説明

硬質被覆層がすぐれた耐剥離性と耐摩耗性を発揮する表面被覆切削工具

【課題】硬質被覆層が高速重切削加工ですぐれた耐剥離性と耐摩耗性を発揮する表面被覆切削工具を提供する。
【解決手段】工具基体の表面に、(a)下部層としてTi化合物層、(b)中間層としてα型Al層、(c)上部層として、平板多角形状かつたて長形状の結晶粒組織構造を有するZr含有α型Al層を蒸着形成した表面被覆切削工具において、逃げ面および切刃部の中間層及び上部層は、それぞれ、(0001)面配向率の高いα型Al層、Zr含有α型Al層からなり、また、逃げ面および切刃部の上部層の結晶粒の内、面積比率で60%以上の結晶粒の内部は、少なくとも一つ以上のΣ3で表される構成原子共有格子点形態からなる結晶格子界面により分断されている。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は、例えば、合金工具鋼や軸受鋼の焼入れ材などの高硬度鋼の切削加工を、高熱発生と機械的高負荷を伴う高速重切削条件で行った場合でも、硬質被覆層が剥離、チッピングを発生することなく、長期の使用に亘ってすぐれた耐摩耗性を発揮する表面被覆切削工具(以下、被覆工具という)に関するものである。
【背景技術】
【0002】
特許文献1に示すように、従来、炭化タングステン(以下、WCで示す)基超硬合金または炭窒化チタン(以下、TiCNで示す)基サーメットで構成された基体(以下、これらを総称して工具基体という)の表面に、
(a)下部層は、Ti化合物層、
(b)上部層は、化学蒸着形成した状態でα型の結晶構造を有し、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフにおいて、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の45%以上の割合を占める傾斜角度数分布グラフを示すα型Al23層、
で構成された硬質被覆層を形成してなる被覆工具(従来被覆工具1という)が知られており、この従来被覆工具1は、上部層の高温強度が優れることから、合金鋼、炭素鋼、鋳鉄等の高速断続切削ですぐれた耐チッピング性を示すことが知られている。
また、特許文献2に示すように、工具基体の表面に、
(a)下部層は、Ti化合物層、
(b)上部層は、平板多角形(平坦六角形状を含む)状かつたて長形状の結晶粒組織構造を有し、かつ、上部層の結晶粒の内、面積比率で60%以上の結晶粒の内部は、少なくとも一つ以上のΣ3で表される構成原子共有格子点形態からなる結晶格子界面により分断されているZr含有α型Al層(以下、従来AlZrO層という)、
で構成された硬質被覆層を形成してなる被覆工具(従来被覆工具2という)が知られており、この従来被覆工具2は、硬質被覆層の上部層が、すぐれた高温硬さ、高温強度、表面性状を備えることから、合金鋼、炭素鋼、鋳鉄等の高速重切削加工において、すぐれたチッピング性を発揮することが知られている。
【0003】
ただ、上記従来被覆工具1、従来被覆工具2の何れにおいても、硬質被覆層全体としての特性の向上を目指しているが、被覆工具は、すくい面と逃げ面によって求められる特性が異なるという点から、それぞれの面に応じた特性を付与することも知られている。
例えば、特許文献3に示すように、硬質被覆層の下部層を構成するTiCN層について、すくい面におけるTiCN層の(422)面配向係数を、逃げ面におけるそれより大きくすることによって、すくい面における耐衝撃性を高めると同時に、逃げ面における耐摩耗性を高めた被覆工具(以下、従来被覆工具3という)も知られている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2005−205586号公報
【特許文献2】特開2009−172748号公報
【特許文献3】特開2006−305714号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
近年の切削装置の高性能化はめざましく、一方で切削加工に対する省力化および省エネ化、さらに低コスト化の要求は強く、これに伴い、切削加工は一段と高速化する傾向にあるが、上記従来被覆工具1〜3においては、これを通常の鋼、鋳鉄等の高速切削加工に用いた場合には特に問題はないが、特にこれを、合金工具鋼や軸受鋼の焼入れ材などの高硬度鋼の被覆工具の刃先に高熱発生及び機械的な高負荷を伴う高速重切削条件加工に用いた場合には、特に、すくい面における硬質被覆層の剥離あるいは耐摩耗性の低下により、比較的短時間で使用寿命に至るのが現状である。
【課題を解決するための手段】
【0006】
そこで、本発明者等は、上述のような観点から、切削工具の刃先に高熱発生及び機械的な高負荷を伴う高硬度鋼の高速重切削加工に用いた場合にも、長期の使用に亘ってすぐれた耐剥離性、耐摩耗性を発揮する被覆工具を開発すべく、鋭意研究を行った結果、以下の知見を得た。
【0007】
上記の従来被覆工具においては、Ti化合物からなる下部層を形成した後、これに引き続いて、上部層(例えば、上記従来被覆工具1におけるα型Al層、また、上記従来被覆工具2における従来AlZrO層)が成膜されるが、被覆工具の切削性能を高めるために、中間層を介して上部層を成膜することも行われていることから、本発明者らは、従来被覆工具1におけるα型Al層を中間層とし、その上に、従来被覆工具2における従来AlZrO層をさらに上部層として形成することにより、被覆工具の切削性能を高めることを試みたところ、合金工具鋼や軸受鋼の焼入れ材などの高硬度鋼の高速重切削加工に用いた場合には、特に、すくい面の硬質被覆層の耐剥離性、耐摩耗性が依然として不十分であるとの結論に至った。
【0008】
そこで、本発明者らはさらに鋭意研究を進めたところ、工具基体表面全体にTi化合物からなる下部層を形成した後、成膜処理を一時中断し、すくい面に形成されているTi化合物層(下部層)にレーザー処理を施した後、所定の条件で中間層としてのα型Al23層、さらに、上部層としてのZr含有α型Al23層を成膜した場合には、特に、すくい面の中間層の結晶配向性と上部層の結晶配向性および結晶組織形態を、逃げ面および切刃部のそれとは異なるものとすることができ、これによって、すくい面の硬質被覆層の耐剥離性を高めることができるとともに、耐摩耗性をも高めることができるため、高熱発生を伴う高硬度鋼の高速切削加工においても、耐剥離性と耐摩耗性にすぐれた被覆工具が得られることを見出したのである。
なお、この発明でいうところのすくい面、逃げ面および切刃部とは、図7に示される概略模式図のとおりであるが、被覆工具のすくい面と逃げ面に接し、曲率を持った曲線で囲われる部分が切刃部である。ただ、すくい面と逃げ面とが直線的に交差し、曲線で囲われる部分が形成されない場合には、直線の交点から膜深さ方向で囲まれる部分(図7中の斜線領域)が切刃部となる。
【0009】
この発明は、上記知見に基づいてなされたものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金または炭窒化チタン基サーメットで構成された工具基体の表面に、
(a)下部層が、いずれも化学蒸着形成された、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、かつ、2〜15μmの合計平均層厚を有するTi化合物層、
(b)中間層が、1〜5μmの平均層厚を有し、化学蒸着した状態でα型の結晶構造を有する酸化アルミニウム層、
(c)上部層が、2〜15μmの平均層厚を有し、化学蒸着した状態でα型の結晶構造を有するZr含有酸化アルミニウム層、
上記(a)〜(c)からなる硬質被覆層を蒸着形成した表面被覆切削工具において、
上記(b)の中間層および上記(c)の上部層について、電界放出型走査電子顕微鏡を用い、上記工具基体の表面研磨面の測定範囲内に存在する六方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、前記表面研磨面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうちの0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで表わした場合、
(d)すくい面における中間層は、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の20%以上45%未満の割合を占め、また、逃げ面および切刃部における中間層は、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の45%以上の割合を占める傾斜角度数分布グラフを示し、
(e)すくい面における上部層は、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の30%以上60%未満の割合を占め、また、逃げ面および切刃部における上部層は、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の60%以上の割合を占める傾斜角度数分布グラフを示し、
(f)また、上記(c)の上部層について、電界放出型走査電子顕微鏡で組織観察した場合に、層厚方向に垂直な面内で平板多角形状、また、層厚方向に平行な面内で層厚方向にたて長形状を有する結晶粒からなる組織構造を有するZr含有酸化アルミニウム層であり、
(g)さらに、上記(c)の上部層は、電界放出型走査電子顕微鏡と電子後方散乱回折像装置を用い、表面研磨面の測定範囲内に存在する結晶粒個々に電子線を照射して、六方晶結晶格子からなる結晶格子面のそれぞれの法線が基体表面の法線と交わる角度を測定し、この測定結果から、隣接する結晶格子相互の結晶方位関係を算出し、結晶格子界面を構成する構成原子のそれぞれが前記結晶格子相互間で1つの構成原子を共有する格子点(構成原子共有格子点)の分布を算出し、前記構成原子共有格子点間に構成原子を共有しない格子点がN個(但し、Nはコランダム型六方最密晶の結晶構造上2以上の偶数となるが、分布頻度の点からNの上限を28とした場合、4、8、14、24および26の偶数は存在せず)存在する構成原子共有格子点形態をΣN+1で表した場合に、すくい面における上記(c)の上部層を構成する結晶粒の内、面積比率で35%以上60%未満の結晶粒の内部は、少なくとも一つ以上のΣ3で表される構成原子共有格子点形態からなる結晶格子界面により分断されており、また、逃げ面および切刃部における上記(c)の上部層を構成する結晶粒の内、面積比率で60%以上の結晶粒の内部は、少なくとも一つ以上のΣ3で表される構成原子共有格子点形態からなる結晶格子界面により分断されているZr含有酸化アルミニウム層である、
ことを特徴とする表面被覆切削工具。
(2) 前記(c)の上部層を電界放出型走査電子顕微鏡で組織観察した場合に、層厚方向に垂直な面内で平坦六角形状、また、層厚方向に平行な面内で層厚方向にたて長形状を有する結晶粒が、層厚方向に垂直な面内において全体の35%以上の面積割合を占める前記(1)に記載の表面被覆切削工具。」
に特徴を有するものである。
【0010】
以下に、この発明の被覆工具の硬質被覆層の構成層について、より詳細に説明する。
(a)Ti化合物層(下部層)
Tiの炭化物(以下、TiCで示す)層、窒化物(以下、同じくTiNで示す)層、炭窒化物(以下、TiCNで示す)層、炭酸化物(以下、TiCOで示す)層および炭窒酸化物(以下、TiCNOで示す)層のうちの1層または2層以上からなるTi化合物層は、化学蒸着によって形成することができ、基本的には中間層である改質α型Al23層の下部層として存在し、自身の具備するすぐれた靭性及び耐摩耗性によって硬質被覆層の高温強度向上に寄与するほか、工具基体と改質α型Al23層のいずれにも強固に密着し、よって硬質被覆層の工具基体に対する密着性向上にも寄与する作用を有するが、その合計平均層厚が2μm未満では、前記作用を十分に発揮させることができず、一方その合計平均層厚が15μmを越えると、特に切削時の発熱及び機械的な高負荷が作用する高速重切削条件では熱塑性変形を起し易くなり、これが偏摩耗の原因となることから、その合計平均層厚を2〜15μmと定めた。
【0011】
(b)レーザー処理:
この発明では、上記Ti化合物層(下部層)の成膜を行った後、成膜処理を一時中断し、すくい面に形成されているTi化合物層(下部層)にレーザー処理を施し、逃げ面のTi化合物層(下部層)に意図的に凹凸を形成し、この上に、中間層、上部層を成膜する試験を行った結果、レーザー処理を施した逃げ面については、硬質被覆層の耐剥離性、耐摩耗性を向上させることができることを確認した。その際、レーザー処理を施した下部層の表面粗さを測定すると、Ra≧0.3(μm)であった。
具体的なレーザー処理は、例えば、次のようにして行う。
Ti化合物層(下部層)を被覆したすくい面にレーザーを照射し、各走査線間隔が一定となるように線状にレーザーを走査・照射する。
その際、レーザービームの断面強度は、ガウシアン分布して波長190〜360nmとし、ビームの断面形状を走査方向に対して扁平させた楕円にする。即ち、この形状は、走査方向を短軸、走査方向と直交する方向を長軸とした楕円形状である。そして、楕円の長軸/短軸比を1.5以上とし、走査線の重なりを長軸径の1/4〜1/3とする。また、走査するレーザービームのピークパワー密度は、0.8〜1.5MW/cmとする。
この際、走査速度はレーザーの繰り返し周波数と走査方向(短軸長さ)の1/4〜1/3に対し、次の関係が成り立つ速度にて走査する。
走査速度[mm/sec]
=(1/3>走査方向径>1/4[μm])/(1/繰り返し周波数[Hz])
また、この発明でいう表面粗さRaとは、JIS B0601(1994)で規定される算術平均粗さRaの値をいい、また、その測定法については特段限定されるものではない。
【0012】
この発明では、すくい面のTi化合物層(下部層)表面のみに、上記のレーザー処理を施し、その表面粗さRaをRa≧0.3(μm)としたのち、成膜処理を再開し、この上に中間層および上部層を成膜すると、すくい面の中間層の結晶配向性と上部層の結晶配向性およびΣ3形態を、逃げ面及び切刃部のそれとは異なるものとすることができ、これによって、すくい面の硬質被覆層の耐剥離性、耐摩耗性を高めることができる。
そして、その結果、高熱発生を伴う高硬度鋼の高速重切削加工においても、逃げ面及び切刃部の耐摩耗性が優れるとともに、すくい面の耐剥離性、耐摩耗性が向上した被覆工具を得ることができる。
【0013】
(c)α型Al23層(中間層)
α型Al23層からなる中間層は、Ti化合物層からなる下部層上に、例えば、前記特許文献1に記載される化学蒸着条件、すなわち、
通常の化学蒸着装置にて、
反応ガス組成:容量%で、AlCl3:3〜10%、CO2:0.5〜3%、C24:0.01〜0.3%、H2:残り、
反応雰囲気温度:750〜900℃、
反応雰囲気圧力:3〜13kPa、
の条件で、下部層であるTi化合物層の表面にAl23核を形成し、この場合Al23核は20〜200nmの平均層厚を有するAl23核薄膜であるのが望ましく、引き続いて、反応雰囲気を圧力:3〜13kPaの水素雰囲気に変え、反応雰囲気温度を1100〜1200℃に昇温した条件でAl23核薄膜に加熱処理を施した状態で、α型Al23層を蒸着することによって形成することができる。
そして、この発明では、すくい面の下部層にレーザー処理を施し、その表面粗さRaを0.3(μm)以上としておくことによって、すくい面には、逃げ面及び切刃部とは異なった結晶配向性を有するα型Al23層が形成される。
即ち、Ti化合物層(下部層)の上に化学蒸着された逃げ面及び切刃部のα型Al23層について、電界放出型走査電子顕微鏡を用い、図1(a),(b)に示される通り、表面研磨面の測定範囲内に存在する六方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、前記表面研磨面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうち、0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで表した場合、図2に例示される通り、傾斜角区分0〜10度の範囲内にシャープな最高ピークが現れ、傾斜角区分0〜10度の範囲内に存在する度数の合計は、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の45%以上の割合を占める。
一方、すくい面に形成された中間層(α型Al23層)については、傾斜角区分0〜10度の範囲内に存在する度数の合計は、図3に例示される通り、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の20%以上45%未満である。
したがって、逃げ面及び切刃部の中間層は、(0001)面配向率の高いα型Al23層として構成されているが、すくい面の(0001)面配向率は逃げ面及び切刃部に対して低く抑えられているため、すくい面では下部層と中間層との付着強度が高められ、また、この中間層は、すぐれた高温硬さ、耐熱性、高温強度を発揮し、さらに加えて、この上に蒸着形成されるZr含有α型Al23層との付着強度も高められるため、その結果として、すくい面の硬質被覆層の耐剥離性、耐摩耗性を向上することができる。
なお、α型Al23層からなる中間層の平均層厚については、すくい面、逃げ面、切刃部の何れの面においても、中間層の平均層厚が1μm未満では前記の特性を硬質被覆層に十分に具備せしめることができず、一方、その平均層厚が5μmを越えると、切削時に発生する高熱によって偏摩耗の原因となる熱塑性変形が発生し易くなり、摩耗が加速するようになることから、その平均層厚は1〜5μmと定めた。
【0014】
(d)Zr含有α型Al23層(上部層)
中間層の上に化学蒸着で形成するZr含有α型Al23層からなる上部層は、その構成成分であるAl成分が、層の高温硬さおよび耐熱性を向上させ、また、層中に微量(Alとの合量に占める割合で、Zr/(Al+Zr)が0.002〜0.01(但し、原子比))含有されたZr成分が、Zr含有α型Al23層の結晶粒界面強度を向上させ、高温強度の向上に寄与するが、Zr成分の含有割合が0.002未満では、上記作用を期待することはできず、一方、Zr成分の含有割合が0.01を超えた場合には、層中にZrO粒子が析出することによって粒界面強度が低下するため、Al成分との合量に占めるZr成分の含有割合(Zr/(Al+Zr)の比の値)は0.002〜0.01(但し、原子比)の範囲内とすることが望ましい。
【0015】
α型Al23層からなる中間層の上に形成する上記Zr含有α型Al23層は、蒸着時の反応ガス組成、反応雰囲気温度および反応雰囲気圧力の各化学蒸着条件を、例えば、以下のとおり調整することによって成膜することができる。
即ち、まず、
(イ)反応ガス組成(容量%):
AlCl: 1〜5 %、
ZrCl: 0.05〜0.1 %、
CO2: 2〜6 %、
HCl: 1〜5 %、
S: 0.25〜0.75 %、
2:残り、
(ロ)反応雰囲気温度; 1020〜1050 ℃、
(ハ)反応雰囲気圧力; 3〜5 kPa、
の条件で第1段階の蒸着を約1時間行った後、
次に、
(イ)反応ガス組成(容量%):
AlCl: 6〜10 %、
ZrCl: 0.6〜1.2 %、
CO2: 4〜8 %、
HCl: 3〜5 %、
S: 0.25〜0.6 %、
2:残り、
(ロ)反応雰囲気温度; 920〜1000 ℃、
(ハ)反応雰囲気圧力; 6〜10 kPa、
の条件で第2段階の蒸着を行うことによって、2〜15μmの平均層厚の蒸着層を成膜すると、Zr/(Al+Zr)の比の値が原子比で0.002〜0.01であるZr含有α型Al23層を形成することができる。
【0016】
そして、この発明では、すくい面の中間層は、前記のごとく逃げ面及び切刃部とは異なった結晶配向を示したが、上部層についても、すくい面の上部層と、逃げ面及び切刃部の上部層とは異なった結晶配向を示した。
即ち、逃げ面及び切刃部の上部層(Zr含有α型Al23層)について、電界放出型走査電子顕微鏡を用い、表面研磨面の測定範囲内に存在する六方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、前記表面研磨面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうち、0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで表した場合、傾斜角区分0〜10度の範囲内にシャープな最高ピークが現れ、傾斜角区分0〜10度の範囲内に存在する度数の合計は、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の60%以上の割合を占めた。
一方、すくい面に形成された上部層(Zr含有α型Al23層)については、傾斜角区分0〜10度の範囲内に存在する度数の合計は、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の30%以上60%未満であった。
したがって、逃げ面及び切刃部の上部層は、(0001)面配向率の高いZr含有α型Al23層として構成され高温強度に優れ、一方、すくい面の上部層の(0001)面配向率は逃げ面及び切刃部に対して低く抑えているため、すくい面においては耐剥離性、耐摩耗性にすぐれた上部層(Zr含有α型Al23層)が形成される。
【0017】
また、上記上部層(Zr含有α型Al23層)について、電界放出型走査電子顕微鏡で組織観察すると、図4(a)に示されるように、層厚方向に垂直な面内で見た場合に、結晶粒径の大きい平板多角形状であり、また、図4(b)に示されるように、層厚方向に平行な面内で見た場合に、層表面はほぼ平坦であって、しかも、層厚方向にたて長形状を有する結晶粒(平板多角形たて長形状結晶粒)からなる組織構造が形成される。
【0018】
また、上記Zr含有α型Al23層の蒸着において、より限定した条件(例えば、第1段階における反応ガス中のHSを0.50〜0.75容量%、反応雰囲気温度を1020〜1030℃とし、さらに、第2段階における反応ガス中のZrClを0.6〜0.9容量%、HSを0.25〜0.4容量%、反応雰囲気温度を960〜980℃とした条件)で蒸着を行うと、切刃部のZr含有α型Al23層は、図4(c)に示されるように、層厚方向に垂直な面内で見た場合に、大粒径の平坦六角形状であり、かつ、層厚方向に平行な面内で見た場合に、図4(b)に示されるのと同様、層表面はほぼ平坦であり、層厚方向にたて長形状を有する結晶粒が、層厚方向に垂直な面内において全体の35%以上の面積割合を占める組織構造が形成される。
【0019】
さらに、上記Zr含有α型Al23層について、電界放出型走査電子顕微鏡と電子後方散乱回折像装置を用い、表面研磨面の測定範囲内に存在する結晶粒個々に電子線を照射して、六方晶結晶格子からなる結晶格子面のそれぞれの法線が前記表面研磨面の法線と交わる角度を測定し、
この測定結果から、隣接する結晶格子相互の結晶方位関係を算出し、結晶格子界面を構成する構成原子のそれぞれが前記結晶格子相互間で1つの構成原子を共有する格子点(構成原子共有格子点)の分布を算出し、前記構成原子共有格子点間に構成原子を共有しない格子点がN個(但し、Nはコランダム型六方最密晶の結晶構造上2以上の偶数となるが、分布頻度の点からNの上限を28とした場合、4、8、14、24および26の偶数は存在せず)存在する構成原子共有格子点形態をΣN+1で表すと、
逃げ面及び切刃部の上部層については、図6に示すように、電界放出型走査電子顕微鏡で観察されるZr含有α型Al23層を構成する平板多角形(平坦六角形を含む)たて長形状結晶粒の内、面積比率で60%以上の結晶粒の内部は、少なくとも一つ以上の、Σ3対応界面で分断されていることがわかり、また、すくい面の上部層については、平板多角形(平坦六角形を含む)たて長形状結晶粒の内、面積比率で35%以上60%未満の結晶粒の内部は、少なくとも一つ以上の、Σ3対応界面で分断されていることがわかる。
そして、Zr含有α型Al23層の平板多角形(平坦六角形を含む)たて長形状結晶粒の内部に、上記のΣ3対応界面が存在することによって、結晶粒内強度の向上が図られ、その結果として、高硬度鋼の高速重切削加工時に、逃げ面及び切刃部のZr含有α型Al23層中にクラックが発生することが抑えられ、また、仮にクラックが発生したとしても、クラックの成長・伝播が妨げられ、耐チッピング性の向上が図られる。
【0020】
また、Zr含有α型Al23層からなる上部層の平均層厚については、逃げ面及び切刃部ばかりでなく、すくい面においても、上部層の平均層厚が2μm未満では、上記上部層のすぐれた特性を十分に発揮することができず、一方、上部層の平均層厚が15μmを超えると偏摩耗の原因となる熱塑性変形が発生しやすくなり、また、チッピングも発生しやすくなることから、上部層の平均層厚を2〜15μmと定めた。
【発明の効果】
【0021】
上記のとおり、この発明の被覆工具は、逃げ面及び切刃部に被覆された中間層の(0001)面配向率が高く、すぐれた高温強度、耐熱性を備え、一方、すくい面に被覆された中間層は(0001)面配向率が逃げ面および切刃に対して相対的に低いが、下部層とのすぐれた付着強度を有し、また、切刃部、すくい面及び逃げ面の上部層を構成するZr含有α型Al23層を、表面平坦性を備えた平板多角形(平坦六角形を含む)たて長形状の結晶粒からなる組織構造とし、さらに、上記結晶粒の内部にΣ3対応界面を形成し、結晶粒内強度を強化したことにより、一段とすぐれた表面性状、高温強度を具備し、さらに、すくい面の上部層を構成するZr含有α型Al23層は中間層との高い付着強度を有し耐剥離性、耐摩耗性にすぐれ一方、逃げ面及び切刃部のZr含有α型Al23層はすぐれた耐摩耗性および耐チッピング性を有することから、このような硬質被覆層を形成した被覆工具は、高熱発生及び機械的高負荷を伴う高硬度鋼の高速重切削加工においても、すくい面及び切れ刃面のすぐれた耐チッピング性、耐摩耗性および逃げ面のすぐれた耐剥離性、耐摩耗性が発揮されることによって、使用寿命の一層の延命化が可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0022】
【図1】硬質被覆層を構成するα型Al23層の結晶粒の(0001)面を測定する場合の傾斜角の測定範囲を示す概略説明図である。
【図2】本発明被覆工具3の切刃部の中間層を構成するα型Al23層の(0001)面の傾斜角度数分布グラフである。
【図3】本発明被覆工具3のすくい面の中間層を構成するα型Al23層の(0001)面の傾斜角度数分布グラフである。
【図4】(a)は、本発明被覆工具2の切刃部のZr含有α型Al23層からなる上部層について、層厚方向に垂直な面内での電界放出型走査電子顕微鏡による観察で得られた、平板多角形状の結晶粒組織構造を示す模式図であり、(b)は、同じく、層厚方向に平行な面内での電界放出型走査電子顕微鏡による観察で得られた、層表面がほぼ平坦であり、層厚方向にたて長形状を有する結晶粒組織構造を示す模式図であり、(c)は、本発明被覆工具11の切刃部のZr含有α型Al23層からなる上部層について、層厚方向に垂直な面内での電界放出型走査電子顕微鏡による観察で得られた、平坦六角形状の結晶粒組織構造を示す模式図である。
【図5】(a)は、本発明被覆工具2のすくい面のZr含有α型Al23層からなる上部層について、層厚方向に垂直な面内での電界放出型走査電子顕微鏡による観察で得られた、平板多角形状の結晶粒組織構造を示す模式図であり、(b)は、同じく、層厚方向に平行な面内での電界放出型走査電子顕微鏡による観察で得られた、層表面がほぼ平坦であり、層厚方向にたて長形状を有する結晶粒組織構造を示す模式図であり、(c)は、本発明被覆工具11のすくい面のZr含有α型Al23層からなる上部層について、層厚方向に垂直な面内での電界放出型走査電子顕微鏡による観察で得られた、平坦六角形状の結晶粒組織構造を示す模式図である。
【図6】(a)、(b)は、それぞれ、本発明被覆工具2の切刃部のZr含有α型Al23層からなる上部層について、電界放出型走査電子顕微鏡および電子後方散乱回折像装置を用いて測定した、層厚方向に垂直な面における粒界解析図であり、実線は、電界放出型走査電子顕微鏡で観察される平板多角形状の結晶粒界を示し、破線は、電子後方散乱回折像装置により測定された結晶粒内のΣ3対応界面を示す。
【図7】被覆工具のすくい面、逃げ面、切刃部を示す概略模式図であり、図示される斜線部分(すくい面、逃げ面から直線を引き、その直線と工具基体のコーナーR終わり、接点から膜厚深さ方向で囲まれる部分)が切刃部である。但し、工具基体のコーナーRがゼロの場合は、図示される二重斜線部分(すくい面、逃げ面から引いた直線の交点から膜厚深さ方向で囲まれる部分)が切刃部となる。
【発明を実施するための形態】
【0023】
つぎに、この発明の被覆工具を実施例により具体的に説明する。
【実施例】
【0024】
原料粉末として、いずれも2〜4μmの平均粒径を有するWC粉末、TiC粉末、ZrC粉末、VC粉末、TaC粉末、NbC粉末、Cr32粉末、TiN粉末、TaN粉末、およびCo粉末を用意し、これら原料粉末を、表1に示される配合組成に配合し、さらにワックスを加えてアセトン中で24時間ボールミル混合し、減圧乾燥した後、98MPaの圧力で所定形状の圧粉体にプレス成形し、この圧粉体を5Paの真空中、1370〜1470℃の範囲内の所定の温度に1時間保持の条件で真空焼結し、焼結後、切刃部にR:0.07mmのホーニング加工を施すことによりISO・CNMG120408に規定するスローアウエイチップ形状をもったWC基超硬合金製の工具基体A〜Eをそれぞれ製造した。
【0025】
また、原料粉末として、いずれも0.5〜2μmの平均粒径を有するTiCN(質量比でTiC/TiN=50/50)粉末、Mo2C粉末、ZrC粉末、NbC粉末、TaC粉末、WC粉末、Co粉末、およびNi粉末を用意し、これら原料粉末を、表2に示される配合組成に配合し、ボールミルで24時間湿式混合し、乾燥した後、98MPaの圧力で圧粉体にプレス成形し、この圧粉体を1.3kPaの窒素雰囲気中、温度:1540℃に1時間保持の条件で焼結し、焼結後、切刃部にR:0.07mmのホーニング加工を施すことによりISO規格・CNMG120408のチップ形状をもったTiCN基サーメット製の工具基体a〜eを形成した。
【0026】
ついで、これらの工具基体A〜Eおよび工具基体a〜eのそれぞれを、通常の化学蒸着装置に装入し、
(a)まず、表3(表3中のl−TiCNは特開平6−8010号公報に記載される縦長成長結晶組織をもつTiCN層の形成条件を示すものであり、これ以外は通常の粒状結晶組織の形成条件を示すものである)に示される条件にて、表6に示される目標層厚のTi化合物層を硬質被覆層の下部層として蒸着形成し、
(b)ついで、逃げ面及び切刃部のTi化合物層(下部層)に対しはレーザー処理を行わずに、表7に示される表面粗さのTi化合物層(下部層)を形成し、一方、すくい面上のTi化合物層(下部層)に対しはレーザー処理を施し、表8に示される表面粗さのTi化合物層(下部層)を形成し、
(c)ついで、表4に示される条件でTi化合物層(下部層)上にAl23核薄膜を形成し、その後加熱処理を施した状態で、表3に示される条件にて、表7、表8に示される目標層厚のα型Al23層からなる中間層を、切刃部、すくい面、逃げ面に蒸着形成し、
(d)次に、表5に示される蒸着条件により、同じく表7、表8に示される目標層厚のZr含有α型Al23層を硬質被覆層の上部層として蒸着形成することにより本発明被覆工具1〜15をそれぞれ製造した。
なお、レーザー処理条件を具体的に言うならば、例えば、本発明被覆工具3では、レーザービームの断面強度は、ガウシアン分布して波長355nmとし、走査するレーザービームのピークパワー密度は、1.0MW/cmとし、走査速度は 1.25mm/secという条件でレーザー処理を行い、その結果として、表面粗さ0.35μmである下部層表面が形成された。
【0027】
また、比較の目的で、硬質被覆層の下部層を表3に示される条件にて形成し、下部層に対するレーザー処理を行わずに、表4に示される条件でTi化合物層(下部層)上にAl23核薄膜を形成し、その後加熱処理を施した状態で、表3に示される条件にて、表9に示される目標層厚のα型Al23層からなる中間層を、切刃部、すくい面、逃げ面に蒸着形成し、ついで、表5に示される蒸着条件により、表9に示される目標層厚のZr含有α型Al23層を硬質被覆層の上部層として蒸着形成することにより、表9に示される目標層厚のTi化合物層とα型Al23層とZr含有α型Al23層とからなる硬質被覆層を設けた比較被覆工具1〜15をそれぞれ製造した。
なお、比較被覆工具1〜15の工具基体種別、下部層種別、下部層厚、中間層厚および上部層厚は、それぞれ、本発明被覆工具1〜15のそれと同じである。
【0028】
表7には、本発明被覆工具1〜15のレーザー処理を施していない逃げ面及び切刃部のTi化合物層(下部層)の表面粗さを示し、また、表8には、本発明被覆工具1〜15のレーザー処理によって表面を凹凸化したすくい面のTi化合物層(下部層)の表面粗さを示す。
表9には、参考のために、レーザー処理を施していない比較被覆工具1〜15の下部層の表面粗さRaも示す。
【0029】
ついで、上記の本発明被覆工具1〜15および比較被覆工具1〜15の硬質被覆層の中間層を構成するα型Al23層、同上部層を構成するZr含有α型Al23層について、電界放出型走査電子顕微鏡を用いて、傾斜角度数分布グラフをそれぞれ作成した。
すなわち、上記傾斜角度数分布グラフは、上記の本発明被覆工具1〜15、比較被覆工具1〜15の各層について、それぞれの表面を研磨面とした状態で、電界放出型走査電子顕微鏡の鏡筒内にセットし、前記研磨面に70度の入射角度で15kVの加速電圧の電子線を1nAの照射電流で、それぞれの前記表面研磨面の測定範囲内に存在する六方晶結晶格子を有する結晶粒個々に照射して、電子後方散乱回折像装置を用い、30×50μmの領域を0.1μm/stepの間隔で、前記研磨面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角を測定し、この測定結果に基づいて、前記測定傾斜角のうちの0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計することにより、傾斜角度数分布グラフ作成した。
傾斜角度数分布グラフの一例として、図2に、本発明被覆工具3の切刃部の中間層を構成するα型Al23層の(0001)面の傾斜角度数分布グラフ、図3に、本発明被覆工具3のすくい面の中間層を構成するα型Al23層の(0001)面の傾斜角度数分布グラフを示す。
なお、この発明でいう“表面”とは、基体表面に平行な面ばかりでなく、基体表面に対して傾斜する面、例えば、層の切断面、をも含む。
【0030】
表7〜表9には、本発明被覆工具1〜15および比較被覆工具1〜15のα型Al23層、Zr含有α型Al23層の傾斜角度数分布グラフにおいて、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の、傾斜角度数分布グラフ全体に占める割合を示した。
表7、表8から明らかなように、本発明被覆工具1〜15の逃げ面及び切刃部においては、傾斜角度数分布グラフにおける0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数割合は、α型Al23層では45%以上、また、Zr含有α型Al23層では60%以上であるのに対して、本発明被覆工具1〜15のすくい面においては、傾斜角度数分布グラフにおける0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数割合は、α型Al23層では20〜45%未満、また、Zr含有α型Al23層では30〜60%未満であった。
なお、表9に示すように、比較被覆工具1〜15では、切刃部、すくい面および逃げ面のいずれの面についても、傾斜角度数分布グラフにおける0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数割合は、α型Al23層では45%以上、また、Zr含有α型Al23層では60%以上であった。
【0031】
ついで、上記の本発明被覆工具1〜15および比較被覆工具1〜15の上部層を構成するZr含有α型Al23層について、電界放出型走査電子顕微鏡、電子後方散乱回折像装置を用いて、結晶粒組織構造および構成原子共有格子点形態を調査した。
すなわち、まず、上記の本発明被覆工具1〜15および比較被覆工具1〜15の逃げ面及び切刃部のZr含有α型Al23層について、電界放出型走査電子顕微鏡を用いて観察したところ、本発明被覆工具1〜15では、図4(a)、(b)で代表的に示される平板多角形(平坦六角形を含む)状かつたて長形状の大きな粒径の結晶粒組織構造が観察された(なお、図4(a)は、層厚方向に垂直な面内で見た本発明被覆工具2の組織構造模式図、また、図4(c)は、層厚方向に垂直な面内で見た本発明被覆工具11の、平坦六角形状かつたて長形状の大きな粒径の結晶粒からなる組織構造模式図)。
また、比較被覆工具1〜15の逃げ面及び切刃部についても、本発明の場合と同様な結晶粒組織構造が観察された。
【0032】
つぎに、上記の本発明被覆工具1〜15および比較被覆工具1〜15の切刃部、すくい面、逃げ面のZr含有α型Al23層を構成する結晶粒の内部にΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積割合を測定した。
まず、本発明被覆工具1〜15の切刃部、すくい面、逃げ面の各面のZr含有α型Al23層について、その表面を研磨面とした状態で、電界放出型走査電子顕微鏡の鏡筒内にセットし、前記表面研磨面に70度の入射角度で15kVの加速電圧の電子線を1nAの照射電流で、それぞれの前記表面研磨面の測定範囲内に存在する六方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、電子後方散乱回折像装置を用い、30×50μmの領域を0.1μm/stepの間隔で、前記結晶粒の各結晶格子面のそれぞれの法線が基体表面の法線と交わる角度を測定し、この測定結果から、隣接する結晶格子相互の結晶方位関係を算出し、結晶格子界面を構成する構成原子のそれぞれが前記結晶格子相互間で1つの構成原子を共有する格子点(構成原子共有格子点)の分布を算出し、前記構成原子共有格子点間に構成原子を共有しない格子点がN個(但し、Nはコランダム型六方最密晶の結晶構造上2以上の偶数となるが、分布頻度の点からNの上限を28とした場合、4、8、14、24および26の偶数は存在せず)存在する構成原子共有格子点形態をΣN+1で表した場合に、Zr含有α型Al23層の測定範囲内に存在する全結晶粒のうちで、結晶粒の内部に、少なくとも一つ以上のΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積比率を求め、その値を、Σ3対応界面割合(%)として表7、表8に示した。
また、比較被覆工具1〜15についても、本発明被覆工具の場合と同様な方法により、Zr含有α型Al23層の測定範囲内に存在する全結晶粒のうちで、結晶粒の内部に、少なくとも一つ以上のΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積比率を求め、その値を、Σ3対応界面割合(%)として表9に示した。
Σ3対応界面割合は、測定範囲内(30×50μm)に存在する各々の結晶粒を色彩識別することで、各々の結晶粒の面積を算出し、その中で、結晶粒の内部に、少なくとも一つ以上のΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積を全結晶粒の面積各結晶粒の総和で除することで算出し、前記算出法によって求めた5箇所の測定範囲の平均値をΣ3対応界面割合(%)として定義した。
【0033】
表7、表8に示される通り、本発明被覆工具1〜15の逃げ面及び切刃部のZr含有α型Al23層については、結晶粒の内部に少なくとも一つ以上のΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積比率は60%以上であるのに対して、すくい面については、結晶粒の内部に少なくとも一つ以上のΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積比率は35%以上60%未満であって、結晶粒の内部にΣ3対応界面が存在する率は小さいことがわかる。
また、比較被覆工具1〜15については、表9に示される通り、切刃部、すくい面および逃げ面のいずれの面についても、結晶粒の内部に少なくとも一つ以上のΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積比率は60%以上であった。
【0034】
また、本発明被覆工具1〜15の切刃部、逃げ面、すくい面のZr含有α型Al23層および比較被覆工具1〜15の切刃部、逃げ面、すくい面のZr含有α型Al23層について、電界放出型走査電子顕微鏡を用いて、層厚方向に垂直な面内に存在する、大粒径の平坦六角形状の結晶粒の面積割合を求めた。この値を表7〜表9に示す。
なお、ここで言う「大粒径の平坦六角形状」の結晶粒とは、
「電界放出型走査電子顕微鏡により観察される層厚方向に垂直な面内に存在する粒子の直径を計測し、10粒子の平均値が3〜8μmであり、頂点の角度が100〜140°である頂角を6個有する多角形状である。」
と定義する。
【0035】
ついで、本発明被覆工具1〜15、比較被覆工具1〜15の硬質被覆層の各構成層の厚さを、走査型電子顕微鏡を用いて測定(縦断面測定)したが、いずれもの場合も、目標層厚と実質的に同じ平均層厚(5点測定の平均値)を示した。
【0036】
つぎに、上記の本発明被覆工具1〜15、比較被覆工具1〜15について、いずれも工具鋼製バイトの先端部に固定治具にてネジ止めした状態で、
被削材:JIS・SUJ2(HRC62)の丸棒、
切削速度: 250 m/min.、
切り込み: 2.7 mm、
送り: 0.15 mm/rev.、
切削時間: 5 分、
の条件(切削条件Aという)での軸受鋼の乾式高速重切削試験(通常の切削速度および切り込みは、それぞれ200m/min 、1.5mm)、
被削材:JIS・SKD11(HRC58)の丸棒、
切削速度: 300 m/min.、
切り込み: 2.7 mm、
送り: 0.15 mm/rev.、
切削時間: 5 分、
の条件(切削条件Bという)での合金工具鋼の乾式高速重切削試験(通常の切削速度および切り込みは、それぞれ200m/min.、1.5mm)、
被削材:JIS・SK3(HRC61)の丸棒、
切削速度: 250 m/min.、
切り込み: 2.7 mm、
送り: 0.15 mm/rev.、
切削時間: 5 分、
の条件(切削条件Cという)での炭素工具鋼の乾式高速重切削試験(通常の切削速度および切り込みは、それぞれ150m/min.、1.5mm)、
を行い、いずれの切削試験でも逃げ面の硬質被覆層の摩耗量、剥離の有無を測定・観察した。
この測定結果を表10に示した。
【0037】
【表1】

【0038】
【表2】

【0039】
【表3】

【0040】
【表4】

【0041】
【表5】

【0042】
【表6】

【0043】
【表7】

【0044】
【表8】

【0045】
【表9】

【0046】
【表10】

【0047】
表7〜10に示される結果から、本発明被覆工具1〜15は、逃げ面及び切刃部の中間層として、(0001)面配向率が45%以上の高い比率を示すα型Al23層が形成され、さらに、この上にZr含有α型Al23層からなる上部層が構成され、該上部層が、平板多角形(平坦六角形)たて長形状の結晶粒の組織構造を有し、(0001)面配向率が60%以上の高い比率を示し、また、結晶粒の内部に少なくとも一つ以上のΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積比率が60%以上と高いことによって、Zr含有α型Al23層が一段とすぐれた高温強度と結晶粒内強度を有し、また、一段とすぐれた表面平坦性とを兼備し、その一方、すくい面のTi化合物層からなる下部層の表面がレーザー処理によって、その表面粗さRaが0.3(μm)以上となるように凹凸化され、その結果、すくい面の(0001)面配向率は、α型Al23層では20%以上45%未満に低減され、Zr含有α型Al23層では30%以上60%未満に低減され、加えて、すくい面におけるZr含有α型Al23層の結晶粒の内部に少なくとも一つ以上のΣ3対応界面が存在する結晶粒の面積比率が35%以上60%未満に低減されることにより、高熱発生を伴う合金工具鋼や軸受鋼の焼入れ材などの高硬度鋼の高速重切削加工で、逃げ面及び切刃部の硬質被覆層はすぐれた高温強度、耐摩耗性および耐チッピング性を発揮するとともに、すくい面の硬質被覆層の耐剥離性、耐摩耗性が一段と改善されることによって、長期の使用にわたってすぐれた切削性能を示し、使用寿命の一層の延命化を可能とするものである。
これに対して、切刃部、すくい面および逃げ面のいずれの面も同様な硬質被覆層が形成された比較被覆工具1〜15については、合金工具鋼や軸受鋼の焼入れ材などの高硬度鋼の高速重切削加工では、特に、すくい面の硬質被覆層の剥離発生、耐摩耗性の低下によって、比較的短時間で使用寿命に至ることが明らかである。
【産業上の利用可能性】
【0048】
上述のように、この発明の被覆工具は、各種の鋼や鋳鉄などの通常条件の切削加工は勿論のこと、高熱発生および機械的高負荷を伴う高硬度鋼の高速重切削加工でも、チッピングの発生なく、すぐれた耐剥離性、耐摩耗性を示し、長期に亘ってすぐれた切削性能を発揮するものであるから、切削装置の高性能化並びに切削加工の省力化および省エネ化、さらに低コスト化に十分満足に対応できるものである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
炭化タングステン基超硬合金または炭窒化チタン基サーメットで構成された工具基体の表面に、
(a)下部層が、いずれも化学蒸着形成された、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、かつ、2〜15μmの合計平均層厚を有するTi化合物層、
(b)中間層が、1〜5μmの平均層厚を有し、化学蒸着した状態でα型の結晶構造を有する酸化アルミニウム層、
(c)上部層が、2〜15μmの平均層厚を有し、化学蒸着した状態でα型の結晶構造を有するZr含有酸化アルミニウム層、
上記(a)〜(c)からなる硬質被覆層を蒸着形成した表面被覆切削工具において、
上記(b)の中間層および上記(c)の上部層について、電界放出型走査電子顕微鏡を用い、上記工具基体の表面研磨面の測定範囲内に存在する六方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、前記表面研磨面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうちの0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで表わした場合、
(d)すくい面における中間層は、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の20%以上45%未満の割合を占め、また、逃げ面および切刃部における中間層は、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の45%以上の割合を占める傾斜角度数分布を示し、
(e)すくい面における上部層は、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の30〜60%未満の割合を占め、また、逃げ面および切刃部における上部層は、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の60%以上の割合を占める傾斜角度数分布グラフを示し、
(f)また、上記(c)の上部層について、電界放出型走査電子顕微鏡で組織観察した場合に、層厚方向に垂直な面内で平板多角形状、また、層厚方向に平行な面内で層厚方向にたて長形状を有する結晶粒からなる組織構造を有するZr含有酸化アルミニウム層であり、
(g)さらに、上記(c)の上部層について、電界放出型走査電子顕微鏡と電子後方散乱回折像装置を用い、表面研磨面の測定範囲内に存在する結晶粒個々に電子線を照射して、六方晶結晶格子からなる結晶格子面のそれぞれの法線が基体表面の法線と交わる角度を測定し、この測定結果から、隣接する結晶格子相互の結晶方位関係を算出し、結晶格子界面を構成する構成原子のそれぞれが前記結晶格子相互間で1つの構成原子を共有する格子点(構成原子共有格子点)の分布を算出し、前記構成原子共有格子点間に構成原子を共有しない格子点がN個(但し、Nはコランダム型六方最密晶の結晶構造上2以上の偶数となるが、分布頻度の点からNの上限を28とした場合、4、8、14、24および26の偶数は存在せず)存在する構成原子共有格子点形態をΣN+1で表した場合に、すくい面における上記(c)の上部層を構成する結晶粒の内、面積比率で35%以上60%未満の結晶粒の内部は、少なくとも一つ以上のΣ3で表される構成原子共有格子点形態からなる結晶格子界面により分断されており、また、切刃部および逃げ面における上記(c)の上部層を構成する結晶粒の内、面積比率で60%以上の結晶粒の内部は、少なくとも一つ以上のΣ3で表される構成原子共有格子点形態からなる結晶格子界面により分断されているZr含有酸化アルミニウム層である、
ことを特徴とする表面被覆切削工具。
【請求項2】
前記(c)の上部層を電界放出型走査電子顕微鏡で組織観察した場合に、層厚方向に垂直な面内で平坦六角形状、また、層厚方向に平行な面内で層厚方向にたて長形状を有する結晶粒が、層厚方向に垂直な面内において全体の35%以上の面積割合を占める請求項1に記載の表面被覆切削工具。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2011−189493(P2011−189493A)
【公開日】平成23年9月29日(2011.9.29)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−95561(P2010−95561)
【出願日】平成22年4月17日(2010.4.17)
【出願人】(000006264)三菱マテリアル株式会社 (4,417)
【Fターム(参考)】