説明

摺動部材,摺動構造,及びシンクロメッシュ式の変速機

【課題】固体潤滑剤を利用した摺動部材よりも、低い摩擦係数を得ることができる摺動部材を提供する。
【解決手段】基材11に被膜12が形成された摺動部材10であって、前記被膜12は、リン酸チタニウム化合物を含有している。摺動面13には、リン酸チタニウム化合物の無光触媒作用により、水分を分解して、摺動面13に水酸基(−OH)が生成される。該水酸基の生成により、摺動面13は親水性の表面となり、摺動面13には、水(H2O)層が形成される。これにより、摺動面13に潤滑油、グリースなどの潤滑剤が供給された場合には、水層と潤滑剤の油層からなる境界層が形成される。該境界層は、基油のみの場合に比べて摺動部材10の摺動によるせん断力が小さいので、摺動部材の摩擦係数をより低減させることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、基材の表面に被膜が形成された摺動部材、摺動構造、及びシンクロメッシュ式の変速機に係り、特に、潤滑剤の添加剤にかかわらず摩擦係数を低減することができる摺動部材、摺動構造、及びシンクロメッシュ式の変速機に関する。
【背景技術】
【0002】
従来から、自動車において、エンジン、トランスミッションなど様々な機器に摺動部材が用いられている。そこでは、摺動部材の摺動抵抗を低減してエネルギ損失を減らし、地球環境の保護のための今後の燃費規制に対応すべく、様々な研究開発が進められている。
【0003】
例えば、このような研究開発には、摺動部材の摺動面に介在させる潤滑油に固体潤滑剤を添加する技術や、摺動部材の耐摩耗性を向上させると共に低摩擦特性を得るために、摺動部材の摺動面にコーティングを行う技術などを挙げることができる。
【0004】
たとえば、潤滑剤に固体潤滑剤を添加する技術として、摺動部材の摺動面に、ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)、二硫化モリブデン(MoS)などの固体潤滑剤を添加する技術が挙げられる。
【0005】
また、摺動部材の摺動面をコーティングする技術として、相互に摩擦摺動する摺動部材の一例として、シンクロナイザリングとクラッチギヤが摩擦摺動する少なくとも一方の摩擦摺動面に、ケイ素あるいはケイ素化合物を主成分とする被膜を被覆した、シンクロメッシュ式の変速機が提案されている(特許文献1参照)。
【0006】
【特許文献1】特開2005−147337号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
ところで、ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)、二硫化モリブデン(MoS)などの固体潤滑剤による摩擦係数の低減のメカニズムは、固体潤滑剤の層状構造に起因した層間すべりによるものであり、固体接触部のせん断抵抗を下げることを目的としている。しかし、このような技術領域はすでに飽和しており、現状と比較して画期的に摩擦係数を低減することは望めない。そこで、摩擦係数を低減させるべく、固体潤滑剤の添加量を増加させた場合には、摩擦係数は低減されるものの、摺動部材の耐摩耗性が低下するおそれがあった。
【0008】
さらに、摺動部材同士の間に潤滑剤を供給した場合、流体潤滑領域における摩擦係数を低下させるためには、流体層(潤滑剤)内のせん断力を低下させることが望ましい。一般的に流体層(潤滑剤)内のせん断抵抗を下げる方法としては、ポリアルファオレフィン(PAO)等のトラクション係数の低い基油を使用することも考えられるが、このような基油を用いたとしても画期的なトラクション係数の低下を望むことは難しい。
【0009】
また、前記特許文献1に記載のシンクロメッシュ式の変速機は、変速機のハウジング内の潤滑油がギヤの回転によりハウジング内の部材の摺動面に供給されるような構造となっている。このような構造から、シンクロナイザリング、クラッチギヤの形成されている複数の摺動面に対しても、同じ潤滑油が同時に供給されることになる。しかし、前記潤滑油として、例えば、有機モリブデン、有機亜鉛などの添加剤を含有した潤滑油を用いた場合には、該添加剤により変速機を構成するクラッチギヤとカウンタギヤの摩擦係数は低減され、変速機のトルク損失を抑えることができる。しかし、前記潤滑油が、シンクロナイザリングとクラッチギヤの摩擦摺動面に供給された場合には、これらの部材同士の摩擦係数も低下してしまい、前記摩擦摺動面における摩擦力を利用して、シンクロナイザリングとクラッチギヤの回転の同期を円滑に図ることが難しくなり、変速機を円滑に動作させ難くなる。
【0010】
本発明は、このような課題に鑑みてなされたものであって、第一の目的とするところは、例えば、ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)、二硫化モリブデン(MoS)などの固体潤滑剤を利用した摺動部材よりも、低い摩擦係数を得ることができる摺動部材、摺動構造を提供することにある。そして、第二の目的とするところは、たとえ、有機モリブデン、有機亜鉛などの添加剤を含む潤滑油を用いた場合であっても、添加剤に左右されることなく所定の摩擦特性を確保することができる摺動部材、摺動構造、及びシンクロメッシュ式の変速機を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
前記課題を解決すべく、本発明に係る摺動部材は、基材の表面に被膜が形成された摺動部材であって、前記被膜は、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有していることを特徴としている。
【0012】
本発明に係る摺動部材によれば、リン酸チタニウム化合物の無光触媒作用により、前記被膜表面に存在する水分を分解して、被膜が形成された摺動部材の摺動面に水酸基を生成することができる。この結果、表面の水酸基により摺動部材の摺動面は、親水性の表面となり、摺動面には、水(HO)層が形成される。これにより、本発明に係る摺動部材の摺動面(被膜の表面)に潤滑剤(潤滑油又はグリース)を供給しながら、摺動部材を摺動させた場合には、摺動部材の摺動面には、油層と水層とが混在した境界層が形成される。このような境界層は、前記潤滑剤(基油)のみの場合に比べてせん断力が小さい。また、前記境界層を含む摺動形態は、固体潤滑剤の層状構造のすべりの形態とは異なり、境界層により、摺動部材に作用するせん断抵抗を下げることができる。このような結果、該被膜が無い摺動部材、又は、該摺動部材に固体潤滑剤を用いたもの(例えば、PTFEの被膜を形成した摺動部材など)に比べて、摺動部材の摩擦係数をより低下させることができる。
【0013】
さらに、本発明に係る摺動構造は、前記摺動部材を少なくとも一方に有し、相互に摩擦摺動する一対の摺動部材を備えた摺動構造であって、前記一対の摺動部材のうち少なくとも一方の摺動部材は、前記一対の摺動部材の他方の摺動部材と異なる部材に対して摺動する摺動面と、前記他方の摺動部材と摩擦摺動する面に、前記被膜が形成された摩擦摺動面とを、備えている。
【0014】
本発明に係る摺動構造によれば、一対の摺動部材が相互に摩擦摺動する面に、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有した被膜を形成することにより、表面粗さを変えることなく、他方の摺動部材とは異なる部材に対して摺動する摺動面の摩擦係数と、前記摩擦摺動面の摩擦係数を異なる値にすることができる。この結果、前記摺動面及び摩擦摺動面を有した、異なる摩擦特性が要求される摺動部材に対して、共通の潤滑剤を供給することが可能となる。より具体的には、摩擦係数の低減効果の高い添加剤を添加した潤滑油を前記摺動面と前記摩擦摺動面に供給した場合、前記摺動面には、前記添加剤の吸着により摩擦係数の低減を図ることができ、前記摩擦摺動面には、リン酸チタニウム化合物による水層の形成により、添加剤が摩擦摺動面に吸着され難くなる(または、仮に摩擦摺動面に、添加剤が吸着された場合であっても、水層の水が摩擦摺動面から添加剤を引き剥がす)ので、添加剤による摩擦係数の低下を抑制することができる。
【0015】
ここで、本発明にいう「摺動面」とは、一対の摺動部材が相互に摺動する摺動面(摩擦摺動面)以外の、前記一対の摺動部材のいずれか一方又は双方に形成された摺動面であって、前記一対の摺動部材とは異なる部材に対して摺動する摺動面をいう。また、本発明にいう「摩擦摺動面」とは、一対の摺動部材が相互に摩擦接触により摺動する摺動面であって、摩擦力を利用して一対の摺動部材の摺動を停止させるための摺動面である。
【0016】
また、本発明に係る摺動部材は、酸化アルミニウム、二酸化珪素、窒化アルミニウム、または窒化珪素などの硬質粒子、または、炭素繊維、ガラス繊維等の硬質繊維を前記被膜に含むことがより好ましい。本発明によれば、被膜に前記硬質粒子及び硬質繊維を含むことにより、被膜の耐摩耗性を向上させることができる。
【0017】
また、前記一対の摺動部材の間には、たとえば、ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)、二硫化モリブデン(MoS)、グラファイト、及び窒化硼素などの粒子を含有した潤滑油を介在させてもよい。
【0018】
本発明に係る摺動構造は、前記摺動面と前記摩擦摺動面に、有機モリブデン又は有機亜鉛の少なくとも一方が添加された潤滑剤が供給可能に構成されていることがより好ましい。本発明によれば、添加剤として有機モリブデン又は有機亜鉛の少なくとも一方が添加された潤滑剤が、前記摺動面及び摩擦摺動面に存在することにより、前記摺動面において、有機モリブデン又は有機亜鉛の吸着により、該摺動面における摩擦係数を低減することができ、摩擦摺動面において、リン酸チタニウム化合物による水層の形成により、有機モリブデン又は有機亜鉛の吸着が抑制され、該摩擦摺動面におけるさらなる摩擦係数の低減を抑えることが可能となる。
【0019】
たとえば有機モリブデンとしては、モリブデン−アミン錯体、モリブデン−コハク酸イミド錯体、有機酸のモリブデン塩、アルコールのモリブデン塩、ジアルキルジチオカルバミン酸モリブデン(Mo−DTC)またはジチオリン酸モリブデン(Mo−DTP)などを挙げることができ、より好ましい態様としては、本発明に係る有機モリブデン化合物は、ジアルキルジチオカルバミン酸モリブデン(Mo−DTC)またはジチオリン酸モリブデン(Mo−DTP)であることがより好ましい。
【0020】
特に、汎用性、コスト面等を考慮すると、潤滑油に含有させる有機モリブデン化合物は、ジアルキルジチオカルバミン酸モリブデン(Mo−DTC)がより好ましく、生成方法により分子中のアルキル基の構造は異なる。例えば、アルキルジチオカルバミン酸モリブデンの具体例としては、例えば、ジブチルジチオカルバミン酸硫化モリブデン、ジペンチルジチオカルバミン酸硫化モリブデン、ジヘキシルジチオカルバミン酸硫化モリブデン、ジヘプチルジチオカルバミン酸硫化モリブデン、ジオクチルジチオカルバミン酸硫化モリブデン、ジノニルジチオカルバミン酸硫化モリブデン、ジデシルジチオカルバミン酸硫化モリブデン、ジウンデシルジチオカルバミン酸硫化モリブデン、ジドデシルジチオカルバミン酸モリブデン、ジトリデシルジチオカルバミン酸モリブデン等を挙げることができる。なお、有機亜鉛は、前述した有機モリブデンのモリブデンを亜鉛に置換した添加剤であり、少なくとも、前記有機モリブデンに挙げた種類と同様の種類を挙げることができる。
【0021】
また、潤滑剤の基油は、前述したような添加剤を含むのであれば鉱油、合成油などが挙げられ特に限定されるものではない。また、このような潤滑油は、前記化学反応が抑制されないのであれば、酸化防止剤、摩耗防止剤、極圧剤、摩擦調整剤、金属不活性剤、清浄剤、防錆剤、泡消剤などを適宜追加することができる。なお、潤滑油の変わりに、例えば、有機モリブデンまたは有機亜鉛を含む基油にさらに増稠剤を分散させたグリースであっても同様の効果が得られる。
【0022】
また、この潤滑剤の給油機構としては、循環潤滑機構、ミスト潤滑機構、又は、オイルバスによる油浴潤滑機構など等が挙げられ、摺動時に摺動部材の摺動面及び摩擦摺動面に、潤滑油を給油することができるのであれば、特に限定さるものではない。
【0023】
また、本発明に係るシンクロメッシュ式の変速機は、前記摺動構造を備えたシンクロメッシュ式の変速機であって、前記一対の摺動部材は、シンクロナイザリング、及び該シンクロナイザリングに摩擦摺動するクラッチギヤである。
【0024】
本発明によれば、シンクロナイザリングとクラッチギヤが摩擦摺動する摩擦摺動面、すなわち、シンクロナイザリングのリング内周面及びクラッチギヤの外周面(ギヤコーン面)のいずれか一方又は双方に、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有した被膜が形成されるので、潤滑剤に含有する添加剤が摩擦摺動面に吸着し難く、添加剤が吸着した場合であっても、摩擦摺動面から添加剤を引き剥がすことが可能となる。この結果、潤滑剤の添加剤に影響の受け難い、摩擦係数の低下を抑制した摩擦摺動面を得ることができる。
【0025】
一方、シンクロナイザリングは、セレクタと共に移動するスリーブ(クラッチギヤと異なる部材)に対して摺動する摺動面を有している。また、クラッチギヤは、前記セレクタと共に移動する前記スリーブ(シンクロナイザリングと異なる部材)や、カウンタギヤと摺動する摺動面を有している。そして、これらの摺動面には、前記潤滑油の添加剤が吸着するので、摩擦係数が低減される。
【0026】
このように、摩擦摺動面に対しては、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有した被膜起因の水層により、潤滑剤の添加剤のさらなる摩擦係数の低減は抑制される。一方、前記摺動面に対しては、潤滑剤の添加剤により、摩擦係数は低減される。この結果、たとえ、有機モリブデン、有機亜鉛などの添加剤を含む潤滑油が、摩擦摺動面及び摺動面に供給された場合であっても、シンクロナイザリングをクラッチギヤの回転に円滑に同期させることができ、さらには、これらの部材の摩擦係数の低減を図ることができる。
【発明の効果】
【0027】
本発明によれば、固体潤滑剤を利用した摺動部材よりも、低い摩擦係数を得ることができ、さらには、潤滑油の添加剤に左右され難い摺動面を得ることができ、所定の摩擦特性を確保することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0028】
以下、図面に基づき本発明である摺動部材及び、該摺動部材を備えた摺動構造を含むシンクロメッシュ式の変速機の一実施形態について、説明する。
【0029】
図1は、本実施形態に係る摺動部材の模式図を示しており、図2は、図1の摺動部材を構成する被膜の化学的構造を示した図である。
【0030】
図1に示すように、本発明に係る摺動部材10は、基材11に被膜12が形成されており、基材11は、鉄系材料からなる。また、図2に示すように、基材11に形成された被膜12は、リン酸チタニウム化合物からなり、被膜12の表面が、摺動部材10の摺動面13となっている。また、被膜12の厚さは、0.5〜5μmの範囲にある。このような被膜12は、抗菌、防カビ用途などで一般的に使用さている、前記組成を含む無機質無光触媒コーティング剤を、基材11の表面に塗布、又はスプレーコーティングし、オーブン等で、200℃程度の温度条件で、数十分間焼成することにより得ることができる。また、前記被膜の厚みは、コーティング剤の塗布量、スプレー量によって、調整することができる。
【0031】
なお、摺動部材10の基材11の材質は、鉄系材料としたが、該鉄系材料は、鋳鉄系、鋼系いずれであってもよく、さらには、この他にも、非鉄系材料、樹脂系材料、またはゴム系材料等の材質が挙げることができ、前記被膜形成時の焼成温度よりも高い耐熱性があり、摺動部材10の使用環境下に応じて、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有した被膜12の密着性を確保することができるものであれば、特に限定されるものではない。
【0032】
このように構成された摺動部材10は、図1に示すように、摺動面13が、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有した被膜が形成されているので、摺動面13には、リン酸チタニウム化合物の無光触媒作用により、水分を分解して、摺動面13に水酸基(−OH)が生成される。該水酸基の生成により、摺動面13は親水性の表面となり、摺動面13には、水(HO)層が形成される。これにより、摺動面13に潤滑油、グリースなどの潤滑剤が供給された場合には、水層と潤滑剤の油層からなる境界層が形成される。該境界層は、基油のみの場合に比べて摺動部材10の摺動によるせん断力が小さいので、摺動部材の摩擦係数をより低減させることができる。
【0033】
このように、摺動部材10は、潤滑油を摺動面に供給して摺動する摺動部材に対して有効である。また、前記摺動部材の摺動面として、シリンダとピストンの摺動面、シャフトとすべり軸受との摺動面、歯車同士の噛み合い面、転がり軸受の摺動面などを挙げることができる。
【0034】
前記摺動部材10を適応した好適な実施形態として、以下のシンクロメッシュ式の変速機について以下に示す。図3は、図1の摺動部材を有した一対の摺動部材として、シンクロナイザリングと、クラッチギヤを含むシンクロメッシュ式の変速機の要部を模式的に示した図であり、図4は、図3のシンクロメッシュ式変速機を構成するシンクロナイザリングとクラッチギヤとを含む摺動構造を説明するための図である。
【0035】
図3に示すように、本実施形態に係るシンクロメッシュ式の変速機1は、エンジンからの入力シャフト(図示せず)の動力を、ギヤ比を変えて出力シャフト(図示せず)に出力する機器であり、変速機1は、ギヤ比を変える際に作動する摺動部材として、相互に摩擦摺動するシンクロナイザリング21と、クラッチギヤ22と、を備えている。
【0036】
具体的には、シンクロナイザリング21は、そのリング内周面にコーン状の傾斜面21aが形成されており、リング外周面にはスリーブ25と噛み合うための歯21bが形成されている。一方、クラッチギヤ22は、外周面に、コーン状の傾斜面(ギヤコーン面)22a、スリーブ25と噛み合うための歯22b、及び、動力伝達のためのカウンタギヤ(図示せず)と噛み合う歯車22cが形成されている。
【0037】
そして、シンクロナイザリング21の内周の傾斜面(リング内周面)21a及びクラッチギヤ22のギヤコーン面22aには、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有した被膜が形成されており、これらの部材は、後述するように、セレクタ26の動作により相互に摩擦摺動するようになっている。
【0038】
なお、本発明に係る「摩擦摺動面」は、本実施形態におけるシンクロナイザリング21の傾斜面21a及びクラッチギヤ22のギヤコーン面22aに相当する。また、本発明に係る「摺動面」は、本実施形態におけるシンクロナイザリング21のスリーブ25と摺動する歯21bの摺動面、クラッチギヤ22のスリーブ25と摺動する歯22bの摺動面、クラッチギヤ22のスリーブ25と摺動する歯車22cの摺動面、クラッチギヤ22のカウンタギヤと摺動する歯車22cの摺動面(歯面)に相当する。そして、本実施形態に係る変速機1は、一般的なシンクロメッシュ方式の変速機同様に、これらの摩擦摺動面及び摺動面に、カウンタギヤの回転により有機モリブデン又は有機亜鉛が添加された潤滑油が供給可能なように構成されている。
【0039】
このような変速機1を用いて変速する場合には、セレクタ26に連結されたスリーブ25を、シャフト27の軸方向に移動させることにより、シンクロナイザリング21のコーン状の傾斜面21aを、クラッチギヤ22のギヤコーン面22aに摩擦接触させ、摩擦力により、シンクロナイザリング21とクラッチギヤ22との回転の同期化を行う。さらに、スリーブ25をさらに同方向に移動させることにより、スリーブ25がシンクロナイザリング21の歯21bに接触することで、スリーブ25とシンクロナイザリング21との回転の同期化を行う。このようにして、シンクロナイザリング21、クラッチギヤ22、およびスリーブ25の回転が同期することにより、スリーブ25がシンクロナイザリング21の歯21b及びクラッチギヤ22の歯22bと噛み合い、クラッチギヤ22の歯車22cに、カウンタギヤからの動力が伝達されることになる。
【0040】
この際に、シンクロナイザリング21とクラッチギヤ22の摺動面には、潤滑油に含有する有機モリブデン又は有機亜鉛が吸着し、これらの摺動面に関する摺動特性は向上する。特に、前記摺動面のうち、クラッチギヤ22に対してカウンタギヤとの噛み合う歯車22cの歯面に有機モリブデン又は有機亜鉛が吸着することにより、クラッチギヤ22とカウンタギヤとの摩擦係数が低減される。この結果、変速機1におけるエンジンからのトルク損失を低減することが可能となる。
【0041】
一方、シンクロナイザリング21の傾斜面21aとクラッチギヤ22のギヤコーン面22aである摩擦摺動面の間にも、有機モリブデン又は有機亜鉛を含有した潤滑剤が供給され、これらの摩擦摺動面間に介在することになる。しかし、これらの摩擦摺動面には、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有した被膜が形成されているので、リン酸チタニウム化合物の表面には、水酸基が生成される。この結果、親水性になった被膜の表面は親水性の表面となり、該表面には水層が形成される。これにより、有機モリブデン又は有機亜鉛が摩擦摺動面に吸着し難く、さらにこれらが吸着したとしても水層がこれらの添加剤を引き剥がすので、摩擦摺動面における摩擦係数のさらなる低減は抑制される。この結果、シンクロナイザリング21とクラッチギヤ22の回転を、円滑に同調させることができる。
【実施例】
【0042】
以下に、本発明を実施例により説明する。
[実施例1]
(摺動構造)
一対の摺動部材として、後述するリングオンディスク試験を行うため、ディスク試験片とリング試験片とを準備し、摺動構造として、前記ディスク試験片、前記リング試験片、及びこれらの試験片の間に介在させる潤滑油を準備した。
【0043】
<ディスク試験片>
図5に示すように、リン酸チタニウム化合物を含有した被膜を形成する基材として、表面粗さを中心線平均粗さRa0.2μmにした30mm×30mm×5mmの機械構造用炭素鋼材(S45C:JIS規格、焼入れ焼戻し)を準備し、この基材の30mm×30mmの表面に、抗菌、消臭、防カビ用途の市販の無機質無光触媒コーティング剤(エコキメラCW−30、テクノトレード)の原液を塗布し、該塗布した基材をオーブンで200℃、30分間焼成し、ディスク試験片の摺動面に、膜厚;0.5〜5μmの範囲となるように、リン酸チタニウム化合物を含有した被膜を形成した。
【0044】
<リング試験片>
図5に示すように、外径25.6mm、内径20mm、高さ16mm、中心線平均粗さRa0.25μmの材質SAE4620からなるリング試験片を製作した。
【0045】
<潤滑油>
ベース油(エンジン油150N)に対して、酸化防止剤のみを添加した潤滑油を準備した。
【0046】
(摩擦試験)
図5に示すように、ディスク試験片の30mm×30mmの面と、リング試験片の円筒端面とを接触させ、80℃に加温した前記潤滑油を供給しながら、周速度0.3m/秒、面圧を5MPaから10MPaまで変化させてなじみ試験を行い、10MPa一定の荷重条件下で、60分間摩擦試験を行い、摩擦係数の経時変化を評価した。この結果を図6に示す。
【0047】
[比較例1]
実施例1と同じようにして、ディスク試験片とリング試験片とを製作し、実施例と同様の条件で摩擦試験を行った。実施例と相違する点は、ディスク試験片の表面に、リン酸チタニウム化合物を含有した被膜を形成しなかった点である。この結果を図6に示す。
【0048】
[比較例2]
実施例1と同じようにして、ディスク試験片とリング試験片とを製作し、実施例と同様の条件で摩擦試験を行った。実施例と相違する点は、ディスク試験片の表面に、リン酸チタニウム化合物を含有した被膜の代わりに、固体潤滑剤であるポリテトラフルオロエチレン(PTFE)の被膜を設けた点である。この結果を図6に示す。
【0049】
[結果1]
摩擦係数は、実施例1、比較例2、比較例1の順に小さくなった。
【0050】
[考察1]
実施例1の摺動面には、リン酸チタニウム化合物の被膜が形成されていることにより、リン酸チタニウムの触媒作用により、摺動面にHOが吸着し、該HO層と潤滑油の油層とが混在する境界層が形成されたと考えられる。この結果、摺動時において、境界層のせん断力は低下し、比較例1の被膜を設けなかったもの、及び、比較例2の固体潤滑剤であるポリテトラフルオロエチレン(PTFE)の被膜を摺動面に形成したものと比較して、更に摩擦係数が低減したものと考えられる。
【0051】
[実施例2]
<一対の摺動部材>
図4に示すように、一対の摺動部材として、変速機のシンクロナイザリング21とクラッチギヤ22を準備し、シンクロナイザリング21のコーン状の傾斜面(内周面)21aと、クラッチギヤ22のギヤコーン面22aに、抗菌、消臭、防カビ用途の市販の無機質無光触媒コーティング剤(エコキメラCW−30、テクノトレード)の原液を塗布し、該塗布した基材をオーブンで100℃、30分間焼成し、これらの面21a,22aに、膜厚;0.5〜5μmの範囲となるように、リン酸チタニウム化合物を含有した被膜を形成した。
【0052】
<潤滑油>
前記変速機内に供給される潤滑油として、ギヤ油(API:GL−5,SAE:75W−90)に、1000ppmの有機モリブデン(アルキルジチオカルバミン酸モリブデン:Mo−DTC(ADEKA製 サクラルーブ100:ジヘキシルジチオカルバミン酸硫化モリブデンに相当)を添加した潤滑油を準備した。
【0053】
<摩擦試験>
前記シンクロナイザリングとクラッチギヤを準備し、前記潤滑油を50℃一定とし、1200rpmで一定回転しているクラッチギヤに対してシンクロナイザリングを700Nの押付け荷重で押付けて、そのときにクラッチギヤからシンクロナイザリングに伝達されるトルクを104回測定し、該測定結果から動摩擦係数を算出した。この結果を、図7に示す。
【0054】
<トルク損失比測定試験>
前記シンクロナイザリングとクラッチギヤを、5速FF車用の手動変速機(シンクロメッシュ式の変速機)に搭載し、変速機の入力回転数を1000rpmとし、潤滑油の油温を50℃一定の条件で、ならし運転、パターン変速後、5速で5時間連続を行い、変速機の損失トルクを測定し、トルク損失比を求めた。そして、このトルク損失比とは、前記リン酸チタニウムの被膜を形成せず、潤滑剤に有機モリブデンを添加していない場合における損失トルクを測定し、該損失トルクを基準として算出した比率である。この結果を図8に示す。
【0055】
[比較例3]
実施例2と同じように、シンクロナイザリングとクラッチギヤを準備した。実施例2と相違する点は、図4に示す、シンクロナイザリング21のコーン状の傾斜面(内周面)21aと、クラッチギヤ22のギヤコーン面22aに、リン酸チタニウム化合物を含有した被膜を形成していない点と、潤滑油に有機モリブデンを添加していない点である。そして、実施例2と同じように、摩擦試験及びトルク損失比の測定試験を行った。この結果を、図7,8に示す。
【0056】
[比較例4]
実施例2と同じように、シンクロナイザリングとクラッチギヤを準備した。実施例2と相違する点は、図4に示す、シンクロナイザリング21のコーン状の傾斜面(内周面)21aと、クラッチギヤ22のギヤコーン面22aに、リン酸チタニウム化合物を含有した被膜を形成していない点である。なお、潤滑油には有機モリブデンを添加している。そして、実施例2と同じように、摩擦試験を行った。この結果を、図7に示す。
【0057】
[結果2]
図7に示すように、実施例2及び比較例3の摩擦係数は略同じであり、比較例4のものに比べて大きい。また、図8に示すように、実施例2は、比較例3に比べて、トルク損失比は小さかった。
【0058】
[考察2]
結果2より、比較例4ように、単に潤滑油に有機モリブデンを添加した場合には、シンクロナイザリングの傾斜面(内周面)とクラッチギヤのギヤコーン面には、これらの添加剤が付着し、摩擦係数が低下したと考えられる。この結果、表面が未処理のシンクロナイザリングとクラッチギヤを用い、有機モリブデンを添加した潤滑油を用いた場合には、変速機の変速時にシンクロナイザリングとクラッチギヤとの同期不良が発生するおそれがあると考えられる。
【0059】
一方、実施例2のシンクロナイザリングの傾斜面とクラッチギヤのギヤコーン面である摩摺動触面の間にも、有機モリブデンを添加した潤滑剤が介在することになる。しかし、これらの摩擦摺動面には、リン酸チタニウム化合物を含有した被膜が形成されているので、リン酸チタニウム化合物の表面には、水酸基が生成され、摩擦摺動面には水層が形成されると考えられる。この結果、有機モリブデンは摩擦摺動面に吸着し難く、さらにこれらが吸着したとしても水層の水が有機モリブデンを引き剥がすので、摩擦摺動面における摩擦係数のさらなる低減は抑制され、比較例3と同等の摩擦係数になったと考えられる。この結果、実施例2の場合、シンクロナイザリングとクラッチギヤの回転を、円滑に同期することができると考えられる。
【0060】
さらに、実施例2は比較例3と異なり潤滑油に有機モリブデンを添加したので、例えば、クラッチギヤとカウンタギヤとの噛み合い面など変速機の摺動面には、有機モリブデンが添加された潤滑油が供給される。この結果、クラッチギヤとカウンタギヤとの噛み合い損失は低減され、比較例3に比べ、実施例2は変速機のユニットとしてのトルク損失を低減することができる。
【0061】
以上、本発明の実施の形態を図面を用いて詳述してきたが、具体的な構成はこの実施形態に限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲における設計変更があっても、それらは本発明に含まれるものである。
【0062】
たとえば、本実施形態では、シンクロメッシュ式の変速機のシンクロナイザリング、およびクラッチギヤに用いることができるが、有機モリブデンや有機亜鉛による摩擦係数の低減効果が要求される摺動面と、該摺動面よりもより高い摩擦係数が要求される摺動面(摩摺動触面)とを備えた、シンクロメッシュ式の機構を構成する部材に好適であり、その適用箇所は特に限定されるものではない。例えば、ワンウェイクラッチなどの部材などを挙げることができる。
【図面の簡単な説明】
【0063】
【図1】本実施形態に係る摺動部材の模式図。
【図2】図1の摺動部材を構成する被膜の化学的構造を示した図。
【図3】図1の摺動部材を有した一対の摺動部材として、シンクロナイザリングと、クラッチギヤを含むシンクロメッシュ式の変速機の要部を模式図。
【図4】図3のシンクロメッシュ式の変速機の一対の摺動部材を構成するシンクロナイザリングとクラッチギヤとを含む摺動構造を説明するための図。
【図5】摩擦特性試験を説明するための概略図。
【図6】実施例1及び比較例1,2の摩擦試験結果を示した図。
【図7】実施例2及び比較例3,4の摩擦試験結果を示した図。
【図8】実施例2と比較例3の損失トルク比の結果を示した図。
【符号の説明】
【0064】
1:変速機、10:摺動部材、11:基材、12:被膜、13:摺動面、21:シンクロナイザリング、21a:傾斜面、21b:(スリーブと噛み合う)歯、22:クラッチギヤ、22a:ギヤコーン面(傾斜面)、22b:(スリーブと噛み合う)歯、22c:(カウンタギヤと噛み合う)歯車、25:スリーブ、26:セレクタ、27:シャフト

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材に被膜が形成された摺動部材であって、
前記被膜は、少なくともリン酸チタニウム化合物を含有していることを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
請求項1に記載の摺動部材を少なくとも一方に有し、相互に摩擦摺動する一対の摺動部材を備えた摺動構造であって、
前記一対の摺動部材のうち少なくとも一方の摺動部材は、前記一対の摺動部材の他方の摺動部材と異なる部材に対して摺動する摺動面と、前記他方の摺動部材と摩擦摺動する面に、前記被膜が形成された摩擦摺動面とを、備えていることを特徴とする摺動構造。
【請求項3】
前記摺動構造は、前記摺動面と前記摩擦摺動面に、有機モリブデン又は有機亜鉛の少なくとも一方が添加された潤滑剤が供給可能に構成されていることを特徴とする請求項2に記載の摺動構造。
【請求項4】
前記請求項2又は3に記載の摺動構造を備えたシンクロメッシュ式の変速機であって、前記一対の摺動部材は、シンクロナイザリング、及び該シンクロナイザリングに摩擦摺動するクラッチギヤであることを特徴とするシンクロメッシュ式の変速機。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2008−281032(P2008−281032A)
【公開日】平成20年11月20日(2008.11.20)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−123478(P2007−123478)
【出願日】平成19年5月8日(2007.5.8)
【出願人】(000003207)トヨタ自動車株式会社 (59,920)
【Fターム(参考)】