説明

炭素繊維および補強織物

【課題】
クリンプがあっても、CFRPとしたときに、引張強度、圧縮強度、引張弾性率に優れた補強織物とすることができる炭素繊維を提供するとともに、そのような補強織物を提供する。
【解決手段】
結晶子サイズLcが1.8〜2.6nm、ストランド引張強度TSが6〜9GPaであって、LcおよびTSが次の式(1)を満たすとともに、単繊維引張強度のワイブル形状係数mが6以上である炭素繊維およびそれを織糸とする補強織物。
50Lc+210≦YM≦50Lc+270 ・・・(1)
(ここで、YMはストランド引張弾性率(単位:GPa)である)

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、引張強度、圧縮強度、引張弾性率に優れた炭素繊維強化複合材料を提供できる炭素繊維、ならびにそれを用いた補強織物およびプリプレグに関するものである。
【背景技術】
【0002】
炭素繊維は、他の繊維に比べて高い比強度および比弾性率を有するため、複合材料用補強繊維として、従来からのスポーツ用途や航空・宇宙用途に加え、自動車や土木・建築、圧力容器および風車ブレードなどの一般産業用途にも幅広く展開されつつあり、更なる高性能化の要請が高い。
【0003】
炭素繊維強化複合材料、とくに炭素繊維強化プラスチック(以下CFRPと略記する)には、炭素繊維を用いて織物の形態にした補強織物が多用されている。炭素繊維織物は、通常、一般のシャトル織機やレピア織機により製織されており、樹脂と複合して所定形状に形成することによりCFRP等の複合材料に用いる補強基材とされている。
【0004】
このような補強基材を用いたCFRPは、その優れた性能を活かして航空機の構造材等に使われ始めており、一方向複合材料と組み合わせて使用し、高い特性を満足することが求められている。しかし、現状におけるCFRP材料は従来の金属材料に比べてコストが高いという問題があり、CFRPのコストダウンが大きな課題である。コストダウンを狙う一つの方策として、炭素繊維の有する高性能な特性を最大限発揮させる補強基材の開発も重要である。炭素繊維の力学的特性を1割であっても向上させるのは困難であるが、補強織物による複合材料とした場合に引張強度や圧縮強度の発現率が一方向複合材料に比べて極めて低く、強度を構造設計の主因子とする航空機材料にとってはコストアップおよび重量の増大要因であった。
【0005】
この補強基材としての通常の補強織物は、炭素繊維をほぼ円形断面に集束させた炭素繊維束を用いて織物にしているので、織り込まれた状態においては、たて糸とよこ糸が交錯する交錯部における炭素繊維束の断面が楕円形で、織糸が大きくクリンプしている。特に、太い炭素繊維束を使用した補強織物では、太いよこ糸と太いたて糸が交錯しているのでこの傾向が大きくなる。
【0006】
このため、炭素繊維束が大きくクリンプした補強織物では、CFRP材料にし、その材料に応力が作用した場合には、織糸がクリンプした交錯部に応力が集中して炭素繊維の特徴である高強度特性が充分に発揮できず、また、初期破断が起こるとCFRPの破断となる。さらには、織物内の繊維密度が不均一となって成形時の樹脂含浸性が悪く、成形品にボイドが多く存在する問題や、成形品の表面が凹凸する問題がある。
【0007】
また、CFRPを大型構造部材として使用する場合、炭素繊維の使用量は大量であり、かつ、安定的に供給する必要がある。そのため、焼成工程での糸条密度を上げる方法が採用されることが多く、焼成時のフィラメント数を増やすことが多いが、太い炭素繊維束となって、クリンプが大きくなりやすく、生産性と特性発現の両立が困難である。
【0008】
ここで綾織組織や朱子織組織を採用することもできるが、たて糸とよこ糸の交錯点数が減るものの織糸のクリンプは糸密度や断面形状で決まり、ほとんど変化しないことから強度発現率の向上は期待できない。
【0009】
上述した従来の問題点に対して、炭素繊維から織糸を実質的に屈曲させず、補助糸により一体にする織物構造(いわゆるノンクリンプ織物)が提案されている(特許文献1参照)。この織物構造によると炭素繊維束からなる織糸はほとんど屈曲がないことから応力集中が発生が少なく、ほぼ真っ直ぐ延びているので、炭素繊維の持つ高強度特性が充分に発揮やすいという特徴を有している。
【0010】
しかしながら、たて糸とよこ糸が層をなし、補助糸で一体化されているだけであるから、たて糸とよこ糸の交絡効果がなく、例えばCFRP面に垂直方向な方向からの衝撃が加わった場合、簡単にたて糸層とよこ糸層が剥離してしまう問題があり、また、一方向材料同等の強度発現率も見られなかった。
【0011】
このように織糸のクリンプは避けがたいものであり、その低減が重要であるが、クリンプのある状態でも炭素繊維の特性を高く発現させることが特に重要である。
【0012】
炭素繊維の中で、最も広く利用されているポリアクリロニトリル(以下、PANと略記することがある)系炭素繊維は、その前駆体となるPAN系重合体からなる紡糸溶液を湿式紡糸、乾式紡糸または乾湿式紡糸して炭素繊維前駆体繊維(以下、前駆体繊維と略記することがある)を得た後、それを200〜400℃の温度の酸化性雰囲気下で加熱して耐炎化繊維へ転換し、少なくとも1000℃の温度の不活性雰囲気下で加熱して炭素化することによって工業的に製造されている。
【0013】
特に航空機用途においては、引張強度、圧縮強度と引張弾性率が高いレベルで両立した炭素繊維が求められている。炭素繊維は、炭素化工程における最高温度を高くするほど、得られる炭素繊維の引張弾性率は高くできるものの、炭素網面の成長に伴い、得られる炭素繊維の引張強度と圧縮強度は低下する。すなわち、炭素繊維の引張弾性率と引張強度、圧縮強度とは、トレードオフの関係にある。このトレードオフの関係にある引張強度、圧縮強度と引張弾性率を両立するため、炭化温度の制御以外で、引張強度、圧縮強度および引張弾性率を高める技術について、これまでいくつかの提案がなされている。
【0014】
炭素繊維の圧縮強度を向上させる技術としては、例えば、炭素繊維にイオン注入を施し、黒鉛結晶を非晶化する技術や、用いられる前駆体繊維の横断面形状を非円形化し、断面二次モーメントを増加させる技術が提案されている(特許文献2および特許文献3参照)。しかしながら、前者の提案は、炭素繊維を高真空下において少量ずつでしか処理できず、また、後者の提案は、安定した断面形状を維持することが難しく、最終的な製品の均一性の面で問題がある。いずれの提案も工業的に適用することは困難であるばかりか、多フィラメント内の単繊維間における処理の均一性の面で問題があり、単繊維引張強度のばらつきが大きかった。
【0015】
炭素繊維の引張弾性率を向上させるためには、焼成時に繊維を延伸することにより、得られる炭素繊維の配向度を高めることが有効であることが知られている。しかし、単に延伸倍率を高めるだけでは、毛羽の発生や糸切れを誘発し、操業性の低下や、得られる炭素繊維の品位の低下が避けられない。焼成条件を制御することにより、延伸の安定化を図る技術も提案されている(特許文献4および特許文献5参照)。しかし、その延伸可能な限界値は高いとは言えず、延伸による引張弾性率の向上効果もわずかである。また、延伸を施すことによって欠陥サイズが増大し、単繊維引張強度のばらつきが大きくなるため、高強度・高弾性率と狭い単繊維引張強度分布とを両立するのはきわめて困難であった。
【0016】
工業的に生産できるかを別とすると、単繊維引張強度のばらつきが多少大きくても、一方向複合材料として使用する場合には支障はなかった。すなわち、炭素繊維の単繊維強度には広い分布があることが広く知られているが、複合材料とすることで単繊維引張強度の分布よりも複合材料引張強度分布は高強度かつ、分布の幅が狭くなっている。炭素繊維の欠点である強度のばらつきが改善されるとともに、複合材料の強度が弱い繊維にあまり大きな影響を受けないことが知られている。炭素繊維の強度のばらつきはワイブルパラメーターで示されることが多いが、ストランド物性値が同じでワイブル形状係数が異なる炭素繊維を用いて複合材料として、その物性値のばらつきがわずかに改善されるものはあっても、その物性の平均値が顕著に向上した例は知られていない。それに対して従来、単繊維引張強度分布をワイブル形状係数で規定した炭素繊維が提案されている(特許文献6、7参照)。特許文献6では、黒鉛化工程で発生する毛羽を抑制するために、黒鉛化処理前の炭素繊維単繊維引張強度分布を狭くする、すなわち、ワイブル形状係数を5〜6に制御している。しかしながらストランド引張弾性率が305GPaまでの炭素繊維を使用しており、本発明者らの検討したところによるとストランド引張弾性率を向上させると脆性的な破壊形態となるので、応力集中が起こり、欠陥に敏感となり、ワイブル形状係数が低下する。また、作用効果としても毛羽の抑制のみであり、ワイブル形状係数と複合材料強度の直接の向上効果の関連については述べられていない。特許文献7では、フィラメントワインディング加工に適した開繊性に優れた繊維断面形状、表面形態であっても、大量の集束剤なしに加工工程通過性に優れる炭素繊維であり、ワイブル形状係数が4〜6に制御することがよいと述べている。一般的な用途の一例として織物プリプレグや航空機材料が述べられているものの、その具体性はなく、ワイブル形状係数が6より大きくすることで、フィラメントワインディングの操業性が低下しており、複合材料強度の直接の向上できることについては述べられていない。
【0017】
また、単繊維引張弾性率分布が狭い炭素繊維が提案されている(特許文献8参照)が、追試したところ、単繊維引張強度のワイブル形状係数が大幅に向上していることはなく、その作用効果も材料強度の信頼性を高めることであり、複合材料強度の向上については述べられていない。
【0018】
また、弱糸が5%以下である炭素繊維が提案されている(特許文献9参照)が、弱糸を減らすことで平均値を向上させるものであり、ストランド引張強度が高いレベルで同一であり、単繊維引張強度分布が異なる炭素繊維の複合材料強度が向上することについては述べられていない。高い炭素繊維強度であることで、耐久性と信頼性が強く要求される分野において炭素繊維束の力学的性質を飛躍的に増大せしめるとして炭素繊維の特性をそのまま示すストランド物性値のみが記載されているのみで、複合材料としての強度については述べられていない。
【0019】
また、単繊維引張強度が10GPaを超えるものが5%以上含まれ、単繊維破断面観察によるマクロ欠陥に起因する破壊の割合が50%以下である炭素繊維が提案されている(特許文献10参照)が、本発明者らの検討したところによれば、マクロ欠陥とミクロ欠陥には破断形態は異なるものの強度分布は大半が重なっており、高強度の単繊維を多く含む、すなわち、平均値を向上させることを述べているに過ぎず、単繊維引張強度分布を狭くすることについての作用効果については述べられていない。また、本発明者らが追試したところ、単繊維引張強度のワイブル形状係数が4.5前後であった。
【0020】
また、試長5mmと試長25mmでの単繊維引張強度を規定した炭素繊維が提案されている(特許文献11参照)が、高弾性率であっても引張強度が高いことが述べられているに過ぎず、実施例3に記載の特性を有する試長5mmの単繊維引張強度が7.8GPa、試長25mmの単繊維引張強度が6.3GPaである炭素繊維を作製しワイブル形状係数を調べたところ、4.5であり、従来公知のストランド引張強度と弾性率のレベルである。
【0021】
単繊維引張試験においてストランド引張弾性率や平均ストランド引張強度が増加するほどワイブル形状係数が低下することが示されている(非特許文献1参照)。
【0022】
単繊維引張試験において試長依存性があり、試長が短くなるほどワイブル尺度係数が大きくなるが、ワイブル形状係数は試長に依存しないことが知られている(非特許文献2参照)。そのため、試長25mmまたは近似の試長での値を用いて議論する必要がある。また、本発明の前提である高引張・圧縮強度・引張弾性率の炭素繊維は市販されておらず、試験品として作製されたとしても単繊維引張強度分布を低減させたものはなかった。また、実質的にクリンプのない一方向複合材料の実質的な試長は短いことが知られており、その物性値とストランド物性値との相関が高く、ワイブル形状係数を高めても一方向複合材料物性値のばらつきをわずかに低減できる程度であり、労力の割に効果が少ないことからその制御は充分行われてこなかったのが現状である。
【0023】
また、市販の炭素繊維、特許文献に限らず従来知られているいずれの炭素繊維であっても、高引張・圧縮強度・引張弾性率の炭素繊維において単繊維引張強度分布の狭いものは開示されていないばかりでなく、毛羽の発生抑制など工程通過性を改善されるものはあったが、複合材料としての物性を向上させるものはなかった。
【0024】
すなわち、前記したとおり、クリンプがあっても、CFRPとしたときに、引張強度、圧縮強度と引張弾性率を高いレベルで発現できる補強織物が求められているにも拘らず、従来この要求を満たすような技術は提案されてこなかったのが実状である。
【特許文献1】特公昭57−52221号公報
【特許文献2】特開平3−180514号公報
【特許文献3】特開平3−185121号公報
【特許文献4】特開2004−91961号公報
【特許文献5】特開2004−197278号公報
【特許文献6】特開平4−222229号公報
【特許文献7】特開2002−266173号公報
【特許文献8】特開2006−183159号公報
【特許文献9】特開昭58−214526号公報
【特許文献10】特開平11−241230号公報
【特許文献11】特開2003−233360号公報
【非特許文献1】Carbon 46(2008) 189-195
【非特許文献2】Composites: Part A 30(1999) 1017-1021
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0025】
本発明は、上記問題点を解決し、クリンプがあっても、CFRPとしたときに、引張強度、圧縮強度、引張弾性率に優れた補強織物とすることができる炭素繊維を提供することを目的とし、また、そのような補強織物を提供することを目的とする。また、本発明の他の目的は、上記した従来の問題点を解決し、力学的特性に優れたCFRPを成形することができるプリプレグを提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0026】
上記の目的を達成するため、本発明の炭素繊維束は、次の構成を有する。すなわち、結晶子サイズLcが1.8〜2.6nm、ストランド引張強度TSが6〜9GPaであって、LcおよびYMが次の式(1)を満たすとともに、単繊維引張強度のワイブル形状係数mが6以上である炭素繊維である。
【0027】
50Lc+210≦YM≦50Lc+270 ・・・(1)
(ここで、YMはストランド引張弾性率(単位:GPa)である)
また、上記の目的を達成するため、本発明の補強織物は、次の構成を有する。すなわち、前記した炭素繊維を織糸とする補強織物である。
【0028】
さらに、上記の目的を達成するため、本発明のプリプレグは、次の構成を有する。すなわち、前記した補強織物に、プリプレグ重量当り30〜70重量%のマトリックス樹脂が含浸されてなるプリプレグである。
【発明の効果】
【0029】
本発明の炭素繊維は、クリンプを有する補強織物の織糸として用いても、その補強織物を用いたCFRPは、圧縮強度、引張弾性率、更には、引張強度に優れたものとなる。また、本発明の補強織物は、クリンプを有していても、それをCFRPに成形した硬化板に応力が作用しても織糸の交錯部で発生する応力集中を低減させることができ、炭素繊維束の有する高い強度、弾性率を余すことなく発揮することができる。太い炭素繊維束でも効果を発揮し、安価であり、かつ、航空機の構造材にも充分に適用できる、優れた特性を有するものとなる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0030】
まず、本発明で用いる各種特性について説明する。
【0031】
炭素繊維は、実質的に無数の黒鉛結晶子から構成された多結晶体である。炭化処理の最高温度を上げると、結晶子の結晶性が増す、すなわち、炭素網面の再配列が生じ結晶子サイズが増し、これと同時に結晶の配向も進むため炭素繊維の引張弾性率が上がる関係にある。つまり、他の条件が一定の下、炭化処理温度を上げれば、結晶サイズLcとストランド引張弾性率YMはいずれも上昇する。また、焼成工程の熱処理時に炭素繊維の特性に与える影響が大きい条件として、張力がある。炭化処理時の他の条件が一定の下、張力を上げると、結晶子サイズLcはほとんど変化しないが、結晶の配向が進むので専らYMのみが増加する。複合材料に用いる炭素繊維のLcと複合材料の0°圧縮強度との相関は高く、Lcを変化させずにYMを向上できることの意義は大きい。
【0032】
次に、単繊維引張強度のワイブル形状係数mについて説明する。mは引張強度において欠陥に対する敏感性を示す特性であり、高いほど鈍感であり、金属材料であれば20前後、弾性率が高い材料になると欠陥先端部分に応力集中が起こりやすくなり、従来の炭素繊維束では5前後である。炭素繊維の中でも、弾性率が41GPa程度のピッチ系低弾性率の炭素繊維はmが7.9程度であり、弾性率が940GPa程度のピッチ系高弾性率炭素繊維はmが4.2程度であり、弾性率が高いほどmは小さい。また、更には欠陥サイズやその数密度を示す特性でもあり、それらが均一であるほどmが大きくなる。例えば、欠陥を多く含有し、炭素繊維の長さ方向でも、どこの単繊維をとりだしても低強度のレベルで一定に破断するものに関してもmは大きくなる。炭素繊維の引張強度は、その破壊靭性値と欠陥サイズ、欠陥形状に大きく左右され、高強度であり、欠陥が小さく、少ないほど単繊維間では欠陥サイズ・形状は一様となりにくい。なお、本発明の炭素繊維は繊維束として形成されているのが一般的であり、後述するようにその繊維束からサンプリングして単繊維引張試験を行なう。
【0033】
本発明の炭素繊維は、Lcが1.8〜2.6の範囲において、50Lc+210≦YM≦50Lc+270を満たすのに対し、従来使用されている炭素繊維は、一般的には、Lcが1.8〜2.6の範囲において、50Lc+150≦YM<50Lc+210の関係となるものである。従来の炭素繊維前駆体繊維を用い、Lcが1.8〜2.6の範囲において、50Lc+210≦YM≦50Lc+270となる炭素繊維が得られる程度に結晶の配向を進めるためには、焼成工程の熱処理を高張力で行う必要があったが、毛羽が発生し、頻繁に、毛羽やそれに起因したローラーへの巻付きを除去する必要があり、少量のサンプルを得ることはできたとしても工業的に製造することはできなかった。また、毛羽が発生する以外にも欠陥サイズや欠陥数密度の分布が大きくなり、mが小さくなっていた。これに対し、本発明では、後述する手段により好ましく得られる、分子鎖のつながりが長く、均質な炭素繊維前駆体繊維を用いることや、後述する手段により好ましく得られる均質な耐炎化繊維により、均質性を失うことなく炭化処理をより高張力で行える予備炭化処理した繊維を得ることができるようになったため、本発明の炭素繊維を製造できるようになったものである。
【0034】
本発明の炭素繊維は、後述する方法で測定されるmが6以上であり、好ましくは6.1以上であり、より好ましくは7以上である。mが6未満の場合には、複合材料として使用するに際し、毛羽が増加するばかりでなく、かかる炭素繊維を織糸として用いた織物は、炭素繊維がクリンプするため、その織物を用いたCFRPは、引張特性が低下し、特に航空機用の弾性率の高い樹脂と組み合わせた時の複合材料特性が大きく低下する。mは高いほど好ましいが、10以上とすることは困難である。mは、用いられる前駆体繊維を均質に、かつ、単繊維間ばらつきを減らすことが重要であり、更には、炭素繊維を製造する際の焼成工程の各工程を経た繊維のワイブル形状係数が拡大しないように延伸比を設定することにより制御することができる。ワイブル形状係数mが拡大しないように延伸比を低く設定すると必要とするYMが得られないことがあり、前駆体繊維の分子鎖のつながりを長くして、焼成工程の破断までの延伸比を高く設定できるようにする必要がある。
【0035】
単繊維引張強度は、JIS R7606(2000年)に基づいて、以下の通りにして求める。つまり、まず、20cm程度の長さの炭素繊維の束をほぼ4等分し、4つの束から順番に単繊維をサンプリングする。このとき、束全体からできるだけまんべんなくサンプリングする。サンプリングした単繊維は、穴あき台紙に接着剤を用いて固定する。単繊維を固定した台紙を引張試験機に取り付け、試長25mm、引張速度1mm/分、単繊維試料数50で引張試験をおこなう。サンプリング、台紙への固定、試験機への取り付けなど全ての工程において引張試験前に単繊維を破断させてしまうことがあるので、弱糸が選択的に除去されるのを避けるために、破断した場合にはそのバッチをやり直す。繊維の断面積は、後述する方法で測定される繊度および密度より平均断面積を算出した。このようにして求めた単繊維引張強度をln強度と破壊確率Fの関数1/(1−F)の二重対数とでワイブルプロットしてその傾きからワイブル形状係数を算出する。
【0036】
また、本発明の炭素繊維は、単繊維引張強度における破壊確率Fが0.3〜1の範囲に限った直線近似により求められるワイブル形状係数m”が5.7以上であることが好ましい。前述したmはワイブルプロットから1直線近似して求めるものであるが、炭素繊維のワイブルプロットは屈曲することも多く見られる。屈曲点より低強度側は欠陥を多く含有し、ワイブル形状係数が大きいことが多く、屈曲点より高強度側はワイブル形状係数が小さいことが多い。複合材料としての破断状況を観察すると単繊維の破断により破断点付近で応力集中が発生して隣接単繊維の破断誘発を発生させやすいものの、単繊維の破断がきっかけで複合材料全体の破断と至ることはなく、マトリックス樹脂の性質にもよるが、単繊維の破断が全単繊維のうちの10〜30%程度の本数で起きたときに複合材料としての破断が起こることが多い。そのため、屈曲点より低強度側のワイブル形状係数は複合材料強度に影響を与えにくいことがあり、屈曲点より高強度側のワイブル形状係数が重要であることが多い。屈曲点は破壊確率Fが0.1〜0.6程度で変動するものであるが、0.3と固定して0.3〜1の範囲でワイブル形状係数を求めてもその値に大差なく、技術的意義を誤ることはない。m”が5.7未満であると、得られるCFRPにおいて引張強度の変動係数(CV値)が大きくなることがある。m”はmと同様の考え方で制御することができるが、屈曲点より低強度側のワイブル形状係数を大きくする、すなわち、均一かつ大きなサイズの欠陥を有するようにすることでmを高くすることもできたが、m”を5.7以上とすることは、詳しくは後述する欠陥の起因となることを極力少なくした均質であり、分子鎖のつながりの大きな前駆体繊維を用いることで達成される。
【0037】
また、本発明の炭素繊維は、単繊維引張試験の1直線近似したワイブルプロットの相関係数の二乗Rが0.98〜1であり、好ましくは0.99〜1である。かかるワイブルプロットは屈曲することが多く、混合モードのワイブルプロットで表されることが多いが、試長が短い場合を想定して換算すると、その屈曲度は大きいものとなる。一方向複合材料とした場合にそれの試長に関わらず、炭素繊維単繊維試長としては1mm以下と言われている。その際に1−破壊確率F、すなわち、残存している単繊維割合と負荷する応力の積Sと負荷する応力とでプロットし、Sの最大値が一方向CFRPの引張強度と相関が高い。Sのプロットが上に凸の変曲点が一つの曲線となることが理想であるが、屈曲度が強い場合は変曲点が複数ある曲線となり、平均単繊維引張強度の割にSの最大値が小さく、有効に力学的特性を発揮することができないことが多い。このSは、破断した単繊維の分の応力を他の単繊維が均質に負担することを想定しており、破断した単繊維周辺の応力集中が起こるため、複合材料特性を直接示すものではないが、Sは間接的に複合材料の特性を示す一つの指標として有効である。かかる相関係数の二乗Rは、ワイブルプロットの屈曲度を示し、その相関関数が小さいほど屈曲している。このパラメーターは、特に、一方向複合材料の特性に寄与する。クリンプの大きい補強織物は、一方向複合材料と組み合わせて使用することが多く、両者の力学的特性を最大限発揮することが好ましい。かかる相関係数の二乗Rが0.98未満であると一方向複合材料の力学的特性を満足させるためには炭素繊維の力学的特性の平均値を向上させる必要がある傾向にある。かかる相関係数の二乗Rは炭素繊維に分布している欠陥とは別に付加された大きな欠陥を低減することにより1に近づけることができる。大きな欠陥は、前駆体繊維製造時の融着や原料重合体溶液中に含まれる異物、工程通過時の汚れなどで形成され、それらを低減することが好ましい手法である。なお、単繊維引張試験における破断面の破壊の起点を電子顕微鏡で観察して、その大きさから判断するミクロ欠陥やマクロ欠陥は、単繊維引張強度の高強度と低強度に分類できるわけでなく、相関係数の二乗Rとの関係は低い。
【0038】
また、本発明の炭素繊維は、単繊維引張強度の変動係数が15%以下であることが好ましい。単繊維引張強度の変動係数は、ワイブル形状係数とも関係があり、単繊維引張強度のばらつきを示すものであり、上述の理由と同様に変動係数は小さいほど好ましい。
【0039】
また、本発明の炭素繊維は、そのストランド引張強度TSが6〜9GPaである。従来の炭素繊維は、結晶子サイズと引張弾性率が上記範囲を満たし、mが6以上である場合、そのTSは6GPa未満であり、複合材料の引張強度および耐衝撃強度向上を目的として炭素繊維が使用されても、構造材の軽量化において顕著な効果を得るに至っていない。現在のこの分野における要望を満足させるには、TSは、6GPa以上であることが好ましく、6.5GPa以上がより好ましく、7GPa以上が更に好ましい。
【0040】
炭素繊維のLcが、1.8nm未満である場合、結晶性が低く、YMが低く、2.6nmを超える場合には、圧縮強度が低く、いずれも構造部材として引張弾性率と圧縮強度のバランスが悪い。よりバランスさせるためにLcは、2〜2.4nmが好ましい。炭素繊維のLcは、炭化温度により制御でき、炭化温度を高めるとLcは大きくなる。
【0041】
本発明の炭素繊維は、小角X線散乱の0.5〜3°までの積算強度yの積算強度yが、下記の式(2)の関係を満たすことが好ましい。
【0042】
y<375Lc+200 ・・・(2)
この小角X線散乱強度積算値yは、炭素繊維中のミクロボイド量を表す指標であり、その値が小さいほどミクロボイド量が少なく緻密な炭素繊維であるといえる。ミクロボイドが増加すると欠陥となってTSが低下することがあり、この値以外を一定に制御するとTSと相関が高いため、yは小さいほど好ましい。
【0043】
小角X線散乱強度分布は、ミクロボイド径によって散乱する角度(2θ)が変化するため、X線の入射角(2θ)が特定の位置における散乱強度ではなく、2θ=0.5°〜3°までの散乱強度の積算値yを用いる。一般に、ミクロボイド径が大きい程、散乱する角度(2θ)が低角側に現れることが知られている。小角X線散乱強度積算値yの範囲としては、2θ=0.5°よりも低角側はX線の広がりや装置スリットの影響を受けやすいため解析範囲に好ましくない。一方、2θ=3°よりも広角側は、炭素繊維の場合、散乱はほとんど計測されない。
【0044】
小角X線散乱強度の絶対値レベルは同一評価装置での再現性は高いが、装置間で差異が生じやすいので、装置間差を補正するために標準サンプルとして東レ(株)製“トレカ(登録商標)”T300―6Kを用い、T300―6Kでの小角X線散乱強度積算値が950cpsとなるように、得られた小角X線散乱強度を比例計算により補正して求める。Lcが増加するほど結晶子の再配列により小角X線散乱強度積算値yは増加するものである。小角X線散乱強度積算値yは、炭素繊維の単繊維径を小さくすることや耐炎化処理時間を短くすること、耐炎化温度を高くすることなどで制御することができる。
【0045】
本発明の炭素繊維は、電子スピン共鳴(ESRと略記することもある)により測定される局在電子のスピン密度(LS(スピン/g))が、以下の式(3)および式(4)を満たすことが好ましい。
【0046】
−0.5×1019Lc+1.15×1019
≦LS≦−0.5×1019Lc+1.35×1019 ・・・(3)
LS≧0.5×1018 ・・・(4)
ESRにより測定される局在電子のスピン密度LSは、結晶子の有する格子欠陥の密度に対応する特性である。LSは炭素網面の再配列により格子欠陥が減少するのに伴い減少する特性であり、何らかの原因により分子断裂が起きても炭素網面の再配列が進めば減少する。すなわち、LSは、焼成工程の張力による分子断裂による欠陥生成にも対応しているが、別の面から見ると、この値が小さいほど炭素網面が良く発達していることを反映しており、Lcが2.6nm未満までは、Lcが大きいほどこの値は小さい。LSがこの範囲を満たす意味は、焼成工程の延伸張力が高い割には、同一炭化温度処理したもので比較した炭素繊維の格子欠陥が少ないことを表す。格子欠陥が多いと小角X線によるミクロボイド量を低く制御しても引張強度の向上が見られないことがあり、両者を低減することが好ましい。格子欠陥と引張強度の関係は不明ではあるが、破壊靭性値との関係があるのではないかと推定している。焼成張力によって格子欠陥が増加すると炭素繊維単繊維引張強度のばらつきが大きくなる傾向にある。その理由も定かではないが、分子断裂により欠陥サイズのばらつきを拡大するようにその張力が寄与するためではないかと考えている。局在電子のスピン密度が式(3)を満たす場合は、炭素繊維単繊維引張強度ばらつきが小さくなり、局在電子のスピン密度が0.5×1018未満の場合には、分子断裂とは関係が低くなり、炭素網面の結晶性の高さによるものに起因し、効果は飽和するため、さらに炭化工程で延伸を加えることで引張弾性率を向上させるべきである。
【0047】
局在電子のスピン密度は、用いられる炭素繊維前駆体繊維を製造する際にPAN系重合体が高分子量側に広い分子量の分布を有し、延伸工程で高分子量成分が応力を負担しつつ、全体として配向が進むことで、微細な欠陥の少ない前駆体繊維となり、更には、炭素繊維を製造する際の炭化張力と炭化温度により制御することができる。
【0048】
また、本発明の炭素繊維は、原子間力顕微鏡を用いて後述する方法により測定される表面積比が好ましくは1.01〜1.07であり、より好ましくは1.02〜1.05である。かかる表面積比は炭素繊維の表面の実表面積と投影面積との比で表され、表面の粗さの度合いを示している。表面積比が1に近付く程、平滑であることを意味し、炭素繊維の引張強度の向上には有利であるが、樹脂との接着性が低下する傾向にあり、得たい性能バランスによって制御するとよいが、平滑であるほど接着性が低下して応力集中しにくく、かつ、試長が長くなりやすく、mが高いことの効果を発揮する。かかる表面積比が1.01を下回ると、樹脂との接着性の低下が顕著となり、1.07を超えると表面の皺形態のばらつきにより強度のばらつきが誘起されることがあり好ましくない。かかる表面積比は、紡糸方法と凝固方法によって制御され、湿式紡糸よりも乾湿式紡糸を選択すると平滑な表面となる傾向があり、凝固においては凝固速度を速める、例えば凝固浴中の溶媒濃度を低く設定するなどを行うことで平滑な表面とすることができる。
【0049】
また、本発明の炭素繊維は、後述する方法により測定される真円度が80%以上であることが好ましく、より好ましくは95%以上である。かかる真円度が80%を下回ると炭素繊維引張時の応力均一負担が困難となることが多く、mが小さくなりやすい。かかる真円度は、重合体溶液の重合体濃度を高め、凝固速度を速め、凝固時の繊維径が小さくすることにより真円に近く制御することができる。
【0050】
本発明の炭素繊維は、その平均単繊維径が、2〜7μmであることが好ましく、更に好ましくは5〜7μmである。平均単繊維径が小さいほど平均引張強度のポテンシャルは高いが、5μmより小さいと、体積に対して表面積が大きいので繊維化後の工程で欠陥が生成しやすく、ワイブル形状係数が悪化しやすくなることがある。また、平均単繊維径が7μmより大きいと、単繊維内部の耐炎化処理が不充分となるため、YMが向上しにくいことがある。
【0051】
また、本発明の炭素繊維はフィラメント数が12000〜48000本であることが好ましく、更に好ましくは24000〜48000本である。フィラメント数が少ないとイオン注入やプラズマ処理などの処理は、均一にできる効果はあるものの、大型構造材料として使用する場合には、使用する量が多く、フィラメント数は12000本以上でないと生産性が不足することが多い。また、フィラメント数が48000本を超えると焼成工程で不均一な処理となり、mが小さくなることがある。
【0052】
また、本発明の炭素繊維は、C、N、O、Si以外の元素を含有する割合が500ppm以下であることが好ましく、更に好ましくは100ppm以下である。耐炎化繊維の段階では、PAN系重合体に由来するC、N、Oと耐炎化処理での空気中の酸素による酸化反応に由来するOと、前駆体繊維製造時に一般的に用いられるシリコーンに由来するSiを含有し、炭化処理を経て、徐々にCのみに収斂していくが、本発明の炭素繊維では一部残存する。その他の元素を含有する可能性として、イオン注入や、ホウ素添加など高強度・高弾性率技術はあるが、その処理の不均一さや炭素網面骨格に構造の不均一さを有している点でワイブル形状係数mが小さくなることがあり、好ましくない。すなわち、C、N、O、Siであれば、歪みがあっても連続的な六角網面であるが、その他の元素がその構造中に取り込まれると結合の連続性が途切れ、応力の伝達をしにくくなることがある。C、N、O、Si以外の元素を含有する割合が500ppm以下とするには、PAN系重合体の溶媒として無機塩を用いないことや溶媒の洗浄に用いる水の純度を高めること、C、N、O、Si以外の元素を積極的に用いないことが好ましい。かかる異種元素の含有率は原子吸光分析でNa、Kを、ICP発光分光分析でAl、B、Ba、Ca、Cu、Fe、Mg、Ni、P、Ti、Zn、Zrを測定した合計を用いる。
【0053】
本発明の炭素繊維を得るに好適な方法について次に説明する。
【0054】
炭素繊維には大きく分けてPANを原料とするものとピッチを原料とするものに大別されるが、YMと複合材料0°圧縮強度の関係を満足するためにPANを原料とすることが好ましい。本発明者らは、特定の単繊維引張強度分布を有するPAN系重合体を用いることによって優れた可紡性を与える炭素繊維前駆体繊維の製造技術を既に提案している(特願2007―269822号)が、この技術を応用することで本発明の炭素繊維を好適に得ることができる。具体的に次に説明する。
【0055】
なお、本発明では、繊維を構成する全PAN系重合体の分子量について言うときには添え字(F)を付け、紡糸溶液における全PAN系重合体の分子量について言うときには、添え字(P)を付記する。
【0056】
本発明で好適に用いられるPAN系重合体は、アクリロニトリルを主成分とする重合体を含み、次の[a]〜[e]から選ばれる少なくとも一種の要件を満たしている。
【0057】
要件[a]は、ゲルパーミエーションクロマトグラフ(以下、GPCと略記する。)法(測定法の詳細は後述する。)で測定されるZ平均分子量(以下、Mz(P)と略記する。)が80万〜600万であり、多分散度(Mz(P)/Mw(P))(Mw(P)は、重量平均分子量を表す。以下、Mw(P)と略記する。)が1.5〜10であることである。Mz(P)は、より好ましくは200万〜600万であり、さらに好ましくは250万〜400万であり、さらに好ましくは250万〜320万である。また、多分散度(Mz(P)/Mw(P))は、好ましくは2〜8であり、より好ましくは3〜7である。
【0058】
GPC法により測定される平均分子量、及び、分子量の分布に関する指標について以下に説明する。
【0059】
GPC法により測定される平均分子量には、数平均分子量(以下、Mn(P)と略記する)、重量平均分子量(Mw(P))、z平均分子量(Mz(P))、Z+1平均分子量(MZ+1(P))がある。Mn(P)は、高分子化合物に含まれる低分子量物の寄与を敏感に受ける。これに対して、Mw(P)は、高分子量物の寄与をMn(P)より敏感に受ける。Mz(P)は、高分子量物の寄与をMw(P)より敏感に受け、Z+1平均分子量(以下、MZ+1(P)と略記する)は、高分子量物の寄与をMz(P)より敏感に受ける。
【0060】
GPC法により測定される平均分子量を用いて得られる分子量の分布に関する指標には、分子量分布(Mw(P)/Mn(P))や多分散度(Mz(P)/Mw(P)およびMZ+1(P)/Mw(P))があり、これらを用いることにより分子量の分布の状況を示すことができる。分子量分布(Mw(P)/Mn(P))が1であるとき単分散であり、分子量分布(Mw(P)/Mn(P))が1より大きくなるにつれて分子量の分布が低分子量側を中心にブロードになることを示すのに対して、多分散度(Mz(P)/Mw(P))は1より大きくなるにつれて、分子量の分布が高分子量側を中心にブロードになることを示す。また、多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))も1より大きくなるにつれて、分子量の分布が高分子量側を中心にブロードになる。特に、多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))は、Mw(P)の大きく異なる2種のポリマーを混合しているような場合には、顕著に大きくなる。ここで、GPC法により測定される分子量はポリスチレン換算の分子量を示す。
【0061】
上記のように、分子量分布(Mw(P)/Mn(P))と多分散度(Mz(P)/Mw(P))の示すところが異なるため、分子量分布(Mw(P)/Mn(P))と多分散度(Mz(P)/Mw(P))は独立に制御される。
【0062】
本発明で好適に用いられるPAN系重合体を用いることにより、かかる重合体を含む紡糸溶液を湿式紡糸、乾式紡糸または乾湿式紡糸して安定した紡糸ができるメカニズムは、必ずしも明らかではないが、次のように考えられる。乾式紡糸または乾湿式紡糸では、口金孔直後から凝固されるまでの間でPAN系重合体が伸長変形する際に、紡糸溶液内ではPAN系重合体の超高分子量物と高分子量物が絡み合い、超高分子量物を中心に絡み合い間の分子鎖が緊張することで伸長粘度の急激な増大、すなわち、歪み硬化がおこる。この、口金孔直後から凝固されるまでの間でのPAN系重合体溶液の細化に伴い細化部分の伸長粘度が高くなり、流動安定化するため紡糸速度を高め、かつ、紡糸ドラフト率を高めることができる。紡糸溶液状態では、凝固しなくても、数10m/分で曳き上げ巻き取りでき、溶液紡糸では考えられないほど高い曳糸性が得られるという特に顕著な効果が得られるが、湿式紡糸、乾式紡糸または乾湿式紡糸して凝固された以降の繊維においても同様に、伸長粘度の増大が起こり、延伸性が向上するため、毛羽の発生が抑制される。このような重合体を用い、前駆体繊維の強度・伸度や応力−歪み曲線の描かれ方のばらつきが低減するほど炭素繊維のばらつきが低減するものと思われる。
【0063】
そのため、多分散度Mz(P)/Mw(P)が大きいほど好ましく、Mz(P)が80万〜600万の範囲であれば、多分散度Mz(P)/Mw(P)が1.5以上において、紡糸条件が緩やかな条件では吐出が安定し、多分散度Mz(P)/Mw(P)が3以上において、充分な歪み硬化が生じ多孔数紡糸口金や高吐出量紡糸条件においてもPAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性向上度合が充分となる。また、多分散度(Mz(P)/Mw(P))が、大きすぎる場合、歪み硬化が強すぎて、PAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性向上効果が低下する場合があるが、Mz(P)が80万〜600万の範囲で、多分散度(Mz(P)/Mw(P))が、10以下であると、PAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性向上度合は充分となる。また、多分散度(Mz(P)/Mw(P))が1.5〜10の範囲において、Mz(P)が80万未満では、前駆体繊維の強度が不足する場合があり、Mz(P)が600万より大きいと吐出が困難となる場合がある。
【0064】
GPC法の測定においては、高分子量まで精度良く測定するために、溶出時間の希釈濃度依存性のない(すなわち、粘度変化が少ない)程度まで希薄とし、検出感度を得るためになるべく多くの注入量とし、広い分子量分布に対応するように、溶媒の流速とカラムの選択を行うべきである。カラムの排除限界分子量は少なくとも1000万以上であり、ピークがテーリングすることがないように設定する。通常、希釈濃度は0.1wt/vol%として測定する。
【0065】
要件[b]は、GPC法で測定されるMZ+1(P)が300万〜1000万であり、多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))は6〜25であることである。MZ+1(P)は好ましくは400万〜900万であり、より好ましくは500万〜850万である。また、多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))は、好ましくは7〜17であり、より好ましくは10〜15である。
【0066】
多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))は、多分散度(Mz(P)/Mw(P))より更に高分子量物に強く反映されるものであり、紡糸時の生産性向上の効果は要素[a]と[b]で同様であるが、分子量の分布としては必ずしも同一の範囲ではない。MZ+1(P)が300万〜1000万の範囲であれば、多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))が6以上において、充分な歪み硬化が生じPAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性向上の度合が充分である。また、多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))が過度に大きい場合には、歪み硬化が強すぎて、PAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性向上の度合が不足することがあるが、MZ+1(P)が300万〜1000万の範囲であれば、多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))が、25以下であると、PAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性の向上は充分である。また、多分散度(MZ+1(P)/Mw(P))は6〜25の範囲において、MZ+1(P)が300万未満では、得られた前駆体繊維の強度が不足する場合があり、MZ+1(P)が1000万より大きいとPAN系重合体を含む紡糸溶液の口金からの吐出が困難となる場合がある。
【0067】
要件[c]は、ゲルパーミエーションクロマトグラフ法−多角度光散乱光度計(以下、GPC−MALLSと略記する;測定法の詳細は後述する)で測定されるMzmが40万〜100万であり、多分散度(Mzm/Mwm)が3〜10であることである。Mzmは、好ましくは60万〜80万、より好ましくは60万〜70万である。また、本発明のPAN系重合体の多分散度(Mzm/Mwm)は、好ましくは5〜8であり、より好ましくは5.5〜7である。GPC−MALLSにより測定される分子量、及び、分子量の分布は、絶対分子量に基づくものであり、GPC法により測定される分子量の分布より真の値を反映し、測定条件による誤差が小さくなるため好ましいが、GPC測定でも充分なことが多い。Mzmが40万〜100万の範囲であれば、多分散度(Mzm/Mwm)が3以上では、充分な歪み硬化生じPAN系重合体の吐出安定性向上の度合が充分である。また、多分散度(Mzm/Mwm)が過度に大きい場合には、歪み硬化が強すぎて、PAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性向上の度合が不足することがあるが、Mzmが40万〜100万の範囲であれば、多分散度(Mzm/Mwm)が10以下であると、PAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性の向上は充分である。また、多分散度(Mzm/Mwm)が3〜10の範囲において、Mzmが40万未満では、得られる前駆体繊維の強度が不足する場合があり、Mzmが100万より大きいとPAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出が困難となる場合がある。
【0068】
要件[d]は、GPC−MALLSで測定されるZ平均回転半径(以下、Rzと略記する。)が25〜45nmであり、RzとRwの比(Rz/Rw)(Rwは、重量平均回転半径を表す。以下、Rwと略記する。)が1.3〜2.5である。Rzは好ましくは29〜37nmである。
【0069】
GPC−MALLSは、多角度光散乱光度計を検出器として用いることにより、回転半径を調べることができる。高分子量側の分子量の分布をブロードにすることは、回転半径の大きな分子により回転半径の小さな分子同士をつなぎ合わせていることであり、直鎖状分子による効果だけでなく、長鎖分岐を導入することや溶媒との親和性を変えた共重合体を使用することなどで行うことも可能である。そのため、Rz/Rwを制御することも吐出安定性を向上させるための手段の1つとなる。Rzが25〜45nmの範囲であれば、Rz/Rwが1.3以上において、充分な歪み硬化が生じPAN系重合体の吐出安定性向上の度合が充分となる。また、Rz/Rwが過度に大きい場合には、回転半径の大きすぎる分子が存在して製糸での延伸性が低下することがあるが、Rzが25〜45nmの範囲であれば、Rz/Rwが2.5以下であると、PAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性の向上は充分である。また、Rzが25〜45nmの範囲において、Rzが25nm未満では、得られる前駆体繊維の強度が不足する場合があり、Rzが45nmより大きいとPAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出が困難となる場合がある。
【0070】
また、PAN系重合体が要件[a]または[c]を満たす場合において、分子量分布(Mw(P)/Mn(P))または(Mwm/Mnm)は、小さければ小さいほど炭素繊維の構造欠陥となりやすい低分子成分の含有量が少なくなるため、小さい方が好ましく、多分散度(Mz(P)/Mw(P))または(Mzm/Mwm)よりも分子量分布(Mw(P)/Mn(P))または(Mwm/Mnm)が小さいことが好ましい。すなわち、高分子量側にも、低分子量側にもブロードであっても、PAN系重合体を含む紡糸溶液の吐出安定性低下は少ないが、低分子量側はなるべくシャープであること(低分子成分の含有量が少ないこと)が好ましく、多分散度(Mz(P)/Mw(P))または(Mzm/Mwm)が分子量分布(Mw(P)/Mn(P))または(Mwm/Mnm)に対して、1.5倍以上であることがより好ましく、更に好ましくは1.8倍以上である。本発明者らの検討によると、通常アクリロニトリル(以下、ANと略記する)の重合でよく行われている、水系懸濁、溶液法などのラジカル重合においては、分子量の分布として低分子量側にブロードであるため、分子量分布(Mw(P)/Mn(P))または(Mwm/Mnm)が多分散度(Mz(P)/Mw(P))または(Mzm/Mwm)よりも大きくなる。そのため、多分散度(Mz(P)/Mw(P))または(Mzm/Mwm)よりも分子量分布(Mw(P)/Mn(P))または(Mwm/Mnm)が小さい重合体を得るためには、後述する、本発明で好適に用いられるPAN系重合体を製造する製造方法において、重合開始剤の種類と割合や逐次添加など、特殊な条件で重合を行う場合には、より厳密な条件調整、すなわち、アクリロニトリルに対して有効ラジカル発生量が極めて少なくなる様な条件で重合した後、一般的なラジカル重合を行うか、一般的なラジカル重合を用い、2種以上のPAN系重合体を混合する方法により行うことができる。中でも、重合体を混合する方法が簡便である。混合する種類は、少ないほど簡便であり、吐出安定性の観点からも2種で充分なことが多い。
【0071】
また、前記分子量の分布においては、分子量が300万以上の成分を1〜10%含むことが好ましく、Mw(P)が10〜60万であることが好ましい。分子量が300万以上の成分が1%未満では、歪み硬化が弱くPAN系重合体を含む紡糸溶液の口金からの吐出安定性向上度合が不足する場合があり、分子量が300万以上の成分が10%を超える場合には、歪み硬化が強すぎて、PAN系重合体の吐出安定性向上度合が不足する場合がある。かかる観点から、分子量300万以上の成分を1〜7%含むことがより好ましく、1〜4%含むことがさらに好ましい。ここでいう分子量が300万以上の成分の含有率は、GPC法により測定されるポリスチレン換算分子量の対数と、屈折率差によって描く分子量分布曲線から得られる値であり、分子量分布全体の積分値に対するポリスチレン換算分子量300万以上のピーク面積の積分値が占める割合を示したものである。屈折率差は、単位時間当たりに溶出された分子の重量にほぼ対応するため、ピーク面積の積分値が重量混合率にほぼ対応する。
【0072】
要件[a]及び/または[b]を満たすPAN系重合体は、分子量(Mw(P))が異なる2種のPAN系重合体(A成分、B成分と記す)を混合する方法により得ることができる。なお、本発明において混合するとは、最終的に、A成分、B成分の混合物を得ることを言い、具体的な混合方法については後述するが、それぞれの単一成分のものを混合することに限定されない。
【0073】
まず、好適に用いられる混合する2種のPAN系重合体について説明する。Mw(P)の大きいPAN系重合体をA成分とし、Mw(P)の小さいPAN系重合体をB成分とすると、A成分のMw(P)は好ましくは100万〜1500万であり、より好ましくは100万〜500万であり、B成分のMw(P)は15万〜100万であることが好ましい。A成分とB成分のMw(P)の差が大きいほど、混合された重合体の多分散度(Mz(P)/Mw(P))が大きくなる傾向があるため好ましいであるが、A成分のMw(P)が1500万より大きいときはA成分の生産性は低下する場合があり、B成分のMw(P)が15万未満のときは前駆体繊維の強度が不足する場合があることから、多分散度(Mz(P)/Mw(P))は10以下とすることが好ましい。
【0074】
要件[a]を満たすPAN系重合体においては、具体的には、A成分とB成分の重量平均分子量比は、2〜45であることが好ましく、より好ましくは4〜45であり、さらに好ましくは20〜45である。
【0075】
また、A成分/B成分の重量比は、0.001〜0.3であることが好ましく、より好ましくは0.005〜0.2であり、更に好ましくは0.01〜0.1である。A成分とB成分の重量比が0.001未満では、歪み硬化が不足することがあり、また0.3より大きいときは重合体溶液の吐出粘度が上がりすぎて吐出困難となることがある。
【0076】
要件[b]を満たすPAN系重合体においては、具体的には、A成分とB成分の重量平均分子量比は、1.2〜30であることが好ましく、より好ましくは4〜30であり、さらに好ましくは6〜15である。
【0077】
また、A成分/B成分の重量比は、0.001〜0.3であることが好ましく、より好ましくは0.005〜0.2であり、更に好ましくは0.01〜0.1である。A成分とB成分の重量比が0.001未満では、歪み硬化が不足することがあり、また0.3より大きいときは重合体溶液の吐出粘度が上がりすぎて吐出困難となることがある。
【0078】
Mw(P)と重量比は、GPCにより測定された分子量の分布のピークをショルダーやピーク部分でピーク分割し、それぞれのピークのMw(P)およびピークの面積比を算出することにより測定される。
【0079】
要件[c]及び/または[d]を満たすPAN系重合体は、分子量(Mw(P)m)が異なる2種のPAN系重合体(Am成分、Bm成分と記す)を混合する方法により得ることができる。
【0080】
まず、混合する2種のPAN系重合体について説明する。GPC−MALLSで測定されるMw(P)mの大きいPAN系重合体をAm成分とし、Mw(P)mの小さいPAN系重合体をBm成分とする。
【0081】
要件[c]を満たすPAN系重合体においては、Am成分のMw(P)mは好ましくは40万〜400万であり、より好ましくは70万〜200万であり、Bm成分のMw(P)は5万〜30万であることが好ましい。Am成分とBm成分のMw(P)mの差が大きいほど、混合された重合体の多分散度(Mz(P)m/Mw(P)m)が大きくなる傾向があるため好ましいが、Am成分のMw(P)mが400万より大きいときはAm成分の生産性が低下する場合があり、Bm成分のMw(P)mが5万未満のときは前駆体繊維の強度が不足する場合があることから、多分散度(Mz(P)m/Mw(P)m)は10以下とすることが好ましい。
【0082】
具体的には、Am成分とBm成分の重量平均分子量比は、2〜30であることが好ましく、より好ましくは4〜30であり、さらに好ましくは6〜30である。
【0083】
また、Am成分/Bm成分の重量比は、0.001〜0.3であることが好ましく、より好ましくは0.005〜0.2であり、更に好ましくは0.01〜0.1である。Am成分とBm成分の重量比が0.001未満では、歪み硬化が不足する場合があり、また0.3より大きいときは重合体溶液の吐出粘度が上がりすぎて吐出困難となる場合がある。Mw(P)mと重量比は、GPC−MALLSにより測定された分子量の分布のピークをショルダーやピーク部分でピーク分割し、それぞれのピークのMw(P)およびピークの面積比を算出することにより測定される。
【0084】
本発明で好適に用いられるPAN系重合体における要件[d]を満たすPAN系重合体は、重量平均回転半径(Rw)が異なる2種のPAN系重合体を混合する方法により得ることができる。
【0085】
まず、混合する2種のPAN系重合体について説明する。Am成分のRwは好ましくは36〜200nmであり、より好ましくは50〜100nmであり、Bm成分のRwは15〜35nmであることが好ましい。Am成分とBm成分のRwの差が大きいほど、混合された重合体のRz/Rwが大きくなる傾向があるため好ましいが、Am成分のRwが200nmより大きいときはAm成分の生産性が低下する場合があり、Bm成分のRwが15nm未満のときは前駆体繊維の強度が不足する場合があることから、Rz/Rwは2.5以下とすることが好ましい。
【0086】
具体的には、Am成分とBm成分の重量平均回転半径比は、1.2〜10であることが好ましく、より好ましくは1.5〜5である。
【0087】
また、Am成分/Bm成分の重量比は、0.001〜0.25であることが好ましく、より好ましくは0.005〜0.2であり、更に好ましくは0.01〜0.1である。Am成分とBm成分の重量比が0.001未満では、歪み硬化が不足することがあり、また0.3より大きいときは重合体溶液の吐出粘度が上がりすぎて吐出困難となることがある。重合体の回転半径は、分子量と分岐構造に大きく依存し、Am成分とBm成分のRwを制御するには、分子量を制御することが最も容易であり、直鎖状の重合体により[d]の要件を満たす場合には、[c]の要件を満たすための達成手段に記載された方法と同じ分子量の構成が好ましいが、分岐構造や共重合成分により、その回転半径が変化した際は、分子量を調整することにより回転半径を調整できる。Rwと重量比は、A成分、B成分をGPC−MALLSによりそれぞれ測定することにより求められる。
【0088】
要件[e]は、その極限粘度が1.0〜2.3であり、好ましくは1.2〜2.2であり、より好ましくは1.5〜2.1である。極限粘度は、平均分子量に相当し、公知の炭素繊維前駆体繊維用PAN系重合体と同程度のものを用いればよいが、極限粘度が1.0未満では、炭素繊維前駆体繊維の強度が不足し、また極限粘度が2.3より大きいと吐出が困難となる。
【0089】
要件[e]において重要なことは、PAN系重合体に、極限粘度の高い、すなわち、超高分子量成分を含むPAN系重合体を混合することであり、その超高分子量成分を含むPAN系重合体の極限粘度は6〜20であることが好ましく、より好ましくは10〜17であり、さらに好ましくは12〜15である。そして、極限粘度が6〜20であるPAN系重合体を全重合体に対して0.3〜30重量%混合することが好ましく、より好ましくは0.5〜10重量%であり、さらに好ましくは0.9〜5重量%である。そのPAN系重合体の極限粘度が6未満のときは、吐出を安定させることが困難となり、そのPAN系重合体の極限粘度が20を超える場合には、吐出を安定させる効果が飽和することがある。極限粘度が6〜20である重合体の全重合体に対する混合量、すなわち、PAN系重合体組成物に占める割合は、そのPAN系重合体の極限粘度に強く依存するため一概にはいえないが、0.3重量%未満では吐出を安定させることが困難となり、また30重量%より大きいときは、平均分子量への影響が大きくなり低分子量成分を多く含まないと極限粘度が増大することがある。
【0090】
A成分とB成分の重合体を含むPAN系重合体溶液を調製するには、(1)両重合体を混合してから溶媒に溶解する方法、(2)重合体それぞれを溶媒に溶解したもの同士を混合する方法、(3)溶解しにくい超高分子量体であるA成分を溶媒に溶解した後にB成分を混合溶解する方法、および(4)超高分子量体であるA成分を溶媒に溶解したものとB成分を構成する単量体を混合して単量体を溶液重合することにより混合する方法などを採用することができる。かかるPAN系重合体溶液を炭素繊維前駆体繊維製造用とする場合には、わずかであっても未溶解物が残存していた場合には異物として働き、炭素繊維内部にボイドを形成することがあるため、超高分子量体であるA成分の溶解状態が極めて重要であり、超高分子量体であるA成分を均一に溶解させる観点からは、A成分を初めに溶解する(2)〜(4)の方法が好ましい。PAN系重合体であるA成分およびB成分を溶液重合によって得る際には、実際には紡糸溶媒と同じ溶媒中でANを溶液重合して得る方法が簡便であり溶媒の無駄も少ないため経済的で環境にも優れている。このような観点から、(2)および(4)の方法が最も好ましい。
【0091】
(2)の方法を採用し、A成分およびB成分をそれぞれ別の重合槽で独立に重合すると、重合槽の形状およびサイズ、あるいは重合槽が備える撹拌翼の形状およびサイズを各成分の粘弾性的性質に応じて最適化したものを使用することができる。また、重合中の撹拌の回転数や反応温度、反応時間などを独立に設定することもできる。これらのことは、A成分およびB成分のスペック安定化に寄与し有用である。また、重合槽から紡糸口金に至る配管も、各成分の粘弾性的性質の差に応じて独立に設定することができる。さらに重要なこととして以下の利点が挙げられる。すなわち、A成分およびB成分にはフィルター濾材の通過性に差があることが多く、従って混合前にそれぞれ別のフィルター濾材を独立に通過させる方法をとることで、フィルター濾材の通過性を確保しつつ異物混入の少ない紡糸溶液を得ることができる。他にも、各成分をギアポンプによって送液する場合、各成分の流量を制御することで、両成分の配合率を微調整できるため有用である。
【0092】
以上のように(2)の方法は、多くの有用な点を備えるものの、混合が不十分であると両成分が均一に相溶した状態とすることができず、一方の成分がゲル状物のような異物として働き、フィルター閉塞や口金の詰まりあるいは吐出不安定を引き起こす可能性があるばかりか、焼成工程での糸切れあるいはそれによって得られる炭素繊維中のボイドに由来する低強度を引き起こす可能性がある。従って、混合には以下の方法が好ましい。順を追って具体的な混合方法を説明する。
【0093】
本発明で好適に用いられる紡糸溶液においては、35℃における前記A成分の溶液とB成分の溶液の混合前の測定角速度が0.05rad/sのときの損失弾性率G”の比(A/B)が0.2〜5であることが好ましい。詳細なメカニズムは不明であるが、以下のように推定している。すなわち、A成分の溶液とB成分の溶液を混合するにあたって、両成分が均一に相溶するためには、高分子鎖間の絡み合いがほどけることが重要であるが、撹拌の角速度が大きいと高分子鎖は緊張し、混合が不完全となる。混合が不完全であると、混合体において重量の大半を占めるB成分の溶液の中に、A成分を主成分とする微少なドメインが分散された溶液となり、A成分とB成分との分子鎖間の相互作用が小さく、B成分単独のものに近い粘弾性挙動を示す。従って、紡糸ドラフト率を高めるのに必要な歪み硬化性が十分に発揮できない紡糸溶液となる。一方、撹拌の角速度が十分に小さいと、高分子鎖がほどけながら拡散し、両成分は均一に相溶すると考えることができる。したがって、0.05rad/sと小さい測定角速度でのG”を観測することが重要であると考えられる。小さい角速度の元であっても、両成分の溶液の粘度に大きな差があると、混合効率が悪く、混合が不十分になるか相溶に非常に時間を要する。そこで、測定角速度が0.05rad/sのときの損失弾性率G”の比(A/B)が0.2〜5であることが必要となると考えられる。また、かかるPAN系重合体は一般的に温度−時間換算則が成立するので、35℃を代表値として測定しているものであり、混合温度を限定するものではない。
【0094】
(4)の方法を採用した場合、混合状態を均一にする観点からは最も好ましい。具体的には、A成分の溶媒に対する重合体濃度を好ましくは0.1〜5重量%になるようにした後、B成分を混合する、あるいは、B成分を構成する単量体を混合して重合することが好ましい。上記のA成分の重合体濃度は、より好ましくは0.3〜3重量%であり、さらに好ましくは0.5〜2重量%である。上記のA成分の重合体濃度は、より具体的には、重合体の集合状態として、重合体がわずかに重なり合った準希薄溶液とすることが好ましく、B成分を混合する、あるいは、B成分を構成する単量体を混合して重合する際に、混合状態が均一となりやすいため、孤立鎖の状態となる希薄溶液とすることが更に好ましい態様である。希薄溶液となる濃度は、重合体の分子量と溶媒に対する重合体の溶解性によって決まる分子内排除体積によって決まるとみられるため、一概には決められないが、本発明においては概ね前記範囲にすることにより炭素繊維の性能を最大化できることが多い。上記の重合体濃度が5重量%を超える場合は、A成分の未溶解物が存在することがあり、0.1重量%未満の場合は、分子量にもよるが希薄溶液となっているため効果が飽和していることが多い。
【0095】
本発明では、上記のように、A成分の溶媒に対する重合体濃度を好ましくは0.1〜5重量%になるようにした後、それにB成分を混合溶解する方法でもかまわないが、工程簡略化の観点から高分子量物を溶媒に希釈したものとB成分を構成する単量体を混合して単量体を溶液重合することにより混合する方法の方が好ましい。
【0096】
A成分の溶媒に対する重合体濃度を0.1〜5重量%になるようにする方法としては、重合体を溶媒に溶解した後希釈する方法でも単量体から重合する方法でも構わない。溶解した後希釈する場合は、均一に希釈できるまで撹拌することが重要であり、希釈温度としては50〜120℃が好ましく、希釈時間は希釈温度や希釈前濃度によって異なるため、適宜設定すればよい。希釈温度が50℃未満の場合は、希釈に時間がかかることがあり、120℃を超える場合は、A成分が変質する恐れがある。
【0097】
また、重合体の重なり合いを希釈する工程を減らし、均一に混合する観点から、前記のA成分の製造から前記のB成分の混合開始、あるいは、B成分を構成する単量体の重合開始までの間、A成分の溶媒に対する重合体濃度を0.1〜5重量%の範囲に制御することが好ましい。具体的には、A成分を溶液重合により製造する際に、重合体濃度が5重量%以下で重合を停止させ、それにB成分を混合する、あるいは、B成分を構成する単量体を混合しその単量体を重合する方法である。
【0098】
通常、溶媒に対する仕込み単量体の割合が少ないと、溶液重合により高分子量物を製造することは困難なことが多いため仕込み単量体の割合を多くするが、重合体濃度が5重量%以下の段階では、重合率が低く、未反応単量体が多く残存していることになる。未反応単量体を揮発除去してから、B成分を混合してもかまわないが、工程簡略化の観点からその未反応単量体を用いてB成分を溶液重合することが好ましい。具体的に、ANを主成分とする単量体を含む溶液に重合開始剤を導入し溶液重合することによりA成分を製造し、その溶液重合が終了するまでの間に別途重合開始剤を追加導入し、残存する未反応単量体を溶液重合することによりB成分を製造し、A成分とB成分が混合したPAN系重合体組成物を得ることができる。すなわち、本発明で好適に用いられるPAN系重合体の製造方法の好ましい様態によれば、重合開始剤が少なくとも2回に分けて計量導入され、重合開始剤の1回目の計量導入量とそれ以外の計量導入量の比(1回目の計量導入量/それ以外の計量導入量)を0.1以下とし、好ましくは0.01以下とし、より好ましくは0.003以下とすることである1回目の重合開始剤の量が少ないほど分子量が高まり易いため、その計量導入量の比(1回目の計量導入量/それ以外の計量導入量)が0.1を超える場合は、必要とするMw(P)が得にくい場合がある。一方、重合開始剤の量が少ない場合は、重合速度が遅くなり、生産性が低下しやすいので、計量導入量の比(1回目の計量導入量/それ以外の計量導入量)の下限は0.0001であることが好ましい。最も重要なことは、重合開始剤が発生させるラジカル量であり、重合開始剤の量以外に重合1回目とそれ以降の重合温度、重合開始剤の種類を調整することによっても好ましい範囲は変化するが、かかる計量導入量の比の好ましい範囲は、0.0001〜0.1の範囲に収まる。
【0099】
A成分のMw(P)を調整するためには、ANと重合開始剤のモル比を調整することが重要であり、1回目のそれぞれの計量導入量は、ANと重合開始剤のモル比(重合開始剤/AN)が好ましくは1×10−7から1×10−4であり、2回目以降の計量導入量は、それまでに導入されているAN全て(反応未反応は問わない)と重合開始剤のモル比(重合開始剤/AN)が好ましくは5×10−4から5×10−3である。共重合組成をA成分とB成分で変える場合には、2回目以降の重合開始剤の計量導入時に共重合可能な単量体を追加してもかまわないし、AN、連鎖移動剤および溶媒を追加してもかまわない。
【0100】
重合開始剤としては、油溶性アゾ系化合物、水溶性アゾ系化合物および過酸化物などが好ましく、安全面からの取り扱い性および工業的に効率よく重合を行うという観点から、ラジカル発生温度が30〜150℃の範囲であり、より好ましくは40〜100℃の範囲の重合開始剤が好ましく用いられる。中でも、分解時に重合を阻害する酸素発生の懸念がないアゾ系化合物が好ましく用いられ、溶液重合で重合する場合には、溶解性の観点から油溶性アゾ化合物が好ましく用いられる。重合開始剤の具体例としては、2,2´−アゾビス(4−メトキシ−2,4−ジメチルバレロニトリル)(ラジカル発生温度30℃)、2,2´−アゾビス (2,4´−ジメチルバレロニトリル) (ラジカル発生温度51℃)、および2,2´−アゾビスイソブチロニトリル(ラジカル発生温度65℃)(以下、AIBNと略記する)などが挙げられる。1回目とそれ以外の重合開始剤は同一の重合開始剤を用いてもかまわないし、複数の重合開始剤と重合温度を組み合わせることで重合開始剤が発生させるラジカル量を調整することもできる。また、過酸化物を用いる場合、還元剤を共存させラジカル発生を促進させてもよい。
【0101】
重合温度は、重合開始剤の種類と量によっても好ましい範囲は変化するが、好ましくは30℃以上90℃以下である。重合温度が30℃未満では重合開始剤が発生させるラジカル量が少なくなり、ラジカル発生温度の低い重合開始剤を用いると保管が困難となることが多く、重合温度が90℃を超えるとANの沸点よりも高くなり、生産管理が困難になることが多い。1回目の重合開始剤導入後の重合と2回目以降の重合開始剤導入後の重合は同一の重合温度で行ってもかまわないし、異なる重合温度で行ってもかまわない。
【0102】
A成分の全重合体に対する重量含有率の測定は、B成分と混合する場合は、混合前のA成分の重量と混合後のPAN系全重合体の重量を測定し、その重量率から計算することができる。また、B成分を構成する単量体と混合してその単量体を溶液重合する場合は、A成分を重合後、B成分を重合するための重合開始剤を計量導入前の溶液を用いてA成分の重合率を測定し、溶液中のA成分の重量を測定し、別途、PAN系全重合体溶液の重合体濃度から求めたPAN系全重合体の重量を測定し、その重量率から計算することができる。

また、本発明で用いられるA成分としては、使用している単量体のn−オクタノ−ル/水分配係数LogP(以下、単にLogPと略記することがある。)のモル平均値が0.35〜1.6であることが好ましく、そのモル平均値はより好ましくは0.35〜1.00である。上述のとおり、超高分子量成分であるA成分とPAN系重合体との絡み合いが必要であると考えられるため、A成分は、エマルジョンや分散状態としてではなく、PAN系重合体の溶媒に溶解し、かつ、PAN系重合体と相溶性を有することが必要である。その指標が上記のLogPであり、このLogPの値は、重合体と単量体、および分子量によっても変化するが、本発明では便宜上、重合体を構成する単量体のモル平均値を用いる。その値がアクリロニトリルの0.97に近いことが相溶性の観点から望ましいが、LogPが0.35〜1.6のときは十分相溶して機能する。この値は、小さいほど水溶性であり、大きいほど脂溶性であることを示すものであり、一般的にアクリロニトリルの水溶性は高いものである。そのため、極性の高い官能基を有することが好ましい。LogPを制御するために、極性の低い単量体に極性の高い官能基を付与することや極性の高い単量体に脂溶性の高い官能基を付与することも好ましい態様である。また、重合体としての相溶性を高めることが重要であるので、LogPが0.35〜1.6から外れた範囲の単量体を一部用いて共重合することは問題なく、LogPは、単量体のモル平均値が重要となる。使用する単量体のLogPは、−0.3〜2であるものが好ましく用いられる。
【0103】
A成分は、相溶性の観点からPAN系重合体であることが特に好ましい。組成としては、ANが好ましくは98〜100モル%であり、ANと共重合可能な単量体を2モル%以下なら共重合させてもよいが、共重合成分の連鎖移動定数がANより小さく、必要とするMw(P)を得にくい場合は、共重合成分の量をなるべく減らすことが好ましい。
【0104】
また、重合体の相溶性を示す指標に溶解性パラメーター(SP値)があり、2成分の値が近いと混ざりやすい傾向が知られており、A成分のSP値をPANのそれに近づけることも有効である。
【0105】
また、使用する溶媒へのA成分の25℃での溶解性は0.1重量%以上であることが好ましい。上限は特にないが、20重量%もあれば十分である。使用する溶媒によって、溶解性は変わるが、ジメチルスルホキシドを指標として、A成分の25℃の温度でのジメチルスルホキシドへの溶解性が0.1〜50重量%であることが好ましい。
【0106】
A成分として使用可能な単量体としては、耐炎化を促進する観点から、ANの他に、カルボン酸基、水酸基またはアミド基を1種以上含有する単量体が好ましく用いられる。例えば、カルボン酸基を含有する単量体としては、アクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸およびそれらアルカリ金属塩、およびアンモニウム塩等が挙げられる。また、アミド基を含有するする単量体としては、アクリルアミド等が挙げられる。また、水酸基を含有する単量体としては、ポリメチレングリコール、ポリエチレングリコール、ポリプロピレングリコールおよびポリブチレングリコールなどのポリアルキレングリコール、およびポリビニルアルコール等が挙げられる。なかでもアクリル酸(LogP:0.38)、メタクリル酸(LogP:0.73)、イタコン酸(LogP:−0.26)およびそれらアルカリ金属塩、アンモニウム塩、およびアクリルアミド(LogP:−0.27)が特に好ましく用いられる。B成分と耐炎化の促進度合をほぼ同等にすることが得られる炭素繊維の引張強度を向上される観点で好ましく、少ない共重合量で耐炎化を促進するために、イタコン酸が特に好ましい。
【0107】
本発明において、A成分であるPAN系重合体を製造するための重合方法としては、溶液重合法、懸濁重合法および乳化重合法などから選択することができるが、ANや共重合成分を均一に重合する目的からは、溶液重合法を用いることが好ましい。溶液重合法を用いて重合する場合、溶媒としては、例えば、塩化亜鉛水溶液、ジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミドおよびジメチルアセトアミドなどPANが可溶な溶媒が好適に用いられる。必要とするMw(P)を得にくい場合は、連鎖移動定数の大きい溶媒、すなわち、塩化亜鉛水溶液による溶液重合法、あるいは水による懸濁重合法も好適に用いられる。
【0108】
本発明で好適に用いられるB成分であるPAN系重合体の組成としては、ANが好ましくは93〜100モル%であり、ANと共重合可能な単量体を7モル%以下なら共重合させてもよいが、共重合成分量が多くなるほど共重合部分での熱分解による分子断裂が顕著となり、得られる炭素繊維の引張強度ばらつきが大きくなることがある。
【0109】
本発明のB成分においてANと共重合可能な単量体としては、耐炎化を促進する観点から、例えば、アクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸およびそれらアルカリ金属塩、アンモニウム塩および低級アルキルエステル類、アクリルアミドおよびその誘導体、アリルスルホン酸、メタリルスルホン酸およびそれらの塩類またはアルキルエステル類などを用いることができる。中でも、耐炎化を促進する意味で、アクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸からなる群より選ばれる少なくとも一種の酸単量体を用いることが好ましい。
【0110】
また、吐出を安定化させる観点から、AN主鎖を共重合可能な単量体によって架橋させることも好ましい態様である。B成分においてANと共重合可能な単量体として、(メタ)アクリロイル基−C1−10直鎖あるいは分岐アルキル基−X−直鎖あるいは分岐C1−10アルキル基−(メタ)アクリロイル基で示される化合物(アルキル基は、一部水酸基で置換されていても構わなく、Xはシクロアルキル基、エステル基、エステル基−C1−6直鎖あるいは分岐アルキル基−エステル基のいずれかもしくは省略可能である。)が好ましく用いられる。特に、(メタ)アクリロイル基−C2−20直鎖あるいは分岐アルキル基−(メタ)アクリロイル基で示される化合物が好ましい。具体的な化合物として、エチレングリコールジメタクリレート、1,3−ブチレンジオールジアクリレート、ネオペンチルグリコールジアクリレート、および1,6−ヘキサンジオールジアクリレートなどを挙げることができる。架橋させることに用いられる共重合可能な単量体の共重合量は、重合体の分子量によって適正値が変わるため一概には言えないが、AN100モル部に対して好ましくは0.001〜1モル部であり、より好ましくは0.01〜0.3モル部であり、更に好ましくは0.05〜0.1モル部である。
【0111】
本発明において、B成分であるPAN系重合体を製造するための重合方法としては、溶液重合法、懸濁重合法および乳化重合法などから選択することができるが、ANや共重合成分を均一に重合する目的からは、溶液重合法を用いることが好ましい。溶液重合法を用いて重合する場合、溶媒としては、例えば、塩化亜鉛水溶液、ジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミドおよびジメチルアセトアミドなどPANが可溶な溶媒が好適に用いられる。中でも、PANの溶解性の観点から、ジメチルスルホキシドを用いることが好ましい。これらの重合に用いる原料は、全て濾過精度1μm以下のフィルター濾材を通した後に用いることが好ましい。
【0112】
紡糸溶液中に異物を含有するとそれが炭素繊維の欠陥となり、その異物の含有ばらつきで単繊維引張強度ばらつきが大きくなる。異物には、固形のものとPAN系重合体に由来する架橋反応によりゲル化したものとが挙げられ、架橋反応を抑制することが好ましい。そのため、架橋反応を抑制する次の[f]〜[h]から選ばれる少なくとも一種の要件を満たすことが好ましい。
【0113】
要件[f]は、酸単量体に由来したカルボン酸基の水素イオンが、アンモニウムイオンおよびナトリウムイオンからなる群より選ばれる少なくとも1種のイオンにより含有カルボキシル基の0〜0.3等量置換されることである。AN含有率を制御した重合体溶液に、アンモニア、水酸化ナトリウム等を加え、PAN系重合体を中和することで、酸単量体に由来したカルボン酸基の水素イオンが、アンモニウムイオンおよびナトリウムイオンからなる群より選ばれる少なくとも1種のイオンにより置換されてPAN系重合体の親水性が向上することから重合体溶液が吐出され凝固したときの緻密性が向上する。置換する量はPAN系重合体に用いた酸単量体の0〜0.3等量であり、好ましくは0〜0.1等量である。0.3等量より高くなるとPAN系重合体の環化によりゲル化を促進させ、単繊維引張強度ばらつきが大きくなることがあるので、ゲル化抑制の観点からは少ないほど好ましい。また、他の要件を用いる場合には、0.3〜1.2等量も好ましい範囲である。置換する量は多いほどPAN系重合体の親水性が向上し、好ましいが、1.2等量より高くなるとゲル化を促進させ、好ましくない。なお、この置換する処理は、口金から吐出する直前であり、かつ、スタティックミキサー等で十分混合されていればよい。
【0114】
要件[g]は、PAN系重合体溶液に対して、アルキル化剤が0.01〜3重量%含まれてなることである。
【0115】
アルキル化剤とは、アルキル基と電気陰性な原子または置換基が結合した有機化合物であり、アミン化合物、アルコール化合物、チオール化合物と混合した場合にアミン化合物の窒素原子上の水素原子、アルコール化合物の酸素原子上の水素原子、チオール化合物の硫黄原子上の水素原子をアルキル基で置換する化合物をいう。アルキル化剤として好ましくは硫酸エステル、スルホン酸エステル、燐酸トリエステル、燐酸ジエステル、燐酸モノエステル、ホスホン酸ジエステル、ホスホン酸モノエステル、ホスフィン酸エステル、炭酸エステルがあげられる。アルキル化剤としてさらに好ましくはメチルホスホン酸ジメチル、メチルホスホン酸ジエチル、エチルホスホン酸ジメチル、エチルホスホン酸ジエチル、2−オキソプロピルホスホン酸ジメチル、シアノホスホン酸ジエチル、アリルホスホン酸ジメチル、ヒドロキシエチルホスホン酸ジメチル、燐酸トリメチル、燐酸トリエチル、ホスホノ酢酸トリメチル、ホスホノ酢酸トリエチル、メタンスルホン酸メチル、エタンスルホン酸メチル、メタンスルホン酸エチル、プロパンスルホン酸メチル、ジメチル硫酸、ジエチル硫酸、炭酸ジメチル、炭酸ジエチル、エチレンカーボネートがあげられる。特に、アルキル化剤としては、アルキル化反応活性および取り扱い安全性の観点から燐酸トリメチル、燐酸トリエチル、炭酸ジメチル、炭酸ジエチル、エチレンカーボネートを用いるのが好ましく、中でも、アルキル化反応活性の点から燐酸トリメチルを用いるのがより好ましい。アルキル化剤によりゲル化が抑制される。そのメカニズムは必ずしも明らかではないが、紡糸溶液中でPAN系重合体の環化により生成したアミノ基末端にアルキル化剤が反応しアルキルアミンが生成し、隣接分子のニトリル基との架橋反応を抑制するためと考えられる。さらにここで生成したアルキルアミンは、分子量低下に寄与するため、ゲルの生成をより効果的に抑制する。
【0116】
アルキル化剤は紡糸溶液中のPAN系重合体と均一に混合されるためにはPAN系重合体溶液として用いる溶媒に可溶であることが好ましい。また、紡糸後の繊維に残存しない事が好ましく、後述する凝固剤に可溶であることが好ましい。
【0117】
アルキル化剤の含有量は紡糸溶液に対して、好ましくは0.02〜2重量%、より好ましくは0.03〜1重量%である。含有量が0.01重量%に満たないと要件[f]、[h]を用いない場合には、熱安定性の効果が小さくなり、ゲル生成による欠陥生成を誘起することがあり、含有量が3重量%を超えると、アルキル化反応後の酸が酸単量体の水素イオン解離を低下させることによりPAN系重合体の親水性を低下させ、ボイドを生成することがある。
【0118】
アルキル化剤は重合後から紡糸口金からの吐出までのどこで加えてもいいが、重合直後から滞留によるゲル化が起こる可能性はあるので、重合に使用する槽など重合反応が行われる場所以外で最もそれに近い場所で紡糸溶液中0.01〜3重量%となるよう添加する。アルキル化剤を混合するためには、重合体溶液に、アルキル化剤のみを直接混合してもよいし、重合体溶液に用いる溶媒と同じ溶媒に一旦溶解してなるアクリル化剤溶液を混合しても良いが、アルキル化剤が常温で固体、すなわち粉末である場合はあらかじめ溶媒に溶解してなるアクリル化剤溶液を混合することが均一性の観点から好ましい。アルキル化剤を重合体溶液に混合する場合、たとえば、スタティックミキサー、エクストゥルーダー、ニーダーなどの混合装置が好ましく用いられる。
【0119】
要件[h]は、沸点が200℃以上である有機カルボン酸が0.01〜3重量%含まれてなることである。溶液紡糸においては必ず含まれる溶媒の回収工程において、沸点が低い場合には上述の酸と分離が困難となり重合に影響を及ぼすため、200℃においても沸点を迎えていないことが必要である。鉱酸は炭素繊維に残り、炭素繊維の炭素含有率を低下させ、欠陥となることがあるので好ましくない。また、水洗するために、水溶性であることが好ましい。以上の化合物の例示として、(無水)マレイン酸、(無水)フマル酸、リンゴ酸、コハク酸、クエン酸などが挙げられ、特に分子量当たりのカルボン酸基の数から、クエン酸が好ましく用いられる。酸によりゲル化を抑制でき、そのメカニズムは紡糸溶液中でPAN系重合体の環化により生成したアミノ基末端を中和し、隣接分子のニトリル基との架橋反応を抑制するためと考えている。
【0120】
沸点が200℃以上である有機カルボン酸の含有量は紡糸溶液に対して、好ましくは0.02〜2重量%、より好ましくは0.03〜1重量%である。含有量が0.01重量%に満たないと要件[f]、[g]を用いない場合には、熱安定性の効果が小さくなり、ゲル生成を誘起することがあり、含有量が3重量%を超えると、ボイドを生成することがある。
【0121】
沸点が200℃以上である有機カルボン酸は重合後から紡糸口金からの吐出までのどこで加えてもいいが、重合直後から滞留が起こる可能性はあるので、重合に使用する槽に重合反応前や反応中に添加するなどなるべく上流で紡糸溶液中0.01〜3重量%となるよう添加する。沸点が200℃以上である有機カルボン酸を混合するためには、重合体溶液に、沸点が200℃以上である有機カルボン酸のみを直接混合してもよいし、重合体溶液に用いる溶媒と同じ溶媒に一旦溶解してなる酸性溶液を混合しても良いが、沸点が200℃以上である有機カルボン酸が常温で固体、すなわち粉末である場合はあらかじめ溶媒に溶解してなる酸性溶液を混合することが均一性の観点から好ましい。沸点が200℃以上である有機カルボン酸を重合体溶液に混合する場合、たとえば、スタティックミキサー、エクストゥルーダー、ニーダーなどの混合装置が好ましく用いられる。
【0122】
また、脱酸素処理により溶解液中の酸素を実質的になくすことが好ましい。酸素が存在すると架橋によるゲル化を促進し、欠陥ばらつきを誘起する。脱酸素処理の具体的方法の1つとして例えば、不活性気体の加減圧により酸素を不活性気体に置換する方法がある。密閉性の良好な容器中で紡糸溶液を撹拌しながら、溶液が沸騰する直前まで、または軽く沸騰するまで減圧とし、次いで窒素、ヘリウム、アルゴンなどの不活性気体を撹拌中の容器中に導入し、0.1〜0.2MPaの加圧とする。再び同様に沸騰までの減圧と不活性気体による加圧を撹拌条件下で繰り返す。この撹拌条件下での不活性気体による加減圧を2回以上、好ましくは4回以上繰り返す。このようにして脱酸素処理をした場合、本発明では実質的に酸素がないと定義する。脱酸素処理は不活性気体の置換だけでなく、酸素との化学反応を利用する方法や酸素を吸着させる方法もあり、目的に応じて使用することができる。しかしながら、脱酸素処理方法としては、上記した撹拌条件下での不活性気体による加減圧を複数回繰り返す方法が、作業性および脱酸素の完全さの点で最も好ましい。特に、重合体を溶媒に溶解する工程を含む場合に有効である。
【0123】
本発明において好適に用いられる紡糸溶液は、伸長粘度が10000Pa・s以上であることが好ましく、より好ましくは50000Pa・s以上であり、さらに好ましくは100000Pa・s以上である。伸長粘度の上限は特に制限はないが、1000000Pa・sもあれば充分なことが多い。
【0124】
伸長粘度とは、伸長変形時の変形しにくさを表し、一般的に、ニュートン流体の場合、剪断粘度の3倍となるが、非ニュートン流体では非線形性があり、そのものの測定が必須であるため、次のようにして測定される値を言う。すなわち、温度35℃に保温されたPAN系重合体溶液約0.1mlを同軸且つ垂直に配置された一対の直径4mmの円形プレート間(ギャップ2mm)にはみ出さないように封入し、上方のプレートを50msの時間で18mm垂直に引き上げそのまま保持したとき、プレート引き上げ終了直後からフィラメント径の変化を測定し、下記の式で計算された値を大きい方から3点の平均した値(以下、最大値ともいう)である。
・η(t)={σ/D(t)}/{−2/D(t)×dD/dt}
(式中、η(t)は伸長粘度(Pa・s)であり、σはポリマーの表面張力(Mn(P)/m)であり、D(t)は時間tのフィラメント径をそれぞれ表す。)
上記の表面張力は、ウィルヘルミー法で白金プレートを用いて測定する。測定温度は35℃である。上記の伸長粘度は、具体的には、サーモハーケ社製の伸長粘度計CaBER1を用いて測定することができる。前記の伸長粘度計は、サンプルを同軸且つ垂直に配置された一対の円形プレート間に封入し、上方のプレートを引き上げ、そのまま保持し、サンプルのフィラメント径の時間変化をレーザーマイクロメーターにて測定する。サンプルのフィラメント径は時間に伴い減少し、ついには破断に至るが、フィラメント径の変化が急激でなく、漸減する傾向にあり、破断するまでに時間がかかるほど、伸長粘度が高い。プレート引き上げ速度を20mm/分程度にゆっくりした場合には、剪断粘度の影響を強く受けるために、破断する時間が長くなる場合があるが、そうした測定で破断時間が長い重合体溶液を用いても紡糸速度を高める効果は見られず、20m/分以上にプレート引き上げ速度は高くしなければならない。
【0125】
ニュートン流体であれば、伸長粘度は、剪断粘度の3倍となるが、伸長粘度を高めるために剪断粘度を高めると口金からの吐出が困難となる。そのため、歪みの小さいときは伸長粘度が低く、歪みが大きくなるに従って歪み硬化が表れ、伸長粘度が高くなることが好ましい。伸長粘度の最大値と最小値の比が好ましくは100倍以上であり、より好ましくは1000倍以上である。最大値と最小値の比は、特に上限値はないが、100000倍もあれば充分なことが多い。
【0126】
ここで、伸長粘度の最小値とは、小さい値から3点を平均したものである。このようなPAN系重合体溶液は、流動安定化するため紡糸速度を高め、かつ、紡糸ドラフト率を高めることができる。このようなPAN系重合体溶液は、前記のPAN系重合体をジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミドおよびジメチルアセトアミドなどPAN系重合体が可溶な溶媒に溶解することにより得られる。
【0127】
また、本発明で好適に用いられる紡糸溶液は、測定温度が35℃であり測定角速度が0.05rad/sのときの複素粘性率ηが30〜150Pa・sであり、前記角速度の下での貯蔵弾性率G’が0.1〜2Paである。粘弾性体の複素粘性率および貯蔵弾性率は測定温度および測定角速度に依存する。ここで、測定角速度を0.05rad/sとしたのは、測定周波数が低いほど緩和時間の長い成分の寄与が大きいためである。測定温度は35℃としたが、異なる測定温度において粘弾性測定を行い、35℃のプロットに重ねてマスターカーブを得てもよい。複素粘性率ηが30Pa・sより小さいと、紡糸の際に粘度が不足し糸切れが起こりやすく、150Pa・sより大きいと、フィルター濾材や口金詰まりの原因となり、吐出が安定しないため好ましくない。貯蔵弾性率G’が0.1Paより小さいことは、緩和時間の長い成分が少ないことを意味し、吐出安定性向上の効果が得られないことがあり、好ましくなく、2Paより大きいと、流動性が低く、フィルター濾材や口金詰まりの原因となり、吐出が安定しないため好ましくない。
【0128】
測定温度が35℃であり測定角速度が0.05rad/sのときの貯蔵弾性率G’は、通常の溶液重合法により重合されたPAN系重合体を溶媒に溶解したものでは0.1Paよりも小さい。G’を0.1〜2Paとするために、例えば単に分子量分布を高分子量側にずらすだけでは、同時に複素粘性率、すなわち粘度も増加するため、このような方法では目的を達成することができない。一方、要件[b]〜[e]のいずれかを満たすことにより、粘度を保ったままG’だけを0.1Paより大きな値に調節することが可能である。粘弾性測定では測定角速度が小さいほど、長時間緩和成分の影響をうけるため、0.05rad/sという小さい測定角速度の下では、G’の値は高分子量成分に強く影響されるためである。
【0129】
しかしながら、要件[b]〜[e]のいずれかを満たしても、分子量の異なる成分が均一に相溶していない場合や、いずれかの成分が析出している場合にはG’が意図した値をとらず、0.1Paよりも小さくなることがあるため、その相溶状態の制御が重要となってくる。
【0130】
重合体溶液の性質としては、粘性と弾性の強さの割合が重要であるため、用いる紡糸溶液においては測定温度が35℃で測定角速度が0.05rad/sのときの粘性と弾性の強さの割合、すなわち損失正接tanδが1〜20であることが好ましい。通常の溶液重合法によって調製される紡糸溶液は、複素粘性率η*が30〜150Pa・sの範囲にあっても、tanδが20より大きい値をとることが分かっている。
【0131】
高分子溶液の動的粘弾性測定では、高分子鎖の絡み合い点がほどけたのちに再度形成される挙動に対応する応答や、高分子鎖が架橋点や絡み合い点を保ったまま伸長したのちに再度元の長さに戻る挙動に対応する応答が得られる。測定角速度が大きすぎると、絡み合い点がほどけるのには時間が短すぎ、高分子鎖は伸長によって変位を吸収する。従って弾性的性質が大きく観測される。測定角速度を小さくしていくと、絡み合い点がほどけることに対応する挙動、すなわち粘性的性質が大きく観測され始める。測定角速度が十分に小さくなると、粘性的性質が応答の大半を占める終端緩和の領域となり、G’/G”で定義されるtanδが大きな値をとる。
【0132】
すなわち、通常の溶液重合法によって調製されるPAN系重合体溶液においては、測定温度が35℃で測定角速度が0.05rad/sでは、終端緩和の領域に達しておりtanδが大きい。一方、要件[b]〜[e]を満たすPAN系重合体を用いた紡糸溶液では、終端緩和に達しておらず、tanδの値が小さい。
【0133】
tanδが1より小さいと弾性の寄与が大きすぎ、流動性が低く、フィルター濾材や口金詰まりの原因となり、製糸性が低下するため好ましくない。逆に20より大きいと粘性の寄与が大きすぎ、伸長粘度が低下し曳糸性や紡糸ドラフト率が悪化する場合があり好ましくない。tanδを1〜20の範囲に収めることで、フィルター濾材の通過性と高い紡糸ドラフト率を両立させることができ、有用である。
【0134】
また、本発明で好適に用いられる紡糸溶液においては測定角速度が50rad/sのときの貯蔵弾性率を測定角速度が0.05rad/sのときの貯蔵弾性率で割った値が100〜2000であることが好ましい。先述したとおり貯蔵弾性率は測定角速度に依存し、通常の溶液重合法で得られるPAN系重合体溶液の場合、測定角速度が0.05〜50rad・sの範囲では測定角速度が大きくなるにつれ、貯蔵弾性率の値は増加する。要件[b]〜[e]のいずれかを満たすPAN系重合体では、分子量分布が高分子量側を中心にブロードであり、超高分子量体は分子鎖に印加された歪みの緩和に長時間を要することから、粘弾性測定における低角速度領域でのG’が大きな値をとる特異的なカーブを描く。上記の値が100より小さい場合は緩和に時間がかかりすぎ、フィルター濾材の通過性が悪化する場合があり好ましくない。逆に2000より大きいと吐出が不安定となり、不均一な炭素繊維の破断を誘起することがあり好ましくない。
【0135】
動的粘弾性により測定される値は、次のようにして測定されるものを言う。すなわち、DMA法(ダイナミックメカニカルアナリシス法)により測定され、重合体溶液0.3mLを直径25mm、角度0.04radのコーンプレートに、ギャップ0.056mmとしてセットし、測定温度35.0℃、歪み200%の条件で周波数を0.05〜50rad/sまで走査して測定したデータから計算される値である。
【0136】
本発明で好適に用いられる紡糸溶液は、コーンプレート型の粘度計で測定される剪断速度が20s−1のときの剪断粘度と剪断速度が2000s−1のときの剪断粘度の比が10〜50であることが好ましく、より好ましくは20〜40である。剪断粘度の比が10より小さいときは、口金からの重合体溶液吐出時に粘度が高すぎて吐出しにくいことがあり、剪断粘度の比が50より大きいときは、口金からの重合体溶液吐出時に吐出むらが起こりやすいことがある。通常、剪断粘度の剪断速度依存性を測定すると高剪断速度ほど剪断粘度が低下していくが、本発明で好適に用いられる紡糸溶液は、高剪断速度、すなわち、重合体が近づき、絡み合う間もなく通り過ぎていくような状態であっても、分子量の高い成分が絡み合いを保持していることで剪断粘度低下が少ないと推定している。口金内温度分布や重合体溶液の流動によって口金孔ごとの背面圧に差が出ることがあり、剪断速度が異なることがあるが、剪断粘度の剪断速度依存性が小さいと背面圧差による吐出むらを緩和できる。
【0137】
本発明において、コーンプレート型の粘度計で測定される剪断速度が20s−1のときの剪断粘度と剪断速度が2000s−1のときの剪断粘度の比とは、次のようにして測定される値を言う。すなわち、重合体溶液0.3mLを、直径25mm、角度0.04radのコーンプレートに、ギャップ0.056mmとして粘度計にセットし、測定温度35.0℃の条件で剪断速度を2〜2500s−1まで走査して測定したデータから、20s−1での値と2000s−1での値を採って計算される値である。
【0138】
次に、本発明の炭素繊維を得るに好適な炭素繊維前駆体繊維の製造方法について説明する。すなわち、前記したPAN系重合体が、ジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミドおよびジメチルアセトアミドなどPAN系重合体が可溶な溶媒に溶解されてなる紡糸溶液を準備する。溶液重合を用いる場合、重合に用いられる溶媒と紡糸溶媒を同じものにしておくと、得られたPANを分離し紡糸溶媒に再溶解する工程が不要となる。また、紡糸溶液には、水、メタノール、エタノールなどPAN系重合体が凝固する溶媒(いわゆる、凝固剤)をPAN系重合体が凝固しない範囲で含んでも構わないし、酸化防止剤、重合禁止剤などの成分をPAN系重合体に対して5重量%までは含んでも構わない。
【0139】
紡糸溶液の重合体濃度は、5〜30重量%の範囲であることが好ましく、より好ましくは15〜25重量%であり、最も好ましくは17〜23重量%である。重合体濃度が5重量%未満では溶媒使用量が多くなり経済的でなく、凝固浴内での凝固速度を低下させ内部にボイドが生じて緻密な構造が得られないことがある。一方、重合体濃度が30重量%を超えると粘度が上昇し、紡糸が困難となる場合がある。紡糸溶液の重合体濃度は、使用する溶媒量により調製することができる。
【0140】
重合体濃度とは、PAN系共重合体の溶液中に含まれるPAN系重合体の重量%である。具体的には、PAN系共重合体の溶液を計量した後、PAN系共重合体を溶解せずかつPAN系共重合体溶液に用いる溶媒と相溶性のある溶媒中に、計量したPAN系共重合体溶液を混合して、PAN系共重合体溶液を脱溶媒させた後、PAN系共重合体を計量する。重合体濃度は、脱溶媒後のPAN系共重合体の重量を、脱溶媒する前のPAN系共重合体の溶液の重量で割ることにより算出する。
【0141】
また、45℃の温度における紡糸溶液の粘度は、15〜200Pa・sの範囲であることが好ましく、より好ましくは20〜150Pa・sの範囲であることがより好ましく、30〜100Pa・sの範囲であることが最も好ましい。溶液粘度が15Pa・s未満では、紡糸糸条の賦形性が低下するため、口金から出た糸条を引き取る速度、すなわち可紡性が低下する傾向を示す。また、溶液粘度は200Pa・sを超えるとゲル化し易くなり、フィルター濾材が閉塞しやすくなる傾向を示す。紡糸溶液の粘度は、重合開始剤や連鎖移動剤の量などにより制御することができる。
【0142】
45℃の温度における紡糸溶液の粘度は、B型粘度計により測定することができる。具体的には、ビーカーに入れたPAN系重合体溶液を、45℃の温度に温度調節された温水浴に浸して調温した後、B型粘度計として、例えば、(株)東京計器製B8L型粘度計を用い、ローターNo.4を使用し、PAN系重合体溶液の粘度が0〜100Pa・sの範囲はローター回転数6r.p.m.で測定し、またそのPAN系重合体溶液の粘度が100〜1000Pa・sの範囲はローター回転数0.6r.p.m.で測定する。
【0143】
本発明では、上記したような紡糸溶液を紡糸するに先立ち、フィルター装置に通し、重合体原料および各工程において混入した不純物を除去することが好ましい。フィルター装置とは、紡糸溶液中に存在する異物を濾過して除去する設備を意味し、濾過処理を施す紡糸溶液をフィルター装置内に導くための流入路と、紡糸溶液を濾過するためのフィルター濾材と、濾過された紡糸溶液をフィルター装置外に導くための流出路と、これらを収納するための容器とより構成される。ここで、フィルター濾材とは、フィルター装置内に収納される紡糸溶液の濾過手段である。
【0144】
本発明で用い得るフィルター装置を図1〜3を用いて説明すると次のとおりである。ただし、図1〜3は例示であり、本発明はこれらの図およびこれらの図を用いる説明によって制限されるものではない。
【0145】
図1はフィルター装置の断面図であり、濾過容器1に作られた空間内に、フィルター濾材2と、フィルター濾材の変形を抑制し液体透過性を有する支持体3が固定されている。紡糸溶液は紡糸溶液流入路4を経て、フィルター濾材2で濾過され、紡糸溶液流出路5を経てフィルター装置外に出る。この基本構成以外にも、例えば、図2に示すように、フィルター濾材2が外周に沿って多孔板等からなる支持体3に支持され、紡糸溶液流出路への開口6を有するリーフディスク型フィルター7を、図3に示すように、濾過容器1に作られた空間内に、紡糸溶液流出路を兼ねる芯体8とフィルター押さえ9の間に複数枚積み重ね、固定してあるフィルター装置も好ましい様態である。すなわち、芯体8は側面に開口10を有しており、紡糸溶液は、紡糸溶液流入路4を経て、それぞれのリーフディスク型フィルター7におけるフィルター濾材2で濾過され、支持体3、リーフディスクの内径側にある紡糸溶液流出路への開口6、芯体の開口10、芯体8を順に経て、流出されることで濾過される。なお、リーフディスク型フィルターの外径は距離Dで表され、リーフディスク型フィルターの内径は距離dで表される。リーフディスク型フィルターにおいて、ドーナッツ状の内周部分は支持体がむき出しになっているか、開口を有する板で覆われており、リーフディスク型フィルターの上下面から流入した紡糸溶液が内周部分から排出されるようになっている。
【0146】
リーフディスク型フィルター以外にも、キャンドル型、プリーツキャンドル型のタイプも選択できるが、フィルター濾材をほぼ平面上に使用できるリーフディスク型フィルターに対し、キャンドル型、プリーツキャンドル型は一定の曲率を持つため、開孔径の分布が広がることや洗浄性が悪化する原因となることがあるので、リーフディスク型フィルターが最も好ましい。
【0147】
本発明で使用されるフィルター濾材2は、紡糸溶液中に存在する異物を除去するための直接的役割を担う部分であり、定められた開孔径を狭いばらつきで保有することが求められ、加えて、被処理物質に対する化学的安定性と耐熱性とある程度の耐圧性とが要求される。このようなフィルター濾材としては、金属の繊維を織って作製した金網や、ガラス不織布、金属の短繊維をカード機やエアーレイド方法での開繊を行なってウェブ状とした金属繊維不織布とした後焼結して組織を固定した焼結金属繊維組織よりなるフィルター濾材などが好ましく使用される。また、フィルター濾材の材質は、紡糸溶液に不活性であり、かつ溶媒への溶出成分がなければ特に限定されるものではない。具体的な金属としては、ステンレス鋼(SUS304、SUS304L、SUS316、SUS316L等)、インコネル(登録商標)、ハステロイ(登録商標)の他、ニッケル、チタン、コバルトベースの種々合金が選択される。金属繊維の製造方法は、特に多数本の線材を束としてまとめて線引き細径化したのち、各線を分離して線材を細径化するいわゆる集束繊維製造方法や、コイル切削法、ビビリ振動切削法などが挙げられる。金網の場合には、繊維束ではなく、単繊維である必要があるため、伸線と熱処理を繰り返す方法などによって得られる。
【0148】
炭素繊維前駆体繊維用に用いられる紡糸溶液には、わずかな異物が存在しても工程異常や炭素繊維の欠陥にばらつきを誘起するため、異物が口金に至るまでに濾過により取り除く必要があるが、先に述べたようにゲル状物などの異物は濾圧で変形しフィルター濾材を通過しやすい。炭素繊維の低コスト化のために紡糸速度を高めるためには、フィルター濾材の単位面積当たりの濾過量を増やす必要があるが、そうすると濾圧が上昇しゲル状物などの異物は変形しフィルター濾材を通過しやすくなる。低コスト化と炭素繊維の更なる高強度化を両立するためには、低い濾圧でゲル状物を精度良く濾過する方法が必要である。従来は、厚みが大きく目の細かいフィルター濾材で濾過する方法が主流であり、濾過時に重合体溶液にかかる圧力が高くゲル状物が流出することがあり、好ましくない。具体的には、目付a(g/m)と材質密度b(g/m)が次式を満足する濾過保証層を有するフィルター濾材であって、かつ、濾過抵抗係数cが5〜30×10cm−1であるフィルター濾材を用いることにより、低い濾圧でゲル状物の変形を防いでゲル状物を精度良く濾過することが好ましい。
【0149】
0.01≦A/B×1000≦0.06
フィルター濾材には、フィルター面に垂直な軸に沿って線径や充填率が均一なものもあるが、線径や充填率の異なる層が複数積層されてなるものが多い。濾過保証層とは、フィルター濾材を構成する層のうち、最も細かい開孔径を有する層、すなわち最も濾過精度の高い層のことを指す。フィルター濾材を構成する層のうち、濾過保証層を除いた部分は補強層と称し、詳細は後述する。濾過精度が同等である濾過保証層が断続的に複数層ある場合は、全て積算した値を用いる。濾過保証層の目付については、かかる濾過保証層の1m2 当たりにおける質量(g)、すなわちg/m2 として示される。濾過保証層は、金属繊維の接触部分で結晶化を促す焼結という工程を経ることで構造を固定し、機械的強度を持たせてあるのが一般的である。濾過保証層が焼結によって作製された場合であっても、焼結前後での重量および面積の変化は無視できる程度なので、濾過保証層目付aは焼結により変化しないため焼結前の値を用いる。焼結後の濾過保証層部分だけ取り出して測定した値を用いても構わないが、焼結前後の濾過保証層目付が異なる場合は、焼結前の値を優先して用いる。濾過抵抗係数cは単位時間当たりの通気量から計算することが出来る、フィルター濾材の流体の通過させにくさを示す値である。
【0150】
紡糸溶液中に存在するゲル状物の、フィルター濾材上での変形あるいは粉砕による流出を低減するためには、ゲル状物に付加される剪断応力を低減することが必要である。剪断応力は圧力損失と正の相関があるため、ゲル状物の流出を避けるためには、圧力損失を低減することが有効である。そのためには、圧力損失と比例の関係にある濾過抵抗係数cを低減させることが好ましい。濾過抵抗係数はフィルター濾材の開孔径、充填率、厚みなどに依存する。
【0151】
中でも、フィルター濾材の充填率を後述するように調節すると、濾過抵抗係数を効果的に低減することができる。フィルター濾材の充填率は、フィルター濾材を成す濾過保証層および補強層それぞれの垂直断面を顕微鏡撮影し、画像解析の方法により、視野面積に占める繊維等の材料の面積比率を3個所で測定した平均値を、さらに各層毎の厚みで重み付けした加重平均として示される。フィルター濾材の充填率と濾過抵抗係数には正の相関があり、充填率が高いほど濾過抵抗係数は大きい。濾過抵抗係数を低減するために単に充填率を下げるだけでは、濾過精度の低下を招くという問題があるため、フィルター濾材を成す金属繊維の線径を0.5〜2.5μmと細くすることで、濾過抵抗係数の低減を図ることがある。
【0152】
一方、Mz(P)/Mw(P)が1.5以上であり高分子量側に広い分布を有するPAN系重合体は、濾過抵抗係数だけでは説明できない圧力損失挙動を示し、高分子量側に長い分布をもたない通常のPAN系重合体を濾過するときにはみられないような、突然のフィルター濾材閉塞が起こることがある。このような閉塞が起こったときは、フィルター濾材通過後の分子量分布が通過前と変化していたため、フィルター濾材に高分子量の成分が堆積していると推定される。異なる成分が相溶してなる重合体溶液に剪断応力をかけると、異なる成分が分離しそれぞれドメインを形成する剪断誘起相分離という現象が生じることが知られており、上記の結果はその一種であろうと推定される。剪断誘起相分離が管内流れ場で起こるときには、流路の長さ方向に進むに従って相分離の度合いが高まっていくことになる。そのため、剪断誘起相分離によるフィルター濾材閉塞を避けるためには、フィルター濾材の厚みを制御すればよいと考えられるが、実際にはフィルター濾材内でも最も濾過精度の高い、従って最も剪断応力がかかっている濾過保証層の厚みを制御することが有効であることが検討の結果明らかになった。a/bは、濾過保証層を開孔ゼロとなるように圧縮したと想定した際の厚み(単位:m)に相当し、以下、濾過保証層圧縮厚みという。a/b×1000は、濾過保証層圧縮厚みをmm単位に換算したものである。濾過保証層圧縮厚みは濾過保証層の開孔径に関わらず、厚みの一定の基準として用いることができる。
【0153】
かかる濾過保証層圧縮厚みが0.01mm未満である場合は、濾過時に作用する圧力損失に対してフィルター濾材の強度が確保できずにフィルター濾材が破断し、ゲル状物の流出が発生し、0.06mmを超える場合には、剪断誘起相分離によりフィルター濾材が閉塞する。濾過保証層がステンレスから成る場合には、bは約8×10g/mなのでaが80〜500g/mとなるように制御することで濾過保証層圧縮厚みを上記範囲内に調節すると良い。また、濾過抵抗係数cが5×10cm−1未満である場合には、開孔径が大きく、微少なゲル状物が目を通り抜けやすく、30×10cm−1を超える場合には、圧力損失が高く、ゲル状物の流出が発生することがある。
【0154】
具体的に、上述の条件を満たすフィルター濾材としては、線径10〜25μmのワイヤーを綾畳織で経糸を500〜800メッシュ、好ましくは635〜800メッシュ、緯糸を3500〜6000メッシュ、好ましくは4300〜6000メッシュとして織製し、それを単層あるいは、複数層積層し、焼結した金網が挙げられる。従来、金網を用いた濾過は、薄く、目が粗いためゲル状物の濾過には向かないといわれてきたが、線径が細く、高メッシュで緻密な金網を用いて、ゲル状物を含んだ重合体溶液を濾過した結果、ゲル状物の流出が少ないというこれまでにない新たな知見を得た。また、上述の条件を満たすフィルター濾材として、焼結金属不織布を使用することも可能である。不織布は、線径の小さいものを使用することができるため、開孔径を細かくしやすい利点があり、好ましい。一方、不織布にありがちな開孔径の分布が広い点を補うため、厚みを増すこともあるが、厚みを増さずとも線径を0.5〜2.5μmと細くすることで濾過段数が稼げるため解消することが多い。不織布では、アスペクト比が1〜1000である金属繊維や粉末を目的に合わせて使用し、開孔径を制御することもできるし、アスペクト比の異なる金属繊維や粉末を混ぜることも有効な手段のひとつである。
【0155】
焼結としては常法を用いてよく、焼結時間や焼結温度、あるいは焼結回数などを調節することにより、織布、不織布の開孔径を制御するのが良い。
【0156】
開孔径とも関係の深い、フィルター濾材の濾過精度は1〜10μmが好ましく、より好ましくは1〜5μm、さらに好ましくは1〜3μmである。かかる濾過精度が大きくなりすぎると、フィルター濾材通過後の紡糸溶液中の異物が増大し好ましくないため、小さいほど好ましいが、1μmもあれば充分である。フィルター濾材の濾過精度とは、フィルター濾材を通過する間に95%を捕集することができる球粒子の粒子径(直径)で定義する。その測定方法は、JIS B8356に準じ、粒子は標準物質を用いる。
【0157】
また、フィルター濾材の濾過単位面積(m)当たりの濾過速度Sを好ましくは1〜150L/m/時間、より好ましくは1〜40L/m/時間、さらに好ましくは1〜20L/m/時間として濾過する。かかる速度が1L/m/時間未満である場合は、濾過面積が大きくなりすぎて重合体溶液滞留によるゲル化が起こることがあり、150L/m/時間を超える場合には、紡糸溶液に分子量の高い成分が含まれていた場合、それが濾過されてしまう。濾過速度を低くすることにより、重合体溶液に印加される剪断速度が低下するため、剪断誘起相分離が起こりにくいものと考えている。
【0158】
また、フィルター濾材の濾過単位面積(m)当たりの濾過速度Sは、濾過精度とも関係が深いことが多い。フィルター濾過精度とその開孔径とは関係があり、開孔径を狭くすることで濾過精度を高めることが一般的である。開孔径が狭いと紡糸溶液通過時の剪断速度が高まり、分子量の高い成分が濾過されやすいため、フィルター濾材の濾過単位面積(m)当たりの紡糸溶液濾過速度S(L/m/時間)と濾過精度F(μm)が次式の関係を満たすことが好ましい。
【0159】
1×F≦S≦15×F
すなわち、濾過精度が高いフィルター濾材を用いる場合は、濾過速度を落として剪断速度を低下させることが好ましい。かかる関係式より濾過速度が遅いときには、濾過面積が大きくなりすぎて過剰仕様となることが多く、かかる関係式より濾過速度が速い場合には、分子量の高い成分が濾過されてしまうことが多い。
【0160】
フィルター濾材の内有効容積V(L)と重合体溶液濾過流量W(L/分)の比で示されるフィルター濾材内滞留時間V/Wの値を0.01〜10分にすることも分子量の高い成分を濾過させないために好ましい。ここでフィルター濾材の内有効容積Vはフィルター濾材の空間容積を表す。かかる容積は、フィルター濾過面積とフィルター濾材の厚みから計算される。フィルター濾材は層構造になっていることがあるが、フィルター濾材の開孔径の最も狭い部分の厚みを指す。かかる厚みは、フィルター濾材の断面を切り出し、顕微鏡等で観察することにより特定することができる。重合体溶液濾過流量Wは1分間にフィルター濾材を通過する紡糸溶液の体積流量を表し、濾材内滞留時間V/Wはフィルター濾材を通過する紡糸溶液の平均滞留時間を表す。分子量分布が高分子量側に広い場合は、フィルター濾材中の深層で分子量の高い成分が濾過されていることが多く、フィルター濾材の厚みは薄いことが好ましい。そのため、V/Wが10分を超えると分子量の高い成分が濾過されないことが多く、逆に、V/Wが0.01分未満であると濾過の操作圧が上昇し好ましくない。V/Wのより好ましい範囲は、0.1〜5分であり、更に好ましい範囲は、0.1〜0.5分である。
【0161】
上述のフィルター濾材の濾過保証層圧縮厚みを、上記した範囲内に制御すると従来品に比べ、強度が落ちる可能性があり、低い圧力損失でも濾材が破れることがある。そこでそのような場合には、先述のように、濾過保証層の上下両側あるいはどちらか片側に、濾過保証層よりも濾過精度の低い補強層を積層したのち焼結してフィルター濾材とすることで、強度をもたせることができる。補強層は、濾過保証層とは目付、充填率、材質などの仕様が異なっても良いし、両者の積層枚数および順序も任意に選択できる。補強層の種類は、金属不織布、金属粒子焼結体、金属繊維を織った金網など、濾過保証層に用いるものと同様のものが用いられ、適宜組み合わせてもよい。補強層を濾過保証層の上流側にも配置する場合、開孔径を段階的に変化させて多層積層することも圧力の分散による高耐圧化、異物の多段濾過の観点から好ましい。かかる観点からフィルター濾材を構成する層の積層数は、2〜7層が好ましい。
【0162】
さらに耐圧性をもたせるために、フィルター濾材とは別に、その上下両側あるいは下流側にサポートとして、リテーナーメッシュやパンチングメタル、0.1〜0.5mm程度の金属線を10〜100#程度に織成してなるシート状の織物体、それを圧延した偏平スクリーンなどを組合せて用いることができる。これらのサポートをフィルター濾材の上流側に重ねる場合は、異物によるフィルター濾材の傷つきを防ぐためや、洗浄再利用中のハンドリング性を高める効果がある。
【0163】
フィルター濾材は、濾過保証層および補強層の目付の合計である総目付を300〜2500g/mとすることが好ましく、1000〜2500g/mとすることがより好ましい。圧力損失を低減するという観点からは、総目付は小さい方が好ましいが、総目付が300g/mより小さいと、フィルター濾材が圧力損失に耐えられず破断することがある。一方、総目付が2500g/mより大きいと、フィルター濾材の圧力損失が大きくなり、ゲル状物が変形あるいは粉砕し、流出することがある。また、総目付が300g/m以上1000g/m未満の範囲では、圧力損失が小さい濾過初期には問題ないが、濾過保証層が金属不織布の場合、圧力損失が経時増加したときに圧力損失に耐えられずフィルター濾材が破断することがある。フィルター濾材の総目付を上述の範囲とすると、曲げ加工を必要としない平面状で、濾過面積を増やしやすいリーフディスク型フィルターに用いるフィルター濾材として特に有効となる。一方、総目付がかかる範囲にあるフィルター濾材は、曲げ加工が必要なプリーツ型フィルターやキャンドル型フィルターに採用した場合、曲げにより開孔径分布が広がり、ゲル状物の濾過性能が低下することもある。
【0164】
濾過操作は紡糸溶液の温度が高いほど粘度が低下し、圧力損失が低減できるが、紡糸溶液の温度が高いとゲル状物が発生しやすいため、低い温度で濾過することが好ましく、具体的には20〜80℃が好ましく、20〜40℃がより好ましい。上述のフィルター濾材を用いることで低い温度で濾過しても従来よりも大幅に圧力損失を低減でき、ゲル状物の流出が減少できる。口金での吐出温度と同等にすることもフィルター濾材以降の加熱や冷却装置を減らせるために好ましい手段である。
【0165】
最も濾過精度の高い(開孔径の小さい)フィルター濾材を用いたフィルター装置が前記したようなものであることが重要であるが、そのフィルター装置で濾過する以前にプレフィルター装置を用いて濾過しても良い。紡糸溶液が大きな凝集体やゲル状物を含む場合があり、その際は、濾過精度を落としたフィルター濾材をプレフィルターとして段階的に配置し濾過することも好ましい。また、凝集体を減少させることで一般的に知られているサンドあるいは、タフミックフィルターを用いることも有効となることがあり、プレフィルターとして適宜使用することができる。
【0166】
上述のようにして濾過した紡糸溶液を紡糸する。紡糸としては、湿式紡糸、乾式紡糸または乾湿式紡糸のいずれの紡糸法でも毛羽の発生を抑制でき、好ましいが、特に、乾湿式紡糸法により紡糸することにより炭素繊維前駆体繊維を製造することが紡糸速度を高め、かつ、炭素繊維の表面を平滑にする観点から好ましい。乾湿式紡糸法は、紡糸溶液を口金から一旦空気中に吐出した後、凝固浴中に導入して凝固させる紡糸方法である。
【0167】
紡糸口金単孔からの重合体吐出量を0.1〜0.65mg/秒として紡糸することが吐出の安定性から好ましいが、本発明で好適な紡糸溶液を用いることで紡糸口金単孔からの重合体吐出量を0.65〜3mg/秒として紡糸しても安定に吐出でき、生産性向上に有効である。
【0168】
かかる高紡糸速度で紡糸口金から吐出時に紡糸溶液に印加する最大剪断速度が2000〜17000s−1とすることが好ましく、より好ましくは、2000〜8000s−1とし、さらに好ましくは、2000〜6000s−1とする。円筒形の流路を通る場合、印加する最大剪断速度SR(s−1)は、SR=4Q/πR=4V/Rという式で計算される。ここで、Q(mm/秒)は重合体溶液吐出量、V(mm/秒)は吐出線速度、R(mm)は最小の紡糸口金孔半径である。流路の断面積が、長方形でも、ひし形でも、三角形でも一般的な計算式があり、それに従って計算すればよい。最大剪断速度が2000s−1未満であると本発明の効果が飽和するばかりか、吐出時の粘度が高くなる。また、最大剪断粘度が17000s−1を超えるとメルトフラクチャーや紡糸溶液中に含まれる重合体の分子量低下が発生して炭素繊維の欠陥となることがある。
【0169】
紡糸口金単孔からの重合体溶液吐出量が3〜12mm/秒とすることが好ましく、より好ましくは、5〜12mm/秒である。上式の通り、剪断速度は重合体溶液としての吐出量あるいは吐出線速度が直接の影響を与える。重合体吐出量は設定量であり、重合体溶液吐出量は、重合体濃度によって制御されるため、上述の通り重合体濃度を設定し、かつ、なるべく高濃度とすることが重合体溶液吐出量を低下させ、剪断速度を低下させる観点から好ましい。重合体溶液吐出量が3mm/秒未満であると本発明の効果が飽和することがあり、また、重合体溶液吐出量が12mm/秒を超えると剪断速度が高まりやすいである。
【0170】
用いる紡糸口金は、断面積の割に剪断速度を増加させないために円形断面が好ましく、その紡糸口金孔径は、円形断面である場合、0.1mm〜0.2mmであることが好ましく、0.12〜0.15mmであることがより好ましい。口金孔径が0.1mm未満であると剪断速度が大きくなることが多く、また、口金孔径が0.2mmを超えると紡糸ドラフト率を高くしないと1.5dtex以下の単繊維繊度の前駆体繊維を得ることが困難となることがある。上述の式の通り剪断速度は紡糸口金孔径により変化するため、剪断速度を制御するために最も有効であり、大きくすることが剪断速度低下につながる。一般的には、紡糸速度を上げようと吐出量を上げると剪断速度が高まり、剪断速度が高まると剪断粘度が低下し、可紡性が低下するため、口金孔径を小さくして吐出線速度を上げて紡糸ドラフト率を低下させることで可紡性低下を補うことがあるが、本発明では逆効果となることがある。また、湿式紡糸においては、紡糸ドラフト率を上げにくいので、紡糸口金孔径を大きくすることが困難なことがあり、好ましくない。
【0171】
紡糸口金孔径は、紡糸口金面を顕微鏡観察することにより測定することができる。孔径が異なる孔を有する場合には、剪断速度の最も大きくなる孔が問題となり、1つでも異常な単繊維を含むことは好ましくないため、最小の孔径を用いる。
【0172】
また、紡糸口金孔径(D)と孔長(L)の比であるL/Dの最大値が1〜3であることが好ましい。L/Dが1未満であると吐出が安定しないことがあるが、L/Dは大きいほど剪断印加時間が長くなり、分子量低下が発生しやすいのでL/Dが3以下であることが好ましい。吐出直後の紡糸溶液のふくらみ、いわゆるバラス効果を抑制するためには、最小孔径を経た後に徐々に孔を広げる逆テーパー加工をすることも好ましい。紡糸口金孔に紡糸溶液が導入される際に伸長流動における伸長歪みを低減するためにテーパー加工やそれを段階的に行うことや角をなくすことをすることが、本発明で用いる伸長粘度の歪み硬化の強い紡糸溶液との組み合わせで効果を発揮する。すなわち、紡糸口金からの吐出直後の伸長領域で歪み硬化させ、吐出前に伸長粘度を増大させて凝固張力を増加させないために有効である。
【0173】
また、紡糸口金の平均孔ピッチは、1.0〜2.0mmである。平均孔ピッチが1.0mm未満であると隣接孔から紡出されたPAN系重合体溶液と接着することがあり、その接着した痕の有無で欠陥の程度が変わる。一方、平均孔ピッチが2.0mmを超えると、多孔から構成させる口金の外径が大きくなり、内側と外側の孔から紡出された繊維の差が大きくなり、製造工程途中で糸切れを起こし、欠陥のばらつき拡大を引き起こす。
【0174】
紡糸口金の平均孔ピッチは、紡糸口金面を顕微鏡観察により測定することができる。孔ピッチとは、隣接する2つの紡糸口金孔の中心点間距離のことである。異なる孔ピッチを有する場合には、その存在割合で平均する。紡糸口金孔は、一定の集団毎にブロック分けされていることが多く、ブロックを隔てて隣接する紡糸口金孔の孔ピッチは平均に算入しない。
【0175】
また、紡糸口金の孔数は、500〜24000個であることが好ましく、より好ましくは、3000〜12000個である。孔数が500個より少ない場合、生産性が低下し、大型構造部材として適さないことが多いが、安定的に吐出できるので同じ口金からの前駆体繊維を集めて焼成する場合には前駆体繊維のばらつきが少なくできる。孔数が3000個より少ない場合、生産性が低下することが多い。一方、孔数が24000個を超える場合には、口金外径が大きすぎて、吐出ばらつきが発生することがあり、欠陥となることがある。
【0176】
紡糸溶液の紡糸ドラフトは2〜15の範囲であることが好ましい。
【0177】
ここで紡糸ドラフトとは、紡糸糸条(フィラメント)が紡糸口金を離れて最初に接触する駆動源を持ったローラーの表面速度(凝固糸の巻き取り速度)を、紡糸口金孔内のPAN系重合体溶液の線速度(吐出線速度)で割った値をいう。この吐出線速度とは、単位時間当たりに吐出される重合体溶液の体積を口金孔面積で割った値をいう。したがって、吐出線速度は、紡糸溶液の吐出量と紡糸口金の孔径の関係で決まる。紡糸溶液は、紡糸口金孔を出て凝固浴に接して次第に凝固して凝固糸(フィラメント)となる。このとき第一ローラーによりフィラメントは引っ張られているが、フィラメントよりも未凝固紡糸溶液の方が伸び易いので、紡糸ドラフトとは、紡糸溶液が固化するまでに引き伸ばされる倍率を示すことになる。すなわち、紡糸ドラフトは次式で表されるものである。

・紡糸ドラフト=(凝固糸の巻き取り速度)/(吐出線速度) 上記の紡糸ドラフトを高めることは、繊維の細径化への寄与も大きい。紡糸ドラフトが2未満では、生産性向上効果が少なく、生産性の観点から紡糸ドラフトが15以下で十分である。
【0178】
紡糸溶液の重合体濃度と、紡糸ドラフトと、使用する紡糸口金の孔径によって決定される乾燥させた凝固糸の単繊維繊度は、好ましくは0.4〜15dtexであり、より好ましくは0.4〜11dtexであり、更に好ましくは0.4〜8dtexである。乾燥させた凝固糸の単繊維繊度は、凝固時の凝固糸を構成する単繊維の繊維径に対応しており、乾燥させた凝固糸の単繊維繊度が11dtexを超える場合には、凝固したときの内外層の凝固状態が異なり、好ましくない。また、乾燥させた凝固糸の単繊維繊度が0.4dtex未満では、前駆体繊維としてのPAN系繊維の単繊維繊度が0.4dtex未満となり、これを焼成して炭素繊維とした場合には、繊維強化複合材料とするときマトリックス樹脂が含浸されにくくなり、炭素繊維の物性が発現されず、製造コストの割には炭素繊維強化複合材料としての物性が低下する。
【0179】
凝固浴には、PAN系重合体溶液の溶媒として用いたジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミドおよびジメチルアセトアミドなどの溶媒と、いわゆる凝固促進成分を含ませることが好ましい。凝固促進成分としては、前記のPAN系重合体を溶解せず、かつPAN系重合体溶液に用いた溶媒と相溶性があるものが好ましく、具体的には、水を使用することが好ましい。凝固浴としての条件は、凝固糸(単繊維)の断面が真円状となるように制御ことが好ましく、有機溶媒の濃度は、臨界浴濃度といわれる濃度以下であることが好ましい。有機溶媒の濃度が高いと炭素繊維断面の真円度が低下するため、好ましくない。例えば、溶媒にジメチルスルホキシドを用いた場合は、ジメチルスルホキシド水溶液の濃度を5〜55重量%とし、更に好ましくは、5〜30重量%とすることが好ましい。凝固浴の温度は、繊維側面が平滑となるように制御ことが好ましく、−10〜30℃とし、更に好ましくは−5〜5℃とすることが好ましい。
【0180】
引き取られた膨潤糸を、引き続き前延伸し、乾燥熱処理して、炭素繊維前駆体繊維が得られる。必要に応じて、乾燥熱処理の後に、後延伸しても良い。
【0181】
前延伸は、空気中または温水浴中で行うのが一般的であり、通常、凝固後の糸条に残存する溶媒を水洗工程により除去した後に、浴中または空気中で延伸を行なう。なお、凝固後の糸条を直接浴中延伸したあとに水洗してもよい。また、後延伸は省略してもよいし、行う場合には乾熱延伸であっても加熱媒体中での延伸であっても良く、それらの組み合わせでもよいが、通常、加熱媒体中で行うのが一般的である。
【0182】
前延伸や後延伸での張力を制御することにより、Mz(F)/Mw(F)を前記範囲とする炭素繊維前駆体繊維を得ることができる。
【0183】
前延伸工程とは、凝固浴引取ローラー出から乾燥熱処理までに延伸する工程を指す。前延伸する際には、張力を1.5〜3mN/dtex、好ましくは1.8〜2.8mN/dtex、より好ましくは2〜2.8mN/dtexとするのがよい。前延伸での張力が3mN/dtexよりも大きくなると、均一な延伸ができなくなり、分子配向の均一性が保てなくなるばかりか、分子鎖の切断が起こり、Mz(F)/Mw(F)を低下させることが多い。従来知見では、分子配向させるために延伸倍率を上げていたが、本発明の炭素繊維を得ようとする場合には、製糸工程全体の張力を下げることが重要である。しかし、前延伸での延伸張力が1.5mN/dtexよりも小さくなると、得られる前駆体繊維の分子配向が不充分となり、得られる炭素繊維のYMが低下することがある。
【0184】
前延伸での張力は延伸温度と延伸倍率によって制御できるが、PAN系重合体の種類によって変わるので、張力を合わせることが重要である。特に、PAN系重合体のMz(P)が大きいと張力が大きくなるため、延伸倍率を落とすか延伸温度を上げることが必要である。なお、前延伸での張力とは、前延伸工程中の糸条進行に対するローラー直前で張力を測定し、その測定値の中で最大の張力を意味する。乾湿式紡糸で複数の延伸浴中で前延伸を行う場合、最大延伸張力発現箇所は、最後部の浴である場合が多い。一方、湿式紡糸の場合は、凝固浴出の引取ローラー付近である場合が多い。張力は、張力計により走行する糸条を挟み込んで荷重を測定し、測定箇所の工程糸条を定長絶乾させて絶乾繊度(dtex)を測定し、荷重を絶乾繊度で割って求めることができる。
【0185】
前延伸での延伸温度は、好ましくは60〜95℃、より好ましくは65〜85℃、更に好ましくは65〜75℃とする。張力を下げる観点から延伸温度は高い程好ましいが、95℃よりも高い場合、単繊維間で接着が発生し、品位が低下することがある一方で、60℃よりも低い場合、延伸性が悪くなり生産性が低下することがある。前延伸を複数の延伸浴中で行う場合、延伸温度とは、その中で最大浴槽温度を指す。
【0186】
前延伸での延伸倍率は、1〜5倍であることが好ましく、1〜3倍であることがより好ましい。延伸張力を下げるためには延伸倍率が小さい方がよいが、延伸倍率が1倍未満であると分子配向緩和が生じ、強度、耐熱性ともに劣ったものになることが多い一方、5を超える延伸倍率であると、良好な寸法安定性が保てなくなるばかりか、単繊維間接着が起こり、製糸性が低下するだけでなく、炭素繊維を得る場合の焼成工程においても、毛羽が発生し、物性低下となりやすい。前延伸での延伸倍率とは、前延伸工程の最終ローラー回転速度を凝固浴出の引取ローラー回転速度で割った値である。
【0187】
上記した前延伸工程の後、単繊維同士の接着を防止する目的から、前延伸された糸条にシリコーン等からなる油剤を付与することが好ましい。シリコーン油剤を用いる場合、耐熱性の高いアミノ変性シリコーン等の変性されたシリコーンを含有するものを用いることが好ましい。特開2006−183159号公報、特開2006−225808号公報、特開2007−39866号公報に記載された油剤を用いると均一な耐炎化処理ができ、炭素繊維の単繊維引張弾性率のばらつきが低減できるため好ましく用いられる。
【0188】
前延伸された糸条は次に乾燥熱処理される。乾燥熱処理での最高温度は70〜200℃であることが好ましく、160〜190℃であることがより好ましい。乾燥熱処理での処理時間は10秒から200秒が好ましい結果を与える。乾燥熱処理での最高温度が160℃を下回ると、得られる炭素繊維前駆体繊維の緻密性が不充分となり、本発明の炭素繊維が得にくくなる場合がある。また、乾燥熱処理での最高温度が200℃を超えると、単繊維間の融着が顕著となり、炭素繊維とした場合に、得られる炭素繊維の引張強度が低下することがある。乾燥熱処理において、糸条の収縮に合わせた1以下の延伸倍率でも構わないが、乾燥熱処理と同時に延伸を行うことも工程簡略化の観点から好ましいものである。
【0189】
生産性の向上や結晶配向度の向上を目的として、乾燥熱処理された糸条を後延伸して炭素繊維前駆体繊維を得ることが多い。後延伸を行う場合には加熱媒体中で行うのが一般的である。加熱熱媒としては、例えば、加圧水蒸気あるいは過熱水蒸気が操業安定性やコスト、前駆体繊維の結晶配向度向上、延伸ばらつき低減の面で好適に用いられる。
【0190】
用いられる加圧水蒸気、いわゆるスチーム延伸の好適な方法について述べる。スチーム延伸装置は、糸条通過口を有するシール部材を両端側に有する延伸チューブにスチーム吹き込み口を備えた延伸装置であり、上記の延伸チューブには、繊維糸条導入側に予熱域が設けられ、繊維糸条取り出し側に加熱域が設けられ、2領域で分割されているものである。繊維糸条取り出し側の加熱域にスチーム吹き込み口を設けるとともに、予熱域と加熱域の2領域の間に糸条通過口を有するシール部材を配置することが好ましい態様である。ここで、繊維糸条導入側を予熱域と呼び、繊維糸条取り出し側を加熱域と呼ぶことがある。
【0191】
スチーム延伸装置では、スチームにより乾燥された繊維糸条を可塑化し延伸するが、延伸チューブの繊維糸条導入側と繊維糸条取り出し側にスチームの使用量を減らすため、または糸道を規制するためにシール部材を有している。乾燥された繊維糸条は、このスチーム延伸装置中を通過する間にスチームにより加圧加温され、引取ローラー(ドローローラー)により延伸され、延伸チューブの前段である予熱域で予熱され、後段である加熱域で延伸される。
【0192】
ここでの延伸倍率は、生産性の向上や結晶配向度の向上のために3〜10倍であることが好ましい。延伸倍率は、より好ましくは4.5〜7倍であり、さらに好ましくは5〜6倍である。延伸倍率が4倍未満では、生産性および結晶配向度の観点から好ましくなく、10倍を超えると糸切れや毛羽発生の問題から好ましくない。予熱域での延伸倍率は、1〜2倍であることが好ましく、より好ましくは1〜1.5倍であり、さらに好ましくは1〜1.2倍である。加熱域で残りを延伸することが好ましい。予熱域の延伸倍率が2倍を超える場合は十分な予熱を経ずに延伸されるため、延伸むらが発生することがある。
【0193】
予熱域の圧力は、0.05〜0.7MPaであることが好ましく、より好ましくは0.1〜0.5MPaであり、さらに好ましくは0.13〜0.3MPaである。予熱域の圧力が0.05MPa未満では繊維糸条の昇温に時間を有するため、延伸チューブ長を長く取る必要があり、生産性向上に適さないことがある。また、予熱が不十分であるため、毛羽発生などの品位低下やローラー巻付き等の操業性不良を起こすことがある。また、予熱域の圧力が0.7MPaを超えると、延伸が開始される可能性がある。
【0194】
予熱域の圧力は、加熱域の圧力より0.05〜0.3MPa低いことが好ましい。PAN系重合体の分子量にもよるが、繊維糸条はある一定の温度で延伸されるため、予熱域では延伸されず繊維糸条が素早く温められることが好ましい。
【0195】
加熱域の圧力は、0.3〜1MPaであることが好ましく、より好ましくは0.4〜0.8MPaであり、さらに好ましくは0.5〜0.7MPaである。加熱域の圧力が0.3MPa未満では、繊維糸条の温度が低い状態で無理に延伸されるため、毛羽発生などの品位低下や巻付き、断糸等の操業性不良を起こす可能性がある。また、加熱域の圧力が1MPaを超えると、温度が高くなりすぎて単繊維同士が融着を起こす可能性がある。
【0196】
スチームは、温度と圧力の関係から、飽和スチーム、湿りスチームおよび過熱スチームに分類される。通常の溶液重合法で得られる重合体を用いた場合には、圧力の割に温度を低くし、湿り度を増やした湿りスチームを用いることにより可塑性を高め、延伸性が高められてきた。
【0197】
しかしながら、本発明で用いられるPAN系重合体の場合には、スチームの湿り度を増やすと延伸性が低下したことから、分子量分布が高分子量側に広い特殊な重合体に適応した延伸条件を検討したところ、加熱域のスチームの湿り度は0.1〜5%であることが好適であると判明した。湿り度は、より好ましくは0.1〜2%である。本発明で用いられるPAN系重合体は、分子量分布が広いため、スチームの湿り度が5%を超え可塑性が高まると高分子量成分の効果が発揮されないが、可塑化の程度を適切に制御することにより、絡み合いが多く残っている高分子量成分が優先的に延伸され、絡み合い点間分子量が均一に近づくため、延伸性が高まると推定される。
【0198】
予熱域は、素早く繊維糸条を昇温する観点からスチームの湿り度は低いことが好ましく、スチームの湿り度は0〜5%であり、より好ましくは0〜1%である。スチーム湿り度が5%を超えると、繊維糸条の昇温が遅れ、加熱領域で十分に延伸されない可能性がありこのましくない。予熱域では、昇温が素早くできる湿り度0%の飽和スチームあるいは過熱スチームにより延伸することも本発明の好ましい態様である。
【0199】
また、加熱域に供給されるスチームの湿り度は、加熱域のスチーム湿り度と同等以下とすることが好ましい。湿り度を制御しない場合は、配管内壁付近でドレンが発生し、湿り度が増大していることがあり好ましくない。また、供給されるスチームの湿り度を1%に制御したとしても、シール部材の構成によっては延伸チューブ内の湿り度は増大することがあるので、供給されるスチームの湿り度は低い方が延伸チューブ内の湿り度は制御しやすい。
【0200】
スチームの湿り度は、例えば飽和スチームをその配管の途中で冷却することにより容易に制御することができ、Qwを冷却水量(Kg/Hr)、Δtを冷却水のスチーム冷却前後の温度差(℃)、Cpを冷却水比熱(Kcal/Kg℃)、Qsをスチーム流量(Kg/Hr)、rをスチーム潜熱(Kcal/Kg)、Xsをスチーム湿り度(%)としたとき、湿り度はQw・Δt・Cp=Qs・r・Xs/100で定義される。また、延伸チューブ内の予熱域と加熱域のそれぞれのスチーム湿り度の測定には、絞り乾き度計が用いられる。絞り乾き度計は、断熱容器の中で湿り蒸気を絞ることによって乾き蒸気に変え、その状態を測定してもとの乾き度を求めるものである。湿り度=100−乾き度(%)から算出される。
【0201】
スチームの湿り度の制御方法についてより詳しく説明する。スチーム延伸装置に供給されるスチームの余分なドレンを分離した後、除熱を行い、飽和スチームを得て所定の圧力に設定する。次いで、再びドレンの分離を行い、温度および流量をコントロールした冷却水にて除熱することにより加湿を行い、湿り度を制御することができる。
【0202】
予熱域と加熱域のスチームの湿り度を別々に制御するためには、別のラインで湿り度を制御されたスチームを供給する方法や、予熱域あるいは加熱域をジャケット加熱することによりスチームの湿り度を低下させる方法や、シール部材の構成によりスチームの湿り度を制御する方法があるが、簡便性の観点から、シール部材の構成で制御することが好ましい。
【0203】
図5は、好適に用いられるシール部材を例示説明するための概略側面図と断面図である。すなわち、図5において、シール部材Fの最小内径長さ20から求めた最小内径断面積19の逆数と最小内径長さ20の積が、延伸チューブの繊維糸条導入側にあるシール部材の糸条通過口>延伸チューブの予熱域と加熱域の間のシール部材の糸条通過口>延伸チューブの繊維糸条取り出し側にあるシール部材の糸条通過口の関係になるように制御することが好ましい。
【0204】
具体的には、延伸チューブの繊維糸条導入側にあるシール部材において、最小内径断面積は、導入する糸条断面積の4〜10倍とし、最小内径長さは、40〜200mmとすることが好ましい。最小内径断面積の逆数と最小内径長さの積において、延伸チューブの繊維糸条導入側にあるシール部材の糸条通過口と延伸チューブの予熱域と加熱域の間のシール部材の糸条通過口の比は、1.1以上であることが好ましく、1.2以上であることがより好ましく、2もあれば十分である。最小内径断面積の逆数と最小内径長さの積において、延伸チューブの予熱域と加熱域の間のシール部材の糸条通過口と延伸チューブの繊維糸条取り出し側にあるシール部材の糸条通過口の比は1.5以上であることが好ましく、2以上であることがより好ましく、10もあれば十分である。
【0205】
また、前駆体繊維の水分率は、0.5〜2.5%であることが好ましい。かかる水分率は、予熱域および加熱域の湿り度を反映しており、耐炎化工程への負荷を増すため低いほど好ましいが、0.5%未満であると前駆体繊維の集束性が不足することがある。
【0206】
次に、図面に基づいて具体的に説明する。
【0207】
図4は、好適に用いられる加圧スチーム延伸装置を例示説明するための概略側面図である。
【0208】
図4において、スチーム延伸装置を構成する延伸チューブBは、繊維糸条Aの繊維糸条導入口11を有する前段シール部材14と繊維糸条取り出し口12を有する後段シール部材16をその両端側に備え、かつ、加圧スチームのスチーム吹き込み口13に隣接して予熱域Cと加熱域Eの間に中段シール部材15を設けた円筒状容器から構成されている。スチーム延伸装置の延伸チューブBに供給される加圧スチームは、圧力制御装置(図示せず)で圧力制御された後、スチーム吹き込み口13から延伸チューブBに導入される。
【0209】
スチーム吹き込み口13の位置は、繊維糸条Aの予熱と延伸が十分に行われることを考慮し、延伸チューブBの中央部付近の加熱域E側に設けることが好ましい。
【0210】
加熱域E側から導入されたスチームは、予熱域Cと加熱域Eの間の糸条通過口を有する中段シール部材15と糸条通過口を有する後段シール部材16によりシールされている。これらの中段シール部材15と後段シール部材16の断面積が大きくなるほど、また両シール部材15,16の長さが短くなるほど、温度は低下しにくいが圧力が低下しやすくなる。そのため、繊維糸条取り出し側の糸条通過口の後段シール部材16の最小内径から求めた断面積の逆数と最小内径部分の長さの積を小さくするほど、湿り度は小さくなり好ましい態様である。最小内径の好ましい範囲は、繊維糸条のトータル繊度により、繊維糸条の断面積の2〜5倍であることが好ましい。最小内径は、繊維糸条の擦過とも関係するため、最小内径部分の長さで最小内径から求めた断面積の逆数と最小内径部分の長さの積を制御することが好ましい。加熱域Eのスチーム圧力と温度は低下するが、好ましい延伸温度は、重合体分子量分布に依存するため、スチームの供給圧力を高めることにより延伸温度を制御することができる。
【0211】
予熱域Cと加熱域Eの圧力差は、各シール部材、シール部材の断面積およびシール部材の長さを調節することにより制御することができる。繊維糸条が円滑に通過し、かつ、延伸チューブB内の圧力バランスが適性に保たれるように、各シール部材の断面積と長さを調節することが好ましい。具体的には、最小内径断面積の逆数と最小内径部分の長さの積において、延伸チューブの繊維糸条導入側にあるシール部材の糸条通過口の値と延伸チューブの予熱域と加熱域の間のシール部材の糸条通過口の値を足したものと、延伸チューブの繊維糸条取り出し側にあるシール部材の糸条通過口の値の比が、4〜20となるように設定する。この値が小さいと予熱域と加熱域の圧力差が小さくなる。
【0212】
繊維糸条Aは、フィードローラー17とドローローラー18の間で延伸される。後延伸での張力は1.8〜6mN/dtexであることが好ましく、3〜6mN/dtexであることがより好ましく、4〜5.8mN/dtexであることが更に好ましい。後延伸での張力が6mN/dtexよりも大きくなると、分子鎖の切断が起こり、Mz(F)/Mw(F)を低下させることが多い。後延伸での張力を1.8mN/dtexよりも小さくするためには、延伸倍率を下げるか、もしくは加圧水蒸気を加熱媒体として用いる場合、その圧力を上げる手法があるが、前者は生産性を損ない、後者は溶断による延伸切れが発生しやすい。加圧水蒸気を加熱媒体として用いる場合、後延伸での張力は、延伸倍率と加圧水蒸気圧によって制御できるが、PAN系重合体の種類によって変わるので、張力を合わせることが重要である。後延伸での張力は、延伸チューブなどの延伸ゾーンから出た直後の走行する糸条を張力計により挟み込んで荷重を測定し、測定箇所の糸条を定長絶乾させて絶乾繊度(dtex)を測定し、荷重を絶乾繊度で割って求めることができる。また、繊維糸条のスチーム延伸においては、延伸チューブBの繊維糸条導入側の張力よりも繊維糸条取出し側の張力を0.5〜3mN/dtex高くすることが好ましく、より好ましくは1〜2mN/dtexである。繊維糸条取出し側の張力より繊維糸条導入側の張力が高いか、または繊維糸条導入側と繊維糸条取出し側の張力差がないと、延伸点が加熱域E側から予熱域C側にずれて低い温度で延伸され、毛羽発生の原因となることがある。繊維糸条取出し側の張力が繊維糸条導入側の張力より3mN/dtexを超えると加熱域Eが狭くなっている可能性があり、満足する延伸性が得られないことがある。
【0213】
スチーム延伸する際の繊維糸条を構成する単繊維の数は、10000本以上であることが好ましい。通常、フィラメント数(単繊維数)を増やすと不均一な延伸状態となり、延伸性は低下しやすいが、本発明のスチーム延伸条件においては、湿り度が少ないため、均一に繊維糸条が昇温され、顕著に延伸性を高める効果が現れる。また、延伸チューブの数を減らすことができるため、工程管理が簡便になるだけでなく、延伸チューブによる延伸状態の差が減少するため、前駆体繊維としても均一なものが得られる。
【0214】
常法の製糸条件を適用しても製糸工程の操業性に問題を生じないが、上述のような紡糸工程での延伸張力を制御して、紡糸溶液におけるPAN系重合体の分子鎖を極力切断することなく繊維化することが好ましい。具体的には、得られる前駆体繊維において繊維の重量平均分子量Mw(F)が次式を満たすように製糸工程での延伸張力を制御することによって、炭素繊維を製造するための焼成工程における延伸時の繊維の破断を抑制できるのである。
【0215】
0.8≦Mw(F)/Mw(P)≦1
このとき、要件[b]〜[e]のいずれかを満たすPAN系重合体溶液を用い、上述の通り前駆体繊維を製造することで達成することができる。高分子量のPANが紡糸工程での延伸時の応力を優先的に負担することで前駆体繊維の分子量低下抑制が可能となる。
【0216】
PAN系重合体の分子量がある程度大きくなると焼成工程における延伸性が向上することが知られているが、Mw(F)/Mw(P)が0.8未満であると、分子量相応のPAN系前駆体繊維と同程度に焼成工程における延伸時に繊維が破断してしまう。かかる関係式を満たすことにより、炭素繊維を製造するための焼成工程における延伸時の繊維の破断が抑制されるという効果が生み出される作用については定かではないが、次のように推定している。Mw(P)よりもMw(F)の方が小さくなるということは、紡糸溶液から前駆体繊維に繊維化される工程中で分子鎖が切断されていることを意味し、何らかの分子量分布の再調整が行われていることになる。その際、重合体における高分子量側の成分はより劣化される機会が多く、高分子量成分が張力を伝播することで、部分的ではなく均一な分子配列を伴うため、焼成時の繊維の破断が抑制されると推定している。しかし、Mw(P)とMw(F)の差が大きい場合、分子鎖が切断された部分は炭素化する過程で欠陥となるため、焼成工程での延伸性が低下すると推定している。また、上述のように制御したことで欠陥の生成ばらつきを低減できたものと推定している。
【0217】
本発明の炭素繊維を得るに好適に用いられる前駆体繊維は、重量平均分子量Mw(F)が20万〜70万、好ましくは30万〜50万であるPAN系重合体からなる。Mw(F)が20万未満の低分子量のPAN系重合体からなる場合、前駆体繊維の強度が低下して耐炎化工程で毛羽が発生しやすくなる。また、Mw(F)が70万を越えるような高分子量のPAN系重合体からなる場合、紡糸溶液における重合体の重量平均分子量Mw(P)が70万を越えるように設定する必要があり、その場合、分子鎖同士の絡み合いが多くなり伸びきり鎖長を大きくするためには重合体濃度を下げて準希薄溶液で絡み合いを下げて延伸することもできるが、生産性してしまう。Mw(F)はMw(P)と同じか低下するが、上述の通り紡糸工程の条件によって制御される。
【0218】
また本発明の炭素繊維を得るに用いられる前駆体繊維は、前駆体繊維を構成するPAN系重合体の多分散度Mz(F)/Mw(F)(Mz(F)は、繊維のZ平均分子量を表す)が2〜5であることが好ましく、より好ましくは、2.5〜4であり、さらに好ましくは、3〜4である。Mz(F)/Mw(F)が2未満では、耐炎化工程以降の毛羽の発生を抑制する効果が不足する。また、Mz(F)/Mw(F)が高いほど耐炎化工程以降の毛羽発生を抑制する効果が高まるため好ましいが一方で、Mz(F)/Mw(F)が5を越えるような繊維は、それを得るための紡糸溶液における重合体の絡み合いが大きくなりすぎて、吐出が困難となるため、得ることが困難である。このように制御することで焼成工程での欠陥の拡大が抑制され、その顕著な例である毛羽が低減する。
【0219】
かかる前駆体繊維を用いることにより、耐炎化工程以降における毛羽の発生が抑制されるという効果が生み出される作用については定かでは無いが、次のように推定している。高強度・高弾性率のPAN系繊維は、従来から高分子量のPAN系重合体を高度に延伸することでPAN分子の伸びきり鎖を形成させ、非晶部分や分子末端を減少させるというポリエチレンに代表されるような他の有機繊維と同様の手法により製造される。しかしながら、重合体溶液中の重合体の絡み合いを制御するために重合体濃度を下げる必要があり、生産性が低下する上、多フィラメントで耐炎化しようとするとフィラメント間のばらつきによりわずかな割合で繊維が破断し、毛羽となる。従来対比高分子量の超高分子量PAN系重合体は超高分子量ではない通常のPAN系重合体より変形した分子が元の形に戻るまでの時間、いわゆる緩和時間が長いため、PAN系重合体溶液中に、超高分子量PAN系重合体をわずかに含むことで前駆体繊維の製造工程において、超高分子量PAN系重合体が優先的に延伸され、伸びきり鎖を形成する。得られた前駆体繊維では、あたかも高強度・高弾性率PANの伸びきり鎖がフィラーとして作用された状態となり、前駆体繊維に引張応力が負荷された際に、マトリックスである配向した通常のPAN系重合体が破断しかけたとき、超高分子量PANの伸びきり鎖を迂回して破壊の進展が起こることや、超高分子量PANの伸びきり鎖が応力を負担し、破壊エネルギーを負担することや、分子の引き抜けが起きることで、破壊靭性値が上がり、耐炎化工程での破断伸度の低い単繊維がなくなったのではないかと考えている。
【0220】
また、本発明の炭素繊維を得るに好適に用いられる前駆体繊維は、130℃において1.5g/dtexの荷重を加えたときの単繊維のクリープ速度が0.01〜0.1%/分、好ましくは0.04〜0.1%/分、より好ましくは0.04〜0.06%/分である。クリープ速度とは、一定荷重を負荷し続けた際の変形速度のことで、最終製品とする場合には通常変形しない、すなわち、低クリープ速度であることが求められることが多い。しかしながら、炭素繊維の中間繊維である前駆体繊維においては、これまで着目されてこなかったものである。本発明者らは、最終製品としては通常低い方が好ましいと考えられてきたクリープ速度が、炭素繊維前駆体繊維にあっては低い必要はなく、むしろ高い方が望ましい。すなわち、高い結晶配向度の割に大きなクリープ速度を有することが、一定荷重が負荷され続ける耐炎化以降の工程で無理に変形を妨げず、単繊維レベルの糸切れを抑制できるものと考えている。そのため、クリープ速度が0.01%/分より小さいと、延伸性が低下し、耐炎化工程での毛羽発生が増加する。また、クリープ速度が0.1%/分より大きいと、毛羽立ちや糸切れを抑制する効果は得られるが、その効果は飽和しているため、更に前駆体繊維製造時の延伸倍率を高めるべきである。
【0221】
かかるクリープ速度が上記範囲内である前駆体繊維を得るには、繊維の絡み合い点数を減らすことが必要であり、延伸を多段で行い、絡み合い点を拘束させずに絡み合いを解きながら延伸する方法や、PAN系重合体溶液を準希薄溶液状態として凝固、延伸する方法が考えられるが、工業的には、要件[b]〜[e]のいずれかを満たすPAN系重合体溶液を用いることで最も好適に実現される。
【0222】
また、前駆体繊維は強度が700〜1500MPaであることが好ましい。強度が700MPaを下回ると耐炎化工程での高張力に耐えられないことがあり、強度は高いほど好ましいが、1500MPaが工業的には限界である。
【0223】
また、前駆体繊維の単繊維引張強度のワイブル形状係数は9以上であることが好ましい。ワイブル形状係数は単繊維引張強度のばらつきを示すものであり、9以上であり、高いほど炭素繊維製造工程での毛羽抑制の観点から好ましく、20以下が工業的な限界である。
【0224】
このようにして得られた前駆体繊維は、単繊維繊度が、好ましくは0.1〜1.2dtex、より好ましくは0.2〜1.0dtex、さらに好ましくは0.3〜0.8dtexである。前駆体繊維の単繊維繊度が小さすぎると、ローラーやガイドとの接触による糸切れ発生などにより、製糸工程および炭素繊維の焼成工程のプロセス安定性が低下することがある。一方、単繊維繊度が大きすぎると、耐炎化後の各単繊維における内外構造差が大きくなり、続く炭化工程でのプロセス性低下や、得られる炭素繊維の引張強度および引張弾性率が低下することがある。本発明における単繊維繊度(dtex)とは、単繊維10,000mあたりの重量(g)である。
【0225】
前駆体繊維の広角X線により測定されるπ400面の結晶配向度は、90〜95%であることが好ましく、より好ましくは92〜95%である。結晶配向度が90%を下回ると、得られる炭素繊維のYMが低下することがある。一方、結晶配向度が95%を越えると、工業的に達成することが困難となり、毛羽が発生することがある。ただし、前駆体繊維のMz(F)/Mw(F)を制御することで、その範囲から外れた前駆体繊維と比べ、同等の結晶配向度でも耐炎化工程での毛羽の発生を抑制できる。
【0226】
用いる前駆体繊維は、通常、連続繊維(フィラメント)の形状である。また、その1糸条(マルチフィラメント)当たりのフィラメント数は、好ましくは1,000〜3,000,000本、より好ましくは12,000〜3,000,000本、さらに好ましくは24,000〜2,500,000本、最も好ましくは24,000〜2,000,000本である。本発明の炭素繊維を得るに好適な前駆体繊維は、延伸性が高いことから単繊維繊度を小さくできるため、マルチフィラメントとして所望の総繊度にしようとすると、1糸条あたりのフィラメント数を増やすことになる。ただし、1糸条あたりのフィラメント数は、生産性の向上の目的からは多い方が好ましいが、あまりに多すぎると、束内部まで均一に耐炎化処理できないことがある。
【0227】
次に、上記した前駆体繊維を用いて炭素繊維を得る方法について説明する。
【0228】
前記のような前駆体繊維を、200〜300℃の温度の空気中において延伸比0.8〜1.5で延伸しながら耐炎化する耐炎化工程と、耐炎化工程で得られた繊維を、300〜800℃の温度の不活性雰囲気中において延伸比0.9〜1.3で延伸しながら予備炭化する予備炭化工程と、予備炭化工程で得られた繊維を1,000〜2,000℃の温度の不活性雰囲気中において延伸比0.95〜1.05で延伸しながら炭化する炭化工程を順次経て炭素繊維を得ることができる。
【0229】
耐炎化とは、空気を4〜25mol%以上含む雰囲気中において、200〜300℃で熱処理する工程をいう。通常、工程通過速度の違いから紡糸工程と耐炎化工程以降は非連続であるが、紡糸工程と耐炎化工程の一部もしくは全てを連続的に行っても構わない。
【0230】
耐炎化する際の延伸比は、0.8〜1.5、好ましくは0.9〜1.2、より好ましくは0.9〜1.0とする。耐炎化する際の延伸比が0.8を下回ると、得られる耐炎化繊維の配向度が不充分となり、また、得られる炭素繊維のYMが低下する。また、耐炎化する際の延伸比が1.5を超えると、毛羽発生、糸切れ発生により、生産安定性が低下するばかりか、炭素繊維のワイブル形状係数mが小さくなる。本発明で好適に用いられる前駆体繊維を用いることで耐炎化工程での毛羽抑制ができ、かつ、均質な耐炎化繊維が得られる。また、耐炎化延伸張力が0.1〜0.25g/dtexとすることが好ましい。延伸張力が0.1g/dtex未満のときは、耐炎化繊維の配向度を向上させることが困難であり、0.25g/dtexを越えるときは、耐炎化工程で毛羽が発生しやすくなる。
【0231】
また、上述の条件を設定することにより、得られる耐炎化繊維の単繊維引張強度のワイブル形状係数を、18〜30とすることが好ましく、より好ましくは20〜30である。かかるワイブル形状係数が18を下回ると、得られる炭素繊維のワイブル形状係数mが低下することがある。一方、ワイブル形状係数が30を越えると、効果はほぼ飽和していることが多い。
【0232】
耐炎化の処理時間は、10〜100分の範囲で適宜選択することができるが、続く予備炭化の生産安定性、および、得られる炭素繊維の力学物性向上の目的から、得られる耐炎化繊維の比重が1.3〜1.38の範囲となるように設定することが好ましい。特に、同じ比重であっても高温で短時間の耐炎化処理をすることが炭素繊維のワイブル形状係数mを高め、その屈曲度合を低減する上で好ましい。
【0233】
耐炎化工程において、加熱する形態は、電気ヒーターやスチーム等で加熱した空気の中に前駆体繊維を通過させるテンターや赤外線加熱装置のような非接触式と、プレート式ヒーターやドラム式ヒーター等のような接触式のいずれもが用いられるが、熱伝達効率の点で、加熱の少なくとも一部を接触式加熱方式とすることが好ましく、加熱の全部を接触式加熱方式とすることがより好ましい。 予備炭化、および、炭化は、不活性雰囲気中で行なわれるが、用いられる不活性ガスとしては、例えば、窒素、アルゴン、および、キセノンなどが用いられる。経済的な観点からは、窒素が好ましく用いられる。
【0234】
予備炭化の温度は、300〜800℃とする。なお、予備炭化における昇温速度は、500℃/分以下に設定されることが好ましい。
【0235】
予備炭化を行う際の延伸比は、0.9〜1.3、好ましくは1.0〜1.2とする。予備炭化を行う際の延伸比が0.9を下回ると、得られる予備炭化繊維の配向度が不充分となり、炭素繊維のYMが低下する。また、予備炭化を行う際の延伸比が1.3を超えると、毛羽発生や糸切れ発生により、プロセス性が低下するばかりか、炭素繊維のワイブル形状係数mが低下する。
【0236】
炭化の温度は、1,000〜2,000℃、好ましくは1,200〜1800℃、より好ましくは1,300〜1,600℃とする。一般に炭化の最高温度が高いほど、炭素繊維のYMは高まるものの、引張強度は1,500℃付近で極大となるため、両者のバランスを勘案して、炭化の温度を設定する。
【0237】
炭化を行う際の延伸比は、0.95〜1.05、好ましくは0.96〜1.02、より好ましくは0.97〜1.00とする。炭化を行う際の延伸比が0.95を下回ると、得られる炭素繊維の配向度や緻密性が不充分となり、炭素繊維のYMが低下する。また、炭化を行う際の延伸比が1.05を超えると、毛羽発生や糸切れ発生により、プロセス性が低下するばかりか、炭素繊維のmが低下する。
【0238】
得られた炭素繊維はその表面改質のため、電解処理することができる。電解処理に用いられる電解液には、硫酸、硝酸および塩酸等の酸性溶液や、水酸化ナトリウム、水酸化カリウム、テトラエチルアンモニウムヒドロキシド、炭酸アンモニウムおよび重炭酸アンモニウムのようなアルカリまたはそれらの塩を水溶液として使用することができる。ここで、電解処理に要する電気量は、適用する炭素繊維の炭化度に応じて適宜選択することができる。
【0239】
電解処理により、得られる繊維強化複合材料において炭素繊維マトリックスとの接着性が適正化することができ、接着が強すぎることによる複合材料の脆性的な破壊や、繊維方向の引張強度が低下する問題や、繊維方向における引張強度は高いものの樹脂との接着性に劣り、非繊維方向における強度特性が発現しないという問題が解消され、得られる繊維強化複合材料において、繊維方向と非繊維方向の両方向にバランスのとれた強度特性が発現されるようになる。
【0240】
電解処理の後、炭素繊維に集束性を付与するため、サイジング処理を施すこともできる。サイジング剤には、使用する樹脂の種類に応じて、マトリックス樹脂等との相溶性の良いサイジング剤を適宜選択することができる。
【0241】
本発明の炭素繊維は、主に、後述するようなクリンプを有する織物の織糸として用いられ、プリプレグとしてオートクレーブ成形、織物などのプリフォームとしてレジントランスファーモールディングで成形、およびフィラメントワインディングで成形するなど種々の成形法により、航空機部材、圧力容器部材、自動車部材、釣り竿およびゴルフシャフトなどのスポーツ部材として好適に用いられる。中でも特に、航空機部材として使用することが炭素繊維の物性バランスとして好ましく、補強織物を織物プリプレグとしてCFRPに成形することや織物基材を用いて真空成形することが好ましい。
【0242】
本発明の炭素繊維を織糸とする補強織物は、炭素繊維単独または必要に応じ他の化学繊維などと組み合わせたものから成り、通常クリンプを有している。その形態としては、繊維方向がほぼ同方向に引き揃え、バインダーなどで一体化させた一方向織物や、多方向織物を使用することができるが、特に、高力学物性および炭素繊維の体積含有率が高いCFRPが得られるという点では、炭素繊維が実質的に一方向に配向されており、ガラス繊維または化学繊維で固定されたいわゆる一方向織物が好ましく用いられる。
【0243】
一方向織物としては、例えば、炭素繊維束をたて糸として一方向に互いに平行に配置し、それと直交するガラス繊維または化学繊維からなるよこ糸とが、互いに交差して織組織をなしたものや、炭素繊維束からなるたて糸とこれに平行に配列されたガラス繊維または化学繊維からなる細繊度繊維束の補助たて糸と、これらと直交するように配列されたガラス繊維または化学繊維からなる細繊度繊維束のよこ糸からなり、該補助たて糸と該よこ糸が互いに交差することにより、ほとんど炭素繊維束が屈曲しない状態で一体に保持されて織物が形成されている、いわゆるノンクリンプ構造の織物等が挙げられる。ノンクリンプ織物であっても補助糸によってわずかに炭素繊維束がクリンプしているため、本発明の効果が生じる。
【0244】
また、本発明においては一方向織物に限定されず炭素繊維をたて糸およびよこ糸とした従来公知の二方向織物を用いることもできる。なかでもたて糸とよこ糸が1本交互に浮き沈みして交錯する平織構造が織糸の交錯点数が多く、形態が安定しやすいことから好ましい。さらに、たて糸とよこ糸の交錯点数が多いため、面に垂直な衝撃力、あるいは繊維軸方向圧縮応力などあらゆる応力が作用してもたて糸とよこ糸の二つの面が剥離するようなことがなく、高い力学的特性を発揮することができるという点で本発明で特に好ましく用いられる。本発明の炭素繊維は、高いレベルで高引張・圧縮強度、高弾性率であることを示すものであり、CFRPとして高い物性が得られやすいため、使用量を減らし、薄物とすることができるので、軽量化に寄与する。しかしながら、薄物とするためには炭素繊維束の開繊による炭素繊維束の厚み低減が必要となり、開繊工程での毛羽抑制が必要である。また、高弾性率の炭素繊維の場合は、製織工程中のガイドなどの擦過で応力集中した場合、毛羽が生成しやすい。そのため、mが6以上である炭素繊維を用いると毛羽抑制でき、大幅に製織性が向上する。加えて、補強織物は多少なりともクリンプを有するものであり、応力集中が発生する。mと、補強織物を用いたCFRP物性との関係は定かではないが、応力集中が欠陥先端により発生しやすく、その欠陥サイズの分布が大きいほどCFRPの破断としては低応力で起こるのではないかと推測している。そのため、クリンプが大きいほど本発明の効果を発揮し、上記二方向織物の優れた特性とトレードオフであった引張強度発現率を両立するものとなる。mは高いほど好ましいが、10程度が工業的に製造できる限界であり、mが6未満であるとこれらの効果が少なくなり、特にCFRP物性向上効果は不明確となる。
【0245】
中でも特に、本発明の補強織物は、次のような特性を有していることが好ましい。次のような特性を有することでクリンプの低減や、繊維存在ばらつきによる応力集中が少なく、本発明の炭素繊維との相乗効果で、軽量かつ、高いCFRP物性を発現する。以下、本発明の補強織物として好適な特性について説明する。すなわち、繊度が2,400〜20,000dtexである炭素繊維束をたて糸とよこ糸とした平織組織の織物からなり、織物の断面において、互いに隣接する2本のたて糸またはよこ糸の中心を通る2本の垂線と該たて糸またはよこ糸と交錯する1本のよこ糸またはたて糸の中心線との交点を結んだ線と、前記たて糸またはよこ糸の配列方向に平行な線とのなす角度θ(以下、織糸角度θと略記することもある)が3度以下であり、かつ、カバーファクターが90%以上であることが好ましい。
織糸角度θは、互いに隣接する2本のたて糸の中心間距離をL、織物の厚みをtとすると、上記織糸角度θは次式により簡便的に求めることができる。
【0246】
織糸角度θ=tan-1(t/2L)
なお、織物の厚みtは、JIS−R7602(1995年)に準拠して容易に測定できる。すなわち、ダイアルゲージを用いて50,000Pa(510gf/cm2 )の荷重をかけた際の厚みである。
【0247】
そして、本発明の補強織物においては、上記織糸角度θが3度以下であることが好ましい。このように、織糸角度θを3度以下にすることで、織糸のクリンプが小さくなり、CFRPにして織糸方向に応力が作用しても交錯する織糸との交錯部で応力集中が生じることが少なく、本発明の炭素繊維と組み合わせることでそれの有する高い強度、弾性率が余すことなく発揮される。
【0248】
上記のようにクリンプが小さい、本発明に係る補強織物においては、高いカバーファクターとすることが好ましい。カバーファクターとしては90%以上とされる。高いカバーファクターの補強織物にすることにより、強化繊維充填密度の高いCFRPが得られ、また、CFRPにした場合に樹脂の偏在した部分が存在することがなく、炭素繊維が均一に分散し、高い強度、弾性率の材料となり、CFRPの大きな特徴である高い比強度、比弾性率が充分に発揮される。
【0249】
ここで、カバーファクターCfとは、織糸間に形成される空隙部の大きさに関係する要素で、織物上に面積S1 の領域を設定したとき、面積S1 内において織糸に形成される空隙部の面積をS2 とすると、次式で定義される値をいう。
【0250】
カバーファクターCf=[(S1 −S2 )/S1 ]×100
前記した織糸角度θの算出式から分かるように織糸間隔Lを大きくすれば、当然織糸角度θが小さくなり、交錯部での応力集中は回避できるものであるが、単に織糸間隔Lを大きくすれば、織糸間に大きい隙間が生じ、その部分に樹脂が偏在し、CFRPに成形する際に樹脂が多く必要となり、炭素繊維の含有率の低いCFRPとなってしまう。また、樹脂が多く偏在した部分が弱点となり、応力が作用するとその部分からクラックが生じ、強度の低い材料となってしまう。
【0251】
そのようなことから、織糸角度θが3度以下であって、かつカバーファクターを90%以上とすることで、前記したような問題が生じず、炭素繊維の有する特性を充分に発揮させることができるものである。
【0252】
上記のような織糸角度3度以下、さらには高いカバーファクターの補強織物は、たとえば扁平で実質的に撚りがない炭素繊維束を織糸とすることにより製造できる。
【0253】
ここで「実質的に撚りがない」とは、糸長1m当たりに1ターン以上の撚りがない状態をいう。つまり、現実的に無撚の状態をいう。織糸に撚りがあると、その撚りがある部分で糸幅が狭く収束して分厚くなり、製織された織物の表面に凹凸が発生する。このため、製織された織物は、外力が作用した際にその撚り部分に応力が集中し、CFRPに成形した場合に強度特性が不均一となってしまう。
【0254】
このような扁平状態の、実質的に撚りがない織糸からなる補強織物は、織糸の繊度を大きくしても、また繊維密度を大きくしても、各織糸の交錯部におけるクリンプは極めて小さく抑えられ、CFRPにした際に高い強度特性が得られる。織糸の繊度を上げられることから、織糸、ひいては補強織物が、より安価に製造される。
【0255】
また、クリンプが極めて小さく抑えられるので、織物目付を高く設定でき、かつ、織糸の扁平状態を確保した状態にてカバーファクターを100%近くに設定することが可能となる。したがって、CFRPにおいて、繊維含有率を高く設定できるとともに、織糸間の樹脂リッチな部分を極めて小さく抑えることができ、高強度でかつ均一な強度特性を有する複合材料が得られる。
【0256】
さらに、織物の形態で各織糸が扁平な状態に維持されているから、樹脂の含浸性が極めてよい。したがって、一層均一な特性の複合材料が得られ、目標とする強度特性が容易に得られる。
【0257】
このような補強織物においては、上記炭素繊維束の糸厚みが0.05〜0.2mm、糸幅/糸厚み比が30以上であることが好ましい。糸厚みが上記範囲未満であると、薄すぎて扁平糸の形態を保持するのが困難となり、上記範囲を越えると、クリンプを小さく抑えることが困難となる。また、糸幅/糸厚み比が30未満であると、扁平糸の形態の維持と同時にクリンプを抑えることの両方を同時に達成することが難しくなる。糸幅/糸厚み比の上限は特に限定しないが、現実の製織工程の行い易さを考慮すると、上限値は150程度である。また、糸幅としては、4〜16mmの範囲程度が製織しやすい。
【0258】
上記のような扁平な炭素繊維束をたて糸およびよこ糸とする織物とする場合には、織物厚みが0.07〜0.4mm、織物目付が120〜220g/m2 であることが好ましい。
【0259】
そして、炭素繊維束の繊度が2,400〜20,000dtexの範囲とされることが好ましく、より好ましくは4,800〜20、000dtexである。通常の織物においては、織糸が太ければ太い程、織糸のクリンプが大きくなり、しかも織物表面が凸凹する問題がある。本発明では、糸繊度が大きくても強度低下が少ないため、生産性の高いこのように繊度が2,400〜20,000dtexと太い炭素繊維束について特に効果を発揮するものである。
【0260】
また、上記のような炭素繊維束を用いた補強織物とする場合、より高いカバーファクターの実現が可能である。たとえば、織物目付と前記炭素繊維束の繊度とが次式の関係を満たし、かつ、カバーファクターが95%以上である補強織物にできる。
【0261】
W=k・D1/2
ただし、W:織物目付(g/m2
k:比例定数(1.2〜3.5)
D:炭素繊維束の繊度(dtex)
このような炭素繊維を用いることにより、より高い力学的特性を有したCFRPが得られる。
【0262】
本発明に係る補強織物は、たとえば次のような方法により製造できる。前述のような扁平で実質的に撚りがない炭素繊維束をたて糸および/またはよこ糸とし、その織糸の扁平度がくずれないように、かつ解舒撚りがかからないように横取り解舒し、織糸角度θが本発明範囲内に収まるように製織する。必要に応じて、製織中あるいは製織後に各織糸を開繊、拡幅するとよい。
【0263】
上記のような本発明の補強織物は、プリフォームやプリプレグ、さらにはCFRPの成形に供され、補強基材として優れた特性を発揮する。
【0264】
本発明で好適に用いられるプリフォームは、前記いずれかの本発明に係る補強織物を少なくとも1枚用いたものである。織物の織糸角度θが小さく、凹凸が極めて小さいので、これを用いたプリフォームは型へのフィット性が極めて良好であり、CFRPに成形した際にも表面が平滑になる。
【0265】
また、本発明のプリプレグは、前述の本発明の補強織物に30〜70重量%のマトリクス樹脂を含浸したものからなる。より好ましい樹脂量は35〜45重量%である。
【0266】
使用するマトリクス樹脂としては、エポキシ樹脂、不飽和ポリエステル樹脂、ポリイミド樹脂、フェノール樹脂等の熱硬化性樹脂が挙げられる。また、マトリクス樹脂として、ナイロン樹脂、ポリエステル樹脂、ポリブチレンテレフタレート樹脂、ポリエーテルエーテルケトン(PEEK)樹脂、ビスマレイミド樹脂等の熱可塑性樹脂も使用することができる。
【0267】
このようなプリプレグを用いたCFRPにおけるマイクロクラックの発生を防ぐためには、マトリクス樹脂の硬化または固化状態における引張破断伸度を補強織物の炭素繊維の引張破断伸度よりも大きくすることが効果的である。たとえば、マトリクス樹脂が、硬化状態における引張破断伸度が3.5〜10%の熱硬化性樹脂または固化状態における引張破断伸度が8〜200%の熱可塑性樹脂であることが好ましい。
【0268】
また、本発明で得られるCFRPは、本発明の補強織物を含み、かつ、30〜70重量%のマトリクス樹脂を含むものからなる。マトリクス樹脂としては、前記と同様の熱硬化性樹脂または熱可塑性樹脂が使用できる。また、マトリクス樹脂の引張破断伸度が補強織物の強化繊維糸の引張の破断伸度よりも大きいことが好ましく、引張破断伸度が3.5〜10%の熱硬化性樹脂または引張破断伸度が8〜200%の熱可塑性樹脂を使用することが好ましい。
【0269】
プリプレグを用いたCFRPは公知の方法で成形することができる。プリプレグを所定の枚数を所定の方向に積層し、マトリクス樹脂が熱硬化性樹脂の場合は100〜200℃で加熱しながら0.4〜1MPaの加圧下で樹脂を硬化することによって、熱可塑性樹脂の場合は0.3〜7MPaの加圧下で樹脂の融点以上に加熱して、樹脂を溶融し冷却することによって成形することができる。
【0270】
また、本発明の補強織物は、太い炭素繊維束を用いてでも炭素繊維自体の単繊維引張強度ばらつきが小さく、長試長での強度が高いので、面に垂直な衝撃力、あるいは繊維軸方向圧縮応力などあらゆる応力が作用してもたて糸とよこ糸の二つの面が剥離するようなことがないという補強織物の有する特性と織物の弱点である強度発現率の低さを克服した高強度でかつ均一な物性のCFRPとなる。
【実施例】
【0271】
以下、実施例により本発明をさらに具体的に説明する。本実施例で用いた各種特性の測定方法を次に説明する。
<各種分子量:Mz、Mw、Mn>
測定しようとする重合体が濃度0.1重量%でジメチルホルムアミド(0.01N−臭化リチウム添加)に溶解した検体溶液を作製する。前駆体繊維について測定する場合には、前駆体繊維を溶媒に溶解して前記検体溶液とする必要があるが、前駆体繊維は高度に配向し、緻密であるほど溶解しにくく、溶解時間が長いほど、また、溶解温度が高いほど低分子量に測定される傾向にあるので、前駆体繊維を微粉砕して、40℃に制御された溶媒中においてスターラーで攪拌しながら1日溶解する。得られた検体溶液について、GPC装置を用いて、次の条件で測定したGPC曲線から分子量の分布曲線を求め、Mz、Mw、Mnを算出する。
・カラム :極性有機溶媒系GPC用カラム
・流速 :0.5ml/min
・温度 :75℃
・試料濾過 :メンブレンフィルター(0.45μmカット)
・注入量 :200μl
・検出器 :示差屈折率検出器
Mwは、分子量が異なる分子量既知の単分散ポリスチレンを少なくとも6種類用いて、溶出時間―分子量の検量線を作成し、その検量線上において、該当する溶出時間に対応するポリスチレン換算の分子量を読み取ることにより求める。
【0272】
本実施例では、GPC装置として(株)島津製作所製CLASS−LC2010を、カラムとして東ソー(株)製TSK−GEL−α―M(×2)+東ソー(株)製TSK−guard Column αを、ジメチルホルムアミドおよび臭化リチウムとして和光純薬工業(株)製を、メンブレンフィルターとしてミリポアコーポレーション製0.45μm−FHLP FILTERを、示差屈折率検出器として(株)島津製作所製RID−10AVを、検量線作成用の単分散ポリスチレンとして、分子量184,000、427,000、791,000および1,300,000、1,810,000、4,210,000のものを、それぞれ用いた。
<紡糸溶液の粘度>
B型粘度計として(株)東京計器製B8L型粘度計を用い、ローターNo.4を使用し、紡糸溶液粘度が0〜100Pa・sの範囲は、ローター回転数6r.p.m.で、また粘度が100〜1000Pa・sの範囲は、ローター回転数0.6r.p.m.で、いずれも45℃の温度における紡糸溶液の粘度を測定した。
<前駆体繊維の単繊維繊度>
フィラメント数6,000の繊維を1巻き1m金枠に10回巻いた後、その重量を測定し、単繊維10,000m当たりの重量を算出することにより求めた。
<炭素繊維束の引張強度および弾性率>
JIS R7608(2007年)「樹脂含浸ストランド試験法」に従って求める。測定する炭素繊維の樹脂含浸ストランドは、3、4−エポキシシクロヘキシルメチル−3、4−エポキシシクロヘキシルカルボキシレート(100重量部)/3フッ化ホウ素モノエチルアミン(3重量部)/アセトン(4重量部)を、炭素繊維または黒鉛化繊維に含浸させ、130℃の温度で30分硬化させて作製する。また、炭素繊維のストランドの測定本数は6本とし、各測定結果の平均値を引張強度とする。本実施例では、3、4−エポキシシクロヘキシルメチル−3、4−エポキシシクロヘキシルカルボキシレートとして、ユニオンカーバイド(株)製“ベークライト”(登録商標)ERL4221を用いた。
<炭素繊維の単繊維引張強度のワイブル形状係数m、m”、相関係数の二乗R
炭素繊維の単繊維引張強度は、JIS R7606(2000年)に基づいて、以下の通りにして求める。すなわち、まず、20cm程度の長さの炭素繊維の束をほぼ4等分し、4つの束から順番に単繊維を100本サンプリングする。このとき、束全体からできるだけまんべんなくサンプリングする。サンプリングした単繊維は、穴あき台紙に接着剤を用いて固定する。単繊維を固定した台紙を引張試験機に取り付け、試長25mm、歪速度1mm/分、単繊維試料数100で引張試験をおこなう。ワイブル形状係数は以下の式で定義される。
【0273】
lnln{1/(1−F)}=mlnσ+C
Fは、破壊確率であり、対称試料累積分布法により求め、σは単繊維引張強度(MPa)、mはワイブル形状係数、Cは定数である。lnln{1/(1−F)}とlnσでワイブルプロットすると1次近似した傾きからmを求めることができる。そのときの相関関数がRである。また、Fが0.3〜1で1次近似した傾きからm”を求めることができる。
【0274】
単繊維の断面積は、JIS R7607(2000年)に基づいて、測定する繊維束について、単位長さ当たりの重量(g/m)を密度(g/m)で除して、さらにフィラメント数で除して単繊維断面積を求める。
【0275】
<炭素繊維のESRによる局在電子のスピン密度>
測定に供する炭素繊維の重量を精秤した後、ESR装置を用い、下記条件のように、温度を変えて、g=2.002付近のシグナルを測定した。
【0276】
・中心磁場:3377G付近
・磁場掃引幅:200G
・変調:100kHz、2G
・マイクロ波:9.46GHz、1mW
・掃引時間:83.886秒×4回
・時定数:327.68ms
・データポイント数:1024点
・測定温度:10、50、100、150、200、250、296K。
【0277】
得られた微分曲線のスペクトルを2回積分して、信号強度を算出した。この信号強度を、重量当たりのスピン数が既知の標準試料(例えば、硫酸銅5水和物を標準試料としてスピン数を定量したイオン注入を施したポリエチレンフィルム)を用いて、重量当たりのスピン数に換算した。得られた各温度における重量当たりのスピン数をy、測定温度の絶対温度の逆数をxとして、y=ax+bの一次式に基づき、最小自乗法により、係数a、bを求め、係数aのスピン数を局在電子のスピン密度(スピン/g)とした。
【0278】
なお、本実施例および比較例においては、上記ESR装置として、ブルカー社製ESR装置ESP350Eを用いた。
【0279】
<炭素繊維の結晶子サイズ>
測定に供する炭素繊維を引き揃え、コロジオン・アルコール溶液を用いて固めることにより、長さ4cm、1辺の長さが1mmの四角柱の測定試料を用意する。用意された測定試料について、広角X線回折装置を用いて、次の条件により測定を行った。
【0280】
・X線源:CuKα線(管電圧40kV、管電流30mA)
・検出器:ゴニオメーター+モノクロメーター+シンチレーションカウンター
・走査範囲:2θ=10〜40°
・走査モード:ステップスキャン、ステップ単位0.02°、計数時間2秒。
【0281】
得られた回折パターンにおいて、2θ=25〜26°付近に現れるピークについて、半値幅を求め、この値から、次のシェラー(Scherrer)の式により結晶サイズを算出した。
【0282】
結晶サイズ(nm)=Kλ/βcosθ
但し、
K:1.0、λ:0.15418nm(X線の波長)
β:(β−β1/2
β:見かけの半値幅(測定値)rad、β:1.046×10−2rad
θ:Braggの回析角。
【0283】
なお、上記広角X線回折装置として、島津製作所製XRD-6100を用いた。
【0284】
<炭素繊維の平均単繊維径>
測定する多数本の炭素フィラメントからなる炭素繊維束について、単位長さ当たりの重量Af(g/m)および比重Bf(g/cm)を求める。測定する炭素繊維束のフィラメント数をCfとし、炭素繊維の平均単繊維径(μm)を、下記式で算出した。
【0285】
炭素繊維の平均単繊維径(μm)
=((Af/Bf/Cf)/π)(1/2)×2×10
<炭素繊維の入射角(2θ)0.5〜3°における小角X線散乱強度積算値y>
繊維束を40mm長に切断し、40mgを精秤採取する。試料繊維軸が正確に平行になるように、揃えた後、試料調整用治具を用いて巾2mmの厚さが均一な試料繊維束に整える。薄いコロジオンを含浸させて形態がくずれないように固定した後、繊維軸がX線スリットの長手方向と平行になるようにセットし、炭素繊維軸と垂直方向の散乱を計測する。
【0286】
装置には(株)リガク社製RINT2000使用し、X線源にはCuKα線を使用し、出力40kV、40mAで測定した。
【0287】
一方、小角X線散乱強度積算値yは、赤道方向の0.5〜3°の位置における散乱強度をシンチレーションカウンターで測定し、装置間差を補正するために標準サンプルとして東レ(株)製“トレカ(登録商標)”T300―6Kを用い、T300―6Kの入射角(2θ)0.5°〜3°に対する小角X線散乱強度積算値yが950cpsとなるように、得られた小角X線散乱強度を比例計算により補正して求める。
<異種元素含有率>
炭素繊維約1gを白金るつぼに秤取し、加熱炭化したのち、加熱灰化した。灰化物を硫酸、硝酸、およびフッ化水素酸で分解後、希硝酸に溶解し、定容とした。この溶液について原子吸光分析法でNa、Kを、ICP発光分光分析法でその他の元素を測定し、炭素繊維中の含有量(半定量値)を求めた。原子吸光分析装置は日立ハイテクノロジーズ製180−80、ICP発光分析装置はエスアイアイ・ナノテクノロジー製SPS4000を用いた。
<炭素繊維の表面積比>
評価すべき前駆体繊維単繊維を数本試料台にのせ、両端を接着液(例えば、文具の修正液)で固定したものをサンプルとし、原子間力顕微鏡(セイコーインスツルメンツ製、SPI3800N/SPA−400)を用い、下記条件にて3次元表面形状の像を得る。
探針:シリコンカンチレバー(セイコーインスツルメンツ製、DF−20)
測定モード:ダイナミックフォースモード(DFM)
走査速度:1.5Hz
走査範囲:3μm×3μm
分解能:256ピクセル×256ピクセル
得られた測定画像は、繊維断面の曲率を考慮し、付属のソフトウエアにより、画像の全データから最小二乗法により1次平面を求めてフィッティングし、面内の傾きを補正する1次傾き補正を行い、続いて同様に2次曲線を補正する2次傾き補正を行った後、付属のソフトウエアにより表面粗さ解析を行い、表面積比を算出した。測定は、異なる単繊維3本をランダムにサンプリングし、単繊維1本につき、各1回ずつ、計3回行い、その平均値を値とした。
<真円度>
評価すべき炭素繊維単繊維をその断面積の充填率が40面積%となるように数千本以上まとめて直径1mmのシリコンチューブの中を通したものを剃刀で垂直に切断し、光学顕微鏡を用いて炭素繊維断面の形態を観察した。断面の重心を通るように直径を測定し、最も長い直径を長直径Ra、最も短い直径をRbとし、真円度Rを式(1)
R(%)=Rb/Ra×100
より計算した。各サンプルにつき10点の測定を行い、平均値を求めた。
<補強織物の品位等級の基準>
検査項目は、得られた織物において10×10cm角の観察領域中における毛羽長さ10mm以上のものの個数を数え、三段階評価した。観察領域はランダムに5カ所選び、その平均値を用いた。評価基準は、下記のとおりである。
・等級1:10×10cm角の観察領域中、10個以内
・等級2:10×10cm角の観察領域中、11〜20個
・等級3:10×10cm角の観察領域中、21〜50個
・等級4:10×10cm角の観察領域中、51〜100個以上
・等級5:10×10cm角の観察領域中、101個以上。
[実施例1]
AN100重量部、イタコン酸1重量部、およびジメチルスルホキシド360重量部を混合し、それを還流管と攪拌翼を備えた反応容器に入れた。反応容器内の空間部を酸素濃度が100ppmまで窒素置換した後、重合開始剤としてAIBN0.003重量部を投入し、撹拌しながら下記の条件の熱処理を行った。
(1)60℃の温度で3.5時間保持
次に、その反応容器中に、ジメチルスルホキシド10重量部、重合開始剤としてAIBN 0.4重量部、および連鎖移動剤としてオクチルメルカプタン0.1重量部を計量導入した後、さらに撹拌しながら下記の条件の熱処理(熱処理条件Aと呼ぶ)を行い、残存する未反応単量体を溶液重合法により重合してPAN系重合体溶液を得た。
(2)60℃の温度で4時間保持
(3)60℃から80℃へ昇温(昇温速度10℃/時間)
(4)80℃の温度で6時間保持
得られたPAN系重合体溶液を用いて重合体濃度が20重量%となるように調製した後、アンモニアガスをpHが8.5になるまで吹き込むことにより、イタコン酸を中和しつつアンモニウム基をPAN系重合体に導入し、紡糸溶液を得た。PAN系重合体は、Mwを40万、Mz/Mwを5.2、MZ+1/Mwを10であり、紡糸溶液の粘度は55Pa・sであった。
【0288】
得られた紡糸溶液について、以下仕様のフィルター濾材を用いて濾過を行った。フィルター濾材は、平均線径5μmのSUS316L製金属繊維を用いて不織布を形成したのちに焼結して、濾過保証層目付1700g/m、充填率50%、濾過抵抗係数は70×10−5cm−1としたものであった。
【0289】
次いで、得られた濾過した紡糸溶液を、40℃の温度で、孔数1,500、口金孔径0.15mmの紡糸口金を用い、一旦空気中に吐出し、約2mmの空間を通過させた後、3℃の温度にコントロールした20重量%ジメチルスルホキシドの水溶液からなる凝固浴に導入する乾湿式紡糸法により紡糸し凝固糸とした。このときの吐出線速度は2m/分となるように口金への送液量を調整し、紡糸ドラフト率4の条件で凝固糸条を得、水洗した後、90℃の温水中で張力1.5mN/dtex、3倍の浴中延伸倍率で延伸し、さらにアミノ変性シリコーン系シリコーン油剤を付与し、165℃の温度に加熱したローラーを用いて30秒間乾燥を行い、フィラメント数が12000本になるよう8本合糸した上で5倍の水蒸気延伸倍率条件で加圧水蒸気延伸を行って炭素繊維前駆体繊維を得た。このとき、図4に示す糸条通過口を有するシール部材を両端側に有する延伸チューブにスチーム吹き込み口を備えたスチーム延伸装置を用い、供給スチームの湿り度を0%として張力5.3mN/dtexで延伸した。シール部材の最小内径長さは10mmのものを用いた。上記の延伸チューブは、繊維糸条導入側に予熱域、繊維糸条取り出し側に加熱域の分割された2領域を有し、シール部材は、繊維糸条導入側の糸条通過口が内径7mmのものを10個用い、予熱域と加熱域の間の糸条通過口には内径6mmのものを6個用い、繊維糸条取り出し側の糸条通過口には内径5mmのものを2個使用した。得られた前駆体繊維は、Mw(F)が30万、Mz(F)/Mw(F)が3.0、結晶配向度が93%、単繊維繊度が0.8dtexであった。得られた炭素繊維前駆体繊維の品位は優れており、製糸工程通過性も安定していた。得られた炭素繊維前駆体繊維を250〜270℃の温度の温度分布を有する空気中において延伸比1.0で延伸しながらで30分間耐炎化処理し、耐炎化繊維を得た。得られた耐炎化繊維は比重が1.35g/cmであった。続いて、得られた耐炎化繊維を300〜700℃の温度の温度分布を有する窒素雰囲気中において、延伸比1.1で延伸しながら予備炭化処理を行い、さらに最高温度1500℃の窒素雰囲気中において、延伸比を0.96に設定して炭化処理を行い、連続した炭素繊維を得た。このときの焼成工程通過性はいずれも良好であった。
【0290】
得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。また、得られた炭素繊維について、単繊維引張強度のm、m’を求めるためワイブルプロットしたグラフをそれぞれ図6、図7に示す。
[実施例2]
フィルター濾材を、平均線径2μmのSUS316L製金属繊維を用いて不織布に形成した濾過保証層目付400g/m、充填率20%の濾過保証層に、平均線径5μmのSUS316L製金属繊維を用いて形成した不織布を重ねたのちに焼結し、さらに平均線径20μmのSUS316L製金属繊維を用いて形成した不織布を積層したものであって、濾過抵抗係数が20×10−5cm−1であるフィルター濾材に変更した以外は実施例1と同様にして炭素繊維を得た。このときの製糸工程の張力条件は実施例1と同等であり、前駆体繊維のMw(F)が35万、Mz(F)/Mw(F)が3.5、結晶配向度は93%であった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[実施例3]
実施例2での濾過に引き続いて、平均線径20μmのSUS316製金属繊維を経糸に、平均線径13μmのSUS316製金属繊維を緯糸に用いて綾畳織のメッシュとしたのちに焼結し、濾過保証層目付220g/m、充填率85%としたものであって、濾過抵抗係数7×10−5cm−1とした濾材フィルターを用いて口金前でさらに濾過した以外は、実施例2と同様にして炭素繊維を得た。このときの製糸工程の張力条件は実施例1と同等であり、前駆体繊維のMw(F)が35万、Mz(F)/Mw(F)が3.5、結晶配向度は93%であった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[実施例4]
炭化処理での延伸比を0.98に変更した以外は実施例3と同様にして炭素繊維を得た。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[実施例5]
炭化処理での延伸比を0.99に変更した以外は実施例3と同様にして炭素繊維を得た。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[実施例6]
耐炎化処理を、250〜290℃の温度の温度分布を有する空気中において延伸比1.0で延伸しながらで20分間耐炎化処理することに変更した以外は実施例3と同様にして炭素繊維を得た。得られた耐炎化繊維は比重が1.35g/cmであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[実施例7]
紡糸ドラフト率を5に変更するとともに、合糸本数をフィラメント数が16000本になるよう12本に変更した以外は実施例3と同様にして炭素繊維を得た。このときの製糸工程の張力条件は実施例3と同等であり、得られた前駆体繊維は、Mw(F)が35万、Mz(F)/Mw(F)が3.5、結晶配向度が93%、単繊維繊度が0.6dtexであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[実施例8]
紡糸ドラフト率を7に変更するとともに、合糸本数をフィラメント数が24000本になるよう16本に変更した以外は実施例3と同様にして炭素繊維を得た。このときの製糸工程の張力条件は実施例3と同等であり、得られた前駆体繊維は、Mw(F)が35万、Mz(F)/Mw(F)が3.5、結晶配向度が93%、単繊維繊度が0.4dtexであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[比較例1]
AN100重量部、イタコン酸1重量部、およびラジカル開始剤としてAIBN0.2重量部をジメチルスルホキシド460重量部に均一に溶解し、それを還流管と攪拌翼を備えた反応容器に入れた。反応容器内の空間部を窒素置換した後、撹拌しながら前記の熱処理条件Aの熱処理を行い、溶液重合法により重合して、PAN系重合体溶液を得た。得られたPAN系重合体溶液を、重合体濃度が15重量%となるように調製した後、アンモニアガスをpHが8.5になるまで吹き込むことにより、イタコン酸を中和しつつ、アンモニウム基を重合体に導入し、紡糸溶液を作製した。PAN系重合体は、Mwを74万、Mzを184万、Mz/Mwを2.5、MZ+1/Mwを5であり、紡糸溶液の粘度は95Pa・sであった。紡糸溶液を、上記のように作製した紡糸溶液に変更したこと、紡糸ドラフト率を3に変更したこと、および、スチーム延伸工程での張力が5.3mN/dtexとなるようにスチーム供給圧力を高めたこと以外は、実施例4と同様にして炭素繊維を得た。浴中延伸における張力は2.0mN/dtexであった。得られた前駆体繊維は、Mw(F)が40万、Mz(F)/Mw(F)が2.0、結晶配向度が93%、%、単繊維繊度が0.4dtexであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[実施例9]
紡糸口金の孔数を500に変更したこと、吐出線速度が1m/分となるように口金への送液量を変更したこと、および、合糸本数を、フィラメント数が12000本になるよう24本としたこと以外は比較例1と同様にして炭素繊維を得た。このときの製糸工程の張力条件は浴中延伸においては1.6mN/dtexである以外は比較例1と同等であり、得られた前駆体繊維は、Mw(F)が35万、Mz(F)/Mw(F)が1.8、結晶配向度が93%、単繊維繊度が0.8dtexであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[比較例2]
AN100重量部、イタコン酸1重量部、ラジカル開始剤としてAIBN0.4重量部、および連鎖移動剤としてオクチルメルカプタン0.1重量部をジメチルスルホキシド370重量部に均一に溶解し、それを還流管と攪拌翼を備えた反応容器に入れた。反応容器内の空間部を窒素置換した後、撹拌しながら重合条件Bの熱処理を行い、溶液重合法により重合して、PAN系重合体溶液を得た。得られたPAN系重合体溶液を、重合体濃度が20重量%となるように調製した後、アンモニアガスをpHが8.5になるまで吹き込むことにより、イタコン酸を中和しつつ、アンモニウム基を重合体に導入し、紡糸溶液を作製した。PAN系重合体は、Mwを35万、Mzを62万、Mz/Mwを1.8、MZ+1/Mwを3であり、紡糸溶液の粘度は55Pa・sであった。紡糸溶液を、上記のようにして得た紡糸溶液に変更した以外は、実施例1と同様にして炭素繊維を得ようとしたところ、焼成工程で毛羽がわずかに見られた。このときの製糸工程の張力条件は浴中延伸においては1.0mN/dtexである以外、比較例1と同等であり、前駆体繊維のMw(F)が25万、Mz(F)/Mw(F)が1.6、結晶配向度が93%、単繊維繊度が0.8dtexであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。また、得られた炭素繊維について、単繊維引張強度のm、m’を求めるためワイブルプロットしたグラフをそれぞれ図6、図7に示す。
[比較例3]
炭化処理での延伸比を0.98に変更した以外は比較例2と同様にして炭素繊維を得た。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[比較例4]
炭化処理での延伸比を0.99に変更した以外は比較例2と同様にして炭素繊維を得ようとしたが、炭化処理中に糸切れがあり、サンプリングできなかった。
[比較例5]
耐炎化処理を、250〜290℃の温度の温度分布を有する空気中において延伸比1.0で延伸しながらで20分間耐炎化処理することに変更した以外は比較例2と同様にして炭素繊維を得た。得られた耐炎化繊維は比重が1.35g/cmであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[比較例6]
紡糸ドラフト率を5に変更するとともに、合糸本数をフィラメント数が16000本になるよう12本に変更した以外は比較例2と同様にして炭素繊維を得た。このときの製糸工程の張力条件は比較例2と同等であり、得られた前駆体繊維は、Mw(F)が25万、Mz(F)/Mw(F)が1.6、結晶配向度が93%、単繊維繊度が0.6dtexであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
[比較例7]
紡糸ドラフト率を7に変更するとともに、合糸本数をフィラメント数が24000本になるよう16本に変更した以外は比較例2と同様にして炭素繊維を得た。このときの製糸工程の張力条件は比較例2と同等であり、得られた前駆体繊維は、Mw(F)が25万、Mz(F)/Mw(F)が1.6、結晶配向度が93%、単繊維繊度が0.4dtexであった。得られた炭素繊維のストランド物性等のデータをまとめて表1に示す。
【0291】
なお、本実施例および比較例を通じて、異種元素含有率は100ppmであり、真円度1.00、表面積比は1.01であった。
[参考例]
市販されている炭素繊維の一部を弾性率300GPa前後のそれを中心に特性の一覧を表2に示す。ここに示されている通り、TS、YM、Lcおよびワイブル形状係数mを満足するものはなかった。
[実施例10]
実施例3で得た炭素繊維を、糸幅5mmの扁平状に拡げてサイジング剤で形態保持させた糸条をたて糸とよこ糸とし、平織組織で、それぞれの織密度を2.0本/cmで、かつ特開平7−300739号公報開示の方法を用いてたて糸およびよこ糸とも解舒撚りが入らないようによこ取り解舒して扁平状を保持しながら開繊工程を経て二方向性織物を製織し、目付が200g/m2の織物を得た。得られた織物のカバーファクターは95%であった。また、織物の厚みは0.2mmと非常に薄い織物で、織物表面が非常に均一であった。
【0292】
次いで、次に示す組成の熱硬化性樹脂組成物を離型紙上にコーティングし、樹脂目付が67g/m2の樹脂フィルムを作製した。この樹脂フィルムをプリプレグ作製機にセットし、得られた上記織物の両面から重ね、加熱加圧して熱硬化性樹脂組成物を含浸させ、樹脂含有率が40重量%の織物プリプレグを作製した。
熱硬化性樹脂組成
テトラグリシジルジアミノジフェニルメタン ・・・60重量部
ビフェニル型エポキシ樹脂 ・・・40重量部
末端官能基がアミノ基のポリエーテルスホン ・・・10重量部
4,4’−ジアミノジフェニルスルホン ・・・40重量部
上記の織物プリプレグを同方向に4枚積層し、オートクレーブ中で温度180℃、圧力580Paで4時間加熱加圧して硬化し、CFRPを作製した。JIS−K7073(1988年)のCFRPの引張試験法に準拠して引張強度、引張弾性率を測定し、JIS−K7181(1994年)に準拠して圧縮弾性率を測定した。その結果を表3に示す。
[比較例8]
用いる炭素繊維を、比較例2で得た炭素繊維に変更した以外は、実施例10と同様にしてCFRPを作製した。その際、製織工程中でガイドや特に開繊工程で毛羽が多発した。CFRP物性を、表3に示すが、ワイブル形状係数mが小さかったためか、強度は実施例10より低かった。
【0293】
【表1】

【0294】
【表2】

【0295】
【表3】

【図面の簡単な説明】
【0296】
【図1】図1は、本発明で用い得るフィルター装置を示す概略断面図である。
【図2】図2は、本発明で用い得るリーフディスク型フィルターを示す概略断面図である。
【図3】図3は、リーフディスク型フィルターを用いたフィルター装置を示す概略断面図である
【図4】図4は、本発明で用い得る加圧スチーム延伸装置を示す概略側面図である。
【図5】図5は、本発明で用い得るシール部材を示す概略側面図と断面図である。
【図6】図6は、実施例1、比較例2で得られた炭素繊維について、単繊維引張強度のmを求めるためワイブルプロットしたグラフである。
【図7】図7は、実施例1、比較例2で得られた炭素繊維について、単繊維引張強度のm’を求めるためワイブルプロットしたグラフである。
【符号の説明】
【0297】
D:リーフディスク型フィルターの外径
d:リーフディスク型フィルターの内径
1:濾過容器
2:フィルター濾材
3:支持体
4:紡糸溶液流入路
5:紡糸溶液流出路
6:流出路への開口
7:リーフディスク型フィルター
8:芯体
9:フィルター押さえ
10:芯体の開口
A:繊維糸条
B:延伸チューブ
C:予熱域
E:加熱域
F:シール部材
11:繊維糸条導入口
12:繊維糸条取り出し口
13:スチーム吹き込み口
14:前段シール部材
15:中段シール部材
16:後段シール部材
17:フィードローラー
18:ドローローラー
19:最小内径断面積
20:最小内径長さ

【特許請求の範囲】
【請求項1】
結晶子サイズLcが1.8〜2.6nm、ストランド引張強度TSが6〜9GPaであって、LcおよびYMが次の式(1)を満たすとともに、単繊維引張強度のワイブル形状係数mが6以上である炭素繊維。
50Lc+210≦YM≦50Lc+270 ・・・(1)
(ここで、YMはストランド引張弾性率(単位:GPa)である)
【請求項2】
単繊維引張強度における破壊確率が0.3〜1の範囲に限った直線近似により求められるワイブル形状係数が5.7以上である請求項1に記載の炭素繊維。
【請求項3】
単繊維引張試験の1直線近似したワイブルプロットの相関係数の二乗Rが0.98〜1である請求項1または2に記載の炭素繊維。
【請求項4】
平均単繊維径が5〜7μmである請求項1〜3のいずれかに記載の炭素繊維束。
【請求項5】
フィラメント数が12000〜48000本であり、ポリアクリロニトリルを原料とする請求項1〜4のいずれかに記載の炭素繊維。
【請求項6】
C、N、O、Si以外の元素を含有する割合が500ppm以下である請求項1〜5のいずれかに記載の炭素繊維。
【請求項7】
実質的に撚りがない請求項1〜6のいずれかに記載の炭素繊維。
【請求項8】
請求項1〜7のいずれかに記載の炭素繊維を織糸とする補強織物。
【請求項9】
織物目付が120〜220g/mである、請求項8に記載の補強織物。
【請求項10】
平織されてなる、請求項8または9に記載の補強織物。
【請求項11】
請求項8〜10のいずれかに記載の補強織物に、プリプレグ重量当り30〜70重量%のマトリックス樹脂が含浸されてなるプリプレグ。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2009−256833(P2009−256833A)
【公開日】平成21年11月5日(2009.11.5)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−108653(P2008−108653)
【出願日】平成20年4月18日(2008.4.18)
【出願人】(000003159)東レ株式会社 (7,677)
【Fターム(参考)】