説明

摺動部材

【課題】厳しい潤滑条件下においても、耐摩耗性及び低摩擦性が得られるように摺動部材を構成する。
【解決手段】相互に摺動する摺動面を有する第1部材と第2部材とが組み合わされてなる摺動部材であって、第1部材の摺動面が、Cr成分及び有機スルフォン酸を含有するメッキ浴から電解析出させてなるCrを含有するメッキ皮膜によって形成され、第2部材の摺動面が、窒化ケイ素によって形成されている。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、耐摩耗性及び低摩擦性に優れた摺動部材に関する。
【背景技術】
【0002】
自動車、その他の機器の摺動面に、その耐摩耗性向上のために、Cr成分及び有機スルフォン酸を含有するメッキ浴から電解析出させたCr含有メッキ皮膜を形成することは知られている。例えば特許文献1には、有機スルフォン酸を含有するメッキ浴を用いてワークにCrMoメッキ皮膜を形成し、このメッキ皮膜にエッチング処理によって長さ1cmあたり400本以上1300本以下のクラックを形成した後、このメッキ皮膜の表面を研削加工することにより、潤滑性が高い低摩擦の摺動面とすることが記載されている。特許文献2には、有機スルフォン酸を含有するメッキ浴を用いてワークにCrMoメッキ皮膜を形成するにあたり、有機スルフォン酸の添加量を調整することにより、CrMoメッキ層表面での(222)配向結晶の該存在率を60%以上80%以下とし、耐摩耗性と低摩擦性とを有するメッキ皮膜とすることが記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開2006−219756号公報
【特許文献2】特開2007−291423号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
摺動部材には一般に耐摩耗性及び低摩擦性が要求され、例えば自動車エンジンのピストンや動弁系の摺動部材では、エンジンの信頼性を確保するために耐摩耗性に優れていること、燃費性能向上のために低い摩擦係数を発現することが求められる。ロータリピストンエンジンの例で言えば、その作動室を形成するロータハウジングのトロコイド面に硬質CrMoメッキ皮膜が形成され、このトロコイド面を摺動するアペックスシールにはチル鋳鉄が採用されて、上記要求を満たすようにされている。
【0005】
しかし、硬質CrMoメッキ皮膜の硬さはHV1000程度であるのに対し、アペックスシールに採用されているチル鋳鉄の硬さはHV650程度であるため、潤滑オイルが極少量であるなど、潤滑条件が厳しい場合には、アペックスシールの摩耗量が一方的に増加していく現象を生ずる場合がある。
【0006】
本発明の課題は、厳しい潤滑条件下においても、耐摩耗性及び低摩擦性が得られるように摺動部材を構成することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明は、上記課題を解決するために、相互に摺動する2つの部材の摺動面材質として高速Crメッキと窒化ケイ素とを組み合わせた。
【0008】
すなわち、本発明の一つの観点は、相互に摺動する摺動面を有する第1部材と第2部材とが組み合わされてなる摺動部材であって、第1部材の摺動面が、Cr成分及び有機スルフォン酸を含有するメッキ浴から電解析出させてなるCrを含有するメッキ皮膜によって形成され、第2部材の摺動面が、窒化ケイ素によって形成されていることを特徴とする。
【0009】
第1部材の摺動面を形成するCr含有メッキ皮膜は、有機スルフォン酸がメッキ析出速度を高める触媒として働いて形成されており、いわゆる高速メッキ皮膜である。このCr含有メッキ皮膜は、その硬さは従来の硬質Crメッキと同等レベル(HV1000程度)であるが、メッキ浴への有機スルフォン酸の添加により、ミラー指数(222)の結晶面が皮膜表面側を向いた(222)配向Cr結晶(BCC)の存在率が高くなっており、また、圧縮残留応力も高くなっている。
【0010】
そうして、第1部材の摺動面は、上述の如きCr含有メッキ皮膜によって形成されているから、第2部材の摺動面がHV1500前後の硬い窒化ケイ素で形成されていても、当該摺動による摩耗が少なくなる。また、第2部材の窒化ケイ素によって形成された摺動面も、第1部材の摺動面が上述の如きCr含有メッキ皮膜によって形成されているために、摩耗が少なくなる。また、このようなCr含有メッキ皮膜と窒化ケイ素との組み合わせにより、第1部材の摺動面と第2部材の摺動面との摩擦特性も改善される(摩擦係数が低くなる)。
【0011】
好ましい実施形態では、上記メッキ皮膜は、X線回折分析により特定される(222)面が表面側を向いた(222)配向結晶の、該メッキ皮膜表面での存在率が60%以上80%以下である。
【0012】
上記(222)面は、Cr結晶の原子が最密充填された結晶面であり、結晶格子間隔が最も狭い。従って、窒化ケイ素摺動面との相対的な摺動によって外力が作用したときに生ずる結晶の歪みが大きくなる。このため、(222)配向のCr結晶の存在率が高い当該メッキ皮膜は、元来高い圧縮残留応力を有するところ、外力によってその内部圧縮応力の高まる度合いが大きい。
【0013】
そうして、Cr結晶の酸化は、酸素がCrメッキ皮膜表面から内部に拡散することによって生じ、その結果として、このCrメッキ皮膜表面にCr酸化皮膜が形成される。ところが、上述の如く圧縮応力が高いCrメッキ皮膜においては、結晶格子間隔が狭められていることから、酸素の拡散を生じ難くなっている。このため、通常の使用環境で生ずるCr酸化皮膜は薄くなり、該皮膜の表面から内部に向かう内部応力の勾配が急になる。
【0014】
その結果、第1部材と第2部材との相対的な摺動時に、上記Cr酸化皮膜が剥離し易くなり、或いはCr酸化皮膜内部での劈開を生じて部分的に欠けやすくなり、摩擦力、換言すれば摺動抵抗が小さくなる。すなわち、摺動時にCr酸化皮膜と窒化ケイ素とが部分的に凝着し、その凝着部分をCr酸化皮膜或いはCrメッキ皮膜から剥がすために必要なせん断力が摩擦力となるところ、上述の如くCr酸化皮膜が薄く、剥離ないしは内部劈開を生じ易いことから、固体潤滑剤的な作用を生じて摩擦力が小さくなるものである。
【0015】
なお、当該メッキ皮膜表面における上記(222)配向結晶の存在率が80%を超えると、さらに応力が高まることにより、酸化の進行を抑制するように作用する。その結果、摺動面に形成されるCr酸化皮膜の厚さが過度に薄くなり、相手材との摺動に伴い、これら酸化皮膜の欠落が増加する。これに伴い、下地のメッキ皮膜本体の露出が顕著となり、金属同士の凝着を引き起こすため、好ましくない。
【0016】
上述の薄く剥離ないしは内部劈開を生じ易いCr酸化皮膜が形成されるようにするためには、上記Cr含有メッキ皮膜の圧縮残留応力を20MPa以上、さらには40MPa以上とすることが好ましい。
【0017】
また、上記Cr酸化皮膜の厚さは上記(222)配向結晶の平均結晶子径よりも小さくなっていることが好ましい。すなわち、Cr酸化皮膜の厚さが(222)配向結晶子のサイズと略同程度か、それよりも厚くなってしまっている場合、それは、当該(222)配向結晶子全体が酸化されていることに他ならない。そうなると、摺動時に該結晶子が脱落し易くなって、過剰摩耗の原因になってしまう。
【0018】
但し、Cr酸化皮膜の厚さが当該結晶子径が比して薄くなり過ぎているケースも好ましいものではない。このケースは、当該結晶子径が過度に大きいときに生ずるが、それは、Cr酸化皮膜が一つの結晶子に対して広い面積で結合した状態になっていることを意味し、該Cr酸化皮膜が当該メッキ皮膜から剥離し難くなる、つまり、摩擦係数が大きくなる。従って、Cr酸化皮膜は、上記結晶子径の例えば1/5以上1/1未満の厚さになることが好ましい。
【0019】
本発明の別の観点は、相互に摺動する摺動面を有する第1部材と第2部材とが組み合わされてなる摺動部材において、第1部材の摺動面が、Crを含有し20MPa以上の圧縮残留応力を有するメッキ皮膜によって形成され、第2部材の摺動面が窒化ケイ素によって形成されていることである。
【0020】
すなわち、上述の如く、Cr含有メッキ皮膜の圧縮残留応力が高くなると、通常の使用環境で生ずるCr酸化皮膜は薄くなり、該Cr酸化皮膜の剥離性ないし劈開性が高くなる。このため、当該第1部材の圧縮残留応力が高いCr含有メッキ皮膜よりなる摺動面と、第2部材の窒化ケイ素よりなる摺動面との組み合わせにおいては、互いの摺動面の摩耗が少なくなり、低摩擦特性の確保にも有利になる。上記Cr含有メッキ皮膜の圧縮残留応力は40MPa以上であることがさらに好ましい。圧縮残留応力の上限は120MPaとすることが好ましい。
【0021】
このような圧縮残留応力が高いCr含有メッキ皮膜は、上述の有機スルフォン酸を触媒とする高速メッキ法によって得ることができるが、フッ化物など他の触媒をメッキ浴に添加して析出速度を高めることによっても得ることができる。
【0022】
以上に述べた第1部材の摺動面を形成するCr含有メッキ皮膜は、Crの多結晶体で形成する他、Crを主成分とするCrMo合金メッキで形成するようにしてもよい。Moの添加によりメッキ皮膜の結晶の微細化、強度の向上、耐熱性の向上が図れ、潤滑性の向上、低摩擦化(摩擦係数の低減)、焼き付き防止に有利になる。Mo共析量は0.3%以上1.0%以下が好ましい。
【発明の効果】
【0023】
本発明によれば、相互に摺動する摺動面を有する第1部材と第2部材とが組み合わされてなる摺動部材において、第1部材の摺動面が、有機スルフォン酸を含有するメッキ浴から電解析出させてなるCr含有メッキ皮膜によって形成され、或いは20MPa以上の圧縮残留応力を有するCr含有メッキ皮膜によって形成され、第2部材の摺動面が窒化ケイ素によって形成されているから、第1部材及び第2部材の摺動面の摩耗が少なくなるとともに、摩擦特性が改善される。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【図1】本発明を適用したロータリピストンエンジンを概略的に示す断面図である。
【図2】本発明に係る摺動部材のCr含有メッキ皮膜表面部の構造を模式的に示す図である。
【図3】Cr含有メッキ皮膜の(222)面存在率と内部応力との関係を示すグラフ図である。
【図4】摩擦摩耗特性試験機を概略的に示す図((a)は平面図,(b)は側面図)である。
【図5】種々の摺動面材質の組み合わせでピンオンディスク摩擦摩耗試験を行なったときのピン高さ摩耗量を示すグラフ図である。
【図6】種々の摺動面材質の組み合わせでピンオンディスク摩擦摩耗試験を行なったときのディスク摩耗量を示すグラフ図である。
【図7】種々の摺動面材質の組み合わせでピンオンディスク摩擦摩耗試験を行なったときの摩擦係数の経時変化を示すグラフ図である。
【発明を実施するための形態】
【0025】
以下、本発明を実施するための形態を図面に基づいて説明する。尚、以下の好ましい実施形態の説明は、本質的に例示に過ぎず、本発明、その適用物或いはその用途を制限することを意図するものではない。
【0026】
図1は実施形態に係るロータリーピストンエンジンの簡略図であり、第1部材としてのロータハウジング1のトロコイド面(摺動面)2を、出力軸3を回転させるロータ4の各頂部に装着された第2部材としてのアペックスシール5の頂面(摺動面)が摺動するようになっている。このエンジンでは、吸気口6からオイルを含む燃料が空気と共に作動室7に吸入され、ロータ4の回転に伴って圧縮されつつ矢印8の方向に移動した燃料が点火プラグ9A,9Bにより着火されて膨張し、燃焼ガスの圧力によって出力軸3に回転を与えた後、排気口10から排気される、という一連の行程が繰り返されることになる。
【0027】
ロータハウジング1は、トロコイド面2が形成された例えば高張力鋼板製のライナーをアルミ合金に鋳ぐるむなどして製作される。そのトロコイド面2は、アペックスシール5が摺動するため、高い耐熱性、耐摩耗性、低摩擦性が要求される。そのため、トロコイド面2には高速メッキ法によるCr含有メッキ皮膜が形成されている。一方、アペックスシール5は、窒化ケイ素によって形成されている。
【0028】
図2はCr含有メッキ皮膜10を模式的に示すものであり、同図において、11はX線回折分析により特定される(222)面が皮膜表面側を向いた(222)配向Cr結晶、12は結晶配向が異なるその他のCr結晶である。このCr含有メッキ皮膜10の表面に、(222)配向Cr結晶11及び他のCr結晶12の部位に生成した酸化物11a,12aよりなるCr酸化皮膜13が形成されている。Cr含有メッキ皮膜10の表面における(222)配向Cr結晶11の存在率は60%以上80%以下であり、また、Cr含有メッキ皮膜10は20MPa以上の圧縮残留応力を有する。
【0029】
このようなCr含有メッキ皮膜10は、メッキ浴及びメッキ条件の調整により形成することができる。
【0030】
<Cr含有メッキ皮膜の形成方法>
Cr成分、硫酸及び触媒としての有機スルフォン酸を含み、さらに必要に応じてMo成分を含むメッキ浴にライナーを入れて所定温度に予熱し、数分間の逆電処理によってライナー表面を洗浄した後、数分間のストライクメッキ処理(正電処理)及び所定時間の本メッキ処理(正電処理)を順に行なうことによって、トロコイド面にCr含有メッキ皮膜を形成する。
【0031】
Cr成分としては、無水クロム酸CrOが好ましく、必要に応じてCrを添加する。Mo成分としては、モリブデン酸ナトリウムやモリブデン酸アンモニウムを採用することができる。有機スルフォン酸としては、HSORで表され、Rが、メチル基、エチル基等の炭素数10以下の脂肪族炭化水素基、パラ位置にメチル基を有するトルエン、不飽和炭化水素基を有するスチレンなど1つの芳香環に非環式炭化水素が結合した芳香族炭化水素基であることが好ましい。Rは他の芳香族炭化水素基であってもよいし、スルフォン酸基(HSO)は複数個あってもよい。具体的にはメタンスルフォン酸、メタンジスルフォン酸等が挙げられる。
【0032】
メッキ浴は、例えば、無水クロム酸を240g/L以上280g/L以下、硫酸イオン量を2.5g/L以上3.3g/L以下、有機スルフォン酸量を10ml/L以上35ml/L以下、モリブデン酸ナトリウム量を50g/L以上65g/L以下とすればよい。メッキ浴温度は例えば50℃以上60℃以下に調整する。
【0033】
洗浄用逆電処理の電流密度は、50A/dm以上60A/dm以下、ストライクメッキ処理の電流密度は40A/dm以上55A/dm以下、本メッキ処理の電流密度は30A/dm以上40A/dm以下とすればよい。仕上げ研削加工はホーニング等により行ない、メッキ皮膜表面が例えばRa2.0μm以下となるようにすることが好ましい。
【0034】
Cr含有メッキ皮膜における(222)配向結晶の存在率及び圧縮残留応力は上記有機スルフォン酸の添加量によって調整することができる。
【0035】
すなわち、有機スルフォン酸をメッキ浴に添加すると、メッキ析出速度が高まるとともに、(222)配向結晶の存在率が高くなり、また、圧縮残留応力が高くなる。これは、有機スルフォン酸は極性が強いことから、ワーク表面に吸着し易く、そのことによって、Crの析出ポイントが従来とは異なるものになり、Cr含有メッキの結晶配向性が(222)面を増加させるように働くと考えられる。有機スルフォン酸の濃度が高くなるほど、(222)配向結晶の割合は増加する。それに伴って、Cr含有メッキ皮膜の圧縮残留応力が増大する。
【0036】
<実施例及び比較例>
メッキ浴における触媒(有機スルフォン酸)の添加量を変化させて鋼製ワークの表面にCrMoメッキ皮膜を形成した。メッキ浴組成は表1の通りであり、触媒添加量を0ml/Lから30ml/Lで変化させた。触媒、すなわち、有機スルフォン酸としては、アトテック社製のHeef25−Rを用いた。メッキ条件は表2に示す通りである。表2において、「A/dm2 」は電流密度、時間は処理時間を表している。
【0037】
【表1】

【0038】
【表2】

【0039】
−触媒添加量と(222)配向結晶の存在率との関係−
上記触媒添加量が異なる各CrMoメッキ皮膜の、表面側を向いた各結晶面の存在率をX線回折分析によって測定した。測定は、供試材のCrMoメッキ面の仕上げ研削加工後に理学電機株式会社製X線回折装置RU−200を用いて表3に示す条件で行なった。結果を表4に示す。
【0040】
【表3】

【0041】
【表4】

【0042】
表4によれば、触媒として有機スルフォン酸を添加した実施例1〜3では、同触媒を添加していない比較例よりも、(222)配向結晶の存在率が高くなり(60%以上)、また、触媒添加量が多くなるに従って(222)配向結晶の存在率が高くなっている。
【0043】
−触媒添加量と内部応力及び平均結晶子径との関係−
上記実施例1〜3及び比較例各々について、上記研削加工後のCrMoメッキ皮膜の内部応力をX線応力測定法によって測定した。その測定は、理学電機株式会社製ストレインフレックスPSPC/MSF−2Mを用いて表5に示す条件で行なった。CrMoメッキ皮膜平均結晶子径については、上記X線回折装置によって得られたX線回折パターンに基いて、シェラーの式(結晶子径D(hkl)=0.9λ/(β1/2・cosθ),ここで、hklはミラー指数、λは特性X線の波長(オングストローム)、β1/2は(hkl)面の半価幅(ラジアン)、θはX線反射角度である。)により求めた。結果を(222)配向結晶の存在率と共に表6に示す。
【0044】
【表5】

【0045】
【表6】

【0046】
表6の内部応力に関し、プラス値は引張応力であり、マイナス値は圧縮応力である。表6によれば、実施例1〜3ではCrMoメッキ皮膜が圧縮残留応力を有し、触媒添加量が多くなるほど圧縮残留応力が大きくなることがわかる。圧縮残留応力が高くなると、メッキ皮膜表面から内部への酸素の拡散を生じ難くなるため、メッキ皮膜表面に形成されるCr酸化皮膜は薄くなる。
【0047】
すなわち、実施例の場合、有機スルフォン酸の添加により、表4に示すようにCr結晶(BCC)の原子が最密充填され結晶格子間隔が狭い(222)面の存在率が高く、CrMoメッキ皮膜の圧縮残留応力が高くなっている。また、研削加工によってCrMoメッキ皮膜に対してその表面に沿う方向の外力が加わると、Cr結晶格子に歪みを生ずるが、(222)面は結晶格子間隔が狭いことから、その格子が変形されて生ずる結晶の歪みが大きくなり、そのことによって、圧縮残留応力がさらに高まる。そうして、Cr酸化皮膜は、酸素がCrメッキ層表面から内部に拡散することによって生ずるが、上述の如く圧縮応力が高い実施例のCrメッキ層においては、結晶格子間隔が狭められて酸素の拡散を生じ難くなっているから、Cr酸化皮膜の厚さが薄くなるものである。
【0048】
透過電子顕微鏡による観察によれば、実施例3では、Cr酸化皮膜は、厚さが6.6nm、層数が79層であり、表面が平滑になっていた。これに対して、比較例では、Cr酸化皮膜は、厚さが52.9nm、層数が634層であり、表面が凸凹になっていた。なお、層数は、上記X線回折分析で観測された(222)面の回折角度から、ブラッグの式(2dsinθ=nλ,ここで、d;格子面間隔,θ;回折角度,λ;Mo-Kαの波長,n=1)により、結晶格子面間隔0.0834nmを求め、Cr酸化皮膜の厚みをこの結晶格子面間隔で除して得た。
【0049】
また、実施例3及び比較例の(222)配向の結晶子径は15nm程度であり、実施例3の場合、Cr酸化皮膜は結晶子径の半分以下の厚さになっている。これに対して、比較例ではCr酸化皮膜の厚さは当該結晶子径の数倍の厚さになっている。
【0050】
図3は(222)配向結晶の存在率と内部応力との関係をグラフ化したものである。CrMoメッキ皮膜の(222)配向結晶の存在率が高くなるに従って、その圧縮残留応力が高くなること、(222)面の存在率を60%以上にすると、圧縮残留応力が20MPa以上になることがわかる。
【0051】
<摩擦摩耗特性評価試験>
相互に摺動する2つの部材の摺動面に適用する種々の摺動面材質の組み合わせについて、図4に示すピンオンディスク摩擦摩耗試験機を用いて、摩擦摩耗特性を評価した。図4において、21は回転台22に支持されたディスク、23はディスク21の周方向に120度の角度間隔をおいてディスク21の上に配置されたピンである。
【0052】
ディスク21には、3個のピン23に対応する位置を巡るように高速CrMoメッキ皮膜又は普通CrMoメッキ皮膜を環状に形成した。ここに、高速CrMoメッキ皮膜は、上記実施例3のメッキ条件(有機スルフォン酸添加量30ml/L)に係るものであり、普通CrMoメッキ皮膜は、上記比較例3のメッキ条件(有機スルフォン酸添加量0ml/L)に係るものである。ピン23は、窒化ケイ素、チル鋳鉄、ジルコニア(PSZ)、炭化ケイ素又は超硬(WC−Co)にて形成した。
【0053】
摩擦摩耗試験は、潤滑状態で行ない、荷重は540N、ピン23の周速は1m/秒、時間は60分とし、潤滑油としては無添加タービン油を用いた。
【0054】
図5はピン摩耗量の試験結果を示す。ピンを窒化ケイ素で形成した場合は、ディスクのメッキが高速CrMoメッキ及び普通CrMoメッキのいずれであっても、チル鋳鉄やジルコニア(PSZ)の場合よりも、ピン摩耗量が格段に少ない。さらに、窒化ケイ素−高速CrMoメッキの組み合わせの方が、窒化ケイ素−普通CrMoメッキの組み合わせの場合よりも、ピン摩耗量が少ない。
【0055】
図6はディスクのメッキ摩耗量の試験結果を示す。窒化ケイ素−高速CrMoメッキの組み合わせでは、チル鋳鉄−高速CrMoメッキ、チル鋳鉄−普通CrMoメッキ、及びジルコニア(PSZ)−高速CrMoメッキの各組み合わせと同程度に、メッキ摩耗量が少なく、窒化ケイ素−普通CrMoメッキの組み合わせのみが極端にメッキ摩耗量が多いという結果になっている。
【0056】
なお、炭化ケイ素−高速CrMoメッキ、及び超硬(WC−Co)−高速CrMoメッキの各組み合わせでは、スカッフ(焼き付き)発生のために摩耗試験を中止した。
【0057】
図7は各種の摺動面材質の組み合わせでの摩擦係数の経時変化を示す。チル鋳鉄−普通CrMoメッキ、チル鋳鉄−高速CrMoメッキの各組み合わせでは、試験開始から数分ないし十数分で摩擦係数が比較的高い値になっている。窒化ケイ素−普通CrMoメッキの組み合わせでは、摩擦係数は試験開始後しばらくは低いものの、20分を経過した頃から上昇し始めている。これに対して、窒化ケイ素−高速CrMoメッキの組み合わせでは、試験開始から摩擦係数が比較的低い値を保った試験終了に至っている。
【0058】
なお、ジルコニア(PSZ)−高速CrMoメッキの組み合わせでは、摩擦係数が低くなっているが、これは、図5からわかるように、ピンが多量に摩耗して面圧が下がった結果である。また、炭化ケイ素−高速CrMoメッキ、及び超硬(WC−Co)−高速CrMoメッキの各組み合わせでは、スカッフ発生のために摩擦試験を中止した。
【0059】
以上のように、窒化ケイ素−高速CrMoメッキの組み合わせによれば、ピン摩耗量及びディスクのメッキ摩耗量が共に少なく、また、良好な低摩擦特性を示すことから、エンジンなど各種機器の摺動部材に当該組み合わせを採用すると、厳しい潤滑条件下でも、機器の作動に高い信頼性が得られることがわかる。
【符号の説明】
【0060】
1 ロータハウジング(第1部材)
2 トロコイド面(摺動面)
5 アペックスシール(第2部材)
10 Cr含有メッキ皮膜

【特許請求の範囲】
【請求項1】
摺動面がCr成分及び有機スルフォン酸を含有するメッキ浴から電解析出させてなるCrを含有するメッキ皮膜によって形成された第1部材と、該第1部材との摺動面が窒化ケイ素によって形成された第2部材とが組み合わされてなることを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
請求項1において、
上記メッキ皮膜は、X線回折分析により特定される(222)面が表面側を向いた(222)配向結晶の、該メッキ皮膜表面での存在率が60%以上80%以下であることを特徴とする摺動部材。
【請求項3】
摺動面がCrを含有し20MPa以上の圧縮残留応力を有するメッキ皮膜によって形成された第1部材と、該第1部材との摺動面が窒化ケイ素によって形成された第2部材とが組み合わされてなることを特徴とする摺動部材。
【請求項4】
請求項1乃至請求項3のいずれか一において、
上記メッキ被膜は、Crを主成分とするCrMo合金によって形成されていることを特徴とする摺動部材。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2011−63839(P2011−63839A)
【公開日】平成23年3月31日(2011.3.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−214711(P2009−214711)
【出願日】平成21年9月16日(2009.9.16)
【出願人】(000003137)マツダ株式会社 (6,115)
【Fターム(参考)】