説明

高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法

【課題】処理対象の拡大が実現することができる高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法を提供する。
【解決手段】炭素を含有する鉄鋼材料から成る基材1に高速フレーム溶射法により大気中でチタン粉末を酸化させることなく溶射してチタン皮膜2を成膜する。その後、酸素を排除可能な状態で800℃以上であり、基材の融点以下の温度で加熱することで、基材1中の炭素をチタン皮膜2側に拡散せしめ、チタン溶射皮膜2の基材1側に炭化チタン皮膜4を形成する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法に関する。詳しくは、耐摩耗性や耐焼付性が求められる製品に適用される高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法に係るものである。
【背景技術】
【0002】
近年、材料の高機能化、高寿命化、高負荷化への要求が高まるにつれて、機械部品や工具等の既存材料に対する高品質化、高性能化、低コスト化といった表面処理技術の重要性が増加している。そのため、従来から各種めっき、溶射、浸炭、窒化等の表面硬化技術が広く適用されている。
【0003】
一方、エレクトロニクス分野においては物理蒸着(PVD:Physical Vapor Deposition)や化学蒸着(CVD:Chemical Vapor Deposition)による処理法が材料の表面改質技術として確立しており、将来性が特に期待され、年々市場は増加傾向にある。
【0004】
ここで、PVDやCVD処理では被覆材として、TiN,TiC,TiCN,CrN,TiAlN,DLC等が主流であり(例えば、特許文献1参照。)、これらは非常に高い硬度を有すると共に低い摩擦係数を有するものであり、そのため、特に耐摩耗性や耐焼付性を要する製品に適用されている。
【0005】
ところで、PVDやCVD処理には被覆材や皮膜特性に応じた多くの方法が存在するのであるが、こうした処理はいずれも一般的に真空炉内にて、基材表面に被覆材を蒸着及び積層させることが基本原理となっている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開平8−296064号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
上述したPVDやCVD処理等の表面改質技術を利用すると、成膜法や被覆材によっても差異はあるものの、硬度2000HV以上、膜厚10μm以下の皮膜を形成することが可能であり、皮膜形成後の研磨処理はほとんど必要なく、異種材による多層構造も可能である。
【0008】
しかしながら、PVDやCVD処理は、真空炉内で行う必要があり、処理対象サイズは炉内サイズに制限がなされ、また、一般に真空炉は大規模設備が数少ないために、処理対象物が機械部品や工具といった比較的小形基材を主流とせざるを得ない。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明は、以上の点に鑑みて創案されたものであって、処理対象の拡大を実現することが可能な高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法を提供することを目的とするものである。
【0010】
上記の目的を達成するために、本発明の高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法では、炭素を含有する鉄鋼材料から成る基材の表面にチタン粉末を溶射してチタン皮膜を成膜する工程と、酸素を排除可能な状態で前記チタン皮膜が成膜された前記基材を所定温度で加熱する工程とを備える。
【0011】
ここで、チタン皮膜の成膜に溶射法を用いることによって、チタン皮膜の成膜を大気圧環境下で行うことが可能となる。
なお、溶射を大気中で行うことができるのは、基材は常温であるために溶射前及び溶射中に基材が酸化されることがないためである。また、具体的な溶射装置としては、例えば、特開2005−68457号に記載の技術を用いることができる。
【0012】
また、基材を所定温度で加熱することによって、基材を構成する鉄鋼材料中に含有する炭素をチタン皮膜中に反応拡散させることができ、炭化チタン皮膜(TiC皮膜)を形成することができる。更に、酸素を排除可能な状態で加熱することによって、チタン皮膜の酸化を抑制することができ、効率的に炭化チタン皮膜を形成することができる。
【0013】
酸素を排除可能な状態としては、例えば、減圧環境下(真空環境をも含む)で加熱を行う場合や、不活性ガス環境下(窒素ガス環境下をも含む)で加熱を行う場合や、基材とチタン皮膜を酸化防止剤で被覆した状態で加熱を行う場合等が挙げられる。なお、窒素ガス環境下(例えば窒素ガスを充填した炉内)で加熱を行う場合には、炭窒化チタン皮膜(TiCN皮膜)が形成されることとなる。
【0014】
また、基材を加熱する温度としては、800℃以上であると共に、基材の融点以下の温度範囲で行うことが好ましい。800℃未満の温度ではTiCやTiCNを形成するのに長時間を要してしまうために800℃以上の加熱温度が好ましく、基材の融点を超えた温度で加熱を行うと基材が融解してしまうためである。
【0015】
また、本発明の高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法では、炭素を含有する鉄鋼材料から成る基材を窒化処理する工程と、窒化処理が施された前記基材の表面にチタン粉末を溶射してチタン皮膜を成膜する工程と、酸素を排除可能な状態で前記チタン皮膜が成膜された前記基材を所定温度で加熱する工程とを備える。
【0016】
ここで、チタン皮膜の成膜に溶射法を用いることによって、チタン皮膜の成膜を大気圧環境下で行うことが可能となるのは、上記と同様である。
【0017】
また、基材を所定温度で加熱することによって、基材に含有する炭素や窒素をチタン皮膜中に反応拡散することができ、炭化チタン皮膜(TiC皮膜)や、窒化チタン皮膜(TiN皮膜)や、炭窒化チタン皮膜(TiCN皮膜)を形成することができる。更に、酸素を排除可能な状態で加熱することによって、チタン皮膜の酸化を抑制することができ、効率的に炭化チタン皮膜、窒化チタン皮膜、炭窒化チタン皮膜を形成することができる。
【0018】
なお、「酸素を排除可能な状態」や「800℃以上であると共に、基材の融点以下の温度範囲で加熱」については、上記と同様である。
【0019】
また、本発明の高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法では、鉄鋼材料から成る基材の表面に金属粉末を溶射して金属皮膜を成膜する工程と、酸素を排除可能な状態で前記金属皮膜が成膜された前記基材を所定温度で加熱し、前記基材を構成する鉄鋼材料中に含まれる元素を前記金属皮膜中に拡散させ、前記基材を構成する鉄鋼材料中に含まれる元素と前記金属皮膜とを反応させる工程とを備える。
【0020】
ここで、金属皮膜の成膜に溶射法を用いることによって、金属皮膜の成膜を大気圧環境下で行うことが可能となるのは、上記と同様である。
【0021】
また、基材を所定温度で加熱し、基材を構成する鉄鋼材料中に含まれる元素を金属皮膜中に拡散させ、基材を構成する鉄鋼材料中に含まれる元素と金属皮膜とを反応させることによって、基材を構成する鉄鋼材料中に含まれる元素と金属皮膜との反応生成皮膜を形成することができる。更に、酸素を排除可能な状態で加熱することによって、金属皮膜の酸化を抑制することができ、効率的に基材を構成する鉄鋼材料中に含まれる元素と金属皮膜との反応性生成膜を形成することができる。
【0022】
なお、「酸素を排除可能な状態」については上記と同様である。
【発明の効果】
【0023】
本発明を適用した高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法では、チタン皮膜等の金属皮膜の成膜を大気圧環境下で行うことが可能となるために、処理対象の拡大を実現することができる。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【図1】本発明を適用した高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法の一例を説明するための模式図である。
【図2】第1の実施の形態におけるチタン皮膜のXRDの分析結果である。
【図3】基材とチタン皮膜の境界部の断面組織を示す顕微鏡写真である。
【図4】加熱後の炭化チタン皮膜断面のEPMAによる成分の分析結果である。
【図5】加熱後の皮膜の各層におけるXRDの分析結果である。
【図6】高硬度耐摩耗性皮膜の硬度を説明するための図である。
【図7】基材の炭素含有量及び加熱条件がTiC膜厚へ及ぼす影響を説明するための顕微鏡写真である。
【図8】基材の面粗度が異なる場合における基材とチタン皮膜の境界部の断面組織を示す顕微鏡写真である。
【図9】比較材であるMoB/CoCrの溶射皮膜における曲げ試験の結果である。
【図10】第1の実施の形態で形成したTiC皮膜における曲げ試験の結果である。
【図11】落重評価試験を説明するための模式図である。
【図12】鋳鉄焼入れ材におけるTiC皮膜の有無が及ぼす落重試験後の表面状態への影響を説明するための写真である。
【図13】耐熱衝撃性の評価試験の結果を説明するための写真である。
【図14】アブレシブ摩耗試験を説明するための模式図である。
【図15】摩耗量の経時変化を表したグラフである。
【図16】各種溶射皮膜の摩耗試験結果である。
【発明を実施するための形態】
【0025】
以下、本発明を実施するための形態(以下、「実施の形態」と称する。)について図面を参酌しながら説明を行う。なお、説明は以下の順序で行う。
1.第1の実施の形態(TiC皮膜)
2.第2の実施の形態(TiCN皮膜(1))
3.第3の実施の形態(TiCN皮膜(2))
【0026】
<1.第1の実施の形態>
[高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法の一例]
図1は本発明を適用した高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法の一例を説明するための模式図である。
第1の実施の形態では、先ず、炭素を含有する鉄鋼材料(例えば、普通鋼材、低合金鋼材、鋳鉄材等)から成る基材1の表面に大気中で純チタン粉末を溶射することでチタン溶射皮膜(以下、「チタン皮膜」と称する。)2を成膜する(図1(a)参照)。
【0027】
ところで、大気中での溶射を実現するためには、いかにして溶射金属と基材の酸化を抑制するかという点である。溶射の場合には、フレームに乗って金属粉末が移動し、金属粉末は高温に晒されることとなるために非常に酸化され易く、特にチタンは一度酸化すると容易に還元されない。そのために、いかにして酸化を抑制した状態でチタン皮膜2を成膜するかという点が重要となる。
【0028】
この点について、第1の実施の形態では、特開2005−68457号公報に記載された溶射温度可変型の高速溶射装置を用いて粒度が20μm〜45μm程度のチタン粉末を溶射材料とした高速フレーム溶射法によって厚さ200μm程度のチタン皮膜2を成膜することによって、酸化を抑制した状態でチタン皮膜2の成膜を実現している。
【0029】
図2は第1の実施の形態で得られるチタン皮膜2のX線回折装置(XRD)の分析結果を示している。図2からも明らかな様に、チタン以外のピークは認められず、無酸化状態でチタン皮膜2が成膜されていることが分かる。
【0030】
ここで、第1の実施の形態では、高速フレーム溶射法を実現するにあたって特開2005−68457号公報に記載された溶射温度可変型の高速溶射装置を用いる場合を例に挙げて説明を行っているが、必ずしも特開2005−68457号公報に記載された溶射温度可変型の高速溶射装置を用いる必要はなく、大気中で高速フレーム溶射法を実現することができるのであれば、いかなる溶射装置を用いても良い。
【0031】
また、第1の実施の形態では、高速フレーム溶射法によってチタン皮膜2を成膜する場合を例に挙げて説明を行っているが、チタン皮膜2を成膜するにあたっては必ずしも高速フレーム溶射法を用いる必要はなく、大気中で成膜することができるのであれば、いかなる溶射法であっても良い。
【0032】
次に、チタン皮膜2が成膜された基材1を、酸素を排除可能な状態にした大気炉3内で加熱し、図1(b)で示す様に、基材1を構成する鉄鋼材料中に含まれる炭素をチタン皮膜2側に拡散させ(図1(b)中の矢印は炭素の拡散方向を示している)、チタン皮膜2の基材1側(図1の下方側)にチタンと炭素の複合生成物である炭化チタン皮膜(TiC皮膜)4を形成する(図1(c)参照)。
【0033】
ところで、TiC皮膜4の形成原理は非常に単純であり、基材1から拡散した炭素と溶射金属であるチタンとの結合である。そして、Ti−C系の状態図(図示せず)から明らかな様に、TiCにおけるCの固溶幅は比較的大きい。そのため、TiCを形成しつつも、そのTiC内をCが充分に拡散することができ、更に先へとTiC皮膜が成長することが可能となる。従って、CがTi側へ供給される限りはTiC皮膜が成長でき、従来のプロセスで形成されていた高硬度耐摩耗性皮膜の膜厚(概ね10μm以下)よりも厚いTiCを形成することが可能である。
【0034】
ここで、第1の実施の形態では、チタン皮膜2が成膜された基材1を酸素を排除可能な状態にした大気炉3内で加熱する場合を例に挙げて説明を行っているが、酸素を排除可能な状態で加熱を行うことでTiOの生成を抑制することができれば充分である。例えば、減圧炉、真空炉、又は不活性ガスを充填した大気炉3内中で加熱を行っても良いし、基材1とチタン皮膜2を酸化防止剤(例えば、SiO、Al、SiC等)で被覆した状態で加熱を行っても良い。なお、不活性ガスを充填した大気炉内で加熱を行ったり、基材1とチタン皮膜2を酸化防止剤で被覆した状態で大気炉内で加熱を行ったりする場合には、全工程を大気中で処理することが可能となる。
【0035】
なお、不活性ガスを充填した炉内で加熱を行う場合と、基材1とチタン皮膜2を酸化防止剤で被覆した状態で加熱を行う場合とでは、後者の方が安価で済むために経済性の面で優れている。即ち、不活性ガス雰囲気を形成するためには、大気から完全に遮断した密閉容器内で加熱を行う必要があるが、気体の膨張率は液体や固体の膨張率と比較すると非常に大きいために密閉容器内で気体を加熱すると密閉容器内の内部圧力は著しく増加する。そのため、密閉容器は加熱により内部圧力が増大したとしても爆発等が起こらず、充分な強度を有するものが求められることとなる。従って、安価な酸化防止剤で被覆した状態で加熱を行う方が経済性の点では優れている。
【0036】
また、酸素を排除可能な状態であったとしても、大気炉内で加熱を行った場合には、完全に酸素を排除することは困難であり、皮膜の最表面にはTiOが形成されることとなるが、TiOは非常に脆く、密着性も低く容易に剥がれ落ちるものであるために、汎用の除去技術を用いて皮膜の最表面のTiOを削除しても良い。
【0037】
以上の工程を経ることによって、鉄鋼材料から成る基材1の表面に高硬度耐摩耗性皮膜を形成することができる。
【0038】
[高硬度耐摩耗性皮膜の構造]
以下、第1の実施の形態で形成した高硬度耐摩耗性皮膜の構造について説明を行う。
【0039】
図3は基材1とチタン皮膜2の境界部の断面組織を示す顕微鏡写真(図3(a)は加熱前(拡散熱処理前)の顕微鏡写真、図3(b)は加熱後(拡散熱処理後)の顕微鏡写真)であり、図3からも明らかな様に、熱処理前には確認できなかった新たな層(炭化チタン層)が熱処理後に確認することができる。なお、図3(b)は、基材として球状黒鉛鋳鉄3.8%Cから成る基材1にチタン皮膜2を成膜し、1000℃で12時間保持の加熱処理(熱拡散処理)を施したものである。
【0040】
ここで、図3からは基材1の面に沿って炭化チタン皮膜4は一定の厚さを保ったまま形成されていることが分かる。また、炭化チタン皮膜4内には黒い斑点を確認することができるが、これは1μm以下の孔である。
【0041】
図4は加熱後(拡散熱処理後)の炭化チタン皮膜4断面のEPMA(Electron Probe Micro−Analysis:電子プローブマイクロアナリシス)による成分の分析結果を示しており、図4に示す分析結果より、チタン皮膜2側の基材1近傍には炭素(C)が存在することが分かる。従って、基材1とチタン皮膜2との境界付近においてはチタン(Ti)と炭素(C)が共存しており、炭化チタン(TiC)が形成されていることが分かる。また、微量ではあるが、鉄(Fe)もチタン皮膜2側へ拡散していることが確認できる。
【0042】
図5は加熱後(拡散熱処理後)の皮膜の各層におけるXRDの分析結果を示しており、図5(a)はチタン皮膜2の表層の分析結果であり、図5(b)は基材1から40μm上方の分析結果であり、図5(c)は基材1から10μm上方の分析結果を示している。
【0043】
先ず、図5(a)から明らかな様に、チタン皮膜2の表面は酸化され、ほぼTiOとして存在することが分かる。TiOは非常に脆く、密着性も低いために容易に剥がれ落ちることとなる。そのため、ここでは、TiOは皮膜組織としては考慮しない。
【0044】
次に、図5(b)から明らかな様に、基材1から40μm上方では、主成分としてTiOが確認でき、少量のTiOも混在するものの、金属Tiは存在せず、皮膜は全体的に酸化された状態となっていることが分かる。
【0045】
また、図5(c)から明らかな様に、基材1とチタン皮膜2との境界部ではTiCが確認でき、完全なTiC層ではないが、一部TiOと混在された状態で存在していることが分かる。
【0046】
こうした結果から、第1の実施の形態で形成された高硬度耐摩耗性皮膜は、TiCとTiOの2層の構造となっているものであると確認することができた。
【0047】
[高硬度耐摩耗性皮膜の成膜調査]
ところで、第1の実施の形態で形成した高硬度耐摩耗性皮膜の成長には、(1)基材の炭素含有量、(2)加熱温度、(3)加熱時間、の3つの要素が大きく影響していると考えられる。そこで、こうした因子が高硬度耐摩耗性皮膜の形成に及ぼす影響を確認すべく、表1に示す条件で高硬度耐摩耗性皮膜を形成し、断面の硬度及び膜厚の測定を行った。
【0048】
【表1】

【0049】
図6は上記した表1の条件で高硬度耐摩耗性皮膜を形成した場合における「硬度」を示している。ここで、図6から明らかな様に、加熱前(拡散熱処理前)のチタン皮膜2の硬度は200HV程度であるが、TiCの硬度はおよそ2000HVとなり、TiOではおよそ850HVとなっているのが分かる。つまり、加熱(拡散熱処理)を行うことによってチタン皮膜2は全体的に大幅に硬度が上昇することが確認できる。
【0050】
図7は上記した表1の条件で高硬度耐摩耗性皮膜を形成した場合における「基材1の炭素含有量及び加熱(拡散熱処理)条件がTiC膜厚へ及ぼす影響」を示している。なお、ここでの熱処理条件については、図3(b)についての熱処理条件と同様である。
【0051】
先ず、図7から明らかな様に、基材1の炭素含有量が多くなるにつれてTiC膜厚も厚くなっていることが分かる。また、保持時間が長いほどTiC膜厚も厚くなっていることが分かる。なお、保持時間が2時間の場合には炭素含有量に依存せずにTiC膜厚が略一定となっているが、これは拡散のための時間が短いことから、いずれの基材においても同等量の炭素がチタン皮膜側に拡散するためである。
この様に、炭素含有量が多いほど、保持時間が長いほどTiC膜厚は厚くなる。このことは、チタン皮膜へ移動する炭素量が基材からの供給により成り立つことを考慮すると、炭素を多く含む基材ほど長期的及び量的にも充分に炭素が拡散し、TiC膜厚が成長可能であることを意味する。
【0052】
次に、図7から明らかな様に、加熱温度(拡散熱処理温度)が900℃と1000℃では、TiC膜厚の成長スピードが大きく異なり、1000℃処理での膜厚は900℃処理での膜厚よりも約2倍大きくなっていることが分かる。また、炭素含有量及び加熱処理時間に対する影響も1000℃処理の方が顕著であることが分かる。このことから、高温になるほど炭素の拡散が促進され、TiC膜の形成速度を高くするためには1000℃以上の温度が好ましいことが分かる。また、同等の炭素含有量の基材であったとしても高温度及び長時間の加熱処理を行うことによって、より厚いTiC皮膜を形成することができると考えられる。
【0053】
ところで、溶射金属の基材への密着性を高めるために、溶射前処理としてブラスト処理を施して基材表面を粗面化させることが一般に行われている。第1の実施の形態で形成したTiC皮膜は数十μmの薄膜であり、TiC皮膜の形成状態は基材の形状に大きく左右されると考えられる。そこで、「基材の面粗度が及ぼす皮膜の形成状態への影響」を確認した。
【0054】
図8は基材の面粗度が異なる場合における基材1とチタン皮膜2の境界部の断面組織を示す顕微鏡写真(図8(a)は平均粗さRa=6.4μmの場合、図8(b)は平均粗さRa=2.8μmの場合、図8(c)は平均粗さRa=0.5μmの場合の顕微鏡写真)である。
【0055】
先ず、図8(a)から明らかな様に、最も粗い条件である平均粗さRa=6.4μmの場合には、TiC皮膜は基材の凹凸に沿ってほぼ一様な幅を保ちつつ成長することが分かる。基材面から法線方向へ成長し、面からの炭素の拡散量も同じであるために、面に対して同じ幅の膜厚となるのである。
【0056】
次に、図8(b)及び図8(c)から明らかな様に、平均粗さRa=2.8μm、0.5μmの場合といった具合に面粗度が低くなるにつれて、TiC皮膜も直線的な膜として形成されていることが分かる。
【0057】
ここで、拡散熱処理時は基材及びTiC皮膜が縮小し、両者の熱膨張係数が大きく異なることから、熱膨張係数の小さな皮膜が剥がれやすい状態となる。しかしながら、粗面化せずとも加熱処理後もTiC皮膜が強固に密着した状態を形成できていることに鑑みると、基材にもよるであろうが、溶射前処理としてブラスト処理を施すことなくTiC皮膜を形成することが可能であると考えられる。
【0058】
[高硬度耐摩耗性皮膜の性能評価]
TiC膜厚が15μmとなる様に第1の実施の形態の方法で高硬度耐摩耗性皮膜を形成した試験片を用いて、また、最表層のTiOは除去することなく、TiC皮膜の耐剥離性、耐打ち傷性、耐熱衝撃性及び耐滑り摩耗性についての評価を行った。以下、これらについて順に説明を行う。
【0059】
(耐剥離性について)
耐剥離性の評価は曲げ試験により、TiC皮膜のき裂発生や剥離状態の評価を行った。具体的には、35mm×8mm×3mmの試験片の片側表面に皮膜を形成し、裏面の中央に深さ2mmのVノッチを入れ、皮膜に引張力が作用するように試験片の両側から曲げ荷重をかけた。そして、皮膜に変化が現れたときの角度を計測し、外観及び断面の状態を観察した。なお、比較材は高い耐摩耗性を有するMoB/CoCrの溶射膜を用いた。
【0060】
図9は、比較材であるMoB/CoCrの溶射皮膜における曲げ試験の結果を示している。図9では、曲げ角度が20°の状態を示しているが、曲げ角度が14°から皮膜には割れるようにき裂が入り始め、20°ではかなり大きなき裂となった。なお、断面観察からは溶射膜は基材から完全に剥離していることが分かる。
【0061】
次に、図10は、第1の実施の形態で形成したTiC皮膜における曲げ試験の結果を示している。図10から明らかな様に、曲げ角度25°で亀甲状の微細なき裂が入っていることが分かるが、MoB/CoCrの溶射皮膜と比べると大きくき裂が入ることはなかった。なお、断面観察によると、基材からの剥離はなく、基材に皮膜が密着したままの状態で皮膜が深さ方向に割れており、TiCとTiOの間も分離せずに密着したままであることが分かる。
【0062】
ここで、曲げ試験では基材よりも皮膜の伸びが小さい場合に、図9で示す様に、皮膜が伸びきれず、割れあるいは基材からの剥離が生じることとなる。基材との密着性が弱いほど、皮膜が割れるよりも先に基材から剥離する傾向があるという点を併せて考えると、図10で示す様に皮膜が割れても基材からの剥離を生じていないことは、基材と皮膜が非常に高い密着性を持つことを示している。
【0063】
一般に、溶射皮膜の密着性はアンカー効果に起因するところが大きく、機械結合のため溶接等の金属結合に比べて剥離が生じやすいとされているものの、第1の実施の形態で形成された皮膜では、加熱(拡散熱処理)によって機械結合のみならず金属結合をも兼ね備えた状態となるため、密着性が非常に高い皮膜として形成されたといえる。
【0064】
(耐打ち傷性について)
図11に示す落重評価試験により耐打ち傷性の評価を行った。耐打ち傷性の評価は高さ4.2mから重さ30kgの重錘を試験片へ落下させ、そのときの落下痕の状態を観察し、変形量を測定して評価を行った。なお、重錘には凸部を設け、凸部を試験片に衝突させた。試験では鋳鉄焼入れ材と同じ基材にTiC成膜した試験片で比較を行った。
【0065】
図12は「鋳鉄焼入れ材におけるTiC皮膜の有無が及ぼす落重試験後の表面状態への影響」を示している。図12(a)から明らかな様に、焼入れのみの基材はくっきりと落下痕がついており、かなり粗れた表面に変化し、その凹凸の高低差は約300μmあり、痕全体において深いき裂が多数存在していることが分かる。一方、図12(b)で示すTiCの皮膜付きの表面には落下痕はあるものの、ほとんど粗れずに大きなき裂もなく、痕の深さは30μm以下であることが分かる。
この様に、TiC皮膜を付加することで耐打ち傷性が向上することが分かる。
【0066】
(耐熱衝撃性について)
耐熱衝撃性の評価試験では、ガスバーナーで試験片を800℃まで加熱した後に素早く水冷し、皮膜のき裂の有無の調査を行った。加熱冷却の操作を5回繰り返し、その結果を図13に示している。図13から明らかな様に、5回繰り返し材においてき裂及び剥離は確認されず、試験前とほぼ変わらない皮膜を維持できており、良好な耐熱衝撃性を示すことが分かる。
【0067】
(耐滑り摩耗性について)
図14に示す方法によりアブレシブ摩耗試験を行い、耐滑り摩耗性を評価した。なお、試験条件については表2に示す。
【0068】
【表2】

【0069】
試験時間は3時間で、30分毎に試験片の重量及び厚みを計測し、摩耗量の経時変化を追跡し、その結果を図15に示している。図15から明らかな様に、試験時間に伴い摩耗量は減少していき、2時間以降は略一定となっていることが分かる。2時間までの摩耗量が多い部位はTiO層であるが、この層は徐々に削られてTiC層に接近し、TiC層に接近するほど摩耗量は少なくなり、TiC層までくると更に摩耗量は抑えられて略一定の摩耗量となる。上記の図5に示す様に、上層ほどTiの酸化が進むためにTiO量が多くなり、皮膜の状態も緻密ではなくなり空洞が多く認められるために、上層ほど皮膜の硬度が低下し、耐摩耗性が劣化しているものと考えられる。
【0070】
また、図16に各種溶射皮膜の摩耗試験結果の比較を示す。図16中の「TiC+TiO」とは図14に示すアブレシブ摩耗試験における3時間での摩耗速度を示しており、「TiC」とは2時間以降の摩耗速度として算出した値を示している。図16から、TiOがある場合には、比較的耐摩耗性は低い結果となるが、TiCのみの場合にはWC/12Coに近い特性を示し、優れた耐摩耗性能であることが分かる。
【0071】
以上の通り、第1の実施の形態で形成された高硬度耐摩耗性皮膜については、以下の[1]〜[5]が明らかとなり、第1の実施の形態については、新たな表面効果処理技術として幅広い展開が期待できるものである。
【0072】
[1]TiC膜厚は基材の炭素含有量、処理温度及び処理時間により制御できる。
[2]TiC皮膜の硬度は2000HVと従来法により得られる皮膜に比べてやや劣るものの、基材との密着性は極めて高い。
[3]TiC皮膜があることで肌荒れやき裂の発生が抑制され、耐打ち傷性は飛躍的に向上する。
[4]耐熱衝撃性は800℃の熱衝撃試験でも割れや剥離もなく良好であった。
[5]耐滑り摩耗性においては、TiO層はさほど高い性能ではなかったが、TiC層のみでは優れた性能を有する。
【0073】
<第2の実施の形態>
[高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法の他の一例]
上記した第1の実施の形態では、炭化チタン皮膜(TiC皮膜)4を形成する場合を例に挙げて説明を行っているが、第2の実施の形態では高硬度耐摩耗性皮膜としてTiCN膜を形成する場合について説明を行う。
【0074】
第2の実施の形態では、先ず、炭素を含有する鉄鋼材料(例えば、普通鋼材、低合金鋼材、鋳鉄材等)から成る基材1の表面に大気中で純チタン粉末を溶射することでチタン皮膜2を成膜する(図1(a)参照)。この点については、第1の実施の形態と同様である。
【0075】
次に、チタン皮膜2が成膜された基材1を窒素を充填した大気炉3内で加熱し、基材1を構成する鉄鋼材料中に含まれる炭素をチタン皮膜2側に拡散させる(図1(b)参照)と共に、大気炉内に充填した窒素とチタン皮膜2とを反応させ、チタン皮膜2の基材1側にチタンと炭素と窒素の複合生成物である炭窒化チタン皮膜(TiCN皮膜)を形成する。なお、炭窒化チタン皮膜のみならず、チタンと炭素の複合生成物である炭化チタン(TiC)やチタンと窒素の窒化チタン(TiN)も含まれることとなる。
【0076】
以上の工程を経ることによって、鉄鋼材料から成る基材1の表面に高硬度耐摩耗性皮膜を形成することができる。
【0077】
<3.第3の実施の形態>
[高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法の更に他の一例]
上記した第2の実施の形態では、大気炉内に窒素を充填することによって窒素を供給しているが、第3の実施の形態では窒化処理によって窒素を供給する場合について説明を行う。
【0078】
第3の実施の形態では、先ず、炭素を含有する鉄鋼材料(例えば、普通鋼材、低合金鋼材、鋳鉄材等)に汎用の窒化処理を施し、その後、基材1の表面に大気中で純チタン粉末を溶射することでチタン皮膜2を成膜する。
【0079】
次に、チタン皮膜2が成膜された基材1を、酸素を排除可能な状態にした大気炉3内で加熱し、基材1を構成する鉄鋼材料中に含まれる炭素及び窒化処理により基材の表面付近に含まれる窒素をチタン皮膜2側に拡散させ、チタン皮膜2の基材1側にチタンと炭素と窒素の複合生成物である炭窒化チタン皮膜(TiCN皮膜)を形成する。なお、炭窒化チタン皮膜のみならず、チタンと炭素の複合生成物である炭化チタン(TiC)やチタンと窒素の窒化チタン(TiN)も含まれることとなる点は上記した第2の実施の形態と同様である。
【0080】
以上の工程を経ることによって、鉄鋼材料から成る基材1の表面に高硬度耐摩耗性皮膜を形成することができる。
【0081】
上記した第1の実施の形態〜第3の実施の形態では、チタン皮膜の形成を大気炉で行うことができるために、大型基材への処理対象の拡大が実現すると共に、部分成膜が容易に実現することとなるために、従来の方法では困難であった製品に対しても高硬度耐摩耗性皮膜を形成することが可能となる。
【0082】
なお、上記した第1の実施の形態〜第3の実施の形態では、チタンと炭素、或いは、チタンと炭素及び窒素が複合生成物を形成する場合を例に挙げて説明を行っているが、本発明の適用範囲はこうした実施の形態に限定されることはなく、種々の溶射金属と基材成分元素の組み合わせにおいて幅広く応用することができるものである。
【符号の説明】
【0083】
1 基材
2 チタン溶射皮膜
3 酸素を排除可能な状態にした大気炉
4 炭化チタン皮膜

【特許請求の範囲】
【請求項1】
炭素を含有する鉄鋼材料から成る基材の表面にチタン粉末を溶射してチタン皮膜を成膜する工程と、
酸素を排除可能な状態で前記チタン皮膜が成膜された前記基材を所定温度で加熱する工程とを備える
高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法。
【請求項2】
炭素を含有する鉄鋼材料から成る基材を窒化処理する工程と、
窒化処理が施された前記基材の表面にチタン粉末を溶射してチタン皮膜を成膜する工程と、
酸素を排除可能な状態で前記チタン皮膜が成膜された前記基材を所定温度で加熱する工程とを備える
高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法。
【請求項3】
前記加熱は、減圧環境下、不活性ガス環境下、若しくは、前記基材と前記チタン皮膜を酸化防止剤で被覆した状態で行う
請求項1または請求項2に記載の高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法。
【請求項4】
前記加熱は、800℃以上であると共に、前記基材の融点以下の温度範囲で行う
請求項1、請求項2または請求項3に記載の高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法。
【請求項5】
前記加熱により成膜された最表面のTiO層の少なくとも一部を除去する工程を備える
請求項1、請求項2、請求項3または請求項4に記載の高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法。
【請求項6】
鉄鋼材料から成る基材の表面に金属粉末を溶射して金属皮膜を成膜する工程と、
酸素を排除可能な状態で前記金属皮膜が成膜された前記基材を所定温度で加熱し、前記基材を構成する鉄鋼材料中に含まれる元素を前記金属皮膜中に拡散させ、前記基材を構成する鉄鋼材料中に含まれる元素と前記金属皮膜とを反応させる工程とを備える
高硬度耐摩耗性皮膜の形成方法。

【図1】
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【図8】
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【図15】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図16】
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【公開番号】特開2010−261057(P2010−261057A)
【公開日】平成22年11月18日(2010.11.18)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−110333(P2009−110333)
【出願日】平成21年4月30日(2009.4.30)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 平成20年11月1日 株式会社フジコー発行の「創る(2008 No.16)」に発表
【出願人】(591209280)株式会社フジコー (25)
【Fターム(参考)】