説明

燃料溶解式燃料電池

【課題】石炭を中心に太陽熱とバイオマスの再生エネルギーの利用方法を提供する。
【解決手段】燃料溶解式燃料電池を用いるまた炭酸ガスの採取により石炭や木炭の炭素と反応させて一酸化炭素化し水素と反応させてメタノール化しそれをベースにエタノール化し燃料はじめ種々な化成品化する。なおエタノールやプラスチックのベースとなるエチレンを石炭などの炭素から高収率に合成する。また水素燃料に貯蔵運搬性を持たせる方法として液体窒素化を提案しその最終消費までの過程で発生する酸化窒素で硝酸アンモニアなどの肥料化の提案。エンジンの抜本的な効率化とトルク変換機の適正化を提案する。発電にも排熱による加熱空気を利用する煙突対流発電法の提案。放棄余剰電力の水電気分解による家庭水素燃料化による高率発電量化も提案する。

【発明の詳細な説明】
【発明の詳細な説明】
ここで提案する新しい発想の燃料電池はイギリスのグローブ卿の実験に源を発する。彼は水の電気分解の逆はできないかと、水素と酸素を別々の希硫酸を加えた水溶液の容器に入れて、白金の電極を差し込んで見ると、そこに僅かの電流が流れることを発見したと言う。1839年のことである。
この彼の実験は、反応式で表わせば次のようになる。
2H+nH+n/2SO−−→4H+4e+nH+n/2SO−−
+2HO+4e+nH+n/2SO−−→4OH+nH+n/2SO−−
つまり、2H+O→4H+4OH→4H
これは、燃焼の反応2H+O→2HOとは、同じ水が生じることになる反応であっても違っていることが解かる。前者は電気を帯びた原子であるイオン同士の結合であり、後者は分子同士の結合である。後者の反応熱は68.3kcal/モル×2モル=136.6kcalである。この熱量の全てか一部かが前者では電気エネルギーとなる。ファラデーの法則では前者の反応で発生する電力は26.8Ah/H×4H×1.229V×860cal/Wh=113304cal=113.3kcalであり、燃焼の場合の113.3kcal÷136.6kcal=82.95%となる。この両者の差136.6kcal−113.3kcal=23.3kcalがこの場合のイオンとしての反応熱と言うことになろう。つまり、電力として取り出し得るのは投じるエネルギーの82.5%であり、エンジンや蒸気タービン発電機などより遙に高い。しかも、この発生熱で以て生成する水を加熱蒸発することが出来れば、この熱が全くの損と言うことにはならない。
水1ml1gを1℃上げる場合の熱量を1calと言う。いま、この場合のイオン結合反応で発生する水は18g×4=72gであるから、これを0℃から100℃まで上げる熱量は72g×1cal/g℃×100℃=7200cal=7.2kcalである。また、100℃の72gの水を気化するに要する熱量は、72g×539.8cal/g=38865.6cal=38.9kcalである。合わせて、7.2kcal+38.9kcal=46.1kcalを要する。従って、イオン反応から発生する水を蒸発排気するには、46.1kcal−23.3kcal=22.8kcalの補足熱量が必要である。
したがって、水素と酸素の燃料電池は机上理論的には開発可能であることは間違いないと言える。しかし、グローブ卿には電気の発生を確かめて見るだけの能力しかなく理論的にそれを発展させ実用化を進めることは出来なかった。当時の化学者には興味を持った人も多かったようであるが、彼の域を出る人は居なかったようである。
その後しばらく燃料電池は忘却されていたようであるが、20世紀に入って、何が端緒か判らないが、燃料電池の開発を試みる人たちが現れたと言うが、実用化に成功した人はなかったようである。
何が切っ掛けであったのか判らないが、1950年代後半になって、GE(ゼネラル・エレクトリック)の二人の化学者トム・グラブとレオナルド・ニードラクが電解液に代えてイオン交換膜を使用することを発想し試作してみたと言う。
その場合、彼らが参考にしたのは希硫酸電解液の中に亜鉛陰極と銅陽極とを設けたボルタ電池と考えられる。文英堂の「解明化学I」によると、陰極の亜鉛板上では、亜鉛はイオン化傾向が大きい為、Zn⇔Zn2+(溶液中)+2e(亜鉛板上)のように、イオン化する(またはイオン化しようとしている)ので、亜鉛板上に電子(e)が多く生じ、電位が低くなり、陰極となる、とある。アメリカの教科書にも同じことが載っているのであろう。彼らは電解液中に水素や酸素を解くのではなく、水素や酸素を亜鉛と銅のように陰極と陽極にしなくてはならないと考えたらしい。ところが水素と酸素は、亜鉛と銅のように金属ではなくガスであるので、電極とすることは極めて難しい。ガスの柱の中を自由電子が流れるなどと言うことはありえない。そこで例えば彼らは水素ガスが白金の極に触れるとその触媒作用で電子とイオンに電離し、電子は白金極に吸収されると想像した。ところが水素イオンは、陽極側に導線を通って達する電子を受けて酸素から生じる酸素陰イオン(O++或いはOH)と結合させて水としなくてはならない。そこで、陰極と陽極の間に電解質を設ける限り、陰極の外側に生じたイオンをどうしても陰極を通り抜けさせて内側の電解質に運ばねばならない。そこで彼らは白金の陰極にイオンの通る孔を明けることを考えた。そして、電解液では孔から液が流れ出るのでイオン交換膜を用いることを考えた。その水素陽イオンは、陽極の孔において負荷を通って来た電子によって生じた酸素イオンと結合して水となり反応熱により水蒸気となり発散すると考えた。
その反応は陰極ではH→2H+2e、陽極では1/2O+2H+2e→HOとなることになる。この工作に成功しさえすれば、自動車に搭載できる燃料電池が開発できると想定したらしい。しかし、GEの彼らはその開発を投げ出してしまった。このような芸当をやりこなさなくては実験も不可能な訳である。
このように全く工作の不可能なものであり、然も理論的にさえしっかり確立されていない物であった。ところが、1983年になって、カナダ政府はこのGEの個体高分子型燃料電池の実用化の研究開発を公募した。これに応募したのがジェフリー・バラード地質学博士を中心としたバラード・リサーチ社であった。彼らの開発力はどこにあったのか私は正確には知りえないが、とにかく数台の見本を製作して、世界の有力自動車メーカーなどにリースした。借りたメーカーは分解して見ることを許されずそのまま使用して燃料電池車を試作したと言う。
この20数年間世界の有力メーカーは巨費と膨大な研究者を投入したが、今日まで理論的にさえ確かな成果は上がっていない。そもそもこの個体高分子型燃料電池は前に述べたように単純にボルタの電池をまねたものであった。前にも述べたように、このボルタ電池は希硫酸の電解液に亜鉛陰極と銅陽極を浸した構造である。ここで、亜鉛電極は電離して電子と亜鉛イオンとなるが、その電子は陰極に残り、亜鉛イオンは硫酸の硫酸基イオンと結合して硫酸亜鉛となり、その際生じる水素イオンは負荷を通って銅陽極に達した電子を授けられて水素ガスとなり、陽極に付着する。これが次なる水素イオンの接着を妨害し電池の化学反応を急速に低下させるので、実用性は無いと言われている。
しかし、化学電池の発祥はこのボルタ電池にあり、以後の電池は皆このイオン化傾向の差を応用したものである。反応式は次のようである。
Zn+HSO→Zn+2e+2H+SO−−
2H+2e→H
従って、Zn+HSO→H+ZnSO
この電池反応から解かるように、このボルタ電池は水素分極が発生して非常に短命な物であった。この分極の邪魔を排除した後のダニエル電池も順次発生する亜鉛イオンが溜まってイオン発生力が減退して性能が低下する。水素の発生を廃しイオンの溜まりも廃した性能の安定した然も高電圧の電池が要請されて来たが満足行く物は開発されていない。
したがって、公害を出さない即ちゼロエミッションの自動車を電池を動力源として開発することは経費的に満足の行く物にすることは困難であった。それは電池密度的に不満と言うことを意味し即ち長時間の運転を可能とする為には電池が場所を取り重量を占め過ぎることを意味した。この電池密度の定率を改善するには燃料電池しかないと考えられたようである。その可能性は燃料の水素が発熱量当り極めて軽いことまた酸化剤には空気が使えて搭載しなくて済むことにあった。この期待に応えることが出来るか今日まで多方面に亘って長年研究が行なわれ来たが全ての面に亘って徒労であったの感が深い。
水素は1モル22.4l当り67776calにしか過ぎない。ガソリンは1l7400kcalである。22.4lでは165760kcalもある。実に水素ガスの2446倍もある。このガソリンの貯蔵・運搬・搭載能力に伍すには液化しかないが、水素の沸点は−253℃であり液化エネルギーが嵩むと共に液化を維持するにはタンクやボンベを冷却していなくてはならない。車に積むにしてもボンベを冷凍機で以て冷却し続けなくてはならない。全く液化では実用性は無いのである。
前に述べたように、バラード社の方法では電池そのものが開発不能であると共に水素インフラにも打つ手に全く窮していたのである。私はこの窮鼠状態に解決案を提案しようとしているのであるが、なかなかすっきりと決まらない。しかし、決して挑戦不可能な案ではない。何が何でも排気公害を無くすと言うのなら挑戦して見なくてはならないし、また将来の石油枯渇時代の太陽熱からの水素燃料時代へ備えるべく挑戦すると言うのであれば、今日から取り掛かっても早すぎると言うことはない。
燃料電池の必要性のよって来たるところをある程度満足させる金属極電池が開発できれば、それはそれで現代のゼロエミッション化の要請に応えうることになる。所謂電気自動車社会システムの進歩化である。従来電気自動車と言えば充電式であった。しかし、充電には8時間も掛かると言う。自動車の24時間待機性にはとてもではないが応えられない。私は電池が消耗すればその都度交換するようにする乾電池自動車を提案している。それには乾電池にリサイクル性がなくては資源が続かない。使用後乾電池に使用金属がイオンとして残留する場合は回収不能である。イオンではなく金属として然も塩や塩基ではたく金属単体として残留するものは回収が容易である。
燃料電池開発の可能性を探る前にこう言う乾電池の可能性を探って置きたい。
イオンとは原子構造における電子殻の最外殻の状態変化から生じる。即ち、最外殻は1個から8個の電子で以て成っている。そして、例えば、亜鉛は最外殻の電子は2個であるがこの2個の電子を放出した状態が亜鉛イオンである。食塩NaClは溶解すると、ナトリウムイオンNaと塩素イオンClに電気分離する。この場合のナトリウム原子の最外殻の電子は1個であり、塩素原子の最外殻は7個であるが、このナトリウム原子が電子1個を放出して1価の正電荷を帯びたのがNaであり、その電子を受け入れて最外殻が8個になったのが1価の負電荷のClである。このように電子を失って陽イオンになることを酸化と言い、電子を受け取って陰イオンとなることを還元と言う。
この酸化還元の化学反応において、電子の授受は電極間の負荷を通して行なわせて電気を取り出すようにしたのが化学電池である。その電子の流れを起こさすのは即ち起電力の発生は陰極と陽極の電位差による。その電位は原子や分子がイオンとなる場合のエネルギーであり、陰極や陽極となりうるそれぞれの物質には、水素がイオン化する場合の電位をゼロとしそれとの位置のエネルギーの偏差として標凖値が計算されたり測定されている。
したがって、イオン化傾向の格差が開くほど起電力が大きいと言うのはピッタリではないが、この電位差が大きいと言うことを表わしている。従って、陰陽極たる物質の標準電位を調べ両者の差が大きくなるように組み合わせ得る可能性を見出すことが電池の発明であると言えよう。
乾電池はマンガン電池もアルカリマンガン電池も二酸化マンガンを陽極としている。二酸化マンガンMnOが水酸化酸化マンガンMnOOHとなる場合の標準電位は0.15Vである。二酸化亜鉛イオンZnO++がZnに変わる場合の標準電位は−1.22Vであるから、このアルカリマンガン乾電池の起電力は、陽極電位−陰極電位であるから、0.15V×2−−1.22V=1.52Vである。これでは自動車用乾電池として電圧が低い。もっと電圧の高い乾電池は発明できまいか。
電池開発のポイントは、先に述べたように、水素ガスが発生して陽極に付着し絶縁作用をもたらし陽極の陰イオン発生能力を減退消滅させる作用すなわち水素分極の発生しない方法を考案するところにある。そしてリサイクルを考える場合使用済み電池から電極に使用した金属が容易に回収できるように要素構成するべきである。普通使用金属はイオンの形で残る場合が多い。これを回収した場合元の金属や塩や塩基に戻すにはこれが生産した電力と同等の電力を必要とする。然もその処理が容易ではない。また廃棄するにしてもイオン状態の物をどこに捨てれば宜しいのか途方に暮れる。
ボルタ電池は電解質に硫酸を使用した為水素ガスが発生し分極が生じたし、亜鉛イオンが発生残留した。これを改善したと言うダニエル電池は確かに水素分極を抑えたが、亜鉛イオンの発生残留を防ぐことは出来なかった。これを改良して発生する亜鉛イオンを順次別なイオンに変え亜鉛イオンの充満を防ぐと共に水素を順次酸化して水に変えて行くようにしたのがルクランシェ電池すなわち乾電池である。
したがって、水素が発生しないようにしたまたイオンが増殖しないようにした起電力すなわち電圧の高い電池がリサイクルの利く優秀な電気自動車用の電池といえる。そこで、その可能性を探って見よう。「電池−その化学と材料」の124頁に種々の電池活物質の標準平衡電位(25℃)の表があるが、この中から電位差の大きくなる物質を選んで組み合わせて見たい。リチューム(−3.040V)やナトリウム(−2.714V)は電位は大きいが水と反応するので電解質の溶媒に水を使用することが出来ず実用性に欠ける。マグネシウム(−2.37V)はそれらに次ぐ高い電位を持ちながら水に対して安定的であるので期待できる。次いでアルミニウム(−1.68V)、そして亜鉛(−0.763V)である。陽極用では銅(0.347V)や銀(0.799V)や酸化銅(0.558V)や酸化マンガン(1.23V)などが大きい。
そこで、まず陰極にアルミニウムAlをそして陽極に一酸化銅CuOをまた電解質に塩化アンモニウムを用いる物を検討してみる。CuOは発生する水素と反応してそれを水に変える可能性がある。そこでアルミイオンの増殖を吸収するにアルミイオンの錯体化を図りたい。その為の電解質に乾電池に使用されている塩化アンモニウムを使用して見る。このアルミニウム・塩化アンモニウム・一酸化銅電池の化学反応は次ぎのようになる。
Al+6NHCl→[Al(NH3)6]++++3e+6H+6Cl
3/2CuO+3H+3e→3/2Cu+3/2H
つまり、Al+6NHCl+3/2CuO→3/2Cu+[Al(NH]Cl+3HCl+3/2H
この電池の起電力すなわち電圧は、0.558V×3−−1.68V=3.354Vである。そして、アルミ1モル27gで26.8Ah×3=80.4Ahの電流が起る。従って、アルミ27gの発電電力量は、80.4Ah×3.354V=269.66Whである。
では、アルミに代えてマグネシウムではどうであろうか。
Mg+4NHCl→[Mg(NH3)+++4H+4Cl+2e
CuO+2H+2e→Cu+H
つまり、Mg+4NHCl+CuO→Cu+[Mg(NH]Cl+2HCl+H
このマグネシウム電池の起電力は、0.558V×2−−2.37V=3.486Vであり、アルミニウム電池よりほんの僅か大きい。また、起電気量はマグネシウム1モル24.3gで26.8Ah×2=53.6Ahである。発電電力量では、53.6Ah×3.486V=186.85Whとアルミに劣る。
陽極を一酸化銅に代えて二酸化マンガンを用いる場合を見てみる。
Al+6NHCl→[Al(NH++++3e+6H+6Cl
3/2MnO+3H+3e→3/2Mn+3/2H
つまり、Al+6NHCl+3/2MnO→[Al(NH]Cl+3HCl+3/2MnO+3/2H
このアルミニウム・マンガン電池の起電力は、1.23V×3/2−−1.68V=3.525Vであり、発電量は80Ahであったから、発電電力量は3.525V×80.4Ah=283.41Whとなる。
アルミ・銅電池より出力が良い。これも視野に入れて置きたい。
もう一例、アルミニウムと銀の組み合わたアルミ・硝酸銀・銀(炭素)電池を見てみよう。電解質に硝酸銀を使用する。反応式は次ぎのようになる。
Al→Al++++3e
3Ag+3NO+3e→3Ag+3NO
つまり、Al+3AgNO→3Ag+Al(NO
この反応からすると、陽極は銀である必要はなく炭素で宜しいことになる。勿論、陰極はアルミニウムでなくてはならない。
この起電力を見ると、0.799V×3−−1.68V=4.077Vとなる。従って、発電電力量は、4.077V×80.4Ah=327.79Whである。
従来のリチューム電池を遙に上回る出力である。リチューム電池では上に述べたように電解液の溶媒に水を用いることが出来ないので、塩化チオニルSOClをまた電解質にLiAlClを用いなくてはならない。陰極のリチュームも陽極兼溶媒の塩化チオニルもまた電解質の塩化アルミリチュームも水と激しく反応し高温を発するので水と触れると大変な事故となる。空気の高湿に触れても発熱する。厳重な包装を必要としている。リチュームは鉱石への含有率が極めて低く精錬にも費用が掛かり高価な物らしい。ここに二十世紀最大の発明とされていたリチューム電池を性能的にも製造コスト的にも凌ぐことになるかも知れない電池の提案が出来ることになって洵に嬉しい。乾電池自動車の未来は揚々たる物かも知れない。
ついでに、マグネシウム・硝酸銀・銀(炭素)電池を見ておこう。
Mg→Mg+++2e
2Ag+2NO+2e→2Ag+2NO
つまり、Mg+2AgNO→2Ag+Mg(NO
この起電力は、0.799V×2−−2.34V=3.938Vであり、発電量は、26.8Ah×2=53.6Ahであり、発電電力量は、3.938V×53.6Ah=211.1Whである。アルミ・硝酸銀・銀(炭素)電池に比べて相当劣る。
アルミと組み合わせる銀は高価なので、銀より安い銅ではどうか見ておく。
2Al→2Al++++6e
3Cu+++3SO−−+6e→3Cu+3SO
つまり、2Al+3CuSO→3Cu+2Al(SO
このアルミ・硫酸銅・銅(炭素)電池の起電力は、0.347V×2−1.68V=2.374Vであり、発電量は、26.8Ah×3=80.4Ahであり、発電電力量は、2.374V×80.4Ah=190.9Whである。アルミ・硝酸銀・銀(炭素)電池の58.2%しかなく、見劣りするので、一般的使用には兎も角乾電池自動車用には向かない。
燃料電池に話を戻すとしよう。
「電池−その化学と材料・大日本図書」の73頁によると、従来の燃料電池では、「水素や酸素のような気体を活物質(電極)として連続的に供給しようとする。その為に、これら気体を吸着保持する為の電極が必要となる。この電極には電極反応に対する触媒性と電解質に対する耐蝕性に優れ、かつ電子導電性がよく、気体活物質(電極)と一般に液体である電解質との相互接触がよいことが要求される。このような気体を燃料とする燃料電池では電極のガス側で約0.03mm、電解質側で約0.01mm程度の孔の中で、気体(電極活物質)、液体(電解質)、固体(触媒電極)の三相帯が形成されねばならない。活物質(気体電極)は電解液薄膜を通って気体の状態で拡散したのち触媒表面に吸着する。次に吸着活物質(気体電極)と触媒との間の電子授受反応により生成したイオンが電解液本体へ溶け込む。このとき電極が乾燥状態であったり、厚い電解液層で覆われていると、反応速度が遅くなり大電流を流すことができない。そのため気体活物質側で大きく、電解液側で小さい細孔をもつ多孔ニッケル薄板やフッ素系樹脂で部分的に防水処理された多孔紙状炭素板などが電極に用いられる。反応触媒として水素極には白金、白金族元素の合金、ラネーニッケル、ホウ化ニッケル、炭化タングステンなどが、酸素極には白金族元素、ラネー銀や酸化ニッケルや酸化コバルトなどからなるスピネル化合物が用いられる」とあるように、燃料の水素や酸素を水や電解液に溶いては水素や酸素を電子とイオンに電離することは不可能と見ていた。その為、水素気体や酸素気体をそのままで電子とイオンに電離し、電子を極にイオンを電解質に吸収させねばならないとした為、極めて困難な工作が必要だと提案している。このGEの案の妥当性を検討してみる科学者は全く無く、それを鵜呑みとし、どうかしてこの工作を成し上げようと躍起になるだけであったらしい。世界の自動車メーカー、電気メーカー、電力会社、ガス会社、化成会社、ガラス・陶器会社、石油会社など大凡関係のありそうなあらゆる産業の殆どの会社が気体電極燃料電池の虜になった。長い年月と膨大な人員と巨額の費用を投じたが今日まで気体電極を完成することは出来なかった。
発想を換えて見たのが私である。このように製作困難な気体電極案は放棄して気体を水中で電子とイオンに電離させて、通常の湿電池や電気分解槽におけるような金属電極で即ち陰極では電子を接触吸収、陽極ではイオンに接触授与することは出来まいかと。そして、発生する水を直ぐ片っ端から水蒸気として排出しようとするのでは無く、先ず液体とし、そのまま排出するかその後水蒸気に変えて排出することを考えた。この為、気化熱を多く必要とせず電気転換効率を格段に向上させる可能性を掴んだ。従来の燃料電池の作動温度は、固体高分子形(バラード型)約80℃、溶融炭酸塩形約650℃、固体電解質形約1000℃などとされていた。バラード型を除いて、電池反応エネルギーが熱として逃げる率が極めて高く、これら気体電極型燃料電池は極めて効率の悪い物であった。それを償うに排熱を利用して辻褄を合わせるとしていた。所謂燃料電池によるコジェネレーション案である。こんなことが上手く行かないことは電気温水器を見ればよく判る筈である。
東京化学同人の「化学大辞典」の水素イオン濃度の項によると、水素が水溶液に溶解している場合には、2HO+H→2H+2e(標準平衡電位0)となっていると解される。また酸素は水中では、HO+1/2O+2e→2OH(標準平衡電位1.229V)(酸素濃度計の項)となることはよく知られている。
また、「化学大辞典」の1134頁によると、酸やアルカリに二つの白金電極を浸し、それぞれにHとOを触れさせると、水素でH→2H(a)、H(a)→H+e、酸素側でO→2O(a)、O(a)+HO+2e→2OH(a)が電極触媒である白金表面で起こり、両電極を隔てる膜でH+OH→HOにより水が出来る。従って、白金電極に触れさせられる水素や酸素は白金の電極触媒作用によって吸着されて極面で電離を起こすことになる。
また、538頁の気体電極の項には、気体を電極表面に導き電子授受をさせるようにした電極で、その代表例は水素極である。例えば、螺旋状に巻いた白金線の表面に白金黒を着け、これを希硫酸に浸して下から水素ガスを通気し、白金黒に水素ガスを触れさせると、電解質溶液との接触界面にH⇔2H+2eの電気化学反応の場が出来るとある。
また、「電池−その化学と材料・大日本図書」の8頁には、電解質には、種々のイオン導電体を用いることができる。そのなかではイオンによって電気が運ばれる。イオンには、原子または原子群が電子を失って生ずる正の帯電粒子であるカチオン(陽イオン)と、過剰に電子を他からとることによって生ずる負の帯電粒子であるアニオン(陰イオン)とがある。電解質には、水のような溶媒に、種々の塩を溶解した電解液、食塩のような塩を高温で溶融し液体となった溶融塩、イオンが自由に動き得る空間をもつ構造の固体電解質がある。実用電池では、活物質に対して安定で、常温で高いイオン導電性を示す電解質が望まれる。水は自然界に多量に存在する安定な溶媒で、種々のイオンを溶媒和する性質が強く、塩をカチオンとアニオンに解離し、溶解させやすい。また、比較的粘土が小さいので、溶媒和したカチオンやアニオンが動きやすい。とくに、HイオンやOHイオンは水分子の間を飛び石づたいに動いていくことにより移動するので、それらのイオンが電場の下で動く速さは非常に大きい。水の中で普通のイオンが働く速さに比べ、OHイオンは約3倍、Hイオンは約6倍の速さで動く。このような点より、実用電池の電解質には、酸性あるいはアルカリ性(塩基性)の水溶液を用いるのがよい。とくに、金属表面に安定な酸化物被膜を形成し、金属を腐蝕から保護する点より、金属製の材料が用いやすいアルカリ性水溶液を用いる場合が多い。安全性や電池材料の腐食軽減を考慮し、多量の塩を溶解した中性付近の水溶液が用いられる場合もある。
水溶液を電解質に用いる電池では、水を分解して水素を生成するような還元剤や、酸素を生成するような酸化剤は活物質には用いにくく、負極や正極の活物質の選択が制限される。
これらの記述から判るように、水素−酸素燃料電池における水素と酸素は電解質水溶液の中で電極に吸着され電子授受が起きうることが解かる。この場合の電解質の存在は水素や酸素の溶解度を上げる為に必要なのだと解することが出来る。この電解質を用いないで溶解度を上げうる方法を考案すれば、水のみの溶液を使用した燃料電池の開発が可能であると推測できる。
このことは別々の容器に水を張り白金などの電極を入れて水素と酸素を溶解して両極を負荷を介して結合すると、水素(標準平衡電位0.000)と酸素(1.229)の電位差から電子が水素側の陰極から酸素側の陽極に流れることが理解される。そしてそれぞれの容器の中にH(ヒドロニウムイオン)とOH(水酸化物イオン)が発生することになる。これらを反応させて水とし発生する端から排出するようにしたい。
それには、両イオンをそれぞれ濾し採って出会わせなくてはならない。つまり、陽イオンだけを通す陽イオン交換膜でヒドロニウムイオンを、陰イオンだけを通す陰イオン交換膜で水酸化物イオンを濾し採ると宜しい。そして両者を出会わす即ちH+OH→2HOと水となる。
したがって、この燃料電池は池の中央に陽イオン交換膜と陰イオン交換膜とを対峙させ、陽イオン交換膜側に陰極を陰イオン交換膜側に陽極を設け、結合する負荷の大きさに比例して陰極に水素を陽極に空気を注入しうるようにし、両交換膜間の隔間に生じる水は排除しうるようにすれば燃料電池として運転できることになる。
そこで、水素と空気の水への溶解度を見てみる。水素は1気圧20℃で1lの水に0.018l溶解する。水素2グラム即ち1モルは22.4リットルであるから、水素2gの溶解する水の量は22.4l÷0.018l/l(水)=1244.44lである。水素2gで26.8Ah×2=53.6Ah=192960Asの電気量が発生する。この場合の起電力は1.229Vであるので、電力量に直すと237147.8Ws=237kWsとなる。すなわち、1秒間に2g22.4lの水素を供給する場合237kWの発電能力があることになる。上記の1244.44lの水素電離槽の水量は、一辺107.56cmの立方体となる。
他方、酸素電離槽を見てみる。空気は1気圧20℃で1lの水に0.019l溶解する。空気に含まれている酸素の量は20.95%であるから0.019lの内の0.00398lである。酸素1/2O16g1/2モルは11.2lであるから、これが溶解する水の量は11.2l÷0.00398l/水l=2814lとなる。この大きさは(141.2cm)である。
そして、水素2g1モルと酸素16g1/2モルの発電反応によって生じる水の量は18g即ち18mlである。このナガイ燃料電池における水の量すなわち電池槽の大きさは、水への反応(H+OH→2HO)槽を2lとすると、水素槽1244.44l+空気槽2814.07l=4058.5lに2lを加えたものとなる。
このナガイ燃料電池は自動車に積めるようになろうか。自動車の電池の大きさはどのくらいが必要か研究されたものが見当たらない。自動車の動力は、例えば1300kgの重さの物を時速100kmで走らす場合の必要エネルギーは1/2×1300kg×(100km/h=27.78m/s)=501543jと思われがちであるが、実際には、低速から順次速度を上げて行くので、今の速度の動力と一つ前の動力との差だけの動力があれば宜しいと考えられる。100キロの前を98.75キロであったとすれば、1/2×1300g×(98.75km/h=27.43m/s)=489083jである。両者の差は12460.2jである。これは1300kgを27.78m−27.43m=0.35mを加速度27.43m/sで運んだ仕事である12480.65jに等しい。理屈にあった見方と言えよう。したがって、全ての効率を100%とすれば、動力モーターの出力は1秒間の大きさでは12.5kj/s=kwで宜しいことになる。
このナガイ燃料電池への水素燃料と空気の供給はポンプを以てする必要がある。ヘンリーの法則によれば気体の溶解度は注入圧力に比例する。従って、相対的に溶媒の水を少なくするには溶質の溶解度を高くすれば宜しいことになる。圧力を高めれば高める程電池のがたいは小さくなる。
この場合、水素や空気の圧入にどのくらいのエネルギーが必要であろうか。1気圧は1013.25ヘクトパスカルである。今、1秒間に1気圧で圧入する量は水素22.4l、空気11.2l÷20.95%=53.46lであった。いま、仮に10気圧で圧入するとすれば、P/T=P/Tにおいて、P=10P、T=Tであるから、P/T=10P/Tとなり、V=1/10Vとなるので、P/T=10P1/10V/T=P/Tとなり、10気圧に加圧しても必要エネルギーは1気圧の場合と同じであることが判る。つまり圧力を10倍にすれば圧入速度は10倍となり、1/10秒における圧入量は1/10で宜しいので、1秒間の圧入量は1/10V÷1/10s=V/sとなるからである。
したがって、10気圧で水素22.4l=0.0224mを圧入するエネルギーは0.0224m×1/10×101325N/m×10=2269.7Nm(j)つまり1秒間では2.27kj/s(kW)かかることになる。空気は1秒間53.46l=0.05346mを送るので、0.05346m×1/10×101325N/m×10=5416.8Nm(j)、つまり5.42kj/s(kW)必要である。即ち、この燃料電池で237kWを発電するには、水素と空気を合せて7.69kj/s(kW)の圧入エネルギーが必要である。この圧入エネルギーは上述した例から解かるように注入圧力を変えても一定であることが理解される。
したがって、いろんな注入圧力の下のこの燃料電池の正味発電量は237kW−7.7kW=229.3kWとなる。そこで、特別に圧力を掛けない前の12.5kWの自動車モーター用の電池の大きさは、4058.5l×12.5kW/229.3kW+0.5l=約222l=(60.55cm)となる。これでは大き過ぎて自動車に乗らない。燃料を30気圧で圧入するとすれば、222l÷30=7.4l=(19.5cm)となり、50気圧では、222l÷50=4.44l=(16.4cm)となる。これに電気的機械的ロス30%を見れば、4.44l÷0.7=6.3l=(18.5cm)の大きさとなる。このくらいの大きさに納めることが出来れば、従来の気体電極には外側からガスを吹き付けるしかないとした概念の虜から解放された電極を電解液に浸けてそこにガスを注入しても気体吸着電極は成り立つとするこのナガイ燃料電池でもコンパクトに自動車用に開発できる可能性があることが解かる。
また、幸いなことにこのナガイ燃料電池は発生する水をイオン反応熱で蒸発させる。即ち、前に述べたように、イオンの反応熱は11.65kcal=48.54kjであった。そこで、発生する水18gを蒸発させるに要する熱量は0℃から100℃まで上げる熱量は18g×1cal/g℃×100℃=1800cal=1.8kcal。100℃における気化熱は18g×539cal/g=9702cal=9.7kcalである。両者合わせて11.5kcal=47.9kJである。従って、発生する18gの水はヒドロニウムイオンHと水酸化物イオンOHの反応熱で蒸発することになるが、両イオンの反応池に適当な水がいるので、これを熱する熱量を補う必要があろう。
バラード燃料電池では開発成就の目途を失っていた燃料電池車の夢が再び蘇生する可能性が出てきた。従来水素燃料時代の招来に躍起であった自動車産業は再度挑戦を試みるかどうか私には判らないが、やって見ようとすればやれないことではなくなった。
しかし、今までに述べたように、水素も空気もその溶解度は極めて低い為にそのままでは電池密度が極めて低くなる。どうしてもヘンリーの法則に従って使用ガスを圧入しなくてはならない。このポンプがこじんまりとパワフルに製作できればさして問題になるところはないが、ここで躓くと厄介なことになる。燃料電池発明におけるブレークスルーすべき最大の課題は溶解槽の中に刻々発生し増加して行く水を如何に順次刻々と排除して行くかにある。従来の挑戦者はこの問題に20数年の長きに亘って挑戦したけれども水を電池本体から反応熱を以て直接蒸発させると言う偏執の虜から解放されることがなかった為いっこうに前進することはなかった。百年清河を待つの観であった。この虜から脱出し得て上記の考案を完成させた。イオン交換膜が存在しているからこそである。
以上述べて来たように、どうやら燃料電池自動車の時代を招き得るように思われる。然らば、燃料水素の供給体制とそのシステムは構築できようか。まず、どうかして、車社会に合う水素燃料の獲得方法に目途を立てなくてはならない。従来の水素時代の提唱者たちはこの源に全く目途を立てることができなかった。やたら燃料電池の開発のみが先走っていた。水素を天然から得る方法としては水の電気分解が有るのみである。色々な提案は有るが他に信頼の置けるものはない。それには安い電力の獲得が是非とも必要であった。化石燃料やウラン燃料をベースとして販売されている現状電力価格を以てしては、水素自動車時代すなわち水素時代を招来することは全く不可能なことであった。
太陽電池や風力に期待する人は多かったが、これらの本質的発電能力はその期待に全く応えるものではない。太陽電池の発電効率は1m1kWの太陽エネルギーの10数パーセントを日差しの良い時に電力に転換するにしか過ぎない。かんかん照りの砂漠ならともかく日本の国土においては利用効率的に全く無能である。よしんば、低コストで生産しえても100万kWの発電に要する面積は714万mも要る。(2673m)である。とてもではないが割りに合うものではない。シリコンの溶融温度は1410℃であり、このシリコンの高品質の結晶体を得るには莫大なエネルギーがいり、低価格を達成することは本質的に不可能であることが次の文章からよく判る。
太陽電池は、「物理学辞典・培風館」の965頁によると、「一般にシリコン光電池と呼ばれ、シリコンのpn接合を利用して光エネルギーを電気エネルギーに変換する光電池。厚さ0.3〜0.5mmのn型シリコン単結晶を化学処理して高温中に置き、酸化ホウ素を単結晶板表面に熱拡散させてp型層を形成させ、シリコンの表面から2μm程度の深さの所にpn接合を作る。逆に、ベースの方にp型シリコンを使用し、n型薄層を形成させるものがあり、この方が放射線による損傷が少ない。出力電圧は開放端で約0.55V、理論的最大効率(電力的出力/入射光エネルギー)は約22%である」とある。
「物理学辞典」の1670頁によると、「例えば、シリコンSiに5価の不純物ヒ素Asなどを1ppm程度の微量混入すると(これをドーピングという)、AsがSiと置き代って電子を一つ放出し、これがわずかの温度の上昇で伝導帯に励起されて電気伝導を生じる。反対に3価の不純物、例えばインジウムをドープすると、電子を価電子帯から吸い取って、正孔を生じ、これによって電気伝導が大きくなる。前者は負の移動電荷(キャリヤー)によって電気伝導を生じるからn型(negative)、後者はp型(positive)と呼ばれる。電子を一つ捕えた5価の不純物をドナー、正孔を捕えた3価の不純物をアクセプターと呼ぶ」とある。
これらの文章から判ることは、太陽電池を製作する場合、n型シリコン9価とp型シリコン7価との極薄板を造り両者を合わせて接合するのではなく、先ずn型の超薄板を造りそれに酸化ホウ素を極く浅く射入してその範囲をp型にしてnp接合を造り出すと言う。この場合、n型には砒素Asが含まれているのでつまり9価になっているので、これにホウ素が加わっては12価となり、物にならない。そこで恐らく、2As+B→2B+Asの反応が起き、AsはOにブロックされて電荷を失い反対に3価のホウ素に置き換わるのであろう。
シリコンと違って、セレンは融点が220℃と低いので、製造コストは大幅に低くなる。「現代新百科辞典3」の191頁によると、「セレン光電池はセレンの上に酸化カドミウムのような半透明の金属膜をつけたものを、鉄またはアルミニウムの基盤の上においたものである。セレンのような半導体と金属膜の接触面では、えん層とよばれる薄い層ができて、整流作用をする。即ち、えん層内では半導体から金属に向かう電子は加速されるが、逆に向かう電子はせきとめられるような電場がある。接触面に光が当たると、半導体内に光電効果によって自由電子が増加し、えん層の作用で金属膜に集まるので、基盤の金属との間に起電力を生じる。セレン光電池は効率が低い」。
セレンSeの最外殻の電子の数は6個である。従って、2個の電子を授かるとイオンとなり負の電荷を持つ。従って、2個の電子を最外殻に持つ鉄Feなどから2個の電子を授かりたい。従って、正孔側のセレンと自由電子側の鉄とを接触させることになる。この場合、鉄の標準平衡電位は−0.44Vとかなり低いので、私は−0.763Vである亜鉛を鉄に代えて使用することを考案した。
この場合、亜鉛の融点は419.5℃であるので、220.2℃のセレンを融解して亜鉛板の上に結晶させたい。ただ光電池には共通な問題であるが、セレン部から電流を取り出す端子の設け方が中々困難である。不透明や半透明の端子を使用してはその分だけ太陽光を遮るので発電率は落ちる。セレン面を覆う透明な導電体端子を使用したい。これは蒸着することにしたい。
しかし、このセレン光電池を大々的に普及させるほどセレンは地上に存在していない。その賦存量は0.05ppmと僅かである。将来太陽電池で以て人類の生存に必要なエネルギーを総て獲得することは資源賦存的にもコスト的にも全く不可能である。
風力発電も全く期待できるものではない。その効率は最高で40%と定義されており、この効率近くを上げて採算を出すには即ち定格運転するには風速が12m/sなくてはならない。この風速が一日24時間あれば勿論言うことはないが、世界のどこを訪ねても満足できる土地はない。日本では適地は全く得られず全く期待できない。12m/sの定格とはこの風速に達して初めて発電機が期待される最大出力を出せる風速である。勿論、出現率の最も高い4m/sくらいの風速を定格風速とする風力発電機も製作できないことはないが、現在の製作費を以てしては全く採算に乗らない。1mの受風面積に風速12m/sの風を受けた場合起こる電力は、1/2×1.293kg/m×12m/s×1m×(12m/s)×0.4=447Wであるが、同様に計算して風速6m/sでは56Wにしか過ぎず12m/sの場合の12.5%にしか過ぎない。つまり、通常の弱い風速でも採算に乗る風力発電機は現在の採算性ある風力発電機の8分の1のコストで製作しなくてはならないことを意味する。とてもではないが出来る相談ではない。12m/sの風速と言えば、大枝が動く・電線が鳴る・傘はさしにくい・と言うような風速である。こう言う風速が発生する地域と言えば、海岸線で然も丘でなくては得られず、内陸の広大無辺な荒野では望む可くもない。
風には色々な種類があるが、一般的には太陽熱を受けた場合の温まり方の違いから発生する。陸地は海洋より温まり易い。陸地の上の空気の温度は海上の気温より高くなる。つまり、陸地上の空気が軽くなり低気圧となる。従って、海から陸地に向かって風が吹く。この海陸の気温の差が大きくなればなるほど風速は速くなる。風力発電に十分な12m/sもの風は海陸に大きな温度差がなくては起きない。世界中を見渡しても適地は極く限られており、将来の化石燃料代替再生エネルギーとして期待することは世界的に見ても全く不可能なのである。
すなわち、自然の威力を利用する再生エネルギー利用法としては、私の発明している太陽熱風力発電しか真面なものは現在のところ発明されていない。これは空気を太陽熱で温めて高い煙突に流して空気の流れ即ち風をつくり、その風力で発電しようと言うものである。ストーブの煙突から自然に煙が吐き出されるように、煙突の中の気体と大気の間に温度差があれば、そこに浮力が生じて煙突は機能する。それが上方に昇るのは煙突の出口と入口では圧力に差があるからだと説明されている。
いま、50万mの空気をガラス張りの太陽熱加熱器で温めて400mの高さの煙突で浮力を付けるとする。浮力の大きさは煙突の容積が排除した大気の重さに等しいと言う。その重さは500000m×1.293kg/m×273/(273+25)=514163kg=514.2tである。これを位置のエネルギーに変換すると、514163kg×9.807ms−2×400m=2016958616j=201万6959kWとなる。この浮力はどのくらいの速さで煙突内を流れるかを見ると、トリチェリの定理に見られる如く、煙突の容積に等しい大気柱が自由落下の速度で下降すると見ることができる。即ち、v=(2gh)1/2、従って、(2×9.807ms−2×400m)1/2=88.6ms−1となる。この速度を用いて浮力の大きさを運動のエネルギーとして計算して見ると、1/2×514163kg×(88.6ms−1=2016958616jとなり、上算出の位置のエネルギーとしての煙突のエネルギーと等しくなり、煙突の流速は自由落下の速度であると見たことは正しかったことが判る。
煙突を1秒間に流れる量は、煙突の断面に秒速を掛けたものである。即ち(500000m÷400m=1250m)×88.6ms−1=110750m−1である。これを重さに直すと、110750m−1×1.293kgm−3×273/(273+25)=131186kgとなる。従って、この太陽熱風力発電装置の1秒間の発電量すなわち発電能力は次のようになる。即ち、1/2×131186kgs−1×(88.6ms−1=514903793js−1=51万4904kWとなる。即ち、この太陽熱発電所の出力規模は51万4904kWと言うことになる。
この発電をなすに必要な加熱量は、131186kg×0.717kjkg−1−1×5K=470302kjs−1=47万0302kWである。太陽熱の強さは1kw/mである。従って、太陽熱加熱器の面積は47万0302m=(686m)となる。この場合の熱効率は514904kW÷470302kW=109.5%となる。即ち、掛けた太陽熱を9.5%上回る電力が得られることになる。
これが太陽電池では、470302kW×15%=7万0545kWしか起らない。7.3分の1にしか過ぎない。面積にすると実に343万2708m=(1853m)もが必要となる。勿論、この太陽熱発電には実際では色々とロスがあろうから、加熱器の面積を理論値より30%くらいは広く造る必要があろう。
燃料が掛からず設備費と管理費だけが発電コストであるので、原子力くらいの建設費1kW当り60万円くらいで建設できれば人類のエネルギーの将来には失望奈落はありえないことになる。即ち、51.5万kW×60万円/kW=3090億円であるから、耐用年数を70年とすると、日照時間年間3000時間の所では、3090億円÷(51.5万kW×3000h/y×70y=1081.5億kWh)=2.86円/kWhの出荷価格となり、水素をとる水の電解に使用してもコストに乗ることになる。世界中には、気候的に恵まれた荒野は莫大にあり、たとえ化石燃料が尽きたとしても、降り注ぐ太陽のエネルギーに上手に乗りさえすれば、エネルギーに窮することはありえないように思える。
日本には適当な荒野が無いのはまことに残念であるが、経済協調外交に誠意を尽くし、太陽エネルギーの輸入に腐心すべく、外国の適地を租借しては太陽資源の基地を蓄積して行かなくてはならない。これからの国民に期待される生存の為の努力は太陽資源国に比べれば極めて過酷なものになろうが、どうしてもやり遂げなくてはならない。勿論、資源・エネルギー・食料と交換する先端商品の開発には国民挙げての応援が要望される。ここに提案している再生エネルギー生産装置では是非世界の先端を走り、資源・エネルギー・食料欠乏国の隘路の打開に役立てたい。他国の市民の幸福に真から貢献しうる輸出産業として今後の日本を担うことになろう。
石油と天然ガスの枯渇化は急を告げている。石油は既存の油田が老朽化し、掘削費用が逓増していて原油価格の騰勢は止む所が無いように見える。どこかに広大な新油田が開発されない限り石油に頼った経済は世界的にコスト高で維持できなくなる。私は世界を探せば新油田はまだまだ広く開発可能だと見ている。なかでもカナダのジェームズ湾とハドソン湾とその沿岸地帯には莫大な石油と天然ガスが埋蔵されているように推測している。またフィンランドとバルト海にも莫大に埋蔵されているように思える。
これらの新油田・新ガス田の開発は一時を争う状況にある。アメリカの原油の自給率は30%くらいであり、しかも、その老朽化による採掘費の高嵩はその経済性を喪失する状態に至っている。また天然ガスもその可採年数がもうほんの僅かしかなく、ガス飢饉は目前に迫っている。このままでは石油と同じように世界中から買い漁らなくてはならなくなる運命にある。斯くなれば天然ガスは原油と同じように逼迫し価格の高騰は免れ得ないであろうし、世界中の既存のガス田の老朽化が急速に進むことになる。アメリカ経済延いては世界の経済の浮沈は正にジェームズ湾とハドソン湾やバルト海とフィンランドの石油・ガスの埋蔵如何に掛かっていると言って宜しい。幸いなことにハドソン湾の水深は250mとある。ペルシャ湾の水深は100mと言うからこれに匹敵する好条件下にある訳である。幸運を祈るのみである。
もし、世界的な新油田や新ガス田の開発が可能となり、石油やガスが経済性を回復したとしても、これまでのように炭酸ガスを野放しには出来ない地球環境にあるようである。炭酸ガスの排出抑制は結局は化石燃料の抑制を招き人類に必要な年々の適正経済成長を抑制することになり、職場は縮小し、経済競争上の敗残者を年々逓増させることになり、経済縮小下の社会保障費の増加を招くことになる。社会不安は増大し社会から秩序は逓失し、小数の強者と多数の弱者の殺し合いとなり、安定社会を求め得ない人類史上遭遇したことのない暗黒争乱の時代を永遠化することになろう。過去の如何なる革命も一応理想社会の実現を想定したものであった。人跡と労力を拡大すればまだ自然は人類に未来を与えてくれる可能性に満ちていた。自然に挑む政治経済体制を如何にするかの問題であった。しかし、資源と化石燃料の枯渇化とその採算性の悪化にはその生産体制の変革を以てしては全く対処できなくなった。人類に未来を開いてくれるものは、この地球の悠久を破壊することなく自然すなわち太陽の恵みを如何に授かるよう科学するかにある。もし、再び人類が化石燃料の恩恵に預かることができたとしても、その燃焼がもたらす地球の破壊作用を除去する方法を経済採算的に科学する必要がある。
化石燃料は炭素と水素からなっている。ここから燃焼によって発生する炭酸ガスが地球のバランスを破壊すると言うのである。炭酸ガスのみが或いは他のガスと共に増大することは確かに単独か総じてか大気か地上か海洋かその濃度が高まることであり、従来の濃度が安定的なものであったのなら、そこからの乖離であることには違いない。しかし、地球の大きさは相当なもので自然破壊作用物質を科学的に封じ込めることが不可能ではない。燃料の重さの3倍の重さになる炭酸ガスにしてもそれを海洋に吸収させれば、その破壊作用を大幅に軽減することは可能だと私は科学している。しかし、それが永遠に可能だと言うことではない。地球の大きさが一定である限り、その破壊物質の増加への緩和力も有限である。従って、化石燃料の年々の使用量には限界があるはずであり、その枠内での使用に留まるよう再生エネルギーの開発に着手生産しなくてはならない。
化石燃料が排出する膨大な炭酸ガスを如何に採取して海洋投棄するかにはこれまで多くの論議があったようであるが、実行的に可能な案は殆どなかったようである。地球上の光合成による炭素循環では、炭素は大気および海洋から緑色植物の光合成によって年間2000億トンが吸収固定され、反対に植物や動物の排出物や死骸から1500億トンが大気や海洋に放出され、また300億トンが動植物の呼吸により大気や海洋に放出されると言う(現代新百科辞典3・147頁)。差し引き200億トンが人工的な化石燃料からの排出の大気や海洋の吸収枠となる。そして大気や海洋からの炭素吸収固定量2000億トンの約90%は海洋に吸収され結局海洋植物に固定化される。つまりその殆どが植物性プランクトンとなり、それを動物性プランクトンや魚貝類が餌とし、そして動物性プランクトンも魚貝類が餌とするなどして連鎖的に高等生物に固定化し、遂には排泄物や死骸などの廃棄物となり、炭酸ガスと化して海中と大気に放出される。
地球温暖化論以前のこの光合成をベースとした地球上の炭素循環論が正しいとすれば、現在の世界の化石燃料からの排出炭素量19億トン(炭酸ガスにして69億トン)は難なく海洋を中心に吸収されることになり、なんら心配はないことになる。しかし、近年の地球環境論者によると、大気中の炭酸ガス濃度は増加しており気温も上昇していると言う。
炭酸ガスの排出抑制は世界政治の不可避の課題とされている。しかし、世界の生活必需物資の供給人口となっているアジアの低賃金人口のエネルギー消費の拡大には抑制政策は要求しないと言う。結局は贅沢経済人口の高エネルギー消費の抑制を狙う政治的科学論と言うことが出来よう。高度な生活水準はその建設経済が高エネルギー消費を要求したからなのか、或いは日々の生活維持経済が高エネルギー消費を要求したのか、明確な分析は無いようである。所謂先進国の国土建設が終焉したのであれば、全体的にはエネルギーの消費は減退している筈であり、その分後進国にエネルギーを回せそうである。実際はそうなっているのかも知れない。この経済の地殻変動を覆い隠している経済的混乱はいつに石油の老朽枯渇化から生じる原油生産費の高騰ひいては市場価格の高騰にある。これを世界の為政者が単純な需給の均衡破壊によるとしている所に認識の浅さがあり世界経済の八方塞がりがあると言えるのではあるまいか。
この認識の浅さのよって来たった所が既存老朽化高生産費化油田の延命化を許すことになり、またまた温暖化論の攻勢を必要とする所となったようである。温暖化論が大勢化し、どうしても炭酸ガスの大気中放棄を阻止しなくてはならないのなら、私はここにその方策を提案できる。
炭酸ガス対策はこれまでずっと煙からの採取が主張されて来た。しかし、ここに至ってもそれは理論的にも技術的にも実用化を見ていない。また採取した炭酸ガスは液体化あるいは固体化して廃坑の地下や深い海底に沈めるのだという。常温では気体である炭酸ガスをどのようにしてそのように扱い得るのか納得行かないが、兎に角そう言う説を経年的に波状的に説いては糊口を塗している一団の一応の化学者たちがある。彼らに頼っていては百年清河を待つが如しで全く埒は開かない。
本当に炭酸ガスを大気に放出してはならないのであれば、炭素の水に対する還元作用を利用して水から酸素を奪って水素を採り出し燃料としたい。この際副生する炭酸ガスを水素から分離して海洋表層に投棄するのが最も理論的で実現可能な方法である。これが採算に乗るものなのか否かが大勢となり得るか否かを決めることになる。
これは所謂石炭と水とから水性ガスを採る方法を進化させれば宜しい。この方法が石炭だけではなく石油にも天然ガスにも効くのである。しかし化石燃料を皆水素と炭酸ガスに加工するのであるから、要はどれが一番の多収量であるかだけが問題となり、それぞれの利用性質は問われない無いことになる。ガソリンエンジンの熱効率がもう少し良いものであれば、あれだけの燃料電池ヒーバーは起きなかったであろう。車輪にもたらされる熱効率は約20%にしか過ぎないという。実に使用燃料の約80%が熱と化しロスするのである。これでは幾ら石油が出たとしてもたまったものではない。エンジンの効率化策なくしては今後石油をガソリンや軽油として売ることは長続きすることは望めない。前に提案したような燃料電池に効率を求めて行くことは経済競争の成りゆきとなる。
私は効率化エンジンをも提案している。実験してみなくては判らないが、この案以外に本質的にエンジンの効率化に迫る方法はないと思う。もうエンジンが現発展段階に来て、本質を変えずして色々改善策を弄して見てもその効果は費用を上回ることは殆どない。エンジンの出力すなわち仕事率Wは軸の回転モーメント(トルク)Tと回転数Nとの積である。従来、エンジンのトルクTは回転力Fとクランクの長さRとの積であるとされて来た。燃焼圧力Pが回転力となるにはピストンの往復運動がコンロッドを通じてクランクを回転させることによってであるが、その回転力Fの大きさと方向とはクランク頂点の接戦の上に現れる。しかし、この回転力Fのベクトルの計算方程式には燃焼室膨張Vの変化は含まれていない。従って、Fは上死点ではゼロであり75℃ぐらいで最大となる。燃焼室膨張Vは勿論上死点が最小であり、ピストンが往くに従って増大する。従って、膨張圧力Pとして見る場合には反対にピストンの往行と共に減少する。
従って、このFの逓増曲線とPの逓減曲線との交点がFPの最大値となる。従って、エンジンの実際のトルクはT=FPRとなる。この場合のクランクRはFが接線上にあるのでFに対して法線であるので長さは変化しないものとする。従って、T(θ)=P(θ)F(θ)Rとなる。
そこで、私は、従来の上死点直過で爆発させるよりもT(θ)が最大の所で爆発させるのが好ましいのではないかと提案している。
従って、エンジンの燃焼出力による仕事率power(単位時間当りの仕事)Wは、W=TNである。ところで、カタログでエンジンの性能グラフを見ると、回転数Nを横軸にとった出力W曲線は右肩上がりの一次曲線であり、トルクT曲線は概ね水平である。即ち、どんな回転数の時もトルクは概ね一定であるのでWはNの増加と共に増大する。Nを増すと言うことは具体的にはアクセルを吹かす即ち燃焼燃料を増やすと言うことである。燃焼圧力は確実に増加する。しかし、エンジンの燃焼室が拡大すると言う訳ではない。エンジンのエネルギー燃焼機構は変わらない。上に見たP(θ)とは概念が異なる。つまり、P(θ)は投入燃料の多寡とは関係ないエンジン構造上の燃焼室の変化のもたらす燃焼室の圧力関係変化である。この場合VP=一定である。
トヨタマークXの2500CCの4GR−FSEエンジンのトルク曲線は概ね260ジュール(Nm)の水平線である。上に述べた私の発明で以て言えば、これは上死点直過の爆発のもたらすトルクであり、私の提案するP(θ)×F(θ)最大の所の爆発であるならば400Jにも500Jにもなる可能性があるのである。従ってトルクが大きいと言うことは同じ出力を出すのに回転数が少なくてよい即ち燃料が少なくて済むと言うことである。つまりエンジンの燃料効率が好いと言うことになる。
しかし、これまでエンジンは圧縮比が大きい程熱効率が良くなると言われて来た。このナガイエンジンの場合圧縮比は大幅に下がる。その為、回転力Fの高い値の所を求めても圧縮比がそれを上回って高くなっては得はなくなる。両者を計算した値を示して見ると、以下のようになる。


この場合の回転力Fは、「最新機械応用力学・科学書籍出版」の244〜247頁によると、ピストンに働く力Fpとするとクランク頂点の接線上に現れる回転力Fは、連接棒の傾斜角をφ、クランクの回転角をθとし、連接棒の長さをし、クランクの高さをRとすると、F=Fp・sin(θ+φ)/cosφとなる。そして、sin(θ+φ)=sinθcosφ+cosθsinφ、sinφ=R/Lsinθ、cosφ=(1−R/Lsin2θ)1/2であるから、F=Fp{sinθ+R/Lcosθsinθ÷(1−R/2Lsinθ)}となる。なお、この方程式の証明には次の関係を用いた。Lsinφ=Rsinθ、L=Lcosφ+Rsinθ、180°=(90°−φ)+(90°−θ)+χからχ=φ+θ、α=90°−χ=90°−(φ+θ)、Fc=Fp secφ=Fp/cosφ、F=Fc cosα=Fc cos(90°−(φ+θ))=Fc sin(φ+θ)、従って、F=Fp sin(φ+θ)/cosφである。
また、ピストンの上死点からの変位Sは、S≒R{(1−cosθ)+R/L・1/4(1−cos2θ)}である。この元となる算出式は、S=(R+L)−(R cosθ+L cosφ)である。ピストンが上死点に達した時は連接棒とクランクとが一直線上になる。ピストンが変位しクランクが回転するに従って、R+Lは短くなってR cosθ+L cosφとなる。この両者の差がピストンの移動距離すなわち変位である。
以上から判るように、トルクTは、回転力Fと燃焼室の増大との関係からはクランクθが35°で最大となる。これを燃焼室の膨張すなわち圧縮比の低下による爆発温度の低下で以て修正するとクランクθが20°が最高となる。それは、クランクθが1°の場合のトルクの10.3倍となる。即ち、現在の上死点直過で爆発している場合の効率が28%であるならば、28%×10.3=288%となることを意味する。つまり、燃やした燃料の2.9倍の出力が出ることになる。革命的な熱効率のエンジンと言うことになる。
果たして、斯かる大事になるかどうか確実には言えないが、このナガイハイトルクエンジンは現在のエンジンに比べれば遙に効率的になることは間違いないと言えよう。
述べたように、ナガイハイトルクエンジンが的を得ていれば、世界的に自動車の石油消費量は大幅に減少して行くことになる。従って、石油価格は低下して安定することになり、水素自動車への転換移行運動は下火となろう。そして、自動車の地球温暖化問題も当然緩和に向かい、採算性が乏しければ燃料電池を含めた電気自動車は問題とされなくなるだろう。しかし、化石燃料の枯渇に備えて研究開発を責任ある機関が着実に進めて行くことが大切であることは言うまでもない。
自動車エンジンはその性質上必ず変速機と組み合わさなくては自動車の複雑な走行要求に応えることは出来ない。先に述べたように、エンジンのトルクはT=FRと固定しており、また回転力はF=Fp[sinθ+R/L・cosθsinθ÷(1−R/2L・sinθ)]と、燃焼圧力Fp、クランク回転角θ、連接棒L、クランク腕Rとで固定されている。燃焼圧力を一定と見るか或いは除外してみれば、Fはそのエンジンに固定していることが判る。即ちトルクはそのエンジンに固有な値を持つ。エンジンの出力Pは出力軸の回転角速度にトルクTを掛けたものである。即ちP=2πNT/60である。角速度は回転数Nに2πを掛けたものである。従って、Tはほぼ一定なのであるから、エンジンの出力Pを上げようとすれば回転数Nを上げる以外にないことになる。トルクはピストンの往復運動の回転運動への変換力であるから、これを単位時間内に出来るだけ多く運動させること即ち回転数をあげることが単位時間内の仕事すなわち出力を上げることになる。この単位時間内の仕事の量を仕事率W(ワット)と言う。
先に取り上げたトヨタのマークXでその実際を見てみよう。マークXの4GR−FSEエンジンは最大出力158kw(6400rpm)、最大出力260Nm(J)(3800rpm)、タイヤの直径0.664mである。
従って、時速65キロにおける車輪の回転数は65km/h÷60min/h÷0.664m/rev÷π=519rpmである。この場合に必要なエンジンの回転数はと言うと、大雑把に見て55キロから65キロへの加速パワーに必要な回転数と言える。今65キロの運動エネルギーは1/2×1510kg×(65km/3600s=18.06m/s)=246.3kJであり、55キロでは1/2×1510kg×(55km/3600s=15.28m/s)=176.3kJである。この両者の差246.3kJ−176.3kJ=70kJは55キロから65キロへの加速に必要なパワーと概略見てよかろう。そこで、65キロにおける車輪回転数519におけるエンジン回転数は70kJ以上のパワーを出す回転数でなくてはならないことになる。エンジンパワーはトルクと回転数を掛けたものと定義されている。そこで70kJ=255J×Xrpm×2π÷60s/minから、2622回転となる。余裕を見て2800回転としておこう。この2800回転の出すパワーは255J×2800rpm×2π÷60s/min=74.8kJとなる。この2800回転は車輪の回転数519回転の2800rpm÷519rpm=5.4倍である。従って、デファレンシャルに設けられている最終減速歯車ファイナルの比は5.4でなくてはならないことになる。然るに実際には4.1が着いており、機能が十分に出ない。勿論ファイナルディファレンシャル装置を大きくすると路面に接触する可能性もなくはないので、5.4に出来ない場合には4.1に1.317の歯車対を入れるなどしなくてはなるまい。しかし実際にはトルクコンバータが2〜1の無段変速をしているので4.1は8.2〜4.1の変速範囲にあり5.4はこの変速範囲に入っており実際の走行に支障はない。しかしトルコンのトルク伝達効率は約70%でありこれがしょっちゅう半クラ状態あることはエンジンの効率を物凄く悪くする。エンジンの効率が27%から27%×0.7=18.9%に低下したことに等しい。
ところがこう言う考察をしている過程で変速機の変速比の構成に問題があることに気づいた。そこで、先ずマークXのそれぞれの走行速度における必要パワーを見て変速機の適正な在り方を検討してみたい。

上の2表において求めた必要加速パワーとエンジン出力とを比較してみると、どの走行速度においてもエンジン出力は必要パワーを上回っている。従って、この点から見ただけでは変速機は全く不要である。しかし、40キロ以下の走行速度ではエンジンの回転数が2000回転をきり、必要な出力が出ない。エンジンの回転数を2000以上に上げ、必要なトルクを出さなくてはならない。その為には変速をしなくてはならない。マークXの変速比構成は一速3.538、二速2.060、三速1.404、四速1.000、五速0.713、六速0.582である。従って、走行速度40キロまでは下のような変速を行なわなくてはならない。

これらの作業から判ることは変速は停車発進から40キロぐらいまでの加速に必要なことと坂に差し掛かり車重が増したときに必要となることが判る。
なお、変速比1.000以下の五速0.713や六速0.582が必要であるかと見るにどうも不必要に思える。今、70キロで加速状態から離れ定速状態に入った場合理屈の上ではエンジン回転数は70キロ分の3019回転を必要とするがトルクは通常の255Jより遙に少なくて宜しい。回転数は維持してトルクだけ減少するような歯車の組合せが必要となる。しかし歯車対の対比は歯車数の対比による。即ち円周2πrの対比につまり半径rの対比に比例している。トルクは半径に一定の力を作用したものである。従って半径が長いほどトルクは良くなるが回転数は反対に落ちる。変速比1.000は駆動歯車と受動歯車の半径が等しい場合である。変速比0.713と言うのは駆動歯車の半径1に対して受動歯車の半径が0.713の場合を言う。車輪回転のトルクが1(255J)から0.713(182J)に減少するが、車輪の回転数ではなくエンジンの回転数は1から0.713に或いは0.582に減少する。
いま、70キロで定速運転に入った場合五速で車輪回転トルクを0.713減らして182Jにしたい場合エンジン回転数は3019×182=X×255からX=2155回転となる。また六速の0.582では求めるトルク148Jエンジン回転数(3019×0.582=)1757回転となる。上記の上表から判るように2155回転ではほぼ50キロ走行の場合のエンジンパワー56.3kwに等しく また1757回転ではほぼ40キロ走行の45.1kwの場合に等しい。確かにクラッチを切ってエンジンを外した場合慣性で以て相当の間等速運動を続けるだろうがエンジンを繋いでいる場合果たして慣性を活かすべくパワーを減じ得るものなのか若しそうであればどの程度なのかさっぱり判らない。つまり70キロで定速運転に入ったつまり慣性運転に入った場合空気抵抗や路面抵抗だけを補っていれば安定的に70キロ走行を継続できるのかと言う命題である。一般的に見て、これら抵抗は車重が何%か定常的に増加したと考えて宜しい。然らばクラッチを切断して慣性走行すれば道路が平坦な限りどこまでも可能なように思える。しかしエンジンを繋いでいてそう言うことは経験できない。ペダルを緩めたり締めたりしなくてはならない。この場合変速比1での70キロ走行におけるエンジン出力78.9kwから見ると大幅に小さくてよいと言う出力であり果たしてこれらエンジン出力に即ちこれら変速比に実用性があるのか甚だ疑問である。
ところで、自動クラッチをカップリングにするかトルコンにするべきか、戦後間も無くの一時期アメリカではジェネラルモーターとフオードモーターの間で競争があったようである。現在では両者ともトルコンを使用しているようである。「自動変速機の理論と実際」(桜井一郎・鉄道日本社・2003年)に掲載されている実例では変速比に1以下を設けた物はない。
このような自動変速機における「過ぎたるは及ばざるが如し」的現象はマークXに限られたことではなく世界中の全ての自動変速機に及んでいる。このタイプ即ちトルクコンバーター(自動クラッチ)と自動機械変速機を組み合わせた物を今後も開発し続けるのであれば、その性質を正確に理解してすっきりと合理的な物を開発して貰いたい。
トルコンを自動クラッチに使用する限り効率は大幅に低下するので、昔の手動式のクラッチと変速機への回帰が検討されることになろう。もっとスムースな噛み合いの行なえる物が欲しいし信号待ちなどで停車した場合自動的に一速に復帰する機構の物が欲しい。
上に述べたように変速比の段は3あるいは4で十分であるので、私は遊星歯車列(プラネタリギア)を用いた物を発明している。リングギヤ(内歯車)とサンギヤ(太陽歯車)とで変速比を出すようにした物である。これを必要な段設けるようにする。リングギヤの径は各段一定の大きさとしサンギヤの径とプラネタリギア(遊星歯車)(ピニオン(小歯車)の径を変化させる。プラネタリギヤのキャリヤ(腕)を固定してプラネタリギヤを遊び歯車とし、サンギアに駆動軸を設けリングギヤに被動軸を設けた場合両歯車間に介在するようにする。
いま、変速比を3.724、2.4、1.55、1、そして後退3.5とし、リングギヤの直径を30cmとした場合、サンギヤとピニオンの一体化した歯車列の直径は一速で8.0559cmと10.972cm、二速で12.5cmと8.75cm、三速で19.3548cmと5.3226cm、四速で30cmと0cmそして後退8.5714cmと5.3572cmを2段に設けたものとなる。勿論リングギヤは長い筒の入り口に設け、その中に一速から順次同じ径の各々のサンギヤとピニオンの組み合わさった変速段が進入しうるようにする。各変速段を連結した駆動遊星太陽歯車段の駆動軸はエンジンの出力軸に嵌って噛み合ってスライドさせ得るようにしそれを手動でまたは自動的にスライドさせて希望の変速比を得うるようにした変速機である。
この変速機には摩擦式機械クラッチを用いてもよいし自動式のカップリングを使用しても宜しい。
「自動変速機の理論と実際」(16頁)によると、エンジンのトルクを変換伝達できる変速機では、走行抵抗に適合させる必要のあるたびに、このコントロール機構が、エンジンの状態をよく感知し、同時に車の走行状態についての情報を得て、所用の減速比交換の決心をつけなくてはならない。これからわかることは、どうしても二つの装置を持っていて、それぞれが独自のパラメーターによって作動することが必要となる。その一つは、回転数や車速をパラメーターとして、その変動に応じて作動する装置で、もう一つは、車の走行トルクに対抗するエンジン・トルクの変化をパラメーターとして作動する装置である。つまり、これはエンジンの負荷に応じて作動する訳である。この2個のパラメータは、走行状態の変動に伴ってコントロール装置に情報を流し、この情報によってコントロール装置は、この際に最も有効な決心をとることが可能となる。そして、第1のパラメーターである速度と言う項目を機構的に実現するには、たとえば、伝統的な遠心力ガバナを用いるとか、歯車式油圧ポンプによる油圧の利用とか、直流や交流発電機の電流を用いるとか言う手段である。しかし、負荷と言う第2パラメータを機構的に実現するには、二つの方法がある。それは加速ペダルの動きと言うよりも、気化器のスロットル・バルブの開度によって負荷を表現しようとする方法と、吸気マニホールド内の負圧によって出力を示そうとする方法との2種である。
このように、トルクの変動が容易に感知できるのであれば、もっと簡単な構造の自動変速機はできまいか。また、動力伝達率ももっと向上させてそうでなくても燃焼効率の悪いガソリンエンジンを効率的に使用したい。トルコン自動変速機ではトルコンは半クラの効くカップリング(流体継手)すなわち自動クラッチと解するものであった。そして変速はマニュアルと同じく歯車の組合せの切替えで行なうものであった。この歯車の組合せの切替えを自動的に行なう為に機構が極めて複雑になり重く大きく高価になるのであった。従って、歯車列を使用しない変速機構を考案すれば従来の自動変速機の一言で言えば非常な高価さ克服できる。そして、クラッチをオートにするかマニュアルにするかが問題となる。自動クラッチも現在のトルコンのように液体摺動継手を兼ねているものは継手として機能する場合にはスリップして伝導率が低下する。スリップしない自動クラッチが考案できれば宜しい。
そこで、機械歯車を全く必要としない簡単な自動変速機を発明した。
油圧ポンプと油圧モータを組み合せてする方法である。油圧ポンプはエンジンに直結しその油圧ポンプとそれぞれ一定の変速比を持ちうる油圧モータをそれぞれ直列に連結して推進軸に設け、必要な変速比のモータを選択して回転させ適切な推進力を得るようにした油圧ポンプ・モータ変速機を発明した。
そこで、ここでは油圧ポンプに一応ギヤポンプを油圧モータに一応ギヤモータを使用したい。しかし油圧ギヤポンプや油圧ギヤモータの設計理論は未だ確立していないようである。強いて言えば、パスカルの原理とベルヌイの定理に依存しているらしい。二つの圧力面の圧力は面積の広さに反比例する。二つの圧力面の流速は断面積の広さに反比例する。具体的には、油圧発生と機械エネルギーへの変換にはパスカルの原理が油圧回路の制御にはベルヌイの定理が使用されているようであるが、ポンプやモータの設計となると私の知る範囲ではこれはと言う理論は用いられていないようである。
従って、トルクの計算などにおいてもT=RFを使用してと言うような場面は現れない。油圧ポンプや油圧モータはエンジンや電気モーターと同じ性質のもので、その出力は、W=2πNT/60である。
遠心力は半径R(m)上の質量kgの物質を角速度ω(1秒間に回転して変化する角度2πR/Rsec)ラジアン/sで回転させた場合kg・R・ω(ニュートン)で表わされる。これを角速度に代えて速さで顕せばkg・(m/s)/R(m)(ニュートン)となる(要訣物理・文英堂・111頁〉。半径R(m)上の重さkgの物体を速さm/sで回転させるとN(ニュートン)の力が得られる。この力で即ち1Nで1Nを構成している物体kgをその方向に1m動かす時の仕事量を1J(ジュール)と言う。従ってここにおけるポンプにおいて1Nの力で何kg/mの油を1m間すなわちkg/m×m=kg吐出した場合を1Jと言うと見て宜しかろう。
したがって、ポンプはエンジンの回転数に連れて回転するのであるからトルクがエンジンのトルクに合致するようにポンプの歯車の径と幅を決定できることになる。勿論エンジンの出力がそのままポンプの出力とはならないのでその両者の差の比率分ほどポンプの歯車の径を大きくしなくてはならない。
ギヤモーターは変速比から求める歯車の径をロス率で補正した径とする。即ちRm/Rp即ち例えば(モータの歯車の半径)/(ポンプの歯車の半径)=3.038、2.17、1.55、1.0、後退3.038をη(トルク効率)で除した値となる。
以上に示した計算式は私が考案したもので歴史的認知を得たものではない。この考案を検証して貰えれば幸せである。
それでは、トルコンやカップリングの自動クラッチでなく手動式の摩擦式機械クラッチと手動式変速機を使用したロータリー車RX7(RX8になっても変っていない))の場合を見てみよう。13B−REW654cc×2ロータリーエンジンの最大出力は206kw(6500rpm)、最大トルクは314(5000rpm)、タイヤ直径0.664m、車両重量1260kgである。また変速機の変速比は、一速3.483、二速2.015、三速1.391、四速1.000、五速0.806である。そしてデファレンシャルのファイナルギヤの比は4.3である。


このRX−7の場合、どの走行速度における必要加速力とエンジン出力とを比較して見ると、常にエンジン出力が必要加速力を上回っており、この場合のファイナルギヤの減速比4.3は一応当を得ていると言える。しかし50キロまでのエンジン回転数は2000回転を割っておりこれでは必要なトルクが得られないと思われるので、この走行速度の範囲内では変速機のお世話にならなくてはならない。下に表示することにする。

この表から判るように、60キロに達するまでは変速比を一速から四速まで上げて行かなくてはならないことが判る。また70キロに達して加速走行から定速走行に移ったとしてトルクを節約する為五速0.806で1941回転に落とした場合この回転数での出力62kwで十分なのか皆目判らない。本来なら2408回転の出力77kwが出ていなくてはならなかった。
従って、この五速が必要なものかどうか判らないが変速機とファイナルギヤの設定は良く出来ている車と言える。
なお、150キロ出してその場合の出力が165kwである。最高出力6500回転の206kwには遙に間がある。車両重量1260kgと比較的に軽くて小型なこのRXにはエンジンが途轍もなく大き過ぎるのである。従ってこのRXは大変に燃費が悪いと言うことになる。必要なスピードを出す為には不必要なトルクを以て臨まなくてはならなくなっているからである。このロータリー固有のトルクに適合したもっと大きくて重量のある車に載せるべきなのである。
そこで、クラウン3.0アスリートを見てみることにする。全長は4840mmで車両重量は1620kgである。エンジンは3lで最高出力188kw(6200rpm)、最高トルク32kg−m(314J)(3600rpm)、タイヤ直径0.672mである。
このクラウンの60キロから70キロへの必要加速パワーを見てみる。
1/2×1620kg×(19.44m/s)=306kJ
1/2×1620kg×(16.67m/s)=225kJ
従って、必要加速力は306kJ−225kJ=81kJである。
そして、70キロにおける車輪回転数は560回転である。いま、加速パワー81kJを満足させるエンジンの回転数は、81kJ=Xrpm×305J×2π÷60s/mから、X=2536rpmとなる。少し安全を見て2650回転としよう。この回転数のエンジン出力は84.6kwである。
この3lのクラウンにロータリーエンジン654cc×2=1308ccを載せて見よう。このロンタリーエンジンの最高トルクは同じく314J(5000rpm)である。今、平均トルクをクラウンと同じく305Jとすると、エンジンパワー84.6kwを出すエンジン回転数はクラウンと同じく2650回転である。
クラウンのエンジンの駆動軸は吸気に180°半回転、圧縮に180°半回転、爆発に180°半回転、排気に180°半回転の計720°2回転する。そしてこの間で爆発1回を行なう。総排気量3000ccと言うのは4シリンダー分であるから1シリンダー分の排気量は3000cc÷4=750ccとなる。従って750ccの爆発で軸が2回転することになるから、軸1回転の燃焼キャパシティは375ccと言うことになる。
このクラウンに対してロンタリーはローター1回転につき軸が3回転する。つまりローターは1080°回転で2回爆発する。軸360°回転つまり1回転では360×2/1080=0.6666回爆発する。三角形のローターは3作動面を持ち各作動面で4サイクルを演じている。各作動面の排気量は総排気量1308cc÷3=436ccとなる。従って軸1回転の爆発容量は436cc×0.6666=290.64ccとなる。
すなわち、クラウンは375ccで以て軸が1回転し3600回転で最大トルク314Jを出す。そこにおけるエンジンパワーは3600rpm÷60s/m×314J×2π=118.4kwである。そしてこの場合の総燃焼容量は375cc×3600=1350000ccである。1kw当り1350000cc÷118.4kw=11402cc/kwである。
これに対してロータリーは290.64ccで以て軸が1回転し5000回転で最大トルク314Jを出すのであった。そこにおけるエンジンパワーは5000rpm÷60s/m×314J×2π=164.4kwである。そしてこの場合の総燃焼容量は290.64cc×5000=1453200ccである。1kw当りの燃焼容量は1453200cc÷164.4kw=8839.4cc/kwである。
したがって、ロータリーの1kw当りの燃費はクラウンの8839.4÷11402=0.7753=77.53%で済むことになる。今レシプロエンジンの熱効率を27%とすればロータリーは27%÷0.7753=34.83%にもなる。29%の改善となる。
ナガイ高トルクエンジンが開発されるまではロータリーエンジンは大いに見直されることになろう。勿論このロータリーもナガイ高トルクエンジンに進化しうる。その可能性を見てみたいが、トルク(T)=クランク高(R)×回転力(F)におけるFの計算式を開発する余裕がないので後日に譲りたい。ロータリーの方が確かにTが良いのであるが、この場合Rが長いのかFが大きいのか今の所不明である。
ロータリーの市場占有率を上げて行く場合、まだ解決しなくてはならない課題としてはロータハウジング内に如何にして油膜を提供するかと言うことである。ロータリーではレシプロのピストンリングに相当する物がアペックスシールであるが、ピストンリングがガス漏れを防ぐ気密保持を果たすとともに適切な潤滑油膜をシリンダ壁面に形成させる役割を果たしているのに対してアペックスシールは気密保持の役割だけで油膜形成の役割はしていない。アペックスシールに潤滑油を供給する好い方法が見つからないからであろう。潤滑油を欠いたままでは長時間運転は難しい。アペックスシールが焼け付いたりロータハウジングを傷付けたりする。そこで私は提案したい。燃料に潤滑油を混合して使用することを。
しかしこの場合潤滑油が不完全燃焼して白い煙となるのでこの場合の排気を空気や熱を加えて燃焼させて仕舞わなくてはならない。空気は兎も角熱をどうするか中々名案がないが熱が必要ならその排気を電動羽根車などでかき回して摩擦熱を起すようにしたい。加熱の必要がなく空気を補充しさえすればよいのであっても攪拌は必要であろうから電動攪拌機を設けたい。
このアペックスシールへの給油方法が成功すればロータリーエンジンはエンジンとしての普遍性を持つことになる。ナガイ高トルクロータリーエンジン化を含めて量産方法の研究が進むことになろう。そこでの一番の課題はロータハウジングを切削したり研削したりするトロコイド旋盤の開発であろう。ロータリーエンジンにおいてローターはロータハウジングを摺動することで成り立っている。ロータハウジングのトロコイド内壁を切削研磨するトロコイド旋盤ではローターの頂点にバイトや砥石を設けたい。従ってローター的な回転をするバイトキャリアを支持するにはサイドハウジングで行なうしかない。サイドハウジングに当たる側面支持体にトロコイド曲線の溝を掘りそれに丁度よい突起をロータキャリアに設けて、その突起が溝に嵌ってロータキャリアがトロコイド回転をするようにさせたい。
なお、先のマークXの走行速度における必要加速力やエンジン出力の表からわかるようにアメリカのハイウエーを飛ばすのなら兎も角日本の高速道路を飛ばすにはこのエンジンは高回転が出すぎる。即ち70キロで3019回転80キロで3451回転で宜しいことなる。100キロまでとするならば4315回転止まりで宜しい。この場合ならば1000回転から4500回転までで宜しいことなる。最大回転数を下げるには総排気量を同じとする場合ピストンのストロークを長くする以外ない。V型多気筒を廃して直立4気筒化したり4気筒を廃して3気筒化を進めたりする以外にあるまい。言うまでもなくこの回転数低減化はトルクの増大化を見る。今4気筒を3気筒にした場合のトルクの増加シフトは4÷3=1.3333つまり33.33%である。従って同じ車体では4気筒3.0lエンジンは3気筒(3l÷1.3333=)2.25lで宜しいことなる。勿論この場合の車は車重も軽くなるので総排気量はもっと小さくて済むことになる。
したがって、勿論、高速走行を必要とする国への輸出用と国内用や超高速道路の無い国用とはエンジンも車体強度も全く別造しなくてはならない。ここのところの配慮を欠いて国産車は全てアメリカのハイウエー向きに造られるようなり、国民は相対的に高価格車を強いられるようなっている。石油資源に限りが見えてきた現在斯かる観点から自動車産業政策には肌理の濃やかさが要求される。世界の各国の自動車道路政策をよく知悉すること程大切なことはない。
なお、ロータリーエンジンは上に述べたように回転数低減化は全く出来ない。従って3気筒レシプロエンジンには適わない。しかし高速を必要とする場合はロータリーに3気筒レシプロが適わない。それぞれ適所において適材であることを知らなくてはならない。
以上見たように、マツダRX8は1280kgと相対的に軽量であるので高速が出る筈である。しかし、ロータハウジングへの油膜塗布にこれはと言う目途が立たないで来ているので、長時間連続運転をすることは難しい。そこで、私は潤滑油を混合したガソリンやエタノールの使用を提案したい。「ロータリーエンジン・日刊工業新聞社・昭和50年・94頁)によると、燃料に50分の1ぐらいの潤滑油を混入するとある。しかし、その後の物を見ると、混合燃料の使用は止めているらしい。何故止めて仕舞ったのか合点が行かない。特別な対策は等閑して非混合油に走ったらしい。再び混合燃料態勢を構築したい。
ずっと以前マツダの軽三輪車は川西の混合油エンジンを使用していた。配達用によく売れたが排気の白煙が公害視されたのであろう忽然と街から消えて行った。白煙対策技術に妙案がなかったのであろう。この対策が立ちさえすれば混合油エンジンは効率良く低コストに製造できる。私はその白煙処理に排気燃焼装置を設けたい。なかなか加熱に好い方法が無いのであるが、電動ファンで白煙排気を摩擦加熱する方法を採りたい。空気の補給が必要ならば排気に早い流れを造り上手に吸い込み孔を作って空気を吸い込むようしたい。その設計計算値はベルヌイの定理p+1/2×ρ×v=一定から求めることが出来る。
さて、今日の個人生活において生計を苦しめる最大の出費は住宅費と自動車費である。その為、大多数の人が債務超過に陥っており勤労意欲喪失の最大要因となっている。生き延びるだけの最低生活を必然としている。それ以上の収入を上げてもその分を直ぐ借金取りに持って行かれるからである。従って、他人の尋常な生活を羨むだけとなり全体的な未来志向の政治経済には殆ど興味を示さなくなり、身近な尋常な生活者を破壊することだけに生きる刺激を求める生きざまとなって仕舞っている。大多数がである。政府が住宅政策と自動車の規格制度を誤ったからである。所得階層的な政治経済政策を採ることを同和主義から否定したところに原因があった。即ち、公営低所得者住宅政策を放棄したところにある。また車に必要以上の自動化を進めたところにある。収入に応じた生活を国民に権利と義務として教養づける政治が出来なかったところに今日の政府の権威と財政の破綻がある。
政府は、あらゆる権利と義務を誰かに委譲しなくてはならない状態に陥っている。950兆円に昇る政府債務がそれを如実に物語っている。この国民個人と政府の債務超過をどう清算して行くかが急迫した今日の課題である。これを成し得ないと国家国民経済に正常性は取り戻せず、必需物資だけが売り掛けで以て一方的に流れるだけの跛行的な経済のままとなる。
従って、生活必需物資の流通に必要な最低限の通貨さえ日本銀行が供給するのではなく、政府が財政を通して供給しなくてはならないようなことになっている。これは税収の縮小をスパイラル的にもたらし、その為政府債務は加速度的に増大することになっている。それは他面では通貨の回転率の低下となって現れこれまた不必要な政府債務の増加をもたらす要因になっている。
生活必需品以外の消費財を提供する企業は実需を上回る生産量を上げることをバランスシートを飾る為に即ち株価対策の為に余儀なくされ、その為生産量に見合った売上金の回収困難に陥り給与の支払い延期と法人税や消費税の滞納を余儀なくされているようである。この為政府は予算に計上しない国債を発行して滞納による現金収入の不足分を埋めて行かざる得ないようであり、その為の国債発行高が巨額に上っていると思われる国債残高が計上されている。こういう滞納税額が年々増加して累積する傾向にあると思われ、何らかの徴収策を講じなくてはならない。
この事態の打開には、政府は公務員を経営者として滞納企業に送り込み無責任な経営状態を矯正し経営の現金収支が回復するよう万般に正常化を進めさせなくてはならない。今や従業員の合理化で済む問題ではなくなっており大企業の経営者再構築が必要となっている。企業首脳人事の構造改革が必要なのである。
トヨタは下請け企業の二千数百社に昇る大量倒産によって部品生産態勢は崩壊し国内での自動車生産は不可能になって仕舞った。それら下請け企業の生産財すなわち機械類は恐らく中国であろうと想われるが国外に総て搬出された。従って、国内のトヨタの組み立てラインや塗装ラインも操業不可能となり、結局は部品製造機械の後を追って国外に搬出される運命をたどることになったのだろうと想われる。他社も恐らく似たりよったりで現在国内では自動車は殆ど生産されていないのではなかろうか。事実、自動車メーカーは全社ロックアウトの操業停止の状態にある。つまり、現在自動車産業に就労している現場労働者はいない状態なのである。
にも拘らず、自動車メーカーはどこも好決算を計上し殆どが増配を敢行している。そのことは、機械設備が消滅したにも拘らずバランスシートの資産側と負債側とがバランスしていることを表わしており、帳簿上では依然機械設備は国内の工場に鎮座ましていることになっていることになる。トヨタの使用総資産額は32兆5748億円である。組み立て業者に何故このように膨大な資産を必要とするのか不思議であるが兎に角これだけの資産を持っていることになっており、この中の機械設備は実際には姿を消して仕舞っているらしい。負債側の資本金や借入金が全く減らないと言うことは機械設備を正式に売却したことを意味しておらず、闇の内に消えてその代金は誰かが着服していることを意味する。若し、この推論が当っているとしたら由々しきことで株主への経営者の甚大な背反行為である。この事実を知りながら隠蔽を続けさせている東京証券取引所は証券取引法によって厳しく裁かれることになる。
こう言ったメーカーの在り方は何も自動車産業に限ったことではなく電機メーカーにも同じことが言えるように想われる。輸出統計上では殆ど認めることの出来ない生産額がメーカーの決算上では計上されており、ここにも同じように機械設備の実在しないバランスシートが計上されていると想われる。このことにニューヨーク証券取引所は気づき始めたらしくNECの決算報告書にはクレームを付けたと言う。NECは上場廃止を食らうかも知れない。勿論、ニューヨーク証券取引所の他の日本銘柄も同じ憂き目に合うに違いないと思われる。
従って、日本は輸出産業の主力が尽く崩壊して仕舞っていると言ってもよく、今や日本丸は沈没寸前にある。この危機を外国投資家は嫌いここのところ株価は日経平均で2000余り下がった。外貨準備高の殆どはこれら外国投資家の投資資産で占められているのであるが、この外人売りで大幅に減少したに違いない。終には、食料やエネルギーの手当にも事欠くことになりそうで洵に心寂しい限りである。
私はずっと以前からこの事態の到来を予想し健全化を訴えて来たが、日本の同和思想の支配者は相変わらず諭吉と英世と一葉の紙幣を有り難げに流通させて電磁波で以ての強盗経済を依然としている。現内閣も依然としてその姿勢を強行しており、憲法を改変して軍需産業を起こし国民総動員的に男の仕事を作りだし完全就労を目指し、全国民に年金制度を普及し年金福祉を完行すると言う(美しい国)。一見真面な論理のように想わせるが、現在の国民の置かれている苦難であるカロリー摂取量の後発国並の低水準化に端的に現れているような食料不足や1リットル160円にならんとするエネルギー危機に対して何らの効果もなく、軍艦や戦闘機に国民こぞって噛り付いて空腹を癒すのだと言う。
靖国神社に参拝して東南アジアの反発を挑発し経済交流を疎外縮小し、北方四島の返還それどころではなく南樺太までも返還を要求してロシアとの経済交流を疎外し、原爆に対する恨み節を煽りまた狂牛病を盾に大規模自然農業への反発つまり反米思想を煽り、結局全方位に対する国際的反発孤独主義を国民に連日連夜煽り押し付け続け、片や下層階級に永劫失業状態を押し付けてただ上手い脅し盗りだけを永劫に狙わせ、健全な労働力人口は極く限定化して行き国民を全体的には経済的飢餓に追い込み格差闘争を強化しさえすれば、自分たち現支配層が代々支配層たりうると狂信して愚劣幼稚な政治闘争を健全層健全志望層に仕掛けたり仕掛けさせたりしている。
日本経済とそのよって来たっている世界経済環境をつぶさに正しく認識する作業を重ねて、それを科学的に正しく分析し、国家国民経済の各当事者に協力を求め、各自に夢を描き出して貰えるようにしなくてはならない。これまでの与党の政治は、国民の誰に対しても、「文化的にして最低限の生活」を提供することに責任を持たねばならないことを忘却し、法律に則った管理・監督・周旋までも、民間に出来ることは民間にと自由放任主義を強力に推し進めて来た。従って、免許制度や資格制度などを厳格有効に機能させる為にあった営業規制を緩和して仕舞い、総てを需要供給による市場の調節作用つまりインビジブルハンドに委ねて仕舞った。それは経済闘争の激化を煽り続けることになった。競争は必ず自然淘汰をもたらし、最大経済効果をもたらすように落着くと、ポスト同和対策の経済に一応の均衡性をもたらすと期待されてされたらしく、広範な支持を獲得していたらしいが、同和対策時代に身に付けた泥棒集り主義から経済界は脱却することは出来ず、同和連帯的不正を維持し続けている為、無為無策単純に市場主義良心に期待した市場原理主義者に裏目が出たと言える。市場原理主義ほど不正を防止し不正を摘発し憲法の保障する良心に基づいた勝負を保障する公権力を必要とするものはない。勝って奢らず負けて卑しまず自己の能力の結果を静かに享受する態度を公権力は強制できる自信を矜持しなくてはならなかった。小泉政権はこの公正さの要求を忘却したところに今日の経済破綻を招き鎮めようの無い混乱を残した。そればかりではなく、安倍政権は国民経済への統制主義を台頭させようと、上に述べたような国民経済の縮小化を志向し、島国による海外情報遮断的統制を強めている。
こうなっては仕方無いので上に述べたような企業の不正粉飾を摘発正常化することから始めなくてはならない。そうしなくては、世界中のどの国からも信用信頼されない疎外を喰らった政府と経済界を国民は持たざるを得ないことになり、国民の万般の飢餓に対する不安は深刻化するばかりとなる。
現在の政府と与党は政府を担いながらも無政府主義の様相を見せている。無政府主義とは、国家は私有財産制を維持する強制機構であるからこれからの脱出を色々な思想的運動で以て策する主義を言う。財産は何れにしても代々の歴史的努力の蓄積である。この蓄積を他民族の欲望を当てにして強奪しようとする主義である。私有財産の持つ民族的な共有感情を破壊することからアナーキストやマルキストや同和主義者は略取に取りかかる。従って、古今東西の革命は外国資本の手先となった者たちによってのみ成功している。歴史的に確立している私有財産制を破壊するのが革命である。生命・身体・財産を基本的人権で以て保障するのが日本の法制権力構造であるが、もう何十年にも亘ってあらゆる手段を弄して遵法精神の弛緩破壊を政府は策してきた。今日に至ってもなお私有財産制を否定する同和(水平)共産主義国家の出現を策する勢力は衰えてはいない。
他人の生命・身体(労働力)・財産を認めない限り自己の生命・身体・財産の保障も勝ち得られないことは誰にも解かるのであるが、その格差の存在を煽られると物事の本質を発狂的に忘却し、つい高き山を削りたい衝動に駆られるらしい。正邪善悪の弁えを失神するのである。佐藤政権になって以来この方全面に亘る巨額な同和対策と格差に対する嫉妬を非人間的に為政者は電磁波を操る公務員を使って医者も巻き込み煽り迫害して来たが、確かにあらゆる公職を欲しいままにしたが、その人間性の破壊から来る社会的疎外は強まるばかりで公職者島を形つくるだけに終わるのかも知れない。
これまでの同和主義政治を総括し禊をしない限り、現在の公職者階級は徐々に陰の支配者として市民の耳目から消えて行かざるを得なくなろう。電磁波が存在し続ける間はその社会攪乱者として存在性を顕すことが出来ようが、やがて電磁波が国民から疎外されるようになると社会の闇をさすらう存在になって行こう。
私有財産が巨大化した場合の地代や配当や利息の集中化が進み、経済的な有閑階級を出現させ、これを羨望させて政治勢力を造り出そうとする政治家はあまた排出し一大勢力と化すが、古今東西学問的に私有財産とその生み出す果実を否定した学者はいないようである。より大きな財産形成に対する挑戦にこそ人間本来の生き甲斐があることを国家制度的に否定することの弊害すなわち国家経済からのやる気の喪失は民族そのものの崩壊をもたらすからである。国民のやる気すなわち互いに生命・労働力・財産を守り合おうと言う政治活動を展開するのが、財産の私有制を否定する政治活動をする左派レフトに対して、右派ライトと言うことになる。
したがって、憲法に保障する基本的人権を死守する姿勢がライトと言える。しかし、日本では、軍隊を中心とした同和主義の国家主義的統制経済を主張する派を保守とか右翼とか呼び、マルクス主義の共産統制経済を主張する派を革新とか左翼と呼んで来た。従って、政治家集団としては、右翼と言われている軍国主義国家派のタカ派と軍国主義を否定する共産国家派とに別れてきた。共に究極的には私有財産を否定するので共通的にはアカと呼んでいる。従って、根本思想的に分類すると、私有財産を否定するアカと私有財産制を堅守しようとするシロ?とに別れる。
今日までの我国の経済政策は法制化的にも私有財産の収奪的なものであった。経営者資本主義とか自由主義とか市場主義とかが支配思想と言われてきたが、戦後財閥が解体され財閥派の政治家が生存基盤を失うと革新アカと保守アカとに塗り込められて仕舞い、私有財産制を保守強化しようとする保守コンサーバティブは極く小数派となった。強いて上げれば均衡財政主義で経国済民つまり国を治めて民を富ます保守政治を勇断した池田首相だけと言える。その後の佐藤内閣以後は赤字財政を破滅的に展開するアカ主義政府の出没と言って宜しかろう。
このアカ主義政府は、自民党社会党合同後は左右の区別は全く付かなくなり、マルクス主義的同和主義が横行し、キング牧師の説く、高き山を削り低き谷を埋めて水平を達成しようと動物的即物主義的個人攻撃的社会主義に合同し、所謂社会主義的政府の実現を目指す者はいなくなり、社会主義国家に代えた同和主義社会主義国家を形振り構わず推進しようとするに至っている。地主もいない資本家もいない従って個人資本やファンドもない国家資本だけの国有資本主義を最終目標としている。
従って、経済協力を高度商品化経済国家とは求めようとしなくなり、赤道直下などの地政学的に高度経済の構築達成の不可能な国々のアカ支配層と低度経済国家を共同しようと仲間づくりに生きる道を見いだそうとするようになっている。これらの国の農産物余剰に期待している訳であろうが、我国としてはどんな物を生産して交換して貰えばよいと考えているのか推測できない。
気候温暖化を梃にエネルギー消費社会を否定して行こうとする現政権の低経済水凖社会化における統制経済化主義は今後果たして国民の強い支持を得られるのであろうか。私は、今日においても自然に挑戦する科学者の勇猛心を信用している。現在のエネルギー危機を打開する健全なテーマを与えさえすれば必ずや新開地を開拓してくれるものと信じている。この自然への挑戦を選抜主義で経済合理的に推進したい。エネルギー効率化の追求こそはこれからの資源エネルギーの希少化した社会において何にも況して正道である。このエネルギー効率化使用案を私はここで多様に提案できた。願わくは、世界の資産家から気持ち良く支援して貰いたい。やたら、私の発明発見に利権を漁ろうとする日本のアカ政治家と経営者陣には毎日辟易している。家庭生活環境は尽く破壊されてしまい風呂にももう長期間入れないし自動車も破壊されて乗ることが出来ない。家屋内には泥様なものを撒き散らされ人の住処とは思えなくなっている。また買い物などに出かけた留守には必ず泥棒が入り、用意している資料を持ち逃げたり書き上げた論文を持ち去ったりする。そして、買い置きの食料品に毒を入れたと吹聴する。万一と言うこともあるのでその不経済は相当な額に昇って来た。
そして、これまで何でもない私を精神病と脅迫して病院に何回も拉致監禁した。精神保険衛生法をよく読んで見ると、自己および他人を傷つけない者あるいは犯罪を犯さない者を決して拉致監禁できないことになっている。憲法の第34条の抑留・拘禁の用件、不法拘禁に対する保障は当然精神保険衛生法においても生きている訳である。アカ政治家が怪しい医師と偽巡査を使って一般人が法律を読めないことをいいことにして健全な正論を吐くと不法な迫害圧力を掛けて来たらしい。彼らと病院の支払わなくてはならない賠償金は莫大に昇りとてもではないが我国に住み続けることは出来まい。また、偽診断によって霞めとった健康保険金も計り知れないもので一時も早く病院を畳む以外になかろうと思われる。迫害される人が被っている事実を認めず平気で嘘の仮想を押し付け迫害に加担し怪しき薬などを強制した怪しき医者の非人間性は今後日本が続く限り決して忘れられることなく糾弾し続けられるであろう。また、再び決して斯かる同相主義犯罪社会が日本人に正当化されて訪れることはなく、戦争による法治社会の変換つまり革命もありえないと考えられる。
このようなアカ政治家の活動資金の基盤が不法土地侵奪、無免許業者、無資格者、未完成な不能製品製造業者などである、これらとアカ政治家とは営業利益を奪い合う関係にありながららどうやら共存しているらしい。しかし、経済がもっと逼迫して来るとその奪い合いは熾烈化し事件として表面化しよう。
シロ右派を自認する正統派がこれら無産政治家の犯罪と無免許無資格業者の摘発に健全な生活者としての生き甲斐を抱くようになることも遠くはあるまい。私は以前保守の思想的拠所はどこにあるか色々書物を訪ねたこともあるが、簡単明瞭に要約した言葉はなかった。アカの思想が結局他人の生命・労働力・財産の強奪にあることを思えば、シロの右派の思想の拠所は結局自己および他人の生命・労働力・財産の保護にあることになる。これらの直接的な保護のみならず、その保護の為には憲法の保障している基本的人権の保障と文化的にして最低限の生活の保障の永遠を保守するにある。
同和無産政治家とマルクス主義無産政治家が如何に個人と公共の財産の強奪を狙っているか、そしてその為に如何に個人の基本的人権を侵害するか彼らの毎日の言動がそれを如実に物語った。私は決して望まず毎日中止を希望し続けているが、にも拘らず、毎日の私の研究生活を中心とした総ての生活がどういう電磁波装置か知らないがそれを使ってらしく日本中の人々に携帯電話の場合のように直接放送されている。このような避ける術なく強制されたプライバシー無視の出演に対し国家は人道的な保障をするべきである。高知識高人格の階層の人たちには私の放送は不要かも知れないがそうでない階層の人たちには私からの知識や情報が唯一の拠所らしく極めて大きな啓蒙を与えているらしい。また、私の発明や研究は国民全体の偉大な財産らしく国民の明日を正確に照らしているらしい。にも拘らず、これまでの日本の為政者たちはその国民的人気を抑制する為に私に人道から並み外れた迫害を加えると共に私の支持者に一人ずつ電磁波に乗って迫害を加えている。私の場合だけでは総ての政治家がそうではないが、特定の者たちが福沢諭吉いうところの地域の愚民を誑かし煽っては何十年にも及んで犯罪を継続させ地域社会を同和主義盗賊団と化して仕舞った。完全に一般社会から差別を受ける住民の地域になって仕舞ったのである。
斯かる地域からの脱出を今後如何に進めて行くか、人為的には不可能であるので自然の摂理に任す以外にない。無産政治家政府が現政府で終焉して個人の生命・労働力・財産を基本的人権として保障するべく法体系化している日本の法権力構造を遵守する政権の登場を期待している。それには、家庭の中に何の遠慮もなく土足で踏み込んで健全な生活を破壊する電磁波を法的に規制する必要がある。この電磁波が精神的下層階級に握られているところが今日の同和主義社会を出現させた。このオペレーター達が何れ一般社会の方々に散って行くことになるが、果たして一般社会に溶け込む社会性があるのであろうか。彼らの余生が破滅的であれば、徐々にこのオペレーター志望者は減少して行き、この電磁波産業は崩壊して行くことになろう。自然な人間社会を希望する尋常な人たちは個人の自由を束縛することによって支配者たろうとするやくざ的無産政治家の朱に染まって赤くならないように防衛的に生活し続けなくてはならない。
無産階級が地位を独占し犯罪クラブを形成してちゃらちゃらしてもそれを決して羨望してはならない。低い地位に暫く甘んじなくてはならずとも、曾てアメリカのクリントン政権が掲げた正統な適者にやがて新規巻き直しのニューディール時代が必ずやってくることを信じなくてはならない。
兎に角、旧態的なエネルギー社会を後にして新技術的なエネルギー社会が確実に到来することが判ってきた。旧態エネルギーの殆どはそれまでに歴史的に確定していた土地の所有権のファジー化の為に非効率的にドブに捨てられて仕舞った。戦前の強兵富国路線が兵器産業を殷賑し我国の石炭産業を大海の藻屑として枯渇させてしまったのと全く同じ同和思想つまり土地の水平化思想のもたらす政治現象であった。
近い将来必ず訪れる新技術的エネルギー社会においては絶対に再びこの轍を踏んではならない。明治維新は土地の所有権者を疎外して小作権を市町村の担当者の支配に委ね恰も所有権の移転を支配しているように見せ掛けて食料の増産の為の国家管理の強行の手段として来たところに現代の農地の宅地化の無政府的侵奪を許さざるを得ない原因がある。農業生産は地に落ち宅地化した農地からは一円の経済効果も上がらない。市町村は不法宅地に固定資産税を課すことも出来ず無政府状態を放置していなくてはならない。宅地への転用を法的に管理しえず正に無政府的に放置したからである。農地委員会や登記所が小作台帳とでも言える市町村が管理していた台帳を深慮なく登記簿として使用したところにその素性を知る地域住民に無政府状態を許さざる得なかった原因がある。
固定資産税は土地の所有者に課税することになっているが、所有者を捨象した不法土地占有者に課税することは法律違反である。市町村はその違反を強行しているらしいが滞納者に対してその宅地を差し押さえる法的根拠がない。農地不法転用宅地占有者は小作の継続者みたいな者で所有者ではないからである。強制的に隠蔽されている所有者を表に出して宅地化された農地から地代を徴収するようにし、それに分離課税で地代所得税を課せるようにし、不法宅地化されている農地に経済性を出す可きであろう。
それには、明治維新が江戸時代の地主を地主として認めた上で農業政策を展開して来たか、革命と称して明治政府が土地を奪取して仕舞ったのか、つまり江戸時代の土地所有関係に無政府主義(私有財産制を即ち所有権を法律的権力の絶対的な基盤した歴史的支配制度の否定を主張する主義)で臨んでいるのか、そこらが知りたいところである。そして、江戸時代の土地所有権は本家主義であったのか一族主義であったのかそこらも知りたい。何れにしても政府の持っている土地所有者の正式な登記簿に基づく正統な土地制度を展開しないと公正な政府機構は構成できないしまた公正な機能も発揮できない。新技術的エネルギー時代を防犯的に落ち着いた時代にするには是非とも土地制度の正統な再生がなくてはならない。
現内閣は排出ガス規制を現在の半分にまで規制強化する政治活動をインドやインドネシアやマレーシアやブラジルに協調を呼びかけて展開している。石油資源欠乏国としては当然のようにも思えるが、代替エネルギーの目処なく展開することは結局国内の経済活動を制限縮小して行く以外になく国民は今を遙に超える耐乏飢餓に苦しまざるを得ないことになる。現政府が次代エネルギーを何に置いているのか全く知る由もないが、石油時代の再生はないと見ていることは確かである。でなくては斯かる大幅な削減を可能視することはなかろう。私は世界にはまだ採算性の良い油田が広大に存在しておりその開発に当たりさえすればまた一世紀や二世紀の石油燃料に人類が困ることはあるまいと見ている。勿論、当然新油田に頼ると共に太陽熱の再生エネルギーの開発も並行的に展開して行かなくてならないと思っている。
そして、この新油田が人類に採算的に残された最後の油田であるので出来るだけ長く恩恵に預かられるよう大切に利用しなくてはならないと考えている。特に上に述べたように経済合理的ではなく政治的に無駄使いされることの一切ないように政府を監視する国民の努力が大切だと信じている。
これまで、政府はエネルギーの使用の合理化に関する法律を以てエネルギー使用の合理化すなわち工場、建築物、機械器具の使用上の合理化を中心に総合的な使用上の合理化を推進して来た。新エネルギーの開発すなわち太陽光電池と風力発電機との開発と省エネルギーの推進がその政策の柱であった。しかし、化石燃料代替再生エネルギーの開発はどれもイニシャルな理論的研究の詰めが甘く曖昧さで以て展開した為全く政治的な開発姿勢に終始することになって仕舞い、巨額の財政投入をしたにも拘らず全く成果を上げることが出来なく幕を引かざるを得なくなっている。
他方、省エネルギー政策にも見るべき顕著な効果のあるものは発明されず結局あらゆる経済の縮小を以て臨む以外になくなって仕舞っている。交通輸送中心の経済から情報通信による省エネ代替経済へと構造改革を試みて見たが経済の縮小を食い止める効果は殆ど見られなかった。省エネ政策では経済は破綻して仕舞うことを如実に証明したに過ぎなかった。
エネルギー基本法においても明かなようにエネルギーの効率的使用法の発明によって経済規模の縮小を阻止するそれどころか拡大をもたらす政策を執るべき技術思想に政府は自己の守備範囲内では恵まれなかったなかった。エネルギー使用機器の熱効率向上作戦には自信を見せることはなかったのである。この面の発明にこそ日本の未来が掛かっていたのであるが、有効な発明をなしえた者は政府の守備範囲内では出なかった。私の効率化エンジンの発明などには政府は国民周知の中で妨害を展開した。今日なおその妨害の精神構造は改善されていない。
今もなお、太陽光電池とバラード型燃料電池に固執してこれまでのエネルギー政策の無能振りに対する批判封じに躍起である。私の数々の発明に対しては今なお知らん顔で押し通している。毎日電磁波放送を視聴させられ続けているのであるからまたこれまで案内もしているであるし、私の発明考案を尊重する立場に転換してみるのが良いのではないかと私は思うが、今なお私と私の発明を疎外し続けている。政府は一体どういう科学者の勢力に占拠されているのであろうか。それら旧態依然とした勢力が保身の為に高校や大学における授業内容を実用から遠ざけるなど、また文部科学省は正統な古い書籍を今の学生や研究者から隔離隠蔽して仕舞うなどまでしている。どうも、文部科学省や各大学に正規のルートではなく同和運動で以て席を占めた連中が自己の保身の為に有能な人材の育成の妨害を臆面なく多角的に画策するらしい。
斯かる無能非人格的傍系者を知識階級分野や知識階級育成分野から排除し有能な人格者に入れ替えないと我国の知識階級の水準は低下するばかりで加工貿易立国としての先端的地位が怪しくなるばかりである。同和主義の蛮人を日本の支配的地位から追放するディベート闘争が各組織の支配層間で展開されるようにならなくてはならない。沈黙のインテリでは現状を打開することは出来ない。正々堂々と論争するインテリでなくてはならない。ディスインテリ組が組織内発明とか組織内開発とかを主張して多数な無能者の抱込みを図るに違いないので、彼らの持つ開発テーマを基本から技術的にまで徹底的に追求討論し、その開発後の市場的価値を徹底的に見通す論議をするべきである。開発が障害に突き当たりそこを突破すればと言うのであれば、その突破作戦だけに集中させて勝負を掛けさせなくてはならない。勿論彼らが突破不能に陥ればそのテーマは開発テーマたりうるものでなかったのであるから全員一応身を引いて貰わなくてはならない。
このような開発への取組み姿勢を堅持しないと、何時終わるとも言えなくだらだらと資金を無駄使いするばかりで一向に目途は立たない。果ては今述べたような日本の人材育成にすら妨害を国家的に策するようにさえなる。
新技術エネルギー時代においても依然として、地球温暖化ガスの問題をどうするかが野党的科学者の攻撃の的となろう。今日までの技術開発では余り負担を感じない低コストな炭酸ガスの除去固定化方法は着想されていない。総ては排気ガスから分離除去固定化しようとするもので、ある炭酸ガス吸収液をくぐらせて回収し過熱や化学処理によって炭酸ガスを回収し分離し固定化して海底深く沈めて仕舞おうと言うものであった。コスト的に無理があり、現在に至っても全く採用された例はない。
そこで、私は購入コストが相対的に安くて済む炭素燃料や炭化水素燃料ではそれを燃焼する前に水素と炭酸ガスとに分解させて水素を燃料とし炭酸ガスは海洋に撒棄することを考案した。貴重なエネルギーである炭素を燃焼に用いないで炭酸ガスとして棄てて仕舞うことは大変な損のように思えるのであるが実際に計算してみると得にこそなれ決して損にならないのである。常識を裏返したような発想ではあるが従来の後処理の不経済性をブレイクすることが出来た。
この炭酸ガス前除去の方法を石炭炭素の場合から述べて見る。過熱したコークスに水蒸気を反応させると、水素と一酸化炭素からなる水性ガスが製造できる。これを水素と一酸化炭素に分離して一酸化炭素に水蒸気を反応させると水素と炭酸ガスが製造できる。この両者を分離収集して水素を採る。水性ガスの場合の水素と共に燃料とする。これらの場合の分離にはウラン濃縮に用いるようなガス遠心分離機を使用する。
採れた水素に運搬貯蔵性を付けるには空気から窒素を採取してアンモニアに合成して、液体アンモニアとする。水素として使用したい場合には水と反応させる。瞬間的に水素と一酸化窒素とになる。これを矢張りガス遠心分離機で以て水素と一酸化窒素とに分離し水素を採り燃料とする。一酸化窒素は空気に触れさせ二酸化窒素として摂氏17度まで冷やすとほぼ100%窒素と酸素とに分解する(解明化学I・文英堂・367頁)。こう言う水素の獲得法と貯蔵運搬性付与法と再生法を化学反応式で以て示すと下記のようになる。
3C+3HO→3CO+3H
3CO+3HO→3CO+3H
2N+6H→4NH
4NH+4HO→10H+4NO
これから判るように、炭素3モル36gから一段階として6モル12gの水素が採れる。二段階として12gの水素が10モル20gの水素に化ける。結局、36gの炭素から20gの水素が製造できることになる。
36gの炭素は、36g×7840cal/g=282240calであり、水素12gは、12g×33888cal/g=406656calである。この過程で、406656cal÷282240cal=1.44、つまり、炭素を燃やす場合より炭素から水素を採って水素を燃やす場合の方が44%も発熱量が多くなるのである。そして、水素をアンモニアに加工して水と反応させて回収すると、その過程で、10÷6=1.667即ち66.7%膨らむのである。全過程では、1.44×1.667=2.4つまり140%つまり2.4倍に膨らむ。これなら、色々と反応工程や機械処理を要するが、炭酸ガスの放出防止策として煙から回収するより即ち後処理法によるより、炭素を元に水素を採りその際に出る炭酸ガスを処分する前処理法の方が遙に得であることが判る。火力発電所やセメント工場などの石炭を燃料とする所では是非この考案を採用して貰いたいものである。
この場合に採取する炭酸ガスは前に述べたように液化して海洋の海水面に撒棄したい。海洋は大気中の炭酸ガスを水面から自然に吸収溶解しているのであった。炭酸ガスの溶解度は極めて高く、酸素の溶解度が特別に圧力を掛けない場合0度Cで0.049、20度Cで0.031、40度で0.023であるのに対して、自然な気圧状態で0度Cで1.71、20度Cで0.88、40度Cで0.53である。炭酸ガスは、1気圧0度Cで水の体積の1.71倍も溶けると言う。大変な溶解力である。日本で採った炭酸ガスは出来ることなら北洋に持って行って海面に撒くと宜しい。別に圧力を掛けなくてもこれだけの溶解度があるのである。そして、炭酸ガスは1モル44gと酸素の32gや窒素の28gより相当重いので、一番底に溜まる性質で海洋面から浮き上がる率は極めて低くく海水への溶解に時間が掛かってもよろしい性質であることが判る。
炭酸ガスの液化コストは、「地球温暖化の対策技術・オーム社」の229頁によると、1モル22.4l44g当たり16.43kJ=3.943kcalとある。上記の水素製造過程では、水素10モル20gに対して炭酸ガスは3モル132g発生する。炭酸ガス1モルに対レて10/3モル発生することになる。この水素の発熱量は、2g×10/3×33888cal/g=225920cal=226kcalである。液化コスト3.94kcalはこの水素燃焼カロリーの3.94÷226=1.74%にしか過ぎない。また、輸送コストは1モル0.149kcalと記されているので、これらから推して見て液化海洋撒棄コストは相対的にさして問題でなく、この場合の水素燃料のコストを大幅に引き上げるものとは考えられず、私のこの炭酸ガス固定化投棄法は炭酸ガス気象変動化論者の政治科学論を鎮静化させることになろう。これなら、ハドソン湾に新油田が開発されて安価な石油が大量に出回っても石炭燃料分野で炭酸ガス対策が出来、ナガイエンジンで以てエンジンの高トルク化を成し上げれば、また変速機を上手にエンジンに接続すれば、世界の自動車産業は輝かしい新世紀を迎え得ることになろう。
なお、天然ガス(メタン)からも石油からも水性ガス化法で以て水素と炭酸ガスを製造製造できる。しかし、現在も将来においてもこれら炭化水素のカロリー当たりの価格は石炭より高いと考えられる。炭化水素はそれ自体で燃料としての使用性に富んでおり水素に加工するメリットは全くない。前に述べたようにこれら炭化水素の出す炭酸ガスぐらいは軽く海洋が吸収してしまう。排出される炭酸ガスの90%は海洋に吸収されるとあった(現代新百科事典3・学研・147頁)が、前述した炭酸ガスの気体仲間での水への溶解度の際立った高さを思えば容易に納得できる。
安価な石炭を原料にして水素を採り自動車エンジンに使用する場合、液体アンモニアにして搭載するとしても、エンジンに吸入される場合は気体となっている。液体を霧にしたガソリンに比べて体積は格段に大きい。
ガソリンの発熱量はリッター当たり7700kcalである。水素の1モル2g22.4lの発熱量は67.8kcalである。水素22.4lの発熱量に相当するガソリンの量は、67.8kcal÷7700kcal/l=0.0088lでよい。実に10000分の88即ち113.6分の1である。
エンジンが吸う水素の体積はガソリンの113.6倍にもなる。果たして水素エンジンはガソリンエンジンに比べて馬鹿でっかくならずに済むであろうか。
今、ガソリンはオクタンを採って見る。その燃焼反応式は下のようになる。
8(CHCH+86O→56CO+60H
この場合のオクタンの1モルは99gである。この燃焼に必要な酸素の量は10.75モル344gである。オクタン1モルの体積は、99g÷0.735g/cc=134.7ccである。対する酸素の体積は、10.75モル×22.4l/モル=240.8lである。酸素は空気に体積比で20.95%含まれている。従って、その酸化剤としての空気の量は、240.8l÷0.2095=1149.4lである。エンジンの大きさとしては、合わせてオクタン0.1347l+空気1149.4l=1149.5lとなる。
オクタン99gの発熱量は、99g×7700cal/cc÷0.735g/cc=1037143calである。このカロリーに匹敵する水素の量は、1037143cal÷33888cal/g=30.6gである。この水素30.6gの気体としての体積は、30.6g×22.4l/2g=343lである。水素の燃焼反応は、2H+O=2HOである。水素4gに対して酸素32gである。従って、水素4g:酸素32g=水素30.6g:酸素Xから酸素X=244.8gである。この酸素の気体としての体積は、244.8g×22.4l/32g=171.4lである。空気としては、171.4l÷0.2095=818lとなる。水素と空気を合わせた体積つまりエンジンの大きさは、水素343l+空気818l=1161lとなる。オクタンを燃料とした場合のエンジンの大きさ1149.5lと殆ど同じ大きさであり、水素だからと言って特別でっかくはならない。
なお、前に見たマークXの燃料タンクの大きさは70lである。オクタン70lの発熱量は、70l×7700kcal/l=539000kcalである。このカロリーに匹敵する水素の量は、539000kcal÷33888kcal/kg=15.9kgである。液体アンモニアから水素を採る反応式は、2NH+2HO→5H+2NOであり、アンモニアの水素6が膨らんで水素10となる。従って、5モル10gを採るにはアンモニア2モル34gと水2モル36gが必用である。従って、15.9kgの水素を採るには、アンモニアが15.9kg×34/10=54.1kg必要である。そして水が、15.9kg×36/10=57.2kg必要である。合わせた重量は、アンモニア54.1kg+水57.2kg=111.3kgとなる。オクタン70lは、70l×0.735kg/l=51.5kgである。水素エンジンの場合の燃料の重さはオクタンの場合の111.3kg÷51.5kg=2.2倍となる。歓迎されることではない。
この場合、液体アンモニアと水との反応から採れる水素と一酸化窒素とは車に乗る超小型のガス遠心分離機で分別する。採り除いた一酸化窒素は空気で酸化して二酸化窒素とし摂氏17度に冷やすとほぼ100%窒素と酸素に分解して仕舞うので、この平衡関係を応用した酸化窒素分解装置を搭載したい。
現在、ガソリンはハイオクで1l150円である。税抜きでは96円である。ガソリン1lの発熱量は7700kcalである。この発熱量に匹敵する水素の量は、7700kcal÷33888kcal/kg=0.2272kgである。
平成17年のアンモニアの出荷額は3403600万円であり出荷量は784964トンである。トン当たり43360円である。キロ当たりでは43.4円である。ガソリン1l分に当る水素0.2272kgを採るに必要なアンモニアの量は、0.2272kg×34/10=0.7725kgである。この価格は、0.7725kg×43.4円/kg=33.5円となる。ガソリンの税抜き価格の、33.5円÷96円=35%にしか過ぎない。水素を車の燃料にするには述べたような厄介な加工が必要であるが、これをできるだけすっきりと凌げば、燃料費はガソリンより遙に安くなる。述べたように石炭から液体アンモニアを製造すればもっと安くなる。水素エンジン車の開発は矢張り現在でも人類の夢たりうる。水素を太陽熱風力発電によってもっと安く大量に生産できる時代が来れば水素エンジン車は時代の寵児たりえよう。
水素燃料車は炭酸ガスを排出しない。水素はガソリンよりも遙に安く製造できることも判った。ただ、アンモニアに形を変えて液体化する以外に好ましい輸送性貯蔵性を付ける方法がなく、これが車載燃料としての重量を重くしている。ここがネックで車載重量をある程度軽くする為には車載量をある程度減らすつまり走行距離をある程度短くしなくてはなるまい。
炭酸ガスを排出しても仕方がない。ガソリンに近い性質で輸送性や貯蔵性の好ましい燃料はあるまいか。然も、相対的に安価な石炭を原料としうるものが宜しい。考えられるのはメタノールとエタノールである。
メタノールの重量発熱量は4800kcal/kgであり、エタノールは7090kcal/kgである。ガソリン70lは51.5kgで、70l×7700kcal/l=539000kcalである。この発熱量のメタノールの重量は、539000kcal÷4800kcal/kg=112.3kgとなり、水素の場合の111.3kgとほぼ同じであり、正直思わしくない。
エタノールはどうであろうか。ガソリン70lの発熱量に匹敵するエタノールの重量は、539000kcal÷7090kcal/kg=76kgとなる。これならガソリンの、76kg÷51.5kg=1.476つまり約5割増しで我慢できる範囲と思われる。ところが、現在、エタノールの好ましい合成法が開発されておらず、石油から採るエチレンから合成しているが、そのエチレンの製造に好ましい方法が開発されておらず、仕方なく軽ナフサを高温で熱分解して採るが、その収益率は約30%に過ぎない。従って、極めて高価で1kg約150円もする。従って恐らくエタノールも高く200円/kg近くするものと思われる。この価格では自動車燃料としては全く無理である。これに対し、現在天然ガスから合成しているメタノールは58円/kgぐらいと比較的安い。しかし、今見たように、カロリー当りの重量が重く思わしくない。
安価な石炭を原料として水素を製造する方法を提案したい。コークスを加熱して水蒸気を反応させると水素と一酸化炭素との水性ガスが採れる。この中の一酸化炭素に水蒸気を反応させて水素と炭酸ガスを採る。その反応式を下に示す。
C+HO→H+CO 1
CO+HO→H+CO
両式を合わせると下のようになる。
C+2HO→2H+CO 1+2=3
この場合の水素と一酸化炭素との分離、水素と二酸化炭素との分離にはウラン235とウラン238との分別を行なう場合のようにガス遠心分離機を使用する。
この水素と反応させる為の炭素源である一酸化炭素が欲しい。
2C+2HO→2H+2CO 4
3式と4式における反応から得た水素と一酸化炭素からメタノールを得る。
4H+2CO→2CHOH 3+4=5
この[水素4モル8g]nと[一酸化炭素2モル28g]nとからメタノールを得る反応はこれら混合気体を酸化亜鉛一酸化クロム系触媒の存在で300℃250気圧ぐらいで行なう。
このメタノールは現在1キロ58円ぐらいである。ガソリンは1l税抜きで96円である。ガソリン1lは7700kcalである。このカロリーと同じカロリーのメタノールの量は、7700kcal÷4800kcal/kg=1.6kgである。その値段は、58円/kg×1.6kg=93円となる。ガソリンの96円より僅かに安い。
エタノールの発熱量は7090kcalである。ガソリン1lに相当するエタノールの量は、7700kcal÷7090kcal/kg=1.09kgである。
そこで、メタノールからエタノールを合成できないかと考えた。メタノール2分子から水を取る縮合重合を行なえれば目的は達成できる。
CHOH+CHOH−HO→CHCHOH
この反応を濃硫酸やアルミナAlなどの脱水剤を用いて行なえないかと発想している。
この場合、メタノール2モル64gがエタノール1モル48gに化ける訳である。メタノール64gは、64g×4800cal/g=307200calである。この発熱量のエタノールは、307200cal÷7090cal/g=43.3gである。そして、エタノール1モル48gの発熱量は、48g×7090cal/g=340320calである。メタノール2モル64gの発熱量307200calより10%多いい訳で、このメタノールからのエタノールの合成は一応採算に乗ることが判る。
ガソリン1l7700kcalに相当するエタノールの量は1.09kgであった。これを合成するに必要なメタノールの量は1.45kgであった。メタノール1.45kgは、1.45kg×58円/kg=84円である。カロリーでは、メタノール64gの発熱量は307.2kcalであり、これから縮合されたエタノール48gの発熱量は340.3kcalである。エタノールはメタノールを10.8%上回る。従って、エタノール1.45kgの価格は、84円÷1.108=76円となる。この価格から見て、天然ガス産出国がもう少しメタノールの輸出価格を下げてくれると、メタノールからのエタノール縮合は十分ガソリンに対抗できることが判る。
天然ガスからのメタノール合成の合理的方法を提案しておく。石炭炭素から水素を製造する場合と同じようにメタンに水蒸気を反応させる。
CH+HO→3H+CO 1
この水性ガスをそのままメタノールの合成に用いると、下のような反応式となる。
3H+CO→CHOH+H
が余り無駄となる。つまりCOが足りないのであるから補わなくてはならない。一酸化炭素の製造は矢張り石炭炭素を原料とする以外似ない。
C+HO→H+CO 3
1式と2式の水素と一酸化炭素を加えて反応させると下のようになる。
3H+CO+H+CO→2CHOH 4
つまり、天然ガスからメタノールを合成する場合には、天然ガスだけでは要求される原子の数がぴったり合わないので、石炭炭素をも合わせて原料としなくてはならない、と言う発明である。従って、メタノール合成には天然ガスより石炭の方が向いていると言える。天然ガスを原料としたい場合にはガス田の近くに炭田が存在しているのが望ましいのである。
世界の石炭の可採埋蔵量は4788億トン、年間産出量は27.3億トン、従って、可採年数は175年である。また天然ガスの可採埋蔵量は180兆m、年間産出量は2.6兆m、従って、可採年数69年である。序でに、石油を見ておくと、原油の埋蔵量は1642億トン、年間産出量は34億トン、可採年数は48年である。これらの可採年数は世界経済が少しでも成長を続ければ当然短くなる。従って、エネルギー問題を放置しておけばそれでよろしいと言うものではない。一日も早く代替エネルギーの開発に入らなくてはならない。しかし、当面は可採年数の多い石炭に頼る以外に仕方なのである。
この豊富な石炭を原料としてエタノールを合成できればよろしい。これまではそう言う方法は考案されていない。その合成法を考案した。従来はエタノールはエチレンから合成していた。触媒には燐酸触媒(けいそう土に燐酸を浸み込ませたもの)を用いて300℃でエチレンに直接水を付加させる直接水和法がシェル化学会社により開発され、エタノール合成工場は、総てこの方法に切り替えられた。この方法の収率は95%ある。反応式は下のようになる。
CHCH+HO→CHCHOH
この合成に用いるエチレンCHCHはこれまでは軽ナフサを高温で熱分解して得ていた。収率は30%に過ぎず高価に付いた。現在キロ150円ぐらいする。
ガソリン1l7700kcalに相当するエタノールの量は1.09kgであった。今、エチレンCHCH28gからエタノール46gが採れるので、メタノール28gの価格は、28g×150円/1000g=4.2円となる。この価格がエタノール46gの価格となるのであるから、エタノール1.09kgの価格は、1.09kg×4.2円/46g=99円となる。ガソリンと同じ発熱量ではガソリンの96円を少し上回ることになる。燃料エタノール合成には安価なエチレンの合成法を考案する以外にない。
そこで、私は、原油や天然ガスに比べて安価な石炭を用いてエチレンを製造する方法を発明した。目を付けたのは、カーバイド即ち炭酸カルシウムCaCに水を反応させてアセチレンCを採る方法である。このアセチレンに水素を反応させてエチレンCHCHを合成し、それに水を反応させてエタノールを合成する。下に反応式を示す。
CaC+HO→C+CaO 1
1/2C+1/2HO→1/2H+1/2CO 2
1/2CO+1/2HQ→1/2H+1/2CO
+H→CHCH 1+2+3=4
CHCH+HO→CHCHOH 5
この場合のカーバイドは、生石灰とコークスを電気炉で2100〜2300℃に加熱融合して製造する。即ち。
CaO+3C→CaC+CO
この場合の一酸化カルシウムCaOはこのアセチレンの合成反応において生じたものを繰り返し使用すれば宜しいので、カルシウムは繰り返し再使用できる。つまり、
CaC→CaO→CaC→CaO→
一連の上の反応式の2における一酸化炭素はこの場合のように石炭炭素から採らなくてもカーバイドからアセチレンを採る場合の副産物の一酸化カルシウムを再利用してカーバイドを再生産する場合に生じる一酸化炭素を使用するようにすれば、特別に一酸化炭素を製造しなくてもよいことが判った。上記のエタノール合成反応過程を整理すると下のようになる。
[CaC]+HO→C+CaO 1
CaO+3C→[CaC]+CO 2
CO+HO→TH+CO
+H→CHCH
CHCH+HO→CHCHOH 5
このアセチレンからエチレンをエチレンからエタノールをと製造する一連の反応工程はエタノールを合成する方法としては最も合理的な方法と思える。また、エチレン製造方法だけを採って見ても従来にない無駄のない安価な方法と考える。今後、エチレンの製造法は現在の軽ナフサの熱分解法ではなくこの方法が主力となろう。
石炭からエタノールを合成する方法をもう一方法考案した。「化学IB・II精義・培風館」の216頁によると、触媒としての硫酸水銀(II)HgSOと希硫酸の水溶液にアセチレンを吹き込むと水の付加反応が起こり、ビニールアルコールができる。これは極めて不安定で分子内で水素原子の位置の移動が起こりアセトアルデヒドCHCHOとなる。このアセトアルデヒドに水素を反応させるとエタノールとなる。
[CaC]+HO→C+CaO 1
CaO+3C→[CaC]+CO 2
CO+HO→H+CO
+HO→CHCHOH→CHCHO 4
CHCHO+H→CHCHOH 5
2式と3式における水素と一酸化炭素、水素と炭酸ガスの分別はガス遠心分離機で行なう。
ここで、エタノールエンジンの可能性を見ておきたい。エタノールはガソリンに比べて発熱量が低い。エンジンを大きくしなくてはならないのではないかと心配である。エタノールの燃焼反応は次の通りである。
CHCHOH+3O→2CO+3H
エタノールの発熱量は7090cal/gである。オクタン99g134.7ccの発熱量は、134.7cc×7700cal/cc=1037190calである。このカロリーに匹敵するエタノールの量は、1037190cal÷7090cal/g=146.3gである。エタノールの比重は0.789であるので、この体積は、146.3g÷0.789g/cc=185.4ccである。
上の燃焼反応式から判るように、エタノール1モル46gは燃焼する場合酸素3モル96gを必要とする。従って、エタノール146.3gに必要な酸素の量は、146.3g÷46g/96g(O)=305.3gである。この量の酸素が含まれている空気の体積は、305.3g÷0.2315=1318.8g、1318.8g÷1.293g/1000cc=1019954ccである。そして、エタノールの体積は185.4ccであった。
従って、このエタノールエンジンの容積は、エタノール185.4cc+空気1020l=1020.2lとなる。同発熱量のガソリンエンジンはの容量は1096lであったから、これより7%小さくなることになる。満足の行くエンジンになることが判る。
エタノールは、上述したように、比較的簡単に炭化カルシウムと石炭炭素からアセチレンを経てエチレンから合成しうることが判った。そして、その炭化カルシウムは恰も触媒のように繰り返し使用しうるのであった。今日、アメリカで採用されているトウモロコシから醸造法によって製造されているエタノールに比べれば数段に安く製造することが可能であり、且つ大量十分に製造できる。電気自動車ではなくエンジン自動車を愛する技術者には大きな夢を与え得たことになる。勿論、このエタノール自動車は炭酸ガスを出す。この場合の炭酸ガスは回収して固定化し海洋面に投棄すると言うことは殆ど不可能である。自動車以外の固定的装置で使用する化石燃料を積極的に水素と炭酸ガスに分解し水素を燃料とし炭酸ガスを液化して海洋面に投棄するべきである。
世界の産業界は私の言う新油田の開発に早急に着手しない限り、自動車産業は燃料を石炭に求めて行きうることになった。このエタノール自動車燃料はたとえ原油価格の低下安定を見ても価格的にガソリンと十分に勝負できると思われるので前に述べたナガイ高トルクエンジンで以て開発を進めて見たい。
一時代前達成しえたと称せられた総中産階級化は全くの妄想上のものであった。矢張り人間社会は小数の能力者階級と大多数の大衆とから成り立っているのが自然な姿であることが理解され出している。従って、乗用車もかなりな高級車と大衆車のクラス分けでよいのではあるまいか。大衆車は軽中心で宜しいと思われる。従来の自動車産業は彼らの幻想の所産であった。確りしたマーケッティングを忘却した所産であった。他産業の製品が総て生産費を下げ価格水準を下げて来たにも拘らず乗用車は反対に価格水準を引き上げて来た。国民生活の生計に自動車支出への偏重を可能とし得ると平気であった。自動車と住宅への支出で殆どの家計は崩壊した。入るを量りて出ずるを制す生活を可能とするように政府は総合産業製品生産計画を立て各業界を指導するべきであった。大衆の生活の安定なくして国の安定はありえない。消費者としての国民に入るに応じた生活を指導し、経済界にそれに応えうる生産就労経済を提供するように国は指針を持つべきであった。今日の自動車産業の破綻は国民を総中流階級と仮想しその線上で経営を展開して来たからである。国民生活の真の姿に目を瞑る経営を放縦し得た所以はいつに政府の同和対策支出であった。これからは、国民の生活を破綻させない範囲の物を堅実に提供しうる即ち政府財政に迷惑を掛けない即ち国民の将来に負債を残さない産業に蘇生再生しなくてはならない。
ここまでに述べた私の多くの発明は、やる気があれば必ずや自動車産業に蘇生をそして大衆社会に再生をもたらすのに役立つに違いない。生計維持の範囲内の自動車はどんな現代文明製品にも増して大衆に自由をもたらす。他地域の住民の生活を傍観し産業社会を見聞し広く百見を可能としてくれるものは自動車である。従って、健全な大衆社会を展開可能とする物は自動車である。政治の支配や経済界の支配を調節緩和させうるのは他者との比較検討の可能性である。国民を蛸部屋監禁状態から開放しうるのは自動車である。私はこれからの人生の確かな部分を斯かる自動車の提供に資したい。既存の自動車産業界の重役たちの精神構造は健全性から遙に乖離している。犯罪化は日常茶飯事であり強盗すら辞さない有り様である。斯かる重役の多くが第三国人だと言う。彼らの人種的暴力力に期待する以外に産業の非健全性を糊塗する方法はなかったいらしい。もう我国の自動車産業は倒産清算して出直す以外に無いのかも知れない。しかし、述べたように自動車に未来が無い訳ではない。国民の収入の範囲内に納まる自動車を国民の総てに提供し得るように自動車産業は蘇生再生しえない訳ではないことが私の発明から理解される所となったからである。
アメリカがエネルギー危機に陥っていることは先に述べた通りである。この危機にどう応えようとしているのか、現状が知りたいのであるが、統計以外はっきりしたことを知る手段がない。私は、現状のエネルギー設備を活用してエネルギーが相当大規模に生産できることを発明した。
世界各国の発電設備はこのところその発電規模が大出力化している。その為、需要の変化に応じた発電の一部休止・再開と言うような発電量の調節は全く不可能であり、一度運転を始めると需要に変動があろうとなかろうと24時間フル稼動を継続しなくてはならない。需要が落ちたからと言ってボイラーの火力を落とすと回転数に変動が生じ周波数が狂って仕舞い定格から乖離し需要家の電気装置に向かなくなる。
したがって、需要の変動に対応しようとすれば、発電機を細かく分かち、減少時だけ不要電力分の発電機を休止するようにする以外にない。どう損益分岐の計算をしているのか知らないが発電機を小分けしてはコストに乗らないと結論しているようである。原子力に倣って火力も超大型化しそれを需要の変動に関係なくフル回転させている。需要の低下したときは不需要分が総てジュール熱と化す。発電機がオーバーヒートするので水で冷却しなくてはならないだろう。現在のように、産業用電力も家庭用電力も不況で需要が減退してもフル回転を止める訳には行かない。
これまで、夜間の電力需要減少時にその電力を用いて上流のダムに揚水して昼間に放水発電すると言う所謂揚水ダムは世界各国にかなり建設されたが、どうも発電原価を高騰させるだけのもので、建設価値は全く無い物らしい。そこで、私は考案した。この不需要電力で以て水を電気分解し水素を製造してはと。
大口の水素燃料需要があれば、特定の箇所で大規模製造をしても好いし、また需要が小口に分散すればそれぞれの需要先で水素を製造するようにしても宜しい。アメリカの天然ガスの可採埋蔵量はもう数年分しか無いらしい。業務用にも家庭用にももう直ぐ原油と同じように外国からの輸入に頼らなくてはならなくなっている。この事態にどう対応しつつあるのか情報が手に入らないので全く判らないが、何か手を打ちつつあるに違いない。世界の天然ガス需要を逼迫させ価格高騰を招来することになるに違いない。
不需要電力で以て水を電気分解して水素燃料を採り少しでもこのアメリカの事態を緩和したいと考えている。電気分解を工業的に行なうには、電解液として15〜20%の水酸化ナトリウム溶液を用い、電極にはニッケルメッキをした鉄板を用いる。浴電圧を1.9〜2.5Vで電解すると、陰極に水素ガスが、陽極に酸素ガスがほぼ2対1の割合で生成する(現代新百科事典5・69頁)。アメリカの発電設備は10億4968万5000kWである。この設備がフル稼動しているので1年間に発電している電力量は9兆1952億4060万kWhである。しかし、実際に売れている電力量は3兆9705億5500万kWhである。差し引き5兆2246億8560万kWhつまり56.8%もが売れないでいる。
この不需要電力で水素を採るとすると、どのくらい採れるであろうか。水素1g採るのに26.8Ah・2V即ち53.6Whが必要である。従って、5兆2246億8560万kWh÷53.6kWh/kg=974億7548万kgの水素が採れる。この水素を発熱量に直すと、水素1gのカロリーは33888cal/g÷0.24cal/J=141200J/gであるから、974億7548万kg×141200kJ/kg=13763538兆Jとなる。現在のアメリカの天然ガスの消費量は24159000兆Jであるから、不需要電力から製造できる水素の発熱量は天然ガスの消費発熱量の57%に当ることになる。カロリーの点から見れば天然ガス危機に相当対処できることになる。
しかし、水素の体積あたりの発熱量は天然ガスの3分の1である。即ち、水素は12607kcal/mであるのに対しメタンは39479kcal/mである。従って、現在のガス管をそのまま使用する場合には輸送圧力を3倍にしなくてはならない。そして、ガス管の届いていない地域では、業務用や家庭用の水電気分解装置とポンプ付水素タンクを設けてそれぞれの箇所で水素を製造して使用しうるようにしたい。この非都市ガス地域用電気水素発生装置は、石油の枯渇化高騰化が進みプロパンガスが不足の進展具合によって、各事業所や各家庭にどんどん普及して行くことになろう。プロパンに替わるガス燃料装置として世界的に莫大な普及を見ることになロウ。新しい家庭機器の登場である。
なお、この電気水素発生装置の電解の開始停止は、変電所など必要な適当な箇所に電力計を設けて需要電力状況を知り、それと供給可能電力との差を知り、これから各電気水素発生装置の自動スイッチの接断の時期を知り指令作動するようにして行ないたい。この指令電流は専用の電線を張って流しても宜しいし電力電線を高周波で流しても宜しい。
また、電解液の水素の元となる水は水道から自動的に供給補給されるようにしたい。
それでは、各国の総発電設備とその総発電量そして総売電力量を見て、総不需要発電量を算出し、それから採れる水素の量を計算し、原油の消費量と比較して見る。

我国の総発電設備は平成17年末で2億7446万8000kWである。これがフル稼動して発電している量は27446.8万kW×24h×365=2兆4043億3968万kWhである。この中で実際に売れている量は1兆1579億1100万kWhである。従って、売れないで即ち負荷が無くて電流が要求されないで発電機で熱となっている量は1兆2464億2868万kWhにも達する。実に51.8%と半ばを上回っているのである。この不売電力で製造できる水素の量は232億5427万kgである。この発熱量は3283兆5024億kJに達する。
我国の都市ガスの消費量は1240兆8420億kJであるからこの2.65倍にもなる。そして、ガソリン消費量2125兆kJの155倍であり、軽油消費量1434兆kJの2.29倍、灯油消費量1018兆kJの3.23倍、重油消費量1692兆kJの1.94倍である。よしんばLPGが枯渇して仕舞ってもその消費量702兆kJの実に4.68倍もあるのであり、先に述べた業務用家庭用の電気水素発生装置で賄えば遙に余って余りがある。
このように、不需要電力で採れる水素の量は莫大である。早くこのことに気づけば我国はじめ世界の国々はそれほどエネルギー飢餓に悩むことはなかったかも知れない。そもそも今日の政治経済構造不況の是認は昭和48年10月の第一次オイルショックから昭和54年1月の第二次オイルショックによって顕在化した石油の枯渇現象に対してどういう産業政策を採って以後対応して行くかが課題となり、アメリカを除く先進各国は総体的な省エネルギー政策を推進することになった。脱工業化社会への進化である。即ち、エネルギーを基礎とする工業に代わって、知識・情報・サービスなどに係わる産業が重要な役割を果たす社会への移行を国策として行った。新産業としてパーソナルコンピューターとそのコンテンツとしてのインターネットそしてケイタイとそのコンテンツとしてのメールを登場させてエネルギーの消費を節約した完全雇用型の社会を可能としようとした。
しかし、実際には従来通り住宅建設と自動車生産に依存せざるを得なかった。反面公共建設事業が減少し続けたので国民総生産は横這い気味であり、エネルギー消費量の伸びは抑えられてきた。ここの所のイラク侵略による石油危機による石油価格の高騰が自動車産業を中心とした経済の破綻をもたらし住宅建設産業をも崩壊させて仕舞った。勿論、インターネットもメールも崩壊状態に陥り、輸出は健全適正製品を喪失して仕舞い、食料やエネルギーや資源の輸入に必要な交換製品に窮して仕舞う事態に陥っている。脱工業化政策は完全に失敗して仕舞い脱エネルギー化では立国できないことを如実にした。
やはり、経済は必要にして十分なエネルギーに立脚した国家国民経済を確立しないと成り立ち得ないことを知らされた。先進工業国において脱エネルギー社会を目指すことは雇用状態の破壊をもたらす何物でもなく、政府は何にも増して完全雇用に必要にして十分なエネルギーの確保に経常的に全勢力を傾注していなくてはならないことを国民は深刻に理解するところとなった。にも拘らず、政府は今回の参議院選挙により国民からその無能振りを深刻に指摘されたにも拘らず政権を他に譲る真摯さがなく食えないからと地位にへばり付こうと居座りを決め込もうとしている。
政権担当能力を喪失しているとして国民から支持を失った現自民党がこの新親エネルギー社会への蘇生再生に立ち上がれる人物を欠いていることは毎日の国民に対する人間性を否定する電磁波を使った迫害的言動に端的に現れている。国民は精神的肉体的経済的苦痛苦悩を余儀なくされているが、ここに提案したような私の多くの発明に日本の未来を託して危急窮乏に堪え忍んでいる。
長い間能力主義を否定し続け、人間平等主義によって政府を運営してきた政府首脳者たちは自己の人間性に基づいた知能と人格を破壊して仕舞い国民の幸福を願い施策する倫理性と能力を喪失して仕舞い財政であろうと個人資産であろうと金の溜まりが在りさえすればそれを奪取しようと襲いかかるだけの存在に成り下がって仕舞っている。今や国民が近代的合理主義に基づいた憲法によって保障されている基本的人権として保障されている個人主義的自由主義を基本理念とする近代国家から国民が政府によって基本的人権を蹂躙され続ける野蛮愚民主義の三等国に崩落して仕舞った。
この政府の国民への電磁波による迫害を以てする野蛮無政府化政策で以て国家と国民を戦前的な再軍備に追い込みたいらしい。世界情勢的には全くの妄想と言わざるを得ないが、国民の安定的な精神を苛立たせるには非常な効果がある。経済合理性を無視した平和(戦争もなく世の中が穏やかであること、争いや心配事もなく穏やかであること)破壊主義を平和憲法を改変して推進しようと言うのである。近代文明の漸進的な善良な進歩によって完全雇用を達成し治安と公衆衛生の行き届いた平和な国家の達成を何時かはと期待して来た良心ある国民にとってはその希望達成を遠方化する政治勢力の台頭化であるから善良な国民は失望と憤怒で心を掻きむしられる思いに曝させらている。一言で言えば、政府の政権維持の為に長期間行なった同和対策による暴力的愚民化政策によって正常な労働力を心身に付けえなかった結果愚民たらざるを得なくなっている多くの国民を行く行く戦争を起こして戦死させて仕舞おうとするのである。
お札の肖像の福沢諭吉の言う「およそ世の中に、無知文盲の民ほど憐れむべく、またにくむべきものはあらず。知恵なきの極みは恥を知らざるにいたり、己が無知を以て、貧窮に陥り、飢寒に迫るときは、己が身を罰せずして、みだりに傍らの富める人を怨み、甚だしきは、強訴一揆などとて、乱暴に及ぶことあり、恥を知らざるとやいわん。法を恐れずとやいわん。斯かる愚民を支配するには、とても道理を以て諭すべき方便なければ、ただ威を以て脅すのみ]と言う状態に大多数の政治家とその支持母体である非就労集団がもう長期恒久的に陥没している。斯かる就労せざるして食って行く政治勢力は一部の上位者を国会や県会や市会などの議員の地位に就け国家財政からの略奪を続けて来た。しかし、生活環境を向上させると言う所謂公共投資は飽和状態に達し彼の政治勢力はリベートを略奪しうる財政支出先に窮するに至っている。即ち今や非就労集団は上から下まで活動資金や生活費に窮乏する状態に陥っているのである。
彼らの妄想の対象は兵器製造産業に向かっているのである。どう見ても現在の我国に兵器の必要があり亦その産業が成り立ちうべき産業的基盤が存在しえているか全く疑わしい。にも拘らず憲法改変へと進運して健全な良心の国民を圧迫し続けるには兵器でも火器では無く電磁波兵器への固執に拠っていると思われる。しかし、その現状を見るとこの電磁波兵器も飽和状態に達していると思われ、その政府購入の拡大に拠るリベート収入は見込めそうにない。ただ、そのオペレーターが就業し続ける為に軍国調への移行の姿勢を要求しそれを受け入れて無能無産政治家階級が踊り続けて国民生活を迫害しているように思われる。
したがって、我国の上層階級が暴力主義の無知蒙昧の輩の鎮圧と輩出の抑制には軍国調が必要だと浅薄に勧誘されてはならない。福沢諭吉も上に見たように道理を以て諭すべき方便を失って威を以て脅すべく当時の政府の西洋軍備文明による強兵富国政策を弁論しているのであるが、この強兵政策と富国政策とは背反する政策であり軍国主義にのみ偏重せざるを得ず、とどのつまり敗戦して仕舞いその結果は資源とエネルギーの浪費だけに終わり我国を第一次鉱業産品欠乏国に落とし込めて仕舞ったことを忘れてはならない。
上に見たように、この西欧軍需文明の輸入による強兵富国政策の必要性を具体的論理的に説いて理論的主柱のイニシアティブを執ったのが一万円札の福沢諭吉であった。そしてその強兵富国政策は国民生活経済を破壊すると強兵政策と富国(国の経済を豊かにすること、経済とは世を治め民の苦しみを救うこと即ち生活を安定させること)政策との背反性を説いたのは中江兆民であった。
中江兆民は「それ兵士を養うことは経済の道に反することこれより甚だしきはなし、何ぞや、国家多兵を養うときは租税したごうて重からざるを得ざればなり、ここに知る、富国強兵の二者は天下の最も相容れ難き事なることを。我らつらつら欧州諸国の形勢を察するに、その文物の豊備にして学術の精緻なる、実に人をして欽羨憬慕(尊敬しつつ羨ましく思い且つ憬れ慕う)の情に堪えざらしむる者あり。しこうして彼らもまた自ら奮張して宇内第一の文明国と称し、アジア地方の人民を視るとき蛮野鄙陋を以てこれを軽蔑するの意あり、然るに彼の諸国の他邦と往復交際するを観るに、往々騙詐の計を用い、詭譎の謀を行ない、甚だしきは地を割いてこれを拠有するに至る。人のその強を尊びて弱を賎しむの情は、道義の為にして発すべくして、私欲の為にして発すべからざること、あに照々然明白ならずや、然ると雖も、己れの強盛をたのみて人の微弱なるを軽賤し、己の文物に誇りて他国の鄙野を侮辱するの悪弊は由りて来たること既に久しきを以て、一朝に除去せんと欲するも実に為し易らざる者あり、己の開化に矜伐して他邦を凌蔑するが如きは、あに真の開化の民と称す可けん哉。若しそれ弱小たる小国にして、敢えて大国の為に倣うときは、何を以て国を保つことを得ん、顧うに小国の自らたのみてその独立を保つ所以の者は、他策なし、信義を堅持して動かず、道義の在る所は大国と雖もこれを畏れず、小国と雖もこれを侮らず、彼れ若し不義の師を以てこれに加うるあるか。挙国焦土となるも戦うべくして降る可からず」。
このように、兆民は諭吉と違って兵力で以て無知蒙昧な愚民を抑えることは国策としては経済的に成り立たないと論断している。また、これに対して、諭吉は当時流行ったダーウィンの進化論を援用してこうも言うに至る。「元来教育の主羲においては、人の天賦を平等一様のものなりと見做して、その能力の発達は教ふるものの巧拙と学ぶ者の勤惰如何とに在るものとして奨励することなれども、これは所謂誘導の方便なるものにして、実際において人の能力は天賦にあるを常とす。そもそも人生の天賦に斯く強弱の差あるは決して偶然にあらず、父母祖先の血統に由来する」。つまり、愚民たるのは遺伝すなわち血統が悪いからであるから仕方がないのだ従って社会的地位を望むことは所詮できないだと言う。そういう愚民抑圧法を説いたのである。
そして、愚民対策としては、「博突の得失も解し能はざるこの人間世界に、人々の自力を以てその向かう所に向わしめんとは亦危なからずや。故におよそ道理の手引きとなるべきものなれば、仏法にても神道にても、金比羅様にても、人民の知識の度に従いてその数を守りてべきなり」と説いている。道理らしきものを身につけさすには所謂宗教で以てその入り口に立たすのが宜しかろうと言うに至っている。つまり、民衆への学問の進めの無力を悟るに至っているのである。
よく判らないが、彼は結局学問と血統のあるものしか政治経済を語り合えるものはいないとするようになったと思われる。学問をするにしても即ち西欧文明を学ぼうとしても家柄がないと西欧文明を理解し受け入れる学問的伝統が身に付いていなので満足には行かないと言っている。彼は最初自分の祖先は信州の寒村の一小民である、貧しい村の名もなき民衆の一人に過ぎなかった、それを誇りにすると言っていたそうである。しかし、国民啓蒙商売で成功を納め財政的にも安定を獲得したのであろう晩年には自分の子供に対して自分すなわちその子の祖先は由緒ある名家であると言い出し、それを誇りとせよと言い出したとある。
このように福沢諭吉を見て来ると、今日まで彼を人間平等主義すなわち同和思想の元祖と見做そうとしたことには無理があり正しいとは言えないと思われる。
明治になって西欧文明を土台とした軍備中心の資本主義を押し付けられた我国がその発達進化に従って資本主義が労働者を逓増的に輩出して行くに従ってその労働者を地盤としたマルクス主義の社会思想家が跳梁跋扈しそれが社会運動化して行った。それに経営者層が対抗して労働者階級の対抗勢力を作らんとして職の無い階級すなわち無産階級を纏めることに乗り出したと思われる。勤労者階級との現実的な生活格差をあげつらって勢力を張る無産同和政治家を輩出させたのである。労働者階級には当りは軟らかく高級サラリーマンには当りのきつい勤務妨害家庭生活妨害を無就労階級に同和対策で最低生活を保障して常套化させた。そして、封建時代の支配階級の高級な生活を我が家と私とを強制的に毎日電磁波で以て覗かせることを強行してきた。それによって伝統的な日本の文化と言葉を啓蒙しぼんやりではあるが世界に優越した国粋的精神作用を醸出した。にも拘らず、私や家族への敬意と感謝の念を抱かさないように空き巣窃盗と家屋や車の破壊と生計破壊と生活妨害で以て就職を破壊し生活水準を強制的に低下させて同和階級同様な貧困生活を強制して国民大衆の尊敬の念を抑圧し出来るだけ馬鹿扱いをさせようとした。
戦前の同和対策時代に発祥した無産同和政治家の系統が政治家支配階級として世襲化を勝ち得たが、どうしても所詮手に入らないのが歴史的家柄でありまた名門の深窓的育ち即ち家庭的育ちの女性である。彼ら政治家の万事低級振りと盗賊的犯罪性と家産潰し的性格が強く警戒される為である。従って、家族も美術品も歴史あるものは総て破壊して仕舞い日本の歴史に国民を盲目にしようとする精神作用を強行した。そうすれば学問的知識と正善な人格は放棄しなくてはならないが同和政治家としての歴史的家柄が誇れると来る。
戦前も戦後もそうであるが、資本主義が成熟して即ち資本集約的となってその結果排出する過剰労働者をマルクス的社会主義の労働組合と社会主義政党が面倒を見る能力を失って仕舞うとその過剰労働者即ち無産階級者を地盤とする所謂無産タカ派政党政治家の台頭を見ることになるのであるが、その政治思想は富める者・学歴の高い者・家柄の誇れる者すなわち高き山を削り落としさえすればよいと言うつまり人間社会においてその上流性を保っている正邪善悪を判断する基準である公序良俗を破壊しさえすればよいとする同和思想勢力が形成されて行った。同和無産タカ派政党の形成拡大の実態である。
科学的に資本主義の矛盾を克服して行こうとしても現実的に発明や殖産興業の出来ない社会主義者もその無力感からいつとはなく社会福祉を政府に求めさえすればよいとするようになり、差別排除・格差排除主義で以て裕福安定層の破壊だけを政治するマルクス主義的同和主義タカ派主義者に化けていった。また、資本家階級や地主階級や漁業権などの権利者階級や延いては各種の資格者や免許者や選抜試験合格者や熟練技能者などの階級を擁護保守する保守政党までもが無資格・無免許の営業を取り締まる気力さえ喪失して何時とはなく同和無産タカ派政党化して仕舞った。その主たる原因は政治家としての資質能力と資金力に欠ける世襲者が他に生きえる道を探しえず短絡的に親の選挙地盤から国会議員などの公職を目指しまた政党がそれを受け入れる共済組合化してしまったからである。
したがって、世襲議員は押し並べて有権者の注目を集める学歴・職業歴・政治活動歴が欠乏しており、国民の期待に応える政治力に欠けている。所謂期待される人望が無いのに当選しようとするので、ひっきよう無産な愚民を票田とせざるを得ず、愚民らは所得に飢えているので結局彼らの票を買収してやらざるを得ず、その買収費用をけちる為には愚民の生活程度を生存ぎりぎりにしておく必要があることになる。そして、その買収行為が隠蔽され続けまた最低生活に押さえ込む為には空き巣狙いや家屋壊しや自動車壊しなどを常習化させ警察の抑圧支配を可能として置かなくてはならなくなる。常に他人に平穏丁寧に接することのできない人間となり何事にも暴力的に肩肘張っていなくてはならない存在となる。所謂典型的な非人タイプとなる。このタイプの国民を無産世襲議員の支持票田とする為の諸同和国家政策を採るのが所謂「待ちの政治」と言われるものである。即ち本質的には無政府主義的な放任主義政治姿勢と言える。即ち国を治め民の苦しみを救う即ち民の生活を安定させる経国済民の政治とは根本的に違うのである。つまり私的財産制を維持する強制機構である政府を破壊して行こうする政治勢力化である。私有財産制度と基本的人権の保障擁護を基本とする法律的国家機構を破壊して行こうする共産奴隷化軍国主義政策の政治姿勢である。一言で言えばアカタカ派主義政党である。経国済民の政治姿勢は国を治め民の苦しみを救う政治姿勢であることは先に知った。この政治姿勢は市場の自然有機的な調節作用に任せるとするのではないので施策の目安となる基準が必要である。現在の経済学においてこの基準を与えてくれるのはケインズの提唱した「有効需要の水準」以外にこれはと言うものはない。この水準を財政金融政策で以て常に収斂的に管理することによって総需要である国民所得を安定的に成長させ完全雇用を常態的に達成するようにするのが経済即ち経国済民である。
然らば、有効需要とは何か。現代新百科事典6の527頁によると、財に対する単なる欲望(潜在需要)ではなく、その価格を支払うだけの、貨幣的購買力の用意をともなった欲望の大きさであり、消費の需要と、設備や原材料在庫増加のための投資需要とに分けられる。これに外国からの需要(輸出)が加わり、外国への需要(輸入)が差し引かれる。さらに政府需要(財政支出)も加わるが、これは政府の財貨・用役に対する消費需要と公共投資などの投資需要とに分けられる。経済社会全体として生産能力に余裕のある場合、経済活動の水準は有効需要の大きさで決定される。有効需要の大きさが生産能力を全部稼動させる程でなければ労働力と生産設備は遊ぶことになる。反対に、有効需要の大きさが生産能力を超える場合には物価が騰貴することになる。
そこで、財政金融政策の元である財政とは何か。財政は、私的財産と個人の生命を保護する為に公共的権力(政府)の必要が認識され、自由資本主義経済になってはじめて発生し成立したが、その発展期においては国民経済に占める比重は小さかった。資本主義が発展し、大規模な独占企業の出現、市場価格による需給調節機能の喪失、供給過剰状態の長期化、大量失業の慢性的な発生などが見られるようになると、有効需要の喚起、失業救済を目的とする公共事業費・社会福祉費の増加が生じ、これに戦争技術の高度化による軍事費の増加が加わり、先進資本主義国の財政支出は現在では国民所得の20〜30%にも達しており、その役割・仕組みも多様化・複雑化してきている(現代新百科事典3・395頁)。
また、金融政策は、貨幣信用の需給を調整して、国際収支の健全化、物価の安定保持の為に、通貨・信用の動向を直接間接に調節する政策。管理通貨制度の運営の上で最も重要である。資本主義経済・自由主義経済は、貨幣および信用を通じて総ての経済活動が行なわれる経済である。従って、国民経済の健全な成長を実現し、景気を安定させる為には、貨幣信用の量的調整を行なう主な政策は、公定歩合政策・公開市場政策・準備率制度の三つである。最近は、消費者金融、或いは証券金融が発達したので、欧米諸国では景気調節の為に上の三つの政策の他に、特に消費者信用の調整や証券売買金融の調整なども行なうことになっている。また、特にインフレーションを防ぐ為、或いは資金の効率的利用を強化する為に、不急不要の資金用途を禁じたり、一定の目的に沿った資金の貸し出しを強制的に金融機関に行なわせる場合もある。しかし、これは資金の直接的統制になるので、緊急事態を除けば自由主義経済のもとでは行なわない(現代百科事典2・632頁)。
日本銀行は、銀行券を独占的に発行し、銀行の銀行として市中金融機関との預金・貸出取引などを行ない、また政府の銀行として政府との預金貸付取引、国庫金の取り扱い、外国為替の売買などを行なう。また、日銀政策委員会の決定を通し公定歩合の変更・公開市場操作などの金融政策を実施する。
金融庁は、金融制度の企画・立案・民間金融機関の検査・監督等を担当する。
経済すなわち経国済民すなわち国を治め民の苦しみを救うと言うことは、詰まるところ憲法第25条に言う「1 すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなくてはならない。」を中心とした基本的人権を保障すると言うことであろう。この状態を端的に言えば国家国民経済に完全雇用が達成されていると言うことであろう。現代の政府はこの完全雇用達成の為に万全な施策を実行しなくてはならないことになる。この完全雇用が達成されているか乖離しているかは完全雇用の函数である国家の有効需要の水凖が如何にあるかを知らなくてはならないと言う。ではその有効需要の水準からの偏差収斂を如何なる経済指標から知れば宜しいかケインズ自身も的確にはつかんでいなくて総需要と総供給のあり方で知りたいとしている。しかし、実際には総需要函数曲線と総供給函数曲線を概算的にも描き出すことは難しい。私は端的に名目国民所得と物価指数とから時系列的に見て判断するのが概略的ではあるが最も容易な認識法ではないかと思う。つまり実質国民所得の時系列的な変化からと言うことになる。総需要と総供給の変化は詰まる所必ず名目国民所得と物価の変化として現れるからである。
今日の経済変動への政府的対応は金本位制度のようにオートマチックなものではなく総て知識と経験による人為的なものである。経済変動の様相を如何に素早く的確に知りえ財政と中央銀行の持つ僅かな対応策で通貨量的に対応しなくてはならない。この対応手段の貧相さが経済の管理を薄弱にする。物流的にも管理操作できれば生産資源の無駄を防ぎ適正な使用が可能であるのであるが。
斯かるケインズの有効需要操作は生産設備と生産技術が静態的な場合のみに有効であってこれら広い意味の生産手段が時代の使命を喪失し始めるか喪失して仕舞うと最早有効需要操作では効き目がなくなる。日本のみならず世界の先進諸国の大幅な完全雇用からの乖離の現状は所謂構造不況によるものであるからである。つまり産業構造や需要構造などが経済環境の変化に立ち後れているからである。
この構造不況に対するには従来にない広大な新市場の開拓を以てするしかないが、現在の世界市場は最早限定化されておりそれは望めなくなくなっている。古き生産手段による古き製品から脱皮した十分な「新」商品の発明開発を以てする以外に対応策はないのである。
かかる構造不況に対してもケインズの有効需要政策を以て臨もうとしたのが各自由資本主義国の政策当局の姿であった。構造不況を抜本的に解決しない限りそれは先の見えない慢性不況となる。我国のここ20年ぐらいの財政の在り方を見てみても国民総生産に占める公共投資のウエートは高まるばかりであったが一向に慢性不況の解決にはならなかった。結局は公共投資による誘い水政策は放棄せざるを得なくなり終には生活補助を中心とした社会福祉に比重を移す以外になくなった。その社会政策における政府の位置を矢張り有効需要政策におけるものとしてきた。しかし、この有効需要政策もなんら有効需要の拡大を誘うことはなく慢性不況を常態化するのみであった。社会主義化を恐れる自由資本主義派は、ケインズ政策もマルクス主義への過程の社会主義の一形態と見ざるを得なくなった。
ケインズは生存し活躍した当時においてさえ社会主義者的に見られていたようである。マルクスは国家経済社会の支配運営を労働者階級に求め土地と資本の共産化を主張した。知識階級は中国の文化大革命に見られるように知識的貧困層から常に暴力的に疎外された。ケインズと彼の国イギリスの当時の社会は大別して二つの階級すなわちエリートとマス(大衆)とから成り立っており、大衆は理性と知性によっては動かず大衆心理の中において動いていた。従って、支配層のエリート達は今日の日本におけるように自らの知性と人格すなわち自らの合理的判断に従って社会的に言動するのではなく、大衆がどう思い動くであろうかと考えてそめ範囲内だけで政治をしたり経営をしたりしていた。斯くて当時のイギリス社会は学問的啓蒙指導支配を等閑視して大衆心理操作だけに全精力を傾けざるを得なくなっていた。その結果、経済的効果、社会的公正、個人の自由は地に落ちて仕舞った。結果的には端的に今日の日本と同じように極度な財政破綻に陥っていた。大衆心理の支配する社会つまり大衆支配から理性と知性に恵まれたエリートの合理的社会主義支配に革命しようとしたのがケインズ主義である。
その当時の大衆心理操作はケインズの言う四階級すなわち地主・資本家・経営者・労働者の内どの階級が行なっていたのであろうか。今日の日本と異なって恐らく資本家階級が行なっていたと思われる。当時のイギリス資本主義経済は次第次第に所有と経営が分離し、かつて資本家の中に一括されていた資本を持たない経営者が経営技能者として資本家から分離していっていた。資本家は次第に資金を提供するだけの投資家階級に堕落して行っていた。こう言う現象の端緒は第一次世界大戦によって疲弊したイギリスから特需で潤って競争力を増したアメリカに国内資本が逃避して行き、資本家の国内経済に占める発言力が低下して言ったことにある。
国内産業の復興振興には外国に逃避した国内資本や外国資本の導入が急務である。金本位制を布いていたイギリスとしては為替や金利を操作して外貨を誘うことは困難であった。そこでケインズのイギリスは金本位制を離脱して管理通貨制に移行するしかなかった。また戦後復興経済において有効需要政策特に投資政策を行なうには均衡財政から離脱して国債発行の可能な管理財政に移行するしかなかった。管理通貨制と管理財政は自動調節装置を外して仕舞うのであるから財政当局と金融当局に理性と知性つまり科学性が正当に要求される。その理論的基礎をもケインズは与えようとした。それが彼の有効需要政策をベースとして究極の目的完全雇用を達成すると言う経済管理政策論である。
この経済管理政策は政府に学問的に正しく現実を把握し対処しうる当局の理性と知性を要求したが、また企業も市場原理主義からの離脱を要求されたのであるから政府当局と同じように理性と知性が要求された。ケインズは資本家階級よりも経営者階級により高尚高度な知識水準を期待した。ケインズ資本主義を経営者資本主義と呼ぶ所以である。
しかし、当時のイギリス財政は有休生産設備と失業者に対処するべき新しき有効需要創出政策を以てしても完全雇用達成までには遙かな距離を残した。結局ケインズ有効需要創出理論を社会福祉の正当性理論に応用して社会福祉政策や社会保障政策で以て経済成長政策を展開することになった。その財源をどこに求めるかにケインズの偏った階級意識が出て、彼がアカ呼ばわりされる所以となったのであった。
彼の言う知識階級主義たる経営者主義は、資本を所有している階級が国家経済において権力を把握し続ける国家すなわち私有財産法律体系機構に対する強い批判から出たものだと言う。彼は所得は能力に応じて格差のあるのは止むを得ないが、祖先から代々受け継ぐ遺産によって所得に格差が生じることには正当性はないとして強い累進相続税を課すべきだとした。地主や資本家から課税によって生産手段を取り上げて仕舞いそれを競売して現金として働かざる公職や公務員が空腹を満たせば宜しいと平気であったと言う。彼の重視した理性と知性とは、入類の歴史が均衡的に生んだ知的財産である世俗的な通念や道徳や規範とかを全く無視するものであったと言う。今日のマルクス主義に替わる同和主義は根元的にはケインズの言う知識を放縦にした財政金融政策を用いて個人の財産を略奪して公職と公務員が空腹を満たすと言うケインズ的無政府主義に負っているのかも知れない。
このようにケインズの私的所有権に対する財政的思想と施策は極めて略奪的なものであるが、そこを私有財産保護維持的に修正構築すれば、金本位制・金為替本位制を採用することは全く不可能であり矢張り有効需要の水準の変化を読んで現在の経済取引と財政金融運営を行なう以外他に好ましい管理方法はないと言えよう。先に述べたようにこの有効需要の水準を常時掴んでいることは中々困難である。国民所得と物価指数から掴む以外になかろう。それらから総雇用函数を導き理論的雇用状態を計算し粉飾甚だしい雇用統計の実相を考量するようにしたい。ブルードンがいみじくも言った政府とは私有財産制を維持する強制機構であるとの認識を公職と公務員に強烈に強制する必要を痛感する次第である。
しかし有効需要政策は我国や米国の戦後の財政状態と国民の就労状態を時系列的に見てみれば判るように財政赤字を幾ら積み重ねても完全雇用には遠く近づけなかった。一時点の静態的な総有効需要曲線を延長することしか考えなかったからである。技術革新はこの延長政策にしか過ぎなかった。静態的総需要曲線は経済与件に大きな変化は無いと見るのが一応正しいのでこの曲線を上方にシフトする方法を考える以外にない。即ち現在の総需要と総供給に発明や新産業の興業などによる新需要新供給を加えて行く以外に無いのである。
したがって、戦後から今日まで見るべき発明や新産業を見なかった為、その景気浮揚策は結果的に莫大の国家債務を累積することになった。公共投資と社会保障・社会福祉・教育研究開発助成などの不毛の結果として累積したものである。全くの無駄に終っているものが極めて多く総じて資源とエネルギーの馬鹿げた浪費であった。国民の誰にも文化的にして最低限の生活を殆ど産業界の協力を得ずそれどころか産業界には利潤追求の自由放任を欲しいままにさせて保障しなくてはならなかった所にケインズ的平等主義の無駄が財政を蹂躙することになった。
このケインズ主義の無能力に対して、それは政府の統制的規制が自由な経済活動を疎外するからであり、規制を緩和して市場メカニズムの働きを自由にし、新しい工業や商業の経済参加を容易にしまた外国資本の国内侵出を容易にしてみようと言う行き方が経済機能に本位を欠いた即ち調節機能を欠いたまま即ち財政はケインズ主義のままで推進されて来た。その本位に代わるものがあるとすれば時宜を得た各分野に亘る十分な情報であろうがそれが次第次第に制限される傾向を強めて来た。市場の閉塞化を打破するために産業界が次々に繰り出す新代替製品に完成度がなく特に新代替電子製品の使用上における外部からの独立性保持性が機構として高価に付きので、ついつい電磁波を以てする外部からの操作の方が安価に付く為ついついそれに依存するようになった。
そこを通じて電磁波は個人と家庭の生活に進入しそれをコントロールするようになった。ここを公職の選挙に用いるようになり、通勤労働者ではない非就労生活者を電磁波に乗せて社会秩序の破壊者として需要することになり、憲法の義務付けている勤労を非障害者でありながら免れうる同和対策受給者を地域地域に多数つくることになった。産業界のインチキ性は終にはその地域地域の同和族を使ってそのインチキ性への反撃を抑制するまでになった。マスコミも豊富な社会生活情報や産業界情報どころかそのインチキ性を隠蔽する報道のみを収入源とするようになって来ている。
斯くて経済活動も政治活動も年々再々健常性を欠いて行き終には活動不能状態に陥没して仕舞っている。つまり、経済界を放任的市場主義に任すことは益々ケインズ的社会主義政策を要求することになり財政は完全に債務超過に陥りにっちもさっちもつかなくなっている。
いまや、この国民的債務超過(負債の総額が資産の総額を上回る状態)を外国と調整しながらどう凌ぐかだけが喫緊に直面する課題となっている。ケインズはケインズ的社会主義で以て第二次世界大戦における膨大な国債を国際清算同盟を結成して清算(債権債務の結末を付けて支払いを済ませること)を敢行し、戦後の復興資金需要に応える世界銀行と国際通貨基金の設立を提案したと言う。アメリカはケインズの多数決に基づく人為的管理主義に対し本位的自律主義すなわちドル(金に裏付けられていた)を基準としたこれらの機関の設立を主張したと言う。ケインズは敗北し疲労困憊の内に62歳の生涯を終えざるを得なかったと言う。ケインズの言う知性派国家支配もマルクスの言うプロレタリア国家支配同様拒否されたのである。国家支配を何か信頼するべき本位すなわち基準に置かずして一つのイデオロギーに置くことを自由資本主義国アメリカは伝統的に好まないのである。そうであれば、アメリカは財政と国際収支の健全安定化に全力し世界の基準通貨の地位を堅持して貰わなくては困るのである。しかし、アメリカの国際収支の赤字は世界の各国への資本投資によるのが殆どであって貿易収支の赤字が殆どと言うのではない。反対に日本や中国の外貨凖備が多額に上るのは儲けたドルを貯め込んでいるのではなく企業侵出や日本企業の株主として資本投資されているからである。支払凖備金としては洵お寒いのである。
日本の経済財政管理は単純なケインズ主義の有効需要操作主義を修正して為替の本位性を出来る限り導入することを考案する必要があろう。基凖なき市場原理主義は決して有りえないのである。小泉内閣になって重要視された市場原理主義はこの本位を何かに求めてこそ在りえるものであったが勉強が足りずただ経済活動を放任すれば見えざる手が働くとした。各方面に亘る深く広範な内外の情報を十分に国民と経済界に提供しそこに自ずと情報本位も形づくられるようにしなくてはならなかった。実際は全く逆で内外のあらゆる情報を規制制限した。電磁波支配を以てする暗黒経済が形成されたと言える。

現在の日本は深刻な食料危機に陥っている。家庭食生活を送るに適当な手頃な値段の魚や肉がない。日本の近海で獲れた常食魚が店頭に並ばない。輸入魚では顕著に鰻が中国から輸入されなくなった。また最近海老も店頭から消えがちである。米も輸入米は姿を消して仕舞った。自動車輸出が頓挫して仕舞い輸出力が急落したらしく食料輸入に窮して来ているようである。空になった自動車産業を立て直すのか何か他産業に柱を置こうとしているのか見聞できない。石油に緩みが出て世界経済がパイを大きくしない限り日本の自動車産業は米国と中国に逃亡した訳であり従来の日本分が消えた訳ではないので蘇生の余地はないのである。
このような自動車産業の空状態を見ても判るように国内企業は生産設備の大半を海外に投げ売って仕舞った。国家的に担保資産が半減した。勿論税収は見せ掛けとなっているらしい。同和対策財政の敗北を清算する財政清算機関とポスト同和復興基金などの設立は検討されることになろう。以上ここまでの項は「ケインズ・伊東光晴・講談社学術文庫」におうこと大である。
静態的経済におる調和的均衡達成論の範囲を超えて構造不況に対する経済学を説いた学者はいない。マルクスにしても既存科学技術を前提とした帝国主義論に終わっている。また近い所ではレーガン大統領のアメリカの威光回復論にしても技術革新を期待した供給力の国際競争力の回復論であった。技術革新とは生産技術の革新・資源の開発・新消費財の導入・特定産業の構造の再組織などである。この期待する所は結局国際的な価格競争力を付けると言うことで全く新しい輸出製品を開拓すると言うことではない。決して国運を決定するような大発明を期待する政策ではない。夢が小さいのである。日本にしてもアメリカにしても現在根本的に突破しなくては決して前に進めない難関や障害は山ほどある。技術革新ではもう全く駄目で元から考え直した全く新しい基本発明が欲しい。私はこの期待に応える数々の大発明を完遂したと自負している。これら発明に対して所有権を侵害しようとして精力を無駄使いするのでなくこれらの玉を宝玉に仕上げる協力を期待している。必ずやアダムスミスでもないマルクスでもないまたケインズでもない富すなわち国富(スミスの場合は所得のことを言っていると言う)即ち所有権に纏わるリスクの回避を基準として国家や企業が財政を行ない経営を行なうようにならなくてはならない。
国家の統治機関には所有者はいない。公職と公務員があるのみである。これら役人が国家を守っている訳であるが職務に対する精勤さのインセンティブをどこにあるのであろうか。近代国家はブルードンによると私有財産制を維持する強制機構だと言う。然らば国家の公職と公務員にそれぞれの国民の私有財産を守るインセンティブを如何に与えたら宜しかろうか。自己に相当の財産があれば富の平等化の為にある相続税や固定資産税には賛成ではあるまい。無産階級出身者であれば高税率を課すことにしても自己に関係ないので平気であろう。となれば公職や公務員には無産階級は不向きであると言えよう。出来るだけ大きな有産階級出身者が公職や公務員を占めるように知識と人格を陶治して挑戦し占拠しなくてはならない。
企業つまり株式会社は誰のものか。資本と経営の分離とはよく言われる。従って株式会社は株主つまり資本家と経営者が経営責任者の主体であることは理解できる。では企業の所有者は一体誰なのであろうか。株主は所有している株券に対しては所有権を持っているが株主権としては議決権や取締役等の解任請求権などの共益権また利益配当請求権・残余財産分配請求権などの自益権しかない。会社に対する保有株式に応じた所有権と言うものは全く化体されていない。
一般的に資本家とは資本を所有し、それを使って労働者の雇用・企業の経営・貸付などを行なって利潤を上げる人のことを言う。従って、マルクスの言う資本家はこう言う個人の事業主を言うのであって株式会社における株主を言うのではない。譬え100%株式を所有していても所有権に基づいて企業を所有する資本家ではなく、あくまで株式を100%所有する全株主にしか過ぎない。
経営者である取締役は株式会社の取締役会の構成員として、会社の業務(営利活動に関する行為)執行に関する意志決定や監督を行なう者を言う。会社は商人であり自己の名を以て商行為を為すを業とする。名とは会社においては名義を言い法律上の行為の主体または権利義務の主体として表示されている名称を言う。従って、商行為の主体は個人に擬制された会社である。従って、取締役は商行為の主体ではなく会社から商行為を委任された存在である。委任とは当事者の一方が自分の権利や権限に属する事項の決定や執行を他者に委ねることまた受任者がこれを受託することによって成立する契約を言う。従って、取締役が会社からの委任業務を行なうに当たっては法令および定款の定ならびに総会の決議を遵守し会社の為忠実にその職務を遂行する義務を負う。
こう見て来ると、株式会社は一体誰の物で誰が自分のこととしてリスクを排除するように日夜業務を見張り監督するのであろうか。経営が赤字に陥っても経営者の財産が減るような危険性はない。真剣みが出る筈がない。下手な経営をして大赤字を出しても退任しさえすればよいことになる。個人資本家はそうは行かない。下手な経営をして赤字を出せば個人資産は減少する。経営に対する慎重さ真剣さ無くしては永遠な営業はありえない。所有権とは特定の物を自由に使用・収益・処分することの出来る権利を言う。資本家はこの権利を活用して利益を上げて行く。勿論失敗は資本家の財産の減少となって顕われる。これに対して会社の取締役陣の失敗は本人には顕われず株価の低下すなわち株主の財産の減少となって顕われる。ここに今日の株式会社の取締役への自己の能力を度外視した就任競争の生じる原因がある。自己の腹が痛む関係にある席であるなら能力の劣る人は就こうとはしないであろう。従って、取締役たちが会社の経営に失敗すると自己の財産で補填しなくてはならないと言うような制度になっていなくてはならないことになる。従って、取締役は株主の一人でなくてはならないとするのが最良のように思えるが商法(第254条2項)においてそれを義務つけてはならないとしている。昭和25年の本項追加までは定款で以て義務づけても宜しいことになっていた。私は是非旧に復する可きだと考える。
昭和30年代以降のテープレコーダー、LPレコーダー、ビデオレコーダー、CDプレーヤー、DVDプレーヤー、太陽電池、燃料電池、ハイブリッド車、電波受信テレビ、パソコン、ケイタイ、大型コンピューターは学問の出来ない低級な経営者が腹を痛めず商売した典型的なペテン製品である。その隠蔽工作が政界や官界や学会をように汚染して仕舞い下層同和勢力の社会破壊作用を必要とした。万事窮して仕舞っている。本物の製品開発で新規巻き直しを図る以外になくなっている。
自由放任民主主義体制においても政治的地位を世襲したいのは人情である。それには政治家の子孫は常に先祖を上回る努力によって有権者の人望を獲得する気概と努力研鑽が必要である。不幸にして有権者から属望される人材に育たなかった者は潔く出馬を断念する存在たることを自覚し大衆的生活に甘んじなくてはならない。
そうでないと、今日見られるように戦前の水平運動時代に発祥した政治家の二三世の中の知識と人格ともに劣等な者が七光を頼りに国家反逆を請負ってまで立候補しようと言うようなことにさえなる。斯くて、民主主義は今日見られるような全くの愚民主義に堕して仕舞う。世界各国における民主主義は決してブッシュの言う所の最良最大の輸出商品たってはいない。殆どの国で愚民主義化しており国を治め民の生活の安定を願う政治家集団は殆ど見られない。国民の生命・財産・労働力を保護する責務すら政府自らが反しているありさまである。愚民を買収する金を盗ろう金を盗ろうに終始し金を儲けよう金を儲けさせようとは今日の無産政治家は劣等感から決してしようとはしない。従って、譬えエネルギーに恵まれたとしても、経国済民の政治姿勢を執ることは決して期待できず、なお一層の愚民化政策の下に経済を抑圧して行くに違いない。斯くて、自己の能力で以て稼ぐ階級に国の財政の基礎を負担して貰うことすら劣等感から心情的に出来なくなり、国債に益々頼らざるを得なくなり、膨大な借金を抱え込むことになる。
その結果、外国に莫大な負債を重ねて行くことになるが、結局は債権国の支配を招くことになり、借金責任者階級は国賊として支配層から追放される運命になろう。斯くて、債権国に対して国力的に支払い不能に陥る即ち倒産に以て行く政治を展開するようになる。一億総借金総支払不能化政治である。そして愚民を操れるのは我々以外にないと外国支配下でも無法な暴力的支配層たるを維持できるだろうと今を生きようとしている。
どんな時代になってもどんな支配にあっても人には能力の違いがあり、所得はそれに連れる限り、格差はなくならない。この格差を差別と叫びさえすれば、投票民主主義体制においては政治的勢力となりうると説く者は絶えないであろう。しかし、そう言う政治的勢力を法律制度に基づく権力構造の中に入れては権力構造内の遵法精神が喪失し、憲法から始まる法律支配体制が崩壊してつまり綱紀が乱れて、国は纏まりがつかなくなる。挙国一致の下国家国民経済の蘇生再建が希求される危急存亡の折には、どんな支配者も先ず綱紀の粛正つまり遵法精神の高揚を自己と国民に強圧することが必要である。
この意味で福沢諭吉の言う遵法精神の全く欠如した愚民層に生存基盤を置く現在の我国の支配層は、彼らよりもっと大きな層により早晩その地位を追放されることになろう。借金は絶対に返済しなくてはならない。人間の歴史においてこれを免れた国はあった例がない。斯かる点から今日まで高き山を削り低き谷を埋める政策に終始し、高き山や小高き丘を少しなりとも築こうとしなかった水平主義の我国の支配層は、莫大な国債の返還義務を善良な勤労層に残し押し付けて時代を去らなくてならなくなっている。広くて深い知性とノーブルな人格の欠如した同和主義支配者ほど国民に安住を許さないものはないと言う苦節の時代を体験させて。やはり支配者に何よりも要求されるのは学問である。
諭吉が支配階級の固定化した江戸時代の門閥制度を親の敵として解体しなくてはならないと福翁自伝に書いているが、彼は自分の父親の出世の壁だけで封建を語りその時代の上層階級が如何に支配者たる総合的な学問に精進していたかは全く等閑視している。現在においても職業は世襲ではないが支配層は下層階級よりもずっと多くの学問的努力をしている。この学問的努力が就職する職種は異なっても上層階級を上層階級に大体において固定化させている。同和思想はこの上層階級の階級を保守しようとする学問的努力を真面に直視しようとしない。この学問的努力を無視できると学問的努力階級に無闇矢鱈反抗迫害を繰り返して無学の徒党を組さえすればよいとしている。国家の上層階級たる学問的努力を全くしなかった者たちがどうして支配階級になりえたのかまたその地位を世襲しようとしていたのか人間の素朴な感情として不思議で堪らない。恐らく斯かる非人的愚民無産政治家を歓迎する強大な外国の営利業者があるからに相違ない。その強大な営利企業こそ個人の精神活動と生存生活に互いに或いは一方的に介入を可能とし毎日下等な獣的闘争を強制している電磁波発生機メーカーなのではあるまいか。この機械に予算を付ける政治家が人間としての高い徳に塗れていたならばこの機械購入に予算を組むことはなかったであろう。諭吉の言う学問は科学技術のみの実学だけでなく人間性の向上を磨く徳学をも言うのであろうか。封建時代の学問はこの徳学を中心とした。支配者にも大衆にも学問とは徳学であり実学は徒弟制度から働く場で年期を掛けて実習した。今日の学問の場学校制度が即座就業者の養成にあることは間違いない。殆どの企業が従業員に自己の製品のインチキ性から高尚な徳学を否定しなくてはならない所に自己にも政府にも消費者にも遵法精神を崩壊させる無政府主義を要求することになる。そこに述べたような無学問の水平主義政治家の世襲を要求する地盤がある。真理の上に簡潔に構築された実用性のある科学技術の追求貫徹にこそ真の経済すなわち経国済民があることを学問的階級は真摯に知識しなくてはならない。国家の蘇生再生は先ずその自覚から初めなくてはならない。学問と学習行為に反抗反発する朱に染まって赤くなってはならないことは日夜痛感させられて来た所であろう。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
この燃料電池は水素Hと酸素O(空気)の間の接触電位差を利用するものである。従来の燃料電池は電極活物質たる水素と酸素を電解液容器内に納めておらず、負極には燃料たる水素を、また正極には燃料水素を酸化する物質たる酸素を、それぞれ連続的に供給して発電する化学電池である(化学大辞典・東京化学同人・1738頁)。
本燃料電池は活物質たる水素Hと酸素O(あるいは空気)を負電極と正電極をそれぞれ設けて水HOを満たした各半電池容器内にそれぞれ連続的に溶解度を高める為に高圧で注入するようにしそして両半電池を液絡的に繋ぎそしてその液絡的連結路に水素側には陽イオン交換膜を酸素側には陰イオン交換膜を両者ある間隔をおいて対峙させて設けて両膜間隔において陽イオン交換膜を透過した「ヒドロニウムイオンH」と陰イオン交換膜を透過した「水酸化物イオンOH」を反応させて水HOとして電池外に排除するようにした、ナガイ燃料電池と呼ぶことにする、燃料溶解式燃料電池。
【請求項2】
以下の反応の(−)アルミニウムAl|塩化アンモニウムNHCl|一酸化銅CuO(+)のナガイアルミニウム銅電池。
Al+6NHCl→[Al(NH++++3e+6H+6Cl
3/2CuO+3H+3e→3/2Cu+3/2H
纏めると、
Al+6NHCl+3/2CuO→3/2Cu+[Al(NH]Cl+3HCl+3/2H
この電池の起電力すなわち電圧は0.558V×3/2−−1.68V=2.517Vである。そして、アルミニウム27gで26.8Ah×3=80.4Ahの起電気量がある。従って、アルミニウム27gの発電電力量は、2.517V×80.4Ah=202.37Whである。これをアルミニウム1g当りに直すと202.37Wh÷27=7.50Wh/gとなる。
【請求項3】
以下の反応の(−)マグネシウムMg|塩化アンモニウムNHCl|一酸化銅CuO(+)のナガイマグネシウム銅電池。
Mg+4NHCl→[Mg(NH+++4H+4Cl+2e
CuO+2H+2e→Cu+H
纏めると、
Mg+4NHCl+CuO→Cu+[Mg(NH]Cl+2HCl+H
この電池の起電力すなわち電圧は0.558V−−2.37V=2.928Vであり、ナガイアルミニウム銅電池より僅かに大きい。しかしマグネシウムの起電気量は1モル24.3gで26.8Ah×2=53.6Ahである。従って発電電力量は2.928V×53.6Ah=156.94Whとなる。これをマグネシウム1g当りの発電電力量に直すと156.94Wh÷24.3g=6.46Wh/gとなる。
【請求項4】
以下の化学反応の(−)アルミニウムAl|塩化アンモニウムNHCl|二酸化マンガンMnO(+)のナガイアルミニウムマンガン電池。
Al+6NHCl→[Al(NH)Cl+3HCl+3e+3H
3/4MnO+3H+3e→3/4Mn+3/2H
纏めると、
Al+6NHCl+3/4MnO→[Al(NH]Cl+3HCl+3/4Mn+3/2H
このアルミニウムマンガン電池の起電力は1.23V×3/4−−1.68V=2.6Vであり、アルミニウムの起電気量は1モル27gで26.8Ah×3=80.4Ahである。従って発電電力量は2.6V×80.4Ah=209.04Whである。これをアルミニウム1g当りの発電電力量に直すと209.04Wh÷27g=7.74Wh/gとなる。
【請求項5】
以下の化学反応の(−)アルミニウムAl|硝酸銀AgNO|炭素C(+)のナガイアルミニウム銀電池。
Al→Al++++3e
3AgNO+3e→3Ag+3NO+3e→3Ag+3NO
纏めると、
Al+3AgNO→3Ag+Al(NO
このアルミニウム銀電池の起電力は0.799V×3−−1.68V=4.077Vである。またアルミニウムの起電気量は1モル27gで26.8Ah×3=80.4Ahである。従って発電電力量は4.077V×80.4Ah=327.79Whである。これをアルミニウム1g当りの発電電力量に直すと327.79Wh÷27g=12.14Whとなる。電灯料金は21.83円/kWhである。アルミニウム1gの発電電力量12.14Whは電灯料金0.265円に当たる。
アルミニウムの価格はトン当り36.5万円の1g当り0.365円である。
また銀の価格はキロ当り4万9900円の1g当り50円である。
また硝酸はトン当り4万1734円の1g当り0.04173円である。
従って、この電池で1kWh起こすには、「アルミニウム」、1000Wh÷327.79Wh/27g=82.37g(×0.365円/g=30.065円)、「銀」、1000Wh÷327.79Wh/(3×108g)=988.44g(×50円/g=49422円)、「硝酸」、1000Wh÷327.79Wh/[(1モル63g×3=576.59g)×0.04173円/g=24.0611円]のイニシャルコストが掛かる。纏めると下表のようになる。
アルミニウム 82.37g 30円
銀 988.44g 49422円
硝酸 576.59g 24.06円
計 49476円
特に銀は極めて高価で使い捨てでは全く間尺に合わない。これらの原料が低コストでリサイクルできるかどうかが、この電池の利用価値を決める。
アルミニウムを硝酸アルミニウムから回収したい。硝酸アルミニウムを水素で還元できれば難はないのであるが、それはアルミニウムはイオン化傾向が水素より高いので不可能である。そこで硝酸アルミニウムを消石灰の石灰水で還元して水酸化アルミニウムに変え、それを水素で中和してアルミニウムの単体を回収したい。反応式は下のようになる。
Al(NO+3/2Ca(OH)→Al(OH)+3/2Ca(NO
Al(OH)+3/2H→Al+3H
硝酸アルミニウム1モル213gを還元するに水酸化カルシウムが3/2モル111gが必要であるから、1kWhの発電に要するアルミニウム82.37gから硝酸アルミニウムはAl(NO(27g:213g=82.37g:X)からXは649.81gとなる。
これに要求される水酸化カルシウムは上記からAl(NO213g:3/2Ca(OH)111g=649.81g:Xから水酸化カルシウムX=338.63gとなる。
この水酸化カルシウム338.71gの還元作用によって生じる水酸化アルミニウムは3/2Ca(OH)111g:Al(OH)61g=338.63g:XからX=186.09gである。
この水酸化アルミニウム186.09gを水素で中和してアルミニウムAl単体に再生したい。
Al(OH)+3/2H→Al+3H
この反応式では水酸化アルミニウム1モル61gの中和には3gの水素を必要とする。従って、水酸化アルミニウム186.09gの中和には水素が61g:3g=186.09g:XからX=9.15g必要である。
硝酸銀AgNOは中和されて銀Ag単体となるので特別な回収法は必要でない。この銀Agから硝酸銀AgNOを再生するのに硝酸HNOが必要である。
Ag+HNO→AgNO+1/2H
即ち、硝酸銀AgNO1モル170gを再生するのに、銀Ag1モル108gに対して、硝酸HNO1モル63gが必要である。従って、1kWhの発電に要する硝酸銀は1000Wh÷327.79Wh/(3×170g=510g)=1555.87g必要である。これから発生する銀Agは170g:1555.87g=108g:XからX=988.44gである。
この銀988.44gを硝酸銀とするに必要な硝酸HNOは108g:988.44g=63g:XからX=576.59gである。
なお、ここで発生する水素Hは上述の水酸化アルミニウムAl(OH)の中和に使用したい。
従って、このアルミニウム銀電池で再生サイクルを確立して展開して行く場合1kWh当りのリサイクルコストは、
水酸化カルシウム 338.71g×0.01564円/g= 5.30円
水素 9.15g×0.41405円/g= 3.79円
硝酸 576.59g×0.04173円/g=24.06円
計 33.15円
なお、消石灰は83120t(A)が13億円(B)と言う。B/A:0.01564円/g。
水素は221294千m(A)が81.815億円(B)と言う。B/A:36.969円/m=0.03697円/l=0.41405円/g。
このアルミニウム銀電池は硝酸が半値ぐらいまでに下げ得れば再生サイクルは悠々と確立でき電灯電力にさえ替わりうる新再生エネルギーと言える。日本の硝酸の生産規模は肥料や爆薬の生産の低迷で最低限まで落ちて仕舞っている。これらが回復すれば半値はおろか三分の一ぐらいまでも低下する可能性はある。
なお、副産物硝酸カルシウムCa(NOは農作物の肥料とすれば宜しかろう。
【請求項6】
以下の化学反応の(−)マグネシウムMg|硝酸銀AgNO|炭素C(+)のナガイマグネシウム銀電池。
Mg→Mg+++2e
2AgNO+2e→2Ag+2NO+2e→2Ag+2NO
纏めると、
Mg+2AgNO→2Ag+Mg(NO
このマグネシウム硝酸銀電池の起電力は0.799V×2−−2.34V=3.938Vである。またマグネシウムの起電気量は1モル24.3gで26.8Ah×2=53.6Ahである。従って、発電電力量は3.938V×53.6Ah=211.08Whである。これをマグネシウム1g当りの発電電力量に直すと211.08Wh÷24.3g=8.69Wh/gとなる。
【請求項7】
以下の化学反応の(−)アルミニウムAl|HCOOH|炭素C(+)のナガイアルミニウム蟻酸電池。
2Al→2Al++++6e
6HCOOH+6e→6HCOO+3H
Al+3H→2Al+3H
纏めると、
2Al+6HCOOH+Al→2(HCOO)Al+2Al+3H
このアルミ蟻酸電池の反応では、水素が発生し分極作用をするので水素の酸化剤として酸化アルミニウムAlを加える必要がある。
この電池の起電力は、よく判らないが0V−−1.68V×3=5.04Vぐらいであろうと思われる。またアルミニウムの起電気量は1モル27gで26.8Ah×3=80.4Ahである。発電電力量は5.04V×80.4Ah=405.22Whぐらいであろうと思われる。アルミニウム1g当りの発電電力量は405.22Wh÷27g=15Wh/gぐらいとなる。
もし、この電池に上のような発電電力量があるならばアルミニウムは軽いし蟻酸もそんなに重くない。にも拘らず起電力が高いと思われるので自動車のリサイクル乾電池として最適のように思われる。即ち、アルミ1gに対して、蟻酸は3モル×HCOOH46g÷Al27g=5gが必要である。蟻酸の溶解度が判らないので正確なことは言えないがグラム比で10%としてみると水の量は50となる。また、酸化アルミニウムは1モル102g÷2A154g=1.9gが必要である。併せて、15Wh発電するのに58gを要する。電池密度は1000g×15Wh/58g=258.6Wh/kgとなる。
マークXのガソリンタンクは70lである。このアルミ蟻酸電池を使用するモーターの効率を90%としガソリンエンジンの効率を27%とすると、この場合のタンクの大きさは70l×27/90=21lとなる。今、ガソリンの発熱量を7700kcal/lとすると21lでは21l×7700kcal/l=161700kcalとなる。これを電力量に直すと161700kcal÷860kcal/kWh=188kWhとなる。この場合のこの電池の総重量は188kWh÷258.6Wh/kg×1000=727kgとなる。このままでは自動車の電源としては重くて問題にならない。
この場合の斯かる重さは蟻酸の溶媒の水にあるのであるからこれを圧縮したい。水量を5gにしてみる。そうすると飽和状態を超えた溶けない蟻酸が多く生じるがそれは溶けた分が消耗して減るだけ次々に溶解して行くので問題はあるまい。そうすると15Whの発電量に対して13gの重さとなる。電池密度にして1.154kWh/kgとなる。搭載重量は188kWh÷1.154kWh/kg=163kgとなる。これでも重すぎる。しかし、これ以上軽くすることは不可能である。
この163kgはマークXの車重1510kgの約10.8%に当る。マークXが120キロ出すにはエンジンの出力は120km/h×1000÷60s/分×255J×2π=160kW必要である。ここらが出せるようにするにはモーターの大きさは160kW×27/90=48kWで宜しいことになる。このように原動機とその回りが相対的に小さく軽くなるので163kgの電池も搭載できるのではあるまいか。
【請求項8】
以下の化学反応の(−)アルミニウムAl|(COOH)|炭素C(+)のナガイアルミニウムシュウ酸電池。
2Al→2Al++++6e
3HOOC−COOH+6e→3(COO)−−+3H
Al+3H→2Al+3H
纏めると
2Al+3HOOC−COOH+Al→Al(COO)+2Al+3H
この電池の起電力も、よく判らないが0V−−1.68V×3=5.04Vぐらいであろうと思われる。また、アルミニウムの起電気量は1モル27gで26.8Ah×3=80.4Ahである。発電電力量は5.04V×80.4Ah=405.22Whぐらいであろうと思われる。アルミニウム1g当りの発電電力量は405.22Wh÷27g=15Wh/gぐらいと思われる。
【請求項9】
ロータリーエンジンにおいてレシプロエンジンにおけるピストンリングに相当するものはアペックスシールである。ピストンリングがガス漏れを防ぐ気密保持を果たすとともに適切な潤滑油膜をシリンダ壁面に形成させる役割を果たしているのに対して、アペックスシールは気密保持の役割だけで油膜形成の役割はしていない。ロータハウジングの壁面に適当に潤滑油を供給するに好ましい方法がないからである。潤滑油を欠いたままではアペックスシールが焼き付いたりロータハウジングを傷つけたりして長時間運転は不可能である。そこで、私は、「燃料に潤滑油を混合して」使用することを提案する。
しかし、この潤滑油混合燃料は不完全燃焼して白煙を排出する。これを浄化するために「加空・加熱燃焼器」を設けたい。それは速い水の流れを作って空気を吸い込む水流ポンプ(要訣物理・文英堂・219頁・昭和28年)の原理を応用した「排気流ポンプ」で以て排気の流れに空気を加えるようにする。また排気の加熱は排気を高速回転羽根で掻き回す「回転攪拌摩擦機」で以て行ないたい。なお加空だけで足りる場合には「回転攪拌機」で以て攪拌して反応を円滑化促進したい。なお、この加空・加熱燃焼器や加空器のハウジングやファンやその他の部分なども必要に応じて陶磁器製や琺瑯製にしてもよい。
なお、エンジンのシリンダーやピストンなど要求があれば琺瑯製にしてもよい。
以上のように構成されたロータリーエンジン用「回転攪拌摩擦式加空・加熱混合潤滑油煤煙燃焼器」や「回転攪拌摩擦式加空混合潤滑油煤煙燃焼器」。
【請求項10】
化石燃料の燃焼後排出する炭酸ガスを大気に放出しないで回収処理する方法つまり炭酸ガス後処理法は従来色々提案されているが採用され実用化されたものはない。即ち炭酸ガス後処理法では地球温暖化問題は解決を見ることは全くないと言える。そこでどうしても大気に炭酸ガスを放出したくない場合には化石燃料と水の化学反応で以て結局水素と炭酸ガスを生成させ、水素と一酸化炭素そして水素と炭酸ガスはガス遠心分離機で以て分別し水素は燃料とし炭酸ガスは液化して海洋水面に運搬撒棄するようにしたい。
そして、水素は窒素と化合させてアンモニアとし液化し使用に際しては水と反応させて水素と一酸化窒素に分解しガス遠心分離機で以て分別し水素に戻して使用するようにして水素に貯蔵運搬性を付与したい。
上記の反応の式は次の通りである。
3C+3HO→3CO+3H
3CO+3HO→3CO+3H 3C+6HO→3CO+6H
6H+2N→4NH
4NH+4HO→10H+4NO
以上から、
3C+2N+10HO→10H+3CO+4NO
以上から判るように、炭素3モル36gから一段階として6モル12gの水素が採れる。二段階として6モル12gの水素が10モル20gの水素に化ける。結局、3モル36gの炭素から10モル20gの水素が付水法によって採れることになる。
発熱量の点から見ると、炭素36gは36g×7840cal/g=282240cal、水素12gは12g×33888cal/g=406656cal、水素20gは20g×33888cal/g=677760cal、それぞれの段階で水素発熱量は炭素発熱量を406656cal÷282240=1.44倍、677760cal÷282240=2.4倍上回っている。この石炭などの炭素から炭酸ガスを前処理する方法はエネルギー的に相当得でありこそすれ全く損はないと言える。
そこで、石炭などの炭素燃料から炭素の水還元法により水素と一酸化炭素を生成させその一酸化炭素に水還元法によりまた水を反応させて水素と二酸化炭素を生成させ結局両反応で以て水素と二酸化炭素を生成させガス遠心分離機で分別して水素だけを燃料とし二酸化炭素を燃焼後にではなく燃焼前に除去回収する方法
【請求項11】
そして、二酸化炭素は水への溶解度が極めて高く(20℃で空気が0.0187、酸素が0.031、窒素が0.015であるのに対して0.88)また重い(酸素の32、窒素の28に対して44)ので液化して海洋水面に運搬撒棄して海洋に吸収させるようにする二酸化炭素廃棄処理法。
【請求項12】
そして、水素と窒素からアンモニアを合成し液化し使用に際しては液体アンモニアに水を反応させて一酸化窒素と共に水素を再生させガス遠心分離機で以て分別して使用するようにする水素に貯蔵運搬性を付与する方法。
【請求項13】
そして、従来、硝酸の原料としての一酸化窒素はアンモニアから生成されている。これはアンモニアと空気を1:10の体積比に混ぜ、これを約800℃に熱した白金網を通過させると、白金の触媒で酸化が行なわれる。生成した一酸化窒素を冷却すると空気によって酸化され、二酸化窒素となる。これを水に溶かして硝酸を合成する。1902年に開発されたオストワルト法であり現在も主流な方法である。
2N+6H→4NH
4NH+5O→4NO+4H
4NO+2O→4NO
4NO+2HO→4HNO+2NO
2NO+O→2NO
2NO+2HO→2HNO+NO
NO+1/2O→NO
NO+1/2HO→HNO+1/2NO
このオストワルト硝酸製造工程における二酸化窒素製造の原料として「請求項10」における液体アンモニアと水の反応から生じる水素の副産物たる一酸化窒素を使用する方法。
【請求項14】
そこで、私ならアンモニアから一酸化窒素を製造する場合アンモニアに含まれている水素を水として棄ててしまうオストワルトの酸化法ではなく、アンモニアに含まれている水素も収穫できる方法を採りたい。即ち、アンモニアを液化して液体アンモニアとし、水と反応させて瞬時に一酸化窒素と水素を生成させガス遠心分離機で以て両者を分別し、一酸化窒素は硝酸の原料とし水素はアンモニア合成の再生原料とするようにしたい。
2N+6H→4NH
4NH+4HO→4NO+10H
4NO+2O→4NO
4NO+2HO→4HNO+2NO
2NO+O→2NO
2NO+HO→2HNO+NO
10H+10/3N→20/3NH
この場合の一酸化窒素の生成法では、その生成に要するアンモニアの合成に要する水素を上回る水素が副産する。つまり掛けた水素以上の水素を再生産する。従って、硝酸合成の為のアンモニア合成には新規に水性ガスなどから水素を水素を精製収穫する必要は全くなく空中窒素の固定獲得だけで済むことになる。
そこで、従来のアンモニア酸化法に変わる、水によるアンモニアの酸化還元法により合成する一酸化窒素を原料とする、また副産する水素をアンモニアの原料とする、ナガイ式、硝酸製造法。
【請求項15】
メタノールからエタノールを合成したい。先ず、メタノールを合成する方法から提案する。反応式は下のようになる。
C+HO→H+CO
CO+HO→H+CO C+2HO→2H+CO
この水性ガス反応は石炭またはコークスを1000℃ぐらいに熱しこれに水蒸気を通じて行なう。更にこの水性ガスに水蒸気を加えて500℃ぐらいに熱したFe2O3に通すと触媒作用で水素と二酸化炭素が生成する。これらの分別にはガス遠心分離機を使用したい。斯くて採れた水素と反応させる一酸化炭素が欲しい。もう一度水性ガスを採る。
2C+2HO→2H+2CO
これら水素と一酸化炭素に上式の水素を加えて150〜200気圧で300〜400℃のZnOの触媒に通してメタノールを合成する(化学IB・II精義下巻・235頁・1997年)。
4H+2CO→2CHOH
以上のように構成された石炭などの炭素をベースにメタノールを合成する方法。
【請求項16】
そして、メタノール2分子から脱水縮合によってエタノールを合成したい。
2CHOH−HO→CHCHOH
このように、メタノール分子の一から水素イオンHを他の一から水酸化物イオンOHを脱離させて水分子HOとして除く。脱水剤には濃硫酸・五酸化二リン・無水塩化亜鉛・アルミナなどを使用したい。
メタノール2モル64gがエタノール1モル48gに化ける訳である。メタノール64gの発熱量は64g×4800cal/g=307200cal、エタノール48gの発熱量は48g×7100cal/g=340800calである。従って、カロリーベースで340800÷307200=1.1094倍即ちこの場合カロリーベースで原料のメタノールの10.94%増しのエタノールが採れる。従って、メタノール64gの体積は64g÷0.793=80.7cm、エタノール48gの体積は48g÷0.789=60.8cm、ガソリンの340800cal当りの体積は340800cal÷7700cal/cm=44.3cmである。従って、エタノールの燃料タンクの大きさはガソリン燃料タンクの60.8÷44.3=1.3725倍=37.3%増しとなる。メタノールではガソリンの80.7÷44.3=1.8217倍=82.2%も増すことになり自動車燃料としては殆ど使用できないと言えよう。
以上のような、メタノールから脱水縮合によってエタノールを合成する方法。
【請求項17】
天然ガス(メタン)と石炭などの炭素からメタノールを合成したい。
CH+HO→3H+CO
C+HO→H+CO
3H+CO+H+CO→2CHOH
この場合のメタンと水蒸気との反応は500℃で行なう。
天然ガス産出国でメタンと水のみからメタノールの合成が行なわれているが水素が余るので合理的な合成処理とは言い難い。
以上のように構成されたメタンと炭素をベースとして合理的にメタノールを合成する方法。
【請求項18】
現在、エタノールは下式のようにエチレンCHCHから合成されている。
CHCH+HO→CHCHOH
この反応はリン酸触媒(けいそう土にリン酸を浸み込ませたもの)を用いて300℃でエチレンに直接水HOを付加させるものである。この直接水和法は1947年にShell Chemicalによって開発されたものである。エタノールの収率は95%と言われている(万有百科大事典・化学・小学館・75頁)。
現在、エチレンは軽ナフサを高温で熱分解して得ている。その収率は30%に過ぎずキロ150円もしている。
そこで、エチレンCHCHをアセチレンCから合成して見たい。そこで炭化カルシウム(カーバイド)CaCに水HOを反応させてアセチレンCを採り、このアセチレンに水素Hを反応させて見る。
[CaC]+HO→C+CaO
CaO+3C→[CaC]+CO
CO+HO→H+CO
+H→CHCH
以上のように構成されたカーバイド(炭化カルシウム)からアセチレンをそしてアセチレンからエチレンを合成する方法。
【請求項19】
そして、アセチレンからエチレンを経ないでエタノールを合成することも出来る。それは下記のような化学反応による。
[CaC]+HO→C+CaO
CaO+3C→[CaC]+CO
CO+HO→H+CO
+HO→CHCHOH→CHCHO
CHCHO+H→CHCHOH
「化学IB・II精義・培風館・216頁・1994年」によると、硫酸水銀(II)HgSOと希硫酸HSOの水溶液の触媒にアセチレンCを吹き込むと水和反応が起こりビニールアルコールCHCHOHが出来るが、これは極めて不安定で分子内で水素原子の位置の移動が起こりアセトアルデヒドCHCHOとなるとある。このアセトアルデヒドに水素Hを反応させてエタノールを合成したい。
以上のように構成されたアセチレンからアセトアルデヒドを経てエタノールを合成する方法。
【請求項20】
エンジンの出力WはトルクTと回転数nとの積である。即ちW=2πnTである。そしてトルクTはクランク高Rと回転力Fとの積である。即ち、T=RF。この場合Fはクランク頂点上の接線上に生じるのでクランク高は接線に対する法線上にあるので常に一定である。従ってTはFによって定まる。
この回転力Fは「最新機械応用力学・科学書籍出版・244〜247頁」によると、ピストンに働く力をFpとすると、クランク頂点の接線上に現れる回転力Fは、連接棒の傾斜角をφ、クランクの回転角をθとし、連接棒の長さをL、クランクの高さをRとすると、下記のような関係となる。
F=Fp・sin(θ+φ)/cosφ
sin(θ+φ)=sinθcosφ+cosθsinφ
sinφ=R/Lsinθ
cosφ=(1−R/Lsinθ)1/2=1−1/2・R/L・sinθ
以上から、
F=Fp[sinθ+R/Lcosθsinθ÷(1−R/Lsinθ)1/2
=Fp[sinθ+R/Lcosθsinθ÷(1−1/2・R/L・sinθ)]
上式は下の関係から成り立っている。
Lsinφ=Rsinθ
=Lcosφ+Rsinθ
180°=(90°−φ)+(90°−θ)+x x=φ+θ
α=90°−x=90°−(φ+θ)
Fc=Fp secφ=Fp/cosφ
F=Fc cosα=Fc cos[90°−(φ+θ)]=Fc sin(φ+θ)=Fp sin(φ+θ)/cosφ
またピストンの上死点からの変位Sは、
S=(R+L)−(Rcosθ+Lcosφ)
R(1−cosθ)+L(1−cosφ)
R(1−cosθ)+L(1−(1−R/L・sinθ)1/2
R(1−cosθ)+L(1−(1−R/2L・sinθ))
R(1−cosθ)+R/2L・sinθ
R(1−cosθ)+R/2L・1/2(1−cos2θ)
≒R[(1−cosθ)+1/4・R/L(1−cos2θ)]
以上から具体的に回転力Fとピストン変位Sの関係を概算してみたのが下の表である。


以上の概算シミュレーションからはクランク回転角20°で爆発させるのが最も効率が好くなる。
以上のように、クランク回転角の変化に連れて変化する回転力の変化と燃焼室容積の変化と燃焼温度の変化におけるそれら変化の関係からエンジンが最大効率を発揮するようなクランク回転角で以て爆発するように点火するようにした即ちエンジンが最大のトルクを出力するようにした「ナガイハイトルクエンジン」。
【請求項21】
太陽熱で空気を次から次に温めて高い煙突に流し空気の流れ即ち風を起こしその風力で以て発電するようにする太陽熱風力発電装置を描いて見たい。
「現代新百科事典1・学研・665頁」によると、煙突の通風力は一般に煙突が高ければ高いほどまた外気の温度と燃焼室の温度の差が大きい程増加する。この考え方を具体的に示しているのが「要訣物理・文英堂・230頁・昭和28年」である。即ち、通風力はP−P=(ρ−ρ)ghで定まる。Pは外気の圧力、Pは内気の圧力、ρは外気の密度、ρは内気の密度、gは重力の加速度、hは煙突の高さである。これはhが大きい程PとPの圧力差が大きくなり空気の流入が大きくなることを表わしている。
しかし、どうもこれら現代新百科事典や要訣物理の記述は正確ではなく、その考え方からは私の太陽熱風力発電装置の原理とそれに基づく理論計算はもたらされない。
煙突の原理を一から考察して見なくてはならない。「現代新百科事典4・学研・522頁」によると、「対流」は、液体や気体の一部が熱せられると膨張して密度が小さくなり上昇するのに対して相対的に密度の大きくなった低温部分は逆に下降する現象であるとある。そして対流を起こし易くするには流体の下部を熱することと、上昇する流体と下降する流体が混じり合わないようにすることが必要である。「煙突」はその例であるとある。つまり煙突は対流現象の一であるのである。
では、対流とは何現象であろうか。「改訂版物理学辞典・培風館・1201頁・2002年」によると、流体の内部に何かの原因で温度の不均一が生じると、熱膨張によって密度の不均一が生じる。すると、流体の各部分が異なる大きさの「浮力」を受ける為に、流体内部で力の釣り合いが保てなくなり上昇流と下降流を組み合わせたような流れが生じる。これを対流または熱対流と呼ぶ。このように、「対流現象」は「浮力」の原理で以て説明される。
したがって、煙突現象は人工的に対流現象を起こさせたものであり、それも浮力の原理で以て説明されるべきものであることが判る。浮力の原理はアルキメデスによって発見されている。「静止した流体中にある物体は、「それが排除した流体の重さに等しい力で以て」、流体から鉛直に押し上げられる」(要訣物理・文英堂・160頁・昭和28年)。
したがって、太陽熱風力発電装置において太陽熱加熱器で以て空気を加熱して即ち密度を小さくして煙突に流した場合煙突の容積と同じ体積の外気の重さがエネルギーとして煙突に上昇気流を発生させる。この場合外気と内気の温度差如何は問題とされない。加熱が深まって密度が小さくなると言うことは同じ重さ当りの煙突に吸い込まれる気体の体積は大きくなることを意味する。この程度では外気の温度と内気の温度の差が大きい程通風力は増大するのである。
いま、50万mの空気をガラス張りの太陽熱加熱器で温めて400mの高さの煙突に浮力で以て吸い込ませ対流を次から次に起こさせたい。
浮力の大きさは煙突の容積が排除した大気の重さに等しいのであるから、その重さは500000m×1.293kg/m×273/(273+25)=514163kg=514.2tである。この重さを位置のエネルギーに変換すると、514163kg×9.807ms−2×400m=2016958616J=201万6959kJとなる。
この浮力はどのくらいの速さで煙突内を流れるかと言うと、トリチェリの定理から見て、この外気の大気柱が自由落下すると見ることが出来る。即ち、落下速度V=(2gh)1/2、従って、(2×9.807ms−2×400m)1/2=88.6ms−1となる。
この速度を用いて浮力による対流を運動のエネルギーとして見ると、1/2×514163kg×(88.6ms−1=2016958616J=201万6959kJと、上算出の位置のエネルギーとぴったり一致する。
煙突を1秒間に流れる量は煙突の断面に秒速を掛けたものである。即ち(500000m÷400m=1250m)×88.6ms−1=110750m−1である。これを重さに直すと、110750m−1×1.293kgm−3×273/(273+25)=131186kgs−1=131.2t−1となる。
したがって、この太陽熱風力発電装置の1秒間の発電量すなわち発電能力は、1/2×131186kgs−1×(88.6ms−1=514903793J−1=51万4904kWとなる。即ち、この太陽熱風力発電所の発電設備能力は51万4904kWと言うことになる。
この発電をなすに必要な空気の量を5℃上昇させるに必要な太陽熱量は、131186kgs−1×0.717kJkg−1−1(空気の比熱)×5K=470302kJ−1=47万0302kWである。太陽熱の強さは1kW/mである。従って、太陽熱加熱器の表面積は47万0302kW÷1kW/m=47万0302m=(686m)となる。この場合の熱効率は514904kW÷470302kW=1.0948である。即ち、理論的には掛けた太陽熱を9.5%上回る電力が得られる。
以上のように構成された太陽熱で次々に空気を暖め浮力を付けてそれを高い煙突に吸い込ませ空気の対流をつくりその風力で発電を行なうようにした太陽熱風力発電装置。
【請求項22】
日本なら日本における発電設備は一日24時間殆ど連続して休むことなく運転されている。その総発電設備は2億7270万kWである。この総発電電力量は27270万kW×24h/d×365d/y=2兆3889億kWh/yである。この総発電電力量の内実際に売れている電力量は1兆1373億kWhである。47.6%に過ぎない。52.4%はジュール熱となって放出され棄てられている。
この余剰放棄電力で以て水を電気分解して水素と酸素を生産したい。工業的には、電解液として15〜20%の水酸化ナトリウム溶液を用い、電極にはニッケルメッキをした鉄板を用いて(現代新百科事典5・学研・69頁・1966年)、いま電解電圧(浴電圧)を1.5Vで電解すると、陰極に水素ガスが、陽極に酸素ガスがほぼ2対1の割合で生成する。
1ファらデーF=26.8Ahで半モル11.2l1gの水素が採れる。いま電解電圧を1.5Vとすると、水素1gを採るのに26.8Ah×1.5V=40.2Whかかることになる。余剰放棄電力量1兆2516億kWhから水素は1兆2516億kWh÷40.2kWh/kg=311.3億kgが生成する。これを発熱量に直すと、311.3億kg×33888kcal/kg=1054兆9334億kcalにもなる。因に日本の一次エネルギー総供給は5654兆キロカロリーkcalである。その内訳を下に示すことにする。
水力 878兆kJ 210.7kcal (2004年度)
原子力 3542 850.1
石炭 5049 1211.8
石油 11502 2760.5
天然ガス 3588 861.1
合計 23558 5654.0
また、日本のガソリンの消費量は61616千klの61616千kl×7700kcal/l=474兆4432億kcalであり、余剰放棄電力で採れる水素はこれを2.2倍も上回っている。気が付いて見れば莫大なエネルギーを無駄にしていたのである。下に各石油製品の消費規模とガス事業販売量を示してみる。
放棄電力量1兆2516億kWh
水素 311.3億kg 1054兆9334億kcal
ガソリン 61616千kl 474兆4432億kcal
ナフサ 49541 351兆7411億kcal
ジェット燃料 4905 39兆2400億kcal
灯油 29539 248兆1192億kcal
軽油 37449 318兆3165億kcal
重油 55231 469兆4635億kcal
ガス事業販売量 297兆8020億kcal
すなわち、余剰放棄電力量から採れる水素の発熱量はガソリンと軽油と灯油の発熱量を合わせた量に匹敵する。莫大な規模である。
そこで、時々刻々の余剰放棄電力量に対応するように各種の水電気分解装置を設置したい。即ち水電気分解装置を各適地に設置して水素を生産し、そこで水素を原料とする化学工業を興しても好い。
また、自動車や船舶や列車などの燃料として使用する場合には、空気から窒素を採って水素と化合させてアンモニアを合成し液化し使用に際しては水と反応させて水素と一酸化窒素を発生させガス遠心分別機で水素と一酸化窒素とに分別し水素を燃料に使用し一酸化窒素を窒素と酸素に分解して大気に放棄できるようにしたい。
一酸化窒素は空気に触れると直ちに酸化されて二酸化窒素となる。二酸化窒素を冷やすと17℃でほぼ100%四酸化二窒素となり、加熱すると620℃で100%一酸化窒素と酸素に分解する。これを酸化窒素が化学平衡状態にあると言う。反応式で示せば次のようである。
(無色)⇔2NO(赤褐色)⇔2NO(無色)+O
ところで、酸化二窒素NOは熱すると窒素と酸素に分解すると言う(化学IB−II精義下巻・23頁・培風館)。発熱反応であるから加熱すると反応は非常に加速すると言う。反応式で示せば次のようになる。
O=N+1/2×O+18.3kcal
ボンベ詰めなど通常の状態ではNOとNとは平衡関係を保って混在している。これをNOに変えうれば、結局は酸化窒素NOxの総てをを窒素Nと酸素Oに分解して大気に放棄でき酸化窒素の公害問題は解決する。
4NO→2NO+3O
2N→2NO+3O
これは私の愚考であるが、酸化窒素ではその分子を構成しているN原子同士が1肢結合であるより2肢結合の方がそれより3肢結合の方が安定していると思われる。冷却すると3肢結合へと進んで行くと思われる。
NOにはN同士の結合はなく、NにはN同士の結合はあるが1肢結合であり、NOのN同士は2肢結合であり、述べたようにNのN同士は3肢結合である。従って、冷却して行けば、下のように酸化の形態を変えて安定化して行くと思われる。しかし、17℃に冷やしたNを何度にまで冷やせばNOとなりそれを何度にまで冷やせばNになるのか今のところ判らない。実験室があれば実験して見るのだが。
NO+1/2×O→NO→N−3/2×O→NO→N+1/2×O
斯かる酸化窒素のあり方に即した酸化窒素を窒素と酸素に分解して排出する装置は開発できないことはないと思える。しかし自動車に搭載できるように開発できるかどうか今のところ不明である。
さて、テーマである水電気分解装置を各家庭や各業務先に設けてそこで水素と酸素が採れるようにして都市ガスやプロパンガスに代替させても宜しい。因にプロパンガスを含めた都市ガスの販売量を見てみると、297兆8020億kcalである。余剰放棄電力から採れる水素は1054兆9334億kcalである。ガス販売量はこのくらいなことであるから電力需要の閑散な時刻を分散的に指定しさえすれば家庭用や業務用の水電気分解水素発生装置に電力を十分供給できる。水素と酸素はそれぞれの容器に貯めるようにし使用する時に圧力を掛けるかタンクに貯めた時に圧力を掛けておくかしたい。給水は一定の減少に対して自動的に給するようにしたい。貯めた酸素は回収業者に任せたい。
以上の中に構成されている余剰放棄電力を以て家庭や業務場において水を電気分解して水素を採って燃料とし、余剰放棄電力を有効需要化する方法。
【請求項23】
世界の都市の上水が極めて不足している。世界の人口が河口の都市に集中したからである。仕方なく河口の水を汲み上げ浄化して飲料水としなくてはならない。そこで沈殿と濾過は難なく行なえるが河水に溶解している各種の塩や塩基や酸などは如何なる浄化法を以てしても濾過することは不可能である。従って、上水行政としては取水場より上で肥料や農薬や洗剤などの使用放流や工場排水の放流は極力控えさせたい。従って河口より上流では農業も定法通りには出来ないし況してや水を使用する工場など建設営業できない。従って河口より上流で人口を養うことはどんどん出来なくなり河口都市への人口の集中は加速する。
定法通りの農業と農産物や林産物の加工工業を興業殖産して人口分布に均衡を図る為には生活用水の中の安全な飲水を河口でもそれより上流においても確保することが何より肝要である。従来、それには井戸で以て対応しようと試みたが地下水が各種鉱物を基準以上に溶解している場合が多く必ずしも化学的に安全な飲水とはならない場合が大半であった。そこで山間部では山水を池に貯めたり小川の水を汲み貯めて飲料水としていた。こと程然様に飲料水には日本は疎か世界各国は困惑し続けて来た。人類の植民の歴史は飲料水を探究する歴史であったと言っても過言ではない。
この人類の歴史的課題を解決するには水の採取できるところで個別的にか地域的にか飲料に足りるだけの蒸留水化が可能であれば好い。上水道の発達している都市では現在の上水は飲料水以外の生活用水に使用し飲料水は別途供給あるいは獲得できるのが好い。
降水量の年間1500mmぐらい以上ある地域では雨水を屋根を利用して集めて飲料水とするのが即応性のある対応であろう。
東京の年間降水量は1503mmである。いま家の屋根の面積を25坪(82.65m)とすると、一日に採れる雨水の量は1.503m×82.65m÷365日=0.34m=340lである。十分な量と言える。
しかし、降水量が少なく大河の流水や海水以外に頼ることの出来ない地域では河水や海水をどうかして大量に蒸留水と化す方法があれば好い。これまでは発電ボイラーに見られる如く加熱する方法以外には考えられなかった。しかし、1969(昭和44)年の米アポロ宇宙船において水素と酸素を電極活物質とする燃料電池が積み込まれ電力を採ると共に飲料水が生成された。ここに蒸留とは異なった方法で純水飲料水を採る方法が提示された。
100℃の1gの水を完全蒸発させるに要する熱量は539calである。また20℃の水1gを100℃に上げるに要する熱量は80calである。併せて619calの熱量を必要とする。
いま、20℃の海水1lを完全蒸発させるにはどの位の電力量が必要であるか見てみると、1l1kg×619kcal/kg×1kWh/860kcal=0.7198kWhとなる。いま、電力が業務用として1キロ10円で購入できるとすれば、1l7円20銭で海水などから純水が生成できることになる。そして海水では天然塩が約30.9g採れる。リッター約10銭の上水には遙に及ばないが、瓶詰めの純水や瓶詰めの飲料水類の純水としては十分採算に乗る。なお、純水は飲料水としては一度に多く飲めない。浸透圧の関係から腸で余り吸収されないからである。大量の電磁波に攻めまくられる現在身体が極度に乾燥に迫られる。対策として水を飲む以外に無いのであるが、水道水よりは番茶などの濃度のあるものが宜しい。下痢や脱水症を避けられる。
そこで、防水被服した電気ヒーターを容器の中に設けて不純な水から水蒸気を発生させうるようにし、発生した水蒸気を、扇風機で或いは上水道の流水で或いは冷却用循環水をファンラジエーターで冷却するようにして、蒸留水を採るようにした、業務用あるいは家庭用の海水・河水・井戸水・上水等蒸留水化装置。
【請求項24】
私は燃料電池を用いて井戸水や河水や海水を純水化する方法を考案した。
水HOを電気分解する場合、1ファラデーF26.8Ahで以て水素H1/2モル11.2l1gと酸素O1/4モル5.6l8gが生成する。この11.2l1gの水素と5.6l8gの酸素を燃料電池に投ずると電圧1.229Vが起こり1F26.8Ahの電流が発生する。つまり併せて32.937Whの電力量が発電する。そして1/2H+1/4O=1/2HOで1/2モル9gの純水が生じる。
つまり、不純物を含まない水9gを生成させるのには26.8Ahで水を電気分解して水素と酸素を採り両者を燃料電池に投ずれば宜しいことになる。その場合26.8Ah×1.229V=32.937Whの電力量を発電する。
この電力で以て水を電気分解して水素H1/2モル11.2l1gと酸素O1/4モル5.6l8gを生成しこれらをまた再び燃料電池に投じて水9gと電力26.8Ah×1.229V=32.937Whを再度生成させうる。これを連続的に繰り返し得れば投入エネルギーは初期投資の水素と酸素だけで済むことになる。こんな夢のような海水の淡水純水化法や河水や井戸水や上水などの純水化法はあるまい。
そこでこの外部エネルギーの不要な純水飲料水化連動サイクルを可能とするには、電気分解における分解電圧が燃料電池の起電力1.229Vかそれ以下であることが必要である。この電解電圧(槽電圧または浴電圧)は酸化還元電位に関係しそれは起電力を決める標準平衡電位に依る。従って、他にマイナス作用が無い限り電解電圧は燃料電池の起電力と等しいとして宜しいことになる。しかしこの浴電圧は物の本には1.5Vとか1.7Vとか甚だしきに至っては1.9〜2.5Vとかあり決定的な値は定説化していないようである。そこでこの浴電圧を上記の酸化還元電位や標準平衡電位などをよく研究して算出したいのであるが手元に十分な資料がない。後日に譲ることにする。しかし他にマイナス作用がある場合にはそれを外部電力で補うことになる。しかしそんなに大きな値になるとは思われ無い。エネルギー保存の法則的に考えれば、HO+2eV⇔H+1/2Oは平衡していると思われ、この往復反応の場合、eはファラデーの法則の下において等値であるのでVも等値と考えて宜しいように思える。
海水の場合の電気分解は海水が塩化ナトリウムなどの希薄な水溶液であるので次のような電解反応をする。
電解液 : 2NaCl=2Na+2Cl
: 2HO=2H+2OH
陰極(+2e) : 2H+2e→H
陽極(−2e) : 2OH−2e→HO+1/2×O
この電気分解装置には分解質たる海水が必要に応じて順次補給されるようにし、電解生成物たる水素と酸素が隣接の燃料電池に電池活物質(電池の起電反応に直接関わる物質)として順次供給され、燃料電池からは発電電力が順次電解装置に供給され、また電池反応生成物たる純水は順次貯水槽に貯えられるようにする。なお、この電気分解反応において電解槽に塩類が蓄積されて行くのでそれが一定濃度に達するとその時点の電解液をそっくり取り替える必要がある。この取り替えた電解液は鹹水であるからこれを煎熬して食塩を製造したい。この場合上記のような電気ヒーター内設式電気煎熬釜を開発して使用したい。従来の燃焼熱使用煎熬釜より効率的と思われる。
無機や有機の不純物が若干含まれていて飲料水としては劣悪な井戸水や河水を電気分解する場合には導電性を適切に向上させる為に電解質として適量の硫酸か水酸化ナトリウムを電解槽に投入する。この場合の電解反応は次の通りである。
電解液 : HSO=2H+SO++
: 2HO=2H+2OH
陰極(+2e) : 2H+2e→H
陽極(−2e) : 2OH−2e→HO+1/2×O
電解液 : NaOH=Na+OH
: 2HO=2H+2OH
陰極(+2e) : 2H+2e→H
陽極(−2e) : 20H−2e→HO+1/2×O
なお、これらの電解反応において水素や酸素の電解生成物が収穫されるに応じて順次分解質たる水を補給するのであるが、電解質たる硫酸や水酸化ナトリウムは電池槽に留まり補給する必要はない。
また、これらの電解反応において逐次不純物が電解槽内に蓄積されて行くので、不純物の濃度が一定に達すると電解質ごとその場合の電解液を取り替える必要があろう。
以上のように構成された電気分解装置燃料電池結合電力再生循環使用式海水・河水・井戸水・上水等純水化装置。
【請求項25】
新油田が如何に開発されても有限な石油に対しては将来を考えて代替エネルギーの開発を平行して進めなくてはならない。前の項で提案した太陽熱風力発電装置の開発建設はどうしても避けることは出来まい。採れるのは電力とそれをエネルギーとする水素である。しかし水素は液化が困難で貯蔵運搬性を付けることは実に難しい。液体アンモニアにしたらと提案しているが石油燃料に比べれば嵩が張り使用上の取り扱いも複雑を極める。窒化水素は炭化水素と異なって窒素が燃え難いのでカロリーが低くそれ自体を燃焼させても無駄である。水素に戻す工程が必要である。
水素を有効に活かすにはやはり炭素との結合を図る以外にない。太陽熱を利用すれば水素は再生エネルギーとなる。炭素も太陽熱で以て再生化できれば水素と併せて炭化水素やアルコールとして循環利用できる。赤熱した炭素に炭酸ガスを吹き付けると亜炭酸ガスが採れる。
C+CO→2CO−37.4kcal
一酸化炭素2モルを採るのには37.4kcalが最低限必要である。亜炭酸ガス2モルの発熱量は2420cal/g×28g×2=135520cal=135.52kcalであり、掛けるエネルギーを大幅に上回る。従って、炭酸ガスを回収して燃料に再生することには全く損はない。
亜炭酸ガスを液体燃料化する方法は前の項で記した如く矢張りメタノールにする以外に無い。電解産水素と再生亜炭酸ガスからメタノールを合成したい。
2CO+4H→2CHOH
前の項で述べたようにこのメタノールからエタノールを脱水縮合したい。
2CHOH−HO→CHCHOH
以上のような、石炭などの炭素と水をベースとしたメタノールやエタノールの合成の工程で副産する炭酸ガスや石炭などの炭素と水から水素と炭酸ガスを採って水素を燃料とする場合に生じる炭酸ガスを石炭などの炭素で還元して一酸化炭素としそれと太陽熱風力発電装置の発電電力や余剰放棄電力で採れる水素とからメタノールを合成し必要によってはそれからエタノールを合成する方法。
【請求項26】
以前私は業務用食料品廃材や草木や稲藁などを原料とするバイオマスガスとしてのメタンガスを製造する方法を提案した。よく考えて見ると原料収集に相当手間が掛かり収益率も低い。もっと手軽に再生バイオマスを燃料化したい。
まず、麦藁や稲藁を高周波などで乾燥して粉末にし粉体バーナーを開発して燃料としうるようにしたい。また雑木や間伐材や払枝材などをチップにして高周波などで乾燥し粉末にして粉体バーナーで燃焼させうるようにしたい。
植物バイオマス粉体の発熱量は5000kcal/kgぐらいである。
地球上のバイオマスの賦存量は炭素ベースで2兆トン、この内毎年炭素にして2000億トンが光合成により生産されていると言われている(エネルギーのおはなし・小西誠一・75頁・日本規格協会・1995年)。従って毎年炭素にして2000億トンを伐採消費しても宜しいことになる。樹木に換算して発熱量にしてみると次のようになる。含有炭素率を木炭の収率から推して14.75%とすると、
2000億t÷0.1475=1兆3559億t 1兆3559億t×5000000kcal/kg=
677京9500兆kcal/年
この90%が海洋植物であり陸地植物は10%の
67京7950兆kcalである(現代新百科事典3・147頁・学研・1966年)。
これに対して世界で生産され消費されているエネルギーの総量は
10京1867兆kcalである。
年間消費エネルギー総量はバイオマス形成量の6.8倍にも達している。現代文明は如何に燃料を必要とするものであるかが判る。アメリカの石油資源と天然ガス資源が燃え尽きたようにこのままで行くと早晩人類は化石エネルギー資源を失って仕舞う。バイオマスも上手に燃料にすることを考案しなくてはならない。斯かる数字的考察なく廃材などの燃料化がいろいろ試みられて来たが化石燃料の内燃機関の効率に遠く及ばずバイオ燃料に真摯に取り組む組織はなくなった。
最高に効率化を考えた物でも乾燥チップまでであり、その燃焼炉をバーナー化することは考えられなかった。ストーブやカマドを粉体バーナ式にすることは比較的簡単であるが、煙突を設けなくてはならず定置型の大型の物しか考えられない。
小型で手軽なコンロ類にはガスバーナしか考えられずこのバイオ粉体を発電の燃料としてその電力で以て家庭などで水を分解し水素を採り各種のガスバーナ使用加熱機器の燃料とするのが好ましい。
発電用のバイオ粉体バーナは粉炭バーナと異なることは殆どあるまいから開発は簡単で問題はなかろう。発電用の石炭の消費量は479兆5200億kcalであるので下に述べるようにこの石炭に大部分代替できる。なお天然ガス発電は492兆2400億kcalを消費している。将来発電用バイオマスを石炭や天然ガスに替って輸入することになろう。早急なる開発が要請される。
それにしても、熱機関の効率を倍にすることが可能ならば世界のエネルギー資源は半分で済み、3倍に上げれば3分の1で済む。
蒸気タービン発電の効率は40%だ言われている。タービンは羽根車であるから45°の捻りが最大効率と思われそれは50%でありもう最大効率に近くこれ以上はなさそうである。
そこで蒸気機関をもう一度効率化できないか考えて見たら宜しいと思う。この場合ピストン移動距離とクランク山の高さとの比が1に近い程トルクが大きくなるように思っている。
さて、世界の薪炭に使用している木材総生産量は、400kg/mとして(現代商品大辞典新商品版・東洋経済・31頁・昭和61年)、17億9904万m×400kg/m=7億1962万tである。発熱量に直すと、7億1962万t×7000kcal/kg=
5037兆3400億kcalとなる。
世界のエネルギー消費量は石油に換算して91億1837万tである。発熱量では91億1837万t×11500000kcal/t=
10京4861兆2550億kcalである。
これから見ると、世界の薪炭燃料の占める地位は実に小さい。
また、日本の廃棄物的バイオ燃料の採取可能量は次のようである(現代商品大辞典新商品版・東洋経済・31頁・昭和61年)。
未利用雑木 2000万m 800万t/年 56兆kcal
農産廃棄物(稲藁、籾殻) 1200万t/年 84兆kcal
林業廃棄物(小枝、皮、葉)900万m 360万t/年 25.2兆kcal
製材くず 2800万m 1120万t/年 78.4兆kcal
243.6兆kcal
日本でこうであるからバイオマスのよく育つ各国においてはこの廃棄物的バイオマスは再生エネルギーとして注目されることになろう。特に、降雨量が多くてバイオマスのよく育つ南方諸国や南米諸国では乾燥粉末燃料に加工して利用性の向上を図れば広く重用されることになろう。
上表から判るように稲藁や麦藁の乾燥粉末は大変な威力を発揮する。主な国の穀物の生産量から藁類・籾殻類の乾燥粉体の燃料としての規模を示して見る。


現在、日本の木材の蓄積量は38億mである。しかし森林の木材となると20年ぐらいの周期でなくては伐採できまいから年間のバイオマス乾燥粉末の生産量の上限は質量/体積比を400kg/mとすれば38億m×400kg/m×7000kcal/kg÷20年=532兆kcal/年となる。
日本の乾燥木粉年間生産可能量 532兆kcal
藁籾殻 84兆
灯油 年間消費量 244兆
LPG 168兆
都市ガス 270兆
ガソリン 510兆
したがって、日本の藁木粉燃料生産可能量は藁籾殻84兆kcalと森林木532兆kcalの計616兆kcalである。上表の化石燃料の消費量と比較して見ると相当な量であり、今後予想される我が国の化石燃料の入手難の緩和に相当な力を発揮することになろう。勿論世界の各国においても同様である。
ところで現在、世界で家庭燃料を薪炭に依存している国の森林は丸裸になっている。農業国の密集しているアジアとアフリカの薪炭への依存度は極めて高い。特に原油が枯渇化高騰している現在では燃料を森林資源に依存する以外に無い。丸裸度はますます進んでいる。なぜ、このように丸裸が急激に加速するかと言うと竈(かまど)の熱効率が5%ぐらいしか無いからである。50%効率の竃が出来たとすれば世界の薪炭の使用量は5037兆kcalから10分の1の504兆kcalで済むことになる。丸裸は急激に後退する。
それには燃料木材を先ずチップとしそれを高周波乾燥機などで乾燥して搗くか挽くかして粉末として木材の何億倍かの表面積とし空気との接触面を拡大し燃焼効率を100%近くにしないと達成することは出来ない。そして粉体バーナーで以て火炎を強くして燃焼器を効率的につまり小型に作りたい。
以上のように稲藁や麦藁などの穀物藁と籾殻や麦殻などの穀物殻とを乾燥して製粉した、また燃料木材や林業廃棄物(小枝、皮、葉)や製材くずをチップに削製し乾燥して製粉した乾燥植物粉体、およびコンロやストーブや給湯機や発電用火炉や窯業用火炉に設える乾燥植物粉体を燃料とする乾燥植物粉体バーナー。
【請求項27】
往復機関も回転機関も回転の向きは一定でありその回転によって発生する振動は左右にバランスすることなく偏重している。この回転を生み出す機関を使用して来た輸送機械は自動車であろうと鉄道車両であろうと船舶であろうと飛行機であろうとこの発生する振動と力の向きのアンバランスに悩まされてきた。特に流体に浮いている飛行機や船舶にはこの影響力が大きくその対策装備は大がかりであった。例えば飛行機はプロペラやジェットエンジンの圧縮ファンの回転は一方向なので進行の向きが片向きになる力が生じる。スピードを上げる為にエンジンを大きくすればするだけそうなる。それをバランスする為には途轍もなく大きな垂直尾翼を設けなくてはならない。その為のエネルギー損失は非常である。
これをバランスさせる為には回転方向の反対な機関や電動機を最低二台は設けて相殺的にバランスさせたい。船舶や飛行機ではスクリューやプロペラを最低二翼設けることになる。自動車でも反対向きのエンジンを二台設けるのが理想となる。車輪の回転には問題は生じない。
この場合、変速機も成る可く捩れ振動を起こさない物が好い。必要変速比から検討してみる。トルク変換を必要とするのは坂に差し掛かった時とカーブに差し掛かった時である。その場合車重が何%ますと見做して宜しいか見てみよう。
坂の勾配 cosθ 必要加増倍数(変速比)
0° 1.0000 1.0000
5 0.9962 1.0038
10 0.9848 1.0154
15 0.9659 1.0353
20 0.9397 1.0642
25 0.9063 1.1034
30 0.8660 1.1547
35 0.8195 1.2207
40 0.7660 1.3055
45 0.7071 1.4142
この表から判るように坂を登る場合の変速比は最高でも1.4142ぐらいで宜しいことになる。従って、発車時の必要トルクを賄う変速比と坂やカーブを賄う変速比があれば十分と言うことになる。アイドリングの終了時のエンジン回転数を800回転とすれば、スタートの時のエンジン回転数を1200回転ぐらいと見ると半クラッチを用いない場合の必要変速比は下のようになる。

上の表から判るように最大変速比を2.83とすると、変速比を2.83に入れて速度が10kmぐらいまでは半クラを使用する必要がある。その後は1.42とか1.13とかがあれば言うことはないことになる。従って、上の表の坂25°〜40°の場合の1.1034、1.155、1.221、1.306、1.414ぐらいを2.83に加えると宜しいことが判る。これを4段とする場合には1.1034、1.1985、1.3018、1.4142ぐらいを加えると宜しかろう。勿論1.000は必要である。
自動変速にする場合にはこの変速比のギヤ対連にトルクコンバータを組み合わせると宜しいことになる。現在のマークXの場合と対比してみよう。
マークX変速比 ナガイ6段 ナガイ5段 ナガイ4段
一 3.538 2.8300 2.8300 2.8300
〜3.5000 〜3.5000 〜3.5000
二 2.060 1.4142 1.4142 1.4142
三 1.404 1.2968 1.2599 1.1892
四 1.000 1.1892 1.1225 1.0000
五 0.713 1.0905 1.0000
六 0.582 1.0000
現在のトルクコンバータは変速比がスムースに行っているか疑わしい。また変速が上手く行っているとしてもトルク伝達効率はある山に達すると急激に落ちてしまう。高い伝達効率を平均して保つことの出来るトルコンを発明することが急務である。しかし、果たしてそう言うトルコンの開発がトルコンの本質からして可能なのか判明していない。即ち方程式の存在しない世界なので試行錯誤で工作を繰り返しこれはと言う物を見出す以外にないのであろう。
一般的に、発車から70キロぐらいまで加速して行く場合に4〜5段の変速をしないと走行速度に対する駆動力が出ないとされて来た。その関係はエンジンの動力が一定の場合、動力(kg・m/s)=駆動力(kg)×速度(m/s)=一定として双曲線に描き、速度を上げて行くに従って必要駆動力を得る為に変速機をアップシフトしなくてはならないとどの参考書にも掲載されており、これに従って各メーカーは手動時代から今日の自動時代までの変速比を構成している。
これから示すように走行に必要な出力を数字で以て検討してみると坂やカーブに差し掛からない限り通常の加速・減速走行では変速は不要であることが判る。
そこで、何故通常走行時の加速・減速に変速を必要とするとされて来たかを推測して見ると、先の動力曲線=駆動力−車速曲線はkg(Y)=1/m/s(X)、Y=X−1とある一定のエンジン出力における即ち車速(エンジン回転数)における関係(曲線)であったからである。この動力(W)分数方程式は実際的にはW=2πNT=一定であり、N(回転数)を上げればT(トルク)は下がる関係にある。しかしエンジンのトルクの値は各エンジンに固有であって回転数とは関係なくどの回転数においても大体平均的に一定である。例えばここで用いるマークXのトルク−回転数曲線は大体255Nmぐらいに平行曲線である。いまW一定においては速度を上げる為に回転数を上げたい場合にはトルクを減らして回転数を上げる以外にない。即ち変速機を操作してトルクを減らす以外にないのである。2π2000回転255Nm=2π2300回転(255Nm×2000/2300=221Nm)となる。即ち2300/2000=1.15の変速比で加速すると同時に減トルクすることになる。
従って、この閉鎖的関係において2300回転から2650回転に上げる場合には2650/2300=1.152の変速比の歯車対を今使用している1.15の歯車対に足さなくてはならないことになる。従って、今上に見たようなマークXのような変速比の変速機では2650/2000=1.325の変速比を足さなくてはならないことになり求める2300のスピードではなく2300×1.325=3047.5のスピードが出ることになる。極端名ことを言えば、今日の変速機は全く役に立たないと言える。トルコンの半クラが常に働くから上手く行っていると言えるように思える。
実際にはアクセルを吹かせて回転数Nを上げれば出力Wが上昇するのである。即ちW=f(N)=(2πt)Nである。定格的に造られている車において走行速度の加減は変速機の操作を必要とせず変速比1においてエンジンの回転数の増減のみで十分可能である。
従って坂やカーブに差し掛かって速度を上げないでトルクを増やしたい場合のみにその坂やカーブの程度に従って変トルクが要求されることになる。
従って、変速機は変速機と呼ぶべきではなくトルク変換機すなわちトルクコンバータと呼ぶべき物である。トランスミッションとはエンジンの回転数を殆ど変えることが出来なかった蒸気自動車時代の呼び名であろう。
従って、トルクコンバータの変換比はマークXに例を採れば上表のようにするべきである。
また、通常走行においてトルクの変換は必要でないと言う数字を示しておく。車のその時々における要求速度は次のようになる。V+αt=Vn+1、従って、Vn+1=V+n×α×tとなる。また、走行速度から見たエンジンの必要出力Wは
W=Wn+1−W=1/2×kg×Vn+1−1/2×kg×V=1/2×kg×(Vn+1−V)である。
この必要出力Wを導き出したのは私が世界では初めてである。証明をしておく。
上に記した「運動エネルギー」言い換えれば「運動に必要なエネルギー」の式は
K=1/2×M×Vで表わされる。Mは質量、Vは速さである。上の例では
n+1=1/2×kg×Vn+1である。
この運動エネルギーは「動いている物体も、仕事をなしうるからエネルギーをもち、その量は静止するまでに他物体になす仕事の量で測られる」と言う考えに立って証明されている。
それはまず、「運動の第二法則」(小さい物体に力が働くと、その方向に加速度を生じ、力の大きさはその瞬間の加速度の大きさに比例する)を拠所としている。その式は
M×α=Fである。Mは質量、αは加速度である。
また、物体に力F(→)が働いている間に、その物体がs(→)だけ変位したとき、力の大きさFとF(→)の方向の変位S(→)の成分Scosθ(θはF(→)とS(→)とのなす角)との積Wを、力F(→)がなした仕事と言う。即ち
W=F・Scosθ=Fcosθ・S
物体が坂を登っていない場合すなわちθが0の場合cos0=1であるから
W=F×S
また、「等加速度直線運動の法則」も拠所としている。即ち、点が定加速度αで原点から直線運動をするとき、時刻tにおける位置S、速度Vは
S=V×t+1/2×α×t
V=V+α×t
例えば、所謂60kmで走ると言う場合には静止状態からの直線運動であり初速Vは無く0である。従って、上の式は次のようになる。
S=0+1/2×α×t
V=0+α×t
従って、仕事Wは
W=F×S=M×α×S
今、Sにt=V/αを代入すると
S=V/2α
したがって、仕事Wは
W=F×S=M×α×S=M×α×V/2α=1/2×M×V
しかし、自動車で60km/hで走っている場合は初速は0と言うことはない。必ず50km/hなら50km/hと言う初速がありそれにt時間加速度αで加速して60km/hに達した訳である。従って、走行に必要な駆動力すなわちエンジンの出力は0〜60km/hにおけるWn+1と0〜50km/hにおけるWとの差でよいことになると思われる。証明して見たい。
n+1−W=1/2×M×Vn+1−1/2×M×V=1/2×M×(Vn+1−V
車重Mに働くべき力を速度Vではなく加速度αの面から見てみて上のWn+1−W=1/2×M×(Vn+1−V)を満足しているか見てみよう。即ち
α×t=Vn+1−V
S=V×t+1/2×α×tに上式を代入すると
=V×t+1/2×t(Vn+1−V
=t/2(Vn+1−V
従って、α式とS式をFS式に代入すると
W=F×S=M×α×S
=M×1/t(Vn+1−V)×t/2(Vn+1+V
=1/2×M×(Vn+1−V
P=W/t=1/2×M×(Vn+1−V)/tn+1
n+1=V+α×tn+1
(Vn+1−V)/tn+1=α=constant 従って、
(Vn+1−V)/tn+1=(Vn+2−Vn+1)/tn+2
速度から求めた動力と加速度から求めた動力とはぴったりと一致する。従って、エンジンに要求される出力は加速過程における各速度が要求する運動のエネルギーの差の出力で宜しいとして求められる。
例を示してみる。マークXを例にすると車重1510kg、エンジントルク255J、タイヤ直径0.664mとする。50キロと60キロとで見てみよう。
60=1/2×1510kg×(16.67m/s)=209.8kJ
50=1/2×1510kg×(13.89m/s)=145.7kJ
50〜60=209.8kJ−145.7kJ=64.1kJ
また、55キロと60キロに刻んでみると
55=1/2×1510kg×(15.28m/s)=176.3kJ
50〜55=176.3kJ − 145.7kJ=30.6kJ
(16.67m/s−13.89m/s)/t50〜60=(15.28m/s−13.89m/s)/t50〜55
50〜55=0.5t50〜60
50〜55=W50〜55/t50〜55=30.6kJ/0.5t50〜60=61.2kJ/50〜60
また、30キロと40キロでは
40=1/2×1510kg×(11.11m/s)=93.2kJ
30=1/2×1510kg×( 8.33m/s)=52.4kJ
30〜40=93.2kJ−52.4kJ=40.8kJ
(11.11m/s−8.33m/s)/t30〜40=(16.67m/s−13.89m/s)/t50〜60
30〜40=2.81m/s×t50〜60÷2.78m/s=1.0t50〜60
30〜40=W30〜40/t30〜40=40.8kJ/1.0t50〜60
この場合の30キロから40キロへまた50キロから60キロへと10km/h加速する場合に要する仕事率Jn〜n+1/tn〜n+1におけるtn〜n+1は一定である。即ちVn+1−V=constantならば、αtn〜n+1におるtn〜n+1は上記のようにαは直線等加速度を前提としてconstantであるから、tn〜n+1はconstantである。即ちtn〜n+1は3秒の場合も5秒の場合もあるが、(Vn+1−V)/3s×3s=(Vn+1−V)/5s×5s=constantである。即ち、ΣΔtn〜n+1=constantである。10km/h幅加速する場合であろうと5km/h幅加速する場合であろうとこの加速時間幅に拘らずその車重に要するエンジンの出力は一定の大きさを必要とすると言うことが判る。これは当然のことであるが、以上の考察によってエンジンの大きさつまり如何なる出力のエンジンを搭載するべきかが計算可能となったのである。
それには、その時々のエンジン回転数における出力WEn+1即ちWEn+1=2πNn+1T/60が車の要求する運動のエネルギーを満足していなくてはならない。車輪の回転数は以外に低い。エンジンに要求されるあらゆる場合の出力におけるエンジン回転数を共通に減速する一定の比の歯車が必要となる。これをファイナルギヤと言う。走行速度がこのファイナルギヤを通して要求するエンジン回転数におけるエンジン出力と言うことになる。
この走行速度が要求するエンジン出力がぴったりと決まることが理想であるが物にはゆとりが必要であるので、実際のエンジン出力Wが少し勝っているようにするべきであろう。
そこで、マークXの場合、即ち車重は1510kg、エンジントルクは255Nm、タイヤ直径は0.664m、ファイナルギヤ比は6で実例を示してみる。60kmにおけるWとWを計算する。
60=1/2×1510kg×(16.67m/s)=209.8kJ
70=1/2×1510kg×(19.44m/s)=285.3kJ
70−W60=285.3kg−209.8kg=75.5kJ
E60=479rpm÷60s/m×6×2π×255J=76.7kW
E70=559rpm÷60s/m×6×2π×255J=89.6kW
今、この関係をマークXにおいて見てみると次のようになる。

このマークXはトルコン自動変速であり、ファイナルギア比は確か3.1であったと思う。上の表に見られるように3.1のファイナルギヤでは変速歯車を組み合わさない限り必要な出力を出す回転数にならない。それも2.04一つでよいことが判る。
以上から判るようにこれまでの変速機の歯車構成比は殆ど実用的ではなく使い物にならないと言っても過言ではあるまい。スタート時においてさえ殆どトルク変換は必要ではなくクラッチの半クラがありさえすればよいのかも判らない。トルクのコンバートは坂やカーブによる車重の増加時飲みと言っても差し支えなかろう。
以上のように考察して結論されたいろいろな坂やカーブによる各車重増加に階級的に対処しうる歯車比の歯車対の連と必要と認めればスタート時の半クラッチによる車重増加が要求する歯車比の歯車対と後退の場合の半クラッチによる車重の増加が要求する歯車比の歯車とからなるトルク変換機。
【請求項28】
発電用のボイラーなどの熱効率は大体45%と言われている。実に55%が放棄されている。蒸気タービン発電機を含めた蒸気発電全体では40%近い効率と言われている。蒸気発電機の効率は89%にもなることになる。ボイラーの効率さえ向上させれば火力発電ほど効率の好くなる熱機関はない。
ボイラーの放棄熱量をこれまでは上手く電力化する方法はなかった。日本の発電設備規模は2億7447万kWにも達している。年間の発電電力量に直すと次のようなる。
2億7447万kW×24h/d×365d/y=
2兆4043億5720万kWh
また、これを熱量に直すと、2兆4043億5720万kWh×860kcal/ kWh=
2067兆7472億kcal
公表発電電力量は
1兆1579億1100万kWh
熱量に直すと
995兆8035億kcal
電灯・電力需要
8825億5900万kWh
熱量に直すと
759兆kcal
我国のガソリンの消費量510兆kcalの倍にも達する。是非活用したい。
すなわち、公表発電電力量は総発電設備の発電電力量の48.2%にしか過ぎない。しかし、実際には、エネルギー投入産出表(日本の統計2007・148〜149頁)によると、発電用エネルギーの投入量は9465兆kJ(2271.6兆kcal)、産出発電量は3847兆kJ(923.3兆kcal)の40.6%にしか過ぎない。ところで、実際に売れている電灯・電力需要は公表発電電力量の66.8%である。また、売電電力量は投入エネルギーの40.6%の66.8%である27.1%にしか過ぎない。実に、投入熱量の72.9%を無駄に放棄しないと求めるべき電力量27.1%は得られないのである。
既に、私は、最低限では発電電力量と売電電力量との差2753億kwhを水の電気分解に使用して水素燃料を生産することを提案した。効率化できなかった非効率化エネルギーは大気に放棄しているのであるが、今日まで有効利用する方法は発明されなかった。投入エネルギーの実に59.4%が放棄され続けて来たのである。
そこで、私は「請求項21」で提案した「太陽熱風力発電装置」を応用して「発電排熱風力発電装置」を提案したい。大気の空気を次々に採取してそれにボイラーの排煙に次々に大気の空気をミックスして空気を加熱しそれを出来るだけ高い煙突に次から次に流して気流を起こしその風力で以て発電するようにしたい。その可能性を探って見たい。
発電投入エネルギー2271.6兆kcal−産出発電量923.3兆kcal=1348.3兆kcalを利用する。この熱量が温める空気の量は、
1348.3兆kcal=M×0.172kcal/kg×8
M=979兆8692億kg これを空気の体積に変えると、
979兆8692億kg÷1.239kg/m÷273/(273+20)=848兆7929億m この加熱空気を250mの煙突に流すとしよう。その場合の煙突の断面積は、
848兆7929億m÷250m=3兆3952億m
煙突の中を流れる空気の流速は自由落下の現象であり重力だけの力によってのみ落下する。
1秒間の流速と煙突の断面積から1秒間の流量を出す。
V=(2×9.807m/s×250m)1/2=70.02m/s
3兆3952億m×70.02m/s=237兆7319億m/s
重さに直すと
237兆7319億m/s×1.239kg/m×273/(273+20)=274兆4440億kg/s
この風力は
1/2×274兆4440億kg/s×(70.02m/s)=67京2772兆0765億J/s=672兆7721億kW
そして、250mの煙突を流れる時間は
250m÷70.02m/s=3.57s
投入から産出を引いた非効率化エネルギーの電力化エネルギーの総量は
672兆7721億kW×3.57s=2401兆7963億kWs
これをワット時に直すと
2401兆7963億kWs÷3600s/h=6672億kWh
公表発電電力量は1兆1579億kWhであり電灯・電力需要は8826億kWhである。従って、発電放棄熱で以てする「発電放棄熱風力発電」は公表発電電力量の57.6%になり電灯・電力需要の75.6%になる。
公表発電電力量とこの発電放棄熱発電電力量を加えた物は2兆2414億kWhとなり投入燃料2272兆kcal(2兆6419億kWh)の84.8%に達する。総合発電燃費効率は84.84%にもなり現在の発電投入燃料規模で以て国家経済規模を倍にまで伸ばしうる可能性が出る。勿論、煙突を250mよりも高くできればそれだけ発電効率は高まる。是非、実用実施するように努力して見たい。
それではいっそのこと、総ての発電において蒸気タービンを使用することを止めて人工的風による風力発電を行なうことがエネルギー損失が少なくて済むのではあるまいか。燃料を完全燃焼させてそれに空気を混合し煙突浮力のつく温度の暖気を作りそれを高い煙突に吸い込ませて風を起こしその風力で以て発電したらどうであろうか。
現在、発電の為に年間投入している総エネルギーを用いて燃焼気混合加熱空気を造りそれを東京タワー333mとほぼ等しい350mの煙突に流して「煙突燃焼加熱風力発電」を行なうとすると何兆キロワット時の発電量となるであろうか。
煙突を流れる風速はV=(2gh)1/2からV=(2×9.807m/s×350m)1/2=82.85m/sとなる。
この風速で1年間に煙突を流れる空気の重さは次のようなる。即ち、20℃から8℃ほど空気を加熱するとすると、その加熱した空気の重量は次のようなる。
2272兆kcal=M×0.172kcal/kg×8 から
M=1651.2兆kg この体積は
1651.2兆kg÷1.239kg/m÷273/293=1430.3兆m
この断面積は
1430.3兆m÷350m=4兆0866億m 1秒当りの流通体積は
4兆0866億m×82.85m/s=338兆5724億m/s
338兆5724億m/s×1.239kg/m×273/293=390兆8570億kg/s この発電風力は
P=1/2×390兆8570億kg/s×(82.85m/s)=134京1445兆3050億W=1341兆4453億kW
これは350mの高さの煙突を流速82.85m/sで流れた分の仕事率であるので煙突の中にはこの350m÷82.85m/s=4.2245s倍の加熱空気が詰っている。従って、その電力量は
1341兆4453億kW×4.2245s=5666兆9357億kWs
これを1時間の仕事率に直すと
5666兆9357億kWs÷3600s/h=1兆5742億kWh となる。
この火力加熱煙突風力発電法は2272兆kcal、電力量にして2兆6419億kWhを投入して1兆5742億kWhを産出した訳である。従って、効率は59.6%である。現在の我国の総発電業の投入・産出効率は923兆kcal/2272兆kcal=40.6%である。これから見れば上の煙突発電法は相当効率が良い訳である。関心のある方はこの火力煙突風力発電装置と従来の火力発電装置の建設費とどちらが安く付くか研究して見て欲しい。
勿論、この火力風力煙突発電法は煙突を高くすればするほど効率が良くなる。今、煙突を350mから450mに上げたとすれば、59.6%×450/350=76.6%に向上する。この成否は果たしてこう言う超高な煙突が建設できるかどうかに掛かっている。
現在の水蒸気熱媒体発電法がその効率において技術的に頭打ちにあるようであるから、その打開策に是非研究開発を進めて見たい。成功すれば、世界の発電電力量16兆7696億8700万kWh(日本の発電電力量の16倍)は熱効率40%で運営されているとすれば、この投入燃料量は3京6054兆8271億kcalとなる。これを熱効率80%の火力煙突風力発電に替えれば半分の1京8027兆4136億kcal即ち18億0274万トンで済み世界の最終消費燃料量は91億1837万tから73億1563万tに低下する。19.8%の節約となる。
「請求項」で提案した水電気分解燃料水素を生産する「余剰放棄電力量」は公表発電発電量1兆1579億kWh−電灯・電力需要8826億kWh=2753億kWhである。勿論、これは全投入燃料量の熱効率を一段と高める。
これら、発電余剰放棄熱煙突風力発電量6672億kwhを金額に直すと、1キロワット時22円とすれば14兆6784億円にもなる。年間の建設費をこの4分の1とすれば3兆6696億円となる。15年間でやり上げるとすればその総工事高は55兆円に登る。
また、世界の発電電力年間売上高は日本円にして、16兆7697億kWh×22円/kWh=368兆9334億円にもなる。この4分の1を建設費と見ると年間92兆3000億円となる。1ドル160円とすると、5765億ドルとなる。30年間を耐用サイクルとすると、17兆2937億ドル2769兆円の総工事量となる。これは米国の年間国民総生産GNP 12兆4872億ドルを38.5%も上回る。これをベースとするだけでで世界の建設業界は飯を食える。加えて太陽熱煙突風力発電建設を徐々に化石燃料に代替させて行くと、建設業界は愈くえることになる。
以上のような、所謂火力発電において、蒸気ボイラーを加熱する熱エネルギーの内仕事に変わらなかった熱エネルギー即ち一般的には煙と呼ばれる排気ガスを大気から取り入れる空気に混合してその空気を加熱して浮力を持たせ高い煙突に吸い込ませて煙突対流を起こして継続的な風力を人工しその風力で以て発電をするようした「排気熱煙突対流風力発電法」。
【請求項29】
また、以上のような、所謂火力発電に替えて、燃料をバーナーなどで大気から取り入れる空気の中で燃焼させ適切な温度の加熱空気を次々に造りだし浮力を持たせて高い煙突に吸い込まさせ継続的な加熱空気の煙突対流を造り出して風力を人工しその風力で以て発電をするようした「火力煙突対流風力発電法」。

【公開番号】特開2009−117323(P2009−117323A)
【公開日】平成21年5月28日(2009.5.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−316378(P2007−316378)
【出願日】平成19年11月7日(2007.11.7)
【出願人】(594052526)
【Fターム(参考)】