説明

硬質多層膜成形体およびその製造方法

【課題】基材と密着性に優れる中間層と、耐摩耗性に優れる表面層であるDLC層とを備え、DLC層最下部と中間層との間でも剥離を生じることがなく、耐摩耗性にも優れる硬質多層膜成形体、およびその製造方法を提供する。
【解決手段】超硬合金材料または鉄系材料からなる基材の表面に多層の膜を形成してなる硬質多層膜成形体1であって、上記多層の膜は、(1)この多層の表面層5として形成される、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用し、水素混入量を抑えて成膜したDLCを主体とする膜と、(2)この表面層5と基材2との間に形成される、少なくともクロムまたはタングステンを主体とする中間層3と、(3)この中間層3と表面層5との間に形成される炭素を主体とする応力緩和層4とからなり、応力緩和層4は、その硬度が中間層3側から表面層5側へ連続的または段階的に上昇する傾斜層である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車部品等の耐摩耗性機械部品等において、特に基材として鉄系材料に対して良好な密着性を示すと共に、優れた耐摩耗性を有するダイヤモンドライクカーボン膜を表面層とする硬質多層膜成形体、およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
硬質カーボン膜は、一般にダイヤモンドライクカーボン(以下、DLCと記す)と呼ばれている硬質膜である。硬質カーボンはその他にも、硬質非晶質炭素、無定形炭素、硬質無定形型炭素、i−カーボン、ダイヤモンド状炭素等、様々な呼称があるが、これらの用語は明確に区別されていない。
【0003】
このような用語が用いられるDLCの本質は、構造的にはダイヤモンドとグラファイトが混ざり合った両者の中間構造を有するものであり、ダイヤモンドと同等に硬度が高く、耐摩耗性、固体潤滑性、熱伝導性、化学安定性等に優れることから、例えば、金型・工具類、耐摩耗性機械部品、研磨材、摺動部材、磁気・光学部品等の保護膜として利用されつつある。こうしたDLC膜を形成する方法として、スパッタリング法やイオンプレーティング法等の物理的蒸着(以下、PVDと記す)法、および化学的蒸着(以下、CVDと記す)法等が採用されているが、通常DLC膜は膜形成時に極めて大きな内部応力が発生し、また高い硬度およびヤング率を持つ反面、変形能が極めて小さいことから、基材との密着性が弱く、剥離しやすい等の欠点を持っている。
【0004】
基材との密着性を改良する手段として、(1)膜応力を制御する方法、(2)基材と炭素膜の間に中間層を設ける方法の2つが挙げられる。しかしながら、これらの技術では、以下に示す問題があり、改善されることが望まれているのが実情である。まず、上記(1)の方法では、基本的には基材とDLC膜を組織および機械的特性において両者の中間的な層を持つ層をもって糊付け層として結合するという観点から、その中間層として硬質の脆性材料を含むものを採用するものであるが、上記PVD法やCVD法によって成膜されたDLC膜における巨大な内部応力によって、特に数μmにおよぶ厚膜を形成した場合やダイヤモンド成分の多い硬度40GPaをこえるような硬い膜を形成した場合には、密着性不良の問題は顕著である。
【0005】
この問題に対して、スクラッチ試験において50N以上の密着性を示すDLC膜を最表面層とするDLC硬質多層膜成形体がが知られている(特許文献1参照)。この技術はDLC膜を最表面層とし、基材と最表面層の間の中間層として、W、Ta、MoおよびNbからなる群から選択される1種類以上の金属元素と炭素を含む非晶質層からなる最表面層側の第2層からなる2層構造としたDLC硬質多層膜成形体に関するものである。そして、こうした膜構造を有するDLC硬質多層膜成形体では、WC−Co等の超硬合金製基材に対するDLC膜の良好な密着性が提示されている。しかしながら、この技術においても以下のような解決すべき問題があった。
【0006】
上記技術は、基本的にWC−Co基材等の超硬合金を基材として使用する場合を想定しており、上記WC−Co系超硬合金およびSiやAl等の絶縁材を基材として用いた場合には、上記中間層は基材との良好な密着性を確保できたのであるが、高速度工具鋼のような鉄系材料を基材として用いた場合には、上記中間層と基材の相性が必ずしも良好であるとは限らず、中間層と基材の間で密着性が悪くなり、DLC膜の剥離が生じやすいという問題があった。また、耐摩耗性に優れる最上層DLC膜の成膜条件の最適化が行なわれておらず、改善の余地があった。
【0007】
この密着性の改良技術として、低硬度の鉄系材料の基材にDLC膜を密着性良く被覆する技術として、比較的厚く形成しても優れた密着性を発揮させる技術(特許文献2参照)が知られている。この技術はDLCを主体とする膜を最表面層とし、さらに中間層および基材を含んでおり、この基材は鉄系材料から成ると共に、上記中間層を下記(1)〜(4)の4層構造とするものである。
(1)Crおよび/またはAlの金属層からなる第1層
(2)Crおよび/またはAlの金属と、W、Ta、MoおよびNbよりなる群から選択される1種類以上の金属の混合層からなる第2層
(3)W、Ta、MoおよびNbからなる群から選択される1種類以上の金属層からなる第3層
(4)W、Ta、MoおよびNbよりなる群から選択される1種類以上の金属と炭素を含む非晶質層からなる第4層
【0008】
特に前記第2層は、Crおよび/またはAlの含有量が、最表面層側に向けて段階的または連続的に減少する傾斜層を有するように構成されたものであることが好ましい。また、上記第4層は、W、Ta、Mo、Nbよりなる群から選択される1種類以上の金属の含有量が最表面層側に向けて段階的または連続的に減少する傾斜組成を有するように構成されたものであることが好ましい。また同様に上記第2層、上記第3層および第4層の成分であるW、Ta、MoおよびNbよりなる群から選択される1種類以上の金属の代わりに、WCを主成分とする化合物を用いることもできる。
【0009】
なお、これらのDLC膜多層成膜体を製造するに当たり、DLC膜はアンバランスト・マグネトロン・スパッタリング(以下、UBMSと記す)法によって形成することが好ましく、基材温度を100〜300℃に制御しつつ形成することが好ましい、と記載されている。
【特許文献1】特開2000−119843号公報
【特許文献2】特開2003−171758号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
しかしながら、特許文献1および特許文献2の技術を用いた場合でも、最表面層であるDLC層の構造を最適化しない場合、DLC層と中間層との間で、剥離が生じるという問題がある。また、密着性が良好でかつ耐摩耗性に優れるDLC膜を形成する条件を裏付ける耐摩耗性に関するデータが得られていないという問題がある。
【0011】
本発明はこのような問題に対処するためになされたものであり、基材と密着性に優れる中間層と、耐摩耗性に優れる表面層であるDLC層とを備え、DLC層最下部と中間層との間でも剥離を生じることがなく、耐摩耗性にも優れる硬質多層膜成形体、およびその製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明の硬質多層膜成形体は、超硬合金材料または鉄系材料からなる基材の表面に多層の膜を形成してなる硬質多層膜成形体であって、上記多層の膜は、(1)この多層の表面層として形成される、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用し、水素混入量を抑えて成膜したDLCを主体とする膜と、(2)この表面層と上記基材との間に形成される、少なくともクロム(Cr)またはタングステン(W)を主体とする中間層と、(3)この中間層と上記表面層との間に形成される炭素(C)を主体とする応力緩和層とからなり、上記応力緩和層は、その硬度が上記中間層側から上記表面層側へ連続的または段階的に上昇する傾斜層であることを特徴とする。
【0013】
上記中間層は組成の異なる複数の層からなる構造であり、一方が上記応力緩和層と隣接する層は、他方で隣接する層の主体となる金属と、Cとを主体とすることを特徴とする。
【0014】
上記中間層が、上記基材と隣接するWを主体とする層と、該層と一方で隣接するとともに他方で上記応力緩和層と隣接する、CおよびWを主体とする層とからなる2層構造であることを特徴とする。また、上記中間層が、上記基材と隣接するCrを主体とする層と、該層と隣接するWを主体とする層と、該層と一方で隣接するとともに他方で上記応力緩和層と隣接する、CおよびWを主体とする層とからなる3層構造であることを特徴とする。
【0015】
上記多層の膜厚の合計が、0.5〜3.0μmであることを特徴とする。また、上記硬質多層膜成形体は、ロックウェル硬さ試験機にて、150kgの荷重によるダイヤモンド圧子の打ち込み時にできる圧痕周囲に剥離が生じない密着性を有することを特徴とする。
【0016】
本発明の硬質多層膜成形体の製造方法は、基材上に上記中間層を形成する中間層形成工程と、中間層上に上記応力緩和層を形成する応力緩和層形成工程と、応力緩和層上に上記表面層を形成する表面層形成工程とを有し、上記表面層形成工程は、UBMS法を用いて、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用し、水素供給源となるスパッタリングガスは使用せずにDLCを主体とする膜を形成する工程であり、上記応力緩和層形成工程は、UBMS法を用いて、バイアス電圧を連続的または段階的に上昇させて上記傾斜層を形成する工程であることを特徴とする。
【0017】
上記応力緩和層形成工程において、上記バイアス電圧を段階的に上昇させる場合のステップ幅が50V以下であることを特徴とする。また、上記表面層形成工程において、上記バイアス電圧を250V以上に印加して成膜することを特徴とする。なお、基材に対するバイアスの電位は、アース電位に対してマイナスとなるように印加しており、バイアス電圧250Vとは、アース電位に対して基材のバイアス電位が−250Vであることを示す。
【0018】
また、上記各工程において、基材温度を100〜300℃に制御することを特徴とする。
【発明の効果】
【0019】
本発明の硬質多層膜成形体は、超硬合金材料または鉄系材料からなる基材の表面に多層の膜を形成してなる硬質多層膜成形体であって、基材と密着性に優れる中間層と、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用して成膜した、耐摩耗性に優れる表面層であるDLC層とを備え、中間層と表面層との間に、中間層側から表面層側に硬度が連続的または段階的に上昇する傾斜層を有するので、成形体の表面が水素含有量を低くしたDLC層となり耐摩耗性に優れるとともに、DLC層最下部の応力緩和層(傾斜層)と中間層との間でも剥離を生じることがない。
【0020】
また、中間層を組成の異なる複数の層からなる構造とし、一方が応力緩和層と隣接する層を、他方で隣接する層の主体となる金属と、Cとを主体とすることで、この中間層と応力緩和層との間の密着性を向上できる。
【0021】
また、硬質多層膜成形体は、ロックウェル硬さ試験機にて、150kgの荷重によるダイヤモンド圧子の打ち込み時にできる圧痕周囲に剥離が生じない程度の優れた密着性を有する。
【0022】
本発明の硬質多層膜成形体の製造方法は、中間層形成工程と、応力緩和層形成工程と、表面層形成工程とを有し、上記表面層形成工程は、UBMS法を用いて、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用し、水素供給源となるスパッタリングガスは使用せずにDLCを主体とする膜を形成する工程であり、上記応力緩和層形成工程は、UBMS法を用いて、バイアス電圧を連続的または段階的に上昇させて上記傾斜層を形成する工程であるので、水素含有量を低くした耐摩耗性に優れるDLC層を成形体表面に形成でき、また、DLC層最下部の応力緩和層(傾斜層)と中間層との間の密着性に優れる硬質多層膜成形体を容易に製造することができる。
【0023】
また、上記応力緩和層形成工程において、バイアス電圧を段階的に変化させる場合のステップ幅を50V以下とすることで、応力緩和層(傾斜層)の密度および硬度を細かく段階的に変化させることができ、密着性を向上させることができる。
【0024】
また、上記表面層形成工程において、バイアス電圧を最終的に250V以上に印加して成膜することで、Ar等の希ガスイオンのアシスト効果を高めて、基材との衝突エネルギーを増大させることにより、緻密で高硬度な耐摩耗性に優れるDLC膜を形成することができる。
【0025】
また、上記製造方法において、基材温度を100〜300℃に制御することで、基材に対する多層膜の密着性を向上させることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0026】
DLC膜からなる表面層の密着性と耐摩耗性とに優れる硬質多層膜成形体を得るべく鋭意検討の結果、基材と密着性に優れる中間層を選定し、かつ表面層であるDLC膜に優れた耐摩耗性を付与するために成膜条件を選定し、特に、DLC層形成時の基材に対するバイアス電圧を連続的または段階的に変化させてDLC層最下部にDLCの密度および硬度が連続的または段階的に変化する応力緩和層(傾斜層)を形成することで、中間層最上部と、DLC層最下部の応力緩和層(傾斜層)との間の密着性が向上し、剥離を防止できることを見出した。本発明はこのような知見に基づきなされたものである。
【0027】
本発明の硬質多層膜成形体を図面に基づいて説明する。図1は本発明の硬質多層膜成形体の構成を示す断面図である。図1に示すように、本発明の硬質多層膜成形体1は、基材2の表面に多層の膜を形成してなり、この多層の膜は、(1)表面層5として形成される、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用し、水素混入量を抑えたDLCを主体とする膜と、(2)表面層5と基材2との間に形成される、少なくともCrまたはWを主体とする中間層3と、(3)中間層3と表面層5との間に形成される応力緩和層4とからなる。
【0028】
基材2としては、超硬合金材料または鉄系材料からなる基材であれば用いることができる。超硬合金材料としては機械的特性が最も優れるWC−Co系合金の他に、切削工具として、耐酸化性を向上させた、WC−TiC−Co系合金、WC−TaC−Co系合金、WC−TiC−TaC−Co系合金等を挙げることができる。鉄系材料としては炭素工具鋼、高速度工具鋼、合金工具鋼、ステンレス鋼、軸受鋼、快削鋼等を挙げることができる。本発明では、安価な鉄系材料を基材に用いた場合でも、DLCに相当する硬質多層膜成形体を製造することができる。
【0029】
中間層3は、組成の異なる複数の層からなる構造であり、図1では3a〜3cの3層構造を例示している。例えば、基材2の表面にCrを主体とする層3cを形成し、その上にWを主体とする層3bを形成し、その上にWおよびCを主体とする層3aを形成する。図1では3層構造を例示したが、中間層3は、必要に応じて、これ以下または以上の数の層からなるものであってもよい。
【0030】
応力緩和層4に隣接する層3aは、他方で隣接する層3bの主体となる金属と、炭素とを主体することで、中間層3と応力緩和層4との間の密着性を向上できる。例えば、層3aがWとCとを主体とする場合、Wを主体とする中間層3b側からCを主体とする応力緩和層4側に向けて、Wの含有量を減少させ、一方、Cの含有量を増加させる(組成傾斜)ことで、より密着性の向上が図れる。
【0031】
応力緩和層4は、Cを主体とし、その硬度が中間層3側から表面層5側へ連続的または段階的に上昇する傾斜層である。具体的には、UBMS法においてグラファイト製ターゲットを用い、基材に対するバイアス電圧を連続的または段階的に上昇させて成膜することで得られるDLC傾斜層である。硬度が連続的または段階的に上昇するのは、DLC構造におけるグラファイト構造(SP)とダイヤモンド構造(SP)との構成比率が、バイアス電圧の上昇により後者に偏っていくためである。
【0032】
表面層5は、応力緩和層4の延長で形成されるDLCを主体とする膜であり、特に、構造中の水素含有量を低減したDLC膜である。水素含有量を低減させたことで、耐摩耗性が向上する。このようなDLC膜を形成するためには、例えばUBMS法を用いて、スパッタリング処理に用いる原料およびスパッタリングガス中に水素および水素を含む化合物を混入させない方法を用いる。
【0033】
応力緩和層4および表面層5の成膜法に関して、UBMS法を用いる場合を例示したが、硬度を連続的または段階的に変化させることができる成膜法であれば、その他公知の成膜法を採用することができる。
【0034】
硬質多層膜成形体1において、中間層3と、応力緩和層4と、表面層5とからなる多層の膜厚の合計が0.5〜3.0μmとすることが好ましい。膜厚の合計が0.5m未満であれば、耐摩耗性および機械的強度に劣り、3.0μmをこえると剥離し易くなるので好ましくない。
【0035】
硬質多層膜成形体1は、その密着性が、ロックウェル硬さ試験機にて、150kgの荷重によるダイヤモンド圧子の打ち込み時にできる圧痕周囲に剥離が生じない程度であることが好ましい。ここで、「圧痕周囲に剥離が生じない」とは、例えば、図3(a)に示すような状態をいう。
【0036】
本発明の硬質多層膜成形体の製造方法は、(1)基材2上に中間層3を形成する中間層形成工程と、(2)中間層3上に応力緩和層4を形成する応力緩和層形成工程と、(3)応力緩和層4上に表面層5を形成する表面層形成工程とからなる。各工程において、密着性を向上させるために、基材温度を100〜300℃に制御して各層の被膜を形成させることが好ましい。基材や被膜を形成された基材の温度が100℃未満であれば、膜の緻密化が進行し難い。また、300℃をこえるとDLC層がダメージを受けるので好ましくない。
【0037】
(1)中間層形成工程は、CrやWを主体とする中間層を形成する工程であり、成膜法は特に限定されないが、以下の各層の形成を連続して行なえることから、UBMS法を採用し、ターゲットを逐次取り替えて中間層3、応力緩和層4、表面層5を連続して成膜することが好ましい。なお、UBMS法において、組成傾斜(2種)の中間層を形成する場合は、ターゲットを2種類用い、それぞれのターゲットに印加するスパッタ電力を調整することで組成比を傾斜できる。
【0038】
(2)応力緩和層形成工程は、UBMS法においてグラファイト製ターゲットを用い、基材に対するバイアス電圧を連続的または段階的に上昇させて応力緩和層(傾斜層)4を形成する工程である。この工程において、バイアス電圧を段階的に変化させる場合のステップ幅を50V以下(例えば、25V、50V)とすることが好ましい。ステップ幅を50V以下とすることで、応力緩和層4の密度および硬度を細かく段階的に変化でき密着性を向上させることができる。ステップ幅が50Vをこえると、密着性に劣り応力緩和層内での剥離が起こる等のおそれがある。
【0039】
(3)表面層形成工程は、UBMS法を用いて、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用し、メタン(CH4)等の水素供給源となるスパッタリングガスは使用せずにDLCを主体とする膜を形成する工程である。スパッタリングガスとしては、He、Ar、Xe等の希ガスを用いることができる。希ガス成分は単独でも、2種類以上を混合して用いてもよい。この工程では、基材に対するバイアス電圧を250V以上に印加して成膜することが好ましい。バイアス電圧を250V以上とすることで、Ar等の希ガスイオンのアシスト効果が高まり、基材との衝突エネルギーを増大させることにより、緻密で高硬度な耐摩耗性に優れるDLC膜を形成できる(後述の表2および図4参照)。
【実施例】
【0040】
各実施例および比較例に用いた基材、UBMS装置、スパッタリングガス、多層膜形成条件は以下のとおりである。
(1)基材;鏡面(Ra=0.005μm程度の)30mm角、厚さ5mmのSUS440C
(2)UBMS装置:神戸製鋼所製;UBMS202/AIP複合装置
(3)スパッタリングガス:Arガス
(4)中間層形成条件
Cr層:5×10−3Pa程度まで真空引きし、ヒータで基材を所定の温度でベーキングして、Arプラズマにて基材表面をエッチング後、UBMS法にてCr層を形成した。
W層:5×10−3Pa程度まで真空引きし、ヒータで基材を所定の温度でベーキングして、Arプラズマにて基材表面をエッチング後、UBMS法にてW層を形成した。
W−C層:Wとグラファイトに印加するスパッタ電力を調整し、WとCの組成比を傾斜させた。
(5)応力緩和層(傾斜層)形成条件
傾斜層:一定電力でスパッタし、DCバイアス電圧を以下に示すステップ幅で変化させて、膜密度を傾斜させた。
バイアス電圧のステップ幅:スタートから終点のバイアス電圧までの間を、段階的に変化させる電圧の幅として、25V、50V、100Vの3種類から選択
各ステップ維持時間:5分間
(6)最表面層形成条件
成膜時間:180分間
【0041】
実施例1〜実施例7、比較例5、比較例6および比較例8〜比較例11
アセトンで超音波洗浄し、乾燥させた上記基板を、表1に示す中間層を上記中間層形成条件で形成した。次に、上記傾斜層形成条件の25Vステップにて傾斜層を形成した。最後に表1に示すDLC層の基板バイアス電圧にて180分間成膜しDLC層を形成して、硬質多層膜成形体の試験片を得た。得られた試験片の膜厚を測定するとともに、この試験片を以下に示すロックウェル圧痕試験と摩耗試験に供し、密着性および耐摩耗性を評価した。結果を表1に併記する。
【0042】
<ロックウェル圧痕試験>
ダイヤモンド圧子を150kgの荷重で試験片基材に打ち込んだ際、その圧痕周囲の剥離発生状況を観察した。観察した剥離発生状況を図3に示す評価基準により、試験片の密着性を評価した。剥離発生量が図3(a)に示すように軽微であれば密着性に優れると評価して「○」印を、剥離が図3(b)に示すように部分的に発生している場合は密着性が劣ると評価して「△」印を、剥離が図3(c)に示すように全周に発生している場合は密着性に著しく劣ると評価して「×」印を記録する。
【0043】
<摩擦試験>
得られた試験片を、図2に示す摩擦試験機用いて摩擦試験を行なった。図2(a)は正面図を、図2(b)は側面図を、それぞれ表す。表面粗さRaが0.01μm以下であり、ビッカース硬度Hvが780であるSUJ2焼入れ鋼を相手材7として回転軸11に取り付け、試験片6をアーム部8に固定して所定の荷重9を図面上方から印加して、ヘルツの最大接触面圧0.5GPa、室温下、0.05m/sの回転速度で60分間、相手材7を回転させたときに相手材7と試験片6との間に発生する摩擦力をロードセル10により検出する。比摩耗量が100×10−10mm/(N・m)未満の場合、耐摩耗性に優れると評価して「○」印を、100−10mm/(N・m)以上、300−10mm/(N・m)以下の場合、耐摩耗性に劣ると評価して「△」印を、300−10mm/(N・m)をこえる場合、耐摩耗性に著しく劣ると評価して「×」印を、それぞれ記録する。
【0044】
実施例8〜実施例14
アセトンで超音波洗浄し、乾燥させた上記基板を、表1に示す中間層を上記中間層形成条件で形成した。次に、上記傾斜層形成条件の50Vステップにて傾斜層を形成した。最後に表1に示すDLC層の基板バイアス電圧にて180分間成膜しDLC層を形成して、硬質多層膜成形体の試験片を得た。得られた試験片の膜厚を測定するとともに、この試験片を上述のロックウェル圧痕試験と摩耗試験に供し、密着性および耐摩耗性を評価した。結果を表1に併記する。
【0045】
比較例1および比較例3
Ar100体積部に対してメタンガスを表1に示す割合でスパッタリングガスとして併用したこと以外は実施例1と同様の処理および評価を実施した。結果を表1に併記する。
【0046】
比較例2
アセトンで超音波洗浄し、乾燥させた上記基板を、表1に示す中間層を上記中間層形成条件で形成した。次に、上記傾斜層形成条件の100Vステップにて傾斜層を形成した。最後に表1に示すDLC層の基板バイアス電圧にて180分間成膜しDLC層を形成して、硬質多層膜成形体の試験片を得た。得られた試験片の膜厚を測定するとともに、この試験片を上述のロックウェル圧痕試験と摩耗試験に供し、密着性および耐摩耗性を評価した。結果を表1に併記する。
【0047】
比較例4
アセトンで超音波洗浄し、乾燥させた上記基板を、表1に示す中間層を上記中間層形成条件で形成した。次に、表1に示すDLC層の基板バイアス電圧にて180分間成膜しDLC層を形成して、硬質多層膜成形体の試験片を得た。得られた試験片の膜厚を測定するとともに、この試験片を上述のロックウェル圧痕試験と摩耗試験に供し、密着性および耐摩耗性を評価した。結果を表1に併記する。
【0048】
比較例7
アセトンで超音波洗浄し、乾燥させた上記基板を試験片とした。得られた試験片の膜厚を測定するとともに、この試験片を上述のロックウェル圧痕試験と摩耗試験に供し、密着性および耐摩耗性を評価した。結果を表1に併記する。
【0049】
【表1】

【0050】
応力緩和層(傾斜層)を形成する際、バイアス電圧のステップ幅を50V以下とし、表面層形成時のバイアス電圧を250V以上の条件で成膜した実施例1〜実施例14の硬質多層膜成形体は、優れた耐摩耗性を示した。一方、傾斜層を形成(25Vステップ)し、スパッタリングガスとしてArとメタンガスとを併用した比較例1は、バイアス電圧が300Vと高いにも関わらず、耐摩耗性が劣っていた。バイアス電圧が300Vと高いにも関わらず、傾斜層のステップ幅を100Vと広くした比較例2の場合、密着性、耐摩耗性共に劣っていた。傾斜層を形成(25Vステップ)し、スパッタリングガスとしてArとメタンガスとを併用し、バイアス電圧を200Vとした比較例3は密着性、耐摩耗性共に劣っていた。傾斜層を設けない比較例4の場合、密着性が著しく劣っていた。中間層にW層とW−C層を用い、バイアス電圧を200Vで成膜した比較例5は、密着性、耐摩耗性共に劣っていた。中間層にW−C層のみ使用し、傾斜層を設けた比較例6、中間層なしで傾斜層もない比較例7は密着性が著しく劣っていた。傾斜層を形成(25Vステップ)し、基板バイアス電圧を100Vで成膜した比較例8は耐摩耗性が著しく劣っていた。傾斜層を形成(25Vステップ)し、基板バイアス電圧を200Vで成膜した比較例9は耐摩耗性が劣っていた。傾斜層を形成(25Vステップ)し、基板バイアス電圧を300V、基材の温度を50℃で成膜した比較例10は耐摩耗性が劣っていた。DLC傾斜層を形成(25Vステップ)し、基板バイアス電圧を300V、基材の温度を350℃で成膜した比較例11は耐摩耗性が著しく劣っていた。
【0051】
また、表面層形成時のバイアス電圧と、上記摩擦試験における比摩耗量との関係を表2および図4に示す。
【0052】
【表2】

【0053】
表2および図4に示すように、表面層(DLC層)形成時のバイアス電圧を250V以上とすることで、比摩耗量を大幅に低減できることがわかる。
【産業上の利用可能性】
【0054】
本発明の硬質多層膜成形体は、所定の構成により基材と密着性に優れる中間層と、耐摩耗性に優れる表面層であるDLC層とを備えるので、優れた耐剥離性や耐摩耗性などが要求される軸受などの機械部品に好適に利用できる。
【図面の簡単な説明】
【0055】
【図1】本発明の硬質多層膜成形体の構成を示す断面図である。
【図2】摩擦試験機を示す図である。
【図3】密着性評価基準を示す図である。
【図4】バイアス電圧と、表面の比摩耗量との関係を示す図である。
【符号の説明】
【0056】
1 硬質多層膜成形体
2 基材
3 中間層
3a WおよびCを主体とする層
3b Wを主体とする層
3c Crを主体とする層
4 応力緩和層(傾斜層)
5 表面層(DLCを主体とする膜)
6 試験片
7 相手材
8 アーム部
9 荷重
10 ロードセル
11 回転軸

【特許請求の範囲】
【請求項1】
超硬合金材料または鉄系材料からなる基材の表面に多層の膜を形成してなる硬質多層膜成形体であって、
前記多層の膜は、(1)この多層の表面層として形成される、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用し、水素混入量を抑えて成膜したダイヤモンドライクカーボンを主体とする膜と、(2)この表面層と前記基材との間に形成される、少なくともクロムまたはタングステンを主体とする中間層と、(3)この中間層と前記表面層との間に形成される炭素を主体とする応力緩和層とからなり、
前記応力緩和層は、その硬度が前記中間層側から前記表面層側へ連続的または段階的に上昇する傾斜層であることを特徴とする硬質多層膜成形体。
【請求項2】
前記中間層は組成の異なる複数の層からなる構造であり、一方が前記応力緩和層と隣接する層は、他方で隣接する層の主体となる金属と、炭素とを主体とすることを特徴とする請求項1記載の硬質多層膜成形体。
【請求項3】
前記中間層が、前記基材と隣接するタングステンを主体とする層と、該層と一方で隣接するとともに他方で前記応力緩和層と隣接する、炭素およびタングステンを主体とする層とからなる2層構造であることを特徴とする請求項1または請求項2記載の硬質多層膜成形体。
【請求項4】
前記中間層が、前記基材と隣接するクロムを主体とする層と、該層と隣接するタングステンを主体とする層と、該層と一方で隣接するとともに他方で前記応力緩和層と隣接する、炭素およびタングステンを主体とする層とからなる3層構造であることを特徴とする請求項1、請求項2または請求項3記載の硬質多層膜成形体。
【請求項5】
前記多層の膜厚の合計が、0.5〜3.0μmであることを特徴とする請求項1ないし請求項4のいずれか一項記載の硬質多層膜成形体。
【請求項6】
前記硬質多層膜成形体は、ロックウェル硬さ試験機にて、150kgの荷重によるダイヤモンド圧子の打ち込み時にできる圧痕周囲に剥離が生じない密着性を有することを特徴とする請求項1ないし請求項5のいずれか一項記載の硬質多層膜成形体。
【請求項7】
請求項1ないし請求項6のいずれか一項記載の硬質多層膜成形体を製造するための製造方法であって、
この製造方法は、基材上に前記中間層を形成する中間層形成工程と、前記中間層上に前記応力緩和層を形成する応力緩和層形成工程と、前記応力緩和層上に前記表面層を形成する表面層形成工程とを有し、
前記表面層形成工程は、アンバランスト・マグネトロン・スパッタリング法を用いて、炭素供給源として固体ターゲットのグラファイトのみを使用し、水素供給源となるスパッタリングガスは使用せずにダイヤモンドライクカーボンを主体とする膜を形成する工程であり、
前記応力緩和層形成工程は、アンバランスト・マグネトロン・スパッタリング法を用いて、バイアス電圧を連続的または段階的に上昇させて前記傾斜層を形成する工程であることを特徴とする硬質多層膜成形体の製造方法。
【請求項8】
前記応力緩和層形成工程において、前記バイアス電圧を段階的に上昇させる場合のステップ幅が50V以下であることを特徴とする請求項7記載の硬質多層膜成形体の製造方法。
【請求項9】
前記表面層形成工程において、前記バイアス電圧を250V以上に印加して成膜することを特徴とする請求項7または請求項8記載の硬質多層膜成形体の製造方法。
【請求項10】
前記各工程において、基材温度を100〜300℃に制御することを特徴とする請求項7、請求項8または請求項9記載の硬質多層膜成形体の製造方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図4】
image rotate

【図3】
image rotate


【公開番号】特開2010−106311(P2010−106311A)
【公開日】平成22年5月13日(2010.5.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−278852(P2008−278852)
【出願日】平成20年10月29日(2008.10.29)
【出願人】(000102692)NTN株式会社 (9,006)
【Fターム(参考)】