説明

炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物、および炭素繊維前駆体アクリル繊維束とその製造方法

【課題】炭素繊維束製造工程における単繊維間の融着を効果的に防止すると共に、操業性低下を抑制し、かつ集束性が良好な炭素繊維前駆体アクリル繊維束および機械的物性に優れた炭素繊維束を生産性よく得ることができる炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物、および炭素繊維前駆体アクリル繊維束とその製造方法の提供。
【解決手段】水蒸気存在下での熱質量分析において、300℃における残質量率(r)が90〜100質量%であり、窒素ガス雰囲気での熱質量分析において、500℃における残質量率(r)が10質量%以下である芳香族エステル化合物(I)と、前記残質量率(r)が70〜80質量%であり、前記残質量率(r)が3質量%以下である芳香族エステル化合物(II)とを含有して成る炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物、および炭素繊維前駆体アクリル繊維束とその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、炭素繊維束の製造方法として、アクリル繊維などからなる炭素繊維前駆体繊維束(以下、「前駆体繊維束」とも表記する。)を200〜400℃の酸素存在雰囲気下で加熱処理して耐炎化繊維束に転換し(耐炎化工程)、引き続いて1000℃以上の不活性雰囲気下で炭素化して(炭素化工程)、炭素繊維束を得る方法が知られている。この方法で得られた炭素繊維束は、優れた機械的物性により、特に複合材料用の強化繊維として工業的に広く利用されている。
【0003】
しかし、炭素繊維束の製造過程において、耐炎化工程で単繊維間に融着が発生し、耐炎化工程およびそれに続く炭素化工程(以下、耐炎化工程と炭素化工程を総合して「焼成工程」とも表記する。)において、毛羽や束切れといった工程障害が発生する場合があった。耐炎化工程での単繊維間の融着を防止する方法としては、前駆体繊維束の表面に油剤組成物を付与する方法(油剤処理)が知られており、多くの油剤組成物が検討されてきた。
【0004】
油剤組成物としては、これまでシリコーンを主成分とするシリコーン系油剤が一般的に用いられていた。シリコーンは前駆体繊維束との馴染み易さ、定着性の観点から、アミノやエポキシ、ポリエーテル等の反応性基を有する変性シリコーンが一般的に用いられてきた。
しかし、変性シリコーン系油剤は加熱により架橋反応が進行して高粘度化し、粘着物が前駆体繊維束の製造工程や、耐炎化工程で使用される繊維搬送ローラーやガイドなどの表面に堆積しやすかった。そのため、前駆体繊維束や耐炎化繊維束が、繊維搬送ローラーやガイドに巻き付いたり引っかかったりして断糸するなどの工程障害が発生し、操業性低下を招くことがあった。
また、シリコーン系油剤が付与された前駆体繊維束は、焼成工程において酸化ケイ素、炭化ケイ素、窒化ケイ素などのケイ素化合物を生成しやすかった。ケイ素化合物が生成すると、工業的な生産性や製品の品質の低下につながる。
【0005】
そこで、油剤処理された前駆体繊維束のケイ素含有量を軽減することを目的として、シリコーンの含有率を低減した油剤組成物が提案されている。例えば、多環芳香族化合物を50〜100重量%含有する乳化剤を、40〜100重量%含有させ、シリコーン含有量を低減させた油剤組成物が提案されている(特許文献1参照)。
また、ビスフェノールAのエチレンオキシドおよび/またはプロピレンオキシド付加物の両末端高級脂肪酸エステル化物を80〜95質量%含有させ、シリコーン含有量を低減させた油剤組成物が提案されている(特許文献2参照)。同様にビスフェノールA骨格を有する化合物として、飽和脂肪族ジカルボン酸とビスフェノールAの酸化エチレンおよび/または酸化プロピレン付加物のモノアルキルエステルとの反応生成物を含有させ、シリコーン含有量を低減させた油剤組成物が提案されている(特許文献3参照)。
また、空気中250℃で2時間加熱した後の残存率が80質量%以上である耐熱樹脂と、シリコーンとを組み合わせた油剤組成物が提案されている(特許文献4参照)。
さらに、反応性官能基を有する化合物を10質量%以上含み、シリコーン化合物を含有しない、またはシリコーン化合物を含有する場合はケイ素質量に換算して2質量%を超えない範囲とする油剤組成物が提案されている(特許文献5参照)。
【0006】
また一方で、シリコーン含有量を低減させた油剤組成物において、シリコーン系化合物と非シリコーン系化合物とに親和性を持たせて混和することを目的として相溶化剤を含有した油剤組成物が提案されている(特許文献6および7参照)。
【0007】
近年では、分子内に3個以上のエステル基を有するエステル化合物とシリコーン系化合物とを必須成分とした油剤組成物が提案されている(特許文献8参照)。該油剤組成物によれば、エステル化合物によってシリコーン含有量を低減させ、かつ炭素繊維製造における単繊維間の融着防止と安定した操業性とを両立させることができる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開2005−264384号公報
【特許文献2】特開2002−266239号公報
【特許文献3】特開2003−55881号公報
【特許文献4】特開2000−199183号公報
【特許文献5】特開2005−264361号公報
【特許文献6】特開2004−149937号公報
【特許文献7】特開2004−169198号公報
【特許文献8】国際公開第07/066517号パンフレット
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかしながら、特許文献1に記載の油剤組成物では乳化剤の含有量が多いため乳化物の安定性は高くなるものの、この油剤組成物を付着させた前駆体繊維束は集束性が低下しやすく、高い生産効率で製造するには適していなかった。さらに、機械的物性に優れた炭素繊維束が得られにくいという問題があった。
また、特許文献2、3に記載の油剤組成物は、耐熱樹脂としてビスフェノールA系の芳香族エステルを用いているので耐熱性は極めて高いものの、単繊維間の融着を防止する効果が十分ではなかった。さらに、機械的物性に優れた炭素繊維束が安定して得られにくいという問題があった。
【0010】
また、特許文献4に記載の油剤組成物は、250℃〜300℃において、繊維表面に皮膜を形成するため、耐炎化工程における繊維内部への酸素の拡散が阻害され、耐炎化が均一に行われず、その結果機械的物性に優れた炭素繊維束が安定して得られにくいという問題があった。さらに、耐熱性が高いことにより、耐炎化工程において炉内や搬送ローラーへ油剤組成物、あるいはこれらの変性物が堆積するなどして工程障害となる問題があった。
さらに、特許文献5に記載の油剤組成物は、100〜145℃における油剤粘度を上げることで油剤付着性を高めることができるが、粘度が高いがため、油剤処理後の前駆体繊維束が繊維搬送ローラー等に巻き付くなどの工程障害を引き起こし、操業性が低下することがあった。
【0011】
また一方で、特許文献6、7に記載の相溶化剤を用いた油剤組成物では、一定の相溶化効果は得られるものの、該相溶化剤ではシリコーン系化合物への親和性に劣るため、10質量%以上含有させる必要があった。さらには焼成行程において相溶化剤の分解生成物がタール化するなどして行程障害となる場合があった。
また、特許文献8に記載の油剤組成物を前駆体繊維に付与した場合、操業性は安定するものの、耐熱性が低いために耐炎化工程において繊維束の集束性が不十分であった。また、シリコーンを主成分とするシリコーン系油剤に比べて、得られる炭素繊維束の機械的物性が劣る傾向にあった。
【0012】
このように、シリコーンの含有率を低減した油剤組成物では、操業性低下を招くことがあった。また、シリコーン系油剤に比べて、融着防止性、油剤処理された前駆体繊維束の集束性が低下したり、炭素繊維束の機械的物性が劣ったりする傾向にあった。そのため、高品質な炭素繊維束を安定して得ることが困難であった。
一方、従来から広く利用されているシリコーン系油剤では、高粘度化による操業性の低下や、ケイ素化合物の生成による工業的な生産性の低下が問題であった。
つまり、シリコーンを主成分とする油剤組成物による操業性や工業的な生産性の低下の問題と、シリコーンの含有率を低減した油剤組成物による融着防止性、前駆体繊維束の集束性、炭素繊維束の機械的物性の低下の問題とは表裏一体の関係にあり、従来技術では両者の課題を全て解決できていない。
【0013】
本発明は上記事情に鑑みてなされたもので、炭素繊維束製造工程における単繊維間の融着を効果的に防止すると共に、操業性低下を抑制し、かつ集束性が良好な炭素繊維前駆体アクリル繊維束および機械的物性に優れた炭素繊維束を生産性よく得ることができる炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物、および炭素繊維前駆体アクリル繊維束とその製造方法の提供を課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明者が鋭意検討した結果、ある条件下において耐熱特性の異なる芳香族エステル化合物を併用することによって、または構造の異なる芳香族エステル化合物を併用し、かつその割合を特定することによって、上述したシリコーンを主成分とする油剤組成物の問題と、シリコーンの含有率を低減した油剤組成物の問題を共に解決できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0015】
すなわち、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物は、水蒸気存在下での熱質量分析において、300℃における残質量率(r)が90〜100質量%であり、窒素ガス雰囲気での熱質量分析において、500℃における残質量率(r)が10質量%以下である芳香族エステル化合物(I)と、前記残質量率(r)が70〜80質量%であり、前記残質量率(r)が3質量%以下である芳香族エステル化合物(II)とを含有して成る。
この油剤組成物は、アミノ変性シリコーンを含有することが好ましい。
さらに、前記芳香族エステル化合物(I)がビスフェノールA骨格を有する芳香族エステル化合物であり、前記芳香族エステル化合物(II)が単環の芳香族エステル化合物であることが好ましい。
【0016】
また、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物は、下記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物を10〜40質量%、下記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物を10〜40質量%、下記式(3)で示される構造のアミノ変性シリコーンを1〜10質量%含有して成る。
【0017】
【化1】

【0018】
式(1)において、RおよびRはそれぞれ独立して炭素数7〜21の炭化水素基、“m”および“n”はそれぞれ独立して1〜5である。
【0019】
【化2】

【0020】
式(2)において、R〜Rはそれぞれ独立して炭素数8〜14の炭化水素基である。
【0021】
【化3】

【0022】
式(3)において、“o”は5〜300、“p”は1〜5である。
【0023】
また、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物は、ポリジメチルシロキサン構造を有する相溶化剤を1〜10質量%含有することが好ましい。
さらに、上記の油剤組成物を水中に分散させる為に用いる界面活性剤には、下記式(4)で示される構造のプロピレンオキサイドユニットと、エチレンオキサイドユニットからなるブロック共重合型ポリエーテルを10〜30質量%含有することが好ましい。
【0024】
【化4】

【0025】
式(4)において“x”、“y”、“z”はそれぞれ独立して1〜200である。
【0026】
また、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、前記炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物が、乾燥繊維質量に対して0.1〜2.0質量%付着して成る。
また、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法は、前記炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物を水中に分散させて、平均粒子径0.01〜0.50μmのミセルを形成させた水系乳化溶液を水膨潤状態の前駆体繊維束に付与する工程と、水系乳化溶液が付与された前駆体繊維束を乾燥緻密化する工程とを有する。
【発明の効果】
【0027】
本発明によれば、炭素繊維束製造工程における単繊維間の融着を効果的に防止すると共に、操業性低下を抑制し、かつ集束性が良好な炭素繊維前駆体アクリル繊維束および機械的物性に優れた炭素繊維束を生産性よく得ることができる炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物、および炭素繊維前駆体アクリル繊維束とその製造方法を提供できる。
また、本発明によれば、操業性低下を抑制でき、かつ炭素繊維前駆体アクリル繊維束の集束性が良好であるので、炭素繊維束の工業的な生産性を高め、安定して高品質な炭素繊維束を得ることができる。
【発明を実施するための形態】
【0028】
以下、本発明を詳細に説明する。
[炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物]
<第一の実施形態>
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物(以下、「油剤組成物」とも表記する。)は、後述の油剤処理前の炭素繊維前駆体アクリル繊維束(以下、「前駆体繊維束」とも表記する。)へ付与されるものであり、耐熱特性の異なる芳香族エステル成分を併用して成る。
【0029】
芳香族エステル成分は、後述の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の耐炎化工程において、融着防止、集束性付与に有効である。
本発明においては、芳香族エステル成分として、水蒸気存在下での熱質量分析において、300℃における残質量率(r)が90〜100質量%であり、窒素ガス雰囲気での熱質量分析において、500℃における残質量率(r)が10質量%以下である芳香族エステル化合物(I)と、前記残質量率(r)が70〜80質量%であり、前記残質量率(r)が3質量%以下である芳香族エステル化合物(II)とを併用する。
【0030】
およびrは次の手法で測定することができる。
ガスを流通可能な熱質量測定装置(島津製作所株式会社製、商品名:ミクロ熱重量測定装置TGA−50)を用い、室温にて芳香族エステルを装置にセットし、この時の初期質量をWとする。その後、Nガス(純度99.9999%)を流通させながら150℃まで10℃/分の昇温速度で加熱し、150℃においてNと水蒸気が4:1(体積比)の割合で混合されたガスラインに切替る。さらに10℃/分の昇温速度で300℃まで加熱した時の質量をWとする。その後、流通ガスのラインをNに戻し、10℃/分の昇温速度で500℃まで加熱した時の質量をWとする。この時、ガス流量は装置内雰囲気がパージ可能な流量とすることが重要であり、昇温を開始する前に十分に炉内がNガスに置換されてから開始することが必要である。また、水蒸気を含有するガスラインは、水蒸気が凝縮することを避けるためにリボンヒーター等を用いて150℃以上に保温することが好ましい。
およびrは下記式(i)、(ii)によって求められる。
[質量%]=(W/W)×100 ・・・(i)
[質量%]=(W/W)×100 ・・・(ii)
【0031】
芳香族エステル成分として、芳香族エステル化合物(I)と芳香族エステル化合物(II)とを併用することで、耐炎化工程での集束性と、融着防止効果が得られる。具体的には、芳香族エステル化合物(I)が耐炎化工程での集束性を保持し、芳香族エステル化合物(II)が融着防止効果を発揮すると共に炭素繊維の機械的物性の発現を良好なものとする。
この両芳香族エステル化合物のrおよびrが上記の範囲を外れると、融着防止、集束性、炭素繊維の機械的強度発現性のバランスを良好な状態で保つことができなくなる。
【0032】
芳香族エステル化合物(I)としては、ビスフェノールA骨格を有する芳香族エステル化合物が好ましい。
ビスフェノールA骨格を有する芳香族エステル化合物としては、例えばポリオキシエチレンビスフェノールAジアクリレート、ポリオキシプロピレンビスフェノールAジアクリレート、ポリオキシエチレンビスフェノールAジアルキレート、ポリオキシプロピレンビスフェノールAジアルキレート、ポリオキシエチレンビスフェノールAジメタクリレート、ポリオキシプロピレンビスフェノールAジメタクリレート、ビスフェノールAジアセテート、ビスフェノールAグリセロレイトジアセテートなどが挙げられる。
これらの中でも、ビスフェノールA骨格を有する芳香族エステル化合物としては、耐熱性に特に優れる点で、下記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物が好ましい。
【0033】
【化5】

【0034】
式(1)中、RおよびRはそれぞれ独立して炭素数7〜21の炭化水素基である。炭化水素基の炭素数が7以上であれば、芳香族エステル化合物(I)の耐熱性を良好に維持できるので、耐炎化工程において十分な融着防止効果が得られる。一方、炭化水素基の炭素数が21以下であれば、芳香族エステル化合物(I)を含む油剤組成物のエマルションを容易に調製でき、油剤組成物が前駆体繊維束に均一に付着する。その結果、耐炎化工程において十分な融着防止効果が得られるとともに、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の集束性が向上する。炭化水素基の炭素数は9〜15が好ましい。
およびRは、同じ構造であってもよいし、個々に独立した構造であってもよい。
【0035】
炭化水素基としては、飽和炭化水素基が好ましく、その中でも特に飽和鎖式炭化水素基が好ましい。具体的には、ヘプチル基、オクチル基、ノニル基、デシル基、ウンデシル基、ラウリル基(ドデシル基)、トリデシル基、テトラデシル基、ペンタデシル基、ヘキサデシル基、ヘプタデシル基、オクタデシル、ノナデシル基、イコシル基(エイコシル基)、ヘンイコシル基(ヘンエイコシル基)等のアルキル基などが挙げられる。
【0036】
また、式(1)中、“m”および“n”はそれぞれ独立して1〜5である。“m”および“n”の値が上述の範囲を超えると、芳香族エステル化合物(I)の耐熱性が低下し、耐炎化工程で単繊維間の融着が起きる場合がある。
なお、式(1)で示される芳香族エステルは、複数の化合物の混合物である場合もあり、従って、“m”および“n”は整数でない場合もあり得る。また、RおよびRを形成する炭化水素基は1種類であっても複数の種類の混合物であっても差し支えない。
【0037】
一方、芳香族エステル化合物(II)としては、単環の芳香族エステル化合物が好ましい。ここで「単環」とは、1分子中に1つの芳香環を有することを意味する。
単環の芳香族エステル化合物としては、例えば安息香酸アルキレート、フタル酸アルキレート、イソフタル酸アルキレート、テレフタル酸アルキレート、ヘミメリト酸アルキレート、トリメリット酸アルキレート、ピロメリット酸アルキレート、トリメシン酸アルキレート、メロファン酸アルキレート、プレーニト酸アルキレート、メリト酸アルキレート、トルイル酸アルキレートなどが挙げられる。
これらの中でも、単環の芳香族エステル化合物としては、熱分解性に特に優れる点で、下記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物が好ましい。
【0038】
【化6】

【0039】
式(2)中、R〜Rはそれぞれ独立して炭素数8〜14の炭化水素基である。炭化水素基の炭素数が8以上であれば、芳香族エステル化合物(II)の耐熱性を良好に維持できるので、耐炎化工程において十分な融着防止効果が得られる。一方、炭化水素基の炭素数が14以下であれば、芳香族エステル化合物(II)を含む油剤組成物のエマルションを容易に調製でき、油剤組成物が前駆体繊維束に均一に付着する。その結果、耐炎化工程において十分な融着防止効果が得られるとともに、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の集束性が向上する。R〜Rは、均一な油剤組成物のエマルションを調製しやすい点で炭素数8〜12の飽和炭化水素基が好ましく、水蒸気存在下での耐熱性に優れる点で炭素数10〜14の飽和炭化水素基が好ましい。
〜Rは、同じ構造であってもよいし、個々に独立した構造であってもよい。
【0040】
炭化水素基としては、飽和鎖式炭化水素基や飽和環式炭化水素基等の飽和炭化水素基が好ましい。具体的には、オクチル基、ノニル基、デシル基、ウンデシル基、ラウリル基(ドデシル基)、トリデシル基、テトラデシル基等のアルキル基などが挙げられる。
【0041】
芳香族エステル化合物(I)は、油剤組成物100質量%中に10〜40質量%含まれるのが好ましい。芳香族エステル化合物(I)の含有量が10質量%以上であれば、油剤組成物の耐熱性が良好で、耐炎化工程が終了するまで炭素繊維前駆体アクリル繊維束は十分な集束性を保持できる。一方、芳香族エステル化合物(I)の含有量が40質量%以下であれば、得られる炭素繊維束の機械的物性が低下しにくい。
芳香族エステル化合物(I)の含有量は10〜30質量%がより好ましい。
【0042】
また、芳香族エステル化合物(I)が上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物の場合、その含有量は油剤組成物100質量%中、10〜40質量%が好ましい。
上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物は特に耐熱性に優れるので、油剤組成物の耐熱性も向上し、耐炎化工程が終了するまで炭素繊維前駆体アクリル繊維束は十分な集束性を保持できる。含有量が10質量%以上であれば、上述した効果が十分に得られる。ただし、上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物は、炭素化工程に至るまで繊維束に残存するため、得られる炭素繊維束の機械的物性が低下する場合がある。従って、芳香族エステル化合物(I)が上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物の場合、その含有量の上限は40質量%以下が好ましい。
上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物の含有量は10〜30質量%がより好ましい。
【0043】
一方、芳香族エステル化合物(II)は、油剤組成物100質量%中に10〜40質量%含まれるのが好ましい。芳香族エステル化合物(II)の含有量が10質量%以上であれば、得られる炭素繊維束の機械的物性を向上させることができる。一方、芳香族エステル化合物(II)の含有量が40質量%以下であれば、耐炎化工程においても炭素繊維前駆体アクリル繊維束が十分に集束性を保持できる。
芳香族エステル化合物(II)の含有量は20〜40質量%がより好ましい。
【0044】
また、芳香族エステル化合物(II)が上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物の場合、その含有量は油剤組成物100質量%中、10〜40質量%が好ましい。
上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物は特に熱分解性に優れるので、耐炎化工程において熱分解あるいは飛散しやすく、繊維束の表面には残りにくい。そのため、炭素繊維束の機械的物性を向上させることができる。含有量が10質量%以上であれば、上述した効果が十分に得られる。ただし、上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物は耐熱性にやや劣るため、含有量が多くなると、耐炎化工程において炭素繊維前駆体アクリル繊維束は十分な集束性を保持しにくくなる。従って、芳香族エステル化合物(II)が上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物の場合、その含有量の上限は40質量%以下が好ましい。
上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物の含有量は20〜40質量%がより好ましい。
【0045】
本発明の油剤組成物は、上述した芳香族エステル化合物(I)、(II)の他に、アミン変性シリコーンを含有するのが好ましい。アミノ変性シリコーンは、前駆体繊維束との馴染みが良く、油剤組成物の前駆体繊維束との親和性および耐熱性の向上に有効である。
【0046】
アミノ変性シリコーンとしては、25℃における動粘度が50〜500mm/s、アミノ当量が2000〜6000g/molであるアミノ変性シリコーンが好ましい。
動粘度が50mm/s未満であると、得られる油剤組成物の耐熱性が低下し耐炎化工程での単繊維間の融着を十分に防止しにくくなる。一方、動粘度が500mm/sを超えると、油剤組成物のエマルションの調製が困難になる。また、油剤組成物のエマルションの安定性が低下し、前駆体繊維束に均一に付着しにくくなる。その結果、耐炎化工程での単繊維間の融着を十分に防止しにくくなったり、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の集束性が低下したりしやすくなる。
25℃における動粘度は、50〜300mm/sであることが好ましい。
【0047】
アミノ変性シリコーンの動粘度は、JIS−Z−8803、あるいはASTM D 445−46Tに準拠して測定される値であり、例えばウッベローデ粘度計を用いて測定できる。
【0048】
アミノ変性シリコーンのアミノ当量は、前駆体繊維束との馴染み良さ、シリコーンの熱安定性から、好ましくは2000〜6000g/mol、より好ましくは4000〜6000g/molである。アミノ当量が2000g/mol未満であると、シリコーン1分子中のアミノ基の数が多くなりすぎ、アミノ変性シリコーンの熱安定性が低下し、工程障害の要因となる。一方、アミノ当量が6000g/molを超えると、シリコーン1分子中のアミノ基の数が少なくなりすぎ、前駆体繊維束との馴染みが悪くなり、油剤組成物が均一に付着しにくくなり、単繊維間の融着を十分に防止しにくくなったり、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の集束性が低下したりする場合がある。
【0049】
このようなアミノ変性シリコーンとしては、下記式(3)で示される構造のアミノ変性シリコーンが好ましい。
【0050】
【化7】

【0051】
式(3)中、“o”は5〜300、“p”は1〜5である。“o”および“p”が上記範囲内から外れると、炭素繊維束の性能発現性や耐熱性が低下しやすくなる。特に“o”が5未満であると、耐熱性が低下したり単繊維間の融着を防止しにくくなったりする傾向にある。また、“o”が300を超えると、油剤組成物の水への分散が非常に困難となりエマルションが調製しにくくなる。また、エマルションの安定性が低下し、前駆体繊維束に均一に付着しにくくなる。
一方、“p”が1未満であると、前駆体繊維束との親和性が低下するため、単繊維間の融着を効果的に防止しにくくなる。また、“p”が5を超えると、油剤組成物そのものの耐熱性が低下して、やはり単繊維間の融着を防止しにくくなる。
“o”は10〜200が好ましく、“p”は1〜3が好ましい。
なお、式(3)で示される構造のアミノ変性シリコーンは、複数の化合物の混合物である場合もある。従って、“o”および“p”はそれぞれ整数でない場合もあり得る。
【0052】
式(3)中の“o”および“p”はアミノ変性シリコーンの動粘度およびアミノ当量からの推算値として概算することができる。
“o”および“p”を求める手順は、まずアミノ変性シリコーンの動粘度を測定し、測定された動粘度の値からA.J.Barryの式(logη=1.00+0.0123M0.5、(η:25℃における動粘度、M:分子量))により分子量を算出する。ついで、この分子量とアミノ当量から、1分子あたりの平均のアミノ基数“p”が求まる。分子量および“p”が定まることで“o”の値を決定することができる。
【0053】
アミノ変性シリコーンの含有量は、油剤組成物100質量%中、1〜10質量%が好ましく、より好ましくは5〜10質量%である。アミノ変性シリコーンの含有量が1質量%未満であると、単繊維間の融着を完全に防止することは困難で、機械的特性に優れた炭素繊維束が得られにくくなる。一方、アミノ変性シリコーンの含有量が10質量%を超えると、耐炎化工程で発生するケイ素化合物による工程障害により工業的な生産性が低下する問題がある。
【0054】
本発明の油剤組成物は、ポリジメチルシロキサン構造を有する相溶化剤を含有することが好ましい。
相溶化剤の含有量は、油剤組成物100質量%中、1〜10質量%が好ましく、より好ましくは2〜5質量%である。相溶化剤の含有量が1質量%以上であれば、アミノ変性シリコーンと芳香族エステル化合物(I)、(II)とが馴染みやすくなり、繊維に付与する際にそれぞれの油剤成分が偏在化することなく繊維表面により均一に付着することが可能となる。一方、相溶化剤の含有量が10質量%以下であれば、焼成工程での相溶化剤のポリジメチルシロキサン構造に由来するケイ素化合物の発生が少なく、工業的な生産性を低下させる問題が発生しにくくなる。
【0055】
相溶化剤としては、下記式(5)で示されるユニットと、下記式(6)、(7)及び(8)で示されるユニットからなる群より選択される少なくとも1つのユニットと、任意で下記式(9)で示されるユニットとを含む変性ポリジメチルシロキサンであることが好ましい。
【0056】
【化8】

【0057】
【化9】

【0058】
【化10】

【0059】
【化11】

【0060】
【化12】

【0061】
式(5)中、xaは7〜15である。
式(6)中、maは0〜3、yaは5〜15である。
式(7)中、mbは0〜3、ybは1〜5である。
式(8)中、mcは0〜3、yc+ydは5〜15であり、エチレンオキサイド(EO)とプロピレンオキサイド(PO)はブロック共重合体又はランダム共重合体である。
式(9)中、naは1〜5、zaは3〜60である。
【0062】
上述の変性ポリジメチルシロキサンの構造は、より好ましい形態として、上記各ユニットの組み合わせを大別した以下に示す3パターン挙げることができる。
【0063】
(組み合わせ1)
前記変性ポリジメチルシロキサンは、上記式(5)、(6)及び(9)で示されるユニットをそれぞれ1つ以上有し、25℃における動粘度が500〜1000mm/sであることが好ましい(以下、変性ポリジメチルシロキサン1と示す)。
変性ポリジメチルシロキサン1のアルキル鎖は油脂類と馴染みが良く、この部位の効果により、前記変性ポリジメチルシロキサン1はアミノ変性シリコーン、芳香族エステル化合物(I)、(II)の両方に溶解し、相溶化効果を発揮する。このアルキル鎖は上記式(5)においてxa=7〜15とする。好ましくは、xa=11である。xaが7以上であると、油脂類への溶解性が良好であり、15以下であれば油剤組成物を水中に分散した際に安定性が良好となる。
【0064】
変性ポリジメチルシロキサン1のポリエチレンオキサイド鎖は水と馴染みが良く、油剤組成物を水中に分散した際にミセルを安定化させる働きがある。ポリエチレンオキサイド鎖のエチレンオキサイド数は上記式(6)においてya=5〜15とする。好ましくはya=9である。yaが5以上であると、水との親和性がよくエマルションにした時の安定性が良好となる。また15以下であると熱的安定性がよい。また、ポリエチレンオキサイドとポリジメチルシロキサンとの間にアルキル基があっても差し支え無く、その範囲はma=0〜3である。好ましくはma=0である。maが3以下であれば水への分散性がよく、エマルションの安定性が低下することはない。
【0065】
また、変性ポリジメチルシロキサン1がポリジメチルシロキシアルキル鎖を有することにより、アミノ変性シリコーンへの溶解性が高くなる。ポリジメチルシロキシアルキル鎖のアルキル部は、上記式(9)においてnaが1〜5の飽和炭化水素である。好ましくはna=2である。naが5以下であると、芳香族エステルとアミノ変性シリコーンへの溶解性のバランスがよく、相溶化効果が発揮される。ポリジメチルシロキシ部の長さは、全体のバランスで決定され、前記式(9)のzaは3〜60の範囲で、25℃における動粘度が500〜1000mm/sの範囲を満たす値である。好ましくは5〜30である。zaが3以上であるとアミノ変性シリコーンへの溶解性がよく相溶化効果が発揮される。また60以下であるとアミノ変性シリコーンへの溶解性が高くなり過ぎず、相溶化のバランスがよい。
【0066】
また、上記式(5)、(6)及び(9)で示されるユニットの数は、それぞれ2〜5の範囲であることが好ましい。この範囲内であれば、それぞれのユニットについて上述した各性能間のバランスが良く、相溶化能が良好となる。上記式(5)、(6)及び(9)で示されるユニットがそれぞれ2つ以上存在する場合、xa、ya、za、ma、naの値は各々のユニットによって同じであっても異なってもよい。
【0067】
前記変性ポリジメチルシロキサン1は、25℃における動粘度が500〜1000mm/sであることが好ましい。より好ましくは600〜800mm/sである。動粘度が500mm/s以上であると、分子量が小さくなり過ぎることがないので、前記ポリエチレンオキサイド鎖、アルキル鎖を構造内に均一に入れることができ、かつ熱的な安定性がよくなる。一方、動粘度が1000mm/s以下であると、乳化し易く、得られるエマルションの安定性もよい上、油剤組成物を前駆体繊維束に付与した後の乾燥工程において、粘性の高い物質が乾燥ロール上に析出して操業性が低下することがない。
変性ポリジメチルシロキサン1の動粘度は、アミノ変性シリコーンの動粘度と同様にして測定できる。
【0068】
(組み合わせ2)
前記変性ポリジメチルシロキサンは、上記式(5)、(7)及び(9)で示されるユニットをそれぞれ1〜20個有し、25℃における動粘度が3000〜5000mm/sであることが好ましい(以下、変性ポリジメチルシロキサン2と示す)。
変性ポリジメチルシロキサン2のアルキル鎖は油脂類と馴染みが良く、この部位の効果により、変性ポリジメチルシロキサン2はアミノ変性シリコーン、芳香族エステル化合物(I)、(II)の両方に溶解し、相溶化効果を発揮する。このアルキル鎖は上記式(5)においてxa=7〜15とする。好ましくはxa=11である。xaが7より小さいと、油脂類への溶解性が低減し、15より大きいと油剤組成物を水中に分散した際に安定性が低くなる。
【0069】
変性ポリジメチルシロキサン2のポリグリセリン鎖は水と馴染みが良く、油剤組成物を水中に分散した際にミセルを安定化させる働きがある。ポリグリセリン鎖は上記式(7)においてyb=1〜5とする。好ましくはyb=3である。ybが1より小さいと水との親和性が低くエマルションにした時の安定性が低下し、5より大きいと熱的安定性が低下する。また、ポリグリセリンとポリジメチルシロキサンとの間にアルキルがあっても差し支え無く、その範囲はmb=0〜3とする。好ましくはmb=0である。mbが3を超えると水への分散性が低くなり、エマルションの安定性が低下する。
【0070】
また、変性ポリジメチルシロキサン2がポリジメチルシロキシアルキル鎖を有することにより、アミノ変性シリコーンへの溶解性が高くなる。ポリジメチルシロキシアルキル鎖のアルキル部は、上記式(9)においてna=1〜5の飽和炭化水素とする。好ましくはna=2である。naが5より多いと芳香族エステルとアミノ変性シリコーンへの溶解性のバランスが崩れ、相溶化効果が低下する。ポリジメチルシロキシ部の長さは、全体のバランスで決定され、上記式(9)のzaは3〜60の範囲で、25℃における動粘度が3000〜5000mm/sの範囲を満たす値である。好ましくは5〜30である。zaが3より低いとアミノ変性シリコーンへの溶解性が低く相溶化効果が低下し、60を超えるとアミノ変性シリコーンへの溶解性が高くなり、相溶化のバランスが低下する。
【0071】
前記変性ポリジメチルシロキサン2は、25℃における動粘度が3000〜5000mm/sが好ましい。より好ましくは3500〜4500mm/sである。動粘度が3000mm/sより小さい場合は、必然的に分子量が小さくなり、前記のポリグリセリン鎖、アルキル鎖を構造内に均一に入れることができない上、熱的な安定性が低下する。また、動粘度が5000mm/sより大きな場合は、乳化が困難で、得られるエマルションの安定性も低下するうえ、油剤組成物を前駆体繊維束に付与した後の乾燥工程において粘性の高い物質が乾燥ロール上に析出して操業性が低下する。
変性ポリジメチルシロキサン2の動粘度は、アミノ変性シリコーンの動粘度と同様にして測定できる。
【0072】
前記変性ポリジメチルシロキサン2は、上記式(5)、(7)及び(9)で示されるユニットをそれぞれ1〜20個有する。好ましくは2〜5個である。この範囲内であれば、それぞれのユニット間のバランスが良くなり、目的である相溶化能が良好となる。上記式(5)、(7)及び(9)で示されるユニットがそれぞれ2つ以上存在する場合、xa、yb、za、mb、naの値は各々のユニットによって同じであっても異なってもよい。
また、変性ポリジメチルシロキサン2は、下記式(10)で示されるユニットを含んでいてもよい。
【0073】
【化13】

【0074】
式(10)中、mdは0〜3、yeは1〜5である。
【0075】
(組み合わせ3)
前記変性ポリジメチルシロキサンは、上記式(5)及び(8)で示されるユニットをそれぞれ1〜20個有し、25℃における動粘度が500〜1500mm/sであることが好ましい(以下、変性ポリジメチルシロキサン3と示す)。
変性ポリジメチルシロキサン3のアルキル鎖は油脂類と馴染みが良く、この部位の効果により、変性ポリジメチルシロキサン3はアミノ変性シリコーン、芳香族エステル化合物(I)、(II)の両方に溶解し、相溶化効果を発揮する。このアルキル鎖は上記式(5)においてxa=7〜15とする。好ましくはxa=9〜13である。xaが7より小さいと、油脂類への溶解性が低減し、15より大きいと油剤組成物を水中に分散した際に安定性が低くなる。
【0076】
変性ポリジメチルシロキサン3のポリエーテル鎖は水と馴染みが良く、油剤組成物を水中に分散した際にミセルを安定化させる働きがある。ポリエーテル鎖のエチレンオキサイド及びプロピレンオキサイドの数は、上記式(8)においてyc+yd=5〜15の範囲とする。好ましくはyc+yd=8〜12である。yc+ydが5より小さいと水との親和性が低くエマルションにした時の安定性が低下し、yc+ydが15より大きいと熱的安定性が低下する。また、ポリエーテル鎖とポリジメチルシロキサンとの間にアルキルがあっても差し支え無く、その範囲はmc=0〜3とする。好ましくはmc=0である。mcが3を超えると水への分散性が低くなり、エマルションの安定性が低下する。
【0077】
前記変性ポリジメチルシロキサン3は、25℃における動粘度が500〜1500mm/sが好ましい。より好ましくは800〜1200mm/sである。動粘度が500mm/sより小さい場合は、必然的に分子量が小さくなり、前記のポリエーテル鎖、アルキル鎖を構造内に均一に入れることができない上、熱的な安定性が低下する。また、動粘度が1500mm/sより大きな場合は、乳化が困難で、得られるエマルションの安定性も低下するうえ、油剤組成物を前駆体繊維束に付与した後の乾燥工程において粘性の高い物質が乾燥ロール上に析出して操業性が低下する。
変性ポリジメチルシロキサン3の動粘度は、アミノ変性シリコーンの動粘度と同様にして測定できる。
【0078】
また、前記変性ポリジメチルシロキサン3は、上記式(5)及び(8)で示されるユニットをそれぞれ1〜20個有する。好ましくは2〜5個である。この範囲内であれば、それぞれのユニット間のバランスが良くなり、目的である相溶化能が良好となる。上記式(5)、(8)で示されるユニットがそれぞれ2つ以上存在する場合、xa、yc、yd、mcの値は各々のユニットによって同じであっても異なっていてもよい。
【0079】
本発明の油剤組成物は、界面活性剤を含有することが好ましい。界面活性剤を含有することで、油剤組成物が水中に容易に分散できる。
界面活性剤としては、公知の様々な物質を用いることができるが、非イオン系の界面活性剤が好ましい。
非イオン系の界面活性剤としては、例えば高級アルコ−ルエチレンオキサイド付加物、アルキルフェノ−ルエチレンオキサイド付加物、脂肪族エチレンオキサイド付加物、多価アルコ−ル脂肪族エステルエチレンオキサイド付加物、高級アルキルアミンエチレンオキサイド付加物、脂肪族アミドエチレンオキサイド付加物、油脂のエチレンオキサイド付加物、ポリプロピレングリコ−ルエチレンオキサイド付加物などのポリエチレングリコ−ル型非イオン性界面活性剤;グリセロ−ルの脂肪族エステル、ペンタエリスト−ルの脂肪族エステル、ソルビト−ルの脂肪族エステル、ソルビタンの脂肪族エステル、ショ糖の脂肪族エステル、多価アルコ−ルのアルキルエ−テル、アルカノ−ルアミン類の脂肪酸アミドなどの多価アルコ−ル型非イオン性界面活性剤等が挙げられる。
これら界面活性剤は1種単独で用いてもよく、2種以上を併用してもよい。
【0080】
これらの中でも、非イオン系界面活性剤としては、下記式(4)で示される構造のプロピレンオキサイド(PO)ユニットと、エチレンオキサイド(EO)ユニットからなるブロック共重合型ポリエーテルが好ましい。
【0081】
【化14】

【0082】
式(4)中、 “x”、“y”、“z”はそれぞれ独立して1〜200であり、10〜100が好ましい。
また、“x”および“z”の合計と、“y”との比(x+z:y)が90:10〜50:50であることが好ましい。
【0083】
また、ブロック共重合型ポリエーテルは、数平均分子量が2000〜10000であることが好ましい。数平均分子量が上記範囲内であれば、油剤組成物として要求される熱的安定性と水への分散性を共に有することが可能となる。
さらに、ブロック共重合型ポリエーテルは、100℃における動粘度が10〜500mm/sであることが好ましい。動粘度が上記範囲内であれば、油剤組成物の過剰な繊維内部への浸透を防ぎ、かつ前駆体繊維束に付与した後の乾燥工程において、油剤組成物の粘性により搬送ローラー等に単繊維が取られて巻きつくなどの工程障害が起こりにくくなる。
ブロック共重合型ポリエーテルの動粘度は、アミノ変性シリコーンの動粘度と同様にして測定できる。
【0084】
ブロック共重合型ポリエーテルの含有量は、油剤組成物100質量%中、10〜30質量%が好ましく、より好ましくは10〜20質量%である。ブロック共重合型ポリエーテルの含有量が10質量%以上であれば、その他の油剤組成を水中に分散させることが容易となり、その分散液が安定なものとなる。一方、ブロック共重合型ポリエーテルの含有量が30質量%以下であれば、炭素繊維束の機械的特性を低下させることなく、さらに油剤組成物が水中に分散した水系乳化溶液が泡立つなどして繊維束への付着斑が起こるのを抑制できる。
【0085】
本発明の油剤組成物は、前駆体繊維束に付着させるための設備や使用環境によって、操業性を向上させたり、油剤組成物の安定性や付着特性を向上させたりすることを目的として、帯電防止剤や酸化防止剤、抗菌剤などの添加物を含有してもよい。
また、本発明の油剤組成物が抗菌剤を含有すると、詳しくは後述するが、油剤組成物を水に分散し油剤処理液とした際に、その劣化を防止することもできる。
【0086】
帯電防止剤としては、公知の物質を用いることができる。帯電防止剤はイオン型と非イオン型に大別され、イオン型としてはアニオン系、カチオン系及び両性系があり、非イオン型ではポリエチレングリコール型及び多価アルコール型がある。帯電防止の観点からイオン型が好ましく、中でも脂肪族スルホン酸塩、高級アルコール硫酸エステル塩、高級アルコールエチレンオキシド付加物硫酸エステル塩、高級アルコールリン酸エステル塩、高級アルコールエチレンオキシド付加物硫酸リン酸エステル塩、第4級アンモニウム塩型カチオン界面活性剤、ベタイン型両性界面活性剤、高級アルコールエチレンオキシド付加物ポリエチレングリコール脂肪酸エステル、多価アルコール脂肪酸エステルなどが好ましく用いられる。
これら帯電防止剤は、1種単独で用いてもよく、2種以上を併用してもよい。
【0087】
帯電防止剤の含有量は、油剤組成物100質量%中、1.0〜5.0質量%が好ましく、1.0〜3.0質量%がより好ましい。帯電防止剤の含有量が1.0質量%未満であると、帯電防止効果が十分に得られにくくなる。その結果、油剤組成物が付着した後の工程、特に焼成工程において炭素繊維前駆体アクリル繊維束が帯電して広がり、隣接する繊維束とマージングしたり、搬送用のロールに巻き付いたりするなどの問題が起こる場合がある。一方、帯電防止剤の含有量が5.0質量%を超えると、前駆体繊維束に油剤組成物を付与する際の水系乳化溶液が泡立ちやすくなったり、焼成工程において帯電防止剤が分解し、その分解生成物が焼成工程において炉内に堆積したりするなどして工程障害となる場合がある。
【0088】
酸化防止剤としては公知の様々な物質を用いることができるが、フェノール系や硫黄系の酸化防止剤が好適である。
フェノール系酸化防止剤の具体例としては、2,6−ジ−t−ブチル−p−クレゾール、4,4’−ブチリデンビス−(6−t−ブチル−3−メチルフェノール)、2,2’−メチレンビス−(4−メチル−6−t−ブチルフェノール)、2,2’−メチレンビス−(4−エチル−6−t−ブチルフェノール)、2,6−ジ−t−ブチル−4−エチルフェノール、1,1,3−トリス(2−メチル−4−ヒドロキシ−5−t−ブチルフェニル)ブタン、n−オクタデシル−3−(3,5−ジ−t−ブチル−4−ヒドロキシフェニル)プロピオネート、テトラキス[メチレン−3−(3,5−ジ−t−ブチル−4−ヒドロキシフェニル)プロピオネート]メタン、トリエチレングリコールビス[3−(3−t−ブチル−4−ヒドロキシ−5−メチルフェニル)プロピオネート]、トリス(3,5−ジ−t−ブチル−4−ヒドロキシベンジル)イソシアヌレート等が挙げられる。
硫黄系の酸化防止剤の具体例としては、ジラウリルチオジプロピオネート、ジステアリルチオジプロピオネート、ジミリスチルチオジプロピオネート、ジトリデシルチオジプロピオネート等が挙げられる。
これら酸化防止剤は1種単独で用いてもよく、2種以上を併用してもよい。
【0089】
酸化防止剤は、前記の芳香族エステル化合物(I)、(II)、およびアミノ変性シリコーンの両方に作用するものが好ましく、上記の中では、テトラキス[メチレン−3−(3,5−ジ−t−ブチル−4−ヒドロキシフェニル)プロピオネート]メタンと、トリエチレングリコールビス[3−(3−t−ブチル−4−ヒドロキシ−5−メチルフェニル)プロピオネート]が好ましい。
【0090】
酸化防止剤の含有量は、油剤組成物100質量%中、0.5〜3.0質量%が好ましく、0.5〜2.0質量%がより好ましい。酸化防止剤の含有量が0.5質量%未満であると、酸化防止効果が十分に得られにくくなる。そのため、油剤組成物がアミノ変性シリコーンを含有する場合、前駆体繊維束の製造過程において前駆体繊維束に付着した油剤組成物中のアミノ変性シリコーンが、熱ロール等により加熱されて樹脂化する場合がある。アミノ変性シリコーンが樹脂化するとロール等の表面に堆積しやすくなり、前駆体繊維束が巻き付いて工程障害を招き、操業性が低下する。一方、酸化防止剤の含有量が3.0質量%を超えると、酸化防止剤が油剤組成物中に均一に分散しにくくなる。
【0091】
抗菌剤としては、公知の物質を用いることができる。例えば5−クロロ−2−メチル−4−イソチアゾリン−3−オン、2−メチル−4−イソチアゾリン−3−オン、1,2−ベンズイソチアゾリン−3−オン、N−n−ブチル−1,2−ベンズイソチアゾリン−3−オン、2−n−オクチル−4−イソチアゾリン−3−オン、4,5−ジクロロ−2−n−オクチル−4−イソチアゾリン−3−オン、2−メチル−4,5−トリメチレン−4−イソチアゾリン−3−オンなどのイソチアゾリン系化合物;2−ブロモ−2−ニトロプロパン−1,3−ジオール、2,2−ジブロモ−2−ニトロエタノール、2,2−ジブロモ−3−ニトリロプロピオンアミド、1,2−ジブロモ−2,4−ジシアノブタン、ヘキサブロモジメチルスルホンなどの有機臭素系化合物;ホルムアルデヒド、グルタルアルデヒド、o−フタルアルデヒドなどのアルデヒド系化合物;3−メチル−4−イソプロピルフェノール、2−イソプロピル−5−メチルフェノール、o−フェニルフェノール、4−クロロ−3,5−ジメチルフェノール、2,4,4’−トリクロロ−2’−ヒドロキシジフェニルエーテル、4,4’−ジクロロ−2’−ヒドロキシジフェニルエーテルなどのフェノール系化合物;8−オキシキノリン、2,3,5,6−テトラクロロ−4−(メチルスルホニル)ピリジン、ビス(2−ピリジルチオ−1−オキシド)亜鉛、(2−ピリジルチオ−1−オキシド)ナトリウムなどのピリジン系化合物;N,N',N''−トリスヒドロキシエチルヘキサヒドロ−S−トリアジン、N,N',N''−トリスエチルヘキサヒドロ−S−トリアジンなどのトリアジン系化合物;3,4,4’−トリクロロカルバニリド、3−トリフルオロメチル−4,4’−ジクロロカルバニリドなどのアニリド系化合物;2−(4−チオシアノメチルチオ)ベンズイミダゾールなどのチアゾール系化合物;2−(4−チアゾリル)−ベンズイミダゾール、2−ベンズイミダゾールカルバミン酸メチルなどのイミダゾール系化合物;1−[[2−(2,4−ジクロロフェニル)−4−n−プロピル−1,3−ジオキソラン−2−イル]メチル]−1H−1,2,4−トリアゾール、(RS)−2−(2,4−ジクロロフェニル)−1−(1H−1,2,4−トリアゾールー1−イル)ヘキサン−2−オール、α−[2−(4−クロロフェニル)エチル]−α−(1,1−ジメチルエチル)−1H−1,2,4−トリアゾール−1−エタノール、α−(クロロフェニル)−α−(1−シクロプロピルエチル)−1H−1,2,4−トリアゾール−1−エタノール、1−[[2−(2,4−ジクロロフェニル)−1,3−ジオキソラン−2−イル]メチル−1H−1,2,4−トリアゾールなどのトリアゾール系化合物;2,4,5,6−テトラクロロイソフタロニトリル、5−クロロ−2,4,6−トリフルオロイソフタロニトリルなどのニトリル系化合物;4,5−ジクロロ−1,2−ジチオラン−3−オン、3,3,4,4−テトラクロロテトラヒドロチオフェン−1,1−ジオキシドなどの有機塩素系化合物;3−ヨード−2−プロピニルブチルカーバメート、ジヨードメチル−p−トリルスルホン、2,3,3−トリヨードアリルアルコールなどの有機ヨード系化合物等が挙げられる。これらの中でもイソチアゾリン系の抗菌剤が好ましい。
これら抗菌剤は、1種単独で用いてもよく、2種以上を併用してもよい。
【0092】
抗菌剤の含有量は、油剤組成物100質量%中、100〜10000ppmが好ましく、1000〜5000ppmがより好ましい。抗菌剤の含有量が100ppm未満であると、抗菌効果が十分に得られにくくなる。一方、抗菌剤の含有量が10000ppmを超えると、焼成工程において抗菌剤、あるいは抗菌剤の分解物が繊維束に損傷を与え、得られる炭素繊維束の品質を低下させる場合がある。
【0093】
以上説明した本発明の油剤組成物は、ある特定の条件下における測定において必要な熱的挙動を示す芳香族エステル化合物2種類を含有することにより、シリコーン成分の割合を減らしても、耐炎化工程での集束性を維持しつつ、単繊維間の融着を効果的に防止できる。加えて、シリコーン成分の割合を減らせるのでケイ素化合物の発生も軽減でき、その結果、操業性低下や工程障害が低減され、工業的な生産性を維持できる。よって、機械的物性に優れた炭素繊維束を、安定な連続操業によって得ることを可能とする。
このように、本発明の油剤組成物によれば、従来のシリコーンを主成分とする油剤組成物の問題と、シリコーンの含有率を低減した油剤組成物の問題を共に解決できる。
【0094】
<第二の実施形態>
本発明の油剤組成物は、芳香族エステル成分とシリコーン成分を含有する。
芳香族エステル成分は、後述の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の耐炎化工程において、融着防止、集束性付与に有効である。
本発明においては、芳香族エステル成分として、第一の実施形態で説明した、上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物と、上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物を併用する。
【0095】
上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物は、耐熱性が高く、耐炎化工程が終了するまで炭素繊維前駆体アクリル繊維束が集束性を保持するのに有効であり、操業性を向上させる働きがある。しかしながら、炭素化工程に至るまで繊維束に残存するため、炭素繊維の機械的物性を低下させる場合がある。
一方、上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物は、耐炎化工程において熱分解あるいは飛散しやすく、繊維束表面に残りにくいため、炭素繊維束の機械的物性を高品質に維持することが可能となる。しかしながら、耐熱性にやや劣るため、この物質だけでは耐炎化工程におい炭素繊維前駆体アクリル繊維束が集束性を保持することは困難である。
従って、本発明においては、上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物と、上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物を併用することが重要である。
【0096】
上記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物の含有量は、油剤組成物100質量%中、10〜40質量%であり、10〜30質量%が好ましい。含有量が10質量%以上であれば、炭素繊維前駆体アクリル繊維束へ十分な集束性を付与できるとともに、操業性が向上する。一方、含有量が40質量%以下であれば、機械的物性が良好な炭素繊維束が得られる。
【0097】
上記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物の含有量は、油剤組成物100質量%中、10〜40質量%であり、20〜40質量%が好ましい。含有量が10質量%以上であれば、機械的物性が良好な炭素繊維束が得られる。一方、含有量が40質量%以下であれば、炭素繊維前駆体アクリル繊維束へ十分な集束性を付与できる。
【0098】
シリコーン成分としては、第一の実施形態で説明した、上記式(3)で示される構造のアミノ変性シリコーンを用いる。該アミノ変性シリコーンは、25℃における動粘度が50〜500mm/sであることが好ましく、50〜300mm/sであることがより好ましい。また、アミノ当量が2000〜6000g/molであることが好ましく、4000〜6000g/molであることがより好ましい。
【0099】
上記式(3)で示される構造のアミノ変性シリコーンの含有量は、油剤組成物100質量%中、1〜10質量%であり、5〜10質量%が好ましい。アミノ変性シリコーンの含有量が1質量%未満であると、単繊維間の融着を完全に防止することは困難で、機械的特性に優れた炭素繊維束が得られにくくなる。一方、アミノ変性シリコーンの含有量が10質量%を超えると、耐炎化工程で発生するケイ素化合物による工程障害により工業的な生産性が低下する問題がある。
【0100】
本発明の油剤組成物は、ポリジメチルシロキサン構造を有する相溶化剤を1〜10質量%含有することが好ましく、より好ましくは2〜5質量%である。
相溶化剤としては、第一の実施形態で説明した相溶化剤が挙げられる。
【0101】
また、本発明の油剤組成物は、界面活性剤として非イオン系界面活性剤を含有するのが好ましい。非イオン系界面活性剤としては、第一の実施形態で説明した界面活性剤が挙げられるが、中でも上記式(4)で示される構造のプロピレンオキサイド(PO)ユニットと、エチレンオキサイド(EO)ユニットからなるブロック共重合型ポリエーテルが好ましい。
ブロック共重合型ポリエーテルの含有量は、油剤組成物100質量%中、10〜30質量%が好ましく、より好ましくは10〜20質量%である。
【0102】
また、本発明の油剤組成物は、前駆体繊維束に付着させるための設備や使用環境によって、操業性を向上させたり、油剤組成物の安定性や付着特性を向上させたりすることを目的として、帯電防止剤や酸化防止剤、抗菌剤などの添加物を含有してもよい。
帯電防止剤、酸化防止剤、抗菌剤としては、第一の実施形態で説明した帯電防止剤、酸化防止剤、抗菌剤が挙げられる。これらの含有量も第一の実施形態と同様である。
【0103】
以上説明した本発明の油剤組成物は、特定の構造を有する芳香族エステル化合物2種類、および特定の構造を有するアミノ変性シリコーンを、それぞれ特定量含有することにより、シリコーン成分の割合を減らしても、耐炎化工程での集束性を維持しつつ、単繊維間の融着を効果的に防止できる。加えて、シリコーン成分の割合を減らせるのでケイ素化合物の発生も軽減でき、その結果、操業性低下や工程障害が低減され、工業的な生産性を維持できる。よって、機械的物性に優れた炭素繊維束を、安定な連続操業によって得ることを可能とする。
このように、本発明の油剤組成物によれば、従来のシリコーンを主成分とする油剤組成物の問題と、シリコーンの含有率を低減した油剤組成物の問題を共に解決できる。
【0104】
[炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法]
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法においては、上述した本発明の油剤組成物を、水膨潤状態の前駆体繊維束に付与する工程(油剤処理)を行い、ついで油剤処理された前駆体繊維束を乾燥緻密化する工程を行う。
以下、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法における各工程について詳しく説明する。
【0105】
(紡糸)
本発明に用いる、油剤処理前の前駆体繊維束としては、公知技術により紡糸されたアクリル繊維束を用いることができる。具体的には、アクリロニトリル系重合体を紡糸して得られるアクリル繊維束が挙げられる。
アクリロニトリル系重合体は、アクリロニトリルを主な単量体とし、これを重合して得られる重合体である。アクリロニトリル系重合体は、アクリロニトリルのみから得られるホモポリマーであってもよく、主成分であるアクリロニトリルに加えて他の単量体を併用したアクリロニトリル系共重合体であってもよい。
【0106】
アクリロニトリル系共重合体におけるアクリロニトリル単位の含有量は、96.0〜98.5質量%であることが焼成工程での繊維の熱融着防止、共重合体の耐熱性、紡糸原液の安定性、および炭素繊維にした際の品質の観点でより好ましい。アクリロニトリル単位が96質量%以上の場合は、炭素繊維に転換する際の焼成工程で繊維の熱融着を招くことなく、炭素繊維の優れた品質および性能を維持できるので好ましい。また、共重合体自体の耐熱性が低くなることもなく、前駆体繊維を紡糸する際、繊維の乾燥あるいは加熱ローラーや加圧水蒸気による延伸のような工程において、単繊維間の接着を回避できる。一方、アクリロニトリル単位が98.5質量%以下の場合には、溶剤への溶解性が低下することもなく、紡糸原液の安定性を維持できると共に共重合体の析出凝固性が高くならず、前駆体繊維の安定した製造が可能となるので好ましい。
【0107】
共重合体を用いる場合のアクリロニトリル以外の単量体としては、アクリロニトリルと共重合可能なビニル系単量体から適宣選択することができ、耐炎化反応を促進する作用を有するアクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸、または、これらのアルカリ金属塩もしくはアンモニウム塩、アクリルアミド等の単量体から選択すると、耐炎化を促進できるので好ましい。
アクリロニトリルと共重合可能なビニル系単量体としては、アクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸等のカルボキシル基含有ビニル系単量体がより好ましい。アクリロニトリル系共重合体におけるカルボキシル基含有ビニル系単量体単位の含有量は0.5〜2.0質量%が好ましい。
これらビニル系単量体は、1種単独で用いても良よく、2種以上を併用してもよい。
【0108】
紡糸の際には、アクリロニトリル系重合体を、溶剤に溶解し紡糸原液とする。このときの溶剤には、ジメチルアセトアミドあるいはジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミド等の有機溶剤、または塩化亜鉛やチオシアン酸ナトリウム等の無機化合物水溶液等、公知のものから適宜選択して使用することができる。これらの中でも、生産性向上の観点から凝固速度が早いジメチルアセトアミド、ジメチルスルホキシドおよびジメチルホルムアミドが好ましく、ジメチルアセトアミドがより好ましい。
【0109】
また、緻密な凝固糸を得るためには、紡糸原液の重合体濃度がある程度以上になるように紡糸原液を調整することが好ましい。具体的には、紡糸原液中の重合体濃度が17質量%以上になるように調整することが好ましく、より好ましくは19質量%以上である。
なお、紡糸原液は適正な粘度・流動性を必要とするため、重合体濃度は25質量%を超えない範囲が好ましい。
【0110】
紡糸方法は、上述した紡糸原液を直接凝固浴中に紡出する湿式紡糸法、空気中で凝固する乾式紡糸法、および一旦空気中に紡出した後に浴中凝固させる乾湿式紡糸法など公知の紡糸方法を適宜採用できるが、より高い性能を有する炭素繊維束を得るには湿式紡糸法または乾湿式紡糸法が好ましい。
【0111】
湿式紡糸法または乾湿式紡糸法による紡糸賦形は、紡糸原液を円形断面の孔を有するノズルより凝固浴中に紡出することで行うことができる。凝固浴としては、紡糸原液に用いられる溶剤を含む水溶液を用いるのが溶剤回収の容易さの観点から好ましい。
凝固浴として溶剤を含む水溶液を用いる場合、水溶液中の溶剤濃度は、ボイドがなく緻密な構造を形成させ高性能な炭素繊維束を得られ、かつ延伸性が確保でき生産性に優れる等の理由から、50〜85質量%、凝固浴の温度は10〜60℃が好ましい。
【0112】
(延伸処理)
重合体あるいは共重合体を溶剤に溶解し、紡糸原液として凝固浴中に吐出して繊維化して得た凝固糸には、凝固浴中または延伸浴中で延伸する浴中延伸を行うことができる。あるいは、一部空中延伸した後に、浴中延伸してもよく、延伸の前後あるいは延伸と同時に水洗を行って水膨潤状態の前駆体繊維束を得ることができる。
浴中延伸は、通常50〜98℃の水浴中で1回あるいは2回以上の多段に分割するなどして行い、空中延伸と浴中延伸の合計倍率が2〜10倍になるように凝固糸を延伸するのが、得られる炭素繊維束の性能の点から好ましい。
【0113】
(油剤処理)
前駆体繊維束への油剤組成物の付与には、本発明の油剤組成物を水中に分散させて、平均粒子径が0.01〜0.50μmのミセルを形成させた水系乳化溶液(エマルション)を用いる。
ミセルの平均粒子径が上記範囲内であれば、前駆体繊維束の表面に油剤組成物を均一に付与できる。
なお、水系乳化溶液中のミセルの平均粒子径は、レーザ回折/散乱式粒度分布測定装置(株式会社堀場製作所製、商品名:LA−910)を用いて測定することができる。
【0114】
水系乳化溶液は、例えば以下のようにして調製できる。すなわち、アミノ変性シリコーンと非イオン系界面活性剤とを攪拌しながら、そこに芳香族エステル化合物を加えて分散し、さらに水を加えることで油剤組成物が水中に分散した水系乳化溶液が得られる。
酸化防止剤を含有させる場合は、酸化防止剤を予めアミノ変性シリコーンに溶かしておくことが好ましい。また、帯電防止剤および/または抗菌剤を含有させる場合は、水を加えて水系乳化溶液とした後に添加攪拌することが好ましい。
各成分の混合または水中分散は、プロペラ攪拌、ホモミキサー、ホモジナイザー等を使って行うことができる。特に、150MPa以上に加圧可能な超高圧ホモジナイザーを用いることが好ましい。
【0115】
水系乳化溶液中の油剤組成物の濃度は、2〜40質量%が好ましく、10〜30質量%がより好ましく、20〜30質量%が特に好ましい。油剤組成物の濃度が2質量%未満であると、必要な量の油剤組成物を水膨潤状態の前駆体繊維束に付与することが困難となる。一方、油剤組成物の濃度が40質量%を超えると、水系乳化溶液が不安定となり乳化の破壊が起こりやすくなる。
【0116】
本発明の油剤組成物を水膨潤状態の前駆体繊維束に付与する際、前記水系乳化溶液に、さらにイオン交換水を加えて所定の濃度に希釈して用いることが好ましい。
なお、「所定の濃度」は油剤処理時の前駆体繊維束の状態によって調整される。所定の濃度とした分散液を、以下「油剤処理液」という。
【0117】
油剤組成物の前駆体繊維束への付与は、上述した浴中延伸後の水膨潤状態の前駆体繊維束に、油剤組成物の水系乳化溶液を付与することにより行うことができる。
浴中延伸の後に洗浄を行う場合は、浴中延伸および洗浄を行った後に得られる水膨潤状態の繊維束に油剤組成物の水系乳化溶液を付与することもできる。
【0118】
油剤組成物を水膨潤状態の前駆体繊維束に付与する方法としては、油剤組成物が水中に分散した水系乳化溶液に、イオン交換水を加えて所定の濃度に希釈して油剤処理液とした後、水膨潤状態の前駆体繊維束に付着させる手法を用いることができる。
油剤処理液を水膨潤状態の前駆体繊維束に付着させる方法としては、ローラーの下部を油剤処理液に浸漬させ、そのローラーの上部に前駆体繊維束を接触させるローラー付着法、ポンプで一定量の油剤処理液をガイドから吐出し、そのガイド表面に前駆体繊維束を接触させるガイド付着法、ノズルから一定量の油剤処理液を前駆体繊維束に噴射するスプレー付着法、油剤処理液の中に前駆体繊維束を浸漬した後にローラー等で絞って余分な油剤処理液を除去するディップ付着法等の公知の方法を用いることができる。
これらの方法の中でも、均一付着の観点から、前駆体繊維束に十分に油剤処理液を浸透させ、余分な処理液を除去するディップ付着法が好ましい。より均一に付着するためには油剤付与工程を2つ以上の多段にし、繰り返し付与することも有効である。
【0119】
(乾燥緻密化処理)
水系乳化溶液が付与された前駆体繊維束は、続く乾燥工程で乾燥緻密化される。
乾燥緻密化の温度は、繊維のガラス転移温度を超えた温度で行う必要があるが、実質的には含水状態から乾燥状態によって異なることもある。例えば温度が100〜200℃程度の加熱ローラーによる方法にて緻密乾燥化するのが好ましい。このとき加熱ローラーの個数は、1個でもよく、複数個でもよい。
【0120】
(二次延伸処理)
緻密乾燥化した前駆体繊維束には、更に延伸処理を施すのが好ましい。延伸方法としては、加圧あるいは常圧水蒸気による水蒸気延伸、熱盤延伸、加熱ローラーによる延伸等、公知の延伸技術を用いることができる。
上記の中でも、安定した均一延伸が可能な加熱ローラーによる延伸処理が好ましい。該延伸処理により、得られる炭素繊維前駆体アクリル繊維束の緻密性や配向度をさらに高めることができる。特に、加熱ローラーにより緻密乾燥化した前駆体繊維束を搬送させながら、ローラー速度を変えることで、1.1〜4.0倍に延伸することで、得られる炭素繊維前駆体アクリル繊維束の緻密性や配向度をより向上できる。
加熱ローラーの温度としては150〜200℃程度が好ましい。温度が150℃未満であると、可塑化が不完全となり、延伸をかけた際に毛羽等が発生し、続く炭素化工程で繊維束が巻き付いて、工程障害を招き操業性が低下することがある。一方、温度が200℃を超えると、酸化反応や分解反応などが開始され、炭素繊維前駆体アクリル繊維束を焼成して得られる炭素繊維束の品質を低下させる場合がある。
【0121】
乾燥緻密化処理および二次延伸処理を経て得られる炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、室温のロールを通し、常温の状態まで冷却した後にワインダーでボビンに巻き取られる、あるいはケンスに振込まれて収納される。
そして、炭素繊維前駆体アクリル繊維束は焼成工程に移され、炭素繊維束となる。
【0122】
[炭素繊維前駆体アクリル繊維束]
このようにして得られる本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、本発明の油剤組成物が乾燥繊維質量に対して0.1〜2.0質量%付着しいていることが好ましく、より好ましくは0.5〜1.5質量%である。油剤組成物の付着量が0.1質量%未満であると、油剤組成物本来の機能を十分に発現することが困難となる場合がある。一方、油剤組成物の付着量が2.0質量%を超えると、過剰に付着した油剤組成物が、焼成工程において高分子化して、単繊維間の接着の誘因となる場合がある。
なお、「乾燥繊維質量」とは、乾燥緻密化処理された後の前駆体繊維束の乾燥繊維質量のことである。
【0123】
油剤組成物の付着量は、次のようにして求められる。
メチルエチルケトンによるソックスレー抽出法に準拠し、90℃のメチルエチルケトンに炭素繊維前駆体アクリル繊維束を8時間浸漬させて油剤組成物を抽出し、抽出前の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の質量w、および抽出後の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の質量wをそれぞれ測定し、下記式(iii)により油剤組成物の付着量を求める。
油剤組成物の付着量[質量%]=(w−w)/w×100 ・・・(iii)
【0124】
以上説明したように、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法は、本発明の油剤組成物を用いるので、集束性に優れた炭素繊維前駆体アクリル繊維束を生産性よく製造できる。
また、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、本発明の油剤組成物が均一に付着しているので、集束性に優れる。さらに、焼成工程において単繊維間の融着を防止し、かつケイ素化合物の生成やシリコーン分解物の飛散を抑制できるので、操業性、工程通過性が著しく改善される。
また、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束を焼成して得られる炭素繊維束は、機械的物性に優れ、高品質であり、様々な構造材料に用いられる繊維強化樹脂複合材料に用いる強化繊維として好適である。
【実施例】
【0125】
以下、本発明について実施例を挙げて具体的に説明する。ただし、本発明はこれらに限定されるものではない。
本実施例に用いた各成分、および各種測定方法、評価方法は以下の通りである。
【0126】
[成分]
<芳香族エステル化合物>
・A―1:rが95質量%、rが7質量%のポリオキシエチレンビスフェノールAジラウレート(花王株式会社製、商品名:エキセパール BP−DL)
・A―2:rが75質量%、rが1質量%のトリイソデシルトリメリテート(花王株式会社製、商品名:トリメックス T−10)
・A―3:rが88質量%、rが9質量%のペンタエリスリトールテトラステアレート(日本油脂株式会社製、製品名:ユニスター H−476)
【0127】
なお、各芳香族エステル化合物のrおよびrは、以下のようにして測定した。
ガスを流通可能な熱質量測定装置(島津製作所株式会社製、商品名:ミクロ熱重量測定装置TGA−50)を用い、室温にて芳香族エステル約50mgを装置にセットし、この時の初期質量をWとした。その後、Nガス(純度99.9999%)を流量200ml/分で流通させながら150℃まで10℃/分の昇温速度で加熱し、150℃においてNと水蒸気が4:1(体積比)の割合で混合されたガスラインに切替えた。さらに10℃/分の昇温速度で300℃まで加熱した時の質量をWとした。その後、流通ガスのラインをNに戻し、10℃/分の昇温速度で500℃まで加熱した時の質量をWとした。各質量W、W、Wを測定し、下記式(i)、(ii)によりrおよびrを求めた。
[質量%]=(W/W)×100 ・・・(i)
[質量%]=(W/W)×100 ・・・(ii)
【0128】
<アミノ変性シリコーン>
・B−1:上記式(3)の構造で、25℃における動粘度が90mm/s、アミノ当量が2500g/molであるアミノ変性シリコーン(Gelest,Inc.製、商品名:AMS−132)
・B−2:上記式(3)の構造で、25℃における動粘度が110mm/s、アミノ当量が5000g/molであるアミノ変性シリコーン(信越化学工業株式会社製、商品名:KF−868)
・B−3:上記式(3)の構造で、25℃における動粘度が450mm/s、アミノ当量が5700g/molであるアミノ変性シリコーン(信越化学工業株式会社製、商品名:KF−8008)
・B−4:25℃における動粘度が10000mm/s、アミノ当量が7000g/molである1級及び1、2級アミンを側鎖に持つアミノ変性シリコーン(モメンティブ・パフォーマンス・マテリアルズ・ジャパン合同会社製、商品名:TSF4707)
【0129】
<界面活性剤>
・C−1:上記式(4)の構造で、x=75、y=30、z=75であるPO/EOブロック共重合型ポリエーテル(BASFジャパン株式会社製、商品名:Pluronic PE6800)
・C−2:上記式(4)の構造で、x=10、y=20、z=10であるPO/EOブロック共重合型ポリエーテル(株式会社ADEKA製、商品名:アデカプルロニック L−44)
・C−3:ノナエチレングリコールドデシルエーテル(日光ケミカルズ株式会社、商品名:NIKKOL BL−9EX)
【0130】
<相溶化剤>
・D−1:上記式(5)、(6)、(9)のユニットから成るラウリルPEG−9ポリジメチルシロキシエチルジメチコン(信越化学工業株式会社製、商品名:KF−6038)
・D−2:上記式(5)、(7)、(9)のユニットから成るラウリルポリグリセリル−3ポリジメチルシロキシエチルジメチコン(信越化学工業株式会社製、商品名:KF−6105)
・D−3:上記式(5)、(8)のユニットから成る、エチレンオキサイドとプロピレンオキサイドのランダム共重合側鎖とアルキル側鎖を持つ変性シリコーン(モメンティブ・パフォーマンス・マテリアルズ・ジャパン合同会社製、商品名:TSF4450)
【0131】
[測定・評価]
<油剤付着量の測定>
炭素繊維前駆体アクリル繊維束を105℃で1時間乾燥させた後、メチルエチルケトンによるソックスレー抽出法に準拠し、90℃のメチルエチルケトンに8時間浸漬して付着した油剤組成物を溶媒抽出した。抽出前の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の質量w、および抽出後の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の質量wをそれぞれ測定し、下記式(iii)により油剤組成物の付着量を求めた。
油剤組成物の付着量[質量%]=(w−w)/w×100 ・・・(iii)
【0132】
<操業性の評価>
炭素繊維前駆体アクリル繊維束を24時間連続して製造した時に、搬送ロールへ単糸が巻き付き、除去した頻度により、操業性の評価をした。評価基準は次の通りとした。
○:除去回数(回/24時間)≦1
△:除去回数(回/24時間)2〜5
×:除去回数(回/24時間)>5
【0133】
<耐炎化集束性の評価>
耐炎化工程直後のロール上での耐炎化繊維束の幅を、デジタルノギスにて測定し評価の対象とした。
【0134】
<単繊維間融着数の測定>
炭素繊維束を長さ3mmに切断し、アセトン中に分散させ、10分間攪拌した後の全単繊維数と、単繊維同士が融着している数(融着数)を計算し、単繊維100本当たりの融着数を算出し、以下の評価基準にて評価した。
○:融着数(個/100本)≦1
×:融着数(個/100本)>1
【0135】
<ストランド強度の測定>
炭素繊維束の製造を開始し、定常安定化した状態で炭素繊維束のサンプリングを行い、JIS−R−7608に規定されているエポキシ樹脂含浸ストランド法に準じて、炭素繊維束のストランド強度を測定した。なお、測定回数は10回とし、その平均値を評価の対象とした。
【0136】
<Si飛散量の測定>
シリコーン系化合物由来のシリカ化合物飛散量の測定は、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の珪素(Si)含有量(A)、耐炎化繊維束のSi含有量(A)との差から計算されるSi量の変化をSi飛散量とし、評価の指標とした。
具体的には、炭素繊維前駆体アクリル繊維束および耐炎化繊維束をそれぞれ鋏で細かく粉砕した試料を密閉るつぼに50mg秤量し、粉末状としたNaOH、KOHを各0.25g加え、マッフル炉にて210℃で150分間加熱分解した。これを蒸留水で溶解し100mLに定容したものを測定試料として、ICP発光分析装置(サーモエレクトロン株式会社製、装置名:IRIS Advantage AP)にて各測定試料のSi含有量を求め、下記式(iv)によりSi飛散量を算出した。
Si飛散量[mg/kg]=A−A ・・・(iv)
【0137】
[実施例1]
<油剤組成物の水系乳化溶液の調製>
アミノ変性シリコーンに、界面活性剤を混合攪拌しながら、そこに芳香族エステル化合物を加え、油剤組成物の濃度が30質量%になるようにイオン交換水をさらに加え、ホモミキサーで乳化した。この状態でのミセルの平均粒子径をレーザ回折/散乱式粒度分布測定装置(株式会社堀場製作所製、装置名:LA−910)を用いて測定したところ、3μm程度であった。
その後、さらに高圧ホモジナイザーにより、ミセルの平均粒子径が0.3μm以下になるまで分散し、油剤組成物の水系乳化溶液(エマルション)を得た。
油剤組成物中の各成分の種類と配合量(質量%)を表1に示す。
【0138】
<炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造>
油剤組成物を付着させる前駆体繊維束は、次の方法で調製した。アクリロニトリル系共重合体(組成比:アクリロニトリル/アクリルアミド/メタクリル酸=96.5/2.7/0.8(質量比))をジメチルアセトアミドに溶解し、紡糸原液を調製し、濃度60質量%、温度35℃のジメチルアセトアミド水溶液を満たした凝固浴中に孔径(直径)50μm、孔数50000の紡糸ノズルより吐出し凝固糸とした。凝固糸は水洗槽中で脱溶媒するとともに5.5倍に延伸して水膨潤状態の前駆体繊維束とした。
先に得られた油剤組成物の水系乳化溶液をイオン交換水で希釈して、油剤組成物の濃度が1.7質量%になるように調整した油剤処理液を満たした油剤処理槽に、水膨潤状態の前駆体繊維束を導き、水系乳化溶液を付与させた。
その後、水系乳化溶液が付与された前駆体繊維束を表面温度180℃のロールにて乾燥緻密化した後に、表面温度190℃のロールを用い1.5倍延伸を施し炭素繊維前駆体アクリル繊維束を得た。
得られた炭素繊維前駆体アクリル繊維束の油剤付着量を測定し、製造中の操業性を評価した。結果を表1に示す。
【0139】
<炭素繊維束の製造>
得られた炭素繊維前駆体アクリル繊維束を、220〜260℃の温度勾配を有する耐炎化炉に通して耐炎化し、耐炎化繊維束とした。得られた耐炎化繊維束の集束性を評価し、耐炎化工程におけるSi飛散量を測定した。結果を表1に示す。
引き続き、該耐炎化繊維束を窒素雰囲気中で400〜1400℃の温度勾配を有する炭素化炉で焼成して炭素繊維束とした。得られた炭素繊維束の単繊維間融着数、ストランド強度を測定した。結果を表1に示す。
【0140】
[実施例2〜10]
油剤組成物を構成する各成分の種類と配合量を表1に示すように変えた以外は、実施例1と同様にして油剤組成物の水系乳化溶液を調製し、炭素繊維前駆体アクリル繊維束および炭素繊維束を製造し、各測定および評価を実施した。結果を表1に示す。
なお、実施例8〜10において、相溶化剤は予めアミノ変性シリコーンに分散させた後に、実施例1と同様にして油剤組成物の水系乳化溶液を調製した。
【0141】
[比較例1〜7]
油剤組成物を構成する各成分の種類と配合量を表1に示すように変えた以外は、実施例1と同様にして油剤組成物の水系乳化溶液を調製し、炭素繊維前駆体アクリル繊維束および炭素繊維束を製造し、各測定および評価を実施した。結果を表1に示す。
【0142】
【表1】

【0143】
表1から明らかなように、各実施例の場合、油剤付着量は適正な量であった。また、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造過程の操業性は良好であった。
また、各実施例における耐炎化工程後の集束性は19〜22mmと良好であった。更に耐炎化工程におけるSi飛散量も少なく、焼成工程における操業性が良好であった。
【0144】
各実施例で得られた炭素繊維束は、単繊維間の融着数が実質的に無く、ストランド強度が高い数値を示し、機械的物性に優れていた。特に、ポリオキシエチレンビスフェノールAジラウレート(A−1)の含有量がトリイソデシルトリメリテート(A−2)の含有量よりも少なく、アミノ変性シリコーンの含有量が5〜10質量%である実施例2、7、8、9、10において、他の実施例と比較して更に高いストランド強度の値を示していた。
なお、実施例2、3、7はアミノ変性シリコーンの含有量が10質量%であるため、また、実施例8、9、10は相溶化剤として変性ポリジメチルシロキサンを用いたために、必然的に耐炎化工程でのSi飛散量が他の各実施例と比較して多い状況にあったが、工業的に連続操業するうえで問題となる程度では無かった。
【0145】
一方、ペンタエリスリトールテトラステアレート(A−3)のみを芳香族エステル成分として用いた比較例1の場合、油剤付着量が適性であったにも拘わらず、操業性がやや悪く、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の24時間の連続生産において数回、搬送ロールに単糸が巻き付く状況であった。さらに耐炎化集束性も悪く、得られた炭素繊維束には融着が多数確認され、ストランド強度は各実施例と比較して低いものであった。
ペンタエリスリトールテトラステアレート(A−3)のみを芳香族エステル成分として用い、アミノ変性シリコーンを含有せず、PO/EOブロック共重合型ポリエーテルを含有しない比較例2においては、アミノ変性シリコーンを含有しないため、耐炎化工程のSi飛散量は実質的に無いが、その他の評価項目はいずれも各実施例と比較して著しく劣っていた。
【0146】
ポリオキシエチレンビスフェノールAジラウレート(A−1)とペンタエリスリトールテトラステアレート(A−3)を芳香族エステル成分として用いた比較例3では、操業性、耐炎化集束性、Si飛散量においては各実施例と同等であったが、炭素繊維束は融着数が多いうえに、ストランド強度が満足できるレベルでは無かった。
【0147】
ポリオキシエチレンビスフェノールAジラウレート(A−1)のみを芳香族エステル成分として用い、アミノ変性シリコーンとして粘度が10000mm/s、アミノ当量が7000g/molである1級及び1、2級アミンを側鎖に持つアミノ変性シリコーン(B−4)を用いた比較例4の場合、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の24時間の連続操業において多数回、搬送ロールに単糸が巻き付く現象が見られ、操業性は著しく悪かった。また、得られた炭素繊維束は融着数が多く、ストランド強度も満足できるレベルのものではなかった。
【0148】
トリイソデシルトリメリテート(A−2)とペンタエリスリトールテトラステアレート(A−3)を芳香族エステル成分として用いた比較例5では、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の24時間の連続操業において数回、搬送ロールに単糸が巻き付く現象が見られ、各実施例と比較すると操業性に劣っていた。また、得られた炭素繊維束の融着数も多かった。
【0149】
トリイソデシルトリメリテート(A−2)のみを芳香族エステル成分に用い、アミノ変性シリコーンとして粘度が10000mm/s、アミノ当量が7000g/molである1級及び1、2級アミンを側鎖に持つアミノ変性シリコーン(B−4)を用いた比較例6においても、操業性に劣り、得られた炭素繊維束には融着が確認された。
【0150】
芳香族エステル成分を含有せず、アミノ変性シリコーンを90質量%含有する比較例7では、操業性、耐炎化集束性、融着数、ストランド強度は各実施例と比較して同等であったが、Si飛散量が極めて多く、工業的に連続して焼成を行うには障害となった。
【産業上の利用可能性】
【0151】
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物は、焼成工程での単繊維間の融着を効果的に抑制できる。さらに、シリコーンを主成分とする油剤組成物を使用する場合に発生する操業性低下を抑制でき、かつ、集束性が良好な炭素繊維前駆体アクリル繊維束を得ることができる。該炭素繊維前駆体アクリル繊維束からは、機械的物性に優れた炭素繊維束を生産性よく製造できる。
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束から得られた炭素繊維束は、プリプレグ化したのち複合材料に成形することもできる。また、炭素繊維束を用いた複合材料は、ゴルフシャフトや釣り竿などのスポーツ用途、さらには構造材料として自動車や航空宇宙用途、また各種ガス貯蔵タンク用途などに好適に用いることができ、有用である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
水蒸気存在下での熱質量分析において、300℃における残質量率(r)が90〜100質量%であり、窒素ガス雰囲気での熱質量分析において、500℃における残質量率(r)が10質量%以下である芳香族エステル化合物(I)と、前記残質量率(r)が70〜80質量%であり、前記残質量率(r)が3質量%以下である芳香族エステル化合物(II)とを含有して成る炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物。
【請求項2】
アミノ変性シリコーンを含有する請求項1に記載の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物。
【請求項3】
前記芳香族エステル化合物(I)がビスフェノールA骨格を有する芳香族エステル化合物であり、前記芳香族エステル化合物(II)が単環の芳香族エステル化合物である請求項1または2に記載の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物。
【請求項4】
下記式(1)で示される構造の芳香族エステル化合物を10〜40質量%、下記式(2)で示される構造の芳香族エステル化合物を10〜40質量%、下記式(3)で示される構造のアミノ変性シリコーンを1〜10質量%含有して成る炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物。
【化1】

(式(1)において、RおよびRはそれぞれ独立して炭素数7〜21の炭化水素基、“m”および“n”はそれぞれ独立して1〜5である。)
【化2】

(式(2)において、R〜Rはそれぞれ独立して炭素数8〜14の炭化水素基である。)
【化3】

(式(3)において、“o”は5〜300、“p”は1〜5である。)
【請求項5】
ポリジメチルシロキサン構造を有する相溶化剤を1〜10質量%含有する請求項1〜4のいずれか一項に記載の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物。
【請求項6】
下記式(4)で示される構造のプロピレンオキサイドユニットと、エチレンオキサイドユニットからなるブロック共重合型ポリエーテルを10〜30質量%含有する請求項1〜5のいずれか一項に記載の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物。
【化4】

(式(4)において“x”、“y”、“z”はそれぞれ独立して1〜200である。)
【請求項7】
請求項1〜6のいずれか一項に記載の炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物が、乾燥繊維質量に対して0.1〜2.0質量%付着した炭素繊維前駆体アクリル繊維束。
【請求項8】
請求項7に記載の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法であって、
前記炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤組成物を水中に分散させて、平均粒子径0.01〜0.50μmのミセルを形成させた水系乳化溶液を水膨潤状態の前駆体繊維束に付与する工程と、水系乳化溶液が付与された前駆体繊維束を乾燥緻密化する工程とを有する、炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法。

【公開番号】特開2011−42916(P2011−42916A)
【公開日】平成23年3月3日(2011.3.3)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−165961(P2010−165961)
【出願日】平成22年7月23日(2010.7.23)
【出願人】(000006035)三菱レイヨン株式会社 (2,875)
【Fターム(参考)】