説明

転がり支持装置およびその構成部品の製造方法

【課題】 異物混入潤滑下や高荷重下等の苛酷な環境下で使用される転がり支持装置において、表面起点型剥離および白色組織起点型剥離をともに抑制し、寿命を長くする。
【解決手段】 内輪1、外輪2、および玉3の少なくとも一つを、C含有率が0.3質量%以上1.2質量%以下、Si含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下、Mn含有率が0.2質量%以上2.0質量%以下、Cr含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下である鋼からなる素材を所定形状に加工した後、浸炭窒化、焼入れ、焼戻しを含む熱処理を施した。そして、転がり面をなす表層部のC含有率を1.0質量%以上2.0質量%以下、前記表層部のN含有率を0.2質量%以上2.0質量%以下、CおよびNの総含有率が1.2質量%以上3.0質量%以下、前記表層部の残留オーステナイト量を5体積%以上20体積%以下、前記表層部の硬さをHRC62以上とした。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、転がり軸受、ボールねじ、リニアガイド等の転がり支持装置およびその構成部品の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
転がり支持装置の一つである転がり軸受は、高面圧下で繰り返し剪断応力を受けて使用されるため、どのような転がり軸受であっても転がり疲れ寿命を有している。この転がり疲れ寿命を長くするために、転がり軸受の内輪、外輪、および転動体としては、通常、高炭素クロム軸受鋼二種(SUJ2)等の軸受鋼材を所定形状に加工した後、焼入れおよび焼き戻しが施されて、表面硬さをHRC62以上にしたものが使用されている。
【0003】
このような転がり軸受の定格疲れ寿命は、玉軸受では下記(1)式で算出され、ころ軸受では下記(2)式で算出される。
1 =(C/P)3 ・・・(1)
2 =(C/P)10/3 ・・・(2)
但し、(1),(2)式中、L1 は玉軸受の定格疲れ寿命、L2 はころ軸受の定格疲れ寿命、Cは基本動定格荷重、Pは軸受荷重を示す。
【0004】
しかしながら、自動車、農業機械、建設機械、鉄鋼機械のトランスミッション(変速機)、エンジン、および減速機等で使用される転がり軸受は、潤滑油中に金属の切粉、削り屑、バリ、および摩耗粉が混入する潤滑環境下(以下、「異物混入潤滑下」と記す。)で使用される場合が多い。そのため、これらの用途の転がり軸受では、転がり面に異物による圧痕が生じ、この圧痕縁の凸部に応力が集中することにより、圧痕縁を起点としたクラックが発生・進展し、上述した定格疲れ寿命に達する前に表面起点型フレーキング(以下、「表面起点型剥離」と記す。)が生じる場合がある。
【0005】
異物混入潤滑下で使用される転がり軸受の転がり疲れ寿命を長くするために、特許文献1では、内輪、外輪、および転動体の少なくとも一つについて、合金鋼からなる素材を所定形状に加工した後、浸炭窒化処理および硬化熱処理を施すことにより、その表面層に存在する炭窒化物の単位面積当たりの面積率を10%以上、前記表層部に存在する最大炭窒化物径を3μm以下、前記表層部の残留オーステナイト量を25〜45体積%、前記表層部の硬さをHv750以上とすることが提案されている。ここで、硬化熱処理とは、浸炭窒化温度からA1 変態点以下に冷却した後、再度A1 変態点以上に加熱して、その後焼入れおよび焼戻しを行う熱処理を指す。
【0006】
ところで、環境問題を考慮して、輸送機器や構造物の軽量化および省エネルギー化を実現するために、鉄鋼材料のさらなる高強度化が要求されている。鋼の強化機構としては、上述した特許文献1に記載の析出硬化による強化の他、固溶硬化、転位強化、結晶粒径微細化による強化などが知られている。特に、結晶粒径微細化による効果としては、単位体積中の粒界の総面積が増大することにより粒界偏析が低減する「見かけ上の高純度化効果」や、結晶のすべり面が突き当たった粒界に集中する応力が低減する「粒界応力の低減効果」や、変形の異方性に起因した不均一な歪みが均一化される「歪みの分散効果」などが挙げられる。つまり、鋼の結晶粒径微細化は、延性や靱性を顕著に害することなく、鋼の強度向上を可能とする有効な手段として注目されている。
【0007】
特許文献2では、軸受部品を、鋼からなる素材を所定形状に加工した後、A1 変態点を超える温度で浸炭窒化処理を施し、さらに、A1 変態点未満の温度に冷却した後、A1 変態点以上且つ浸炭窒化温度未満の温度に再加熱して、その後焼入れおよび焼戻しを施すことにより、その浸炭窒化層およびその内部の鋼のオーステナイト結晶粒径を8μm以下とすることが提案されている。
【0008】
また、オルタネータ(車両用交流発電機),電磁クラッチ,中間プーリ,テンショナー等のエンジン補機で使用される転がり軸受は、一般の転がり軸受と比べて、高温、高振動、高荷重下等の苛酷な環境下で使用される。そのため、これらの用途の転がり軸受では、その転がり面に十分な潤滑膜が形成され難く、軌道面と転動体とが接触し易くなっているため、上述した定格疲れ寿命に達する前に軌道面直下に白色を呈する組織(以下、「白色組織」と記す。)が生成して、それを起点としたフレーキング(以下、「白色組織起点型剥離」と記す。)が生じる場合がある。
【0009】
この白色組織起点型剥離は、以下のようにして生じると考えられている。まず、軌道面と転動体とが接触することにより、転がり面に新生面(鋼の組織が露出した面)が生じる。次に、この新生面がトライボケミカル反応の触媒となり、潤滑油中に含まれる添加剤や水分を分解して水素イオンを発生させる。次に、この水素イオンが新生面に吸着して水素原子となり、最大剪断応力位置の近傍に集積することにより、白色組織(White Structure)と呼ばれる組織変化が起こる。そして、この組織変化に伴って転がり面に白色組織起点型剥離が生じる。
【0010】
例えば、オルタネータにおいては、エンジンからの動力を受けてプーリが高速回転するため、プーリとプーリに巻き付けられたベルトとの間に静電気が発生する場合がある。通常、プーリの回転軸を支持するオルタネータ用転がり軸受では、その転がり面に潤滑油膜が形成されているため、内外輪間は絶縁状態になっており、上述した静電気に起因する放電現象が起こらない。しかし、内外輪の電位差(約100〜500V)が大きくなると、内外輪間で放電現象が起こり、これにより潤滑剤を構成するグリースや潤滑剤に含まれる水分が分解されて水素イオンを発生させるため、転がり面に上述した白色組織が生成し易いと考えられている。
【0011】
高荷重下等の苛酷な環境下で使用される転がり軸受の転がり疲れ寿命を長くするための技術としては、特許文献3〜特許文献5および非特許文献1に記載の技術が挙げられる。 特許文献3では、オルタネータ用転がり軸受において、外輪を、残留オーステナイト量が0.05体積%以上10体積%未満の鋼から形成することで、軌道面下での残留オーステナイトの分解による塑性変形を抑制することが提案されている。
【0012】
特許文献4では、軸受内にグリースが封入されたグリース封入軸受において、内輪および外輪の軌道面に厚さ0.1μm以上で、表面粗さ(Ra)が1.1μmの酸化皮膜を形成することで、グリースからの水素の分離を抑制し、転がり面の白色組織起点型剥離を抑制することが提案されている。
特許文献5では、軸受内にグリースが封入されたグリース封入軸受において、転動体をファインセラミックス製にすることで、ベルトとプーリとの間に静電気が発生しても、内外輪間で放電現象を起こり難くし、潤滑剤からの水素イオンの発生を抑制することが提案されている。
【0013】
非特許文献1では、転がり面に十分な厚さの油膜を形成し、且つ、ダンパ効果の高いグリースを用いることで、高荷重・高振動を吸収して金属接触を抑制し、転がり面の白色組織起点型剥離を抑制することが提案されている。
また、高荷重下等の苛酷な環境下で使用される転がり軸受の転がり疲れ寿命を長くするためには、軸受サイズを大きくしたり、軸受を複列化することで、荷重条件を緩和することも有効であると考えられている。しかし、今後のエンジンの小型化、軽量化、および高性能化に伴って、軸受サイズに関しても制約を受けることが予想されるため、軸受サイズや軸受の複列化が有効な解決策であるとは言えない。
【0014】
さらに、上述した環境問題に考慮して、近年、自動車の燃費効率の向上が益々重要となってきており、従来の多段式自動変速機に変わって、より燃費効率の高い金属ベルト式無段変速機が適用されている。このような金属ベルト式無段変速機で使用される転がり軸受は、一般の転がり軸受と比較して、高振動、高速回転、高荷重、すべり等を伴う苛酷な環境下で使用される。
【0015】
そのため、これらの用途の転がり軸受では、その転がり面に十分な潤滑膜が形成され難く、軌道面と転動体との接触面で高い接線力が作用したり、金属接触による発熱や表面疲労を受け易くなっている。その結果、上述したエンジン補機で使用される転がり軸受と同様に、白色組織と呼ばれる組織変化が起こり、上述した定格疲れ寿命に達する前に転がり面に白色組織起点型剥離が生じる場合がある。また、このような苛酷な環境下であって、さらに異物混入潤滑下で使用される場合には、異物の噛み込みにより生成した圧痕の縁に大きな接線力が作用することになるため、表面起点型剥離に対しても十分な配慮が必要となる。
【特許文献1】特開平5−78814号公報
【特許文献2】特開2003−226918号公報
【特許文献3】特公平7−72565号公報
【特許文献4】特公平6−89783号公報
【特許文献5】特開平4−244624号公報
【非特許文献1】「SAEテクニカルペーパー;SAE950944(開催日1995年2月27日から3月2日)」、第一項〜第一4項
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0016】
しかしながら、上述した特許文献1に記載の転がり軸受は、異物混入潤滑下における転がり疲れ寿命の向上を目的としたものであり、上述した白色組織を起因とした転がり疲れ寿命を向上させるという点で未だ改善の余地がある。
また、上述した特許文献2に記載の転がり軸受では、残留オーステナイト量について特定されていないため、異物混入潤滑下における転がり疲れ寿命を向上させるという点で未だ改善の余地がある。
さらに、上述した特許文献3に記載の転がり軸受は、異物混入潤滑下における転がり疲れ寿命の向上はもとより、上述した白色組織の生成を抑制するという点で未だ解決の余地がある。
【0017】
さらに、上述した特許文献4に記載のグリース封入軸受では、高振動下や大きなすべりが生じるような苛酷な環境下で使用すると、転がり面に形成した酸化皮膜が破断される場合があり、白色組織の生成を効果的に抑制することは難しい。また、一般に、転がり軸受の製造工程は、研削工程から組み立て工程まで一貫しており、製造工程の途中で酸化皮膜処理を行うことはコストの著しい上昇を招く。
さらに、上述した特許文献5に記載の転がり軸受では、転動体をセラミックス製としたことによって、コストが上昇する。また、セラミックス製の転動体は、鋼製の転動体と比べてヤング率が高いため、軌道面との接触面圧が増大し、寿命が低下する傾向にある。
【0018】
さらに、非特許文献1に記載の転がり軸受は、例えば、摩擦係数の高い自動変速機用潤滑油(ATF:Automatic Transmisson Fluid )や無段変速機用潤滑油(CVTF:Continuously Variable Transmisson Fluid )が用いられるベルト式無段変速機で使用される転がり軸受のように、油潤滑下で使用される軸受には適用できない。また、非特許文献1に記載の転がり軸受をグリース潤滑下で使用される軸受に適用しても、転がり面の白色組織起点型剥離を抑制するという点で未だ改善の余地がある。
そこで、本発明は、これらの問題を解決するためになされたものであり、異物混入潤滑下や高荷重下等の苛酷な環境下で使用される転がり支持装置において、表面起点型および白色組織起点型剥離をともに抑制し、寿命を長くすることを課題としている。
【課題を解決するための手段】
【0019】
このような課題を解決するために、本発明は、互いに対向配置される軌道面を備えた第一部材および第二部材と、前記第一部材と第二部材の間に転動自在に配設された複数個の転動体と、を備え、前記転動体が転動することにより前記第一部材および前記第二部材の一方が他方に対して相対運動する転がり支持装置において、前記第一部材、第二部材、転動体の少なくとも一つは、C含有率が0.3質量%以上1.2質量%以下、Si含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下、Mn含有率が0.2質量%以上2.0質量%以下、Cr含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下である鋼からなる素材を所定形状に加工した後、浸炭窒化、焼入れ、および焼戻しを含む熱処理が施されて得られ、その転がり面をなす表層部は、C含有率が1.0質量%以上2.0質量%以下、N含有率が0.2質量%以上2.0質量%以下、CおよびNの総含有率が1.2質量%以上3.0質量%以下、残留オーステナイト量が5体積%以上20体積%以下、硬さがHRC62以上となっていることを特徴とする転がり支持装置を提供する。
【0020】
本発明の転がり支持装置において、前記転がり面の旧オーステナイト結晶粒径は、5.0μm以下となっていることが好ましい。
本発明はまた、互いに対向配置される軌道面を備えた第一部材および第二部材と、前記第一部材と第二部材の間に転動自在に配設された複数個の転動体と、を備え、前記転動体が転動することにより前記第一部材および前記第二部材の一方が他方に対して相対運動する転がり支持装置の前記第一部材、第二部材、および転動体を製造する方法において、C含有率が0.3質量%以上1.2質量%以下、Si含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下、Mn含有率が0.2質量%以上2.0質量%以下、Cr含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下である鋼からなる素材を所定形状に加工した後、浸炭窒化処理を施す工程と、A1 変態点以下に冷却した後に、さらにA1 変態点以上に加熱する工程と、焼入れ処理および焼戻し処理を施す工程と、をこの順で行うことにより、その転がり面をなす表層部のC含有率を1.0質量%以上2.0質量%以下、前記表層部のN含有率を0.2質量%以上2.0質量%以下、CおよびNの総含有率が1.2質量%以上3.0質量%以下、前記表層部の残留オーステナイト量を5体積%以上20体積%以下、前記表層部の硬さをHRC62以上とするとともに、前記転がり面の旧オーステナイト結晶粒径を5.0μm以下とすることを特徴とする転がり支持装置の構成部品の製造方法を提供する。
【0021】
なお、本発明における「表層部」とは、表面から所定深さ(例えば、転動体直径の2%の深さ)までの部分を指す。また、オーステナイト化した鋼は焼入れによってマルテンサイト組織になるが、「旧オーステナイト結晶粒径」とは、焼入れ前のオーステナイト結晶の平均粒径のことであり、焼入れおよび焼戻し後にマルテンサイト組織を腐食させることで現出する。
【0022】
以下、本発明について詳述する。
〔C含有率:0.3質量%以上1.2質量%以下〕
C(炭素)は、鋼に必要な強度と寿命を付与する作用を有する。素材をなす鋼のC含有率が少な過ぎると、転がり支持装置の構成部品(第一部材,第二部材,転動体)として必要な強度を付与できないだけでなく、浸炭窒化処理を行う際に転がり面として必要な硬化層深さを得るための熱処理時間が長くなり、生産コストが増大する。このため、C含有率は0.3質量%以上、好ましくは0.6質量%以上とする。
一方、C含有率が多過ぎると、製鋼時に巨大な炭化物が生成されて、その後の焼入れ特性や転がり疲れ寿命に悪影響を及ぼすだけでなく、ヘッダー加工性が低下してコストの上昇を招く。よって、C含有率は1.2質量%以下とする。
【0023】
〔Si含有率:0.5質量%以上2.0質量%以下〕
Si(ケイ素)は、製鋼時に脱酸剤としての作用を有するとともに、基地であるマルテンサイトを強化し、且つ、焼戻し軟化抵抗性を高めることにより、転がり疲れ寿命を向上させる作用を有する。また、浸炭窒化処理を行う際に、転がり面をなす表層部にN含有率と残留オーステナイト量をバランスよく付与する作用も有する。これらの作用を得るために、Si含有率は0.5質量%以上、好ましくは0.8質量%以上とする。
一方、Si含有率が多過ぎると、ヘッダー加工性および被削性等が低下するだけでなく、浸炭窒化特性が低下して、必要な硬化層深さを確保できず、転がり面をなす表層部のN含有率、C含有率および残留オーステナイト量を本発明の範囲内に出来なくなる。よって、Si含有率は2.0質量%以下、好ましくは1.5質量%以下とする。
【0024】
〔Mn含有率:0.2質量%以上2.0質量%以下〕
Mn(マンガン)は、Siと同様に、製鋼時に脱酸剤としての作用を有する他、焼入れ性を向上し、且つ、転がり疲れ寿命に有効な残留オーステナイトの生成を促進させる作用を有する。これらの作用を得るために、Mn含有率は0.2質量%以上とする。
一方、Mn含有率が多過ぎると、ヘッダー加工性および被削性が低下するだけでなく、熱処理後に多量の残留オーステナイトが残存して、良好な転がり疲れ寿命が得られなくなる。よって、Mn含有率は2.0質量%以下、好ましくは0.7質量%以下とする。
【0025】
〔Cr含有率:0.5質量%以上2.0質量%以下〕
Cr(クロム)は、基地に固溶して、焼入れ性および焼戻し軟化抵抗性を向上させる作用を有するとともに、高硬度の微細な炭化物や炭窒化物を形成して、軸受部品の硬さや熱処理時の結晶粒の粗大化を抑制するため、転がり疲れ寿命を向上させる作用を有する。これらの作用を得るために、Cr含有率は0.5質量%以上、好ましくは1.3質量%以上とする。
一方、Cr含有率が多過ぎると、製鋼時に巨大な炭化物が生成されて、その後の焼入れ特性や転がり疲れ寿命に悪影響を及ぼすだけでなく、ヘッダー加工性および被削性が低下して生産コストの上昇を招く。よって、Cr含有率は2.0質量%以下、好ましくは1.6質量%以下とする。
【0026】
〔鋼のその他の構成成分について〕
本発明で使用する鋼は、上述した元素に加えて、Crと同様の作用を有するMo(モリブデン)やV(バナジウム)等の炭化物形成促進元素を、素材費の上昇や加工性の低下によるコスト上昇を招かない範囲で含有してもよい。MoやVの含有率は、合計で4.0質量%以下とすることが好ましい。
また、上述した必須成分(C,Si,Mn,Cr)および選択的に含有させるMoやV以外は、実質的にFe(鉄)からなるが、不可避不純物として、S(硫黄),P(リン),Al(アルミニウム),Ti(チタン),O(酸素)等を含有してもよい。これらの元素は、表面起点型の破損に対して特に際立った抑制効果はないと言われているが、鋼の品質が著しく悪い場合には、これらが起点となって白色組織起点型の破損が生じる。このため、コストの著しい上昇を招くような厳しい不純物規制は行わないが、不可避不純物の含有率は、JIS G 4805に規定された高炭素クロム軸受鋼の清浄度規制を満たす品質レベルとする。
【0027】
〔表層部のN含有率:0.2質量%以上2.0質量%以下〕
転がり面をなす表層部に存在するN(窒素)は、マルテンサイト中に固溶して硬さを向上させる作用を有する他、窒化物や炭窒化物による旧オーステナイト結晶粒径の微細化(ピン止め作用)および残留オーステナイトの付与により寿命を延長させる作用や、耐摩耗性および耐焼付き性を向上させる作用を有する。これらの作用を得るために、転がり支持装置の構成部品の転がり面をなす表層部のN含有率は0.2質量%以上とする。
一方、前記表層部のN含有率が多過ぎると、窒化物や炭窒化物の析出量が増大して、前記表層部に必要な残留オーステナイト量を確保できなくなるとともに、焼入れ性が低下して十分な耐疲労性が得られなくなる。よって、構成部品の転がり面をなす表層部のN含有率は2.0質量%以下とする。
【0028】
〔転がり面をなす表層部のC含有率:1.0質量%以上2.0質量%以下〕
転がり面をなす表層部に存在するC(炭素)は、上述したNと同様に、硬さを向上させる作用を有する他、寿命を延長させる作用や、耐摩耗性および耐焼付き性を向上させる作用を有する。これらの作用を得るために、構成部品の転がり面をなす表層部のC含有率は1.0質量%以上とする。
【0029】
一方、前記表層部のC含有率が多過ぎると、上述したNと同様に、炭化物や炭窒化物の析出量が増大して、前記表層部に本発明の範囲内の残留オーステナイト量を得ることができなくなるとともに、焼入れ性が低下して十分な耐疲労特性が得られなくなる。また、粗大な炭化物が生成して、著しく寿命が低下する場合がある。よって、構成部品の転がり面をなす表層部のC含有率は2.0質量%以下とする。
なお、前記表層部のCおよびNの合計含有率は、1.2質量%以上3.0質量%以下とすることが好ましい。
【0030】
〔転がり面をなす表層部の残留オーステナイト量:5体積%以上20体積%以下〕
転がり面をなす表層部に存在する残留オーステナイトは、異物の噛み込みにより形成された圧痕の縁に応力が集中し難くする作用を有する。この作用を得るために、構成部品の転がり面をなす表層部の残留オーステナイト量は5体積%以上とする。
一方、前記表層部の残留オーステナイト量が多過ぎると、硬さが低下したり、耐疲労性や摩擦・摩耗特性が劣化するだけでなく、寸法安定性が低下したり、組み立て時の変形応力の減少により組み立て性が低下する場合がある。よって、前記転がり面をなす表層部の残留オーステナイト量は20体積%以下とする。
【0031】
〔表層部の硬さ:HRC62以上〕
転がり面をなす表層部の硬さは、異物の噛み込みによる圧痕を抑制し、転がり疲れ寿命を向上させるために、HRC62以上とする。一方、前記表層部が硬過ぎると、十分な残留オーステナイト量が確保できなくなったり、かえって靱性が低下する場合もあるため、前記表層部の硬さはHRC65以下とすることが好ましい。
【0032】
〔転がり面の旧オーステナイト結晶粒径:5.0μm以下〕
転がり面の旧オーステナイト結晶粒径を5.0μm以下、好ましくは3.0μm以下にすることにより、粒界への水素集積が抑制され、且つ、結晶のすべり面が突き当たった粒界に集中する応力が低減される。その結果、白色組織の生成を抑制できる。また、旧オーステナイト結晶粒径の微細化により、残留オーステナイトも微細化されるため、これによる寿命延長効果も得られる。
【0033】
〔熱処理について〕
まず、上述した本発明で使用する鋼からなる素材を、鍛造又は切削により所定形状に加工した後、混合ガス(RXガス+エンリッチガス+アンモニアガス)を導入した炉内で、数時間加熱保持することで浸炭窒化処理を行う。ここで、アンモニアガスは処理温度が高くなる程分解し易くなる。アンモニアガスが分解し易くなると、混合ガス中の残留アンモニアガスの濃度が小さくなり、構成部品の転がり面をなす表層部に本発明の範囲内のN含有率が得られなくなる。
【0034】
よって、浸炭窒化処理を、雰囲気温度820〜850℃程度で行うことにより、前記表層部のN含有率およびC含有率を本発明の範囲内にすることが好ましい。また、雰囲気温度750〜850℃程度で浸炭窒化処理を行うことにより前記表層部のN含有率を本発明の範囲内にした後に、雰囲気温度850℃以上の温度に昇温して浸炭処理を行うことにより前記表層部のN含有率とC含有率をともに本発明の範囲内にしてもよい。
【0035】
次に、浸炭窒化処理後の素材を、A1 変態点(723℃)以下、好ましくは100℃以下まで冷却し、変態を完了させる。
次に、A1 変態点以上の温度(例えば、820〜860℃、好ましくは830〜850℃)に加熱し、焼入れおよび焼戻しを行う。これにより、構成部品の転がり面における所定の熱処理品質を確保するとともに、旧オーステナイト結晶粒径を本発明の範囲内にできる。
【0036】
このとき、焼入れ温度が高過ぎると、微細な窒化物や炭窒化物の溶け込みに伴って、結晶粒の粗大化が生じるとともに、前記表層部の残留オーステナイト量が多くなるため、転がり疲れ寿命が短くなるだけでなく、摩擦・摩耗特性も劣化する。一方、焼入れ温度が低過ぎると、微細な窒化物や炭窒化物の溶け込みが不足するため、焼入れ性が低下して、前記表層部に必要な硬さと残留オーステナイト量が得られず、寿命延長作用が期待できない。よって、焼入れ温度は、前記表層部の硬さと残留オーステナイト量を本発明の範囲内にできるように、820〜860℃程度で行う。
【発明の効果】
【0037】
本発明の転がり支持装置によれば、異物混入潤滑下や高荷重下等の苛酷な環境下で用いた場合でも、表面起点型剥離および白色組織起点型剥離をともに抑制でき、転がり疲れ寿命を長くできる。
本発明の転がり支持装置の構成部品の製造方法によれば、異物混入潤滑下や高荷重下等の苛酷な環境下で用いた場合でも、表面起点型剥離および白色組織起点型剥離がともに生じ難く、転がり疲れ寿命の長い構成部品を製造できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0038】
以下、本発明の実施形態を図面を参照しながら説明する。
図1に示す呼び番号6206(内径:30mm、外径:62mm、幅:16mm、玉の直径:9.525mm)の深溝玉軸受を、以下に示す方法で作製した。この深溝玉軸受は、軌道面1aを有する内輪1と、軌道面2aを有する外輪2と、複数個の玉3と、保持器4と、からなる。
内輪1および外輪2は、以下に示す手順で作製した。まず、鋼中のCr,Si,Mn,Crが表1に示す各含有率の鋼からなる素材を所定形状に施削加工した後、表1にA〜Dで示す各方法の熱処理を施した。次に、研削仕上げ加工を行った。
【0039】
なお、表1に「A」で示す熱処理は、以下の条件で行った。まず、RXガス+エンリッチガス+アンモニアガスの雰囲気中において、820〜840℃で2〜3時間保持することにより浸炭窒化を行った後、油焼入れによりA1 変態点以下(室温〜60℃)に冷却した。次に、再度A1 変態点以上(830〜850℃)に加熱して0.5〜1.0時間保持した後、油焼入れを行った。次に、160〜180℃で1.5時間保持することにより焼戻しを行った。
【0040】
また、表1に「B」で示す熱処理は、以下の条件で行った。まず、RXガス+エンリッチガス+アンモニアガスの雰囲気中において、820〜840℃で2〜3時間保持することにより浸炭窒化を行った後、油焼入れによりA1 変態点以下(室温〜60℃)に冷却した。次に、A1 変態点以上(790〜810℃)に加熱して0.5〜1.0時間保持した後、油焼入れを行った。次に、160〜180℃で1.5時間保持することにより焼戻しを行った。
【0041】
さらに、表1に「C」で示す熱処理は、以下の条件で行った。まず、RXガス+エンリッチガス+アンモニアガスの雰囲気中において、830〜850℃で2〜3時間保持することにより浸炭窒化を行った後、油焼入れを行った。次に、160〜180℃で1.5時間保持することにより焼戻しを行った。
さらに、表1に「D」で示す熱処理は、以下の条件で行った。まず、RXガス雰囲気中において、830〜850℃で30〜40分間保持した後、油焼入れを行った。次に、160〜180℃で1.5時間保持することにより焼戻しを行った。
【0042】
このようにして得られた内輪1および外輪2に対して、軌道面(転がり面)1a,2aをなす表層部(表面から100μmの深さまでの部分)のC含有率およびN含有率と、前記表層部の残留オーステナイト量(γR )と、前記表層部の硬さと、軌道面1a,2aの旧オーステナイト結晶粒径(γ粒径)とを測定した。
前記表層部のC含有率およびN含有率(質量比)は、軌道面1a,2aの深さ方向におけるC含有率およびN含有率をEPMA(X線マイクロアナライザー)により測定した値のうち、軌道面1a,2aの表面から50〜100μmの深さ位置のC含有率およびN含有率の平均値を代表値として、表1に示した。
【0043】
また、前記表層部に存在する残留オーステナイト量 (体積比)は、軌道面形成時に加工の影響を受けている部分(表面から20〜30μmの深さまでの部分)を電解研磨で除去した後、X線回折装置により測定した値を、表1に示した。
さらに、前記表層部の硬さ(HRC)は、軌道面1a,2aの深さ方向における硬さ分布をビッカース硬度計により測定した値のうち、50〜100μmの深さ位置のビッカース硬さをロックウェル硬さに換算した値の平均値を代表値として、表1に示した。
【0044】
さらに、軌道面1a,2aの旧オーステナイト結晶粒径は、以下のようにして測定した値を表1に示した。まず、ピクリン酸溶液(ピクラール:ラウリルベンゼンスルフォン酸=1:1)を用いて軌道面1a,2aを腐食させることで、軌道面1a,2aのオーステナイト組織を現出させた。そして、このオーステナイト組織を走査型電子顕微鏡で観察して、旧オーステナイト結晶粒界をトレースして画像処理装置により解析することにより、旧オーステナイト結晶粒径を算出した。
そして、このようにして得られた内輪1および外輪2と、SUJ2(高炭素クロム軸受鋼二種)製で浸炭窒化処理が施された玉3と、プラスチック製の保持器4とを用いて、深溝玉軸受を組み立てた。
【0045】
次に、これらの深溝玉軸受を用いて、異物混入潤滑下で使用することを想定した以下の条件で寿命試験を行った。なお、この試験は、各深溝玉軸受の寿命が定格疲れ寿命(計算寿命)の1.5〜2.0倍に達するまでを上限として、内輪1または外輪2にフレーキングが発生するまで行い、このフレーキングが発生するまでの累積応力繰り返し回転数を寿命として測定した。この結果については、各深溝玉軸受において、ワイブル分布関数に基づくL10寿命を計算し、No.14のL10寿命を1とした時の比を、表1に併せて示した。
〔異物混入潤滑下での寿命試験条件〕
荷重:6223N
回転数:3000min-1
潤滑油:♯68タービン油
混入異物:(組成)ステンレス系粉
(硬さ)HRC52
(粒径)74〜147μm
(混入量)潤滑油中に300ppmとなるように混入
【0046】
次いで、これらの深溝玉軸受について、高荷重、トラクション油潤滑下で使用することを想定した以下の条件で寿命試験を行った。なお、この試験は、各深溝玉軸受の寿命が定格疲れ寿命(計算寿命)の1.5〜2.0倍に達するまでを上限として、内輪1または外輪2にフレーキングが発生するまで行い、このフレーキングが発生するまでの累積応力繰り返し回転数を寿命として測定した。なお、この試験の破損モードは、白色組織の生成に起因する。この結果については、各深溝玉軸受において、ワイブル分布関数に基づくL10寿命を計算し、No.14のL10寿命を1とした時の比を、表1に併せて示した。
〔高荷重下での寿命試験条件〕
荷重:8918N
回転数:3000min-1
潤滑油:トラクション油(40℃での動粘度:30.4mm2 /s,100℃での動粘度:5.2mm2 /s)
温度:110℃
【0047】
【表1】

表1に示すように、内輪1および外輪2を、全て本発明の構成(鋼,熱処理方法,転がり面をなす表層部,転がり面)としたNo.1〜10は、本発明の構成から外れるNo.11〜14と比較して長寿命であり、異物混入潤滑下での寿命試験ではNo.14の4.1〜5.9倍の寿命が得られ、高荷重、トラクション油潤滑下での寿命試験ではNo.14の3.9倍以上の寿命が得られた。
【0048】
No.1〜10のうち、軌道面1a,2aの旧オーステナイト結晶粒径が本発明範囲(5.0μm以下)から外れるNo.10では、高荷重、トラクション油潤滑下での寿命試験においてNo.1〜9と比較して短寿命であった。また、軌道面1a,2aの旧オーステナイト結晶粒径が本発明範囲の上限値(5.0μm)であるNo.9では、高荷重、トラクション油潤滑下での寿命試験においてNo.1〜8と比較して短寿命であった。
【0049】
すなわち、素材として用いる鋼と、軌道面1a,2aをなす表層部のN含有率、C含有率、残留オーステナイト量、および硬さとを本発明の構成とした内輪1および外輪2を用いることにより、異物混入潤滑下や高荷重、トラクション油潤滑下で使用しても、深溝玉軸受の寿命を長くできることが分かった。
また、素材として用いる鋼と、軌道面1a,2aをなす表層部のN含有率、C含有率、残留オーステナイト量、および硬さとに加えて、軌道面1a,2aの旧オーステナイト結晶粒径を本発明の構成とした内輪1および外輪2を用いることにより、高荷重、トラクション油潤滑下で使用しても、深溝玉軸受の寿命をさらに長くできることが分かった。
【0050】
以上の結果から、異物混入潤滑下で使用した深溝玉軸受の寿命延長は、内輪1および外輪2の軌道面1a,2aにおける硬さおよび残留オーステナイト量のバランス改善に加えて、旧オーステナイト結晶粒径の微細化、これに伴うマルテンサイト結晶および残留オーステナイトの緻密化、微細炭化物および微細炭窒化物の析出に伴う析出硬化および接触面の摩擦力低減によるものと想定される。
【0051】
また、高荷重、トラクション油潤滑下で使用した深溝玉軸受の寿命延長は、内輪1および外輪2の軌道面1a,2aにおける旧オーステナイト結晶粒径の微細化に加えて、軌道面1a,2aをなす表層部の残留オーステナイトの水素トラップや、鋼中に存在するSi等による組織安定性の向上、および粒界への応力集中の低減により、白色組織の生成が抑制されたためであると想定される。
【図面の簡単な説明】
【0052】
【図1】本発明の転がり支持装置の一例である深溝玉軸受を示す図である。
【符号の説明】
【0053】
1 内輪(第一部材)
1a 軌道面
2 外輪(第二部材)
2a 軌道面
3 玉(転動体)
4 保持器

【特許請求の範囲】
【請求項1】
互いに対向配置される軌道面を備えた第一部材および第二部材と、前記第一部材と第二部材の間に転動自在に配設された複数個の転動体と、を備え、前記転動体が転動することにより前記第一部材および前記第二部材の一方が他方に対して相対運動する転がり支持装置において、
前記第一部材、第二部材、転動体の少なくとも一つは、
C含有率が0.3質量%以上1.2質量%以下、Si含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下、Mn含有率が0.2質量%以上2.0質量%以下、Cr含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下である鋼からなる素材を所定形状に加工した後、浸炭窒化、焼入れ、および焼戻しを含む熱処理が施されて得られ、
その転がり面をなす表層部は、C含有率が1.0質量%以上2.0質量%以下、N含有率が0.2質量%以上2.0質量%以下、CおよびNの総含有率が1.2質量%以上3.0質量%以下、残留オーステナイト量が5体積%以上20体積%以下、硬さがHRC62以上となっていることを特徴とする転がり支持装置。
【請求項2】
前記転がり面の旧オーステナイト結晶粒径は、5.0μm以下となっていることを特徴とする請求項1に記載の転がり支持装置。
【請求項3】
互いに対向配置される軌道面を備えた第一部材および第二部材と、前記第一部材と第二部材の間に転動自在に配設された複数個の転動体と、を備え、前記転動体が転動することにより前記第一部材および前記第二部材の一方が他方に対して相対運動する転がり支持装置の前記第一部材、第二部材、および転動体を製造する方法において、
C含有率が0.3質量%以上1.2質量%以下、Si含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下、Mn含有率が0.2質量%以上2.0質量%以下、Cr含有率が0.5質量%以上2.0質量%以下である鋼からなる素材を所定形状に加工した後、浸炭窒化処理を施す工程と、
1 変態点以下に冷却した後に、さらにA1 変態点以上に加熱する工程と、
焼入れ処理および焼戻し処理を施す工程と、をこの順で行うことにより、
その転がり面をなす表層部のC含有率を1.0質量%以上2.0質量%以下、前記表層部のN含有率を0.2質量%以上2.0質量%以下、CおよびNの総含有率が1.2質量%以上3.0質量%以下、前記表層部の残留オーステナイト量を5体積%以上20体積%以下、前記表層部の硬さをHRC62以上とするとともに、前記転がり面の旧オーステナイト結晶粒径を5.0μm以下とすることを特徴とする転がり支持装置の構成部品の製造方法。

【図1】
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【公開番号】特開2006−17163(P2006−17163A)
【公開日】平成18年1月19日(2006.1.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−193204(P2004−193204)
【出願日】平成16年6月30日(2004.6.30)
【出願人】(000004204)日本精工株式会社 (8,378)
【Fターム(参考)】