説明

摺動部材及びその製造方法

【課題】Crめっき皮膜が形成された長円形状の内周面を備え、該内周面をシール部材が周方向に摺動する摺動部材に関し、Crめっき皮膜を結晶配向性及び摩擦係数の速度依存性の観点から改良して、低摩擦化を図るとともに、異常摩耗を防止する摺動部材及びその製造方法を提供する。
【解決手段】Crめっき皮膜における(222)配向結晶の存在率を他の配向の結晶の存在率よりも高くするとともに、シール部材2の摺動速度が漸次上昇する領域AではCrめっき皮膜の摩擦係数の速度依存性が負勾配の特性を示し、シール部材2の摺動速度が漸次低下する領域BではCrめっき皮膜の摩擦係数の速度依存性が正勾配の特性を示すようにする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、シール部材が周方向に摺動する長円形状の内周面にCrめっき皮膜が形成された摺動部材及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
長円形状の内周面にCrめっき皮膜が形成された摺動部材としては、例えばロータリーピストンエンジンのアペックスシールが摺動するロータハウジングが知られている。このようなCrめっき(硬質Crめっき)皮膜は、例えばHv1000程度と硬度が高いことから摩耗が少なく、また、表面がCr酸化皮膜で保護され焼き付きを生じ難いという特徴がある。
【0003】
摺動部材には、上述の耐摩耗性の他、低摩擦特性が要求されるが、Feめっきに関しては結晶配向性の観点から、低摩擦特性を得るという提案が知られている(特許文献1参照)。それは、(hhh)面が摺動面側を向いた(hhh)配向結晶が多くなるように、摺動面における六稜金属結晶の面積率を60%以上にするというものである。
【特許文献1】特開平6−316785号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
しかし、長円形状の内周面にCrめっき皮膜を形成した摺動部材に関して、結晶配向性の観点から特性の向上を図る研究は未だ充分になされていない。すなわち、Crめっきは上述の如き特徴を有するものの、Crめっき皮膜表面に生成するCr酸化皮膜は例えば鉄系のシール部材(Hv580〜600程度)に対して高硬度(Hv1100〜1400)であり、しかも、Crめっき皮膜本体に強固に結合していることから、このCr酸化皮膜が相手材に対してアブレッシブに(研磨するように)作用し、摩擦係数が高くなっている。
【0005】
また、かかる長円形状の内周面を有する摺動部材においては、シール部材の摺動速度は通常は一定ではなく、例えば長円形状の短軸側内周面から長軸側内周面に移行するときは摺動速度が漸次上昇し、長軸側内周面から短軸側内周面に移行するときは摺動速度が漸次低下する、というように場所によって摺動速度が変化することが多い。そのため、スティックスリップ現象を生じて、摺動部材やシール部材に段付き摩耗等の異常摩耗を発生し易い。
【0006】
そこで、本発明は、Crめっき摺動部材を結晶配向性及び摩擦係数の速度依存性の観点から改良して、低摩擦化を図るとともに、異常摩耗を防止することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明は、このような課題を解決するために、Crめっき皮膜における(222)配向結晶の割合を多くするとともに、摩擦係数の速度依存性が正勾配の特性を示すようにした。
【0008】
請求項1に係る発明は、表面にCrめっき皮膜が形成された長円形状の内周面を備え、該内周面をシール部材が周方向に摺動する摺動部材であって、
上記内周面には、上記シール部材の摺動速度が漸次上昇する領域Aと、上記シール部材の摺動速度が漸次低下する領域Bとがあり、
上記Crめっき皮膜は、X線回折分析により特定される(222)面(ミラー指数(222)の結晶面)が表面側を向いた(222)配向結晶の存在率が、他の結晶面が表面側に配向している結晶の存在率よりも高く、
上記領域AのCrめっき皮膜は、上記シール部材の摺動速度の変化に対する摩擦係数の速度依存性が負勾配の特性(摺動速度が上がるほど摩擦係数が小さくなる特性)を示し、
上記領域BのCrめっき皮膜は、上記シール部材の摺動速度の変化に対する摩擦係数の速度依存性が正勾配の特性(摺動速度が上がるほど摩擦係数が大きくなる特性)を示すことを特徴とする。
【0009】
すなわち、上記(222)面は、Cr結晶(BCC)の原子が最密充填された結晶面であり、結晶格子間隔が最も狭い。従って、シール部材の摺動によってCrめっき皮膜に外力が作用したときに生ずる結晶の歪みが大きくなる。このため、(222)配向結晶の存在率が高い当該Crめっき皮膜は、元来高い圧縮残留応力を有するところ、外力によってその内部圧縮応力の高まる度合いが大きい。
【0010】
そうして、Cr結晶の酸化は、酸素がCrめっき皮膜表面から内部に拡散することによって生じ、その結果として、このCrめっき皮膜表面にCr酸化皮膜が形成される。ところが、上述の如く圧縮応力が高いCrめっき皮膜においては、結晶格子間隔が狭められていることから、酸素の拡散を生じ難くなっている。このため、通常の使用環境で生ずるCr酸化皮膜は薄くなり、該皮膜の表面から内部に向かう内部応力の勾配が急になる。
【0011】
その結果、シール部材の摺動時に、上記Cr酸化皮膜が剥離し易くなり、或いはCr酸化皮膜内部での劈開を生じて部分的に欠けやすくなり、摩擦力、換言すれば摺動抵抗が小さくなる。すなわち、摺動時にCr酸化皮膜と相手材とが部分的に凝着し、その凝着部分をCr酸化皮膜或いはCrめっき皮膜から剥がすために必要なせん断力が摩擦力となるところ、上述の如くCr酸化皮膜が薄く、剥離ないしは内部劈開を生じ易いことから、固体潤滑剤的な作用を生じて摩擦力が小さくなるものである。
【0012】
そうして、スティックスリップを生ずるか否かは、摺動速度の変化に対する摩擦係数の変化如何に影響されるところ、本発明によれば、シール部材の摺動速度が漸次上昇する領域AのCrめっき皮膜は摩擦係数の速度依存性が負勾配の特性を示すことから、スティックスリップが抑制されることになる。また、シール部材の摺動速度が漸次低下する領域Bでは摩擦係数の速度依存性が正勾配の特性を示すということは、シール部材が移動していくことに伴って摩擦係数が漸次小さくなっていくということである。このため、スティックスリップの発生が抑制される。
【0013】
なお、上述の薄く剥離ないしは内部劈開を生じ易いCr酸化皮膜が形成されるようにするためには、上記Crめっき皮膜の圧縮残留応力を20MPa以上、さらには40MPa以上とすることが好ましい。
【0014】
また、上記Cr酸化皮膜の厚さは上記(222)配向結晶の平均結晶子径よりも小さくなっていることが好ましい。すなわち、Cr酸化皮膜の厚さが(222)配向結晶子のサイズと略同程度か、それよりも厚くなってしまっている場合、それは、当該(222)配向結晶子全体が酸化されていることに他ならない。そうなると、摺動時に該結晶子が脱落し易くなって、過剰摩耗の原因になってしまう。
【0015】
但し、Cr酸化皮膜の厚さが当該結晶子径が比して薄くなり過ぎているケースも好ましいものではない。このケースは、当該結晶子径が過度に大きいときに生ずるが、それは、Cr酸化皮膜が一つの結晶子に対して広い面積で結合した状態になっていることを意味し、該Cr酸化皮膜がCrめっき皮膜から剥離し難くなる、つまり、摩擦係数が大きくなる。従って、Cr酸化皮膜は、上記結晶子径の例えば1/5以上1/1未満の厚さになることが好ましい。
【0016】
また、上記Crめっき皮膜は、Crの多結晶体で形成する他、Crを主成分とするCrMo合金めっきで形成するようにしてもよい。Moの添加によりめっき皮膜の結晶の微細化、強度の向上、耐熱性の向上が図れ、潤滑性の向上、低摩擦化(摩擦係数の低減)、焼き付き防止に有利になる。Mo共析量は0.3%以上1.0%以下が好ましい。
【0017】
請求項2に係る発明は、請求項1において、
上記領域AのCrめっき皮膜は、上記領域BのCrめっき皮膜に比べて上記(222)配向結晶の存在率が小さいことを特徴とする。
【0018】
すなわち、(222)配向結晶の存在率が大きくなるほど、摩擦係数の速度依存性が正勾配の特性になり易い。従って、本発明によれば、(222)配向結晶の存在率が小さい領域Aでは摩擦係数の速度依存性を負勾配の特性にし、(222)配向結晶の存在率が大きい領域Bでは摩擦係数の速度依存性を正勾配にする上で有利になる。
【0019】
この場合、領域Aでは、(222)配向結晶の存在率を70%未満、特に65%以下にすることが好ましい。下限は50%ないしは55%、或いは60%を目安にすれば良い。領域Bでは、(222)配向結晶の存在率を70%以上、特に80%以上にすることが好ましい。上限は85%ないしは90%程度を目安にすれば良い。
【0020】
請求項3に係る発明は、シール部材が周方向に摺動するCrめっき皮膜が形成された長円形状の内周面を備え、該内周面には、上記シール部材の摺動速度が漸次上昇する領域Aと、上記シール部材の摺動速度が漸次低下する領域Bとが存在する摺動部材の製造方法であって、
摺動部材用ワークをめっき浴に入れ、正電処理によって、該ワークの内周面に、X線回折分析により特定される(222)面が表面側を向いた(222)配向結晶の存在率が、他の結晶面が表面側に配向している結晶の存在率よりも高いCrめっき皮膜を形成する工程を備え、
上記工程では、上記Crめっき皮膜を形成するための電流密度を、上記領域Aでは上記領域Bよりも小さくすることにより、上記シール部材の摺動速度の変化に対する摩擦係数の速度依存性が、上記領域AのCrめっき皮膜では負勾配の特性となり、上記領域BのCrめっき皮膜では正勾配の特性となるようにすることを特徴とする。
【0021】
すなわち、Crめっき皮膜における(222)配向結晶の存在率は、Crめっき時の電流密度によって変化し、その電流密度が大きくなるほど(222)配向結晶の存在率が大きくなる。従って、本発明によれば、Crめっき皮膜を形成するための電流密度を、領域Aでは領域Bよりも小さくなるようにしたから、領域Aでは領域Bよりも(222)配向結晶の存在率を小さくし、摩擦係数の速度依存性を、領域AのCrめっき皮膜では負勾配の特性とし、領域BのCrめっき皮膜では正勾配の特性とすることができる。
【発明の効果】
【0022】
以上のように、請求項1及び請求項2の各発明によれば、Crめっき皮膜における(222)配向結晶の存在率を他の配向の結晶の存在率よりも高くするとともに、シール部材の摺動速度が漸次上昇する領域AではCrめっき皮膜の摩擦係数の速度依存性が負勾配の特性を示し、シール部材の摺動速度が漸次低下する領域BではCrめっき皮膜の摩擦係数の速度依存性が正勾配の特性を示すようにしたから、摺動特性の低摩擦化に有利になるとともに、スティックスリップを抑制して異常摩耗を防止することができる。
【0023】
請求項3に係る発明によれば、(222)配向結晶の存在率が他の配向の結晶の存在率よりも高いCrめっき皮膜を形成するにあたり、電流密度を、上記領域Aでは領域Bよりも小さくなるようにしたから、領域Aでは領域Bよりも(222)配向結晶の存在率を小さくし、摩擦係数の速度依存性を、領域AのCrめっき皮膜では負勾配の特性とし、領域BのCrめっき皮膜では正勾配の特性とすることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0024】
以下、本発明の実施形態を図面に基づいて説明する。
【0025】
図1は実施形態に係るロータリーピストンエンジンの概略図である。同図において、1は摺動部材としてのロータハウジング、2は内部流体(ガス)をシールする流体シール部材としてのアペックスシールである。ロータハウジング1のトロコイド状内周面(長円形状内周面)3を、出力軸を回転させるロータ5の各頂部に装着されたアペックスシール2が摺動するようになっている。このエンジンでは、吸気口6からオイルを含む燃料が空気と共に作動室7に吸入され、ロータ5の回転に伴って圧縮されつつ矢印8の方向に移動した燃料が点火プラグ9A,9Bにより着火されて膨張し、燃焼ガスの圧力によって出力軸に回転を与えた後、排気口10から排気される、という一連の行程が繰り返されることになる。
【0026】
ロータハウジング1は、図2に示すように、トロコイド状内周面3が形成された例えば高張力鋼板製のライナー11の背面に目立てが施され、このライナー11がアルミ合金製ハウジング本体に鋳ぐるまれるなどして製作される。そのライナー11の内周面3は、アペックスシール2が摺動するため、高い耐熱性、耐摩耗性、低摩擦性が要求される。そのため、内周面3にはX線回折分析により特定される(222)面が表面側を向いた(222)配向Cr結晶の存在率が、他の結晶面が表面側に配向している結晶の存在率よりも高いCrめっき皮膜又はCrMo合金めっき皮膜が形成されている。
【0027】
図3はCrめっき皮膜を模式的に示すものであり、同図において、12は(222)配向Cr結晶、13は結晶配向が異なるその他のCr結晶である。このCrめっき皮膜の表面に、(222)配向Cr結晶12及び他のCr結晶13の部位に生成した酸化物12a,13aよりなるCr酸化皮膜14が形成されている。この摺動部材は、Crめっき皮膜表面における(222)配向Cr結晶12の存在率が高いことを特徴とし、そのため、Cr酸化皮膜14の厚さが(222)配向Cr結晶12の平均結晶子径よりも小さく、つまり薄くなっている。
【0028】
上記(222)配向Cr結晶の存在率は、内周面3の全体にわたって均一ではなく、場所によってその存在率が異なる。すなわち、アペックスシール2の摺動速度は、内周面3の長軸側内周面3aでは速く、短軸側内周面3bでは遅くなる。このため、図4に示すように、アペックスシール2が短軸側内周面3bから長軸側内周面3aへ摺動していく領域Aでは、その摺動速度が漸次上昇し、アペックスシール2が長軸側内周面3aから短軸側内周面3bへ摺動していく領域Bでは、その摺動速度が漸次低下していく。
【0029】
この点を踏まえて、上記(222)配向Cr結晶の存在率を、上記摺動速度が漸次上昇する領域Aでは、該摺動速度が漸次低下する領域Bよりも小さくしている。これにより、領域Aでは、アペックスシール2の摺動速度の変化に対する摩擦係数の速度依存性が負勾配の特性を示し、領域Bでは同摩擦係数の速度依存性が正勾配の特性示すようにしている。この(222)配向Cr結晶の存在率と摩擦係数の速度依存性との関係は後にデータに基いて説明する。
【0030】
<製法>
上記ロータハウジング1の製法を説明する。
【0031】
(製法例1)
ライナー用鋼板にCrめっき皮膜を形成した後、該鋼板をレーザー溶接にて上記トロコイド状内周面を有する長円筒状に加工する。この長円筒状ライナー11をアルミ合金製ハウジング本体に鋳ぐるむ。得られたロータハウジング用ワークの内周面をホーニング研削砥石にて加工することで、所定の粗さに仕上げてロータハウジング1を得る。
【0032】
かかる製法において、上記ライナー用鋼板にCrめっき皮膜を形成するにあたり、図5に示すように、ライナー用鋼板11Aの上記領域Aに該当する部位A’では上記(222)配向Cr結晶の存在率が60%以上65%以下になるようにCrめっき処理を行ない、上記領域Bに該当する部位B’では上記(222)配向Cr結晶の存在率が80%以上85%以下になるようにCrめっき処理を行なう。
【0033】
以下、Crめっき皮膜の形成方法を具体的に説明する。基本的なCrめっき処理方法は次のとおりである。
【0034】
Cr成分、硫酸及び触媒としての有機スルフォン酸を含み、さらに必要に応じてMo成分を含むめっき浴にライナー用鋼板を入れて所定温度に予熱し、数分間の逆電処理によってワーク表面を洗浄した後、数分間のストライクめっき処理(正電処理)及び所定時間の本めっき処理(正電処理)を順に行なうことによって、Crめっき皮膜を形成する。「ストライクめっき」はめっき皮膜のワーク表面への密着力を高めるための短時間めっきである。
【0035】
Cr成分としては、無水クロム酸CrOが好ましく、必要に応じてCrを添加する。Mo成分としては、モリブデン酸ナトリウムやモリブデン酸アンモニウムを採用することができる。有機スルフォン酸としては、HSORで表され、Rが、メチル基、エチル基等の炭素数10以下の脂肪族炭化水素基、パラ位置にメチル基を有するトルエン、不飽和炭化水素基を有するスチレンなど1つの芳香環に非環式炭化水素が結合した芳香族炭化水素基であることが好ましい。Rは他の芳香族炭化水素基であってもよいし、スルフォン酸基(HSO)は複数個あってもよい。具体的にはメタンスルフォン酸、メタン時スルフォン酸等が挙げられる。
【0036】
めっき浴は、例えば、無水クロム酸を240g/L以上280g/L以下、硫酸イオン量を2.5g/L以上3.3g/L以下、有機スルフォン酸量を10ml/L以上35ml/L以下、モリブデン酸ナトリウム量を50g/L以上65g/L以下とすればよい。めっき浴温度は例えば45℃以上60℃以下に調整する。
【0037】
洗浄用逆電処理の電流密度は、50A/dm以上60A/dm以下、ストライクめっき処理の電流密度は40A/dm以上55A/dm以下とすればよい。仕上げ研削加工はホーニング等により行ない、めっき皮膜表面が例えばRa2.0μm以下となるようにすることが好ましい。
【0038】
(222)配向Cr結晶の存在率は本めっき処理特の電流密度によって調整することができる。すなわち、電流密度が高くなるほど(222)配向Cr結晶の割合が増加する。
【0039】
部位A’にCrめっき皮膜を形成するときは、他の部位をマスキングし、本めっき処理の電流密度を小さくしてめっき処理を行なう。部位B’にCrめっき皮膜を形成するときは、他の部位をマスキングし、本めっき処理の電流密度を大きくしてめっき処理を行なう。部位A’及びB’以外の部位については例えば部位A’と部位B’との中間の電流密度でめっき処理を行なえばよい。
【0040】
領域A用及び領域B用の各鋼板を別個に準備し、領域A用鋼板に(222)配向Cr結晶の存在率が60%以上65%以下のCrめっき処理を行ない、領域B用鋼板に(222)配向Cr結晶の存在率が80%以上85%以下のCrめっき処理を行ない、それら領域A用及び領域B用のCrめっき処理鋼板を接合することにより、長円筒状ライナー11を製作するようにしてもよい。
【0041】
<実施例及び比較例>
本めっき処理の電流密度25A/dm、30A/dm、45A/dmと変化させてテストピース(鋼板)にCrMoめっき皮膜を形成した。めっき浴組成は表1の通りであり、触媒、すなわち、有機スルフォン酸としては、アトテック社製のHeef25−Rを用いた。
【0042】
【表1】

【0043】
そうして、得られた各テストピースのCrめっき皮膜における表面側を向いた各結晶面の存在率をX線回折分析によって測定した。測定は、供試材のCrめっき面をホーニング加工した後に理学電機株式会社製X線回折装置RU−200を用いて表2に示す条件で行なった。結果を表3に示す。
【0044】
【表2】

【0045】
【表3】

【0046】
表3によれば、本めっき処理の電流密度が大きくなるに従って(222)配向Cr結晶の存在率が大きくなることがわかる。
【0047】
上記各テストピースについて、ホーニング加工後、図6に示す試験器を用いて摩擦試験を行ない、摩擦係数の速度依存性を調べた。同図において、21は円板状のテストピース、22はチル鋳鉄製摺動片23を固定した円板状の回転支持台である。テストピース21の下面に周縁近傍を周回するようにCrめっき層24が環状に設けられている。テストピース21の中心部には該テストピース21を貫通するエア供給孔25が形成されている。テストピース21の周縁近傍にはCrめっき層24の部位で該テストピース21を貫通する潤滑油供給孔26が形成されている。回転支持台22には3個の摺動片23が周方向に120度の角度間隔をおいて固定され、各摺動片23の上端が支持台22より上方へ突出している。この3個の摺動片23にテストピース21が載せられている。
【0048】
摩擦試験は、エア供給孔25から2.5kg/cm2 の圧力でエアを供給し且つ潤滑油供給孔26から温度100℃の潤滑油を供給しながら行なった。潤滑油としては、0W−20のエンジンオイルを用いた。そして、摺動片23の周速を変化させ、各摺動速度での摩擦係数を測定した。結果を図7に示す。
【0049】
同図において、Aは表3の実施例A面、Bは同じく実施例B面、比較例は同じく比較例の各データである。(222)配向Cr結晶の存在率が小さい実施例A面では、摺動速度が増大するにつれての摩擦係数が小さくなっている。すなわち、摩擦係数の速度依存性は負勾配の特性を示している。実施例A面よりも(222)配向Cr結晶の存在率が大きい実施例B面では、摺動速度が増大するにつれての摩擦係数が大きくなっている。すなわち、摩擦係数の速度依存性は正勾配の特性を示している。比較例はさらに(222)配向Cr結晶の存在率が小さく、主たる配向面が(222)面から(211)面になっている。そのため、実施例A面と同じく摩擦係数の速度依存性は負勾配の特性を示しているものの、摩擦係数が高くなっている。
【0050】
<製法例2>
本例は、ライナーをハウジング本体に鋳ぐるんでロータハウジング用ワークを形成した後に、このワークにCrめっき処理を施す例である。めっき浴に当該ワークを入れ、予熱、逆電処理によるワーク表面の洗浄及びストライクめっき処理を行なった後、図8に示すように、Crめっき処理用電極15とロータハウジング用ワーク1AのA領域の内周面との間に遮蔽板17を配置して本めっき処理(正電処理)を施す。電極15とワーク1Aの内周面との距離は全周にわたって略同一である。
【0051】
遮蔽板17は、図9に示すようにロータハウジング軸方向に長くなった短冊状のものであり、図8に示すようにワーク1Aの長軸側の円弧状内周面の法線に対して傾斜して配置される。図9左側は遮蔽板17を法線方向に配置した場合、図9右側は遮蔽板17を法線方向に対して傾斜させて場合をそれぞれ模式的に示す。遮蔽板17を法線方向に対して傾斜させて配置すると、遮蔽板17が邪魔になって通電経路が長くなることで浴抵抗が増加し、遮蔽板17を法線方向に配置した場合に比べて、電流密度が小さくなる。
【0052】
すなわち、製法例2によれば、ワーク1Aの領域Aでは、遮蔽板17が配置されて正電処理が行なわれることにより、領域Bに比べて電流密度が小さくなる。従って、遮蔽板17を配置していない領域Bに(222)配向Cr結晶の存在率が80%以上85%以下のCrめっき皮膜が形成されるように通電量を調整して正電処理を行なうことにより、領域Aでは(222)配向Cr結晶の存在率が60%以上65%以下のCrめっき皮膜を形成することができる。
【0053】
領域Aでの電流密度は、遮蔽板17の枚数、高さ、幅或いは法線に対する傾斜角度を適宜調整することにより、最適な値にすることができる。
【0054】
なお、本発明はロータリーピストンエンジンのロータハウジングに限らず、シール部材が摺動する長円形状内周面を有し且つ摺動負荷が長軸側内周面と短軸側内周面とで相異なる油圧ポンプやコンプレッサのハウジングにも適用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0055】
【図1】本発明の実施形態に係るロータリーピストンエンジンの概略正面図である。
【図2】同エンジンのロータハウジングの斜視図である。
【図3】Crめっき皮膜表面部の構造を模式的に示す図である。
【図4】上記ロータハウジングの概略正面図である。
【図5】製法例1のライナー用鋼板を示す斜視図である。
【図6】摩擦特性試験のための試験器を示す一部断面にした正面図である。
【図7】摩擦係数の摺動速度依存性を示すグラフ図である。
【図8】製法例2のワーク、電極及び遮蔽板の関係を示す概略正面図である。
【図9】製法例2の遮蔽板の角度と電流密度との関係を示す斜視図である。
【符号の説明】
【0056】
1 ロータハウジング(摺動部材)
1A ワーク
2 シール部材
3 内周面
12 (222)配向のCr結晶
12a (222)配向のCr結晶部位に生成した酸化物
13 他のCr結晶
13a 他のCr結晶部位に生成した酸化物
14 Cr酸化皮膜
15 電極
17 遮蔽板

【特許請求の範囲】
【請求項1】
表面にCrめっき皮膜が形成された長円形状の内周面を備え、該内周面をシール部材が周方向に摺動する摺動部材であって、
上記内周面には、上記シール部材の摺動速度が漸次上昇する領域Aと、上記シール部材の摺動速度が漸次低下する領域Bとがあり、
上記Crめっき皮膜は、X線回折分析により特定される(222)面が表面側を向いた(222)配向結晶の存在率が、他の結晶面が表面側に配向している結晶の存在率よりも高く、
上記領域AのCrめっき皮膜は、上記シール部材の摺動速度の変化に対する摩擦係数の速度依存性が負勾配の特性を示し、
上記領域BのCrめっき皮膜は、上記シール部材の摺動速度の変化に対する摩擦係数の速度依存性が正勾配の特性を示すことを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
請求項1において、
上記領域AのCrめっき皮膜は、上記領域BのCrめっき皮膜に比べて上記(222)配向結晶の存在率が小さいことを特徴とする摺動部材。
【請求項3】
シール部材が周方向に摺動するCrめっき皮膜が形成された長円形状の内周面を備え、該内周面には、上記シール部材の摺動速度が漸次上昇する領域Aと、上記シール部材の摺動速度が漸次低下する領域Bとが存在する摺動部材の製造方法であって、
摺動部材用ワークをめっき浴に入れ、正電処理によって、該ワークの内周面に、X線回折分析により特定される(222)面が表面側を向いた(222)配向結晶の存在率が、他の結晶面が表面側に配向している結晶の存在率よりも高いCrめっき皮膜を形成する工程を備え、
上記工程では、上記Crめっき皮膜を形成するための電流密度を、上記領域Aでは上記領域Bよりも小さくすることにより、上記シール部材の摺動速度の変化に対する摩擦係数の速度依存性が、上記領域AのCrめっき皮膜では負勾配の特性となり、上記領域BのCrめっき皮膜では正勾配の特性となるようにすることを特徴とする摺動部材の製造方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate

【図9】
image rotate


【公開番号】特開2008−144193(P2008−144193A)
【公開日】平成20年6月26日(2008.6.26)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−329875(P2006−329875)
【出願日】平成18年12月6日(2006.12.6)
【出願人】(000003137)マツダ株式会社 (6,115)
【Fターム(参考)】