説明

硬質皮膜層及びその形成方法

【課題】結晶質でクラックを有さず、高い硬さと優れた耐摩耗性とを兼ね備えた硬質皮膜層及びその形成方法を提供する。
【解決手段】基材2を被覆する結晶質の硬質皮膜層3は、PVD法により形成され,SiとCとを必須成分とし、元素M[3A族元素,4A族元素,5A族元素,6A族元素,B,Al及びRuの中から選ばれた1種以上の元素]とNとを選択成分とし、Si1−x−y−z(0.4≦x≦0.6、0≦y≦0.1、0≦z≦0.2)の組成を有する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、優れた耐摩耗性が要求される用途、例えば切削工具や摺動部材等に用いられる硬質皮膜層及びその形成方法に関する。
【背景技術】
【0002】
SiC(炭化珪素)は、バルクのセラミックでは40GPa以上の高い硬さを有し、耐酸化性と耐摩耗性に優れることから、切削工具等への応用が期待されている(例えば、特許文献1、非特許文献1参照)。特許文献1では、RFマグネトロンスパッタ法等によりSiC焼結体からクラスターイオンを励起させ、生成したクラスターイオンを基材に堆積させることにより、基材の表面にSiC膜層を形成している。また、非特許文献1では、マグネトロンスパッタイオンプレーティング法によりSiC膜層を形成している。
【特許文献1】特開2007−90483号公報(段落[0031]、[0035]、実施例1,2等)
【非特許文献1】Knotek et al.,“Amorphous SiC PVD Coatings”, Diamond and Related Materials, 2(1993), pp528-530
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
しかしながら、特許文献1及び非特許文献1に開示されたSiC膜層は非晶質であるため、硬さと耐摩耗性が十分ではない。非特許文献1には、非晶質SiC膜層は、高温で熱処理されることによって結晶化する旨が記載されている。しかし、非特許文献1には、SiC膜層を結晶化させるとSiC膜層にクラックが発生するという問題が生じる旨が記載されている。このようなクラックを有するSiC膜層を実用に供することはできない。
【0004】
本発明はかかる事情に鑑みてなされたものであり、クラックの発生がなく、高い硬さと優れた耐摩耗性とを兼ね備えた硬質皮膜層及びその形成方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0005】
発明者らは、上記課題について鋭意検討した結果、PVD法の成膜条件を制御することにより、クラックを発生させることなく、結晶質のSiC膜を成膜することができることを見いだし、本発明を完成させるに至った。なお、本発明において「結晶質」とは、CuKα線を使用してX線回折(XRD)を行った場合に回折角度34〜36°に観察されるSiCピークの半値幅が3°以下であるものをいい、実質的にSiC結晶とみなすことができるものに限らず、SiC結晶と非晶質SiCとが存在して複合組織を形成しているものを含む。
【0006】
すなわち、本発明の請求項1に係る硬質皮膜層は、PVD法により形成され,所定の基材を被覆する硬質皮膜層であって、
SiとCとを必須成分とし、元素M[3A族元素,4A族元素,5A族元素,6A族元素,B,Al及びRuの中から選ばれた1種以上の元素]とNとを選択成分とし、Si1−x−y−z(0.4≦x≦0.6、0≦y≦0.1、0≦z≦0.2)の組成を有し、CuKα線を使用してX線回折を行った場合に回折角度34〜36°に観察されるSiCピークの半値幅が3°以下であることを特徴とする。
【0007】
このように、基材を被覆する硬質皮膜層を、結晶質のSiC皮膜層とすることにより、飛躍的に硬質皮膜層の硬さが高められ、優れた耐摩耗性が得られる。硬質皮膜層に前記規定範囲内の量のNを添加することにより、硬質皮膜層の硬さを保ちながら、硬質皮膜層のヤング率のみを小さくすることができる。これにより、硬質皮膜層に外部応力が加わったときの弾性変形量が増加し、硬質皮膜層における割れ等の発生が抑制される。また、元素Mは、非金属元素であるC,Nと強く結合するため、元素Mが前記規定範囲内で硬質皮膜層に添加されることにより、硬質皮膜層の硬さを高くすることができる。
【0008】
本発明の請求項2に係る硬質皮膜層は、請求項1に係る硬質皮膜層において、Si1−x−y−zの結晶構造が立方晶系に属することを特徴とする。
【0009】
このような構成によれば、硬質皮膜層の硬さをより高くすることができる。
【0010】
本発明の請求項3に係る硬質皮膜層は、PVD法により形成され,少なくとも1層の第1皮膜層と少なくとも1層の第2皮膜層とが交互に積層された構造を有し、前記第1皮膜層が所定の基材の表面に形成されて、前記基材を被覆する硬質皮膜層であって、
前記第1皮膜層は、4A族元素,5A族元素及び6A族元素の中から選ばれた1種以上の元素を必須成分とし、3A族元素,Si,Al及びBから選ばれた1種以上の元素を選択成分として含有する窒化物,炭窒化物または炭化物からなり、
前記第2皮膜層は、SiとCとを必須成分とし、元素M[3A族元素,4A族元素,5A族元素,6A族元素,B,Al及びRuの中から選ばれた1種以上の元素]とNとを選択成分として、Si1−x−y−z(0.4≦x≦0.6、0≦y≦0.1、0≦z≦0.2)の組成を有し、CuKα線を使用してX線回折を行った場合に回折角度34〜36°に観察されるSiCピークの半値幅が3°以下であることを特徴とする。
【0011】
第1皮膜層を構成する化合物は、第2皮膜層と比較して、基材との密着性に優れている。そのため、このような構成とすることにより、基材と硬質皮膜層との密着性が高められる。また、第1皮膜層は、通常の切削工具に用いられている超硬合金や高速度工具鋼よりも硬さが高いため、本発明に係る硬質皮膜層を切削工具に応用した場合には、第1皮膜層を有することによって外力に対する基材の変形が減少する。これにより、硬質皮膜層全体の割れや剥離が抑制され、優れた耐久性が得られる。さらに、硬質皮膜層を、第1皮膜層と第2皮膜層とをそれぞれ2層以上有する多層構造とした場合には、硬質皮膜層の内部に界面構造が導入されることによって、硬質皮膜層全体の硬さが高められる。
【0012】
本発明において、請求項4及び請求項5に係る発明は、前記請求項1,2に係る硬質皮膜層の形成方法であると共に、前記請求項3に係る硬質皮膜層を構成する第2皮膜層の形成方法でもある。
【0013】
すなわち、本発明の請求項4に係る硬質皮膜層の形成方法は、所定の基材の表面にSi1−x−z−y[0.4≦x≦0.6、0≦y≦0.1、0≦z≦0.2、元素Mは3A族元素,4A族元素,5A族元素,6A族元素,B,Al及びRuの中から選ばれた1種以上の元素]の組成を有し、かつ、CuKα線を使用してX線回折を行った場合に回折角度34〜36°に観察されるSiCピークの半値幅が3°以下である硬質皮膜層を形成する方法であって、
前記基材を400〜800℃の所定温度に保持し、かつ、前記基材に−30〜−300Vの所定のバイアス電圧を印加して保持し、
PVD法により、前記基材の表面に前記硬質皮膜層を成膜することを特徴とする。
【0014】
このような方法によれば、基材を所定の温度に保持し、かつ、所定のバイアス電圧を印加してPVD法による成膜を行っているため、クラックを発生させることなく、高い硬さを有する結晶質の硬質皮膜層を形成することができる。
【0015】
本発明の請求項5に係る発明は、PVD法として、マグネトロンスパッタリング法を用いるものであり、前記した効果、すなわち、クラック発生の抑制及び高い硬さを有する結晶質の硬質皮膜層の形成効果を顕著に得ることができる。
【0016】
本発明の請求項6に係る発明は、前記請求項3に係る硬質皮膜層を構成する第1皮膜層の形成方法である。すなわち、本発明の請求項6に係る硬質皮膜層の形成方法は、前記硬質皮膜層の成膜前に、4A族元素,5A族元素及び6A族元素の中から選ばれた1種以上の元素を必須成分とし、かつ、3A族元素,Si,Al及びBから選ばれた1種以上の元素を選択成分として含有する窒化物、炭窒化物または炭化物からなる別の硬質皮膜層を形成することを特徴とする。ここで、「別の硬質皮膜層」が前記第1皮膜層に相当する。
【0017】
このような方法によれば、基材との密着性に優れた別の硬質皮膜層(第1皮膜層)を形成することができる。
【0018】
本発明の請求項7に係る発明は、前記請求項6に係る硬質皮膜層の形成方法において、別の硬質皮膜層の成膜と前記硬質皮膜層の成膜とを交互に複数回行うことを特徴とする。
【0019】
このような方法によれば、硬質皮膜層の内部に多くの界面構造が導入されるため、さらに硬さの高い硬質皮膜層を形成することができる。
【発明の効果】
【0020】
請求項1,2に係る硬質皮膜層によれば、クラックがなく、高い硬さを有するSiC皮膜層が基材に形成されているために、優れた耐摩耗性が得られる。請求項3に係る硬質皮膜層によれば、基材の表面に第1皮膜層が形成され、この第1皮膜層上に第2皮膜層として高い硬さを有するSiC皮膜層が形成されていることによって、密着性に優れた硬質皮膜層が得られる。また、第1皮膜層と第2皮膜層とをそれぞれ2層以上備えた構造とすることにより、硬質皮膜層全体の硬さをさらに高めることができる。
【0021】
請求項4,5に係る各硬質皮膜層の形成方法によれば、クラックを発生させることなく、高い硬さと優れた耐摩耗性を有する結晶質の硬質皮膜層を形成することができる。請求項6に係る硬質皮膜層の形成方法によれば、第1皮膜層たる別の硬質皮膜層を形成することによって、基材との密着性に優れた硬質皮膜層を形成することができる。請求項7に係る硬質皮膜層の形成方法によれば、硬質皮膜層と別の硬質皮膜層とをそれぞれ複数備えた多層構造とすることにより、さらに高い硬さの硬質皮膜層を形成することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0022】
《第1実施形態》
図1(a)に本発明の第1実施形態に係る硬質皮膜層を備えた部材の概略断面図を示す。この部材1Aは、基材2の表面が硬質皮膜層3により被覆された構造を有している。
基材2としては、鉄基合金や超硬合金等の金属材料、サーメット、セラミックスが好適に用いられる。部材1Aを切削工具として用いる場合には、基材2としては、超硬合金が特に好適に用いられる。
【0023】
硬質皮膜層3は単層構造を有している。硬質皮膜層3は、Si(珪素)とC(炭素)とを必須成分とし、N(窒素)と元素Mとを選択成分として、Si1−x−y−z(0.4≦x≦0.6、0≦y≦0.1、0≦z≦0.2)の組成を有する。元素Mは、周期律表の3A族元素,4A族元素,5A族元素,6A族元素,B,Al及びRuの中から選ばれた1種以上の元素である。
【0024】
硬質皮膜層3は結晶質である。ここで、「結晶質」とは、CuKα線を使用してX線回折(XRD)を行った場合に、回折角度(2θ)34〜36°に観察されるSiCピークの半値幅(FWHM:Full Width Half Maximum)が3°以下であるものをいい、実質的にSiC結晶とみなすことができるものに限られず、SiC結晶と非晶質SiCとが存在して複合組織を形成しているものをも含む。この回折角度34〜36°に観察されるピークは、具体的には、立方晶SiCの[111]面のピークに相当する。硬質皮膜層3としてのSi1−x−y−zは、結晶構造が立方晶系に属する場合に高い硬さを示す。
【0025】
そこで、硬質皮膜層3を結晶質とするために、Siの原子比xは、0.4以上0.6以下とされる。また、Nは必要に応じて硬質皮膜層3に添加される。Nは、Si1−xに固溶して、Cのサイトを占有する。Nの原子比yを0<y≦0.1として、硬質皮膜層3の組成をSi1−x−yとすることにより、硬質皮膜層3の硬さを維持しながら、ヤング率のみを小さくすることができる。硬質皮膜層3のヤング率が小さくなると、硬質皮膜層3に外部応力が加わったときの弾性変形量が増加するため、硬質皮膜層3におけるクラックの発生が抑制される。Nの原子比yが0.1を越えると、硬質皮膜層3が非晶質化するため、硬さが低下する。そのため、Nを添加する場合の原子比yを0.1以下とする。Nの原子比yは、好ましくは0.05以下とされる。
【0026】
元素Mは、非金属元素であるC,Nと強く結合する。元素Mの原子比zを0<z≦0.2として硬質皮膜層3の組成を、Si1−x−zとすることにより、硬質皮膜層3の硬さを高くすることができる。元素Mの原子比zが0.2を越えると、硬質皮膜層3の硬さが低下する。そのため、元素Mを添加する場合の原子比zを0.2以下とする。元素Mの原子比zは、好ましくは0.05以下とされる。元素Mのうち好ましい元素としては、B,Cr,V,Tiが挙げられ、中でも、Bが最も好ましい。
【0027】
Nと元素Mの両方をSi1−xに添加して、硬質皮膜層3の組成をSi1−x−y−zとすることにより、前記したNの添加効果と元素Mの添加効果の両効果が得られる。Si1−x−y−zにおいて、Nの原子比yと元素Mの原子比zの合計量(y+z)は、硬質皮膜層3を立方晶SiCの結晶構造に維持する観点から、0.1以下とすることが好ましい。
【0028】
硬質皮膜層3の厚さは、部材1Aの用途に応じて適宜定められる。例えば、部材1Aをチップやドリル、エンドミル等の切削工具として用いる場合には、硬質皮膜層3の厚さは0.5μm以上であることが好ましい。また、部材1Aを鋳造金型や抜き打ちパンチ等の治工具として用いる場合には、硬質皮膜層3の厚さは1μm以上であることが好ましい。以下に説明する成膜プロセスを考慮すると、生産性を高める観点から、硬質皮膜層3の厚さは5μm以下とすることが好ましい。
【0029】
硬質皮膜層3は、その組成の成分を用いたPVD法を用いて形成される。PVD法では、所定の成分よりなるターゲットが、必ず用いられる。ここで、ターゲットには、硬質皮膜層3を構成する成分の全てが含まれている必要はなく、一部の成分をガスとして処理雰囲気に供給することができる。「その組成の成分を用いた」とは、その組成の成分がスパッタターゲットまたはガスに含まれることをいう。
【0030】
前記PVD法としては、例えばSiCターゲットを使用したカソード放電型のアークイオンプレーティングや、Siを炭化水素雰囲気中で電子ビーム溶解・蒸発させる反応性蒸着等も用いることができるが、イオン照射による硬質皮膜層3の結晶化を促進する観点から、マグネトロンスパッタリング、特にアンバランスドマグネトロンスパッタリングが好適に用いられる。アンバランスドマグネトロンスパッタリングは、スパッタターゲットの背面に設けられた磁石のバランスを意図的に崩して、基材2へのイオン照射を強化するものである。以下ではマグネトロンスパッタリングを例にとって成膜方法を説明する。
【0031】
硬質皮膜層3を形成するためのマグネトロンスパッタリングでは、硬質皮膜層3の組成であるSi1−x−y−zの成分のうち、必須成分であるSiを少なくとも含むスパッタターゲットが用いられる。このSiを少なくとも含むスパッタターゲットに含まれていない他の成分の成分源としては、別のスパッタターゲットまたはガスが用いられる。Siを少なくとも含むスパッタターゲットにC,Nの一方または両方が含まれている場合に、Cを含むガスやNを含むガスを併用してもよい。硬質皮膜層3の形成に好適に用いられるマグネトロンスパッタリング装置の概要については、後記する実施例において、詳細に説明する。
【0032】
基材2の表面にSi1−x(0.4≦x≦0.6)の組成を有する結晶質の硬質皮膜層3を形成する場合の具体例について説明する。まず、基材2を、所定の減圧雰囲気下において、400〜800℃の範囲の所定温度に保持し、かつ、基材2に−30〜−300Vの範囲の所定のバイアス電圧を印加した状態に保持する。この状態において、Si1−x組成を有する焼結体をスパッタターゲットとして用いたマグネトロンスパッタリングにより、基材2の表面に硬質皮膜層3を成膜する。
【0033】
硬質皮膜層3を成膜する際に、基材2の温度が400℃未満であると、非晶質のSi1−x膜層が形成されやすくなる。一方、基材2の温度が800℃を超えると、基材2に熱劣化が生じる可能性が高くなる。そのため、基材2の温度は、400〜800℃の範囲の所定温度に維持される。硬質皮膜層3の結晶化を促進する観点から、基材2の温度を500℃以上とすることが好ましい。また、基材2の熱劣化を抑制する観点から、基材2の温度を700℃以下とすることが好ましい。
【0034】
基材2に印加するバイアス電圧の絶対値が30V未満である場合には、マグネトロンスパッタリングにより発生するイオンを、十分に加速させて基材2に衝突させることができない。この場合には、非晶質のSi1−x膜層が形成されやすくなる。一方、絶対値で300Vを超えるバイアス電圧を印加すると、成膜中のイオン衝撃が強すぎるために、成膜されるSi1−x膜層が非晶質化、軟質化すると共に、基材2の温度が上昇したり、イオンによるエッチング作用が強くなったりすることにより、成膜レートが低下する等の問題が生じる。
【0035】
Si1−xの組成を有する硬質皮膜層3を形成する場合に、必ずしも、スパッタターゲットとしてSi1−xの組成を有する焼結体を用いなければならないわけではない。例えば、スパッタターゲットとしてSiよりなるもののみを用い、炭素を含むガス(例えば、アセチレン(C),メタン(CH)等)をC源としてスパッタ処理雰囲気に供給して、マグネトロンスパッタリングを行ってもよい。
【0036】
スパッタターゲットに全ての成分が含まれている場合であっても、特定の成分を含むガスをスパッタ処理雰囲気に供給して、マグネトロンスパッタリングを行うこともできる。このような方法によれば、スパッタターゲットの組成と異なる組成を有する硬質皮膜層3を形成することができる。例えば、SiC(Si1−xにおいてx=0.5)の組成を有する焼結体をスパッタターゲットとして用い、かつ、炭素を含むガスをスパッタ処理雰囲気にC源として供給し、マグネトロンスパッタリングを行う。これにより、Si1−x(0.4≦x<0.5)の組成を有する硬質皮膜層3を成膜することができる。
【0037】
Nを添加して、Si1−x−y(0<y≦0.1)の組成を有する硬質皮膜層3を形成する方法としては、例えば、スパッタターゲットとしてSi1−x−y焼結体を用いて、マグネトロンスパッタリングを行う方法がある。また、SiC焼結体をスパッタターゲットとして用い、処理雰囲気にNガスをN源として供給して、マグネトロンスパッタリングを行う方法を用いることもできる。さらに、Siよりなるスパッタターゲットを用い、C源としての炭素を含むガスと、N源としてのNガスとを処理雰囲気に供給して、マグネトロンスパッタリングを行う方法がある。
【0038】
元素Mを添加して、Si1−x−z(0<z≦0.2)の組成を有する硬質皮膜層3を形成する方法としては、例えば、スパッタターゲットとしてSi1−x−z焼結体を用いて、マグネトロンスパッタリングを行う方法がある。また、Si1−x焼結体よりなるスパッタターゲットと、元素Mよりなるスパッタターゲットを同時に用いて、マグネトロンスパッタリングを行ってもよい。さらに、Siよりなるスパッタターゲットと、元素Mよりなるスパッタターゲットを用い、炭素を含むガスを処理雰囲気にC源として供給して、マグネトロンスパッタリングを行う方法がある。
【0039】
Nと元素Mを添加して、Si1−x−z−y(0<y≦0.1、0<z≦0.2)の組成を有する結晶質の硬質皮膜層3を形成する方法としては、例えば、前記したSi1−x−z(0<z≦0.2)の成膜方法において、処理雰囲気にNガスをN源として供給して、マグネトロンスパッタリングを行う方法が挙げられる。また、Si1−x−z−y焼結体をスパッタターゲットとして用いて、マグネトロンスパッタリングを行ってもよい。
【0040】
《第2実施形態》
図1(b)に本発明の第2実施形態に係る硬質皮膜層を備えた部材の概略断面図を示す。この部材1Bは、基材2の表面が硬質皮膜層6によって被覆された構造を有している。この硬質皮膜層6は、基材2の表面に形成された第1皮膜層4と、第1皮膜層4上に設けられた第2皮膜層5とを有する2層構造を有している。
【0041】
部材1Bを構成する基材2は、前記した部材1A(図1(a))を構成する基材2と同じである。硬質皮膜層6を構成する第2皮膜層5は、前記した部材1A(図1(a))を構成する硬質皮膜層3と実質的に同じである。つまり、部材1Bは、部材1Aを構成する基材2と硬質皮膜層3との間に、第1皮膜層4に相当する層を介在させた構成と考えることができる。ここでは、基材2及び第2皮膜層5についての詳細な説明を省略する。
【0042】
第1皮膜層4は、4A族元素,5A族元素及び6A族元素の中から選ばれた1種以上の元素を必須成分とし、3A族元素,Si,Al及びBから選ばれた1種以上の元素を選択成分として含有する窒化物,炭窒化物または炭化物からなる。このような第1皮膜層4は、第2皮膜層5よりも、基材2に対して優れた密着性を示す。また、第2皮膜層5は、基材2に対してよりも、第1皮膜層4に対して密着性がよい。したがって、基材2の表面に第1皮膜層4が設けられていることによって、硬質皮膜層6は基材2に対して優れた密着性を示す。つまり、部材1Bは、前記した部材1Aにおける基材2と硬質皮膜層3との間の密着性が改善された部材ということができる。部材1Bの構成が適用された切削工具や治工具、摩擦材は、優れた耐久性を示す。
【0043】
第1皮膜層4は、Ti及びCrの1種以上を必須成分とし、Y,Al及びSiから選ばれた1種以上を選択成分とする窒化物であることが好ましい。具体的には、第1皮膜層4は、TiN,CrN,TiC,TiAlN,CrAlN,TiCrAlN,TiCrAlSiN,TiAlSiN,TiCrAlSiYNのいずれかであることが好ましい。これらのうち、CrまたはAlを含むCrN,TiAlN,CrAlN,TiCrAlN,TiCrAlSiN,TiAlSiN,TiCrAlSiYNは、切削工具への応用に好適である。その理由は、第1皮膜層4がTiと選択成分との化合物からなり、かつ、Alを含有しない場合には、耐酸化性が低くなり、切削時の高温によって酸化劣化して、切削性能が低下するからである。
【0044】
第1皮膜層4の厚さが薄すぎると、基材2に対する密着性改善の効果が実質的に得られない。そのため、第1皮膜層4の厚さは5nm以上とすることが好ましい。部材1Bのように、第1皮膜層4を基材2の表面に1層のみ形成し、この第1皮膜層4上に第2皮膜層5を1層のみ形成する場合には、第1皮膜層4の厚さは1μm以上とすることが好ましく、2μm以上とすることがより好ましい。第1皮膜層4は、その厚さが7μmを越えた場合には、第1皮膜層4自身の応力によって剥離しやすくなる。したがって、第1皮膜層4の厚さは7μm以下とすることが好ましい。第2皮膜層5の厚さは、前記した部材1Aに形成される硬質皮膜層3の厚さに準ずる。
【0045】
基材2の表面への第1皮膜層4の形成には、第1皮膜層4の組成を有するターゲットを用いたアークイオンプレーティングが好適に用いられる。こうして形成された第1皮膜層4上に、第2皮膜層5としてのSi1−x−z−y膜層を、前記したマグネトロンスパッタリングにより形成する。このとき、成膜装置として、チャンバ内に載置された基材2に対して、マグネトロンスパッタリングとアークイオンプレーティングを選択的に行うことができる成膜装置を用いることが好ましい。このような成膜装置を用いると、第1皮膜層4の成膜後に、基材2を移動させることなく第2皮膜層5を成膜することができるため、生産性が向上する。なお、第1皮膜層4の形成にはCVD法を用いることもできる。
【0046】
《第3実施形態》
図1(c)に本発明の第3実施形態に係る硬質皮膜層を備えた部材の概略断面図を示す。この部材1Cは、基材2の表面が硬質皮膜層7によって被覆された構造を有している。硬質皮膜層7は、第1皮膜層4と第2皮膜層5とが交互に積層された多層構造を有している。硬質皮膜層7を構成する第1皮膜層4及び第2皮膜層5はそれぞれ、前記した部材1Bに形成されている硬質皮膜層6を構成する第1皮膜層4及び第2皮膜層5と実質的に同じである。基材2の表面には、基材2との密着性に優れる第1皮膜層4が形成される。第1皮膜層4と第2皮膜層5それぞれについての組成や結晶構造、選択される材料等については、前記しているため、ここでの説明は省略する。
【0047】
「多層構造」とは、第1皮膜層4と第2皮膜層5の合計の層数が3層以上であることをいう。部材1Cを切削工具へ応用する場合には、耐摩耗性に優れる第2皮膜層5を表層として形成することが好ましいため、実質的に、硬質皮膜層7において、第1皮膜層4と第2皮膜層5の合計の層数は、4以上の偶数であることが好ましい。硬質皮膜層7は、その内部に多くの界面構造が導入された構造となるため、さらに硬さが高められ、耐摩耗性が向上する。そのため、部材1Cを用いてなる切削工具等は優れた耐久性を示す。
【0048】
第1皮膜層4と第2皮膜層5の各厚さは、硬質皮膜層7の全体の厚さに対して十分に小さいことが好ましい。多くの界面構造が硬質皮膜層7内に形成されることにより、硬さを高くすることができる。第1皮膜層4と第2皮膜層5の厚さはそれぞれ、5〜500nmの範囲内であることが好ましく、10〜30nmの範囲内であることが、より好ましい。第1皮膜層4の厚さと第2皮膜層5の厚さは同じである必要はない。複数の第1皮膜層4の各厚さも同じである必要はなく、複数の第2皮膜層5の各厚さも同じである必要はない。さらに、複数の第1皮膜層4の各組成は同じである必要はなく、複数の第2皮膜層5の各組成も同じである必要はない。第1皮膜層4と第2皮膜層5の各組成、各厚さ、積層数は、多層化により硬質皮膜層7内に発生する内部応力が小さくなるように、適宜、設定されることが好ましい。
【0049】
前記した通り、好ましくは、第1皮膜層4はアークイオンプレーティングにより成膜され、第2皮膜層5はマグネトロンスパッタリングにより成膜される。硬質皮膜層7は、第1皮膜層4の成膜と第2皮膜層5の成膜を交互に所定回数行うことにより形成される。
【実施例】
【0050】
以下、本発明に係る実施例について説明する。本発明は以下の実施例に限定されるものでない。本実施例では、前記した部材1B及び部材1Cの構造を有する試料を作製し、評価することとした。
【0051】
《基材の表面への硬質皮膜層の成膜》
[成膜装置の概要]
図2に、基材に第1皮膜層4及び第2皮膜層5を形成するために用いられた複合成膜装置の概略構成を示す。複合成膜装置100は、チャンバ10と、真空ポンプ(図示せず)と、ガス供給機構12と、ステージ14と、ヒータ16と、アンバランスドマグネトロンスパッタリング蒸発源(神戸製鋼所製,型番:UBMS202)18(以下「スパッタ蒸発源18」と記す)と、カソード放電型のアークイオンプレーティング蒸発源22(以下「アーク蒸発源22」と記す)と、バイアス電源24と、スパッタ電源26と、アーク電源28とを備えている。
【0052】
実施する成膜プロセスに応じて、Ar,N,CH等のガスが、ガス供給機構12からチャンバ10に供給される。なお、図2に示されるMFC1〜MFC4は、マスフローメータである。真空ポンプ(図示せず)によって、チャンバ10の内部は、必要な真空度に調節される。ステージ14に、第1皮膜層4及び第2皮膜層5を形成するための基材2が載置される。ステージ14に載置された基材2は、ヒータ16によって加熱される。スパッタ蒸発源18には、第2皮膜層5を成膜するためのスパッタターゲットが取り付けられる。例えば、一方のスパッタ蒸発源18には、Si1−xよりなるスパッタターゲットが取り付けられ、他方のスパッタ蒸発源18には、元素Mよりなるスパッタターゲットが取り付けられる。アーク蒸発源22には、第1皮膜層4を形成するための金属または合金よりなるターゲットが取り付けられる。
【0053】
バイアス電源24によってステージ14にバイアス電圧が印加される。このバイアス電圧は、ステージ14に載置された基材2に印加されることとなる。スパッタ蒸発源18から原子,イオンまたはクラスタが発生するように、スパッタ蒸発源18の電位がスパッタ電源26によって制御される。アーク蒸発源22から原子,イオンまたはクラスタが発生するように、アーク蒸発源22の電位がアーク電源28によって制御される。
【0054】
なお、複合成膜装置100は、さらに、フィラメント型のイオン源42と、フィラメントイオン源42を交流加熱する際に用いられる交流電源44と、フィラメントイオン源42に放電を生じさせるための直流電源46とを備えている。ここでは、イオン源42は用いない。
【0055】
[試料1〜25の作製]
試料1〜25は図1(b)に示された構造を有する。表1に作製した試料の構成を示す。SiとCの組成比の異なるスパッタターゲット(以下纏めて「SiCターゲット」という)がスパッタ蒸発源18に装着された。また、TiAlよりなるターゲットがアーク蒸発源22に装着された。基材2として、鏡面研磨した超硬合金製の基板(JIS−P種)と、同じ超硬合金製のボールエンドミル(2枚刃、直径:φ10mm)とが用いられた。これらはステージ14に載置された。なお、SiCターゲットとして、試料1ではSi0.30.7が、試料2ではSi0.40.6が、試料3,6〜25ではSi0.50.5が、試料4ではSi0.60.4が、試料5ではSi0.70.3がそれぞれ使用されている。
【0056】
チャンバ10内が1×10−3Pa以下に減圧された後、基材2はヒータ16により550℃に加熱された。その後、Arイオンを用いたスパッタクリーニング(基材2の表面クリーニング)が実施された。続いて、内圧が4PaとなるようにNガスがチャンバ10内に供給された。この状態において、アーク放電を発生させるために、アーク電源28からアーク蒸発源22に150Aの電流が供給された。こうして、基材2の表面に第1皮膜層4としてのTiAlN膜層が形成された。
【0057】
試料1〜21の場合、チャンバ10内のNガスが排気された後、内圧が0.6Paとなるようにチャンバ10内にArガスが導入された。試料22〜25の場合、チャンバ10内のNガスが排気された後、内圧が0.6Paとなるようにチャンバ10内にArガスとNガスとが供給された。マグネトロンスパッタリングは表1の「成膜条件」の欄に示されるバイアス電圧(基材2に印加されるバイアス電圧)及び温度(基材2の温度)で行われた。こうして、厚さ約3μmの第2皮膜層5(組成は表1参照)が第1皮膜層4上に形成された。なお、表1に示されている第2皮膜層5の組成は、後述するEDXによる組成分析値である。
【0058】
【表1】

【0059】
[試料26〜47の作製]
試料26〜47は図1(b)に示された構造を有する。表2に作製した試料の構成を示す。一方のスパッタ蒸発源18にSiCターゲット(Si0.50.5)が装着された。他方のスパッタ蒸発源18には、第2皮膜層5を構成する元素M(表2参照)よりなるターゲットが、第2皮膜層5の目的組成に応じてその都度、装着された。また、TiAlよりなるターゲットがアーク蒸発源22に装着された。基材2として、鏡面研磨した超硬合金製の基板(JIS−P種)と、同じ超硬合金製のボールエンドミル(2枚刃、直径:φ10mm)とが用いられた。これらはステージ14に載置された。
【0060】
チャンバ10内が1×10−3Pa以下に減圧された後、基材2はヒータ16により550℃に加熱された。その後、Arイオンを用いたスパッタクリーニングが実施された。次に、内圧が4PaとなるようにNガスがチャンバ10に供給された。この状態において、アーク放電を発生させるために、アーク電源28からアーク蒸発源22に150Aの電流が供給された。こうして、基材2の表面に第1皮膜層4としてのTiAlN膜層が形成された。
【0061】
試料26〜43の場合、チャンバ10内のNガスが排気された後、内圧が0.6Paとなるようにチャンバ10内にArガスが導入された。試料44〜47の処理の場合、チャンバ10内のNガスが排気された後、内圧が0.6Paとなるようにチャンバ10内にArガスとNガスとが供給された。マグネトロンスパッタリングは表2の「成膜条件」の欄に示されるバイアス電圧及び温度で行われた。こうして、厚さ約3μmの第2皮膜層5(組成は表2参照)が、第1皮膜層4上に形成された。なお、表2に示されている第2皮膜層5の組成は、後述するEDXによる組成分析値である。
【0062】
【表2】

【0063】
[試料48〜61の作製]
試料48〜61は図1(b)に示された構造を有する。表3に作製した試料の構成を示す。スパッタ蒸発源18にSiCターゲットが装着された。アーク蒸発源22に、表3の「第1皮膜層−組成」の欄に示される金属または合金よりなるターゲットが、適宜、装着された。基材2として、鏡面研磨した超硬合金製の基板(JIS−P種)と、同じ超硬合金製のボールエンドミル(2枚刃、直径:φ10mm)とが用いられた。これらはステージ14に載置された。
【0064】
チャンバ10内が1×10−3Pa以下に減圧された後、基材2はヒータ16により550℃に加熱された。その後、Arイオンを用いたスパッタクリーニングが実施された。次に、内圧が4PaとなるようにNガスがチャンバ10に供給された。この状態において、アーク放電を発生させるために、アーク電源28からアーク蒸発源22に150Aの電流が供給された。こうして、基材2の表面に、表3に示す窒化物,炭窒化物または炭化物からなる第1皮膜層4が形成された。チャンバ10内のNガスが排気された後、内圧が0.6Paとなるようにチャンバ10内にArガスが導入された。バイアス電圧を−80V、基材2の温度を550℃としてマグネトロンスパッタリングが行われ、第1皮膜層4上に、厚さが約3μmのSiC膜層が、第2皮膜層5として形成された。なお、表3に示されている第2皮膜層5の組成は、後述するEDXによる組成分析値であり、SiCターゲットの組成と同じであった。
【0065】
【表3】

【0066】
[試料62〜75の作製]
試料62〜75は図1(c)に示された構造を有する。表4に作製した試料の構成を示す。スパッタ蒸発源18にSiCターゲットが装着された。アーク蒸発源22に、表4の「第1皮膜層−最下層」の欄及び「第1皮膜層−中間層−組成」の欄に示される種々の金属または合金のターゲットが、適宜、装着された。基材2として、鏡面研磨した超硬合金製の基板(JIS−P種)と、同じ超硬合金製のボールエンドミル(2枚刃、直径:φ10mm)とが用いられた。これらはステージ14に載置された。
【0067】
チャンバ10内が1×10−3Pa以下に減圧された後、基材2はヒータ16により550℃に加熱された。その後、Arイオンを用いたスパッタクリーニングが実施された。この状態において、アーク放電を発生させるために、アーク電源28からアーク蒸発源22に150Aの電流が供給された。こうして基材2の表面に、第1皮膜層4の最下層として、TiAlN膜層が形成された。チャンバ10内のNガスが排気された後、内圧が0.6Paとなるようにチャンバ10内にArガスが導入された。バイアス電圧を−80V、基材2の温度を550℃としてマグネトロンスパッタリングを行い、先に形成したTiAlN膜層上に、表4の「第2皮膜層」の欄に示される厚さのSiC膜層が、第2皮膜層5として形成された。
【0068】
続いて、形成されたSiC膜層上に、表4の「第1皮膜層−中間層」の欄に示される窒化物,炭窒化物または炭化物が、成膜された。この中間層の成膜は、第1皮膜層4の最下層としてTiAlN膜層を成膜したときと同等の条件で行われた。その後、第2皮膜層5としてのSiC膜層の形成と中間層の形成とが、全体の膜厚が3μmとなるまで繰り返された。こうして、多層構造の硬質皮膜層7が形成された。なお、表4に示されている第2皮膜層5の組成は、後述するEDXによる組成分析値であり、SiCターゲットの組成と同じであった。
【0069】
【表4】

【0070】
《試料の評価》
[形成された硬質皮膜層の硬さとヤング率の評価]
試料1〜47に形成された硬質皮膜層6及び試料62〜75に形成された硬質皮膜層7の硬さ及びヤング率は、ナノインデンテーション法により求められた。ここでは、ナノインデンテーションに関する国際規格(ISO14577−1〜ISO14577−4)に準拠した測定方法及び算出方法が用いられた。ナノインデンテーション測定においては、ダイヤモンド製のBerkovich圧子が用いられ、最大押込み荷重は、押込み深さが測定対象となっている硬質皮膜層6,7の厚さの1/10以下となるように調整された。ここで求められた硬さは、ISOに規定されたHIT(インデンテーション硬さ)である。測定結果は表1,2及び4に示されている。なお、試料48〜61については、硬質皮膜層6の硬さ及びヤング率を求めていない。
【0071】
[形成された第2皮膜層の組成分析]
各試料について、基材2として用いられた基板に形成された第2皮膜層5の組成が、エネルギー分散型X線分析装置(EDX)により、測定された。測定結果は表1〜4にそれぞれ併記されている。
【0072】
[形成された第2皮膜層の結晶性の判定]
各試料について、基材2として用いられた基板に形成された第2皮膜層5の結晶性を、X線回折(Cukα線、40kV−40mA、θ−2θ、発散スリット1°、発散縦制限スリット10mm、散乱スリット1°、受光スリット0.15mm、モノクロ受光スリット0.8mm)により、調べた。図3は代表的な結晶質SiC(立方晶)皮膜のX線回折パターンを示している。第2皮膜層5は、X線回折パターンにおいて回折角度(2θ)が35°付近(34〜36°)に観測されるSiCのピーク(図3にSiCと記す)の半値幅が3°以下である場合に、結晶質であると判断した。なお、35°付近に結晶質SiC(立方晶)のピークは現れるが、その半値幅が2°以上3°以下の場合には、第2皮膜層5は結晶質SiC(立方晶)と非晶質SiCとが存在して複合組織を形成していると定義し、これを結晶質に含むものとする。一方、その半値幅が3°を超える場合には、非晶質であると定義した。なお、図3に示されるXRDチャートには、基材2であるWC−Co及び第1皮膜層4として形成されたTiAlN膜のピークも現れている。
【0073】
[硬質皮膜層の密着性評価]
試料48〜75について、基材2として用いられた基板に形成された硬質皮膜層6,7の密着性を、スクラッチ試験により評価した。このスクラッチ試験は、200μmRのダイヤモンド圧子を、荷重増加速度を100N/分とし、圧子移動速度を10mm/分として移動させることによって行った。臨界荷重値としては、摩擦力による臨界荷重を採用した。この評価結果は表3,4に併記されている。
【0074】
[耐摩耗性評価−第1の切削試験]
試料番号1〜75の各皮膜を備えたボールエンドミルを作製し、以下に記す条件で切削試験を実施した。試験後に、ボールエンドミル先端からの硬質皮膜層6,7の摩耗領域長さを測定し、この長さが100μm以上の場合に、耐摩耗性が不合格であると判断した。試験後試験結果は表1〜4にそれぞれ併記されている。
被削材 :SKD61(HRC50)
切削速度 :220m/分
刃送り :0.06mm/刃
軸切り込み :5mm
径方向切り込み :0.6mm
切削長 :100m
切削環境 :ダウンカット、ドライ雰囲気(エアブローのみ)
【0075】
《試験結果》
[試料1〜25]
試料1では、Si量xが0.4未満であるために、第2皮膜層5が非晶質となった。試料5では、Si量xが0.6を超えているために、第2皮膜層5が非晶質となった。試料6では、第2皮膜層5の成膜時におけるバイアス電圧を0Vとしたために、第2皮膜層5が非晶質となった。試料12では、第2皮膜層5の成膜時におけるバイアス電圧を−400Vとしたために、第2皮膜層5が非晶質となった。試料13では、第2皮膜層5の成膜時における基材2の温度が200℃と低かったために、第2皮膜層5が非晶質となった。試料14では、第2皮膜層5の成膜時における基材2の温度が300℃と低かったために、第2皮膜層5が非晶質となった。試料25では、Nの原子比yが0.1を超えたために、第2皮膜層5が非晶質となった。これらの試料では、表1に示されるように、第2皮膜層5の硬さは30GPa未満と小さく、摩耗量が100μm以上となった。また、試料21では、第2皮膜層5の成膜時における基材2の温度が800℃と高かったために、基材2が熱劣化した。このような結果から、これらの試料は本発明に属さない比較例と判断され、それ以外の試料は、表1に示される結果の通り、実施例と判断された。
【0076】
[試料26〜47]
試料30では、第2皮膜層5に含まれる元素Mの原子比zが0.2を超えたために、第2皮膜層5の硬さが31GPaと小さくなり、摩耗量が100μm以上となった。表1に示される実施例における第2皮膜層5の硬さは36〜44GPaであるが、試料26〜29,31〜47における第2皮膜層5の硬さは43〜50GPaとなっていることから、第2皮膜層5の硬さは元素Mの添加によって高められる傾向にあることが確認され、摩耗量も43μm以下に抑えられた。このような結果により、試料30は比較例と判断され、試料30以外の試料は、表1に示される通り、実施例と判断された。
【0077】
[試料48〜61]
表3に示す通り、試料48〜61は実施例と判断された。試料51〜57を対比すると、第1皮膜層4の厚さが2〜5μmであると、臨界荷重が大きく、摩耗量も少ない。第1皮膜層4の厚さが2μmよりも薄くなるにしたがって、密着性が低下する傾向が現れた。これは、基材2の面粗さや欠陥に起因して、第1皮膜層4の厚さが薄い場合には、基材2を完全に被覆できない場合があるためである。また、第1皮膜層4の厚さが5μmを超えると、密着性が低下する傾向が現れた。これは、硬さの高い第2皮膜層5に対して硬さが低い層が相対的に厚くなると、下地である第1皮膜層4の内部で変形や破壊が生じ、結果として第2皮膜層5が剥離する場合があるからである。表3から、第1皮膜層4に成分としてAlが含まれている場合に、耐摩耗性が良好であることを確認することができる。
【0078】
[試料62〜75]
表4に示す通り、試料62〜75は実施例と判断された。表1に示される実施例における第2皮膜層5の硬さは36〜44GPaであるが、試料62〜75の多層構造を有する硬質皮膜層7の硬さは、45〜50GPaであることから、第1皮膜層4と第2皮膜層5を多層構造とすることにより、硬さが向上することが確認された。
【0079】
《第2の切削試験》
超硬合金製(材質は後記する)のインサート(型式:CNMG 120408 TF、ADCT 1505 PDFR)が基材2として用いられ、これらがチャンバ10内にセットされた。チャンバ内が1×10−3Pa以下に減圧された後、基材2はヒータ16により550℃に加熱された。その後、Arイオンを用いたスパッタクリーニングが実施された。この状態において、アーク放電を発生させるために、アーク電源28からアーク蒸発源22に150Aの電流が供給され、こうして基材2の表面に、約1μmのTiAlN膜層が第1皮膜層4として最下層に形成された。チャンバ10内のNガスが排気された後、内圧が0.6Paとなるようにチャンバ10内にArガスが導入された。バイアス電圧を−80V、基材2の温度を600℃としてマグネトロンスパッタリングが行われ、第2皮膜層5として約3μmのSiC(Si0.50.5)膜層がTiAlN膜層上に形成された。こうして作製されたインサートを、以下、「実施例に係るインサート」という。また、比較のために、同基材2に4μmのTiAlN膜を形成したインサート(以下「比較例に係るインサート」という)を作製した。これらのインサートを使用して下記の切削試験1〜3を行った。インサートの寿命は切削可能時間で評価された。
【0080】
[切削試験1:インコネル(登録商標)の旋削加工]
被削材 :インコネル718(35HRC)
工具の型式 :CNMG 120408 TF
基材の材質 :WC+6%Co
旋削条件 :ウェット切削(冷却)
切削速度 :25m/min
送り量 :0.08mm/rev
切り込み量 :1mm
【0081】
切削試験1の場合、比較例に係るインサートの寿命は9分であった。これに対して、実施例に係るインサートの寿命は13分であり、比較例に係るインサートの寿命の約1.44倍の寿命を示した。
【0082】
[切削試験2:硬化ステンレスの旋削加工]
被削材 :D2(62HRC)
工具の型式 :CNMG 120408 TF
基材の材質 :WC+6%Co
旋削条件 :ウェット切削(冷却)
切削速度 :40m/min
送り量 :0.15mm/rev
切り込み量 :0.3mm
【0083】
切削試験2の場合、比較例に係るインサートの寿命は8分であった。これに対して、実施例に係るインサートの寿命は14分であり、比較例に係るインサートの寿命の約1.75倍の寿命を示した。
【0084】
[切削試験3:ステンレスのフライス加工]
被削材 :AISI316
工具の型式 :ADCT 1505 PDFR
基材の材質 :WC+12%Co
旋削条件 :ドライ切削
切削速度 :120m/min
送り量 :0.12mm/rev
切り込み量 :4mm
【0085】
切削試験3の場合、比較例に係るインサートの寿命は34分であった。これに対して、実施例に係るインサートの寿命は53分であり、比較例に係るインサートの寿命の約1.56倍の寿命を示した。
【図面の簡単な説明】
【0086】
【図1】(a)は本発明の第1実施形態に係る硬質皮膜層を備えた部材の概略断面図であり、(b)は本発明の第2実施形態に係る硬質皮膜層を備えた部材の概略断面図であり、(c)は本発明の第3実施形態に係る硬質皮膜層を備えた部材の概略断面図である。
【図2】複合成膜装置の概略構成図である。
【図3】超硬合金からなる基材の表面にTiAlN膜と立方晶SiC膜とが形成された試料のXRDチャートである。
【符号の説明】
【0087】
1A,1B,1C 部材
2 基材
3 硬質皮膜層(単層構造)
4 第1皮膜層
5 第2皮膜層
6 硬質皮膜層(2層構造)
7 硬質皮膜層(多層構造)
10 チャンバ
12 ガス供給機構
14 ステージ
16 ヒータ
18 スパッタ蒸発源
22 アーク蒸発源
24 バイアス電源
26 スパッタ電源
28 アーク電源
100 複合成膜装置

【特許請求の範囲】
【請求項1】
PVD法により形成され、所定の基材を被覆する硬質皮膜層であって、
SiとCとを必須成分とし、元素M[3A族元素,4A族元素,5A族元素,6A族元素,B,Al及びRuの中から選ばれた1種以上の元素]とNとを選択成分とし、
Si1−x−y−z(0.4≦x≦0.6、0≦y≦0.1、0≦z≦0.2)の組成を有し、
CuKα線を使用してX線回折を行った場合に回折角度34〜36°に観察されるSiCピークの半値幅が3°以下であることを特徴とする硬質皮膜層。
【請求項2】
前記Si1−x−y−zの結晶構造が立方晶系に属することを特徴とする請求項1に記載の硬質皮膜層。
【請求項3】
PVD法により形成され、少なくとも1層の第1皮膜層と少なくとも1層の第2皮膜層とが交互に積層された構造を有し、前記第1皮膜層が所定の基材の表面に形成されて、前記基材を被覆する硬質皮膜層であって、
前記第1皮膜層は、4A族元素,5A族元素及び6A族元素の中から選ばれた1種以上の元素を必須成分とし、3A族元素,Si,Al及びBから選ばれた1種以上の元素を選択成分として含有する窒化物,炭窒化物または炭化物からなり、
前記第2皮膜層は、SiとCとを必須成分とし、元素M[3A族元素,4A族元素,5A族元素,6A族元素,B,Al及びRuの中から選ばれた1種以上の元素]とNとを選択成分として、Si1−x−y−z(0.4≦x≦0.6、0≦y≦0.1、0≦z≦0.2)の組成を有し、かつ、CuKα線を使用してX線回折を行った場合に回折角度34〜36°に観察されるSiCピークの半値幅が3°以下であることを特徴とする硬質皮膜層。
【請求項4】
所定の基材の表面にSi1−x−z−y(0.4≦x≦0.6、0≦y≦0.1、0≦z≦0.2、元素Mは3A族元素,4A族元素,5A族元素,6A族元素,B,Al及びRuの中から選ばれた1種以上の元素)の組成を有し、かつ、CuKα線を使用してX線回折を行った場合に回折角度34〜36°に観察されるSiCピークの半値幅が3°以下である硬質皮膜層を形成する方法であって、
前記基材を400〜800℃の所定温度に保持し、かつ、前記基材に−30〜−300Vの所定のバイアス電圧を印加して保持し、
PVD法により、前記基材の表面に前記硬質皮膜層を成膜することを特徴とする硬質皮膜層の形成方法。
【請求項5】
前記PVD法がマグネトロンスパッタリング法であることを特徴とする請求項4に記載の硬質皮膜層の形成方法。
【請求項6】
前記硬質皮膜層の成膜前に、4A族元素,5A族元素及び6A族元素の中から選ばれた1種以上の元素を必須成分とし、かつ、3A族元素,Si,Al及びBから選ばれた1種以上の元素を選択成分として含有する窒化物、炭窒化物または炭化物からなる別の硬質皮膜層を形成することを特徴とする請求項4または請求項5に記載の硬質皮膜層の形成方法。
【請求項7】
前記別の硬質皮膜層の成膜と前記硬質皮膜層の成膜とを交互に複数回行うことを特徴とする請求項6に記載の硬質皮膜層の形成方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2009−293111(P2009−293111A)
【公開日】平成21年12月17日(2009.12.17)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−150662(P2008−150662)
【出願日】平成20年6月9日(2008.6.9)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【出願人】(306037920)イスカーリミテッド (93)
【Fターム(参考)】