説明

硬質皮膜の製造方法

【課題】硬質皮膜の密着性を改善し、耐酸化性、耐摩耗性を向上させ、更に高温状態での耐溶着性並びに硬質皮膜中への被削材元素の拡散を抑制し、切削加工の乾式化、高速化、高送り化に対応する硬質皮膜の製造方法を提供する。
【解決手段】本願第1発明は、硬質皮膜は高密度プラズマにより被覆した相と、低密度プラズマにより被覆した相とが多相構造をなし、該硬質皮膜内部において組成濃度差を発生させることを特徴とする硬質皮膜の製造方法である。次に、本願第2発明は、プラズマ密度の異なる手法を被覆時に併用し、高硬度皮膜と低硬度皮膜とを連続して交互に被覆することを特徴とする硬質皮膜の製造方法である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、金属材料等の切削加工に使用される硬質皮膜被覆工具に関する。
【背景技術】
【0002】
金属加工の高能率化を目的とした切削速度の高速化、並びに切削条件における1刃当たりの送り量が0.3mmを越えるような高送り切削加工に対し、従来の硬質皮膜被覆工具では、密着性、硬質皮膜の機械的特性である耐酸化性、耐摩耗性に満足のいく性能が得られていない。この様な背景から、硬質皮膜の耐酸化性、耐摩耗性をより向上させる事を目的とした技術の開示が行われている。特許文献1、2には硬質皮膜に濃度分布を形成させる技術や、連続的に組成の変化する組成変化の繰り返し層を持った膜を形成することによって、耐摩耗性を向上させる技術が開示されている。しかし、何れも物理蒸着法におけるアーク放電型イオンプレーティング方式のみを利用した試みである。
【0003】
【特許文献1】特開2003−225807号公報
【特許文献2】特許第3460288号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
本願発明は、硬質皮膜の密着性を改善し、耐酸化性、耐摩耗性を向上させ、更に高温状態での耐溶着性並びに硬質皮膜中への被削材元素の拡散を抑制し、切削加工の乾式化、高速化、高送り化に対応する硬質皮膜被覆工具を提供することが目的である。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本願第1発明は、硬質皮膜は高密度プラズマにより被覆した相と、低密度プラズマにより被覆した相とが多相構造をなし、該硬質皮膜内部において組成濃度差を発生させることを特徴とする硬質皮膜の製造方法である。次に、本願第2発明は、プラズマ密度の異なる手法を被覆時に併用し、高硬度皮膜と低硬度皮膜とを連続して交互に被覆することを特徴とする硬質皮膜の製造方法である。上記構成を採用することにより、硬質皮膜の密着性を改善し、耐酸化性、耐摩耗性を著しく向上させ、更に高温状態での耐溶着性並びに硬質膜中への被削材元素の拡散を抑制し、切削加工の乾式化、高速化、高送り化に対応する硬質皮膜被覆工具を提供することができる。ここでの高送り加工とは、切削条件における1刃当たりの送り量が0.3mm/刃を越えるような切削と定義する。
【0006】
次に、該硬質皮膜の組成はAlwTixNbySiz、但し、w、x、y、zは原子比率で20≦w≦50、25≦x≦75、2≦y≦20、0.01≦z≦15、w+x+y+z=100、w≦x+y+zで表される金属成分と、OaN100−a、但し、0.3≦a≦5で表される非金属成分とからなる組成を有し、該硬質皮膜の破断面組織形態が、基体との界面から表面まで連続した柱状組織をなし、該硬質皮膜の総膜厚は、0.5〜10μmの平均層厚を有する。該硬質皮膜と基体との界面近傍であって、界面から該平均層厚の1〜30%に相当する領域に亘る硬質皮膜内に含有される酸素含有量Mと、該硬質皮膜の表面近傍であって、表面側から該平均層厚の1〜30%に相当する深さに亘る領域に含有される酸素含有量Nとの差をN−Mとした時、N−M≧0.3であり、該硬質皮膜の表面近傍には、ESCA分析においてSiと酸素との結合状態を示すピークが検出され、該ピーク位置は98eVから105eVの範囲内にあり、該硬質皮膜の(200)面と、基体の(100)面とがヘテロエピタキシャル関係を有する硬質皮膜被覆工具である。該硬質皮膜は、面心立方構造を有し、X線回折における(111)面に検出されるピーク強度値をIa、(200)面に検出されるピーク強度値をIbとしたときに、Ib/Ia≧2.0であり、(200)面の格子定数λ(nm)が0.4155≦λ≦0.4220の範囲にある。基体の直上面にTiの窒化物、炭窒化物、硼窒化物、TiAl合金、Cr金属、W金属から選ばれる少なくとも1種以上の中間層を設けている。硬質皮膜は物理蒸着方式で被覆され、金属成分のAl、Ti、Nb、Siはプラズマ密度、放電出力の異なる複数の蒸発源により被覆されることが好ましい。
【発明の効果】
【0007】
本願発明は、硬質皮膜の密着性を改善し、優れた耐酸化性、耐摩耗、潤滑性、耐欠損性を有すことから、乾式高能率切削加工をはじめ、金型加工時の断続切削状況下においても安定性と、長い工具寿命が得られ、切削加工における生産性の向上に極めて有効である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0008】
本願発明は、硬質皮膜を、例えば電子顕微鏡により観察した際に、明暗を示す複数の層が存在し、これらから無作為に選択した層であって、Si及び/又はNb含有量の相対的に大きいA層と、Si及び/又はNb含有量の相対的に小さいB層とを、組成分析、例えばEPMA(Electron Probe Microanalyser、島津製作所製EPM−1610型)分析等におけるSi及び/又はNb含有量分析の結果を原子比率による平均値で求め、A層、B層の差が、0.2以上、5以下であることを特徴とする硬質皮膜被覆工具である。A層、B層の平均値の差を、上記の規定範囲内とすることにより、硬質皮膜の耐衝撃性を向上させることが可能となった。ここで、Si及び/又はNb含有量の相対的に大きい層、小さい層とは、皮膜の組成分析をφ1μmの面積領域において行い、この測定値を基準としている。
本願発明の硬質皮膜は、Si及び/又はNb含有量を成膜時に意図的に制御し組成差を発生させ、膜厚に沿って含有される元素量が原子%で変化していることが好ましい。これは、真空装置に2種以上の蒸発源を設置し、その蒸発源には同一組成の金属蒸発源を取り付けた場合に、高密度プラズマでの被覆が優先される領域と低密度プラズマ領域での被覆が優先される領域で組成を意図的に変化させるためである。このことにより、優れた潤滑特性を維持しながら耐衝撃性を向上させ、硬質皮膜そのものに高い靭性を与えることが可能となった。
更に、高硬度、低硬度の皮膜を連続的に交互に形成することから、耐衝撃特性を向上させる。第1の層は、高密度プラズマの蒸発源近傍で、硬質結晶が主体に層をなし、第2の層は、低密度プラズマの蒸発源近傍で、軟質結晶が主体の層をなして多層構造を有する。第1の層と第2の層とが混在して基体表面で層として堆積する。その際に、第2の層が第1の層の結晶間に存在すると、いわばクッション効果を示し、その結果、皮膜全体として靭性に富むようになる。この効果によって、被覆工具の耐衝撃特性が向上する。この事の他にも、密着性に影響を及ぼす残留圧縮応力の抑制にも効果があることを確認した。
図1に示す様に、本願発明の硬質皮膜の成膜は、硬質皮膜にNb、Siの組成差を意図的に発生させるために、高密度プラズマを用いたアーク放電型イオンプレーティング(以下、AIPと記す。)方式と、低密度プラズマを利用したマグネトロンスパッタ方式を併設した装置を用いている。本装置を用いることにより、Si及び/又はNb含有量を意図的に制御し組成差を発生させることが可能となった。本願発明で採用した様に、発生するプラズマ密度の異なる方式の蒸発源を同一真空装置内に設置し、被覆時に夫々の蒸発源で放電を発生させて被覆するのである。本願発明で採用したAIPとマグネトロンスパッタとの併用方式は、硬質皮膜の耐衝撃特性を向上させるため、更に、硬質皮膜内部において組成差を発生させるために意図的に選択したものである。特にそれぞれの方式で必要なターゲットの組成は限定されない。マグネトロンスパッタには、エレクトロンビーム方式もしくは閉磁場方式のマグネトロンスパッタ等があるが、これ以外の方式も含め、限定されない。上記以外の方法には、高密度プラズマのAIP方式を用いる場合として、真空装置内に複数の蒸発源を設置し、夫々の蒸発源に組成の異なる合金ターゲットを設置することや、複数の蒸発源において夫々異なった放電出力を設定することも考えられる。しかし、AIP方式による被覆では、被覆時に発生するプラズマ密度が非常に高いため、良質な皮膜が形成されるものの、プラズマ中で発生したイオンが基体に入射する際のエネルギーも大きく、残留圧縮応力の抑制が困難である。複数層の硬質皮膜の組成差、硬度差を出すことが難しく、硬質膜の耐衝撃特性を向上させ、耐欠損性、靭性を付与させることが困難である。本願発明の硬質皮膜は、AIP方式を単独で使用した場合と比較して、同一組成の被膜であっても、硬質皮膜の高硬度化をはかることができた。
【0009】
本願発明の硬質皮膜は、物理蒸着方式で被覆され、金属成分のNb、Siと、他の金属成分である例えばAl、Tiは放電出力の異なる複数の蒸発源により被覆されることが好ましい。本願発明の硬質皮膜の被覆方法は、被覆基体側にバイアス電圧を印加する物理蒸着法であることが望ましい。被覆基体への熱的影響、工具の疲労強度、皮膜の密着性等を考慮した場合、比較的低温で被覆でき、被覆した皮膜に発生する圧縮応力が制御可能なAIPとスパッタ等の、プラズマ密度の異なる複数の蒸発源を設置した製膜装置による処理が最も安定した切削性能を発揮する。必要によってはプラズマ支援型の化学蒸着装置と物理蒸着方式を併用した装置を用いてもよい。
図2は、後述の本願発明例8の皮膜断面観察結果を示した。観察には、透過型電子顕微鏡を用いて行った。図2は、高密度プラズマによるAIPにより被覆した層と、低密度プラズマによるマグネトロンスパッタにより被覆した層とが多層構造をなし、各層が連続的に分断されることなく成長していることを確認した。図3は、本発明例8の皮膜分析結果を示した。図3より、硬質皮膜表面から内部に向かってSi、Nb各元素の組成分布を調べた結果、組成差が明確に得られていることが確認された。
【0010】
本願発明は、基体に被覆される硬質皮膜への被削材の溶着現象を防ぐことにより、密着性と耐摩耗性の改善を可能にした。即ち、切削加工における溶着発生現象を考察し、これより硬質皮膜を構成する各種元素の耐溶着効果の検討を行い、高温下における耐溶着性に有効な添加元素を見出した。
本願発明の硬質皮膜の組成における金属成分は、AlwTixNbySizで表される。ここで、wの数値規定範囲は20≦w≦50である。w≦50とする理由は、金属組成バランスにおいてwが大きくなると、表層にAl2O3を形成し静的な耐熱性は優れるが、実際の切削加工においては、硬質皮膜のAlが多い程、被削材中のFe成分などが皮膜に内向拡散を誘発するためである。そこで、w値は50以下、w≦x+y+zとすることである。w値が20未満の場合は、Alの添加効果が得られず、皮膜の耐摩耗性、耐酸化性が劣るため、不都合である。(TiAl)N系の硬質皮膜へSi、Nbを添加することは被削材の溶着現象を防ぐために有効である。皮膜にSiを適量添加することにより、溶着現象の原因となるAlの移動を抑制し、化学的に安定なAl2O3層の耐剥離性を改善することができる。Nbを適量添加することにより、Ti酸化物を緻密微細化させることができる。これらにより切削時の高温環境下においても耐溶着現象に優れ、耐熱性を向上させることが可能となる。本願発明の硬質皮膜にSi添加するの有効性は、切削工具に適用した際に、切削時の発熱により皮膜表層付近に、Alの酸化物よりもSiの緻密な酸化物が早く形成されることで、被削材に含まれるFeが硬質膜中へ内向拡散するのを抑制し、その結果、溶着発生を抑制できることにある。Siの添加量には最適値があり、zは0.01≦z≦15である。z値が15を超えて大きいと、皮膜硬度と耐熱性は向上する傾向にあるが、硬質皮膜の破断面組織形態が柱状組織から微細粒状組織に変化する。微細粒状組織になると、硬質皮膜の結晶粒界が多くなり、切削熱が上昇した時、大気中の酸素や被削材のFeが内向拡散する経路を増やしてしまい、不都合である。これは、切れ刃に溶着が発生し、潤滑性が損なわれるためである。従って、硬質皮膜の破断面組織形態の最適化も重要な必要条件の1つであり、特に高送り加工では、硬質皮膜材料によらず柱状組織を維持する技術は重要である。更に、z値が15を超えて大きいと、皮膜内部の残留応力が増大する。この場合、基体と硬質皮膜界面からの剥離が発生しやすくなり、特に耐衝撃性の強い切削加工において容易に剥離が発生する。この剥離部を中心に溶着が発生するため不都合である。z値を0.01以上とした理由は、Si分析上の容易な検出点であるからである。量産時の安定性を配慮し、また量産稼動を滞りなく行うためには分析を短時間で行う必要がある。
本願発明の(TiAl)N系の硬質皮膜に添加するNbの有効性は、耐熱性向上に必要なSiをベースに、硬質皮膜が酸化した時に形成される表層直下のTi酸化物を緻密な結晶組織にすることである。この緻密な結晶組織を有する酸化物層は、表層付近に形成するSiやAlの酸化物を通過して内向拡散する酸素の侵入を抑制する効果がある。これにより、Ti酸化物の結晶組織の緻密化は表層のAl2O3層の剥離を抑制することができる。Nbの添加量には最適値があり、yは2≦y≦20である。Nbの添加は、耐熱安定性による溶着抑制効果以外にも、硬質皮膜の高硬度化に有効であるが、y値が20を超えて大きいと、硬質皮膜の硬度が低下する。また、物理蒸着法で被覆した際に、皮膜の破断面組織形態が耐衝撃特性の優れる柱状組織から微細粒状組織となり、切削初期にチッピングや漉き取り摩耗が発生することから添加効果を示さないためである。更に、硬質皮膜被覆時に蒸着源の放電が不安定となり、均一で安定した皮膜形成が困難となる。これは、Nbが高融点金属であることによる。一方、z値が2未満の場合、硬質皮膜の高硬度化の効果が無く、工具性能の改善が期待できない。Nbの添加は、実質的にはTiもしくはAlに置き換わるものである。
【0011】
本願発明の(TiAl)N系の硬質皮膜にO元素を添加する有効性は、潤滑性の改善にある。O添加量には最適値があり、a値は0.3≦a≦5である。図4は、硬質皮膜にOを添加した際の摩擦係数を測定した結果である。本発明例2は0.5at%のO添加、本発明例5は4.8at%のO添加したものである。比較例17のO添加の無い場合と比較して、本発明例2、5は摩擦係数が低下する傾向を示した。高能率加工時において、a値を0.3以上とすることにより被加工物の硬質膜への溶着が抑制され、潤滑性が向上した。物理蒸着方法においては、被覆時に真空装置内に残る残留酸素の影響から、硬質膜中の酸素量を分析すると、a値は0.1程度の含有が検出される。この現象を踏まえた上で0.3以上の添加で、切削時に相当する高温状態下でも摩擦係数が低下することを確認した。しかし、Oの添加は添加量によっては悪影響をもたらすこともある。a値が5を超えて大きくなると、潤滑特性は優れるものの、硬質皮膜の硬度が低下する。また、硬質皮膜断面の結晶組織形態が微細化し、漉き取り摩耗が発生しやすくなるといった不都合が発生する。そこで、本願発明においてa値は0.3≦a≦5と規定した。
【0012】
本願発明の硬質皮膜の総膜厚は、0.5〜10μmの平均層厚を有し、硬質皮膜と基体との界面近傍であって、界面から平均層厚の1〜30%に相当する領域に亘る硬質皮膜内に含有される酸素含有量Mとし、硬質皮膜の表面近傍であって、表面側から平均層厚の1〜30%に相当する深さに亘る領域に含有される酸素含有量Nとし、両者の差をN−Mとした時、N−M≧0.3である。このように範囲規定する理由は次の通りである。即ち、O添加により残留圧縮応力が増大するため、皮膜の密着性に影響を及ぼすことから、製膜時におけるOの添加方法には、相当の配慮が必要である。皮膜の密着性を維持するための工夫として、成膜開始から終了まで徐々にO添加量を上げていくことが適切である。その結果、N−M≧0.3となり、潤滑性、耐衝撃性の優れる硬質皮膜を得ることが可能になる。本願発明の硬質膜はO添加により、皮膜表面付近では硬質膜中に含まれるO添加量が多くなり、硬質膜の金属元素の酸化物が形成され易い。従って、潤滑特性を改善することができる。
一方、例えば物理的蒸着法により、成膜初期よりO元素を多量に添加することは、基体表面や処理装置の内壁が絶縁化するため好ましくない。金属元素の合計量A(Al+Ti+Nb+Si)に対する非金属元素の合計量B(O+N)の比B/A>1.0であり、1.02以上であるのが好ましい。この比の上限は1.7であるのが好ましい。
【0013】
本願発明の硬質皮膜は、硬質皮膜の表面近傍のESCA分析において、Siと酸素との結合状態を示すピークが検出され、該ピーク位置が98eVから105eVの範囲内にある。図5に本発明例1の硬質皮膜の表面近傍について化学結合状態をESCA分析により解析した結果を示す。図5より、本願発明の硬質皮膜は98eVから105eVの範囲にSiと酸素との結合状態を示すピークが検出されることを確認した。これはAl−OとSi−Oとの生成自由エネルギーの差により、Si−Oが優先的に形成されたものである。この緻密な酸化物の形成が、潤滑特性を高め、高能率切削加工時において発生する被加工物の溶着現象を低下させる。
【0014】
本願発明の硬質皮膜は、高送り切削加工の条件で性能を発揮させるため、基体との密着性が強固でなければならない。そのためには基体と硬質皮膜との界面でへテロエピタキシャルの関係をもつように、基体直上にある硬質皮膜の配向面を制御しなければならない。へテロエピタキシャルの関係をもつことにより、硬質皮膜と基体界面の分子間力を強めることができる。図6に示すように、電子線回折を行ったときに基体に含まれるWCの(100)面と、(TiAlNbSi)(ON)硬質皮膜の(200)面を整合させることにより、分子間力を高め、密着性を向上させることができる。本願発明の硬質皮膜は、残留圧縮応力が大きいため、基体と硬質皮膜との界面でへテロエピタキシャルの関係を形成しなければならない。これにより、密着性の問題を解決し、高機能化した硬質皮膜の特徴が発揮される。
【0015】
本願発明の硬質皮膜は結晶配向性の制御を行い、基体と硬質皮膜との界面の歪発生を最小限に抑制している。基体が超硬合金のような多結晶の場合、焼結後のWC優先方位である(100)面上に、面心立法構造を有する硬質皮膜を被覆させるためには、(200)面を配向させるように制御しなければならない。硬質皮膜のX線回折における(111)面の検出強度をIa、(200)面の検出強度をIbとした時に、Ib/Iaが2未満となると、基体と硬質皮膜との界面に大きな歪を持ったまま結晶が成長するため、接合強度が不十分となる。更に、硬質皮膜の内部応力が増大し容易に剥離する。そこで本願発明の硬質皮膜が激しい切削加工条件にも耐え得る密着性を確保するためには、Ib/Ia≧2.0でなければならない。
本願発明の硬質皮膜が更に強固な密着性を有するためには、硬質皮膜の格子定数λの制御を行うことである。λは残留応力値に影響を及ぼす。残留応力値が大きくなると、密着性を維持することが困難になる。そこで、密着性を維持するための最適な(200)面のλを求め、0.4155≦λ≦0.422を得た。λが0.4220nmを超えて大きい場合、硬質皮膜中に残留する圧縮応力は8GPaを越える為、大きな応力が基体と硬質皮膜との界面に負荷される。たとえ両者の間にヘテロエピタキシャル関係が成立していても皮膜剥離が発生し、工具として優位性が損なわれる。従って、λは0.4220nmを超えてはならない。一方、λの下限値は0.4155nmである。λは0.4155nm未満では、硬質皮膜の潤滑特性の低下が目立つようになり、好ましくない。硬質皮膜の優れた特徴を十分に引き出すことのできる範囲は、0.4155≦λ≦0.4220である。λを規定範囲内に制御し、残留応力を制御するためには、本願発明の構成元素上、Al含有量の制御によって調整が可能であり、生産的にも安定性のあることが確認された。λはAlを多くした場合、或いはSiを多く添加した場合、元素の原子半径の影響を受けて低下する。一方、Al添加を抑えることや被覆時にプラズマ密度が大きくなるような成膜条件を設定した時に増大し、同時に残留圧縮応力も増大する傾向にある。
【0016】
本願発明の硬質皮膜は、基体直上面にTiの窒化物、炭窒化物、硼窒化物、TiAl合金、Cr金属、W金属から選ばれる少なくとも1種以上の中間層を設けることが好ましい。この中間層は、硬質皮膜と基体との間に存在し、密着性を向上させる効果がある。本願発明の硬質皮膜は、乾式高能率切削加工に使用することを想定している。しかし使用状況が湿式切削の場合、基体と硬質皮膜界面の密着性を更に強固にする必要がある。この理由は、湿式加工状況においては、切削熱により高温になった工具が切削液により急冷されるためである。一般的には切削温度を低減し工具寿命を向上させる手段として浸透しているが、高能率加工においては切削熱が非常に高いため、切削液等で急冷されると膨張、収縮の差が大きくなり、硬質皮膜が接合されている界面に非常に大きな負荷をもたらすことになる。この中間層の存在によって、繰り返し疲労による皮膜破壊の発生を回避することができる。
硬質皮膜を被覆後に該硬質皮膜表面の凸部を機械的処理により、平滑化することにより、硬質皮膜被覆工具の摩擦特性が安定し好ましい。切削寿命のばらつきを低減することができ、好ましい工具を得ることができる。以下本発明を実施例に基づいて説明する。
【実施例】
【0017】
小型真空装置内にAIPによる蒸発源と、マグネトロンスパッタによる蒸発源とを併設した装置を用いて、基体となる超硬合金製インサートに被覆を行った。蒸発源は各種合金製ターゲットを用い、反応ガスはN2ガス、CH4ガス、Ar/O2混合ガスから目的の皮膜が得られるものを選択した。被覆条件は、基体温度400℃、バイアス電圧は、−40Vから−150Vの範囲の電圧を印加した。得られた硬質皮膜被覆インサートを用い、次に示す切削条件1及び切削条件2にて切削試験を行った。評価方法は、刃先の欠損又は摩耗等により工具が切削不能となるまで加工を行い、その時の切削長を工具寿命とした。表1に硬質皮膜の組成を示す。表2、表3に本発明例および比較例、従来例に関する硬質皮膜の詳細及び切削試験の結果を示す。
【0018】
【表1】

【0019】
【表2】

【0020】
【表3】

【0021】
(切削条件1)
工具:正面フライス
インサート形状:SDE53タイプ特殊形状
切削方法:センターカット方式
被削材形状:巾100mm×長さ250mm
被削材:S50C(HRC30)、Φ6ドリル穴多孔面在り
切り込み量:2.0mm
切削速度:120m/min
1刃送り量:1.0mm/刃
切削油:なし
(切削条件2)
工具:正面フライス
インサート形状:SDE53タイプ特殊形状
切削方法:センターカット方式
被削材形状:巾100mm×長さ250mm
被削材:S50C(HRC30)
切り込み量:2.0mm
切削速度:120m/min
1刃送り量:1.0mm/刃
切削油:なし
表2に切削加工におけるインサートの耐欠損性について、切削条件1による切削評価結果を示した。切削条件1で用いた被削材は、表面に予めドリルにて等間隔に穴をあけたものを使用した。この被削材表面を高能率加工条件にて切削を行う事により断続加工を想定し、インサートが衝撃を受けて欠損に至るまでの切削可能長を評価した。
本発明例1〜16は何れもプラズマ密度の異なる蒸発源を併用した。一方、比較例17〜26、比較例32〜41、比較例44〜48、従来例29〜31はプラズマ密度の同じ単一蒸発源を用いた場合である。本発明例1〜16の方が優れた切削性能を示した。これは、プラズマ密度の異なるAIPとマグネトロンスパッタの手法を被覆時に併用し、高硬度膜と低硬度の皮膜とを連続して交互に被覆することによって、硬質皮膜の耐摩耗性、潤滑性を保持したまま、皮膜強度を向上させることができた。硬質皮膜に組成の異なる層を形成し、Si含有量に差をつけるための方法には、ターゲット組成や被覆条件を断続的、連続的に変化させる方法が考えられるが、本発明で採用した様なプラズマ密度の異なる蒸発源を用いた方が、より優れた耐欠損特性を得ることができた。
比較例17、20、24、26は単一の蒸発源を用いて、組成差が発生しないように被覆した場合である。比較例17、20は、マグネトロンスパッタによる被覆であるが、AIPに比べ、プラズマ密度を高めることができないため、皮膜の高硬度化ができなかった。そのため、耐摩耗性が十分ではなく、初期欠損に至ってしまった。比較例24、26は硬質皮膜が高硬度化する傾向にあったが、靭性が乏しくなり、断続切削性能を向上させることができなかった。
一方、比較例18、19、21〜23はAIPを使用し、硬質膜に組成差が発生するように被覆した場合である。組成差は発生しているが、目標とする切削性能は得られなかった。AIPのみの被覆の場合、ターゲット組成によらず放電時に発生するプラズマ密度が大きいため、硬質皮膜は高硬度化しやすい傾向にある。従って靭性が不足する。
比較例に示したように皮膜に組成差を発生させても残留応力の増大を招いてしまうため、耐欠損性、密着性に悪影響となる。比較例の中には皮膜硬度がHvで3500を越えるような物も得られたが、皮膜の靭性が低い為に断続切削状況下で欠損が発生し、工具は短寿命であった。比較例27、28はAIPとマグネトロンスパッタとを併用することにより、硬質皮膜内に組成差を発生させた。しかし、組成差が目標の範囲を越えてしまったため、硬質皮膜の破断面組織形態が連続した柱状形態を示さず、組成の異なる層が断続的に連なり成長していた。そのため層間の接合力が弱く膜破壊が発生し、目標の切削性能が得られなかった。しかし、比較例27、28はプラズマ密度の異なる手法を併用することにより、耐欠損性が向上することを確認できた。
以上の様に、AIPとマグネトロンスパッタを被覆時に併用した様に、プラズマ密度の異なる方式を併用した時に、硬質皮膜のSi組成差を制御することができ、硬質皮膜を被覆したインサートは、優れた耐欠損特性を発揮させることができた。
【0022】
表3は本発明の硬質皮膜を超硬合金製のインサートに被覆し、これを工具に装着して切削条件2の高能率加工を行った時の試験結果を示す。評価は突発的な欠損や異常摩耗、剥離を伴う損傷形態が観察されない場合は、逃げ面最大摩耗量が0.3mmに達した時点を工具寿命とした。本発明例1〜16は、硬質皮膜の硬度を改善し耐摩耗特性を向上させ、優れた切削特性を有すること示した。本発明例は密着性、潤滑性、耐摩耗特性の課題を改善し、性能を大幅に改善することで満足のいく結果を得ることができた。本発明例7、12は、今回の切削評価において長い切削寿命を示し、従来例29、30に対し、切削寿命の改善を得ることがでた。本発明例12は、切削初期の被加工物の刃先への溶着現象が低減し、比較例32〜41の切削評価結果に見られる切削距離では、ほとんど摩耗の発生していないことが観察された。これより本発明の効果を確認できた。本発明例12は、従来例の中で最も寿命の長かった従来例43に対し、2.2倍の長寿命を得ることができた。
本発明例に記載の金属成分組成と切削寿命の相関関係は、O添加や表層酸化物の有無、ヘテロエピタキシャルの有無にも影響を受けている。更にNbとSiの添加量のバランスも大切である。今回の試験で、平均的に切削特性が優れ、工具寿命が上位にあるものは、Nb>Siの傾向を示した。本発明例のSi添加量が規定量の範囲内でNb添加量よりも多くなっても、従来例や比較例と比べた場合、十分な切削性能を発揮することが認められた。しかし、切削性能を考慮すると、Nb>Siの硬質皮膜が望ましい。
本発明の硬質皮膜はO添加により潤滑特性が大幅に向上した。例えば、比較例32は、金属成分組成は本発明の範囲内にあるが、切削性能は従来例とほとんど変わらない結果となった。
比較例34、35の様に、金属成分が本発明の範囲内でも、O添加量が非金属成分に対し5at%を越えると、潤滑特性は認められが、動的な切削に対し早期摩耗が発生する。これは、Oを多量添加することで硬質皮膜の破断面組織形態が柱状から微細組織状に変化し、高硬度が得られずに低硬度化してしまったためと考えられる。比較例34は、密着性が考慮されているため初期欠損は発生せずに摩耗寿命に到達したが、比較例35の場合は密着性も考慮されていないため、インサートすくい面の硬質皮膜の剥離が顕著に現われた。本発明の硬質皮膜組成の範囲内で被覆しても、密着性が考慮されていない場合は、今回の切削条件下において剥離を発生し、安定した加工を行うことがでなかった。
比較例37は、Al成分が規定範囲外であり、密着性も考慮していない場合である。比較例41は、Nb成分が規定範囲外である場合である。硬質皮膜の金属成分が規定範囲外となると破断面組織形態が微細化し、この状態で切削加工を行うと、インサートすくい面での摩耗が急速に発生し、その結果短寿命となるのである。
O添加方法によっても切削性能に影響を及ぼすことが明らかとなった。比較例33、36、39は成膜開始時から所定量のO添加を開始して被覆終了時までその量を変化させずに均等に添加して被覆した場合である。これに対し、本発明例並びに比較例34、35、37、38、40、41は被覆開始から終了までO添加量が基体と硬質皮膜界面から表面に向かって勾配を示すように傾斜して添加したものである。切削試験結果は、O添加が勾配を示すよう傾斜して添加する被覆が望ましいと言う結果が得られた。比較例38、40、41はNb、Si添加量が規定範囲外にあることによって、残留圧縮応力が増大し、切削初期の皮膜剥離が発生することが明らかとなった。
以上の試験結果より、本発明の硬質皮膜の改善効果は、第1の金属成分の組成範囲設定による効果、第2のO添加効果、第3の硬質膜表面に緻密なSiの酸化物を形成させる効果により得られ、潤滑特性が大幅に向上し、寿命向上が実現できることが確認できた。
【0023】
また、表3には硬質皮膜のX線回折による解析結果として面心立方格子(111)面と(200)面の検出ピーク強度比Ib/Ia、(200)面の格子定数λと、切削条件2による切削評価結果を併記した。比較例17〜26、44〜48は、皮膜組成は規定範囲内であり、O添加もなされていたが、X線回折における結晶配向が規定範囲外であったため、容易にクレータ摩耗や剥離が発生した。また、λの調整も必要であることが確認された。比較例18、22〜25、45〜48のように(200)面のλが0.4230nmを越えるような硬質皮膜の場合、硬質皮膜の金属成分組成並びにO添加量とは無関係に、早期に切削寿命に到達した。λの値は硬質皮膜の内部応力の大小に影響を与える。λが大きい場合には、たとえ基体と硬質皮膜との界面でヘテロエピタキシャルを成立させても、残留圧縮応力が増大し界面での応力増大により硬質皮膜が容易に破壊、或いは剥離が発生し、その結果工具寿命が安定せず短寿命になる。従って、本発明の様に切削性能を改善させ安定した切削性能を示すためには、金属成分の規定やO添加量、添加手法以外に、結晶配向も適切に制御することにより、密着性良く成膜することも重要である。
【0024】
基体の直上面にTiの窒化物、炭窒化物、硼窒化物、TiAl合金、Cr金属、W金属などの中間層を設けることによって、更に密着力を補強して耐剥離を改善し、耐欠損特性を向上させる効果が認められた。硬質皮膜を被覆後に該硬質皮膜表面の凸部を機械的処理により、平滑化することにより、硬質皮膜被覆工具の摩擦特性が安定し、切削寿命のばらつきを低減することが認められた。
【図面の簡単な説明】
【0025】
【図1】図1は、硬質皮膜被覆装置の概略図を示す。
【図2】図2は、本発明例の皮膜断面観察結果を示す。
【図3】図3は、本発明例の皮膜分析結果を示す。
【図4】図4は、硬質皮膜の摩擦係数の測定結果を示す。
【図5】図5は、硬質皮膜のESCA分析による化学結合状態の解析結果を示す。
【図6】図6は、基体と硬質皮膜との界面でへテロエピタキシャルの関係を示す。
【符号の説明】
【0026】
1:真空装置
2:AIP蒸発源
3:マグネトロンスパッタ蒸発源
4:基体保持治具
5:回転方向

【特許請求の範囲】
【請求項1】
硬質皮膜は高密度プラズマにより被覆した相と、低密度プラズマにより被覆した相とが多相構造をなし、該硬質皮膜内部において組成濃度差を発生させることを特徴とする硬質皮膜の製造方法。
【請求項2】
請求項1に記載の硬質皮膜の製造方法において、該硬質皮膜の金属成分のNb、Siと、他の金属成分のAl、Tiは放電出力の異なる蒸発源により被覆されることを特徴とする硬質皮膜の製造方法。
【請求項3】
プラズマ密度の異なる手法を被覆時に併用し、高硬度皮膜と低硬度皮膜とを連続して交互に被覆することを特徴とする硬質皮膜の製造方法。
【請求項4】
請求項1から3のいずれかに記載の硬質皮膜の製造方法において、高密度プラズマを用いた手法はアーク放電型イオンプレーティング方式、低密度プラズマを用いた手法はマグネトロンスパッタ方式、であることを特徴とする硬質皮膜の製造方法。

【図1】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図2】
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【図6】
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【公開番号】特開2006−118051(P2006−118051A)
【公開日】平成18年5月11日(2006.5.11)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−338320(P2005−338320)
【出願日】平成17年11月24日(2005.11.24)
【分割の表示】特願2004−362143(P2004−362143)の分割
【原出願日】平成16年12月15日(2004.12.15)
【出願人】(000233066)日立ツール株式会社 (299)
【Fターム(参考)】