説明

摺動部材

【課題】摺動部表面に靱性、耐摩耗性の両方を兼ね備えた皮膜を形成し、摺動部材の耐摩耗性及び耐剥離性の向上した摺動部材の提供を目的とする。
【解決手段】上記課題を達成するため、窒化クロムを主成分とする皮膜が摺動面に形成された摺動部材において、前記皮膜は、空孔率0.05%〜3%未満の緻密皮膜と、空孔率3〜15%のポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多層構造を備えることを特徴とする摺動部材を採用する。そして、前記緻密皮膜は、そのビッカース硬さが1600HV0.05〜2500HV0.05の範囲にあるもの、前記ポーラス皮膜は、そのビッカース硬さが1000HV0.05〜2000HV0.05の範囲にあるものを用いることが好ましい。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本件発明は、摺動面に皮膜を形成することにより、靱性及び耐摩耗性に優れた摺動部材に関する。
【背景技術】
【0002】
内燃機関に用いられるピストンリング等の高温且つ高圧の厳しい環境下で使用される摺動部材において、耐摩耗性や耐スカッフ性等の更なる向上が要求されている。例えば、ピストンリングの外周摺動面は、シリンダライナの内周面に摺動接触することから、特に優れた耐摩耗性が要求され、クロムめっき皮膜、窒化層又はPVD法で形成された硬質皮膜等が用いられている。そして、上記の要求に対応するため、従来よりピストンリングの外周摺動面や上下面には、クロムめっき皮膜や窒化処理皮膜、PVD法で作製された窒化クロム(CrN、Cr2N)や窒化チタン(TiN)等の硬質皮膜が形成されている。
【0003】
しかし、近年の内燃機関の軽量化や高出力化に伴い、ピストンリングを始めとする摺動部材は、さらに厳しい条件下で使用されることとなり、靱性及び耐摩耗性に優れた摺動部材が望まれている。
【0004】
このような課題に対し、例えば、特許文献1には、外周面にCr−B−N合金皮膜を被覆することによって、耐摩耗性、耐スカッフィング性及び相手材の摩耗を増加させない特性(相手攻撃性)に優れた摺動部材が提案されている。なお、特許文献1には、摺動部材の全周面又は外周面に窒化層が設けられ、窒化層上に物理的蒸着法(特にイオンプレーティング法、真空蒸着法、又はスパッタリング法)で形成されるCr−B−N合金皮膜が被覆されている摺動部材が提案されている。
【0005】
特許文献2には、外周摺動面にイオンプレーティング法により形成する窒化クロムを主成分とする皮膜であって、CrN{111}面を主配向とする皮膜が被覆されることによって、皮膜の耐摩耗性、耐スカッフ性を生かし、耐剥離性に優れた摺動部材が提案されている。
【0006】
特許文献3には、外周摺動面にイオンプレーティング法により形成する窒化クロムを主成分とし、CrN{100}面を主配向とする結晶組織を備える皮膜が被覆された摺動部材が提案されている。なお、特許文献3には、皮膜の耐剥離性を維持して、耐摩耗性、耐スカッフ性に優れた皮膜が被覆された摺動部材が提案されている。
【0007】
特許文献4には、外周摺動面にイオンプレーティング法により形成する窒化クロムを主成分とし、CrN{111}面を主配向とする結晶組織を備える皮膜が被覆されることにより、皮膜の靱性を確保しながら、耐摩耗性に優れた皮膜が被覆された摺動部材が提案されている。
【0008】
特許文献5には、外周摺動面にイオンプレーティング法により形成する窒化クロムを主成分とし、CrN{110}面を主配向とする結晶組織を備える皮膜が被覆されることにより、耐摩耗性又は耐剥離性に優れた皮膜が被覆された摺動部材が提案されている。
【0009】
特許文献6には、外周摺動面にクロムと窒素を主成分とする合金皮膜が形成され、その合金皮膜にホウ素、酸素及び/又は炭素を含有させることで、ピストンリングの全周面又は少なくとも外周面に、窒化又はクロム系もしくは窒化クロム系の下地皮膜が予め形成された摺動部材が提案されている。なお、特許文献6には、耐摩耗性、耐スカッフィング性、耐相手攻撃性及び靱性に優れた皮膜が被覆された摺動部材が提案されている。
【0010】
特許文献7に記載された内燃機関用ピストンリングは、初期なじみ性、皮膜の耐摩耗性、耐剥離性を向上させるために、外周摺動面にCrNを主成分とした緻密質でなるイオンプレーティング法で形成した内層部と、CrNを主成分としたポーラスでなるイオンプレーティング法で形成した表層部とからなる2層のイオンプレーティング皮膜が形成された内燃機関用ピストンリングが提案されている。
【0011】
【特許文献1】特開2000−1766号公報
【特許文献2】特開2000−136875号公報
【特許文献3】特開2000−144391号公報
【特許文献4】特開2000−234621号公報
【特許文献5】特開2000−234622号公報
【特許文献6】特開2002−5289号公報
【特許文献7】特開2007−132423号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
しかしながら、特許文献1〜特許文献6に開示の発明の場合、窒化クロムを主成分とするイオンプレーティング皮膜は単層皮膜である。その為、硬度の高い(HV2200程度)緻密組織(空孔率0.1〜3%未満)になるほど、当該皮膜は硬く脆くなり靱性が劣るようになる。一方、硬度の低い(HV1800以下)ポーラス組織(空孔率3%以上)では、耐摩耗性が劣るという問題があった。
【0013】
特許文献7においては、緻密内層部とポーラス表層部との2層からなるイオンプレーティング皮膜の記載があるが、緻密内層部の空孔率が1.5%以下と低く緻密であるため、初期なじみを改良するために設けたポーラス表層部が摩耗した後には、緻密内層部が露出して、緻密内層部が摺動面として露出することになった際には、イオンプレーティング皮膜の靱性が劣り欠けやすいという問題があった。
【0014】
以上のことから、高温且つ高圧の厳しい潤滑条件、使用環境のもとで高速摺動を行うことが求められているピストンリング等の摺動部材については、さらなる靱性及び耐摩耗性の向上が望まれてきた。
【0015】
本発明は、このような従来技術の問題を鑑みてなされたものであり、前記摺動部の摺動面に靱性、耐摩耗性の両方を兼ね備えた皮膜を形成し、摺動部材の耐摩耗性向上と相手材への攻撃性の低減を図ることで、安定性能を発揮する優れた摺動部材を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0016】
そこで、本発明者等は、皮膜の空孔率に着目し、空孔率の低い緻密皮膜と空孔率の高いポーラス皮膜とを交互に積層させることで、当該ピストンリングの機能及び特性に与える影響について研究した。その結果、発明者等は緻密皮膜及びポーラス皮膜を交互に3層以上積層した皮膜を摺動面に用いることで、良好な靱性及び良好な耐摩耗性を兼ね備えた窒化クロムを主成分とする皮膜とすることができることに想到した。以下、本件発明に関して説明する。
【0017】
本件発明に係る摺動部材は、窒化クロムを主成分とする皮膜が摺動面に形成された摺動部材において、前記窒化クロムを主成分とする皮膜は、空孔率0.05%〜3%未満の緻密皮膜と、空孔率3〜15%のポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多層構造を備えることを特徴とするものである。
【0018】
本件発明に係る摺動部材において、前記緻密皮膜は、そのビッカース硬さが1600HV0.05〜2500HV0.05の範囲であることが好ましい。
【0019】
本件発明に係る摺動部材において、前記ポーラス皮膜は、そのビッカース硬さが1000HV0.05〜2000HV0.05の範囲であることが好ましい。
【0020】
本件発明に係る摺動部材において、前記緻密皮膜及びポーラス皮膜の1層の厚さが0.01μm〜0.2μmであることが好ましい。
【0021】
本件発明に係る摺動部材において、前記緻密皮膜と前記ポーラス皮膜とは、そのトータル厚さが10μm〜40μmであることが好ましい。
【0022】
本件発明に係る摺動部材において、前記緻密皮膜と前記ポーラス皮膜とは、その厚さ比率[緻密皮膜厚さ]/[ポーラス皮膜厚さ]=1.0〜2.0であることが好ましい。
【0023】
本件発明に係る摺動部材において、前記緻密皮膜と前記ポーラス皮膜とは、主配向面がCrN{111}の結晶組織を備え、且つ、ホウ素含有量が0.05質量%〜20.0質量%のクロム−ホウ素−窒素合金皮膜であることが好ましい。
【0024】
そして、前記クロム−ホウ素−窒素合金皮膜は、クロム含有量が60質量%〜85質量%、窒素含有量が10質量%〜30質量%であることが好ましい。
【0025】
本件発明に係る摺動部材において、前記クロム−ホウ素−窒素合金皮膜は、窒素ガス雰囲気中でクロム−ホウ素合金ターゲットを使用し、イオンプレーティング法を用いて形成した主配向面がCrN{111}の結晶組織を備えることが好ましい。
【0026】
本件発明に係る摺動部材において、前記窒化クロムを主成分とする皮膜と摺動部材の母材の摺動面には、クロムからなる下地層が形成することも好ましい。
【発明の効果】
【0027】
本件発明に係る摺動部材は、窒化クロムを主成分とする皮膜として、クロム−ホウ素−窒素合金からなる緻密皮膜とポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多層構造を備えることで、高温且つ高圧の厳しい環境下で高速摺動を行うために摺動面に設ける皮膜に要求される靱性及び耐摩耗性の両方をバランス良く確保することができる。例えば、本件発明に係る摺動部材の概念を、内燃機関用ピストンリングとして用いた場合には、耐摩耗性が向上すると共に、耐スカッフ性も向上し、燃焼室の気密が保持されて圧縮漏れ及びガス漏れを防ぎ、シリンダ内壁の余分なオイルをかき落とすといった種々の機能を長期間維持することができる。よって、結果として、内燃機関としての長寿命化の要請に応えることが可能になる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0028】
以下に、本件発明に係る摺動部材の形態について説明する。
【0029】
本件発明に係る摺動部材は、窒化クロムを主成分とする皮膜が摺動面に形成された摺動部材であり、当該窒化クロムを主成分とする皮膜を、空孔率0.05%〜3%未満の緻密皮膜と、空孔率3%〜15%のポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多層構造としたことを特徴とする。
【0030】
このように、摺動部材の摺動面に形成される皮膜を、緻密皮膜とポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多層構造を備えるようにしている。このようにすることで、緻密皮膜単層の場合にみられるように、摺動面に設ける皮膜としての硬度が過剰になり、靭性が低下するのを防止できる。一方、ポーラス皮膜単層の場合にみられるように、摺動面に設ける皮膜としての硬度が低くなり、必要とする耐摩耗性を得ることが出来ない。
【0031】
そして、本件発明に係る摺動部材が、摺動面に緻密皮膜とポーラス皮膜とを3層以上交互に積層することとしたのは、摺動部材の摺動面に形成された皮膜が、摺動に伴い摩耗して徐々に減厚して、耐摩耗性に優れた新たな緻密皮膜と、靱性に優れた新たなポーラス皮膜とが交互に出現することになり、双方の皮膜の長所を、皮膜が損耗するまで維持することが可能になる。しかも、薄い緻密皮膜が高い硬度及び強度を備えるが故に良好な耐摩耗性、耐スカッフ性等を発揮し、薄いポーラス皮膜が良好な潤滑油保持能力を利用した良好な摺動特性、良好な靱性等を発揮するため、良好な靱性、耐摩耗性、耐スカッフ性等の特性を備えるようになる。すなわち、空孔率が異なる緻密皮膜とポーラス皮膜とを交互に、且つ、3層以上積層することにより、緻密皮膜とポーラス皮膜との双方の優れた性質を有する摺動面に用いる皮膜とすることが可能である。なお、皮膜内における緻密皮膜とポーラス皮膜との積層配置は、ポーラス皮膜を最表層に配置した構成が好ましい。緻密皮膜に比べて、ポーラス皮膜の方が、潤滑油保持能力が高いため、初期なじみ性が良好だからである。
【0032】
また、本件発明に係る摺動部材は、摺動面に設ける皮膜を構成する緻密皮膜として、ビッカース硬さが1600HV0.05〜2500HV0.05の範囲のものを用いることが好ましい。このとき、緻密皮膜のビッカース硬さが1600HV0.05未満の場合には、皮膜として良好な耐摩耗性が得られない。また、緻密皮膜のビッカース硬さが2500HV0.05を超えると、硬度として過剰になるため、相手方(ピストンリングの摺動面に皮膜を設けた場合のシリンダライナの内周面)の摩耗損傷が顕著となる。また、ビッカース硬さが2500HV0.05を超える緻密皮膜を、以下の方法で製造しようとすると、成膜時の残留応力が高くなりすぎて、当該皮膜が脆くなるため、成膜中又は摺動挙動時に、当該緻密皮膜にマイクロクラックが発生し剥離しやすくなるため好ましくない。
【0033】
一方、本件発明に係る摺動部材において、摺動面に設ける皮膜を構成するポーラス皮膜として、ビッカース硬さが1000HV0.05〜2000HV0.05の範囲のものを用いることが好ましい。このとき、ポーラス皮膜のビッカース硬さが1000HV0.05未満の場合には、耐摩耗性が不十分で、内燃機関の摺動面に用いた場合には、耐摩耗性が悪く、初期なじみ性を向上させる効果を短時間しか継続して得られないようになるため好ましくない。一方、ポーラス皮膜のビッカース硬さが2000HV0.05を超える場合には、硬度が過剰となり、隙間及び空隙のあるミクロ構造を備えるポーラス皮膜は脆くなるため、十分な靱性及び耐久性を得ることが出来なくなるため好ましくない。
【0034】
なお、本件発明に係る摺動部材において、摺動面に設ける皮膜を構成する緻密皮膜とポーラス皮膜とのビッカース硬さ(HV)の差は100〜600であることが好ましく、更に好ましいのは当該硬さ(HV)の差が200〜400である。ここで、緻密皮膜とポーラス皮膜とでは、緻密皮膜の方のビッカース硬さを高くすることが好ましい。
【0035】
本件発明に係る摺動部材は、その摺動面に設ける皮膜を構成する緻密皮膜及びポーラス皮膜とも、その厚さが0.01μm〜0.2μmの範囲から選択した非常に薄い厚さを採用することが好ましい。更に好ましいのは、当該緻密皮膜及びポーラス皮膜とも0.01μm〜0.1μmの範囲から選択した薄い厚さを採用することである。緻密皮膜及びポーラス皮膜とも、その厚さが0.01μm未満の場合には、薄すぎて緻密皮膜とポーラス皮膜の双方の特性を十分に活かすことができない。一方、緻密皮膜及びポーラス皮膜とも、その厚さが0.2μmを越える場合には、単層皮膜と同等の性能しか得られず、好ましくない。また、ここで明記しておくが、緻密皮膜及びポーラス皮膜それぞれの各層の厚さは、同一の厚さでも、異なる厚さでも構わない。更に、皮膜を構成する緻密皮膜又はポーラス皮膜のいずれか一種の膜厚として考えても、複数層の緻密皮膜の全ての厚さが同一である必要はなく、複数層のポーラス皮膜の全ての厚さが同一である必要もない。
【0036】
そして、本件発明に係る摺動部材は、複数の緻密皮膜及びポーラス皮膜のトータル厚さが、10μm〜40μmであることが好ましい。このとき、トータル厚さが10μm未満の場合には、摺動面に設けた皮膜としては薄すぎるため、摺動部材の摺動面としての耐久性が劣るため好ましくない。一方、トータル厚さが40μmを超える場合には、皮膜の内部欠陥が増えると共に、コスト上昇を招くため好ましくない。
【0037】
更に、本件発明に係る摺動部材は、緻密皮膜とポーラス皮膜との厚さ比率[緻密皮膜厚さ]/[ポーラス皮膜厚さ]=1.0〜2.0であることが好ましい。このとき、[緻密皮膜厚さ]/[ポーラス皮膜厚さ]の値が1.0未満の場合には、緻密皮膜の厚さを1としたとき、ポーラス皮膜の厚さが1を超えることを意味するものであり、摩耗しやすいポーラス皮膜の割合が多くなるため、皮膜の耐摩耗性の低下が顕著になる。一方、[緻密皮膜厚さ]/[ポーラス皮膜厚さ]の値が2.0を超える場合には、緻密皮膜の厚さを1としたとき、ポーラス皮膜の厚さが0.5未満となることを意味するものであり、硬く、高強度の緻密皮膜の割合が多くなるため、摺動面の皮膜としての硬度が高くなり過ぎて、靭性が低下すると共に、初期なじみ性が低下するため好ましくない。
【0038】
本件発明に係る摺動部材において、以上に述べてきた皮膜の構成を採用すれば、皮膜の構成成分が同一である限り、単層又は2層構成の皮膜と比べて、良好な耐摩耗性及び靱性を備えることが出来る。よって、従来から使用されてきた、CrN、CrN、Crからなる窒化クロムを主成分とする皮膜や、ホウ素含有量が0.05質量%〜20.0質量%のクロム−ホウ素−窒素合金皮膜を用いることができる。ここで、皮膜として、クロム−ホウ素−窒素合金皮膜を採用したのは、皮膜中にホウ素を含有させることで摺動面として優れた耐摩耗性、耐スカッフ性、靱性等の向上を図ることが容易になるからである。ここで、ホウ素含有量が0.05質量%未満の場合には、緻密皮膜とポーラス皮膜共に、耐摩耗性及び耐スカッフ性の向上が図れないため好ましくない。一方、ホウ素含有量が20.0質量%を超える場合には、ホウ素含有量が過剰になるためクロム−ホウ素−窒素合金皮膜の内部応力が高くなり、皮膜としての靱性が失われ、極めて脆い皮膜となるため、皮膜にクラックや剥離が生じやすく、内燃機関用摺動部材の摺動面に適用できる皮膜として用いることが出来なくなる。
【0039】
そして、前記クロム−ホウ素−窒素合金皮膜は、ホウ素以外の成分であるクロム含有量が60質量%〜85質量%であることが好ましい。ここで、クロム含有量が60質量%未満の場合には、クロム−ホウ素−窒素合金皮膜の硬度が低下し、耐摩耗性、固体潤滑性能が小さくなるため好ましくない。一方、クロム含有量が85質量%を超える場合には、他の成分元素とのバランスが悪くなり、摺動面に適用すると凝着摩耗の起こりやすい皮膜となるため好ましくない。
【0040】
更に、前記クロム−ホウ素−窒素合金皮膜は、ホウ素以外の成分である窒素含有量が10質量%〜30質量%であることが好ましい。ここで、窒素含有量が10質量%未満の場合には、クロム−ホウ素−窒素合金皮膜の硬度が低下し、耐摩耗性が低下するため好ましくない。一方、窒素含有量が30質量%を超える場合には、極めて硬く脆い皮膜となるため、内燃機関用摺動部材の摺動面に適した皮膜でなくなるため好ましくない。
【0041】
以上に述べてきた本件発明に係る摺動部材の摺動面に設ける皮膜は、緻密皮膜とポーラス皮膜とを交互に3層以上積層したものであり、母材の真上にはポーラス皮膜を形成させることが好ましい。ポーラス皮膜を形成させることで、母材と皮膜との密着性がより向上するためである。この緻密皮膜及びポーラス皮膜の形成には、以下のイオンプレーティング法を用いることが好ましい。即ち、緻密皮膜、ポーラス皮膜共に、窒素ガス雰囲気中でクロム−ホウ素合金ターゲットを使用し、イオンプレーティング法を用いて形成した主配向面がCrN{111}の結晶組織を備えることが好ましい。
【0042】
ここで言うイオンプレーティング法とは、減圧雰囲気中で、放電によって物質を蒸発させて一部をイオン化し、これに電界を加えて加速した大きなエネルギーをもって、イオン化した成分を被めっき物へ蒸着させることにより、皮膜密着性や膜性質自体を向上させる物理蒸着プロセスのことである。このイオンプレーティング法は、他の物理蒸着法に比べ、優れた皮膜密着性、優れた膜質、低温反応性を利用した化合物、合金皮膜などの皮膜を効果的に形成することができるものである。そして、イオンプレーティング法には、直流放電励起イオンプレーティング法、高周波励起イオンプレーティング法、ホローカソード電子ビーム励起イオンプレーティング法、クラスターイオンビーム法、反応性イオンプレーティング法等の適用が可能であり、いずれの方法を採用するとしても、緻密皮膜とポーラス皮膜とを形成するための条件変更が必要となる。
【0043】
以上に述べた種々のイオンプレーティング法の中でも、高周波励起イオンプレーティング法を用いることが好ましい。高周波励起イオンプレーティング法は、チャンバー内雰囲気を窒素ガスでパージして、ターゲットとターゲットの上方に配置したコイルとの間に、高周波を印加してグロー放電を発生させ、ターゲットの蒸気化粒子と雰囲気の窒素とを同時にイオン化し、部材へのバイアス電圧の印加により放電とイオンの加速状態とを別個に制御して、部材の摺動面に緻密皮膜とポーラス皮膜とを交互に形成することができる。
【0044】
そして、以上のような物理的蒸着法であるイオンプレーティング法により形成された摺動部材の摺動面上の皮膜であるクロム−ホウ素−窒素合金皮膜は、その製造方法に起因して、結晶面としてCrN{111}の主配向面を備えるようになる。この結晶面指数は、本件発明で用いるクロム−ホウ素−窒素合金皮膜の平面に対して照射したX線のX線回折パターンから判断したものである。
【0045】
以上に述べてきた皮膜は、摺動部材の摺動面に直接形成する事も可能である。しかし、本件発明に係る摺動部材において、前記皮膜と摺動部材の母材の摺動面との間に、クロムからなる下地層を形成する事も好ましい。この下地層として設けたクロム層は、摺動部材の摺動面に設ける皮膜に含まれるものと同じ成分を用いて、当該皮膜の摺動面への密着性を向上させ、皮膜の剥離を防止するために設けるものである。このときのクロム層は、1μm〜5μmの厚さで設けることが好ましい。当該クロム層の厚さが1μm未満の場合には、下地層としての厚さが不均一であり、安定した皮膜の密着性改善は出来ない。一方、当該クロム層の厚さが5μmを超える場合には、コスト上昇を招くだけとなるため好ましくない。
【0046】
以上に述べてきた本件発明に係る摺動部材は、摺動面に性質の異なる薄い皮膜を交互に積層した3層以上の多層構造からなる窒化クロムを主成分とする皮膜を備えることを特徴とする。この当該皮膜を摺動面に備えた摺動部材としては、内燃機関用のピストンリング、シリンダライナ内周面、ロッカーアーム、カムシャフト外周面、コンプレッサー用ベーン等の過酷な摺動環境に用いる摺動部材に好適である。以下、実施形態を通じて、本件発明に関して、より具体的に説明する。
【実施例1】
【0047】
本件発明に係る摺動部材の実施例として、摺動部材の表面に形成される皮膜(窒化クロムを主成分とする皮膜)を構成する緻密皮膜及びポーラス皮膜の硬さ、厚さの条件が異なる試料1−1及び試料1−2の各試料を製造した。この実施例では、皮膜として従来から使用されてきた、CrN、CrN、Crからなる窒化クロム皮膜を用いている。
【0048】
この実施例では、SUS440B製の試験用部材(C:0.90質量%、Si:0.30質量%、Mn:0.30質量%、P:0.01質量%、S:0.01質量%、Ni:0.30質量%、Cr:17.0質量%、残部:Fe、不可避不純物)の表面に、クロムターゲットを使用し、窒素ガスをパージしたチャンバー内で、部材へのバイアス電圧を変化させる等して、ポーラス皮膜を形成するためのバイアス電圧と緻密皮膜を形成するためのバイアス電圧とを一定のサイクルで切り替えて使用することにより、部材表面へ緻密皮膜とポーラス皮膜とを形成した。このときの緻密皮膜とポーラス皮膜とからなる皮膜のトータル厚さは、全ての試料で約20μmとなるようにした。
【0049】
試料1−1の場合には、チャンバー内の窒素ガス圧力を5mTorrに維持して、ポーラス皮膜を形成するためのバイアス電圧(−7V)と緻密皮膜を形成するためのバイアス電圧(−15V)とを0.1minサイクルで交互に切り替えて、試験用部材の表面に、約20μm厚さの多層構造の皮膜の形成を行った。
【0050】
試料1−2の場合には、ポーラス皮膜を形成する際には、チャンバー内の窒素ガス圧力を25mTorr、バイアス電圧(−25V)の条件を採用し、緻密皮膜を形成する際には、チャンバー内の窒素ガス圧力を9mTorr、バイアス電圧(−10V)の条件を採用して、これらの条件を0.1minサイクルで交互に切り替えて、試験用部材の表面に、約20μm厚さの多層構造の皮膜の形成を行った。以下の、表1に皮膜全体として見たときの組成を、比較例1と対比可能なように示す。なお、この組成分析は、皮膜の断面をエネルギー分散型のEPMAを用いて定量分析として測定したものである。また、以下の表2には、積層皮膜の種類、硬さ、厚さに対する摩耗指数及び耐剥離指数を、比較例1と対比可能なように示す。
【0051】
この実施例で用いた試料1−1の緻密皮膜の空孔率は0.1%、ポーラス皮膜の空孔率は3.0%である。そして、試料1−1の緻密皮膜の硬さは2000HV0.05であり、各層厚は0.01μmである。また、試料1−1のポーラス皮膜の硬さは1700HV0.05であり、層厚は0.01μmである。緻密皮膜とポーラス皮膜との各々の空孔率と硬さは、厚さ20μmの皮膜を形成して測定した空孔率、硬さの値である。そして、この各皮膜は空孔率と硬さとの測定に用いた厚さ20μmの皮膜と同一条件(ガス圧、バイアス電圧)にて形成したものである。
【0052】
この実施例で用いた試料1−2の緻密皮膜の空孔率は0.6%、ポーラス皮膜の空孔率は4.1%である。そして、試料1−2の緻密皮膜の硬さは1600HV0.05であり、各層厚は0.01μmである。また、試料1−2のポーラス皮膜の硬さは1400HV0.05であり、層厚は0.01μmである。
【0053】
なお、ここで摩耗試験の装置に関して述べておく。上述の摩耗性指数については、図1に示すようなアムスラー型摩耗試験機5において、ピストンリングに相当する直方体形状のテストピース1(寸法:7mm×8mm×5mm)を固定片とし、シリンダライナに相当する外径40mm、内径16mm、厚さ10mmのドーナツ状の相手材2にテストピース1を接触させ、テストピース1に荷重Pを負荷して以下の試験条件にて試験を行った。なお、相手材2の下半分は、試験槽4の中の潤滑油3に浸す状態とした。摩耗量の測定は、粗さ計による段差プロフィールで摩耗量(μm)を測定することにより行った。
【0054】
[摩耗試験実験条件]
荷 重 :1470N
周 速 :1.0m/s(478rpm)
油 温 :80℃
潤滑油 :クリセフH8
試験時間:7時間
ライナー材(相手材):ボロン鋳鉄
ピストンリング材(母材):SUS440B
【0055】
また、上で述べた耐剥離指数については、スクラッチ試験装置を用い、皮膜剥離が発生する限界荷重を求めた。剥離試験は、皮膜が形成された摺動面に対して平行(水平)に加わる力に対する試験方法であり、図3に示すスクラッチ試験装置41を使用して実施した。図3に示すスクラッチ試験装置は、テーブル43上に載せた試料44(20mm×10mm×厚さ5mm)上から圧子42を押し当て、その状態で試料44を移動させ、そのときにAE(アコースティックエミッション)検出器45で検知するための装置である。本件発明においては、荷重負荷速度(100N/min)、テーブル速度(10mm/min)、AE感度(1.2)、圧子先端(R0.2mm)、の条件で測定した。評価は、剥離試験によるAE発生を検知した時の荷重を剥離荷重とし、指数評価した。
【実施例2】
【0056】
本件発明に係る摺動部材の実施例として、摺動部材の表面に形成される皮膜(クロム−ホウ素−窒素合金皮膜)を構成する緻密皮膜及びポーラス皮膜の硬さ、厚さの条件が異なる試料2−1〜試料2−3の各試料を製造した。この実施例では、SUS440B製の試験用部材の表面に、ターゲットとしてクロム−ホウ素(10at%B)合金を使用し、窒素ガスをパージしたチャンバー内圧を一定にして、部材へのバイアス電圧の印加を−7Vのバイアス電圧と−25Vのバイアス電圧とを、0.1minサイクルで交互に切り替えて使用することにより、部材表面へ緻密皮膜とポーラス皮膜とを形成した。このときの緻密皮膜とポーラス皮膜とからなる皮膜のトータル厚さは、全ての試料で約20μmとなるようにした。以下の表3に、実施例1と同様にして、皮膜全体として見たときの組成を、比較例2と対比可能なように示す。また、表4に、積層皮膜の種類、硬さ、厚さに対する摩耗指数及び耐剥離指数を、比較例2と対比可能なように示す。
【0057】
更に、図2には、試料2−1の皮膜の断面を、走査型電子顕微鏡を用いて、吸収電子線観察像を測定したものを示す。この図の中で、幾層にも薄い層が重なったように観察されるのが、皮膜である。そして、この皮膜の中で、比較的暗く観察されるのがポーラス皮膜であり、白っぽく観察されるのが緻密皮膜である。その他の実施例(実施例1も含む)の試料においても、同様の断面として観察される。なお、図2の観察資料は、樹脂に埋め込み観察用断面の調製を行ったため、皮膜の最表面側縁端部の形状に乱れがあることを、念のために明記しておく。
【0058】
試料2−1〜試料2−3の摺動部材の表面に形成される皮膜は、クロム−ホウ素−窒素合金皮膜である。そして、試料2−1〜試料2−3の皮膜は、緻密皮膜とポーラス皮膜との2種類を用い、緻密皮膜とポーラス皮膜と交互に積層したものである。
【0059】
そして、試料2−1については、緻密皮膜の空孔率は2.0%、ポーラス皮膜の空孔率は12.0%、緻密皮膜並びにポーラス皮膜のそれぞれの厚さは0.01μmであり、緻密皮膜の硬さは2100HV0.05、ポーラス皮膜の硬さは1800HV0.05である。
【0060】
試料2−2については、緻密皮膜の空孔率は2.5%、ポーラス皮膜の空孔率は13.0%であり、緻密皮膜並びにポーラス皮膜のそれぞれの厚さは0.1μmであり、緻密皮膜の硬さは2000HV0.05、ポーラス皮膜の硬さは1600HV0.05である。
【0061】
試料2−3については、緻密皮膜の空孔率は2.5%、ポーラス皮膜の空孔率は13.0%であり、緻密皮膜並びにポーラス皮膜の硬さは試料2と同じであるが、緻密皮膜の厚さは0.02μmであり、ポーラス皮膜の厚さは0.01μmである。なお、試料2−1〜試料2−3の皮膜の表層部は、ポーラス皮膜とした。
【比較例】
【0062】
[比較例1]
この比較例は、実施例1と比較するためのものである。この比較例では、摺動部材の表面に形成される皮膜の構成条件が、実施例1と異なる比較試料1−a及び比較試料1−bを製造した。比較試料1−a及び比較試料1−bの皮膜は、CrN、CrN、Crからなる窒化クロム皮膜であり、以下に説明するものである。そして、積層皮膜の種類、硬さ、厚さに対する摩耗性指数及び耐剥離指数を、実施例1と対比可能なように表2に示す。
【0063】
ここで用いた比較試料1−aは、実施例の試料1−2の条件で製造したポーラス皮膜の単層であり、層の厚さは約20μmであり、硬さは1400HV0.05、空孔率は4.1%である。
【0064】
そして、ここで用いた比較試料1−bは、実施例の試料1−2の条件で製造した緻密皮膜の単層であり、層の厚さは約20μmであり、硬さは1600HV0.05、空孔率は0.6%である。
【0065】
[比較例2]
この比較例は、実施例2と比較するためのものである。この比較例では、摺動部材の表面に形成される皮膜の構成条件が、実施例2と異なる比較試料2−a〜比較試料2−eを製造した。比較試料2−a〜比較試料2−eに積層される皮膜の条件について以下に述べる。表4に示すように、比較試料2−a〜比較試料2−eの皮膜は、クロム−ホウ素−窒素合金皮膜である。
【0066】
ここで、比較試料2−aの皮膜は、チャンバー内の窒素ガス圧力を25mTorrに維持して、ポーラス皮膜を形成するためのバイアス電圧(−7V)を負荷して、試験用部材の表面に、約20μm厚さの皮膜の形成を行った。このときの皮膜は、ポーラス皮膜の単層であり、硬さは1700HV0.05、空孔率は13.5%である。そして、比較試料2−bの皮膜は、緻密皮膜の単層であり、層の厚さは約20μmであり、硬さは2100HV0.05であり、空孔率は2.3%である。
【0067】
比較試料2−cの皮膜は、内層側が、チャンバー内の窒素ガス圧力を5mTorrに維持して、バイアス電圧(−10V)を負荷して形成した15μm厚さの緻密皮膜であり、表層側が、チャンバー内の窒素ガス圧力を40mTorrに維持して、バイアス電圧(−5V)を負荷して形成した5μm厚さのポーラス皮膜の合計2層の構造である。比較試料2−cの緻密皮膜の空孔率は0.1%、ポーラス皮膜の空孔率は16.0%である。比較試料2−cのポーラス皮膜は、硬さが1200HV0.05であり、層の厚さが5μmである。比較試料2−cの緻密皮膜は、硬さが2200HV0.05であり、層の厚さが15μmである。また、皮膜全体での厚さは約20μmである。
【0068】
比較試料2−dの皮膜は、内層側が、チャンバー内の窒素ガス圧力を5mTorrに維持して、バイアス電圧(−10V)を負荷して形成した15μm厚さの緻密皮膜であり、表層側が、チャンバー内の窒素ガス圧力を20mTorrに維持して、バイアス電圧(−7V)を負荷して形成した5μm厚さのポーラス皮膜の合計2層の構造である。比較試料2−dの緻密皮膜の空孔率は0.1%であり、ポーラス皮膜の空孔率は10.0%である。比較試料2−dのポーラス皮膜は、硬さが1800HV0.05であり、層の厚さが5μmである。比較試料2−dの緻密皮膜は、硬さが2200HV0.05であり、層の厚さが15μmである。また、皮膜全体での厚さは約20μmである。
【0069】
そして、比較試料2−eの皮膜は、硬さの異なるポーラス皮膜を交互に積層したものである。チャンバー内の窒素ガス圧力を30mTorrに維持して、バイアス電圧(−7V)を負荷して形成した0.01μm厚さのポーラス皮膜と、チャンバー内の窒素ガス圧力を35mTorrに維持して、バイアス電圧(−5V)を負荷して形成した0.01μm厚さのポーラス皮膜であり、硬さは1700HV0.05と1500HV0.05である。比較試料2−eのポーラス皮膜の空孔率は13.5%と14.5%である。
【0070】
[実施例1と比較例1との対比]
以下に、表2の掲載内容を基に、本件発明の実施例1と比較例1とを対比する。試験用部材の表面に形成した皮膜の耐摩耗性及び耐剥離性について、条件別に指数化したものを表2に示す。以下、表2をもとに実施例(試料1−1及び試料1−2)と比較例(比較試料1−a及び比較試料1−b)とを比較する。表2には、比較例2の比較試料2−aの摩耗試験での摩耗量と、耐剥離試験での皮膜の剥離が発生する限界荷重の値とを共に100として、他の試料の特性を「摩耗指数」及び「耐剥離指数」として指数化して表示している。ここで、摩耗指数については数値の小さい方が耐摩耗性に優れ、耐剥離指数については数値の大きい方が耐剥離性に優れることを示す。
【0071】
【表1】

【0072】
【表2】

【0073】
実施例1の試料1−1、試料1−2では、試験用部材の表面に形成される皮膜が、窒化クロム皮膜で、且つ、緻密皮膜とポーラス皮膜とを積層した3層以上の多重構造を備えている。これに対し、比較例1の比較試料1−aは、試験用部材の表面に形成される皮膜が、窒化クロムの緻密皮膜の単層であり、比較試料1−bは、試験用部材の表面に形成される皮膜が、窒化クロムのポーラス皮膜の単層である。
【0074】
このとき、試料1−1は、摩耗指数が75、耐剥離指数が105であり、試料1−2は、摩耗指数が60、耐剥離指数が110である。ここで、比較例をみると、比較試料1−aの摩耗指数が95及び耐剥離指数が102であり、比較試料1−bの摩耗指数が100及び耐剥離指数が100である。
【0075】
従って、試料1−1、試料1−2共に、比較試料1−a及び比較試料1−bと比べて、耐摩耗性及び耐剥離性が優れるという結果になっている。即ち、従来から使用されてきた窒化クロム皮膜であっても、摺動部材の摺動面に設ける皮膜は、本件発明のように、緻密皮膜とポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多重構造とすることにより、耐摩耗性、耐剥離性共に向上できることが理解できる。
【0076】
[実施例2と比較例2との対比]
以下に、表4の掲載内容を基に、本件発明の実施例2と比較例2とを対比する。以下、表1をもとに実施例(試料2−1〜試料2−3)と比較例(比較試料2−a〜比較試料2−e)とを比較する。なお、表4に示す「摩耗指数」及び「耐剥離指数」の概念は、上述の通りである。
【0077】
【表3】

【0078】
【表4】

【0079】
本件発明に係る摺動部材の表面に形成される皮膜の耐摩耗性及び耐剥離性について条件別に指数化したものを表4に示した。
【0080】
まず、実施例である試料2−1〜試料2−3についての摩耗指数と耐剥離指数を示す。ここで、比較例の比較試料2−aの摩耗指数及び耐剥離指数を100とする。比較試料2−aは、実施例と同じクロム−ホウ素−窒素合金皮膜を部材表面に形成しているが、ポーラス皮膜のみの単層であり、硬さは1700HV0.05である。以上をふまえ、実施例2と比較例2との指数を対比してみる。
【0081】
試料2−1は、摩耗指数が53、耐剥離指数が116である。試料2−2は、摩耗指数が53、耐剥離指数が113である。試料2−3は、摩耗指数が50、耐剥離指数が113である。従って、基準試料として用いた比較試料2−aと比べると、試料2−1〜試料2−3は、耐摩耗性及び耐剥離性の全てにおいて、より優れた特性を示すことが理解できる。この結果から、部材の表面に形成する皮膜は、空孔率の異なる緻密皮膜とポーラス皮膜とを有した多層構造を採用することで、空孔率が同じ(ポーラス皮膜)単層のみと比して、優れた特性が得られることが分かる。
【0082】
比較試料2−bと実施例とを対比する。比較試料2−bは、実施例と同じクロム−ホウ素−窒素合金皮膜を部材表面に形成しているが、緻密皮膜のみの単層であり、硬さは2100HV0.05である。この比較試料2−bの摩耗指数は75、耐剥離指数は90である。ここで、比較試料2−bと実施例(試料2−1〜試料2−3)との比較をすると、実施例よりも、比較試料2−bは、耐摩耗性、耐剥離性共に劣る結果となっている。これは上述した比較試料2−aとの対比と同様で、部材の表面に形成する皮膜は、空孔率の異なる緻密皮膜とポーラス皮膜とを有した多層構造を採用した方が、空孔率が同じ(緻密皮膜)単層とした場合に比べて、優れた特性を有することが分かる。更に、比較試料2−bと比較試料2−aと比べてみると、比較試料2−bの方が耐摩耗性に優れるが、比較試料2−aと比べ耐剥離性は劣ることが分かった。この結果より、緻密皮膜は耐摩耗性に優れ、ポーラス皮膜は耐剥離性に優れた性質を有することが確認できる。
【0083】
比較試料2−c及び比較試料2−dと実施例(試料2−1〜試料2−3)とを比較する。この比較試料2−c及び比較試料2−dは、皮膜として実施例と同じクロム−ホウ素−窒素合金皮膜を用いているが、緻密皮膜とポーラス皮膜との2層のみからなる構成としたものである。ここで、比較試料2−cは、摩耗指数が150、耐剥離指数が102である。比較試料2−dは、摩耗指数が100、耐剥離指数が100である。比較試料2−c及び比較試料2−dと実施例(試料2−1〜試料2−3)とを比較すると、実施例よりも耐摩耗性、耐剥離性共に劣る結果となった。これは、比較試料2−c及び比較試料2−dは、緻密皮膜とポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多重構造ではないからと考えられ、3層以上の多層構造にする重要性が理解できる。
【0084】
そして、比較試料2−cは、比較試料2−aと比較して耐摩耗性が劣り、耐剥離性が若干優れることが分かった。これは比較試料2−cの皮膜の表層部にあるポーラス皮膜の硬さが低いことによると考えられる。このポーラス皮膜の硬さ1200HV0.05は、本件発明で適正とするポーラス皮膜の硬さの条件を下回る数値である。更に、比較試料2−dは、比較試料2−aと耐摩耗性、耐剥離性共に同じ特性を有している。これは、比較試料2−dの皮膜の表層部にあるポーラス皮膜の硬さが、比較試料2−aの部材表面に形成される層の硬さと同程度であるためと考えられる。
【0085】
比較試料2−eと実施例(試料2−1〜試料2−3)とを比較する。この比較試料2−eは、皮膜を硬さの異なるポーラス皮膜を交互に積層して3層以上の多重構造としたものである。比較試料2−eは、摩耗指数が107、耐剥離指数が110である。この比較試料2−eと実施例とを比較すると、実施例よりも耐摩耗性、耐剥離性共に劣る結果となった。このことから、いくら空孔率の異なる層を交互に積層した3層以上の多層構造であったとしても、全ての層がポーラス皮膜の硬さのレベルであれば、耐摩耗性及び耐剥離性に対する効果は得られないことが理解できる。
【0086】
更に、比較試料2−eは、基準試料である比較試料2−aと比較しても、耐摩耗性、耐剥離性共に劣ることが分かる。これは部材表面に形成される皮膜が、硬さが低いポーラス皮膜のみの構成であるためと考えられる。
【0087】
[実施例と比較例との対比のまとめ]
以上の結果より、部材表面に形成される皮膜は、当該皮膜を構成する緻密皮膜とポーラス皮膜との各厚皮膜の厚さが薄く、且つ、緻密皮膜とポーラス皮膜とを3層以上を積層した多層構造を採用すると、皮膜の構成材質が同一である限り、部材の摺動面に形成した皮膜としての耐摩耗性、耐剥離性を向上させることが可能である。
【0088】
そして、実施例1と実施例2とを比べることで理解できるように、皮膜としては、窒化クロム皮膜よりも、ホウ素を含有させたクロム−ホウ素−窒素合金を採用する方が、飛躍的に部材の摺動面に形成した皮膜としての耐摩耗性、耐剥離性を向上できることが明らかである。
【産業上の利用可能性】
【0089】
本件発明に係る摺動部材は、窒化クロムを主成分とする皮膜に、クロム−ホウ素−窒素合金からなる緻密皮膜とポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多層構造を備えており、皮膜は摺動面に要求される靱性及び耐摩耗性の両方をバランス良く備える。このような摺動部材は、内燃機関のように、高温且つ高圧の厳しい環境下で高速摺動を行うための製品として好適である。従って、本件発明に係る摺動部材は、ピストンリング、シリンダライナ内周面、ロッカーアーム、カムシャフト外周、コンプレッサー用ベーン等の過酷な摺動環境に用いられる摺動部材に適用できる。特に、内燃機関用ピストンリングとして用いた場合には、耐摩耗性向上に伴い、耐スカッフ性も向上できるため、内燃機関の品質向上に貢献する。
【図面の簡単な説明】
【0090】
【図1】本件発明に係る摩耗試験測定に用いるアムスラー型摩耗試験機を示した図である。
【図2】実施例(試料2−1)の窒化クロムを主成分とする皮膜の走査型電子顕微鏡を用いた吸収電子線観察像である。
【図3】本件発明に係る剥離試験測定に用いるスクラッチ試験装置を示した図である。
【符号の説明】
【0091】
1 テストピース
2 相手材
3 潤滑油
4 試験槽
5 アムスラー型摩耗試験機
41 スクラッチ試験装置
42 圧子
43 テーブル
44 試料
45 AE(アコースティックエミッション)検出器

【特許請求の範囲】
【請求項1】
窒化クロムを主成分とする皮膜が摺動面に形成された摺動部材において、
前記窒化クロムを主成分とする皮膜は、空孔率0.05%〜3%未満の緻密皮膜と、空孔率3〜15%のポーラス皮膜とを交互に積層した3層以上の多層構造を備えることを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
前記緻密皮膜は、そのビッカース硬さが1600HV0.05〜2500HV0.05の範囲にあるものである請求項1に記載の摺動部材。
【請求項3】
前記ポーラス皮膜は、そのビッカース硬さが1000HV0.05〜2000HV0.05の範囲にあるものである請求項1又は請求項2に記載の摺動部材。
【請求項4】
前記緻密皮膜及びポーラス皮膜の1層の厚さは、0.01μm〜0.2μmである請求項1〜請求項3のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項5】
前記緻密皮膜と前記ポーラス皮膜とは、そのトータル厚さが10μm〜40μmである請求項1〜請求項4のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項6】
前記緻密皮膜と前記ポーラス皮膜とは、その厚さ比率[緻密皮膜厚さ]/[ポーラス皮膜厚さ]=1.0〜2.0である請求項1〜請求項5のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項7】
前記緻密皮膜と前記ポーラス皮膜とは、主配向面がCrN{111}の結晶組織を備え、且つ、ホウ素含有量が0.05質量%〜20.0質量%のクロム−ホウ素−窒素合金皮膜である請求項1〜請求項6のいずれかに記載の摺動部材。
【請求項8】
前記クロム−ホウ素−窒素合金皮膜は、クロム含有量が60質量%〜85質量%、窒素含有量が10質量%〜30質量%である請求項7に記載の摺動部材。
【請求項9】
前記クロム−ホウ素−窒素合金皮膜は、窒素ガス雰囲気中でクロム−ホウ素合金ターゲットを使用し、イオンプレーティング法を用いて形成した主配向面がCrN{111}の結晶組織を備える請求項7又は請求項8に記載の摺動部材。
【請求項10】
前記窒化クロムを主成分とする皮膜と摺動部材の母材の摺動面には、クロムからなる下地層が形成されているものである請求項1〜請求項9のいずれかに記載の摺動部材。

【図1】
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【図3】
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【図2】
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【公開番号】特開2009−133445(P2009−133445A)
【公開日】平成21年6月18日(2009.6.18)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−311531(P2007−311531)
【出願日】平成19年11月30日(2007.11.30)
【出願人】(390022806)日本ピストンリング株式会社 (137)
【Fターム(参考)】