説明

窒素含有非晶質炭素系皮膜、非晶質炭素系積層皮膜および摺動部材

【課題】高面圧下や油潤滑環境下で用いられる摺動部材の表面に形成した場合であっても、優れた耐久性を発揮する窒素含有非晶質炭素系皮膜を提供する。
【解決手段】本発明の窒素含有非晶質炭素系皮膜は、摺動部材の摺動面に、物理蒸着法により形成される窒素含有非晶質炭素系皮膜であって、水素を8.0原子%以上12.0原子%以下、および窒素を3.0原子%以上14.0原子%以下含むところに特徴を有する。本発明の窒素含有非晶質炭素系皮膜を、摺動部材の組み合わせ(例えば自動車エンジンの摺動部品等)であって、該摺動部材の少なくとも一方の摺動面に形成すれば、その効果が十分に発揮される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、窒素含有非晶質炭素系皮膜、非晶質炭素系積層皮膜、および該窒素含有非晶質炭素系皮膜や非晶質炭素系積層皮膜が摺動面に形成された摺動部材に関するものである。
【背景技術】
【0002】
硬質皮膜として非晶質炭素膜が知られている。非晶質炭素は、ダイヤモンドとグラファイトが混ざり合った両者の中間の構造を有するものであり、硬質非晶質炭素、無定型炭素、硬質無定型炭素、i−カーボン、ダイヤモンド状炭素、ダイヤモンドライクカーボン(Diamond Like Carbon;DLC)などとも称される。この非晶質炭素(以下、DLCと称する場合もある)は、ダイヤモンドと同様に硬度が高く、耐摩耗性、固体潤滑性、熱伝導性、化学的安定性に優れていることから、例えば、摺動部材、金型、切削工具類、耐摩耗性機械部品、研磨材、磁気・光学部品等の各種部品の保護膜として利用されつつある。特に化学的に不活性であって、非鉄金属との反応性が低いという非晶質炭素の特徴を活かし、アルミニウムや銅素材向けの切削工具の被覆膜として実用化されている。
【0003】
上記非晶質炭素膜の作製法としては、大きく分けてPVD(Physical Vapor Deposition,物理蒸着)法とCVD(Chemical Vapor Deposition,化学蒸着)法の2種類が存在する。CVD法による成膜は、利点として、成膜速度が速いことや複雑形状の物質にコーティング可能であることが挙げられる。しかしCVD法による成膜では、炭化水素ガスを分解して作製するため、非晶質炭素膜への水素混入量が多く、非晶質炭素膜の硬度を思うように高めることが難しい、といった問題がある。
【0004】
一方、PVD法による成膜では、炭化水素ガスを用いないか、または成膜時の炭化水素ガス導入量を微量とすることで、水素を含まないか、または水素含有量の少ない非晶質炭素膜の作製が可能である。
【0005】
これらの方法を用い、窒素を含む非晶質炭素系皮膜を形成することで、非晶質炭素膜よりも特性を改善させた技術が提案されている。例えば特許文献1には、摺動部材をドライ環境で使用することを前提に、該部材の摺動面に形成する皮膜を窒素含有非晶質炭素系皮膜とし、かつ摺動時の摺動部周辺を窒素雰囲気とすることで、該皮膜中の炭素の酸化防止を図る技術が提案されている。
【0006】
また、例えば特許文献2には、窒素含有非晶質炭素系皮膜と周期律表第IVa族元素等からなる層を積層させたり、該窒素含有非晶質炭素系皮膜中に上記周期律表第IVa族元素等を分散させることにより、摩擦係数を低減させる技術が提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2002−339056号公報
【特許文献2】特開2000−192183号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
上記の通り、窒素を含む非晶質炭素系皮膜が提案されているが、上記特許文献1では、摺動時の摺動部周辺を窒素雰囲気とすることが必要であり、高面圧下や油潤滑環境下で用いられる摺動部材に適したものではない。また特許文献1では、炭化水素ガスを用いず、水素を含まない非晶質炭素系皮膜を形成しているが、この様な膜を高面圧下等で用いた場合には、後述する通り膜の脆化が生じ易いと思われる。よって、高面圧下や油潤滑環境下で用いられる摺動部材の摺動面に形成した場合でも、優れた摺動特性を発揮する非晶質炭素系皮膜を得るには、更なる改善が必要であると考えられる。
【0009】
また特許文献2は、油潤滑環境下での利用に最適な摺動部材について検討されたものであって、高面圧下といった過酷な摺動状況を想定してなされたものではない。また、特許文献2にはCVD法でも形成可能である旨記載されているが、CVD法では、水素量と硬度を適切に制御することが難しいといった問題がある。更に、上記皮膜中の窒素量について具体的に示されていないが、高面圧下や油潤滑環境下でも用いることの可能な摺動部材を実現するには、上記皮膜の成分(水素量および窒素量)について厳密に制御する必要がある。
【0010】
本発明はこの様な事情に鑑みてなされたものであって、その目的は、高面圧下や油潤滑環境下でも用いることの可能な摺動部材、および、該摺動部材の表面に形成されて、優れた摺動特性(耐焼き付き性および耐摩耗性)を発揮する窒素含有非晶質炭素系皮膜を提供することにある。更には、前記摺動部材の表面に形成されて、優れた摺動特性を発揮すると共に、摩擦係数の小さい非晶質炭素系積層皮膜を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明に係る窒素含有非晶質炭素系皮膜とは、摺動部材の摺動面に、PVD法(物理蒸着法)により形成される窒素含有非晶質炭素系皮膜であって、水素を8.0原子%以上12.0原子%以下、および窒素を3.0原子%以上14.0原子%以下含むところに特徴を有する。
【0012】
本発明の窒素含有非晶質炭素系皮膜は、ナノインデンテーション法で測定される硬度H(GPa)とヤング率E(GPa)の比(H/E)が0.070以上0.080以下を示すものでもある。
【0013】
本発明には、前記窒素含有非晶質炭素系皮膜と、その直下に形成される、水素を5.0原子%以上25原子%以下含み、かつ実質的に窒素を含まない非晶質炭素系皮膜とを有するところに特徴がある非晶質炭素系積層皮膜も含まれる。この非晶質炭素系積層皮膜として、前記窒素含有非晶質炭素系皮膜と前記非晶質炭素系皮膜で構成される積層組が、2組以上積層されてなるものが挙げられる。
【0014】
本発明には、更に、摺動部材の組み合わせであって、該摺動部材の少なくとも一方の摺動面に、前記非晶質炭素系皮膜や前記非晶質炭素系積層皮膜が形成されている点に特徴を有する摺動部材も含まれ、該摺動部材として、例えば、自動車エンジンの摺動部品が挙げられる。
【発明の効果】
【0015】
本発明の窒素含有非晶質炭素系皮膜は、規定量の水素および窒素を含んでいるため、高面圧下や油潤滑環境下で用いられる摺動部材の摺動面に形成した場合でも、摺動下で優れた耐焼き付き性および耐摩耗性(以下、これらの特性を総称して「摺動特性」ということがある)を発揮する。また、本発明の非晶質炭素系積層皮膜は、上記窒素含有非晶質炭素系皮膜による優れた耐摩耗性を発揮すると共に、摩擦係数の小さいものである。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】図1は、各皮膜の摩擦係数を比較したグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0017】
上述した通り、PVD法によれば、水素を含まないか水素含有量の少ない非晶質炭素系皮膜を形成することができ、該非晶質炭素系皮膜の硬度を上昇させることができる。その結果、該皮膜を摺動部材の摺動面に形成させた場合に、摺動部材の耐久性向上を期待できる。しかし、硬度が高く水素量の少ない非晶質炭素系皮膜は、硬度の上昇に比例して膜内部の応力も増加することから皮膜の脆性が増加し易い。よってこの様な皮膜を高面圧環境下で用いた場合、皮膜の破壊が進展し易く、硬度の低い皮膜よりも耐久性がかえって低下する場合がある。加えて、硬度が高すぎると相手攻撃性が高く、摺動部の相手材の種類によっては相手材の摩耗を促進させてしまうため、摺動部材の寿命低下を招く。
【0018】
そこで本発明者らは、高面圧下や油潤滑環境下で用いられる摺動部材の表面に形成した場合であっても、優れた摺動特性を発揮する非晶質炭素系皮膜の実現を目的に、鋭意研究を行った。
【0019】
その結果、本発明者らは、まず非晶質炭素系皮膜の摺動特性(耐焼き付き性および耐摩耗性)が、皮膜の硬度および皮膜のH/E(後述する実施例に示すナノインデンテーション法で測定される硬度H(GPa)とヤング率E(GPa)の比)の影響を受けることを見出し、この皮膜の摺動特性と皮膜の硬度、H/Eとの関係について調べたところ、非晶質炭素系皮膜の摺動特性は、該皮膜の硬度が高くかつH/Eが小さいほど優れたものとなることを明らかにした。
【0020】
そこで、優れた摺動特性を示す非晶質炭素系皮膜を得ることを目的に、硬度が高くかつH/Eの小さい非晶質炭素系皮膜を実現すべく、その具体的手段について検討したところ、一定量の水素および窒素を共に含有させた窒素含有非晶質炭素系皮膜とすればよいことを見出し、本発明に想到した(以下、本発明の窒素含有非晶質炭素系皮膜を「N−DLC系皮膜」ということがある)。以下、N−DLC系皮膜について詳述する。
【0021】
〔N−DLC系皮膜について〕
まず、窒素を含まない従来の非晶質炭素系皮膜について、上記H/Eを調べたところ、0.090〜0.100の範囲内であった。ところが、窒素を3.0原子%以上含む窒素含有非晶質炭素系皮膜の場合には、上記H/Eが0.080以下になり、窒素を含まない非晶質炭素系皮膜よりも低いH/Eを示すことがわかった。この様に窒素を一定以上含有させることでH/Eが低下するのは、窒素添加により、硬度はある程度低下するがヤング率はあまり低下せず、その結果、H/Eが小さくなるためと考えられる。
【0022】
この様に低いH/Eを示す窒素含有非晶質炭素系皮膜は、より高いH/Eを示す同じ硬度の非晶質炭素系皮膜と比較して摺動特性に優れると考えられる。しかし実際のところ、窒素を含有させると、H/Eと共に皮膜の硬度も低下し易くなる傾向にある。そこで、本発明者らが更に検討したところ、上記窒素と共に、10原子%近傍の水素を含有させれば、皮膜の硬度を一定レベル以上(後記する実施例に示す方法で測定する硬度が、例えば15GPa以上)としつつH/Eを小さくすることができ、結果として、優れた耐焼き付き性および耐摩耗性を実現できることを見出した。以下、本発明のN−DLC系皮膜における窒素と水素の含有量について詳述する。
【0023】
〈N−DLC系皮膜中の窒素量:3.0原子%以上14.0原子%以下〉
上記の通りH/Eを下げてN−DLC系皮膜の脆性破壊特性を十分に改善すべく、本発明では、窒素を3.0原子%以上含有させる。好ましくは4.0原子%以上である。窒素量が多くなるほどH/Eは低下する傾向にあるが、窒素量が多すぎると、水素量を下記の通り制御しても高硬度を確保できなくなり、皮膜の摺動特性がかえって低下する。よってN−DLC系皮膜中の窒素量は14.0原子%以下とする。好ましくは11原子%以下である。
【0024】
〈N−DLC系皮膜中の水素量:8.0原子%以上12.0原子%以下〉
本発明では、上述した様に窒素含有による硬度の低下を抑えるべく、水素を10原子%近傍、即ち、8.0原子%以上12.0原子%以下の範囲内で含有させる。本発明者らが検討したところ、含有させる水素量が約10原子%で硬度(H)が最高値を示し、この10原子%近傍を外れる、即ち、水素量が8.0原子%未満となるか12.0原子%超になると、皮膜の硬度が急激に低下することがわかった。本発明において、水素量の好ましい下限は9原子%であり、好ましい上限は11.0原子%である。
【0025】
本発明のN−DLC系皮膜は、上記量の水素および窒素を含み、残部は炭素および不可避不純物である。不可避不純物としては、製造工程で不可避的に混入しうるAr等が挙げられる。
【0026】
本発明のN−DLC系皮膜は、好ましくは硬度(H)が15GPa以上で、かつH/Eが0.070〜0.080の範囲内にある。上記H/Eは、基本的に窒素量のみの影響を受け、窒素量に影響しない製造条件や水素量の影響は受けないと推測される。
【0027】
N−DLC系皮膜の膜厚については特に限定されないが、薄すぎると、摺動初期のなじみ過程における初期摩耗でN−DLC系皮膜が消失して、基材が露出し焼き付きが生じ易くなる。よって、N−DLC系皮膜の膜厚は、0.5μm以上とすることが好ましい。一方、摩擦係数や摩耗量を低減しかつ焼き付き面圧を高める観点からは、N−DLC系皮膜の膜厚を厚くする方がよいが、膜厚が厚すぎると皮膜が剥離しやすくなる。よってN−DLC系皮膜の膜厚は1.0μm以下とすることが好ましい。
【0028】
また本発明において、上記N−DLC系皮膜の形成方法(成膜方法)は物理蒸着法(PVD法)であれば特に問わないが、該PVD法において、下記の様な条件を採用することが推奨される。即ち、固体の炭素源を使用したスパッタリング法またはアーク法が推奨される。特にスパッタリング法での成膜が推奨される。具体的には、例えば固体の炭素源を使用し、Arや窒素、炭化水素ガス(例えばメタン、アセチレンなど)の混合ガスを真空チャンバ内へ導入し、スパッタリング法により上記N−DLC系皮膜を形成することが挙げられる。
【0029】
N−DLC系皮膜中の水素量の制御は、ほぼ炭化水素ガスの投入量で決まるが、炭化水素ガスの総投入水素量が同じであっても、1分子中に含まれる水素原子数の多いガスを用いる方が、N−DLC系皮膜中の水素含有量を増加させ易い。またN−DLC系皮膜中の水素量は、成膜時のバイアス電圧にも依存し、一般的な傾向として、同一メタン量を投入する場合であってもバイアス電圧を高くすると、N−DLC系皮膜中の水素含有量は減少する傾向にある。これらの条件を制御して成膜することで、N−DLC系皮膜中の水素量を上記範囲内にすることができる。
【0030】
また、N−DLC系皮膜中の窒素量は、成膜時に導入する窒素ガスのガス流量比(尚、全ガスに占める窒素ガスの流量比=体積比=分圧比である)を制御することで制御可能である。窒素量についても、一般的な傾向として、バイアス電圧を高くするとN−DLC系皮膜中の窒素含有量は減少する傾向にある。これらの条件を制御して成膜することで、N−DLC系皮膜中の窒素量を上記範囲内にすることができる。
【0031】
〔前記N−DLC系皮膜を含む非晶質炭素系積層皮膜について〕
ところで、前記N−DLC系皮膜は、上述の通り耐摩耗性等に優れるが、摩擦係数は、窒素を含まないDLC系皮膜と比較してわずかに大きくなる傾向にある。
【0032】
ところが、前記N−DLC系皮膜と、その直下に形成される、水素を5.0原子%以上25原子%以下含み、かつ実質的に窒素を含まない非晶質炭素系皮膜(以下、「DLC系皮膜」ということがある)との積層構造を有する非晶質炭素系積層皮膜(以下、「積層皮膜」ということがある)とすれば、前記N−DLC系皮膜(単層)や、前記DLC系皮膜(単層)よりも摩擦係数が小さくなることを見出した。
【0033】
上記積層構造を形成することにより、摩擦係数が低減する機構については定かではないが、摺動により上記積層皮膜の摩耗が進むにつれて、N−DLC系皮膜が摩耗して発生した摩耗粉と、DLC系皮膜が摩耗して発生した摩耗粉とが混合して摺動表面に存在する状態となり、この摺動表面の状態が摩擦係数の低減に寄与しているものと考えられる。従って、前記N−DLC系皮膜と前記DLC系皮膜とを積層させることが好ましい。更には、前記N−DLC系皮膜と前記DLC系皮膜との境界面を増やして上記作用効果をより高めるべく、これらの皮膜で構成される積層組を2組以上積層、即ち、N−DLC系皮膜とDLC系皮膜が交互に順次積層された構造を採用することが好ましい。
【0034】
前記DLC系皮膜は、水素を5.0原子%以上25原子%以下含むものとする。DLC系皮膜中の水素量が少なすぎる場合には、該皮膜が脆くなり、摺動時(特に高面圧下での摺動時)に破断しやすくなる。よって、DLC系皮膜中の水素量を5.0原子%以上とする。好ましくは8.0原子%以上である。一方、DLC系皮膜中の水素量が多過ぎると硬度が低くなるため、上記水素量は25原子%以下とする。好ましくは12.0原子%以下である。
【0035】
また前記「実質的に窒素を含まない」とは、DLC系皮膜中の窒素量が0.1原子%以下(0原子%を含む)であることを意味する。
【0036】
本発明のDLC系皮膜として、上記量の水素を含み、上記の通り実質的に窒素を含まず、かつ残部が炭素および不可避不純物であるものが挙げられる。不可避不純物としては、製造工程で不可避的に混入しうるAr等が挙げられる。
【0037】
前記DLC系皮膜および/または前記N−DLC系皮膜は、更に、4A族元素、5A族元素、6A族元素、Fe、Si、AlおよびBよりなる群から選択される1種以上の金属元素および/または半金属元素を含んでいてもよい。前記金属元素および/または半金属元素の含有量は特に限定されず、例えば、前記DLC系皮膜および/または前記N−DLC系皮膜に含まれる炭素ならびに(金属元素および/または半金属元素)の合計に対する、(金属元素および/または半金属元素)の割合を、2原子%以上20原子%以下とすることが挙げられる。
【0038】
積層皮膜の場合、DLC系皮膜の膜厚は0.2μm以上5.0μm以下、N−DLC系皮膜の膜厚は0.01μm以上1.0μm以下とすることが好ましい。DLC系皮膜の膜厚が0.2μmよりも薄い場合には、N−DLC系皮膜が摩耗してこのDLC系皮膜が露出したときに、DLC系皮膜の耐久性が十分でなく、耐久寿命が低下するからである。より好ましくは0.5μm以上である。一方、DLC系皮膜の膜厚が5.0μmを超えると、膜内部応力が大きくなるため膜が脆くなる。より好ましくは2.0μm以下である。
【0039】
また、上記N−DLC系皮膜の膜厚が0.01μm未満では薄すぎるため、N−DLC系皮膜の摩耗により生じる摩耗粉が十分でなく、摩擦係数の低減効果が小さくなるからである。より好ましくは0.05μm以上である。一方、N−DLC系皮膜の膜厚が1.0μm超では、N−DLC系皮膜の内部応力が高くなり、DLC系皮膜との界面で剥離が生じやすくなる。より好ましくは0.5μm以下である。
【0040】
上記DLC系皮膜とN−DLC系皮膜とで構成される積層組が、2組以上繰り返し積層された多層構造の場合には、上記に限らず種々の膜厚により効果が発現する。
【0041】
上記非晶質炭素系積層皮膜の形成方法(成膜方法)は、積層皮膜を構成するN−DLC系皮膜の形成方法(成膜方法)を物理蒸着法(PVD法)で形成すること以外は特に問わず、このN−DLC系皮膜の推奨される成膜条件は上述した通りである。
【0042】
また、積層皮膜を構成するDLC系皮膜の形成方法は、PVD法、CVD法のいずれでもよいが、N−DLC系皮膜と同様に、固体の炭素源を使用したスパッタリング法またはアーク法が推奨される。特にスパッタリング法での成膜が推奨される。具体的には、例えば固体の炭素源を使用し、Arと、炭化水素ガス(例えばメタン、アセチレンなど)との混合ガスを真空チャンバ内へ導入し、スパッタリング法により上記DLC系皮膜を形成することが挙げられる。DLC系皮膜中の水素量の制御は、前記N−DLC系皮膜中の水素量の制御と同様にして行うことができる。
【0043】
尚、積層皮膜を構成するDLC系皮膜とN−DLC系皮膜の成膜方法を同じにすれば、使用するガスの種類のみを変えて積層皮膜を効率良く形成することができる。
【0044】
本発明の摺動部材として、2種類の部品が接触する摺動部材の組み合わせであって、具体的には、例えば自動車エンジンのカムおよびシム、バルブリフター、ピストンリング、ピストンピン、ロッカーアーム、コンロッド等が挙げられる。本発明のN−DLC系皮膜や積層皮膜は、潤滑環境や摺動条件に応じて、上記摺動部材の一方または両方の摺動面に形成すればよい。
【0045】
上記摺動部材の基材は、特に限定されず、例えば超硬合金、ステンレス鋼や合金工具鋼、高速度鋼等の鉄系合金、チタン系合金、アルミニウム系合金、銅系合金、ガラス、アルミナ等のセラミックス、樹脂等を基材とすることができる。
【0046】
尚、本発明のN−DLC系皮膜や積層皮膜と上記基材との間には、中間層(下地層)として金属皮膜または無機金属化合物皮膜を、N−DLC系皮膜や積層皮膜と基材との密着性向上等を図るため、摺動部材の耐久性等が損なわれない範囲で形成してもよい。例えばSi、Ti、Zr、Cr、W、Moの単体、あるいはこれらの酸化物、窒化物、炭化物等からなる皮膜を合計0.1〜1μm程度形成してもよい。上記中間層の形成方法は特に問わないが、上記N−DLC系皮膜や積層皮膜と同様にスパッタリング法またはアーク法で形成することが推奨される。
【0047】
以下、実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、本発明はもとより下記実施例によって制限を受けるものではなく、前・後記の趣旨に適合し得る範囲で適当に変更を加えて実施することも可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に含まれる。
【実施例】
【0048】
(実施例1)
PVD装置として、蒸発源にカーボンターゲット(ターゲット径6インチ)(後述する中間層を形成する場合には、更にCrターゲット)を備えたアンバランスド型マグネトロンスパッタリング装置(株式会社神戸製鋼所製、UBM202)を用いて、表1に示す非晶質炭素系皮膜の成膜を行った。この非晶質炭素系皮膜の成膜には、Ar(アルゴン)、CH(メタン)およびN(窒素)の混合ガスを使用した。
【0049】
基材として、水素量および窒素量の分析用にSi基板、硬度およびヤング率の評価用に表面を鏡面研磨した超硬合金、また、摺動試験評価用に表面を鏡面研磨したSKH51ディスクを用いた。
【0050】
上記基材を装置内に導入し、1×10−3Pa以下に排気後、基材温度が400℃となるまで加熱した。その後、Arイオンを用いたスパッタクリーニングを実施した。それから、上記超硬合金を基材とするもの、および上記SKH51ディスクを基材とするものについては、まずCr膜およびCr炭化物膜を中間層として基板上に順に形成し、基材と、次に成膜する表1の非晶質炭素系皮膜との密着性を確保した。
【0051】
上記中間層として、Cr膜は、純Ar雰囲気中でCrターゲットを用いてスパッタリング法により形成した。またCr炭化物膜は、Ar−CH4(5%)雰囲気中で、Crターゲットへの投入電力を徐々に減少させると共にカーボンターゲットへの投入電力を増加させることにより形成した。中間層の厚みはCr膜を0.3μm、Cr炭化物膜を0.7μmとした。次いで、上記中間層の表面に表1の非晶質炭素系皮膜を形成した。尚、Si基板の場合は、基板上に表1の非晶質炭素系皮膜を直接形成した。
【0052】
表1の非晶質炭素系皮膜の形成は、ターゲットへの投入電力を1.0kWで固定し、Ar、CH、およびNの流量を表1に示す通り変化させることによって、水素量、窒素量の制御を行った。全圧力は0.6Paとし、成膜時に基板に印加するバイアス電圧は−100Vで一定として成膜を行い、いずれの基材を用いた場合も膜厚が約1μmの上記皮膜を形成した。
【0053】
この様にして、水素量や窒素量が種々である表1の非晶質炭素系皮膜が形成された試料を作製し、該皮膜の水素量および窒素量の分析、該皮膜の硬度およびヤング率の測定、並びに上記試料を用いた摺動試験を行った。
【0054】
表1に示す非晶質炭素系皮膜中の水素量(原子%,at%)および窒素量(原子%,at%)は、Si基板上に中間層を介さず直接形成された表1に示す非晶質炭素系皮膜を用い、ERDA(Elastic Recoil Detection Analysis)で測定して求めた。その結果を表1に示す。尚、表1の非晶質炭素系皮膜中には、Ar等の微量の不可避不純物も含まれうるが、上記水素量および窒素量は、皮膜中の(C+H+N)に占める原子%として求めた。
【0055】
表1に示す非晶質炭素系皮膜の硬度およびヤング率は、超硬合金を基材とする試料を用い、ナノインデンテーション法により測定した。測定には、超微小押し込み硬さ試験機(「ENT−1100a」、ELIONIX社製)を用い、ダイヤモンド製のBerkovich圧子を用い、測定荷重10〜1mNのうちの任意の5荷重で測定して負荷−除荷曲線を形成し、硬度およびヤング率を算出した。
【0056】
次に、耐高面圧性(高面圧下における耐久性)を評価するため、リングオンディスク試験装置を用いて摺動試験を行った。リングには、SKH51(サイズ等:内径20.0mm、外径25.6mm、高さ15.0mm、リングの先端R1.5mm)を用い、ディスクには表1の各種非晶質炭素系皮膜をコーティングしたSKH51(サイズ:φ34.0mm×厚さ5.0mm、リングとディスクの接触面積:203mm)を用いた。そして、摺動速度:1.0m/s、垂直荷重:200N一定の条件で、ディスク上にオイル(室温での動粘度が10mm/s程度)を塗布して10000mの摺動試験を実施した。
【0057】
摺動試験は、10分間のなじみ運転後、摺動速度が1.0m/s、垂直荷重が200Nになった時点から10000mの摺動を行った。そして、摩擦係数が0.3を超えた時点までの摺動距離を焼き付き開始までの距離とし、この距離で耐久性の評価を行った。また、10000m摺動後も焼き付きが生じなかったものについては、10000mの摺動を達成したものと評価し、その時点での皮膜の摩耗量を測定した。摩耗量は、摩耗部の断面プロファイルから求めた摩耗部の断面積を、90°ずつ等間隔に4点測定し、その平均値を算出して求めた。そして、摩耗量の小さいものを耐久性に優れると評価した。
【0058】
これらの結果を表1に示す。
【0059】
【表1】

【0060】
表1より次の様に考察できる。本発明例1〜3は、本発明で規定するN−DLC系皮膜を形成しているため、焼き付きが発生せず、かつ摩耗量もかなり小さいものとなっている。これに対し、比較例1〜8は、本発明の規定を満たすN−DLC系皮膜を形成していないため、焼き付きが発生しているか、発生していない場合でも摩耗が著しいといった不具合が発生している。
【0061】
詳細には、比較例1,2,4より、窒素を添加していない非晶質炭素系皮膜は、その特性が水素量により変化しており、水素を含まない(即ち、窒素および水素を共に含まない)場合には摺動試験開始後すぐに焼き付きが発生した(比較例1)。また、水素を含むがその量が規定に満たない場合(比較例2)には、焼き付き発生までの距離は比較例1より長いものの、焼き付きが発生した。更に規定量の水素を含むもの(比較例4)は、焼き付きは発生しなかったが摩耗量が上記本発明例1〜3よりも大きくなっている。
【0062】
比較例3より、窒素を規定量含む場合であっても水素量が8.0原子%に満たない場合には、焼き付きが発生することがわかる。
【0063】
また比較例8は、水素量が24.5原子%と過剰に含まれる例であるが、この様に水素量が過剰であると、焼き付きは発生しないが皮膜の摩耗量が大きくなることがわかる。
【0064】
更に、比較例5〜7は、水素量が不足し、かつ窒素量が過剰な例であるが、この様な場合、焼き付きが発生するか、焼き付きは発生しないが皮膜の摩耗量が大きくなるといった不具合が生じることがわかる。
【0065】
(実施例2)
基材として、水素量および窒素量の分析用にSi基板、また摺動試験評価用に表面を鏡面研磨したSKH51ディスクを用い、実施例1と同様にして次の成膜を行った。まず基板上に、Cr膜(膜厚:0.2μm)およびCr炭化物膜(CrとCとの傾斜構造層、膜厚:0.5μm)を中間層として上記実施例1と同様に順次形成し、基材と、次に成膜する下記の皮膜(非晶質炭素系積層皮膜、単層N−DLC系皮膜、または単層DLC系皮膜)との密着性を確保した。
【0066】
上記中間層の表面に、非晶質炭素系積層皮膜(積層皮膜)を形成した試料は、次の様にして作製した。詳細には、まず非晶質炭素系皮膜(DLC系皮膜、膜厚:0.9μm)を形成した。このDLC系皮膜の成膜は、CH流量:1sccm、およびAr流量:99sccmの条件で行った。次いで上記DLC系皮膜上に、N−DLC系皮膜(膜厚:0.1μm)を形成した。このN−DLC系皮膜の成膜は、CH流量:1sccm、Ar流量:99sccm、およびN流量:3sccmの条件で行った。
【0067】
比較のため、上記積層皮膜の代わりに、単層DLC系皮膜(膜厚:1.0μm)を形成した試料を用意した。この単層DLC系皮膜の成膜は、CH流量:1sccm、およびAr流量:99sccmの条件で行った。また、上記積層皮膜の代わりに、単層N−DLC系皮膜(膜厚:1.0μm)を形成した試料も用意した。この単層N−DLC系皮膜の成膜は、CH流量:1sccm、Ar流量:99sccm、およびN流量:3sccmの条件で行った。
【0068】
この様にして得られた各試料を用い、積層皮膜、単層N−DLC系皮膜、または単層DLC系皮膜中の水素量や窒素量の分析、および摺動試験を行った。
【0069】
まず、上記積層皮膜におけるN−DLC系皮膜、単層N−DLC系皮膜のそれぞれの、水素量および窒素量を実施例1と同様に測定したところ、いずれも、水素量は11.0at%であり、窒素量は4.0at%であった。また、上記積層皮膜におけるDLC系皮膜、単層DLC系皮膜のそれぞれの、水素量を実施例1と同様に測定したところ、いずれも11.0at%であった。
【0070】
次に、摺動試験を行い、各皮膜の摩擦係数を測定した。装置として、実施例1と同じリングオンディスク試験装置を用いた。リングには、SKH51(サイズ等:内径20.0mm、外径25.6mm、高さ15.0mm、リングの先端R1.5mm)を用い、ディスクには、上記層皮膜、単層N−DLC系皮膜、または単層DLC系皮膜をコーティングしたSKH51(サイズ:φ34.0mm×厚さ5.0mm、リングとディスクの接触面積:203mm)を用いた。そして、摺動速度:1.0m/s、垂直荷重:200N一定の条件で、ディスク上にオイル(室温での動粘度が10mm/s程度)を塗布して10000mの摺動試験を実施した。
【0071】
摺動試験は、実施例1と同様に10分間のなじみ運転後、摺動速度が1.0m/s、垂直荷重が200Nになった時点から10000mの摺動を行った。その結果、上記いずれの試料も焼き付きが生じることなく10000mの摺動を達成した。また、摺動距離9000m以降の摩擦係数の平均値を求めた。その結果を図1に示す。
【0072】
図1より、積層皮膜を形成した場合には、単層DLC系皮膜や単層N−DLC系皮膜よりも摩擦係数が小さくなっていることがわかる。この積層皮膜の摺動試験後の摩耗深さを測定したところ、0.1μm程度であったことから、摺動後半の積層皮膜の表面は、摺動によりN−DLC系皮膜が摩耗して発生した摩耗粉と、DLC系皮膜が摩耗して発生した摩耗粉とが混合して摺動表面に存在する状態となり、この様な摺動表面の状態が、単層DLC系皮膜や単層N−DLC系皮膜よりも小さい摩擦係数の実現に寄与したものと考えられる。即ち、規定の積層皮膜とすることで、実施例1にて示したN−DLC系皮膜による優れた耐摩耗性の確保と、摩擦係数の低減を併せて図ることができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
摺動部材の摺動面に、物理蒸着法により形成される窒素含有非晶質炭素系皮膜であって、水素を8.0原子%以上12.0原子%以下、および窒素を3.0原子%以上14.0原子%以下含むことを特徴とする窒素含有非晶質炭素系皮膜。
【請求項2】
ナノインデンテーション法で測定される硬度H(GPa)とヤング率E(GPa)の比(H/E)が0.070以上0.080以下である請求項1に記載の窒素含有非晶質炭素系皮膜。
【請求項3】
請求項1または2に記載の窒素含有非晶質炭素系皮膜と、その直下に形成される、水素を5.0原子%以上25原子%以下含み、かつ実質的に窒素を含まない非晶質炭素系皮膜とを有することを特徴とする非晶質炭素系積層皮膜。
【請求項4】
前記窒素含有非晶質炭素系皮膜と前記非晶質炭素系皮膜で構成される積層組が、2組以上積層されてなる請求項3に記載の非晶質炭素系積層皮膜。
【請求項5】
摺動部材の組み合わせであって、該摺動部材の少なくとも一方の摺動面に、請求項1または2に記載の窒素含有非晶質炭素系皮膜が形成されていることを特徴とする摺動部材。
【請求項6】
摺動部材の組み合わせであって、該摺動部材の少なくとも一方の摺動面に、請求項3または4に記載の非晶質炭素系積層皮膜が形成されていることを特徴とする摺動部材。
【請求項7】
自動車エンジンの摺動部品である請求項5または6に記載の摺動部材。

【図1】
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【公開番号】特開2010−70848(P2010−70848A)
【公開日】平成22年4月2日(2010.4.2)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−163659(P2009−163659)
【出願日】平成21年7月10日(2009.7.10)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】