説明

硬質皮膜被覆部材および成形用治工具

【課題】摩耗性や耐焼付き性を向上させるために硬度を高めた硬質皮膜を被覆する場合であっても、鉄基合金基材表面に窒化層を形成した基材と硬質皮膜との密着性を優れたものとした硬質皮膜被覆部材、およびこのような硬質皮膜被覆部材を有する治工具を提供する。
【解決手段】本発明の硬質皮膜被覆部材は、鉄基合金基材表面に窒化層を形成した後に、PVD法によって窒化膜、炭化膜または炭窒化膜を窒化層上に形成した硬質皮膜被覆部材であって、前記窒化層中のFe−N化合物におけるX線回折のピークを、基材表面を基準として入射角θ−回折角2θの条件で測定したときに、ε相(Fe2-3N)の(101)のピークに対するγ’相(Fe4N)の(111)のピーク強度比が、60%以下である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鍛造金型や打ち抜きパンチ等の塑性加工用(成形用)治工具に適用される硬質皮膜被覆部材、およびこのような硬質皮膜被覆部材を有する上記治工具に関するものであり、特に超高張力鋼板等の金属を加工するための治工具、およびこうした治工具に適用される硬質皮膜被覆部材に関するものである。
【背景技術】
【0002】
上記のような成形用治工具では、超硬合金や高速度工具鋼等の鉄基合金の基材表面の耐摩耗性や耐焼付き性を向上させることを目的として、窒化処理によってその表面の改善がなされてきた。近年では、基材の耐摩耗性や耐焼付き性を更に向上させるという観点から、窒化処理に代えて、イオンプレーティング法、スパッター法等の物理蒸着法(PVD法)によってTiN、TiC、TiCN、TiAlN等の硬質皮膜をコーティングすることが行われている。
【0003】
しかしながら、上記のような硬質皮膜を鉄基合金基材表面に直接被覆した場合には、硬質皮膜は脆いために、基材が外力で変形することで皮膜が脆性破壊し、剥離が生じやすいという問題がある。またこうした剥離が生じると、軟らかい基材表面が早期に摩耗してしまうという問題がある。こうしたことから、鉄基合金の基材表面を窒化処理した後に、形成された窒化層の上に、PVD法によってTiN、TiC、TiCN、TiAlN等の硬質皮膜(以下、「PVDコーティング膜」と呼ぶことがある)をコーティングすることも行なわれている。
【0004】
基材表面に窒化層を形成して、基材とPVDコーティング膜の硬度差を少なくすることによって、基材の変形が防止され、PVDコーティング膜が剥離しにくい状態を形成するという作用が発揮される。またPVDコーティング膜が部分的に剥離しても、窒化層の作用によって基材表面が早期に摩耗してしまうことがないので、基材表面にPVDコーティング膜を直接形成したものに比べて、耐摩耗性や耐焼付き性を向上させることができる。
【0005】
鉄基合金基材表面を窒化処理して形成される窒化層には、Fe−N系化合物(白層)が含まれることになるが、こうしたFe−N系化合物を含む窒化層は、PVDコーティング膜との密着性が必ずしも十分とは言えず、窒化層とPVDコーティング膜とが剥離してしまい、硬質皮膜被覆部材の耐摩耗性や耐焼付き性が却って低下することがある。
【0006】
耐摩耗性や耐焼付き性を向上させた硬質皮膜被覆部材を実現することを目的として、これまでにも様々な技術が提案されている。例えば、特許文献1には、窒化層または炭化層を形成した鋼母材を金属イオンによりイオンボンバード処理し、その表面にイオンプレーティング法によって周期律表IVa族元素およびVa族元素の窒化物、炭化物および炭窒化物から選ばれる1種または2種以上からなる被覆層を形成する技術が提案されている。また、この技術では、窒化層中のFe2-3N化合物(ε相)の存在がPVDコーティング膜の密着性を低下させることが示唆されている。
【0007】
また、特許文献2では、金属部材を300〜650℃の温度に保持し、アンモニアガスと水素ガスを用い、金属部材の表面に0.001〜2.0mA/cm2の電流密度のグロー放電を行い、イオン窒化することにより形成した窒化層の表面に、Ti系やCr系等のPVDコーティング膜を形成する技術が提案されている。
【0008】
更に、アークイオンプレーティング装置を用いて、成膜前のイオンボンバード工程で基材をプラズマ窒化処理した後、同一の装置内でアークイオンプレーティング法によって、セラミックス硬質皮膜を形成する技術も開示されている(特許文献3、4)。
【0009】
一方、所定の構造を有することによって摩耗性や耐焼付き性を向上させた2層構造の硬質皮膜について、基材との密着性を高めるという観点から、Crを含有する鉄基合金に窒化や浸炭窒化による拡散層を形成する技術について、同一出願人(本願出願人)によって先に提案している(特許文献5)。
【0010】
しかしながら、これまで提案されている技術では、窒化処理によって形成される窒化層とPVDコーティング膜の密着性が必ずしも良好であるとは言えず、密着性を更に向上させることが望まれているのが実情である。特に、摩耗性や耐焼付き性を向上させるという観点から、硬度を更に高めた硬質皮膜では、こうした要求が強くなる状況である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0011】
【特許文献1】特公平6−2937号公報
【特許文献2】特許第2989746号公報
【特許文献3】特開2004−131820号公報
【特許文献4】特開2004−283995号公報
【特許文献5】特開2008−174782号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明は上記の様な事情に着目してなされたものであって、その目的は、摩耗性や耐焼付き性を向上させるために硬度を高めた硬質皮膜を被覆する場合であっても、鉄基合金基材表面に窒化層を形成した基材と硬質皮膜との密着性を優れたものとした硬質皮膜被覆部材、およびこのような硬質皮膜被覆部材を有する治工具を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0013】
上記課題を解決し得た本発明の硬質皮膜被覆部材とは、鉄基合金基材表面に窒化層を形成した後に、PVD法によって窒化膜、炭化膜または炭窒化膜を窒化層上に形成した硬質皮膜被覆部材であって、前記窒化層中のFe−N系化合物におけるX線回折のピークを、基材表面を基準として入射角θ−回折角2θの条件で測定したときに、ε相(Fe2-3N)の(101)のピークに対するγ’相(Fe4N)の(111)のピーク強度比が、60%以下であるである点に要旨を有するものである。
【0014】
本発明の硬質皮膜被覆部材においては、(a)前記ピーク強度比が30%以下であること、(b)前記窒化層の断面方向から測定したビッカース硬さ(Hv)が基材のビッカース硬さ(Hv)よりもHv50以上高い領域の厚さが、5μm以上であること、等が好ましい要件である。
【0015】
本発明の硬質皮膜被覆部材において、その窒化層上に形成されるPVDコーティング膜(PVD法によって形成される窒化膜、炭化膜または炭窒化膜)としては、従来から知られているTiN、TiC、TiCN、TiAlN等の硬質皮膜が適用できるのは勿論であるが、Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される皮膜層であって、下記式(1)〜(6)を満たすものが好ましいものとして挙げられる。
0≦1−X−Y≦0.5 …(1)
0<X≦0.5 …(2)
0.4≦Y≦0.7 …(3)
0≦Z≦0.15 …(4)
0≦A≦0.5 …(5)
0≦B≦0.2 …(6)
但し、上記Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)において、LはSi,Yの1種以上であり、上記(1)〜(6)において、XはCrの原子比、YはAlの原子比、ZはLの原子比、AはC(炭素)の原子比、BはB(硼素)の原子比を示すものである。
【0016】
上記のような一般式Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される硬質皮膜を形成するに際しては、鉄基合金基材表面に形成される窒化層と硬質皮膜の間に、一般式Cr1-xx(Bab1-a-b)で表される皮膜層であって、下記式(7)〜(9)を満たすものをPVD法によって中間層として介在させたものであることが好ましい。
0≦x≦0.7 …(7)
0≦a≦0.2 …(8)
0≦b≦0.5 …(9)
但し、上記Cr1-xx(Bab1-a-b)において、Mは、W,V,Mo,Nb,TiおよびAlよりなる群から選ばれる1種以上の元素であり、上記(7)〜(9)式において、xはMの原子比、aはB(硼素)の原子比、bはC(炭素)の原子比を示すものである。
【0017】
前記中間層としては、具体例としてはCrNが挙げられるが、このような中間層を形成した場合には、一般式(Ti1-X-YCrAl)Nで表される皮膜層は、下記式(10)〜(13)を満たすものが好ましい。この一般式(Ti1-X-YCrAl)Nにおいて、LがSiであることがより好ましい。
0≦1−X−Y≦0.5 …(10)
0<X≦0.5 …(11)
0.4≦Y≦0.7 …(12)
0≦Z≦0.15 …(13)
【0018】
前記中間層の厚みとしては1〜20μm程度が好ましく、Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される皮膜層の厚みは2〜20μm程度であることが好ましい。
【0019】
上記のような硬質皮膜被覆部材を有するものとすることによって、硬質皮膜の摩耗性、耐焼付き性および密着性に優れた成形用治工具が実現できる。
【発明の効果】
【0020】
本発明の硬質皮膜は、前記窒化層中のFe−N系化合物におけるX線回折のピークを、基材表面を基準として入射角θ−回折角2θの条件で測定したときに、ε相(Fe2-3N)の(101)のピークに対するγ’相(Fe4N)の(111)のピーク強度比を所定の値以下となる結晶構造とすることによって、硬質皮膜(PVDコーティング膜)と窒化層との密着性の改善が図られ、耐摩耗性、耐焼付き性を更に改善した硬質皮膜被覆部材、および硬質皮膜被覆部材を有する成形用治工具が実現できた。
【図面の簡単な説明】
【0021】
【図1】[γ’相(111)/ε相(101)]が80%の場合のX線回折測定結果を示すグラフである。
【図2】[γ’相(111)/ε相(101)]が45%の場合のX線回折測定結果を示したグラフである。
【図3】硬質皮膜を形成するためのアークイオンプレーティング装置(AIP装置)の構成例を示す概略説明図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
本発明者らは、窒化層とPVDコーティング膜との密着性を改善させるとの観点から、様々な角度から検討した。鉄基合金基材表面に形成される窒化層は、窒素が素地金属の結晶格子内に侵入して固溶した層であり、窒化層深さは化合物層深さと拡散層の和となる。また窒化処理の方法は、ガス窒化法、ガス軟窒化法、塩浴窒化法等が代表的な方法として知られているが、これらの方法によって形成される窒化層には、最外層にFe2-3Nからなるε相と、その内側にFe4Nからなるγ’相が生成し、更に拡散層へと続くことになる。
【0023】
このうちγ’相(Fe4N)は、緻密且つ高硬度であり、硬質皮膜の耐摩耗性および耐食性向上に寄与するものとなる。またε相(Fe2-3N)は、機械的特性に関して有害であるため、多大の労力を費やして除去しているのが一般的である(例えば、前記特許文献1)。
【0024】
一方、窒化処理の方法としては、上記各種方法の他、イオン窒化法も知られている。この方法では、グロー放電を利用し、窒素プラズマ中に基材を保持する方法であり、雰囲気のガス組成、温度、放電条件を調整することによって、基材表面に形成される化合物層の組成を制御でき、上記条件を適正に調整することによって、上記γ’相(Fe4N)が効果的に形成されるように上記条件が調整されるのが一般的である。
【0025】
上記のような各種窒化処理による窒化層の形成原理を考慮しつつ、窒化層とPVDコーティング膜との密着性の関係について検討した。その結果、窒化層上にPVDコーティング膜を形成する場合には、従来では特性改善に優れた作用を発揮するとされていたγ’相(Fe4N)の方が、PVDコーティング膜との密着性を阻害し、ε相(Fe2-3N)の方が却って無害であることが判明したのである。そして、こうした知見に基づき、特に窒化層中のFe4NとFe2-3Nの比率と密着性との関係について更に検討を重ねた結果、ε相(Fe2-3N)に対するγ’相(Fe4N)の比率を所定の値以下にすること、具体的には前記窒化層中のFe−N系化合物におけるX線回折のピークを、基材表面を基準として入射角θ−回折角2θの条件で測定したときに、ε相(Fe2-3N)の(101)のピークに対するγ’相(Fe4N)の(111)のピーク強度比が、60%以下となるようにすれば、高い硬度のPVDコーティング膜を窒化層上に被覆する場合であっても、窒化層とPVDコーティング膜との密着性が格段に優れたものとなることを見出し、本発明を完成した。
【0026】
本発明者らは、様々な条件で窒化処理を行なった鉄基合金基材について、入射角θ−回折角2θの条件でX線回折測定を実施し、ε相(Fe2-3N)の(101)のピークに対するγ’相(Fe4N)の(111)のピーク強度比を求めた。X線回折測定の代表例を、図1、図2に示す。図1は、ε相(Fe2-3N)の(101)のピークに対するγ’相(Fe4N)の(111)のピーク強度比(以下、[γ’相(111)/ε相(101)]比と示すことがある)が80%の場合のX線回折測定結果を示したものであり、図2は、[γ’相(111)/ε相(101)]比が45%の場合のX線回折測定結果を示したものである。そして、夫々の試料について、PVDコーティング膜を形成したところ、[γ’相(111)/ε相(101)]比が45%である場合(図2)は、[γ’相(111)/ε相(101)]比が80%であるもの(図1)に比べて高い密着性が達成されていたのである。本発明の硬質皮膜被覆部材においては、優れた密着性を実現するには、[γ’相(111)/ε相(101)]比は少なくとも60%以下であることが必要であるが、この値は30%以下であることが好ましく、これによって密着性を更に高めることができる。
【0027】
本発明の硬質皮膜被覆部材において、鉄基合金基材の表面に窒化層を形成したものであるが、この窒化層に関してはどの領域が窒化層であるかの定義が困難である。こうしたことから、どの程度の窒化層が形成されているかの指標として、窒化層の断面方向から測定したビッカース硬さ(Hv)が基材のビッカース硬さ(Hv)よりもHv50以上高い領域を窒化領域と考え、この厚さが、5μm以上であることが窒化領域の厚さ(窒化層厚さ)として好ましい要件となる。
【0028】
上記窒化層厚さが5μm未満になると、基材硬化による硬化が得られにくい。尚、300μmを超えると、[γ’相(111)/ε相(101)]比が60%以下となる場合であっても、窒化層表層部での金属成分の残留量がほぼ0に近い状態となって、PVDコーティング膜との密着性が低下する場合がある。上記窒化層厚さは好ましくは20μm以上であり、より好ましくは50μm以上であり、更に好ましくは100μm以上である。
【0029】
上記のような要件([γ’相(111)/ε相(101)]比、窒化層厚さ)を満足する窒化層を形成する方法としては、特に限定されるものではないが、窒化処理条件を適切に調整するようにすれば良い。例えば、プラズマ窒化処理(イオン窒化法)を適用する際に、その温度、バイアス電圧、処理時間等を調整することによって達成される。また、必要によって、窒化処理後に、窒化層表面をダイヤモンド研磨やエアロラップ研磨することによって、ε相(Fe2-3N)を残しつつ、γ’相(Fe4N)を減少させるようにすれば良い。
【0030】
本発明の硬質皮膜被覆部材において、その窒化層上に形成されるPVDコーティング膜としては、上記したTiN、TiC、TiCN、TiAlNの他、TiCrAlN、AlCrN、AlN、SiC、Si34等の硬質皮膜が適用できるのは勿論であるが、Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される皮膜層であって、下記式(1)〜(6)を満たすものが好ましいものとして挙げられる。
0≦1−X−Y≦0.5 …(1)
0<X≦0.5 …(2)
0.4≦Y≦0.7 …(3)
0≦Z≦0.15 …(4)
0≦A≦0.5 …(5)
0≦B≦0.2 …(6)
但し、上記Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)において、LはSi,Yの1種以上であり、上記(1)〜(6)において、XはCrの原子比、YはAlの原子比、ZはLの原子比、AはC(炭素)の原子比、BはB(硼素)の原子比を示すものである。
【0031】
Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される硬質皮膜は、同一出願人によって先に提案した硬質皮膜であって(前記特許文献5)、耐酸化性を向上させて酸化摩耗による耐摩耗性低下を抑制するという観点から提案したものである。各元素の組成割合の限定理由は、次の通りである。
【0032】
Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される硬質皮膜において、耐酸化性を付与するためにAl量(Alの原子比Y)は0.4以上とする。Al量が多くなると、皮膜が軟質化することから、Alの原子比は0.7以下とする。つまり、Alの原子比Yは0.4〜0.7とする。好ましくは、0.5〜0.6である[前記式(3)]。Al単独では、皮膜の結晶構造が軟質な六方晶になるために、Crを添加することが好ましい。但し、Crを過度に添加すると、Al量が相対的に減少して耐酸化性が低下することから、Cr添加量(Crの原子比X)の上限を0.5とする。Crの原子比Xは0.1以上、0.3以下とすることが好ましい。
【0033】
上記硬質皮膜においては、Cr添加と同時にTiを添加することが望ましい。Cr添加と同時にTiを添加すると、硬度と耐酸化性を兼備させることができる。Cr添加と同時にTiを添加する場合、Tiを過度に添加するとAl量が相対的に減少して耐酸化性が低下することから、Ti添加量、即ちTiの原子比(1−X−Y)は0.5以下とする。Cr添加と同時にTiを添加する場合、膜の硬度と耐酸化性を向上させるという観点から、Crの原子比Xを0.05以上とすると共にTiの原子比(1−X−Y)を0.05以上とすることが望ましく、更に、Crの原子比を0.1以上とすると共にTiの原子比(1−X−Y)を0.15以上とすることが一層望ましい。
【0034】
耐酸化性を更に向上させるためにL(Si,Yの1種以上)を添加することができる。これらSi,Yは単独であってもよいし、複合添加であってもよい。Lを過度に添加すると硬度が低下するため、Lの原子比Z(SiおよびYの複合添加の場合は、Si原子比とY原子比との合計)の上限を0.15とする。Lの原子比Zは0.1以下とすることが好ましく、より好ましくは0.05以下とするのが良い。
【0035】
Nは皮膜の高硬度化のために必要であり、Nの原子比(1−A−B)は1以下とする。B(硼素)、C(炭素)に関しては、皮膜硬度を高めるために、各々原子比で0.2以下、0.5以下で添加しても良い。この点から、B(硼素)の原子比Bは0.2以下、C(炭素)の原子比Aは0.5以下とする。
【0036】
上記のようなTi1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される硬質皮膜(PVDコーティング膜)を形成するに際しては、窒化層上に直接形成してもよく、上記した要件を満足する窒化層の存在によって、硬質皮膜と窒化層との密着性が優れたものとなるが、窒化層と上記硬質皮膜との間に、Cr1-xx(Bab1-a-b)で表される皮膜層であって、下記式(7)〜(9)を満たすものをPVD法によって中間層として介在させたものであることが好ましい。こうした皮膜層を中間層として介在させることによって、先に提案した技術にも開示してように(特許文献5)、上記硬質皮膜との密着性を更に向上させることができる。
0≦x≦0.7 …(7)
0≦a≦0.2 …(8)
0≦b≦0.5 …(9)
但し、上記Cr1-xx(Bab1-a-b)において、Mは、W,V,Mo,Nb,TiおよびAlよりなる群から選ばれる1種以上の元素であり、上記式(7)〜(9)において、xはMの原子比、aはB(硼素)の原子比、bはC(炭素)の原子比を示すものである。
【0037】
上記中間層において、1−xはCrの原子比であり、0.3以上としている。これは、窒化層との密着性を向上させるためのものである。Crの原子比(1−x)は0.3未満では、中間層と窒化層との密着性が不十分となる。Cr原子比(1−x)は0.4以上とすることが好ましい。M(W,V,Mo,Nb,TiおよびAlよりなる群から選ばれる1種以上の元素)の添加によって、中間層の高硬度化を図ることができる。Mの原子比x(M:2種以上の場合は、各元素の原子比の合計)が高くなり過ぎると、Cr原子比(1−x)が小さくなり、Cr原子比(1−x)を0.3以上とすることができなくなるので、Mの原子比xは0.7以下とする。
【0038】
Nは上記硬質皮膜と同様に、中間層の高硬度化のために必要であり、Nの原子比(1−a−b)は1以下とする。B(硼素)、C(炭素)に関しては、その添加によって皮膜を高硬度化できることから、各々原子比で0.2以下、0.5以下で添加しても良い。この点から、B(硼素)の原子比aは0.2以下、C(炭素)の原子比bは0.5以下とする。
【0039】
上記中間層としての具体例としては、CrNが挙げられるが、このような中間層を形成した場合には、(Ti1-X-YCrAl)Nで表される皮膜層(硬質皮膜)は、その組合せとして、下記式(10)〜(13)を満たすものが好ましい。この(Ti1-X-YCrAl)Nにおいて、LがSiであることがより好ましい。
0≦1−X−Y≦0.5 …(10)
0<X≦0.5 …(11)
0.4≦Y≦0.7 …(12)
0≦Z≦0.15 …(13)
【0040】
Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される皮膜層(硬質皮膜)の厚さは、2〜20μm程度が好ましく、より好ましくは3〜10μm程度である。またCr1-xx(Bab1-a-b)で表される皮膜層(中間層)の厚さは、1〜20μm程度であることが好ましく、より好ましくは3〜10μm程度である。このうち中間層については、鉄基合金基材(その表面に形成される窒化層)との密着性を確保する役割に加えて、上層の皮膜層(硬質皮膜)と鉄基合金基材の中間の機械的特性(硬度、ヤング率)を有し、耐摩耗層(硬質皮膜)と鉄基合金基材の機械特性の差異による外部応力下での変形挙動の差異を抑制する役目があることから、その厚さは少なくとも1μm以上であることが好ましく、より好ましくは3μm以上である。
【0041】
Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される皮膜層(硬質皮膜)の厚さについては、耐摩耗性を維持させるためにはその厚さは少なくとも2μm以上であることが好ましく、より好ましくは3μm以上である。但し、上記の変形挙動抑制効果は、中間層の厚みが20μmを超えると飽和することから、中間層の厚みは20μm以下とすることが好ましい。また、硬質皮膜については、その厚さが20μmを超える場合には、膜応力が過大となり、皮膜の剥離が生じやすくなることから、硬質皮膜の厚みは20μm以下とすることが好ましい。尚、Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される皮膜層(硬質皮膜)以外の硬質皮膜(例えば、CrN)を窒化層に直接形成する場合には、その厚さは2〜50μm程度が好ましい。
【0042】
上記のような各種硬質皮膜被覆部材を有するものとすることによって、硬質皮膜の摩耗性、耐焼付き性および密着性に優れた成形用治工具が実現できる。
【0043】
本発明で窒化層上に形成される硬質皮膜(上記のような中間層を形成する場合も含む)を製造するPVD方法としては、固体ターゲットを用いたPVD法が推奨され、特にカソード放電型アークイオンプレーティング法(AIP法)を適用することが好ましい。上記のような多成分系の硬質皮膜を形成するに当って、スパッタ法を適用するとAl添加による六方晶の結晶構造変化が起こり易く、硬度が低下するが、AIP法では、ターゲット元素のイオン化率が高いことから、形成された皮膜が緻密で高硬度になるという利点がある。
【0044】
図3は、本発明の硬質皮膜を製造するためのアークイオンプレーティング装置(AIP装置)の構成例を示す概略説明図である。図3に示した装置では、真空チャンバー1内に回転盤2が配置されており、この回転盤2に4個の回転テーブル3が対称に取り付けられる。各回転テーブル3には、被処理体(基材)5が取り付けられている。回転盤2の周囲には、複数(図1では2つ)のアーク蒸発源6a,6b(カソード側)、およびヒータ7a,7b,7c,7dが配置されている。各アーク蒸発源6a,6bには、夫々を蒸発させるためのアーク電源8a,8bが配置されている。
【0045】
また図3中11はフィラメント型イオン源、12はフィラメント加熱用交流電源、13は放電用直流電源であり、フィラメント加熱用交流電源12からの電流によりフィラメント(W製)を加熱し、放出される熱電子を放電用直流電源13によって真空チャンバーに誘導し、フィラメント−チャンバー間にプラズマ(Ar)を発生し、Arイオンを発生する。このArイオンを用いて、被処理体(基材)のクリーニングを実施する。真空チャンバー1内は、真空ポンプPによって、その内部が真空にされると共に、各種成膜用ガスがマスフローコントローラー9a,9b,9c,9dから導入されるように構成される。
【0046】
そして、各アーク蒸発源6a,6bに、各種組成のターゲットおよびフィラメント型イオン源11を用い、これらを成膜用ガス(C源含有ガス、O2ガスおよびN源含有ガス、またはこれらを不活性ガスで希釈したもの等)中で蒸発させながら、回転盤2および回転テーブル3を回転させれば、被処理体5の表面に硬質皮膜を形成することができる。尚、図中10は、基材5に負の電圧(バイアス電圧)を印加するために備えられたバイアス電源である。
【0047】
本発明で用いる鉄基合金基材としては、超高張力鋼等が適用可能な材料として挙げられるが、冷間工具鋼、熱間工具鋼或は高速度工具鋼等の鉄基合金材料(例えば、JIS SKD11、SKD61、SKH51等)にも適用できるものである。
【0048】
以下、実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、本発明はもとより下記実施例によって制限を受けるものではなく、前・後記の趣旨に適合し得る範囲で適当に変更を加えて実施することも勿論可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に包含される。
【実施例】
【0049】
[実施例1]
基材としてSKD11工具鋼を用い、この基材に対して下記の条件でプラズマ窒化処理を行なった。また必要によって、窒化処理後に、窒化層表面をダイヤモンド研磨やエアロラップ研磨することによって、[γ’相(111)/ε相(101)]比を調整した。
[プラズマ窒化処理条件]
処理雰囲気:窒素+アンモニア
処理温度:400〜500℃
バイアス電圧:300〜600V
【0050】
窒化処理後の基材について、入射角θ−回折角2θの条件でX線回折測定を実施し、ε相(Fe2-3N)の(101)のピークに対するγ’相(Fe4N)の(111)のピーク強度比{[γ’相(111)/ε相(101)]比}を求めた。このとき、PVDコーティング膜を形成する前、または除膜液(例えば、ADEKA社製「チタピール」シリーズ)でPVDコーティング膜を除去した鉄基合金基材の表面を基準とした。また、下記の方法によって窒化層厚さを測定した。
[窒化層厚さの測定方法]
窒化層を含む断面を切り出して研磨し、断面方向からビッカース硬さを荷重25gfで測定した。SD11母材(基材)のビカース硬さは約Hv650なので、基材よりもHv50以上高い領域を窒化層厚さとした。
【0051】
窒化処理後の基材について、前記図1に示した装置(AIP装置)を用い、下記表1に示す各種硬質皮膜(表面層)を形成し、各種硬質皮膜被覆部材を作製した。このとき、必要によって、中間層としてCrNを形成したものについても作製した。また、TiNやCrNについては、バイアス電圧を低めに調整し、(TiCrAlSi)N膜については、バイアス電圧を高めに調整し、アークイオンプレーティングを実施した。
【0052】
得られた硬質皮膜について、膜中の金属成分組成をEPMAによって測定すると共に、下記の条件によってスクラッチ試験を行い、PVDコーティング膜の破壊臨界荷重を測定し、皮膜密着性の指標とした。
【0053】
[スクラッチ試験条件]
スクラッチ試験機(CSEM社製「REVETEST」)を用い、先端半径:200μmのロックウエル型ダイヤモンド圧子を、荷重負荷速度:100N/min、走査速度:10mm/min、荷重範囲:0〜100NでPVDコーティング膜上を走査させて、試験を行なった。これによって、鉄基合金基材の凹み・変形によりPVDコーティング膜が破壊する臨界荷重値を測定した。
【0054】
スクラッチ試験における皮膜破壊の臨界荷重は、皮膜硬さ、皮膜臨界密着性、基材表面硬さの3つの特性に依存するものであり、皮膜硬さが同等であれば、臨界荷重の増大は、鉄基合金基材の表面凹み・変形の抑制、またはPVDコーティング膜密着性が改善されたことを示すものである。従って、この臨界荷重の増大は、成形時の金型における基材の凹み・変形とPVDコーティング膜の破壊を抑制し、金型としての耐久性向上を示すものとなる。尚、上記趣旨から明らかなように、スクラッチ試験における皮膜破壊の臨界荷重の合格基準値は、硬質皮膜の種類によっても異なる。その一例を挙げれば、硬質皮膜(表面層)がTiNやCrNの場合には、破壊臨界荷重の合格基準は40N以上である。例えば(TiCrAlSi)Nの場合には、破壊臨界荷重の合格基準は50N以上が望ましい。但し、40N以上であれば使用できる。
【0055】
その結果を、硬質皮膜の構成(窒化層の[γ’相(111)/ε相(101)]比、中間層および表面層の種類、並びにそれらの厚さ)と共に、下記表1に示す。尚、表1に示した硬質皮膜(TiCrAlSi)Nは、いずれも(Ti20Cr20Al55Si5)N(金属成分:N=50:50)のものである。
【0056】
【表1】

【0057】
この結果から明らかなように、本発明で規定する要件(γ’相(111)/ε相(101)のピーク強度比が60%以下)を満足するもの(試験No.2〜6、8〜12、14〜18、20〜24)では、硬質皮膜の優れた密着性が達成されていることが分かる。更に、このピーク強度比が30%以下であれば、硬質皮膜の密着性が更に向上することが分かる。これに対して、本発明で規定する要件を外れる硬質皮膜(No.1、7、13、19)では、硬質皮膜の密着性が低下していることが分かる。
【符号の説明】
【0058】
1 真空チャンバー
2 回転盤
3 回転テーブル
5 被処理体(基材)
6a,6b アーク蒸発源
7a,7b ヒータ
8a,8b アーク電源
9a,9b,9c,9d マスフローコントローラー
10 バイアス電源
11 フィラメント型イオン源
12 フィラメント加熱用交流電源
13 放電用直流電源

【特許請求の範囲】
【請求項1】
鉄基合金基材表面に窒化層を形成した後に、PVD法によって窒化膜、炭化膜または炭窒化膜を窒化層上に形成した硬質皮膜被覆部材であって、前記窒化層中のFe−N系化合物におけるX線回折のピークを、基材表面を基準として入射角θ−回折角2θの条件で測定したときに、ε相(Fe2-3N)の(101)のピークに対するγ’相(Fe4N)の(111)のピーク強度比が、60%以下であることを特徴とする硬質皮膜被覆部材。
【請求項2】
前記ピーク強度比が30%以下である請求項1に記載の硬質皮膜被覆部材。
【請求項3】
前記窒化層の断面方向から測定したビッカース硬さ(Hv)が基材のビッカース硬さ(Hv)よりもHv50以上高い領域の厚さが、5μm以上である請求項1または2に記載の硬質皮膜被覆部材。
【請求項4】
PVD法によって形成される窒化膜、炭化膜または炭窒化膜は、Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される皮膜層であって、下記式(1)〜(6)を満たすものである請求項1〜3のいずれかに記載の硬質皮膜被覆部材。
0≦1−X−Y≦0.5 …(1)
0<X≦0.5 …(2)
0.4≦Y≦0.7 …(3)
0≦Z≦0.15 …(4)
0≦A≦0.5 …(5)
0≦B≦0.2 …(6)
但し、上記Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)において、LはSi,Yの1種以上であり、上記式(1)〜(6)において、XはCrの原子比、YはAlの原子比、ZはLの原子比、AはC(炭素)の原子比、BはB(硼素)の原子比を示すものである。
【請求項5】
PVD法によって形成される窒化膜、炭化膜または炭窒化膜と、鉄基合金基材表面に形成される窒化層との間に、Cr1-xx(Bab1-a-b)で表される皮膜層であって、下記式(7)〜(9)を満たすものをPVD法によって中間層として介在させたものである請求項4に記載の硬質皮膜被覆部材。
0≦x≦0.7 …(7)
0≦a≦0.2 …(8)
0≦b≦0.5 …(9)
但し、上記Cr1-xx(Bab1-a-b)において、Mは、W,V,Mo,Nb,TiおよびAlよりなる群から選ばれる1種以上の元素であり、上記式(7)〜(9)において、xはMの原子比、aはB(硼素)の原子比、bはC(炭素)の原子比を示すものである。
【請求項6】
前記中間層がCrNであると共に、(Ti1-X-YCrAl)Nで表される皮膜層が、下記式(10)〜(13)を満たすものである請求項4または5に記載の硬質皮膜被覆部材。
0≦1−X−Y≦0.5 …(10)
0<X≦0.5 …(11)
0.4≦Y≦0.7 …(12)
0≦Z≦0.15 …(13)
【請求項7】
(Ti1-X-YCrAl)Nにおいて、LがSiである請求項6に記載の硬質皮膜被覆部材。
【請求項8】
前記中間層の厚さが1〜20μmであり、Ti1-X-YCrAl(B1-A-B)で表される皮膜層の厚さが2〜20μmである請求項5〜7のいずれかに記載の硬質皮膜被覆部材。
【請求項9】
請求項1〜8のいずれかに記載の硬質皮膜被覆部材を有してなる成形用治工具。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2010−168638(P2010−168638A)
【公開日】平成22年8月5日(2010.8.5)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−14599(P2009−14599)
【出願日】平成21年1月26日(2009.1.26)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】