説明

車両状態判定装置、並びに該車両状態判定装置を備えた車両の警報装置及び運動制御装置

【課題】走行路面に対するタイヤとしての特性に従い適切な指標を演算し、その演算結果に基づき車両状態を判定し、その車両状態に応じて適切なタイミングで警報を行い、円滑に車両の安定化制御を行う。
【解決手段】車両状態量検出手段M1の検出車両状態量に基づき、タイヤ横力比演算手段M2にて、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と走行路面間で発生し得る最大横力と車輪に実際に発生している横力との比を「タイヤ横力比」として演算する。限界ヨーレイト演算手段M3にて、タイヤ横力比に基づき車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し限界ヨーレイトとして出力する。検出車両状態量に基づいて目標ヨーレイトを演算し、これと限界ヨーレイトの偏差に基づき、車両の不安定度を表す指標を演算する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い指標を演算し、その演算結果に基づき車両状態を判定する車両状態判定装置に係り、更に、その判定結果の車両状態に応じて適宜警報を行う車両の警報装置と、判定結果の車両状態に応じて車両の安定化制御を行う車両の運動制御装置に係る。
【背景技術】
【0002】
車両状態を判定する指標として、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪に対する横方向のグリップの程度を表すグリップ度(あるいは、グリップ余裕度)が知られている。このグリップ度は、摩擦係数や横力使用率といった、タイヤとしての特性を用いていない指標とは異なり、車両の安定性を適切に示す指標として有効である。更に、グリップ度に基づき車両の安定化制御を行う車両の運動制御装置が提案され、あるいは、グリップ度を報知手段に用いることも提案されている。
【0003】
例えば、特許文献1には、摩擦限界域に至る前の通常域から車両の安定性制御を行ない得る車両の運動制御装置を提供することを目的として、サイドフォース(又は前輪スリップ角)に対するセルフアライニングトルクの変化に基づき、前輪のグリップ度を推定し、このグリップ度に基づく閉ループ制御(グリップ度制御)を行なう第1の制御手段と、車両の状態量に基づき目標車両挙動を設定し、これと実際の車両挙動との偏差に基づく閉ループ制御(車両挙動制御)を行なう第2の制御手段を備え、摩擦限界前の通常域においては運転者の操作に応じたグリップ度制御を行ない車両の安定性を維持し、この制御が実行されたにも拘らず限界域に入った場合には、車両挙動制御を行ない車両の安定性を確保する装置が開示されている。また、下記の特許文献2には、上記のグリップ度に基づく報知手段を備えた装置が開示されている。
【0004】
また、下記の非特許文献1では、車輪のタイヤ(空気ゴムタイヤ)としての特性に着目した指標について説明されている。即ち、タイヤのコーナリングフォースが限界に至るまでのタイヤの余裕度、換言すると、タイヤが発生し得る最大の力に対してどの程度の力を発生しているのかを限界までの余裕度で表わすパラメータが「グリップ余裕度」と定義されている。これは、セルフアライニングトルクと基準セルフアライニングトルクに基づいて求められる旨説明され、夫々について、具体的な演算方法が説明されているので、ここでは説明を省略する。
【0005】
【特許文献1】特開2003−312319号公報
【特許文献2】特開2003−312465号公報
【非特許文献1】村岸裕治他7名、「SATにもとづくグリップ状態推定とその応用」 社団法人自動車技術会、春季学術講演会、2003年5月22日
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
上記の非特許文献1に記載のグリップ余裕度は、前掲の特許文献1及び2に記載された、車輪に対する横方向のグリップの程度を表すグリップ度に対応し、以下においてはこれらをまとめてグリップ度という。前述のように、特許文献1では、グリップ度に基づく閉ループ制御(グリップ度制御)と、目標車両挙動と実際の車両挙動との偏差に基づく閉ループ制御(車両挙動制御)の二つの制御が組み合わされて、車両の安定化制御が行われるように構成されており、二つの制御における制御指標は異なっている。このため、二つの制御の切換時に車両の運転者に違和感を与えないようにする必要がある。これに対し、タイヤの摩擦限界の前後で制御指標を変えることなく、例えば単一の制御指標によって、連続した制御を行うことができれば、車両の運転者に違和感を与えることはないが、そのような有効な手段は見当たらず、また、そのような単一の制御指標も存在しない。
【0007】
また、前記特許文献2に記載のようにグリップ度に基づき警報を行う装置も提案されているが、警報後直ちに制御に移行してしまい警報の効果が期待できない場合もある。従って、必ずタイヤの摩擦限界の前に、車両状態に応じて適切なタイミングで警報を行うようにすることが望ましい。
【0008】
そこで、本発明は、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い適切な指標を演算し、その演算結果に基づき車両状態を判定する車両状態判定装置を提供することを課題とする。
【0009】
また、本発明は、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い適切な指標を演算し、その演算結果に基づき車両状態を判定し、その車両状態に応じてタイヤの摩擦限界の前に適切なタイミングで警報を行う車両の警報装置を提供することを別の課題とする。
【0010】
更に、本発明は、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い適切な指標を演算し、その演算結果に基づき車両状態を判定し、その車両状態に応じて円滑に車両の安定化制御を行う車両の運動制御装置を提供することを別の課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記の課題を解決するため、本発明の車両状態判定装置は、請求項1に記載のように、走行中の車両の車両状態量を検出する車両状態量検出手段と、該車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と前記走行路面間で発生し得る最大横力と当該車輪に実際に発生している横力との比をタイヤ横力比として演算するタイヤ横力比演算手段と、該タイヤ横力比演算手段の演算結果のタイヤ横力比に基づき前記車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、前記車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段と、前記車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき前記車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段と、該目標ヨーレイト演算手段の演算結果の目標ヨーレイト及び前記限界ヨーレイトに基づき、前記車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段とを備えることとしたものである。
【0012】
上記車両状態判定装置において、請求項2に記載のように、前記車両状態量検出手段は、前記車両に搭載され前記車両に生ずるヨーレイトを検出するヨーレイト検出手段、前記車両に搭載され前記車両に生ずる横力を検出する横力検出手段、前記車両に搭載され前記車両に生ずる横加速度を検出する横加速度検出手段、及び前記車両の運転者のステアリング操舵角を検出する操舵角検出手段の少なくとも一つの検出手段を具備したものとし、前記限界ヨーレイト演算手段は、前記ヨーレイト検出手段、前記横力検出手段、前記横加速度検出手段及び前記操舵角検出手段の少なくとも一つの検出手段の検出結果と前記タイヤ横力比に基づき、前記限界ヨーレイトを演算するように構成するとよい。
【0013】
更に、前記車両不安定度演算手段は、請求項3に記載のように、前記目標ヨーレイトと前記限界ヨーレイトの偏差に基づき前記車両の不安定度を表す指標を演算するように構成するとよい。尚、前記目標ヨーレイトの位相と前記限界ヨーレイトの位相が異なる場合には、例えばフィルタリング処理によって両者の位相を一致させるように構成するとよい。
【0014】
また、本発明の車両の警報装置は、請求項4に記載のように、走行中の車両の車両状態量を検出する車両状態量検出手段と、該車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と前記走行路面間で発生し得る最大横力と当該車輪に実際に発生している横力との比をタイヤ横力比として演算するタイヤ横力比演算手段と、該タイヤ横力比演算手段の演算結果のタイヤ横力比に基づき前記車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、前記車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段と、前記車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき前記車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段と、該目標ヨーレイト演算手段の演算結果の目標ヨーレイト及び前記限界ヨーレイトに基づき、前記車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段と、前記車両不安定度演算手段の演算結果の指標に基づき前記車両の運転者に対する警報を行う警報手段を備えることとしたものである。
【0015】
前記警報手段は、請求項5に記載のように、前記車両不安定度演算手段が演算した前記指標の増加に応じて前記車両の運転者に対する警報の開始時期が早くなるように設定する構成とするとよい。
【0016】
更に、本発明の車両の運動制御装置は、請求項6に記載のように、走行中の車両の車両状態量を検出する車両状態量検出手段と、該車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と前記走行路面間で発生し得る最大横力と当該車輪に実際に発生している横力との比をタイヤ横力比として演算するタイヤ横力比演算手段と、該タイヤ横力比演算手段の演算結果のタイヤ横力比に基づき前記車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、前記車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段と、前記車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき前記車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段と、該目標ヨーレイト演算手段の演算結果の目標ヨーレイト及び前記限界ヨーレイトに基づき、前記車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段と、該車両不安定度演算手段の演算結果の指標に基づき前記車両の運動に対する目標制御量を演算する目標制御量演算手段とを備え、前記目標制御量に基づいて車両の運動状態を制御することとしたものである。
【0017】
前記目標制御量演算手段は、請求項7に記載のように、前記車両不安定度演算手段が演算した前記指標の増加に応じて、前記車両の運動に対する目標制御量を、制御開始時期が早くなる値に設定するように構成するとよい。
【0018】
また、請求項8に記載のように、前記車両状態量検出手段は、前記車両に搭載され前記車両に生ずる実ヨーレイトを検出する実ヨーレイト検出手段を具備したものとし、前記限界ヨーレイト演算手段は、前記実ヨーレイト検出手段が検出した実ヨーレイトに基づき、前記限界ヨーレイトを補正するように構成するとよい。
【0019】
前記限界ヨーレイト演算手段は、請求項9に記載のように、前記車両状態量検出手段の検出結果に基づき前記車両がアンダーステア状態にあると判定したときには、前記限界ヨーレイトを前記実ヨーレイトに近似させるように補正する構成とするとよい。
【0020】
更に、本発明の車両の運動制御装置としては、請求項10に記載のように、走行中の車両の車両状態量を検出する車両状態量検出手段と、該車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と前記走行路面間で発生し得る最大横力と当該車輪に実際に発生している横力との比をタイヤ横力比として演算するタイヤ横力比演算手段と、該タイヤ横力比演算手段の演算結果のタイヤ横力比に基づき前記車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、前記車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段と、前記車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき前記車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段と、該目標ヨーレイト演算手段の演算結果の目標ヨーレイト及び前記限界ヨーレイトに基づき、前記車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段と、該車両不安定度演算手段の演算結果の指標に基づき前記車両の運転者に対する警報を行う警報手段と、前記車両不安定度演算手段の演算結果の指標に基づき前記車両の運動に対する目標制御量を演算する目標制御量演算手段とを備え、前記目標制御量に基づいて車両の運動状態を制御することとしてもよい。
【0021】
上記車両の運動制御装置において、請求項11に記載のように、前記警報手段は、前記車両不安定度演算手段が演算した前記指標の増加に応じて前記車両の運転者に対する警報の開始時期が早くなるように設定すると共に、前記目標制御量演算手段は、前記車両不安定度演算手段が演算した前記指標の増加に応じて、前記車両の運動に対する目標制御量を、制御開始時期が早くなる値に設定するように構成するとよい。
【0022】
尚、車両の運動制御装置における目標制御量演算手段においては、ブレーキ制御装置、トランスミッション制御装置、エンジン制御装置、及び操舵制御装置の少なくとも何れか一つの制御対象の目標制御量を演算するように構成するとよい。
【発明の効果】
【0023】
而して、請求項1に記載の車両状態判定装置によれば、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い適切な指標を演算することができ、その演算結果に基づき車両状態を適切に判定することができる。しかも、タイヤの摩擦限界の前後での使用に供し得る単一の指標を演算し、その演算結果に基づき車両状態を適切に判定することもできる。そして、請求項2及び3に記載のように構成すれば、車両の不安定度を表す指標を容易且つ適切に演算することができる。
【0024】
また、請求項4に記載の車両の警報装置によれば、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い適切な指標を演算することができ、その演算結果に基づき車両状態を判定し、その車両状態に応じてタイヤの摩擦限界の前に適切なタイミングで警報を行うことができる。特に、請求項5に記載のように構成すれば、タイヤの摩擦限界の前の一層適切なタイミングで警報を行うことができる。
【0025】
そして、請求項6に記載の車両の運動制御装置によれば、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い適切な指標を演算することができ、その演算結果に基づき車両状態を判定し、その車両状態に応じて、運転者に違和感を与えることなく円滑に車両の安定化制御を行うことができる。しかも、タイヤの摩擦限界の前後で制御指標を変えることなく、例えば単一の制御指標によって、連続した円滑な制御を行うことができる。特に、請求項7に記載のように構成すれば、タイヤの摩擦限界の前でも適切な目標制御量を設定することができ、適切なタイミングで制御を開始することができる。更に、請求項8及び9に記載のように構成すれば、タイヤの摩擦限界の前後で適切な目標制御量を設定することができ、運転者の感覚に即した制御を行なうことができる。
【0026】
また、請求項10に記載の車両の運動制御装置によれば、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い適切な指標を演算することができ、その演算結果に基づき車両状態を判定し、その車両状態に応じてタイヤの摩擦限界の前に適切なタイミングで警報を行うことができると共に、その車両状態に応じて、運転者に違和感を与えることなく円滑に車両の安定化制御を行うことができる。特に、請求項11に記載のように構成すれば、タイヤの摩擦限界の前の一層適切なタイミングで警報を行うことができると共に、タイヤの摩擦限界の前でも適切な目標制御量を設定することができ、適切なタイミングで制御を開始することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0027】
以下、本発明の望ましい実施形態を説明する。本発明の一実施形態に係る車両状態判定装置、該車両状態判定装置及び警報装置を備えた車両の運動制御装置の概要を図1に示し、この運動制御装置を備えた車両の全体構成を図2に示している。先ず、図1において、走行中の車両(図示せず)の車両状態量を検出する車両状態量検出手段M1を備えている。車両状態量としては、車両に生ずるヨーレイト(Yr)、横力(図1では省略)、横加速度(Gy)、及び運転者のステアリング操舵角(δf)、操舵トルク(図1では省略)、電動パワーステアリングシステムのアシストトルク(図1では省略)、車両速度(V)等があり、これらは後述するセンサ等の検出手段によって検出され、あるいは、検出結果に基づき演算される。
【0028】
そして、上記車両状態量検出手段M1の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪(図1では省略)と走行路面間で発生し得る最大横力と車輪に実際に発生している横力との比を「タイヤ横力比」として演算するタイヤ横力比演算手段M2と、その演算結果のタイヤ横力比に基づき車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段M3と、車両状態量検出手段M1の検出車両状態量に基づき車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段M4と、その演算結果の目標ヨーレイト及び限界ヨーレイト演算手段M3の演算結果の限界ヨーレイトに基づき、車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段M5を備えており、これらによって車両状態判定装置が構成される。タイヤ横力比演算手段M2は、特許文献1に記載の方法で求めるグリップ度(グリップ余裕度)を用いてもよいし、特許文献1に記載のセルフアライニングトルクを求める際にラック軸力を計測してグリップ度を求めてもよく、その他どのような方法によってもタイヤ横力比に相当する値であればよい。車両不安定度演算手段M5は、例えば、目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差に基づき車両の不安定度を表す指標を演算するように構成される。
【0029】
上記の構成に加え、図1に破線で示すように、上記の車両の不安定度を表す指標に基づき車両の運転者に対する警報を行う警報手段M6を備えたものとすれば、車両の警報装置を構成することができる。そして、図1に二点鎖線で示すように、車両の不安定度を表す指標に基づき車両の運動に対する目標制御量を演算する目標制御量演算手段M7を備えたものとすれば、車両の運動制御装置が構成され、更に上記の警報手段M6を含む運動制御装置としてもよい。
【0030】
特に、本実施形態では、タイヤ横力比演算手段M2の演算結果のタイヤ横力比に基づき、限界ヨーレイト演算手段M3において、車両に発生し得る最大のヨーレイトが演算され、これが限界ヨーレイトとして出力される。そして、目標ヨーレイト演算手段M4においては、車両状態量検出手段M1の検出車両状態量に基づき車両の目標ヨーレイトが演算され、車両不安定度演算手段M5にて、目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差に基づき、車両の不安定度を表す指標が演算される。この目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差を制御指標とする車両の安定化制御について、図5を参照して以下に概要を説明し、上記の目標ヨーレイト、限界ヨーレイト、車両の不安定度を表す指標、目標制御量等について順次説明する。
【0031】
一般的に、目標ヨーレイトと実ヨーレイトの偏差を制御指標とする車両の安定化制御においては、タイヤの摩擦限界(以下、単にタイヤ限界という)前では、目標ヨーレイトと実ヨーレイトが一致するため偏差が生じない。そこで、実ヨーレイトを「限界ヨーレイト」に置き換えて、目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差を制御指標とすると、タイヤ限界後の実ヨーレイトは限界ヨーレイトを意味するので、「目標ヨーレイトと実ヨーレイトの偏差」と「目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差」はタイヤ限界後の制御指標としては同じである。
【0032】
図5に破線で示すように、タイヤ限界前は「目標ヨーレイトと実ヨーレイトの偏差」は零であり、車両の不安定度を表す指標とは成り得ないが、目標ヨーレイトを正の値とすれば、「目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差」は負(−)の値となり、図5に二点鎖線で示すように、負(−)の偏差を生ずる。この偏差の大きさが車両の不安定度を表す指標と成り、この「目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差」を制御指標とすることで、タイヤ限界前からタイヤ限界後まで単一の制御指標で車両の不安定度を表すことが可能となる。尚、図5については後に再度説明する。
【0033】
上記の限界ヨーレイトは、前述のタイヤ横力比を用いて、次のように演算することができる。
[タイヤ横力比]=[現在横力]/[限界横力] …(1)
上記(1)式を変形すると下記(2)式となり、両辺を車体重量で除すると下記(3)式となる。尚、「現在横力」は現時点の値を意味し、実際に検出される「実横力」と同じである(以下、その他の値の「現在」と「実」も同様)。また、[限界横力]とは、車輪と走行路面間で発生し得る最大横力を意味する。
【0034】
[限界横力]=[現在横力]/[タイヤ横力比] …(2)
[限界横加速度]=[現在横加速度]/[タイヤ横力比] …(3)
ヨーレイトは横加速度を車速で除した値と等価であるので、上記(3)式から下記(4)式が得られる。
【0035】
[限界ヨーレイト]=[限界横加速度]/[車速]=
[現在横加速度]/〔[タイヤ横力比]・[車速]〕 …(4)
【0036】
更に、現在ヨーレイトと現在ステアリング操舵角(現在操舵角とする)を用いれば下記(5)及び(6)式が得られる。
[限界ヨーレイト]=[現在ヨーレイト]/[タイヤ横力比] …(5)
[限界ヨーレイト]=〔[車速]・[現在操舵角]〕/〔[タイヤ横力比]・A〕(6)
ここで、A =n・L・〔1+Kh・[車速]2〕であり、nは舵角比、Lはホイールベース、Khはスタビリティファクタを表す。
【0037】
但し、上記の[現在操舵角]を用いる場合には、ステアリング操舵角とヨーレイトとの間の非線形特性を考慮に入れ、下記(7)式のように、「目標ヨーレイトと実ヨーレイトの偏差」で補正するとよい。
[限界ヨーレイト]=〔[車速]・[現在操舵角]〕/〔[タイヤ横力比]・A〕
―〔[目標ヨーレイト]―[実ヨーレイト]〕 …(7)
【0038】
次に、車両の不安定度を表す指標(「不安定度指標」と略す)としては、「目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差」が用いられる。但し、何れもヨーレイトの物理量に限定されるものではなく、これに類する物理量に変換された値を用いることとしてもよい。
【0039】
また、「目標制御量」としては、従来は目標ヨーレイトと実ヨーレイトの偏差に比例する制御量が用いられていたが、タイヤ限界前からの制御に関しては、必ずしも常に制御を開始する必要はなく、このまま車両が進行するとタイヤ限界を迎える可能性があると判断されるタイミングから制御を行い、そのタイミングからの偏差に比例する制御量を付与することが望ましい。つまり、車両の不安定度が急速に増加しているときにはタイヤ限界前から制御を開始し、車両の不安定度がゆっくり増加、あるいは低下しているときには、タイヤ限界後から制御を開始するとよい。尚、目標制御量の演算及び制御開始基準の閾値の設定については後述するが、閾値を常時更新して目標制御量を演算してもよいし、制御開始時の閾値で固定して目標制御量を演算することとしてもよい。また、閾値を可変設定する際には、車両の不安定度の変化勾配に応じて設定し、あるいは、従来同様、操舵角の変化勾配に応じて設定することとしてもよい。
【0040】
そして、上記の運動制御装置において、制御対象とする装置は、後述するブレーキ制御装置、トランスミッション制御装置、エンジン制御装置、及び操舵制御装置の少なくとも何れか一つであり、これらを複数組み合わせることしてもよい。ブレーキ制御装置では車両を減速させるように少なくとも一つの車輪の制動力を増加させるように制御し、トランスミッション制御装置ではギア比を下げエンジンブレーキを増加させるように制御し、エンジン制御装置ではスロットル開度を抑制するように、操舵制御装置では舵角比を大きくして操舵速度を遅くする、あるいはアシストトルクを小さくし、負荷が大きく(重く)なるように制御することになるが、何れの装置も従来と同様の構成で対応することができる。
【0041】
尚、基本的に上記の制御は車両がアンダーステア状態にあるときに行われる制御であり、オーバーステア状態にあるときには別のオーバーステア用制御が行われる。本来、車両は前輪から限界を迎えるように設定されており、タイヤ限界前の制御としてはアンダーステア状態を考慮すればよく、タイヤ限界前のアンダーステア抑制制御を行うことで、その後のオーバーステア挙動の発生も抑えることができ、全体としての安定性が向上することになる。
【0042】
ところで、前述のタイヤ横力比に演算誤差が生じている場合には、これに基づいて演算された限界ヨーレイトも当然乍ら誤差を含むことになる。先ず、タイヤ限界前において、限界ヨーレイトを低く見積もった場合には、タイヤ限界前に、実ヨーレイトが演算結果の限界ヨーレイトを超えることがある。この場合、限界ヨーレイトとしては実ヨーレイトを選択した方がより真値に近いと考えられるが、実ヨーレイトが限界ヨーレイトに近づく過程でタイヤ限界前の制御が開始されたときに、限界ヨーレイトを実ヨーレイトに切り替えるように構成した場合には、閾値を常時更新して制御量を演算することとすれば、車両不安定度の変化勾配が零となるため、制御開始条件に入り難くなり、一旦開始された制御が終了し再度タイヤ限界を超えた後に制御を再開することとすると、制御が不連続となり、運転者に違和感を与えるおそれがある。従って、タイヤ限界前には、実ヨーレイトではなく演算結果の限界ヨーレイトを用いることとした方がよい。尚、限界ヨーレイトが高く見積られた場合には、それだけ限界前の制御開始が遅れることになるが、従来のタイヤ限界後の制御に比し、依然優位性を有する。
【0043】
一方、タイヤ限界後において、限界ヨーレイトが高く見積られた場合には、その限界ヨーレイトに基づく制御量は、従来のタイヤ限界後の制御に比べて、車両不安定度の変化勾配が小さい場合には小さな制御量となるので、望ましくない状態になるおそれがある。従って、車両がアンダーステア状態にある場合には、演算結果の限界ヨーレイトではなく実ヨーレイトを用いることで、従来のタイヤ限界後の制御と同等の制御を確保することができる。これに対し、限界ヨーレイトが低く見積もられた場合には、実ヨーレイトを用いると、タイヤ限界を超えた時点で限界ヨーレイトに切り替わることで、見かけ上車両不安定度の変化勾配が急速に安定側に変化することで、制御量が急減するおそれがある。従って、このような場合には限界ヨーレイトの切り替わりによって生ずる車両不安定度の変化勾配をキャンセルするように設定するとよい。
【0044】
而して、タイヤ限界前は、タイヤ横力比に基づいて演算された限界ヨーレイトを用い、タイヤ限界後は、車両がアンダーステア状態にあれば実ヨーレイトに近づけるように限界ヨーレイトを補正し、オーバーステア状態であれば演算結果の限界ヨーレイトを用いることとするとよい。尚、上記のタイヤ限界の前後の判定は、目標ヨーレイト(Ytrとする)と実ヨーレイト(Yarとする)の偏差(Ytr−Yar)の絶対値に基づいて行うことができ、当該絶対値が零に近い所定値より大きければタイヤ限界後、小さければタイヤ限界前と判定することができる。
【0045】
また、アンダーステア状態かオーバーステア状態かの判定については、目標ヨーレイトと実ヨーレイトの偏差(Ytr−Yar)及び目標ヨーレイトの向きに基づき、以下のように判定することができる。即ち、
(Ytr−Yar)>0 且つ Ytr>0であればアンダーステア状態と判定され、
(Ytr−Yar)>0 且つ Ytr≦0であればオーバーステア状態と判定され、
(Ytr−Yar)≦0 且つ Ytr>0であればオーバーステア状態と判定され、
(Ytr−Yar)≦0 且つ Ytr≦0であればアンダーステア状態と判定される。
上記のように制御することにより、目標ヨーレイトと実ヨーレイトの偏差を指標としたタイヤ限界後の車両安定化制御と、タイヤと路面間のグリップ度を指標としたタイヤ限界前からの車両安定化制御を併用する場合に比べ、運転者に違和感を与えることなく円滑に運動制御を行なうことができる。
【0046】
図2は、上記の運動制御装置の一実施形態を含む車両の全体構成を示すもので、本実施形態の操舵系は、電動パワーステアリングシステム(EPS)を備えており前述の操舵制御装置として機能するが、本発明はこれに限るものではなく、通常のステアリングシステムを備えたものであってもよい。電動パワーステアリングシステムは既に市販されており、運転者によるステアリングホイールSWの操作によってステアリングシャフトに作用する操舵トルクを、操舵トルクセンサTSによって検出し、この検出操舵トルクの値に応じてEPSモータ(電動モータ)MTを制御し、減速ギヤ及びラックアンドピニオンを介して車両前方の車輪FL,FRを操舵し、運転者のステアリング操作力を軽減するものである。
【0047】
図2に示すように、本実施形態のエンジンEGはスロットル制御装置TH及び燃料噴射装置FIを備えた内燃機関で、前述のエンジン制御装置としてスロットル制御装置THにおいてはアクセルペダルAPの操作に応じてスロットル開度が制御される。また、電子制御装置ECUの出力に応じて、スロットル制御装置THが駆動されスロットル開度が制御されると共に、燃料噴射装置FIが駆動され燃料噴射量が制御されるように構成されている。本実施形態のエンジンEGは、前述のトランスミッション制御装置として機能する変速制御装置GS、及びディファレンシャルギヤDFを介して車両後方の車輪RL,RRに連結されており、所謂後輪駆動方式が構成されているが、本発明における駆動方式はこれに限定するものではない。
【0048】
次に、本実施形態の制動系については、車輪FL,FR,RL,RRに夫々ホイールシリンダWfl,Wfr,Wrl,Wrrが装着されており、これらのホイールシリンダWfl等にブレーキ液圧制御装置BCが接続されている。このブレーキ液圧制御装置BCは前述のブレーキ制御装置として機能し、複数の電磁弁及び自動液圧発生源(液圧ポンプ)等から成り、自動加圧可能な液圧回路構成とされている。これは従前の一般的な装置と同様であり、また、本実施形態は特に液圧制御を特徴とするものではないので、図示は省略する。尚、車輪FLは運転席からみて前方左側の車輪を示し、以下車輪FRは前方右側、車輪RLは後方左側、車輪RRは後方右側の車輪を示している。
【0049】
更に、図2に示すように車輪FL,FR,RL,RRには車輪速度センサWS1乃至WS4が配設され、これらが電子制御装置ECUに接続されており、各車輪の回転速度、即ち車輪速度に比例するパルス数のパルス信号が電子制御装置ECUに入力されるように構成されている。更に、ブレーキペダルBPが踏み込まれたときオンとなるストップスイッチST、車両前方の車輪FL,FRの操舵角δfを検出する操舵角センサSS、車両の前後加速度Gxを検出する前後加速度センサXG、車両の横加速度Gyを検出する横加速度センサYG、車両のヨーレイトγを検出するヨーレイトセンサYS、操舵トルクセンサTS、及びEPSモータMTの回転角を検出する回転角センサRS等が電子制御装置ECUに接続されている。
【0050】
電子制御装置ECUにおいては、操舵制御システム用の制御ユニットECU1、ブレーキ制御システム用の制御ユニットECU2及びスロットル制御システム用の制御ユニットECU3が通信バスを介して接続されており、各システム間で互いのシステム情報を共有することができるように構成されている。このうち、操舵制御システムは、電動ステアリング制御用のCPU、ROM及びRAMを備えた制御ユニットECU1に、操舵トルクセンサTS及び回転角センサRSが接続されると共に、モータ駆動回路(図示せず)が接続されている。また、ブレーキ制御システムは、アンチスキッド制御(ABS)、トラクション制御(TRC)、車両の車両安定化制御(VSC)を行なうもので、これらのブレーキ制御用のCPU、ROM及びRAMを備えた制御ユニットECU2に、車輪速度センサ(代表してWSで表す)、液圧センサ(図示せず)、ストップスイッチST、ヨーレイトセンサYS、前後加速度センサXG、横加速度センサYG及び操舵角センサSSが接続されると共に、ブレーキアクチュエータ(図示せず)が接続されている。そして、スロットル制御システムは、スロットル制御用のCPU、ROM及びRAMを備えた制御ユニットECU3に、スロットル制御用のアクチュエータ(図示せず)が接続されている。尚、これらの制御ユニットECU1乃至3は夫々、通信用のCPU、ROM及びRAMを備えた通信ユニットを介して通信バスに接続されている。而して、各制御システムに必要な情報を他の制御システムから送信することができる。
【0051】
上記のように構成された車両の運動制御装置の作動を、図3に示すフローチャートを参照して説明する。先ず、ステップ101においてイニシャル処理が行われた後、ステップ102にて所定時間(例えば6ms)待機した後に、ステップ103にて入力処理として、各種センサ信号が入力され車両速度、横加速度、ヨーレイト等が読み込まれると共に、ブレーキ制御ユニットECU2等で演算された各種情報も通信信号によって読み込まれる。次に、必要に応じて適宜、ステップ104及び105にて夫々アンチスキッド制御(ABS)及びトラクション制御(TRC)が行われるが、これらの制御は一般的に行われるものと同様であるので、ここでの説明は省略する。続いて、ステップ106において、車両安定化制御が行われるが、これについては図4を参照して後述する。そして、ステップ107に進み、必要に応じて適宜、他の制御ユニット(ECU)への通信処理が行われ、ステップ108にてブレーキアクチュエータ(図示せず)への制御信号が出力され、ステップ109にてフェールセーフ処理が行われた後、ステップ102に戻る。
【0052】
次に、上記ステップ106にて行なわれる車両安定化制御に関し、図4に示すフローチャートを参照して説明する。先ず、ステップ201において目標ヨーレイト(Ytrとする)が下記(8)式に基づいて演算される。
Ytr=V・δf/n・L・(1+Kh・V2) …(8)
ここで、Vは車速、δfは操舵角、nは舵角比、Lはホイールベース、Khはスタビリティファクタを表す。尚、実ヨーレイトYarの位相に合致させるように、上記の演算結果にフィルタリング処理が行われる。
【0053】
続いて、ステップ202にて前述のようにタイヤ横力比(Ryとする)が演算される。このタイヤ横力比として、例えば前述のグリップ度をそのまま用いることとしてもよい。そして、ステップ203において、限界ヨーレイト(Ylrとする)が前述の(4)乃至(6)式と同様、以下の(9)乃至(11)式に基づいて演算される。
Ylr=Gy/(Ry・V) …(9)
Ylr=Yar/Ry …(10)
Ylr=V・δf/n・L・(1+Kh・V2)−(Ytr−Yar) …(11)
尚、横加速度Gy及び操舵角δfが用いられた場合には、実ヨーレイトYarの位相に合致させるように、上記(9)及び(11)式の演算結果にフィルタリング処理が行われる。
【0054】
そして、ステップ204に進み、ステップ201にて演算された目標ヨーレイトYtrとステップ203にて演算された限界ヨーレイトYlrに基づき、両者の偏差が車両の不安定度を表す指標(以下、単に不安定度指標と言い、Fstとする)として求められる。
Fst=Ytr−Ylr …(12)
【0055】
而して、ステップ205において、上記の不安定度指標Fstに基づき、車両運動に対する目標制御量(Tcとする)が下記(13)式のように演算される。
Tc=Kc・(Fst−Fr) …(13)
ここで、Kcは制御係数であり、Frは閾値で下記(14)式の右辺に示す二つ値の小さい方の値が用いられる。尚、Fbrは閾値Frの基本値で、Kaは感度係数である。
Fr=m≡n〔(Fbr−Ka・d/dt(Fst)),Fbr〕 …(14)
【0056】
上記の目標制御量Tcの演算に関連し、図5は実ヨーレイトYarと限界ヨーレイトYlrの特性を比較するため、実ヨーレイトYarに対する目標ヨーレイトYtrと実ヨーレイトYarの偏差(Ytr−Yar)の関係(図5に破線で示す)及び目標ヨーレイトYtrと限界ヨーレイトYlrの偏差(Ytr−Ylr)の関係(図5に二点鎖線で示す)を示すもので、中央の一点鎖線を中心に右側がタイヤ限界後の領域、左側がタイヤ限界前の領域を夫々示す。図5に示すように、タイヤ限界後は両偏差(Ytr−Yar)及び(Ytr−Ylr)は等しいが、タイヤ限界前は目標ヨーレイトYtrと実ヨーレイトYarの偏差(Ytr−Yar)は零であるので、タイヤ限界に対してどれだけ余裕があるのか不明であり、この偏差(Ytr−Yar)に基づく従来指標ではタイヤ限界前の車両状態判定は曖昧とならざるを得なかった。これに対し、目標ヨーレイトYtrと限界ヨーレイトYlrの偏差(Ytr−Ylr)はタイヤ限界前においてもタイヤ限界に対する余裕度を判定することができる。
【0057】
図6は、車両の不安定度を表す不安定度指標Fstの経時変化の一例を示すもので、中央の一点鎖線を中心に右側がタイヤ限界後の領域、左側がタイヤ限界前の領域を夫々示す。図6において、タイヤ限界後の一点鎖線は基本閾値Fbrを示し、不安定度指標Fstがゆっくり増加している場合の制御開始閾値として用いられ、これに基づき目標制御量Tcが上記(13)式に従って演算される。これに対し、不安定度指標Fstが急激に増加している場合にはタイヤ限界前から制御を行う必要があるので、制御開始閾値は、タイヤ限界前の閾値Frとして上記(14)式に従って演算された値が用いられる。尚、白抜矢印は不安定度指標Fstの変化勾配に応じて車両安定化制御の制御開始閾値を変化させる状況を示している。
【0058】
図7乃至図9は、上記の限界ヨーレイトYlrの設定例に関し、中央の垂直線をタイヤ限界として経時変化を示すもので、左側がタイヤ限界前の領域で、右側がタイヤ限界後の領域となって車両(図示せず)がアンダーステア状態となるときの事例を示す。タイヤ限界前の領域ではタイヤ横力比Ryに基づき上記(9)又は(10)式に従って限界ヨーレイトYlrが演算されるが、タイヤ限界後の領域で実ヨーレイトYarと一致するように設定される。従って、限界ヨーレイトYlrが正確に演算され真値近傍で理想的な判定状態(制御状態)である場合を図7に示す。これに対し、演算結果の限界ヨーレイトYlrが真値より高い場合には、図8に示すように、タイヤ限界後の領域で実ヨーレイトYarと一致するように修正されことになる。逆に、演算結果の限界ヨーレイトYlrが真値より低い場合は、図9に示すように、タイヤ限界後の領域で実ヨーレイトYarと一致するように修正されることになる。
【0059】
次に、図1に示す警報手段M6としては、画面表示、インジケータの表示、音の発生、ステアリング装置の反力付加、シート等の運転者が走行中常時接触する部材への振動付与等を行う種々の手段のうちの、少なくとも何れか一つを用いるもので、それらを複数組み合わせることとしてもよい。警報時に警報装置(警報手段M6)に供給される警報制御量は、車両の不安定度を表す不安定度指標Fstが閾値Frを越えた量に応じて設定される。上記警報手段M6にて行なわれる警報制御について、図10に示すフローチャートを参照して説明すると、先ず、ステップ301において所定時間(例えば6ms)待機した後に、ステップ302において目標ヨーレイトYtrが前述の(8)式に基づいて演算される。続いて、ステップ303にて前述のようにタイヤ横力比Ryが演算され、ステップ304において、限界ヨーレイトYlrが前述の(9)乃至(11)式に基づいて演算される。次に、ステップ305にて、上記の目標ヨーレイトYtrと限界ヨーレイトYlrの偏差に基づき不安定度指標Fstが求められる。そして、ステップ306において、上記の不安定度指標Fstに基づき警報制御量が演算され、この警報制御量に基づきステップ307にて警報手段M6に対する制御信号が出力される。
【0060】
警報手段M6において画面表示による警報が行われる場合には、制御量に応じて、例えば、画面の警報表示面積を大きくし、あるいは表示色を緑、黄色、赤の順に変化させ、あるいは表示点滅周期を速くするように構成するとよい。音による警報が行われる場合には、制御量に応じて警報音を大きくし、あるいは警報周期を速くするように構成するとよい。ステアリング装置への反力の付加による警報では、制御量に応じて反力が大きくなるように設定し、操舵負荷を大きく(重く)するように構成するとよい。尚、ステアリング装置に付加する反力は小さく(軽く)することも考えられるが、一般の運転者には、一旦大きく(重く)した後小さく(軽く)するといった配慮が必要である。シート等への振動付与による警報は、制御量に応じて振動の振幅を大きくし、あるいは周期を速くするように構成するとよい。尚、警報制御量の具体的な設定例について図12乃至図16を参照して後述する。
【0061】
図11は、車両の不安定度を表す不安定度指標Fstの経時変化の他の例を示すもので、一点鎖線を中心に右側がタイヤ限界後の領域、左側がタイヤ限界前の領域を夫々示す。図11において、タイヤ限界前の一点鎖線は不安定度指標Fstがゆっくり増加している場合の警報開始閾値を示す。これに対し、不安定度指標Fstが急激に増加している場合の警報開始閾値は図11に二点鎖線で示す。尚、白抜矢印は不安定度指標Fstの変化勾配に応じて、警報開始閾値を変化させる状況を示している。即ち、急速に車両が不安定な方向に向かっている場合には、より安定な状態から警報を行うことによって、適切なタイミングで運転者に警報を与えることができる。
【0062】
図12乃至図16は、警報手段M6の警報制御量の設定例を示すもので、不安定度指標Fstと閾値Frの偏差(Fst−Fr)に応じて設定される各種警報制御量を示している。警報手段M6が警報音を発生させる装置である場合には、図12に示すように不安定度の偏差(Fst−Fr)に応じて音量又は周期が設定される。警報手段M6が車両のシートを振動させる装置である場合には、図13に示すように不安定度の偏差(Fst−Fr)に応じてシート振動の振幅又は周期が設定される。警報手段M6が表示インジケータである場合には、図14に示すように不安定度の偏差(Fst−Fr)に応じてインジケータの表示レベルが設定される。警報手段M6がステアリングホイールSWに対して反力を付加する装置である場合には、図15又は図16に示すように不安定度の偏差(Fst−Fr)に応じて反力付加量が設定される。
【0063】
更に、警報タイミングの変化に応じて車両安定化制御の開始タイミングを変化させることにより、タイヤ限界前の警報からタイヤ限界後の車両安定化制御の一連の動作を運転者の感覚に適合するように行うことができる。但し、警報は車両が安定状態にある段階において、タイヤが限界に近づいていることを知らせるものであるから、車両が限界を超えた後、車両安定化制御が行われている最中は、必ずしもタイヤ横力比に基づく警報を行う必要はない。以下、図1の警報手段M6及び目標制御量演算手段M7を備えた運動制御装置の制御について、図17に示すフローチャートを参照して説明する。先ず、ステップ401において目標ヨーレイトYtrが演算される。続いて、ステップ402にてタイヤ横力比Ryが演算され、ステップ403にて限界ヨーレイトYlrが演算される。次に、ステップ404にて、上記の目標ヨーレイトYtrと限界ヨーレイトYlrの偏差に基づき不安定度指標Fstが求められる。そして、ステップ405において、上記の不安定度指標Fstに基づき警報制御量が演算されると共に、ステップ406にて上記の不安定度指標Fstに基づき車両安定化制御の目標制御量が演算される。
【0064】
図18は、上記運動制御装置における不安定度指標Fstの経時変化を示すもので、一点鎖線を中心に右側がタイヤ限界後の領域、左側がタイヤ限界前の領域を夫々示す。図6と同様、タイヤ限界後の一点鎖線は基本閾値Fbrを示し、不安定度指標Fstがゆっくり増加している場合の制御開始閾値として用いられ、これに基づき目標制御量(Tcとする)が前述の(13)式に従って演算される。これに対し、不安定度指標Fstが急激に増加している場合には、制御開始閾値は、タイヤ限界前の閾値Frとして二点鎖線で示す値が用いられる。尚、上方の白抜矢印は不安定度指標Fstの変化勾配に応じて車両安定化制御の制御開始閾値を変化させる状況を示している。一方、図18においてタイヤ限界前の一点鎖線は不安定度指標Fstがゆっくり増加している場合の警報開始閾値を示し、不安定度指標Fstが急激に増加している場合の警報開始閾値は図18に二点鎖線で示す。尚、下方の白抜矢印は不安定度指標Fstの変化勾配に応じて、警報開始閾値を変化させる状況を示しており、前述のように、急速に車両が不安定な方向に向かっている場合には、より安定な状態から警報を行うことによって、適切なタイミングで運転者に警報を与えることができる。また、警報から車両安定化制御までのタイミングは同一となるように設定される(図18では不安定度指標の変位ΔFstで示している)。
【0065】
以上のように、目標ヨーレイトとタイヤのタイヤ横力比から算出した限界ヨーレイトとの偏差を不安定度指標として、タイヤ限界前からタイヤ限界後まで統一的に車両の安定具合を表現でき、この車両不安定度の変化勾配に応じて警報開始タイミングを設定することにより、適切なタイミングでタイヤ限界が近いことに対する警報を行うことができる。
また、車両安定化制御を警報開始タイミングに連動するように制御開始しきい値を設定し、タイヤ限界が近いことに対する警報から車両安定化制御に至る一連の動作を運転者の感覚に即したものとすることもできる。
【図面の簡単な説明】
【0066】
【図1】本発明の車両状態判定装置及び警報装置を含む車両の運動制御装置の一実施形態の概要を示す構成図である。
【図2】本発明の車両の運動制御装置の一実施形態の全体構成を示す構成図である。
【図3】本発明の一実施形態における車両の運動制御の処理を示すフローチャートである。
【図4】本発明の一実施形態における車両安定化制御の処理を示すフローチャートである。
【図5】本発明の一実施形態において実ヨーレイトに対する目標ヨーレイトと実ヨーレイトの偏差の関係及び目標ヨーレイトと限界ヨーレイトの偏差の関係との関係を示すグラフである。
【図6】本発明の一実施形態における車両の不安定度を表す指標の経時変化の一例を示すグラフである。
【図7】本発明の一実施形態における限界ヨーレイトの設定例を示すグラフである。
【図8】本発明の一実施形態における限界ヨーレイトの設定例を示すグラフである。
【図9】本発明の一実施形態における限界ヨーレイトの設定例を示すグラフである。
【図10】本発明の他の実施形態における警報制御の処理を示すフローチャートである。
【図11】本発明の他の実施形態における車両の不安定度を表す指標の経時変化の一例を示すグラフである。
【図12】本発明の他の実施形態における警報制御量の設定例を示すグラフである。
【図13】本発明の他の実施形態における警報制御量の設定例を示すグラフである。
【図14】本発明の他の実施形態における警報制御量の設定例を示すグラフである。
【図15】本発明の他の実施形態における警報制御量の設定例を示すグラフである。
【図16】本発明の他の実施形態における警報制御量の設定例を示すグラフである。
【図17】本発明の更に他の実施形態における警報制御及び運動制御の処理を示すフローチャートである。
【図18】本発明の更に他の実施形態における車両の不安定度を表す指標の経時変化の一例を示すグラフである。
【符号の説明】
【0067】
M1 車両状態量検出手段
M2 タイヤ横力比演算手段
M3 限界ヨーレイト演算手段
M4 目標ヨーレイト演算手段
M5 車両不安定度演算手段
M6 警報手段
M7 目標制御量演算手段
SW ステアリングホイール
EG エンジン
GS 変速制御装置
BC ブレーキ液圧制御装置
FL,FR,RL,RR 車輪
WS1〜WS4 車輪速度センサ
YS ヨーレイトセンサ
XG 前後加速度センサ
YG 横加速度センサ

【特許請求の範囲】
【請求項1】
走行中の車両の車両状態量を検出する車両状態量検出手段と、該車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と前記走行路面間で発生し得る最大横力と当該車輪に実際に発生している横力との比をタイヤ横力比として演算するタイヤ横力比演算手段と、該タイヤ横力比演算手段の演算結果のタイヤ横力比に基づき前記車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、前記車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段と、前記車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき前記車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段と、該目標ヨーレイト演算手段の演算結果の目標ヨーレイト及び前記限界ヨーレイトに基づき、前記車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段とを備えたことを特徴とする車両状態判定装置。
【請求項2】
前記車両状態量検出手段は、前記車両に搭載され前記車両に生ずるヨーレイトを検出するヨーレイト検出手段、前記車両に搭載され前記車両に生ずる横力を検出する横力検出手段、前記車両に搭載され前記車両に生ずる横加速度を検出する横加速度検出手段、及び前記車両の運転者のステアリング操舵角を検出する操舵角検出手段の少なくとも一つの検出手段を具備し、前記限界ヨーレイト演算手段は、前記ヨーレイト検出手段、前記横力検出手段、前記横加速度検出手段及び前記操舵角検出手段の少なくとも一つの検出手段の検出結果と前記タイヤ横力比に基づき、前記限界ヨーレイトを演算することを特徴とする請求項1記載の車両状態判定装置。
【請求項3】
前記車両不安定度演算手段は、前記目標ヨーレイトと前記限界ヨーレイトの偏差に基づき前記車両の不安定度を表す指標を演算することを特徴とする請求項1記載の車両状態判定装置。
【請求項4】
走行中の車両の車両状態量を検出する車両状態量検出手段と、該車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と前記走行路面間で発生し得る最大横力と当該車輪に実際に発生している横力との比をタイヤ横力比として演算するタイヤ横力比演算手段と、該タイヤ横力比演算手段の演算結果のタイヤ横力比に基づき前記車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、前記車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段と、前記車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき前記車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段と、該目標ヨーレイト演算手段の演算結果の目標ヨーレイト及び前記限界ヨーレイトに基づき、前記車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段と、前記車両不安定度演算手段の演算結果の指標に基づき前記車両の運転者に対する警報を行う警報手段を備えたことを特徴とする車両の警報装置。
【請求項5】
前記警報手段は、前記車両不安定度演算手段が演算した前記指標の増加に応じて前記車両の運転者に対する警報の開始時期が早くなるように設定することを特徴とする請求項4記載の車両の警報装置。
【請求項6】
走行中の車両の車両状態量を検出する車両状態量検出手段と、該車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と前記走行路面間で発生し得る最大横力と当該車輪に実際に発生している横力との比をタイヤ横力比として演算するタイヤ横力比演算手段と、該タイヤ横力比演算手段の演算結果のタイヤ横力比に基づき前記車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、前記車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段と、前記車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき前記車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段と、該目標ヨーレイト演算手段の演算結果の目標ヨーレイト及び前記限界ヨーレイトに基づき、前記車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段と、該車両不安定度演算手段の演算結果の指標に基づき前記車両の運動に対する目標制御量を演算する目標制御量演算手段とを備え、前記目標制御量に基づいて車両の運動状態を制御することを特徴とする車両の運動制御装置。
【請求項7】
前記目標制御量演算手段は、前記車両不安定度演算手段が演算した前記指標の増加に応じて、前記車両の運動に対する目標制御量を、制御開始時期が早くなる値に設定することを特徴とする請求項6記載の車両の運動制御装置。
【請求項8】
前記車両状態量検出手段は、前記車両に搭載され前記車両に生ずる実ヨーレイトを検出する実ヨーレイト検出手段を具備し、前記限界ヨーレイト演算手段は、前記実ヨーレイト検出手段が検出した実ヨーレイトに基づき、前記限界ヨーレイトを補正することを特徴とする請求項6記載の車両の運動制御装置。
【請求項9】
前記限界ヨーレイト演算手段は、前記車両状態量検出手段の検出結果に基づき前記車両がアンダーステア状態にあると判定したときには、前記限界ヨーレイトを前記実ヨーレイトに近似させるように補正することを特徴とする請求項8記載の車両の運動制御装置。
【請求項10】
走行中の車両の車両状態量を検出する車両状態量検出手段と、該車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき、走行路面に対するタイヤとしての特性に従い車輪と前記走行路面間で発生し得る最大横力と当該車輪に実際に発生している横力との比をタイヤ横力比として演算するタイヤ横力比演算手段と、該タイヤ横力比演算手段の演算結果のタイヤ横力比に基づき前記車両に発生し得る最大のヨーレイトを演算し、前記車両の限界ヨーレイトとして出力する限界ヨーレイト演算手段と、前記車両状態量検出手段の検出車両状態量に基づき前記車両の目標ヨーレイトを演算する目標ヨーレイト演算手段と、該目標ヨーレイト演算手段の演算結果の目標ヨーレイト及び前記限界ヨーレイトに基づき、前記車両の不安定度を表す指標を演算する車両不安定度演算手段と、該車両不安定度演算手段の演算結果の指標に基づき前記車両の運転者に対する警報を行う警報手段と、前記車両不安定度演算手段の演算結果の指標に基づき前記車両の運動に対する目標制御量を演算する目標制御量演算手段とを備え、前記目標制御量に基づいて車両の運動状態を制御することを特徴とする車両の運動制御装置。
【請求項11】
前記警報手段は、前記車両不安定度演算手段が演算した前記指標の増加に応じて前記車両の運転者に対する警報の開始時期が早くなるように設定すると共に、前記目標制御量演算手段は、前記車両不安定度演算手段が演算した前記指標の増加に応じて、前記車両の運動に対する目標制御量を、制御開始時期が早くなる値に設定することを特徴とする請求項10記載の車両の運動制御装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図15】
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【図16】
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【図17】
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【図18】
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【公開番号】特開2007−313966(P2007−313966A)
【公開日】平成19年12月6日(2007.12.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−143700(P2006−143700)
【出願日】平成18年5月24日(2006.5.24)
【出願人】(301065892)株式会社アドヴィックス (1,291)
【出願人】(000003609)株式会社豊田中央研究所 (4,200)
【出願人】(000000011)アイシン精機株式会社 (5,421)
【出願人】(000001247)株式会社ジェイテクト (7,053)
【Fターム(参考)】