説明

鉄系溶射被膜

【課題】高い負荷環境においても十分な耐久性(耐剥離性)に加えて、優れた耐摩耗性と耐スカッフ性を兼ね備え、例えば、高出力エンジンのライナレスシリンダーブロックのボア内面に適用するに十分な性能を発揮する鉄系溶射被膜を提供する。
【解決手段】アルミニウム合金製母材の表面を被覆するための鉄系溶射被膜に含まれる炭素量(C)を0.3〜0.4質量%、珪素量(Si)を0.2〜0.5質量%、マンガン量(Mn)を0.3〜1.5質量%、クロム量(Cr)及び/又はモリブデン量(Mo)を合計で0.5質量%以下とし、好ましくは被膜硬度をHV250〜500とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、アルミニウム合金から成る部品の表面を被覆することによって、当該合金部品の耐摩耗性や耐スカッフ性を向上させることができる鉄系溶射被膜と、このような溶射被膜を備えた車両用部品に関するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、車両の軽量化を目的に、自動車内燃機関用シリンダーブロックについても、アルミニウム合金製のものが使用されるようになってきており、ボア面に鋳鉄製ライナーを鋳包んだものが主流となっている。
この場合、エンジン部品のさらなる軽量化の観点から、鋳鉄製ライナーの代わりに、アルミニウム製ライナーを鋳包んだタイプのシリンダーブロックや、完全に鋳鉄製ライナーを廃止したアルミニウム合金製モノブロックの開発が進められている。
【0003】
しかし、アルミニウム製ライナーやアルミニウム合金製モノブロックでは、耐摩耗性や耐スカッフ性に問題があり、ニッケルメッキ等のメッキ処理が施される場合もあるが、この場合でも耐摩耗性や耐スカッフ性に関しては十分とは言えない。
その対策としては、プラズマ火炎によって粉末やワイヤーを溶融させて溶滴とし、これをシリンダーボア内面に噴き付けて溶射被膜を形成することにより、耐摩耗性や耐スカッフ性を向上させた方策が取られている。すなわち、エンジン用シリンダーブロックのボア表面に鉄系合金粉末を溶射することによって、ピストンリング及びピストンに対する耐摩耗性や耐スカッフ性の向上を図っている(例えば、特許文献1参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2000−212717号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
特許文献1に記載の方法では、鉄系合金粉末を溶射することによって形成された溶射被膜により、ピストンリング及びピストンに対する耐摩耗性、耐スカッフ性の向上を図っている。
しかし、最近の高出力エンジンのように非常に高い筒内圧が掛かるシリンダーブロックにおいては、高い燃焼圧によって溶射被膜に高荷重が繰り返し負荷されるため、溶射被膜内部で亀裂や剥離が発生することが判っている。そして、このような溶射被膜内部での剥離が大きくなるとオイル消費が悪化し、さらに溶射被膜が完全な剥離にまで達すると、ピストンリングやピストンとのスカッフの要因となる。
【0006】
また、現行の鋳鉄ライナーに比べて、アルミニウムモノブロックやニッケルメッキ品では耐摩耗性や耐スカッフ性に問題があるため、鉄溶射を採用する場合には、耐摩耗性や耐スカッフ性を向上させる方策が必要である。
【0007】
本発明は、アルミニウム合金に対する鉄系溶射被膜における上記問題点に鑑みてなされたものであって、その目的とするところは、優れた耐摩耗性と耐スカッフ性を兼ね備え、例えば高出力エンジンのシリンダーブロックにも適用するに十分な耐久性(耐剥離性)を発揮する鉄系溶射被膜を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは、上記課題を解決すべく、鉄系溶射被膜の材料成分や、当該被膜の好適な硬さ範囲などについて、鋭意検討を繰り返した結果、高い燃焼圧負荷環境においても十分な耐久性(耐剥離性)と高い耐スカッフ性を発揮する溶射被膜の成分系を見出し、本発明を完成するに至った。
【0009】
すなわち、本発明は、上記知見に基づくものであって、本発明の鉄系溶射被膜は、アルミニウム合金製母材の表面を被覆するための溶射被膜であって、Cを0.3〜0.4質量%、Siを0.2〜0.5質量%、Mnを0.3〜1.5質量%、Cr及び/又はMoを合計で0.5質量%以下含有し、残部がFe及び不可避的不純物であることを特徴としている。
【0010】
本発明の車両用部品や、例えばシリンダーブロックのような内燃機関用部品は、本発明の上記鉄系溶射被膜を備えていることを特徴とし、特に、内燃機関用シリンダーブロックにおいては、そのボア内面に鉄系溶射被膜を備えていることを特徴としている。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、アルミニウム合金製母材の表面に形成される鉄系溶射被膜の成分を上記範囲としたため、優れた耐摩耗性や耐スカッフ性を兼ね備えた溶射被膜となり、例えば高出力エンジンのアルミニウム合金製シリンダーブロックに適用したとしても、十分な耐久性、耐剥離性を発揮する。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】本発明の鉄系溶射被膜の一例を示す断面写真である。
【図2】実施例における溶射被膜の剥離評価要領を示す概略説明図である。
【図3】実施例における溶射被膜のスカッフ評価要領を示す概略説明図である。
【図4】実施例における溶射被膜の摩耗評価要領を示す概略説明図である。
【発明を実施するための形態】
【0013】
以下に、本発明の鉄系溶射被膜について、その製造方法などと共に、内燃機関用のシリンダーブロックを例に挙げて、さらに具体的かつ詳細に説明する。なお、本明細書において、「%」については、特記しない限り質量百分率を意味するものとする。
【0014】
まず、本発明の鉄系溶射被膜を得るための溶射方法、すなわち粉末状、ロッド状、ワイヤー状の溶射材料を溶融するための熱源については、特に限定はなく、今までに実用化されている種々の方法を採用することができる。
例えば、燃料ガスと酸素の反応熱を利用するフレーム溶射、酸素とアセチレンの混合ガスの爆発力を利用する爆発溶射、レーザを利用したレーザ溶射、アークの熱で溶融させた材料を高速ガスで微粒子化して噴き付けるアーク溶射、プラズマジェット中に送給して溶融させた材料をプラズマの圧力で加速して噴き付けるプラズマ溶射、さらには、レーザ・プラズマ複合溶射などを適用することができる。
【0015】
次に、製造工程であるが、アルミニウム合金製母材の一例として、シリンダーブロックを鋳造成型した後、溶射被膜の密着性を高めるために、シリンダーボア内表面を下地加工し、下地加工後のシリンダーボア内面に、鉄系金属材料を液滴として噴き付け、溶射被膜を形成する。
ここで、鉄系金属材料を液滴とする際には、特許文献1に記載されているように、鉄系合金粉末を使用することが一般的であるが、コスト面において有利であることから、本発明においては、鉄系合金ワイヤーを使用することが好ましい。
【0016】
溶射被膜の形成方法としては、円筒状をなすシリンダーボア内に挿入した溶射ガンを一端側から他端側へと移動させながら、燃焼炎などによって溶融させた溶射ワイヤーや溶射粉末の溶滴を溶射ガンの先端から内面に噴き付けて溶射被膜を形成することができる。
【0017】
図1は、このようにして得られた溶射被膜の断面写真を示すものであって、図に示すように、本発明の鉄系溶射被膜は、当該被膜内に気孔及び酸化鉄を含んでいる。
上記気孔は、オイル溜まりの機能を発揮し、溶射被膜の耐スカッフ性を向上させる効果があるが、多すぎると十分な耐久性(耐剥離性)が得られないことがあるため、気孔率の面積率は、2.1%以下であることが望ましい。
一方、酸化鉄は、固体潤滑剤としての機能を有するが、溶射被膜に含まれる酸化鉄の量が少ない場合には、耐スカッフ性が得られず、逆に多すぎる場合には十分な耐久性(耐剥離性)が得られない傾向を示すことから、気孔率の体積率は、5〜35%の範囲内であることが望ましい。
【0018】
以下、本発明の鉄系溶射被膜における成分組成などについて、その範囲を限定した理由について説明する。
【0019】
C:0.3〜0.4%
まず、炭素(C)については、本発明の鉄系溶射被膜に含まれる炭素含有量が低い場合には、十分な耐久性(耐剥離性)を確保できない一方、高い場合には、相手攻撃性が高くなり、相手摺動部品(シリンダーブロックの場合には、ピストンやピストンリング)を著しく摩耗させることとなる。
したがって、本発明においては、炭素含有量を質量比で0.3〜0.4%の範囲内とすることが必要となる。
【0020】
Si:0.2〜0.5%
Mn:0.3〜1.5%
次に、珪素(Si)及びマンガン(Mn)については、本発明の溶射被膜中に含まれるこれらの量が低い場合には、十分な耐久性(耐剥離性)及び耐摩耗性を確保できない。一方、これらの含有量が高い場合には、硬度上昇に伴って相手攻撃性が高くなり、相手摺動部品を著しく摩耗させることとなる。さらに、Mn量が高い場合には、脱酸降下があるために鉄酸化物の生成が阻害され、耐スカッフ性の悪化を招くことになる。
そこで、本発明の鉄系溶射被膜においては、これに含まれるSi量及びMn量について、それぞれ0.2〜0.5%及び0.3〜1.5%の範囲内に限定する必要がある。
【0021】
Cr+Mo:0.5%以下
クロム(Cr)及びモリブデン(Mo)は、いずれも耐久性(耐剥離性)を向上させるために、これらの一方又は双方を添加するが、鉄系溶射被膜中におけるこれらの含有量が高過ぎる場合には、酸化物を形成するため、鉄酸化物の生成が阻害され、耐スカッフ性が著しく悪化する原因となる。
したがって、本発明においては、鉄系溶射被膜に含まれるCr量とMo量の合計量を0.5%以下に限定する必要がある。なお、これらの含有量が低過ぎる場合には、十分な耐久性(耐剥離性)の確保が難しくなる傾向があることから、これらの合計含有量を少なくとも0.02%程度とすることが望ましい。
【0022】
本発明の鉄系溶射被膜においては、その成分組成を上記範囲内とすることにより、耐摩耗性、耐スカッフ性、耐剥離性を備え、耐久性に優れた溶射被膜を得ることができる。
一般に、溶射による被膜成分は、用いた溶射材料の化学成分にほぼ依存することが知られているが、皮膜材料の脱炭が懸念されるため、原料となるワイヤー材の炭素量を若干高めに設定することもある。なお、溶射材料の形態としては、粉末状やロッド状など、特に限定されないが、先に述べたようにワイヤー状の材料を用いることが望ましい。
【0023】
溶射によって、ボア内面に形成される溶射被膜の硬度については、溶射被膜の硬度が低い場合には、相手ピストンリングによって、著しいボア摩耗が発生する可能性がある。一方、溶射被膜硬度が高い場合には、相手攻撃性が高くなり、相手摺動部品であるピストンやピストンリングを著しく摩耗させることがある。
そこで本発明においては、鉄系溶射被膜の硬度(ビッカース硬度)をHV250〜500の範囲内とすることが好ましい。
【0024】
なお、本発明の鉄系溶射被膜の厚さとしては、適用するアルミニウム合金製部品の種類に応じて調製することも必要ではあるが、概ね、数μm〜数百μmの範囲内とすることが望ましい。
【0025】
本発明の鉄系溶射被膜はアルミニウム合金製内燃機関用部品、例えば、シリンダーブロックや、シリンダーヘッド、ピストンなどに適用することができる。さらに具体的には、シリンダーブロックのボア内面などに本発明の鉄系溶射被膜を適用することができ、被覆面の耐摩耗性、耐スカッフ性を改善して、当該部品の耐久性を向上させることができる。
【実施例】
【0026】
以下、本発明を実施例に基づいて、具体的に説明するが、本発明はこのような実施例によって何ら限定されないことは言うまでもない。
【0027】
〔溶射被膜の形成(実施例1〜10、比較例1〜14)〕
アルミニウム合金製板材を母材として、この表面に、銅めっきを施した、成分の異なる鉄系ワイヤー材(径:1.4〜1.8mm)を用いて、プラズマ溶射法によって、鉄系溶射被膜を約300μmの厚さに形成した後、各サイズの評価用試験片をそれぞれ切り出し、以下の評価試験に供した。
なお、プラズマ溶射の基本条件は、プラズマ電流:90A、プラズマ電圧:100V、ガス流量(Ar+H):100L/分、トーチ速度:120cm/分とした。
【0028】
これら鉄系溶射被膜の成分及び硬さの測定結果を表1に示す。なお、表1において「その他」とは、不可避的成分を意味し、これにはP,Sの他に、ワイヤー表面に施した銅めっきに由来するCuも含まれる。また、記載数値以外の残部が鉄(Fe)であることは言うまでもない。
【0029】
【表1】

【0030】
〔性能評価〕
鉄系溶射被膜を施した各例のアルミニウム合金製板材から切り出したそれぞれの評価試験片を用いて、以下の性能評価を実施した。
【0031】
(1)溶射被膜の剥離評価法
溶射被膜の剥離評価として、各例により得られた下記サイズの評価試験片を図2に示すようなブラスト試験機を用いた試験を実施し、ブラスト試験前後の試験片の重量を測定し、重量減少量(溶射被膜の剥離量)を耐剥離性の指標とした。下記の試験条件のもとに得られた試験結果を表2に示す。
・試験機概要:図2
・試験片形状:50×50mm(肉厚5mm)
・ブラスト材料:アブラックス#54(アルミナ粒子)
・照射量:50g/回で、計5回(250g)
・測定方法:アルミナ粒子を溶射面に照射し、試験前後の溶射試験片の重量差を測定
【0032】
(2)ピストンリングとのスカッフ評価試験法
溶射被膜のスカッフ評価として、各例により得られた下記サイズの評価試験片に、相手摺動材として円筒状試験片を押し当てることにより、図3に示すような回転摺動試験を実施し、各試験片の耐スカッフ荷重を測定した。下記の試験条件のもとに得られた試験結果を表2に併せて示す。
・試験機概要:図3
・試験片形状:50×50mm(肉厚5mm)
・測定方法:10kgfづつ荷重を増し、摩擦力急増点をリングスカッフ荷重とする
・摺動速度:0.2m/s
・温度:25℃
・潤滑油:5W30SL(初期塗布のみ)
・相手摺動材(ピストンリング相当):炭素鋼を基材とし、摺動面にCrNを被覆
【0033】
(3)ピストンリングとの摩耗評価試験法
溶射被膜のフリクション評価として、各例により得られた下記サイズの評価試験片に、相手摺動材としてD字形断面を有する棒状試験片を押し当て、図4に示すような往復動摩擦摩耗試験を実施し、両者の摩耗量を測定した(形状測定器を用いて摩耗減肉量を計測)。下記の試験条件のもとに得られた試験結果を表2に併せて示す。
・試験機概要:図4
・試験片形状:40×70mm(肉厚5mm)
・摺動速度:0.5m/s
・温度:25℃
・押付け加重:10kgf
・試験時間:1時間
・潤滑油:5W30SL
・相手摺動材(ピストンリング相当):炭素鋼を基材とし、摺動面にCrNを被覆
【0034】
【表2】

【0035】
なお、表2において、剥離試験結果については、実施例1の試験片重量の減少量を「1」とした相対値を示し、当該数値が小さいほど溶射被膜の耐剥離性が良好であることを示している。
また、スカッフ評価試験結果におけるスカッフ荷重とは、スカッフが発生した押し付け荷重を意味し、当該数値が大きいほど溶射被膜が耐スカッフ性に優れていることを示す。さらに、摩耗試験結果については、実施例1における摩耗量を「1」とした相対値で表されている。
そして「溶射被膜摩耗量」については、数値が小さいほど溶射被膜自身の摩耗が小さいことを示しており、「相手材摩耗量」については、数値が小さいほど相手材の摩耗量が小さく、相手攻撃性の問題がないことを示している。
【0036】
表1および表2の結果から明らかなように、本発明の実施例1〜10による鉄系溶射被膜は、比較例1〜14による溶射被膜に対して、各試験項目全般において、極めて良好な性能を示し、特に耐剥離性及び耐スカッフ性における顕著な向上幅が確認された。
【0037】
上記比較例1〜14の中では、低炭素で、被膜硬度が低い比較例1,2,13による溶射被膜においては、相手材摩耗量(相手攻撃性)が良好である反面、自身の耐摩耗性が劣ることが分かる。Si含有量が低い比較例5及びMn含有量が低い比較例7による溶射被膜においても、ほぼ同様の傾向が認められる。
一方、高炭素で、被膜硬度が高い比較例4及び14による溶射被膜においては、これとは逆に、相手材に対する攻撃性が極めて高いことが確認された。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
アルミニウム合金製母材の表面を被覆する鉄系溶射被膜において、
質量比で0.3〜0.4%のCと、0.2〜0.5%のSiと、0.3〜1.5%のMnと、Cr及び/又はMoを合計で0.5%以下含有し、残部Fe及び不可避的不純物であることを特徴とする鉄系溶射被膜。
【請求項2】
硬さがビッカース硬度でHV250〜500であることを特徴とする請求項1に記載の鉄系溶射被膜。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の鉄系溶射被膜を備えていることを特徴とする車両用部品。
【請求項4】
請求項1又は2に記載の鉄系溶射被膜を備えていることを特徴とする内燃機関用部品。
【請求項5】
請求項1又は2に記載の鉄系溶射被膜を備えていることを特徴とする内燃機関用シリンダーブロック。
【請求項6】
上記鉄系溶射被膜をボア内面に備えていることを特徴とする請求項5に記載の内燃機関用シリンダーブロック。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate


【公開番号】特開2010−275581(P2010−275581A)
【公開日】平成22年12月9日(2010.12.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−128444(P2009−128444)
【出願日】平成21年5月28日(2009.5.28)
【出願人】(000003997)日産自動車株式会社 (16,386)
【Fターム(参考)】