説明

乾燥処理がなされた糞便試料及び糞便試料の調製方法、及び、該糞便試料を用いた核酸又はタンパク質の抽出並びに検出方法

【課題】核酸の分解やタンパク質の変性等を防止し、かつ、保存安定性や取り扱い性に優れた糞便試料、及び、該糞便試料の調製方法並びに保存方法の提供。
【解決手段】55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理がなされた糞便試料、採取された糞便に対して、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理をすることを特徴とする糞便試料の調製方法、採取された糞便を凍結させた後に、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理をすることを特徴とする糞便試料の調製方法、前記調製方法により調製された糞便試料、前記糞便試料の乾燥状態を維持することを特徴とする糞便試料の保存方法、前記いずれかに記載の糞便試料から核酸又はタンパク質を抽出することを特徴とする核酸又はタンパク質の抽出方法、及び、前記抽出方法により抽出された核酸又はタンパク質を検出することを特徴とする核酸又はタンパク質の検出方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、乾燥処理がなされた糞便試料、乾燥処理をする糞便試料の調製方法、前記調製方法により調製された糞便試料、前記糞便試料の保存方法、及び、前記糞便試料からの核酸又はタンパク質の抽出方法、及び前記抽出方法により抽出された核酸又はタンパク質の検出方法に関する。
【背景技術】
【0002】
悪性腫瘍や感染症では、早期発見が非常に重要である。特に、大腸に発生する悪性腫瘍である大腸がんは、他のがんと異なり、発症の初期に治療することにより、100%近く治癒可能ながんである。大腸がんの早期発見のため、注入X線検査、大腸内視鏡検査等の多くの検査方法が行われている。注入X線検査とは、大腸にバリウムを注入し、X線造影によって、大腸の表面を観察する検査であり、大腸内視鏡検査とは、内視鏡により直接大腸内部を観察する検査である。
【0003】
食生活の欧米化に伴い、日本においても、欧米と同様に、大腸がんの発症率が増加し、がん死亡率の上位を占めるようになってきており、定期健診等による大腸がんの早期発見の重要性がますます高まっている。しかしながら、注入X線検査には、X線被爆や腸閉塞の危険性がある。また、大腸内視鏡検査は、感度や特異性が高く、ポリープや早期がんの切除も可能であるが、侵襲的であり、かつ、内視鏡操作には熟練を要する、という問題がある。このため、注入X線検査等と異なり、定期健診等にも適した、非侵襲的で簡便な大腸がん等の早期発見方法の開発が強く望まれている。
【0004】
近年、非侵襲的で簡便な検査方法として、糞便を用いた検査方法の研究・開発が盛んに行われている。既に一般的に用いられている検査方法として、例えば、便潜血検査がある。便潜血検査は、糞便中に含まれる赤血球由来のヘモグロビンの有無を調べる検査であり、消化管からの出血の有無により、大腸がんの存在を予測するものである。また、糞便中のDNAやRNAを抽出して、がん細胞由来の遺伝子の有無を調べる遺伝子検査等がある(例えば、特許文献1参照。)。このようながん細胞由来遺伝子の検査法として、例えば、APC遺伝子、p53遺伝子、K−ras遺伝子等の変異の有無を調べる方法や、マイクロサテライト不安定性(MSI、microsatellite instability)、LOH(loss of heterozygousity)、longDNA等を調べる方法がある。
【0005】
その他、感染症の早期発見及び原因特定のために、ウィルスや細菌由来の遺伝子の有無を調べる遺伝子検査や、ウィルス等の病原菌から排出された毒素等を検出する検査等がある。例えば、激しい下痢・嘔吐を含む胃腸炎や発熱を引き起こす腸管出血性大腸炎の病原菌の一つである大腸菌O−157は、糞便からの核酸増幅法によって検出することができる(例えば特許文献2参照。)。
【0006】
通常、糞便中には多種多様な物質が混在しており、がん細胞や病原菌等由来物質の割合は非常に小さいため、検出の感度や精度が不十分であるという問題がある。該問題を解決するために、種々の方法が開示されている。例えば、(1)患者における結腸直腸のがん病巣または前がん病巣の存在をスクリーニングする方法であって、以下の工程:a)該患者より排泄された糞便の少なくとも1つの横断面部分を含むサンプルを得る工程;およびb)該病巣から該排泄された糞便に流出された細胞または細胞破片の存在を示唆する特徴をサンプル中で検出するためのアッセイを行う工程;を包含する方法が開示されている(例えば特許文献3参照。)。該方法は、がん細胞及び前がん細胞由来の細胞片が、結腸において糞便が形成される際に、糞便の長軸方向の筋上のみ沈積するという認識を利用して、がん細胞等由来細胞片を多く含む糞便部位を糞便試料として用いることにより、がんの検出感度を改善するものである。その他、(2)採取された自然排出便にバッファー液が添加された試料を濾過し、濾液よりがん細胞を採取するための糞便濾過装置であって、前記自然排出便及び前記バッファー液の混合物を濾過するフィルタが、円錐状又は筒状フィルタであり、前記フィルタを装着させる多孔質又は網目構造の支持機構を有し、前記フィルタ及び支持機構を回転させる機構を有し、前記支持機構の外周部に、遠心力により濾過された濾液を採取する容器を有することを特徴とする糞便濾過装置が開示されている(例えば特許文献4参照。)。
【0007】
さらに、従来、糞便試料は、採取後検査に供されるまで、4℃程度の低温で保存されていたため、糞便中の核酸やタンパク質等の保存安定性が悪いという問題や、糞便中の細菌等が繁殖するという問題があった。該問題を解決するために、例えば、(3)糞便から細胞を分離する方法であって、a)便をそのゲル氷点未満の温度に冷却する工程と、b)便が実質的に完全な状態を残すように、便をそのゲル氷点未満の温度に維持しながら便から細胞を採取する工程と、を含むことを特徴とする方法が開示されている(例えば特許文献5参照。)。
【特許文献1】国際公開第2004/083856号パンフレット
【特許文献2】特開2001−95576号公報
【特許文献3】特表2002−515973号公報
【特許文献4】特開2005−241520号公報
【特許文献5】特表平11−511982号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかしながら、上記(1)の方法においては、糞便試料によっては適当な横断面部分を含むサンプルを得ることは困難であり、がんの検出感度を改善することは困難である場合が多い。また、上記(2)の方法においては、自然排出便からがん細胞を濾過するため、がんの検出感度を改善することができるが、操作が煩雑であり、多数の糞便試料を処理することが困難であるという問題がある。また、糞便試料ごとに装置を洗浄しなくてはならないが、該洗浄は煩雑である上に、洗浄操作中に汚染や感染のおそれがある、という問題もある。
【0009】
一方、上記(3)の方法においては、凍結させた糞便試料は、検査前に融解しなければならない。糞便試料中の核酸の分解やタンパク質の変性等を可能な限り防止するために、該融解操作は短時間であることが好ましいため、凍結させた糞便試料は、通常、融解前に粉砕して用いられている。しかしながら、凍結させた糞便試料は、硬度が高いため粉砕し難く、取り扱いが困難である。また、粉砕に時間がかかる結果、糞便試料中の核酸の分解やタンパク質の変性等が生じ、検出感度や精度が低下するおそれもある。さらに、粉砕時に凍結片が飛び散るため、汚染や感染の危険があるという問題もある。
【0010】
本発明は、核酸の分解やタンパク質の変性等を防止し、かつ、保存安定性や取り扱い性に優れた糞便試料、及び、該糞便試料の調製方法並びに保存方法を提供することを目的とする。
また、本発明は、該糞便試料から、効率よくかつ安全に、核酸又はタンパク質を抽出し、高精度かつ高感度に検出する方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者らは、上記課題を解決すべく鋭意研究した結果、採取された糞便に対して、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理をすることにより、保存安定性及び取り扱い性に優れた糞便試料を簡便に調製し得ることを見出し、本発明を完成させた。
【0012】
すなわち、本発明は、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理がなされた糞便試料を提供するものである。
また、本発明は、採取された糞便に対して、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理をすることを特徴とする、糞便試料の調製方法を提供するものである。
また、本発明は、採取された糞便を、凍結させた後に、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理をすることを特徴とする、糞便試料の調製方法を提供するものである。
また、本発明は、前記糞便試料の調製方法により調製された糞便試料を提供するものである。
また、本発明は、前記糞便試料の乾燥状態を維持することを特徴とする、糞便試料の保存方法を提供するものである。
また、本発明は、前記糞便試料の保存方法により保存された糞便試料を提供するものである。
また、本発明は、前記いずれかに記載の糞便試料から、核酸又はタンパク質を抽出することを特徴とする、核酸又はタンパク質の抽出方法を提供するものである。
また、本発明は、前記糞便試料に、抽出用薬剤を添加して混合することを特徴とする、核酸又はタンパク質の抽出方法を提供するものである。
また、本発明は、前記いずれかに記載の核酸又はタンパク質の抽出方法により抽出された核酸又はタンパク質を検出することを特徴とする、核酸又はタンパク質の検出方法を提供するものである。
また、本発明は、前記検出方法が、抗原抗体反応を用いる方法である、核酸又はタンパク質の検出方法を提供するものである。
また、本発明は、前記いずれかに記載の糞便試料を用いた、癌又は感染症の検出方法を提供するものである。
また、本発明は、抗ヘモグロビン抗体を用いて、前記いずれかに記載の糞便試料中の潜血を検出する方法を提供するものである。
【発明の効果】
【0013】
本発明により、含有される核酸やタンパク質等を損なうことなく、糞便試料を調製することができるため、該糞便試料を用いた検査において、糞便中に存在しているがん細胞や病原菌由来の核酸等を、高精度かつ高感度に検出することが可能となる。乾燥状態を維持することにより、糞便試料を長期間安定に保存することもできる。
また、検査前の粉砕操作等を要しないため、取り扱いが簡便で、かつ、汚染や感染のおそれがなく、衛生的かつ安全に検査をすることが可能となる。さらに、臨床検査等の多数の糞便試料を同時に調製する場合であっても、含有される核酸やタンパク質等を損なうことなく、糞便試料を簡便に調製することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
本発明の糞便試料の調製方法は、採取された糞便に対して、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理をすることを特徴とする。本発明の糞便試料の調製方法により、固形分の多い糞便であっても、効率よく水分を除去し、乾燥することができる。加温による乾燥方法と異なり、低温で乾燥が進行するため、糞便に含有されている様々な物質の分解や変質を、特に核酸の分解やタンパク質の変性を回避することができる。水分が糞便の表層のみではなく、内部からも除去されるため、糞便全体を均一に乾燥させることができる。
【0015】
本発明における乾燥処理とは、55Torr以下の条件下で水分を除去する乾燥処理を意味する。55Torrでは、水の沸点はおよそ40℃である。40℃以下の条件下、すなわち、生体内温度程度以下の条件下で、水分を迅速に除去することにより、検査対象物と成り得る糞便中のDNAやタンパク質等の分解や変性を効率よく回避することが期待できるためである。乾燥処理の気圧条件は、55Torr以下の気圧であれば、特に限定されるものではなく、乾燥処理時の温度等を考慮して、適宜決定することができる。例えば、5.0Torr以下であることがより好ましく、0.8Torr以下であることが特に好ましい。DNAやタンパク質に加え、特に分解されやすいRNAの分解をも最小限に抑えることが可能であるためである。
【0016】
乾燥処理の時間は、糞便試料の量や温度等を考慮して、適宜決定することができる。例えば、10分〜24時間であることが好ましい。また、乾燥処理は、同一の糞便試料に対して1回行ってもよく、2回以上行っても良い。複数回乾燥処理をすることにより、水分含有量の多い糞便試料であっても、水分を十分に除去することが可能である。
【0017】
また、送風環境下で乾燥処理を行ってもよく、遠心処理と同時に乾燥処理を行ってもよい。該遠心処理の遠心回転条件は、特に限定されるものではないが、500rpm以上の回転数であることが好ましい。送風環境下や遠心処理と同時に行うことにより、さらに効率よく糞便試料から水分を除去することが可能となる。
【0018】
本発明の糞便試料の調製方法において、乾燥処理がなされる糞便は、自然排出便であってもよく、グリセリンやその他の薬剤等で処理された糞便であってもよい。また、採取直後のものであってもよく、採取後保存されたものであってもよい。糞便の保存は、通常用いられている方法で行うことができるが、該保存における温度は、10℃以下の低温であることが好ましく、4℃以下であることがより好ましい。糞便に含有されている核酸の分解やタンパク質の変性等を抑えることができるためである。
【0019】
さらに、採取された糞便を凍結してもよい。採取後糞便を凍結することにより、糞便中の核酸やタンパク質等をより安定して保存することができる。また、凍結された糞便に対して乾燥処理をすることにより、昇華により、非常に効率よく水分の除去を行うことができる。採取された糞便の凍結は、通常試料を凍結する方法であれば、いずれの方法を用いて行ってもよいが、液体窒素、液体空気、−80℃程度の超低温冷凍装置を用いて凍結することが好ましい。糞便を急速冷凍することができるためである。
【0020】
該乾燥処理は、市販の真空凍結乾燥機や、遠心式濃縮乾燥機等を用いて行うことができる。糞便試料が少量である場合や、水分含有量の少ない糞便試料である場合には、遠心式濃縮乾燥機を用いることが好ましい。室温で乾燥処理を行うことができ、簡便であるためである。糞便試料が大量である場合や、水分含有量の多い糞便試料である場合には、糞便試料を予め凍結した後、真空凍結乾燥機を用いることが好ましい。水分の昇華除去が速やかに行われるためである。
【0021】
本発明の糞便試料の調製方法により調製された糞便試料、すなわち、本発明の糞便試料は、固形分の内部からも水分が除去されているため、多孔質の網状構造を有している。乾燥した固形物であるため、保存性や取り扱い性が良好で、かつ、臭いも非常に少なく、衛生的である。また、該網状構造のため、本発明の糞便試料は崩壊させ易く、従来の凍結した糞便試料と異なり、汚染や二次感染の原因となる飛沫の拡散を抑えることができ、清潔かつ安全に、検査等に用いることができる。さらに、適当なバッファーを添加した場合に、該バッファーは糞便試料全体に速やかに染み込むため、短時間に均一な糞便試料溶液を簡便に調製することもできる。
【0022】
本発明の糞便試料は、調製後、すぐに検査等に用いてもよく、保存しておいてもよい。該保存は、通常検査用の試料等を保存する場合に行われているいずれの方法によっても行うことができるが、該糞便試料の乾燥状態を維持することができる方法であることが好ましい。乾燥状態を維持することにより、糞便試料中の酵素等の活性を抑えることができ、核酸やタンパク質の分解や変性を防止し、安定して長期間保存することができる。また、乾燥状態を維持した保存状態で輸送することにより、輸送された糞便試料を用いた場合であっても、乾燥処理直後の糞便試料を用いた場合と同様に感度及び精度よく、糞便試料中の核酸やタンパク質等を検出することができる。
【0023】
本発明の糞便試料の乾燥状態を維持することができる保存方法として、例えば、乾燥処理後に、乾燥に用いた容器ごと速やかに密封する方法がある。また、吸湿剤等を用いてもよい。保存の際の温度は特に限定されるものではなく、冷凍保存してもよく、冷蔵保存してもよい。乾燥状態を維持しやすく、また、温度制御装置を必要とせず簡便であるため、常温で保存することが好ましい。
【0024】
本発明の糞便試料は、他の生検試料と同様に、様々な検査に供することができる。特に、早期発見の要請の強い、がんの発症や感染症の罹患の有無を調べる検査等に供されることが好ましい。例えば、糞便試料から、がん細胞や感染症等の原因である病原菌由来の核酸やタンパク質等が検出されるかどうかを調べることにより、がんの発症や感染症の罹患の有無を調べることができる。その他、大腸炎等の炎症疾患や、ポリープ等の隆起性病変の検査等に供されてもよい。
【0025】
糞便試料中には、多種多様な物質が存在しているため、通常は、核酸やタンパク質等のそれぞれの検査に必要な物質を、糞便試料中から抽出した後に検出する。糞便試料中からの核酸やタンパク質の抽出方法や、抽出した核酸やタンパク質の検出方法は、特に限定されるものではなく、通常試料から核酸やタンパク質を抽出し検出する方法であれば、いずれの方法によっても行うことができる。また、例えば、核酸抽出キットや、便潜血検査キット、ウィルス検出キット等の市販のキットを用いてもよい。なお、本発明の糞便試料から抽出する核酸は、デオキシリボヌクレオチド(DNA)であってもよく、リボヌクレオチド(RNA)であってもよい。RNAの場合には、逆転写反応(RT−PCR:Reverse transcriptase−polymerase chain reaction)によりcDNAを合成した後、該cDNAを用いて、DNAと同様にして検査等に用いることができる。
【0026】
本発明の糞便試料から、核酸やタンパク質を抽出する方法においては、まず、適当な抽出用薬剤を添加して混合することが好ましい。該混合は、市販の試験管ミキサーやホモジナイザー等を用いて行うことができる。
DNAを抽出する場合には、該抽出用薬剤として、リン酸バッファーやトリスバッファー等を用いることができる。高圧蒸気滅菌等により、DNA分解酵素を失活させた薬剤であることが好ましく、さらにproteinase K等のタンパク質分解酵素を含有させた薬剤であることがより好ましい。該抽出用薬剤を添加して混合した後、エタノール沈殿法等により、DNAを抽出することができる。糞便試料中に病原菌等が大量に存在している場合には、該抽出用薬剤を添加して混合することにより得た均一な糞便試料溶液を、そのまま用いることにより、病原菌由来の遺伝子等を検出することができる。
【0027】
RNAを抽出する場合には、該抽出用薬剤として、クエン酸バッファー等を用いることができるが、RNAは非常に分解され易い物質であるため、チオシアン酸グアニジンや塩酸グアニジン等のRNA分解酵素阻害剤を含有したバッファーを用いることが好ましい。該抽出用薬剤を添加して混合した後、酸性フェノール及びクロロホルムを用いた方法や、塩化セシウム超遠心法等により、RNAを抽出することができる。
【0028】
タンパク質を抽出する場合には、該抽出用薬剤は、通常タンパク質の抽出等に用いられているいずれのバッファーも用いることができ、抽出するタンパク質や検出方法等を考慮して、適宜決定することができる。例えば、抗原抗体反応を用いた検出方法である場合には、該抽出用薬剤はバッファーであることが好ましい。便潜血検査のようにヘモグロビンを検出する場合は、該抽出用薬剤として、リン酸バッファー、亜硫酸バッファー、有機酸バッファー等が好ましい。該抽出用薬剤に、予め抗ヘモグロビン抗体を添加しておいてもよい。また、該抽出用薬剤に、保存剤としてアジ化ナトリウムやホウ酸等を添加してもよく、安定化剤としてアルブミンやカゼイン等を添加してもよい。タンパク質分解酵素の活性を抑えるために、EDTA(エチレンジアミン四酢酸)やEDTAの塩等のキレート剤を添加してもよい。
【0029】
本発明の糞便試料は、多孔質の網状構造を有している乾燥体であることから、抽出用薬剤が速やかに糞便試料全体に染み渡ることができる。このため、該抽出用薬剤中に添加した核酸分解酵素阻害剤等が非常に短時間に糞便試料全体に浸透するため、従来の糞便試料よりも、核酸やタンパク質の抽出量や、抽出された核酸等の質が、飛躍的に向上する。該抽出用薬剤を添加する前に、該糞便試料を細かく粉砕することが好ましい。より一層抽出効率が改善されるためである。該糞便試料は非常に崩壊し易いため、該糞便試料等の入っている容器等を振ったり、薬さじ等で押さえつけたりする等の軽度の物理的な刺激を与えること等により、簡単に粉砕することができる。
【0030】
本発明の糞便試料より抽出された核酸を検出する方法として、核酸を定量する方法や、PCR等を用いて特定の塩基配列領域を解析する方法等がある。例えば、がん遺伝子等がコードされている塩基配列領域や、マイクロサテライトを含む塩基配列領域等の遺伝的変異の有無を解析することにより、がんの発症の有無を調べることができる。抽出されたDNAを用いた場合には、例えば、DNA上のメチル化や、塩基の挿入、欠失、置換、重複、又は逆位等の変異を解析することができる。また、抽出されたRNAを用いた場合には、例えば、RNA上の塩基の挿入、欠失、置換、重複、逆位、又はスプライシングバリアント(アイソフォーム)等の変異を解析することができる。また、RNA発現量を解析することもできる。
【0031】
本発明の糞便試料より抽出されたタンパク質を検出する方法として、タンパク質を定量する方法や、検出目的のタンパク質と特異的に結合する物質との抗原抗体反応を用いて解析する方法等がある。例えば、病原菌が産生する毒素の量を定量することや、病原菌に特異的な抗体等との抗原抗体反応を行うことにより、感染症罹患の有無を調べることができる。また、抗ヘモグロビン抗体との抗原抗体反応を用いて、糞便試料中の潜血を検出することにより、高精度及び高感度に、消化管の出血の有無を調べることができる。その他、ヘモグロビンのペルオキシダ−ゼ様活性を利用して、糞便試料中の潜血を検出する方法もある。
【0032】
次に試験例を示して本発明をさらに詳細に説明するが、本発明は以下の試験例に限定されるものではない。
【0033】
(試験例1)ノロウイルス感染症罹患の有無の検出
予めノロウイルス感染症に罹患していることがわかっている9人の患者より、それぞれ糞便を採取後、直ちに、初期量を一定にするために、0.1gの定量スプーンを用いて該糞便を分取し、2mLポリプロピレンチューブの壁面に薄く伸ばして塗布した。該ポリプロピレンチューブのフタを空けたまま、遠心式濃縮乾燥機(SPEEDVAC、Thermo Scientific社製)に設置し、26℃で1時間、55Torr以下で乾燥させることにより、乾燥処理がなされた糞便試料を得た。その後、該糞便試料を、吸湿を防ぐために密閉容器に入れ、室温で3日間かけて輸送した。同じ患者より採取した糞便を、乾燥処理をせずに、密閉容器に入れて、同様に室温輸送したものを、コントロールの糞便試料とした。
【0034】
輸送された糞便試料に、1mLのPBS(リン酸緩衝生理食塩水、pH7.4)を添加し、ホモジナイザーで十分に粉砕・攪拌した後、12,000×gで10分間遠心処理を行った。該遠心処理により得た上清を新しい2mLポリプロピレンチューブに採取した。1μLの該上清をテンプレートとして、SuperscriptIII one step RT−PCR System(Invitrogen社製)を用いて、RT−PCRを行った。ノロウイルス遺伝子の検出を、該RT−PCR産物をテンプレートとして、配列番号1の塩基配列を有するフォワードプライマー(Norovirus−F1 primer)と、配列番号2の塩基配列を有するリバースプライマー(Norovirus−R1 primer)とを用いたPCRにより行った。
【0035】
具体的には、0.2mLPCRチューブに、12μLの超純水と2μLの10×バッファー(Applied Biosystems社製)を添加し、さらに、各1μLの該RT−PCR産物、該フォワードプライマー、該リバースプライマー、塩化マグネシウム、dNTP、及びDNAポリメラーゼ(Applied Biosystems社製)をそれぞれ添加して混合し、PCR反応溶液を調製した。該PCRチューブを、95℃で10秒間の変性、次に95℃で30秒間、62℃で30秒間、72℃で30秒間を30サイクル、からなる反応条件によりPCRを行った。得られたPCR産物の分析は、BIOANALYZER(Agilent Technology社製)を用いて、電気泳動法により解析した。
【0036】
BIOANALYZERによる解析によって得られたバンドパターンを図1に示す。(a)は本発明の糞便試料の解析結果であり、(b)はコントロールの糞便試料の解析結果である。(a)と(b)で同一のレーン番号には、同一の患者から採取された糞便試料由来のPCR産物が泳動されており、Mはマーカーが泳動されている。矢印アが、255bpのバンドであり、ノロウイルス遺伝子由来の増幅されたPCR産物を示している。本発明の糞便試料では、全てのノロウイルス患者由来の糞便からノロウイルス遺伝子を検出することができた。一方、乾燥処理を行わなかったコントロールの糞便試料では、同一の糞便を用いたにもかかわらず、255bpのバンドが検出されなかったものが多く、また、検出されたとしても、非常に微量であった。つまり、コントロールの糞便試料では、ウィルス感染陽性率が下がり、ノロウイルス感染症に罹患しているにもかかわらず、感染していないと判断されてしまった。
【0037】
図1の結果から、本発明の調製方法により調製された糞便試料は、従来法に比べ、ウィルス感染の検出効率が非常に優れていることが明らかである。なお、本発明の糞便試料を、密閉容器に入れて吸湿を防いだ環境下で1ヶ月保存した後、同様にPCRを行ったところ、図1(a)と同様に、全ての糞便試料において、ノロウイルス遺伝子由来の増幅されたPCR産物が検出された。すなわち、本発明の調製方法により調製された糞便試料は、乾燥状態を維持することにより、常温で非常に長期間、安定的に保存できることが明らかである。
【0038】
(試験例2)大腸がん発症の有無の検出
5人の大腸がん患者より、それぞれ糞便を採取後、直ちに、初期量を一定にするために、5gの定量スプーンを用いて、該糞便を50mLポリプロピレンチューブに分取した。該ポリプロピレンチューブのフタを閉めて、直ちに−192℃の液体窒素中に10分間浸して、該糞便を予備凍結させた。その後、該ポリプロピレンチューブのフタを緩めた状態で、凍結乾燥機に設置し、−30℃で2時間、55Torr以下で乾燥させることにより、乾燥処理がなされた糞便試料を得た。その後、該糞便試料を粉砕した後、15mLのPBSを添加し、ホモジナイザーで十分に混合した。同じ患者より採取した糞便を、乾燥処理をせずに、15mLのPBSを添加し、ホモジナイザーで十分に混合したものを、コントロールの糞便試料とした。
【0039】
混合された糞便試料を、12,000×gで10分間遠心処理を行った。該遠心処理により得た上清を新しい2mLポリプロピレンチューブに採取した。該上清から、Qiamp DNA stool mini kit(Qiagen社製)を用いて、DNAを抽出した。がんマーカーの1つであるVEGF(Vascular endothelial growth factor)遺伝子の検出を、抽出されたDNAをテンプレートとして、配列番号3の塩基配列を有するフォワードプライマー(VEGF−F1 primer)と、配列番号4の塩基配列を有するリバースプライマー(VEGF−R1 primer)とを用いたPCRにより行った。具体的には、試験例1と同様に、0.2mLPCRチューブに、12μLの超純水と2μLの10×バッファーを添加し、さらに、各1μLの該抽出されたDNA、該フォワードプライマー、該リバースプライマー、塩化マグネシウム、dNTP、及びDNAポリメラーゼをそれぞれ添加して混合し、PCR反応溶液を調製した。該PCRチューブを、95℃で10秒間の変性、次に95℃で30秒間、65℃で30秒間、72℃で1分間を30サイクル、からなる反応条件によりPCRを行った。
【0040】
図2は、得られたPCR産物をアガロースゲル電気泳動した後、エチジウムブロマイドで染色した結果に得られたバンドパターンを示したものである。(a)は本発明の糞便試料の解析結果であり、(b)はコントロールの糞便試料の解析結果である。(a)と(b)で同一のレーン番号には、同一の患者から採取された糞便試料由来のPCR産物が泳動されており、Mはマーカーが泳動されている。矢印アが、255bpのバンドであり、VEGF遺伝子由来の増幅されたPCR産物を示している。本発明の糞便試料では、全ての大腸がん患者由来の糞便からVEGF遺伝子を検出することができた。一方、乾燥処理を行わなかったコントロールの糞便試料では、同一の糞便を用いたにもかかわらず、255bpのバンドが非常に薄かく、さらに、本発明の糞便試料では観察されなかったラダー状の染色が観察されたことから、抽出されたDNAの質が非常に悪いことが分かった。
【0041】
図2の結果から、本発明の調製方法により調製された糞便試料は、従来法に比べ、抽出される核酸の質が良好であること、及び、糞便中に含有されている核酸にコードされている遺伝子の検出感度が顕著に優れていることが明らかである。このため、本発明の調製方法により調製された糞便試料は、がんの早期発見に非常に有用であること期待できる。
【0042】
(試験例3)抽出された核酸の定量
トレーに採取した後、4℃で保存した1回排泄分の糞便を、採取後10時間以内に−80℃の超低温冷凍庫へ移し、凍結した。該凍結した糞便を50mLポリプロピレンチューブに移し、該ポリプロピレンチューブごと凍結乾燥機に設置し、−30℃で10時間、55Torr以下で乾燥させることにより、乾燥処理がなされた糞便試料を得た。その後、該糞便試料を、粉砕し、96ウェルマイクロプレートの10ウェルにそれぞれ分取した後、各ウェルに100μLのフェノール混合物(Trizol、Invitorogen社製)を添加した。該96ウェルマイクロプレートをシールでふたをして、30秒以上ボルテックスにかけてよく粉砕・混合した後、12,000×gで10分間遠心処理を行った。該遠心処理により得た上清を新しい96ウェルマイクロプレートにそれぞれ分取した。GAPDH(glyceraldehyde−3−phosphate dehydrogenase)遺伝子の検出を、該上清をテンプレートとして、配列番号5の塩基配列を有するフォワードプライマー(GAPDH−F1 primer)と、配列番号6の塩基配列を有するリバースプライマー(GAPDH−R1 primer)とを用いたリアルタイムPCRにより行った。
【0043】
具体的には、新たな96ウェルマイクロプレートに、6μLの超純水と、2μLの該上清と、各1μLの該フォワードプライマー、該リバースプライマー、及び、CYBR Green試薬(インビトロジェン社製)の500倍希釈液をそれぞれ加えた後、さらに、10μLの核酸増幅試薬(Geneamp PCR Master Mix、Applied biosystems社製)を添加して混合した後、リアルタイムに蛍光濃度を計測しながらPCR増幅を行った。濃度既知のラムダファージDNAをポジティブコントロールとして添加した。該蛍光濃度の計測結果を分析して、該上清中のGAPDH遺伝子量を算出した。各ウェル由来の1試料当たり独立して3回データを取り、それぞれの平均値を求めた。表1は、各ウェルの平均値を示したものである。本発明の糞便試料由来の上清中のGAPDH遺伝子量は、10ウェルの平均値が約133μg/μLであり、コントロールの糞便試料由来の上清中のGAPDH遺伝子量は、10ウェルの平均値が約10μg/μLであった。表1より、本発明の糞便試料、すなわち55Torr以下の条件下で乾燥処理を行った糞便試料を用いた場合には、コントロール、すなわち、乾燥処理を行わなかった糞便試料を用いた場合に比べて、非常に核酸の抽出効率がよいことが明らかである。
【0044】
【表1】

【0045】
(試験例4)便潜血の有無の検出
イムノクロマト法による便潜血検査キット(ダイナスクリーン・ヘモ、Abbott社製)を用いて、糞便試料中に赤血球由来のヘモグロビンが含有されているかどうかを調べた。
まず、10mL容器を押し付けることにより、15人から採取した10mLの糞便を、それぞれ密封容器に入れ、−40℃の超低温冷凍庫へ移し、予備凍結した。該凍結した糞便を、密封容器のフタを緩めた状態で凍結乾燥機に設置し、−20℃で15時間、55Torr以下で乾燥させることにより、乾燥処理がなされた糞便試料を得た。同一人より採取した糞便を、乾燥処理をせずに、密閉容器に入れて、室温で15時間保存した糞便を、コントロールの糞便試料とした。
【0046】
該密封容器に、50mLのPBSとスターラーバー(攪拌子)を添加し、糞便試料が十分に溶解・混合するまで攪拌した。混合された糞便試料の一部に、該便潜血検査キットの抗ヘモグロビン抗体を添加し、発色の有無を調べた。該便潜血検査キットでは、抗ヘモグロビン抗体とヘモグロビンが抗原抗体反応により特異的に結合すると、赤色に発色するものである。表2はそれぞれの糞便試料の発色の有無を示したものである。表中「+」は発色したことを、「−」は発色がなかったことをそれぞれ示している。また、1〜15の各番号は、採取した糞便の番号である。
【0047】
【表2】

【0048】
15の糞便試料のうち、3の糞便において、本発明の糞便試料では発色が観察されたが、コントロールの糞便試料では発色が確認されなかった。該3の糞便由来のコントロールの糞便試料では、糞便採取時には存在していたヘモグロビンが劣化したために、抗ヘモグロビン抗体で検出できなかったのではないかと推察される。表2より、本発明の乾燥処理を行った糞便試料を用いた場合には、乾燥処理を行わなかったコントロールの糞便試料を用いた場合に比べて、血液成分の抗原性やヘモグロビン中のヘム鉄が失われ難いため、より高感度かつ高精度に糞潜血を検出できることが明らかである。
【産業上の利用可能性】
【0049】
本発明に係る糞便試料及び糞便試料の調製方法は、大腸がん等のがん疾患や感染症等
の早期発見のための臨床検査の分野等で利用が可能である。
【図面の簡単な説明】
【0050】
【図1】試験例1において得られたPCR産物の、BIOANALYZERによる解析によって得られたバンドパターンを示したものである。(a)は本発明の糞便試料の解析結果であり、(b)はコントロールの糞便試料の解析結果である。(a)と(b)で同一のレーン番号には、同一の患者から採取された糞便試料由来のPCR産物が泳動されており、Mはマーカーが泳動されている。矢印アが、255bpのバンドであり、ノロウイルス遺伝子由来の増幅されたPCR産物を示している。
【図2】試験例2において得られたPCR産物を、アガロースゲル電気泳動した後、エチジウムブロマイドで染色した結果に得られたバンドパターンを示したものである。(a)は本発明の糞便試料の解析結果であり、(b)はコントロールの糞便試料の解析結果である。(a)と(b)で同一のレーン番号には、同一の患者から採取された糞便試料由来のPCR産物が泳動されており、Mはマーカーが泳動されている。矢印アが、255bpのバンドであり、VEGF遺伝子由来の増幅されたPCR産物を示している。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理がなされた糞便試料。
【請求項2】
採取された糞便に対して、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理をすることを特徴とする、糞便試料の調製方法。
【請求項3】
採取された糞便を、凍結させた後に、55Torr以下の気圧条件下における乾燥処理をすることを特徴とする、糞便試料の調製方法。
【請求項4】
請求項2又は3記載の糞便試料の調製方法により調製された糞便試料。
【請求項5】
請求項1又は4記載の糞便試料の乾燥状態を維持することを特徴とする、糞便試料の保存方法。
【請求項6】
請求項5記載の糞便試料の保存方法により保存された糞便試料。
【請求項7】
請求項1、4、及び6のいずれかに記載の糞便試料から、核酸又はタンパク質を抽出することを特徴とする、核酸又はタンパク質の抽出方法。
【請求項8】
前記糞便試料に、抽出用薬剤を添加して混合することを特徴とする、請求項7記載の核酸又はタンパク質の抽出方法。
【請求項9】
請求項7又は8記載の核酸又はタンパク質の抽出方法により抽出された核酸又はタンパク質を検出することを特徴とする、核酸又はタンパク質の検出方法。
【請求項10】
前記検出方法が、抗原抗体反応を用いる方法である、請求項9記載の核酸又はタンパク質の検出方法。
【請求項11】
請求項1、4、又は6記載のいずれかに記載の糞便試料を用いた、がん又は感染症の検出方法。
【請求項12】
抗ヘモグロビン抗体を用いて、請求項1、4、及び6のいずれかに記載の糞便試料中の潜血を検出する方法。


【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2008−256389(P2008−256389A)
【公開日】平成20年10月23日(2008.10.23)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−96211(P2007−96211)
【出願日】平成19年4月2日(2007.4.2)
【出願人】(000000376)オリンパス株式会社 (11,466)
【Fターム(参考)】