説明

流体軸受装置及び、それを用いたスピンドルモータ

【課題】HDD(ハードディスクドライブ)等の情報装置に使用される流体軸受装置に関し、クロム層が形成されたスラスト板の反りを低減させて、摩耗粉による動作不良を防止できる流体軸受装置を提供する。
【解決手段】スラスト板16の少なくとも一方の面に塑性加工で加工硬化溝16aを設けることで、加工硬化によりスラスト板16の曲げ強度を向上させることができるので、外部からスラスト板16を変形させようとする力が作用しても変形を低減できる。そのため、その表面にクロム層やダイヤモンドライクカーボン層を堆積しても変形が少なくなる。その結果、スラスト板16の反りを抑制でき、摩耗粉による動作不良を防止できる流体軸受装置を提供できる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、例えば、ハードディスクドライブ(以下、HDDと記載する)等の情報装置に搭載されている流体軸受装置と、それを用いたスピンドルモータに関するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、HDDは記憶容量を向上することが大きなトレンドとなっている。このため、HDDに使用されるスピンドルモータの軸受としては、回転精度が高い流体軸受装置が主に使用されている。
【0003】
流体軸受装置は、回転部と固定部を備えており、この回転部と固定部の間に潤滑流体を充填させて軸受部を構成している。回転部が回転した時には、動圧発生溝が形成されている軸受部により動圧を発生させて潤滑流体を介して回転部を支持する構成となっている。
【0004】
このような流体軸受装置は、回転開始時や回転停止時などの回転速度が遅いときは、軸受部は接触した状態で回転している。そのため、軸受部には耐摩耗性に優れ、硬度が高い材料が必要とされている。
【0005】
そこで、低コストで且つ、加工精度が得られる材料を用いて、軸受部に表面処理を施すことで、摩耗に耐え得る硬度を得ることが主流となっている。
この表面処理技術としては、様々な技術があるが、ダイヤモンドライクカーボンを表面に処理する技術が多く用いられている。
【0006】
例えば、図9の(a)および(b)に図示しているように、転がり摺動部品である内輪101の外周面101aと外輪102の内周面102aの金属母材の表面には、放電処理を用いて、0.4〜0.6マイクロメータ(以下、μmと記載する)の厚みでクロム層103が形成され、そのクロム層103の上に、タングステンを含有したダイヤモンドライクカーボン層104が形成されている。
【0007】
このように総膜厚が、1.5〜3.0μmに形成された皮膜は、ビッカース硬さで1000〜2000Hvを有しており、最表面の粗さは、中心線平均粗さ(Ra)が0.1μmとなっており、各層相互の原子間の結合が強固となる。したがって、グリースなどの潤滑成分が存在していない場合でも、ダイヤモンドライクカーボン層104が剥離し難いので、耐久性が向上するなど、耐摩耗性に優れた表面となっている。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
前記従来の転がり摺動部品である内輪101の外周面101aや外輪102の内周面102aは、曲げ剛性が高い曲面であり、クロム層103やダイヤモンドライクカーボン層104を形成しても、その面が変形し難い形状となっている。
【0009】
一方、流体軸受装置のスラスト軸受部を構成しているスラスト板は、平面状であるので、高速でイオンなどを対象物に衝突させるときに、対象物を構成する原子がたたき出される現象であるスパッタリングなどを用いて、クロム層103を平面状である流体軸受装置の軸受部を構成しているスラスト板に積層すると、スラスト板の表面が反り、平面度を維持することができない。
【0010】
すなわち、高電圧をかけて高温になったクロムを平面状であるスラスト板の表面上に成膜するので、常温に戻るときに、クロム層が収縮するために、スラスト板の表面はクロム層に引っ張られ、椀状に反る。また、ダイヤモンドライクカーボン層を積層するときにも同様に熱による変形が生じて、スラスト板が反る。
【0011】
このように、流体軸受装置の軸受部を構成しているスラスト板の表面が反ると、流体軸受装置が回転開始時および、回転停止時などに、回転部と固定部が接触する状態が長くなるので摩耗が進行する。そして、この摩耗によって摩耗粉が発生し、軸受内部に蓄積されると軸受が焼付き、流体軸受装置が回転しないなどの動作不良を起こすという課題があった。
【0012】
そこで、本発明は、摩耗粉による動作不良を防止できる流体軸受装置を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0013】
この目的を達成するために、本発明の流体軸受装置は、軸受孔を有するスリーブと、前記軸受孔に回転可能な状態で挿入されているシャフトと、前記シャフトの端部に固定されているスラストフランジと、前記軸受孔の一方を閉塞するように前記スリーブに固定され、前記スラストフランジと回転軸方向に対向している平面状のスラスト板と、前記スラスト板の少なくとも一方の面に形成されている加工硬化溝と、前記スラストフランジと前記スラスト板の間に形成されているスラスト動圧軸受部と、少なくとも前記スラスト動圧軸受部に充填されている潤滑流体と、前記スラストフランジに対向する前記スラスト板の面上に形成されている中間層と、前記中間層の上に形成され前記中間層よりも層厚が厚い表面層と、を備えるものである。
【発明の効果】
【0014】
以上のように、本発明によれば、流体軸受装置の軸受部を構成しているスラスト板の少なくとも一方の面に塑性加工で加工硬化溝を形成することで、加工硬化によりスラスト板の曲げ剛性を向上させることができるので、外部からスラスト板を変形させようとする力が作用しても変形を低減できる。すなわち、クロム層等の中間層やダイヤモンドライクカーボン層等の表面層をスラスト板に積層してもスラスト板の反りを低減できる。その結果、摩耗粉による動作不良を防止できる流体軸受装置を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】本発明の実施の形態1に係るスピンドルモータの断面図。
【図2】本発明の実施の形態1に係る流体軸受装置の断面図。
【図3】本発明の実施の形態1に係るスラスト板の製造工程図。
【図4】本発明の実施の形態1に係るスラスト板の加工硬化溝を示す正面図。
【図5】本発明の実施の形態1に係る中間層積層工程の概念を示す図。
【図6】(a)本発明の実施の形態1に係るクロム層によるスラスト板の変位量のシミュレーション結果を示す図。(b)クロム層によるスラスト板の変位量の実測結果を示す図。
【図7】本発明の実施の形態1に係るダイヤモンドライクカーボン層積層工程の概念を示す図。
【図8】本発明の実施の形態1に係るダイヤモンドライクカーボン層によるスラスト板の変形量の実測結果を示す図。
【図9】(a)従来例に係る転がり摺動部品の断面図。(b)従来例に係る転がり摺動部品表面の表面処理部拡大図。
【図10】(a),(b)は、スラスト板の反りの方向と図11中の符号との関係を示す説明図。
【図11】本発明の実施の形態1に係るクロム層とダイヤモンドライクカーボン層との厚みの比率を変化させた場合における平面度の変化量を示す説明図。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下に、本発明に係る流体軸受装置及びスピンドルモータの実施の形態を図面に基づき説明する。なお、以下の説明では、便宜上、図面の上下方向を「軸方向上側」、「軸方向下側」などと表現するが、流体軸受装置及びスピンドルモータの実際の使用状態を限定するものではない。
【0017】
(実施の形態1)
図1は、本発明の実施の形態1における流体軸受装置1を備えたスピンドルモータ2が搭載されたHDD3の断面図を示すものである。
【0018】
[HDD3全体の構成]
本実施形態に係るHDD3は、図1に示すように、ヘッド部4と、スピンドルモータ2とを内部に搭載している。そして、それぞれの記録再生ヘッド4aによって円板状の記録媒体であるディスク5に対する情報の書き込み、あるいは既に書き込まれた情報の再生を行う。
【0019】
ヘッド部4は、複数の記録再生ヘッド4aを搭載しており、ディスク5の表裏面に近接するように配置されている。
ベース6は、例えば、SPCC等の板材やアルミ系合金の鋳造を加工して形成されており、表裏面はNiメッキや電着塗装を施して形成されて、スピンドルモータ2の静止側の部分を構成するとともに、HDD3の密閉筐体の一部を構成している。
【0020】
そして、ベース6は、その中心部分付近に、流体軸受装置1を構成しているスリーブ7が接着や圧入などによって固定され、流体軸受装置1の回転側の部分であるシャフト9には、ロータハブ8が取付けられている。
【0021】
ロータハブ8は、例えば、フェライト系ステンレス鋼(SUS430など)によって略逆カップ状に形成されている。そして、流体軸受装置1のシャフト9の外周上端部に嵌合され、接着や圧入などによって固定されてシャフト9と一体となって回転する。
【0022】
また、ロータハブ8は、シャフト9が上端部に挿入される中央孔8aと、ロータマグネット10が取り付けられる円筒状垂下壁であるマグネット保持部8bと、円板状のディスク5が載置される円形段状のディスク載置面8cとを有している。
【0023】
ディスク5とディスクスペーサ5aは、略円盤状のディスククランプ11のディスク固定面11aとディスク載置面8cの間に挟まれている。そして、ディスククランプ11の中央部に設けたネジ止め用孔11bを介してネジ12をシャフト9に設けたネジ部9aに締め付けることでディスク5をディスククランプ11によって押圧固定している。なお、ディスククランプ11の押圧部11cがロータハブ8の位置規制面8dと当接した状態で、ディスク5に対して所定の押圧力が加わるようにしている。
【0024】
また、スピンドルモータ2は、ディスク5を回転駆動するための回転駆動源となる装置であって、ロータマグネット10、ステータコア13、ステータコイル14および軸受部である流体軸受装置1等を備えている。
【0025】
[スピンドルモータ2を構成する各部材の説明]
ロータマグネット10は、隣接する磁極がN極、S極と交互に配置された、円環状の部材であって、Nd−Fe−B系樹脂マグネット等によって形成されている。
【0026】
そして、ロータマグネット10は、ステータコア13と径方向に一定の隙間を介して、ロータハブ8のマグネット保持部8bに対して装着され、例えば、接着などによって固着されている。
【0027】
ステータコア13は、円周方向に沿ってほぼ等角度間隔で配置された複数の突極部を有しており、この突極部に対してそれぞれステータコイル14が巻回される。そして、ステータコア13は、ステータコイル14に電流を流すことで発生する磁場によって、ロータマグネット10に対して、回転力を付与する。
【0028】
[流体軸受装置1を構成する各部材の説明]
流体軸受装置1は、ベース6に固定された略円筒状のスリーブ7に対してシャフト9が回転するシャフト回転型の流体軸受装置である。図2を用いて、流体軸受装置1について説明する。
【0029】
図2は流体軸受装置1の断面図を示しており、この流体軸受装置1は、スリーブ7の軸受孔7aに、シャフト9が間隙(空間)を介して回転自在な状態に挿入されている。そして、シャフト9の下端部(軸方向下側)にはスラストフランジ15が一体形成されている。
【0030】
このスラストフランジ15の下面には軸線方向に間隙を有する状態で対向するようにスラスト板16がスリーブ7の底部(軸方向下側)に固定されている。ここで、スラストフランジ15は、シャフト9と別体の構成でも良く、ねじ止め、接着、圧入などの工法によって固定されていても良い。
【0031】
また、これらの構成に加えて、スリーブ7の上端面7bとの間に空間S1を介して覆うとともに、外気に通じる1つの通気孔18aを有したカバー18を設けている。そして、この流体軸受装置1において、スリーブ7における外周面寄りの箇所に、軸受孔7aと略平行に延びる1つの連通路19が形成されている。この連通路19により、スラストフランジ15を収納する空間を形成している円形段状の凹部である大径部15aと、空間S1とが連通されている。
【0032】
また、シャフト9の外周面とスリーブ7の軸受孔7aとの間隙、およびカバー18の内周面18bとスリーブ7の上端面(開口端側端面)7bとの間の開口端側空間である空間S1を含むスリーブ7の内部の空間には潤滑流体20が保持されている。
【0033】
そして、カバー18のシャフト9に臨む内周面18bには開口側ほど広がるように形成されて、外気に連通して毛管力によって潤滑流体20を溜める潤滑流体溜め部21が形成されている。
【0034】
また、スリーブ7の軸受孔7aの内周面には上下にヘリングボーン形状などのラジアル動圧溝(図示せず)が形成され、シャフト9とスリーブ7とが相対的に回転した際に、このラジアル動圧溝により掻き集められる潤滑流体20の力により動圧が発生し、シャフト9とスリーブ7とが半径方向に所定間隙を介して非接触で回転自在に支持されるラジアル流体軸受を構成している。
【0035】
なお、このラジアル動圧溝はシャフト9の外周面、若しくは、スリーブ7の軸受孔7aの内周面の少なくとも一方に形成されていてもよく、また、両方に形成されていてもよい。
【0036】
一方、スラスト板16の軸方向上側の面には、例えば、ヘリングボーン形状などスラスト動圧溝(加工硬化溝16a)がコイニングやプレスなどの塑性加工によって形成され、シャフト9に一体形成されているスラストフランジ15とスラスト板16とが相対的に回転した際に、このスラスト動圧溝により掻き集められる潤滑流体20の力により動圧が発生し、スラスト板16とスラストフランジ15とがスラスト方向(軸心方向)に所定間隙を介して非接触で回転自在に支持されるスラスト軸受部が構成されている。
【0037】
ここで、このスラスト動圧溝はスラストフランジ15の外周よりも内側で、スリーブ7に形成されている軸受孔7aの内周とほぼ同等の位置まで達している。
これにより、スラストフランジ15とスラスト板16が相対的に回転したときに、スラスト動圧溝によってスラスト板16の外周からスラストフランジ15とスラスト板16の間の間隙に潤滑流体20を引き込む力を生じ、効果的に潤滑流体20を引き込むことができる。
【0038】
したがって、必要な揚力を得るためにスラスト動圧溝の深さを深く形成する必要がなく、従来よりもスラスト動圧溝の深さを浅くしても、スラスト板16を浮上させるために必要な揚力を得ることができる。
【0039】
また、スラスト動圧溝の深さを浅くできるので、平面度の変化が小さな硬度の高い材料をスラスト板16に用いても容易に加工することができる。
また、スラスト板16は、外周がスラスト動圧溝を形成する面側から反対側に向かってプレス加工によって打ち抜かれており、スラスト動圧溝が形成されている面と反対側の面の外周に打ち抜きによってバリ(かえり)が生じている。このとき、スラスト板16は、スラスト動圧溝が形成される面側が凸となるように逆椀状に反っている。
【0040】
ここで、本実施形態では、スラスト動圧溝を内周方向から外周方向に向かって深さが漸次深くなるように形成している。これにより、前記の打ち抜きのときに発生する反りを強制し、平面度を向上させることができると同時にバリをつぶして面をなだらかにすることができる。
【0041】
また、ラジアル動圧溝は、ヘリングボーン形状に限定されるものではなく、スパイラル形状であっても良い。同様に、スラスト動圧溝は、ヘリングボーン形状に限定されるものではなく、スパイラル形状であっても良い。
【0042】
そして、スリーブ7とカバー18とは、接着剤で固着されており、潤滑流体20が外部に漏れ出すことを防止している。
以上のように、本実施形態において、スラスト動圧溝は、スラスト板16に形成されている。これにより、薄い平面状のスラスト板16の剛性を向上させることで、スラスト動圧溝により生じる動圧によってスラスト板16の変形を低減し、スラスト軸受部の軸受隙間を安定させることができる。
【0043】
次に、スラスト板16の製造方法について説明する。
図3は、スラスト板16の製造工程のフローチャートである。図3に示すようにスラスト板16の製造工程は、第1の工程であるブランク加工工程G1、第2の工程である溝加工工程G2、第3の工程である中間層積層工程G3および、第4の工程であるダイヤモンドライクカーボン層(表面層)積層工程G4を備えている。
【0044】
まず、第1の工程であるブランク加工工程G1においては、例えば、厚さ0.5mmのオーステナイト系のステンレス鋼板SUS304の平板を、プレス加工することで外径6.6mmの円盤形状に形成する。
【0045】
次に、第2の工程である溝加工工程G2においては、例えば、図4に示すように内周から外周に伸びる深さ5μmの複数の加工硬化溝16aを、プレス加工により形成する。ここで、この加工硬化溝16aは、溝幅比が1:1で且つ、へリングボーン形状とし、動圧を発生する形状としている。すなわち、加工硬化溝16aは、スラスト動圧溝となっている。
【0046】
このとき、この加工硬化溝16aは、プレス加工の塑性変形によって加工硬化を起こしているので、スラスト板16の曲げ剛性を向上させることができ、外力が作用してもスラスト板16は変形しにくくなる。
【0047】
そして、発生する動圧の最大点16bから半径方向内側に向かってシャフト9の外径9b(図2に示す)に相当する部分まで延びている形状に形成されている加工硬化溝16aを、発生する動圧の最大点16bから半径方向外側に形成されている加工硬化溝16aよりも長くなるように形成している。これにより、スラスト板16の曲げ剛性を動圧の最大点16bの外周側より内周側を向上させている。
【0048】
また、スラスト板16よりも硬い材質であるスラストフランジ15側に動圧を発生させるための溝を形成する必要がなくなり、コスト的にも安価な軸受を構成することが可能となっている。
【0049】
次に、第3の工程である中間層積層工程G3では、スラスト板16の溝加工を施した面に、例えば、クロムによる中間層(クロム層30)を堆積する。この中間層は、後述するダイヤモンドライクカーボン層(表面層)33のスラスト板16に対する密着性をよくするために設けられている。
【0050】
図5は、クロムによる中間層を積層するスパッタリングを模式的に示している。
内部の真空度を10-1〜10-3パスカル(以下、Paと記載する)としたチャンバー23内にて、スパッタリングのターゲットとなるクロムターゲット24とスラスト板16を対向させ電圧を印加している。チャンバー23の内部は、例えば、ポンプなどにより吸入口25からアルゴンガスが吸入されてチャンバー23の内部圧力を保ちながら排出口26からアルゴンガスを排出している。
【0051】
クロムターゲット24とスラスト板16の間には、例えば、500ボルトの電圧を印加しており、クロムターゲット24とスラスト板16の間にあるアルゴンガスをプラズマ化してプラズマ領域27をつくっている。このプラズマ領域27にあるアルゴンプラスイオン原子28が電界で加速されてクロムターゲット24に衝突することでクロムイオン原子29が飛び出し、対向したスラスト板16表面に付着して積層されていく。
【0052】
クロムイオン原子29が積層することでスラスト板16の表面にクロム層(中間層)30を形成する。クロムイオン原子29は電界で加速されることで高いエネルギーを保持した状態でスラスト板16の表面に付着していく。その高いエネルギーが保持された状態で積層されるために、エネルギーが熱に変換され高温状態でクロム層30を形成していくこととなる。
【0053】
そして、中間層積層工程G3が終了し、クロム層30が、高温状態から常温状態へと冷却されると、クロム層30において熱収縮が生じる。スラスト板16の表面に積層されているクロム層30が収縮することで、スラスト板16は、略椀状に変形するように反りが生じる。
【0054】
スラスト軸受部を構成している部材であるスラスト板16が略椀状に変形すると、回転開始時や回転停止時などの低速回転時において、回転部であるスラストフランジ15と固定部であるスラスト板16が接触する状態が長くなるので摩耗が進行する。そして、この摩耗によって摩耗粉が発生し、軸受内部に蓄積されると軸受が焼付き、流体軸受装置が回転しないなどの動作不良を起こす。
【0055】
ここで、図6(a)は、0.5mmのスラスト板16の上に中間層として0.2μm、0.4μm、0.8μmのクロム層30をそれぞれ設けて、クロム層30の温度だけが変化する場合のスラスト板16の変形量を、シミュレーションにて求めた結果を示しており、クロム層30の積層厚さが厚くなるにつれて、変形量も大きくなっていることがわかる。つまり、クロム層30が薄ければ、変形量をより小さく抑制することができる。
【0056】
また、図6(b)には、スラスト板16の厚みを一定(0.5mm)とし、クロム層30の積層厚さを0.2μm、0.4μm、0.6μm、0.8μmとした4つの状態にて、スラスト板16の表面に加工硬化溝16aを形成した場合と形成していない場合のスラスト板16の反り(平面度)の実測値のデータを示している。
【0057】
この実測値のデータと図6(a)に示すシミュレーション結果を比較すると、どちらも、同様に略椀状に反って、クロムの厚みを厚くすることにより反りの量も増えており、熱による変形で反りが発生していると推定できる。
【0058】
そして、加工硬化溝16aを形成した方が、形成しないときよりも変形量が小さいことがわかる。すなわち、プレス加工で加工硬化溝を形成しているので塑性変形するときに生じる加工硬化により、外力に対して強くなって変形量を低減できていることが分かる。
【0059】
この加工硬化溝16aは、スラスト板16の直径に対して径方向の70%以上に形成されていれば効果的である。
以上のように、クロム層30の厚さを0.2μmとし、プレス加工で加工硬化溝16aを形成することで、スラスト板16の変形量を抑制することができるが、クロム層30が薄ければ、クロムイオン原子とスラスト板16の密着性が弱くなるので、好ましくない。そこで、密着性の点より、クロム層30を0.8μmとした。その場合においても、図6(b)に示すように、加工硬化溝16aを形成している場合の変形量は、加工硬化溝16aを形成していない場合のスラスト板16の変形量の最小値よりもなお小さく、0.15μmよりも小さい程度に十分に変形を抑えることができる。
【0060】
また、加工硬化溝16aを設けることでクロムイオン原子29が形成される面積が増えるため、クロムイオン原子とスラスト板16の密着性をより強くすることができる。
なお、変形量(反り)の測定にはピエゾ加振器を用い、プローブを共振周波数近傍(約50〜500kHz)で加振させ、表面上を断続的に軽く触れながら走査する。表面の凹凸によるプローブの振幅の変化量を、分解能1ナノメータのレーザ光を使って検出している。
【0061】
次に、図3に示すダイヤモンドライクカーボン層積層工程G4では、図7に示すように、ターゲットとしてグラファイトターゲット31を用いている。中間層積層工程G3と同様に、プラズマ領域27のアルゴンプラスイオン原子28が電界で加速されてグラファイトターゲット31に衝突することで炭素イオン原子32が飛び出し、対向したスラスト板16の上に積層されているクロム層30の表面に付着し、積層されてダイヤモンドライクカーボン層33を形成する。
【0062】
このときに、ダイヤモンドライクカーボン層33は、高いエネルギーを持って積層されていく。そのため、ダイヤモンドライクカーボン層33の内部で熱などによる圧縮残留応力が発生している。ダイヤモンドライクカーボンの結晶構造は、グラファイトのような一定の結晶構造を持たず、非晶質の結晶構造となっている。ダイヤモンドライクカーボン層33は圧縮残留応力を取り除くために内部の結晶構造を部分的に変化させて炭素原子や水素原子が移動して残留応力を取り除いたり、水素を吸収したりする。
【0063】
その結果、クロム層30の表面に積層されたダイヤモンドライクカーボン層33の体積が膨張して、上述したクロム層30とは反対に、スラスト板16は、略逆椀状に反ることになる。
【0064】
図8は、スラスト板16の表面にダイヤモンドライクカーボン層33を積層させて、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みを変化させたとき、スラスト板16の表面に加工硬化溝16aを形成した場合と形成していない場合のスラスト板16の変形量を示している。
【0065】
図8に示すように、ダイヤモンドライクカーボン層33の場合も加工硬化溝16aを形成していない場合と比較して、加工硬化溝16aを形成している場合の変形量(反り量)は小さい値となっている。
【0066】
なお、本実施形態では、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みを1.6μmとしている。ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みを1.6μmとすることで、図6に示しているクロム層30を形成したときのスラスト板16の変形を相殺し、変形量を低減することが可能となる。
【0067】
このとき、図8に示すように、加工硬化溝16aを形成している場合の変形量は、加工硬化溝16aを形成していない場合のスラスト板16の変形量の最小値よりもなお小さく、0.15μmよりも小さい程度に十分に変形を抑えることができる。
【0068】
本実施形態では、上述した層厚さとしたが、流体軸受装置1を構成している部材の材質により、その表面層の厚さを設定することで、同様の効果が得られる。つまり、本実施形態では、クロム層30の厚みを0.8μmとし、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みを1.6μmとしたが、これに限定されるものではない。例えば、クロム層30の厚みによる変形(反り)量と、ダイヤモンドライクカーボン層33による逆方向の変形(反り)量がほぼ等しい値になるようなダイヤモンドライクカーボン層33の厚みとすればよい。
【0069】
そうすることにより、加工硬化溝によってスラスト板16の剛性を向上させて反りの値を低減することができることに加えて、さらに、クロム層30の変形量とダイヤモンドライクカーボン層33の変形量とを相殺できるのでスラスト板16の反りをより小さくすることが出来る。
【0070】
また、クロム層30の厚みTmとダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTsの比は、2:3とすると効果的で好ましい。
ここでさらに、クロム層30およびダイヤモンドライクカーボン層33の厚みとスラスト板16の反りとの関係について、図10および図11を用いて説明すれば以下の通りである。
【0071】
ここで、図10(a)および図10(b)に示すように、スラスト板16の反りの方向として、スラストフランジ15との対向面側に凸状となる方向(中凸方向)に変化する場合を符号+とし、逆に、スラストフランジ15との対向面側とは反対側に凸状となる方向(中凹方向)に変化する場合を符号−として示すと、クロム層30(下地)の厚みTm、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)層33の厚みTsとスラスト板16の平面度変化量(反り)との関係は、以下のようになる。
【0072】
なお、上記平面度変化量とは、以下の式によって表される。
平面度変化量(μm)=(下地・DLC成膜後のスラスト板の平面度)−(下地・DLC成膜前のスラスト板の平面度)
【0073】
図11に示すように、クロム層30の厚みTm=0.4μm、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTs=0.8μmの場合(厚み比Tm:Ts=1:2)には、平面度変化量は+0.02μmと良好な結果であった。また、クロム層30の厚みTm=0.4μm、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTs=1.6μmの場合(厚み比Tm:Ts=1:4)には、平面度変化量は+0.19μmとやや反りが大きくなる結果であった。
【0074】
また、クロム層30の厚みTm=0.8μm、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTs=1.2μmの場合(厚み比Tm:Ts=2:3)には、平面度変化量は−0.04μmと良好な結果であった。また、クロム層30の厚みTm=1.2μm、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTs=1.2μmの場合(厚み比Tm:Ts=1:1)には、平面度変化量は−0.09μmと概ね良好な結果であった。
【0075】
ここで、スラスト板16表面の耐摩耗性を考慮すれば、クロム層30とダイヤモンドライクカーボン層33の厚みの総和が、2.0μm以上であることが好ましい。
よって、以上の結果から、クロム層30の厚みTm=0.8μm、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTs=1.2μmという組み合わせ(Tm:Ts=2:3)が、スラスト板16の反り(平面度変化量)の発生を最小限に抑えつつ、表面の耐摩耗性を十分に維持できるという点で最も好ましい。
【0076】
さらに、以上の結果から、クロム層30とダイヤモンドライクカーボン層33との厚みの比(Tm:Ts)は、0.8:1.2、つまりTm:Ts=2:3であることが好ましい。より詳細には、誤差範囲を考慮して、以下の関係式(1)を満たすことが好ましい。
Tm:Ts=1.75〜2.25:2.75〜3.25 ・・・・・(1)
【0077】
これにより、クロム層30とダイヤモンドカーボン層33との厚み比を上記範囲内とすれば、クロム層30形成による反りとダイヤモンドライクカーボン層33形成による反りとをバランスよく相殺させることができる。よって、表面にクロム層30とダイヤモンドライクカーボン層33が積層されたスラスト板16の反りを、効果的に抑制することができる。
【0078】
また、クロム層30の厚みTm=0.4μm、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTs=0.8μmの場合(厚み比Tm:Ts=1:2)には、平面度変化量については+0.02μmと最小値になっているものの、両層の厚みの総和が1.2μmと2.0μmを下回っている。このため、この厚みの組合せでは、スラスト板16の反りは最小限にできるものの、スラスト板16表面の耐摩耗性を十分に確保できないおそれがある。よって、スラスト板16の反りと耐摩耗性の両方を所定の基準以内に抑えるためには、クロム層30の厚みTmとダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTsとの比が上記関係式(1)の範囲内であって、かつ両層の厚みの総和が2.0μm以上であることがより望ましい。
【0079】
一方、クロム層30の厚みTmとダイヤモンドライクカーボン層33の厚みTsの比が、0.4:1.6=1:4と両層の厚みの差が大きくなった場合には、クロム層30とダイヤモンドライクカーボン層33とを形成したことによる相反する方向への反りが相殺されずに、一方の側への反りとなって現れることが分かる。
【0080】
ここで、スラスト板16の表面に形成されたクロム層30とダイヤモンドライクカーボン層33とは、上述したように、それぞれ逆方向への反りを生じさせることが分かっている。よって、クロム層30、ダイヤモンドライクカーボン層33の厚みの比については、両層を形成したことによる反りの相殺バランスを考慮して、上述した関係式(1)の範囲内であることが好ましい。
【0081】
なお、上述した図11のデータは、SUS304から成形されたスラスト板16を用いた場合の例であるが、例えば、SUS303やSUS420等の他の材料によって成形されたスラスト板であっても、上述した図11のデータとほぼ同等の結果を得ることができるものと考えられる。
【0082】
本実施形態では、以上のように、動圧軸受部を構成している部材相互間の摩耗により摩耗粉が発生し、動作不良の発生を防止するために、動圧軸受部を構成している部材であるスラスト板16の少なくとも一方の面に、塑性加工で形成される加工硬化溝を設けている。これにより、加工硬化によりスラスト板16の剛性を向上させ、変形の抑制が可能となる。
【0083】
また、クロムを含む中間層(クロム層30)やダイヤモンドライクカーボン層33を所定の厚みおよび所定の厚み比に設定している。これにより、表面処理層を形成したときの外力が作用した場合でもスラスト板が変形しにくくすることによって変形(反り)を抑制できる。そして、スラスト板16の変形(反り)が抑制されることで、回転開始・停止時などの低速回転時でもスラストフランジ15がスラスト板16から浮上して非接触とすることができ、摩耗の進行を抑制することができる。
この結果、焼付きやモータのロックなどの動作不良が起こりにくい信頼性の高い流体軸受装置および、それを用いたスピンドルモータを提供できる。
【0084】
[他の実施形態]
以上、本発明の一実施形態について説明したが、本発明は上記実施形態に限定されるものではなく、発明の要旨を逸脱しない範囲で種々の変更が可能である。
【0085】
(A)
上記実施形態では、中間層としてクロム層30を用いた例を挙げて説明した。しかし、本発明はこれに限定されるものではない。
ダイヤモンドライクカーボン層やスラスト板の材料に対して密着性の高い、例えば、シリコンやチタン、タングステン等の他の材料からなる層であってもよい。
【0086】
(B)
上記実施形態では、表面層として、ダイヤモンドライクカーボン層33を用いた例を挙げて説明した。しかし、本発明はこれに限定されるものではない。
例えば、ダイヤモンドライクカーボン層以外に、水素化アモルファス炭素膜や硬質炭素膜等の他の表面層を用いてもよい。
【0087】
(C)
上記実施形態では、加工硬化溝16aとして、スラスト軸受部を構成するスラスト動圧発生溝を用いた例を挙げて説明した。しかし、本発明はこれに限定されるものではない。
例えば、スラスト板におけるスラスト軸受部とは反対側の裏面に、星打ちや所定の溝等を形成して、加工硬化溝として用いてもよい。
なお、スラスト板の裏面に形成される所定の溝としては、ヘリングボーンやスパイラル以外の溝を用いることができる。
【0088】
(D)
上記実施形態では、図1に示すように、情報装置としてHDD3に用いられるスピンドルモータ2について、本発明を適用した例を挙げて説明した。しかし、本発明はこれに限定されるものではない。
例えば、本発明のスピンドルモータを搭載する装置としては、HDD以外にも、光磁気ディスク装置、光ディスク装置、フロッピー(登録商標)ディスク装置、レーザプリンタ装置、レーザスキャナ装置、ビデオカセットレコーダ装置、データストリーマ装置等に対して搭載することが可能である。
【産業上の利用可能性】
【0089】
本発明に係る流体軸受装置及び、それを用いたスピンドルモータは、摩耗粉による動作不良を防止でき、信頼性に優れた流体軸受装置を提供できるので、今後、更に高容量や耐衝撃が要望される情報装置やスピンドルモータに有用である。
【符号の説明】
【0090】
1 流体軸受装置
2 スピンドルモータ
3 HDD(情報装置)
4 ヘッド部
4a 記録再生ヘッド
5 ディスク
5a ディスクスペーサ
6 ベース
7 スリーブ
7a 軸受孔
7b 上端面
8 ロータハブ
8a 中央孔
8b 保持部
8c ディスク載置面
8d 位置規制面
9 シャフト
9a ネジ部
9b 外径
10 ロータマグネット
11 ディスククランプ
11a ディスク固定面
11b ネジ止め用孔
11c 押圧部
12 ネジ
13 ステータコア
14 ステータコイル
15 スラストフランジ
15a 大径部
16 スラスト板
16a 加工硬化溝(動圧発生溝)
16b 最大点
18 カバー
18a 通気孔
18b 内周面
19 連通路
20 潤滑流体
21 潤滑流体溜め部
23 チャンバー
24 クロムターゲット
25 吸入口
26 排出口
27 プラズマ領域
28 アルゴンプラスイオン原子
29 クロムイオン原子
30、103 クロム層(中間層)
31 グラファイトターゲット
32 炭素イオン原子
33、104 ダイヤモンドライクカーボン層(表面層)
101 内輪
101a 外周面
102 外輪
102a 内周面
G1 ブランク加工工程
G2 溝加工工程
G3 中間層積層工程
G4 ダイヤモンドライクカーボン層積層工程
S1 空間
【先行技術文献】
【特許文献】
【0091】
【特許文献1】特開2002−235748号公報

【特許請求の範囲】
【請求項1】
軸受孔を有するスリーブと、
前記軸受孔に回転可能な状態で挿入されているシャフトと、
前記シャフトの端部に固定されているスラストフランジと、
前記軸受孔の一方を閉塞するように前記スリーブに固定され、前記スラストフランジと回転軸方向に対向している平面状のスラスト板と、
前記スラスト板の少なくとも一方の面に形成されている加工硬化溝と、
前記スラストフランジと前記スラスト板の間に形成されているスラスト動圧軸受部と、
少なくとも前記スラスト動圧軸受部に充填されている潤滑流体と、
前記スラストフランジに対向する前記スラスト板の面上に形成されている中間層と、
前記中間層の上に形成され、前記中間層よりも層厚が厚い表面層と、
を備える流体軸受装置。
【請求項2】
前記中間層の厚みTm、前記表面層の厚みTsとすると、以下の関係式(1)を満たす、
請求項1に記載の流体軸受装置。
Tm:Ts=1.75〜2.25:2.75〜3.25 ・・・・・(1)
【請求項3】
前記中間層の厚みと前記表面層の厚みとの和は、以下の関係式(2)を満たす、
請求項2に記載の流体軸受装置。
Tm+Ts≧2.0μm ・・・・・(2)
【請求項4】
前記中間層はクロム層であって、前記表面層はダイヤモンドライクカーボン層である、
請求項1から3のいずれか1項に記載の流体軸受装置。
【請求項5】
前記加工硬化溝は、動圧発生溝である、
請求項1から4のいずれか1項に記載の流体軸受装置。
【請求項6】
請求項1から5のいずれか1項に記載の流体軸受装置を用いたスピンドルモータ。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【公開番号】特開2010−7855(P2010−7855A)
【公開日】平成22年1月14日(2010.1.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−130523(P2009−130523)
【出願日】平成21年5月29日(2009.5.29)
【出願人】(000005821)パナソニック株式会社 (73,050)
【Fターム(参考)】