説明

硬質皮膜及びその製造方法

【課題】硬質皮膜の耐欠損性、潤滑性の特性を犠牲にすることが無く、特に優れた靭性を有する硬質皮膜を提供する。
【解決手段】硬質皮膜は、4a、5a、6a族、Al、B、Siから選択される1種以上の金属元素と、Sを含みC、N、Oから選択される1種以上の非金属元素によって構成され、該硬質皮膜は柱状組織構造を有し、該柱状組織構造の結晶粒はS成分に組成差を有する多層構造を有し、少なくとも該多層構造における層間の境界領域で結晶格子縞が連続している領域があり、各層の厚みT(nm)が0.1≦T≦100、(200)面の格子定数が0.4100nm以上、0.4300nm以下であることを特徴とする硬質皮膜である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、優れた靭性を有し、更に耐欠損性、潤滑性の特性も兼ね備えた硬質皮膜、及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
下記の文献は、耐摩耗性硬質皮膜に関する各種技術を開示している。
【0003】
【特許文献1】特開2003−225807号公報
【特許文献2】特許第3460288号公報
【特許文献3】特開平5−239618号公報
【特許文献4】特表平11−509580号公報
【特許文献5】特開平8−127863号公報
【特許文献6】特許第3416938号公報
【特許文献7】特開2001−293601号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
特許文献1、2は、硬質皮膜に濃度分布を形成させる技術、連続的に組成の変化する組成変化の繰り返し層を持った膜を形成することによって、耐摩耗性を向上させる技術が開示されている。特許文献3は、機械加工用工具に潤滑性を得る目的で二硫化モリブデンを被覆する技術が開示されている。特許文献4は、二硫化モリブデンとTiNとを組み合わせた被膜の例が開示されている。これらは潤滑特性の改善を目的としているが、密着性、硬度が十分ではなく、切削工具の耐摩耗性に課題を残し、硬質皮膜の機械的強度、靭性が不足している。特許文献5、6の多層積層構造は、主に超格子(人工格子)積層により、硬質皮膜を高硬度化させる手法ならびに積層させた特定の層内において硬質膜の組成を意図的に変調させる技術開示である。特許文献7は、多層積層構造を有する硬質皮膜の複合成膜方法について開示されている。特許文献8は、BC、BN、TiBなどといった硬質粒子を含有させる手法で高硬度硬質皮膜を得ており、特に潤滑に関する説明はない。
本発明の目的は、硬質皮膜の耐欠損性、潤滑性の特性を犠牲にすることが無く、特に皮膜の破断面形態を柱状形態にすることで優れた靭性を有する硬質皮膜を提供すること、及びその被覆方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本願発明の硬質皮膜は、4a、5a、6a族、Al、B、Siから選択される1種以上の金属元素と、Sを含みC、N、Oから選択される1種以上の非金属元素によって構成され、該硬質皮膜は柱状組織構造を有し、該柱状組織構造の結晶粒はS成分に組成差を有する多層構造を有し、少なくとも該多層構造における層間の境界領域で結晶格子縞が連続している領域があり、各層の厚みT(nm)が0.1≦T≦100、(200)面の格子定数が0.4100nm以上、0.4300nm以下であることを特徴とする硬質皮膜である。更に、本願発明の硬質皮膜を物理蒸着法(以下、PVD法と記す。)により被覆する際には、アーク放電型イオンプレーティング法(以下、AIP法と記す。)とマグネトロンスパッタリング法(以下、MS法と記す。)を併用し、両者の蒸着源を同一チャンバー内で同時に放電させることにより多層構造を有する硬質皮膜を製造する方法である。本構成を採用することによって、硬質皮膜の耐欠損性、潤滑性の特性を犠牲にすることが無く、特に皮膜の破断面形態を柱状形態にすることで優れた靭性を有する硬質皮膜を提供することができる。
【発明の効果】
【0006】
本願発明は、硬質皮膜の耐欠損性、潤滑性の特性を犠牲にすることが無く、特に皮膜の破断面形態を柱状形態にすることで優れた靭性を有する硬質皮膜を得ることができた。更に該硬質皮膜の製造方法を提供することができた。本願発明の硬質皮膜を、例えば切削工具等に適用した場合、溶着の激しいダイカスト金型用鋼の乾式高能率切削加工をはじめ、金型加工時の断続切削状況下においても安定性と、長い工具寿命が得られ、切削加工における生産性の向上に極めて有効である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0007】
本願発明は、硬質皮膜にSを含有させることで、潤滑特性を改善することができる。硬質皮膜がSを含有することによって、例えば切削で発生する切削熱が、大気中200℃程度の比較的低温環境下であっても硬質皮膜表面に酸化現象を発生する。この酸化現象が、硬質皮膜表面の保護膜として機能し、摩擦係数を低下させ、潤滑特性が向上する。例えば本願発明の硬質皮膜を切削工具に適用した場合を想定すると、大気中における切削温度近傍における硬質皮膜の摩擦係数は、Sを含有しない場合と比較して著しく低減する。更に酸化現象による保護膜は、被加工物の溶着を抑制し、切削熱など酸化雰囲気の高温下における被加工物の硬質皮膜中への内向拡散を防ぐことから、耐摩耗性や耐欠損性に優れ、安定した切削加工を可能にする効果がある。
本願発明の硬質皮膜は、柱状組織構造を有し、結晶粒成長方向に対して界面を形成することなく境界領域で結晶粒が連続的に成長した硬質皮膜である。ここで、柱状組織構造とは、膜厚方向に伸びた縦長成長結晶組織である。該硬質皮膜は多結晶材料であるが、結晶粒1つ1つの単位で捉えれば、単結晶材料の成長に類似した形態となっている。しかも、硬質皮膜の柱状組織構造における結晶粒は、結晶粒成長方向に対してS成分に組成差を有する多層構造であって、少なくとも該多層構造における層間の境界領域で結晶格子縞が連続している領域がある。硬質皮膜の結晶粒がS成分に組成差を有する多層構造であることによって、硬質皮膜全体として靭性を持たせることができる。例えば、S成分の含有量が多い層では、比較的軟らかい皮膜が形成される。この軟らかい層が、他の比較的硬い層の層間に存在するとクッション効果を示し、硬質皮膜全体として靭性に富むようになる。更に、最適化された硬質皮膜を用いてSの特徴である高潤滑特性と融合させることによって、強靭性による耐欠損性、且つ高潤滑特性を有する硬質皮膜を得ることができる。しかし、この時の好ましいS成分の組成差は、最大でも10%である。
本願発明における硬質皮膜の各層の厚みT(nm)が0.1≦T≦100、となっていることが好ましい。Tが100nmを超えると、各層の境界領域に歪が発生し、結晶粒中の格子縞が不連続となり、硬質皮膜の機械的強度が低下するため不都合である。例えば本願発明の硬質皮膜を切削工具に適用した場合、切削初期において硬質膜表面に切削衝撃による皮膜の層状破壊が発生し、硬質皮膜の機械的強度に問題が発生することを確認した。各層の境界領域の歪発生を回避することは、硬質皮膜と基体との密着性の改善に有効である。一方、Tの下限値を0.1nmとしたのは、現在の層構造を確認する手段にX線回折装置や透過型電子顕微鏡が用いた場合、層構造を確認できる最小厚みが0.1nmであるからである。また、被覆を行う際に0.1nm未満の積層周期で被覆を行うと、皮膜特性のばらつきが発生し、安定品質の製品を供給することが出来ない。そこで、Tの下限値を0.1nmに規定した。本願発明の硬質皮膜は、被加工物との激しい衝撃に耐え得る機械的強度を持ち合わせなければならない。そのためには、硬質皮膜の断面組織が柱状組織形態を有するように成膜を行う。
更に、本願発明の硬質皮膜は、X線回折における(200)の格子定数が、0.4100nm以上、0.4300nm以下である。本願発明の硬質皮膜の場合、例えばTiN基の硬質皮膜を作成する場合、その格子定数は0.4200nm程度である。また、例えばCrN基の硬質皮膜を作成する場合、0.4100から0.4200nm程度である。更にAlやB、Siなどが添加された場合、被覆条件が変化した場合、格子定数は0.4000から0.4400nmの範囲で変動する。しかし、本願発明の場合、課題解決のために必要な硬質皮膜の機械的強度の最適化を行った。硬質皮膜の柱状組織化の検討を行った結果、(200)の格子定数を、0.4100nm以上、0.4300nm以下に規定した。
本願発明の硬質皮膜を作成する場合、例えば低バイアス電圧で被覆した場合は、低イオンエネルギーになり、格子定数が本願請求の範囲を下回る。また、300V以上の電位を与えて被覆を行った場合、高イオンエネルギーになり、格子定数が本願請求の範囲を超え、密着性が低下した。格子定数を本願発明の範囲内にさせるためには、40〜150Vの電位が好ましく、この範囲内で硬質皮膜の優れた密着性が得られる。また、本願発明の課題である、激しい使用用途に対して求められる硬質皮膜の断面組織形態は、柱状組織である。150Vよりも大きい電位を与えて被覆すると、密着性を損ない、更に、硬質皮膜の断面組織形態が柱状から微細結晶化し、結晶粒の格子欠陥が多くなる。その結果、外部からの酸素などの拡散や、Feなどの拡散により溶着が発生しやすくなる。また、組織の微細化は、結晶粒界が多くなり、硬質皮膜の機械的強度が低下する。そのため、硬質皮膜の格子定数制御は重要である。更に、柱状組織を得るためには、反応圧力が1.0〜8.0Paの範囲で被覆されることが好ましい。
【0008】
本願発明の硬質皮膜は、S−O結合を有することが好ましい。S−O結合の存在により優れた潤滑特性を発揮し、例えば切削加工初期における激しい溶着を抑制することができる。S−O結合は、硬質皮膜のXPS分析法により167〜174eVの範囲にピークが存在することにより確認できる。XPS分析法の測定条件は、X線源がAl、Kα、分析領域がφ100μm、電子中和銃の使用条件とした。
本願発明硬質皮膜のS含有量は原子%で、0.1%以上、10%以下であることが好ましい。0.1%未満の含有量では、汎用の分析機器を用いた検出が困難であり、量産管理性が乏しくなる。そのため、簡易的に検出可能な0.1%以上とした。一方、S含有量が10%を超えると、硬質皮膜の結晶組織が柱状晶形態からアモルファス状の微細組織に変化し、更に多層構造を有する各層の格子縞が不連続になるといった不都合が生じる。その結果、硬質皮膜の機械的強度が低下すること、硬質皮膜の硬度低下や密着性低下に大きく影響を及ぼす残留圧縮応力が増大して、外部からの強い衝撃により硬質皮膜の剥離が発生すること、などの不都合な現象が発生する。これらの理由から、S含有量は10%以下であることが好ましい。より好ましくは、0.1%以上、7%以下の範囲に制御することである。
【0009】
本願発明の硬質皮膜の被覆方法としてPVD法を採用し、該PVD法はAIP法とMS法である。更に該AIP法と該MS法とを併用し、両者の蒸着源を同一チャンバー内で同時に放電させることである。この理由は、AIP法とMS法とを同時に行うことにより、硬質皮膜の結晶粒成長方向に対して界面を形成させることなく結晶が連続的に成長した硬質皮膜を得ることが可能となるからである。これにより、硬質膜内部の結晶そのものの機械的強度がより強固になる。また、プラズマ密度の異なる成膜方式を同時に使用すると、夫々の放電により発生したプラズマから価数の異なるイオンが同時に基体表面に到達する。プラズマ密度の高いAIP法の蒸発源近傍では、硬質結晶が主体の第1の層をなし、プラズマ密度の低いMS法の蒸発源近傍では、軟質結晶が主体の第2の層をなす。更に両方の蒸着源からの影響を受ける第3の層が形成され、これらが多層構造を有する。即ち第1の層、第2の層と第3の層とが積層する。第2の層が第1の層間にサンドイッチされた状態で存在すると、第2の層がクッション効果を示し、硬質皮膜全体として靭性に富むようになる。更に、第3の層の存在によって、MS法の蒸発源から供給される成分が硬質皮膜中で組成変調することに、硬質皮膜の密着性の改善効果を有する。
Sの添加方法についての制約はないが、4a、5a、6a族、B、Si、Alから選択される元素が主体のターゲット中に、あらかじめ添加させておくのが好ましい。化学蒸着法で用いられるような硫化水素によっても、硬質皮膜中にSを添加することは可能であるが、環境上、安全上、好ましくない。
本願発明の硬質皮膜の柱状組織構造からなる結晶粒はS成分に組成差を有し、これを最大でも10%に制御し、更にTを100nm以下に制御し、且つ結晶格子縞が連続して成長し多層構造を有するためには、MS法の蒸着源の放電出力を6.5kW以下に設定することが望ましい。例えばMS法による蒸発源に設置される硫化物の放電によって得られる硬質皮膜は、AIP法主体で得られる硬質皮膜よりも若干軟らかい。特にS含有量が多い領域では、比較的軟らかい硬質皮膜が形成される。このように最適化された硬質皮膜を用いれば被覆部材の耐衝撃特性が向上して、強靭性且つ高潤滑特性を有する硬質皮膜を得ることが可能となる。一方、プラズマ密度が比較的高いAIP法は、放電時のエネルギーが非常に大きく硬質皮膜にSを添加させることが比較的難しい。そのため、好ましくはMS蒸発源に取り付けるターゲットにSを含有させたものを使用するのが良い。更に、環境上の面、また安全性など取り扱いの面から、PVD法は有効である。蒸発源に設置される金属ターゲット材にあらかじめWS、CrS、NbS、TiSなどS添加したものを使用することが出来るからである。しかもMS法は、WS、CrS、NbS、TiSターゲット材単体を用いることができる。AIP法では、WS、CrS、NbS、TiSターゲット材単体は放電が非常に困難である理由から、4a、5a、6a族、B、Si、Alから選択される1種以上の金属マトリックス中にS添加したターゲット材を用いる必要がある。硬質皮膜にS−O結合を形成させるためには、主体となる反応ガス中にOを含有させて得ることが好ましい。
AIP法とMS法とを同時に行うことにより得られる硬質皮膜は、結晶格子縞が連続した多層構造を有する。更にこれによって得られる硬質皮膜は、結晶格子縞が連続した多層構造を有する。しかし、両者を間欠的に用いた場合、例えばAIP法とMS法とを交互に放電させることによってSを添加すると、界面をもつ多層構造が生じ、その界面に発生する歪が影響して、各層の接合が脆弱化するため好ましくない。
本願発明の硬質皮膜を例えば切削工具等、高硬度特性が要求される耐摩耗部材や耐熱部材の表面に適用すると、硬質皮膜の靭性を改善し、加えて特に、潤滑特性が著しく向上するため、切削加工の高温状態での耐溶着性並びに硬質皮膜への被削材元素の拡散を抑制することができる。更に、切削加工の乾式化、高速化、高送り化に対応する硬質皮膜被覆工具を提供することができる。ここでの高送り加工とは、切削条件における1刃当たりの送り量が0.3mm/刃を超えるような切削を言う。
【実施例】
【0010】
本願発明の硬質皮膜の被覆には、小型真空装置内にAIP方式の蒸発源と、MS方式の蒸発源とを併設した装置を用いて。基体は超硬合金製インサートを用い、反応ガスはNガス、CHガス、Ar/O混合ガスから目的の皮膜が得られるものを選択した。反応圧力は、真空装置内で両者の成膜法が同時にプラズマを発生させることが可能な圧力範囲を選定し、2種の蒸発源を同時に放電させるために反応圧力は3.0Paに設定した。基体温度は400℃、バイアス電圧は−40Vから−150Vの範囲の電圧を印加した。蒸発源は各種合金製ターゲットが選択可能であり、AIP蒸発源には所定組成の合金ターゲット材、MS蒸発源にはWS2、NbS、CrS、TiSなどのターゲット材を用いた。硬質皮膜にSを効果的に添加するために、AIP蒸発源とMS蒸発源とを同時に放電させた。得られた硬質皮膜の評価は、以下に示す切削条件にて切削試験を行った。切削試験で用いた被削材は、ダイカスト金型用鋼種として用いられるSKD61、硬さはHRC45、を選択した。本鋼種は、切削加工初期に刃先部における溶着現象が発生し、被覆インサート刃先部の硬質皮膜尊損傷が激しくなる。評価方法は、この被削材表面を高能率加工条件にて切削を行う事により、インサートが切削初期に発生する溶着がもたらす摩耗やヒートクラックによって欠損に至るまでの切削可能長を評価した。表1、2に本発明例及び比較例、従来例に関する硬質皮膜の詳細、使用したターゲット材組成及び切削試験の結果を示す。
【0011】
【表1】

【0012】
【表2】

【0013】
(切削条件)
工具:正面フライス
インサート形状:SDE53タイプ特殊形状
切削方法:センターカット方式
被削材形状:巾100mm×長さ250mm
被削材:SKD61、硬さ、HRC45
切り込み量:1.5mm
切削速度:100m/min
1刃送り量:0.6mm/刃
切削油:なし
表2は、評価結果であり、本発明例1から14、比較例15から28、従来例29から35を示す。表2の結果より、本発明例1から14は、硬質皮膜が柱状組織構造を有し、結晶粒がS成分に組成差を有する多層構造を有し、少なくとも該多層構造における層間の境界領域で結晶格子縞が連続している領域があり、各層の厚みT(nm)が0.1≦T≦100、硬質皮膜のX線回折における(200)面の格子定数が0.4100nm以上、0.4300nm以下を満たすことによって、優れた切削性能を有することを確認した。また、硬質皮膜表面付近のS−O結合の有無や、2種以上の物理蒸発源を用いてSを硬質皮膜に添加させた時のS含有量の範囲が、切削性能に影響を及ぼすことも確認した。本発明例1から14に示した様に、本願発明の硬質皮膜は、従来実現が困難であった切削加工を行うことが可能となった。本発明例9に示したNbSによってSが添加された硬質皮膜は、今回の評価の中で最も良い結果を示した。本発明例9の硬質皮膜を調査した結果、図1に示す様にXPS分析において167〜174eVの範囲にS−O結合が確認された。このS−O結合の存在により、切削加工初期の激しい溶着が抑制されることが確認された。また、図2に示す様にS−O結合の他に200〜215eVにおいてNb−O結合、図1に示す様に161〜164eVに金属元素との硫化物が存在することを確認した。この様に、本発明例9の硬質皮膜表面付近には、潤滑特性の優れる硫化物の存在、並びに酸化物が形成されるために、溶着が激しく発生する金属の加工において、著しい効果を発揮した。また添加したSはNbSをMS法蒸着源に設置し、放電出力を6.5kWに設定した。その結果、硬質皮膜を全体的に見た場合、S含有量は5.8%であり、本願発明で規定するS添加量の範囲内であった。X線回折を行ったところ(200)面の格子定数は0.4260nmであった。更に本願発明の硬質皮膜の硬度は35.5GPaを示し非常に高硬度であった。図3に示す様に、硬質皮膜の破断面組織を倍率15000倍で観察した結果、柱状組織構造となった。この結果、高送り加工などの衝撃の激しい切削加工において、せん断方向に対する機械的強度も得られていることを確認した。
図4は、本発明例9の硬質皮膜の破面を透過電子顕微鏡により2万倍で観察した結果であり、硬質皮膜の柱状組織構造を有する結晶粒は多層構造を有していた。図5は、図4に示した結晶粒の1部を更に拡大して20万倍で観察を行った結果であり、結晶粒はコントラストの異なる黒色層と灰色層とが複数存在している多層構造を有していることを確認した。ここで、1つ1つの結晶粒は同一方向に結晶成長したものであり、電子回折によって確認することができる。ここで、図4の観察で見られたコントラストの縞模様の数と、図5の観察で見られたコントラストの縞模様の数との間には、観察倍率が異なっている点から相関性は無い。また図5に示したコントラストの縞模様から、膜厚方向の層の厚さを得ることができる。測定の結果、各層の層厚は、3から5nm程度であった。図5の観察状態から更に観察倍率を高くして、結晶格子縞の状態を200万倍で観察した。
この時の観察結果を図6に示す。図6の観察領域は、図5の観察形態を参照しながら進めていった。即ち、図5で見られた黒色層と灰色層とが交互に積層されている領域を確認し、観察倍率を高くした場合でも観察視野には、常に黒色層、灰色層とその境界領域とが含まれるように配慮した。図6に便宜的に示した線は、夫々黒色層と灰色層とに対応する領域を区別するために使用した。更に、図7に図6の概略図を示した。図6より、多層構造における層間の境界領域で結晶格子縞が連続している領域があることを確認した。ここで、格子縞の連続性はすべての境界領域で成立する必要はなく、透過電子顕微鏡により層の境界領域を観察した時に、格子縞の連続性が認められる領域が存在すれば本願発明の優れた作用効果を得ることができる。図6には、左側の領域の1部に黒色のコントラストを示す領域が存在しているが、これは図5に示した黒色層、灰色層とは観察倍率が異なっている点から関連はない。更に、図6で観察した領域に配慮しながら、電子回折像を調べた。電子回折像を調べるにあたり、調査領域が、黒色層と灰色層との境界領域となるように配慮した。観察によって得られた電子回折像を図8に示す。図8では、略単一の電子回折像が得られた。この観察結果について考察を行うと、略単一の電子回折像が得られたことは、図9の概略図で示す様に、星印で示した黒色層の電子回折図形と、丸印で示した灰色層の電子回折図形とが一致していることを示し、これよりこの調査領域ではエピタキシャルな関係により格子縞が連続していることを確認した。従って、多層構造を有する結晶粒について層の境界領域の電子回折を行った結果、マクロ的には多結晶構造ではあるが、ミクロ的な観察により単結晶の様な形態をなしていることを見いだしたのである。更に、表3は本発明例9の多層構造の各層における組成分析を行った結果である。
【0014】
【表3】

【0015】
分析は透過電子顕微鏡に付設されるエネルギー分散型X線分析装置(以下、EDXと記す。)にて行った。分析した領域は、図6の観察による黒色層と灰色層との領域に配慮した。表3の分析領域を図6の点P、点Qに示す。分析結果から、添加したS成分の組成差が確認された。S含有量が10%を超えると、結晶組織が微細化するため、組成差は、最大でも10%以内に制御しなければならない。本発明例9は、放電させるNbSの放電出力を6.5kWに設定したため、S含有量差を4.8%に制御できた。図10には、摩擦係数の測定結果を示す。摩擦係数の測定は、ボールオンディスク方式の摩擦摩耗試験機を用い、大気中600℃の高温下における摩擦係数の測定を行った。その結果、硬質皮膜にSを添加することにより、潤滑特性が大幅に向上することが確認した。Crなどの硫化物の使用も潤滑特性に著しく優れることが確認された。切削が安定し、しかも優れた切削性能を発揮させるために、ターゲット材としてはW、Cr、Nbなどの硫化物が適している。また、TiSを使用した場合でも、潤滑特性が向上し切削特性が向上することを確認した。これより、溶着が激しく発生する金属の加工においては、本願発明の構成要素を満たす硬質皮膜によって十分に満足の行くが結果が得られた。今回の切削試験価で最も良好な本発明例9は、他の条件として、金型で見られる固定穴等、切削加工においては断続となる部位の加工も行ってみた。その結果、適正な膜厚を有した多層構造を形成していたため、硬質皮膜の靭性が著しく向上し、激しい衝撃に対しても欠損することなく、安定した切削を行うことができた。これは、2種以上のプラズマ密度の異なる成膜方式を同時に使用すると、それぞれの放電により発生したプラズマから価数の異なるイオンが同時に基体表面に到達する。第1の層はAIP方式の蒸発源近傍で硬質結晶が主体に層をなし、第2の層はMS方式の蒸発源近傍で軟質結晶が主体の層をなして多層構造を有する。第1の層と第2の層とが混在して基体表面で層として堆積する。その際に、第2の層が第1の層の結晶間に存在するとクッション効果を示し、その結果、皮膜全体として靭性に富むようになる。このようにして被覆部材の耐衝撃特性が向上するものであり、本願発明の特徴である著しく優れた潤滑特性を有し、かつ耐欠損特性に優れた硬質皮膜を見出すに至った。
【0016】
比較例15、16、18から20、24から26、28はS含有量が多く、10%以上であった。比較例20はS含有量が16.2%と多量に添加されていた。この破断面組織を確認した結果、図11に示す様なアモルファス状の微細組織になっていた。硬質皮膜の硬度も20GPa程度と軟質化傾向にあった。たとえS−O結合を有し、多層構造における1層の厚みが本願発明の規定範囲内であっても、切削特性に満足の行く結果は得られなかった。従って、S含有量の適正な制御も大切な項目であり、過酷な使用状況下に耐えるだけの機械的強度が得られなくなる。比較例17は、S−O結合が表面付近に形成されて、硬質皮膜のS含有量が、本願発明の規定範囲内の9.2%であった。しかし、AIP方式とMS方式とを同時に放電させて得られた硬質皮膜が有する多層構造の1層の厚みが100nmを超えてしまっていた。この時、MS方式の蒸着源の放電出力は6.6kWであった。また160Vの電位を与えて被覆したため、格子定数が0.4360nmとなった。その結果、多層構造の各層の結晶格子縞に歪が発生し、格子縞が不連続となり硬質皮膜の結晶組織が微細化し早期摩耗に至った。比較例23は、硬質皮膜のS含有量、多層構造の1層の厚みが30.6nm、本願発明の規定範囲に近い状態にあった。しかし、成膜時に使用する反応ガス中にOを添加しなかった。その結果、S−O結合が形成されていなかった。S添加の効果によってある程度の切削性能は得られたものの、切削初期に発生する溶着の抑制には不十分であった。また、格子定数が0.4330nmとなり、歪による残留圧縮応力が増大し、切削開始直後に欠損した。比較例21、22は、夫々の成膜で使用したWS2、NbSを放電させるときの放電出力を1kWに落として被覆した。その結果、多層構造における1層の厚みは夫々確認限界に近い0.2nm、0.8nmであった。得られたS含有量は、XPS分析などの分析装置を使用してもSの検出が不可能なほど少量であった。そのため、切削初期の溶着が激しく発生した。特に比較例22は火花が発生し、評価を途中で中止した。硬質皮膜へのS含有量や結合状態、積層周期となる1層の厚みを制御することは、大切なことである。
【図面の簡単な説明】
【0017】
【図1】図1は、本発明例9のXPS分析結果を示す。
【図2】図2は、本発明例9のXPS分析結果を示す。
【図3】図3は、本発明例9の硬質皮膜の断面組織を示す。
【図4】図4は、本発明例9の硬質皮膜の透過電子顕微鏡観察結果を示す。
【図5】図5は、図4の拡大した観察結果を示す。
【図6】図6は、本発明例9の硬質皮膜の観察結果を示す。
【図7】図7は、図6の模式図を示す。
【図8】図8は、本発明例9の電子回折結果を示す。
【図9】図9は、図8の模式図を示す。
【図10】図10は、摩擦係数の測定結果を示す。
【図11】図11は、比較例20の硬質皮膜の断面組織を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
硬質皮膜は、4a、5a、6a族、Al、B、Siから選択される1種以上の金属元素と、Sを含みC、N、Oから選択される1種以上の非金属元素によって構成され、該硬質皮膜は柱状組織構造を有し、該柱状組織構造の結晶粒はS成分に組成差を有する多層構造を有し、少なくとも該多層構造における層間の境界領域で結晶格子縞が連続している領域があり、各層の厚みT(nm)が0.1≦T≦100、(200)面の格子定数が0.4100nm以上、0.4300nm以下であることを特徴とする硬質皮膜。
【請求項2】
請求項1記載の硬質皮膜において、該硬質皮膜はSとOとの結合を有することを特徴とする硬質皮膜。
【請求項3】
請求項1又は2記載の硬質皮膜において、該硬質皮膜のS含有量が原子%で、0.1%以上、10%以下であることを特徴とする硬質皮膜。
【請求項4】
PVD法により被覆される硬質皮膜において、該PVD法はアーク放電型イオンプレーティング法とマグネトロンスパッタリング法であり、該硬質皮膜は4a、5a、6a族、Al、B、Siから選択される1種以上の金属元素と、Sを含みC、N、Oから選択される1種以上の非金属元素によって構成され、該硬質皮膜は柱状組織構造を有し、該柱状組織構造の結晶粒はS成分に組成差を有する多層構造を有し、該多層構造は、上記PVD法の蒸着源を同一チャンバー内で同時に放電させることにより形成することを特徴とする硬質皮膜の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図7】
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【図9】
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【図10】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図8】
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【図11】
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【公開番号】特開2007−56355(P2007−56355A)
【公開日】平成19年3月8日(2007.3.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−246501(P2005−246501)
【出願日】平成17年8月26日(2005.8.26)
【出願人】(000233066)日立ツール株式会社 (299)
【Fターム(参考)】