説明

エンジンシリンダー及びエンジンシリンダー内壁の処理方法

【課題】 長時間のピストンの上下運動によっても、その内壁において、著しく圧縮残留応力が減少する部位の発生が効果的に抑制され得て、以て、内壁の摩耗等が有利に防止されることとなるエンジンシリンダーを提供すること。
【解決手段】 Al−Si合金にて鋳造されたエンジンシリンダーにして、その内壁の表層部に対して、圧縮残留応力を部分的に異なるように付与せしめた。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、エンジンシリンダー及びエンジンシリンダー内壁の処理方法に係り、特に、バイク等の車両に好適に用いられ得るエンジンシリンダー、及び、そのようなエンジンシリンダーの内壁を有利に処理することができる方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
バイク等の車両のエンジンを構成するエンジンシリンダーには、軽量性、高強度、優れた冷却性能等が要求されることから、従来より、多様なエンジンシリンダーが開発され、使用されている。そのような従来のエンジンシリンダーとしては、例えば、ピストンと接するシリンダー内壁面に、筒状の鋳鉄製パーツ(ライナー)を組み込んだ、鋳鉄ライナー使用Al合金製エンジンシリンダーや、かかる鋳鉄製ライナーに代えて、シリンダー内壁にニッケルメッキ処理を施すことにより、高い冷却性を付与せしめたニッケルメッキ処理Al合金製シリンダー等が、実用化されている。
【0003】
しかしながら、鋳鉄ライナーを使用するAl合金製エンジンシリンダーにあっては、その製造に際して、鋳鉄製パーツたるライナーをシリンダー内に挿入する必要があるため、製造工程が複雑化し、また、鋳鉄製パーツが内装されることによって熱伝導効率が低下するという問題があったのであり、一方、ニッケルメッキ処理Al合金製シリンダーにあっては、優れた冷却性能を発揮するものの、製造コストが高くなるという問題が内在していた。
【0004】
さらに、近年、環境に負担をかけないとの観点から、製造工程において排出される産業廃棄物の削減や、一定期間使用した製品のリサイクル性が求められているのであり、鋳鉄ライナー使用Al合金製エンジンシリンダーより安価に製造することができ、従来のニッケルメッキ処理Al合金製シリンダー並みの冷却性能を備え、更に、リサイクル性に優れたAl合金製エンジンシリンダーの開発が望まれていた。
【0005】
このような状況の下、近年、冷却性能及びリサイクル性に優れ、比較的低コストにて製造することが可能なエンジンシリンダーとして、過共晶アルミニウム−シリコン合金(過共晶Al−Si合金)にて一体鋳造されたエンジンシリンダーが開発され、使用され始めている。
【0006】
かかる過共晶Al−Si合金とは、一般に、Al合金基材に、主としてSi結晶を初晶及び共晶反応にて晶出せしめてなる合金であって、このSi結晶の存在によって、優れた硬度と耐摩耗性を発揮し、また、溶解することによって再度利用することが可能であるという特徴を有するものである。
【0007】
そのような優れた特性を発揮する過共晶Al−Si合金を用いたエンジンシリンダーにあっては、一般に、溶融状態の合金を、所定形状の成形キャビティを有する鋳型に注入し、鋳型内から取り出した鋳造物に対して熱処理を施した後、従来のニッケルメッキ処理シリンダー等と同様に、ホーニング加工等の所定の内壁加工が施されて、製造される。
【0008】
しかしながら、本発明者等が、そのような内壁加工の施された過共晶Al−Si合金製エンジンシリンダーについて実機運転試験を実施し、かかる実機運転試験の前後において、シリンダー内壁における圧縮残留応力状態の変化を測定したところ、シリンダー内における爆発及びピストンの上下運動によって、その内壁の特定の部位において、表層部に存在するSi結晶(Si相)及びAl基材(Al相)における圧縮残留応力のうち、かかるシリンダーの軸方向及び周方向の垂直応力が著しく減少することが認められたのである。このような圧縮残留応力の減少は、シリンダー内壁の摩耗、亀裂の発生等と密接に関連しており、エンジンシリンダーの寿命を低下せしめる原因となるものである。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
ここにおいて、本発明は、上述の如き本発明者等の知見に基づいて為されたものであり、その解決課題とするところは、長時間のピストンの上下運動によっても、その内壁において、著しく圧縮残留応力が減少する部位の発生が効果的に抑制され得て、以て、内壁の摩耗、亀裂の発生等が有利に防止され得るエンジンシリンダーと、そのようなエンジンシリンダーを有利に製造し得る、エンジンシリンダー内壁の処理方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
そして、本発明にあっては、かかる課題の解決のために、過共晶Al−Si合金にて鋳造されたエンジンシリンダーにして、その内壁における圧縮残留応力が、部分的に異なって付与せしめられていることを特徴とするエンジンシリンダーを、その要旨としているのである。
【0011】
また、本発明は、過共晶Al−Si合金にて鋳造されたエンジンシリンダーにして、該エンジンシリンダー内をその軸方向にピストンが上下運動することによって、該エンジンシリンダー内壁に存在するSi相及びAl相における、圧縮残留応力が減少する部位に、他の部位と比較して、少なくとも該圧縮残留応力の減少量より大きな圧縮残留応力が付与せしめられていることを特徴とするエンジンシリンダーをも、その要旨とするものである。
【0012】
ここで、このような本発明に従うエンジンシリンダーの望ましい態様においては、前記エンジンシリンダー内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における、前記圧縮残留応力が減少する部位は、該エンジンシリンダーと同形状、且つ同材質のエンジンシリンダー供試体について、実機運転試験を実施することによって特定された部位とされる。
【0013】
さらに、上述の如き本発明に従うエンジンシリンダーを有利に得るべく、過共晶Al−Si合金にて鋳造され、内壁加工の施されたエンジンシリンダーのシリンダー内壁の処理方法にして、該エンジンシリンダーと同形状、且つ同材質で、該エンジンシリンダーと同様な初期圧縮残留応力が分布せしめられてなるエンジンシリンダー供試体について、その内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、該供試体の軸方向及び周方向における垂直応力の分布を、該軸方向に沿って微小部X線法に従って測定した後、該供試体について所定の実機運転試験を実施し、該実機運転試験後の供試体内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、該軸方向及び周方向における垂直応力の分布を、該軸方向に沿って微小部X線法に従って測定し、該実機運転試験の前後において、該供試体内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、該軸方向及び周方向における垂直応力の分布を対比することにより、該供試体に対する該実機運転試験によって該初期圧縮残留応力の該軸方向及び/又は該周方向における垂直応力が減少した部位及びその減少量を求め、前記エンジンシリンダーにおける該減少部位に対応する部位に、少なくとも該減少量より大きな垂直応力を有する圧縮残留応力を更に付与せしめることを特徴とするエンジンシリンダー内壁の処理方法をも、その要旨とするものである。
【0014】
なお、かかる本発明のエンジンシリンダー内壁の処理方法においては、有利には、前記圧縮残留応力が、レーザーを用いたピーニング処理又はショットピーニング処理の何れかによって付与されることとなる。
【発明の効果】
【0015】
かくの如き本発明に従うエンジンシリンダーにあっては、その内壁の表層部における圧縮残留応力が、かかるエンジンシリンダーにおいて、部分的に異なって付与せしめられているのであり、例えば、エンジンシリンダー内をその軸方向にピストンが上下運動することによって、かかるエンジンシリンダー内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における、圧縮残留応力のうちの軸方向及び/又は周方向の垂直応力が減少する所定の部位に、他の部位と比較して、少なくともその減少量より大きな垂直応力を有する圧縮残留応力を付与せしめることにより、かかる所定の部位においても、圧縮残留応力の著しい減少が効果的に抑制され得るのであり、以て、内壁の摩耗等が効果的に防止されて、耐久性に富むエンジンシリンダーとなっているのである。
【0016】
また、かかる所定の部位が、本発明に従うエンジンシリンダーと同形状、且つ同材質のエンジンシリンダー供試体について、実機運転試験を実施することによって特定された部位とされることにより、本発明の目的をより一層有利に達成することが出来る。
【0017】
そして、本発明に従うエンジンシリンダー内壁の処理方法によれば、そのような優れた耐久特性を発揮するエンジンシリンダーを作製することが出来るのである。
【発明を実施するための最良の形態】
【0018】
ところで、本発明に従うエンジンシリンダーを製造するに際しては、有利には、以下の如き手法に従って製造されることとなる。
【0019】
先ず、過共晶組成のAl−Si合金、例えばAl−20wt%Si合金にて鋳造され、内壁加工の施された、所定の形状を呈するエンジンシリンダー(以下「本処理前エンジンシリンダー」という。)と、かかる本処理前エンジンシリンダーと同形状を呈し、且つ同材質で、同様の内壁加工が施されたエンジンシリンダー供試体(以下、適宜「供試体」という。)が、各々2体ずつ、準備される。
【0020】
なお、そのような本処理前エンジンシリンダー等は、所定の組成の過共晶Al−Si合金を用いて、ダイキャスト等の公知の鋳造法に従って鋳造された鋳造物に対して、熱処理を施し、その後、従来のエンジンシリンダーと同様に、内壁表面の精度を向上せしめると共に、所定の内径を出すこと、及び初晶Siを浮き出させて油膜をはること等を目的として、ホーニング加工等の内壁加工が施されることにより、製造される。本処理前エンジンシリンダー及び供試体に対して、同様な内壁加工が施されることによって、それらの内壁には、各々、同様な初期圧縮残留応力が付与せしめられることとなる。なお、かかる内壁加工の際の各種条件は、本処理前エンジンシリンダー等を構成する過共晶Al−Si合金の組成や、目的とするエンジンシリンダーの特性等に応じて、適宜に決定される。
【0021】
そして、このようにして準備された2体のエンジンシリンダー供試体のうちの一方について、その内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、かかる供試体の軸方向及び周方向における垂直応力の分布を、その軸方向に沿って微小部X線法に従って測定する。
【0022】
すなわち、本発明者等の知得したところによれば、供試体(及び本処理前エンジンシリンダー)の内壁表層部に存在するSi相及びAl相には、内壁加工によって初期圧縮残留応力が付与せしめられているが、シリンダーの軸方向における、長時間のピストンの上下運動によって、かかる初期圧縮残留応力のうち、内壁表層部の特定の部位におけるSi相及びAl相の、軸方向及び/又は周方向における垂直応力が、著しく減少することが認められたのであり、このような特定方向の垂直応力を測定して、かかる減少部位を特定することによって、本発明の目的をより有利に達成することが出来ることとなるのである。なお、本発明者等の研究によれば、Si相とAl相において、初期圧縮残留応力の減少量に差異が認められたが、その理由としては、Si相(Si結晶)は、ピストン(ピストンリング)と直接摺動し、そこに存在する初期圧縮残留応力が再分布するのに対し、基材であるAl相は、Si相(Si結晶)からの残留応力変化の影響を受け、全体として応力の平衡状態を保つためであると、本発明者等は考えている。
【0023】
また、微小部X線法(μ−sin2 φ法)とは、特開平1−276052号公報等において示されているように、表面応力を測定する手法として一般的に知られているsin2 φ法のうち、X線の照射域を穴径:0.05〜0.50mm程度のコリメータにて制限した手法である。この微小部X線法に従えば、測定に用いるX線の強度に応じて、内壁表面から深さ:数μm〜数十μm程度の表層部に存在するSi結晶(Si相)及びAl基材(Al相)の残留応力を、有利に測定することが可能である。なお、かかる微小部X線法に従う供試体内壁における残留応力の測定は、供試体より切り出された内壁の一部について実施されることとなるが、かかる切り出しは、残留応力の再分布の影響が及ばないような充分な大きさにて行なわれる。
【0024】
一方、他方のエンジンシリンダー供試体については、実機(目的とするエンジンシリンダー)と同様にエンジンに組み込んだ状態において、実機運転試験が実施される。なお、かかる実機運転試験の際の条件は、目的とするエンジンシリンダーに要求される条件に応じたものが、適宜に選択されることとなるのであり、例えば、105時間実機運転試験においては、7000rpmで35時間、8000rpmで40時間、及び9000rpmで30時間、連続的に実施される。
【0025】
このような実機運転試験の後、かかる実機運転が実施された供試体内壁の一部を切り出して、上述した微小部X線法によって、その表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、軸方向及び周方向における垂直応力の分布を測定する。そして、かかる実機運転試験の前後において、供試体内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、その軸方向及び周方向における垂直応力の分布を対比することにより、供試体内壁において、軸方向及び/又は周方向の垂直応力が減少した部位及びその減少量を求める。
【0026】
そして、本処理前エンジンシリンダー内壁における、上述の如くして特定された部位に対して、少なくともそのような減少量より大きな垂直応力を有する圧縮残留応力を、更に付与せしめることにより、本発明に従うエンジンシリンダーが得られるのである。
【0027】
ここで、本処理前エンジンシリンダー内壁に対して、上述したような所定大きさの圧縮残留応力を付与せしめるに際しては、圧縮残留応力を付与せしめることが可能な公知の手法であれば、何れも採用することが可能であるが、特に、レーザーを用いたピーニング処理やショットピーニング処理等が、有利に用いられることとなる。
【0028】
また、このようなピーニング処理等を実施する際の条件は、過共晶Al−Si合金の組成や、圧縮付与する残留応力の大きさ、更には、圧縮残留応力を付与する部位の大きさ、形状等に応じて、適宜に決定されることとなる。
【実施例】
【0029】
以下に、本発明の実施例を示し、本発明を更に具体的に明らかにすることとするが、本発明が、そのような実施例の記載によって、何等の制約をも受けるものでないことは、言うまでもないところである。また、本発明には、以下の実施例の他にも、更には上記の具体的記述以外にも、本発明の趣旨を逸脱しない限りにおいて、当業者の知識に基づいて、種々なる変更、修正、改良等を加え得るものであることが、理解されるべきである。
【0030】
先ず、市販されている、過共晶Al−20wt%Si合金にて鋳造され、ホーニング加工が施されたエンジンシリンダー(内径:66mm、ストローク:100mm)を、本処理前エンジンシリンダーとして4体、エンジンシリンダー供試体として2体、それぞれ準備した。なお、6体の内壁は、全て同一の条件にてホーニング加工が施されているものである。
【0031】
2体のエンジンシリンダー供試体のうちの1体から、初期圧縮残留応力を測定するための試料として、その内壁の一部を、所定の大きさ(軸方向の長さ:45mm×周方向の長さ:3.5mm×厚さ:8mm)にて切り出し、かかる試料の表層部に存在するSi相及びAl相の初期圧縮残留応力のうち、軸方向(供試体上端から下端に向う方向)及び周方向における垂直応力の分布を、微小部X線法に従って測定したところ、Si相における軸方向及び周方向における垂直応力は、何れも、−150MPaであった。また、Al相における軸方向及び周方向における垂直応力は、何れも、−100MPaであった。
【0032】
なお、かかる微小部X線法による垂直応力の測定に際しては、微小部X線回折装置(株式会社リガク製、PSPC−MDG)を用いて、X線:Cr−Kα(λ=2.2909Å、40kV、100mA)を、コリメータ径:0.5mmにて、Si結晶及びAl基材に対して照射した。そして、Si結晶については、その(331)面(2θ0 =132.8deg)における回折X線の回折角度(2θ)の変化を測定し、応力定数:−298.8(MPa/deg)を用いて、また、Al基材に対しては、その(220)面(2θ0 =138.4deg)における回折X線の回折角度(2θ)の変化を測定し、応力定数:−101.8(MPa/deg)を用いて、特開平1−276052号公報に記載の式より、Si相及びAl相における初期圧縮残留応力のうち、軸方向及び周方向における垂直応力を算出した。なお、かかる微小部X線法に従って測定された垂直応力は、表面から20μmの深さまでに存在するSi結晶及びAl基材の垂直応力を、平均したものである。また、以下の実験例におけるSi相及びAl相の圧縮残留応力の測定も、すべて、この手法に従って行なった。
【0033】
他の1体のエンジンシリンダー供試体については、3つのリング(トップリング、セカンドリング、オイルリング)を有するピストンを内装した状態のエンジンを組み、7000rpmで35時間、8000rpmで40時間、及び9000rpmで30時間、連続的にエンジンを運転することにより、実機運転試験(105時間実機運転試験)を実施した。なお、ピストンが最上部に達した際の各リングの上死点は、トップリングについては供試体上端(Z=0)から5mm下側(Z=5mm)、セカンドリングについては同8.5mm下側(Z=8.5mm)、オイルリングについては同12.5mm下側(Z=12.5mm)であった。また、以下において、供試体及び本処理前エンジンシリンダーにおける内壁の部位を表わす際には、各々の上端をZ=0として、上端からの距離:Z(mm)にて表わすこととする。
【0034】
かかる実機運転試験後、試験に供したエンジンシリンダー供試体についても、その内壁の表層部に存在するSi相及びAl相の初期圧縮残留応力のうち、軸方向及び周方向における垂直応力の分布について、微小部X線法に従って測定した。
【0035】
そして、得られた垂直応力の分布を対比したところ、供試体内壁におけるZ=5.5mm、13.0mm及び17.0mmの各位置を極大として、その周辺の部位において、著しい圧縮残留応力の減少(引張応力側へのシフト)が認められたのであり、その減少量は、最大で約80MPa(Z=17.0mmの位置)程度であった。かかる測定結果に基づき、本処理前エンジンシリンダーに対して、以下の処理を行なった。
【0036】
実施例 1
2体の本処理前エンジンシリンダーを水中に浸漬せしめ(水温:295K)、各々のシリンダー内壁におけるZ=5.5mm、13.0mm及び17.0mmの位置を中心に、YAGレーザー(λ=532nm)を、出力:1.0W、照射幅:2.5mm、デフォーカス距離:−6mm、照射直径:0.12mm、送り速度:0.05mm/secの照射条件にて照射して、本処理前エンジンシリンダー内壁に対してピーニング処理を行なうことにより、本発明に従う2体のエンジンシリンダーを得た。
【0037】
かかるレーザー照射の効果を確認するべく、レーザーを照射した1体のシリンダーについて、その内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における圧縮残留応力の、軸方向(シリンダー上端から下端に向う方向)及び周方向における垂直応力の分布を、微小部X線法に従って測定したところ、レーザーが照射された部位においては、レーザーが照射されていない部位と比較して、Si相においては、最大で約100MPa大きな圧縮残留応力(初期圧縮残留応力と合計して約250MPaの圧縮残留応力)が、また、Al相においては、最大で約70MPa大きな圧縮残留応力(初期残留応力と合計して約220MPaの圧縮残留応力)が付与せしめられていることが、確認された。
【0038】
一方、他の1体のエンジンシリンダーについては、上述した105時間実機運転試験を実施した。その後、かかる実機運転試験後のシリンダーについて、その内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における圧縮残留応力の、軸方向及び周方向における垂直応力の分布を、微小部X線法に従って測定した。
【0039】
かかる測定結果によれば、その内壁に、レーザー照射によるピーニング処理が施された、本発明に従うエンジンシリンダーにあっては、供試体において圧縮残留応力の著しい減少が認められた部位(Z=5.5mm、13.0mm、17.0mmの各位置を極大とする周辺部位)に対応する部位におけるSi相及びAl相が、その他の部位におけるSi相及びAl相と同様に、軸方向及び周方向のそれぞれにおいて、約150MPaの垂直応力を有することが認められた。
【0040】
実験例 2
残りの2体の本処理前エンジンシリンダーについて、それぞれの内壁におけるZ=5.5mm、13.0mm及び17.0mmの位置を中心として、ガラスビーズ(直径:0.42〜0.84mmの分布を有する)を、ノズル径:6.35mmの投射装置を用いて、ノズルからシリンダー内壁までの距離:140mm、送り速度:63.5mm/sec、カバレージ:100%以上の投射条件によって、シリンダー内壁に投射して、ショットピーニング処理を行なうことにより、本発明に従う2体のエンジンシリンダーを得た。なお、カバレージとは、ショットピーニングにおける圧痕面積と、試験板の面積(加工面積)との比を百分率で示したものである。
【0041】
かかるショットピーニング処理の効果を確認すべく、1体のシリンダーについて、その内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における圧縮残留応力の、軸方向(シリンダー上端から下端に向う方向)及び周方向における垂直応力の分布を、微小部X線法に従って測定したところ、ショットピーニング処理が施された部位においては、かかる処理が施されていない部位と比較して、Si相及びAl相の何れにおいても、最大で約80MPa大きな残留応力(初期残留応力と合計して約230MPaの残留応力)が付与せしめられていることが、確認された。
【0042】
一方、他の1体のエンジンシリンダーについては、70時間実機運転試験(7000rpm:25時間、8000rpm:25時間、9000rpm:20時間、連続運転)を実施した。その後、かかる実機運転試験後のシリンダーについて、その内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における圧縮残留応力の、軸方向及び周方向における垂直応力の分布を、微小部X線法に従って測定した。
【0043】
かかる測定結果によれば、ショットピーニング法に従って内壁処理が施された、本発明に従うエンジンシリンダーにあっても、供試体において圧縮残留応力の著しい減少が認められた部位に対応する部位におけるSi相及びAl相が、その他の部位におけるSi相及びAl相と同様に、軸方向及び周方向のそれぞれにおいて、約150MPaの垂直応力を有することが認められたのであり、内部の摩耗や亀裂の発生等が効果的に防止され得た、耐久性の高いエンジンシリンダーであることが、確認された。


【特許請求の範囲】
【請求項1】
過共晶Al−Si合金にて鋳造されたエンジンシリンダーにして、その内壁における圧縮残留応力が、部分的に異なって付与せしめられていることを特徴とするエンジンシリンダー。
【請求項2】
過共晶Al−Si合金にて鋳造されたエンジンシリンダーにして、該エンジンシリンダー内をその軸方向にピストンが上下運動することによって、該エンジンシリンダー内壁に存在するSi相及びAl相における、圧縮残留応力が減少する部位に、他の部位と比較して、少なくとも該圧縮残留応力の減少量より大きな圧縮残留応力が付与せしめられていることを特徴とするエンジンシリンダー。
【請求項3】
前記エンジンシリンダー内壁に存在するSi相及びAl相における、前記圧縮残留応力が減少する部位が、該エンジンシリンダーと同形状、且つ同材質のエンジンシリンダー供試体について、実機運転試験を実施することによって特定された部位であることを特徴とする請求項2に記載のエンジンシリンダー。
【請求項4】
過共晶Al−Si合金にて鋳造され、内壁加工の施されたエンジンシリンダーのシリンダー内壁の処理方法にして、
該エンジンシリンダーと同形状、且つ同材質で、該エンジンシリンダーと同様な初期圧縮残留応力が分布せしめられてなるエンジンシリンダー供試体について、その内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、該供試体の軸方向及び周方向における垂直応力の分布を、該軸方向に沿って微小部X線法に従って測定した後、該供試体について所定の実機運転試験を実施し、該実機運転試験後の供試体内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、該軸方向及び周方向における垂直応力の分布を、該軸方向に沿って微小部X線法に従って測定し、該実機運転試験の前後において、該供試体内壁の表層部に存在するSi相及びAl相における初期圧縮残留応力の、該軸方向及び周方向における垂直応力の分布を対比することにより、該供試体に対する該実機運転試験によって該初期圧縮残留応力の該軸方向及び/又は該周方向における垂直応力が減少した部位及びその減少量を求め、前記エンジンシリンダーにおける該減少部位に対応する部位に、少なくとも該減少量より大きな垂直応力を有する圧縮残留応力を更に付与せしめることを特徴とするエンジンシリンダー内壁の処理方法。
【請求項5】
前記圧縮残留応力が、レーザーを用いたピーニング処理又はショットピーニング処理の何れかによって付与されることを特徴とする請求項4に記載のエンジンシリンダー内壁の処理方法。


【公開番号】特開2006−83757(P2006−83757A)
【公開日】平成18年3月30日(2006.3.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−269004(P2004−269004)
【出願日】平成16年9月15日(2004.9.15)
【出願人】(304021277)国立大学法人 名古屋工業大学 (784)
【Fターム(参考)】