している。従来例(微細クラック数100本/cm)の場合、油溜り面積割合が0%(研削加工で微細クラックが潰れて0%になっている。)から3%に拡大しても、焼き付き限界の改善は見られない。油溜り面積割合が50%弱になると、焼き付き限界が高くなってくるものの、それほど高い値ではなく、しかも、このように油溜り面積が大きくなると、摺動抵抗が大きくなる、すなわち、摩擦損失が大きくなる(この点は後述の摩擦試験で明らかになる。)。
【0088】
これに対して、本発明例の場合、油溜り面積割合が3%において従来例の面積割合50%弱のケースよりも焼き付き限界が高くなっており、3%を越え60%程度までは油溜り面積割合の大きさ如何によらず高い焼き付き限界を示している。
【0089】
これは次のように考えられる。摺動面に供給される潤滑油は、メッキ皮膜表面に開口したクラックから、皮膜内部のクラックへと浸透していく。本発明例の場合、従来例に比べて微細クラックが多数形成され、しかも幅0.1μm未満の極微細クラックも多数形成されているから、クラックから放出される潤滑油による潤滑性が良く、しかも摺動片の摺動に伴って摩擦熱が発生しても、その熱が発熱箇所近傍のクラックに存する潤滑油に放散されて異常な昇温を招くことが避けられる。
【0090】
<Moとの合金化・クラック数と摩耗・摩擦との関係>
上述のCrMoメッキ浴組成(表1)において触媒添加量を変えて微細クラック数を400本/cm、1000本/cm、1200本/cmとした本発明に係るCrMoメッキ皮膜を有する各供試材、触媒添加量を零とした上記従来法による微細クラック数100本/cmのCrMoメッキ皮膜を有する供試材、並びに上述のCrMoメッキ浴組成(表1)においてそのモリブデン酸ナトリウム添加量を零とした上記従来法によるCrメッキ皮膜を有する供試材を調製した。いずれの供試材もメッキ皮膜は厚さが150μm、硬さがHv1000程度であり、また、研削仕上げ加工後の二次逆電処理により油溜り面積割合が20%になるようにした。なお、CrMoメッキにおけるMo共析量は0.55%である。
【0091】
そうして、図22に示す試験器で各供試材及びシール(摺動片)の摩耗体積及び摩擦係数の測定を行なった。
【0092】
但し、摩耗試験では、摺動片23の周速は1.25m/sから10m/sまで増加量1.25m/sで段階的に高めていくようにし、立ち上げ時間は焼き付き限界の場合と同じく10秒としたが、保持時間は10秒とした。荷重は焼き付き限界の場合と同じく50Nから200Nまで段階的に増加させたが、各段階の増加量は50Nとした。周速及び荷重の段階的増加サイクルは2回行なった。また、摩耗試験は潤滑状態で行なったが、摩擦試験は無潤滑状態で行ない、荷重は50N、周速は1.25m/sとした。
【0093】
摩耗試験結果は図25に、摩擦試験結果は図26に示されている。同図において、Cr及びCrMo−100は従来例、CrMo−400、CrMo−1000、CrMo−1200は本発明例であり、その数値は1cm当たりの微細クラック数を表している。
【0094】
図25の摩耗試験結果によれば、従来例のCrメッキの場合、シール摩耗量は少ないものの、メッキ皮膜の摩耗量が大きい。一方、CrMoメッキの場合、従来例及び本発明例のいずれも、メッキ皮膜の摩耗量が少なくなっている。但し、従来のCrMo−100ではシールの摩耗量が大きくなっているのに対して、本発明に係るCrMo−400、CrMo−1000及びCrMo−1200ではメッキ皮膜の摩耗量だけでなく、シールの摩耗量も少なくなっている。
【0095】
これは、本発明に係る例では、微細クラック数及び極微細クラック数が多いことから、摩擦熱がクラックの潤滑油に放散され易く、また、クラックから放出される潤滑油によって効果的に潤滑されるためと認められる。
【0096】
図26の摩擦試験結果によれば、従来のCrメッキよりもCrMoメッキの方が摩擦係数が低く、さらには微細クラック数が多くなるほど摩擦係数は低下する傾向になっている。CrMoメッキの摩擦係数が低いのは、Moの添加によりメッキ皮膜の強度が高くなり、しかも結晶粒が微細になって、メッキ皮膜とシールとの接触面での凝着摩耗が抑えられたためと考えられる。また、触媒を添加した本発明に係るCrMoメッキの摩擦係数が触媒無添加のCrMoメッキよりも摩擦係数が低いのは、触媒の添加による析出速度の高速化により、結晶が微細になっていること、酸化クロム膜が剥がれ易くなっていること、並びに、結晶の配向性がランダムになり、凝着を生じ難くなったことによると考えられる。
【0097】
<油溜り面積・クラック幅と摩擦係数との関係>
上述のCrMoメッキ皮膜に関し、触媒添加量を変えて調製した微細クラック数400本/cm、1000本/cm、1200本/cmの各本発明例と、触媒添加量を零として調製した微細クラック数100本/cmの従来例とについて、先と同様の研削加工仕上げ後の二次逆電処理の有無及びその処理時間の調整により、油溜り面積割合及びクラック開口幅を変えた供試材を準備した。そうして、図22に示す試験器を用いた潤滑試験により、各供試材21の摩擦係数μを測定した。但し、摺動片23の周速は10m/s、荷重は1MPa、潤滑油温度は100℃とした。
【0098】
結果は図27〜図29に示されている。図27は油溜り面積割合が3%の場合、図28はその割合が20%の場合、図29はその割合が60%の場合である。同図において、CrMo−100は従来例、CrMo−400、CrMo−1000、CrMo−1200は本発明例であり、その数値は1cm当たりの微細クラック数を表している。また、単位μmで表した数値はクラック開口幅を表している。
【0099】
図27〜図29から、微細クラック数が同じ場合、油溜り面積が小さくなるに従って摩擦係数が小さくなり、同じ油溜り面積では、クラック開口幅が狭くなるほど(微細クラック数が多くなるほど)摩擦係数が小さくなることがわかる。これは、微細クラックは油溜りとして働くものの、その面積が大きくなると摩擦面から潤滑油が微細クラックに排出されて油膜切れを生ずるためである。換言すれば、油溜り面積が小さくなるに従って摩擦係数が小さくなるのは流体潤滑の割合が増えるためである。また、同じ油溜り面積でも摩擦係数に差違を生じているのは、クラックの開口幅が大きくなるほど油膜切れを生じ易いことを示している。また、本発明例では油溜り面積割合20%での摩擦係数が油溜り面積割合3%の従来例の摩擦係数よりも小さいことから、油溜り面積割合20%以下が好ましいということができる。
【0100】
このように本発明によれば、潤滑油温度100℃で低摩擦化の効果が得られることから、エンジンオイルで油膜の形成が容易となる100℃以下の温度領域での使用において、微細クラックの開口幅を0.12μm以上3.0μm以下とすれば特に有効であることがわかる。
【0101】
また、上述の如く、本発明に係るメッキ皮膜によれば、流体潤滑の割合が増大する一方、先の無潤滑での摩擦試験結果から明らかなように、境界潤滑から混合潤滑の領域でも低摩擦が実現されるから、摩擦損失の低減ないしは焼付け限界の向上に有利になることがわかる。
【0102】
<研削加工について>
本発明に係るメッキ皮膜に関し、皮膜表面の研削による仕上げ加工により、皮膜内部に存在する微細クラックを皮膜表面に所定割合以上開口させることができるとともに、HCP構造の結晶粒を起点として極微細クラックを形成することができる。この研削加工による表面粗さはRa2.0μm以下になるようにすることが好ましく、これにより、初期の油膜切れを防止することができる。一方、研削加工により皮膜表面の組織が塑性流動してクラックが潰れることがないようにする必要がある。そのためにはホーニング加工を採用し、加工条件(砥石の送り込み量、砥石回転速度、砥石材質)の調整により、メッキ皮膜表面の加工代を調整して上記塑性流動を抑え、皮膜内部のクラックを開口させるようにすればよい。
【0103】
図30はホーニング加工によりクラックを残すことができた例であり、図31は研削加工によってメッキ皮膜表面の塑性流動を生じ、クラックが潰れている例である。
【図面の簡単な説明】
【0104】
【図1】Crの結晶格子を示す図である。
【図2】ロータリピストンエンジンの概略的に示す断面図である。
【図3】ロータハウジングの斜視図である。
【図4】触媒添加量零で調製したCrMoメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図5】触媒添加量10ml/Lで調製した本発明に係るCrMoメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図6】触媒添加量20ml/Lで調製した本発明に係るCrMoメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図7】触媒添加量30ml/Lで調製した本発明に係るCrMoメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図8】触媒添加量とクラック数との関係を示す本発明に係るグラフ図である。
【図9】触媒添加量零で調製したCrメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図10】触媒添加量10ml/Lで調製した本発明に係るCrメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図11】触媒添加量20ml/Lで調製した本発明に係るCrメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図12】触媒添加量30ml/Lで調製した本発明に係るCrメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図13】従来例及び本発明例各々のメッキ皮膜のX線回折チャートである。
【図14】触媒添加量が異なる各メッキ皮膜についてのXRD測定による各Cr結晶面からの回折ピークの強度割合を示すグラフ図である。
【図15】従来例及び本発明例について摺動テスト後のXPS分析結果を示すグラフ図である。
【図16】本発明例に係るメッキ皮膜のEBSPを示す図である。
【図17】従来例に係るメッキ皮膜のEBSPを示す図である。
【図18】触媒添加量が異なる各メッキ皮膜についての面積が異なる各結晶粒の個数を示すグラフ図である。
【図19】触媒添加量とメッキ皮膜の内部応力との関係を示すグラフ図である。
【図20】本発明例に係るメッキ皮膜に研削加工を施したものの顕微鏡写真である。
【図21】図20の写真に直線を横切る極微細クラックに○印を付した図である。
【図22】焼き付き限界及び摩擦・摩耗特性試験のための試験器を示す一部断面にした正面図である。
【図23】同試験における摺動片の周速及び荷重の変化を概略的に示すグラフ図である。
【図24】本発明及び従来の各メッキ皮膜の油溜り面積割合と焼き付き限界との関係を示すグラフ図である。
【図25】本発明及び従来の各メッキ皮膜の潤滑摩耗試験によるメッキ摩耗体積とシール摩耗体積とを示すグラフ図である。
【図26】本発明及び従来の各メッキ皮膜の無潤滑摩擦試験による摩擦係数を示すグラフ図である。
【図27】本発明及び従来の各メッキ皮膜の油溜り面積割合3%のときの潤滑試験による摩擦係数を示すグラフ図である。
【図28】本発明及び従来の各メッキ皮膜の油溜り面積割合20%のときの潤滑試験による摩擦係数を示すグラフ図である。
【図29】本発明及び従来の各メッキ皮膜の油溜り面積割合60%のときの潤滑試験による摩擦係数を示すグラフ図である。
【図30】ホーニング加工後にクラックが残っているメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【図31】研削加工によってクラックが潰れたメッキ皮膜の顕微鏡写真である。
【符号の説明】
【0105】
1 ロータハウジング
2 トロコイド面
5 アペックスシール
21 供試材
23 摺動片
24 メッキ皮膜

【特許請求の範囲】
【請求項1】
Cr成分を含有するメッキ浴から電解析出させて形成されたCrを含有する摺動部用メッキ皮膜であって、
上記メッキ浴が有機スルフォン酸を含有し、
上記メッキ皮膜表面に多数の微細クラックが形成されているとともに、
上記メッキ皮膜表面は、X線回折において、BCC構造Cr結晶の(211)面からの回折ピークに対する(200)面からの回折ピークの強度比が1よりも大であることを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項2】
請求項1において、
上記メッキ浴がさらにMo成分を含有し、上記メッキ皮膜がCrMo合金によって形成されていることを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項3】
請求項1又は請求項2において、
上記メッキ皮膜表面に、幅0.1μm以上3μm以下のクラックが長さ1cmあたり400本以上1300本以下露出していることを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項4】
請求項1乃至請求項3のいずれか一において、
上記メッキ皮膜の表面が研削加工されていることを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項5】
請求項4において、
上記メッキ皮膜表面には、さらに、幅0.1μm未満のクラックが長さ1cmあたり1500本以上3000本以下形成されていることを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項6】
請求項4又は請求項5において、
上記幅0.1μm以上3μm以下のクラックが上記メッキ皮膜表面に占める面積の割合は3%以上20%以下であることを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項7】
Cr成分を含有するメッキ浴から電解析出させて形成されたCrを含有する摺動部用メッキ皮膜であって、
上記メッキ浴が有機スルフォン酸を含有し、
上記メッキ皮膜表面に多数の微細クラックが形成されているとともに、
上記メッキ皮膜表面は、X線回折において、BCC構造Cr結晶の(211)面からの回折ピークに対する(200)面からの回折ピークの強度比が1よりも大であり、
さらに、研削加工又は相手材との摺動によって上記メッキ皮膜表面に極微細クラックを発生させるHCP構造の微細なCr結晶粒が上記メッキ皮膜に分散し、X線回折分析において、該Cr結晶粒の(10・0)面及び(10・3)面からの回折ピークが検出されることを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項8】
Cr成分とMo成分とを含有するメッキ浴から電解析出させて形成されたCrMo合金の摺動部用メッキ皮膜であって、
上記メッキ浴が有機スルフォン酸を含有し、
上記メッキ皮膜表面に多数の微細クラックが形成されているとともに、
研削加工又は相手材との摺動によって上記メッキ皮膜表面に極微細クラックを発生させるHCP構造の微細なCr結晶粒が上記メッキ皮膜に分散し、X線回折分析において、該Cr結晶粒の(10・0)面及び(10・3)面からの回折ピークが検出されることを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項9】
請求項1乃至請求項8のいずれか一において、
上記メッキ皮膜は内燃機関の燃焼室に臨む部材に形成され、他の部材と摺接することを特徴とする摺動部用メッキ皮膜。
【請求項10】
Cr成分とMo成分と有機スルフォン酸とを含有するメッキ浴を用いてワークにCrMoメッキ皮膜を形成する正電工程と、
上記メッキ皮膜をエッチングする逆電工程と、
上記メッキ皮膜の表面を研削加工する工程とを有することを特徴とする摺動部用メッキ皮膜の形成方法。

【図2】
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【図3】
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【図8】
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【図14】
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【図15】
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【図18】
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【図19】
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【図22】
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【図23】
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【図24】
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【図25】
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【図26】
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【図27】
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【図28】
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【図29】
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【図1】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図16】
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【図17】
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【図20】
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【図21】
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【図30】
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【図31】
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【公開番号】特開2006−219756(P2006−219756A)
【公開日】平成18年8月24日(2006.8.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−240695(P2005−240695)
【出願日】平成17年8月23日(2005.8.23)
【出願人】(000003137)マツダ株式会社 (6,115)
【Fターム(参考)】