説明

表面被覆切削工具

【課題】表面被覆切削工具の寿命を長期化させることができる表面被覆切削工具を提供する。
【解決手段】基材の表面上に第1被覆層と第2被覆層とが交互に積層されてなる表面被覆層を含んでいる。第1被覆層には、A層とB層とが交互に1層以上積層されており、A層はAlとCrとを含む窒化物からなりCrの原子数の比は0.1よりも大きく0.4以下であり、B層はAlとTiとを含む窒化物からなりTiの原子数の比は0.2以上0.6以下である。第2被覆層には、C層とD層とが交互にそれぞれ1層以上積層されており、C層はTiとSiとを含む窒化物からなりSiの原子数の比は0.05よりも大きく0.3以下であり、D層はTiとCrとを含む窒化物からなりCrの原子数の比は0.05以上0.3以下である表面被覆切削工具である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、表面被覆切削工具に関し、特に、表面被覆切削工具の寿命を長期化させることができる表面被覆切削工具に関する。
【背景技術】
【0002】
従来から、基材の表面を保護するとともに、耐摩耗性および靭性等の諸特性の更なる向上を目的として、基材の表面上に表面被覆層を形成した表面被覆切削工具が用いられている。
【0003】
また、近年の表面被覆切削工具の動向として、地球環境保全の観点から切削油剤を用いないドライ加工およびその使用量を極力抑えたセミドライ加工が求められていること、新素材の開発により被削材が多様化していること、ならびに加工効率を一層向上させるために切削速度や送り速度がより高速になっていることが挙げられる。これらの動向により、被削材の切削加工時における表面被覆切削工具の刃先温度はますます高温に曝される傾向にあるため、表面被覆切削工具の表面被覆層に要求される特性は厳しくなる一方である。
【0004】
表面被覆切削工具の表面被覆層に要求される特性としては、高温での安定性(耐酸化性および密着性)だけでなく、表面被覆切削工具の寿命に関係する耐摩耗性についても必要とされるようになってきている。すなわち、高温における表面被覆層の硬度の向上や潤滑油剤に代わる表面被覆層の潤滑特性が重要視されるようになってきている。
【0005】
たとえば、特許第3781374号公報(特許文献1)においては、表面被覆切削工具の硬質の表面被覆層として用いられてきたTiAlNに代えて、AlとCrとを含む窒化物の使用が提案されている。AlとCrとを含む窒化物はTiAlNと比べて高温での安定性は優れているものの、大きな残留応力を有する傾向にある。そのため、AlとCrとを含む窒化物層を表面被覆層に用いた場合には、基材および他の表面被覆層との密着性が不十分になるという問題があった。
【0006】
そこで、たとえば国際公開第2006/070730号パンフレット(特許文献2)には、このような問題を解決するべく、AlとCrとを含む窒化物層と、Ti、AlおよびSiを含む窒化物層とを交互に積層した構成の表面被覆層が提案されている。
【特許文献1】特許第3781374号公報
【特許文献2】国際公開第2006/070730号パンフレット
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
国際公開第2006/070730号パンフレット(特許文献2)のような表面被覆層の構成とすることによって、基材および他の表面被覆層との密着性が不十分になるという問題はほぼ解決されたが、次のような新たな問題が発生した。
【0008】
すなわち、この構成の表面被覆層にはAlが必ず含まれることになり、合金製のターゲットを原材料として用いて形成される。しかしながら、Alの融点は約660℃であるため、たとえばTiの融点である約1688℃やCrの融点である約1875℃と比べると、Alの融点は非常に低い。したがって、Alを含む合金製のターゲットを用いて基材の表面上に表面被覆層を形成する際に、溶融粒子(ドロップレットやマクロパーティクルと呼ばれることもある)が発生しやすいという問題があった。
【0009】
この溶融粒子が表面被覆層の形成中に発生した場合には、表面被覆層の表面にその溶融粒子からなる突起部分が形成されて、表面被覆層の面粗度が悪化する。この突起部分を有する表面被覆層が基材の表面上に形成された表面被覆切削工具を用いて被削材の切削加工を行なった場合には、被削材がこの突起部分に溶着しやすいという問題があった。
【0010】
表面被覆層の表面の突起部分に被削材が溶着した場合には、溶着した被削材が脱落する際に表面被覆層の一部が破壊または脱落し、さらには表面被覆層の全部が基材から剥離することもあった。この場合には、表面被覆切削工具の刃先のチッピングにより、結果的に表面被覆切削工具の寿命を低下させることになるため問題となっていた。
【0011】
上記の事情に鑑みて、本発明の目的は、表面被覆切削工具の寿命を長期化させることができる表面被覆切削工具を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明は、基材と、基材の表面上に第1被覆層と第2被覆層とが交互に積層されてなる表面被覆層とを含む表面被覆切削工具であって、第1被覆層は、A層とB層とが交互にそれぞれ1層以上積層されてなる第1交互層を含み、A層はAlとCrとを含む窒化物からなり、A層を構成する金属原子の総数を1としたときのCrの原子数の比は0.1よりも大きく0.4以下であり、B層はAlとTiとを含む窒化物からなり、B層を構成する金属原子の総数を1としたときのTiの原子数の比は0.2以上0.6以下であって、第2被覆層は、C層とD層とが交互にそれぞれ1層以上積層されてなる第2交互層を含み、C層はTiとSiとを含む窒化物からなり、C層を構成する金属原子の総数を1としたときのSiの原子数の比は0.05よりも大きく0.3以下であり、D層はTiとCrとを含む窒化物からなり、D層を構成する金属原子の総数を1としたときのCrの原子数の比は0.05以上0.3以下である表面被覆切削工具である。
【0013】
ここで、本発明の表面被覆切削工具においては、第1被覆層および第2被覆層のそれぞれの厚みが0.1μm以上1μm以下であることが好ましい。
【0014】
また、本発明の表面被覆切削工具においては、A層、B層、C層およびD層のそれぞれの厚みが1nm以上50nm以下であることが好ましい。
【0015】
また、本発明の表面被覆切削工具においては、第1被覆層におけるA層とB層との間に第1中間遷移層が形成されており、第1中間遷移層の組成は、第1中間遷移層の厚さ方向において、第1中間遷移層の下方に接する層の組成から第1中間遷移層の上方に接する層の組成に近づくように連続的に変化していることが好ましい。
【0016】
また、本発明の表面被覆切削工具においては、第2被覆層におけるC層とD層との間に第2中間遷移層が形成されており、第2中間遷移層の組成は、第2中間遷移層の厚さ方向において、第2中間遷移層の下方に接する層の組成から第2中間遷移層の上方に接する層の組成に近づくように連続的に変化していることが好ましい。
【0017】
また、本発明の表面被覆切削工具において、表面被覆層は、−8GPa以上0GPa以下の平均残留応力を有していることが好ましい。
【0018】
また、本発明の表面被覆切削工具において、表面被覆層の残留応力は、表面被覆層の厚さ方向において、基材から遠ざかるにしたがって残留応力の絶対値が大きくなることが好ましい。
【0019】
また、本発明の表面被覆切削工具において、表面被覆層の結晶構造は立方晶であることが好ましい。
【発明の効果】
【0020】
本発明によれば、表面被覆切削工具の寿命を長期化させることができる表面被覆切削工具を提供することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
以下、本発明の実施の形態について説明する。なお、本発明の図面において、同一の参照符号は、同一部分または相当部分を表わすものとする。
【0022】
<表面被覆切削工具の構成>
図1に、本発明の表面被覆切削工具の一例の模式的な拡大断面図を示す。ここで、表面被覆切削工具1は、基材2と、基材2の表面上に基材2の表面を被覆する層である表面被覆層3とを含む構成を有している。
【0023】
図2に、図1のX−Xに沿った模式的な断面の一例を示す。図2に示すように、基材2の表面上には表面被覆層3が形成されており、表面被覆層3は、第1被覆層4と第2被覆層5とが交互に積層された構成を有している。
【0024】
<基材>
基材2としては、たとえば表面被覆切削工具の基材として従来から知られているものを特に限定なく用いることができる。基材2としては、たとえば、超硬合金(WC基超硬合金、WCの他、Coを含み、あるいはさらにTi、Ta、Nbなどの炭窒化物などを添加したものを含む)、サーメット(TiC、TiN、TiCNなどを主成分とするもの)、高速度鋼、セラミックス(炭化チタン、炭化ケイ素、窒化ケイ素、窒化アルミニウム、酸化アルミニウムおよびこれらの混合体など)、立方晶型窒化硼素焼結体またはダイヤモンド焼結体などを用いることができる。
【0025】
また、たとえば、基材2に超硬合金を用いる場合には、超硬合金の組織中に遊離炭素またはη相と呼ばれる異常相を含んでいてもよい。
【0026】
また、基材2としては、基材2の表面が改質されたものを用いてもよい。たとえば、基材2に超硬合金を用いる場合には、基材2の表面に脱β層が形成されていてもよい。また、基材2にサーメットを用いる場合には、基材2の表面に表面硬化層が形成されていてもよい。
【0027】
<表面被覆層>
表面被覆層3は、たとえば図2に示すように、第1被覆層4と第2被覆層5とがそれぞれ1層以上交互に積層された積層体を含む限り、他の層を含んでいてもよい。このような他の層としては、たとえば、表面被覆層3を構成する層のうち基材2の表面に接する最下層および/または表面被覆層3を構成する層のうち最上層を挙げることができるが、これらの層に限定されるものではない。
【0028】
また、表面被覆層3は、基材2の表面の全面を被覆する場合に限られず、基材2の表面に部分的に表面被覆層3が形成されていない箇所があってもよい。また、基材2の表面上のある部分の表面被覆層3と他の部分の表面被覆層3とで、表面被覆層3の構成が異なっていてもよい。
【0029】
本発明において、表面被覆層3における第1被覆層4の積層数および第2被覆層5の積層数は、表面被覆層3を構成している第1被覆層4および第2被覆層5のそれぞれの積層数のことを意味するものとする。たとえば、表面被覆層3が、基材2側から順に第1被覆層4、第2被覆層5、第1被覆層4、第2被覆層5および第1被覆層4の順で積層された構成を有している場合には、その表面被覆層3における第1被覆層4の積層数は3層となり、第2被覆層の積層数は2層となる。
【0030】
また、表面被覆層3においては、第1被覆層4と第2被覆層5の積層は、第1被覆層4から開始されてもよく、第2被覆層5から開始されてもよい(すなわち、表面被覆層3において、基材2側に最も近く位置する層は第1被覆層4であってもよいし、第2被覆層5であってもよい。)。また、表面被覆層3における積層は、第1被覆層4で終了してもよいし、第2被覆層5で終了してもよい(すなわち、表面被覆層3において、基材2の側から最も遠く離れて位置する層は第1被覆層4であってもよく、第2被覆層5であってもよい。)。
【0031】
このような表面被覆層3の全体の厚みは、0.5μm以上20μm以下であることが好ましい。表面被覆層3の全体の厚みが0.5μm未満である場合には、表面被覆層3の厚みが薄過ぎて本発明の表面被覆切削工具1の寿命が短くなる傾向にあり、表面被覆層3の全体の厚みが20μmを超える場合には本発明の表面被覆切削工具1の切削時に表面被覆層3がチッピングしやすくなって本発明の表面被覆切削工具1の寿命が短くなる傾向にある。
【0032】
また、本発明の表面被覆切削工具1の寿命を長期化させる観点からは、表面被覆層3の全体の厚みは15μm以下であることがより好ましく、10μm以下であることがさらに好ましい。
【0033】
また、本発明の表面被覆切削工具1の寿命を長期化させる観点からは、表面被覆層3の全体の厚みは1μm以上であることがより好ましく、1.5μm以上であることがさらに好ましい。
【0034】
なお、本発明においては、表面被覆層3の全体の厚みおよび後述する各層の厚みならびに積層数はいずれも、本発明の表面被覆切削工具1を切断し、その断面をSEM(走査型電子顕微鏡)またはTEM(透過型電子顕微鏡)を用いて観察することにより求めることができる。また、表面被覆層3を構成する後述のような各層の組成は、XPS(X線光電子分光分析装置)を用いて測定することができる。
【0035】
また、本発明の表面被覆切削工具1の寿命を長期化させる観点からは、表面被覆層3を構成する第1被覆層4の厚みh1および第2被覆層5の厚みh2はそれぞれ0.1μm以上1μm以下であることが好ましい。
【0036】
図3に、本発明に用いられる表面被覆層3の一例の模式的な拡大断面図を示す。ここで、表面被覆層3を構成する第1被覆層4は、A層6とB層7とが交互にそれぞれ1層以上積層されてなる第1交互層を含んでおり、第2被覆層5は、C層8とD層9とが交互にそれぞれ1層以上積層されてなる第2交互層とを含んでいる。
【0037】
ここで、A層6は、Al(アルミニウム)とCr(クロム)とを含む窒化物からなり、A層6を構成する金属原子の総数を1としたときのCrの原子数の比は0.1よりも大きく0.4以下となっている。
【0038】
また、B層7は、Al(アルミニウム)とTi(チタン)とを含む窒化物からなり、B層7を構成する金属原子の総数を1としたときのTiの原子数の比は0.2以上0.6以下となっている。
【0039】
また、C層8は、Ti(チタン)とSi(シリコン)とを含む窒化物からなり、C層8を構成する金属原子の総数を1としたときのSiの原子数の比は0.05よりも大きく0.3以下となっている。
【0040】
また、D層9はTi(チタン)とCr(クロム)とを含む窒化物からなり、D層9を構成する金属原子の総数を1としたときのCrの原子数の比は0.05以上0.3以下である。
【0041】
このように、本発明の表面被覆切削工具1においては、表面粗度改善作用を有する第2被覆層5に隣接して第1被覆層4を形成することにより、構成元素として低融点で溶融粒子の発生しやすいAlを含む第1被覆層4が有する固有のデメリットを抑制しつつ、従来のTiAlNに比べて、高温での切削時における安定性、耐摩耗性および耐チッピング性に優れるという第1被覆層4の優れた作用効果を十分に発揮させることが可能になっている。これにより、表面被覆切削工具1の高温での安定性が飛躍的に向上し、表面被覆切削工具1の寿命の長期化を図ることに成功している。
【0042】
また、表面粗度改善作用を有する第2被覆層5がAlを含んでいないため、このような第2被覆層5を第1被覆層4に隣接して形成することにより(特に、2つの第2被覆層5の間に第1被覆層4を挟む構成とすることにより)、Alを含む第1被覆層4における結晶成長の粗大化を効果的に防止することができ、第1被覆層4の結晶構造をより微細化することが可能になったと考えられる。
【0043】
さらに、第2被覆層5も、第2被覆層5とは異なる組成の第1被覆層4に隣接して形成されるため、結果として、第2被覆層5自体の結晶成長の粗大化も同時に抑制することができる。
【0044】
そのため、高温で高い負荷が適用されるような切削条件下においても、表面被覆層3の表面に発生するクラックが基材2の方向に進展するのを十分に抑制することができ、これにより表面被覆切削工具1の刃先のチッピングを極めて有効に防止することができる。特に、この点は、従来の特許文献2が有していた問題点(すなわち、表面被覆層にAlが必ず含まれているために表面被覆層の結晶構造の微細化を十分に達成することができないという問題点)を解消することができるものであり、極めて大きな産業上の利用可能性を有するものである。
【0045】
本発明の表面被覆切削工具1の表面被覆層3の構成とすることによって、表面被覆層3におけるクラックの進展が抑制されるのは、恐らく次のような理由であると考えられる。すなわち、第1被覆層4の結晶構造の微細化によって、表面被覆層3に発生したクラックが基材2との間で大規模な層剥離に発展することなく第1被覆層4と第2被覆層5との界面、第1被覆層4中のA層6とB層7との界面および第2被覆層5中のC層8とD層9との界面のそれぞれでクラックの進展が効果的に遮断されるためと推測される。
【0046】
このように、本発明の表面被覆切削工具1は、高温での切削安定性に優れるとともに刃先のチッピングを抑制することができ、さらには高温でしかも高い負荷がかかるような切削条件下においても耐摩耗性と耐チッピング性とを高度に両立させることができるため、寿命を大幅に長期化させることができると考えられる。
【0047】
<A層>
A層6は、AlとCrとを含む窒化物からなるものであるが、Alを含んでいるために高い耐酸化性を有している。また、A層6は、AlだけでなくCrも含むために耐酸化性がさらに高くなっている。また、A層6においては、Alの含有量がたとえ高くなったとしてもCrを含有するためにA層6の結晶構造が立方晶となって高硬度化する傾向にある。そして、A層6のこれらの特性は高温においても発揮され、十分な高温安定性を示すものとなる。なお、A層6は、AlとCrとを含む限り、窒素以外の他の元素を含んでいてもよい。
【0048】
また、A層6を構成する金属原子の総数を1としたときのCrの原子数の比は0.1よりも大きく0.4以下である。ここで、A層6に含まれるCrの原子数の比が0.1以下である場合には結晶構造が六方晶になって低硬度となる傾向にあり、0.4よりも大きい場合にはA層6の硬度が低下してしまう。また、A層6の硬度を高くする観点からは、A層6の上記Crの原子数の比は0.2以上0.35以下であることが好ましい。
【0049】
なお、本発明において「金属原子」とは、水素、ヘリウム、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノン、ラドン、フッ素、塩素、臭素、ヨウ素、アスタチン、酸素、硫黄、セレン、テルル、窒素、リン、砒素、アンチモンおよび炭素以外の元素の原子のことをいう。
【0050】
また、A層6において、AlとCrとを含む金属原子の総数を1としたとき窒素の原子数の比は0.8以上1.5以下とすることが好ましい。この窒素の原子数の比が0.8未満である場合にはA層6の硬度が低下する傾向にあり、1.5を超える場合にもA層6の硬度が低下する傾向にある。
【0051】
<B層>
B層7は、AlとTiとを含む窒化物からなり、AlとをTiとを含む限り窒素以外の他の元素を含んでいてもよい。このようにB層7は、AlとともにTiを含んでいることから残留応力が小さく、応力緩和層としての作用を有している。また、B層7の結晶構造は立方晶となるため、十分な高温安定性を示す。
【0052】
また、B層7を構成する金属原子の総数を1としたときのTiの原子数の比は0.2以上0.6以下である。B層7のTiの原子数の比が0.6を超える場合にはB層7の硬度が低下して摩耗が促進してしまい、0.2未満である場合には残留応力を十分に小さくすることができなくなる。また、B層7の硬度を高くする観点からは、B層7の上記Tiの原子数の比は0.3以上0.5以下であることが好ましい。
【0053】
また、B層7において、AlとTiとを含む金属原子の総数を1としたとき窒素の原子数の比は0.8以上1.5以下とすることが好ましい。この窒素の原子数の比が0.8未満である場合にはB層7の硬度が低下する傾向にあり、1.5を超える場合にもB層7の硬度が低下する傾向にある。
【0054】
<C層>
C層8は、TiとSiを含む窒化物からなるものであるが、Siを含んでいるために高い耐酸化性を有している。また、C層8においては、Siが含有されているためにSi系の非晶質マトリックス内にTiリッチの超微細ナノ結晶粒が分散された微細構造を構成することから、非常に高硬度化する傾向にある。そして、C層8のこれらの特性は1000℃以上の高温においても発揮され、十分な高温安定性を示す。なお、C層8は、TiとSiとを含む限り窒素以外の他の元素を含んでいてもよい。
【0055】
C層8を構成する金属原子の総数を1としたときのSiの原子数の比は、0.05よりも大きく0.3以下である。ここで、C層8のSiの原子数の比が0.05以下である場合には超微細ナノ結晶構造とはならずに低硬度となる傾向にあり、0.3よりも大きい場合にはC層8の靭性が低下して、表面被覆切削工具1がチッピングしやすくなる。また、C層8の硬度を高くする観点からは、C層8の上記Siの原子数の比は0.1以上0.2以下であることが好ましい。
【0056】
また、C層8において、TiとSiとを含む金属原子の総数を1としたとき、窒素の原子数の比は0.8以上1.5以下とすることが好ましい。この窒素の原子数の比が0.8未満である場合にはC層8の硬度が低下する傾向にあり、1.5を超える場合にもC層8の硬度が低下する傾向にある。
【0057】
<D層>
D層9は、TiとCrとを含む窒化物からなり、TiとCrとを含む限り窒素以外の他の元素を含んでいてもよい。このようにD層9は、Crを含んでいることから、耐酸化性に優れる特性を有するとともに、相対的にTiを多く含むことから、残留応力が小さく、応力緩和層としての作用を有している。また、D層9の結晶構造は立方晶となっており、十分な高温安定性を示す。
【0058】
また、D層9を構成する金属原子の総数を1としたときのCrの原子数の比は0.05以上0.3以下である。D層9のCrの原子数の比が0.3を超える場合にはD層9の硬度が低下して摩耗が促進する傾向にあり、0.05未満である場合には十分な耐酸化性を有しないおそれがある。なお、D層9の硬度を高くする観点からは、D層9の上記Crの原子数の比は0.1以上0.2以下であることが好ましい。
【0059】
また、D層9において、TiとCrとを含む金属原子の総数を1としたとき窒素の原子数の比は0.8以上1.5以下とすることが好ましい。この窒素の原子数の比が0.8未満である場合にはD層9の硬度が低下する傾向にあり、1.5を超える場合にもD層9の硬度が低下する傾向にある。
【0060】
<A層、B層、C層、D層に含まれ得る他の元素>
本発明においては、A層6、B層7、C層8およびD層9の少なくとも1層にバナジウムが原子%で30原子%未満の含有量で含まれていてもよい。この場合には、本発明の表面被覆切削工具1の切削時における高温環境においてA層6、B層7、C層8および/またはD層9の表面が酸化したとしても、バナジウムの酸化物の融点は低いため、バナジウムの酸化物が切削時の潤滑剤として作用することになり、結果として本発明の表面被覆切削工具1に対する被削材の融着を抑制することができる傾向にある。
【0061】
また、本発明においては、上記のバナジウムの含有量は15原子%未満であることが好ましい。この場合には、本発明の表面被覆切削工具1への被削材の融着を抑制することができる。また、A層6および/またはB層7にバナジウムが含まれている場合には、バナジウムを含むA層6および/またはB層7の硬度も高くすることができる。なお、本発明において、「原子%」は、層を構成する金属原子の総原子数に対する原子数の割合(%)のことを意味する。
【0062】
また、本発明においては、A層6、B層7、C層8およびD層9の少なくとも1層にホウ素が原子%で10原子%未満含まれていてもよい。この場合には、メカニズムはわかっていないが、ホウ素を含む層の硬度をさらに高くすることができる傾向にある。また、切削時の表面酸化によって形成されるホウ素の酸化物が特にA層6におけるAlの窒化物がAlの酸化物に変態する際にその粒界に析出して結晶を緻密化する傾向にあることからも好ましい。さらに、ホウ素の酸化物の融点は低いため、切削時の潤滑剤として作用し、被削材の溶着を抑えることができる傾向にある。
【0063】
また、本発明においては、A層6、B層7およびD層9の少なくとも1層にSiを原子%で10原子%未満含有させることもできる。この場合には、Siを含むA層6、B層7および/またはD層9の硬度が高くなる傾向にあり、Siを含むA層6、B層7および/またはD層9の結晶構造も微細化する傾向にある。
【0064】
<A層、B層、C層、D層の厚み>
第1被覆層4を構成するA層6の厚みhaおよびB層7の厚みhb、ならびに第2被覆層5を構成するC層8の厚みhcおよびD層9の厚みhdはそれぞれ1nm以上50nm以下であることが好ましい。A層6、B層7、C層8およびD層9の厚みがそれぞれ1nm以上50nm以下の範囲内の厚さとすることによって、表面被覆層3の表面で発生したクラックの進展(基材2方向への進展)を最も効果的に抑制することができる傾向にある。
【0065】
また、A層6の厚みha、B層7の厚みhb、C層8の厚みhcおよびD層9の厚みhdがそれぞれ1nm未満である場合には、A層6とB層7、C層8とD層9とがそれぞれ混ざり合って、A層6とB層7を交互に積層したことによる効果およびC層8とD層9とを交互に積層したことによる効果を得ることができない傾向にある。また、A層6の厚みha、B層7の厚みhb、C層8の厚みhcおよびD層9の厚みhdがそれぞれ50nmを超える場合には表面被覆層3におけるクラックの進展の抑制効果が得られにくい傾向にある。
【0066】
なお、本発明においては、表面被覆層3中におけるA層6、B層7、C層8およびD層9の厚みは、第1被覆層4または第2被覆層5に含まれるそれぞれの層において実質的に同じ厚みであってもよく、異なる厚みであってもよい。
【0067】
<中間遷移層>
図4に、本発明における表面被覆層3の他の一例の模式的な拡大断面図を示す。ここで、A層6とB層7との間には第1中間遷移層10が積層されており、C層8とD層9との間には第2中間遷移層11が積層されている。
【0068】
第1中間遷移層10および第2中間遷移層11は、第1中間遷移層10の厚さ方向において、第1中間遷移層10の下方に接する層の組成から第1中間遷移層10の上方に接する層の組成に近づくように連続的にその組成が変化している。
【0069】
また、第2中間遷移層11の組成は、第2中間遷移層11の厚さ方向において、第2中間遷移層11の下方に接する層の組成から第2中間遷移層11の上方に接する層の組成に近づくようにその組成が連続的に変化している。
【0070】
たとえば、図4に示すように、A層6から積層が開始される場合を例にとると、まずそのA層6上に第1中間遷移層10が形成され、その第1中間遷移層10上にB層7が形成される。引き続いて、そのB層7上に第1中間遷移層10が形成され、次いでその第1中間遷移層10上にA層6が形成される。以降もこのような積層構成が繰り返されることによって第1被覆層4が形成される。
【0071】
また、第2被覆層5において、C層8から積層が開始される場合を例にとると、まずそのC層8上に第2中間遷移層11が形成され、その第2中間遷移層11上にD層9が形成される。引き続いて、そのD層9上に第2中間遷移層11が形成され、次いでその第2中間遷移層11上にC層8が形成される。以降もこのような積層構成が繰り返されることによって第2被覆層5が形成される。
【0072】
なお、本発明においては、このように第1中間遷移層10等が形成される場合であっても第1交互層においてA層6とB層7とは交互に積層されるということができるものとし、第2中間遷移層11等が形成される場合であっても第2交互層においてC層8とD層9とは交互に積層されるという表現を用いることができるものとする。
【0073】
また、上記の例において、積層が開始されるA層6上に形成される第1中間遷移層10の場合には、その第1中間遷移層10に接する下層とは積層が開始されたA層6のことを意味し、その第1中間遷移層10に接する上層とはB層7のことを意味する。したがって、第1中間遷移層10における組成は、第1中間遷移層10の厚み方向にかけて(すなわち、基材2側から基材2から遠ざかる側にかけて)、A層6の組成からB層7の組成へと連続的に変化するものとなる。
【0074】
また、第1中間遷移層10および第2中間遷移層11は、A層6、B層7、C層8、D層9と独立して形成する必要はなく、これらの層の形成の途中段階で不可避的に形成されるものであってもよい。たとえば、第1中間遷移層10は、A層6を形成した後にB層7を形成するとき、またはB層7を形成した後にA層6を形成するとき、またはこれらの層の形成の途中段階で不可避的に形成されるものであってもよい。また、第1中間遷移層10および第2中間遷移層11は、その観察条件により観察されたり観察されなかったりする程度のものであってもよく、通常のTEMなどによる観察倍率を200万倍以上にする場合において観察されるものであってもよい。
【0075】
なお、A層6とB層7との境界部に第1中間遷移層10が形成されるためにA層6とB層7との境界部を明確に定めることができない場合には、第1中間遷移層10における厚み方向の中間点をA層6とB層7との境界部とみなし、各層の厚みなどを測定するものとする。
【0076】
また、C層8およびD層9との境界部に第2中間遷移層11が形成されるためにC層8とD層9との境界部を明確に定めることができない場合には、第2中間遷移層11における厚み方向の中間点をC層8およびD層9との境界部とみなし、各層の厚みなどを測定するものとする。
【0077】
<表面被覆層の残留応力>
本発明においては、表面被覆層3は−8GPa以上0GPa以下の平均残留応力を有していることが好ましい。すなわち、表面被覆層3の残留応力を平均すると上記の範囲の圧縮残留応力となることが好ましく、便宜的に応力が開放されて残留応力を有さない場合をも含むことが好ましい。このように表面被覆層3が、上記範囲の平均圧縮残留応力を有することにより、表面被覆切削工具1の表面被覆層3におけるチッピングの発生を抑制することができ、表面被覆切削工具1の刃先の信頼性が向上し、これにより本発明の表面被覆切削工具1の寿命を長期化することができる。
【0078】
なお、表面被覆層3の平均残留応力が0GPaを超えて「正」の数値を有するようになると、表面被覆層3には引張残留応力が残るため、表面被覆層3の表面で発生したクラックの基材2方向への進展を抑制することができない傾向にある。
【0079】
一方、表面被覆層3の平均残留応力が−8GPa未満となる場合には、圧縮残留応力が大きくなり過ぎて(すなわち、残留応力の絶対値が大きくなり過ぎる場合)、本発明の表面被覆切削工具1の切削開始前に表面被覆切削工具1のエッジ部から表面被覆層3が剥離して、本発明の表面被覆切削工具1の寿命が短くなるおそれがある。
【0080】
なお、本発明において、表面被覆層3の平均残留応力とは、表面被覆層3全体の残留応力の平均値のことである。また、圧縮残留応力という記載と数値とを併記する場合は、数値に敢えてマイナスの符号を付さないで表記するものとする。
【0081】
また、表面被覆層3の残留応力は、その厚み方向において変化し、基材2側から遠ざかるに従ってその残留応力の絶対値が大きくなること(特に、圧縮残留応力が大きくなること)が好ましい。表面被覆層3の表面に発生するクラックの基材2側への進展をより効果的に抑制することができるからである。
【0082】
なお、本発明において、表面被覆層3の残留応力は、X線応力測定装置を用いたSin2ψ法により測定することができる。
【0083】
<表面被覆層の結晶構造>
本発明において表面被覆層3の結晶構造は立方晶であることが好ましい。表面被覆層3の結晶構造が立方晶である場合には、表面被覆層3の硬度が向上する傾向にある。たとえば、AlNは六方晶であるが、準安定層である立方晶となった場合の格子定数は0.412nmであるのに対して、常温常圧で立方晶が安定層であるCrNの格子定数は0.414nmであり、立方晶の結晶構造をとるAlNと格子定数が非常に近くなるため、その引き込み効果によってAlNは立方晶化して高硬度化する。そのため、A層6は、AlとCrとを含む窒化物とすることにより立方晶とすることが可能である。
【0084】
このように、表面被覆層3を構成する各層のそれぞれの結晶構造を立方晶とすることにより、表面被覆層3の硬度が向上し、耐摩耗性に優れたものとなるため好ましい。なお、表面被覆層3を構成する各層の結晶構造はそれぞれ、当該分野で公知のX線回折装置により解析することができる。
【0085】
<表面被覆切削工具の製造方法>
本発明の表面被覆切削工具1は、たとえば、基材2の表面上にA層6とB層7とを交互にそれぞれ1層以上積層して第1被覆層4を形成する工程と、C層8とD層9とを交互にそれぞれ1層以上積層して第2被覆層5を形成する工程とを含む方法によって表面被覆層3を形成することにより製造することができる。
【0086】
ここで、A層6、B層7、C層8およびD層9はそれぞれたとえば物理的蒸着法などによって形成することができる。ここで、物理的蒸着法としては、たとえば、カソードアークイオンプレーティング法、バランスドマグネトロンスパッタリング法およびアンバランスドマグネトロンスパッタリング法からなる群から選択された少なくとも1種を用いることができる。
【0087】
なお、表面被覆層3中に、第1被覆層4および第2被覆層5以外の層を形成する場合にも、たとえば上記のような物理的蒸着法により形成することができる。
【0088】
本発明において、耐摩耗性を有する表面被覆層3を基材2の表面上に形成するためには、結晶性の高い化合物層を形成することが好ましいことがわかった。そこで、表面被覆層3の形成方法として種々の方法を検討した結果、物理的蒸着法を用いることが好ましいことがわかった。
【0089】
また、物理的蒸着法としては、カソードアークイオンプレーティング法、バランスドマグネトロンスパッタリング法またはアンバランスドマグネトロンスパッタリング法などを用いることができるが、特に、原料元素がイオン化率の高いカソードアークイオンプレーティング法が適していると考えられる。このようなカソードアークイオンプレーティング法を用いた場合には、表面被覆層3を形成する前に、基材2の表面に対して金属のイオンボンバーメント処理が可能となるため、基材2と表面被覆層3との密着性が格段に向上する観点からも好ましい。
【0090】
ここで、カソードアークイオンプレーティング法は、たとえば、装置内に基材2を設置するとともにカソードとしてターゲットを設置した後に、ターゲットに高電流を印加してアーク放電させることによって、ターゲットを構成する原子を蒸発させ、イオン化させて、基材2の表面上に物質を堆積させることにより行なうことができる。
【0091】
また、バランスドマグネトロンスパッタリング法は、たとえば、装置内に基材2を設置するとともに、平行な磁場を形成する磁石を備えたマグネトロン電極上にターゲットを設置し、マグネトロン電極と基材2との間に高周波電力を印加してガスプラズマを発生させ、このガスプラズマの発生により生じたガスのイオンをターゲットに衝突させてターゲットから放出された原子をイオン化させて基材2の表面上に堆積させることにより行なうことができる。
【0092】
また、アンバランスドマグネトロンスパッタリング法は、たとえば、上記のバランスドマグネトロンスパッタリング法におけるマグネトロン電極により発生する磁場を非平行にして行なうことができる。
【0093】
<表面被覆切削工具の用途>
本発明の表面被覆切削工具1は、たとえば、ドリル、エンドミル、フライス加工用刃先交換型チップ、旋削加工用刃先交換型チップ、メタルソー、刃切り工具、リーマ、タップ、またはクランクシャフトのピンミーリング加工用チップ等などに極めて有用に用いることができる。
【実施例】
【0094】
以下、実施例を挙げて本発明をより詳細に説明するが、本発明はこれらに限定するものでないことはいうまでもない。
【0095】
<表面被覆切削工具の作製>
(1) 基材の洗浄
図5に、本実施例で用いたカソードアークイオンプレーティング装置の概略上面図を示し、図6に、図5に示すカソードアークイオンプレーティング装置の概略断面図を示す。
【0096】
このカソードアークイオンプレーティング装置のチャンバ101内に、基材2としてグレードがJIS規格P30の超合金であって形状がJIS規格のSPGN120308であるチップを装着した。ここで、基材2は、チャンバ101内の中央に備え付けられた基材ホルダ104の外表面に取り付けられた。
【0097】
また、チャンバ101には、表面被覆層3の金属原料となる合金製ターゲットであるA層形成用のカソード106、B層形成用のカソード107、C層形成用のカソード120およびD層形成用のカソード121が取り付けられている。
【0098】
ここで、図6に示すように、A層形成用のカソード106にはアーク電源108が取り付けられており、B層形成用のカソード107にはアーク電源109が取り付けられている。また、C層形成用のカソード120およびD層形成用のカソード121にもそれぞれアーク電源(図示せず)が取り付けられている。
【0099】
また、基材ホルダ104には、バイアス電源110が取り付けられている。また、チャンバ101内には、ガス105を導入するためのガス導入口102が設けられているとともに、チャンバ101からガス105を排出するためのガス排出口103が設けられている。このガス排出口103から真空ポンプによってチャンバ101内のガス105を吸引できる構造となっている。
【0100】
図5および図6に示す装置において、まず、真空ポンプによりチャンバ101内を減圧するとともに、基材ホルダ104の回転により基材2を回転させながら装置内に設置されたヒータ(図示せず)により基材2の表面温度を500℃に加熱し、チャンバ101内の圧力が1.0×10-4Paとなるまで真空引きを行なった。
【0101】
次に、ガス導入口102からガス105(アルゴンガス)を導入して、チャンバ101内の圧力を3.0Paに保持し、バイアス電源110の電圧を徐々に上げながら−1000Vとし、基材2の表面のクリーニングを15分間行なった。その後、チャンバ101内からアルゴンガスを排気した。
【0102】
(2) 表面被覆層の形成
上記の基材2の洗浄に引き続き、表1に示す組成および膜厚の最下層を形成した。なお、実施例7〜9においては、最下層を形成しなかった。
【0103】
【表1】

【0104】
次に、基材2を中央で回転させた状態で、反応ガスとして窒素を導入しながら、基材2の温度500℃、反応ガス圧を3.0Pa、バイアス電源110の電圧を−50V〜−200Vの範囲にある一定値に維持または徐々に変化しながらカソード106およびカソード107にそれぞれ100Aのアーク電流を供給した。これにより、カソード106およびカソード107からそれぞれ金属イオンを発生させ、所定の時間が経過したところでアーク電流の供給を止めて、基材2の表面上に表2に示す組成の第1被覆層4を形成した。ここで、第1被覆層4は、表2に示す組成および1層厚み(1層当たりの厚み)を有するA層およびB層をそれぞれ1層ずつ交互に表2に示す積層数だけ積層することによって作製した。なお、比較例1については表2に示すA層が1層のみ作製された。また、表2の右から2番目の膜厚(μm)の欄には第1被覆層4の1層当たりの厚さが記載されており、表2の右端の積層数(層)の欄には後述する第2被覆層5と交互に1層ずつ積層される第1被覆層4の積層数が記載されている。
【0105】
【表2】

【0106】
次に、基材2の温度、反応ガス圧およびバイアス電圧を上記で維持したまま、カソード120およびカソード121にそれぞれ100Aのアーク電流を供給することによって、カソード120およびカソード121からそれぞれ金属イオンを発生させ、所定の時間が経過したところでアーク電流の供給を止めて、第1被覆層4上に表3に示す組成の第2被覆層5を形成した。ここで、第2被覆層5は、表3に示す組成および1層厚み(1層当たりの厚み)を有するC層およびD層をそれぞれ1層ずつ交互に表3に示す積層数だけ積層することによって作製した。なお、比較例1〜2については第2被覆層5は形成されなかった。また、表3の右から2番目の膜厚(μm)の欄には第2被覆層5の1層当たりの厚さが記載されており、表3の右端の積層数(層)の欄には上述した第1被覆層4と交互に1層ずつ積層される第2被覆層5の積層数が記載されている。
【0107】
【表3】

【0108】
そして、上記の第1被覆層4の形成作業と第2被覆層5の形成作業とを繰り返すことによって、第1被覆層4と第2被覆層5とを交互に積層した。その後、表4に示す組成および膜厚の最上層を形成して、上記の最下層、第1被覆層4、第2被覆層5および最上層を含む表5に示す表面被覆層3を形成した。なお、実施例9および比較例1〜2においては、最上層を形成しなかった。また、表面被覆層3中におけるA層6、B層7、C層8およびD層9のそれぞれの厚みについては基材2の回転速度で調整した。また、表5には、表面被覆層3全体の膜厚、硬度、圧縮残留応力および結晶構造がそれぞれ示されている。表5の圧縮残留応力の欄に示すように、実施例1〜11および比較例1〜2のすべての表面被覆層3には圧縮残留応力が存在している。また、表5の結晶構造の欄に示すように、実施例1〜11および比較例1〜2のすべての表面被覆層3の結晶構造は六方晶となっている。
【0109】
【表4】

【0110】
【表5】

【0111】
<表面被覆切削工具の寿命評価>
上記で作製した実施例1〜11および比較例1〜2の表面被覆切削工具(刃先交換型チップ)について、実際に表6に示す条件で乾式の連続切削試験および断続切削試験を行なうことによって刃先の逃げ面摩耗量を測定した。その結果を表7に示す。なお、表7において、刃先の逃げ面摩耗量の値が小さい方が寿命がより長いことを示している。また、表7の断続切削の欄におけるチッピングの評価は断続切削試験中に表面被覆切削工具がチッピングしたことを示している。
【0112】
【表6】

【0113】
【表7】

【0114】
表7に示すように、実施例1〜11の表面被覆切削工具は、比較例1〜2の表面被覆切削工具と比べて、連続切削試験および断続切削試験のいずれにおいても刃先の逃げ面摩耗量が大きく低減しており、表面被覆切削工具の寿命が大幅に長期化されることが確認された。
【0115】
実施例1〜11の表面被覆切削工具は、本発明の構成の表面被覆層3が基材2の表面上に形成されており、高温での安定性に優れるとともに、刃先のチッピングを抑制することができたために、表面被覆切削工具の寿命が大幅に長期化したものと考えられる。
【0116】
なお、表1〜表4に示される各層の組成はそれぞれXPS(X線光電子分光分析装置)を用いて測定したものであり、表5に示される表面被覆層3全体の硬度はナノインデンター(MTS社製のNano Indenter XP)により確認した値である。
【0117】
また、表1〜表4に示される表面被覆層3を構成する各層の厚みおよび表5に示される表面被覆層3全体の厚みはSEMまたはTEMを用いて測定した値であり、表5に示される表面被覆層3全体の圧縮残留応力はX線残留応力測定装置を用いてSin2ψ法(「X線応力測定法」(日本材料学会、1981年 株式会社養賢堂発行)の第54頁〜第67頁参照)によって測定された値である。
【0118】
以上のように、本発明の実施の形態および実施例について説明を行なったが、上述の実施の形態および実施例に記載された構成を適宜組み合わせることも当初から予定している。
【0119】
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなくて特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。
【産業上の利用可能性】
【0120】
本発明によれば、表面被覆切削工具の寿命を長期化させることができる表面被覆切削工具を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0121】
【図1】本発明の表面被覆切削工具の一例の模式的な拡大断面図である。
【図2】図1のX−Xに沿った模式的な断面の一例である。
【図3】本発明に用いられる表面被覆層の一例の模式的な拡大断面図である。
【図4】本発明における表面被覆層の他の一例の模式的な拡大断面図である。
【図5】本実施例で用いたカソードアークイオンプレーティング装置の概略上面図である。
【図6】図5に示すカソードアークイオンプレーティング装置の概略断面図である。
【符号の説明】
【0122】
1 表面被覆切削工具、2 基材、3 表面被覆層、4 第1被覆層、5 第2被覆層、6 A層、7 B層、8 C層、9 D層、10 第1中間遷移層、11 第2中間遷移層、101 チャンバ、102 ガス導入口、103 ガス排出口、104 基材ホルダ、105 ガス、106,107,120,121 カソード、108,109 アーク電極、110 バイアス電極。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材と、前記基材の表面上に第1被覆層と第2被覆層とが交互に積層されてなる表面被覆層とを含む表面被覆切削工具であって、
前記第1被覆層は、A層とB層とが交互にそれぞれ1層以上積層されてなる第1交互層を含み、
前記A層はAlとCrとを含む窒化物からなり、前記A層を構成する金属原子の総数を1としたときの前記Crの原子数の比は0.1よりも大きく0.4以下であり、
前記B層はAlとTiとを含む窒化物からなり、前記B層を構成する金属原子の総数を1としたときの前記Tiの原子数の比は0.2以上0.6以下であって、
前記第2被覆層は、C層とD層とが交互にそれぞれ1層以上積層されてなる第2交互層を含み、
前記C層はTiとSiとを含む窒化物からなり、前記C層を構成する金属原子の総数を1としたときの前記Siの原子数の比は0.05よりも大きく0.3以下であり、
前記D層はTiとCrとを含む窒化物からなり、前記D層を構成する金属原子の総数を1としたときの前記Crの原子数の比は0.05以上0.3以下であることを特徴とする、表面被覆切削工具。
【請求項2】
前記第1被覆層および前記第2被覆層のそれぞれの厚みが0.1μm以上1μm以下であることを特徴とする、請求項1に記載の表面被覆切削工具。
【請求項3】
前記A層、前記B層、前記C層および前記D層のそれぞれの厚みが1nm以上50nm以下であることを特徴とする、請求項1または2に記載の表面被覆切削工具。
【請求項4】
前記第1被覆層における前記A層と前記B層との間に第1中間遷移層が形成されており、
前記第1中間遷移層の組成は、前記第1中間遷移層の厚さ方向において、前記第1中間遷移層の下方に接する層の組成から前記第1中間遷移層の上方に接する層の組成に近づくように連続的に変化していることを特徴とする、請求項1から3のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項5】
前記第2被覆層における前記C層と前記D層との間に第2中間遷移層が形成されており、
前記第2中間遷移層の組成は、前記第2中間遷移層の厚さ方向において、前記第2中間遷移層の下方に接する層の組成から前記第2中間遷移層の上方に接する層の組成に近づくように連続的に変化していることを特徴とする、請求項1から4のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項6】
前記表面被覆層は、−8GPa以上0GPa以下の平均残留応力を有していることを特徴とする、請求項1から5のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項7】
前記表面被覆層の残留応力は、前記表面被覆層の厚さ方向において、前記基材から遠ざかるにしたがって前記残留応力の絶対値が大きくなることを特徴とする、請求項1から6のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項8】
前記表面被覆層の結晶構造は立方晶であることを特徴とする、請求項1から7のいずれかに記載の表面被覆切削工具。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate


【公開番号】特開2009−248238(P2009−248238A)
【公開日】平成21年10月29日(2009.10.29)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−98436(P2008−98436)
【出願日】平成20年4月4日(2008.4.4)
【出願人】(503212652)住友電工ハードメタル株式会社 (390)
【Fターム(参考)】