説明

固体潤滑膜およびその製造方法、固体潤滑膜が成膜される転がり摺動部材

【課題】転がり摺動部材から発生する摩耗粉を簡易にトラップする。
【解決手段】被処理体に対してアモルファス状又は多層状に固体潤滑膜を成膜する。この成膜は、スパッタリングされるためのターゲット16a,16b,16c,16dと、ターゲットの表面に非平衡磁場を発生させる非平衡磁場発生手段11,12と、ターゲットからスパッタリングされる物質が付着するように被処理体を対向配置するための配置手段14とを有し、電磁的に閉鎖した状態で被処理体に成膜する閉鎖磁界不均衡マグネトロンスパッタ(UBMS)装置を用いて行われる。そして、ターゲットの少なくとも1つ(16b)は磁性体(Ni)によって構成されているので、かかる装置によって成膜される固体潤滑膜は、被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受ける。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、固体潤滑膜およびその製造方法、固体潤滑膜が成膜される転がり摺動部材に係り、例えば、工作機械用などに用いられる転がり軸受全般、真空中で使用される無潤滑軸受、リニアガイドやボールねじなどの直動案内装置に用いられる転がり摺動部材に成膜することが好適な固体潤滑膜およびその製造方法、固体潤滑膜が成膜される転がり摺動部材に関するものである。
【背景技術】
【0002】
例えば、転がり軸受などの転がり摺動部材では、転動体の転がり摩擦や滑り摩擦を減少させ、軸受の耐久性を向上させるために、グリースや油などの液体潤滑剤を供給することが行われている。
【0003】
一方、グリース等の使用が制限されたり、オイルフリーの環境下で用いられたりするような転がり摺動部材の場合には、固体潤滑が適用されてきた。しかし、固体潤滑は、自己犠牲という特性によって潤滑機能が発揮されるため、摩耗粉の発生が避けられないという性質を有している。そこで従来から、固体潤滑において不可避的に発生する摩耗粉を積極的にトラップし、安定した摺動・転動動作を実現しようとする努力がなされてきた(例えば、下記特許文献1,2参照)。
【0004】
摩耗粉のトラップは、大気中であればワイパーやエアシール、高分子粘着材などを用いることによって行うことが可能であるが、真空中でこれらの手法を用いることはできない。そこで、真空中では、固体潤滑を適用することが困難なため、やむなく低蒸気圧のオイルを使用し、その粘性を利用して摩耗粉をトラップすることが行われてきた。
【0005】
【特許文献1】特開平08−312645号公報
【特許文献2】特開2004−80968号公報
【特許文献3】米国特許第5,556,519号明細書
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、低蒸気圧のオイル等に代表される液体潤滑剤を用いる手法では、潤滑剤の蒸気が環境の汚染源となってしまう。したがって、転がり摺動部材を半導体製造設備などの高い清浄度が要求される密封真空下で使用する場合には、問題があった。
【0007】
本発明は、かかる課題に鑑みてなされたものであって、摩耗粉の拡散を避ける必要がある環境、例えば、高真空下で製造される半導体やディスプレイなどの製造現場において転がり摺動部材を使用する場合に、固体潤滑膜としての優れた特性を有し、且つ、発生する摩耗粉のトラップを好適に行うことができる新たな固体潤滑膜を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明に係る固体潤滑膜は、スパッタリング法によって被処理体に対して成膜される固体潤滑膜であって、スパッタリングされるための複数のターゲットの少なくとも1つを磁性体によって構成することにより、前記被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受けることを特徴とする。
【0009】
本発明に係る別の固体潤滑膜は、スパッタリングされるための複数のターゲットと、前記ターゲットの表面に非平衡磁場を発生させる非平衡磁場発生手段と、前記ターゲットからスパッタリングされる物質が付着するように被処理体を対向配置するための配置手段と、を有し、電磁的に閉鎖した状態で前記被処理体に成膜する閉鎖磁界不均衡マグネトロンスパッタ装置を用いることによって、前記被処理体に対して成膜される固体潤滑膜であって、前記ターゲットの少なくとも1つは磁性体によって構成され、前記被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受けることを特徴とする。
【0010】
本発明に係る固体潤滑膜において、前記磁性体は、Ni、Fe、Coの少なくとも1元素又はこれらの組み合わせで構成されることが好適である。
【0011】
また、本発明に係る固体潤滑膜は、前記被処理体に対してアモルファス状又は層状に成膜されることとすることができる。
【0012】
本発明に係る固体潤滑膜の製造方法は、被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受ける固体潤滑膜の製造方法であって、前記被処理体に対してスパッタリング法を用いて前記固体潤滑膜を成膜するときに、スパッタリングされるための複数のターゲットの少なくとも1つを磁性体によって構成することを特徴とする。
【0013】
本発明に係る別の固体潤滑膜の製造方法は、被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受ける固体潤滑膜の製造方法であって、スパッタリングされるための複数のターゲットと、前記ターゲットの表面に非平衡磁場を発生させる非平衡磁場発生手段と、前記ターゲットからスパッタリングされる物質が付着するように被処理体を対向配置するための配置手段と、を有し、前記ターゲットの少なくとも1つは磁性体によって構成され、電磁的に閉鎖した状態で前記被処理体に成膜する閉鎖磁界不均衡マグネトロンスパッタ装置を用いることによって、前記被処理体に対して前記固体潤滑膜を成膜することを特徴とする。
【0014】
本発明に係る固体潤滑膜の製造方法において、前記磁性体は、Ni、Fe、Coの少なくとも1元素又はこれらの組み合わせで構成されることが好適である。
【0015】
また、本発明に係る固体潤滑膜の製造方法において、前記固体潤滑膜は、前記被処理体に対してアモルファス状又は層状に成膜されることとすることができる。
【0016】
また、本発明に係る固体潤滑膜は、転がり摺動部材の表面に対して成膜されることが好適である。
【発明の効果】
【0017】
本発明に係る固体潤滑膜は、膜の状態では固体潤滑としての優れた特性を有し、摩耗粉となったときには磁場の影響を受け、永久磁石などでトラップし易い状態になる。したがって、摩耗粉の拡散を避ける必要がある環境、例えば、高真空下で製造される半導体やディスプレイなどの製造現場において転がり摺動部材を使用する場合に、本発明に係る固体潤滑膜を採用すれば、固体潤滑としての優れた特性を維持した上で、さらに、摩耗粉の発生源近傍に永久磁石や電磁石などを配置するだけで、簡易に摩耗粉をトラップすることができる。つまり、本発明に係る固体潤滑膜によれば、高真空下における固体潤滑の適用が可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0018】
以下、本発明を実施するための好適な実施形態について、図面を用いて説明する。なお、以下の実施形態は、各請求項に係る発明を限定するものではなく、また、実施形態の中で説明されている特徴の組み合わせの全てが発明の解決手段に必須であるとは限らない。
【0019】
さらに、本実施形態では、閉鎖磁界不均衡マグネトロンスパッタ装置(以下、CUMS装置と記す)を用いて転がり摺動部材に対して固体潤滑膜を成膜する場合を例示して説明するが、この転がり摺動部材は、例えば、工作機械用などに用いられる転がり軸受全般や真空中で使用される無潤滑軸受、リニアガイドやボールねじなどの直動案内装置に用いられるような、あらゆる転動・摺動動作を伴う部材を含むものである。
【0020】
[CUMS装置の構成]
まず、本実施形態に係る固体潤滑膜の成膜に用いられるCUMS装置について、図面を用いて説明する。図1は、本実施形態で用いられる一般的なCUMS装置の上面を示す概略図である。また、図2は、本実施形態で用いられる一般的なCUMS装置の側面を示す概略図である。
【0021】
図1および図2に例示されるCUMS装置は、4個のマグネトロン10a,10b,10c,10dを有しており、これら4個のマグネトロン10a,10b,10c,10dは、それぞれ外側リング磁石11と、中央に位置する内側コア磁石12とを備えている。4個のマグネトロン10a,10b,10c,10dは、成膜対象となる被処理体13を適切な位置に配置するための配置手段であるキャリア14を中心にして設置されている。キャリア14は、矢印Aの方向に一つの軸を中心として回転するように構成されており、この回転は、例えばモータ15などの駆動機構によって実現することができる。
【0022】
図1および図2に示すCUMS装置では、マグネトロン10bおよび10dの外側リング磁石11はS極であり、それらの内側コア磁石12はN極となっている。一方、マグネトロン10aおよび10cの外側リング磁石11はN極であり、それらの内側コア磁石12はS極で構成されている。このような構成とすることによって、4個のマグネトロン10a,10b,10c,10dの磁界線Bは連続的なバリアを形成し、マグネトロンプラズマから拡散する電子を捕獲することができる。つまり、磁界線Bは、キャリア14を取り囲むように作業空間Cを限定することができるので、電磁的に閉鎖した状態で被処理体13に対して成膜を施すことができる。このような構成とすることによって、CUMS装置は低電圧で高密度のプラズマを発生させることが可能となり、良質の薄膜形成が実現するのである。なお、磁界線Bによって形成される作業空間Cは、その範囲を任意に設定することが可能であり、キャリア14の軸方向の上下端に限定されるものではない。
【0023】
また、4個のマグネトロン10a,10b,10c,10dには、スパッタリングの供給材料となるターゲット16a,16b,16c,16dが設置されている。これらのターゲット16a,16b,16c,16dは、キャリア14に面した磁石11,12の極面を覆うように配置されている。なお、各マグネトロン10a,10b,10c,10dは、図示しない軟鉄製裏板を有しているので、各マグネトロン10a,10b,10c,10dで内側磁性回路が完結している。
【0024】
以上の説明から分かるように、本実施形態に係るCUMS装置によれば、ターゲット16a,16b,16c,16dからスパッタリングされた物質が付着するように対向配置された被処理体13を、非平衡磁場発生手段として配置される磁石11,12によって作り出された非平衡磁場内に閉じ込めることができる。したがって、CUMS装置は、電磁的に閉鎖された作業空間Cにおいて被処理体13に成膜を実施することが可能である。この様な構成とするのは、電磁的に閉鎖された空間内にあるターゲット16a,16b,16c,16dの表面に意図的に非平衡磁場を発生させることで、低電圧で高密度のプラズマを発生させることが可能となり、被処理体13に良質の薄膜を形成することができるからである。
【0025】
なお、CUMS装置を使用するときには、例えばアルゴンなどの不活性ガスがこの装置の室内に供給される。不活性ガスの供給は、図2に示すような不活性ガス制御ループ20によって行うことができる。不活性ガス制御ループ20は、高速電磁弁21と発光モニタ22、光電子増倍管23を備えており、室内における不活性ガスの状態を常に監視することによって、好適な作業環境を維持できるようになっている。そのような室内でマグネトロン10a,10b,10c,10dに電位差を持った電圧が印加されることになるのであるが、この電位差によって電子が加速されてガスをイオン化し、より多くの電子およびアルゴンイオンを発生させることができる。その他、パルス電圧又は高周波(RF)などにより、イオンを発生させることもできる。そして、室内に存在するアルゴンイオンが供給材料のターゲット16a,16b,16c,16dを爆撃し、供給材料の固体潤滑膜を製造するのである。
【0026】
[固体潤滑膜の成膜方法]
ア.CUMS装置の設定条件
次に、上述したCUMS装置を用いて本実施形態に係る固体潤滑膜を製造するための具体的な方法について説明する。スパッタリングを行うためのCUMS装置としては、図3に示す、中央に回転するキャリア14を備えたティーア、コーティングズ、リミテッド社製の閉鎖磁界不均衡マグネトロンスパッタ装置(特許文献3:1996年にデニス ジェラルド ティーアに与えられた米国特許第5,556,519号明細書参照)を用いた。かかる装置によれば、低電圧にて高いイオン電流のスパッタリングが可能となるので、比較的短時間に均質で高密度の薄膜の生成が可能となる。
【0027】
図3に示すキャリア14には、被処理体13を固定するジグ30が設置されており、このジグ30は、単純な回転だけでなく、自公転できるようになっている。したがって、ジグ30に取り付けられる被処理体13は、転がり部材として重要な膜厚と膜質を均一にする固体潤滑膜を成膜されることが可能となっている。
【0028】
ここで、本実施形態で用いられるCUMS装置に特徴的な点として、キャリア14を取り囲むように設置されるターゲット16a,16b,16c,16dの少なくとも1つは、磁性体によって構成されていることが挙げられる。このような構成とするのは、スパッタリングされるための複数のターゲット16a,16b,16c,16dの少なくとも1つを磁性体によって構成することにより、本実施形態に係る固体潤滑膜が、被処理体13に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受けるようにするためである。
【0029】
磁性体には、Ni、Fe、Coの少なくとも1元素又はこれらの組み合わせで構成される磁性材を採用することが好適である。ただし、磁性体は、これらの元素を用いるものに限られず、さまざまな材質のものを採用することが可能である。例えば、元素番号が64以上の元素を用いた磁性材を採用することができる。ただし、これらは非常に比重の高い元素であるため、通常は、Ni、Fe、Coを採用することが好ましいであろう。なお、以下に説明する実施形態では、ターゲット16bとして、比較的比重の小さい元素であるNiを採用している。
【0030】
また、本実施形態では、他のターゲット16a,16c,16dにMoS2を採用した。今回、ターゲット16a,16c,16dにMoS2を用いたのは、これがよく知られた固体潤滑だからである。ただし、ターゲット材はMoS2のみに制約されるものではなく、他のターゲット材を適用することも可能である。例えば、WS2やグラファイトなど、結晶が層状構造を持っている化合物を採用することが好ましい。ただし、繰り返しになるが、本実施形態に係るCUMS装置では、ターゲット16a,16b,16c,16dの少なくとも1つが、磁性体によって構成されていることが必要である。
【0031】
なお、本実施形態に係るCUMS装置では、上記以外のターゲットを追加して配置することも可能である。つまり、ターゲットの数に制限は無く、ターゲットの1つに、第3の材料を配置して、図4に例示するような境界密着層42や多層膜40、あるいは図5に例示するような混合膜50に添加して、固体潤滑としての密着性や潤滑性、さらには膜強度等を向上させることもできる。例えば、Tiのような非磁性の金属をターゲットに採用し、被処理体13の表面と固体潤滑膜の境界に形成される境界密着層42にのみ、これを使うこともできる。なお、密着性を向上させるためには、Tiの他、WやCrなどをターゲット材として使用するのが好ましい。
【0032】
キャリア14にはAISIM42を用い、表面を研磨したプレート状のものを採用した。また、摩耗粉の磁性を調べるために、被処理体13の材質にはSiを採用し、成膜される固体潤滑膜と摩耗粉の磁性を調査・比較した。摩耗粉の磁性の調査については、厳密な測定に困難が伴うこともあり、市販の永久磁石にてその吸着の可否により判断を行った。
【0033】
イ.CUMS装置の動作手順
続いて、CUMS装置の動作手順を説明する。まず、スパッタリングを行う装置室内を5〜6×10-6Torrの真空に引き、その後アルゴンガスを導入し、さらに装置室内を1×10-3Torrにした上で、キャリア14上に−350Vのパルス電圧を15分間かけて表面を清浄化する。このようにすることによって、固体潤滑としての機能を発揮する良好な密着性を有する膜を成膜することができる。
【0034】
引続き、キャリア14へのパルス電圧を−30Vにしてスパッタによる成膜を行った。このときの電流値は、各ターゲットで0.2〜1.0A程度であり、真空度は約5mTorrに制御されている。これらの条件は、膜の特性や生産性などによって変更することができる。膜厚は、0.1μm〜10μmまで可能であるが、約1μm程度の均一な膜を作成するために、この条件で70分のスパッタを行った。なお、厚い膜を得るためには、このスパッタ時間を長くすればよい。
【0035】
キャリア14に取り付けられたジグ30の回転速度は、多層膜40の層間の距離、あるいは混合膜50を製作するために、自由に設定することが可能であるが、3〜10回転/分が好ましく、本実施形態では5回転/分とした。
【0036】
[成膜された固体潤滑膜の構造]
次に、以上のような方法によって成膜された固体潤滑膜の構造について説明する。本実施形態では、多数選択可能なターゲットの中で、図3に示すような4つのターゲット16a,16b,16c,16dを用いて成膜された多層膜40と混合膜(アモルファス膜)50について、その膜の固体潤滑の特性と摩耗粉の磁性について説明する。多層膜40は、Ni層単層と、NiとMoS2の混合層の2層構造として成膜されている。一方、混合膜50は、NiとMoS2を同時にスパッタし、もはや明確な結晶構造をもたないアモルファス状に成膜されたものである。両者とも磁性体金属であるNiを境界密着層42として有している。なお、図4は、多層膜40に形成された場合の本実施形態に係る固体潤滑膜の膜構造を示す図であり、図5は、混合膜(アモルファス膜)50に形成された場合の本実施形態に係る固体潤滑膜の膜構造を示す図である。
【0037】
成膜される膜の構造としては、MoS2の割合がNiに比べて多い層αと反対にNiの方が多い層βがα/β/α/β/・・・/β/αのように多層になった多層膜40(図4参照)と、もはや層の構造が明確でなくなり、明確な結晶構造を持たないアモルファス状の混合膜(アモルファス膜)50(図5参照)などを得ることが可能である。これらの膜構造は、キャリア14の回転数、各ターゲットに与えられるエネルギー、キャリア14への電圧、ターゲットのシャッターなどを調整することによって得ることができる。
【0038】
なお、ここで説明したα層およびβ層については、さまざまな元素の割合やバリエーションの設定が可能である。材料の成分が自由に調整できるので、それぞれの元素の濃度を任意に変化させて、傾斜層や傾斜膜をつくることも可能である。
【0039】
[固体潤滑膜の特性]
固体潤滑膜の特性について、さまざまな観点から調査した結果を表1に示す。本実施形態では、固体潤滑としての重要な特性である密着性、硬さ、摩耗率および磁性の有無について確認した。
【0040】
【表1】

【0041】
まず、特性評価では、固体潤滑としての重要な特性である密着性を確認するために、スクラッチ試験を行った。スクラッチの圧子には、ロックウェルの圧子をもちい、荷重10〜100Nをかけ、速度10mm/分で引っかき、光学顕微鏡で剥離が確認できた移動距離をLc点とした。表1に示すように、多層膜40および混合膜(アモルファス膜)50のいずれにおいても、一般に密着力として十分といわれている70Nを大幅に越える数値が得られ、密着性が良好であることを確認した。
【0042】
次に、固体潤滑膜の硬さ測定を行った。固体潤滑としての硬さは、ビッカース硬さにて500HV以上が望ましい。本実施形態に係る固体潤滑膜では、薄膜の硬さを測定するために作られたフィッシャースコープを用い、0.4〜1000mNの荷重をかけて、この間で負荷と除荷を5回以上繰り返し行い、これによりビッカース硬さに相当する硬さを求めた。その結果、いずれの膜においても700HV以上の数値を達成した。
【0043】
摩耗率を測定するためのピンオンディスク試験は、湿度25〜40%の常圧、大気中で行った。その結果、1.6×10-163/Nm以下の非常に小さく優秀な摩耗率を得た。摩擦係数についても同じ条件で、いずれの膜の場合も0.07以下と固体潤滑膜として十分低い摩擦係数を有していることが明らかとなった。なお、MoS2は、空気中のように水分を含む環境よりも、真空中のほうが摩擦係数は低いと言われているので、真空中では固体潤滑としてのさらなる効果が期待できる。
【0044】
磁性については、市販の永久磁石にてその付着程度を確認し、多層膜40、混合膜(アモルファス膜)50いずれの場合も、磁石に摩耗粉が吸着することを確認できた。特に、アモルファス状の混合膜50においては、膜状態では磁性は確認されないものの、摩耗粉の状態となることによって、初めて磁性を帯びることが、ガラスに成膜させた固体潤滑膜により確認された。これは、本実施形態に係る固体潤滑膜が質量の大きいガラス基盤に成膜されたため、成膜状態では膜自身は外部磁場にほとんど影響されなかったが、固体潤滑膜がいったん摩耗粉の状態となると、質量が減少するので、磁場の影響を受け易くなったためであると考えられる。また、別の理由として、膜の段階では、アモルファス状に単原子状態であるものが、転がり摺動によりクラスター状になり、あるいは集合して、磁性を帯びるようになったものと考えることもできる。
【0045】
なお、摩耗粉の比透磁率を測定したところ、1.02以上であることを確認した。この比透磁率は、永久磁石や電磁石などによって摩耗粉をトラップするには十分な値であり、例えば、高い清浄度が要求される密封真空等の環境下においても、転がり摺動部材を好適に使用することが可能となる。なお、より好適に摩耗粉をトラップするには、比透磁率を1.4以上とすることが望ましく、上述した固体潤滑膜の製造条件(例えば、キャリア14に取り付けられたジグ30の回転速度、ターゲットの材質、スパッタリングの時間など)を調節することによって、かかる数値を満足する固体潤滑膜を製造することが可能である。
【0046】
また、固体潤滑膜は、膜の状態において磁性がゼロであることが好ましいが、微弱な磁性を有していても良い(つまり、成膜された状態のときの磁性は、略ゼロである)。このことは、多層膜40、混合膜(アモルファス膜)50いずれの場合であってもいえることであり、摩耗粉をトラップするために転がり摺動部材に設置される永久磁石や電磁石などに影響を与えない範囲での磁性の存在は許容される。この微弱な磁性の発生源としては、境界密着層42に存在するNi等の磁性元素の影響が最も大きい。
【0047】
以上の結果から、スパッタにより作られた膜が固体潤滑として十分な特性を有し、その摩耗粉は永久磁石等によって容易に引きつけることが可能であることが確認された。また、スパッタ装置の中でも、特に、低電圧で高密度のプラズマを発生させることが可能なUBMS装置を使用することが、良質で安定した固体潤滑膜の成膜に望ましいことが明らかとなった。
【0048】
以上の結果に基づいて、発明者らは、CUMS装置を用いた固体潤滑膜を転がり摺動部材に適用すれば、発生する摩耗粉を簡易にトラップ可能であることを創案した。すなわち、従来技術では、転がり摺動部材自体を磁性材料としたり、摩耗粉発生源近傍に粘着材を配置したりしなければならなかったので、製造コストの増加や蒸気の発生による環境悪化を招来し、さらには効率的な摩耗粉トラップが困難であった。しかし、本実施形態に係る固体潤滑膜によれば、転がり摺動部材自体は磁場に影響されることがほとんどなく、摩耗粉のみが磁場の影響を受けるので、電磁石や永久磁石などの設置という簡易な構造変更のみで、確実に摩耗粉のトラップを実現することができる。
【0049】
また、特に、本実施形態に係る固体潤滑膜は、摩耗粉の拡散を避ける必要がある環境、例えば、高真空下で製造される半導体やディスプレイなどの製造現場において転がり摺動部材を使用する場合に好適である。本実施形態に係る固体潤滑膜を転がり摺動部材に採用すれば、真空状態や高い清浄度が要求されるような環境下であっても、確実かつ簡易に摩耗粉のトラップが可能となるからである。
【0050】
具体的な転がり摺動部材における摩耗粉のトラップ方法としては、摩耗粉発生源となるガイドなどの周辺に永久磁石や電磁石(コイル)を配置する手法や、摺動レールを磁化させて摩耗粉を付着させる手法、エンドプレートを磁化する手法などが有効である。
【0051】
以上、本発明の好適な実施形態について説明したが、本発明の技術的範囲は上記実施形態に記載の範囲には限定されない。上記実施形態には、多様な変更又は改良を加えることが可能である。その様な変更又は改良を加えた形態も本発明の技術的範囲に含まれ得ることが、特許請求の範囲の記載から明らかである。
【図面の簡単な説明】
【0052】
【図1】本実施形態で用いられる一般的なCUMS装置の上面を示す概略図である。
【図2】本実施形態で用いられる一般的なCUMS装置の側面を示す概略図である。
【図3】本実施形態に係る固体潤滑膜を製造するために用いたティーア、コーティングズ、リミテッド社製の密閉場非平衡磁場スパッタリング装置を説明するための図である。
【図4】多層膜に形成された場合の本実施形態に係る固体潤滑膜の膜構造を示す図である。
【図5】混合膜(アモルファス膜)に形成された場合の本実施形態に係る固体潤滑膜の膜構造を示す図である。
【符号の説明】
【0053】
10a,10b,10c,10d マグネトロン、11 外側リング磁石、12 内側コア磁石、13 被処理体、14 キャリア、15 モータ、16a,16b,16c,16d ターゲット、20 不活性ガス制御ループ、21 高速電磁弁、22 発光モニタ、23 光電子増倍管、40 多層膜、42 境界密着層、50 混合膜(アモルファス膜)、B 磁界線、C 作業空間、α MoS2の割合がNiに比べて多い層、β αと反対にNiの方が多い層。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
スパッタリング法によって被処理体に対して成膜される固体潤滑膜であって、
スパッタリングされるための複数のターゲットの少なくとも1つを磁性体によって構成することにより、
前記被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、
外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受けることを特徴とする固体潤滑膜。
【請求項2】
スパッタリングされるための複数のターゲットと、
前記ターゲットの表面に非平衡磁場を発生させる非平衡磁場発生手段と、
前記ターゲットからスパッタリングされる物質が付着するように被処理体を対向配置するための配置手段と、
を有し、電磁的に閉鎖した状態で前記被処理体に成膜する閉鎖磁界不均衡マグネトロンスパッタ装置を用いることによって、前記被処理体に対して成膜される固体潤滑膜であって、
前記ターゲットの少なくとも1つは磁性体によって構成され、
前記被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、
外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受けることを特徴とする固体潤滑膜。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の固体潤滑膜において、
前記磁性体は、Ni、Fe、Coの少なくとも1元素又はこれらの組み合わせで構成されることを特徴とする固体潤滑膜。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれか1項に記載の固体潤滑膜において、
前記被処理体に対してアモルファス状又は層状に成膜されることを特徴とする固体潤滑膜。
【請求項5】
被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、
外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受ける固体潤滑膜の製造方法であって、
前記被処理体に対してスパッタリング法を用いて前記固体潤滑膜を成膜するときに、スパッタリングされるための複数のターゲットの少なくとも1つを磁性体によって構成することを特徴とする固体潤滑膜の製造方法。
【請求項6】
被処理体に成膜された状態のときには磁場の影響をほとんど受けず、
外力を受けることによって粉体となったときには磁場の影響を受ける固体潤滑膜の製造方法であって、
スパッタリングされるための複数のターゲットと、
前記ターゲットの表面に非平衡磁場を発生させる非平衡磁場発生手段と、
前記ターゲットからスパッタリングされる物質が付着するように被処理体を対向配置するための配置手段と、
を有し、
前記ターゲットの少なくとも1つは磁性体によって構成され、電磁的に閉鎖した状態で前記被処理体に成膜する閉鎖磁界不均衡マグネトロンスパッタ装置を用いることによって、前記被処理体に対して前記固体潤滑膜を成膜することを特徴とする固体潤滑膜の製造方法。
【請求項7】
請求項5又は6に記載の固体潤滑膜の製造方法において、
前記磁性体は、Ni、Fe、Coの少なくとも1元素又はこれらの組み合わせで構成されることを特徴とする固体潤滑膜の製造方法。
【請求項8】
請求項5〜7のいずれか1項に記載の固体潤滑膜の製造方法において、
前記固体潤滑膜は、前記被処理体に対してアモルファス状又は層状に成膜されることを特徴とする固体潤滑膜の製造方法。
【請求項9】
請求項1〜4のいずれか1項に記載の固体潤滑膜が表面に成膜されていることを特徴とする転がり摺動部材。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2006−96841(P2006−96841A)
【公開日】平成18年4月13日(2006.4.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−283544(P2004−283544)
【出願日】平成16年9月29日(2004.9.29)
【出願人】(390029805)THK株式会社 (420)
【出願人】(500513815)ティーア、コーティングズ、リミテッド (1)
【氏名又は名称原語表記】TEER COATINGS LIMITED
【Fターム(参考)】